2003年の投稿漢詩 第166作は滋賀県の 信州狂人 さん、三十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2003-166

  白鷺之詩        

水稲緑中白一鮮   水稲の緑中に白一つ鮮やかなり

凝観正是鷺公顚   凝らして観ればまさにこれ鷺公のいただき

問君独佇何思索   君に問う 独り佇みて何をか思索すと

黙黙無声忽舞天   黙黙として声無く 忽ち天に舞う

          (下平声「一先」の押韻)

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 この詩は、漢字表記に Unicord を用いています。
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<解説>

 今回はじめて投稿します。
 自作品の添削をしてくださる先生が身近におられませんので、この場をおかりして漢詩の勉強をしたいと望んでおります。どうぞよろしくお願いします。



 [訳]
  水田広がる緑の中に、何か一点、白いものが見えるぞ。
  よくよく目を凝らしてみると、それは親愛なる白鷺君であったか。
  いつも独りぼっちでたたずみ、君はいったい何を考えているのだ。
  それでも黙黙と返事もしないでいたが、急に空に舞いあがったよ。

 最近、地元の水田で白鷺を見ることが多いのですが、そのユニークな存在にいつも心が楽しくなります。
 そこで、それを題材とした七言絶句を作ってみました。この漢詩は僕の初作品で、平仄などの規則合わせには苦労しましたが、白鷺の鮮明なイメージによって助けられました。
 余話として、先日国道を車で走っていたら、前のトラックの会社名がなんと「白鷺運輸」。何か因縁を感じました。

<感想>

 初めまして。新しい方をお迎えして、とても嬉しく思っています。三十代のお若い方からの投稿は楽しみです。私の方こそ、これからもよろしくお願いします。

 順番に見ていきましょうか。
 起句は、平仄の点で、「中」の平字が「緑」「白」の仄字に挟まれた「孤平」になっています。七言の句では、四字目の孤平は許されませんので、前後の文字(この場合には三字目が良いでしょう)を平字に置き換えましょう。
 句の根底には王安石の作と言われる「万緑叢中紅一点」が潜在的にリズムとしてあるかもしれませんね。色の取り合わせがまさしく「鮮」です。
 そうそう、話は少々ずれますが、「万緑」の語を日本文学の中に定着させた中村草田男の俳句も、
    万緑の中や吾子の歯生えそむる
 と、緑と白の色彩の対比でしたね。

 承句は「鷺公」のややおどけた調子が「親愛」の気持ちを表して、転句の「問君」への連絡が整っていると思いました。

 結句は、「黙黙」はそもそもが「声を出さない」ことですから、直後の「無声」と重なります。
 お書きになった訳のように、「黙黙と」が何か他の動作を修飾するのならば良いのですが、この場合には「黙黙と声を発しない」では当たり前すぎて変ですね。こうした重複は強い強調になりますが、ここではその必要性もないように思います。
 「黙黙」を鷺の姿や態度を表す言葉に替えてみたり、「無声」についても行動を表す言葉に替えてみたりすると、一首全体の感じが随分違ってきます。そんな方向で推敲してみると面白いのではないでしょうか。

 「水田」に「白鷺」というと、思い出されるのは王維の「輞川積雨」(『三体詩』)の中の、
    漠漠水田飛白鷺
    陰陰夏木囀黄鸝

 ですね。
 王維のこの句は実は、李嘉祐
    水田白鷺飛び
    夏木黄鸝囀る

 の句と同じだと言われます。しかし、王維の方は、「漠漠」「陰陰」の四字が入ったことにより、李嘉祐「但だ是れ景を詠ずるのみ」という段階から一気に深い表現へと進んだと評価されています。確かに、単に「水田」という表現から「漠漠」によってひろびろーとした世界が目の前に広がります。
 言葉の果たす役割ということの参考になるでしょうか。

2003. 8.14                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第167作は 西克 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-167

  尋北公園        

紫陽花苑緑陰囲   紫陽の花苑緑陰囲み

山影雲流対夕暉   山影雲は流れて夕暉に対す

人共無常留不得   人共に無常留まるを得ず

年華忽過惜芳菲   年華忽ち過ぎる芳菲を惜しむ

          (上平声「五微」の押韻)

<解説>

 あじさいを観て、自然の無常と人生、思ったままを詠いました。

<感想>

 うーん、この詩は題名と主題があまりにも離れていますね。この題からは「北公園」を目的地として出かけていったのだから、きっと景色が書かれているのだろうと期待するのですが、実際の公園の様子が描かれているのは起句くらいでしょうか。
 承句以降は北公園でもどこでも関係なさそうですし、後半の主題との関わりで行けば、「紫陽花」などの方が題としては落ち着くように思います。

 さて、その「紫陽花」なのですが、この花を見るとどうして「自然の無常と人生」を思うことになるのか、これが分かりません。多分、西克さんの心の中では何かのきっかけ、つながりがあるのでしょう。それを言葉にするのが詩の大切なところです。
 何か典拠があるのでしたら、私の勉強不足ですので申し訳ないのですが、「紫陽花」の花の色の移ろいから無常を感じ取ったのでしたら、そのことを示すようにしておかないいけないでしょう。今のままですと、承句の「山」「雲」「夕暉」と同列になりますから、それらからも「無常」を感じなくてはいけなくなり、かなりしんどいと思いますがいかがでしょうか。

 一つ一つの句は工夫も感じられますし、問題も特に無いでしょう。結句などは、「芳菲」に人生の華やかな時節(青春)を象徴させて味わい深いと思います。
 しかし、つながりが無くてはその工夫も生きてきません。

 「思ったままを詠う」ということは大切なことですが、思いを相手に伝える段階で、言葉の選択や展開、全体の構成への配慮といった過程も詩としては大きい意義がありますね。
 そうそう、「あじさい」「紫陽花」という名を付けたのは白居易と言われていますね。
 「紫陽花」という七言絶句には、「与君名作紫陽花(君に名を与えて紫陽花と)」と書かれているからなのですが、さすがに素晴らしい言語感覚ですね。

2003. 8.15                 by junji



海山人さんから感想をいただきました。
こんにちは 海山人です。
西克さんの「尋北公園」の感想です。

 一読「出来過ぎ」と唸ってしまいました。
 近景から遠景、転句に人物を配して、結句は人間と自然の融合で締める。
 結句の連関を分析すれば、「年華」は起句の季節の花「紫陽花」に、「忽過」は承句の「[行]雲流[水]」と日々運行を繰り返す「夕暉」に、「惜」は転句の「留不得」「人共」にと、全て着き過ぎもせず離れ過ぎもせず絶妙なバランスで収まっていると思います。

 「紫陽花」ですが、私個人的には土地の成分に順応して色を易える「地の利」を説く自然の声と観ております。

 詩題の「尋北公園」は”詩序”とでも解せばさほど問題ではないでしょう。 詩経の如く詩の巻頭を詩題にする例もあることですし、変に思わせぶりな題より淡々として宜しいのではないでしょうか。

2003. 8.16               by 海山人
 私の読みの足りない点を海山人さんに補っていただけました。海山人さんの、いつも作者の心の奥まで入っていって詩を読み取ろうという姿勢に、私の方は反省しきりです。
 ありがとうございました。

2003. 8.16               by 桐山人





















 2003年の投稿漢詩 第168作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-168

  永別晩学人      晩学の人に永別す  

夕風微入蕩香烟   夕風微かに入り香烟をうごかす

鳥愕鉦声過樹辺   鳥は鉦声に愕いて樹辺をぎる

棺満百花書又幾   棺は百花に満ちて書も又幾ばく

今猶学処有黄泉   今猶学ぶ処黄泉に有らん

          (下平声一先」の押韻)

<解説>

 義妹の母親は60才で放送大学に入学し、その後病を得ながらも勉強していたが 、病は卒業迄の勉学を許さなかった。

 [訳]
  夕方の風が微かに窓から入って来てお香の烟をうごかす
  鳥が鉦の音に驚いて庭樹の周縁を飛び過ぎて行った
  棺の中は沢山の花で満たされ、また書物も何冊か納められた
  今なお勉強する処は黄泉の国にもあることだろう

<感想>

 私は現在、通信制の高校に勤務しています。生徒はやはり十代の若者が多いのですが、年輩の方も沢山居られます。五十代、六十代、七十代と年齢が上がる程に勉強も大変なのだと思いますが、学問への熱意はとても強く感じます。
 授業や学校行事などに本当に真摯に取り組む姿は、今どきの若者達にも伝わるものは大きく、日頃はヤンチャな茶髪の子達もおばさんやおじさんの前ではおとなしくしています。子供は大人の後ろ姿を見て育つと言われますが、口うるさい教員などよりもはるかに教育での影響力があります。
 義務でも惰性でもなく、打算も功利もなく、純粋に自らを高めるために学問をする、そうした価値観は今の子供達には新鮮で、感動を与えるものなのです。「晩学人」と書かれましたが、含蓄の深い言葉だと思います。

 学半ばでの逝去はご本人も残念だったでしょうが、「病を得ながらも勉強していた」というお姿を思い浮かべると、他の人とは別の輝いた晩年を送られたのだろうと思います。
 そうしたお気持ちがとてもよく表現された詩だと思います。

 一ヶ所だけですが、結句は「有」ですと「学ぶ処に黄泉有り」と読みがちです。ここは「在」の字を使った方が良いでしょう。

2003. 8.17                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第169作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-169

  五月最韶      五月最もうつくし  

牡丹月季絳花争   牡丹 月季 絳花争い

新緑逾濃地気盈   新緑 逾よ濃やかにして地気盈つ

五月最韶吾誕日   五月 最も韶し 吾が誕まれし日

低吟矩歩老身軽   低吟 矩歩すれば老身軽やかなり

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

     五月は最もうつくしい

  牡丹と月季(バラ)が、絳い花を争い
  新緑はいよいよ濃くなって、生命を壮んにする気が満ちている
  最もうつくしい五月、私の誕生日
  小さく口ずさみながら規則正しく歩けば、老身も軽やか

「月季」は、宋代に観賞用品種として生み出されたバラを指す言葉らしい。
 第一句の「丹」は孤平なので、第二句の孤仄で救拯した積もりです。「新緑」は詩では余り見かけないようですが和臭でしょうか?
 「月」を二度用いるのは禁則ですが・・・。

 ハイネの詩にシューマンが曲をつけた「美しき五月に」という歌曲があります。
 "Im wundershonen Monat Mai..." と口ずさみながら、散歩しました。

<感想>

 まず、お書きになった一句目の孤平の件ですが、七言詩の場合には二字目の孤平は多くの場合に問われません。逆に絶対に駄目とされるのは四字目の孤平です。
 これは斎藤荊園先生の『漢詩入門』によれば、「七字の真ん中にあたるので、ここの孤平は句が折れるようなリズムになるので、今体では自然に忌避された」という理由だそうです。
 斎藤先生は他の孤平も禁じておられますが・・・・

 「新緑」は用例は少ないですが、大漢和で調べますと、白居易の詩に「風吹新緑草芽拆   雨灑軽黄柳條湿」という用例があるようです。

 最後に、転句の「吾誕日」につきましては、感心しません。五月の美しさに異論のある方はいないでしょうし、前半のさんの思いに共感する方も多いでしょう。でも、転句のように五月が最も美しいとして、その理由に作者の誕生日を挙げては、読者はついていけません。
 恐らく作者の気持ちとしては、「五月は最も美しいのだ、(しかも)私の誕生日でもある」という意味で、添加の気持ちで書かれたのでしょうが、それはかなり善意に読んだ場合です。一般には、「私の誕生日だから、五月は最も良い」と読むのではないでしょうか。そうなると、読者としては「あ、そう」としか言いようがありません。
 これはせっかくの詩の風格を落としているように私には思われます。

2003. 8.17                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第170作は 詩吟好き男 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-170

  夏日海村        

長夏尋涼松岸頭   長夏涼を尋ぬ 松岸のほとり

濤声水面夕陽流   濤声の水面 夕陽の流れ

波光揺蕩陳漁火   波光は揺蕩として 漁火陳す

塵外海村夜色幽   塵外の海村 夜色幽なり

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 京都に来る前は、島根県出雲市に住んでいました。近くの日本海側大社近くの日御碕海岸や彼方此方の海によく出かけて往きました。
 特に、近場で海岸線をドライブし、涼みがてら海岸に座して、真赤な陽が静かに沖に沈み行く光景をよく観に往きました。
 その時の情景やイメージを思い浮かべての詩です。

<感想>

 夕暮れから夜にかけての海辺の光景が描かれ、一服の涼風が通り抜けていくような気持ちのする詩ですね。冬ではなく、夏の日本海というところが特徴でしょうか。

 承句は「濤声」という聴覚上の描写とその後の視覚描写が不統一でしょう。と言うよりも、「波の音のする水面」というのはどうなのかな?という感じです。波を持ってくるのでしたら、動きを表現するようにして、視覚に揃えると分かりやすくなると思います。
 転句の「波光」は多くの場合には太陽の光を受けて輝く波を指します。そして、直前に「夕陽流」があるために、この「波光」も夕陽が波に反射しているのかと思いました。しかし、どうやらこれは「月の光の反射」でしょうね。そうすると、「陳漁火」とも合いますね。
 結句は、「塵外」「海村」が重複感がありますね。「海村」というだけでも十分「塵外」は伝わっています。強調するよりも、ここでは二文字更に付け加えられると思って「海村」を推敲してみると良いのではないでしょうか。

 結句は四字目の「村」が孤平になっています。多分転句の四字目「蕩」が孤仄ですから、その対応とされたのでしょうが、そうした救拯よりも「揺蕩」「海村」の語を錬ってみることも有効ですよ。

2003. 8.21                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第171作は 徐庶 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-171

  偶題        

涼風輕爽拂雲帷   涼風軽爽にして雲帷を払い

夏僅飛來焼腕皮   夏僅かに飛び来りて腕皮を焼く

池水搖搖明且洌   池水揺揺として明且つ洌く

彬猫止足映容姿   彬猫足を止めて容姿を映ず

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 涼しい風が吹いてきて梅雨の雲の帳を吹き飛ばし、
 夏がやっときて日差しが腕の皮膚を焼く。
 池の水はゆらゆらと揺れて、透き通ってしかも清く、
 模様の美しい猫が足を止めて自分の姿を水に映している。

<感想>

 徐庶さんらしい、若々しい語感のよく出ている詩ですね。特に、起句のリズミカルな描写は、言葉に無駄が無く、簡潔に夏の到来をよく表していると思います。
 承句も私はこの「飛来」の表現に感心しました。勿論、「夏が飛来する」というのは不自然で、「どうやって飛んでくるのだ」と叱られるかもしれません。しかし、「遅かった夏がやっと来た!」という喜びを表すのに「飛」の字を用いたひらめき、そこに徐庶さんの感性が出ているのだと思います。
 ここは若さの勝利ではないでしょうか。
 ただ、その後の「焼腕皮」は、これはどうでしょうか。確かに実感としては、夏の日差しは火で焼くようではありますが、「焼」の字を使っては、実際に火であぶる感じになりますから、火傷をしたのかと思います。「晒」の字が日本語で言う「日に焼ける」の意味を持っていますから、穏やかでしょう。
 結句の「彬猫」というのは、「模様の美しい猫」を表す言葉ですか。私は知りませんでした。「彬」は見た目だけではなく実質も整っている状態を表す言葉ですので、猫にはもったいないくらいですね。似たところで、「彪」という、虎のまだら模様を表す言葉がありますね。もしくは、現代語の「花猫」、これは三毛猫になりますが・・・。
 それにしても、詩の最後に猫を配置した展開は心憎いばかり。いかにも目に前の情景のようで、非常に写実的でありながら、かつアニメ風でもあり、こうした自由な発想は全くうらやましい限りです。

2003. 8.22                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第172作は 勝風 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-172

  颱風襲来        

黒雲聚散遶山稜   黒雲聚散山稜を遶り

風雨敲窓万物興   風雨窓を敲き万物興る

早已三更轉難睡   早や已に三更転た睡り難し

突如消却読書燈   突如消却読書の燈

          (下平声「十蒸」の押韻)

<解説>

 八月の六日から十日にかけて大型台風十号が日本列島を襲い、人命を奪い、行方不明、そして建物倒壊など多大な被害をもたらしました。
 沖縄本島では六日の晩から七日の晩まで強風が吹き荒れました。不幸中の幸いといいましょうか、我が家ではその二日間だけの停電ですみましたが、電化生活に慣れきった日常のところ、大いに不便を強いられました。その状況を詩にしてみました。
 命を失われた方々の冥福を祈ると共に、全国の被害に遇われた皆様に心からお見舞い申し上げます。

<感想>

 この台風十号は大型で速度も遅く、晴れ間の少なかったこの夏を総括するような、大量の雨を降らせた台風でしたね。進路予報などを見ていても、「明日の朝までに700ミリ以上の雨量」なんていう雨の予想を聞いて、もうびっくりでした。
 毎年必ずやって来る台風ですが、被害の記事を見る度に胸が痛みます。

 私は昭和二十七年に生まれましたが、愛知県で昭和三十年代に生きていた人には共通の辛い思い出があります。伊勢湾台風です。住んでいた半田市は、海岸を埋め立てた新田地帯の被害がひどく、私の小学校の同級生も何人かが亡くなりました。名前は忘れてしまっても、何故かその友達の顔ははっきりと覚えています。台風の後の空の青さも、何日ぶりかで行った教室の空席の数も、そして勿論、台風当夜の家族の緊張感と恐怖、今でもすぐに目に浮かびます。
 同時に、多分幼かったからでしょうか、玄関から浸水が始まり、「水が入りだしたぞ」という父の声と同時に、脱いであった下駄が浮き上がり、あとは一気に畳まで水が来たのですが、その時の下駄の動き、水の流れを興味深く見ていた私も思い出します。おとなしく並んでいた下駄が水と共にフッと起き上がり、もう掴まえることなど決して出来ない速さでグルグルと流れ回る光景は、台風の怖さとはまた別の不思議な世界を見ていたように感じます。

 勝風さんのこの詩を読みながら、もう四十年以上も昔の日のことが思い出されました。
 特に承句の「万物興」の表現には、台風による暴風雨の向こうに別次元の世界をのぞき見たようなところが感じられ、実感の伴った句だなぁと思いました。
 転結句は、大型台風の割に緊迫感が少ないのですが、これはきっと、台風銀座(でしたっけ)の沖縄ならではの句だと言えるでしょうね。「燈」「消却」というのは耳慣れないですね。「熄滅」の方がしっくりくるでしょう。

2003. 8.22                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第173作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-173

  人事調動        

群僚塵境爭功譽,   群僚 塵境に功誉を争い,

散士家山謝世縁。   散士は家山に世縁を謝す。

天子不呼無上殿,   天子呼ばざれば上殿するなく,

緑陰濃處有陶篇。   緑陰濃きところに陶篇あり。

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

     [語釈]
「人事調動」   人事異動のこと。
「陶 篇」    陶淵明の詩集

 人事異動。サラリーマンにとっては悲喜こもごも。そして、それ以上にまわりの人間が騒ぎたてます。ふと思い出したのが、杜甫が描いた酔いどれ李白の姿(「飲中八仙歌」)と、陶淵明の詩、でした。

<感想>

 杜甫「飲中八仙歌」の中で李白に関しての描写は特に有名なところです。

   李白一斗詩百篇
   長安市上酒家眠
   天子呼来不上船
   自称臣是酒中仙
 私はこの詩を初めて読んだ時には、「李白は役人生活が嫌で嫌で仕方がなく、クビになりたくてこんなことをしてるんじゃないか」と思いましたが、今でもそう思うことがよくあります。

 李白「天子呼び来たれども上船せず」でしたが、鮟鱇さんは「天子呼ばざれば上殿するなく」としているわけで、「呼んでも行かない」「呼ばないから行かない」、この変化は大きいでしょう。
 先ほどの私の解釈で行けば、宮仕えから遠のいた後の李白の心情でしょうか。そうでないと、「呼ばないから行かない(けど、呼ばれたら行く)」というニュアンスも残ってしまい、ちょっと未練っぽい感じがしますね。
 「天子」ではなく、「天帝」となると随分感じが違うでしょう。

2003. 8.27                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第174作も 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-174

  六年吟得八千首詩詞        

一見鍾情酒到臍,   一たび見れば情をあつめて酒は臍に到り,

六年合意八千詩。   六年 意をあつめて八千詩。

花前月下無名利,   花前月下に名利なく,

惟有騒人吟未疲。   惟だあり 騒人 吟じて未だ疲れず。

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 小生、今年に入って800首目、そのマイルストーンとして書いたものです。

 杜牧が死んだのが数えの50歳、小生が漢詩を書き始めたのが満で50歳と数カ月、以来6年と数か月になります。いってみれば、晩学の閑人が、漢詩の小学校の学習を遅ればせながらに終えて、中学に進学したところです。
 これまでに書いた詩詞(唐詩の絶・律、古詩、宋詞、元曲、漢俳・漢歌、曄歌・坤歌・瀛歌・偲歌)は8000を超えました。1997年に50首、98年に430首、99年に1400首、2000年に1320首,2001年に1550首,2002年2720首、そして今年はこの作で800首です。

 詩はもとより数ではありません。しかし、先天的な才能や個人によって多いに開きのある豊かな経験や感性をあてにしないで書くとしたら、詩はまず数です。たくさん書いて平仄と韻に慣れないことには詩は始まらないだろうと小生は信じています。
 詩がもとより数ではないことは古来多くの人が説いています。しかし、そういう大家主義の詩作りは小生のごとき凡才の選ぶ道ではなく、小生は、そこで、1万首に届くまでの作はすべて「習作」とすることにしています。「詩言志」という言葉がありますが、大鵬の志を知らない燕雀の立場からは、そういう「詩」をめざす前にやらなければならないことがあります。つまり、「詩」を書くのではなく「習作」を書くこと。

 [語釈]
「合意」:思っていることを詩などに作りあげるという意があるようです。
「花前月下」:花前も月下も男女が情を交し合うのによい場所とされています。
「騒人」 
:詩人。「風騒」の語に見るように「風」「騒」ともに詩文を意味します。
「騒」に下品に騒ぐ意味はありません。
「風人」にしようか「騒人」にしようか迷いましたが、拙作の場合、「吟未疲」と結んでいますので、「騒人」とすれば「騒がしい」の意も出せて面白いかと思い、「風人」ではなく「騒人」にしました。
「一見鍾情」:一目ぼれ。わたしは漢詩に一目ぼれでした。

<感想>

 押韻は現代韻でしょうか。「臍」(qi 2)は平水韻ならば上平声八斉ですが、「詩」(shi 1)「疲」(pi 2)ですね。
 鮟鱇さんは以前に陸游の二万首のことを書いておられましたが、ペースとしては十分追い上げが可能になってますね。すばらしいことです。

 詩は数ではない、確かに、世に残るもの一首でも詩人として歴史に名を残している人も沢山います。また、苦吟を重ね、推敲を重ね、一首に全霊と歳月を傾けて作り上げられた詩もあるでしょう。それは人それぞれの目指すものだと考えれば良いのだと思います。

 それよりも何よりも、私は鮟鱇さんの感受性の豊かさに感服します。
 詩を作るためには主題がなくてはなりません。その主題は、自身の外であれ内であれ、まず何かに心を動かされるところから生まれます。鮟鱇さんは、「志」よりも「言」を優先させているように仰っておられますが、八千の詩には八千の作者の思いがあるでしょう。
 日々の生活の中での感動を大切にしていらっしゃるからこその積み上げ、その感動の数にこそ重みがあると思います。
 日頃の雑事に紛れて作詩をさぼっている私は、全く反省しきりです。

2003. 8.29                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第175作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-175

  雨日雑賦        

雲脚低庭樹   雲脚 庭樹に低れ

午窓細雨昏   午窓 細雨くら

庵前人影絶   庵前 人影絶え

檐下滴声繁   檐下 滴声繁し

加霜貪酣睡   霜を加えて 酣睡を貪り

賦詩弄酔言   詩を賦して 酔言を弄す。

寓居存俗外   寓居 俗外に存って

何用発蓬門   何ぞ用いん 蓬門を発らくを

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 雨の一日。何もする事が無く無聊を託っています。そして、そんな自分自身をなんとなく慰めている。

<感想>

 雨の日の郊居でのひととき、閉ざされた空間の中での作者の視座がよくうかがわれる詩だと思います。

 とりわけ前半の静謐な窓外の景色から屋内の自身へと転じた部分では、「酣睡」の語句が効果的ですね。
 「酣」の字は「酒が甘く(うまく)なる」が源ですが、「酔って楽しくなる」とか「(宴)がたけなわ」、そして「思う存分に気持ちよく」と発展して行った字ですね。
 「酣睡」の他にも、「酣歌(心ゆくまで歌う)」「酣飲(心ゆくまで飲む)」「酣眠(気持ちよく眠る)などの言葉があります。
 この詩では「寓居」での「思うがまま」の生活ぶりを表すのに使われているわけですが、諧謔の風がかすかに漂い、この二文字によって詩が重さを脱し得て、全体に透明感を与えているように思います。

 形式のことで言えば、第五句二字目の「霜」が平字なのと、第七句の三字目「存」が韻字であることが気になりました。

2003. 8.29                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第176作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-176

  碑傾湾上岡     碑は湾上の岡に傾く   

旅次偶来湾上岡   旅次 偶(たまたま)来る湾上の岡

漁舟入港負斜陽   漁舟 港に入って斜陽を負う

碑傾得読南支斃   碑 傾きたれど読むを得たり 南支に斃れしと

征戦幾人還故郷   征戦 幾人ぞ 故郷に還りしは

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 [訳]
   碑は湾上の岡に傾く
旅の途中でたまたま来た湾のほとりの岡
漁船が港に入って夕日を背負っている
碑は傾いているが読むことができる、「南支にて斃れた」と
戦争に行って、いったい幾人が故郷に還ったことだろう

<感想>

 どこの港なのかは分かりませんが、海を見下ろせる丘に、戦死された方の碑が残っていたのでしょうね。
 結句は王翰の「涼州詞」を持ってこられたのですが、自らの死を見つめて戦場での嘆きを詠った「涼州詞」に対して、こちらの詩はやや理屈っぽさを感じます。
 それは特に「旅次」であることもそうですが、結句の表現としては、「幾人が還っただろうか(反語)」ではなく、「幾人が還れなかったのだろう(疑問)」とするのが、「偶来」の者としてたまたま碑を見ての感情としては自然だからでしょう。
 あるいは、転句の「碑傾得読」の解説調の句も影響しているかもしれません。
 つまり、そこに碑があるからと出かけていったものではなく、やはり「たまたま」傾いた碑を見てみたら「南支斃」と書いてあったところから生まれた感慨ですから、あまり大きく構えると却ってそこだけが浮いてしまうように思えるのでしょう。
 結句は戦争の悲惨さを全面に出すのではなく、碑が朽ち傾いているのを見ての寂寥感にすると収まりが良くなるように私は思います。

 あと、「南支」は中国の人は使わない表現ですし、わざわざ具体的な地方名をここで出す必要も無いでしょうから、転句全体を推敲されると良いのではないでしょうか。

2003. 8.30                 by junji



柳田 周さんから推敲のお返事をいただきました。

『碑傾湾上岡』について、「南支」は中国で使用しない事、結句「征戦幾人還故郷」の良くないことのご指摘を戴きました。
 つきましては、以下のように推敲しました。

  転句:碑傾得読南支斃−−>一碑浅刻徒兵死
  結句:征戦幾人還故郷−−>墟墓何空朽故郷

 推敲後の全句を下に記します。

     旅次偶来湾上岡
     漁舟入港負斜陽
     一碑浅刻徒兵死  (一碑 浅く刻む徒兵の死)
     墟墓何空朽故郷  (墟墓 何ぞ空し 故郷に朽ちんとは)

 転句中の碑が孤平ですが、二字目の孤平は問われないとのご教示に従いました。

2003. 9. 8



私の感想です。

 推敲の作についてですが、転句は「浅刻」の意図が分かりにくいように思います。「少ししか彫らなかった」ということになりますから、どうでしょうか。「朽碑僅かに刻む」くらいが良いように思います。

 結句は問題は無いと思いますが、表現がやや回りくどい。「何空朽故郷」は、練り上げすぎた飴のようなもので、舌で味わうより頭で味わう、という感じがします。
 「朽」の字も本当は転句で使いたいという気がしますから、もう少し、考えてみて下さい。

2003. 9.25                    by junji





















 2003年の投稿漢詩 第177作は 欣獅 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-177

  夏日登山        

力登岨峻路   力登す岨峻の路

不覚到山巓   覚えず山巓に到る

仰臥千花静   仰臥すれば千花静かに

眼中渾碧天   眼中渾(すべ)て碧天

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 最近、奈良の大峰山系の大普賢岳というところに登ってきました。この辺は大和アルプスという位で、近畿では最も峻険な部類に属し、北アルプス等の高山帯を彷彿させるところがあります。
 山路の険しさに比して、山頂の静けさや高山植物の短い夏を憩うている様子は、正に別天地の感があります。この雰囲気を五言絶句に表すのは至難の技ですが、あえて挑戦してみました。

<感想>

 私も先日、季節はずれの感はありましたが、信州は駒ヶ岳の畳平に行きました。と言っても、実際は車で駐車場まで行き、その後はバスとロープウェーで登ったわけですので、ほとんど体力は使っていませんね。
 高山植物もすでに季節が過ぎたのか、ポツンポツンと花が散在する程度、それでも爽やかな冷気を胸一杯に吸い込んできました。

 欣獅さんはご自分で登られたわけですから(「力登岨峻路」)さぞかし頂上に着いた時には満足感でいっぱいだったろうと思います。その気持ちが転句結句によく表れていますね。
 転句などは、花を描くのにはつい色彩を表す言葉を使いたくなるところですが、次の結句のこともあったのでしょう、抑制が感じられる句になったと思います。ただ、「静」が最善かどうか、他にも「千花」を生かす言葉はないだろうか、まだ推敲の余地はあるでしょう。

 改善した方が良いのは、承句の「不覚」ですね。
 欣獅さんのお気持ちでは、「一生懸命脇目もくれずに登っていたから、ふと気がついたら頂上に着いていた」という感じを出したかったのでしょうが、「不覚」は明の高啓の名作、「尋胡隠君」の結句でも使われていますね。

    春風江上路   春風 江上の路
    不覚到君家   覚えず 君が家に到る

 ここも、「ふと気がついたら君の家に着いた」ということで同じような気がしますが、高啓の場合は、春の花や水に心奪われているわけで、つまり歩くことと友人の家に行くことは一致していないから「不覚」と言ったのです。
 欣獅さんの場合は、山道を歩くことは自覚していなくても頂上に着くことと一体なんですね。ここでは、「歩歩」として「一歩一歩ずつ」とか、季節を表す言葉などでも整うと思います。

2003. 8.30                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第178作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-178

  林上木人憂国

林上木人憂國思,   林上の木人 国を憂いて思うに,

交情不孕女當飢。   情を交えて孕まざれば 女 まさに飢えるべしと。

今日妻多良母少,   今日 妻多くも 良母少なく,

高齢社会老羸悲。   高齢社会に老羸 悲しむ。

年金將盡難糊口,   年金まさに尽きんとして口に糊しがたきに,

石婦何嬉翻錦袖?    石婦なんぞ嬉(よろこ)びて錦袖を翻さん。

男子尊厳勤發財,   男子 尊厳にして発財に勤しめば,

姑娘卑賤養童幼。   姑娘 卑賤にして童幼を養うべし。

先賢好語催仁厚,   先賢の好語は仁厚を催(うな)がすも,

前宰狂言買謗譏。   前宰の狂言は謗譏を買う。

君知不、         君知るやいなや

古来婦徳歸君子,   古来 婦徳は君子に帰し,

不爲邦家生健児。   邦家のためならず 健児を生むは。


<解説>

[語釈]

林上木人:木人=木で作った人形のように人の心を解さない人。林上木=森
老羸:年寄り
糊口:めしを食うこと
石婦:子供を生まない女
錦袖:綺麗な衣装
発財:金儲け
童幼:幼児
好語:立派な言葉
仁厚:人間らしい心根のさま
君子:妻が夫を呼ぶ美称
邦家:国家。

 七言古詩です。以下、拙作の背景、述べさせていただきます。

 悲憤慷慨の詩、書いたあとで後味の悪い思いがすることがあります。しかし、それでも書かずにいられない、そういう時があります。
 森前首相に、子供をたくさん産んだ女性にこそ、将来『ご苦労様』と年金を差し上げたい、自由を謳歌し、子供を1人もつくらない女性の面倒を税金でみなさいというのはおかしいとするむねの発言がありました。言語道断、あきれてものがいえません。
 子供を生めない男が、女性が子供を生むか生まないかをめぐってあれこれモノをいうのはアンフェアではありませんか。子供を作らない女性の面倒を税金でみてはいけないのなら、子供を生めない男はみんな年金を需給する資格はない。
 子供を生むか生まないかは女性だけに課せられた義務ではありません。もしそれが義務であるとしたら、子供を生みたくても生めない女性が浮かばれません。もし、その「浮かばれない」を社会が認め、子供を生まない女性には年金を支給しないと決めるなら、それは女性を、女性であるがゆえに、差別することになります。なぜなら、子供を生まない男には年金を支給するからです。
 子供を生むか生まないかは男に課せられた義務でもありません。もしそれが義務であるなら、たとえば僧職にはいって女色を絶っている男は、男としての義務を果たしていないのだから、社会からさげずまれなければなりません。そして、子供を作ることがよいことなら、男は見境もなく女色に耽ることを美徳としなければならない、そういう論理にも発展する。これは、おかしい。
 なぜ子供ができるのかを考えてみる必要があります。子供ができるかどうかは、単に男女が決めればよいことではありません。女性が子供を生みたいと思うのは自分のためでしょう。そして、女性が子供を生んでもよいと思うようになるには、たとえば相手の男性に対する愛情とか、なんらかの動機が必要だと思います。そこで、女性が子供を生もうと思うかどうかは、男の責任でもある。女性に子供を生んでもらえない男、そういう男にも年金を支給すべきではないと、森さんはなぜ言わないのか。
 小生は人間の平等を信じています。そして、男女の平等、これも当然信じています。人間の平等と男女の平等、そのどちらを欠いても人としての平等性は確保できない。
 人はなぜ子供を生むのか、そもそもそれは人間の恣意に基づくものではなく、天のみ心によるのだと思います。それでこそ、子供を持ちたくても持てない夫婦や男女にも救いがある。子供を生むことが人間の意志に基づくのだとしたら、子供を持ちたくても持てない夫婦や男女は、自らの意思で自らを傷つけることになります。これでは救われない。
 子供は天からの授かりものです。古来、天下・国家や年金財政のために子供を生んだ女性がどこにいたでしょうか。子供を作るかどうかを人間の意志で自由なると考えるのは、天のみ心を冒涜する妄想です。もちろん天は、その妄想によっていささかも傷つくものではありません。ただ、天に向かってツバをするごときもので、天から笑われるだけです。
 そこで、あえて詩を書いて前首相の暴言に一矢を報いなければならないということもないのですが、女性に対するアンフェア、深海のフェミニストを自負する鮟鱇、我慢がならず牙を剥きました。

<感想>

 この詩については、もはや私は何も感想として付け加えることはありません。鮟鱇さんの仰るとおり、ただあきれてしまいました。
 ただ、心配なのは、こうした人格を疑うような発言が次々と出てくる、それも大衆受けを狙っての感情的な発言が首相や大臣という立場の人から続く、それを一つ一つ追求する倫理観や正義感が薄くなってきていることでしょう。
 これは話題の前首相の頃から顕著ですが、「妄言」「暴言」「不用意」「不適切」な発言がニュース性を持たなくなり、マスコミの姿勢も「ま、しょうがねぇなぁ」というような、半ば見捨てたようなところを感じます。
 教育の世界で昔から言われるのは、「叱られる内が花だ。まだ先生から期待されているからだ」というもの。こういう言葉をあまり私は好きではありませんし、とことん最後まで絶対に期待を失わないのが教育だと思っていますが、政治家の暴言・失言の世界ではこの言葉が逆説的に意義を持つかもしれません。

2003. 8.30                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第179作は 海山人 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-179

  翻葉        

烈風巻土三方度、   烈風 土を巻いて 三方に度り

蕭水穿岩大海流。   蕭水 岩を穿いて 大海に流る

宿鳥相鳴行客見、   宿鳥 相い鳴き 行客見れば

翩翻緑葉亢枝啾。   翩翻たる緑葉 亢枝に啾る

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 [語釈]
 「巻」:捲く。「捲土重来」。
 「三方」:「守四方」。
 「度」:渡る。
 「蕭」:(心)細い。「風蕭蕭、易水寒。」
 「穿」:うがつ。
 「亢」:高い。易「亢龍」。
 「啾」:シュウ。かさかさ鳴る。

<感想>

 激しい風に翻る木の葉が寂しげな音を立てる、という設定でややつまずきました。
 「緑葉」「亢枝」にありますから、枯れ葉というわけではないでしょうが、どうも「啾」の持つ「かすかな音」という意味からはどうも「カサカサ」という感じがするからです。
 起句の「烈風」とつなげるならば、ここでの木の葉の音は「ザワザワ」かな、前半と後半の景色を切断するならば「緑のしなやかな葉が触れ合うように微かな音を立てる」となるのでしょうね。
 とすれば、「啾」の意味を考えて、海山人さんの意図は後者なのかな、という結論ですね。

 ということで前半を読み返しますと、「(激しい)風は世界一面に吹き渡る。小さな川の流れもいつかは大海に注ぎ込む」ということで、少しずつ何か大きな変化が生まれていく趣になるのでしょうか。

 ただ、例えば「捲土重来」の語などは杜牧の「題烏江亭」での項羽の最期を思わせます。
 また、「蕭水」の注で示された「風蕭蕭兮易水寒」の句は荊軻の「渡易水歌」によるのですが、ここでも秦王暗殺という戦国期の事件が頭に浮かびます。
 こうした引用を拾い上げると、作者が前半に述べたかったこと、つまり一つの変化が大きな変化へと拡がるという、その方向性が絞られるかもしれませんね。きな臭い戦争の臭い、・・・・というのは読み過ぎでしょうか。
 ともあれ、世界の大きな変化の流れに付いていけない「宿鳥」に、私は日本人の姿を感じて仕方がありません。

 全体の印象としては、各句の下三字が皆同じリズム(構成)なので、やや単調な感じがします。
 それと、「蕭水」では「蕭」の意味として語注に従って「細い川」と理解して、実質「(心)」を取ってしまったのですが、「細い」「心細い」は全く意味が違うわけですし、「蕭」には形態を表す「細い」の意味はありませんから、ちょっと苦しいところです。
 荊軻の故事を導くためということで許容範囲でしょうか、悩むところです。

2003. 9.20                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第180作は 忠恕 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-180

  逝友偲        

丘塋菫咲野辺花   丘塋 菫咲く 野辺の花

槁木留鳴両両鴉   槁木 留まり鳴く 両両鴉

殀友孥貽無念涙   殀の友 孥貽し 無念の涙

経称合掌接香霞   経 称えし 合掌の香 霞に接う

          (下平声「六麻」の押韻)

  <解説>

 数年ぶりに親友の眠る墓前に妻を連れ立っていった時の様子を詠んだものです。

 [訳]
 丘墓地にはスミレやタンポポが咲き誇っていた
 枯れ木に留まって交互に鳴くカラス 
 若くして世を去った友はまだ幼い子供を遺し、さぞ無念であったろうに 
 経文を唱え手向けた焼香の煙は霞みの中へと消えていく

<感想>

 丘の上の親友の墓地、小さな花が咲く丘に鳴く鴉・・・・、夭逝の友への哀悼の気持ちが伝わってきます。
 私も数年前に小学校以来の友人を亡くしました。医者であり、しかも自分の専門である呼吸器科、そこで自分の肺ガンを見つけた時の友人の気持ちを考えると、病気への憤り、やる方のない悲しさで、私はしばらく呆けてしまっていました。
 正直、仕事をする気力も湧かなければ、生きる、ということすら実感が薄くなったほどでした。悔いを残して死んだ友の分だけでも自分は精一杯生きよう、という考えは頭では理解できても、心の中に迫ることはありませんでした。
 あれから何年か、私自身が病気になったこともありましたが、墓参りには行けませんでした。彼に対して、まだ胸を張れない、彼よりも長く生きているだけの充実を果たしていない、そんな慙愧の気持ちだったかもしれません。

 最近になって、彼が死に臨んだ時の気持ちが、ふと分かる気がするようになりました。歳月が為させたこともあるでしょう。私の中での心の痛手が治癒されてもきたのでしょう。
 でも、最も大きな理由は、私が年を取ってきたこと、自分も含めて様々なことの「身の丈」が分かるようになってきたことだと思います。
 彼が発病から死までの半年で辿り着いたものを、私はまだこれから何年も掛けて追いかけて行くのでしょう、そのことに、焦りも気負いも感じなくなった、年を取ったというのはそんな感じです。

 詩の感想から外れてしまったかもしれませんが、忠恕さんの今回の詩を拝見して、私の心にまず浮かんだのは以上のことでした。

 さて、詩についてですが、内容面では申し分ないと思いますが、内容を包み込む表現の方では気になるところが少しあります。
 和臭という言い方をしますが、漢字で表してあっても、日本固有の用法は一般的には避けることが漢詩の約束です。
 この詩の場合ですと、「菫」とか「無念」が該当します。「野辺」もそうかな。
 特に植物の名前や動物の名前などでは、同じ字を使っていても日本と中国では異なるものがたくさんあります。「これは大丈夫かな?」と心配になったら、まず漢和辞典を引くことです。両国で意味が異なる場合には、大抵の辞書では、「日本語用法」と明記して、「これは日本語だけの使い方ですよ」と教えてくれている筈です。
 「無念」などは、「無念残念」の方の意味ではなく、「無念無想」の方で、「余分な意識は捨てる」意味です。もしくは、「頭の中が真っ白け」というところです。
 その意味で転句を解釈すると、「早くに死んでしまった友は妻子を残したまま、何も考えないで涙を流している」という風で、話が通じなくなります。こうした誤解を生まないために、和臭を避けることが必要になると言えます。

 あとは、語順的には、「孥貽」「貽孥」に、「経称」「称経」にした方が、「述語+目的語」の構造になります。
 個人的には、「称経」よりは「経声」あたりの方がすっきりすると思いますが。また、結句は読み下しも飛びすぎて変ですから、考慮されると良いと思います。

2003. 9.20                 by junji