「漢詩ブーム到来」・・ 読売新聞(12/1)より

 「国破れて山河あり」(杜甫「春望」)などの名句とともに漢詩は多くの人に愛されています。最近、自分で漢詩を作る人が増え、漢詩教室はキャンセル待ちの状態で、インターネットの漢詩教室も大人気です。韻を踏むなど漢詩つくりには様々な決まりがありますが、基本を押さえれば初心者でも楽しめ、言葉が豊富になるなどの効用もあります。(竹内毅)

    ◆「使う言葉に敏感になる」
    ◆教室にキャンセル待ちも

 東京・文京区の湯島聖堂で毎月一回開かれている初心者向けの漢詩教室「漢詩作法入門」。約百人の参加者が作った漢詩を二松学舎大学長・石川忠久さん(70)が添削し、講評していきます。六十代から七十代の人たちが中心ですが、キャンセル待ちの状態です。五年ほど前から講座に通っている東京・台東区の安食敏子さん(62)は「漢詩作りはパズルに似たところもあって、頭の体操にもなります。仲間もたくさん出来ました」と楽しそうです。
 漢詩は昔から愛されてきましたが、鑑賞するだけでなく、最近は自分で作る人が増えています。婦人之友社が今年五月に出版した中高年向けの「漢詩名句の味わい方」では、漢詩の作り方を載せたところ、すでに四千部が売れています。インターネットで漢詩の投稿を募っているホームページ「漢詩を創(つく)ろう」(アドレスhttp://tosando.ptu.jp/)は、開設以来四年半で高齢者を中心にアクセス数が八万件にも達しています。
 石川さんは「漢詩を鑑賞しているうちに、自分でも作ってみたいと思う人が多いようです」と言います。
 また、中国旅行に行く高齢者が増えたことも、漢詩の人気を高めているようです。今年、鳥取県で開催された第十七回国民文化祭の漢詩コンクールで最高の「文部科学大臣奨励賞」を獲得した名古屋市の青木みかさん(78)の作品は二年前の中国旅行で西安郊外にある明時代の遺跡の風景を詠んだものです。青木さんは漢詩を習い始めて約二十年にもなるベテランですが、「やはり中国に行くと詩興がわきます。向こうの人と詩で交流するのも楽しい」と話しています。
 石川さんは「漢詩を始めると、使える言葉が豊富になるし、季節にも敏感になります」と漢詩作りの効用を話しています。

    ◇ 《作り方の基本》 
    ◆まずは「七言絶句」に挑戦を

 漢詩を作るというと、むずかしそうですが、石川さんは「最低限の決まりを覚えれば、誰でも作ることができる」と言います。その決まりとは、「押韻(おういん)」と、昔の中国語の発音に基づいて文字を平(ひょう)字と仄(そく)字に区別して使う「平仄」です。
 起承転結の四句が七文字ずつで出来ている「七言絶句」の場合、初めの起句と承句、終わりの結句の最後の文字に同じ韻の文字を使うのが、押韻です。また、各句の二文字目と四文字目、六文字目の平字と仄字を交互に置き、起句と承句、転句と結句の間では、二、四、六字目の平仄が逆になります。このほか、句の下三文字を平字、仄字でそろえないことなどの決まりがあり、一つの詩の平仄は大体決まっています=表参照=。
 漢詩を作る際には、漢和辞典と、同じ韻の文字を集めた「韻書」、漢詩でよく使う言葉を集め平仄が分かる「詩語集」が必要です。
 初心者は、「七言絶句」から始めるのがよいようです。詩語集や韻書を見ながら、句を作っていきますが、石川さんは「まず結句を作ってから、他の句を作っていきましょう」とアドバイスしています。
******* 読売新聞( 2002.12. 1 )「ゆうゆうエージ」 *******        






















同字重出について・・謝斧 さん(5/20)

 投稿詩に関連して、私の考えていることを書きます。

 同字重出は同じ句中では許されていますが、他の句にわたって重出する場合は厭う可きだと聞き及んでいます。
 私の考えでは、声律的には問題はなく、他の句にわたって重出する場合はどうしても、内容が平板になるからと考えています。然し、重出する場合でも、効果的であれば積極的に使うべきだと考えています。しかしかなりの技量がいり、功を成すのはむずかしいようです。

 例えば
   君登青雲去 余望青山歸 雲山從此別 涙濕薜蘿衣 孟浩然

 最初に「青雲」といい、次に「青山」といい、さいごに「雲山」で、技巧的ではありますが、そう言ったことは感じさせなく、不自然さは感じさせません。

   曾向銭唐住 聞鵲憶蜀郷 不知今夕夢 到蜀到銭唐 家鉉翁

   曾栽楊柳江南岸 一別江南両度春 遥憶青青江岸上 不知攀折是何人 白楽天

 いずれも、同字重出の妙を得た佳作だとおもいます。

 それにひきかえ
   一別杜陵歸未期 祇憑魂夢接親和 近来欲睡兼難睡 夜夜夜深聞子規 劉象

   憶昔曾遊曲水濱 未春長有探春人 遊春人盡空池在 直至春深不似春 王駕

 等は、わざとらしく、同字重出したことが見え見えで。同字重出の効果もなく、俗っぽさだけが鼻につきます。

   側身天地在天涯 帰意懐郷不自持 獨把舊題空折筆 戒詩戲作戒詩詩 拙詩

 詩を戒しめて戲れに作る 戒詩の詩(戒詩は多くの古人の詩人が作ったとききおよんでいます)です。
 若い時の作品で、当時は、何か奇を衒って、他人とは違う作品を作ってやろうと、意気込んで技巧的に走った、内容のない、鼻に付く作品です。今思えばみっともなく、こういった作品はすてるべきでしょうが、よく捨てずにおります。恐らくはこの詩をみて、顔を顰めていることとおもいます。

 同字重出になる場合はよくよく吟味して、効果的に作るべきだとおもっています。
私の場合は殆どみるに堪えない詩になっています。






















「夢」は「希望」?・・ Y.T さん(5/31)

 桐山堂さん、Y.Tです。

 以前、「夢」を普通の夢以外の意味、即ち「理想」とか「思い」という意味で使うのは、和臭であると 謝斧先生からご指摘を受けました。
 中国の友人に訊いても同じ答えが返ってきたので”矢張りそうなんだ”と思っていました。

 ところが、四月に始まった「TV中国語講座」のタイトルは「北京之夢」でアメリカンドリームと同じ意味で使われています。
 例の中国の友人にこの事を話したら、「それは文語だから、いいのだ。会話では夢想と言うはずだ」言いました(事実ヒロインは独白では「我的北京之夢」と言っていましたが、会話になると「夢想」を使っていました)。

 文語では本当にそうした意味があるのか図書館で大漢和辞典を繙いてみました。果たして、「思い」という意味が載っています。
 そう言えば、「同床異夢」という熟語は陳亮朱子の秘書に宛てた手紙で使った様です。と云う事はその頃、かなりそうした用法があったのだと思います。
 同じ南宋、陸游の七絶「沈園」にある「夢断香消四十年」、 又「謝池春」「功名夢斷」「訴衷情」「関河夢断何処」等も「望み」乃至「思い」の意に解した方が自然と考えます。

 また岩波の中国詩人選集「李商隠」編の解説に、
  夢は紫雲の閣に懸けたるも/望み絶えたり赤城の標  
 これは従翁を送って作った五言排律・・・・と在りますが、是の「夢」も後の「望」から、明らかに「思い」の意です。

 以上の事から、夢を「望み」「思い」の意で使っても和習ではないと思いますが、如何でしょうか?

 又、李商隠の五言排律の詩が分かりましたら教えて下さい。






















「夢」と「希望」(2)・・謝斧さん(6/1)

 「夢」の用例についてのY.Tさんのご意見を読みまして、思うところを書きます。
   (以下、緑の字はY.Tさんの書かれた部分です)

<図書館で大漢和辞典を繙いてみました。果たして、「思い」という意味が載っています>
 この用例はきわめて少れなものとおもわれます。詩語としては熟してなく、甚だ生硬で使用すべきではないものとおもっています。藤堂明保の学研の漢和辞典では、「日本語」として、「実現は不可能だが実現させたい願い」とあります。

<『謝池春』の「功名夢斷」で「望み」乃至「思い」の意に解した方が自然と考えます。
 Y.T先生らしからぬご意見だと思いますが、もしそのように、「功名の夢は斷える」と読めば俗にすぎて詩にはならないとおもいますが。ここは矢張り、「功名は夢の如く斷ゆる」、と読むべきではないでしょうか(夢斷とあれば、多くは「夢の如く斷ゆる」ということだと理解しています。
 「同床異夢」はもともと、夫婦が同床で異った夢を夢むです。転じて先生のような意味になったわけですが、夢を理想と理解するのは無理があります。此の場合も同床に異った夢をみるが如く、各々理想も異なる、ではないでしょうか。

 李商隠の五言排律の詩はよく知りませんが、
「夢は紫雲の閣に懸けたるも/望み絶えたり赤城の標」「紫雲の閣を夢む」ではないでしょうか。
 詩的には、夢に紫雲の閣に遊ぶもと同じような手法だとおもいますが。























「次の古詩を教えて下さい」・・さんこさん(6/11)

 東京都足立区のさんこさんから次のような質問を受けました。


 以下の古詩(たぶん古詩だと思うのですが・・・)の解釈が分からないので、どなたか教えてください。

    流水風株残柳西風両岸芦花

 かなり前に、書道をやっていてこの詩を書いたのですが、最近になってその書いたものを見つけて、イタリア人の友達にプレゼントしたところ、意味を説明してほしいと頼まれました。
 しかし、恥ずかしながら、当時、まったく意味を理解使用とせず、ただ作品製作に没頭していたために、いざ意味を聞かれてみると、まったく説明する事ができませんでした。
 どなたか、お助け願えますでしょうか。わがまま言って大変恐縮なのですが、なるべく早めに、よろしくお願いします。


 私が分かる範囲で、次のような返事を差し上げました。
 お手紙拝見しました。  ご質問の件ですが、「墨場必携」に載せられているのを見つけました。作者は劉仙倫という人のようですが、この人については詳しくは分かりません。

    流水風株残柳西風両岸芦花

 載せられている句は、お書きになったものと一字違います。

    流水数株残柳  西風両岸蘆花

 読み方は「流水数株の残柳 西風両岸の蘆花」とそのまま読み下します。

 意味は、「流れる水が数本の柳のほとりに、秋風が両岸の蘆の花を吹き抜けていく」というもので、秋の河原の冷ややかな光景を描写したものです。
 外国の方のためにもう少し補えば、「柳が数本植わっているだけの寂しげな秋の河原、水が冷たく流れている。秋を告げる西風が両岸を吹き抜け、蘆の白い花が雪のように見える」という印象的な光景です。

 参考にして下さい。


 さんこさんからのお返事です。
 回答ありがとうございます。
 大学の図書館などで、いろいろと調べてみたのですが、まったくこの詩に関した文献が見つからずに、どうしてよいものか困っていました。
 早速、友人にメールして知らせたいと思います。
 本当にありがとうございました。

 今後、自由になる時間を持てるようになり次第、書道の勉強を再開したいと思っています。そして今回は、それと同時進行して、漢文の世界にも触れてみたいと考えているので、また、質問させていただくことがあるかもしれません。
 その折にはよろしくお願い致します。


 上海から来られた天馬行空さんから、劉仙倫についてのメールをいただきました。

「流水風株残柳、西風両岸芦花」の作者劉仙倫の簡単な経歴を見つかった。
 ご参考ください。

劉仙倫
2003. 7.17
























「夢」と「希望」(3)・・鮟鱇さん(6/18)

 鮟鱇です。
 Y.T先生、謝斧先生おふたりの玉稿、拝読いたしました。小生の愚考、述べさていただきます。

 Y.T先生の宋代の用例を引いた解釈、現代中国人のご友人の言葉など、わたしは瞠目の思いで読ませていただきました。といいますのも、わたしもまた、日本語でいう「夢」をそのまま使うのは和習であると今日まで思い込んできたからです。誰から聞いたのか、また、どこで読んだのかはもう忘れていますが、とにかく「和習」であると思い込んできたのです。
 Y.T先生の玉稿を拝読し、これからは「夢」を、わたしたち日本人が使うのと同じように使っても、よいのではないかと思うようになりました。すでにもうあの世にいってしまった唐代の詩人には通じなくとも、現代中国人に通用するなら、あえて「和習」であると忌避する必要はなさそうです。

 そのうえで、Y.T先生がお引きになった用例を見ますと、「同床異夢」の「夢」を別とすれば、いずれも人生を「夢」と見ているように思うのですが、それがわたしたちが使う「夢」と同じであるのかどうかについては疑問があります。
 日本語で「夢を語る」と書けば、そこで語られる「夢」は、「これから」のことに関わります。これに対し、「夢断香消四十年」、「功名夢斷」、「関河夢断何処」、これらの「夢」は、「これまで」のことに関わっているように思えます。つまり、「夢」という言葉が、「望み」乃至「思い」の意を含むにしても、日本語の「夢」が未来志向であるのに対し、中国の古人の用例は、過去ないし現在に軸足を置いているように思えます。

 人間が使う言葉は、木石の言葉ではありません。そこで、「夢」という言葉と過去の「人生」を重ね合わせる発想があれば、「夢」という言葉と未来の「人生」を重ね合わせることは容易です。そこで、アメリカンドリームと同じ意味で「北京之夢」が使われるということが起る。
 わが身を振り返れば、わたしたち日本人が「夢」という言葉で自分の未来を語るようになったのはいつからのことなのか。存外、新しいことではないのかと思います。明治の、あるいは戦前の日本人が、わたしたちのように「夢」を語ったりしたのか。
 日本語の「夢」には個人として語る響きがあります。個人としてのこれからの生き方を希望的に、しかし、みんなの前で控え目に語る、そういうときに「わたしの夢」、という言い方になります。個人の希望と謙虚、このふたつが同居するときに「未来」ではなく「夢」が使われるように思えます。日本の将来に関わるなら、「日本の夢」ではなく、「日本の未来」になる。
 この「夢」がもつ「個人」性、これはそれほど古くから語り継がれてきたものではないのではないか。あえていえば、日本語に固有のものではなく、「my dream」の日本語訳あたりが語源の新しいニュアンスではないのかと思えます。
 とすれば、「夢」は「和習」ではなく「英習」です。(これは冗談)

 話が横道に外れてしまいましたが、わたしがいいたいのは、「夢」を「和臭」とする考え方が、それほど歴史のあることではなく、存外新しいのではないかということです。そして、もしそうなら、「夢」を「和臭」とする考え方の背景には、「和臭」を単に中国人に通じない漢字の使いかたとして斥けるだけではなく、新しい考え方や思いを詩に盛り込んではいけないとする意志が働いていることになります。
 なぜなら、
 現代人の「夢」観が、もし新しいものなら、当然古人はそのような「夢」観を詩に持ち込むはずはない。そこで、古人の言葉を重んじ、それにならう作詩法では「夢」という言葉は使えません。おそらくは「志」あたりで代用することになるでしょう。しかし、「少年の志」と「少年の夢」では、まったくといっていいほどニュアンスが異なる。そのニュアンスの差を越えて「夢」=「志」とする人は、古人と現代人の感性の差に無頓着、といってもよいかも知れません。

 もし「和臭」を斥けることに意味があるとすれば、古人に通じない漢語の使い方をしてはならない、とするのではなく、中国人に通じない漢語の書き方をしてはならないということに限定されるべきです。
 反対の言い方をすれば、現代中国人に通じるのなら、どんな漢語の書き方をしてもよく、それはもはや「和臭」ではないと理解し、取り扱うべきです。それによって、詩のでき具合がどうであるかということは、「和臭」とは別の問題です。
 また、この考えはわたし個人のものに過ぎないかも知れません。

 わたし個人の立場を言えば、わたしは唐詩である絶句や律詩を、古典韵だけでなく現代韵でも書きます。わたしは、もうみんなあの世に行ってしまった唐代の詩人には理解できないような詩を書くべきではないと考える擬古派ではないからです。
 この立場からは、擬古派の方々が往々にして「唐代」の詩人に通じない漢語の用い方を「和臭」と呼ぶのに対し、「和臭」とは、現代中国人に作者の意図が通じない漢語の用い方をすることです。もし作者が、アメリカンドリームの「ドリーム」の意で「夢」という語を用いたとして、それが流利に中国人にも通じる書き方をされていたのだとしたら、わたしはその「夢」を「和臭」とは呼びません。Y.Tさんの説に、わたしはとても勇気付けられます。

 そこでわたしは、謝斧さんのお言葉には、異論があります。

謝斧さん>詩語としては熟してなく、甚だ生硬
 ということは、確かにそのとおりかも知れません。アメリカンドリームの「ドリーム」の意の「夢」は和臭であるといわれてきましたからそれを書く詩人はきわめて少なく、そこでは「詩語」として熟すはずがありません。しかし、だからといってアメリカンドリームの意味での「夢」を詩から排除してしまうとしたら、いつになったら「夢」が「詩語として熟し、生硬ではなくなる」のでしょう?
 アメリカンドリームの意味での「夢」を書いた素晴らしい詩が現れれば、「夢」は「詩語として熟し、生硬ではなくなる」と思います。
 詩における言葉は、文法がおかしい、意味が通じない、というのであればともかく、一部の語を切り出して是非を問うべきではありません。その語が詩全体のなかで生きているかどうかが問題なのだとわたしは思います。
 見方を変えれば、「詩語として熟し、生硬でない」語をいくら並べたところで、全体が詩として生きていないなら、それらの語がその詩において「詩語」であるはずがない。とわたしは思います。詩は志をいうのであって、詩語を並べれば詩になるとは限らないからです。また、「詩語」を中国語の文法を無視し日本語から「テニオハ」と活用語尾を削ってならべただけのように書けば、そこでの「詩語」は和臭となります。

「功名の夢は斷える」と読めば俗にすぎて詩にはならない
 なぜ俗にすぎるのでしょうか?「夢」を和臭と思うからそのように思えるだけのことではないのですか?
ここは矢張り、「功名は夢の如く斷ゆる」、と読むべきではないでしょうか
 「の如く」 と、なぜ原作にない語を補うのですか?Y.Tさんの訳がまずければ「功名は夢に斷え」と訳すのはどうですか?
 ここでの「夢」は人生に対する「思い」を比喩するものとしての「夢」です。アメリカンドリームの「ドリーム」だって、人生の比喩でもあるのだから、「功名は夢に斷え」と訳せませんか?

「同床異夢」はもともと、夫婦が同床で異った夢を夢むです。転じて先生のような意味になったわけですが、夢を理想と理解するのは無理があります。此の場合も同床に異った夢をみるが如く、各々理想も異なる、ではないでしょうか。
 アメリカンドリームの「ドリーム」にしても、はじめは単なる「夢」だった「ドリーム」から、単に「夢」だけではない「ドリーム」に転じたのではないでしょうか。
 「同床異夢」の「夢」を、ある中国人が、「同床に異った夢をみるが如く、各々理想も異なる」ととしか理解できないとしたら、その人は「アメリカンドリーム」を、「アメリカならではの夢をみるが如く抱く理想」としか翻訳できないことになります。しかし、そんなまわりくどい中国人がいるとはわたしには思えません。きっと現代中国人にとっての「夢」は、一般に、英語の「ドリーム」と同じ意味に転じていると思います。そこで、彼らは「美国之夢」と翻訳すると思います。























「夢」と「希望」(4)・・謝斧さん(7/23)

 以前にも投稿したのですが、読む分にかぎっては、私は和臭に対しては気にしていません。黄遵憲「日本雑事詩」を読んで特にそう感じました。
 唯、寄せられる詩に対しては、和臭であることは指摘はします。
 詩は志です。作られた詩によって、詩人の心情を推して知ることができれば好いと思います。
  「僕つねに以為らく、詩の外に事有り、詩の中に人有り・・・・」黄遵憲

 古人の詩を和臭にかぎらず、誤って読みますと、詩人の詩情を矮小化することになります。
 前回は説明をはしょりましたので、理解してもらえなかって残念です。

 Y.T先生の「功名夢斷」は、「夢」「望」であれば、「功名の望は斷たる」で、「ずっと抱き続けた功名心は終に絶えてしまった」でしょうか、功名の詩句に対してあまりにもあらわすぎると感じます。
 直置は詩人のもっとも忌むところです。そのときの詩人の心情には、ただ生臭く、口惜しさだけしか伝わってきません。風流な心は微塵だも感じとられません。「功名夢の如く斷え」では、(功名を夢に譬えることにより)「今までわずかながら功名の為に苦労したことが今となっては無駄であったか」と、詩人の感慨深い心情をくみ取れ、詩人にたいして同情もできます。Y.T先生の詩風からして理解されること思っています。
 私は、和臭については作る立場では避けています。それは、現在の中国人に理解してもらうといった事だけではありません。現代の中国人が使っている詩語も使用したくありません。
 なるたけ、宋以前の事名や物名 俗諺や俗語或いは詩語や典拠だけを使うようにしています。内容は新味のあるように工夫しています。だからといって決して擬古の詩を好んではいません。
 「世儒誦詩書 往々矜爪嘴」と云うような癖もありません。
 また黄遵憲「人境廬詩草」に説かれように古文家伸縮離合の法を用いて詩に入れるというようなことはありません。
 「俗儒好尊古 日日故紙研 六經字所無 不敢入詩編 古人棄糟粕 見之口流涎」ような事は常に戒めております。























「夢」と「希望」(5)・・Y.Tさん(7/29)

 Y.Tです。
 謝斧先生、鮟鱇先生のご意見を拝読して、もう一度私見を述べたいと思います。

 「夢」に就いての私見に対して、謝斧先生鮟鱇先生から、貴重なご教示を頂きました。
 両先生のご意見を読んで、矢張り漢詩では「夢」「思」「望」の意味で使う事は和習だと理解しました。
 即ち、漢詩では「夢」を他の意味に使うべきではないと。

 これは 漢詩をどう捉えているか の問題だと思います。
 以前の私には漢詩は”芸術的な創作”であるという思いが有りました(勿論、大上段に振りかぶって芸術と思っていた訳ではなく、心の片隅にそうした思いがあったという意味です)。
 しかし、今の私は、漢詩は”遊び”(と云っては何なら、典雅な遊び。若者向けに云うなら、知的ゲーム)と考えています。遊び(ゲーム)であるから、ルールがあり、それは守らなければいけない、と。
 漢詩を芸術的創作であると考えれば、自己の信念が絶対であり、世人がどう評価しようと、どう思おうと関係なく、己の良しとする所に従って書くべきです。
(三年程前、当サイトの平仄討論会へ投稿した時と今では、漢詩に対する私の考えが少し違ってきているので、それに就いては平仄討論会で述べないと片手落ちになりますので、平仄論に就いては其方へ投稿させて頂きます。)

 只、会話と違って、文語的に使えば現代の中国では、「夢」「アメリカンドリーム」と同じように通じる事は確かな様です。
 友人によると、今では「美国之夢」は一般の中国人の間にも広く流布しており、その類推で、「北京之夢」「北京尋夢」も十分にわかる、と云っていました。
 私は、そこで、先にこの投稿に記載した陸游の三つの詞詩の全文を見せ、「夢断」 をどう解釈するか訊ねてみました。
 「沈園」「夢断」は、過去の結婚生活を一つの夢と見て、其れが破綻したと云う従来通りの解釈でしたが、「訴衷情」「関河夢断何処」と、「謝池春」「功名夢断」は私と同様、「思い」の意味に解釈しました。つまり、二つとも「祖国防衛の思いが挫折した」「祖国回復の思いが挫折した」でした。
 友人は其れに加えて、「夢断」は現在、新聞でも「挫折」の意味で普通によく使われているから、専門家でない普通の中国人なら、この二つの詞は、普通の日本人と同様に解釈するだろうとの事でした。
 彼は江戸文学を専攻していて、中国文学の専門家ではありません。それでこういう解釈になったのだろうと思います。つまり、少なくとも文語でなら、専門家ではない普通の現代中国人も、結構「夢」を我々と同じように解する。という事です。
 それ故、鮟鱇先生の様に、現代韵で書かれるなら「志」「思」「夢」で表現しても、私は「和習」ではないと思います。
 一方、平水韻で書くなら矢張り「和習」であり、「思」「志」「望」などで表現すべきであろうと理解しました。





















「漢詩についての質問二つ」・・

 お二人の方から、漢詩についての質問をいただきましたが、ご存じの方はお教え下さい。
************** K さんからの質問(9/3) *************

はじめまして、初めてメールします。
香港映画で見た、漢詩の作者を探しています。

   十里平湖霜満天

 歌の内容は以下

霜に凍てつく十里湖で
過ぎし昔を思い出す
ひとりさびしく月をみて
ついの、おしどり、うらやまし



*************** プーさんからの質問(9/3) ***************

はじめまして
早速ですが、次の漢詩についてご存知の方は教えて頂けないでしょうか?

     涙尽羅巾夢不成
     夜深前殿按歌声
     紅顔未老恩先断
     斜奇薫籠坐到明

中の幾つかは、簡単な漢字になっていますが、よろしくお願いいたします。

宿題ですので、できるだけ早く(今週中に)お願いいたします。


  *****************************************************


 回答いただける時は ここ をクリック、メールをして下さい。






















「プーさんへの回答」・・逸爾散士さん(9/9)

 前回のご質問に対して、逸爾散士さんからご教示をいただきました。

*********************************************************************
 プー様へ
 逸爾散士です。

 「涙、羅巾に尽きて…」の詩は、白居易「後宮詞」二首のうちの一首。
 『万首唐人絶句』(書藝界版、太刀掛呂山訓註 第一巻280ページ)で見つけました。
 四番目の句は「斜めに薫籠に倚(よ)って」です。

 下段の訓読み、上段の語註を転記します。

    涙、羅巾に尽きて夢成らず
    夜深(ふ)けて前殿に歌声を按ず
    紅顔未だ老いず恩先ず断え
    斜に薫籠に倚って坐して明に至る。

・前殿は漢宮の名
・薫籠はふせご、衣に香をたきこめるかご
・王建の作ともいう。

意味はなんとなくわかりますね。宮詞というのは宮女のことを詠んだ詩。
この辺の説明は桐山人先生に譲ります。

「按ず」というのが辞書を引くと、「控える」「考える」と意味があったので、「前殿に他の宮女が皇帝と遊んでいる歌声のことを案じている」のか、「夜更けて歌声を控えている」のか、よくわからない。(そりゃ散文的か)

「倚る」は、「籠に寄りかかっている」のですね。
 そのうちに夜明けになってしまった。
アンニュイな気持ちを表すのに、後宮の女性は斜めに琵琶を抱えたりするのが相場。
(王昌齢の詩にあります)

ついでに白居易の後宮詞のもう一首をあげておきます。

    雨露由来一点恩  雨露由来一点の恩
    争能遍布及専門  争(いか)でか能(よ)く遍く布(し)きて千門に及ばん
    三千宮女臙脂面  三千の宮女、臙脂の面
    幾箇春来無涙痕  幾箇か春来って涙痕無からん

*********************************************************************




プーさんからお手紙をいただきました。

 こんばんは
回答をいただきました ぷーさんです。

 漢詩について いろいろ教えていただき、ありがとうございました。
宿題の方も何とか発表も終えてほっとしています。
 また、質問をお願いすると思いますがその時はよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。

2003. 9.10               by プーさん






















「とりあえず見栄えのする漢詩を書くための一般論」・・坂本定洋さん(9/24)

<はじめに>
 はじめまして。坂本定洋です。この度初めて「食蟹」を投稿させていただきました。ふざけた内容のものですが、それだけに腕勝負で、これも挨拶代わりです。
 「定洋」は詩吟でもらった雅号で、そのまま用います。漢詩づくりに取り組んで4年。45歳。男。和歌山県在住。会社員。技術職です。

 これまで技術屋なりの着眼点で作例の分析、研究を行い、標記「一般論」を抽出しました。投稿詩に沿えても、提案していくつもりですが、その都度長々と理屈をこねるのもどうかと思い、また、みなさんにはなじみの少ない用語も使いますので、ここで場を借りて説明しておきたいと思います。
 私の場合、それでも出来不出来は常なのですが、歩留りは格段に向上したと思います。参考にしていただければ幸いです。

<記号論>
 「記号論的に強力な語」とは大別して以下の通りです。
(1)物事を論ずるにあたっての普遍的な基準
(2)人の営みを根源的に支配する事象

 前者は色(紅、金、鉄など)、数(一、千、孤、両など)および方向性(東、上、天、平、など)が入ります。地名もこれに入るでしょう。
 後者は季節(春夏など)、日時(朝、今など)、気象(雨、雪、霜など)および男と女(男、女、姫、翁など)です。
 漢詩に限らず少ない語数で説得力のある表現には、上記のような語の用い方が重要なポイントです。これは唐詩での基準ですが、一語は不可欠、四語ないし八語用いるのが定石というところです。

<読行線>
 起句頭から結句末にかけて線を引けば、これが読行線ということになります。およそ書かれたものを読む時の人の視線の自然な流れの線です。
 見た目に美しい詩を理解しようとする場合、この読行線を知っていれば大いに助けになります。

<均衡法と構造法>
 私の場合、前述の記号論と読行線の考え方を組み合わせて字配りを考えます。
 読行線を中心線として、記号論的に強力な語の重量配分が釣り合うようにしています。強力語の重量は全て同じでもないのですが、色を十として数が七、あとは五と見ておけば実用上十分でしょう。(均衡法)
 対句、句中対、あるいは部分的な対を持つ詩の場合、それらの構造的な強固さにもよるのですが、上記重量バランスが片寄ってもそれを構造的に支えることができます。(構造法)
 均衡法による作例としては「山行」(杜牧)「楓橋夜泊」(張継)が挙げられます。構造法の作例は、対句を持つものは全てとなりますが、変わったものとして「望天門山」(李白)が挙げられます。

<おわりに>
 私の最初の投稿詩「食蟹」は構造法によります。ほかに音声的に磨けば詩のたたずまいはぐっと良くなります。たとえば「食蟹」結句では「美」「味」「解」「開」と共通項のある韻の語でたたみこんでいます。「初食蟲」としなかったのは、このような理由からです。

 私の説に対するご意見あればお待ちします。
























「挟み平についての質問」・・柳田 周さん(9/30)

 漢詩の決まりである「挟み平(挟平格)」についてのご質問がありました。他にも日頃疑問に思っている方もいらっしゃるかもしれませんので、ここで簡単な解説をしておきましょう。


 村上哲見先生の『唐詩』(講談社学術文庫)に、「ルール違反としない例外」として以下が書いてありました。(p328)

 五言句、七言句何れでも、押韻をしない奇数句の下三字で、「平仄仄」となるべきを「仄平仄」としてもよい、

 というのがそれです。
 この結果、二四不同二六対が破られることが起こります。
 この例外は入谷仙介先生の『漢詩入門』には記載されていません。

 この件、桐山人先生は如何お考えでしょうか?




 村上先生の本で書かれているのは、「挟み平(挟平格)」というきまりのことです。五言句でも、七言絶句の転句でも使われ、例外というよりも、かなり多くの詩でも使われています。
 ●●○○○●●となるべきところを、●●○○●○●とするようなケースですが、これは結局、下三字について、「●○●」「○●●」と同じとみなすという約束なのです。
 但し、挟み平にした場合には、本来は結句の下三字を「○●○」と孤仄にしてバランスを取るのが正しいそうですが、そこまでやっていない例も多くあります。
 この「挟み平」については、漢詩の手引き書には大抵書いてあります。ただ、私も調べましたが、柳田 周さんが仰るように入谷先生の『漢詩入門』には書いてありませんでした。「入門」ということで省かれたのかもしれません。

 石川忠久先生の『漢詩を作る』(大修館書店)にも書かれています。詳しく書かれていたのは、斎藤荊園先生の『漢詩入門』(大法輪出版)だったように思います。

 ということですので、私の考えはどうかということでしたが、私はあまり疑問に思わず、そういうものなんだなと素直に受け入れている次第です。

                       by 桐山堂






















「11月7日の『天声人語』」・・鯉舟さん(11/7)

鯉舟さんから次のようなお手紙をいただきました。
 拝啓 桐山堂先生

 11月7日の朝日新聞朝刊の「天声人語」欄に、
「銀河澄朗たり素秋の天 また林園に白露の円かなるを見る」(源順)
 という詩が書かれていました。
 多分漢詩だろうと思いますが、もしご承知なら元の詩を教えて下さい。
 というものです。他にも読んで興味を持たれた方もおられるでしょうから、紹介しておきましょう。
 この詩は、『和漢朗詠集』巻下(ほぼ最後のあたり)に載っている詩です。
 引用された二句を首聯(発句)としている七言律詩です。
私が持っている岩波古典大系本では、出典が明記されていませんので、題名も実は分かりません。「白」という季題として選ばれた詩です。

銀河澄朗素秋天   銀河 澄朗たり 素秋の天

又見林園白露円   又林園に白露の円かなるを見る

毛宝亀帰寒浪底   毛宝ぼうほうの亀は寒浪の底に帰り

王弘使立晩花前   王弘の使いは晩花の前に立てり

蘆洲月色随潮満   蘆洲の月の色は 潮に従って満つ

葱嶺雲膚与雪連   葱嶺の雲の膚は 雪と連なれり

霜鶴沙鴎皆可愛   霜鶴 沙鴎 皆愛すべし

唯嫌年鬢漸皤然   唯 嫌ふらくは 年鬢の漸くに皤然たることを



[口語訳]
 銀河が澄み輝いている 秋の夜空
 森の林園には 白露が丸く光っている
 毛宝の部下を助けた白亀は寒々とした浪の下に帰って行き
 王弘の使いは白衣を着て酒を携えて菊の花の前に立っていた
 白い蘆が生えている中州では、月の光が潮の満ちるのに合わせて満ちてくる
 西域の果て、葱嶺の地では、雲が山の白い雪とつながっている
 白い霜に驚く白い鶴、白い沙に遊ぶ白い鴎、どれも白いものは愛すべきものであるが、
 ただ、頭の毛が次第に次第に白くなるのだけは嫌な物だよ

語注
[毛宝]:
 晋の毛宝という人の部下が白い亀を養っていた。戦がひどくなり、亀を江に放してやったが、やがて負けてしまい、亀の主人だった人も江に飛び込んで逃げようとした。
 しかし、ほとんどの人はおぼれて死んでしまったが、この主人だけは亀に助けられて浅瀬に運んでもらえた。恩返しをした亀は、そのまま江の底へと帰っていった。  という話が残されています。

[王弘];
 陶潜が重陽の節句に酒を切らしてしまい、庭の菊の花の中に坐っていた。すると、白衣を着た使いの者が現れ、酒を届けて帰っていった。
 こちらも、こういう話が残されています。

 全ての句に、「白」を表す言葉を置いた、詠物体の詩です。

作者の「源順」(みなもとのしたごう)は、日本の平安時代中期の詩人です。「梨壺の五人」の中の一人として、「後撰集」の撰者にもなり、当時の代表的な詩歌人だった人ですよ。






















真瑞庵さんの「雨日雑賦」をめぐって・・謝斧・桐山・真瑞庵(11/12)

 投稿詩の方に掲載しました真瑞庵さんの「雨日雑賦」につきまして、謝斧さんから感想をいただきました。特に、一字の大切さという点での問題提起とも思いますので、私からの返事、真瑞庵さんのお返事をまとめて掲載します。
 作詩の参考にして下さい。

******[真瑞庵さんの作品]******

  雨日雑賦        

雲脚低庭樹   雲脚 庭樹に低れ

午窓細雨昏   午窓 細雨くら

庵前人影絶   庵前 人影絶え

檐下滴声繁   檐下 滴声繁し

加霜貪酣睡   霜を加えて 酣睡を貪り

賦詩弄酔言   詩を賦して 酔言を弄す。

寓居存俗外   寓居 俗外に存って

何用発蓬門   何ぞ用いん 蓬門を発らくを



******[謝斧さんの感想]******

 詩を鑑賞するとき、詩の外にある詩人の心情を推し量ることは大切なことだと思っています。詩人も、短詩形では、いいて言い尽くせぬことがありますので、蘊藉や比興を用いて、言外に読者に意を伝えます。それ以外でも、何気もない叙述の中に詩人の心情が感じ取られることもあります。とくに句中の一字で作品の好し悪しが決まることが多いようです。
 陶淵明「采菊東籬下 悠然見南山」坡公が、
  望南山では詩の面白みを減じる
といったことは有名です。(東坡志林)
 「望」「見」より詩語として劣っているという訳ではありません。そのときの適不適です。
これが詩眼と言うものだとおもっています。

 今回の真瑞庵先生の詩で
  寓居存俗外   寓居 俗外に存って
  何用蓬門   何ぞ用いん 蓬門を発らくを(詩人の意は開門にあります)

 詩の意味は「門は常には開いておくべきだが、誰もたずねて来る者もいないので門を開くには及ばない」ととります。
 詩からは、少しばかり客がくればよいのだがという期待もあるように感じられます。また、詩人の物ぐささしか感じられません。

  寓居存俗外   寓居 俗外に存って
  何用蓬門   何ぞ用いん 蓬門を杜じるを(詩人の意は杜門にあります)

とすれば、「誰もたずねて来る者もいないので、門を杜じなくても世間とは謝絶できる」となります。
 開放的で悠々自適なかんじがえられるのではないでしょうか。

******[桐山(私)の返事です]******

 「杜門」陶潜「飲酒」だったかと思いますが、謝斧さんの仰るところまで私は理解できませんでした。
 それよりも浮かぶのが、「帰去来辞」「門雖設而常関」だったものですから、門を閉じるか閉じないかで混乱しています。

 謝斧さんの仰るような「何用杜蓬門」とすれば「誰もたずねて来る者もいないので、門を杜じなくても世間とは謝絶できる」となります。開放的で悠々自適なかんじがえられるのではないでしょうか」というご意見についてですが、
 ここは「存俗外」に込めた意味合いの違いか私は思います。
 真瑞庵さんは、「せっかく俗外にいるのに、誰も来て欲しくない」という気持ちでしょうし、謝斧さんは「俗外にいるのだから、誰も来るはずもない」と取る。
 謝斧さんのお考えも今回よく理解できましたが、真瑞庵さんは「俗外」にいること自体に大きな喜びを感じていて、そのことを「門を閉じる(何用発蓬門)」という言葉で表しているように思います。
 つまり、心理を行為で表したのではないか。そう読むと、反語の意図も生きるように思いますが、いかがでしょうか。


******[謝斧さんからの再度の手紙です]******

 今回の件では基本的には桐山先生と同じだとおもっています。
 詩人の真意は先生の説かれる通りだと思います。そうでなければ詩としては成立しません。しかし、読者の立場で叙述からだけで推し量ると、無理があるように思えます。
「寓居はたまたま人里はなれた処にあるので、おそらくは誰も訪ねては来まい、だから面倒なので、敢えて門を開くには及ぶまい」としかとれません。

 また、お手紙の真瑞庵さんは「俗外」にいること自体に大きな喜びを感じていて、そのことを「門を閉じる(何用発蓬門)」という言葉で表しているように思います。つまり、心理を行為で表したのではないか。そう読むと、反語の意図も生きるように思いますが、いかがでしょうか。  という点については、そうであれば、くどいようですが、「何用杜蓬門」ではないでしょうか。 「蓬門を杜る必要は無い、なぜならば、俗外(地自偏)の為、人が訪ねて来ることもない。もしこれが車馬の喧しいところであれば、客を謝する為、常に蓬門を杜じる必要に煩わせられる」じゃないでしょうか。
 心理を行為で表したのではないかというのは、勿論そうですが、工夫が拙いとおもいます。
 実際に俗外にあって、自然の豊かなところにあるのに、蓬門を発かない理由が何故にあるのかが、読者の戸惑いでもあります。
 ただ一字のことですが、詩情が随分違ってくるように感じます。

 「帰去来辞」「門雖設而常関」「何用発蓬門」は同じような手法のようですが、詩意はちがいます。
 「門雖設而常関」の説明として釈清潭「俗人の来るを厭えばなり」と説明しています。
 私は少し違うように思っています。
 「門雖設而常関」のあと「策扶老以流憩」とありますので、「身は自然の豊かな処においているため常に外出している」と理解しています。


******[以上のやりとりをご覧になっての真瑞庵さんのお返事です]******

 今日は、真瑞庵です。
 いつもお世話になっています。又、貴ホームページ、いつも楽しみに開いています。新しい漢詩愛好者の参加が増え、同好の一人として喜んでいます。

 さて、小生拙作『雨日雑賦』についての謝斧先生と桐山先生の遣り取り、興味深く読ませていただきました。
 昨年9月まで作詞の指導をして下さいました村瀬九功先生はよく、『詩は人の目に触れるまでは自分の詩。触れた以後は其の詩を読んだ人の詩』と言っておられました。
 発表以後は作詩者の意図から離れ、読み手の個性、感性によって解釈され、鑑賞されるからでしょう。特に五、七絶や五、七律のように短形の漢詩においては、送り仮名の振り方一つで其の詩の雰囲気は変わってしまいます。

 拙詩の結聯『寓居存俗外 何用発蓬門』に付いての小生の意図と申しますか気持ちを申しますと、
雨によって得られた折角の静かな環境(俗外)を何者にも邪魔されろ事無く楽しみたい。門を開く事によって入ってくるであろう、社会に今、現実に起こっている事柄からも離れて、この時を静かに過ごしたい。何故好んで門を開こうや。
というところです。

 小生は詩を作るとき自分の思い、あるいは景色の状況をどう表現したら、其の思いや状況を言い表せる事が出来るのかを主眼に言葉選びをしています。其れゆえでしょうか、時として杜撰、稚拙、俗などの批評を頂く事がまま有ります。
 難しい事は分かりません。只、素直にその時その時を詩にして行く積りです。
 今後ともご指導ください。

 この件につきまして、ご意見や感想がおありの方は(桐山宛メール)をお送り下さい。























「真瑞庵さんの『雨日雑賦』をめぐって−2」・・鮟鱇さん(11/13)

 鮟鱇です。
 謝斧先生、桐山人先生、真瑞庵先生の「推敲」ならぬ「発杜」の論、それぞれになるほどと思いながら拝読いたしました。

 そのうえで、小生ならどう書いたかと思いました。
 小生は、詩はわかりやすく書く方が有利だと考えています。わかりやすく書けば詩は流利になります。そのうえで、詩がつまらないものであったとしたら、それはもともと詩材とそれに対する作者の心情・もののとらえ方が面白味に欠けるからだと考えます。
 そこで、修辞を工夫すればよくなるというものでもないようにも思います。しかし、そのことは、作者が責任を負わなければならないものではないのではないか。なぜなら、詩は面白いものである必要はないのではないかと思います。作者は、自身の心に忠実であるしかなく、自身の心に応じたものしか書けないからです。詩を作る立場からは、詩は主観に始まり、主観に終わります。
 小生ならどう書いたかと敢えていうことも、その主観に始まり、主観に終わる世界でのことです。そこで、謝斧先生、桐山人先生、真瑞庵先生のお考えになったこととあまりかみ合わないところでの話、ご容赦ください。

 「わかりやすく」を信条とする立場からは、「寓居は俗外にあり」を受ける句としては、真瑞庵先生が書かれたように「門を開かず」としたほうが有利に思えます。謝斧先生のおっしゃることは、熟読すればわかることかも知れませんが、いかにも回りくどい修辞で、「門を閉じず」と書かれたのであれば、その真意を理解するためにはいささか頭の体操が必要です。その頭の体操の分だけ、読者はつまずくことになり、ガツンときます。これは詩を読む心の勢いをそぐものであり、流利ではない。
 なぜなら、真瑞庵先生の「淡々」たる作風からすれば、門が開いているか門が閉まっているかは読者に伝えるべき重要な情報ではなく、伝えるべきは、開いているにしろ閉まっているにしろその「門」に対し、「わたしは何もしない」ということにあるからです。この「門のことはうっちゃっておく」ということが伝わりさえすれば、作者のいいたいことは読者に伝わります。

 そのうえで、小生が気になったことを言わせていただくなら、門を開く意味で「発」が使われていることがあります。「開」「発」も日本語では「ひらく」の意に使いますが、すこし細かく言えば、「発」「パっと開く」、「思い切り勢いよく開く」の意味ではなかったでしょうか。そこで、「花発」という表現は自然であっても、「門発」は不自然です。「開茅門」では下三連になりますのでそれを避けてのことかと思われますが、「開門」は自然であっても「発門」は不自然に思えます。

そこで、単に言葉のうえでのことではありますが、謝斧先生のおっしゃるように「門を杜(と)じず」とする案があるかどうかです。「杜」「閉」にくらべより積極的に閉じこもる意があります。そこで、「何用杜茅門」とすれば、単に「門を開けたままにしておく」ことにはならず、「蟄居はしない」意味に取られる恐れがあります。「何用閉茅門」とするのが普通であり、「門のことはうっちゃっておく」ことをいうのであれば「杜茅門」は誤解を生むだけに損な表現です。

小生ならどう書くかということでお読みいただくなら、真瑞庵先生「寓居存俗外」という表現も気になります。「俗外」は観念的・思弁的な言葉です。観念的・思弁的な言葉は、既成観念を弁証法的に打ち壊し乗越える形でしか詩的感興を呼び起こさないと小生は愚考しております。そこで、小生なら、「俗外」をより具体的に書きます。
 具体的には、
   寓居無訪者,終日不開門。

「無訪者」は、少々表現に誇張があり、なおも観念的かも知れません。そこで、
   山居少人訪,終日不開門。(寓居→山居は孤平を避けるため)

 門は開け放したままでもよいのかも知れません。そこで、
   又思雲上月,何敢閉茅門。(夜には晴れて月が門から射し込むだろうか?という期待を込めるならばの表現です)