第91作は 舜 隱 さんからの作品です。
 

作品番号 2001-91

  放課後與朋友游江上      放課後朋友と江上に游ぶ  

叢徑迢迢荒野開   叢径に迢迢として荒野開け

渚沙滾滾碧流來   渚沙に滾滾たる碧流来たる

江風談笑暫忘夏   江風に談笑すれば暫く夏を忘るも

請恕留君倶語囘   請う 君を留めたるを恕せ 倶に語り回らん

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

 私の通っている学校はすぐ裏に川が流れており、先日の放課後、友人と「川でも見に行こう。」ということで一緒に(と言うよりも私が勝手に連れ出したと言う方が適切かもしれませんが、)河原をぶらぶらしていた時に浮かんだ詩です。
 河川敷の人の背丈ほどもある叢をぬけると、河原には気持の良い川風が吹いていて真昼の蒸し暑さが嘘のようでした。

 余談ですが、この季節になって気づいたことが1つあります。私は蒸暑さは苦手ですが、最近になって詩が以前に比べてよく浮かぶようになったと思います。もっとも、気候だけが原因ではないとは思いますが。

<感想>

 前作の鷺山でもそうでしたが、舜隱さんは実に環境に恵まれた高校生活を送っているなぁと思います。
自然環境も勿論ですが、放課後に付き合ってくれる気の合う友達がいるというのもすばらしいことですよね。その友人というのは、ひょっとして以前聯句に投稿してくれた 玉鱗 さんかな?

 さて、詩の感想ですが、起句の「叢径」の言葉のここでの役割について書きましょう。ぱっと読むと、ここは「草むらの小道が迢迢と続いている」と解釈してしまうのですが、舜隱さんの意図はそうではなく、「叢をぬけると」ということのようですね。それですと、どうしても「通り抜けたら」という表現が必要になりますが、そうすると今度はやたらと説明くさくなってしまいますね。
 叢を通り抜けたからこそ川原の風の爽やかさが引き立ったというのは分かるのですが、ここは我慢をして「叢径」は書かないで、川原の広々とした景を述べた方が良いでしょう。
 というのは、転句に「暫忘夏」とあって、暑苦しさはそこに描かれているからです。
 もっとも、この「忘夏」という言葉自体、非常にストレートな表現ですし、結構重要な心情ですので、あまり感心はしません。推敲の余地はあると思います。

2001. 7.21                 by junji



謝斧さんから感想をいただきました。

「放課後」は清詩人(自珍)は「放学後」といっています。
『因憶 其二』の注で
   家大人於其放学後 抄文選授之

 鈴木先生の御説の通りです。私なら此のように推敲します。
 好いか悪いかは、わかりません。参考にして下さい。

 結句は、尚推敲が必要と感じています。起句承句は大変好いとおもいます。
 起句は折角対句にしたので、声律上、踏み落しにするべきですが

   排草迢迢荒野開   草を排けば 迢迢として 荒野は開け
   踏沙滾滾碧流來   沙を踏めば 滾滾として 碧流来たる
   江風談笑暫逃暑   江風に談笑して 暫く暑を逃れん
   請恕留君倶語囘   請う 君を留めたるを恕せ 倶に語り回らん

2001. 7.25                 by 謝斧






















 第92作は 西川介山 さんからの作品です。
 

作品番号 2001-92

  失題        

未解衣冠有何計   未だ衣冠を解かざるは 何の計有ってか

此身易倦意蕭然   此の身 倦み易く 意 蕭然たり

平生自望無官楽   平生自から望む 無官の楽しみ

悴客迷津又一年   悴客 津に迷いて 又一年

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

   まだ齷齪と会社勤めをしているのは、将来に計画があってのこと、
   然し宮仕えは、気苦労がおおくて、嫌になる、
   平生、会社勤めなんかは辞めてしまい、気楽に暮らしたいと思ってはみても
   人生に疲れた 私は、ふんぎりがつかず、また1年、無駄に過ぎ去ってゆきます。

<感想>

 隠者の系統には三種類あるそうですね。
 白居易の『中隠』によれば、

    大隠住朝市    大隠は朝市に住み
    小隠入丘樊    小隠は丘樊に入る

だそうで、つまりやや補って訳せば、
    隠者の大なる者は、出仕したり町中に住んだりしていても、心は俗世を超越している。
    隠者の小なる者は、精神が俗を離れられないから、山野に隠れ住むのだ。


ということです。
 そして、「中隠」とは何かと言えば、役人勤めをしながらも、

    似出復似処    出づるに似 復た処(お)るに似
    非忙亦非閑    忙に非ず 亦た閑に非ず

という、仕事には行くけれど居るのか居ないのかわからない、忙しくはないがひま過ぎもしない、そういうサボるには適当な官職に就いて、のんびりと「半隠者」のような生活をするのがよいのだそうですが、なかなかそうはいきませんよね。
 というか、本当に「中隠」が望ましい生活かどうかも疑問ですが・・・・。

 起句「有何計」は反語かと思って読みましたが、それだと意味が逆になってしまいますね。詩としては意味は分かりますが、送ってこられた解説とは違ってしまうように思います。
 承句の「此身」は、曖昧な表現ですね。どのような身であるのか、「老身」「病身」など何か絞り込んだ方が説得力が増すとおもいます。そうでなく単に一人称で協調したのなら、「身」ではなく、「性」でなくてはおかしくなります。
 結句は凝縮された表現で、とても納得できます。人生の岐路という言葉がありますが、然るべき年齢になったり、身体を崩して病気になったりすると、毎年が「人生の岐路」という感じがして、何とも不安な日々を送っています。

2001. 7.21                 by junji


私の感想をお読みになり、謝斧さんからお手紙をいただきました。

すみません 謝斧です。
「 起句「有何計」は反語かと思って読みましたが、それだと意味が逆になってしまいますね。詩としては意味は分かりますが、送ってこられた解説とは違ってしまうように思います。」という鈴木さんの感想についてですが、
西川介山の注を、私がかってにはしょりました。正確には
未だ衣冠を解かざるは どういうことなのか、(いやすこしばかり心残があるからいまの境遇に甘んじているわけです)、と云う自問自答をしているとのことです。
 承句の意味は次のように訂正します。
まだ齷齪と会社勤めをしているのは、なんの計画があってのことなのか、

2001. 7.25                 by 謝斧






















 第93作は 徐 庶 さんからの作品です。
 

作品番号 2001-93

  音題      音に題す  

寥寥広野聴笛音   寥々たる広野に聴く笛音

漠漠青原響胡琴   漠々たる青原に響く胡琴

采采雲飛陽昧昧   采々として雲飛び陽昧々

明明月上鐸欽欽   明々として月上り鐸欽々

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

 畳韻の語を沢山使ってみました。しかし使いすぎかな・・・
モンゴルとかは草原が広くて、それを想像しながら作ったんですが、
結句はどうも・・・

<感想>

 平仄の点から言えば、起句と承句が「二六対」が破れていますので、そこは直すべきですね。あと、確かに結句は無理矢理という感じがしないでもないですね。
 でも、こうした畳語ばかりでなく、漢字を使っていろいろと遊んでみるということも大切なこと。言葉や漢字に対しての注意力、理解力がつくはずです。

 以前に(二ヶ月ほど前でしょうか)、徐庶さんからこんなお手紙をいただきました。

こんにちは
いつもお世話になっている徐庶です。
 漢詩についてですが、
やはり中国語を覚えないと、平仄や韻など、声を出したときの感じが解らないような気がします。
しかし、英語だけでも手一杯なので・・・。
 どうしたら、手早く中国語を覚えられるでしょうか?NHKの講座は、役立つでしょうか?
 その時に私がお答えしましたのは、次のようでした。(部分的に直してはあります)
 確かにその通りですが、現代中国語の発音自体、既に唐の時代のものとは違うわけですから、中国語を覚えたからと言って平仄の面白さが直接に分かるわけではありません。
 ただ、中国語は日本語と違って音の高低による表現を持っていますから(これが平仄につながるわけです)、そうした旋律的な雰囲気を掴むにはよいかもしれません。

 しかしながら、徐庶さんが仰るように「英語だけでも手一杯」という状態であるならば、そして多分日本の学生はほとんどが同じ状態でしょうが、差し当たっては英語を目一杯やってみることが良いと思います。
 外国語を学ぶ基本は、まず、一つの言語をしっかりやることだと思います。そうして母国語の呪縛から逃れること、それが一旦成功すれば、2番目、3番目と増やしていけると思います。
 徐庶さんが今一番学習しやすい言語は、多分英語でしょう。環境的にも学力的にも有利なものでまずは力をつけておき、中国語はその後でも十分だと思います。

 勿論、趣味的に手軽な気持ちで学ぶのは何も問題ありませんから、NHKの講座を見るのも良いでしょう。話せるようになれるか?と言われると、まだ一人前に話せない私が偉そうに答えられることではありませんが、四声の違いくらいまでは発音できるようになると思います。
 漢詩との関連で言えば、現代的な事物を表現するのに、中国語を知っていた方がよいことがあります。例えば「自転車」のことを「自行車」というとか、「テレビ」は「電視」とか、そうした単語を使うことが漢詩として良いかどうかは別としても、です。簡単な中国語会話の入門書くらいでも十分かもしれません。

 徐庶さんからはその後、「有り難うございました。とても参考になりました。とりあえず、中学のうちは、英語を重点的にやります」というお返事で、このようなやりとりがあったのですが、徐庶さんには、一つ一つのことを焦らないで学んでいってほしいと思っています。
 今回の詩のような遊び心も、大切なステップです。どんどん挑戦して下さい。

2001. 7.21                 by junji



謝斧さんから感想をいただきました。

 私も覚えがあることですが、習作期も、ある程度詩を作れるようになると言葉遊びをしたくなるようです。各句に色彩の字を入れたり、同じ字の韻で詩を作ってみたり、回文詩など、手をかえ品を替えて、大抵の詩は見るに堪えない、内容のない空虚な詩になっています。プライベートな詩であれば、誰も不快には感じませんが、公にする場合はどんなものでしょうか。
 先生の詩は措辞は問題がありませんし、立派な作品ですが、前述の事にはあたらないかもしれませんが、少し気になります。
 今先生の詩を読むに、我々読者は、感興の情を催しません。詩は羚羊の角を挂る如くといいます。工夫のあとを見せないようにするのが肝要かとおもいますが。
 ついでながら、「音題」というのは題意から、詠物体となります。そうすれば、転句は直截には音と関係がありませんので、不適当です。

2001. 7.25                 by 謝斧





















 第94作は 舜 隱 さんからの作品です。
 

作品番号 2001-94

  待信號偶成      信号を待ち偶々成る  

彼方蒼碧我爲紅   彼の方は蒼碧 我は紅と為す

燈火無更午熱中   灯火更まることなし 午熱の中

炎氣滿天當汗面   炎気天に満ち汗面に当る

今朝疑夢覺C風   今朝疑うらくは夢ならん 清風に覚めたるは

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 最近、季節が変わったことをつくづく実感します。
 今日も、今までは何とも思わなかった信号待ちが暑さのために異様に長く感じられることにふと気づきました。まだ夏が来たばかり(とは言っても、陰暦では五月、仲夏ですか)でこのような事を言っていてはいけないということも感じてはいるのですが。
 「汗面」というのは、「汗ばんだ顔」くらいの意味で使ってみたのですが、実際にこのような表現はあるのでしょうか?「汗顔」と混同されそうで心配なのですが。

 余談ですが(「平仄討論会」の話題かもしれませんが)、先日「Yahoo!台湾」で検索していたら(私には中国語は解りませんが、漢文の資料が簡単に手に入るので重宝しています。)、「詩韻新編」という物を見つけました。
 どうやら、漢字を漢語普通話のピン音によって18の韻目に分類し、各韻目の中で更に一声(陰平)、二声(陽平)、三声(上声)、四声(去声)に分けたもののようです。
 この「詩韻新編」は中国ではどのような位置付けをされているのでしょうか?普通話において第一声及び第二声で発音される字のうち、入声でないものは嘗ての平声に対応していると聞いています。また、広東語には入声が残っているそうですが、広東語を話す人達は辞書などで調べなくても嘗ての平仄に合った詩を作ることができるのでしょうか?
 因みに、入声の「フクツチキ」のうち、「フ」は日本語の現代仮名遣いでは判別できませんが、漢字の韓国語音が分かればすぐに判別できます。例えば、「雑(ザフ)」は「chap」、「合(カフ)」は「hap」のように「フ」と「p」の音が対応しています。韓国語の他にも広東語などでも入声に関しては同じことが言えると思います。

<感想>

 7月の初めにいただいた詩でしたが、掲載が遅くなってしまいました。

 起句「彼方蒼碧」ですが、信号の色について同じ青色でも、「蒼」はややニュアンスが違う気がします。ここは句中対を用いて、「彼方為碧我爲紅」ではどうでしょうか。
 承句の「燈火」は夜の灯りのようで、合わないのと、「午熱中」とここで主題が出てしまうのは、次の転句を生かしませんから、承句は交差点の様子を描くことに留めて、改めたらどうでしょう。
 結句は、「清風」がいつ吹いたのか、「今朝」疑ったのは何なのか、ここは文意が通じません(文の構造が複雑ですので)から、推敲が必要でしょう。

2001. 7.10                 by junji



 舜隱さんから、推敲をなさった改訂版をいただきました。

 「待信號偶成」を先生のご指摘に従って直してみました。結句は、訳としては「今朝涼しい風の中で目覚めたのは夢だったのだろうか」といったところですが、如何でしょうか。まえと比べれば意味は通じやすくなったと思います。



  待信號偶成・改        

彼方爲碧我爲紅   彼の方は碧と為し 我は紅と為す

不盡車流左右通   不尽の車流 左右に通う

炎氣滿天當汗面   炎気天に満ち汗面に当る

夢耶今曉覺C風   夢なるか 今暁清風に覚めたるは


2001. 9. 3                    by 舜隱



では、改めて私も感想を。

 起句は私が先回書きました通りですが、改めて見てみますと、同じ対にするなら「彼方為碧我方紅」の方が良かったですね。
 承句は「不尽」はやや大げさで、「不断」くらいの方が良いでしょうが、次の「車流」で車を川の流れのように比喩してますから、このくらいの遊びがあっても面白いですね。
 結句はすっきりしたと思います。頼山陽の『泊天草洋』の第一句である「雲耶山耶呉耶越(雲か山か呉か越か)」で用いられた疑問の助字ですね。破綻もなく、まとまりのある詩になったと思います。

2001. 9. 3                    by junji





















 第95作は 謝 斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2001-95

  詠海棠 倣丹鳳先生之体        

紅葩含露想人時   紅葩露を含んで 人を想うの時

宛是楊妃睡起姿   宛も是れ、楊妃睡りより起きるの姿

娜娜向誰嬌態艶   娜娜 誰に向ってか 嬌態艶やかなり

春宵秉燭更相宜   春宵燭を秉れば 更に相い宜しい

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 

 [語釈]
 「春宵秉燭」:只恐夜深花睡去 故焼高燭照紅粧 「海棠」蘇軾
 [訳]
   海棠の赤い花びらは、露に濡れて 美人が涙を流してなにか恋しい人を思っているようだ。
   また、楊貴妃が眠りより起きた時にもにている。
   娜娜たる嬌態は、誰のために、艶っぽくしなを作っているのか
   春宵彼の詩人の様に、海棠の花を眠らせないように、燭を秉って遊ぶのもよいのではないか

<感想>

 蘇軾の故郷、蜀の名花とされた「海棠」は、古来から春を代表する花として愛されたようです。
 この海棠が目覚めたばかりの美女の姿に喩えられるのは、花の淡い紅色のゆえ。白粉が落ちてピンクの肌が浮き出している朝の女性の顔、普通は化粧を落として人には見せられない顔なのですが、美人はそんなまだらになった(!)顔でも魅力的なのだそうです。
 玄宗皇帝が楊貴妃の寝ぼけた顔を見て、「海棠の眠りが足りないような風情じゃ!」と賞美したというのも有名な故事ですね。  そんなこんなを思いながら読みました。花に添えるにふさわしい詩ですね。

 蘇軾の「海棠」の詩も載せておきました。題名をクリックして下さい。

2001. 7.22                 by junji





















 第96作は ニャース さんからの作品です。
 

作品番号 2001-96

  車 窓        

男女双峰指顧間   男女双峰 指顧の間

青青聳立筑波山   青青たり 聳え立つ 筑波山

車窓景色如飛去   車窓の景色 飛び去るが如し

不給行人憶旧閑   行人に給せず旧を憶う閑

          (上平声「十五刪」の押韻)

<解説>

 出張で水戸に行く際、筑波山を常磐線から見て、あまりに美しかったのでよんでみました。
 「男女双峰」は男体山、女体山のことです。その双峰に筑波山は分かれております。本当に子供の頃はよく登りました。われわれの故郷のシンボルです。

<感想>

 いかにも車窓から眺めたような、テンポのよいリズムが前半は生きていますね。
 結句でややもたつきが出てきます。「懐旧」が唐突で、それまでの車窓からの眺めと「旧」がどうつながるのか、解説を読ませていただいてやっと分かりましたが、やや私情に流れたようです。
 「旧」にこだわらずに、旅の気持ちなどを言うようにすれば、飛躍がなくなると思います。

2001. 7.21                 by junji



 感想を付け加えさせていただきます。

 筑波山を詠んだ詩では、三島中洲のものが私は好きです。
     游筑波山、宿停雲楼   筑波山に游び、停雲楼に宿す
   来上筑波千仭嶺    来り上る筑波 千仭嶺
   皇京南指渺茫間    皇京南に指さす 渺茫の間
   多年両国橋頭望    多年両国橋頭より望む
   一片遥青是此山    一片の遥青 是れ此の山

 また、男体山、女体山に関しては、古代に歌垣が行われたことが『常陸国風土記』に記されており、春と秋の二回、ここに近隣の若い男女が集い、恋の一夜を過ごしたとされます。筑波山は恋愛を象徴する山でもあったわけです。
 百人一首で有名な陽成院の歌
   筑波嶺のみねより落つる男女の川 恋ぞつもりて淵となりぬる

などは、清らかな恋の歌ですね。
 もっとも、この陽成院は、九歳で即位、しかし凶暴で動物虐待の趣味があったり、人殺しのうわさまで流れる矯激な性格で、十七歳で退位させられてしまいます。
 でも、この歌などはそんな気配も感じさせない、初々しい恋の歌となっています。陽成院はその後八十二歳まで生き、当時としては極めて長寿であったようですが、退位後の六十五年の人生を補うに足る歌だと思います。

2001. 8. 3                 by junji




















 第97作は 舜 隱 さんからの作品です。
 

作品番号 2001-97

  夏夕與友人圍棋      夏夕友人と棋を囲む  

誘朋一局對圍棋   朋を誘いて一局対して棋を囲み

隨意長吟轉忘時   意に随いて長吟すれば転た時を忘る

西起暗雲猶在遠   西のかた暗雲起こるも猶遠きにあり

且求涼飮亦論詩   且く涼飲を求め亦詩を論ぜん

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 放課後、学校に置いてあった碁盤で友人と碁を打っていたときの様子です。もっとも、私に関しては囲碁は全くの素人ですが。この「朋」は、学校でもよく詩の話をしている友人の一人です。

 最近、今回の詩の中の「朋」を含む友人二人とメール上で聯句を楽しんでおります。彼等との会話では、実際のところは今回の詩のように、「詩を論ず」というほど大袈裟ではありませんが、それでも詩に関することはよく話題になります。やはり、一人や二人でも楽しみを分かち合える人がいると、「不亦樂乎?」です。

 一応、今回の詩の口語訳としては次のような感じです。

   友人を誘い向かい合って一局打ちながら、
   思いつくままに詩を暗誦しているとますます時が経つのを忘れてしまう。
   西の空には暗い雲が湧き起こっているが、まだ遠くの方だ。
   一先ず冷たい飲み物でも買って、そして詩について語り合おう。

 先日の「中華新韻」についてですが、中山さんのホームページを早速見させていただきました。詩についても様々な興味深い話題が掲載されていて、大変勉強させて頂いています。
 ところで、「現代韻」は18韻、「中華新韻」は16韻とのことでしたが、この相異は何によるものなのでしょうか。どちらも普通話の発音に基づいて編輯された韻だと思いますが。

<感想>

 起句と承句を、放課後の場面として並列で描かれたのでしょうが、起承はつながりが密なので、どうしても、「碁を打つ途中で詩を唸って」という風に読みますから、そうすると、変な光景ですよね。ここだけはもう一工夫欲しいところです。
 他は、承句の「随」が冒韻ですので、そこを直しましょう。
 それにしても、舜隱さんのお話を伺っていると、どうも時代がすこし過去へ飛んでいきそうですね。詩を朗唱し、碁を打ち、詩を論ずる、うーん、国語の教員である私もやっと最近たどりついたような世界です。

2001. 7.22                 by junji





















 第98作は Y.T さんからの作品です。
 

作品番号 2001-98

  詠史 其一 読史記孟嘗君伝     其一 史記孟嘗君伝を読む  

田文得二士   田文 二士を得て

以脱暴秦宮   以て脱(の)がる 暴秦の宮(みやい)

両者績雖大   両者の績(いさお)し 大なりと雖も

所詮鶏狗雄   詮ずる所 鶏狗の雄

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 孟嘗君の人気は戦国の四君の中でも最高ですが、実際はどうでしょうか?
 宮城谷昌光氏の小説でも天才的な英傑に書かれていますが、これは氏の小説家としての力量を示すものであり、事実ではないようです。
 所詮、鶏鳴狗盗の首領に過ぎなかった。は、酷に過ぎるかも知れませんが。



 [語釈]
 「田 文」:孟嘗君の本名
 「鶏狗雄」「鶏鳴狗盗之雄」の意味

<感想>

 そうですね。孟嘗君の評価については、おっしゃる通り過大(誇大?)評価もあるだろうと思うこともあります。
 「鶏鳴狗盗」の故事についても、私が「盗みが得意な家来と鳴き真似の得意な家来のおかげで、孟嘗君は危機を脱したのだよ」と授業で話をするのですが、大抵の生徒の反応は、「そんな変な特技の家来が居たってしょうがないよ」というものです。「でも、実際にその変な特技で助かったんだから、いいじゃないか」と無理矢理決着をつけようとしても、「そんなの、たまたまさ! ラッキーなだけじゃん!」となかなか納得しません。

 こうした反応は素直で、率直な感想です。そして、授業としてはこうなればしめたもので、「では、役に立つ家来とは?」、「食客てのはそもそもなぜ置いてるんだろう?」、「孟嘗君はどうして数千人も置いたんだろう?」というプロセスを経て、「個人の能力とリーダーの能力」なんぞという大げさなテーマの大雑談に進んでいくわけです。
 この秦の国への旅行に際して「鶏鳴狗盗」の食客を連れていったことは、偶然の結果かもしれませんが、「何かの虫の知らせ、予兆を感じ取る力も英雄の条件だ」とここまで来ると、生徒もあきらめます。(笑い)
 私も宮城谷昌光氏の小説を胸躍らせて読みました。まさに「歴史小説」を堪能したという感がありました。

 Y.Tさんのこの詩は、孟嘗君信仰への懐疑を投げかけた作品ですね。「言いたくても言えなかったことを表現してくれた!」と共感を得るか、「孟嘗君の悪口を言うなんて許せない!」となるか、さて、どうでしょうか。

2001. 7.31                 by junji





















 第99作は Y.T さんからの作品です。
 

作品番号 2001-99

  其二 再論孟嘗君        

三千食客雖充宸   三千の食客 宸(しん)に充つると雖も

除却馮驩能幾人   馮驩を除却(のぞ)いて 能く幾人ぞ

司馬過薛嘆暴桀   司馬 薛を過(よ)ぎり 暴桀を嘆く

閭風百載使眉顰   閭風 百載 眉をして顰ましむ

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 史記を読む限り、孟嘗君の人材は馮驩以外に是と言った士は見当たりません。
 孟嘗君の百五十年後、太史公は薛を訪れ、邑の子弟、暴桀を極め、近隣の村とのあまりの違いを訝かり、古老に理由を訊ねた所、孟嘗君の連れてきた六万余の食客には暴桀の徒が多く、以来、村の風俗が悪くなったといった事が記されています。
 「鶏鳴狗盗之雄に過ぎず」と評されても仕方のない所でしょうか。

 [語釈]
 「司馬」:司馬遷
 「 薛 」:孟嘗君の封邑地

<感想>

 前作に比べると、七言になった分だけ展開も無理が無く、主張も明確になったようです。情よりもこうした理が全面に出る詩の場合には、やはり五言では苦しいのかもしれません。
 「馮驩」は、孟嘗君が零落した時にも独り付き従った人物ですが、孟嘗君の家来としてというよりも、史記の中でもやはり傑物の一人でしょう。
 「閭風」は解説にお書きになったように、「村の風俗」という意味ですから、「百載」とつながると非難の色調が強まりますね。

2001. 7.31                 by junji





















 第100作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2001-100

  教科書問題        

不学先非学獨尊,   先非を学ばず獨尊を学べば

学童一定遇艱難。   学童定めて艱難に遇わん。

不通四海何青史?   四海に通ぜずして何の歴史ぞ?

唯願前途平碧瀾。   ただに願う、前途に碧瀾の平らかなるを。

          (上平声「十三元」・「十四寒」の押韻)

<解説>

 [語釈]
 「先非」:過去の過ち。
 「一定」:きっと。
 「青史」:歴史。

 小生は、民族の誇りのために世界に通用しない歴史が学校で教えられることを危惧しています。
 学校が教えるべきは将来に向けて役に立つことであり、国際世界に通用しない過去についての認識が何の役にたつのかはなはだ疑問。そんな思いの詩です。
 「学」「不」の同字重複は、私なりに、理屈を論じる効果を意識しています。

<感想>

 「教科書問題」といった場合には、以前は家永裁判でも争われた文部省による検定制度そのものの是非が問題点でした。
 現在の問題点はどこにあるのか、と言えば、教科書に政府の見解と異なる主張が載り、文部省もそれを検定合格としたことに対して近隣諸国から「政府主導で修正せよ」との要望が出されているところにあるわけですから、以前とは全く「問題」が違うわけです。

 教科書検定問題の歴史から見るならば、以前のような「検定審査」という権力をかさにきた強引な修正は文部省も控えるようになってきた、という印象(新聞などで判断する限りのことですが・・・・)でしたが、そうなるまでには長い年月と、粘り強く活動を継続してこられた誠実な方々の熱意が必要だったことを私は思っています。
 個人の思想的基盤に国家が介入することは許されない、このことを私たちは敗戦という体験によって学び、戦後の歴史の中で現実につかみ取ってきたこと、教科書検定制度はその象徴とも言えます。
 だからこそ、その観点を見失った時の危険性は常に意識するべきです。
 今回の一連の流れの中で、良識もあり、前回の戦争に対する歴史認識もある方でも、某教科書のあまりの記述に、つい「政府は何故こんな教科書の記述を止めさせないのか」と語られる場面を多く見ました。近隣諸国への配慮が出来る人ほど、実はそうした思いに駆られるのでしょう。
 しかし、国家が教科書へ干渉を行った瞬間に、日本の戦後の歴史は歯車を二つも三つも後戻りすることを忘れてはいけないと思います。個別な物、特殊な物に対処して大筋を見逃してしまう、善良な人ほど過ちに落ちてしまう、そんな気がします。「歴史の逆行こそ、そこが狙いだったのさ」という闇からの声が聞こえませんか。

 鮟鱇さんが仰るように、歴史教育への危惧を持っていらっしゃる方は多いと思います。私たちは、問題点を見極めながら判断する必要があるでしょう。
 同じ様な危険性を私は少年犯罪への刑法改正やら、精神病患者の犯罪抑止などの議論でも感じます。長い年月を経て積み上げてきた「青少年保護」や「患者の人権」などの考え方を、最近のいくつかの事件をきっかけに改革しようとするのは、情緒的であったり短絡的であったり、これも歯車をいくつか後戻りさせる現象に思えてしかたありません。皆さんはどう思われますか。

2001. 8. 1                 by junji





















 第101作は 三耕 さんからの作品です。
 

作品番号 2001-101

  不求        

西江自吸尽   西江 みずから吸み尽せば、

美沼還泥田   美沼 また 泥田。

四大非別処   四大 別処にあらず、

荷花発船前   荷花 船前にひらく。

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 こんにちは三耕です。
久しぶりに五絶ができましたので投稿いたします。

 [語釈]
 「西江」:長江の一部。
 「 還 」:また。
 「四大」:地水火風。
 「荷花」:蓮の花。
 「 発 」:ひらく。

<感想>

 蓮の花の美しさを賞美したのは、宋の周敦頤、『愛蓮説』が有名ですね。以前は高校漢文の教科書にも必ず載っていたものですが、最近はあまり目にしなくなったのと、載っていても授業で扱うことが少なくなりました。
 でも、蓮の性質を「愛出淤泥而不染、濯清漣而不妖、中通外直、不蔓不枝、香遠益清、亭亭浄植、可遠観而不可褻翫焉」(淤泥より出でて染まらず、清漣に濯われて妖ならず、中は通じ外は直く、蔓あらず枝あらず、香り遠くして益ます清く、亭亭として浄く植ち、遠観すべくして褻翫すべからざるを愛す)として語った文章は、簡潔高雅、すばらしいですね。
 その蓮の花の清廉さを前提にして三耕さんの詩を読みますと、結句の意味が明確になるように思います。「不求」の題名が意味するのは前半部分、実は「求」の対象は結句に表現されているのだと理解しました。
 

2001. 8. 1                 by junji





















 第102作は 舜 隱 さんからの作品です。
 

作品番号 2001-102

  高 原        

遠驅拂碧枝   遠く駆けて碧枝を払い

暫止聽黄   暫く止まりて黄を聴く

眼下茫薇蕨   眼下 薇蕨茫たり

殷人應莫飢   殷人 応に飢うること莫かるべし

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 先日、乗鞍高原へ旅行したときにできた詩です。サイクリング中の風景を詠んだものですが、「驅」とはその自転車を馬に例えてみたものです。
 高台から眺めてみると辺り一面にワラビが生い茂っていました。乗鞍高原では米ができず、かつてはワラビが重要な食料であったそうです。これなら首陽山でワラビを食べながら死んだという伯夷・叔齊も飢えることはないでしょう、というのは大袈裟でしょうか?

 前作で鈴木さんの感想に、「その友人というのは、ひょっとして以前聯句に投稿してくれた玉鱗さんかな?」とありましたが、残念ながら彼ではありません。
 そういえば玉麟はあの聯句以来投稿はしていませんね。たまには何か投稿するように言っておかなければ。因みにこの玉麟こそ、私に詩をはじめ漢文やその他様々な楽しみを教えてくれた「張本人」です。彼がいなければ間違いなく今の私はありません。

<感想>

 うーん、何というか、私はある意味、感動してこの詩を読みました。
 乗鞍高原にサイクリングに行って、詩を作る。ま、ここまでは良いですよね。で、「何作ったの?」と聞かれたら「漢詩だよ」、ワラビを見ながら「ここに来てれば伯夷・叔齊も飢え死にしなかったのに」と思う・・・・。
 あまり(めったに、まったく)居ませんよね、こんな高校生。
 古風だとか言う意味ではなくて、自分が関心を持っているものにこんなにのめり込むことが出来る、日常生活の中で一つのことにいつも心がリンクしている、そういう感受性に私は感激したんですね。
 発想が「大袈裟か?」と書かれていますが、そんなことはありません。こういう結びつかないものから連想することが創作の楽しみです。

 ただ、若いときには「一つのことを深める」ことと「色々なことに関心を拡げる」ことが、心を育てる大切な鍵です。おっと、こういうのが「老婆心」でしょうね。

2001. 8. 3                 by junji





















 第103作は 徐庶 さんからの作品です。
 

作品番号 2001-103

  赤壁        

汎汎孤舟到   汎汎として孤舟到り

周瑜喜喜迎   周瑜喜喜として迎える

北南相対座   北南相対座し

赤壁岸埋兵   赤壁の岸兵に埋まる

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 友達の影響有ってか、親の影響有ってかは解りませんが、とにかく『三国志』が好きです。
 徐庶と言うのも、その登場人物ですから。
 まぁ、見所は赤壁の戦い以外にもいっぱい有るんですが、取り敢えず有名なシーンですので漢詩にしてみました。
 ところで、孤舟に乗っている人物は、諸葛亮のつもりなんですが・・・漢詩には入ってませんね。



 [語釈]
 「汎汎」:ゆらゆらと浮かぶ様子
 「周瑜」:呉の名参謀

<感想>

 『三国志』の中でも、赤壁の戦いは、古来多くの人が漢詩に詠んできたところです。
 最も有名なのは、『三体詩』に収められた杜牧「赤壁」ですね。

   折戟沈沙鉄半銷     折戟 沙に沈んで 鉄半ば銷す
   自将磨洗認前朝     自ら磨洗を将って 前朝を認む
   東風不与周郎便     東風 周郎のために便せずんば
   銅雀春深鎖二喬     銅雀 春深くして 二喬を鎖さん

 蘇軾の「前赤壁賦」も赤壁違いではあっても、そんなことを気にもさせない素晴らしい作品です。

 こうした詠史の詩を作る時には、歴史的な出来事を多くの人が知っている分だけ、着眼点が大切になります。一般的な歴史事実を述べるだけなら、先人の作を見た方がはるかに優れています。
 自分なりの歴史の切り取り方、人物の配置、そうした工夫があってはじめて詩になります。
 徐庶さんの今回の作品は、そうした意味では新鮮さが見られません。今から戦いが始まる、という高揚感や、読者の側のワクワクする気分などが出てません。
 例えば、起句と結句は表現こそ違いますが、内容としては同じ状況を述べていて、その間にとりわけ展開があるわけではありません。こうした展開で私ならば、転句に静かな緊張感を持ってきて(多分「音」を使うと思いますが)、起句の「動」に対しての結句の「静」を強調し、戦いの始まる直前の緊迫した雰囲気を出すかもしれません。
 『三国志』のどこに面白さを感じているかを徐庶さんの言葉で語ると、随分面白くなると思います。

2001. 8. 3                 by junji





















 第104作は 謝 斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2001-104

  閑 適        

親朋無消息   親朋 消息無く

故土送残生   故土 残生送る

武水清流逝   武水 清流逝き

冑山孤嶂明   冑山 孤嶂明らかなり

應須老田里   應に須く田里に老いるべし

何必為蓴羹   何んぞ必ずしも、蓴羹(じゅんこう)の為ならず

贏得散材質   散材の質の

慙將冗子名   慙らくは、將って 冗子の名を贏(か)ち得たり

寧如束高閣   寧ろ高閣に束ねられる如きも

豈耐苦蝿営   豈に耐えんや 蝿営に苦しむを

中歳王摩詰   中歳の王摩詰

棲遅好道情   棲遅す 道を好む情

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 最近排律を作ろうと思っていますが、なかなか出来ずにいます。此の作は2カ月前に作ったものです。
 武水は武庫川、冑山は頼山陽でお馴染みの甲山です。
「贏得散材質 慙將冗子名」流水対で、贏得慙將、 散材質冗子名がそれぞれ対になっています。また「贏得」が全句にかかっており、二句で一意をなしております。

 意味は、私のような何の役にも立たない、散材質は世の中の余り物といわれてますが、かえって気楽に過ごしています。清時有味此無能ともいいます(散材質は斧を謝すことがあります 謝斧 )


<感想>

 語の意味が難しい部分もありますので、私の方で補いましょう。もし、違っていたらごめんなさい。
 「蓴羹」「蓴羹鱸膾(じゅんこうろかい)からの言葉で、「晋の張翰という人が、故郷の名産である蓴菜の羹(吸い物)と鱸(すずき)のなますを食べたくて官をやめて故郷に帰った」という故事からの言葉です。ここでは、「故郷に帰りたいという望郷の思い」という意味でしょうか。
 「冗子」は、「役に立たない、無駄な人物」、「蝿営」は「蠅のようにあくせくと小さな利益のために動き回る」ことです。
 「王摩詰」は盛唐の王維のことですが、彼の「終南別業」の詩の冒頭は「中歳頗好道/晩家南山陲(中年で仏道に心ひかれ、晩年には南山のほとりに住んだ)」とあり、謝斧さんのこの詩の末聯はここを踏まえての句です。
 王維はこの「終南別業」「勝事空自知(自然の美しい景観を人知れず楽しむ)」と詠い、自然と一体化する自己を描いていますが、謝斧さんの「閑適」の心情もまさに「棲遅(のんびりと隠棲する)」を求めるものですね。

2001. 8. 3                 by junji





















 第105作は 徐 庶 さんからの作品です。
 

作品番号 2001-105

  休日偶題      休日たまたま題す  

暁起望窓外   暁起して窓外を望めば

鳩烏哨哨鳴   鳩烏哨哨として鳴く

旦陽光孛孛   旦陽の光孛孛たれど

尚懶閉眸睛   尚懶くして眸睛を閉ず

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 休日の朝、何故か平日よりも早く起きてしまうんです。
 それで、二度寝をして9時ぐらいに起きるんですが・・・

 [語釈]
 「哨哨」:うるさい形容
 「孛孛」:光が四方にさす様子

<感想>

 まさに休日の気だるさがそのまま表れている詩ですね。つい、もう一眠りしたくなります。
 詩としては、起句と承句のつながりが不適切です。「望」という視覚による行為を承句では「鳩烏・・鳴」聴覚で受ける、という展開は、意外と言えば意外ですが、不自然の感じが先に来ます。
 転句の内容を承句に持ってきて視覚つながりにしておいて、転句で聴覚を持ってくる。そして「懶」へとつなげるようにすると、全体の構成が整うと思いますよ。

2001. 8. 3                 by junji