作品番号 2025-241
春花爛漫
春情山際靆白煙 春情の山際 白煙靆(たなび)く
風爽散香滿野邊 風爽やかに 香散じ 野辺に満つ
朋友遊行櫻木道 朋友 遊行 桜木の道
約期歡適又來年 約期 歓適 又来年
<解説>
結句は、友人との「また、来年ね」という約束がうれしい、という感じにしたいのですが
<感想>
承句は「四字目の孤平」になっていますが、意味的にも何の「香」なのか分からない状態ですので、ここは「花香」とすればすっきりします。
転句の「遊行」は「ゆぎょう」とも読みますが、「ぶらぶらと歩き回ること」、二人で歩いたという感じにするには「誘友遊行」「朋友倶行」。
結句は意図は分かりますが、「歡適」が伝わらないですね。
起句の「春情」は「春ののどかな気持ち」ということで、上四字は良いのですが、六字目の「白」は仄字ですので、ここは平仄が合いませんね。
「雲煙」「霞煙」というところでしょう。
話としては「約期怡悦」「約期正喜」が穏当でしょうね。
by 桐山人(2025. 4月教室作品)
作品番号 2025-242
千紫萬紅
駘蕩春和霞彩天 駘蕩たる春和 霞彩の天
桃紅柳国趨F鮮 桃紅 柳緑 草芳鮮やかなり
百花齊放公園路 百花 斉放 公園の路
鶯弄遊蜂到處旋 鶯弄 遊蜂 到る処旋る
「桃紅柳香v… 美しい春の景色
「百花齊放」… 沢山の花が一斉に開く様子
<感想>
結句の二字目、「弄」は「哢」ではないですかね。上四字は対応させて「鶯哢蜂遊」が良いですね。
四字熟語としては、「千紫万紅」が「色々な花が咲き乱れる」ですので、「百花齊放」が近いですね。
「桃紅柳香vは、桃と柳に春の艶やかさを象徴させた形ですので、ここに「百花」が来ると「桃」も「柳」も立場が弱くなります。
逆に言うと、花が一杯咲き乱れる中で、敢えて「桃」「柳」だけを先出しする意味があるかどうか。
どちらかに絞るということで言えば、「百花斉放」の方が実景っぽいので「桃紅柳香vを削った方が良いでしょうね。
「恵風襟裏」と早めに作者を登場させておくのも、転句の「公園路」がリアルになりますね。
下三字は「芳」と嗅覚を出すのはどうでしょうか。視覚で「草色鮮」が本来は良いですが、平仄が合いませんので「草C鮮」などですかね。
韻字が「旋」ですと主語は「蜂」だけになりますので「到處姸」あたりが良いですかね。
by 桐山人(2025. 4月教室作品)
作品番号 2025-243
春日郊行
白李紅桃相映鮮 白李 紅桃 相映じて鮮たり
春光十里暗香傳 春光 十里 暗香伝ふ
遊觀塵外清風下 遊観す 塵外 清風の下
一境聲無古寺邊 一境 声無く 古寺の辺り
<解説>
春になり花が咲き誇り、気持ちの良い陽気の中、年老いた親のことを思う
<感想>
承句は「暗香」が上の「春光十里」とまざると、香が十里も飛んできたように感じます。
転句は凜とした良い句ですね。
結句は中二字「聲無」は逆で「無聲」、「一境」が「塵外」と似た感じですので、別の種類の言葉が何か無いですかね。
起句は書き出しの対語も印象的で、「相映鮮」の言葉が生き生きとしています。
風なら合いそうですが転句で出て来ますし、「十里」を「春光」を形容する言葉に替えてみてはどうでしょう。
時を表す形で「日午」「頃刻」などですか。
by 桐山人(2025. 4月教室作品)
作品番号 2025-244
春華爛漫
雨晴風偃故郷天 雨晴れ 風偃 故郷の天
開蕾枝條醉馥筵 蕾開き 枝条 馥筵に酔ふ
白酒觴杯談笑響 白酒 觴杯 談笑の響き
立停一息好機前 立ち停まりて一息 好機の前
承句は「蕾を開く枝条」と読みます。「醉」が来るのは転句からが良く、ここは「馥郁筵」として人物を出さない方が良いです。
転句はお花見の場面、そこを作者が通りかかって「立ち停まりて一息」
<感想>
承句の「風偃」は「風が草を偃(なび)かす」という形で使われる言葉で、この形で読めば「風偃(なび)く」と読むのでしょうが、ここは「たなびく」という形で使っているのですかね。
ここは良いですが、「好機」はどんなチャンスが来ているのかと考えてしまいます。
「好季」「好景」としたかったのでしょうか。
景色のことだと分かるように「立停錦繡好機前」としておくと、「錦繡が絶好のタイミング」という形になると思います。
by 桐山人(2025. 4月教室作品)
作品番号 2025-245
春花爛漫
狂蝶尋芳草木鮮 狂蝶 尋芳 草木鮮たり
春花爛漫帝城邊 春花爛漫 帝城の辺り
櫻堤鶯語微風度 桜堤 鴬語 微風度(わた)る
暖日老親思渺然 暖日 老親 思ひ渺然たり
<解説>
春になり花が咲き誇り、気持ちの良い陽気の中、年老いた親のことを思う
<感想>
転句までが春の景物を並べていますが、これを起句と承句にまとめて、転句からは親への思いに繋がるようなことを出してくると良いです。
どうして親のことを思ったのか、例えば子供のころの思い出とかを振り返って、ご自分の心を訪ねてみると良い詩になると思います。
暖かい陽射しの中、爛漫の春を感じ取りつつ、老いた親のことを思う、作者の優しい気持ちが伝わってきます。
しかし、この詩だけからそのあたりの心情が伝わるか、というとやや唐突の感はありますね。
「帝城邊」と「櫻堤」で場所が二つ、「尋芳」「春花」と「櫻」も花が重なりますので、「爛漫櫻花堤上鮮 嬌鶯狂蝶弄芳邊」という感じでしょうか。
後半をもう少し穏やかにするなら「鳴鶯舞蝶」で。
by 桐山人(2025. 4月教室作品)
作品番号 2025-246
春花爛漫
麗日暖雲春草燃 麗日 暖雲 春草燃ゆ
山櫻盛發百華鮮 山桜 盛発 百華鮮たり
午風習習花如雪 午風 習習 花雪の如し
童子喜聲飄蕩天 童子 喜声 飄蕩の天
「盛發」…花が満開
「花如雪」…雪のように花が散り落ちる
「飄蕩」…花びらが風にひるがえる
<感想>
承句は「山櫻」のことから「百華」と移り、転句からまた桜の話に戻る形で、「百華」が邪魔ですね。
ちょっと悩ましいのは、「櫻」は「山櫻」なのかどうか、結句の「童子喜聲」を考えるとあまり「山」を意識しない方が良いかとも思います。
起句は「燃」ですが、これだと「草が燃えるように赤い」です。「姸」で良いかなと思います。
下三字は「淡紅鮮」のように桜でまとめた方が良いです。
by 桐山人(2025. 4月教室作品)
作品番号 2025-247
無挑戰
突入高齡一笑春 突入 高齢 一笑の春
無駄無理茶飯巡 無駄 無理 茶飯巡る
一停一歩動於拮 一停一歩 動きより拮(はたら)きへ
流水行雲順應循 流水 行雲 順応に循(したが)ふ
転句は「一」が起句と重複していますので、起句を直した方が良いでしょうね。
結句の「流水行雲」は「周囲に合わせて固執しない生き方」を表します。
<感想>
題名の読み下しでは「無へ挑戦」となっていますが、「無挑戦」ですと「挑戦が無い」となりますので、逆になってしまいますね。
これは、「無駄」や「無理」なことに向かって取り組もう、というものですかね。
下三字の「於」は比較の時に使う「より」で「霜葉紅於二月花」のように形容詞を伴います。
ここは「更に」という積もりかと思いますが、平仄が合わず、無理しましたかね。
「逾」ならば平声で「ますます」という意味ですので、こちらの方が良いでしょう。
主題の「無理なことにチャレンジ」という気持ちの例として適当かどうか。
結句でこれまでの話が崩れるように感じますがどうでしょう。
by 桐山人(2025. 4月教室作品)
作品番号 2025-248
傘壽作
人生八十夢蝴魂 人生八十 夢蝴の魂
霜葉辭枝謐謐翻 霜葉 枝を辞し 謐謐と翻る
慙愧勲功幾忘却 慙愧 勲功 幾(いくば)くか忘却
詠花吟月謝天恩 花を詠じ 月に吟じて 天恩に謝す
<解説>
妻児孫に恵まれ、八十歳まで健康老人として生かされた天に感謝します。
「蝴夢」: 『荘子・斉物論』「胡蝶夢」より、「人の一生はもともと幻である」
「慙愧」: 過去の行為を深く悔やみ恥じ入ること
「天恩」: 天の絶大なめぐみ
<感想>
背筋のしっかり伸びたお姿をいつも拝見し、我が身を振り返って「慙愧」の至りです。
承句がやや重いので、下三字で「猶舞翻」として「まだまだ頑張る」という趣にするのが良いでしょうね。
傘寿、おめでとうございます。
「健康老人」という言葉も身につまされますが、人生の先輩に追いつけるように私も頑張りたいと思います。
by 桐山人(2025. 5月教室作品)
作品番号 2025-249
初夏拷A
新樹成陰九夏初 新樹 陰を成す 九夏の初め
銜泥簷燕荐巢居 泥を銜(くわ)へ 簷燕 巣居荐(しきり)なり
農夫種豆豐登願 農夫 豆を種ゑ 豊登を願ふ
委地鶴翎春老虛 地に委ぬる鶴翎 春老ゆる虚し
「九夏」: 夏
「銜泥」: 土を加える
「簷燕」: 軒に巣を作る燕
「鶴翎」: ボタン
<感想>
転句の六字目「登」は上に向かう意味ですが、「みのる」という意味もあります。
結句の「鶴翎」が牡丹というのは、北宋の欧陽脩が著した『洛陽牡丹記』に「鶴翎紅は葉の多い花で、末端の色は白くて内側は紅く、鴻鵠の羽の色に似ている」と書かれています。
承句の下三字は「居を巣(すつく)ること荐り」という下から戻る形ですね。
なかなか目にしない用例かもしれませんが、「穣」と同じく「実」「稔」を平声に変換する時に便利です。
「鶴翎紅者,多葉花,其末白而本肉紅,如鴻鵠羽色」
by 桐山人(2025. 5月教室作品)
作品番号 2025-250
初夏喫茶
半開芍薬拷A疎 半ば開く芍薬 緑陰疎なり
遭友當軒風色徐 友に遭ふ 当軒 風色徐かなり
久闊閑談多笑語 久闊 閑談 笑語多し
新茶共啜惜居諸 新茶 共に啜り 居諸を惜しむ
<解説>
豊田市民藝館の茶室で、ばったり中学の同級生に逢いました。
久し振りに世間話をし、共にお茶を飲み、無事に暮らしていることを喜び合いました。
<感想>
「當軒」は「地元の館」という感じでしょうかね。
転句の「閑談」が大げさでなく世間話というところ。
結句の「居諸」は「日居月諸」からの言葉で、「年月」を表します。
全体に大仰な表現がなく、穏やかな時間が流れているように意識されていて、気持ちの良い詩になっていると思います。
起句の「半開」の芍薬、「疎」である緑陰、どちらも百パーセントでない所が良いですね。
by 桐山人(2025. 5月教室作品)
作品番号 2025-251
初夏海景
松鷗渚海風徐 青松 鴎渚 海風徐やか
薄暑潮香心自舒 薄暑 潮香 心自ら舒ぶ
水面瑠璃垂釣岸 水面 瑠璃 垂釣の岸
茫洋帆影白雲居 茫洋 帆影 白雲居る
承句の「薄暑」は初夏の頃の暑さ、「酷暑」の反対ですね。「潮香」と合わせて「心自舒」への流れが自然です。
転句は「垂釣岸」と来たので、作者は釣りをしていることになります。
結句の「白雲居」は「白雲居る」ではなく「白雲の居」、つまり、白雲の中に住んでいるという仙人の生活を表す言葉です。
<感想>
起句は「白砂青松」を変化させたもの、「松鷗白」と色を対応させるのも効果的ですね。
ただ、作者が仙人だというのではなく、仙人の生活に憧れる様子を表します。
ここは釣りをしながら遠くを眺めていたら仙人の暮らしを考えたという展開が良いです。
そうなると、「帆影」と更に素材を増やすよりも「遙望」あたりで転句と結句を繋ぐ形を考えた方が良いでしょう。
by 桐山人(2025. 5月教室作品)
作品番号 2025-252
初夏拷A
凝碧樹林三夏初 碧を凝らす樹林 三夏の初め
清陰閑坐快風舒 清陰 閑坐 快風舒ぶ
新茶馥郁喉唇潤 新茶馥郁 喉唇を潤し
燦爛光陽堺ェ餘 燦爛光陽 緑茗の余
「三夏」: 立夏(5/6)から立秋(8/7)までの夏全体
<解説>
結句の「湯呑のお茶に木漏れ日が降り注ぎ、キラキラと輝いていた」という意が、表せているでしょうか。
起句の「凝碧」は、「嬌嬌」「払雲」も考えてみました。
<感想>
前半は画面がよく伝わる表現になっていますね。
代案の「払雲」は「樹林」に対しては高さが合わないし、「嬌嬌」は何を指しての言葉なのでしょう。
転句の「喉唇」はその通りですが、「新茶の妙香」ですので、「滿腔」として体全体で感じるように広げてはどうですか。
by 桐山人(2025. 5月教室作品)
作品番号 2025-253
初夏拷A
踏花小徑樹扶疎 踏花 小径 樹扶疎たり
鳥雀啼過風穆如 鳥雀 啼き過ぎ 風穆如
躑躅鮮華紅白錦 躑躅の鮮華 紅白の錦
新陰一榻繙殘書 新陰 一榻 残書を繙く
<解説>
桜の花が散り固まった小道、初夏の緑とつつじが鮮やかです。
風がそよ吹く中、書物を繙きました。
<感想>
確かに、ツツジが道に沿って鮮やかな朱色に輝くのは、じっくりと眺めたくなる初夏の光景ですね。
起句の「踏花」ですが、桜は初夏までちょっと間が空き過ぎますね。
結句は「繙」が平声ですので「下三平」、「展」で「ひろげる」とすれば良いでしょう。
先日、朝日新聞の『天声人語』にツツジの話が出ていましたが、「躑躅」の二文字はどちらも「足を留める」という意味で、ツツジの美しさについ見とれて歩みを停めることが語源かと書いてありました。
また、「小徑」だけですと作者は木の茂った小道を歩いている、それが結句では「一榻」と倚子に坐るわけで、場面が分かりづらいわけです。
冒頭を「林園細徑」としておくと、公園に来ているのかな、と想像でき、「榻」もベンチかと納得できます。
by 桐山人(2025. 5月教室作品)
作品番号 2025-254
祝入學
麗日和風紅紫姸 麗日 和風 紅紫妍なり
春禽睍v白雲天 春鳥 睍v 白雲の天
女孫入學歡無限 女孫入学 歓び限り無し
前路洋洋志益堅 前路 洋洋 志益ます堅ならん
<解説>
孫が今春高校に進学しました。嬉しい気持ちを詩にしました。
<感想>
起句の「紅紫」は花がいっぱい咲き誇っている様子でしょう。
承句の「白雲天」は入学に適するか、「白雲」はどちらかと言うと「仙人」や「閑適」に託されることが多いし、雲が無い、つまり晴れた空の方が良いでしょう。「艷陽天」「仲春天」ですかね。
転句は「女」とわざわざ言わなくて「兒孫」の方が私は納得できます。
結句の「前」は冒韻、下三字は「益」がぎこちないので、そのまま「大志堅」でどうでしょうね。
おめでとうございます。これからが楽しみだというお気持ち、よく伝わって来ます。
新入生の希望に満ちた姿の象徴として見ても良いですね。
by 桐山人(2025. 5月教室作品)
作品番号 2025-255
初夏拷A
一叫杜鵑東里閭 一叫 杜鵑 東里の閭
如燃新克扶疎 燃ゆるが如き新緑 樹扶疎
蕭然瑶砌薫風渡 蕭然 瑶砌 薫風渡り
閣閣C遊山上樗 閣閣 清遊 山上の樗
<解説>
のんびりと風流な旅をして、初夏を感じる様子を想像して作りました。そんな時は来るのでしょうか。
<感想>
承句の「如」は韻字ですので「若」「似」にするか、ですね。
転句で突然「蕭然瑤砌」となるのは、作者はお寺にでも行ったのでしょうか。
結句の「閣閣」は「蛙の鳴き声」、初夏の風物を出そうということですが、池の周りなら良いですが、下に「山上」とあると悩みますね。
前半は動きの大きな、迫力のある表現になっています。
「蕭然」は「寂しげな様子」になりますので承句の様子とは合いません。
「梵宮瑤砌」などで場所がわかるようにしたいですね。
下の「山上樗」は蘇軾の詩に出て来ます。「樗」は「役に立たない木材」で、うまく生きられない自分の姿を形容したものでした。
ここは、山の上の宿という感じのようですから、この句は「遙聽蛙聲峰上廬」として、起句の「東里」を「山里」としておくと、言いたい場面が何とか収まるでしょうかね。
by 桐山人(2025. 5月教室作品)
作品番号 2025-256
初夏
拷A幽草道傍舒 緑陰 幽草 道傍に舒ぶ
花後新枝繁葉初 花後の新枝 繁葉初め
老蝶薫風乘亂飛 老蝶 薫風に乗じ乱飛す
散人感悦會心餘 散人 感悦 会心余る
<解説>
「道傍の木の下の草も自由気ままに伸びている。
花の終った木は葉が繁り始めた。色の落ちてきた蝶も元気に飛び回っている。
こんな様子を見ると、まだまだ自分も頑張れると元気をもらいました」
という詩です。
<感想>
転句は「老蝶薫風」までは良かったのですが、「乘」が邪魔でした。
結句の「散人」は自分のことを「役立たず」と呼ぶわけで、謙遜ではありますが、逆に「世俗のことには役立たない(関わらない)」という矜恃を表してもいる言葉です。
丁寧な注を添えていただきましたが、前半は書かれた通りの表現が出来ていると思います。
初夏という季節の変わり目を「道傍」の草や、新緑の葉でうまく表していますね。
この下三字ですと「乱に乗じて飛ぶ」となってしまいます。
また、「飛」で終っては、これは平声ですので押韻が違ってきます。
「老蝶乘風亂飛態」「老蝶薫風飛亂舞」でしょうね。
元気が出たのなら何よりですね。
by 桐山人(2025. 5月教室作品)
作品番号 2025-257
初夏卽事
池塘鶯哢嫩風舒 池塘の鶯哢 嫩風舒る
春水淙潺意晏如 春水 淙潺 意は晏如
晴日百千聞鳥語 晴日 百千 鳥語を聞く
柔莖C景麥秋初 柔茎 清景 麦秋の初め
<解説>
上平声六魚韻の押韻の少なさに苦労しました。
起承で鶯、転結で百千(すずめ)を持ってきて、春の終わりと夏の初めに分けてみました。
<感想>
承句は春の水がサラサラと流れる中、心が落ち着いたという内容ですね。
転句の「百千」はこれだけで「雀」を表しますか。数が多いというのは分かりますので、下の「鳥語」と合わさって雀だと理解しましたが。
結句は「柔莖」だけですと何なのかよく分かりませんし、「C景」なのもわかりません。
起句で「池塘」と出て来て、承句でも「春水」となると、二つの句の関係を考えなくてはいけません。
そうなると起句の方を「叢林」としておくとバランスが良いでしょう。
ここは「草柔晴景麦秋初」としておいて、転句の方を「一日百千」と数字を重ねるのが面白いと思いますよ。
by 桐山人(2025. 5月教室作品)
作品番号 2025-258
梅雨
梅黃節候雨霏霏 梅黄ばむ節候 雨霏霏たり
傘影模糊來往稀 傘影 模糊 来往稀なり
含滴紫葩蝸試篆 滴を含む紫葩 蝸篆を試む
時聽蜀鳥樹陰歸 時に聴く蜀鳥 樹陰に帰る
<解説>
名古屋市緑区の大高緑地公園を歩いた時の梅雨の景色
<感想>
前半で広い視野の景を描き、転句で傍らの紫陽花や更にカタツムリへと目を近づけるズームインも効果的です。
結句で、作者の意識をまた広い方に戻すために聴覚を使うのも臨場感があり、上質な動画を見ているような印象です。
勿体ないのは最後の「樹陰歸」で、せっかく聴覚や広がり、「蜀鳥」を出したわりに何事も無く、あれあれと思う間に終ってしまうところ。
あと、例えば承句の「傘影模糊」や「來往稀」などは、公園の場面と言われると良く分かるのですが、街中の様子となると大げさに感じます。
全体的にまとまった内容になっています。
アジサイも「紫陽花」と書くと字数が勿体ないので「紫葩」、その分「含滴」という情報が入りましたし、下三字もぎっしり詰まってますね。
「蝸篆」とすればもう一文字、「緩」などを入れられます。
淡淡と情景が描かれ、作者のおだやかな姿も浮かんでは来ます。
これが他の句でしたら問題無いのですが、結句ですともう少しインパクトが欲しい。
「一聲蜀鳥拷A幃」とか「憶ク蜀鳥促同歸」など、ちょっとの変化があると、作者の心境も表れるでしょうね。
そういう意味で起句あたりに「公園」だと分かるようなこととか、あるいは題名に公園を入れると良いですね。
by 桐山人(2025. 6月教室作品)
作品番号 2025-2569
蝸牛足跡
梅霖荷葉雨聲微 梅霖 荷葉 雨声微(かす)かなり
殘暮緜緜杜宇歸 残暮 綿綿 杜宇帰る
蓬屋螢窗蝸篆跡 蓬屋 蛍窓 蝸篆の跡
天姿筆勢戀C暉 天姿 筆勢 清暉を恋ふ
<解説>
梅雨の夕暮れの様子、蝸牛の這う跡を、昨年に続き、何とか表現したいと考えました。
<感想>
承句の「緜緜」は「長く続くこと」ですが、何が続くのか分かりにくいです。
承句の「殘暮」は『詩語辞典』には載っていますが、今回調べてみたら用例があまり無いですね。
転句は「螢窗」が問題で、この言葉だけで見れば「書斎」ということになりますが、元は「螢窗雪案」。
結句の「天姿」は「蝸篆」の自由奔放な書体には良い表現です。
起句は「梅雨になって荷の葉に当たる雨の音が微かに聞こえる」ということでしょう。
ただ、荷の葉に当たって音が大きく聞こえるという方が自然ですね。
「殘暮(夕暮れ)」、「帰る)杜宇」、どちらもすっきりしません。
素材として「続く」ものは雨かな、となると起句に持ってきて「緜緜霖雨滴聲微」ならば使えます。
『大漢和』にもありませんので、「夕暮」「日暮」で良いですが、暗いイメージで「昏暮」が良いでしょう。
中二字は「杜宇歸」に繋がるような言葉が良いですが「蕭蕭」では寂し過ぎますかね。
あの「蛍の光 窓の雪」の語源になりますので、そちらをイメージすると思います。
また、この窓をカタツムリが「歩いた」のでしょうから、生き物を同じ所に重ねない方が良いです。
「閑窗」「孤窗」など、「書窗」は「蝸篆」が生きませんので避けた方が良いです。
最後の「戀C暉」は流れから行けばカタツムリが主語になりますが、どうして「C暉」を求めるのでしょう。
ここは作者の意図を教えていただきたいですね。
by 桐山人(2025. 6月教室作品)
作品番号 2025-260
初夏拷A
克薫風樂靜居 緑樹 薫風 静居を楽しむ
敲詩煎茗臥看書 詩を敲き 茗を煎じ 臥して書を看る
不知不識偶眼落 知らず 識らず 偶眼に落つ
轉目啼蟬燕舞所 蝉啼き 目を転ずれば 燕舞ふ所
承句まではのどかな姿がうかがわれ、良いですね。
転句は「偶眼」がよく分かりませんが、何のことでしょう。
結句は、読み下しを見ると「蝉の鳴き声がする方に目を向けると燕が舞っていた」という流れのようですね。
<感想>
結句の「所」は発音は似ていますが、仄声ですので押韻になりません。
また、この六字目は平字でないといけませんが、「眼」は仄字ですので平仄が違っています。
でも、本文は「轉目」が先に来ていますので、残念ですが、「目を向けると蝉が啼き」という視覚聴覚が混乱した形になっています。
また、転句で「眼」を使っておいて、すぐに「目」が来るのも疑問ですので、ここの上四字と韻字を合わせて検討課題ですね。
by 桐山人(2025. 6月教室作品)
作品番号 2025-261
詠露珠
晩秋芋艿一珠露 晩秋 芋艿(うでい) 一珠の露
佳夜風無墜遠天 佳夜 風無く 遠天より墜つ
數滴將來陶硯上 数滴 将(も)ち来る 陶硯の上
廻看始覺水光連 廻り看て 始めて覚ゆ 水光連なるを
<解説>
昨年の里芋掘り作業の感想です。
<感想>
承句の「佳夜」は秋の夜、風も無かったから空から墜ちたと表したのでしょうね。
転句になると「一珠」だったのが「數滴」に増えています。
結句は、「露」についてはもう「硯」に置いたのに、また葉上の露に戻ってしまう、つまり、室内の場面から畑に戻ってしまって、転句の描写が意味が無くなってしまいます。
起句の「芋艿」は里芋の中国語表記ですね。
芋の葉に乗る大きな露は、飯田蛇笏の「芋の露連山影を正しうす」の句を思い出しますね。
ここは「風無」が逆です。
起句の「一」を「かがやく」という意味の仄声の語に替えておくのが良いでしょう。「冷」「R」など。
ここで「陶硯」を持ってくると、七夕の風習に繋がりますのでその方向で発展して欲しいところです。
転句か結句を直す形で、結句の方は上四字などは表現が回りくどい感じですので、こちらを再敲すべきでしょうね。
by 桐山人(2025. 6月教室作品)
作品番号 2025-262
梨華遊鶯
風落桃花梨翠生 風桃花を落とし 梨翠生ず
従支線萬枝 従 支線 万枝たふ
鶯啼木抄何攸爲 木抄に鴬啼き 何の為す攸ぞ
叢裏碧叢素艷明 叢裏 碧叢 素艶明らかなり
<解説>
愛知県豊田市の猿投山麓、桃梨園の風景です。
桃花が終わり、梨への移り変わり様子です。
「叢」が重字、「」「鶯」が韻字で冒韻ですが、どうでしょうか。
<感想>
転句の「鶯」ですが、転句の場合には冒韻を認めるという考えもあります。
結句の重字ですが、「叢」を重ねた効果はどこにあるのか。
承句の「」の冒韻は名詞と動詞の違いはありますが、意味としては同じで、重複の効果はありませんので、冒韻も合わせて瑕疵と判断します。
句頭は「縱」と糸偏が必要ですね。
この句は「支線」の意味が伝わりませんが、何のことでしょう。
それでも、句頭に置いてしまうと押韻の効果を破壊するので避けるべきです。
冒韻をしてでも「鶯」でなければならないならば、中二字あたりに持ってくるように考えてください。
なお、四字目の「抄」は「杪(びょう)」でなくてはいけません。
句意としては「鶯が梢で啼いて」までは良いですが、下三字は「何しているのだろう」という疑問はどうなのでしょうね。
鶯の目的はこれこれだろう、と作者の判断を書かないと何のために鶯が登場したのかも不明になります。
意味的にも「叢の中に碧の叢」は通じません。
また、主題は「梨花」ですので、「叢」を強調すると目線が下過ぎませんか。
この句は「四字目の孤平」でもありますので、「平頭」とともに直さなくてはいけませんね。
by 桐山人(2025. 6月教室作品)
作品番号 2025-263
梅天閑詠
濕雲喚雨入梅幾 湿雲 雨を喚び 入梅幾(ちか)し
庭草淒淒掩竹扉 庭草 淒淒 竹扉を掩ふ
葉影蝸牛閑試篆 葉影の蝸牛 閑かに篆を試む
紫陽花發淡紅微 紫陽花発き 淡紅微(ほの)かなり
<解説>
うっとうしい梅雨に入りますが、庭の蝸牛、紫陽花を見て、ひとときを過ごします。
<感想>
承句は「草」が「竹扉」を「掩」は大げさ過ぎると言うか、門を覆うほどの草ボウボウですと、それはもうあばら屋ですね。
転句は「葉影」が来ると、三句全部、植物の話題になります。
結句は「紫陽花」に対して「紅」と色で形容するのは挑戦的ではありますが、色配合としてはすっきりしないですね。
起句の「濕雲」は梅雨らしい言葉ですね。
「幾」は両韻字ですが、「ちかい、きざす」の意味なら平声、「どれだけ」ですと仄声。ここは「ちかい」ですね。
「塞(ふさぐ)」あたりが妥当でしょうね。
蝸牛はどこでも良いでしょうから、別の物の上を歩かせて、一旦植物から目を離しておくと、結句の「紫陽花」があらためて新鮮な印象になります。
色ではなく、「雨に打たれている」とか「風に揺れている」とか、色以外の方向でアプローチしてみてはどうですか。
by 桐山人(2025. 6月教室作品)
作品番号 2025-264
雨窗感懐
陰雲翠霧遠山微 陰雲 翠霧 遠山微かなり
驟雨落花風拂扉 驟雨 花を落とし 風扉を払ふ
故友無來尋不得 故友 来ること無く 尋ね得ず
閑吟煮茗忘塵機 閑吟 茗を煮 塵機を忘る
「翠霧」… 緑の木々を覆う霧
「驟雨」… にわかに降り出した激しい雨
「煮茗」… 茶を煮る
「忘塵機」… 心の煩いを忘れ、自然の境地、心の平穏を取り戻すこと
<解説>
転句は、友達が来ることはなく、私も訪問することができない意。
<感想>
「閑吟」は要らないでしょうね。
戻りますが、転句は「故友」よりももう少し頻繁に会う友達の方が良いでしょう。
前半は問題無いですね。
転句までは、強い雨に降り籠められて困ったという雰囲気ですが、結句で急に風雅な生活になりますね。
違いが大きいので、ちょっと途惑います。
「半窗獨坐」として、最後に「茶」を入れるようにする形で考えてはどうでしょう。
「詩友」「書友」とか「知友」が良いでしょう。
by 桐山人(2025. 6月教室作品)
作品番号 2025-265
雨窗感懷
霖雨空濛淋翠圍 霖雨 空濛 翠囲に淋(したた)る
蝸牛對向占枝機 蝸牛 対向 枝を占むの機(きざし)
起思蠻觸爭天下 思ひ起こしたり 蛮触の天下を争ふを
露國猶知角上威 露国は知る猶(べ)し 角上の威なるを
<解説>
梅雨のカタツムリからロシアを「蝸牛角上の争い」として避難する
<感想>
中国の戦国時代、魏の恵王(BC.370〜BC.335)は盟約を裏切った斉の威王(BC.378〜BC.343)を刺客を送って暗殺しようと考えていました。
今回の詩では、承句は現実の「蝸牛」、そこから二千数百年の時を飛び越えて、あたかも恵王の面前に立っているかのように思いが飛ぶわけで、まさに詩ならではの面白さ、痛快さですね。
起句の「淋」は日本語では「さびしい」の意味で使いますが、完全な和習で、「したたる」というこの用法が正しいものです。
承句の「占」も「しめる」は仄声、「うらなう」は平声の両韻字でばっちりです。
結句の中二字は「猶ほ知れ」と命令形で読んだ方が非難の勢いが出ると思います。
「蝸牛角上の争い」についてはよく知られていますが、「蠻觸」はあまり目にしませんね。
そもそも「蝸牛…」の言葉は『荘子』「則陽篇」が出典になります。
家臣の意見は賛否が分かれ、王は悩んでいました。
宰相の恵子は、賢人の戴晋人(たいしんじん)を恵王に合わせました。
戴晋人は「王はカタツムリをご存知ですか」と話を始め、「カタツムリの左の角に触氏という国があり、右の角には蛮氏という国があり、争いを果てしなく続けて死者数万という惨状でした」
恵王が「くだらん話だ」と一蹴しようとしますと、続けて「この世界は四方上下果てのない広大なもの、そこに心を遊ばせば、現実の魏や斉の国も蛮触の国も同じで、些末なことに過ぎません」と語ると、恵王は納得したという話です。
ただ、意味的には上の「霖」と音も意味も似ていますので、どちらかを別の言葉にしても良いかと思います。
【参考】
『荘子』「則陽篇」原文と読み下し文
惠子聞之而見戴晉人。
戴晉人曰、「有所謂蝸者、君知之乎。」(君)曰、「然。」
「有國於蝸之左角者、曰觸氏。有國於蝸之右角者、曰蠻氏。
時相與爭地而戰、伏尸數萬、逐北旬有五日而後反。」
君曰、「噫其虚言與。」
(戴)曰、「臣請爲君實之。君以意在四方上下有窮乎。」
君曰、「無窮。」
(戴)曰、「知遊心於無窮、而反在通達之國、若存若亡乎。」
君曰、「然。」
(戴)曰、「通達之中有魏、於魏中有梁、於梁中有王。王與蠻氏有辯乎。」
君曰、「無辯。」
戴晋人曰く、「所謂(いわゆる)蝸なる者、君之を知るか。」と。(恵王)曰はく、「然り。」と。
「蝸の左角に国する者在り、触氏と曰ふ。蝸の右角に国する者有り、蛮氏と曰ふ。
時に相与(とも)に地を争ひて戦ひ、伏尸数万、北(に)ぐるを逐(お)ひて旬有五日にして後反(かえ)る。」と。
君曰く、「噫(ああ)其れ虚言か。」と。
(戴)曰く、「臣請ふ、君の為に之を実にせん。君意を以って四方上下に在りて窮まり有りとするか。」と。
君曰く、「窮まり無し。」と。
(戴)曰く、「心を無窮に遊ばしむるを知りて、反りて通達の国に在るは、存するが若く亡きが若きか。」と。
君曰、「然り。」と。
(戴)曰く、「通達の中に魏有り、魏の中に梁有り、梁の中に王有り。王と蠻氏と弁有るか。」と。
君曰く、「弁無し。」と。
by 桐山人(2025. 6月教室作品)
作品番号 2025-266
空海大師三密 其二
空海大師三密教 空海大師 三密の教へ
口身心足禮儀知 口身心足りて 礼儀を知る
經聲燈火聞天語 灯火 経声 天語を聞く
奉謝祖先歡拜姿 祖先 奉謝 歓拝の姿
<解説>
四月弘法様のお祭り時、三密を繙く!!
「三密」は「口・身・意」で密教の基本となる教え。
<感想>
承句は「衣食足りて礼節を知る」の形ですが、「三密」は「足る」と言うようなものですか。
転句はお経と法灯の厳かな中、仏の素晴らしい言葉が聞こえたという意味ですね。
この転句と結句の上四字を読み順を替えて居ますが、転句は「経声 灯火」の順でも問題ありません。
その結句ですが、先ほどの「三密」の定義に戻ってしまうかも知れませんが、大師の教えのどこから「祖先」が出て来るのか、疑問です。
起句の「空海」の呼び方は生前の号で、亡くなられた後の諡号が「弘法大師」ですので、ここも「弘法大師」とした方が敬意が表れると思います。
私の調べた範囲では「口に真言を唱える口密(くみつ)、手に印を結ぶ身密、心に本尊を観念する意密」とありましたが、この三つのことを十分に行うということですかね。
ただ、それで「礼儀が分かる」とするのは難しいですから、「三密」の定義がやや違うかもしれませんね。
結句の方は「祖先に」と読みたいのは分かりますので、「祖先に奉謝」としておけば返り点と接続線で処理できますので大丈夫です。
「芳恩」くらいにして、下三字は「跪拜姿」とすると、大師への謝意となって全体の流れが生まれると思います。
by 桐山人(2025. 7月教室作品)
作品番号 2025-267
梅雨田家
春盡梅天暑氣微 春尽きて梅天となり暑気微かなり
閑人無課掩柴扉 閑人 課無く 柴扉を掩ふ
樹陰庭徑苔痕長 樹陰の庭径 苔痕長じ
僻地草庵來客稀 僻地の草庵 来客稀なり
<解説>
「無課」… 仕事が無い
「僻地」… いなか
<感想>
転句は季節感を出す叙景ですので、これは承句に置いた方が収まりますね。
結句ですが、「来客稀」の理由は田舎だからということですね。
起句は季節変化を表しましたが、「春盡」から「梅天」まで通常ですと一月はありますが、去年今年の異常な気候で早めに梅雨空になってしまったということでしょうかね。
「仲夏」「五月」などで直接季節を表す方法もありますね。
韻字を合わせますので「樹陰庭徑碧苔肥」とし、転句は逆に韻を踏まないように「閑人無課柴門閉」。
そうなると、上二字は逆にした方が良いです。
「地僻」(地は僻なれば)とすると、句の構成が明確になりますね。
by 桐山人(2025. 7月教室作品)
作品番号 2025-268
夏至候
午下日長炎暑空 午下 日長く炎暑空し
求涼薗苑拷A中 涼を求めて園苑 緑陰の中
四阿徒見巢雛鬧 四阿 徒らに見る 巣雛閙(さわ)がし
夏燕飛揚追羽蟲 夏燕 飛揚して羽虫を追ふ
<解説>
「四阿」… (公園の)東屋
<感想>
承句は内容的には問題ありませんが、「薗苑拷A中」と場所を表す言葉が重なるのが勿体ない。
この転句で見た「巢雛」は燕の雛でしょうね。
戻りますが、転句以降の燕の姿を見るのに、「徒」と修飾をつけたのはどんな意図でしょうか。
起句の最後は「むなし」ですか?「炎暑の空(そら)」と叙景の形で読んだ方が良いでしょうね。
「むなし」だと作者の心情を色々と考えなくてはいけなくなります。
「むなし」を避けるために「穹」の字を使うとか、「窮」としても良いでしょう。
中二字を「獨歩」「閑歩」などとしておくと、転句の「四阿」というこれも場所を表す言葉が出て来ても、あまり重複感無く読んでいけます。
そうなると、結句の「燕」と繋がるためには、「夏燕」を「親燕」としておくのが良いかと思いますが、「夏燕」自体で「親」という意味がありますか。
作者の行動から行けば、ここは「時見」か「偶見」が適当です。
「何となくボーと見ていた」とも理解はできますが、「徒」の割には燕の描写が長いので、これはきっと心に残った画面だったのではないかと読者は思います。
じゃあどうして敢えて「徒」を使ったのかと悩みます。
起句の「空」も同様で、読者に余分な疑問を抱かせるのは避けたいですね。
by 桐山人(2025. 7月教室作品)
作品番号 2025-269
卽事
江田閣閣刻鉛 江田 閣閣 緑初めて肥ゆ
南風習習稻水輝 南風 習習 稲水輝く
閭里坤元鮮萬物 閭里 坤元 万物鮮やか
刺槐香動白鷺飛 刺槐 香動き 白鷺飛ぶ
<解説>
梅雨の詩ではなくなりましたが、最近の私の家の周りの風景を詠みました。
「刺槐」はニセアカシアのことです。
<感想>
承句は平仄が合いませんので、上を「習習南風」と入れ替えておきましょう。
転句の「坤元」は「大地」のことですので、「閭里」という小ささと組み合わせが合いません。
結句は六字目の平仄が合いません。「鷺鷰飛」とか「白雲飛」でも良いかもと思います。
起句の「江田」は「大きな川沿いの田」ということですね。
下の「閣閣」は蛙の鳴き声が一般的ですが、それで考えるなら上は「遠蛙」「蛙聲」とまず出しておく必要があります。
「閣閣」にはもう一つ、真っ直ぐな様子や積み重なる意味もありますが、それでしたら「梯田」としておきましょうか。
「萬物鮮」という内容で考えると「坤元」の方が合いそうですが、「閭里四方鮮萬物」とする形もありますね。
by 桐山人(2025. 7月教室作品)
作品番号 2025-270
宿惠那山莊
涼風吹渡暮山 涼風吹き渡り 暮山青し
林木晩鶯鳴不停 林木の晩鶯 鳴いて停まらず
燕子翅輕飛返照 燕子 翅軽く 返照に飛ぶ
野營燈火似疎星 野営の灯火 疎星に似たり
<解説>
六月末に恵那山荘に泊まりました。夕方暗くなるまで、夏鶯、燕の子がにぎやかでした。
<感想>
起句はいかにも爽やかな山の様子が出ていますね。
承句は「林木」が単調、「晩鶯」は前句の「暮山」が響いて誤解されるかも、「夏木」か「夏鶯」とどちらかに「夏」を入れたいですね。
転句の燕の姿は、普段の街中の燕とあまり変わりませんね。
結句は突然夜になってしまい、「返照」の余韻を楽しむこともできません。
全体を見ると、「山荘」に居るという様子が出ていなくて、「初夏山中」とか「山行」という印象です。
出来れば、描かれている景色が宿から見たとなると、題と内容が合致します。
ここを「坂x風渡暮山」としても良いですね。
「夏木鶯鳴聲不停」とひとまずしておきましょう。
燕を描くならば、この時期の山中での姿、という特別感が欲しいですね。
この句だけで時間変化を表すのも難しいですので、いっそ承句に燕もまとめてしまい、「雛燕夏鶯鳴不停」。
そうならば転句で夜になったぞということを示すことができそうです。
そこに「山荘」が分かるような言葉が入れば、起句は原案のままでも良いです。
by 桐山人(2025. 7月教室作品)