作品番号 2023-31
歳晩書懷
茅茨有婦有兒孫 茅茨 婦有り 児孫有り
今夜待春傾酒樽 今夜 春を待ちて 酒樽を傾く
老境清廉佛心影 老境 清廉 仏心の影
鐘聲百八爽~魂 鐘声 百八 神魂を爽やかにす
作品番号 2023-32
新年作
瑞氣蓬蓬春色嘉 瑞気 蓬蓬 春色嘉し
團欒亦酌肇年家 団欒 亦た酌む 年を肇むる家
瓶梅一朶幽香散 瓶梅 一朶 幽香散ず
日暖南窗醉後茶 日暖かき南窓 酔後の茶
作品番号 2023-33
歳晩偶成
光陰荏苒枉磨甎 光陰荏苒 枉らに甎を磨く
日日無爲還一年 日日 無為にして 還た一年
映臉鏡中皺紋滿 臉を鏡中に映せば 皺紋劇しく
老殘贏得拙愚禪 老残 贏ち得たり 拙愚の禅
作品番号 2023-34
新年偶成
淑氣氛氳草舎春 淑気 氛氳 草舎の春
瓶梅數點綻香唇 瓶梅 数点 香唇を綻ばす
今朝癸卯三元日 今朝 癸卯 三元の日
書寫詩抄筆硯親 詩抄を書写し 筆硯に親しむ
作品番号 2023-35
歳夜
歳寒凜凜市門華 歳寒 凜凜 市門華やぐ
芳酒蟹魚紅白花 魚蟹 芳醇 紅白の花
欲盡囊錢年暮夜 尽きんと欲す 囊銭 年暮るる夜
開顏笑語滿貧家 開顔 笑語 貧家に満つ
作品番号 2023-36
新年書懷
改歳令辰風意暄 改歳 令辰 風意暄かなり
鶯聲出谷啓柴門 鴬声 谷を出でて 柴門啓く
人生八秩眞C福 人生 八秩 真に清福
滿目春光澹蕩存 満目の春光 澹蕩に存す
作品番号 2023-37
年頭偶成
四海洋洋天地暄 四海洋洋 天地暄たり
春風淑氣倚柴門 春風 淑気 柴門に倚る
蔓延疫病戰雲重 蔓延する疫病 戦雲は重く
偏願和平新歳村 偏へに和平を願ふ 新歳の村
作品番号 2023-38
新年三日
新年三日賀書來 新年三日 来函を見る
親戚知朋總息災 親戚 知朋 総じて災を免がるも
只我潜聽迎大難 只だ我のみ潜かに聴く 大難を迎ふるを
雖衰老骨正爲魁 衰ふと雖も 老骨 正に魁為らん
作品番号 2023-39
新年登高
新年寒日獨高巓 新年 寒日 独り高巓
直下岸頭車影聯 直下 岸頭 車影聯なる
瀲灔陽光波上燦 瀲灔たる陽光 波上に燦たり
青山遙望淡霞煙 青山 遥かに望めば 淡霞煙る
作品番号 2023-40
新正
除夜蕭然鐘韻遐 除夜 蕭然 鐘韻遐か
寒窗雪意坐煎茶 寒窓 雪意 坐して茶を煎る
曉霜村社平安禱 暁霜 村社 平安の祷り
東嶺初陽萬物嘉 東嶺 初陽 万物嘉なり
<解説>
日本人として、幼い頃の大晦日から元旦への行動、気持ちを思い出し、平和への思いを書きました。
作品番号 2023-41
傘壽迎春
歳寒三友帶銀花 歳寒の三友 銀花を帯ぶ
娟秀盆栽詩興加 娟秀の盆栽 詩興加ふ
癸卯新春八旬壽 癸卯 新春 八旬の寿
繙書字指倣詞華 繙書 字指 詞華を倣ふ
<解説>
庭の松竹梅に雪がうっすらと積もり、緑と白が色鮮やかである。
又、盆に栽した美しい姿の大小の樹木にもおもむきが加わり詩を作りたくなる。
八十歳になる今年はもっと良い詩が出来るように、本を読み習作したい。
作品番号 2023-42
癸卯年頭作
朝暾輝上照吾家 朝暾輝き上がって 吾家を照らす
身老心寧新歳嘉 身老ゆるも心寧く 新歳嘉こぶ
元日天晴促遊屐 元日の天晴れ 遊屐を促す
伴朋攜酒訪梅花 朋を伴ひ 酒を携へ 梅花を訪はん
<解説>
元日の朝の清々しい気持ち。見るもの新鮮に見える。老いたりと雖も気持ちを若く持ち、今年も元気に過ごしたい。
作品番号 2023-43
年頭所感(危惧二氣化炭)
人爲百歳地維傾 人為 百歳 地維は傾き
圓蓋朦朧氛氣生 円蓋 朦朧 雰気生ず
政治莫侵天コ貴 政治は侵す莫かれ 天徳の貴きを
三元徹歩避車行 三元 歩に徹して 車を避けて行く
※わずか百年、人間の欲望で大地は傾き始めた。天にはCO2が充満し不吉な雰囲気をかもす。
政治は天徳を侵してはならない。正月は車をやめて歩くに徹しよう。
<解説>
「地維」… 大地の四隅を繋ぎ支える想像上の綱
「圓蓋」… 天
「天コ」… 天が万物を造り育てる広大な働き
「雰氣」… 災禍の気 悪い気
作品番号 2023-44
賀癸卯
梅蕾C香瑞氣籠 梅蕾 清香 瑞気籠む
新年把酒笑聲中 新年 酒を把りて 笑声の中
不焦不急傾耳目 焦らず 急がず 耳目傾け
兀兀如龜成就雄 兀兀 亀の如く 成就雄なり
作品番号 2023-45
新年試筆
新春晴雪映窗紗 新春 晴雪 窓紗に映ゆ
重疊花牋筆翰家 重畳 花牋 筆翰の家
硯水瑩晶磨古墨 硯水 瑩晶 古墨を磨す
兔毫随意興無涯 兎毫 随意 興涯り無し
<解説>
今年も書や漢詩を学べる幸せに感謝し、できることを精一杯楽しくやる一年にしたいです。
漢文の授業で漢詩に触れたのがちょうど1年前。わずか数首でしたが、私は漢詩の美しさに魅了されました。
自分でも創ってみよう、と思ったのは、それからしばらく後です。
平仄という制限の中にある美、これを満たすためには、平仄を整えねばなりません。
したがって怠情な私はGoogleで「平仄 チェック」と検索、ヒットしたのが貴サイトでありました。私の生まれる前からあるサイトは多々ありますが、四半世紀も続いているサイトはなかなか見ません。
継続して運営をなさっていること、心より尊敬いたします。簡美、これが私が貴サイトに抱いている感想です。
昨今のサイトに見られる、落ち着きのない挙動、そんなものは存在しません。
それでいて、必要な機能は全て備えられているようにお見受けします。漢詩みたいに簡美、これが私の一貫した感想であります。他の方が多く漢詩を投稿なさっているのを拝読しているだけであった私も、拙いながら、さきほどの継続の原点である、詩の投稿をしたく思って、
ようやくここに詩の投稿を決心いたしました。
今後も漢詩を投稿できたら幸いです。
作品番号 2022-46
麗煌韶春
麗天彌宙悠而静 麗天 宙に弥(わた)り 悠(はる)かにして静かなり
煌若陽光染白嶺 煌若(こうじゃく)陽光 白嶺を染める
韶景無常恒啻君 韶景常には無く 恒(つね)なるは啻君のみなれば
春秋過瞬交朋永 春秋過ぐること瞬なれど 交朋永からん
<解説>
初めて投稿します。
私が今春、友人に送った年賀状に書いた詩です。新年のおめでたい四字熟語「麗煌韶春」から、文字を一文字ずつとって、句頭に挿入しました。
まず、新年の麗しい空の雄大さ、静けさを第一句で表しました。
次に第二句では、煌びやかな太陽の光が、そんな新年の空にわたって、白い雪を被った山を優しく照らすさまを表現しました。
この二句で、美しい新年の朝の一瞬を、切り取ったつもりです。
続いて第三句では、そんな美しい新年の景色の無常さと、それに対比して、友人は永くある、ということへの気づきを表しています。
であればこそ、第四句では、新年の景色も一瞬で無くなってしまうし、その先も年月が同様に、あっという間に過ぎてしまうけれど、友人関係は末長くありたい、と結びました。
第二句の二字目「若」は、「然」としたかったのですが、平仄の都合上、取り替えました。
また、平仄を合わせる中で特に口惜しかった変更が、第三句の上二字「韶景」です。
本当は、「韶華」とすることで、新年のおめでたい景色と、青春時代、というダブルミーニングにしたかったのですが、「華」だと平仄が一致しませんから、やむなく断念しました。
心残りです。
<感想>
学校の授業で興味を持ち、漢詩作に取り組まれたとのこと、ご指導された先生のお力も有ってのもの、素晴らしいことですね。
平仄、押韻ともに規則に合い、しっかり勉強されていますね。
押韻は唐以後の近体詩では平声で踏むのが基本ですが、古詩の雰囲気を出す形で仄韻詩も作られています。
転句末もきちんと平仄を替えていて、良いです。
四字熟語に限らず、何らかの言葉を分解して各句の頭に置くというのは、言葉遊びの詩作として古来から楽しまれてきています。
栗饅頭さんが選ばれた「麗煌韶春」は一つ一つの文字も明るく、新年らしいもの、この四字熟語を知ってるだけでも凄い!!
内容として、起句は「麗しい天(そら)が宙(そら)を弥る」というのは重複で、「そら」がどうなったのか悩みます。
お正月らしいめでたい言葉を入れて「麗天淑氣遍寧靜」など。
下三字も単語がバラバラとなるよりも、二字の単語を用いると読みが落ち着きます。
「悠」の字を使うならば、「淑氣」を「悠遠」としても良いですね。
承句では、平仄の関係で字を入れ替えることはよくありますので、仕方が無いと思いましょう。
ただ、この場合には「然」も「若」も状態を表す助字ですので、字数に限りのある詩では使わない方が良いとも言えます。
どうせなら強調する形で「煌燿」と「ひかりかがやく」とした方が効果があるでしょう。
同様のことが起句の「而」でも言えます。
転句の「韶景」は、ここに「韶」を置かなくてはいけないし、二字目は仄字でないといけないし、ということで残念ではありますが、仕方ないところですね。
平仄の規則の中で、「拗体」というのがあり、通常は「反法 粘法 粘法」となるところを「反法 反法 反法」と並べる形もありますので、どうしても「韶華」で行きたければそういう手もありますが、最初はやはり規則通りが良いですよね。
後半については、過ぎ行く季節に対して友情の固いことを示して、対比としては分かりやすいです。
難点は、二つの句が同じことを言っていることで、原因は「韶景」と「春秋」に同じ役割、つまり「移り行くもの」という役割を負わせたからです。
転句で自然のはかなさ、結句で友情の固さと配置すると、詩としてのまとまりも生まれると思います。
例えば、「韶景物華無定心」とか青春時代を含めるなら「韶景華年無定期」として、結句では「春遊不忘交情永」「春風只願交情永」などの展開が考えられますね。
初めて詩を拝見して、基礎の部分がしっかりしていらっしゃることが分かります。
機会があれば是非、次の作品にも取り組んでくださると嬉しく思います。
2023. 3.20 by 桐山人
作品番号 2022-47
立冬有感
一朝寒氣到村墟 一朝 寒気 村墟に到り
無ョ北風侵草廬 無頼の北風 草廬を侵す
須識冬來春不遠 須く識るべし 冬来れば 春遠からざるを
霜枝落葉出花初 霜枝 葉を落とすは 花を出だすの初めならん
<解説>
今朝の寒さは格別で 村里おおいつくすよう
北風小僧め抜け抜けと 貧乏長屋に入り込む
ところで冬が来たのなら 春になるのも遠くない
葉っぱの落ちたその場所は 花を咲かせる準備中
「冬来りなば春遠からじ」というわけですが、七絶二十八字で説明すると、ちょっと理屈っぽい感じもします。
<感想>
昨年にいただいた作品ですが、遅くなりすみません。季節が一つ廻ってしまいました。
日本語の「冬来たりなば春遠からじ」はなかなか難しいもので、文法的な点で言えば、「な」は完了の助動詞、「ば」は仮定条件の接続助詞、「じ」は打ち消し推量、細かく訳せば「冬がもし来たならば、春は遠くないはずだろう」ということですが、文法的な意味以上に豊富な情報が含まれています。
冬が来たばかりですから春なんてどこにも感じられない。しかし、心の中だけは春を思いたい。そう思うことで、これからの冬の厳しさを乗り越えよう。
書いてみればそんなところでしょうね。
このあたりは日本語の芳醇な部分で、だからこそ現代まで残る言葉になったのでしょう。
理屈っぽく感じるというのは、結句ですかね。葉の落ちた枝を眺めて「出花」を思い浮かべる、というのが急ぎ過ぎかもしれません。「出」を「備」とすると、少し緩くなりますか。
2023. 3.21 by 桐山人
作品番号 2022-48
梅丈嶽登臨
索道村遙到絶巓 索道 村遥かに 絶巓に到れば
五湖一一老筇前 五湖は一一(いついつ) 老筇の前
晶晶波影錦秋裡 晶晶たる波影 錦秋の裡
歸鳥和鳴雲淡邊 帰鳥の和鳴 雲淡き辺り
<解説>
「梅丈岳」: 若狭湾および三方五湖の眺望が素敵です。
「索道」: ケーブルカー。
ケーブルカーを降りると、足元に五湖がことごとく見えます。
しばらく長時間の外出が出来ませんでしたので、何度も行った記憶とインターネットの画像を参考に作りました。
<感想>
石華さんのこちらの詩も、いただいてから季節が二回り近く遷ってしまいましたね。すみません。
雄大な三方五湖の眺望、スケールの大きな画面ですので、それを最後まで維持したいところです。
まず、起句の「索道」ですが、これは要りますかね。
登山じゃない、ということと、梅丈嶽の説明、素直なお気持ちは分かりますが、承句で「筇」が出て来ますので、歩いて登ったような印象もあります。
ただ、この「筇」は、筇が示す視線が大事で、つまり眼下に「五湖」が広がるということを表す工夫した言葉ですね。
直すとすると、「索道」の方でしょうね。
転句ですが、「錦秋」は漢詩での用例が無いですね。季語として使っていますが、大漢和にも載っていませんし、日本での用法かと思います。
ということで、例えば「錦楓」としてみると、「波影」と「錦楓裡」はどういう位置関係なのか、悩みます。
目の前に紅葉した枝が在ってその隙間から見る、これは眺望を遮るから違います。それなら、湖の周りの山々が紅葉しているのか、これも「波影」という小さな物と山々ではバランスが悪い。
「晶晶波影」に合わせる形で行くなら「青青水」のような言葉が良いでしょう。
ここで「秋」を使わなくて行けましたので、起句に戻って冒頭は「秋午」「秋日」、「歸鳥」ですと「秋暮」ですか、季節を先に示しても良いですね。
転句までが視覚描写でしたので、結句で聴覚、音を出すのは良いです。しかし、転句までの雄大な景色からの結びが「鳥の声」では一気に視野がしぼんでしまう感は拭えません。
「百里」「千里」の「風」の音、人の話し声とか、あるいは転句で消えた「錦楓」で色彩豊かに締めくくるとか、考えてみてはどうでしょう。
2023. 3.21 by 桐山人
作品番号 2022-49
江堤晩歩
江風稍冷夕陽傾 江風稍(やや)冷やかにして 夕陽傾くに
廣磧窺魚一鷺明 広磧 魚を窺ふ一鷺明らかなり
蟲韻已無尋句徑 虫韻已に無し 句を尋ぬる径
鏗鏗唯有拄筇聲 鏗鏗(こうこう) 唯有り 筇を拄くの声
<解説>
「廣磧」 広く石の多い河原。
「鏗鏗」 杖をつく音。金属や石のカツーンと鳴る音。
愛犬と散歩していた晩秋の川です。詩に登場してもらう前にはかなくなりましたが。
<感想>
こちらの詩は、最後の「杖をつく音」をどう表すかで苦労された詩でしたね。
前半は実体験で、風景を素直に切り取った感がよく出ています。
後半は対句仕立てになっていますが、最後に「拄筇聲」を持ってくるとなると、ちょっと音が多いかな?
実際には「蟲韻」は無いのですが、読者の耳には残響が聞こえます。
せっかくの「鏗鏗」も捨て難いでしょうし、ここは気持ちを整理することからですね。
2023. 3.21 by 桐山人