第121作は 禿羊 さんから、中国九寨溝での詩を二編いただきました。
 

作品番号 2001-102

  遊蜀九寨溝弄水      蜀の九寨溝に遊びて水を弄す  

澗泉億劫鑿嵩丘   澗泉 億劫 嵩丘を鑿(うが)

造化刪成九寨溝   造化 刪り成す 九寨溝

靜水遍敷青玉礫   靜水 遍く敷く 青玉の礫

激湍空散白珠   激湍 空しく散ず 白珠の(あわ)

玲瓏閑掬燦輝日   玲瓏 閑に掬すれば 燦として日に輝き

冷冽試嘗甘湿喉   冷冽 試みに嘗むれば 甘 喉を湿す

初脱衣冠忘俗世   初めて衣冠を脱いで 俗世を忘る

山容水態九州優   山容 水態 九州に優たり

          (下平声「十一尤」の押韻)

  

<解説>

 退職後、妻のねぎらいも兼ねて中国の九寨溝へ行って来ました。
 まあ、水の美しいこと。筆舌に尽くしがたいのを無理矢理詩にしました。

 以前に投稿した律詩が散々だったのですが、性懲りもなく再挑戦しました。
実景は小生のHPに載せています。写真だとどんなバカチョンカメラでも綺麗に撮れる景色なのですが。

<感想>

 中国世界遺産の中の一つ、九寨溝を詠んだ禿羊さんの詩、うらやましいですね。私も将来是非行きたいと思っている場所です。一足先に禿羊さんの詩で楽しませていただきました。

 さて、詩の感想ですが、首聯で九寨溝を大きくとらえ、頷聯で渓谷を描き、頸聯で流れる水を詠うという形で、なめらかに展開してきている詩なのですが、第七句、尾聯のまとまりが気になりました。
 例えば、「初脱衣冠忘俗世」ということが、この九寨溝の景観と関わりがあるのでしょうか。もしあるとするならば、「退職した今だからこそ九寨溝の良さが分かる」という意味になってしまいますし、関わりが無いとするならば、「初脱衣冠」が何かを象徴しているのかと考えます。(でも、よく分かりません)
 「初脱衣冠」を生かすのなら、「ようやくここに来ることができた」というような意味に持っていくのが良いのではないでしょうか。何にせよ、九寨溝に来ているわけですから、「忘俗世」は言わずもがなの語句でしょう。

2001. 9.14                 by junji



謝斧さんから感想をいただきました。

 少し気になるところがありますので、感想を述べさせていただきます。

 私も鈴木先生のおっしゃる通り、一番の疵は、最後の聯だとおもいます。
七律が成功するかどうかは、最後の尾聯の収束にかかってきます。尾聯だけが違う方向に向かっているような気がします、あまりにも、突出しています。
 また、嘯嘯会の岡本先生が成都大学学長である鐘老師と昵懇であるため、御自身の詩をよく送ってこられますが、それと同時に、九寨溝の写真も送られてきたことがあります。あまり人が入った事の無いところと聴きおよんでいます。写真で見る限り、何か太古の趣があって、素晴らしいところだとおもいます。今先生の詩で見る限り、九寨溝の景色は叙し得ていないような気がします。詩の内容では、九寨溝でなかっても、何処でもよいような気もします。
 私は浅学の為、「刪成」という詩句がよく理解が出来ません。教えて下さい。
 また、「靜水遍敷青玉礫    激湍空散白珠 各詩句の関係は対に成るのは理解出来ますが、七句どうしでは対句になるでしょうか、靜水が遍敷青玉礫までかかるのでしょうか、よく解りません。

2001. 9.23                  by 謝斧





 禿羊さんからお返事をいただきました。

 またまた、謝斧先生から厳しいご批正を頂きましたが、尾聯に関しては全くその通りです。考え直してみます。

 九寨溝を描き得ていないとのご批判ですが、小生にはあの景色は何万言を費やしても叙する事は出来ません。それで気がひけましたので、題に「弄水」と付け加えたわけです。

「刪成」:「刪」を使ったのは、第一句の「鑿」と重複してしまいましたが、現地での実感です。何か巨大な物を削って作られたという感じがしたのでこう表現したまでで、特に典故はありません。

<七句どうしでは対句になるでしょうか>
 言われておられる意味を正確に受け取っているか自信はありませんが、「静水では・・・が敷かれている、激湍では・・・が散っている。」ということで、対句になっていないでしょうか?
 なお、「静水」「靜池」の方が良いのかもしれませんが。

 漢字を列べていて気になるのは、動詞の能動・受動ということです。こういう語順だと動詞は受動態で使うことになるが、この字は受動態で使えるのかどうかといったことが全く分かりません。中国語ではあまり気にされていないようにも思われるのですが。この点、どなたかご教示いただければ幸甚です。

 鈴木、謝斧両先生、今後とも忌憚のないご批正をお願いいたします。独学ですので、どうしても独りよがりになってしまいます。
 評判の悪かった尾聯ですが、 
   遂結宿心岷嶺北     遂に宿心を結ぶ 岷嶺の北
   山容水態九州優     山容 水態 九州に優たり

 としてみました。まだ、謝斧先生の厳しい要求を満たしているとは思えませんが、少しはましになったでしょうか。

 それから「観蔵羌歌舞於九寨溝」の転句、先生のご示唆に従って、あっさりと

     今夜無端聴羌笛     今夜端無くも 羌笛を聴く

としてみました。如何でしょうか?

2001.10. 1               by 禿羊



「遊蜀九寨溝弄水」の尾聯については、私はとても良くなったと思います。
「観蔵羌歌舞於九寨溝」の転句は、細かいことですが、「夜」の字が承句と重なりますので、もう一考でしょうか。

2001.10. 8               by junji





















 第122作は 禿羊 さんからの、中国九寨溝の詩、其の二です。
 

作品番号 2001-122

  観蔵羌民族歌舞於九寨溝      蔵羌民族の歌舞を九寨溝に於て観る  

含嬌映燭美姫睛   嬌を含み 燭を映す 美姫の睛(ひとみ)

麗舞艶歌忘夜更   麗舞 艶歌 夜の更くるを忘る

羌笛今宵最哀怨   羌笛 今宵 最も哀怨

清愁自是玉関情   清愁 自ら是れ 玉関の情

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 チベット族と羌族の民族舞踊のショーがありました。
 舞姫たちの美しかったこと。それと初めて羌笛を聞きました。
鄙びた音色で、そこはかとなく哀愁をかき立てられたのは王之渙の『涼州詞』を思い起こしたからでしょうか。

<感想>

 こちらの詩も結句の「清愁」の意味づけに悩みます。
というのは、転句の「哀怨」という感情を表す語とぶつかるからで、詩の中にあまり直接的な心情語を多用すると、結果的には平板な印象になってしまいます。
 「羌笛今宵最哀怨」を描くのが主眼であるならば、そう感じた背景(この場合は「玉関情」)を結句で描けば良いですし、「清愁」を主眼とするならば、「羌笛」は小道具として描く程度に抑えるべきではないでしょうか。

 禿羊さんのホームページは次のところです。
      「アウトドアと漢詩のホームページ」


2001. 9.14                 by junji





















 第123作は 羅夢山 さんからの作品です。
 

作品番号 2001-123

  望洋洋送友     友を送るに洋洋を望む   

蒼波明月勧離觴   蒼波、明月、離觴を勧める

如夢寿星舟路長   寿星、夢の如し、舟路、長し

臨別送君頻握手   別れに臨みて頻に手を握り君を送る

航程万里望洋洋   万里の航程、洋洋を望む

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 仕事の仲間が、夢の実現の為に倫敦に留学をする。仕事を離れリスクを負っての旅立ちを決意している。
 大丈夫なのか心配でもあるが、希望に燃える友にありふれた現実論を説き止める訳にはいかない。
 世界には、色んな生き方を目指す人がいて、一見困難と思われる事も、思わぬ人の手助けで叶う事も多いと思う。友を送るにあたり、なかなか成就に時間が掛かるが、がんばるよう心をこめて握手をなんども交わした。
 倫敦で自分たちに替わって多くの友が手を貸してくれる事を願い、その前途の洋々たる事を願う。

<感想>


 まず、平仄の点から見ますと、各句の第一字(「蒼・如・臨・航」は皆、平字となっていますが、これはリズムを単調にする配置ですので、避けて下さい。具体的には、前半と後半でそれぞれ一度仄字を使うと落ち着きます。
 また、起句の「蒼」「航」は「下平声七陽」に属する字です。つまり押韻と同韻の字になりますので、これは「冒韻」ということで、ルール破りになります。特に起句の第一字に韻字を持ってきては、押韻の効果は消えてしまいますから、ここは気をつけるべきです。

 内容というか、文法的には、承句と転句はこの語順では、羅夢山が書かれたような読み下しにはなりません。
承句は「夢の如き寿星 舟路は長し」でしょうか。転句は「別れに臨みて君を送り 頻りに手を握る」といったところでしょう。こうした読み下しで良いのなら今のままで構いませんが、趣旨が異なってしまうというのなら、順序を直す必要があります。勿論、平仄も配慮しなくてはいけませんが。
 また、読んでみると分かりますが、転句の「送君」「臨別」と同じ内容を言い換えただけで、意味が重複してくどく感じます。別の言葉を入れて、句の内容をもっと豊かにできると思います。
 あと、細かいことですが、「洋洋」などの畳言の時に、省略記号である「々」や、その他の「ゝ」「〃」なども漢詩では使わないようにしましょう。ワープロだと勝手に変換してしまうこともありますが、意識しておく必要があります。

 羅夢山さんが投稿に添えて書いて来られたお手紙を紹介します。

 このホームページを見て、漢詩で現せる喜びを知りたいと切に思いました。
 浅学・横着な自分にはとても無理と思いあきらめていましたが、基本ルールを解りやすく書いてあり作詩して見ました。まだ、一人静かに練習しておく時期と思いましたが、初心者が違った方法で学ぶのもかえって目標から離れるのでは無いかと思い、先生に甘えて遅らせて頂きます。
 こっぴどく批評を頂けば、しばらく地道に勉強したいと思います。誠に身勝手で恐縮しながら送らせて頂きます。すばらしい機会を与えて頂き、心よりお礼申し上げます。

 丁寧なお言葉をいただいて、とてもうれしく思います。ご期待に応えるべく厳しく書きましたが、一番の上達の近道は、沢山創ることですので、どんどん送って下さい。楽しみに待っています。

2001. 9.14                 by junji





















 第124作は 逸爾散士 さんからの作品です。
 

作品番号 2001-124

  九段春 一       

招魂社畔滿開時   招魂社畔、満開の時

奉献櫻花錯萬枝   奉献の桜花は万枝を錯す

東海英靈應弔慰   東海の英霊はまさに弔慰せらるべきも、

南冥幽魄果誰祠   南冥の幽魄、果たして誰か祠らんや

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 全くの季節はずれですが、宰相の靖国神社参拝が喧しい折から時宜には適うかと…。山陽吟社時代の10年以上前の作です。
 太刀掛呂山先生がどういう添削をしたかがあるいは興味をひくかと思い、注記します。
    三句目、下三字。「将被慰」「応弔慰」
    四句目、下五字。「幽鬼奈何祠」「幽魄果誰祠」
 太刀掛先生は三句の再読文字を「マサニセラルベシ」と訓じておられますが、続けてよんでみました。
 あるいは人は「南冥の幽魄」をアジア・太平洋の戦場に散って遺骨収集されていないような日本軍兵士のことと思うかもしれないけど、東海の英霊と対比したかったのは、アジア全体の戦争犠牲者のつもりです。
 日本の兵士も現地の人も、山川草木に宿る現地の聖霊になっていると思うほうが安らぐ感じもする。

<感想>

 掲載が遅れてしまい、申し訳ありませんでした。送っていただいたのは八月二二日でしたので、随分ピントがずれてしまったかもしれません。
 この詩の感想は、次の第二篇と併せて書きまししょう。

2001. 9.13                 by junji





















 第125作は 逸爾散士 さんから、前作の第二篇です。
 

作品番号 2001-125

  九段春 二        

國殤僵死水天涯   国殤れて僵死す水天の涯

靈域招魂只落花   靈域に招魂するは只だ落花

休説彼師非聖戦   説くを休めよ彼の師は聖戦に非ずと

汗青豈有義兵誇   汗青、豈に義兵を誇る有らんや

          (下平声「六麻」の押韻)

<解説>

 この詩も、太刀掛呂山先生の添削を示しておきます。

   初句、「少年僵斃」「國殤僵死」
   結句、「安有義兵耶」「豈有義兵誇」
 「耶」は文語の助辞、近体詩には使わない字で、「豈」の中にその意は含まれると注意書きがありました。私は韻字表を見ても「誇る」を思いつきませんでした。

 どう見ても日本の戦争は聖戦ではないけど、落花を見て思うのは歴史の善悪ではなく戦没者のこと。

<感想>

 一昨日あたりの新聞(NHKニュースだったかしら?)で、首相の靖国神社参拝についてのアンケート結果が出ていました。
 予想したとおり、というか、結構矛盾した部分があって面白く感じました。例えば、十五日を避けて参拝したことについて、「バランスをとって対処し、良かった」という人もいれば、「ずっと言ってきたことを破ってケシカラン」という人もいるわけです。
 そう言えば、民主党の鳩山党首は「(参拝に)行けば首相としての資質が問われるし、行かなければ公約違反になる。どっちにしろ救われないのだ」というようなことを八月十日頃に言っていたような気がします。党首対談で相手にエールを贈ってしまうような方ですから、この発言も小生意気な中学生の言い分みたいで、思わず笑ってしまったのですが、それにしても、中曽根首相以来の問題をこの期に及んで再燃させるという現首相の発想は、一体どこから来ているのでしょうか。
 アイドル並の写真集も出版されているそうですから、我が世の春という感じでしょうか。与謝野晶子が彼の短歌(?)を見て、腹を抱えて笑っている姿が目に浮かびますが、それ以上に歌をあれこれと意味ありげに解釈していたマスコミにもあきれてしまいました。阿諛追従というべきか、おっと、話がずれてきたようです。
 戦争による数多くの犠牲となった方々への哀悼の気持ちは、誰もが抱く素直な心情だと思います。また、戦争という非常の時に、加害者も被害者も時代の中を流されていたことも私は一定の理解はしているつもりです。
 しかし、戦後50年の私たちが積み上げてきた歴史を無視することはできません。様々な立場の人達の気持ちを酌み取り、できるだけ多くの人が納得できる方向を選択する、過ちは謙虚に反省し、成功には奢らない、戦後の教育の中で私たちはそうしたことを学んできました。そして、そのことを誇りに思って生きている人が大部分だと思います。
 逸爾散士さんが二詩に詠われたお気持ち、多くの人々の心を踏みにじることのないように、もう少し落ち着いて、配慮をもってもらいたいと私は痛切に思いました。
2001. 9.14                 by junji





















 第126作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2001-126

  村居興      村居ノ興  

村居六十又逢秋   村居六十 又秋ニ逢フ

四季常親野色幽   四季常ニ親シム 野色ノ幽ナルヲ

春日霞中香蕊淡   春日 霞中 香蕊淡ク

夏時雨裡翠荷脩   夏時 雨裡 翠荷脩シ

江楓月影水祠岸   江楓月影 水祠ノ岸

芦雪雁声津店洲   芦雪雁声 津店ノ洲

机上更倶醪酒美   机上 更ニ醪酒ノ美マキヲ倶ウレバ

何関無為老来愁   何ゾ関セン 無為老来ノ愁ニ

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 無為自然、在るが侭に生きたい、普通に生きたい、自分が自分らしく生きたい、そんな願いを何時も持ちながら其れが出来ないまま既に60歳。せめて詩の中だけでもそんな自分であればと思って作詩しています。
 が、詩中の己もそんな自分になれず、俗心がちらちら見え隠れして何時も自嘲しています。

<感想>

 真瑞庵さんの詩に表れるという「俗心」なるものは、一体どんなものなのでしょうか。
 今回の詩でも、まさに「村居」の四季折々を真瑞庵さんの視点で選び出し、格調を保っていて、生活が目に浮かぶように感じました。ただ、四季の風景ということで頭の中で練った面もあり、真瑞庵さんのいつものような現実感、臨場感は薄くなっていますね。
 第七句の「机上」の語は、置いてあるのは書物であろうと予測させておいて、「醪酒」と逆転させたのは、計算の上か、面白く思いました。

2001. 9.19                 by junji





















 第127作は 万遊家 さんからの作品です。
 

作品番号 2001-127

  風過      風過ぎて  

風過街快潔   風過ぎて 街快く潔く

水溜写空蒼   水溜りは 空の蒼きを写し

暑去消蝉唱   暑きは去り 蝉の唱消える

葉枝語熱陽   葉枝は 熱き陽を語らん

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 嵐の後の朝の公園を書いてみました。
蝉の声がなくなりさびしくなりました。

 初めて投稿以来何篇か作詞はしましたが漢詩のパズルをとく事が出来ません。
 漢字の発音自体知らない私にとって漢詩の調べを耳にするのはNHKの漢詩の番組のみ、漢字の持っている私なりの意味合いのみの漢詩に付き合いしていただきありがとうございます。
 パズル好きの私には新しいゲームが出来て趣味が増えそうです。私の思いが書き表せなくてすみません。みなさまにご批評願えれば幸せです。今後ともよろしく。

<感想>

 台風一過の街の様子を描いて、ということですね。
語句の意味としては、 「快潔」 はあまり聞かない言葉です。また、「潔」 は詩の核心の言葉と思います。つまり、この 「潔」を情景から感じさせることが大切で、核心を言ってしまってはこの後が大味になってしまいます。
 承句の「空」については、「天」とした方が良いでしょう。
 転句の「暑去」も直截な言葉ですが、それよりも下の「消蝉唱」が雅味乏しく思います。直すとすれば 「蝉声絶」 くらいでしょうか。
 結句は言わんとすることが分かりません。「熱陽」は夏の陽射しのことでしょうが、それを「葉枝」が語って、だから何なのでしょうか。まだ残暑が枝には残っているということでしょうか?それならば、転句が死んでしまいます。あるいは、「葉枝」は夏の思い出の象徴でしょうか?それでも、転句からのつながりがありません。
 五言絶句は字数が少ないために余韻が残り行間を考えさせる詩形ですが、下手をすれば作者の思いこみや独りよがりになってしまう危険も併せ持ちます。結句はやはり言葉足らずの印象ですね。

2001. 9.24                 by junji





















 第128作は 徐庶 さんからの作品です。
 

作品番号 2001-128

  未不識      未だ識らず  

大海乾坤悠久夫   大海乾坤 悠久なるかな

陳今万物悉栄枯   陳今万物 悉く栄枯す

盍光生矣安星滅   盍(なん)ぞ光生ぜしや? 安くにか星滅せん?

思邃惟姑詠臆隅   思い邃(ふか)まれば 惟姑(しばら)く 臆隅を詠ずのみ

          (上平声「七虞」の押韻)

<解説>

 理科の授業を受けると、いつも宇宙などの空想に気が行ってしまうんです。
 生来不思議なことに興味を持つ質なのかもしれません。元来、理科は好きな教科ですし、考えてみると限りがないのも好きですね。
 親が理科出身の校長と言うこともあってのことかも解りません。

<感想>

 題の「未」は再読文字ですから、この一字で「いまだ・・・・ず」と読みます。ですから、「未不識」「未識」で十分です。
 転句の「盍」は、疑問形でも用いられますが、多くの場合には打ち消しを伴って 「どうして・・・・しないのか」という意味に使います。この字だけですと、反語の場合が多く、この詩の場合も訳せば、「どうして光が生まれようか、いや、生まれない」と読む人が多いと思います。「生光何者」として、「光を生みしは何者ぞ」とすれば意図と合うでしょうか。
 承句の「陳今」は、引用でしょうか。語釈をつけて下さい。時を表す言葉だとしますと、起句の「悠久」と重なっていませんか。
 結句の収束は学生らしくて、良いと思います。読み下しは「詠ずのみ」と、連体形にするのが約束です。

2001. 9.24                 by junji





















 第129作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2001-129

  初夏村居        

首夏閑行好   首夏 閑行に好く

涼晨清興催   涼晨 清興を催す

卯花花自発   卯花 花自ら発き

梅雨雨初開   梅雨 雨初めて開く

雪萼含風揺   雪萼 風を含んで揺れ

幽香隔堵來   幽香 堵を隔て來る

支頤少流憩   頤を支えて 少らく流憩し

遊目亦遅回   目を遊ばせては 亦た遅回す

捜句分詩客   句を捜りては 詩客を分とし

安排甘散材   排に安んじては散材に甘んず

浮生情易倦   浮生 情倦み易く

世味意難裁   世味 意 裁ち難し

守黒須知白   黒を守りては 須らく白を知るべし

適心何作灰   心に適いては 何んぞ灰と作らん

村翁無閉戸   村翁 戸を閉じる無く

呼我薦茶杯   我を呼びては 茶杯を薦めん

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

 五言排律がなかなか出来ませんでした。2カ月かかりましたが、満足はしていません。
 措辞の変更ぐらいでは、納得ゆくものは出来ないので推敲はやめて、妥協しました。内容は浅近で平板です。

初夏の季節は散策に好く、涼しい朝は心も清らかになります。
卯の花は開き、梅雨もいま晴れたばかりです。
その雪のような、白い花は風にゆれ、香りは垣根を越えて漂って来ます。
私は手で顎をささえながら、幾度か休憩をし、
あちこちを見渡しながら、ぶらぶら歩き回っています。
そこでつくづく思うのは、わたくしは、句を捜るだけしか能はなく、
   仕方なく、詩客を分とし、これは天が与えた配剤で散材に甘んじています。
ただ浮世の付き合いは煩わしく、倦み易く、
   そういっても、世の中のしがらみには少しばかり未練があります。
牛背の先哲が云うように、潔癖さを知った上で、世の中に交わるのが一番好いとのこと、
   そうであればこそ、心に適った生活を送ることが出来、どうして、心が灰になるものですか、
その証拠に、この村のおじいさんは、何時も門を閉る事なく、
   私を見ては、声をかけてくれて、お茶を御馳走してくれます。

<感想>

 後半に出て来る「守黒須知白」は、老子からの引用ということですので調べてみました。第二八「反朴」に書かれている言葉でした。謝斧さんの解説がとても分かりやすく思います。「守黒」が「世の中に交わる」ことですし、「知白」が「潔癖さを知る」ことですね。有名な『漁父辞』での屈原と漁父の対話を思い出す方もいらっしゃるかもしれませんね。
 他にも典拠がたくさんありそうですが、私の乏しい記憶容量ではつかみきれませんでした。句の意味はそれなりに分かりやすく、句の流れも遅滞がなく、結聯までなめらかに展開されていて、さすがに、と感心しました。


2001. 9.24                 by junji





















 第130作は 徐庶 さんからの作品です。
 

作品番号 2001-130

  秋望        

寂樹蕭蕭秋気芳   寂樹蕭蕭として 秋気芳し

童児恭謹運珠觴   童児恭謹して 珠觴を運ぶ

従今若許飄飄往   今より若し飄飄として往くを許さば

花木深時訪草堂   花木深き時 草堂を訪ねん

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 最初に言いますが、酒は飲めません、未成年ですから。
 酒宴を思い浮かべて作ったんですが、頭の中で思い描いたものですから、もしかしたら実際とは違う部分もあるかもしれません。それは悪しからず . . .

 最後の二句は、陸游の「遊山西村」の最後の二句をまねてみました。

<感想>

 陸游の「遊山西村」は、詩中の名対句 「山重水複疑無路/柳暗花明又一村」で名高い作品ですね。
 「寂樹蕭蕭」とありますから、きっと奥深い山の中でしょうか。「童子」が身の回りの世話をしているところから察するに、相手は世を離れて隠棲する幽人でしょう。
 起句承句は、徐庶さんのイメージを明確にしていて、現実離れしているところが却って面白い効果を出しているでしょう。
 転句の借辞も内容としては悪くないと思いますが、「飄飄往」というのはどのようなことを意味しているのか、よく分かりません。
 この詩は結句が残念です。せっかく前半で山中隠者の世界を描いたのに、わざわざ「草堂」などとここで言っては、「ネタばらし」のようなもの、興が醒めてしまいます。
 また、陸游の詩の「挂杖無時」につけて「花木深時」としたのでしょうが、これでは春の季節になります。ということは、秋に一緒に飲んでから、次は半年先まで訪ねないと言っているようなものです。陸游が言った「無時」は、「無」ではなく、逆に「いつでも」という意味ですから、徐庶さんの言われたのとは反対で、招待してくれた方への感謝がよく表れていると思います。

2001. 9.26                 by junji





















 第131作は 舜隱 さんからの作品です。
 

作品番号 2001-131

  孟秋        

一朝生爽氣   一朝 爽気生じ

晝夜有聞蟲   昼夜 虫を聞くあり

蟋蟀和明月   蟋蟀 明月に和し

蜩蝉哀朔風   蜩蝉 朔風に哀し

山猶纏葉碧   山は猶葉を纏いて碧なるも

天已啓雲空   天は已に雲を啓きて空ろなり

江水日澄K   江水 日に澄K

蕭蕭兩岸蓬   蕭蕭たり 両岸の蓬

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 初めての律詩です。今までにも何度か試みたことはありましたが、どれも内容が間延びしたものになってうまくいきませんでした。今回、何とか最後まで無理なく作ることができたように思いますが、如何でしょうか?何分不慣れなものなので、添削を宜しくお願いします。
 ここ十日程の間に朝晩がめっきり涼しくなりました。それでも「朔風」とは何とも気の早い話ですが、涼しくなってもなおその中で鳴いている蝉との対比を狙って用いてみました。

<感想>

 初めてとのことですが、対句も工夫があり、うまく出来ていると思います。
 仰るように「朔風」では冬の北風まで行ってしまいますから、いくら対比とは言っても、「蜩蝉」とはつり合わないと思います。
 また、首聯の最後の文字が「蟲」で、次の頷聯の始まりが「蟋蟀」ではつながり過ぎです。頷聯をもう一度練ってみると良くなるでしょう。
 意味の上では、頸聯の「天已啓雲空」が分かりにくいと思います。「雲を啓」となぜ「空」ろなのか、もう少し言葉が欲しいところです。

2001. 9.26                 by junji





















 第132作は 金先生 さんからの作品です。
 

作品番号 2001-132

  観月     月を観る   

満地虫声切   満地の虫声 切なるに

寥寥坐夜蘭   寥寥と夜蘭に坐す。

未功残夢断   いまだ功ならずして 残夢を断ち、

孤客月光寒   孤客に月光寒し。

          (上平声「十四寒」の押韻)

<解説>

 9月4日 仲秋の名月の一月前の満月を見ながら、作りました。

[訳]
  地に満ちる虫の声を聞きながら、
  静かに座って月を見る。
  功なくして夢も破れ、
  独り見る月の光はわびしいものだ。

<感想>

 月を前にした寂寥感が全編に漂っていて、秋の深まりを感じる詩ですね。
 起句と承句のつながりが不明瞭のように思います。金先生の訳ならば単純な接続で分かるのですが、読み下しのように「切なるに」とすると、「虫の声がしきりなのに」と逆接で読みます。あるいは、「切なる(上に)」と添加の接続でしょうか。読み下しもそうですが、白文のままで「聞きながら」と接続できるのかどうか、気になります。
 転句の「断残夢」も分かりにくいと思います。「夜闌」(真夜中)に目が覚めて「夢が途切れた」ということでしょうか。それとも、「未功」との関係で見ると、将来の希望が消えたということでしょうか。後者ならば、「夢」の用法としてはあまり賛同できません。「夢」はあくまでも眠って見るもののこととされていますから、解釈に無理が出ます。
 結句の収束が余韻深いと思いますので、転句をもう一工夫してみたらどうでしょうか。

2001. 9.27                 by junji





















 第133作は謝斧さんからのご推薦で、 藤原鷲山 さんの作品です。
 鷲山さんは宝塚市にお住まいの七十代の男性の方とのことです。

作品番号 2001-133

  水亭聽蛙         

梅天六月水辺村   梅天六月 水辺の村

雨鎖茅亭晝尚昏   雨は茅亭を鎖して 晝尚を昏き

時聽窓前蛙鼓聒   時に聽く窓前 蛙鼓の聒しを

煮茶消遣爽吟魂   茶を煮て、消遣すれば吟魂爽かなり

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 謝斧です。嘯嘯会の藤原鷲山氏の詩を紹介します。
 藤原鷲山氏は嘯嘯会では西川介山に次いで新しく、経験は8年位ですが、力は安定しています。措辞も杜撰なところもありません。

 先ずは無難な作詩をこころがけているようです。反面つまらなく感じるときもありますが、今回の作品は佳作だとおもっています。

<感想>

 無理がなく、結句まで流れるように読むことができました。転句の発展も素直ですし、個人的にはかなり上質な詩だと思います。
 ただ、流れが良くて、素直な展開ということは、謝斧さんも仰るように、あっと驚くような斬新さは無いということでもあります。この作者の、この瞬間の感動はどこにあるのか、という不満を持てば持てるわけです。
 ただ、それは作詩に何を求めるか、ということでもあり、古人と感動を共有するすることを第一にするならば個人の感懐が表出されていないことに不満を述べるのは筋違いだし、どちらが良いとか悪いとかの判断できることでもないと思います。
 短歌や俳句、現代詩と漢詩の違いはそこにあるように私は思います。漢詩の場合でも他の韻文と同じく、自分の固有の感情を描き出すことは大きな目的ですが、もう一つ、三千年もの長きにわたる漢詩の伝統と触れ合うことも重要な目的です。
 李白や杜甫、あるいは名も知らぬはるかな古人、彼らと共通の感情を持つことは間違いなく喜びです。そうした喜びを与えてくれるものは、実は千年間変わることなく形式を守ってきた漢詩しかないと思います。
 話が大きくなってしまいましたが、安心して眺めることの出来る、そういう意味での秀作ですし、作者である鷲山さんのお人柄やご勉強ぶりがうかがわれるような作だと思います。

2001. 9.27                 by junji





















 第134作は ニャース さんからの作品です。
 

作品番号 2001-134

  官僚        

男人得意是官僚   男子の得意 是れ官僚たり

酒店常留伴柳腰   酒店に柳腰を伴い常に留まる

百姓辛労何所得   百姓 辛労 何を得たる所

秋刀晩飯有三条   秋刀(さんま) 晩飯に三条あり。

          (下平声「二蕭」の押韻)

<解説>

 さんまの季節です。ビールとさんまがあれば、秋の夜長もどんと来い!!の私ですが、今回の外務省の事件にはさすがにあきれました。
 まだ氷山の一角なのでしょうが。

<感想>

 一連の官僚による不正事件への憤りは、昨今は国民のほとんどが抱いている感情ですね。
 杜甫が当時の官僚の悪逆非道の振る舞いに怒りを覚えたのは千年も昔のことながら、そのまま現代にも持って来られる気がします。権力を握った当時の官僚と、結局は公務員に過ぎない現代の官僚とは同列に眺めてはいけないのかもしれませんが、特権意識は同じ様なものなのでしょうね。
 ただ、当時と現代の日本の違いは、庶民がそこそこ豊かになったこと、本当は心も豊かになっていなくてはいけないのでしょうが・・・・

2001.10. 2                 by junji



謝斧さんから感想をいただきました。

 私はこういった詩は、漢詩の範疇を超えたものとして、理屈ぬきで読ませていただいています。
 特に平仄もこだわる必要も無く、和臭も気にしません。表現も直截的ですが、詩人の心情が解り易く、叙述してあり好い作品だとおもいます。
 詩はつまるところ、読者にどう訴えるかということが大事だとかんがえています。

2001.10. 9                by 謝斧





















 第135作は 徐庶 さんからの作品です。
 

作品番号 2001-135

  秋夕行        

昏日揺揺染赤紅   昏日揺揺 赤紅に染まり

新涼爽快産清風   新涼爽快 清風を産ず

晩天星集梁山泊   晩天 星集まれば 梁山泊

酒店罍殫巾倒公   酒店 罍(さかだる)(つ)きれば 巾倒公

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

   [語釈]
 「新涼」:早秋
 「巾倒公」:竹林の七賢の山濤の子、山簡のこと。

<感想>

 「巾倒公」の由来は、山簡はしょっちゅう酩酊し、馬に乗って帰る時には頭巾をさかさまにかぶっていた、ということから呼ばれたのですが、でも、「濤子簡、疎通高素(濤の子の簡は、物にこだわらず高尚で素朴)」(『世説新語』)な人柄であったとも、「山簡、字は季倫、心穏やかに正しく、父(山濤)の風があった」(『晋書』)とも言われていますので、スケールの大きな人物だったのでしょう。
 それはそれとしておいて、詩としては、転句の「梁山泊」も、結句のこの「巾倒公」も、何を言おうとしての引用かが分かりません。特に結句は、詩の展開が私にはつかめません。「酒店」がどうして唐突に出てきたのでしょうか。
 作詩の意図をもう少し説明していただかないと、せっかくの前半が死んでしまいます。

2001.10. 2                 by junji



鮟鱇さんから感想をいただきました。

 徐庶さん

 鮟鱇といいます。鈴木先生のお書きになった感想はそのとおりだと思いますが、わたしなりにはとても面白く読ませていただきましたので、筆をとらせていただきました。
 徐庶さん、確かあなたはとてもお若い方ですよね。もし、間違っていたらごめんなさい、あなたは、まだ、酒家でお酒を飲むことは許されていないはず。そういう徐庶さんが「梁山泊」、「巾倒公」を使うということ、これがわたしにはとても面白いし、端倪すべからざるあなたの才能に五十を超した男が舌を巻いています。
 もちろん、人生経験ではあなたに負けないし、あなたより少しばかり早く漢詩を書き始めた(小生の作詩歴は4年と6か月)立場からは「昏日」は普通に「落日」「夕日」とした方がよいと思うし、「染赤紅」「赤」は日本語的でもうすこし工夫したほうがよいとか、「産清風」「産」は少し変で「起」の方がいいとか、「罍」「樽」、「殫」は「つきる」ではあるけれど「命がつきる」意味ではなかったか、普通に「尽」でいいのではないかなど、言葉の使い方のうえでは多少違和感もあります。
 しかし、そういうことはたくさん詩を書けば自然に「うまく」なることだし、若いあなたにはたくさん詩を書く時間がまだまだあるわけで、あなたの才能を今の時点で貶めるものではありません。大事にしなければいけないのは「発想」、これは生まれながらのセンスのようなところがあって、学んで身につくものではない。そういう「発想」の面白さがあなたに備わっているのではと、わたしには思えるのです。

 勝手な想像ですが、あなたが書こうとしたのは、「空想」の世界へ入っていく楽しさではなかったのかと思います。
 昼と夜では「時間」の流れ方が違う。昼の時間というものは「歴史」がそうであるような流れ方をして、おおむねいつもリアルですが、夜の時間は、前・後、過去・現在・未来がないまぜになり、昼間には画然としている森羅万象の境目が渾然一体となってしまうのが「夜」です。
 わたしの曖昧な記憶ではそういうことをバターユというフランスの作家が言っていたと思います、夜の時間の流れは「エロス」の支配するところであると。回りくどい言い方になってしまいましたが、要は昼間の空想というものはあまり実りがなく、空想を貪るにはやはり「夜」でなければならない。
 あなたの起句と承句は、そういう「空想」が跋扈する「夜」への導入として読むことができます。そして、転結は、動き出した空想です。この空想がどのようなものであり、それとあなたとの関係がどうあるのか、ということがよくわからない点は、鈴木先生のお書きになったとおり、わたしもいささか食い足りない思いがしています。律詩の前半の半分で終っている感じがします。

 しかし、それでもやはり端倪すべからざる詩想です。「梁山泊」「巾倒公」は普通には「典故」として読まなければならず、「典故」として読めば作詩の意図がわかりません。
 わたしは、そうではなくて、ゲームソフト的な「空想」として読みました。ゲームソフト的空想の世界と中国古典の精髄が混ざり合っている、わたしが強く感じたのはその点です。
 もしそうなら、歳若い徐庶さんの中国古典に関する信じがたい教養の高さが、その柔軟な感性のもとで現代のビビットなゲームソフト的な想像力との融合を拒んでいないわけで、そういうことにこそ若さの特権である、時代を超えて前に進む力を生み出す力が宿るとわたしは思っています。
 つまり、「典故」など使って見かけは古めかしいが、それが「典故」として生きていないから、かえって別のことを想像する力になっている。そして、なぜ「典故」として生きないかといえば、「ゲームソフト的な想像力」があなたの世代ではあたりまえのこととして息付いていて、わたしたち年寄りからみれば少々「野放図」に跋扈するからです。そして、その跋扈が、わたしのような年寄りにもわかるようにするには、残念ながらもう少し書き込みが必要。
 しかし、こういうことも、たくさん書けば自然に身に付くことですから、あまり気にしないでください。若いうちは、自分がどのように斬新であるか、斬新である部分を年寄りに理解させるにはどうすればよいかということになかなか気が回らないのですが、すべては時間が解決するものと思います。ただ、その時間をうまずたゆまずで過ごすということに、すこしでも腐心してください。

2001.10. 3                   by 鮟鱇



徐庶さんからのお返事です。

 感想、まことに有り難うございます。とても勉強になります。
 更新されるごとに皆さんの漢詩を見させていただいてますが、皆さん、上手すぎてとても手が届かないところにあるようです。
 前、一日一首漢詩を書くことに取り組んでいたのですが、テスト期間前と言うこともあって断念してしまいました。 (取り敢えず書けば上手くなるだろうと言う独断からですが)

「発想が面白い」、よく学校の先生が仰ることです。それも、鮟鱇さんの仰るように「空想」の世界から来たものです。
 これは私事ですが、親が一応高校の国語(古文)の先生なので、昔から本をたくさん読まされてきました。 僕の「空想」の世界も、(おそらく)そこから出てきたものです。
 また、星のことが詩によく出るのは、やはり星や宇宙のことに興味があるからで、一時期物凄い勢いで調べた記憶があります。
 特に夕日が多いのは、部活が終わって帰り道に真ん丸な形をした綺麗な夕日をよく見るからでしょう。

 ただ、近頃はそればかりになってしまうのです。斬新な部分が無いのは、そのことに加えて、一日の生活リズムが決まってるからかもしれません。休日、時に生活リズムを変える(寝坊など)と、それ自体が題材となってくれるときもあります。

 今やっているゲーム、(RPGツクール等)は結構好きです。自分の好きなように設定が出来るのですから。
また「三国志7」など、一応中国史(正史ではありませんが)を元にしたゲームもやっています。

 まだ、老練の目には全くの拙作ですが、時間もまだたっぷりあるわけですし、ゆっくり、時間をかけてよい作品が作れるようにこれからも努力していきます。

 感想、本当に有り難うございました。
 今後も、厳しい批判、感想を宜しくお願いします。

 因みに言い訳です。
梁山泊→水滸伝→108の星→沢山
 のつもりでした。

2001.10.12                   by 徐庶