2003年の投稿漢詩 第151作は 青穂 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-151

  学友集大仙寺      学友大仙寺に集う  

天高気爽叩山門   天高く気爽やかなり 山門を叩く

觴酌朗吟憶学園   觴酌 朗吟して 学園を憶う

白髪古稀華未老   白髪の古稀 華未だ老いず

不知酒興已黄昏   知らず 酒興して 已に黄昏たそがれたるを

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 秋晴れの一日、同級生の一人が住職している寺に一同が集って、クラス会を催した時の感懐を詠じてみました。

<感想>

 クラス会ということですが、青穂さんの高校時代のクラス会でしょうか、卒業して五十年以上は過ぎているのでしょうが、でも、いつでもその頃に戻ることができるのでしょうね。

 「朗吟」は当時学んだ詩でも詠んだんでしょうか、それとも校歌?どちらにしても、お寺に白髪の仲間が集まって声を合わせて詠うなんて光景は、思い浮かべるだけでも感激します。
 転句の「白髪古稀」なのは青穂さんたちなのでしょうけれど、「恩師」と読んでも面白いかな、と思いました。そうすれば、この詩は私のクラス会でも使うことができるぞ、などと考えたわけですが・・・
 「古稀」ということを強く出すのは、特に記録的な要素もこの詩には必要だからでしょう。「白首相知」の語を王維「酌酒与裴迪」からを借りてくれば、友人ということを表すことができ、クラス会らしさが生まれるかもしれません。

 「華」は色々なものを象徴する字です。「才能」「容貌」「詩」「言葉」「青春」・・・・、すぐに思いつくだけでも沢山あります。どれなのかな、ということについては、これは読者一人一人が決めることかもしれませんね。そういう点で、余韻を残す言葉が入ったと思います。

 結句の「酒興」は、承句で既に「觴酌」とありますので、ここで繰り返すと、酒を飲んで酔っぱらったことが会の主印象だったようで、「已黄昏」の詩情が野卑臭くなっているように思います。
 決まり言葉のようなニュアンスはありますが、探せば「日が暮れるのも気づかなかった」理由になった具体的なことは幾つもあると思います。
 具体的な行為が浮かばなければ、「歓会」(「楽しい集まり」という意味です)とだけでも良いかもしれません。

2003. 7.27                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第152作は 咆泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-152

  夏日遊園      夏日園に遊ぶ  

緑蔭深閑夏日冥   緑蔭深閑として 夏日冥し

池頭生蘚過孤亭   池頭蘚生ず 孤亭を過ぎれば

如虹噴水爽風起   噴水虹の如く 爽風起こり

満目薔薇広苑馨   満目の薔薇 広苑馨し

          (下平声「九青」の押韻)

<解説>

 ご無沙汰していまして申し訳ありません。

 過日、大阪市の植物園に行ったときの作です。
 色々な花や、森のコーナーに分かれていました。鬱蒼とした照葉樹林のコーナーから、ぱっと開けた薔薇園に出たときの印象を詠んでみました。

<感想>

 ようやく梅雨明けが愛知県にもやって来ました。今日は休日と言うこともあり、朝から梅を干していました。晴れ間がちっとも来ないので、なかなか梅を瓶から出せずに、今年の梅干しはうまくいかないかな?と心配をしていました。やれやれ、というところですね。

 夏の詩を読ませていただくと、うーん、このホームページも季節の変化を出しているかな、とホッとします。

 咆泉さんの新作は、「満目薔薇」という華やかな光景で、まさに夏を象徴している感じですね。
 承句の「孤亭」を過ぎたのは咆泉さんご自身でしょうか。それとも、誰か他人でしょうか。
 その違いによって、この句が叙景の句なのか、作者の行為を表すのか、分かれます。

 詩全体から見てみますと、実は、全ての句が叙景なんですね。そして、訓読でも表れていますが、承句転句がつながっていて、本来の起承転結の変化があまり出てきていません。
 作者の意図としては、森林のコーナーから庭園のコーナーへと移動したことを「噴水」で、時間的に移動したことを「爽風起」で示そうとしたのでしょうが、あまり大きな変化は無いですね。
 同じ空間の中で、つまり「広苑」の中に、「緑蔭」が見え、「池」が見え、「孤亭」が見え、「噴水」が見え、「薔薇」が見えた、という感じでしょうか。これはこれで、一枚の絵としては面白いのですが、結句の「満目薔薇」を見た衝撃を出すにはやや物足りないでしょう。

 工夫としては、起句承句までは叙景に徹しておいて、転句で作者の行動を描くことによって空間の広がり時間の経過を示し、結句につなげると面白くなるのではないでしょうか。

2003. 7.27                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第153作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-153

  雨中下仁淀川     雨中、仁淀川を下る   

激湍欲溢累巌遮   激湍 溢れんとして 累巌遮り

打面滂沱沛雨斜   面を打って 滂沱 沛雨斜めなり

一棹穿波馭龍背   一棹 波を穿ちて 龍背に馭し

奔流盡処泊雲涯   奔流 盡くる処 雲涯に泊せん

          (下平声「六麻」の押韻)

<解説>

 五月中旬、高知県の仁淀川をカヤックで下ったときの情景です。
 激しい雨の中、ダムが放水したため水位が上がり、流れも速くなり、カヤックは矢のように走りました。

<感想>

 禿羊さんの新作は、四国高知県での作品。今までのを拝見しても、北海道から九州での自転車巡り、先回は中国漓江でしたね。そうそう、厳冬の狼平というのもありました。
 行動範囲の広さと行動力に、全く敬服します。原動力は何なのですか、若い頃からの趣味の蓄積?身体を鍛え続けた成果?私などは、一度教えていただかなくてはいけませんね。

 漢詩を作る人の年齢層が高いことや、漢詩の傾向として高雅風韻を好むことなどもあるのでしょう。禿羊さんのように大きな尺度で、自然と直に肌で接するという詩を書く人は少ないのが現状です。
 禿羊さんのこうした詩に出会えることは、私は本当に嬉しいことだと思っています。漢詩が今まで描いてこなかった景色が詩の向こうにある、なんて考えると新しい道が開けていくような感じで、胸が温まりますよね。

 こうした詩と共に、お孫さんの一挙一動を愛情込めてご覧になっている詩も実感がこもっていて、この両面がまさしく禿羊さんの魅力ですね。

 さて、詩の感想ですが、急流を下るスピード感が表れる起句と、激しい雨に打たれる承句で、すぐに舟の上にいるような気持ちになります。特に、承句の「沛雨斜」のところ、普通ですと雨が斜めになるのは風のせいなのですが、ここではカヤックの速さがそうさせているのでしょう、場面とよく合った表現になっていると思います。

 転句の「龍背」がカヤックを指すわけですが、そう言えば、中国の端午の節句の行事である「龍舟競漕」も、同じ構造の(人数が違うでしょうが)舟ですね。
 結句で流れが落ち着き、ホッとしたところで、視点がぐっと広がって「泊雲涯」と来るところなども、信頼できる船頭さん(?)に川下りを案内してもらったような感じで、心憎い配慮ですね。

2003. 7.28                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第154作は京都府八幡市の 詩吟好き男 さん、六十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 お手紙を紹介しましょう。
 いつも漢詩創作のホームページ見ています。
 特に、約一年ほど前より漢詩に興味を持ち勉強を始めましたが、難しく頭を悩ましていたおり、何か参考になるものはと思いつつネットサーフィンで、このホームぺ-ジに遭遇できました。
 いつも拝見しながら、少しでも上達すればと思っておりますが、何時まで経っても難しく感じています。
只、創作することで適切な詩語選びや平仄など頭の体操にはなります。
 恥ずかしい思いで初めての投稿ですが、宜しくお願いします。

作品番号 2003-154

  求涼歩澱江邊      涼を求めて淀川の辺を歩く  

炎威歩向澱江頭   炎威 歩して向こう 澱江のほとり

十里桜堤避暑遊   十里の桜堤 避暑の遊

樹樹吹涼天籟爽   樹樹 涼を吹いて天籟爽やかなり

緑洲白鷺水悠悠   緑洲 白鷺 水悠悠たり

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 真夏の昼下がり、涼を求めて「背割の桜堤公園」を歩く。桜樹の木陰に涼風が爽やかに吹いてくる。淀川の両岸は緑なす荻に覆われ沙洲には白鷺が遊び澱水はゆったりと流れている。
「背割桜堤公園」…桂川・宇治川・木津川の三川が合流して淀川となるが、淀川となるところに木津川と宇治川に挟まれた、中州が桜の名所国定公園となっている。(片道約2Km)

<感想>

 これからもよろしくお願いします。
 京都は古来から文人墨客の多い地ですから、淀川流域についても多くの人が詩を書いていますね。ただ、「舟で下る」という詩が多く、川沿いを歩いたというものは少ないようですね。
 解説を読みますと、桜の名所としての国定公園だそうですね。早速、これもインターネットで見てみました。写真もたくさん載っていましたが、なるほど、穏やかな流れの川に挟まれた広い堰堤と、満開の桜がきれいでした。
 さて、その堤を花見ではなく、暑さ避けに歩こうという詩ですが、全く涼しげな風が身体をスーと抜けていくようで、心が潤うような良い詩ですね。
 「十里」という距離も、詩の内容と調和していると思います。

 結句の「緑」「白」の対比も鮮やかで、どちらの色もそれぞれを引き立てるという組み合わせは、古来多くの詩に使われています。そのコントラストの強さを、「水悠悠」という、こちらはゆったりとした風情の言葉で中和させているのは快感です。

 全体に整った詩ですので、夏の暑さが続くこれから当分の間は、清涼剤として味わえると思います。
 唯一不満があるとすれば、承句の「桜堤」、これはやはり「桜花が咲いている堤」と解釈されるでしょう。今の季節ならば、わざわざ「桜」という必要は無いでしょうから、ここは改めるのが良いと思います。
 固有名詞として用いたということならば仕方のないことですが、その前に「澱江頭」とありますので、やはり要らないでしょうね。

 要不要のことで言えば、起句の「歩向」「歩」は普通は要らない言葉です。「・・に向かう」と言えば、古典では歩いて行くに決まっているからです。他は、馬か舟かの手段があるくらいでしょう。
 しかし、ここでは「歩」くことが大切で、ゆったりと散歩していることを示しているのでしょうから、削る必要は無いでしょう。勿論、散歩を表す言葉は他にも沢山ありますから、そうした言葉を他の部分に入れる余地があるならば削れば良い、でも、この詩では「歩」で十分な働きをしているのでしょう。

 淀川の河口については、後藤松陰(頼山陽の弟子ですね)の「淀川舟中」に、
   十里蒹葭楊柳程    十里の蒹葭 楊柳の程
   争先百丈劈波行    先を争ふの百丈 波を劈きて行く

 と描かれていますが、随分景観が違っているのでしょうね。

2003. 7.28                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第155作は 小松啄石 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-155

  雨夜聞鵑        

望王客裡蜀魂為   望王客裡 蜀魂と為り

何耐夢帰啼血悲   何ぞ耐へん 帰るを夢み 血に啼いて悲しむ

故事春情千載恨   故事の春情 千載の恨み

瀟瀟一夜就眠遅   瀟瀟たる一夜 眠に就く遅し

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 望王は追放の旅の途中杜鵑となり帰りたいと思う夢に耐えられず赤い舌を出し、悲しそうに泣き叫ぶ。故事の春情に千年も恨みを持っているのであろう。さびしくあめの降る今夜はナカナカ眠れそうも無い。

<感想>

 啄石さんの詩を拝見するのも三作目ですが、いつも整った詩を作られますね。

 今回は、ホトトギスを主題としてのものですが、数多くの作品がこれまでにも作られているだけに、新たに詩を作るのには工夫が要る題材です。一般には、「旅の途中で杜鵑を聞く」という設定で進められるわけですが、啄石さんは、故事に絞って来られたようですね。

 ホトトギスは漢字で書く時にも、「杜鵑」「不如帰」「杜宇」などとしますが、基本的には同じ望帝の故事から来ています。

 蜀の国の王であった杜宇は、国を治めて望帝と号しました。治水などでよい政治を行ったのですが、禅譲して西山に隠れてしまいました。
 時は二月、子規(ホトトギス)が啼いていましたので、人々は望帝が姿を変えて故郷に帰りたがっているのだと噂をしたそうです。
 こうした事情から、子規「杜鵑」「杜宇」「望帝」「蜀鳥」などと呼ぶようになったわけです。
 「不如帰」は、もともとはその鳴き声を音として表した「bu ru gui」という言葉だったのですが、この望帝の故事とも重なって、子規そのものを指すようにもなったのです。
 もう一つ、杜鵑が鳴く晩春には、ツツジが咲きますが、その花が赤いのは、杜鵑が鳴いて吐いた血によって染められたのだとも言われています。そこで、ツツジのことを「杜鵑花」とも呼びます。

 ということで、この関係を詠った一番有名なのは、李白の「宣城見杜鵑花」ですね。
 また、李商隠の「錦瑟」では、「望帝春心託杜鵑」と明確な句が残っています。

 啄石さんの今回の詩は、故事をふまえてまとまっているのですが、四句中で三句を故事に使っていては、作者の心情が浮かんできません。
 結句の「就眠遅」理由にしても、望帝と同じ気持ちになっているからだろうとは推測できますが、では、どういう点が望帝を同じなのか、が分からないわけです。
 例えば、今作者は故郷を離れて旅の途中であるのか、それとも李白の詩でも読んでいるのか、そうした作者の現在の状況を述べることはそれまでにできた筈だと思います。
 今のままですと、「ホトトギスの声を聞いた。そう言えば、あれは望帝の化身ということだったなぁ。故郷を恋しく思うのは昔も今も同じだなぁ」という程度の、知識としての感慨であり、実感とは成りにくいでしょう。
 詠物体の詩として、「杜鵑」という題ならばこれでも十分な面白さがあると思いますが、「雨夜聞鵑」という題である限り、作者の実体験、実感が浮き出てきて欲しいと思います。

 うーん、ちょっと欲張りすぎでしょうか、良い詩だとは思うんですけど、だから尚更もう一押しが欲しいんですけれどね。

2003. 7.29                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第156作は 勝風 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-156

  清明祭        

清明佳節謝天恩   清明の佳節 天恩に謝し

一族歓栄参墓門   一族歓栄して 墓門に参ず

群蝶飛来春暖促   群蝶の飛来 春暖を促すを

誰言祖考対児孫   誰か言ひし 祖考児孫に対せりと

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 沖縄では清明の季節になると一族(こちらでは門中という)揃って先祖の墓参りをし、子孫の繁栄の報告と共に先祖への感謝を申し上げます。
 そのとき、他府県の方には違和感があるでしょうが、墓の庭では歌舞音楽を催し、先祖と共に喜びを表します。現在ではカラオケもあるようです。
 墓と庭はそれなリに大きく、沖縄戦の時には防空壕の代わりにもなったと聞いています。昔から蝶は死者の化身といわれております。その清明際の様子を詩にしてみました。

 私はまだまだ初心者のため、自分の作った詩の読み下し文にさえ自信がありません。漢詩を本来の発音で読むことは尚更のことです。NHKの放送で聞く漢詩の読み下し文の朗読にはまさにうっとりとさせられます。
 私は短歌や俳句と同様、リズムのある読み下し文も漢詩の大きな魅力としてとらえています。そこで、読み下し文にお気付きの点がありましたらご指摘くだされば幸いです。よろしくお願いいたします。

<感想>

 清明の季節ということですと、現在の暦で言えば四月の初め頃になりますね。春分のお彼岸の頃に墓参りをする地方が多いと思いますが、沖縄は二週間ほど後になるわけですね。
 杜牧の「清明」には、「清明時節雨紛紛」とされていますが、雨がやや多い頃。私の住む愛知県では、丁度桜の散り始める頃で、雨が特に気になるのです。沖縄はこの時季はどんな気候なんでしょうね。

 この詩では清明の頃の自然の景を描いた部分は転句になるのですが、登場するのは「群蝶飛来」のみです。しかし、蝶は花のない所には来ませんから、この「群蝶飛来」の言葉によって、読者は連想的に花を目に浮かべることになります。
 同時に、蝶に「死者の化身」という役割を持たせるということですから、お墓に集まった一族の前に先祖の魂が姿を変えて現れた、「ご先祖様も嬉しくていっぱい集まってくださった」と喜ぶ勝風さんのお気持ちがとてもよく分かります。

 結句の「誰言」は、その前の転句の末を勝風さんの読み下しでは「春暖を促せば」となっていました。そうなると、「(蝶を見て、その場にいた)誰かが言った」という意味かと思います。しかし、「誰」はあくまでも疑問の言葉ですので、「誰が言ったのだろうか」となり、その場にいた筈なのに変ですね。
 ここでは、転句から直接つなげないように読み下し、「誰言」の意味が、「(以前から耳にはするのだけれど)誰が(昔)言ったんだろうか」となるように読み下しておきました。

 読み下しについては、例えば今回の例のように、解釈との関連で読み方を考えることも一つの要素です。もう一つは、口に出した時のリズム感、これは各自の感覚としか言いようがありませんね。
 実は漢詩は白文(漢字だけの文)の段階で完成しているので、読み下しは必要ないというのが原則なのです。漢詩を先生に添削してもらう時などでは読み下しをつけると失礼になる、とも言われます。
 しかし、勝風さんが仰るように、リズムのある読み下し文も漢詩の大事な魅力だと私は思っています。
 松浦友久先生が昨年出された岩波新書「漢詩−美の在りか−」の中で仰ってました。

 「訓読漢詩」というものが、事実上、日本語の「文語自由詩」にほかならないこと、それによって、「和歌」や「俳句」のような「文語定型詩」とたがいに補いあいつつ、日本語詩歌の歴史において不可欠の役割を果たしてきた・・・・
 作詩をする段階から読み下しの流暢さを意識して取り組むのが日本人の伝統だということなのですが、それは現代でも同じだと思います。何度も口の中で繰り返しながら、意味を違えない範囲で最善の読み方を探る、これも漢詩の楽しみ方の大きな要素ですね。

2003. 7.30                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第157作は 慵起 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-157

  憶昔日江戸川舟運      昔日の江戸川の舟運を憶う  

漫漫泛舟汎汎行   漫漫として舟を泛べ 汎汎として行く

現河徐緩水無声   現は河 徐緩 水 声無し

白雲清囀告天子   白雲 清囀 告天子

漕唱棹歌業不轟   漕唱 棹歌 業に轟かず

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 江戸川の近くに住んでいます。
 かつて関東地方の流通の大動脈だった江戸川も、いまは流れも細くなり、白い帆を張った高瀬船が行き交うこともありません。ただ雲雀だけは昔日と変わらず、江戸川の河原から飛び立ち、白い雲を背景にさえずっています。

<感想>

 「漫漫」「汎汎」も、どちらも「広々と果てしない」様子を表す畳語ですが、初めのこの一句で「昔日江戸川」を描き切ってますね。
 承句では一転、現在の姿を示して、今昔の違いをまず明らかにしますが、ここから結句までが聴覚に関わって進むのが特徴でしょう。
 実際には、水の音も聞こえないし、船頭の歌も聞こえてはいないのですが、慵起さんの耳には全部聞こえているのですよね。子供の頃に見たのでしょうか、遠い日の記憶がよみがえる、そんな趣でしょう。勿論、その記憶については、書物などで知ったものでも構わない、つまり実体験である必要はないわけですから、ここでの「昔日」の幅は江戸時代まで遡れるはずです。
 ただ、転句の雲雀の声を際だたせたいのでしたら、承句の「水無声」は邪魔かな、という気がします。視覚で起句承句は揃えた方が印象は強いでしょうね。

 結句の「業」「すでに」と読み、意味は「已」と同じですね。
 起句と結句が四字目の孤平になっていますので、その点だけは気になります。

2003. 7.30                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第158作は千葉県八街市の 柳田 周 さん、六十代の男性からの初めての投稿作品です。
 お手紙を紹介します。
 漢詩の勉強を始めて3年、創作を試みて1年半程になります。
 以前は俳句をNIFTYの俳句Forum仲間との句会を通じて勉強していましたが、漢詩は勉強する仲間も少なくこれまで一人で韻や平仄に苦心しながら、主に七言絶句を試みて来ました。
 このホームページはWeb検索で知りましたが、漢詩の愛好者や自作者が沢山いるばかりでなく、投稿を通じて勉強しておられる事に励まされました。
 私も拙作を投稿して忌憚のないご意見やご批判を戴きながら勉強をして行きたいと思っています。

 ホームページを主宰されるご苦労、ご尽力には頭が下がります。ご自愛をお祈り致します。

作品番号 2003-158

  堤上漫行        

南風帯雨栗花芳   南風雨を帯びて栗花芳し

緑稲淹田白鷺翔   緑稲田を淹い白鷺翔る

堤上漫行歌自発   堤上そぞろに行けば歌自ずから発す

噫乎誰不憶家郷   噫乎(ああ)誰か家郷を憶わざる

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 堤上を行く
 南風は湿って今にも雨になりそうだが、栗の花の強い匂いが漂ってくる。
 緑を濃くした稲は田圃を覆い、その上を白鷺が飛翔している。
 川の土手を漫ろに歩いていると、自然と歌が口の端に上って来た。
 ああ、「誰か故郷を思わざる」

 一月程前、利根川支流の土手を歩いた際に想を得ました。

<感想>

 新しい方をお迎えして、主宰として本当に嬉しく思っています。これからもよろしくお願いします。

 柳田周さんは俳句に親しまれたご経験をお持ちだそうですね。自己を表現する手段は多い方がもちろん良いわけですから、ますます生活が充実して行かれると思いますよ。

 詩を拝見しましたが、平仄も整っていますし、また前半で叙景、転句から作者の行為を描くという構成も起承転結に則っていますから、詩の進行が自然に感じます。
 結句の「誰か故郷を思わざる」は不意を突かれましたね。昭和十年代ですか、霧島昇の歌う哀調は戦後生まれの私もしっかりと覚えています。
 作詞者の西条八十がどこから訓読調の歌詞を思い浮かべたのか、私は知りませんが、作曲者古賀政男とのゴールデンコンビ、そして多くの兵士が中国大陸へと送り込まれていった時期というタイムリー性、まさに昭和の名曲と言えるでしょうね。

 問題は、その歌が「堤上漫行」している時にふと口に浮かんできたのはどうしてなのか、ということです。こんな素敵な景色の下を歩いていて、どうして暗い気持ちになるのか、読者には謎です。
 考えられるのは、前半の景が作者の故郷と重なるからだろうということでしょうか。

 初夏の水田、舞う白鷺、雨に濡れた栗の花の香り、それらは、昔過ごした故郷の田野を、あるいは若かった日々を思い出させる。まさに霧島昇の歌が流れていたあの頃を。
 こういう意図として読み取るのでしょうね。もし、ただ偶然にこの曲が浮かんだだけだ、としても作者の心の奥には何か思い出が曲にからんでいたのだと読者は思うべきなのです。
 そして、作者の義務は、読者に理解できる手がかりを与えてあげることでしょう。
 そういう点で見ると、結句については、全体を曲の一節まるごと入れる、というのはどうでしょうか。「噫乎」の感嘆詞も理由が分かれば共感を呼びますが、分からないと単に曲の一部でしかなくなり、後は読者におまかせ!という感じがします。
 結句下五字は生かすようにして、「噫乎」の二字を工夫するか、起句承句の叙景の中に懐郷を暗示するようなもの(故事を持ってきてもよいでしょう)を入れると、首尾一貫した詩になりますね。
 漢詩は七言絶句でも漢字二十八字、情報量は多いのですが、説明的にならないように、かと言って飛躍が多すぎないように、そのバランスを取るのが難しいですね。

2003. 7.31                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第159作も 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-159

  鎌倉報国寺        

清風古刹竹林来   清風古刹の竹林より来る

石斛幽花松樹開   石斛せっこくの幽花松樹に開く

簡素灯籠庭角有   簡素なる灯籠の庭角に有り

何心蓋屋厚青苔   何の心ならん屋を蓋う厚き青苔

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

 清らかな風が古刹の竹林から吹いて来る。
 石斛の目立たない花が白く松の樹に咲いている。
 庭の角には簡素な一基の灯籠があるが、
 何の心だろうか、その屋根には青い苔が厚く生じている。

 「灯籠」の語は中国では日本と同一の意ではないようなので、この語は所謂「和臭」かも知れません。
 五月末に、友人三名と鎌倉に遊びました。報国寺は足利氏に建立になる臨済宗の古刹の由にて、美しい竹林が有名です。

<感想>

 この詩も、なかなか味わいが深い詩ですね。順に感想を述べていきましょう。

 起句は、主語である「清風」と述語の「来」が離れていますから、順序を入れ替えて、「竹林古刹清風来」とした方が、読む場合も読みやすいでしょう。

 承句の、「石斛幽花松樹開」は、「松樹開」「松樹が開く」とどうしても読みがちですので、本当は「松下開」「樹下開」のように場所をはっきりさせておくと良いのですが、「石斛」ですと、ひょっとして木の枝に開いていたのでしょうか。それならば「樹上」かな、ただそうすると、この承句の「石斛花」が強くなり過ぎて、後半へのつながりが切れてしまいそうです。
 ここは出来れば、「石斛花幽松下開(石斛 花幽かにして 松下に開く)くらいで抑えておきたいところでしょう。

 転句は私は問題ないと思います。
 結句の「何心」が難しいですね。「青苔」に作者が何を託すのか、ですね。
 人間以外の物に「お前はどう思う?」と尋ねるのは、ほとんどの場合は、作者の方に答が用意されていて、それを代弁してもらうために用いる手段です。
 この詩ではしかし、前作の時と同じように、読者に考えてもらう、という形を取っていますので、なかなか分かりにくく、突然の問い掛けに「えっ!」と思う人も多いかもしれませんね。
 ただ、今回は「厚」という一字が生きています。長い月日の流れを象徴するこの字が入ったことで、「青苔」が実は歴史の生き証人としての役割を果たしていることに気がつきます。となれば、後はなんとかたどり着けそうですね。

 後半の描写では、結局「灯籠」の上の「厚青苔」「何心」かが大切になります。
 となると、逆に、「灯籠」が「簡素」であることはどんな意味があるのか、また、それが「庭角」にあることはどうなのか、「蓋屋」と「灯籠」と「青苔」の位置関係を示したのはどんな意味があるのか、そうした点を吟味して必要が出てくるかもしれませんね。

2003. 7.31                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第160作は 茶墨 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-160

  梅雨        

梅天午下坐小斎   梅天の午下小斎に坐す

樹影濛濛烟雨繁   樹影濛濛として烟雨繁し

懐友煎茶無客訪   友を懐ひ茶を煎れども客訪ふ無く

揮毫頃刻迎黄昏   毫を揮ひ頃刻黄昏を迎ふ

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 雨の日は家の中の仕事をすればいいのですが、それも億劫になる梅雨時です。一日が短く感じられるものですね。

<感想>

 起句の踏み落としに関しては、「斎」「上平声九佳」に属する平字ですので、踏み落としと言うよりも踏み間違いという印象です。また、六字目の「小」が仄字なので、二六対も破れています。
 起句承句が対句というわけでもありませんから、ここは似たような意味合いの「坐幽軒」あたりにして、韻を踏んでおく方が良いと思います。
 平仄のことで言えば、結句の「迎」「下平声八庚」の平字、従って結句は下三平の禁を破っていることになります。
 李商隠「楽遊原」の最後の三字を借りて、「近黄昏」ならばぴったりでしょうか。

 詩情はよく分かりますね。「烟雨繁」という天候の中を来てくれる友達を待つ、これはなかなか厳しい、来る方も大変でしょうからね。それでも来てくれるのが「友」ということかもしれませんが、どちらにせよ、この転句は可能性の少ないことを承知の上で期待を持つ、もしくは可能性が少ないからこそ、尚更丁寧に「煎茶」してしまう心を描いているのでしょう。

 女性のやわらかな心が梅雨の天気と溶け合うようで、ついお宅を訪問したくなるような詩ですね。

2003. 8. 3                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第161作は奈良県の 天霧 小太郎 さん、六十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 お手紙には、
 これから漢詩を勉強するのに非常に期待ができるページです。
よろしくお願いしたいと思います。
 とのことでした。

作品番号 2003-161

  退職        

今朝退職是人常   今朝職を退く 是れ人の常

四十光陰夢一場   四十の光陰 夢一場

鬢雪音容聞莫問   鬢雪音容を聞いて問う無かれ

心身頗健意揚揚   心身頗る健やかにして意揚々

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 今日定年を迎えて退職することとなったが是は誰にもあること
 思えば40年の歳月は夢のようにあっという間であった
 双鬢が白いとの姿形を聞いて心配して問うてくれるな
 心身は頗る健やかで気持ちも未だに意気盛んだから

   退職するにあたっての心境をうたいたいと思ってつくりました。
   余り湿っぽくならないように、まだまだ現役との気持ちを表したかった詩です。

<感想>

 四十年間のお勤め、ご苦労様でした。退職を迎えられた人生の先輩の方々に、本当に感謝の気持ちを強く持ちます。
 長い歳月ですから、勤めておられた四十年間に対しては様々な感懐をお持ちのことと思います。先輩達のこれからの生活が、また後輩の私にとってのお手本です。
 詩を通してのことになるでしょうが、天霧さんのお元気な「退職」後の生活をこれからも教えていただきたいと思います。
 よろしくお願いします。

 退職の日の思いを述べられた詩ですが、特に結句の「心身頗健意揚揚」に思いが集約されていると思います。

 用語としては、承句の「光陰」は、「時の流れ」を表し、「光陰似箭」などで使われますが、「光」「日」「陰」「月」と言われます。四十年という長い期間を表すには、やや不向きではないでしょうか。
 「弥年(年をわたる)とか「歳華」などの方が長い年月には良いでしょう。

 転句は「音容」「鬢雪」と重なっているのが、やや気になりました。

 平仄も整い(承句の「光」が冒韻ですが)、気概があふれる詩だと思いました。私も天霧さんに負けないように、頑張ろう!という気持ちになりました。

2003. 8. 4                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第162作は Y.T さんからの作品です。
 

作品番号 2003-162

  看五丈原節目後有感 其四        

西風颯颯渭川傍   西風颯颯 渭川のほとり

魏蜀相争古戦場   魏蜀 相争ひし古戦場

恨血千年人没弔   恨血千年 人の弔ふこと

残紅泣露断愁腸   残紅 露に泣いて 愁腸を断つ

          (下平声「七陽」の押韻)

<感想>

 Y.Tさんからの「五丈原」シリーズの四作目ですね。題名を前作より少し短めにしました。これで十分に伝わると私の中国語の先生にも伺いました。

 詩の内容としては、現在の景と過去と巧みに織り合わされて、哀しみの情が深まっていると思います。
 転句結句は以前に「其三」でお考えになった句を生かされたものですね。結句の「残紅」がどの花を言おうとしているのかに興味を持ちました。
 と言うのは、「散り落ちた」あるいは「散り残り」にしろ、秋の「紅い花」は何かな、という気持ちです。牡丹や桃など、春の花ではよく見る光景なのですが、「西風颯颯」の秋景色となると、Y.Tさんのイメージを探るのが楽しみです。

 転句の「恨血千年」は中唐の李賀「秋来」からでしょうか。死者の恨みの血が千年、地中に凝固するというすさまじい発想は、まさに「鬼才」と呼ばれる人のものだなと感じます。
 そして、李賀の詩では、この「恨血千年」の前に、「墓場で幽霊が死者の歌を歌っている」という場面が語られていますが、その場面がY.Tさんのこの詩に重なってくるわけです。この効果は非常に有効で、承句のやや味の無い説明的なところから、一気に作者の激しい感情の渦の中に、あるいは歴史の舞台の上に投げ込まれてしまうような印象です。
 うーむ、どうやらY.Tさんは、この転句を使って新たに詩を作りたくなったな、と推察しましたが、いかがですか。転句結句は、そう思わせるような好句だと感じました。

2003. 8. 4                 by junji


Y.Tさんからお返事をいただきました。
 先日は拙作「五丈原・其四」を掲載して頂き有難う御座いました。
また、題名に就いてもご添削頂き重ね重ね感謝致します。

 「恨血千年」は、ご指摘の通り、李賀「恨血千年土中碧」の句を意識したものです。空しく望郷の鬼となった、無名の 戦没者の思いを、李賀の句の一部を持ってきて著そうとしてみたわけです。「残紅泣露」も戦没者の鬼哭の意を持たせようとしたのですが、成功しているかどうか分かりません。

 この詩、初めは前作の転結を差し替えるつもりで作りましたが、これを生かして更に一首作ってみたくなり、こうなりました。

 「残紅」は別に紅い花を意識したのではなく、単に花のつもりです。最初はそれで「残花」でしたが、露骨に花を出すよりもと考え、「残紅」にしました。ですから、うらぶれた花なら白い花でも構わない位のつもりです。
 味気ない話で申し訳ありません。

2003. 8. 5                  by Y.T






















 2003年の投稿漢詩 第163作は ニャース さんからの作品です。
 

作品番号 2003-163

  聴夜雨声     夜雨の声を聴く   

臥読唐詩興不成   臥して読む唐詩 興を成さず、

滅灯欲睡已三更   灯を滅し睡らんと欲すれば已に三更。

夢中難入春愁裡   夢中に入ること難し 春愁の裡、

空響床頭夜雨声   空しく響く 床頭 夜雨の声。

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 梅雨がなかなか終わりません。たまに降る雨は、それなりに気分も変わり、風情がありますが、こうも続くと、ちょっと滅入ります。
 寝付けない梅雨の夜を表現してみました。

<感想>

 ニャースさんからこの詩をいただいたのは、七月中旬、今年は本当に梅雨明けが遅く、夏休みになっても少しも暑くないという変な天候でした。
 関東地方はようやく二、三日前に梅雨明け宣言が出たばかりでしたね。私の梅干し作りも、随分今年は遅くなり、ちょっと心配をしました。昨日あたりでやっと仕上がりというところでした。

 さて、ニャースさんの詩を拝見しましたが、詩境はいよいよ流麗さが増してきたようですね。
 今回の作でも、起句の「臥読唐詩」の句が、気負いもなく淡々とした中に江戸期の漢詩人の風格を感じさせ、この四字で既に一つの詩世界を作り上げていると思いました。
 この夜、眠れない理由は何なのか、転句に示されているような「春愁」があるからですね。そのために、いつもは興を湧かせる「唐詩」も今日は「不成」なのだということが分かります。
 そして、眠れないからこそ「夜雨声」がやけに空しく響くことになる。

 初めは「唐詩」に夢中になってしまって気がついたら「已三更」なのかと思いましたが、「興不成」で否定される。じゃあどうして?と考えるところから、この詩は進んでいくようですね。そうした予想を裏切る展開が面白いと思いました。

 転句の「夢中」は、句末の「裡」と重なっているため、もやもやとした印象です。「夢魂」とすっきり言っても良いのでは、と思いましたが、いかがでしょうか。

2003. 8. 4                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第164作は東京都足立区の 天馬行空 さん、四十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 中国からお見えになった方です。お手紙を紹介しますと、
 僕は上海出身、今東京で仕事をしてます。
 小さいから中国の古典詩詞が好きになって、日本に来て偶に書きますけど、周り一緒に鑑賞できる人は少ないので、ちょっとさびしく感じがあった。
 今日初めてこのページと会って、大変うれしいと思います。
 今後とも、よろしくお願いします。
 とのことでした。こちらこそよろしくお願いします。

 いただいた詩は、天馬行空さんの詩と、それに和した大学の先輩の詩だそうです。併せてご覧下さい。

作品番号 2003-164

  再会        

初逢盛夏野營中   初めて逢うは 盛夏野営の中

重約中秋明月空   再約す 中秋明月の空

豊韻猶存年月逝   豊韻はまだ存す 年月逝く

女児幾度葡萄紅   女児 幾度 葡萄は紅

          (上平声「一東」の押韻)



  和「再会」        

春風不識夏秋冬   春風 夏秋冬を識らず

歳月葡萄幾度空   歳月 葡萄 幾度の空

最是満目惆悵地   最も是れ 満目 惆悵の地

回首猶驚夕陽紅   首を回らせば猶驚く 夕陽の紅なるを

          (上平声「一東」の押韻)

<感想>

 実はいくつか分からないところがあって、天馬行空さんにあらかじめお尋ねしました。
 私の質問と、お答えを併記します。

>第三句の「豊韻猶存」は、「いまでも約束したときの美しい声は耳に残っている」という意味でよいでしょうか。

 「豊韻猶存」「徐娘半老、豊韻猶存」という言い方から、中国では三十〜四十代女性の美しさを形容するときよく使う言葉、四字熟語みたい。
 「ある女性、もう四十を過ぎたけど、その美しいスタイルと魅力まだ残っている」という意味です。

>第四句の「女児葡萄紅」は、意味がよく分かりません。「葡萄」が何かを象徴しているのでしょうか。

 中国でもワインは葡萄酒と呼んでます、赤ワインは「紅葡萄酒」、そして、「女児紅」もある有名な酒です。
 先輩の女の子と再会したとき、一緒に赤ワインを飲みながら話した。


 ということで、私は理解が出来ました。ありがとうございました。尚、書き下し文は私の方で書かせていただきましたので、若干ニュアンスが違うかもしれません。

 日本人の私が中国の方の詩の感想を言うのは変な話ですが、それが漢詩のなによりの面白さ、図々しさを全面に出して書かせていただきましょう。

 「再会」の詩では、前半の対句が効果的で、お互いの状況が一目で分かるように工夫されていると思いました。
 転句の「豊韻猶存」が女性の美しさを述べているということですので、再会の喜びを相手の美しさで表しているのでしょう、日本でも長年会わなかった友人に対して「変わらないね!」という表現で往時に戻る気持ちを出します。そこにもう一言、「変わらずきれいだね!」と加えるわけですから、一層思いは深まりますね。
 結句は「楽しくワインを酌み交わした(思い出)」ということでしょうか。

 「和再会」の方は、やや難しいですが、次に会える時までの寂しい気持ちが描かれているのかな?承句の「歳月葡萄幾度空」「空」「むなしい」と読むべきかもしれませんね。
 また、補足していただけると有り難いと思います。

 天馬行空さんがお手紙で、「日本で漢詩の創作の話できるって思わなかった、大変うれしいです。」と書いて下さいました。
 十分にお応えできないかもしれませんが、私の方も「大変うれしい」気持ちですので、今後もよろしくお願いします。

2003. 8. 4                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第165作は埼玉県久喜市の 楊生 さん、七十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
   楊生さんからは、実は一月程前に詩を読ませていただきました。その折には、推敲を重ねたいので掲載は少し待ってほしい、というご要望でした。その時の詩も、平仄などで若干の修正点はありましたが、お気持ちの良く表れた好詩だと思ったのですが、今回、満を持しての作品を送って下さいました。

 お手紙を紹介しますと、
 初めて投稿します。馬齢を重ねて七十歳です。
 一年ほど前から吟詠を趣味で習っています。漢詩文のことはよく分りませんが、これから勉強したいと思っています。
 先生のプロフィールをホームページで拝見しました。私のような超初心者に門戸を開いていただいて、本当に感謝です。それも病躯を押してのことと知り、頭の下がる思いです。
 次作が何時になるかはわかりませんが、その節はまたよろしくお願い申し上げます。先生もどうぞお体にお気をつけて、日々を過ごされるように祈っております。

 ということですが、私の身体のこともご心配下さり、本当にありがとうございます。以前よりも身体の調子は良くなっておりますので、ご安心下さい。
 皆さんの素晴らしい詩を読ませていただいていると、元気になってくるのですよ。

作品番号 2003-165

  遊北京・西安遺跡        

長城映暁燦然連   長城は暁に映じて燦然と連なり

兵馬俑坑今尚鮮   兵馬俑坑 今 尚鮮やかなり

偉業無双周四海   偉業双ぶ無く四海に周し

万人瞠目始皇権   万人瞠目す始皇の権

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 さて、今春中国に旅行しまして、あの万里の長城や兵馬俑坑を見学した時の感慨を漢詩にして見ました。
 長城の天空にきらめく大パノラマは本当に圧巻でした。悠久の空間の彼方にタイムスリップしたような思いでした。兵馬俑を目の当たりにした時は、さながら実在の兵馬に対面したような感じで、彼らが今にも戦場を疾駆し、甲冑や刀剣や人馬の響きが伝わってくるような臨場感を覚えたものです。
 まあ、そのすばらしい体験の割には、詩のほうはさっぱりですが、何しろ初めての作品なのでこんなものかなとも思っています。正直、語彙力もありませんし、詩語もよく分りません。
 今後のご指導を切にお願いいたします。ご高評をよろしくお願いいたします。

<感想>

 北京、西安の二都市を見てこられた感想をまとめられたとのことですが、代表的な観光施設でもある「長城」「兵馬俑坑」の印象を起句と承句で示されています。
 はるかに離れた北京と西安、現代の首都と古代の首都、歴史的には重ならない二つの都市で見た歴史遺物をつなぐもの、それが始皇帝ですね。
 「万里の長城」「兵馬俑坑」、この世界遺産はどちらも秦の始皇帝が作らせたものだ、という感動があって、初めて転句の「偉業無双周四海」につながるわけです。
 そういう点では、この詩は楊生さんの、今回の旅行における心の記録とも言えるでしょうね。

 用語的には、承句の「今尚鮮」は、「今尚」が具体性がなく、甘い表現だと思います。もっと具体的に、表情や姿、衣服などに迫った方が、起句の「長城映暁燦然連」との釣り合いが良いでしょう。
 一つに絞りにくいのでしたら、「生色鮮」くらいでしょうか。

 転句は「四海」は本当は「九州」の方が「長城」との照合は良いのでしょうが、平仄の問題がありますね。

 全体としてもまとまりのある詩になったと思います。写真では残せない心の記念(記録)は素敵ですよね。
 また、次の機会にも漢詩に取り組んで下さい。(旅に出る前から「今度も漢詩を作ろう」と思っていくと、また違った見方ができますよ)
2003. 8. 6                 by junji



海山人さんから感想をいただきました。

「偉業無双周四海」について、桐山人さんが「転句は「四海」は本当は「九州」の方が「長城」との照合は良いのでしょうが、平仄の問題がありますね。」と述べられておられ、私も同様の認識でした。
 が、曹植「贈丁儀王粲」「皇佐揚天恵、四海無交兵」の用例からすると、「四海」「天下[無双]」となり、さらに結句「始皇権」の用字との連関から曹植のそれと相通ずるものを感じます。
 ご参考まで。

2003. 8.14             by 海山人