第196作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2001-196

  漫言  呈謝斧先生        

勿作厚顔誇野詩   作す勿れ顔を厚して 野詩を誇り

詩崇風教戦新奇   詩は風教を崇びて 新奇を戦わす

野狐外道須休説   野狐外道に 須らく説くことを休めよ

野鶩家鶏誰得知   野鶩家鶏 誰か知るを得ん

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 起句から承句にかけてのしりとりは決して技巧をほどこさんがためではありません。承句を強調したいがためです。功罪半ばする感がありますでしょうか。

 [訳]
 恥じることもなくつまらない詩を作っては、自慢するのをやめよ
 詩というものは本来風教を大切にして、決して陳腐にはならず新味ある詩を作っては詩友と競い合うものだ
 野狐禅のように、分かったような顔をして、道(斯道)に外れた事をとくのはやめなさい
 野鶩と家鶏 の違いを誰が知っているというのだ

野鶩家鶏 厭常愛新 軽家鶏愛野鶩 旧を厭て 新を喜ぶ
 翼不伏王右軍書曰 児輩厭家鶏愛野鶩 

<感想>

 今回の詩では、謝斧さんの狙い通りでしょうか、承句が決め手ですね。

 そもそも何の故に詩を作るのか、いつでも問い直さなくてはいけない問題だと思います。
 特に漢詩の場合には自由な形式で作るというわけにはいかず、その分、旧に依るところも多く、必然的に新しい表現を抑制する傾向があります。それでも陳腐にならずに、人に感動を伝えるためには、まず、自分の感情が陳腐でないところを確認しなくてはなりません。
 あるいは、感動はありきたりのものであるとしても、では、それを伝える言葉としての新しさを求めるべきなのでしょう。
 喩えるならば、前者は古い器に新しい水を入れることであり、後者は古い水を新しい器に入れることとなると思います。どちらも、創造という行為の中では必然のことの筈です。
 では、新しい水を新しい器に入れるのは・・・・      ・・・・理想ですね

2001.12.31                 by junji





















 第197作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2001-197

  帰郷日        

炎夏離家作遠遊   炎夏 家を離れて 遠遊を作し

青山万里客心悠   青山 万里 客心悠かなり

水辺風白帰郷旦   水辺 風は白し 郷に帰るの旦

残夢尚巡北海秋   残夢 尚も巡る 北海の秋

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 暑い盛りに出発した旅も終わりにはすっかり秋となっていました。
 「北海十吟」と気取って十数首作ってみましたが、是が最後の詩です。

<感想>

 北海道への自転車旅行からの最終帰着の詩ということですね。
 起承転結と展開も整って、旅の名残惜しさもよく伝わる詩だと思います。
承句の「青山万里」は、きっと中国ではありふれた情景なのでしょうが、狭い日本では今いち不釣り合いな気がすることが私は多いのですが、場所がこうして北海道となるとピッタリという感じがしてくるのが面白いですね。

2001.12.31                 by junji



謝斧さんから感想をいただいています。

 禿羊先生の詩なので遠慮なく感想を述べさせていただきます。

 繰り返し読ませていただきました。読者の心をも爽やかにさせる佳作です。
「帰郷旦」「旦」は生硬な感じがします。私なら「帰郷処」とします。は詩では、場所の意味もありますが、多くは、時期をいいます。
「残夢尚巡北海秋」は収束としては大変好く、余韻も引きます。詩自体がひきしまった感じがします。
 理屈を云えば、残夢を見るのは何時なのでしょうか。

 以上はあくまでも、私の感想です。当然乍ら違った感想をお持ちのかたもおられると思いますが・・・。

2002. 1.13                    by 謝斧






















 第198作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2001-198

  冬日詠懐        

刻篆拈詩坐小廊   篆を刻し 詩を拈じて 小廊に坐し

黙存徹昼愛衰陽   黙存して 徹昼 衰陽を愛しむ

過年常慕阮陶暇   過年 常に慕う 阮陶の暇

近者聊懐孔墨忙   近者 聊か懐しむ 孔墨の忙

老去残更怨浅睡   老い去っては 残更 浅睡を怨み

朝来暢月懼深霜   朝来 暢月 深霜を懼る

余生日日還如是   余生 日日 還た是の如からん

何厭無名朽陋坊   何ぞ厭わん 無名にして 陋坊に朽ちるを

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 [語釈]
 「阮陶」:阮籍と陶淵明
 「孔墨」:孔席墨突の故事

<大意>

 廊下に座って、篆刻をしたり詩を作ったり、話し相手もなく一日冬の弱い日差しの中でひなたぼっこ。

 昔は阮籍や陶淵明のような隠退生活に憧れていたのだが、さて近頃は孔子や墨子のように走り回っていたころがちょっとばかり懐かしい。

 年をとって、眠りが浅くなり明け方はまんじりとも出来ず、旧暦十一月ともなれば朝は寒さがこたえる。

 これからの私の余生は毎日こんなものだろうが、といって名もなく市井に朽ち果てることがさして口惜しいとも思わないこの頃である。


 鈴木先生、小生の日常、正如是です。
 もし、入力作業など実務的なことでお手伝いできることが有れば、いつでもお申しつけ下さい。
 このHPは、小生にとってもかけがえのない大事なものとなってきました。くれぐれもご自愛下さって、ますます盛大なHPとされることをお祈り申し上げます。
 では、よいお年をお迎え下さい。

<感想>

 ありがとうございます。
 私は近年病気のために、隠退生活に近い日々を送っていました。病室のベッドで動かない身体を横にしては、一日ぼんやりとして考え事ばかりをしていました。
 禿羊さんがおっしゃるように、忙しい生活を懐かしんで、もう一度その状態に自分が戻ることをひたすら目指していました。眠れない夜もありました。
 いま、かろうじて身体が動くようになり、現場に戻り、さて、この忙しさを自分が目指していたものかどうかを考えてみますと、ちょっと複雑ではありますが・・・・。

 「孔墨」の引用は、「孔席不暇暖」(孔子は席を温める暇も無いほどに道のために努力した)ということと、「墨突不暇黔」(墨子はかまどで火を使う暇も無いほどに、天下を道のために歩いた)の故事からの言葉ですね。
 どちらも重要なのは「道のために」という目標があるからこそ働けるのだと思います。いつでも夢を、ではありませんが、常に自分のための目標を持つことが大切なのでしょう。

2001.12.31                 by junji



謝斧さんからの感想です。

「黙存徹昼」「残更」「暢月」の対句、「深霜」「無名」等、措辞に少し工夫が必要かとおもいます。
 内容は好いとおもいます。先生の心情を分りやすく叙述されています。
それだけに、今一つ推敲を重ねたら如何でしょうか、再投稿を待っています。

 あるいは、的を得ない感想になっているかもしれませんが、私なりの感想を述べさせて頂きました。

2002. 1.12                   by 謝斧





















 第199作は愛知県の 大岩雪堂 さんからの作品です。
 私も参加させていただいている漢詩の会での作ですが、1年の最後にふさわしい作と思いますので、ご紹介します。

作品番号 2001-199

  除夜        

寒雰瀰漫苦憂災   寒雰 瀰漫 苦憂の災ひ

債鬼追纏臘月哀   債鬼 追纏して 臘月哀し

迎福攘殃待新旦   福を迎へ 殃を攘へ 新旦を待つ

鍾聲百八瑞怡開   鍾聲百八 瑞怡開く

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

 [語釈]
 「瀰漫」:一面に広がること
 「債鬼」:借金取り
 「追纏」:追いかけてきて、まとわりつくこと
 「攘殃」:災いを追い払うこと
 「瑞怡」:めでたく、笑うこと

<感想>

 今年は本当に色々なことがありました。特に、つらく悲しいことが多く、前途に不安を感じる人も多かったのではないでしょうか。
 来年の「瑞怡」に希望をこめて、一年をしめくくりましょう。

 みなさん、好いお年を!!!

2001.12.31                 by junji





















 第200作は 鮟鱇 さんからの古詩の作品です。
 お手紙を紹介します。

今晩は。石倉です。
謝斧さんのお勧めもあり、再度古詩に挑戦してみました。
長くなりましたので、語解 は段落ごとにそえています。

この1年、先生にはお世話になりました。ありがとうございました。
どうぞよいお年を。
 また、来年もご指導のほど、よろしくお願いいたします。


作品番号 2001-200

  祭公紀2001年        

我是曜靈飛碧空,   我は曜霊にして碧空に飛び

椿年一日照西東。   椿年を一日として西東を照らす

已忘歳數無聊處,   すでに歳数を忘れて無聊なるところ

猶放流光太虚中。   なお流光を放つ、太虚の中

    「椿年」:大椿は8000年を春,8000年を秋とする。すなわち大椿の一年は32,000年。
    「曜霊」:太陽。
    「歳數」:年齢。
    「無聊」:退屈である。
    「流光」:移りゆく光陰。
    「太虚」:宇宙の根源,また、大空。

我看日本存山水,   我は看(み)たり、日本に山水存し

迎接人間新世紀。   人間の新世紀を迎接するを。

淺酌屠蘇願和平,   屠蘇(とそ)を浅く酌んで 和平を願い

庶民歡笑安康喜。   庶民 歡笑 安康にして喜ぶ

    「人間」:人の世。
    「安康」:安らかで無事である。

我看梅花映薄氷,   我は看(み)たり、梅花 薄氷に映じ

氷鱗春醒跳声清。   氷鱗 春に醒めて跳声 清らかなるを

清芬囲遶池亭好,   清芬 囲遶して池亭に好く

好比相思寒意輕。   好比 相い思えば寒意輕し

    「氷鱗」:氷の下の魚
    「跳声」:(魚が)跳ねる音
    「清芬」:清らかなよい香り
    「囲遶」:囲む
    「好比」:仲むつまじく連れ立っている

我看雪融春意動,   我は看(み)たり、雪融け春意動き

衝天峰頂白雲涌。   天つき峰頂に白雲の涌くを

偸閑宰相喜天晴,   閑を偸(ぬす)んで宰相 天晴を喜び

高尓夫球飛緑隴。   高尓夫球(ゴルフボール)緑の隴(おか)に飛ぶ


我看潛艦泛南洋,   我は看(み)たり、潛艦の南洋にうかび

撞上漁船波浪狂。   漁船に撞上して波浪 狂うを

養志少年多溺水,   志を養う少年 多く水に溺れ

悲哉父母斷人腸!    悲しいかな 父母 人腸を斷つ

    「潛 艦」:潜っている戦艦=潜水艦
    「撞 上」:衝突する
    「斷人腸」:人(自分)の腸をちぎらんばかりに悲しむ

我看總理知飛報,   我は看(み)たり、総理の飛報を知り

指示官僚措施好。   官僚に指示す 措施の好きを

民意騒然猶不安,   民意騒然としてなお安からず

当權内閣終于倒。   権に当たる内閣 終于(つい)に倒れる

    「飛報」:急報
    「措施」:措置
    「当權内閣」:権力に当たる内閣=時の内閣

我是曜靈輝曉天,   我は曜靈にして曉天に輝き

尋幽流目賞春妍。   尋幽流目して春妍を賞す

翔禽清哢風駘蕩,   翔禽 清らかに哢(さえず)って風駘蕩(タイトウ)

花舞飛飛香雪鮮。   花は舞い飛飛として香雪鮮やかなり。

    「尋幽」:景色のよいところを尋ねる
    「流目」:眺める
    「春妍」:春の美しさ

我聞月下櫻雲艷,   我は聞けり、月下に桜雲は艶やか

花底風流人不厭。   花底の風流 人は厭きず

春夜談情説戀天,   春夜 情を談じ恋を説くの天,

儒生何敢論陶濳?    儒生 なんぞあえて陶濳を論ぜん

    「花底」:花の下
    「儒生何敢論陶濳」
                儒生は儒学を学ぶ学生。陶濳は隱逸の詩人
                儒生が恋人の前で陶濳を論じる、つまりは場違いなことを言うの意。

我看烏服上班初,   我は看(み)たり 烏服 上班の初め

排列恭恭志欲舒。   排列して恭恭と志(こころざし)舒(の)びんとす

社長講台陳故事,   社長 講台に 故事を陳べ

滔滔垂訓引軍書。   滔滔たる垂訓 軍書を引く

    「烏服」:ここでは黒い背広,スーツ
    「上班」:出社
    「排列」:整列
    「講台」:演壇
    「故事」:昔の出来事
    「軍書」:軍事のことを書いた書物

我看公司頻倒閉,   我は看(み)たり 公司 頻に倒閉し

庶民暗澹論経済。   庶民 暗澹として経済を論ず

少留老去作流人,   少(わか)きは留まり 老いたるは去って流人となり

聽雨嘆嗟天未霽。   雨を聴いて嘆嗟す 天の未だ霽せざるを

    「公司」:会社
    「倒閉」:会社がつぶれる
    「 霽 」:晴れること

我看花落緑成陰,   我は看(み)たり 花落ち緑、陰をなし

詩客山行興轉深。   詩客の山行 興うたた深し

随歩搖脣兩三句,   歩みに随い脣を揺らす二三の句

風調平仄白雲吟。   風は平仄を調う 白雲の吟


我聞學者刪青史,   我は聞けり 学者 青史を刪り

相對東亜將奄耳。   東亜にあい対してまさに耳を奄(おお)わんとするを

欲忘先非爲井蛙,   先非を忘れんと欲して井蛙(セイワ)となり

獨尊思想寰瀛詭。   独尊の思想 寰瀛に詭(たが)う

    「青史」:歴史
    「先非」:先のあやまち
    「井蛙」:井の中の蛙
    「寰瀛」:陸と海。すなわち世界

曾看蒙古破蒼波,   かつて看(み)たり 蒙古の蒼波を破り

痛撃神州作悪魔。   神州を痛撃して悪魔となるを

八百年來相傳處,   八百年来 あい伝えるところ

侵華鬼子罪科多。   侵華鬼子 罪科多し

    「侵華鬼子」:中国を侵略した日本兵は日本鬼子と呼ばれた

我聞能吏貪私欲,   我は看(み)たり 能吏の私欲を貪り

暗暗侵呑公款足。   暗暗として公款を侵呑して足るを

日本外交多内憂,   日本外交 内憂多く

聯歡游宴藏奸曲。   聨歓の游宴 奸曲を蔵(かく)す

    「暗暗」:こっそりと
    「侵呑公款」:公金横領
    「聯歡游宴」:職場を同じくする者の飲み会。あるいはコンパ
    「奸曲」:心がねじけていること

我聞美國棒球場,   我は看(み)たり 美國の棒球場に

日本一郎声望芳。   日本の一郎の声望の芳しきを

忍者撃球驚碧眼,   忍者の撃球 碧眼を驚かし

黒頭黄豹偸塁翔。   黒頭の黄豹 塁を偸んで翔(か)ける

    「美国」:米国の中国語表記
    「棒球場」:野球場の中国語表記
    「撃球」:打撃の中国語表記
    「黒頭」:髪の黒い頭
    「黄豹」:(肌の)黄色い豹
    「偸塁」:盗塁の中国語表記

我看壞人揮白刃,   我は看(み)たり 壞人の白刃を揮(ふる)い

佯狂惨殺児童俊。   狂を佯(いつわ)って児童の俊たるを惨殺するを

避強害弱肆凶行,   強きを避け弱きを害して凶行をほしいままにすれば

痛憤怒張難得鎭。   痛憤 怒張して鎭まるをえがたし

    「壞人」:悪者
    「佯狂」:狂いのふりをする

我怒何妨烹腦漿,   我怒れば なんぞ妨げん 腦漿を烹るを

入梅瞋目化驕陽。   入梅に瞋目して驕陽と化す

農民流汗虞炎旱,   農民 汗をながして炎旱を虞(おそ)れれば

盛夏吹笙送爽涼。   盛夏に笙を吹いて爽涼を送る

    「腦漿」:脳味噌
    「入梅」:梅雨入り
    「瞋目」:目をむいて怒る
    「炎旱」:ひでり

我看宰相尋神域,   我は看(み)たり 宰相の神域を尋ね

拝礼英靈眠“靖国”。   拝礼す 英靈の“靖国”に眠るに

旧鬼信心求自由,   旧鬼の信心 自由を求め

冥途崇佛沈沈黙。   冥途に崇佛して沈沈と黙る

    「旧鬼」:亡霊
    「冥途」:冥土に同じ

我看遺族訴人權,   我は看(み)たり 遺族の人権を訴え

非難黄墟專制天。   非難するは 黄墟の専制天。

不顧亡魂宗派別,   亡魂の宗派の別を顧りみずんば

誰愉極樂靖綏眠。   誰か愉しまん 極樂の靖綏の眠り

    「黄墟」
                あの世。あの世で信教の自由が許されないのであれば
                あの世では専制政治が行われていることになる

    「靖綏」:やすらか

曾看日本蒙原爆,   かつて看(み)たり 日本の原爆を蒙るを

廣島長崎焦土眺。   廣島長崎 焦土の眺めを

八月莫忘非戰盟,   八月 忘れるなかれ 非戰の盟(ちかい)

人當歸服和平教。   人まさに帰服すべし 和平の教え


我看年少坐飛機,   我は看(み)たり 年少(わか)く飛機に坐し

義勇天兵碧落馳。   義勇の天兵 碧落に馳せるを

疑是“神風”攻撃隊,   疑うはこれ神風攻撃隊,

巧穿樓閣黒煙危。   巧みに樓閣を穿ち黒煙危(たか)し

    「碧落」:おおぞら

我看梟雄聽報道,   我は看(み)たり 梟雄 報道を聴き

嬉嬉鼻哂民哀叫。   嬉嬉として鼻哂す 民の哀叫するを

星条旗下衆心同,   星条旗下 衆心同じくし

阿富汗天銀翼耀。   阿富汗の天に銀翼耀く

    「鼻哂」:鼻でせせらわらう
    「阿富汗」:アフガン

我看清秋景最奇,   我は看(み)たり 清秋に景もっとも奇にして

登樓游客擧金巵。   登樓の游客 金巵を挙げるを

東京婦女描眉艷,    東京に婦女 眉を描いて艷に

西域孩童塗土飢。   西域に孩童 土を塗って飢える


我看菊花陳五彩,   我は看(み)たり 菊花 五彩を陳べ

風人吟歩牽沈腿。   風人の吟歩 沈腿を牽くを

凡才尚古繞東籬,   凡才 古(いにしえ)を尚んで東籬を繞(めぐ)り

覓句蒼然詩興倍。   句を覓(もと)めて蒼然たれば 詩興倍す

    「覓句蒼然」:詩を作って古臭いさま

我看牛歩醉蹣跚,   我は看(み)たり 牛歩 醉って蹣跚として

聞説牛狂腦膸斑。   聞説(聞くならく) 牛狂って腦膸斑(まだら)なりと

人餓屠鷄吃猪肉,   人餓えて鷄を屠り猪肉を吃し

放牛牧野牧童閑。   牛放つ牧野に牧童閑たり


我聞秋夜流星夥,   我は聞けり 秋夜に流星夥しく

獅子天咆煽戰火。   獅子 天に咆えて戰火を煽るを

空襲徹宵摧空山,   空襲徹宵 空山を摧(くだ)き

月娥破鏡平沙堕。   月娥破鏡 平沙に堕つ。


我看紫雲環紫宸,   我は看(み)たり 紫雲 紫宸を環(めぐ)り

紅楓盛處似逢春。   紅楓 盛んなるところ處 春に逢うに似る

東宮殿裡嬌嬰笑,   東宮殿裡 嬌嬰笑み

一脈希望年底新。   一脈の希望 年底に新たなり

    「嬌嬰」:愛らしい嬰児

我是曜靈馳九思,   我は曜靈にして九思を馳せ

獨堪冬至貪酣睡。   ひとり冬至に堪えて 酣睡を貪る

梦中養氣備明年,   夢の中で気を養い明年に備え

切願人間太平治。   切願す 人間の太平の治。

    「九思」:このようでありたいと思う九つの事がら

<解説>

 鮟鱇です。
 謝斧さんのお勧めもあり、古詩に挑戦してみました。
 ただ、小生、200字程度までの詩材であれば、敢えて詩にこだわることはなく、「詞」の方が面白いと思っていますので、長く書くことにしました。
 参考にした詩の形式は、今から40年ほど前に読んだアメリカの詩人、アレン・ギンズバーグの「咆哮」です。

 しかし、結果は、単に平韻と仄韻の七絶を20数個寄せ集めたような結果になっていると思います。

 絶句28字、律詩56字に収まらない詩材の場合に、古詩を書くのか、それとも宋詞・元曲を書くのか、古詩には形式らしい形式がないのでかえって難しく、そのあたりに古詩を書く人が減っている原因があるのだろうと思っています。
 その点、宋詞・元曲は、平仄による形式がしっかりしているし、押韻もより現代的であるから、面白いし書き甲斐(小生にとっては、ではありますが)があります。

以上、拙見です。

<感想>

 鮟鱇さんからは、すでに1作、古詩を見せていただいています。迫力のある、鮟鱇さんの息吹の伝わるような詩でした。うーん、でも、このページにはちょっと載せにくいかな?
 鮟鱇さんが古詩に挑戦しての感想も併せて、桐山堂に掲載しましたので、ご覧になって下さい。

 今回の詩は前作に比べておだやかですね。やはり長い詩ですが、一つ一つの解(古詩では段落のことです。換韻格では、韻の変わり目が一つの段落になります)が、今年の様々な出来事を端的に描き、とても楽しく、かつ胸に沁みる形で読みました。

 来年の終わりには、「曜靈」に安心して眺めてもらえる状態になってほしいものですね。

2001.12.31                 by junji