作品番号 2025-121
比良山頂之鞦韆
慢蕩鞦韆山頂家 慢蕩たる鞦韆 山頂の家
仰望天幕思無邪 天幕を仰望し 思ひ邪なし
開花散乱香風起 開花 散乱して 香風起こり
閉眼聴秋弄日華 眼を閉ぢて秋を聴き 日華を弄す
<解説>
ロープウェイで比良連峰に登りました。
山頂にあるブランコをゆっくりとゆらしていると、秋の気配が感じられました。
<感想>
掲載が遅くなりました。ようやく取り組むことができました。
昨年の秋にお作りになった作品ということでしたが、山上の広がる世界を楽しまれたようですね。
承句の「天幕」は現代では「テント」の意味でもっぱら使いますが、「空を覆う幕」ということで「大空」の意味を持っています。
最近は山頂にブランコ(鞦韆)を設置する所が多くなってきましたが、空に舞い上がっていくような感覚を楽しめますね。
その感覚を「思無邪」とされたわけで、その清らかな思いが後半へと流れて行くのも面白いですね。
転句は、「開花」、「香風」と来ますと、春のイメージが出てしまい、最後の「聴秋」で驚いてしまいます。
前半に「秋」の言葉を入れておけば良いし、転句を「黄花散乱秋風起」とここに「秋」を入れても良いですね。
結句は、新しい情報が少なく、やや尻すぼみの感があります。
頂上からの眺めとか鞦韆の楽しさとか、「鞦韆」に戻るような形で収めると、題名とも釣り合うでしょうね。
2025. 6.26 by 桐山人
作品番号 2025-122
幽居
幽居独座賦詩遅 幽居独り座して 詩を賦すること遅く
涼気入窓多所思 涼気窓より入り 思ふ所多し
万物深遠無隻語 万物深遠にして隻語無く
燕帰天際九秋知 燕天際に帰り 九秋を知る
<解説>
幽居生活を詩にしてみました。
<感想>
こちらは「幽居生活」と仰るように、落ち着いた時間の流れが感じられますね。
承句の「多所思」が詩の結論のような大きな感情、それをまず提示して、その後に展開させる流れは前作と同じですね。
結句は「燕帰」ですが、画面としては「雁」ではないですかね。
「燕帰」は日本の感覚では「春に南方から帰って来る」場合が自然で、「南方に帰って行く」場合にはあまり使わないと思います。
2025. 6.26 by 桐山人
作品番号 2025-123
懐吾趣味漢詩吟
人生卒寿夢紛紛 人生 卒寿 夢紛々
吟詠十年未寸勲 吟詠十年 未だ寸勲無し
趣味多端君勿笑 趣味多端 君笑う事勿れ
先賢叡智有茲欣 先賢の叡智 茲に欣び有り
<感想>
緑風さんと前回お会いしたのが、確か平成二十八年度の全日本漢詩大会京都大会で、大会後に京都駅の近くで「桐山堂懇親会」を開催した時でしたから、そろそろ十年ほどになりますね。
お元気で卒寿を迎えられ、おめでとうございます。
作詩でも各地の漢詩大会で入賞され、今回の詩も、ますます油が乗ってきたという歓びが素直に伝わって来ますね。
起句の「卒寿」は和語と考えた方が良いですので、題名に入れるか、起句を「人生九十」、承句の「十」を「旬」としておく形でしょうか。
現行ですと、承句は「四字目の孤平」ですので、読み下しと照合して下三字を「無寸勲」として解消しましょうか。
後半の、特に結句は味わい深い内容ですね。
2025. 6.26 by 桐山人
作品番号 2025-124
舊梅園
一径横斜晝尚幽 一径横斜 昼なお幽たり
東風尽処暗香流 東風尽きる処 暗香流る。
荒涼此地無人訪 荒涼この地 人の訪う無し、
曳杖蕭々登小丘 杖曳き蕭々 小丘に登る。
2月になると今でも残った梅の木が花を咲かせ、丘の一部が白く染まるのが見えるので、久しぶりに訪ねて見た。
「一径横斜」: 一本の小道が斜め(上り坂)になっている。
「昼尚幽」: 昼でも静かなさま。
「東風」: 春の風。
「尽処」: 風が止まったとき。
「暗香流」: どこからとなく良いにおいが流れてくる。
「荒涼」: 荒れ果てたさま。
「無人訪」: 誰も訪ねてこない。
「杖曳」: 杖をつきつき。
「蕭々」: しょうしょう、物寂しいさま。
<解説>
旧宅の近所の山裾には、(昭和の初めからの)梅林があった。
昭和42(1967)年の大水害で梅林は壊滅的被害を受け、後を追うように管理者のお婆さんも亡くなったという。
今ではごく近隣の人以外はそこにそのような場所が在ったことさえ忘れられている。
坂道を登っていくと、どこからと無く良い香りがしてきたので、その時の気分を詩にしてみた。
一本の細い坂道を行くと 昼間でも静か、
春風がやんだ一瞬に どこからかいい香りが流れてきた。
今では荒れ果ててしまったこの梅園、訪ねてくる人もいなくなってしまった。
(せめて私だけでも)のんびりとこの丘に(梅の花を愛でに)出かけてみた。
<感想>
起句は良いですが、承句は「風尽処」という場所は風が止まるわけですので、「暗香」が「流」ではおかしいですね。
内容的には中二字の「尽処」を直したいですね。
結句の四字目の「々」は記号ですので、平仄もありません。同じ字であっても漢詩では「蕭蕭」と書くべきですね。
読み下しのおかしな点を直しておきました。
一径横斜 昼尚ほ幽たり
東風尽くる処 暗香流る。
荒涼此の地 人の訪ふ無し、
杖を曳けば 蕭々 小丘に登る。
2025. 6.30 by 桐山人
作品番号 2025-125
早梅
貧家詩客草堂春 貧家の詩客 草堂の春、
花発疎枝逢美人 花発(ひら)く 疎枝 美人に逢う。
獨託風流情不淺 獨(ひと)り託す 風流 情淺さからず、
誰憐一笑苦吟身 誰か憐れみて 一笑するや 苦吟の身。
「美人」: 梅の花
「苦吟身」: 下手な詩を考えて苦労しているこの私
<解説>
自宅には梅の木はないが、近所の庭に梅が咲き始めたのを見かけてひねってみた。
貧乏詩人のあばら屋の庭にも 春が来た、
まばらに花がひらいてきた。
ひとり風流を感じて 思いだけ焦って、
下手な詩を苦労して 作っているこの私を誰か笑ってくれたまえ。
<感想>
承句でせっかく「美人」に逢ったと言っているのに、比喩とは言え、直後で「獨」ではおかしいですね。
転句を表現を生かすなら、承句の下三字を検討すべきでしょう。
転句の読み下しは「独り託す 風流 情浅からず」で読み下しには旧字を使わない方が自然です。
逆に本文は、部分的に旧字を使っていますが、使うなら統一して「發」とした方が良く、どちらかに統一すべきですね。
2025. 6.30 by 桐山人
作品番号 2025-126
対潮楼竹枝
無窮如画此高楼 窮まりなく画のごとし この高楼、
遠近江山万象幽 遠近の江山 万象幽たり。
玉浦佳人年十二 玉浦(ぎょくほ)の佳人 年は十二、
好辞偏在小風流 好辞(こうじ) 偏(あまね)く在るは 小風流。
「対潮楼」: 広島県福山市鞆の浦 福禅寺の客殿名
朝鮮通信使がここからの絶景を「日東第一景勝」と賞し、朝鮮通信使の漢詩にも多く詠まれている。
「玉浦」: 広島県尾道の雅称
「佳人」: 美人、ここでは年若き少女の意
<解説>
朝鮮通信使が日東第一景勝として、漢詩にも多く詠まれている鞆の浦にある対潮楼、
昨年11月にこの対潮楼にて「朝鮮通信使がこの場所で詠んだ漢詩の鑑賞会と漢詩創作ワークショップ」が広島大学の先生の講演でひらかれたので、参加してきた。
鑑賞会の後、漢詩創作の簡単な講義があり、詩語カードを使ってグループに分かれて漢詩作成して、それぞれの作品の説明と鑑賞会がありました。
私のグループには、尾道から母親と参加していた最年少参加者小6の女の子がいてビックリでした。
(今回の漢詩の起句は、この女の子が考えた句ををそのまま使わせてもらっております。)
<感想>
お書きになった「詩語カードを使ってグループに分かれて漢詩作成」というのが、私は経験がありませんのでビックリしました。
小学六年生の子が作ったという起句は内容的にも場面に合っていて、ビックリです。
折角の句ですので、読み下しは「窮まり無く画の如し 此の高楼」と正しくしておきましょう。
結句はこの女の子の作品だけを取り上げたのではなく、参加された皆さんの作品を指すという方向が良いですね。
また、「偏」は「ひとへに」で、「あまねく」ならば「遍」です。
2025. 6.30 by 桐山人
作品番号 2025-127
観梅宴
草庵庭上一株梅 草庵庭上 一株の梅
朶朶氷魂馥郁開 朶朶氷魂 馥郁として開く
明日欲催花下宴 明日 催さんと欲す 花下の宴
若君有意挈壺来 若し 君 意有らば 壺を挈げて来たれ
<解説>
過日 漢詩教室で韻字 梅、開、来での作詩課題を与えられての作品です。
以前は律詩を作ることに喜びを感じていましたが、年を重ねるごとに気力、体力が萎え、とんと対句も浮かばないこの頃です。
<感想>
真瑞庵さんの木曽川を舞台にした律詩は、このサイトにも沢山投稿くださり、私もずっと愉しく拝見していました。
前半で、庭の梅の花の姿や香りを描いて、後半は花見の誘いという構成ですね。
この梅は「朶朶」とありますから、枝垂れ梅でしょうかね。
結句は、李白の「「山中與幽人對酌」」の末句、「明朝有意抱琴來」を使ってますね。
李白の詩は、陶潜の故事に倣ってのもの、今度は真瑞庵さんが李白に倣うということで、こういう風雅な遊び心は嬉しいですね。
2025. 7.21 by 桐山人
作品番号 2025-128
五花八門
竹楹直立築樓臺 竹楹(ちくえい)直立すれば 楼台を築き
蓁葉懸空彩鳳來 蓁葉(しんえふ)空(くう)に懸かれば 彩鳳来たる
庚子武殷兵火起 庚子(かのえね)武 殷(さか)んにして 兵火起こり
甲辰文盛百花開 甲辰(きのえたつ)文 盛んにして 百花開く
「楹」: (太くて円い)はしら。
「蓁」: 草木の葉が盛んに生い茂る。
<解説>
当日は雨が降っていたため、会場にはテントが設置されていました。
2024年10月19日に岐阜県関ケ原町を訪れた折、陣場野(じんばの)公園において行われた「東西対決 花いけバトル」を鑑賞しました。
それについて漢詩を一編作りましたので、この場で紹介します。
片方の陣営が、横長の細い器に草木の花や枝葉をいけたのち、二筋の縄をテントの骨組みに引っ掛けてから器に結び、最終的には器全体を宙づりにさせた状態で縄を結んで固定させました。
ここでいけた色とりどりの花や枝葉が、大きな鳥が翼を広げたような形に組み合わさっていたため、本作ではその様子を「彩鳳来たる」と表現しました。
柱のような、太くて長い竹の棒がまっすぐ立つと、それはさながら高い建物を建てたかのようで、
盛んに生い茂った草木の葉をいけた器が宙づりになれば、それは美しい「おおとり」が飛んできたかのように見える。
庚子の年、すなわち西暦1600年は戦争が盛んで、それに伴って火災が起こり、
甲辰の年、すなわち西暦2024年は芸術が盛んで、様々な芸術の才能が花開いている。
<感想>
掲載が遅くなりすみません。
ようやく載せることができました。
「東西対決 花いけバトル」というのも初めて聞きましたが、関ヶ原町ならではの行事でしょうね。
正確に描こうという意図が前半からはよく伝わりますが、解説を読まないと何のことを言っているのか分からないですね。
本人の記録的なものや、写真に添えるならば「鳳來」の比喩も理解はされるでしょう。
後半の「庚子」「甲辰」は、例えば「庚子」の年は戦が多い、「甲辰」は文化が栄える、とかいうのがあるのでしょうか。
それにしても、「甲辰」が2024年の干支だと思い出す人は居るかもしれませんが、「庚子」で関ヶ原の合戦を思い出す人は少ないでしょうね。
こうした歴史を対比させる場合には、具体的な年号などを言わずに、「往昔」「如今」のような大きな形で対比させた方が伝わりやすくなります。
この詩の場合には、特に「関ヶ原」という場所が重要な要素ですので、せめて題名などで示しておくことが必要でしょうね。
2025. 7.21 by 桐山人
作品番号 2025-129
飛樓之上
遠景空濛猶墜雲 遠景 空濛(くうもう)として 猶(なほ)墜ちたる雲のごとし
衆人聚路宛千軍 衆人 路に聚(あつ)まれば 宛ら千軍
扶桑大戰不終日 扶桑の大戦 日を終えず
猛將無姿但在墳 猛将 姿無く 但(ただ)墳(はか)在り
「飛楼」: 高い建物。たかどの。
「空濛」: 小雨や霧で薄暗くなっている。
「扶桑」: 日本の異名。「扶桑の大戦」は日本の命運を分ける大規模な戦争のことで、ここでは関ヶ原の戦いのこと。
<解説>
前作での陣場野公園のすぐ東側には、「岐阜県関ケ原古戦場記念館」があります。
実は先ほどと同日、この建物の五階にある展望台からの眺めについて漢詩を作りましたので、ここで紹介します。
遠くの景色は小雨が降っていて薄暗く、さながら空から落ちてきた雲のようだ。
〔「大関ケ原祭2024」という催しに訪れた〕大勢の人が道路に集まれば、いかにもたくさんの兵士を思わせる。
日本の命運を分ける大規模な戦争、すなわち関ヶ原の戦いは、一日もたたずに決着した。
たけだけしい将軍も今ではその姿はなく、ただ彼らの墓が残るだけである。
<感想>
こちらも関ヶ原での詩ということですね。
まず題名の「飛楼之上」ですが、作者が高殿の上に居たことは詩の内容とは関係ありません。「飛楼之上」と書かれると、そこで何かあったのか、人が集まったのかと読んでしまいます。
どうしてもこの言葉を入れたいなら、「登飛楼」としておくと、読者は詩に入りやすくなります。
転句の「扶桑大戦」という表現は、海外からの視線になりますので、外国との戦という様子になりますね。
関ヶ原は国内での戦ですので、「東西」とした方が、逆に関ヶ原の合戦を連想させて良いでしょうね。
2025. 7.22 by 桐山人
作品番号 2025-130
水都大垣
潔淨風光處大垣 潔浄なる風光 処(ところ)は大垣
至純名水發淵源 至純の名水 淵源を発す
蕉翁訪此遺珠玉 蕉翁 此を訪れ 珠玉を遺す
隔世猶留錦繍魂 隔世 猶留む 錦繍の魂
「蕉翁」: 松尾芭蕉の敬称。
「錦繍」: 美しい詩文。原義は「にしき」と「ぬいとり」。
<解説>
大垣市には「平成の名水百選」に選ばれている井戸があることを踏まえています。
2024年10月19日に岐阜県関ケ原町を訪れたのち、同日夜に岐阜県大垣市で一晩を過ごすこととなりました。
それについて漢詩を一編作りましたので、この場で紹介します。
清らかで けがれのない景色、その場所は大垣。
少しの混じりけもない名水は、ここに源がある。
かつて松尾芭蕉はここを訪れ、珠玉の名作を残した。
名句を紡ぐ芭蕉の魂は、今でもやはり ここに残っている。
<感想>
この詩は、内容も表現もまとまりがあり、読者にも伝わりやすいですね。
大垣は芭蕉の『奥の細道』の最後の地として知られていますので、大垣と来て蕉翁は十分に納得できます。
後半で、転句の「珠玉」も結句の「錦繍」もどちらも芭蕉の句が素晴らしいということの比喩表現で、似通った形容を重ねるのは面白くありません。
「蕉翁遺此別秋句」のような形で比喩ではない形にしておくと、重複感は無くなります。
最後の「隔世」は「千古」くらい広げても良いでしょうね。
2025. 7.22 by 桐山人