2019年の投稿詩 第211作は 憲翁 さん、滋賀県大津市にお住まいの六十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2019-211

  游熊野古道 四首 其一        

峻路周存夥石叢   峻路周く存す 夥しき石叢

幾時偏護百柴宮   幾時(きじ)偏へに護る 百の柴宮(さいぐう)

苔階進歩多寒雨   苔階に歩を進むるに 寒雨多く

却憶先賢コ弗窮   却って憶ふ 先賢のコ 窮まらざるを

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 桐山堂ホームページへの感想もいただきました。

 初めまして。
 よろしくお願い致します。

 仕事をリタイヤしてからは、少し本腰を入れて勉強できるようになったのですが、それでも試行錯誤の連続です。
そんな中でこのページはいつも参考にさせて頂き、また刺激を頂いています。

 去年から今年にかけて四回程熊野古道を歩きましたので、それを題材に作ろうとしたのですが、書きたいことが色々あってまとまらず、一首にするのが難しければ、いっそのこと二首に分けたらいいのではと思って書き始めたら、何とか言いたかったことは大体表わせたかなと思えるところまで来ましたので(結果的に四首になりましたが)、今回初めて投稿させて頂くことにしました。

 いざ投稿しようと思うと気になるところがいくつも出てきて、最後まで細かい修正を繰り返すことになりました。
 また押韻、平仄の決まりを守るとともに、四首の中で字が重複しないようにしたかったため、字句の修正が増えてしまいました。
 そこまで欲張らなくてもよかったかとも思いますが、字句を探す練習にはなりました。

 投稿を目標に詩作を進めることは、より徹底して字句の検討をすることにつながり、勉強になると思いました。

 熊野古道を実際に歩いた時の印象です。
 古道を拓き、守り、伝えてこられた先人に、改めて思いを致しました。
 「石叢」は「石の多いくさむら」のつもりです。「柴宮」は、古道に沿って祀られている小さな神社(「王子」と呼ばれ、大坂と熊野の間に百座あったとされています)のことです。

<感想>

 新しい漢詩仲間を迎えることができ、とても嬉しく思っています。
 作詩経験は3年程とのことですが、しっかり勉強なさっていると思いました。

 一首ずつ拝見していきましょう。
 この詩では、起句の「周」「夥」がどちらも数の多いことを表していて、簡単に言えば「いっぱい道があって、いっぱい石だらけの叢がある」ということになります。
 後の句のことも考えて避けたのかもしれませんが、中二字は古道の様子を述べた方がすっきりします。「周存」という言葉自体も説明的です。
 「峻路」に合わせて「幽蹊」と置けば、情報量も増えますね。

 転句は「多」とここでも数量が出てきますが、「先賢徳」に思いを馳せるならば、「遭」とした方が、感懷がふと浮かんだというニュアンスが強まるでしょう。

 結句は「弗窮」は「無窮」とするところを平仄で合わせたのでしょうが、「果てが無い」ということと「果てにならない」という否定ではちょっと異なりますね。
 後半を「先人遺徳窮」として、上二字は「却憶」は不要な言葉ですので、「此地」とか「熊野」と場所を表す言葉を入れてはどうでしょうね。



2019.10.14                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第212作も 憲翁 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-212

  游熊野古道 四首 其二        

迂騷寂院聞禽語   騷を迂(さ)け 寂院に禽語を聞き

解裝山亭快惠泉   裝を解き 山亭に惠泉(けいせん)を快(たの)しむ

肅對嶝梯通本殿   肅として對す 嶝梯(とうてい)本殿に通ずるを

C望峭崿挂長川   C(すが)しく望む 峭崿に長川挂かるを

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 前半はゆったりした旅の気分、後半はそんな旅の中で、熊野本宮大社や那智の滝に対して抱いた厳粛な気持ちです。
 「惠泉」は温泉(日本最古と言われる温泉が熊野にあります)のつもりです。
 「嶝梯」は、平仄の関係と、対応する「峭崿」の構造に合わせることから、「梯嶝」を逆にしました。両韻字の「裝」は「たびじたく」の意で仄声、「望」はここでは平声。

<感想>

 全対格に持って行きリズミカルな構成を狙ったものですね。
 全対格で気をつけることは、律詩の中二聯のような形で素材を並べるために、大事な結句に作者の気持ちを十分に描ききれないことが多く、四句が結果として単調な流れになってしまうことです。
 憲翁さんのこの詩ではその辺りを意識してのもの、転句の「肅」や結句の「C」がこの場所での作者の気持ちを表しそうという意図でしょうね。
 「C望」の「C」が唐突な感情ですので、ここは「厳粛な気持ち」で揃えた方が良く、「肅對」「C望」をそれぞれ「肅拝」「遙瞻」などが落ち着くかと思います。

 細かい点ですが、起句の「寂」、直前の「迂騷」から流れるとインパクトが弱くなります。「深院」「小院」「傍院」など、色々考えられるでしょうね。

 「裝」は辞書によって仄声が書かれていますが、『全唐詩』での用例を見ても、近体詩では「下平声七陽」韻として平声で使われることがほとんどです。
 『詩韻含英異同弁』などの韻書を見ても平声との記載が中心ですので、こうした両韻については、普及している用法を重視して、漢詩で用いる時にはそちらに合わせるようにするのが良いと私は考えています。
 作者としては根拠があるのでしょうが、自作の詩について今回のような「自注」を添えることはあまりありません。
 平仄の一点だけで詩全体が否定されてしまうこともありますので、避けられるトラブルは避けた方が良いと私は考えています。





2019.10.14                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第213作も 憲翁 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-213

  游熊野古道 四首 其三        

頻頻異客使人驚   頻頻たり 異客 人をして驚か使む

料得交歡美俗榮   料(はか)り得たり 交歡もて美俗榮ゆかと

徐芾不歸元識否   徐芾(じょふつ)の歸らざるは 元識るや否や

雖茲命盡善隣生   茲に命盡くと雖も 善隣生ずるを

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 訪問者(特に外国からの)の多さに驚き、そこから、この地方は元々他との交流が盛んであったのではと想像し(少し離れていますが、明治時代に遭難したトルコ船を献身的に救助したという史実もあります)、後半では徐福伝説を踏まえ、一層想像をたくましくしました。

<感想>

 外国客が現在多いのは、世界遺産である熊野古道来訪という観光理由でしょうが、そこから遥か徐福の伝説まで遡って行ったのは、なるほど、たくましい想像ですね。
 しかし、潮の流れに乗っての南方からの異人の来着や、国内の海上交通の要所としての役割も果たしてきた土地ですので、民間の国際交流の原点とも言えるでしょうね。

 内容的に過去の出来事に終止して、「熊野古道」という題名からは離れているのが難点です。
 前半で「古道に沢山の外国人客が居て、そうか、昔から交流が盛んだった土地柄なのだ」ということが出てくると、後半の徐福ももう少し生きてくると思います。
 現行では、そこが突然という感じが残りますね。



2019.10.18                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第214作も 憲翁 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-214

  游熊野古道 四首 其四        

去歳何由志始堅   去歳 何に由ってか志始めて堅し

爾来羈枕意中鮮   爾来 羈枕 意中に鮮たり

毎尋猶有魂新感   尋ぬる毎に 猶ほ魂(こん)の新たに感ずる有り

孰日咸綦此地年   孰れの日か 咸く此地を綦(きは)むるの年ならん

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 四首の最後に熊野に関心を持った経緯などを書きたかったのですが、はっきりしたものがないので、それをその通り書くとともに、これからも新たな発見を求めて訪れるつもりであることを述べて、締めくくりとしました。
 両韻字の「毎」はここでは平声、「猶」は仄声。

<感想>

 転句の「毎」がここでは不釣り合いですね。
 「去年、ふと熊野古道を訪ねようと決心し」(起句)、「それ以来、旅心が胸の中で燃えている」(承句)、と来ると、当然予想されるのは「初めて尋ねてみたら・・・」ということになると思いますが、詩では「行く度に」となります。
 この詩でも、熊野古道の様子は一言も無く、「志」「意中」「魂」といった心中を語った語が続き、どうしても繰り返しの冗長な印象になります。

 承句はもう起句で表された内容とも言えますので、ここは、例えば「春に来た時は・・・、秋には・・・」という感じで古道の様子を少しでも入れてみると、転句が分かりやすくなりますね。

 転句の「毎」の字も漢詩では仄字の用法です。「仄頭」を避けようというお気持ちからの注でしょうか。
 ただ、ここは「毎」「猶」の副詞が重なり、その分下三字が窮屈な印象になっています。
 「羇心」とか「詩魂」の語を持ってきて、例えば「羇心猶得愈新醸」などの形が考えられますね。

 結句は気持ちは伝わりますし、全体の結びとしても妥当な感懷と言えますが、「何日」に対して「年」で終るのは気になりますね。
 「此地」を頭に持ってきて「孰年」で終るように入れ替えると良いかと思います。



2019.10.18                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第215作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-215

  別愛車        

人生大半親吾車   人生の大半 吾車に親しむ

加一九旬危険譁   九旬に 一を加え 危険と譁し

調布武州余住処   武州に 調布 余の住む処

惜禅末弟又何加   末弟に 惜くも禅り 又何ぞ加へん

          (下平声「六麻」の押韻)

<解説>

 愛車に乗り、東京から故郷岩国と関門橋を渡り九州全土を周遊、かつて少年兵として入隊した鹿児島航空隊跡の鹿屋海軍航空隊跡を訪ねた。
 現在の愛車は走行3000キロ、無傷にして新車同様であるが、吾齢91となり、近親者、友人からもそろそろと・・・
 意を決し車は末弟に無償で譲渡せり。

<感想>

 調布に年二回お伺いする度に、深渓さんのお車に乗せていただいて、調布の名所や深大寺のお蕎麦などにご案内いただきました。
 つい半年ほど前に最新式の電気自動車に替えられたばかりでしたので、免許返納のお話を伺ってびっくりでした。
 90歳を越えても脚力はお元気な深渓さんですので、逆に日常生活で歩くことが多くなるのは健康的かもしれませんね。

 詩は表現の面などで若干気になるところがありますが、その辺りも、迷いつつという気持ちの表れでしょうか。

 起句は下三平になっていますので、「久親車」としましょう。

 承句は「加」の字が結句の韻字と重複しています。九十一歳ということを強調するよりも、「以老児孫唱険譁」と事情を語るのが良いでしょう。

 転句は本来は「武州調布」となるのでしょうが、平仄で入れ替えましたか。それを読み下しで入れ替えるのも無理がありますので、「住処武州調布麓」のように語順を変更しましょうか。

 結句は「惜」は余分な字ですね。「偶」あたりでしょうか。



2019.10.27                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第216作は 遥峰 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-216

  日野川煙火        

炮聲十里吼轟然   炮声 十里 轟然と吼へ

光彩陸離奔一天   光彩陸離 一天に奔る

亂菊彗星消夏夜   乱菊 彗星 夏の夜に消え

堤塘人散月流川   堤塘 人散じ 月川に流る

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

「炮声」: つつ音。
「光彩陸離」: 美しい光が入り乱れてきらめき分散する。
「日野川」: 九頭竜川水系の支流で、福井県嶺北(丹南地域)を流れる一級河川。

 承句にパステルカラーを入れたかったのですが、詩語が見つかりませんでした。
 いきなり、音と光の花火の現場を出し、後半は寂しさと、月で秋の気配を出すのが、構想でしたが。

<感想>

 前半の花火の様子は丁寧に描かれていて、仰るように「音と光」が感じられる句になっていると思います。

 転句の「亂菊彗星」、この表現は承句の「光彩陸離」をより具体化したということで展開としては良いでしょうが、「消夏夜」と続けるのは疑問です。
 作者の意図は結句への導入にしたいところでしょうが、「消夏の夜」と読みがちですし、直前の「奔一天」のイメージの方が強くなります。
 時間経過を表すならば、「泡影」「夢幻」のような、はかなく消えるというもので表してはどうでしょう。



2019.10.29                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第217作も 遥峰 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-217

  新涼        

一蛬無聲菊未黄   一蛬 声無く 菊 未だ黄ならず

午來殘暑夜窗牀   午来の残暑 夜窓の牀

清澄山月送秋氣   清澄たる山月 秋気を送り

靜寂曲肱茅屋涼   静寂 肱を曲ぐ 茅屋の涼

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

「一蛬」: 「一」の字に初秋が、と何かの本にあったので。
「曲肱」: 清貧の生活の楽しさをいう故事から。

暑くて眠れず、エアコンは腰を冷やすし…で弱っていました。
ようやく眠れる気候になりましたが、「風」の構想で的が絞れず、考えていると…。

<感想>

 起句の「一」は僅かということを強調して、秋の初めに聞こえ始める虫の声を表した言葉ですね。
 それは分かりますが、「無聲」が気になります。
 詩題は「新涼」で、秋の気配を感じるようになった季節なわけですが、その時に「一匹の虫の鳴き声も聞こえない」となると、そもそも虫の存在をどうして感じたのかということになります。
 虫の声が有って初めて秋の到来を感じるわけで、まだ聞こえないうちから「虫の声が聞こえないなぁ」と考えることは、存在することを前提にした感覚であり、中秋や晩秋ならともかく、この時期では不自然ですね。虫声が少ないことはもう出ていますので、「細細」「切切」くらいでしょう。

 承句で夜の時刻に移りましたので「山月」と流れたのは良いですね。「月」が「送秋氣」というのも面白い表現ですが、「中天白」くらいが妥当かと思います。

 結句は「静寂」「涼」を得ることとは関係ない情報ですので、「茅屋曲肱」と書き出して、下三字を検討するのが良いでしょう。



2019.10.30                  by 桐山人



遥峰さんから推敲作をいただきました。

    新涼
  細細蟲聲先敗牆   細々たる虫声 先ず敗牆
  午來殘暑夜窗牀   午来の残暑 夜窓の牀
  清澄山月中天白   清澄たる山月 中天に白く
  茅屋曲肱如酔郷   茅屋 肱を曲げ 酔郷の如し


2019.11. 1            by 遥峰























 2019年の投稿詩 第218作は 衡石 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-218

  秋夜對月        

桂華頭上浩玲瓏   桂華 頭上 浩として玲瓏

清夜星流涼氣通   清夜 星流れ 涼気通ず

獨看中秋疑有雲   独り看る 中秋 雲有るかと疑ふ

湿衣零露咽庭蟲   衣を湿す 零露 庭蟲咽ぶ

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 月は頭上に美しく、浩々と輝いており
 清い夜に星が流れて、辺りには秋の気配が満ちている。
 季節は今、中秋の候で、月を独り看て雲が出ているかと疑い
 落ちる露は衣服を湿らし、庭では虫が鳴いている。


<感想>

 詩題に即して秋らしい内容にまとまっていると思います。

 起句の「頭上」という表現を見ると、衡石さんが実際に庭に出て立っていらっしゃるのでしょうか。
 ここを、例えば「峰上」「杪上」「簷上」と替えていくと、一字のことで具体的な画面が変化します。どれがこの詩で適するか、を考えるのも漢詩ならではの楽しみですね。

 前半の「玲瓏」「清夜」と十分に月の美しさを描いていますので、後半の「獨看」はもう要らないでしょうし、露につなげる「疑有雲」も実感ではあっても必要かどうか。
 この詩では起承結で「秋夜對月」の要素は出ています。しかし、「頭上」もそうですが、一般的な画面で、作者がどこで、どんな事情で月を見ているのかという、この詩ならではの要素がまだ出ていません。
 「客舎」「収帙」「小病」など(これは私の勝手な選択ですが)、結句の心情につながるような要素があると、衡石さんならではの詩になると思います。



2019.10.30                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第219作は 茜峰 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-219

  立薩哈林望郷丘想        

静閑碑建望郷丘   静閑に碑は建つ 望郷の丘

嘆恨如何船橋頭   嘆恨は如何 船橋の頭(ほとり)

戦後邦人帰国速   戦後 邦人 帰国の速さ

哀號韓族被捐憂   哀號の 漢族 被捐の憂ひ

無情徴用壊家眷   無情の徴用は 家眷を壊し

対立政争齎滞留   対立する政争は 滞留を齎す

吾恥浅聞深謝意   吾は浅聞を恥じ 深謝の意(こころ)

隣交歴史友朋謳   隣交の歴史 友朋を謳はん

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 6月末にサハリンに行った。目的はチェーホフ山登山と植物観察だったが 観光もした。
 そのときコルサコフ市で望郷の丘に立った。一挙に70余年前に引き戻された思いだった。

 戦後日本人は即刻帰り、韓国人は見捨てられ帰国が遅くなったのは知ってはいたが、あまりそのことは考えたこともなかった。
 帰国後その関係の書を読んだ。自分の浅学を恥じ、また申し訳なく思った。
 日韓の歴史問題は、当事者にとってはいつまでもしこりとなって残るだろう。
 我が問題と考え 私たち庶民同士もっと隣国と仲良く付き合っていきたいと思う。


<感想>

 掲載が遅くなり申しわけありません。
 茜峰さんはサハリンの旅でお感じになったことを、八月に新聞に投稿(解説文と同趣旨のもの)され、その思いを漢詩に表した詩です。

 茜峰さんのお気持ちは詩にしっかりと表わされていると思います。
 第二句が下三平になっていることは平仄ミスでしょうから修正してください。
 同じく「如何」は手段方法と問うので、状態を問う「何如」の方が良いでしょうね。

 全体には、主張のある、論理的な構成になっていると思いますが、気持の方が急いでいて、対句の語の対応なども甘く感じます。
 日本語の普段のリズムで漢詩が書かれていて、七言律詩の形式に追いついていない印象です。

 記録に残る詩にするためにも、せっかくの詩ですので、これを初稿として、言葉の対応を錬って再考されることをお勧めします。



2019.11. 5                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第220作は 一竿 さん、茨城県常陸太田市にお住まいの六十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2019-220

  田園秋景        

西風村外独徘徊   西風の村外 独り徘徊す

碧落無雲気快哉   碧落雲無く 気快哉なり

燕子知秋去南国   燕子秋を知り 南国へ去る

新寒田圃雁歸來   新寒田圃に 雁帰り来たる

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

 夏の間飛んでいた燕が南に帰り、冬鳥の渡りが始まった季節の変化を詠んでみました。

<感想>

 新しい漢詩仲間をお迎えでき、とても嬉しく思っています。
 漢詩創作経験は一年半とのことですが、平仄も整い、内容も題名によく合う素材もが切り取られていると思います。

 前半は、秋風の吹く郊外をひとり歩いて、雲一つ無い青空を見ていると心も爽快になるということで、この二句で詩はほぼ完結しています。
 つまり、心情語である「気快哉」が景をうまくまとめていますね。
 欲を言えば、「西風」は「秋風」ですし、「村外」も場所を表しているだけですので、どんな「風」がどんな「村外」に吹いているのかに具体性が入ると、「気快哉」がより生きてくると思います。

 転句の「燕が秋を知り南へ去る」というのは、結句の「雁が来た」との対応で季節の変化を出そうということですが、これはいかにも取って付けたような感じです。
 夏鳥である燕が居なくなる時期と冬鳥の雁がやってくる時期は、意識の点では随分間隔があると思います。つまり、前者は「秋が来た」であり、後者は「冬が来た」なわけです。
 その間隔で「季節の変化」となると、大雑把過ぎて、「そりゃそうだよね」としか反応できません。
 対応させる狙いは良いですので、ここは「雁」の前に、もう少し晩秋を感じさせるものが欲しいところですね。

2019.11.5                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第221作は 哲山 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-221

  翁漢        

施情全遣水   施情は全て水に遣り

恩義反彫磐   恩義は反って磐に彫れ

粉骨サ身漢   粉骨サ身の漢

甘貧客衣單   貧に甘んじ客衣は單なり

          (上平声「十四寒」の押韻)

<解説>

「翁漢」は、ボランティアのH.Oさんの名言を詩に試みました。
「翁漢」が適切かどうかわかりません。

<感想>

 このホームページでは個人名が出るのはできるだけ避けていますので、イニシャルで書かせていただきましたが、ボランティア活動で昨年全国的に有名になった方ですので、皆さん、すぐにお分かりになると思います。

 飾らず、求めず、というお姿は「男だぜ」という意味で「漢」の字がよく合っていると思いますよ。
 哲山さんとは同年代になるのでしょうか、共感の気持が感じられる詩になっていますね。

 転句の「サ」(しゅう)は「刃物で削る」という字ですね。

 結句の「衣」は動詞用法で平声、名詞の場合には仄声になりますので、「服」「褐」などにすると良いでしょう。



2019.11. 6                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第222作は 哲山 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-222

  酒軍        

徳友誰云佛   徳友 誰か云う佛と

竜行虎歩仁   竜行虎歩の仁なり

政談時首唱   政談し 時に首唱す

醇厚楽清貧   醇厚にして 清貧を楽しむ

          (上平声「十一真」の押韻)

<感想>

 起句の「徳友」は哲山さんからいただいたものでは「酒飲み仲間の友人の名前」としてお名前が出ていましたので、申しわけありませんが、掲載に当たっては少しぼかして書かせていただきました。
 個人的にこの詩を使われる場合には元のままで結構ですので、ご了承ください。

 承句の「竜行虎歩」は「龍や虎のように堂堂と歩く姿」を表す言葉ですが、ご友人の日頃のお姿が窺われますね。
 「政談」は「高談」となるとまたご友人のお姿が変わってきますね。



2019.11. 6                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第223作は 恕水 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-223

  観蛍        

林叢点点芰荷香   林叢 点点として 芰香し

月落微風度野塘   月落ち 微風 野塘を度る

覚気回看星乱隕   気を覚え 回りて看る 星乱れて隕つ

飛蛍満眼水声涼   飛蛍 満眼 水声涼し

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 草むらに小さな光がいくつも見える。ハスの香りが漂ってくる。
 月が落ち、かすかな風に乗って、その香りは堤を渡ってくるのだ。
 ふと気配を感じ、振り返って見ると、無数の流れ星。
 蛍が飛び交っていたのだった。水の流れる音もわずかに聞こえ、涼しげだ。

<感想>

 スリリングな展開で、結句まで一気に読ませてくれますね。
 最後の「水声涼」も余韻の残る結びになっていると思います。

 転句の「覚気回看」は回りくどく、どちらかで十分です。
「回看」を「驚看」と感情を入れるとか、「回看燦星群乱隕」と光の形容をいれるなど、情報を増やすことができますね。



2019.11.16                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第224作は 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-224

  荊妻白内障治療        

加齢産物萬民常   加齢の産物 万民の常

白濁水晶生動殃   白濁の水晶 生動の殃

治療数分憂慮刻   治療 数分 憂慮の刻

快然視力試新粧   視力 快然して新粧を試む

          (下平声「七陽」の押韻)

「荊妻」: 愚妻
「生動」: 毎日の生活
「快然」: 完治

<感想>

 白内障も気がついた時点で手術をすると、大抵の方は、視界が一気に開けたとおっしゃいますね。
 お書きのように「加齢産物萬民常」とは言えますが、手術となるとやはり心配は伴います。
 岳城さんのお気持ちは「憂慮」に表れていますね。

 ご快癒とのこと、良かったですね。

 結句の読み下しは「快然たる視力」と読み下します。

 



2019.11.16                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第225作は 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-225

  祝住職継職        

浄域幢幡塵念忘   浄域の幢幡 塵念 忘る

稚兒行列画明粧   稚児の行列 明粧を画く

老僧勇退安閑状   老僧 勇退 安閑の状(すがた)

住職継承銀燭光   住職の継承 銀燭の光

          (下平声「七陽」の押韻)

「浄域」: お寺
「幢幡」: のぼり旗

<感想>

 こちらの詩も、出来事の記録として、何かあった時にその都度、詩に書き残すことは大切なことですね。
 ご住職の世代交代は檀家の皆さんにも重大なこと、画面がよく伝わる詩になっていると思います。

 若干難を言えば、四句とも上四字が熟語が同じように並んでいて、読み下しても「○○の○○」という形でやや単調です。一句だけでも変化を付けたいとこですね。

 もう一つは、結句ですが「住職継承」は題名も含めてもう分かりますので、ここは檀家としての作者の気持ちとか、新しい住職さんの様子などを入れた方が良いですね。



2019.11.16                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第226作は 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-226

  浴冷泉        

汗乾無人跡   汗乾 人跡無く,

山林有冷泉   山林 冷泉有り。

写顔涵裸足   顔を写さんと 裸足を涵し、

洗髪整花鈿   髪を洗わんと 花鈿を整ふ。

透水清穹色   透水 清穹の色、

同心拡散円   同心 拡散の円。

涼風如小婦   涼風 小婦の如く、

一語和天然   一語 天然に和す。

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 ルノワールの浴女か?チャイコフスキーのバイオリン協奏曲か?と言ったイメージを五言律詩にしてみました。

 ビーナスの様な綺麗な女の子を想像した方が、まぁ楽しいじゃないですか?お好きなように想像を働かせてください。

 最近詩の題材を探すのに苦労してきました。

 同じような詩をいくつも書いても仕方ないし、と思うようになりつつあります。

<感想>

 凌雲さんからは随分以前にいただいていて、掲載が遅れてすみません。
 結果的に、久しぶりの投稿になってしまいました。

 首聯は、誰も居ない山中の泉という幻想的な場面設定ですが、「乾」ですと平声で合いません。
 ここは対句でなくても良いので、「忘汗山林徑 無人有冷泉」としてはどうでしょう。

 頷聯は「顏を写す」のに「涵裸足」、足を泉に入れてしゃがんだということでしょうが、もう少し画面をすっきりさせたいですね。「涵す」のは別のものの方がよいでしょう。

 頸聯は水の様子、波紋の広がりということで、説明としては分かります。

 尾聯は比喩が明瞭ではないこと、「一語」も突然で、誰の語なのか分からないですね。
 作者はある程度具体的なイメージを描いているのでしょうが、五言の句では十分に伝わっていない印象ですね。



2019.11.16                  by 桐山人