青苔満地初晴後 青苔 地に満ちて 初めて晴れし後
緑樹無人晝夢餘 緑樹 人無く 昼夢の余
惟有南風舊相識 惟だ南風の旧相識のみ有りて
偸開門戸又翻書 偸かに門戸を開き 又た書を翻す
<通釈と解説>
急に暑さが甚だしくなり、身体が適応しきれず、私は毎日がアップアップの状態ですね。
愛知県では数年前から県立高校の職員室に冷房を設置しつつあるのですが、予算不足の折、毎年数十校ずつということで、順番が回ってくるまでは扇風機だけで耐えなくてはなりません。私の学校は今年も設置されず、職員は汗をひたすら流して扇風機の風を求めて働いている状況です。
こんな暑い時には、緑の木陰で昼寝と読書、そんな贅沢を夢見ても許されるのではないでしょうか。
今回は梅雨明け間近の季節、宋の劉の「新晴」を読みましょう。
[口語訳]
青々とした苔が庭に満ち、雨は上ったばかり
緑の木陰は客も無く たっぷりと昼寝をしたよ
昔なじみの南風だけがやって来て
こっそりと戸を開けては 読みかけの本をめくっている
机の上に置きっぱなしの本が風にぱらぱらとめくられていく、こうした場面は作者のゆったりとした心情を象徴した風景として、よく用いられるものですね。
『三体詩』に載せられた晩唐の薛能の「老圃堂」には、
邵平瓜地接吾廬 邵平の瓜地 吾が廬に接す
穀雨乾時偶自鋤 穀雨乾く時 偶たま自ら鋤く
昨日春風欺不在 昨日 春風 不在を欺き
就床吹落読残書 床に就いて吹き落とす 読残の書
という詩があります。
「邵平瓜地」は、秦の滅亡後に漢に出仕せず、晴耕雨読の生活を送った「邵平」が畑に瓜を作ったという故事をうけています。
大意は、
晴耕雨読の生活の中、春風が私の部屋を訪れて、読みかけの本を吹き抜けていった。
というところでしょう。ここでも、目に見えない「風」を目に見える「読残書」で表していますね。
そうそう、「読残書」と言えば、明の高啓の「偶睡」を思い出す人も多いかもしれません。
竹間門掩似僧居 竹間 門は掩されて 僧居に似たり
白荳花開片雨余 白荳 花は開く 片雨の余
一榻茶煙成偶睡 一榻の茶煙 偶睡を成し
覚来猶把読残書 覚め来たれば猶お把る 読残の書
なども、良い詩ですね。
厳しい気候の中だからこそ、楽しみが一層増すという、古人の生活の豊かさを思い知らされます。
歩歩躡飛雲 歩歩 飛雲を躡む
初疑夢裏身 初め疑ふ 夢裏の身なるかと
村鶏數聲遠 村鶏 数声遠く
山舎幾家鄰 山舎 幾家か鄰なり
不雨溪長急 雨ふらずして 渓長に急に
非春樹亦新 春ならずして 樹亦新たなり
自從開此嶺 此の嶺を開きしより
便有客行人 便ち客行の人有り
<通釈と解説>
いよいよ夏休み、あっという間に梅雨も明けてしまい、関東では雨もほとんど降っていないとか。暑さに負けそうな思いの時は、爽やかな山歩きをイメージして、心の中に涼しい風を運んでみましょう。
大暑の今日は、宋の翁巻(おうけん)の『處州 蒼嶺』を読みましょう。題名からして気持ちよい風が感じられますよね。
[口語訳]
一歩一歩 まるで雲を踏んでいるようだ
初めは夢の中のことかと思ったほどだった。
村里の鶏は遠く幾声
山腹の家は並んで幾軒
雨は降ってないのに谷川の流れはいつも速く
春でもないのに樹木は青々としている
この嶺に道が開かれて以来
いつも旅人がいることだ。
雲上世界を歩くのは、夏の山歩きの醍醐味ですね。
翁巻は南宋の詩人です。今年の夏至の時に推薦しました「約客」の作者趙師秀と同じく、「永嘉の四霊」と言われる詩人です。
翁巻は、実はやはり「推薦漢詩」では今年の小満での王維の「新晴野望」の解説で登場してくれています。
宋の国が滅んでいく激動の中で、日常生活の普段の生活を描こうとした詩人たち(「永嘉の四霊」)の心情は理解できるような気がします。そんな姿勢がうかがわれる詩ですね。
嬾搖白羽扇 白羽扇を揺(うご)かすに嬾(ものう)し
裸袒青林中 裸袒す 青林の中
脱巾挂石壁 巾を脱ぎて 石壁に挂け
露頂灑松風 頂を露わして 松風に灑(あら)わしむ
<通釈と解説>
立秋の声が空しく聞こえるような、異様な暑さ、高い気温に日本全国悩まされ続けていますね。水も不足しそうで、このまま行くと、やがては海産物、農産物にも大きな影響が出るようで、心配です。
こんな中で秋風を感じ取るのが詩人でしょうが、残念ながら私は無理のようです。そこで、今回もやはり、「暑いぞー!」という気持ちで詩を選んでみました。
[口語訳]
白鳥の羽の扇子を動かすのも面倒くさい。
肌もあらわにして緑の風の林の中。
頭巾もとって石の壁にひっかけりゃ、
頭のてっぺん 松風が吹き抜けていくわい。
青々とした林の中で誰もいないのを幸いに、服を脱ぎ捨て仕事も忘れ、風の爽やかさだけを追い求めるような、そんな李白の姿が浮かびますね。
私は今日からしばらく、信州の温泉に湯治に出かけます。涼しい山中を期待しているのですが、新聞で各地の気温を見ていると、どうもそれほど差はないような感じで、ちょっと不安・・・・。
ということで、ホームページの更新も少し遅れますので、ご了解を。
夜熱依然午熱同 夜熱依然として午熱に同じ
開門小立月明中 門を開きて小(しばら)く立つ 月明の中
竹深樹密虫鳴処 竹深く 樹密にして 虫鳴く処
時有微涼不是風 時に微涼有り 是れ風ならず
<通釈と解説>
台風11号がゆったりと日本列島をいじめて、やがて台風一過、青々とした空を眺めていたら、いつの間にか秋の気配が町の中に漂っていることを知りました。
日中の陽射しは随分まぶしく、紫外線をしっかりとそそいでいますが、何気ないちょっとしたことに涼しさを感じる。それを誰よりも早く知るのが詩人でしょうが、凡夫の私は人に遅れて知るわけですが、そうそう、そう言えばということで、南宋の楊万里の「夏夜追涼」を思い出しました。
[口語訳]
夜の暑さと言ったら まだまだ昼と同じで
門を出てしばらく佇む 月明かりの中
竹はうっそう 樹は濃く茂り 虫が鳴いた。
その時ふっと涼しくなった 風も無いのに・・・・
南宋三大詩人と言われるのは、陸游、范成大、そして今回の楊万里ですが、その陸游についでの多作詩人である楊万里は、日常の風景をさりげない言葉で表現しました。「四時田園雑興」で知られる范成大と共通するところも多いように思います。
今回の詩は、起句で「夜熱」を出し、承句では「月明中」、転句で「深い竹、密な樹、虫の声」と徐々に秋の気配を重ねてきます。
ここまで来れば、誰もが想像するのは「秋を知らせる風の音」という定番でしょうが、それをあっさりと結句で「不是風」と否定し、「微涼」という微かな気配を全面に出す。
心憎いような言葉の配置で、職人の技のような完成度の高さを味わえる詩ですね。
秋風起兮白雲飛 秋風起こって 白雲飛び、
草木黄落兮雁南帰 草木黄落して 雁南に帰る。
蘭有秀兮菊有芳 蘭に秀(はな)有り 菊に芳(かほり)有り、
懐佳人兮不能忘 佳人を懐うて 忘るる能はず。
汎楼船兮済汾河 楼船を汎(うか)べて 汾河を済(わた)り、
横中流兮揚素波 中流に横たわり 素波を揚げ、
簫鼓鳴兮発棹歌 簫鼓鳴って 棹歌を発す。
歓楽極兮哀情多 歓楽極まりて 哀情多し、
少壮幾時兮奈老何 少壮幾時ぞ 老を奈何(いかん)せん。
<通釈と解説>
異常なほどの暑さも九月の声を聞いてようやく一段落、例年ですと新学期のこの時期はうだるような夏の居残り暑さにやつれてしまうのですが、今年はかなり涼しく、ここでも「異常」か、という感じですね。でも、こちらの方の「異常」は私は歓迎ですが。
さて、気がついたらもう季節は「白露」、というよりもすっかり忘れていて、職場の先生から「そろそろ今月の漢詩も書き換えの頃だね」と言われてあわてて更新です。
秋も半ばに向かうこの時期の漢詩ですが、今回は漢の黄金時代を築いた武帝の「秋風辞」を読みましょう。
[口語訳]
秋風が吹き起ち、白い雲は飛び、
草木の葉は黄ばみ落ち、雁は南に渡って行く。
蘭には花が咲き、菊は香りを発している。
このような良い家来(佳人)を得たいという思いは胸を離れることがない。
屋形船を仕立てて汾河を渡り、
流れに横たわっては白波をかきたてる。
簫や太鼓は鳴り、舟歌は響き始める。
この喜びが極まった時、ふともの悲しい気持ちになる。
若く元気な時はどのくらいあろうか、年老いることをどうしたら良かろうか・・・・と。
漢の第七代の天子である武帝は、「秦皇漢武」と言われるように、秦の始皇帝と比較される程の、強大な国家を築きあげた人物です。また、班固の『西漢書』では、武帝のことを「雄材大略」と評されています。
匈奴を駆逐し、シルクロードを開き、広大な領土を下に、強力な中央集権の制度を完成させた専制君主ですが、儒教を国学と定め、また、楽府を創設して文学芸術の興隆に尽くした帝王でもあります。
武帝の下には綺羅星の如く英雄や才人が集まり、まさに帝国の全盛時代とも言える時代であったようです。司馬遷・司馬相如を始め、東方朔・董仲舒・蘇武・霍去病・衛青・李陵など、皆武帝の下での人物でした。
その武帝をして「老い」に対しては弱気にならざるを得なかったというところに、何とも人間のはかなさを感じますね。秋という季節がそうさせるのかもしれません。
そう考えると、大権力を握ったにもかかわらず「老死」に怯えた武帝と、敢然と宮刑を受け入れて『史記』を著した司馬遷の対比は面白いものです。伊佐千尋氏は『邯鄲の夢』(文藝春秋社・平10年)の中で、こう書いています。
腐刑は人の性格まで変えてしまうほど、むごい苦痛を与えるという。その死の苦しみに常人ならば耐え得ず挫折してしまうところだが、屈辱感と怒りを使命の達成に転化させた司馬遷の精神力は偉大といわなければならない。歴史の奥にひそむ真実を透視する眼はそうして磨かれ、李陵の禍によって「漢の太史令」は死に、「天の太史令」に生まれ変わったといわれている。
厳しい見方かもしれません。私は武帝のこの詩などは、人間の弱さがやはり出たのだと思い、何となくうれしくなりますね。
修史の志を貫いて、『史記』を後世に残した意義は計り知れない。その燦然たる功績に比べれば、雄材大略の武帝の偉業も影をひそめ、太陽のまえの星ほどにも感じられない。
憶君屬秋夜 君を憶ふは 秋夜に属し
散歩詠涼天 散歩して 涼天に詠ず
山空松子落 山空しうして 松子落つ
幽人應未眠 幽人 応に未だ眠らざるべし
<通釈と解説>
数日の違いで、朝晩はめっきり肌寒くなり、掛け布団が厚いものでないといけないような気候になりました。秋もいよいよ本番ですね。
秋分の連休に、飛鳥に行って来ました。石舞台周辺から飛鳥寺あたりまでをゆっくりと眺めましたが、丁度彼岸花が咲き誇り、遠くまで広がる田の稲穂の黄金色と花の紅が溶け合い、懐かしさでほっとするような風景でした。古代の人々の雄大な心を感じ取れるような、そんな一日でした。
さて、秋分の今日のお薦めは、中唐の韋応物の「秋夜寄丘二十二員外」を読みましょう。隠棲の友人への想いのこもった詩です。
[口語訳]
君を想うのは この静かな秋の夜のこと
庭を歩き回っては 涼しい空に詩を吟じているよ
君は人気のない山の中 松かさの落ちる音を聞いているか
ひっそりと暮らす君は きっとまだ眠っていないだろうね
題の「丘二十二員外」は、作者の友人である丘丹、彼は早くに官職を辞して、臨平山に隠棲したそうです。韋応物は遠く友人を思いのですが、結句の「応未眠」と推測したのには、「君はきっと(僕と同じように)起きているはずだ」という強い信頼があり、ほのぼのとしたものを感じます。
転句の「山空松子落」は、王維の「鹿柴」の詩の前半、「空山不見人 但聞人語響」と同じ手法で、微かな音を配することで静かさを強調する効果が出ています。
この韋応物の送った詩に対して丘丹が唱和した詩が次のものだそうです。
韋使君の秋夜寄せらるるに和す
露滴りて 梧葉鳴り
秋風 桂花発く
中に仙を学ぶ侶(ともがら)有り
簫を吹いて 山月を弄す
『唐詩紀事』に載っているそうですが原本に当たっていませんので読み下しだけです。
東京堂出版の「唐詩鑑賞辞典」から引用させていただきました。