作品番号 2025-271
高千穂峽
泠泠絶澗碧森森 泠泠たる絶澗 碧森森
稀代斷崖千仞深 稀代の断崖 千仞の深さ
新霽香風山更靜 新霽 香風 山更に静かにして
精靈飛瀑滌塵心 精霊なる飛瀑 塵心を滌ぐ
<解説>
「泠泠」… 清らかで涼しいさま
「絶澗」… 山奥の谷川
「新霽」… 雨上がり
<感想>
転句は「山更靜」である理由は「香風」ですか、「靜」とは繋がりが無く、飛躍しています。
結句は高千穂の伝説を踏まえた句ですね。
あと、全体的に季節感が弱いので、起句を書き直すつもりで、訪れた季節が現れるようにするのが良いでしょうね。
起句の「絶澗」は険しい渓谷で分かりますが、「泠泠」というのはどこから来たのでしょうか。
その場で感じたにせよ、読者に伝わるようにしないといけません。
また、次にも「断(険しい崖)」が出てくるわけですから、ここは別のものを出しておくべきでしょうね。
この真名井の滝も「天孫降臨」に関わりがあるものですので、「精霊」で神話と結びつけたものですね。
そうした伝説や神話が作者の中では重要だということでしょう。
景観を表すだけならば、こちらに「泠泠」を持ってくることもできます。
by 桐山人(2025. 7月教室作品)
作品番号 2025-272
憶八月六日
朱夏城中炎若烘 朱夏の城中 炎烘くが若し
朝來蒸鬱絶無風 朝来 蒸鬱として絶えて風無し
俄然想起廣陵慘 俄然 想起す 広陵の惨
八月悲酸似此穹 八月の悲酸 此の穹に似たり
<解説>
昭和二十年八月六日、先生から「変わった爆弾が落とされた」と聞かされました。
終戦前後のことを色々思い出します。
「廣陵」… 広島
<感想>
今回の詩も、大切な思いが籠められた作品だと感じました。
今年は戦後八十年ということで、八月になると終戦に関連した番組が沢山放送されましたね。
戦争の記憶の「風化」ということが言われますが、理想論を言えば、「戦争という言葉自体が不要になる」ような平和な世界が生まれて欲しいです。
しかし、この八十年間が、平和だったのではなく、ただ戦争に直接巻き込まれなかったという幸運、偶然の中で過ごしてきたのだと思うと、戦争を直接体験した人、その体験を間近で見た人の記憶はまだまだ「風化」させてはいけないと強く思います。
内容は作者の姿も目に浮かぶようですが、表現の点で言うと、結句の「似」は比喩ですが、起句にも「若」で同じく比喩を使っていますので、どちらかの比喩を止めるのが良いです。
結句の方が主題ですので強く述べた方が良いかと思いますので「哭碧穹」、上も直すなら「哭臨蒼碧穹」(蒼碧の穹に哭臨す)としてはどうでしょう。
by 桐山人(2025. 9月教室作品)
作品番号 2025-273
立秋
僻巷深居隔市喧 僻巷に深居して 市喧を隔つ
庭前樹下国ロ痕 庭前の樹下は緑苔の痕
殘蟬啼罷西風爽 残蝉 啼き罷んで 西風爽やかに
閑樂茶香坐小軒 閑かに茶香を楽しんで 小軒に坐す
<解説>
「僻巷深居」… いなかの入り組んだ住まい
「市喧」… 市街の騒がしさ
<感想>
どの句も分かりやすい内容で、秋の到来を喜ぶ気持ちが感じられます。
少しだけ見直すと、承句の末字は「痕」ですか、「繁」と多くした方が良いかと思います。
転句では「爽」とここで気持ちを出してしまうと、結句の「閑樂」が生きて来ませんので、転句では「渡」くらいで叙景にしておくと良いですね。
by 桐山人(2025. 9月教室作品)
作品番号 2025-274
新秋卽事
新涼割暑入園皋 新涼 暑を割ひて 園皐に入る
紫珺微香甘味萄 紫珺 微香 甘味の萄
友月蛩中傾美酒 月を友とし 蛩中 美酒を傾ける
一炊回夢玉輪高 一炊 夢を回(めぐ)らせば 玉輪高し
<解説>
観光農園でのぶどう狩りは立秋には始まっています。
拙宅の畑での一詩で、美酒はワイン。老翁のささやかな楽しみなり。
<感想>
起句の「皋」は「水辺の沢や台地」ですので、「園と丘」に涼気が入るということですね。
承句の「珺」は「美しい玉」、葡萄の実を紫の宝石に例えたもの、確かに瑞々しいブドウの実はキラキラと輝くようです。
転句の「友月」は李白に倣いましたか。
結句は「一炊」は「黄梁一炊」で「夢」を導く枕詞のような用法ですね。
葡萄の美味しい季節で、我が家では巨峰は「種無し」が良いか「種有り」が良いかで論争が起きます。
結局、毎年結論が出る前にシーズンが終わってしまいますが。
李白は更に自分の影を仲間に入れましたが、こちらの詩では「蛩」が加わってますね。
「友月」と「蛩中」ですと句の対応がしっくり来ませんね。「秋月蛩聲催美酒(秋月 蛩声 美酒を催(うなが)し)」とか。
ほんの少し眠ったと思ったら、もう月が高く上っていた、というだけでも至福の時が分かります。
ただ、転句でも「月」があり、又ここで「玉輪」が来ると、単に時間経過のためだけの役割になってしまいます。
そうなると、先ほどの転句ですが、「好夕叢蛩」「瑟瑟晩風」などで「月」を出さない方が良いかもしれませんね。
その場合には、結句は「月輪高」と「月」の字を入れておく方が分かりやすいかなと思います。
by 桐山人(2025. 9月教室作品)
作品番号 2025-275
新蝶
南園新蝶到春歸 南園の新蝶 春に到りて帰る
閑倚黃華獨自飛 閑かに黄花に倚(そ)ひて 独自(ひとり)飛ぶ
相近相親鶯語囀 相近づき 相親しみ 鴬語囀り
低空燕愕慌廋稀 低空の燕に愕(おどろ)かされ 慌てて廋(かく)るること稀なり
<解説>
畑仕事の時に遭遇し、楽しみましたので詠みました。
<感想>
転句で新しい登場人物(?)の鴬が登場しますが、「鶯語」が「囀」はおかしいですね。「鶯語久」「鶯囀囀」など。
結句は、「燕」がまた新しく登場ですが、。詩の主題が「鶯と蝶のコラボ」ということでしたら、同じ鳥である「燕」は「鶯」の存在を弱めてしまうだけです。
全体に見ると、どの句も平字で始まるという「平頭」になっていますので、これは直さなくてはいけませんので、そこも考慮して再敲してください。
こちらの詩は前半はよく分かりますね。
最後の「稀」ですが、「慌廋」が「稀」となると、結局、蝶は隠れることが無いということで、のどかに飛んでいるという結末ですかね。
その割に結句の六文字も使っているのはおかしく、何のための「燕」か分かりません。
この句は素材を含めて、検討する必要がありますね。
by 桐山人(2025. 9月教室作品)
作品番号 2025-276
春盡日聞鶯
水淺似雪魚爭躍 水浅く雪に似たり 魚争ひて躍り
密樹枝梢鶯競啼 密樹 枝梢 鴬競ひて啼く
春去那知對何處 春去り那(なん)ぞ知らん 何れの処にか対(むか)ふ
還存冬軼唱天雞 還りて冬軼(おいこ)し 天雞を唱ふ存り
<解説>
毎日鴬と川の響きを聞き、当初より大変囀りが上手くなりました。
<感想>
この前半は下三字が対応していますので、上を合わせて対句に持って行く方向で考えましょう。踏み落としもその方が納得できます。
転句は「春が終わって何処に行くのか分からない」ということですっきりしていますが、結句はどういうことか、難しいです。
起句の「似雪」は「水」でしょうか、「魚」でしょうか。
分かりにくいのは、どちらも「雪」という比喩が見慣れないからです。
無理して「浅い水」が白く光っているのか、と思いますが、季節も晩春ですのでこれも不自然ですね。
どちらを形容したにしろ、「雪」以外のものを使った方が良いでしょうね。
「還存」は良いですが、何が存るかと言うと「冬が追い越して天雞を唱う(朝を告げる)」ことになりますが、「冬が春を追い越す?、逆ですかね。そもそも前の「春が何処に行ったか」と話が合いません。
「唱天雞」は「朝を告げる」以外に何か意味(故事)がありましたか。
この結句は説明をいただかないと分からないですね。
by 桐山人(2025. 9月教室作品)
作品番号 2025-277
晩夏
晩來蛩響四郊村 晩來 蛩響 四郊の村
雨洗殘炎草樹繁 雨は殘炎を洗ひ 草樹繁る
玉露金風秋氣滿 玉露 金風 秋気満つ
闌干流火月上軒 闌干 流火 月上軒
「蛩響」… コオロギの鳴き声が響く
「四郊」… 郊外
「金風」… 秋の風
「闌干」… 星が輝く
「流火」… 蠍座のアンタレスが西に傾く 季節が秋に向かうしるし
<感想>
表現で言えば、「金風」はそもそも「秋風」ですので、「秋氣」は当たり前ですね。
結句は、まず「流火」のアンタレスはそれほど明るい星ではないので、「欄干」(あざやかに輝く)という描写はどうか。
「闌干」は星の輝きを表しますが、「欄干」の意味もありますので、下の「軒」と関連させて読みそうですね。
晩夏になって涼しさ(秋気)を感じているわけですが、それは承句の「雨」なのか、「金風」なのか、更に「蛩響」も関わってきますと、例えば「雨洗殘炎」は必要かどうか。
逆に「雨」を残すとすると、転句は必要かどうか、悩ましいところです。
「涼氣」ならばまだ分かりますが、そこまで言う必要があるか。別の物を出した方が良いかな。
更に、ここを別の明るい星にした場合でも、月が上ってくるとなると、はかない感じですね。
六字目の「上」は仄声ですので、月を残すなら「懸」とするところですが、月以外を検討した方が全体的には良いと思います。
by 桐山人(2025. 9月教室作品)
作品番号 2025-278
立秋
殘蟬啼罷日黃昏 残蝉 啼き罷んで 日は黄昏
洗暑C風書院軒 暑を洗ふ清風 書院の軒
檐馬丁東搗u氣 檐馬 丁東 爽気を増す
芳茶一碗忘塵煩 芳茶一碗 塵煩を忘る
<解説>
立秋を過ぎ、少し秋の気配を感じます。
<感想>
秋の涼しさを出したいというお気持ちですが、ちょっと重なる素材もありますね。
全体の構成から考えると、最後の「芳茶一碗」に涼気を集中させるという形が良いと思いますよ。
うーん、こんな秋が早く来て欲しいですね。
「清風」と「爽氣」、「書院軒」と「檐馬」かな。
特に「軒」と「檐」は字が異なるだけで指す物は同じですので、ここは韻字を替えるか、「檐馬」を別の言葉にするか、転句の聴覚への転換は穏当ですので、方向としては音を残したいですね。
そうなると、出来れば「洗暑」や「爽氣」は削り、逆に結句にこそ「C」「爽」「涼」という類の言葉が入るとと収まりが良くなるでしょう。
by 桐山人(2025. 9月教室作品)
作品番号 2025-279
宿山莊
杜鵑一叫夢方醒 杜鵑 一叫 夢方に醒む
窗外天空萬點星 窓外 天空 万点の星
北斗光輝雲漢近 北斗 光輝 雲漢近し
淒涼山影夜冥冥 淒涼たる山影 夜冥冥
ホトトギスの鋭い鳴き声で夢から覚め、外を見てみると空いっぱいの星。前半は時の流れも含めて、画面が目に浮かぶようですね。
真っ先に目に入るのが北斗七星、それから天の川ということですが、天の川が強く印象に残るなら、順番を替えて、例えば「銀漢目前珠斗炯(銀漢は目前 珠斗は烱たり)」という流れもありますね。
結句も詩全体を収める形で、良い仕上がりになっていると思います。
本来言いたかった画面がすっきり表現できたのではないですか。
<感想>
場面を夜にまとめましたので、題名の「宿」が生きて来ましたね。
先月の「宿惠那山莊」の再敲作ですがガラリと新作ですね。
その承句の「萬點星」を受けて、もう少し詳しく星を見ていくと、という流れが転句になりますね。
「雲漢」よりも「銀漢」の方が、多少近く感じるように思いますがどうでしょう。
by 桐山人(2025. 9月教室作品)
作品番号 2025-280
立秋檱事
雨餘山野拷A繁 雨余の山野は緑陰繁し
庭戸蜻蜓草色喧 庭戸には蜻蜓 草色喧し
群嶺紅橋秋色好 群嶺 紅橋 秋色好し
沈痾藥裏自無言 沈痾 薬裏 自無言
<解説>
長い病との付き合いも、四季折々の美しい景色に力をもらって、日々暮らしている今日この頃です。
<感想>
そういう喜びの気持ちで転句までに景色が並んだというところですが、遠近の流れがちょっと悪いですね。
起句は「拷A」ですと遠景ではなくなりますので、ここは「爽風繁」としておくと落ち着きます。
承句に持ってくる「紅橋」ですが、これは「虹橋」でしょうね、雨上がりには丁度良いです。
承句と転句に「色」が重複しているのと、韻字の「喧」は「暄」でしょうね。
転句は近くを見るわけで、「庭上蜻蜓樂秋色」で収まりますね。
結句は病気のことを書きますが、「養痾」として、下は「閑日坐南軒」でどうでしょう。
季節を楽しむことが心と身体の薬になる、というお言葉、よく分かります。
大きな山野の景色、庭の小さな草花、季節毎に姿を変えて楽しませてくれますね。
起句と転句が遠景ですので、ここは転句を前に出して、近景は転句にするのが落ち着くでしょうね。
まとめると、「群嶺虹橋克暄」ですかね。
by 桐山人(2025. 9月教室作品)
作品番号 2025-281
立秋
庭際繁葩養菊園 庭際 葩が繁る 菊を養ふ園
半簾檐馬渡疎垣 半簾 檐馬 疎垣を渡る
暮天霄漢歸鴉背 暮天 霄漢 帰鴉の背
獨坐秋思蟬語昏 独り坐し 秋を思ふ 蝉語昏し
<解説>
秋が短いと言われる昨今、まだ暑さの中、夕暮れの秋を思い作成しました。
<感想>
起句の「庭際」と下の「園」が場所を混乱させているのと、三字目の「繁」が冒韻。「庭際數葩黃菊存」かな。
承句は「半簾」は簾を半分降ろした(上げた?)状態、この句も場所を表す言葉が二つ有って、分かりにくいですね。
転句は「暮天」と「霄漢」ですが、どちらかで良いですが「歸鴉」から行くと「暮天」。抜けた二文字は空の様子を描く形で行くと、「蕭寂」「碧碧」。
結句は下三字、「蟬語昏」というのは、秋が来て蝉の声にも力が無いということですかね。
「菊」「檐馬」「歸鴉」「蟬語」と、秋と夏の風物が入れ替わりに出て来て、季節の変わり目(「立秋」)の趣が出ているとは言えますが、それぞれが孤立していてまとまりが弱いです。
「風吹檐馬渡籬垣」くらいでどうか。
「歸鴉背」という表現は何かで見ましたか、「背」がよく分からないのですが。「歸鴉影」ならば通常の表現です。
うーん、難しいな。「蟬語繁」では夏になっちゃいますしね。「蟬」をやめて「虫」ではどうですかね。
「獨坐半簾虫語昏」ならば収まりますね。
by 桐山人(2025. 9月教室作品)
作品番号 2025-282
蘇江之冬
千里滾滾蘇水頭 千里滾滾 蘇水の頭
遠來黄鴨荻蘆洲 遠来の黄鴨 荻蘆の洲
漁船蚌蛤海苔獲 漁船 蚌蛤 海苔を獲す
遙望知多旭日柔 遥かに知多を望めば 旭日柔らかなり
冒頭の「千里」はかなり長く、木曽川全体の長さを表すくらいですので、それならば「頭」を「流」にした方が良いです。
承句の下三字がこれも場所を表していて、似たような印象になりますので、私は「流」が良いかと思います。
転句は主語の「漁船」と述語の「獲」が離れていて、語順を替えた方が良いですね。
結句は「知多」が登場して、知多半島人としては嬉しいですね。
<感想>
起句の中二字ですが、「滾滾」以外で平声の言葉を探してみますと、
「洋洋」は「広々として流れる」、「滔滔」は「勢いよく流れる」、「油油」は「ゆるやかに流れる」、「溶溶」は「さかんに流れる」、「悠悠」は「遥か遠くに流れる」など、色々ありますね。
(但し、「油油」と「悠悠」は冒韻になりますので、今回は使えません)
逆に「頭」の方を生かすならば「千里」を「十里」くらいにする必要がありますね。
承句の「遠來」はその前の「千里」とこれも似たような意味になりますので、「飛來」「渡來」が良いですね。
「海苔蚌蛤漁船獲」でどうでしょうね。
by 桐山人(2025. 2月教室作品)
作品番号 2025-283
詠感春
春陽穩穩陌阡溫 春陽 穏穏として 陌阡温なり
不變風景野人村 変はらず 風景 野人の村
花舞鳥歌心樂逸 花舞ひ 鳥歌ふ 心楽逸
淨庭筆硯好詩源 浄庭 筆硯 好詩の源
結句は突然家に戻りますので、歩いているままの方が良いですね。
<感想>
承句は平仄が合いませんね。
意味的にも「野人の村」というのはどうなのでしょう。「野人ばかりが居る村」?
まず「風景」は「風光」、下は「野梅村」「故里村」など。
「行行眼福好詩源」「行吟歩歩育詩魂」など。
by 桐山人(2025. 2月教室作品)
作品番号 2025-284
海邊酒樓有感
新春依舊宴游催 新春旧に依りて宴游催す
十二爺朋擧賀杯 十二の爺朋賀杯を挙ぐ
人老蕭条吟友去 人老い蕭条として吟友去る
明年此會識誰來 明年此の会誰か来たるを識らん
<解説>
詩吟の仲間と今年も新年会を開催したが、高齢化に伴い百名程いた仲間が年々減ってきた。
来年のこの会は何人が参加できるだろうか。
<感想>
承句は通常ならば「吟朋」としたいところでしょうが、転句に「吟友」を置いた関係でしょうか。
転句はそうですね、「彼我蕭條嘆老去」が分かりやすいでしょうかね。
結句は下三字が無理矢理という感じですね。「明年此會幾人來」
起句は「宴游催」がやや回りくどい印象です。
「新春依舊海濱宴(新春 旧に依る 海浜の宴)」としておく(踏み落とし)と、いつ、どこで、何を、という情報が織り込めますね。
どんな集まりなのかが転句でようやく明らかになるというのは、ちょっと間延びした感じです。
せめて題名で「吟游会」などの言葉が入っていると良いのですがね。
これはこれで、言わば「ジジ友」というユーモラスな表現ではあるとは思いますが、ここは先に「吟朋」とした方が状況が分かりやすいでしょう。
by 桐山人(2025. 2月教室作品)
作品番号 2025-285
村巷枇杷
初夏香煙村巷頭 初夏 香煙 村巷の頭
疎籬漠漠果園稠 疎籬 漠漠 果園稠し
枇杷處處黃變裏 枇杷 処処に黄変の裏
美味誰知憶古邱 美味 誰か知らん 古邱を憶ふ
<解説>
中学生の頃、通学路端に枇杷の木が植えてある家が多く、今でも「おいしかっただろうな」と思い出します。
<感想>
起句は「香煙」ですと季節感は出ませんので、「清風」「黒浴vでどうでしょう。
承句は「漠漠」ですと「果てしなく続く」という感じで、ちょっと大げさと言うか、そこまではどうか、という感じがします。
転句の「處處」は承句の「籬」が連なる画面からの流れでは不要です。
結句は、ここで昔の思い出に持って行くか、現在の景で終えておくか、なかなか悩ましいところですね。
後日、再敲作をいただきました。
そうですね、まだ回想との繋がりが弱く、「誰知」の役割がはっきりしませんね。
解説を読むと、学生だった頃の思い出の詩かと思いましたが、前半の景は現在の姿とも考えられ、どうやって過去の思い出と繋げるかというのが難しいですね。
「復續」ですと、「籬から、次の籬へと連なる」というニュアンスになりますね。
六字目の「變」は仄声で「二六対」に為っていませんので「枇杷漸熟黃珠燦」。
ここは、じっくりと検討してみてください。
課題の結句については「美味誰知歸古邱」と直したとのことです。
「美味舊懷ク里悠」「美味忽催憶昔悠」などが良いでしょう。
by 桐山人(2025. 3月教室作品)
作品番号 2025-286
長州萩遊觀
舊時此地育英雄 旧時 此の地 英雄を育む
行客優遊古屋通 行客 優遊 古屋の通
黃橘垂垂牆壁上 黄橘 垂垂 牆壁の上
白花香氣滿城中 白花の香気は 城中に満つ


<感想>
題名は「萩」だけですと植物のようにも感じますので、「長州萩城遊觀」でどうでしょう。
起句はよく分かる句ですが、そのことと次の「行客優遊」が繋がりませんね。
写真も添えて下さり、ありがとうございました。
蜜柑が重く実るのと同時に花も開いているのですね。
収穫しないで木に残しているのでしょうが、それでも花が開くのですね、ビックリしました。
歴史のある町に来た旅人(作者)の気持ちを表す言葉が欲しいです。
特に、後半は蜜柑の話になって、歴史とは関係無くなりますので、前半で一区切りさせておきたいですね。
by 桐山人(2025. 3月教室作品)
作品番号 2025-287
緣起木
寒樹路傍白雪沿 寒樹 路傍 白雪沿ふ
鶯梭紅色實南天 鴬梭 紅色の南天の実
何如難轉福成謂 何如 難の転じて福と成りと謂ふ
佳節葉添祝飯鮮 佳節 葉添へし祝飯は鮮やか
<解説>
今冬、我が家の南天の紅い実を鳥が食する様子や、降る雪と紅い実の美しさを眺め、「南天」は慶事の料理の飾りなどに使うので、切ってはいけない木の一つと知りました。
<感想>
さて、起句の「傍」は、「かたわら」と名詞用法では平声、「そフ」と動詞の時は仄声という両韻字、ここは名詞用法ですので平声となり、「二四不同」は大丈夫です。
承句の「鶯梭」はせわしげに鴬が枝から枝へと動く様子を機織りの道具に見立てた言葉です。
転句の「何如」は「どうであるか」という疑問詞、以下の言葉について疑問を投げかける形の構文になります。
結句も「四字目の孤平」ですので、これも順番を替えて「佳節嘉餐添葉鮮」が良いですね。
ナンテンの他にも縁起の良い木は幾つかあるようですが、「ナンテン」は「難が転ず」、「センリョウ・マンリョウ」は「千両・万両」の連想、「アジサイ」は花が密集することで家族団欒、「ダイダイ」は「代代」に繋がるという感じで、どれも言葉を楽しむ日本人の感覚が生きていますね。
しかし、よく見ると「四字目の孤平」になっていますね。
語を少し入れ替えて「白雪路傍寒樹沿」とすれば解消できますね。
中二字の「紅色」は、本来は「南天」に直結して「紅色南天実」とか「南天紅色実」だと良いのですが、韻字の関係で「天」が最後に来てしまいましたね。
そのために「紅色」が中途半端になり、「鶯梭」を受けるのか、下に掛かるのか不安定な状態です。
「時看紅色實南天(時に看る 紅色の実南天)」と鶯を削るか、「鶯來暫啄絳南天(鴬来たりて暫し啄む 絳南天)」
ここは言い伝えを受け入れるべきでしょうから、「遇知」「巷間」「傳聞」「側聞」など。
by 桐山人(2025. 3月教室作品)
作品番号 2025-288
朝餐果子
梅春桃夏橘包秋 梅は春 桃は夏 橘包は秋
日本時鮮結実稠 日本 時鮮 結実稠(おお)し
採取熟成増美味 採取 熟成 美味を増し
朝餐果子胃腸柔 朝餐 果子 胃腸は柔(やわ)らぐ
<解説>
「くだもの」は中国語辞典で、「水果」とありました。又、「果物」でもOKでしょうか?
尚、図書館では、「果子」、「水果子」とありました。
<感想>
承句は「日本と外国を比べると」みたいな話にするよりも「此地」くらいが分かりやすいです。
転句は「採取」よりも、果物ですので「摘」、その下には「後」を付けておくと「熟成」との繋がりが分かります。
結句はこのままでも良いですが、「付餐玉果(餐に付す玉果)」と褒めるような表現も面白いですね。
起句は「梅は春 桃は夏 橘包は秋」という流れはちょっと単調ですね。
また、「橘」は「包」と果実、「桃」は夏ですのでこれも果実の方、「梅」は春ですと花ですので、「梅」だけ仲間外れです。
「梅桃夏熟橘包秋(梅桃夏に熟し橘包は秋)」
「時鮮」も「常佳(常に佳し)」が良いでしょうね。
by 桐山人(2025. 3月教室作品)
作品番号 2025-289
飲梅酒
冬終春始変風光 冬が終り 春が始まり 変る風光
木母花開滿麗香 木母 花開き 満る麗香
夏季子成造梅酒 夏季 子が成り 梅酒を造る
夕餐五勺體心康 夕餐 五勺 体と心康かなり
承句の「木母」は結局は「梅」ですので、あまり面白くないですね。
結句は「體心」が気になりますね。「身心」とするところで下三平を避けようとしたのでしょうか。
<感想>
梅酒を飲んでいる現在は、いつの季節なのかがはっきりしませんね。
最初は春になって梅が開いて、という景色を詠んでいたのですが、梅の花から梅の実、そして梅酒、更に飲めるまでの熟成も含めて一年間の推移へと話がずれてしまいましたかね。
春になったという今をしっかり考えると、転句の「夏季子成」が邪魔ですね。「昨夏寶藏梅酒甕」くらいにしておくと、結句への流れも落ち着くでしょう。
「樹樹花開滿艷香」と広げておくのが良いでしょう。
上の「五勺」に対応させて「一心康」ではどうでしょうね。
by 桐山人(2025. 3月教室作品)
作品番号 2025-290
春望
梅散櫻開暖氣前 梅が散り 桜が開き 暖気が前(すす)み
薔薇芍薬木蘭鮮 薔薇 芍薬 木蘭鮮(あざや)かなり
庶民衣服多原色 庶民 衣服 多い原色
柳拷ヤ紅愛悦闐 柳緑 花紅 愛悦闐(み)つ
<解説>
転句の「多原色」は「原色多し」と読み下しできますか?
<感想>
転句は「原色多し」と読み下して大丈夫です。
結句はまたここで植物が出るのは面白くないですね。
承句の「薔薇」「芍薬」は夏の花ですので、題名の「春望」では釣り合いません。
漢文では「多」は連体修飾語として用いますが、日本語では述語として使うことも多く、文意から「多」を述語にすることもよくあります。
この句は春の華やかさを人々の着衣の色で表した点が良いですね。
起句の表現を無視した形で、梅や桜が何のために登場したか分からなくなります。
句としては成り立っていますので、前半を生かすか、結句を生かすか、考えて推敲してください。
by 桐山人(2025. 4月教室作品)
作品番号 2025-291
春花
躑躅幽幽濃紫姸 躑躅 幽幽 濃紫妍(なまめ)かし
牡丹瀏瀏淡紅鮮 牡丹 瀏瀏 淡紅鮮(あざや)かなり
霜消露去遊糸上 霜は消え 露は去り 遊糸は上(のぼ)る
佳景創詩情緒燃 佳景で 創詩の 情緒が燃(も)ゆ
それぞれに形容がついていますが、躑躅については「幽幽(奥深い)」と「姸」が不釣り合いな印象。
転句は「遊糸(かげろう)上」は分かりますが、「霜消」「露去」は「いつの話?」という感じで、現実感がありません。
結句は「創作意欲」ということでしょうが、「創詩情緒」では理解しにくい。
<感想>
躑躅や牡丹は、どちらかと言えば初夏のイメージ、精一杯頑張って晩春ですので、題名を変更した方が良いですね。
牡丹は「瀏瀏(清らか)」と「(淡)紅鮮」が合うか、どちらも中二字が混乱の原因です。
それぞれの花の形容は下三字で出ていますので、ここは対句にするにしても、場所を表すような形で「籬頭」「牆角」とするとすっきりするでしょうね。
躑躅や牡丹を見ながら「霜も消えたなぁ」と思う人は居ないでしょうから、ここは言葉遊びと言われても仕方無いですね。
下三字を「詩興燃」として、中二字を検討してみましょう。
by 桐山人(2025. 4月教室作品)
作品番号 2025-292
春景色
花朶春陽黃水仙 花朶 春陽 黄水仙
木瓜紅色拷A前 木瓜 紅色 緑陰の前
行雲流水鳥啼去 行雲 流水 鳥啼き去る
時序相催又一年 時序 相催し 又一年
<解説>
庭の木瓜の蕾が開く様子、水仙も白や黄色が咲いたなぁと。
<感想>
さて、起句の「朶」は「(花のついた)えだ」ですので、木瓜なら良いですが、下に来るのが「黄水仙」だと合わないですね。
承句は木瓜は「紅色」だけですと寂しいですね。もう少し描けそうな気がします。
転句の「行雲流水」、これは蘇軾に源を持つ四字熟語として「物にこだわらず自然に生きる」態度や心境を表す言葉として使われます。
結句の上四字も似たような内容ですので、ここは叙景としておくのが良いです。
結句は良いですね。
水仙は、庭の草むらの陰から春真っ先に首を伸ばし、やがて黄色い花が辺りをパーと明るくしてくれます。
「花苑」「南苑」ならすっきりします。
下の「拷A」は緑の木陰で、春でも秋でも実景としては在りますが、俳句の季語では「夏」ですし、漢詩でも初夏から初秋くらいの時期に使われます。
一句を木瓜の描写でまとめる形で、上四字は「木瓜紅蕾」として、下は「欲開邊」「兩三鮮」など。
この後に作者が登場するなら分かりやすいのですが、「鳥啼去」ですので、「鳥が行雲流水」というのは難解です。
「碧雲緩水」「風流水落」など、時の流れたことを表す言葉にしておくと、下とも調和するでしょう。
by 桐山人(2025. 4月教室作品)
作品番号 2025-293
憶春花爛熳
一堤春色又年年 一堤 春色 又年年
日暖櫻花態倍姸 日暖かく 桜花 態倍(ますます)妍なり
爛熳風光留不住 爛熳の風光 留め住(え)ず
白頭只見落英天 白頭 只見る 落英の天
転句の「爛熳」の「熳」は「色彩が鮮やかな様」を表します。
結句の「白頭」は、作者自身と考えれば自然ですが、全体の趣が劉庭芝の『代悲白頭翁』を彷彿とさせますので、ここも白髪の老人を登場させて、舞台を見ているような光景にするのも良いですね。
<感想>
起句は「一堤春色」とありますが、春爛漫ですので、「滿堤春色」とした方が後ろが生きて来るでしょうね。
あるいは、「一堤」のままで承句の「日暖」と「春色」を入れ替えるのも良いかと思います。
「一堤暖日又年年 春色櫻花態倍姸」という形ですね。
同じ発音の「漫」は「みだりに、はびこる」という意味ですが、ほぼ同様に「(花が)咲き乱れる」意味で使われますね。
ここの末字の「住」は「得」の代用ですか、「住」は李白の「両岸猿聲啼不住」で知られるように「やむ」と読む事は多く使われますので、ここも「留まり住(や)まず」と読めば穏当です。
by 桐山人(2025. 4月教室作品)
作品番号 2025-294
讚深山櫻
三月深山櫻影鮮 三月 深山 櫻影鮮なり
險蹊無客爲誰姸 險蹊 客無きも 誰が為に妍なるや
容光灼灼不驕傲 容光灼灼たるも 驕傲らず
散落隨風本泰然 風に随ひ 散落するも 本より泰然
<解説>
先生から頂いた課題詩作成の参考資料、『韻脚例』の中の「為誰妍」から、子どもの頃聞いた
さくら さくら 深山の さくら 訪う人無きに咲き匂う、
さくら さくら 貴き さくら 花と咲きて驕らず
さくら さくら 雄々しきさくら 花と散りて惜しまず。
という歌を思い出し詩にしてみました。
起句は 踏み落としで 「三月深山櫻影滿」 のほうが良いかなとも思います。
<感想>
起句の「三月」は旧暦で、現在では四月。人里の桜はもう終わる頃ですが、「深山」はまだこれから、そういう意味では「三月」の言葉が生きていますね。
承句の「無客」は「爲誰姸」を導くための言葉、やや説明的な感もありますが、これくらい丁寧でも良いでしょう。
転句の「容光」は「隙間から差し込む光」、桜は谷間にあるのかな、となるとやはり起句の代案は不釣り合いですね。
結句は「散落」として、ここで落花まで描くと詩としては急ぎ過ぎの感があります。
思い出されたという「さくらの歌」は、私は知りませんでした。
下三字は現行が良いですね。
踏み落としの方は、「一目千本」のような桜のイメージでしょうか。あまり花が多過ぎるのはどうでしょうね。
「灼灼」を考えると、上を「紅花」と花の方にしてはどうでしょう。
下三字は「嬌無傲」が意図に合うかと思います。
「舞落」と艶やかさを出しておくと落ち着きます。
by 桐山人(2025. 4月教室作品)
作品番号 2025-295
西瓜
長天朱夏久淹留 長天 朱夏 淹留久し
白日炎威此゙疇 白日 炎威 緑疇に満つ
驕陽西瓜三伏熱 驕陽 西瓜 三伏の熱
碧雲溽暑果園稠 碧雲 溽暑 果園稠し
<解説>
小生も畑を作っていた頃、西瓜を作るのが楽しみでした。若木のうちに乾燥に負けて枯れるものもありましたが、
乾燥が続き生き残ったものは甘みが濃く、味が良かったことを思い出します。
天気の良い真夏が続いて
日中の強い日差しが緑の畑に満ちている
強い日差しを受けた西瓜が真夏の熱を受けて
碧雲の蒸し暑さの中、勢いよく稠っている
<感想>
転句は二字目の「陽」を仄字にしてますが、これは平声ですので、「畝下西瓜三伏熟」。
結句は「碧雲」とまた視点を上に向けるよりも、西瓜畑を渡る「風」などを登場させるのが良いでしょうね。
起句は「朱夏」が「久淹留」というのはどうでしょうか?
話としては「暑さ」を主語にすると良いですが、結句に「溽暑」、承句の「炎威」や転句の「三伏熱」でも、内容が重なりますね。
同じことを繰り返さないようにすると、詩が短くなってしまいます。
夏の暑さは前半でまとめて、転句からは主題の「西瓜」についてもう少し詳しく描くようにした方が良いですね。
「黒練C艶果園稠」など、お考えください。
by 桐山人(2025. 4月教室作品)
作品番号 2025-296
旭公園觀櫻
清明雨止弄春姸 清明雨止んで春妍を弄す
爛漫櫻花霽日鮮 爛漫たる櫻花 霽日鮮やかなり
林苑眺望眞勝絶 林苑の眺望 真に勝絶
暫時佇立忘塵緣 暫時佇立して塵縁を忘る
<解説>
知多市では最も桜の多い旭公園に出かけた。
満開の樹景の中で暫時日頃の煩わしさを忘れた
<感想>
転句の「勝絶」は「非常に優れている」ことを表しますので、「櫻花」を上に置いても流れは自然ですね。
桜を賞でたということで考えると、承句の「爛漫櫻花」は後半に持って行く方が良いですね。
現行の形ですと、暫時佇んで観ていたのは「林苑眺望」が素晴らしいと感動した形になります。
承句と転句の上四字を入れ替えると、桜の美しさに感動して佇んだ、となりますね。
「霽日鮮」の下三字も「林苑眺望」と組んだ方が、意図が通じやすいでしょう。
by 桐山人(2025. 4月教室作品)
作品番号 2025-297
於大公園
娘誘日暖人多驚 娘が誘ふ 日暖かく 人多きに驚く
満開紅白垂梅邊 満開の紅白垂れ梅の辺り
少姿香楽人心浄 少(しばら)く 姿と香を楽しみ 人心浄し
歩歩好景百花鮮 歩歩 好景 百花鮮やか
<解説>
三月二十二日に東浦の於大公園に出かけました。桜はまだ咲いていませんでした。
娘と「一週間早く来過ぎたね」と話していました。
<感想>
起句は何処に行ったのかが分かるように、「娘誘公園暖日天」として押韻もしちゃいましょう。
承句は語順を替えて「垂梅紅白満開辺」とすれば平仄も合います。
転句は「人」の字が重複しています。語順も少し替えて「C香少樂吾心浄」としましょう。
結句は「百花」だと「垂梅」が弱くなります。「歩歩賞花春景鮮」でしょう。
於大公園は以前にも、菖蒲を見に行った詩を書かれましたね。
誘ってくれる優しい娘さんですね。
by 桐山人(2025. 4月教室作品)
作品番号 2025-298
高樓遠望
遠望高樓紅旭鮮 高楼より遠望すれば 紅旭鮮やかなり
蒼海峰眺兩悠然 蒼海と峰の眺め 両つながら悠然
山行遊水兒童樂 山に行き 水に遊ぶは児童の楽しみ
不朽玉姿在眼前 不朽の玉姿 眼前に在り
<解説>
高い建物から見た朝日の美しさ、駿河湾、伊豆の山系に当たる光の美しさ。
<感想>
承句は二字目の「海」の平仄が違います。
転句は「兒童」がどういう意味で出て来たのか、悩ましいですね。ご自身の昔の思い出でしょうか。
結句は「四字目の孤平」ですので直す必要があります。
題名と同じ言葉が詩の冒頭にあるのは面白みが無いです。
題名を替える方法もありますが、まずは起句を「伊豆翠峰」としてはどうでしょう。
起句に対応させて「駿河蒼海」。
下三字は「兩」が不明瞭になりましたので、ここは「眺悠然(眺むれば悠然)」「渺悠然(渺として悠然)」でしょう。
「曾遊」という言葉がありますので、「曾遊少子山行日」「山行懷昔曾遊日」でどうでしょう。
また、「玉姿」ですが、これは何を表すのでしょう、「不朽」から行くと富士山でしょうか、それでしたらしっかり「富嶽靈姿」。
富士山ではなく全体の景色を言うのでしたら、「玉姿」を「風光」にするとか、「不變水天看眼前(不変の水天 眼前に看る)」としましょうか。
by 桐山人(2025. 4月教室作品)
作品番号 2025-299
春花爛漫
雨晴歩歩草含煙 雨晴れ 歩歩すれば 草煙(もや)を含む
獄鶯聲詠春天 緑野に鴬声 春天を詠ず
佳景C香如吾待 佳景の清香 吾を待つが如し
窗前獨坐月光鮮 窓前に独坐すれば 月光鮮かなり
それぞれの句で見ますと、起句は問題ありませんね。
転句は「C香」が何の香りなのか、はっきりしませんので、「C景花香」でどうでしょう。
結句は内容的には先に書いた通りですが、「前」の字は下平声「一先」の韻字ですので「冒韻」になります。
<感想>
この詩では、実は花が登場していませんので、題名の「春花爛漫」の景色が目に浮かばないですね。
また、「雨晴歩歩」だったのが、結句では「窗前獨坐月光鮮」となり、室内の夜の画面に突然変わってしまったのは、まとまりが無くなります。
承句は六字目の「春」が平声ですので、ここは「午天」とするか、「春」を残すなら「緑野」が前の句とやや重なりますので「春野」とするのが良いでしょう。
この句も六字目の「吾」が平声ですので、下三字を「如待我」としておきましょう。
これは、押韻という形で同じ発音を句末に並べてリズムを作っているところを、途中に同じ発音(同韻)の字を入れてしまうと、折角の効果が弱くなってしまうことから、避けた方が良いとされる規則です。
そうですね、風を吹かせるとか、人を登場させるような形で考えてみてはどうでしょうね。
by 桐山人(2025. 4月教室作品)
作品番号 2025-300
詠山斜面
摘茶一望拷斜 茶摘みを一望すれば 緑園斜めなり
白色頭巾映晩霞 白色の頭巾 晩霞に映え
八十八歌聲細細 八十八夜の歌 声細細
閑居煮茗葉香加 閑居に煮茶すれば (茶)葉の香り加はる
<解説>
山の斜面での茶園を見ての感じ
<感想>
承句は茶摘み姿で、白い頭巾が象徴していますね。
結句は、茶園を見ていた場面から、結句で室内に行くと、転換が急ですね。
「八十八夜」を詩で使おうとすると、平仄が合わないので苦労します。
転句で「八十八詩」と工夫されましたが、「八十八の詩」と解釈されてしまうでしょうね。
平仄が合わないことを承知の上で、固有名詞扱いで「八十八夜」とするかですが、そうなると下三字は「摘茶日」として起句を検討する形ですかね。
あるいは「八十八夜」は題名に持って行って「詠八十八夜摘茶景」とするか、私としてはこちらの方が分かりやすいかと思います。
詩中に入れると「夜」の字が強くて時間帯が拘束されてしまう気がします。
その場合には、起句を「摘茶立夏拷斜」として、季節が詩中でも明確になるようにしましょう。
この四字をそのまま転句に移動させると茶摘み歌とよく合います。
ただ、「細細」が良いかどうか、元気よく歌うならば「聲朗朗」「笑聲朗」。
「茜たすき」を入れたいですが、「襷」は国字ですので似た意味で「纕」、「茜纕素巾聲朗朗」とか、「紅帶白巾聲朗朗」などでも面白いでしょう。
室内に限定しないようにして、作者を登場させる形で「行人閑坐」とすれば、全体の流れとも合うでしょう。
by 桐山人(2025. 4月教室作品)