2003年の投稿漢詩 第46作は 観水 さんから、中国に旅行した折の作品だそうです。
 お手紙では、
    寒い日が続いております。風邪なども流行っているようですが、お元気でしょうか?
    せっかく中国に行ってきたので、訪れた先々を詩にできれば……、と思っていたのですが、
   現地ではそんな余裕も無く、戻ってきてやっと2首まとまった次第です。




作品番号 2003-46

  西湖作     西湖にて作る   

杭州好景遠来尋   杭州の好景 遠く来って尋ぬ

細雨瀟瀟西湖潯   細雨 瀟瀟たり 西湖の潯(ほとり)

孤客何愁衣袂湿   孤客 何ぞ愁ふ 衣袂の湿うを

空濛山色大蘇心   空濛たる山色 大蘇の心

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

 杭州はあいにくの雨でした。
西湖もかすんでしまって、ほとんど見られませんでしたが、
蘇東坡「山色空濛雨亦奇」の句を思い出して、 わずかなりとも慰めにする次第でありました。

<感想>

 観水さんからは、今年の新年漢詩の投稿の時に、「中国旅行の詩を近々投稿します」とのお言葉があり、楽しみにしておりました。
 西湖は古来の名勝地ですね。観水さんが思い出された蘇軾 「飲湖上初晴後雨」 が最も知られているものでしょうか。
 天気に恵まれなかったということですが、また次に来る時の楽しみが残されたと思えば良いでしょうし、もし晴れていればきっと 「雨の時の西湖も見てみたいな」 と欲張りの気持ちも出たのではないでしょうか。
 私はそんな風に考えるようにしています。

 さて、詩の方ですが、承句の四字目「湖」が平字ですので、二六対が破れています。固有名詞を入れた場合には破られることもありますが、必要性の問題ですね。題名に既に「西湖」と入っているわけですので、ここでは何か他の言葉にして平仄を合わせるのも方法です。
 結句の「大蘇」は、ご存じの方も多いと思いますが、蘇軾「大蘇」、父の「蘇洵」「老蘇」、弟の「蘇轍」「小蘇」と呼び、三人を合わせて「三蘇」と呼びます。
 結句はですから、意味としては「空濛たる山色 蘇軾の(雨も亦た奇なり)の気持ちを思いだした」ということになりますね。

2003. 2.10                 by junji



謝斧さんから感想をいただきました。

 転句の意味がよくわかりません。
「衣袂湿」白楽天の詩にあるように「江州司馬青衫濕」のように「涙を垂れる」と理解しています。「孤客」は作者だとしますと、「東坡を思えば涙が垂れる」と理解しました。

 東坡が西湖に遊ぶのは、自ら杭州の通判となり、遊びほうけているときだとおもいます。(ただ師である、欧陽修の死もありましたが)
 「何愁」は妥かではないと思っています。結句の「大蘇心」は余韻を乏しくさせます。平仄はことなりますが、せめて、「詩人心」ぐらいまでだとおもいます。
 承句は固有名詞であれ、卑見ですが、平三連は避けるべきです。(仄三連は問題ありませんが)
 下三句は調子が平板(馬跡)になっているようです。起句は少し違うのか解りませんが。どうでしょうか、

2003. 2.13                 by 謝斧



観水さんからお返事をいただきました。

 「湖」の字は何故か仄字だとずっと勘違いしていました。
 ですから、もともと「西湖」という固有名詞にこだわっていて平仄を破ったわけではなく、まったの不注意です。本当にお恥ずかしい限りです。

 また、謝斧様にご指摘いただいた転句についてですが、「(雨で)衣服が濡れても気にしない(蘇軾のいう『雨亦奇』だから)」くらいのつもりで作ったものです。

 不用意に先人の足跡を辿ってしまったことを、いささか反省しております。

2003. 2.15                 by 観水



謝斧さんからお手紙をいただきました。

 詩意理解しました。
 面白いとおもいますが、坡公の詩句が多くてくどいような気がしました。
「孤客何愁衣袂湿」   で「何愁」が妥やかではない気がします。その為分り難くなっているようにおもえます。

杭州好景遠来尋  →  西湖好景得相尋 西湖の好景 相い尋ぬるを得たり
細雨瀟瀟西湖潯  →  細雨瀟瀟湖水潯 細雨瀟瀟たり 湖水の潯り 
孤客何愁衣袂湿  →  孤客何嫌濡野服 孤客何んぞ嫌わん 野服を濡すを
空濛山色大蘇心  →  空濛山色古人心 空濛山色 古人の心

 ではどうでしょうか、御一考下さい。

「何嫌濡野服」「空濛山色古人心」を読者に考える余地を与えています。

2003.3.11                  by 謝斧





















 2003年の投稿漢詩 第47作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-47

  初入唐作      初めて唐に入りて作る  

万里鵬程初入唐   万里 鵬程 初めて唐に入る

客窓何事転凄涼   客窓 何事ぞ 転た凄涼

誰知夜月天辺在   誰か知る 夜月 天辺に在って

曾使晁卿詠故郷   曾て晁卿をして 故郷を詠ぜしむを

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 はるばる海を越えて初めて大陸の土を踏み、それなりにいい気分ではありましたが、
やはり慣れた土地を遠く離れると何とはなしにものさびしいもの。
 状況は随分と違いますが、月を見れば、阿倍仲麻呂「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」の歌を詠んだことがしのばれます。

<感想>

 「鵬程」は、「鵬が飛ぶほどの長い距離」ということで、「鵬程万里」の熟語を入れ替えた形での書き出しですね。
 日本では、「鵬翼」「飛行機」を言うことがありますから、なるほど、ジャンボジェットなどはまさに「鵬」に近いでしょうね。
 ただ、荘子によれば、「鵬之徙於南冥也、水撃三千里、搏扶搖而上者九万里、去以六月息者也。」とあるように、「九万里の上空まで飛揚し、六ヶ月間飛び続ける」そうですから、現代科学の粋を集めたジャンボといえどもの能力にはまだまだたどり着けないでしょうね。

 承句は、高適「除夜作」の承句「客心何事転悽然」に合わせ過ぎでしょうね。意図的に高適を連想させようとしてのことでしょうが、押さえ気味の方が効果は強くなると思います。

 結句は「詠故郷」でも良いですが、「詠懐郷」とした方が意図はよく伝わるのではないでしょうか。

2003. 2.10                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第48作は 桐山人 、拙作です。
 

作品番号 2003-48

  船下三峡     船にて三峡を下る  

客意蕭森風又還   客意 蕭森 風又還る

舟艫斥水弄濤間   舟艫 水を斥きて 濤間を弄す

一聲暮笛驚帰鳥   一声の暮笛 帰鳥を驚かし

碧碧重重巫峡山   碧碧たり 重重たり 巫峡の山

          (上平声「十五刪」の押韻)

<解説>

 観水さんが中国旅行の詩を書かれましたので、私も遅ればせながら、昨年の夏に三峡に行きました時の作品を紹介します。

 初作から中村逍雀先生のご指導で、初作から起句と結句を入れ替えました。

<感想>

 「三峡」といえば李白「早発白帝城」。其の韻字「間、還、山」を用いての御作は効果抜群だと拝見しました。

 ところで「起句と結句を入れ替え」た部分について一言。
 一読「風又還」の寓意が”?”でしたので余計「入れ替え」に注目しました。

 「起句」と「結句」を比較検討してみますと、「起句」には若干”叙情”が混じり、「結句」は淡々と”叙景”に徹した句と見えます。
 ただ「碧碧重重」といった畳語は詩頭にあるほうが調子がつくように思います。
 また、句間の構成からは転句の「暮・帰鳥」「客・又還」が並んでいるほうが寓意もわかりやすくなるように思います。これを「尽き過ぎ」と見るか否かは趣向かもしれません。

2003. 2.11                 by 海山人





















 2003年の投稿漢詩 第49作は枚方市にお住まいの 小原憲菖 さん、70代の方からの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2003-49

  登愛宕山      愛宕山に登る  

新春愛宕踏霜行   新春の愛宕 霜を踏んで行く

鎮座千三百歳迎   鎮座千三百歳(ねん)を迎う

山頂景観看不尽   山頂の景観 看れども尽きず

健康感謝楽余生   健康に感謝して 余生を楽しむ

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 正月5日快晴の愛宕山(924m)に登る。
山頂は積雪ありマイナス3℃だった。
 山頂の愛宕神社は本年鎮座1300年にあたる。
寒中、77歳でお参り出来たことに感謝してこの詩を作った。

<感想>

 新しい詩の仲間を迎えることができ、とてもうれしく思います。

 お手紙を拝見すると、七十七歳、喜寿ですね。おめでとうございます。
このホームページには七十代の方も何人も投稿してくださっています。励みにしていただいて、いよいよのご活躍を楽しみにしています。

 千メートル近い山に登られたわけですが、頂上の神社は千三百年の歴史を持っている、きっと愛宕神社の神様は、「七十七歳などではまだまだ若者じゃ!」とでも言ったのでしょうね。
 承句の「千三百歳迎」の破調が(本来は、二・二・三の形で句が切れますので、普通で読めばここは「千三 百歳迎」と読んでしまいます)、逆に年月の長さを強調する効果を出していますね。

 結句の「健康感謝」は本来ならば順序が逆になるところですし、口語的な印象ですね。また、「感謝」もその後の「楽余生」で意図は伝わるところですので、ここは推敲なさって、上の四字を全て「元気だぞ!」という言葉にすると詩として落ち着くと思います。



2003. 2.10                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第50作は ニャース さんからの作品です。
 

作品番号 2003-50

  酒楼的姑娘      酒楼の姑娘  

招客紅灯下   客を招く 紅灯の下、

嬌声満酒家   嬌声酒家に満つ。

紅顔娘一老   紅顔 娘一たび老いれば、

落魄抱琵琶   落魄 琵琶を抱く。

          (下平声「六麻」の押韻)

<解説>

 中国出張でお客さんの接待で、カラオケに行ったとき、横についてくれた娘さん達と話しながら、彼女達も毎日 大変だなあと思い、書きました。
 それにしても、惜しむべし、若き青春時代!!
なんか年寄りくさいですかねえ。

<感想>

 うーん、お気持ちはよく分かりますが、現実問題として、「横についてくれた娘さん達」を見ながら、「この娘さん達が年老いたら・・・・」と想像するというのは、連想としては無理ではないでしょうか。

 「抱琵琶」ということですから、後半は白居易「琵琶行」を踏まえてのものでしょうが、そうなると、なおさら苦しくなります。

 「年寄りくさい」というか、今回のニャースさんの表現は残酷ですよね。
 確かに私も街角や電車の中で若い子達を見ると「たった一度の青春時代をもったいない」と思うことはありますが、彼らや彼女たちの「不幸な晩年」などを想像することはありませんよ。
 根底には温かみが感じられるような表現に推敲を進めて行かれることを期待します。

2003. 2.10                 by junji



謝斧さんから感想をいただきました。

 白楽天のような詩作意図ならば、鈴木先生の言われるように、読者には、詩人のおもいあがりという感じがします。
 「姑娘」たちも、昔とは違ってそんなに深刻ではなく、いらぬお世話というところじゃないでしょうか、(当然事情がわからないので、無責任なことをいいますが、昨今の事情を考えますと)読者には不快感をあたえます。

 ただ、詩としては、「琵琶行」をふまえて、詩作意図は巧みだと思います。
 私ならば、転結を改めますが・・

「紅顔娘一老」は、「娘一老」の叙述が稚拙だと感じます。「如何 顔色の故なるを」ではどうでしょうか。
「落魄抱琵琶」では、「抱琵琶」「琵琶行」を連想させますので、「落魄」と説明すれば、余韻が乏しくなるものと感じます。「面をかくして琵琶を抱かん」でよく解ると思います。

    招客紅灯下 嬌声満酒家 如何顔色故 遮面抱琵琶

 「顔色故」「遮面抱琵琶」「琵琶行」からの詩句です。

2003. 2.11                by 謝斧




ニャースさんからお返事をいただきました。

 鈴木先生、謝斧さん、ご指導ありがとうございます。
 自分としては、娘さんに対して残酷に看ていたわけではないのですが、舌足らずで、やはり独善的でした。
なんでも仕事はたいへんだなあ、という思いを書きたかったのですが。

引き続き勉強していきますので、またよろしくお願いいたします。

2003. 2.17                 by ニャース





















 2003年の投稿漢詩 第51作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-51

  鵞毛袍      鵞毛の袍  

傾嚢遂得羽毛袍   嚢を傾けて遂に得たり 羽毛の袍

従此安便凍岳敖   此れ従り安便なり 凍岳の敖(あそび)

客歳稜稜美越境   客歳 稜稜たり 美越の境

徹宵臥雪聴風号   徹宵 雪に臥して 風の号(さけ)ぶを聴きし

          (下平声「四豪」の押韻)

<解説>

 毎日、寒い日が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。
 小生も冬ごもりで何もしなかった正月でした。そろそろどこかへ出かけたいとむずむずしているのですが。

 [訳]
 財布をはたいてダウンのシュラフを張りこんだ。
 これからは冬山もだいぶ楽になる。
 そういえば、去年の美濃と越前の国境では、骨に沁みるような寒さだった。
 雪の上にテントを張って、一晩中、風がピューピューと鳴るのを聞いていたのだった。

<感想>

 禿羊さんの行動力にはいつも驚嘆の連続ですが、今回は冬山ですか。私は話を聞いただけでも凍えてしまうような、そんな寒がりの日々です。

 今回の詩は、内容から見た時に通常の句の配置から行けば、起句承句と転句結句は逆の方が自然です。つまり、

 起句:去年の冬の美濃越前
 承句:夜通し聞いた山の風雪
 転句:今年はシュラフを買いこんだから
 結句:雪山遊びも楽しいだろう


となるのでしょうが、禿羊さんは去年の体験を後半に持ってきて、時間的に逆転をさせたわけです。効果はどうでしょうか。
 私は読み終えた時に、「だからどうしたのか?」という不満が残りました。
 前半は言っている内容が当たり前過ぎて、その分後半への期待が高くなるのですが、十分応え切れていないように思います。

 転句の「美越境」ですが、「美濃と越前」とは読めないですね。美濃は「濃」で表すべきでしょうから、「濃越境」としたらどうでしょうか。

2003. 2.13                 by junji



海山人さんから感想をいただきました。

 鈴木先生の感想にもある通り、「禿羊さんの行動力」からなる実景をもとにした詩作には力強いものを感じます。
 実体験を踏まえているだけに一層「時間的に逆転をさせた」構成にも食指が動くところです。
 私は恥ずかしながら「傾嚢」「客歳」に引っ掛かって白文ではよく解らず、訳を読んで納得した次第です。

 ご指摘の「効果についての疑問」ですが、現在と過去の落差と寓意が不十分な点にあるのかも知れません。
 承句では「岳」を出さずに「羽毛袍」を着ての”内温”と”外寒”を句中対にする。
 これだけでも寓意が見えてきます。

 そのかわり転句では一気に極寒の雪山の場を表出してはどうでしょう。その為には解り易い用字を心がけ、固有名詞の用否も検討することになると思います。
 例えば乗鞍、白山など有名な高山であれば「極寒の雪山」をあれこれ形容するよりその固有名詞を用いる方が良いと思います。

 そして結句では「羽毛袍」が無いが為に悲惨な目に会ったというシナリオとなりましょうか。これを句間の連携を伴なって表出するには、起句で「新得」と用い、結句で「疲装」など用いれば緊密な連携が生れると思います。「四豪」であれば「風刀」の出番でしょうか。

 あと慣用の「去歳」でなく敢えて「客歳」を用いたのであれば、其の「客」が活きる「独」などの用字が句中にあれば特殊な用字の効果が出ると思います。

 諸々考え出せばきりがないですがこのような実体験を踏まえた詩には生気を感じ気持ちよく拝読させていただきました。

2003. 2.14                by 海山人



禿羊さんからお返事をいただきました。

 鈴木、海山人両先生、御批正有り難うございました。

 前半の話題が軽かったようです。確かにシュラフを買ったからといって、清水の舞台から飛び降りるほどの買い物ではないし、それがどうしたのといわれれば一言もありません。ただ、ちょっと嬉しかったもので。

 時間的逆転に関しては特に巧んだわけではなく、思考の流れから自然にそうなっただけです。
「美越境」は軽率でした。美濃は濃州ですよね。この時は、近くを走っていたJR越美北線が頭に入っていましたので、つい使ってしまいました。
 「客歳」は詩語辞典から、恥ずかしながらちょっと格好いいなと感じて採ってきただけです。「風刀」の語は知りませんでした。
 しかし、海山人さんが「一つの言葉」からいろいろと詩想を拡げてゆかれるのを読んで、「推敲」の意味を初めて知ったような気がしました。小生のは、ただ一直線に作っていただけでした。
 有り難うございました。

2003. 2.24                 by 禿羊





















 2003年の投稿漢詩 第52作は 西川介山 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-52

  文天祥 其之四        

   眞州城 一二七六年

破曉皚皚舞銀屑   破暁皚々 銀屑舞い

横舟石岸寒徹骨   舟を横たう石岸 寒 骨を徹す

憊色遙望眞州城   憊色遙か望めば 真州城

即賭死生叩城闕   即ち死生を賭して城闕を叩く

郡守情敦自寛仁   郡守情敦くして 自ら寛仁

如逢知己醉芳醇   知己に逢うが如く芳醇に酔う

一朝詒傳捕縛令   一朝詒き伝う 捕縛令

無奈逐客嘗艱辛   奈ともする無し逐客 艱辛を嘗める

   揚州城 一二七六年

揚州國守狡黠質   揚州の国守 狡黠の質

密放間諜爲巉嫉   密かに間諜を放ちて 巉嫉を為す

再投虎口可如何   再び虎口に投ぜられ 如何すべき

身如逋逃生路失   身は逋逃の如く 生路失う

三月夜寒風刺膚   三月の夜寒く 風は膚を刺し

春雷一閃似裂躯   春雷一閃 躯を裂くに似たり

凌雨鞭撃苦飢凍   凌雨鞭撃 飢凍に苦しみ

難脱鬼手極窮途   脱し難し鬼手 窮途極まる

   亡國 一二七六年

歇話同時        歇話時を同じうして

宋室栄華此終熄   宋室栄華 此に終熄す

可憐後主囚朔北   憐れむべし後主 朔北に囚わる

徒労張陸戴幼帝   徒に労す張陸 幼帝を戴き

挽回天日復社稷   天日を挽回 社稷を復せんとす

僵伏草間逃避行   僵れ伏す草間 逃避行

漂泊福州爲帝京   漂泊福州に 帝京を為す

宋廟再興果如何   宋廟の再興 果たして如何

欲敵胡冦無精兵   胡冦に敵らんと欲するも 精兵無し


<解説>

 完結しましたが、推敲途上です。後少しあります。我慢して読んで下さい。
 批正をお願い致します。

<感想>

 「批正を」とのことですが、私も文天祥に格別の知識があるわけではありませんので、介山さんのこの連作を読みながら、楽しませていただいている状態で、内容についてはあまり言えることはありません。
 読みながら、私が分かりにくいなと思った点だけ述べさせていただきましょう。

 「醉芳醇」は、「美酒で歓待された」ということでしょうか。その前の「如逢知己」の主語は「郡守」でしょうから、主語の転換が気になりますし、用語も不釣り合いな気がします。
 「一朝詒傳捕縛令」「詒」は何と読めば良いのでしょうか。書き下しから見ると「あざむ」なのでしょうね。この時の事情を知りませんが、単に「命令が届けられた」というだけでも良いように思うのですが、「あざむく」となると何があったのかとかえって気になります。

 他には、「(眞州城)郡守情敦自寛仁」・「揚州國守狡黠質」とありますが、こうした評価は一面的で、文天祥絶対賛美の戦前ならば良いでしょうが、現代の詩人が描くときには類型的過ぎるのではないでしょうか。
 確かに文天祥を描くのが主題の詩ですが、作者の視点は客観性を保持することも必要かと思います。

 以上ですが、介山さんの労作、更に続くようですので、楽しみにしています。

2003. 2.16                 by junji




西川介山さんから、私の疑問に対してのお答えをいただきました。

 江北の宋軍として、この時点(1276年)で元軍の攻撃に抵抗し続けていたのは、眞州の苗再成、揚州の李庭芝、盧州の夏貴のみでした。
 苗再成は、文天祥と今後の作戦を練り、他の二人に協力を求める手紙を送りました。苗再成に届いた李庭芝からの返書に「彼は偽者だから、直ちに処刑せよ」との命令であったとの事です。李庭芝に何らかの思惑が働いたものと考えられます。
 そう言う意味で、眞州城主=情敦・寛仁、揚州城主=狡黠・巉嫉の言葉を用いたものです。

2003. 2.23                   by 西川介山





















 2003年の投稿漢詩 第53作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-53

  梅開清曉        

日照寒塘梅一枝,   日は照らす 寒塘 梅一枝,

横斜倒影薄氷危。   横斜倒影して薄氷に危うし。

星星郁郁開珠蕾,   星星たり 郁郁たり 珠蕾を開き,

老幹先知花信時。   老幹 先んじて知る 花信の時。

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 早春の梅を詠むことはどこか年寄り臭い、そんな思いが以前からありました。なぜ、年寄り臭いと感じるのか、そんなことを思いながら書いた詩です。

 若く元気なころは、少々暑かろうが寒かろうが一向に構わないところがありました。しかし、歳をとると、とりわけ寒さがこたえます。そこで、ちょっとでも暖かくなると、快い。ちょうどそんな頃に梅が咲くのです。
 つまり、梅は、寒さがこたえることを知った老いの感性にこそ訴える、そんな風に思えます。寒暖の境目での無言の敏感さ、そこに老いが見えたように思え、わたしはこの詩を書きました。

 なお、この詩は1999年に書いた旧作の曄歌「梅一枝。横斜倒影,薄氷危。」を絶句に書き直したものです。4年前にはよくわからなかったこの句の年寄りくささの秘密が、今でははっきり見えるようになったと思います。

<感想>

 うーん、成る程。やや理屈っぽいような気がしますが、鮟鱇さんのいわんとするところはよく分かりました。
 ただ、鮟鱇説で行くと、「早春の梅を詠む」だけにとどまらず、季節の変化に敏感になるほどに年寄り臭いことになりますね。
 確かに、若いときにはそれ程季節の変化を感じることもなく、毎日毎日が充実、生活が一日単位で過ぎていたように思います。それが、いつの頃からか一週間が単位となり、一ヶ月の過ぎる早さに驚くようになり、気がつくと十年一昔なんて言葉がすっと出てくるようなこの頃、これが老いでしょうね。
 それでも、私は季節の変化に敏感になったことを喜ばしいことと思います。それまで鈍感で知らなかったことが分かるようになる、老化というよりも進化、成長と呼んでもいいんじゃないか。だって、古人先人の見たものがようやく窺えるようになったというわけですから。

 我が家の梅も紅白揃って庭を飾ってくれています。「星星」という時期はもう過ぎてしまって一気に盛りになってきました。
 寒がっていた家主よりは確かに春を「先知」したようです。

2003. 2.16                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第54作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-54

  酒店故事        

春風好月好風春,   春風 好月 好風の春,

人弄花言花弄人。   人は花言を弄し 花は人を弄ぶ。

酒店傾觴傾店酒,   酒店に傾觴するは店を傾けるの酒,

脣浮媚笑媚浮脣。   脣は媚笑を浮かべ媚は脣に浮く。

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 美人のママさんのいる飲み屋の話です。
「上から読んでも山本山、下から読んでも山本山」式の句を四つ並べたものです。

 転句には、個人的なことですが、次のような背景があります。
 わたしの家は祖父の代までコンブ問屋をやっていました。基本的には旗本の六男坊崩れの武士の商法で、はじめから危うかったのですが、曽祖母の切り盛りで結構繁盛した時期もあったそうです。
 しかし、祖父は気位の高い道楽者で、おめかけさんもおり、また、酒を飲んではそのおめかけさんに論語の話をするのが好きで、商売は嫌いだったそうです。
 とうとう店は、昭和の始めに、つぶれてしまいました。

 [語釈]
 「花言」:うわべだけで実のない言葉

<感想>

 またまた鮟鱇さんの言葉への愛着がにじみ出てくる詩ですね。
確かに、「上から読んでも山本山、下から読んでも山本山」でした。これで律句として成り立つのですから、面白いものですね。

 特に起句承句は思わず拍手したくなるような出来ですね。転句は「傾店」が分かりにくいでしょう。二字目の「店」と六字目の「酒」の違いが分からないからでしょう。
 結句は洒落た警句のように見えますが、前半と後半がどう違うのかが私には分かりませんでした。

2003. 2.16                by junji





















 2003年の投稿漢詩 第55作は埼玉県三郷市にお住まいの 慵起 さん、五十代の方の初めての投稿作品です。

作品番号 2003-55

  本土寺雨景色        

湿紫陽花雨若糸   紫陽花を湿して 雨 糸の如し

遠花幽赤近華脂   遠き花は幽かに赤く 近き華は脂なり

雖街巷裏青蓮宇   街巷の裏なりと雖も 青蓮宇

英蘂瀉珠風触時   英蘂 珠を瀉ぐ 風触るるの時

          (上平声「四支」の押韻)

  <解説>

 千葉県松戸市にある、紫陽花寺として有名な本土寺境内の、雨の光景です。
 雨に濡れた紫陽花の花の、つややかな色彩を表現したいと思いました。

<感想>

 新しい仲間を迎え、感激です。

 慵起さんからいただいたお手紙には、

 漢字の平仄を調べるのに、漢和辞典をくって苦労していました。
それがいやになって、中断してしまったこともあります。
 ところが、このホーム・ページを知り、平仄まで調べられる便利さに、あっけにとられるやら、うれしくなるやら。
 漢詩作り再開です。
とのことでした。
 お役に立てて嬉しく思います。

 いただいた詩についての私の感想ですが、
 平仄については、転句の冒頭の「雖」「上平声四支」に属する字ですので、冒韻になっていますので、ここだけは直された方がよいでしょう。
 承句は句中対を狙ったものでしょうが、「近華」がしっくりこない言葉ですね。「遠花幽赤近鮮脂」のように対にした方が流れは良いと思います。

 細やかな視点が感じられる、落ち着いた詩だと思いました。

2003. 2.16                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第56作は 畑香月 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-56

  早春        

鶯聲無頼一枝春   鶯聲無頼なり 一枝の春

入窓晴景無俗塵   窓に入りし晴景 俗塵無く

生怕残寒猶料峭   生怕も 残寒 猶料峭たり

柴門懶出養痾身   柴門 出ずるに懶し 養痾の身

          (上平声「十一真」の押韻)



<感想>

 起句の「一枝春」という淡い早春の景と結句の「養痾身」とが照応し、全体として「残寒料峭」、つまり春風のまだ寒い陽気がよく伝わってきます。
 転句の「生怕」「おそれる」「おびえる」の意味の語ですが、どこから見つけて来られたのでしょうか。孤立している感じで、前後のつながりがよく分かりません。私の理解不足でしょうが、説明を加えていただけると有り難いと思います。

2003. 2.24                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第57作は 揚田苔菴 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-57

  偶題        

南船北馬客中過   南船 北馬 客中に過ぎ

春種秋收常想禾   春種 秋収 常に禾を想う

小暇清遊君識否   小暇の清遊 君識るや否や

琴碁書畫酒花歌   琴 碁 書 画 酒 花 歌

          (下平声「六麻」の押韻)



<感想>

 投稿の際に、謝斧さんからの感想が付けられていました。

    前四句が、句中対で更に起句承句が対句になっています。
   やや技巧的になっていますが、完全に対句にしないことが賢明だったとおもいます。


 「南船北馬」は日本人が作った言葉で中国に逆輸入されたものだ、と先日、石川忠久先生の講演で聞きました。私はてっきり漢語だと信じていましたが・・・
 さて、その「南船北馬」で始まる詩ですが、出来れば題を付けていただきたいものです。というのは、一句一句は工夫されたものになっているのですが、句同士のつながりが不確かなため、全体としての統一感が出てきません。何らかの題を添えて主題をまとめるのもひとつかと思います。

 私の理解不足かもしれませんので、疑問点をあげますと、
 起句は「北から南、あちこちを旅した」と言うのでしょうが、承句は「春も秋も年中、農作業をしている」となり、本来定住者ではない筈の旅人が農業をするというのはどういうのでしょうか。
 転句は「その忙しい農作業のわずかの合間の楽しみは何かと言うと」ということで結句へつなぐのでしょうが、結句は欲張りすぎではないでしょうか。これだけ楽しめれば、人生の快楽のほとんどを手にするわけで、これを「小暇」で味わえるなどとは誰にも想像できないと思います。

 「やや技巧的になっていますが」謝斧さんも仰っていますが、私には技巧が目について、内容への理解の障害になっているように思われます。

 ぶしつけな感想で申し訳ありませんが、意図を少し説明してくださると有り難いと思います。

2003. 2.24                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第58作は 藤原崎陽 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-58

  小集池楼        

仁北小樓風渡池   仁北の小樓に 風 池を渡り

水邊鳥宿草蘆衰   水邊に鳥は宿し 草蘆衰う

友朋相酌芳醇酒   友朋 相酌む 芳醇の酒

老若交歓雅韻詞   老若 交歓す 雅韻の詞

幽澗浴禽来ァ翅   幽澗の浴禽 来りて翅をァめ

綺莚騒客笑開眉   綺莚の騒客 笑いて眉を開かん

清眺香雪傾觴緩   香雪を清眺しては 觴を傾けること緩やかに

寒景山川春信遅   寒景の山川 春信遅し

          (上平声「四支」の押韻)



<感想>

 藤原鷲山さんが、この度、崎陽さんに号を改めたそうです。

 春まだ寒し、という水辺の風景を描いて、無理なく読み進めることのできる律詩だと思いました。
第二句の「水邊鳥宿」と第五句の「幽澗浴禽」、第三・四句の「友朋相酌芳醇酒」「老若交歓雅韻詞」と第六句の「騒客笑開眉」に言葉の重なりがあり、それを重層的と取るか、展開にばらつきがあると取るかは好みの問題なのでしょうね。

 第七句の「清眺香雪傾觴緩」は、早春の景を実感させるとともに、作者の心情を的確に表した佳句だと思いました。



2003. 2.24                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第59作は 長岡瀬風 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-59

  春思        

焚香朝夕坐霊前   香を焚いて朝夕 霊前に坐す

内逝何堪又一年   内逝きて何んぞ堪えん 又一年

入戸東風無厚薄   戸に入りし東風 厚薄無く

空令老悖恨綿綿   空しく老悖をして 恨み綿綿たらしむ

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 春はわが家にもきたが、春の暖かさも、卻恨みを添えるばかりだ

<感想>

 この詩の背景としては、以前に投稿いただいた 「初盆」 を読み返さなくてはいけないでしょうね。
 春を迎えたという季節の変化も、亡くなった人を思い出させる悲しいものとなるというテーマは、しみじみと心に染みてきます。

 転句の「東風無厚薄」は、宋の真山民「新春」 から持ってこられたのでしょう。
 真山民「私のような所にも春風はえこひいきなく来てくれた」と喜ぶのですが、そしてそれが多くの人の感情であるから、尚更に瀬風さんの悲しみが深くなりますね。
 真山民の詩興を逆の形で発展させたところが効果的で、次の句頭の「空」を際だたせていると思います。

2003. 2.25                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第60作は 逸爾散士 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-60

  少年行        

翩翻袨服駆軽車   ゲンプクヲヘンパンサセテ ケイシャヲカリ

随伴細腰登酒家   サイヨウヲズイハンシテ シュカニノボル

劫後出生浮薄子   コウゴノシュッショウ、フハクノシ

不疑長久続栄華   ウタガワズ、チョウキュウニエイガノツヅクヲ

          (下平声「六麻」の押韻)

<解説>

 今年初めての投稿なのに旧作は気がひけますが、 バブル時代の作なので今読むと別の感慨もあります。

 [訳]
 立派な服をはためかせて、車を駆り、
 スタイルのいい女性と連れ立って、バーに入る。
 戦後生まれの軽薄な若者達は、
 この繁栄が永久に続くと思っている。

 太刀掛先生の添削は、
第二句を初めに「入」としていたので、孤平だという注意を受けました。「登」と直しました。
 詩稿に「細腰」「紅裙」にしたほうが対するか、
「出生」「風潮」にしたほうがいいか、と質問しています。

「唐詩選」「三体詩」に載っている樂府題の詩題で作っていったシリーズの一つ。
 語彙は漢和辞典からとっているから、唐代の若者のさまのようなだけど、
イメージにあるには六本木のディスコにオープンカーで乗りつける、
ボディコンの若い女性を連れたヤンエグ(ウーン、古い)というところ。

 派手な若者を風刺する意があり、バブル崩壊の今となっては讖となりたるこそいみじけれ。



<感想>

 少々醒めた言い方をさせていただけば、この詩で語られているのはバブルの時代の「少年」の姿ではなく、実はあの時代の大人達の姿だったと私は思います。
 四十代五十代の分別のある筈の大人が、あるいは社会的な信頼もある大きな企業が、金を儲けるためならばと走り回る、遅れたら損とばかりにちょっとでも甘い蜜のありそうな所に群がっていく、錬金術のように無から金を生み出そうとしていることに疑問も持たない、そんな姿を見ながら子どもたちが育ってきただということを、私たちはもっとかみしめなくてはいけないと思います。
 バブルが崩壊して会社が苦しくなったという人もいます。豪遊したあの頃が懐かしいという人もいます。そして決まって「今の政治が悪い」と言います。
 でも、「濡れ手に粟」みたいな一攫千金を夢見て、多少は良い思いもしたのでしょうから、だったら少しは自分自身に向けて反省をしろよ!と言いたいですね。
 「こんな風にお金を儲けてて良いのかなぁ?」という疑問すら持たなかった、という人は少ないと思いますよ。

 私はどうだったのかと言えば、バブルに乗るほどの財産もなく、しがない公務員ですので、ひがみながらも時代の歪みを見ることができたと思っています。

 話題が変な方へ行ってしまいましたね。詩の感想を書かなくてはいけませんでした。
 「細腰」「紅裙」を比べると、その後の「登酒家」が穏やかな表現になってますので、「紅裙」あたりで艶やかさを出してもいいんじゃないでしょうか。
 「出生」「風潮」では、「風潮」にした場合、そこで句が切れる感が生まれますね。つまり、「劫後の風潮」は何かと言うと、「浮薄子が長久に栄華が続くことを疑わない」ことだとなるのでしょう。
 転句と結句は勿論、どちらのばあいでもつながってひとまとまりに読むのですが、転句を分割するか、一つにするかのリズム感が違って来ると思います。私は「風潮」にした方が躍動感が生まれるように思います。

2003. 3. 2                 by junji