ホームページ主宰者のページです。



  [中国旅行の記録](中国旅行の写真と記録です)

    * 「長江旅行の写真」 [02. 8.3〜 8.9]
    * 「西安旅行の記録」 [04.11.24〜11.28]




  [主宰からの挨拶](開設以来の「挨拶文」を掲載しました)

職場での私です
  「挨拶の目次」  
  サイト移転について   [06. 6. 6]
  04年末の挨拶   [04.12.25]
  漢詩ブーム   [02.12. 2]
  3万人の方々への挨拶   [00.12. 7]
  又、入院しましたの挨拶   [00. 7. 7]
  アクセス2万人突破の挨拶   [00. 5.31]
  金木犀のこと   [99.10.28]
  詩と現代について   [99. 9.23]
  一万人の読者の方へのお礼   [99. 8. 5]
  一周年の挨拶   [99. 5.30]
  家での生活   [99. 5. 6]
  退院しました   [99. 4.22]
  4月、病室からの挨拶(その2)   [99. 4.10]
  3月、病室からの挨拶   [99. 3.13]
  2月になりましての挨拶   [99. 2. 1]
  新年あけましての挨拶   [99. 1. 1]
  やっとかめの挨拶   [98.12. 2]
  久しぶりの挨拶   [98. 9.15]
  更に改めて、ご挨拶   [98. 6.11]
  改めて、ご挨拶   [98. 5. 3]
  初めましての挨拶   [98. 4.15]


 ちょっと古い写真ですが、私です。
  1999.11.19(半田東高校にて)














 
  [2006. 6. 6]

 サイト移転について

 この「漢詩を創ろう」のサイトは、開設以来、私の地元のNPO法人「知多ネット」にご協力をいただいて来ました。まだ、インターネット環境が整わず、ダイヤルアップ接続がほとんどの頃でした。私自身も不慣れな段階でしたので、色々と相談に乗っていただきました。
 しかしながら、この度、NPO法人開設当初の目的は達成したということで閉じられることになりました。
 慣れ親しんだ「chitanet.or.jp」というドメインが使えなくなるのは寂しい限りですが、個人として運営していらっしゃったものですので、ご苦労も多かったことを思い、感謝の気持ちで一杯です。ありがとうございました。

 「漢詩を創ろう」のサイトにつきましては、しばらくはファイルなどはそのまま残していただけることにはなりましたが、やがては移らなくてはいけません。そのため、次のアドレスに移行しますので、ご愛読の皆さんもURLを変更してください。

 「漢詩を創ろう」のトップページは、「http://tosando.ptu.jp/index.html
 投稿などのメールアドレスは、「junji@tosando.ptu.jp」となります。

 「お気に入り」や「アドレス帳」などへの変更でご迷惑を掛けますが、新しい場所で更に内容を充実させて行きたいと思っています。
 今後ともよろしくお願いします。



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  [2004.12.25]

 04年末の挨拶

 今日は
 漢詩ホームページ主宰の鈴木淳次です。今年1年、サイトの運営にご協力ありがとうございました。
 おかげさまで、本年度の投稿数は昨年を上回る数をいただき、アクセス数も12月には19万人を突破しました。また、平成四年3月より発足しました韓国・台湾・日本の三国での「世界漢詩同好會」も五回を無事に終え、毎回投稿数も安定し、軌道に乗ってきたように思っています。
 メールにてのお礼では申し訳ありませんが、皆さんの漢詩への思いの深さを身にしみて感じ、本当に感謝しています。

 私自身の反省は、投稿詩の掲載が遅れてばかりだったことや、「主宰からの挨拶」をちっとも更新しないこととか、反省は多々有りすぎるほどです。来年は(と、鬼に笑われるのを覚悟の上で)少しでも早く掲載に向かいたいと思っていますので、今年「投稿してもなかなか載らない」とやきもきされた方々、どうかご容赦をお願いします。
 また、昨年度から進めていました初心者向けの漢詩創作の手引き書出版につきましても、編集者の方の忍耐力と温かい励ましで、少しずつですが進んでいますので、来年こそは皆さんにご報告できることと思っています。

 冬を忘れるような陽気の続いた12月でしたが、年末になりまして、ようやく風の冷たさを感じるようになってきました。みなさんが、風邪をひかれないように、健康で新年を迎えますようにとお祈りして、この一年の感謝の挨拶とさせて頂きます。
 本当に、ありがとうございました。

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  [2002.12. 2]

 漢詩ブーム

 またまた、何年ぶりの挨拶でしょうか。ご無沙汰をしていました。
 「挨拶」を書き換えろ!という声をいくつも聞きながら、ついつい自分のことになると後回しにしてしまっていて、随分期間が空いてしまいました。

 昨日の読売新聞に「漢詩ブーム到来」という特集が出ました。石川忠久先生への取材を元にした内容でしたが、その中で私のページのURLを紹介していただきました。
 全国新聞の影響は大きいのでしょうね、昨日はアクセスも一気に増え、新しい方からのメールも何通もいただきました。最近投稿作品の更新も遅れがちな私としては、全く恥ずかしい限りで、これは頑張らなくてはいけない!と反省した次第です。
 新聞記事のコピーを助手(?)である娘に見せたところ、まず一言、「2年ぐらい放ったらかしの『挨拶』を書き換えなさい」とのこと、一番痛いところを突かれましたので、今日は暇を見つけて書くことにしました。

 「漢詩ブーム」という言葉は、石川先生の講演を1年ほど前に拝聴した折に、先生が言っておられたのを覚えています。しかしながら、私はその時には実感としてはあまり無く、もし来るとしても遠い先のことだろうと思っていました。
 けれど、それから二年、ブームとはまだ言い難いにしても、着実に広がりは進んでいるのだろうとは感じています。
 このホームページで見ると、投稿作品の数も、投稿者の数も随分増えました。年齢層も、中学生、高校生から七十代の方まで、幅も広がっています。漢詩を作る人が多くなり、お互いに作品を鑑賞し合えて、より良いものを作り上げるために切磋琢磨する環境が作られるように、この流れを大切にしていきたいと思います。



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  [2000.12. 7]

 3万人の方々への挨拶

 今日は
 何とも久しぶりの挨拶で、ずーっとサボっていましたね。卒業生のMさん、特にごめんなさい。「この『作者からのあいさつ』も楽しみにしてるんだヨー」とお手紙を貰ったにもかかわらず、ちっとも書き換えることなく、裏切りの日々だったようです。
 ま、言い訳は山ほどあるのですが、どれもさして効果があるとは思えませんし、(特にMさんには・・・・)素直に反省して、お詫びします。

 実はこの文章は、長野県阿智村の山の中で書いています。夏以来の身体の不調を癒すために、温泉療法に来ている次第です。以前からの知り合いが民宿をしているので、好意に甘えて暫く滞在させてもらっているのです。
 阿智村は長野県の南西部、愛知県と岐阜県に接する辺り、中央高速道路での恵那山トンネルの真上に当たります。山に囲まれた静かな村です。
 ノートパソコンは持ち込んでいましたので、ホームページの更新やメールチェックなどは出来るだろうと思っていたのですが、どうも接続がうまくいかず、ホームページを見ることだけはできるのですが、FTPやらメーラーが設定がおかしいようで、何故かメールが一通だけ(!)送れたきり、以後は全くつながらなくなってしまいました。
 どうしよう?と思っているうちに、アクセス数は3万人をめでたく超えて、うれしいやら困ったやら。「ま、帰るまで仕方ないか!」とようやくあきらめて、この挨拶だけは書いています。

 アクセス数が1万人までに1年余、2万人までが9ヶ月、そして3万人までが6ヶ月というスピードで、ありがたいことと思うと共に、申し訳ない気持ちも沢山あります。
 このホームページに対しては、「今日は更新されて新しい詩が掲載されているかな?」とか、「私が投稿した詩はもう掲載されたかな?」と思って訪問して下さる方が多いのではないかと思います。しかし、その期待の裏切られることの何と多いことでしょう。
 自分でも反省して、一応トップページに「次回更新予定は○月○日です」と掲示をするようにはしたんですが、何も罪滅ぼしにはなりませんね。

 投稿詩を掲載する場合には、私の感想を書き入れますので、浅学かつ詩心の不足している私ですので、どうしても受け取ってから掲載まで時間がかかります。(HTMLというホームページ用言語への書き換えなどは、実はほとんど手間はかかりません)
 ・・この際、感想は無しで詩だけを掲載してしまおう
という悪魔のささやきも何度かありましたが、健気に意地を張ってきて自分の方から言えば良かったとは思っています。(くどいですが、読者の方には申し訳ありません。これは 「今後も掲載や更新は遅れるよ」 という宣言です・・・・)

 さて、いよいよ年末、20世紀の終わりと捉えるか、新しい世紀の始まりと見るか、何はともあれ希望だけは持っていきたいですね。


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  [2000. 7. 7]

 又、入院しましたの挨拶

 突然で申し訳ありません。心配をかけた方々にお詫びをします。
 実は、再び入院をしてしまいました。昨年の3月から2ヶ月程、手足のしびれがひどくて大学病院に入っていました。完治までは行かないにしろ何とか仕事にも戻れるくらいまでは治っていましたから、「よしよし、これで復活かな?」とほくそ笑んでいましたが、同じ症状が強くなってきてしまい、再治療となりました。
 あまり長くコンピュータを触ってもいられませんので、ただでさえ遅れ気味の投稿詩の掲載がますます遅くなりそうです。ご容赦を下さい。
 前回の入院の時は、私が病院で打ち込んだファイルを娘がアップロードしてくれたので、ホームページの更新が短期間でできましたが、今回は彼女は大学進学で下宿してしまい、助手がいなくなってます。
 頼りは私の外泊許可と、妻に更新のやり方を覚えてもらう、という遙かに遠い手段を待つしかなく、はてさてどうしよう?てなところです。
 でも、何とか掲載だけは早めに、と思っていますので、特集関係が遅れることをご承知下さい。
 どうも、どうも、です。



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  [2000. 5.31]

 「アクセス20000人突破」の挨拶

 「主宰者からの挨拶」を、久しぶりに書きます。いやぁ、本当にご無沙汰でした。
 「早く書けー!」と何人もの方から催促をいただいたりもしていたのですが(有り難いことです)、面倒くさいことはすぐに後回しにする習性(うーん、ちょっと違うかな?)、自分のことは後回しにして(うん、こちらの方が正しい)、気が付いたらもう半年以上も書いてなかったのですね。

 おかげさまで、このホームページも開設以来、丸2年を経て、アクセスカウンターが2万人を超えました。1万人を超えたのが昨年の8月でしたから、ほぼ10ヶ月で1万人の方に見ていただけたことになります。
 毎日見て下さる方も沢山いらっしゃるわけで、主宰である私もビックリです。
 『 漢詩がひそかなブームである 』と言っているのは漢詩漢文関係者だけで、仮にそうだとしてもまさしく「 ひそかな 」もの、ブームなんてとても言えない状況だと思っています。
 漢詩を愛好する人が年々高齢化しつつあるのは間違いのない事実だし、ましてや漢詩を創作する人なんて、「一体どこに居るの?」という感じです。このホームページの投稿欄によって、「おっ、漢詩を作っている人はこんなに居るんだなぁ!」と初めて確認できた、という方も多いと思います。(かく言う私自身もそうなのです)

 ホームページ宛てにいただいたメールにも、

「こんなにも漢詩に興味を持っていらっしゃる方が多くて、感動しました」
「所属の漢詩の会がだんだん寂しくなり、後のことを考えると不安でした。
         このページを見て安心しました」
「漢詩は孤独な趣味だと思っていましたが、
         仲間が広がり喜んでいます」
 など、励ましも含めて多くの方から同様の言葉をいただきました。ホームページ主宰者としては、有り難く、うれしい限りです。
 しかしながら、逆に見れば、それだけ多くの方が、(大げさに言えば)漢詩の将来に対して、不安を抱き、危機感を持っているということですね。

 では、インターネットがこうした危機的状況を打開する武器となる・・・・、うーん、そうした可能性はあるかもしれませんが、ビジネスの面でもそうですが、あまりに劇的な効果を期待するべきではないと思います。コンピュータもインターネットも、決して魔法の道具ではないのですから。漢詩の再生・復興なんてあたりにまで期待を込めては、道具の方が負けてしまいます。
 大切なのは地道な活動、地に足をつけた日常の中から、強靱な足腰がやはり育つのでしょう。インターネットが役割を果たすとすれば、

「そうした個人の活動を今までに無いネットワークで結ぶこと」
 もう一つは、
「自分の住む地域の制約から解放されること」です。

 そもそも私がこのホームページを開設した当初のきっかけは、以前に私自身が漢詩を創ろうとした時に、あまりに情報の少ないことに驚いた経験があったからです。
 教えてもらいたくても、誰に聞けばよいのか、何処に行けばよいのか、どんな本を買えばよいのか、何も分からないばかりでした。
 そんな私と同じような思いの人が、今でも他にいるかもしれない。(ひがみではありませんが)都会ならば案外簡単に解決することでも、地域によってはとてつもない困難を伴うことは多くあります。インターネットはそういう意味では、有効な面を持っています。

 この2年間の間に、漢詩関係のホームページが随分増えました。このホームページへの漢詩投稿の常連の方々から、「開設しました」と連絡いただくと、本当にうれしく思います。還暦を越えられた方も多いのですが、新しいメディアの技術をマスターしていかれる姿勢には、頭が下がります。
 皆さんのページをひとつずつリンクしていくのは、私には感動的な時間です。

 肩を張らずに、欲を張らずに、胸を張って「今出来ることを確実に」達成して行きたいと思っています。
 これからも、よろしくお願いします。

 お詫びとしては、掲載が遅れることが最近多くて、本当に申し訳なく思っています。体調のせいばかりにはしたくありませんが、まだまだ本調子ではないようで、思うようにはいきません。でも、投稿いただく詩を読むことが何よりも楽しいことですので、有り難うございます。

 改めて、
投稿下さった方々に、お礼を申し上げます。




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  [1999.10.28]

 金木犀のこと

 秋の深まりとともに、街の中に漂う金木犀の香り、春の沈丁花と並んで、涼やかで清らかな香りは、思わず胸一杯に深呼吸をしたくなるほどの魅惑的なもの。
 以前、学校の「学年だより」という印刷物のために、私は次のような小文を書きました。

 この秋、わが家の玄関先の金木犀が初めて花をつけた。
 苗木を買って植えてからもう6、7年になるか。陽当たりも悪く風にもまれる場所なので生育が遅く、毎年、町中のあちこちに金木犀の香りが満ちる頃になると、わが家だけが取り残されたようで寂しく思っていた。
 濃緑の葉陰に小さな金色の花を見つけた時、まだほんの二つか三つ開いたに過ぎなかったが、僕は花弁に鼻を近づけ、あるかなきかの微かな香りを胸一杯に吸い込んだ。
 中学生の頃、学校帰りに毎日通った図書館のすぐ近くの家に大きな金木犀の木があった。クラブで疲れた身体にその花の香りは清冽だった。花の咲く時期は限られているだろうに、僕の記憶の中では1年中、図書館に入る時にはいつも金木犀が香っている。
 そんな思い出もあって玄関の脇にわざわざ植えたのだが、条件の悪さに耐えて花をつけてくれた健気さがとてもうれしかった。
 それからしばらく、僕は毎日が幸せだった。
 そして、そんな些細なことでも人は幸せになれるのだ。
 僕たちの日常はともすれば単調な毎日の繰り返しに過ぎないし、それほど劇的な出来事が転がっているわけでもない。だが、そんな中でも僕たちは幸せを見つけ、充実を作り出す。その積み重ねが、やがてより大きな幸せや充実を導いたり、それらに出会う機会を作る。
 日常性の壁の中にこそ日常性を打破する扉が在るのだろう。
 やや大袈裟な結末ですが、金木犀の香りにはそんな風に、心を遠くに連れていってくれる働きがありそうじゃないですか。
 金木犀は空気の美しい所でないと花がつかない、と先週の朝日新聞には書いてありました。また、移植した後数年はやはり花がつかないとのこと、なかなかデリケートな木ですが、香りは気合い十分、他の香りには滅多なことでは負けませんね。
 ただ、最近はポピュラーになり過ぎて、金木犀の香り=トイレの芳香剤の香り、という連想をしてしまいそうなのが、何とも不安ですけれど・・・・。

 


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  [1999. 9.23]

 詩と現代

 あらたまった題になってしまいましたが、大げさなものではありません。
 先日、初めての方ですが、「漢詩のホームページ」を見て、メールを下さいました。内容は次のようでした。



  たぶん 漢詩と思いますが
  「人生至る所に青山有り」と言う詩を聞いたことが有ります。
  漢詩でしょうか
  どの様に書くのでしょうか?
  教えて頂ければ幸いです
    ヨロシク!



 こうした依頼はよくありますので、私も要点をまとめて返事をしました。



 ご質問の件ですが、この一句は日本人の作った漢詩の中の言葉です。
「人生・・・・」と誤って唱われることも多いですが、正しくは「人間」(ジンカンと読み、人の世のことを言います)。
 作者は幕末の釈月性という真宗の僧ですが、尊皇攘夷を唱え、勤王の志士たちとも交流が深かったそうです。
詩は、七言絶句、次の通りです。

  男児立志出郷関  男児 志を立てて郷関を出づれば
  学若無成死不還  学若(も)し成る無くんば死すとも還らず
  埋骨豈惟墳墓地  骨を埋むる 豈(あに)(ただ)墳墓の地のみならんや
  人間到処有青山  人間到る処 青山有り


 月性が若い頃、大阪に勉学に赴こうとした折に、故郷を出る時に壁に書いたと言われています。

 大意は、
   男が志を立てて故郷を出るならば、
   学問が成就しないうちは死んでも還らないぞ。
   骨を埋めるのは故郷の墓地だけではない。
   この人の世、どこにでも墓となる場所はある
 という強い決意を述べたものです。

 「青山」という言葉が難しいのですが、これは「墓地」の意味です。墓地には昔常緑樹を植えたことから来ているのですが、現代の解釈では「青々とした木が茂るような、活躍できる場所」という意味で使われることが多いようです。

 心ならずも旅立つ人に向かって、「人間到る処青山有り、だよ」と励ましたりもしますね。これも、「どこにでも自分の力を発揮する働き場所はある」という意味です。
「人生山あり谷あり」の意味で時々使っている人が居ますが、それは間違いですね。

 私の分かるところは以上です。
どんな事情でこの詩の一節に興味を持たれたのでしょうか。
また、お教え下さい。



 数日して、お返事を頂きました。



 ありがとうございました。
 私の間違い、そして、この詩の意味も充分分かりました。
 なぜこの漢詩に興味をいだいたかということですが、
私は現在59才で、過日リストラの対象となり、
7月末日で会社を退職しました。
在職中お世話になった方達への挨拶状に書きたくて、
先日お訊ねした次第です。

 まだ59才です。
 まだまだ夢も希望も有ります。
そして、まだやらなければならない事も色々有り、
また、チャンスも有ると言う意味で書きたかったので、
ほんとの詩と意味が知りたかったのです。
ありがとうございました。




 漢字七文字を媒介に、古典である漢詩と現代の世相とが絡み合う、こんなドラマがあるからこそ、私たちは漢詩からも離れることができないのですよね。

 私たちは誰でも自分の力をもっともっと生かして行きたい希望を持っています。その自分の力は社会にとって有用な場合もあれば、単に自分にとってのみ有用な場合もあるでしょう。
 「夢も希望も有る」のだから、その夢や希望のためにわがままに頑張ってみたい。自分の為だけでもいいと思います。
 「社会に役立つことで自分の存在理由を確認する」、私はそんな発想は好きではありません。逆に言えば、「社会への役割が無くなれば、存在の理由がない」となります。これって、極めて危険な、ファシズムにつながる発想じゃないですか。

 自分は生きている、それだけで既に存在の確認は十分できる筈です。結果的に社会に役立つのなら、それも良し。役立たなくても構わない。「社会への貢献度」は二義的な目標とし、自分の「夢」や「希望」の実現を第一に、頑張っていきたいですね。






















 
  [1999. 8. 5]

1万人の読者の方へのお礼

 このホームページにアクセスして下さった方が、1万人を越えました。もう何度目か、という方も、今日が初めてという方も、本当にありがとうございます。1万人だからといって何が変わるというものでもありませんが、やはり数の節目はうれしいものです。
 ちょうど1万人目となった幸運な方はどなたでしょう。特に記念品は用意していませんが、ご連絡下されば、作者からのお礼のメールくらいは届くと思いますよ。
 ホームページも体裁を一新して、「もっとカラフルにしたい」とか「アニメーションを入れてみたい」とか「漢詩音読のサウンドを入れてみたい」とか、色々と希望はたくさんあったのですが、能力と根気の問題からあきらめました。でも、見えない所で少しだけバージョンを上げました。
 漢字検索のデータベースに登録した漢字を増やしました。常用漢字表外を300字程ですが、平声韻に使うことが多い字を選びましたので、実作には役立つと思います。
 あと、あまり目立ちませんが、韻目表示で「*」が無くなりました。今までは、第2水準にも登録されていない韻目字は表示できませんでしたが、画像を使って入れました。なかなかこのプログラム修正も、簡単なようで面倒な作業でした。

 私は、今年の夏は、とにかく体調を整えることに全力を注いでいます。春以来、仕事の面でも、このホームページでも、多くの方に心配を掛けましたので、秋には少しでも体調を戻したいものと思っています。  時間があればプールに出かけて「歩いて」みたり、家から10分程の市立図書館まで行ったりして、身体を動かすようにしています。麻痺していた手足も少しずつ力が戻ってきているようで、プールでは勿論ですが、杖に頼り切らなくても歩けるようになってきています。
 あまり動きすぎると、「無理しすぎだ」と叱られそうですが、疲れたりして限界が来れば動けなくなるだけなので、動ける内に動いておこうと、そんな風に考えています。

 内容を一層充実して、せっかく見て下さった方ががっかりしないように、これからも頑張りますので、みなさん、よろしく。  


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  [1999. 5.30]

 今日は、このホームページが投稿詩を初めて掲載した記念日です。
 第1作の風塵翁さんを始め、詩の投稿やお手紙で激励下さった多くの方々、本当にありがとうございました。掲載詩は今日の段階で既に百首を越えました。また、投稿やメールなどでの直接の私との交流はないかもしれませんが、八千人を越えるアクセス数、その一人一人の漢詩好きの方々に、こんな場所からですが、

  ありがとうございましたー!

 さて、今回は、最近いただいた、とても嬉しかった手紙を紹介します。

 「2月になりましての挨拶」でも紹介しました獣医志願の卒業生から、退院後、こんなメールが届きました。(途中省いた所はありますが、文はそのまま転載です)

 お元気ですか?
 退院されたとホームページで見て、とても嬉しかったです。
 まずはおめでとうございます。

 私の漢詩について、少し作り始めていますけれど、時間がかかります。
「こんな気持ちを漢詩にしてみよう」なんて考えて、手帳にちょっとずつメモはしています。でも、私の考えることなんて俗語の日本語ばかりですから、漢字にするのも難しいし、ましてや漢詩にするなんて難しいですね。「どえらいむかつく。」とか・・・・。

 漢和辞典の意外なおもしろさに気づき、関係のないところを読んでいたりします。「漢和辞典ってこんなにいろんなことが書いてあったのかあ」と、感心しています。

 1つ良いことが。
 漢詩を書こうと決めてから、自分の感情とか考えたこととかを振り返る時間が長くなった気がします。
 それから、いつもはどうでも良かったことが妙に感動的だったり。

 では、またメール書きます。
 お体をお大事に。

 このまま、今度授業に持っていって(5月20日から、ひとまず職場に戻ることができました!!)生徒に見せたいような、国語とか文学とかの結構大切な部分をあっさりとまとめてくれていますね。
 彼女は、高校生の頃は心身共にパワーに満ちた、文学的とは言いにくい生徒でした(ゴメンナサイ)けれど、核心を見抜く目は持っていたのですね。漢和辞典のこともそうですが、後半などは、本当に自己を表現することの最も基本的な意義を語っていて、僕にとっては感動的な手紙でした。

 もう一通は、ペンネーム「瓦礫」さんから、激励のお手紙です。

 瓦礫と申します。
 詩作講座あり、投稿欄あり、韻字表あり、いたれりつくせり。あとは詩語表でもあれば完璧ですね。
 でも漢詩の将来にとっては発表の場こそ死活問題です。現在、日本の定期刊行物で漢詩の投稿欄を常備しているのは大本山永平寺の月刊誌「傘松」誌が唯一であるとか。先生のこのホーム・ページこそ日本の(ひいては世界の)漢詩の未来を託すべき最後の砦かも。
 いずれにしても、インターネットなしでは漢詩の未来はないということを実感しました。どうぞ今後とも素晴らしい場を提供しつづけていただけることを御願いいたします。
 私は漢詩もインターネットも初心者で、なにもお手伝いできませんが、先生のご奮闘を見守っている愛好者はたくさんいることと信じます。

 ありがたいお言葉ばかりで、小心の私はただ恥じ入るばかりですが、私のこのホームページが数少ない漢詩の「投稿(発表)の場」ということは、深く胸に刻みました。
 一般新聞の読者投稿欄から「漢詩」が無くなったのは、昭和の初め(昭和7年?)だそうです。俳句や短歌が現在でも活発な投稿欄を維持しているのに対して、漢詩投稿欄が消えたのは、投稿数が減ったのか、読者の人気が無くなったのか、それは知りません。しかし、漢詩文化を支える底辺の厚みや広がりが減ったことは間違いないでしょう。
 漢詩を愛する文化、それは我が国では1200年以上も前から綿々と続いてきた伝統です。そして、鑑賞して愛する人もいれば、自分の心を漢詩で表現した人もいて、その両面があってこその伝統だったのでしょう。
 以前、鮟鱇さんが「漢詩を媒介として、生きてる時間も国も違う人同士が交感し合えるのは、奇跡だ」という趣旨のコメントを書いておられましたが、本当にその通りですね。それが出来にくくなっている世の中の流れを寂しく思います。

 私のホームページは個人としてのささやかなものにすぎません。でも、少しでも役に立っているのならば、ありがたいと思います。
 瓦礫さんからは、詩も送っていただきましたので、「投稿コーナー」もご覧下さい。


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  [1999. 5. 6]

 家での生活

 みなさん、今日は。
 リハビリにいそしんでいるため、「毎日が日曜日」状態の現在の私には、ゴールデンウィークもあまり関係なく過ごしています。
 特に最近は、曜日感覚が狂って来ているのか、昨日も何故か日曜のような気がして、夜の8時からNHKの大河ドラマを本気で待ち構えていたりして、家族からは「ボケ始めたのでは?」と心配されました。
 でも、確かに連休中は、友人や卒業生達の見舞いが多くなり、そのことで「おぉ、世間は休みなのか?!」と実感をするという、考えてみると何やら隠者めいた生活ぶりですね。

 退院後、家に帰ってからは天気の良い日が多く、午前中は庭に出て、草取りや庭木の手入れなどをして、出来るだけ歩くようにしています。すると、我が家の老犬が私をいたわるように寄り添ってきてくれて、二人してヨタヨタと狭い庭を右から左へと動きます。飼い始めて既に十数年が経ちますが、久しぶりにお互いに心を通い合わせたような気がして、元気が出てきます。
 ということで、翌日の天気だけが気になり、毎日朝が来るのを楽しみにしている状態ですが、ただ、あまり午前中に動きすぎると、午後に反動が来て辛くなるので、そのバランスが難しいところです。

 連休中に卒業生が持ってきてくれた「串あさり」、半田の亀崎という所で毎年連休の時に祭りがあるのですが、その祭りに欠かせないものだそうです。竹串にむき身の「あさり」を刺して干してあるものですが、私の大好物です。
 これを食べて滋養を摂り、パワーを出して漢詩をどんどんと作りたいものです。


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  [1999. 4.22]

 退院しましたの挨拶

 ご心配を掛けました。ひとまず、4月18日の日曜日に退院しました。
 当初の入院の原因となった病状はあまり治っておらず、入院中に更に別の病気を発してしまい、退院とは言えども気分的には全く暗ーいのですが、「転地療養」という言葉もありますので、ひとまず家での闘病生活です。

 今日で、もう3、4日を過ごしましたが、朝からずっと妻と居て、散歩も一緒、三度の食事も一緒、「うーん、こりゃ定年後の生活を先取りしたかな?」と思ったりもしています(^^;)。でも、一番思うのは、こんな風に一日中家にいるということを、今まであまりして来なかった、ということです。
 教員なんて、夏休みも春休みもあるし、そんなに忙しいものか、と言われるかもしれませんが、、長期の休みは補習授業とクラブ指導、日曜日も練習試合、たまに暇が出来ると落ち着かなくて、ついどこかへ遊びに行きたくなる。振り返ってみると、毎日外に出ていたということを思います。病気だからこそでしょうが、朝から夜まで家で過ごすという体験は、新鮮ではあります。ただ、これが何日も続くと、きっと気持ちも変わって来るでしょうね。

 時間のゆとりはたっぷりありますので、ホームページの更新もぼちぼちと始めていきます。掲載が遅れていました投稿詩も、まもなくUPしますので、お楽しみに。
 


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  [1999. 4.10]

 4月、病室からの挨拶(その2)

 4月になってもまだ「病室から・・・・」という状態で、おやおや、まだ入院しているのか、と思われた方も多いと思います。ご心配とご迷惑を掛けています。

 こうしている間にも、何人もの方からメールでのお見舞いや、漢詩の投稿を頂いて、ありがたい気持ちでいっぱいです。ホームページを通してのお付き合いですので、考えてみればお互いに会ったこともないし、それこそ道で会っても顔も分からない仲ですが、長年親しくしていただいているような、そんな温かさを贈っていただいたという思いです。
 体調の方は今一歩というところですが、なにせ病室ですので、必要な本が手元に無いので色々調べることができません。いただいた詩を読んでも、「感想」が全く感覚的な内容になってしまい、申し訳ないなぁと思っています。しかも掲載に時間がかかるわけで、遅くて内容も悪くては駄目ですよね。もうしばらくのご猶予を。

 「おみゃーさんはまんだわっきゃーだではよなおいてはたらいてもらわなあかんでなも」

 これは、私が入院した初めの頃、同室の先輩の方に言われた言葉です。名古屋弁ですので、標準語にしますと、
 「お前さんはまだ若いのだから、早く治して働いて貰わないといけないよ」と、こうなります。
 この方は80歳になられてますが、毎週一回お見舞いに来られる奥さんとのティータイムを楽しみにしておられ、ふにゃふにゃの私よりもずっと若々しく見えるのです。この方の叱咤激励を日々受けていますので、頑張らないといけません。


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  [1999. 3.13]

 3月、病室からの挨拶。

 またまた入院してしまいました。どうも皆さんに心配ばかり掛けているようですね。
 この挨拶文は、病室にノートパソコンを持ち込みまして、暇にまかせて書いています。闘病の合間に、と言えれば良いのですが、実はまだ治療が始まらず、検査も一通り終わったようで、さしあたって何もすることがない土日なのです。
 昨秋以来、どうも運勢が悪いようで、年末ジャンボも当たらなかったし、年賀はがきのお年玉も例年よりも随分少なかったそうです(はがきの番号チェックは妻と娘がやりまして、私は結果を覚えていないのです。宝くじのチェックは勿論私が自分でやりました)。
 それはそれとして、私の病室は10階にあり、眺望が極めて良いのです。「千里の目を極めん」とした古人も、毎日こんな眺めを体験していたらどんな感想を抱いたでしょうかね。入院した当座はまだ冬の気配が残っていましたが、昨日などは穏やかな春の朝霞に遠くのビルが包まれて、やや感動ものの景色でした。同じ病室の先輩の方はもう4ヶ月入院しておられるそうで、「素晴らしい景色も、毎日見続けているとどうってことなくなる」とおっしゃってましたが、どうでしょうか。
 病院からメールをチェックしたり、ホームページを更新したりするためには、公衆電話からつなぐしかないのですが、この病院ではモデム接続できる公衆電話は1階にしかなく、しかも人通りの多い場所なので、入院の患者スタイルで夜中にゴソゴソと接続しているのは恥ずかしいものです。結局、あまり頻繁には接続もできず、また、体調も関わりますので、気まぐれにやっています。
 メールは家族が家のコンピューターで毎日チェックをしてくれて、病院に来るときに持ってきてくれますから、何も病院でチェックしなくても良いようなものですが、そこはそれ、気分の問題です。
 その上に病院からホームページの更新などをやっていては、「治るものも治らないぞ!」と言われそうなのですが、入院中のストレス解消だと決めています。
 ということで、あまり長くはどのみち書けませんので、このくらいの挨拶になりますが、ご心配いただいた皆さんに、お詫びとお礼でした。
 頑張って、早く治しまーす。


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  [1999. 2. 1]
 2月になりましての挨拶。

 新年になったと思っていたら、もう2月となりましたね。
 まずは『新年漢詩』に投稿下さった皆さん、ありがとうございました。
 「募集」とホームページに書き込んでいたら、例によって横から妻の、「集まらなかったらどうするの?」と不安いっぱいの声。うーん、彼女は鋭い! 確かに私の心にもその不安は無いわけではない。だが、だが、いざとなれば私が三つ程作ればよいのだ、と無謀な決意をしていましたが、何と何と、多くの方から頂くことができ、妻への対面も保たれました。
 この正月に頂いたメールの中で、うれしい便りが二つありました。
 一つはこのホームページでもおなじみの「落塵」さんからです。抜粋ですが、

 こんばんわ、落塵で〜す♪
お元気でしょうか?
 正月のお題、作れなくて残念です。

 近頃、高校時代の参考書を引っ張り出して、寝る前に読んだりなんぞしております。
 昨日は韓非子と史記についてのところを読みました。共感するとともに、中原は2000年以上前から、現代社会と同じような悩みを抱えていたことに再度驚いています。
 読んでいると、大学時代がとても輝いて思い出されます。工学部ながら、私の誕生日に友人が一冊の本をくれました。徳間書店の『史記』第一巻です。開くと、誕生祝いのメッセージにそえて、「士は己を知るもののために死す!」と書いてありました。で後に戦国策も買って読みました。ケイカの「風は蕭蕭として易水寒し、壮士ひとたび去ってまた還らず」の部分に若いころ、強い憧れを持ったものです。
 畑違いで生きている私にとって、良き友人をたくさん持てたことだけが唯一学生時代の財産だと思っております。

 もう一つは、私が以前の勤務校の卒業生からでした。現在は北海道大学の大学院で獣医の勉強をしていますが、私のホームページを見て、こう送ってきてくれました。

 ホームページ見ました!!。
 先生のホームページを見ても漢詩は、暗号のように見えるし。何だかあまりにわからなくて 思わず「チャート式漢文」なんぞ購入してしまいました。
 今勉強を始めると、何でも面白く思えるのですよね。高校生の時は見るのもいやだったのに。
先生に年賀状を頂いてから、チャート式漢文をめくっています。
 私の人生の中で、はじめて漢詩の勉強をはじめたわけです。まだまだ勉強を始めたばかりなので投稿なんてとてもできませんが・・・。
 先生のホームページも楽しみにしているのでどんどんパワーアップしていって下さい。
 でも、お体にはお気をつけ下さい。

 二人とも高校時代の漢文の参考書を読み始めた、という点で、よく似た手紙ですが、どちらも私にとってはとても素晴らしい正月の贈り物でした。
 教育という仕事に携わって20数年、様々な生徒と様々な場面での様々な出会いを経験して来て、その都度、うれしい体験や得難い喜びを味わうことができたことを感謝しています。そして、今、このホームページを媒介にして、何かを伝え合えるという新しいつながりが出来ていくことで、本当に幸せな気持になりました。
 ささやかなホームページですが、こうして少しでも皆さんの刺激になれるように頑張りますので、これからもよろしくお願いします。

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  [1999. 1. 1]


 新年、明けましておめでとうございます。

 何とも自分の病気で皆さんに色々とご心配ばかりを掛けていて、情けないホームページ主宰者なのですが、ようやくにも新しい年を迎えることができ、ほっと一息です。あらためて新年の挨拶をさせていただきます。

 何人くらいの人が興味を持って見てくれるか、不安いっぱいのまま始めたホームページでしたが、たくさんの人に支えられて、ここまで来れたことを実感しています。投稿して下さった方々、メールで感想を送って下さった方々、顔も声も知らない私に対しての温かい励ましの言葉の数々に本当に元気付けられました。

 この挨拶を書いている間に、インターネットを通して青酸カリを購入し、女性が自殺をしたという事件が起きました。1998年、この1年間を象徴するような事件で、胸に暗く重いものが長く残ります。インターネットの利点は計り知れないものがありますし、今後普及が進めば進むほどに更に新しい可能性が開けるものだということは、私もこの1年で実感しました。と同時に、だからこそ一人一人が、このメディアと共に21世紀を生きていくという自覚が大切だと思います。一時期の流行に便乗して金儲けをし、後はどうなろうと関係ないという態度や、ストーカーまがいの悪質な他人への干渉、倫理やモラルをインターネットの中だけは無視しても平気な態度をとるなどは、この文明の利器を破壊する行為に他ならないでしょう。

 そして、最も大切なことは、膨大な情報の海と言われるインターネットの中に、その情報を発信する側がどれだけ質の高い、人々に有益な情報を流し得るか、ということだと思います。誰でもホームページを作りさえすれば、日本や世界に向けての情報発信者になれる、というのは素晴らしいことです。こんな時代に生きていることは本当に幸せです。だからこそ、個人の責任として、質の高さ、内容の吟味が問われるのだと、自戒を込めて思います。

 心があまりに暗くなる世相で、まさに「世紀末現象」を実感する現代ですが、でも、本当は過去の先人に比すれば、能力を生かすチャンスに恵まれ、個人の可能性が認められる幸運な時代の筈です。そのことに感謝し、文明を享受し、伝えていくことが、この1999年を生きていく上で必要なことだと思います。

 身体をいたわりつつ、細く長くこのホームページも続けていきたいと思っています。

 今年も、詩の投稿、感想、是非お寄せ下さい。

   1999.1.1     鈴木淳次

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  [1998.12. 2]

 やっとかめの挨拶。

 しばらくぶりに皆さんにご挨拶をします。
 実は前回の挨拶文を書いた後、9月の終わりから突如体調を崩して入院という事態になりまして、10日程で退院は出来ましたが、まだ全快ではないのです。ということで、漢詩を投稿いただいた方々や、メールを下さった方々には、詩の掲載やメールの返事が遅くなったりで、迷惑を掛けました。
 皆さんに報告しなくてはいけないこともあったのですが、なかなか手が回らなくて遅れました。実は、このホームページの開設以来の記録を8月にまとめて、漢字文化振興会主催の「漢字教育に関しての論文募集」に送ったところ、優良賞をいただきました。
 インターネットと漢詩、コンピューターと漢詩という妙な取り合わせが目をひいたこともあるでしょうが、何よりも多くの皆さんが漢詩を投稿して下さったこと、漢詩への興味関心の根強さを示したことが評価されたのだと思います。ありがとうございました。
 今後も病気に負けず、もっともっと充実したページになるように頑張りますので、皆さんも、どんどん漢詩を創って下さい。

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  [1998.9.15]

 久しぶりの挨拶。

 投稿第1作を風塵翁さんから頂いてから、もう既に3ヶ月が過ぎました。未熟な私が、投稿された詩に対して「感想」を書いたり、アドバイスまでもしたりと、振り返ると全く冷や汗が出るというか、赤面するというか、そんな3ヶ月でした。でも、その分、本当に様々な勉強をさせていただけて、有り難かったと思います。
 投稿いただいた漢詩も、ホームページに掲載した分だけでも、今回の風塵翁さんの2作目で11首となりました。漢詩は、昨日思いついて今日出来たという類のものではないと思いますから、このくらいのペースが当然かな、と思っています。私自身、1首作るのに2ヶ月近くかかります(これは怠惰が原因かもしれませんが)。2作目、3作目に挑戦される方、また、新たに関心をお持ちになった方、ぜひ投稿下さい。
 どちらかと言うと、味も素っ気もないホームページですが、多くの方に閲覧していただけて、更に励ましのメールも何人もの方からいただき、本当に感謝しています。更に一層の充実を図りたいと思っています。

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  [1998.6.11]

 更に改めて、挨拶。

 この1ヶ月の間にこのホームページにも変化がおきました。自作の漢詩を送って下さった方、メールで励ましの言葉を下さった方、本当に有り難うございました。このまま、誰からも一つも漢詩が来なかったら、本当に卒業生を頼りに10年後を期待しなければならないところでした。
 お手紙や漢詩に涙が出る思い、大げさではなくそんな状態でした。
 私もこのホームページのメンテナンスに時間が取られてしまって、そうそう、常用外の漢字検索も出来るようになったのですよ。自分の漢詩を創ることが十分に出来ていませんでしたので、皆さんに励まされて、せっせと創ろうと思っています。
何はともあれ、有り難うございました。

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  [1998.5.3]

 改めて、挨拶。

 ようやくInternet.Explorer(以下、IE)にも対応するようになりました。ただし、Version4.01以上ですが。I.Eにも本来は対応するはずだからこそ、JavaScript言語で書いたつもりだったのに、エラーの嵐の中、何が何やら分からないまま、あれこれと直している内に動くようになりました(運のみですね、こんなもの)。でも、これでまた、少しでも多くの人に見てもらえるかな、と期待だけは持っています。

 ここからは高校の教員として日頃思っていることです。
(教育関係でない方はご参考までに、読んでみて下さい)

 本格的な漢詩を創るということを高等学校の教育現場で考えた場合、とてもじゃないが時間的に困難です。私自身は国文科の出身ですから漢詩の専門家でもありませんし、高校生に是非とも漢詩を、という程の執着もありません。高校卒の教養として、ある程度の数の作品と量を読ませたいと思えば、授業時間はただでさえ不足しています。

 ただ、巷で最近しきりに耳にする高校生評、曰く「本を読まない」、曰く「言葉を知らない」、そして「漢字を知らない」、ま、この他にもいくらでも出てくるようですが、国語を教える立場の人間としてはこのあたりの評に胸がチクチク痛むわけです。彼らに向かって「本を読め!」「漢字を覚えろ!」と叫んではいるのですが、それで意識改革なんて出来ませんよね。具体的に本や漢字に興味を覚えるような手順がどうしても要るのではないだろうか、というのが、近頃の私の思いでした。

 漢詩を創ること、それも平仄等の法則を守って創ること、これは漢字の意味に対する知識が無くては出来ないことです。しかし、だからこそ挑戦することで漢字に対しての興味も湧くのではないか、「自分が思った漢字が平仄や押韻上で使えないから類義語(字)を探す、別の表現を考える」という段階に進んで行けば(あくまでも「行けば」という仮定ですが)、十分漢字を理解できたと言えると思います。

 その時に手間は出来るだけ省いた方がよい、自分の知らない漢字を辞書で調べることは必要ですが、知ってる漢字を使うのに、いちいち漢和辞典で平仄や韻目を引いていたのでは興味も途切れるだろう、というのが私の考えです。このホームページの『(常用漢字)平仄・韻目検索』はそうした意味で作りました。(漢詩の専門の方からは「平仄くらいは覚えて漢詩を創るべきだ」と叱られるかもしれませんが)

 htmlで作り、ホームページとして公開をしたのも、漢詩作成に興味を持った生徒がひょっとして現れて、卒業後にふと思い出して「もう一度作りたい」とひょっとして考えた時のためにと、果てしなく甘〜〜〜い期待を持ってのことです。でも、教育はそんな果てしなく「甘〜〜〜い期待」で成り立つものでもあるでしょうから、ま、いいやと開き直っています。

 と言うことで、とりあえずはExplorer対応版の完成の挨拶でした。
下の「開設時の挨拶」もお読み下さい。



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  [1998.4.15]

 このような地味なホームページにアクセスして下さいまして、本当にありがとうございます。このホームページの目的は、漢詩をもう幾つも創っている方ではなく、初めての人、やってみたいな、という人を対象にしています。

 作者、こと私は、現在愛知県の県立半田東高校で国語を教えています。高校生に漢文や古文に対する興味をどう持たせるか、ということを考えている中で、「漢詩を鑑賞するだけでなく、創作させてみよう」と思いつきました。

 それまで漢作文(漢字だけで文を書く。勿論漢文法に則って)も何回かは試みましたが、あまり面白くない。どうせなら困難に挑戦させた方が良いだろうと思ったのです。

 実際に漢詩を作るのは平仄や押韻の規則(詳しくはホームページで見て下さい)が難しく、国語の教員でも簡単ではありません。私は漢詩を作るときには漢和辞典を嫌と言うほど引くことになります。そういう自分の体験から、「もっと簡単に平仄を区別したい」「韻の種類がすぐに分かるようにしたい」という願望を実現するために、このホームページでは「漢字検索」も出来るようにしました。

 しかし、基本的にはホームページ(HTML文書)はそうしたデータベース的な機能は持っていないわけで、「国語」科の教員である私はとても苦労しました。今回は常用漢字に絞ってありますが、それでもどうしてもファイルが大きくなり、実用出来るのか不安でもありましたが、キャッシュに一旦入れていただければ、何とか我慢できる検索時間だろうと思います。

 是非、あなたも漢詩を創ってみて下さい。そして私の方へ送って下さい。最初はどんな風でも良いと思います。それらを交換し合い、お互いに刺激を受け合うこと。年齢も性別も関係なく、感動を分かち合える、それこそがインターネットのメリットでもあるでしょう。



ご案内

・創作時はオフラインで作業をし、完成したら接続し直した方が良いでしょう
・漢字検索については、現時点では常用漢字しかサポートしていません。
出来るだけ早い時点で常用外漢字も検索できるようにしたいと思っています。
バージョンアップをお待ち下さい。
・このホームページや漢字検索を、他の場所で使う場合は作者まで連絡して下さい。
 教員の方でもし授業等で使っていただければ、とても嬉しく思います。
・作者個人のホームページとメールのアドレスは次の通りです。
是非、感想等をお寄せ下さい。
 
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Junji Suzuki http://tosando.ptu.jp/
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