2019年の投稿詩 第91作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-91

  早春漫歩        

庭鳥関関晴日晨   庭鳥関関 晴日の晨

自為早起杖黎人   自ずから為す 早起 杖黎人

和風習習野梅径   和風習習 野梅の径

却惜枝頭無見春   却って惜む 枝頭春を見る無きを

          (上平声「十一真」の押韻)

<感想>

 2019年の一般投稿の最初は真瑞庵さんの作品を拝見しましょう。
 早春の穏やかな朝を感じさせる詩ですね。

 起句の「関関」は『詩経』からの言葉で、鳥が和やかに鳴く声を表します。
 この鳥の声で朝目が覚めたのかと思いきや、承句を見ますと、日頃から早起きのようですね。と言うことは、起句の鳥の声も叙景の一つということでしょう。
 起承を逆にするという流れもあるかと思いますが、いかがでしょう。

 結句は、せっかくの好天、柔らかな春風の中、梅を見に来たのに、まだ早かったという残念な気持ですね。
 転句の「野梅径」と来れば梅の花が開いている場面、花が無いのに梅だと分かる、それは例年歩いて見ているから知っているということでしょうが、それは作者の事情で読者は分かりません。
 「梅園」とすれば流れはよくなると思いますが、ここは「野郊」「園林」などで抑えておくのも考えられるでしょうね。




2019. 4. 1                 by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第92作は 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-92

  立春雪        

摩天高閣隠遥霞   天を摩する高閣 遥かな霞に隠れ、

減彩寒風凍菜花   彩りを減ずる寒風 菜の花凍えさせる。

静舞零溶当節雪   静かに舞 零れて溶ける 当節の雪、

窓蒸結露我温家   窓は結露に蒸す 我が温家。

          (下平声「六麻」の押韻)

<解説>

 ここの所、詩に詠いたくなる様なネタに困るようになりました。
 窓から見える風景でも書いてみようと思い書いてみました。

 窓からは、ランドマークタワーも、頭だけですけど富士山も望めます。

 それにしても、時間が有れば詩が書けると言う訳では無いようですね。
 漢詩を書くと言う事は集中力も根気も必要ですから。
 鈴木先生の、やや辛口のコメントもお待ちしてます。

<感想>

 立春の雪という恰好の素材を得ての作詩、遠く霞むスカイツリー、風に凍える黄色い菜の花、時に舞い散る春の雪、さてさて、どのような展開になるのかと期待をしましたが、うーん、この結びでは寂しいですね。
 と言うよりも、「家の中はぬくぬくだ〜」という結論ならば、雪だろうが風だろうが雨だろうが霰だろうが、要するに「外は寒い」ということさえ言えば良いわけで、起承転の三句を全て消し去ってしまうことになります。
 せっかくの雪景色、立春という時節、そんなの関係ねぇ(古くてすみません)という句ですね、これは。

 雪のことで引き延ばすか、季節のことで感懐を述べるか、何にせよ結句は直した方が良いですね。

 用語としては、まず承句ですが、「寒風」「減彩」というのが繋がらないですね。
 寒いと色彩が無くなる・・・?、「暮風」とか、もう少し工夫しましょう。

 転句の「零溶」はいただいた送り仮名から考えると、「たレテとケル」と読むのでしょうか。「融」でなく「溶」ですので、水溜まりにでも落ちて行くのか、悩ましい用語ですね。



2019. 4. 1                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第93作は 亥燧 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-93

  讃大谷翔平選手        

帯着二刀航美国   二刀を帯着して 美国へ航る

奥州若虎如添翼   奥州の若虎 翼を添ふるが如し

天生才質自難捐   天生の才質は自ずから捐て難し

忽使世人咸魅惑   忽ち世人をして 咸く魅惑せしむ

          (入声「十三職」の押韻)

「虎如添翼」: 鬼に金棒
「二刀」: 投打の二刀流

<感想>

 昨年も二刀流で大活躍した大谷選手、テレビの中継での「オータニサーン」の叫び声も耳に残りましたね。
 肘の手術を経ての復帰、焦らず、無理のないようにして、長く活躍してくれることを願います。

 入声の韻で力強さを出しつつ、転句に『長恨歌』の引用で華麗さを添えたあたりも、楽しさが感じられる詩ですね。



2019. 4. 1                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第94作は 哲山 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-94

  浮世        

過斯人毎許神常   過ちは斯れ 人の毎 許すは神の常

闇是吾情導佛光   闇は是れ 吾が情(こころ) 導くは佛の光

流恨蹉跌浮世俗   流恨 蹉跌 浮世の俗(つね)

哀歓倶荷落花軽   哀歓 倶に荷って 落花軽し

          (下平声「七陽」・「八庚」の押韻)

<感想>

 こうした人生の重みが感じられる詩は、その重さが最後まで続くと、読者の方もやや息苦しくなるところがありますが、哲山さんのこの詩は結句の転換で、明るさが出てホッとしますね。

 押韻の関係で、結句の「軽」は同じ「下平声七陽」韻の字にしたいですので、「岡」「香」などに変更すると収まりますね。



2019. 4. 1                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第95作は 緑風 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-95

  偶成        

自問人生蹤如何   自ら問ふ 人生の蹤 如何と

波瀾萬丈引憂多   波乱万丈 憂ひを引くこと多し

隱遁暇豫詩書酒   隠遁 過余 詩書と酒

安樂終焉祈降魔   安楽終焉 降魔に祈らん

          (下平声「五歌」の押韻)

「降魔」: 悪魔を降伏させる佛

<感想>

 前半は「波瀾萬丈」の人生を振り返って、「憂いが多かった」という感懐を述べておられますが、後半はその後のゆったりとした生活が描かれています。
 転句の「暇餘」は「無事にのんびりと過ごす」こと、「波瀾萬丈」との対比が効果的ですね。

 結句は「安らかな最期」というご希望、これは誰もが共感する願いですね。


2019. 4. 1                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第96作は 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-96

  祝愛孫成人式        

過隙春秋二十年   過隙の春秋 二十年

遠來賀客此開筵   遠来の賀客 此に筵を開く

蘭孫耀耀成人日   蘭孫 耀耀 成人の日

長袖采衣清且妍   長袖 采衣 清 且つ 妍なり

          (下平声「一先」の押韻)

「過隙」: 移り変わりが早い
「蘭孫」: 良い孫
「耀耀」: 輝く
「采衣」:彩りのある衣装 晴れ着

<感想>

 お祝いと嬉しいお気持ちがよく表れた作品だと思います。
 お孫さんも喜ばれたことでしょうね。

 十分にふさわしい内容、表現になっていると思います。
 起句の「過隙」は「あっという間」というお祖父ちゃんとしての率直なお気持ちを表されていますね。
 「成人」というお祝いの時ということで、「待ち望んだ」と逆のお気持ちにする方向もあるかと思いました。




2019. 4. 1                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第97作は 遙峰 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-97

  訪ク村        

水紋浩蕩圃園東   水紋 浩蕩 圃園の東

忙月耕耘何處同   忙月の耕耘 何処も同じ

依舊村邊無相識   旧に依るも 村辺 相識るは無く

雙筇追想在虛空   双筇の追想 虚空に在り

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 少し暖かくなったので、昔、住んでいた処へ行ってみました。
 村の様子は変わりませんが、思い出話をする相手もおらず、残念でした。

※「雙筇」は、老夫婦を表すための語です。

<感想>

 題名は「春日ク村」と季節を表す語を入れておくと、記録的にも良いでしょう。

 起句は「圃園東」だけですと、上の「水紋浩蕩」がどこなのかが分かりません。
 「野池東」では駄目ですか。

 承句の「忙月」は「農繁期」ですが、初夏、田植えの頃くらいのイメージがありますね。
 農繁期にわざわざやって来た異邦人という感じですし、また、農繁期ということですと、皆さん、農作業に忙しいわけで、そんな時に思い出話に付き合ってくれる人が居ないのも当然か、と思います。
 「二月」くらいが手頃でしょう。


 結句の「雙筇」はご夫婦でいらっしゃったことを表したとのこと、確かに「孤筇」という語があり、「二人で」ということは理解出来ますし、用例もあります。
 ただ、ここで「二人」という必要があるかどうか、一人で故郷に行ったという場面と、ご夫婦で昔の思い出の地に行ったという場面では詩情が変わってきます。
 「在虛空」は「孤筇」の印象です。二人での場合の違いが浮き上がるような下三字にしたいですね。



2019. 4. 1                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第98作は福井県の 衡石 さん、七十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2019-98

  春日郊行        

弄春百鳥語晴風   春を弄す百鳥 晴風に語り

香霧遊絲駘蕩中   香夢の遊絲 駘蕩の中

小飲詩魔添酒興   小飲の詩魔 酒興を添へ

堪憐到處野桃紅   憐れむに堪へたり 到る処 野桃紅なるを

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 様々な鳥たちが春を楽しんで囀っており、
 花のもやの中の陽炎は、のどかな様子である。
 こざか盛で作詩したくなる心は、酒の興を助け、
 ここかしこ野に咲く桃が赤い春景色を、眺めていつくしむのだ。

<感想>

 初めまして、新しい漢詩仲間を大歓迎です。

 作詩のご経験はもう十年以上、ということで、題名に即した、春らしい素材をまとめた詩ですね。

 このままでも十分ですが、もう少し詩情を加える形で見ますと、

 承句の「遊絲」は本来は「蜘蛛が枝から風に流す糸」のことですが、日本では「陽炎」と一緒にしている語です。
 この場合には「陽炎」の意味ですが、私としては「香霧」「遊絲」、更に「晴風」が同じ場面に入るのは、詰め込み過ぎの印象ですね。
 「香霧」「遊絲」、どちらかを形容する言葉を入れると落ち着くと思います。

 転句は「小飲」「酒興」は重なりますので、「小飲詩魔添興趣」としてはどうでしょう。

 結句は「到處」で良いですが、あちらでもこちらでもということなら「處處」でしょうか。



2019. 4. 1                  by 桐山人


衡石さんから推敲作をいただきました。

  春日郊行
 弄春百鳥語晴風   春を弄す百鳥 晴風に語り
 花塢遊絲駘蕩中   花塢の遊絲 駘蕩の中
 小飮詩魔添興趣   小飲の詩魔 興趣を添へ
 堪憐處處野桃紅   憐れむに堪へたり 處處 野桃紅なるを


 様々な鳥たちが春を楽しんで囀っており、
 花咲く土手の陽炎は、のどかな様子である。
 こざか盛で詩作りしたくなる心は、趣を添え、
 ここかしこ野に咲く桃花が赤い景色を、眺めていつくしむのだ。


2019. 4. 6              by 衡石
























 2019年の投稿詩 第99作は 亥燧 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-99

  情人節即事        

義理人情朱克力   義理と人情のチョコレート

謝忱宴席風流極   謝忱の宴席 風流 極まる

嬌喉眉黛似龍宮   嬌喉 眉黛 竜宮の似し

酒醒香消悛悔刻   酒醒め 香消えて 悛悔の刻

          (入声「十三職」の押韻)

<解説>

 古稀の奇跡。情人節にちなみ沢山のチョコレートを頂き、初めてのお返しの宴。
 嬌声華やか、まるで竜宮城でした。
 昭和生まれのおじさんはもじもじ。「またやろや」との声もありましたが、さて、「春宵一刻値千金」この意味するところを考えています。

<感想>

 バレンタインデーを中国では「情人節」と呼びますね。
 日本人は「情人」と聞くと不心得な感じを持ってしまいますが、中国では単に「恋人」のこと、ですから「情人節」は「恋人の日」というロマンチックなネーミングです。

 「忱」はあまり使わない字ですが、「奥深いまごころ」を表します。「謝忱」として熟語で「お礼の真情」となります。

 仄韻でお作りですが、起句の「朱克力」を句末に置く算段でしょうか。「即事」らしい軽さと入声仄韻の堅さが面白いですね。

 チョコレートを貰って一度、お返しで二度、楽しい時間を得たわけですので、「悛悔」は要らないように思いますよ。



2019. 4.14                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第100作は 亥燧 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-100

  看電視有感        

悉排衆訴計逾奸   悉く衆訴を排し 計いよいよ奸なり

不辨時機口舌寒   時機をわきまえず 口舌寒し

逆命利君今昔感   逆命利君は今昔の感

腐儒豎吏雨聲酸   腐儒と豎吏 雨聲酸たり

          (上平声「十四寒」の押韻)

<解説>

 先日、休みだったのでテレビで国会中継を見ていて驚いた。
 法制局長官の答弁に、思わず『豎吏』と表現したが、やはり大きな問題になっている。
明らかに公務員としての自覚が足りない。
 こういった輩が虎の意を借る狐、人相もしゃべり方もいけない。
 質問に答えない閣僚が一番いけませんが、お追従も見ていて気持ちが悪いですね。


「豎吏」: 木っ端役人
「腐儒」: 役に立たない学者
「逆命利君」: 広瀬宰平の言で、「主命に逆らってでも君主を守る」こと。

<感想>

 この詩を送っていただいたのが三月中旬ですので、これは「横畠裕介内閣法制局長官」の「声を荒げて」発言ですかね。
 この数年、森友・加計問題での答弁を初めとして、総務省の統計データ改ざんなど、お役人からみの問題が色々と続いて、どの話だったのか分からなくなるほどです。
 まあ、大臣や副大臣にまでなった方々がとんでもない失言で辞任、国会議員の人格とか人間性まで危ぶまれる昨今、お役人も国民のために仕事をしているのではないことがよく分かりました。
 せめて、「国家百年の計に則った方針であり、下々の者には分からないことだ」と開き直るくらいの気概ある官僚であってほしいですね。



2019.4.14                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第101作は 亥燧 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-101

  思福島        

城市無人蔓草滋   城市人無く 蔓草滋り

豊穣山海未洪基   豊穣の山海 未だ洪基ならず

捜羅断念君安在   捜羅断念 君安くに在りや

劫後八年春到遅   劫後八年 春到ること遅し

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 毎年三月のこの時期には、東日本大災害を追悼する詩をつくっています。
 もう八年にもなるのに未だ故郷に帰れない人が沢山いらっしゃると言うのは、何とも切ないです。

<感想>

 3月11日のことは決して忘れることは無いですが、こうして詩を作られる、あるいは詩を拝見することで、思いをより新たに、そして深くすることができます。
 亥燧さんからは4年前にも作品を送っていただきましたね。

  「劫後四年憶東日本大震災」

 承句の「洪基」は「大きな事業の基礎」ということですが、ここでは復興の事業を指しているのでしょう。

 「人の消えた市街は草が生い茂り、豊饒である山や海はまだ復興途上だ」という対応は、拡がりがあって、気持がよく伝わります。

 後半も被災地の現状を伝えていて、まとまった詩だと思います。

 一点だけ、これは我が儘かもしれませんが、起句に「蔓草滋」とあります。これは街が荒廃したことを表しているのですが、「蔓草」ではあっても「滋」の字が「春の訪れ」を感じさせ、結句との整合性がやや気になります。
 他の韻字か、いっそ踏み落とすか、どちらかでご検討いただくとすっきりするように思います。



2019. 4.14                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第102作は 遙峰 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-102

  日日樂        

平明翻墨書斎外   平明 墨を翻し 書斎の外

過午迷詩乱帙中   過午 詩に迷ふ 乱帙の中

ク友嚬眉眸眼   郷友 眉を嚬むも 眸は青眼

幾人借問意融融   幾人 借問す 意融融なるか

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 朝早くから、お習字の墨をぶちまけてしまい、書斎の外へ、
 午後は、参考書を散らばしても詩はできない。  友達は、またやってるなと顔をしかめるが、見る目は暖かい。
 何人にも聞かれた。楽しいかいって。

 初めて対句に挑戦しました。詩は下手の極みですが、「書」と「詩」で毎日、楽しい(苦しい)日々です。

<感想>

 起句の「翻墨」は蘇軾の「六月二十七日望湖楼酔書 五絶其一」でよく知られている言葉ですね。
 「翻手」と言えば「手のひらをさかさまにする」こと、墨をひっくり返したのが「書斎外」となると、「硯を洗ったのか」と思いました。
 部屋の中での出来事となると、時間経過を示してはいますが、「乱帙」の状態が不自然になります。
 墨だらけになった部屋の掃除に午前中、午後は一息ついて作詩に入る、ここにはつながりは特には無いわけです。
 日常生活は脈絡の無い出来事の連続ですが、それをそのまま書くと、読者はつながりを探そうとして混乱します。
 大変な事件だったかもしれませんが、結論としては「書に没頭した」ということであり、そちらを重視すべきでしょう。

 後半は「郷友」ですと、「村の仲間がみんな優しく見てくれる」ということで、それは素晴らしい交友関係だと思いますが、もう少し絞って「雅友」「素友」などとして、「嚬眉」は余分な言葉で邪魔ですので、「高談」「閑談」のような他の言葉を探しましょう。

 結句は、からかいつつも友情が感じられる行為でしょうが、このままでは単に質問を受けたということで、何を言いたいのかが不明です。
 「意融融」を率直に自分の気持ちを表したものとして、上四字は「老來寧日」のように詩題に即するように持って行ってはどうでしょう。



2019. 4.15                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第103作は三重県松阪市にお住まいの 恕水 さん、五十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2019-103

  聞子規        

空山月色杜鵑鳴   空山 月色 杜鵑鳴く

滴血呼帰問路程   滴血 呼帰 路程を問ふ

旅館残春煙漠漠   旅館の残春 煙漠漠たり

愁人不寝憶孤征   愁人寝ねず 孤征を憶ふ

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 若い時に大志を抱き都会に出てみたものの、人生思い通りにいかないことも多く、夢破れて故郷に帰るべきかどうか迷う。
 春霞のぼんやりしたさまが、人生の前途の不確かさと重なり、一人旅の孤独を感じる。
 そのようなイメージで作りました。
 「杜鵑」には、「望帝の落ちぶれたなれの果て」というイメージがあることを知り、それを使ってみたいと思いました。


 私の第1作です。
 私は大学まで野球をしていたこともあり、卒業論文では正岡子規を取り上げました(テーマは「正岡子規と野球」)。私が学士入学する前、体育会野球部に所属していたことを知っていた国文学科の指導教授が勧めてくれたからです。
 それ以来、正岡子規には格別な思いがあり、今回も実は「子規」を使いたかったのです。
 『作詩関門』の夏の項に「聞子規」というのを見つけ、まずこれで作ってみようと思ったわけです。

 最初は結句の一字目は「行」でしたが、先生の著書を読んで「冒韻」を知り、「愁」に変更してみました。
 ちなみに学士入学する前の専攻は東洋史で中国の近代史を卒業論文には選びました。

<感想>

 新しい漢詩仲間のご参加、とても嬉しく思います。
 お住まいは三重県ですが、ご出身は私と同じ愛知県とのこと、高校の教員という共通項もあり、同郷の仲間として大歓迎ですよ。

 正岡子規の漢詩を読みますと、彼が十二歳の時に作った詩の題名が「聞子規」でしたね。子規の処女作かどうかはわかりませんが、残っている資料の中では最も早い時期の作品です。
 その詩の題名を選んだのは、何か縁があったのでしょうか。

 子規、つまりホトトギスから「望郷」の思いに繋げるのは古来からの手法、望帝の故事から導かれる連想ですので、流れとしては問題ありません。
 場面設定や心情として食い違いが無いかを考えながら、見ていきましょう。

 起句は「誰も居ない山の中、月明かりの下でホトトギスの声を聞いた」というのは、一つ間違うとお決まりの組み合わせでベタな印象になりますが、(第一作ということも考慮して見れば)無理の無い構成にまとめた句になっています。
 ただ、その場面が転句で「残春煙漠漠」となりますと、これでは「月色」もそうですし、もっと言えば山そのものも不明瞭で見えなくなりませんか。
 もう一つ、山の中に居た作者が「旅館」にはいつ入ったのでしょう。時間経過を表す手法ともとれますが、転句は明らかに春の日中の景を表す言葉ですので、食い違いの方が目立ちますね。
 転句そのものは悪い句ではありませんから、別の詩でまた使うようにストックしておいても良いでしょう。

 その他では、承句の「呼帰」「問路程」、結句の作者の望郷の思いを中心に置くならば、あまりここでは強く表さない方が良いですね。ホトトギスの声の形容に収める方向が良いでしょう。

 以上の点を踏まえて考えてみますと、次のような形でしょうか。
 ご参考に

   聞子規(参考例)
  空山月落杜鵑鳴  空山 月落ち 杜鵑鳴く
  滴血凄然裂帛聲  滴血 凄然 裂帛の声
  旅館古窓燈火盡  旅館の古窓 灯火尽き
  迷途幾歳憶孤征  途に迷ひて幾歳 孤征を憶ふ




2019. 4.15                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第104作は 恕水 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-104

  聴雁        

秋風遠叫雁南翔   秋風 遠叫 雁 南翔す

客思雲辺又夕陽   客 雲辺を思ふ 又夕陽あり

但見鞦韆空揺揺   但だ見る 鞦韆 空しく揺揺たる

銀河一夢涙千行   銀河 一つの夢 涙千行

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 雁の鳴き声が聞こえてくる。遠いふるさとに帰っていくのだろうか。
 目の前にはむなしく揺れるブランコ。子どもたちは家を巣立っていき、帰ってはこないのだろうか。
 子どもたちとブランコに乗ったりして遊んだ日々が懐かしく思われる。
 そんな寂しさ、郷愁をイメージして作りました。


 私は中学生くらいから早く子育てがしたいと思っていました。
 父や母がしてくれた様々なことへの感謝の思いがあり、それを自分の子どもにしてやりたいと思っていたのです。
 私は3人の娘に恵まれて、子育てにも積極的に関わりました。
 明治大学教授の斎藤孝さんが、「子どもの小学生時代は、家族にとってのゴールデンタイムだ」というようなことをおっしゃっていましたが、まさにその通りだと思っています。
 長女と次女はすでに進学で県外に出ており、家には三女のみです。
 子どもたちが巣立っていった後の寂しさ、子育てしたころへの郷愁をテーマとしました。

<感想>

 こちらの詩は、描いている感情が混ざり合っていますね。
 前半は、遠く離れた故郷を思う旅人の心境、そして結句の「涙千行」として深い嘆きに落ちている状況はまとまりますが、そこに転句の「ブランコが揺れている」ということはどう関わるのか。
 この転句がまったく浮いています。
 逆に、転句の場面が重要で、過去の追憶が主題になるというならば、前半や後半の表現が大げさ過ぎるし、関連が弱く感じます。

 起句は「秋風」が「遠く叫ぶ」と続けて読みますので、話が合いません。
 「雁声遠響影南翔」として、風は出さない方が良いですね。

 承句は「思」を動詞として使うならば平声になります。「憶」「想」などに変更することになりますが、「雲辺を想う」ことと「又夕陽」の関連が分かりません。

 転句のブランコもそうですが、作者には実際に見えたものかもしれませんし、それなりの思い入れというかドラマが想定されているのでしょう。しかし、それは読者には分かりません。
 画面を示して、後は読者の理解にまかせる、という手法は、短縮形の俳句などでは常套のものですが、それなりに使える字数のある漢詩では逆に読みにくくなります。
 少なくとも、つながりと統一感、そして読者への思いやりが無いと、自分の気持を伝えることは難しくなります。

 そういう意味では、結句の「銀河一夢」も詩をわかりにくくしています。
 ブランコから何を連想したのか、故郷の家族?、自分の過去?、色々と考えられるわけで、そこを一つの方向に導くように、結句はもう少し言葉を選択する必要があるでしょう。
 例えば、身近に居る教え子にこの詩(読み下しだけでも良いですから)を読ませて、共感を得るにはどんな表現が良いか、そんな観点で見直してみると良いと思います。



2019. 4.15                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第105作は 羽沢 典子 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-105

  秋座禅        

近況多難考不能   近況 多難にして考ふること能はず、

聞人立案座禅凝   人に聞き 座禅を凝らすを立案す。

経時悩去明星瞬   時を経て 悩み去り 明星瞬き、

日暮於庵師点灯   日は暮れ 庵に於いて 師が灯りを点す。

          (下平声「十蒸」の押韻)

<解説>

 秋のとある日 寺に禅を組みに行きました。
 夕日が射してきて、畳を照らし、なんとなくボーっとしていると この詩の案が思い浮かびました。

<感想>

 今回の詩は座禅の中で浮かんだものとのことですが、「明星」「師点灯」の二つの光の組み合わせは実景ですね。
 迷いが去って、穏やかな心境に到った象徴として、詩として良い発想だと思います。

 前半はその座禅への経緯を述べたわけですが、どうも口語的な説明で、伝わって来ない点が難ですね。
 例えば起句の「考不能」ですが、「考」は「深く思い巡らす」ということでしょうが、「思考停止」の状態と「多難」を繋げるのは無理があります。
 「忙事昨今心不凝」という感じでしょうか。

 承句は「立案」はやや大げさですね。忙しくてあれこれ諸方に手配をして準備をしたのでしょうか、ついつい堅い「立案」という表現となったのでしょうが、そうした事情理解を読者に要求するのは厳しく、結論的に「訪」一字で済ませるところです。
 同じく「聞人」も、「人から聞いた」ことが何か意味があるならば必要ですが、単に事情説明ならば必要の無い言葉、逆に読者に深読みを強いる言葉です。
 上四字を「一朝訪寺」「訪来禅寺」として、「気清澄」と収めてはどうでしょうね。

 転句は良いですね。

 結句の「於」は場所を表す助字ですが、字数に限りのある漢詩では使う必要のない字です。
どんな「庵」だったのかを示すと、情報量が増えて、趣が深まるでしょう。




2019. 4.21                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第106作は 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-106

  格差社会        

苦痩単衣士   苦痩 単衣の士、

無私倒路哀   私無く道に倒れ哀し。

富貴幾掠奪   富貴 幾掠奪す、

吝嗇更占財   吝嗇し更に財を占めん。

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

 オバマケアはどうやら失敗に終わったようです。
 日本が誇る皆保険制度はアメリカには根付かなかった様です。貧乏なアメリカ人は病気になってもろくに医者にもかかれないようです。
 日本は心ある人たちのお陰で皆保険制度だけは守られているようです。格差社会は外国でも、と言うより外国の方が深刻なようです。僅か1パーセントの人々の富が残り99パーセントの富と同じなんて、ちょっと不自然過ぎて気持ち悪いと思いませんか?
 徹底した利益至上主義が血も涙もなく搾取するに至ってしまったのでしょうか?
 弱肉強食が人間の本来あるべき姿なのでしょうか?
 この後AIとかがはびこるともっと悲惨になりそうです。強いものがのさばりすぎ、弱いものを血も涙もなく踏みにじるのだとしたら、政府など無くていいのではないでしょうか?
 これも昨今の経済事情なんでしょうか?
 漢詩に関係ない話を長々とごめんなさい。

<感想>

 そうですね、仰る通りで格差は「富」と「貧・普」で拡がる一方、「楽してお金儲け」を夢見る若者ばかりが生まれて大丈夫でしょうか、と心配になります。

 今回の詩は気持の勢いが強かったですかね、平仄で気になった所がありますね。
 五言絶句ですので、古詩というお積もりでしょう。
 近体の型に持って行くということで、指摘だけしておきましょう。

 起句は二字目が平字でないといけません(平起式)ので「痩苦」と入れ替えましょうか。四字目の「衣」は平仄異義字で、名詞の場合は平字ですので「二四不同」になります。
 承句は平仄の点は問題無いですが、「無私」の役割がよくわかりませんね。
 転句は五文字とも仄字です、「○奪」という言葉は幾つかありますので、そこを「掠」と入れ替えれば良いですね。
 結句は「占」も平仄異義字で、「占める」ですと仄字(「占う」は平字)ですから、「独占」と上に持ってきて、下は「更豊財」などとしても良いでしょうね。



2019. 4.21                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第107作は 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-107

  恋歌 其三        

花香残恋慕   花は香り 恋慕を残し、

擦墨燭台陰   墨を擦る 燭台の陰。

紙筆連綿字   紙筆 連綿たるの字、

羞顔乙女心   羞顔 乙女の心。

三春悲独夜   三春 独夜を悲しみ、

五更夢同衾   五更 同衾を夢みる。

託句伝書鳥   句を託す 伝書の鳥、

黎明潤枕吟   黎明 枕を潤らして吟ずる。

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

 女房が言うには、女の口を借りて書いたもので、実体験ではなく想像の世界なのがちょっと気になるとのことです。
 最近は女房も私に付き合って漢詩を書きだしたりして付き合ってくれてるのは、取り敢えず感謝しなければならないと思います。

<感想>

 「解説」に書かれた「女房」というのは羽沢典子さんですが、一緒に漢詩に「付き合ってくれる」なんて素晴らしいことで、「取りあえず感謝」なんてレベルではありません。
 大々感謝ですよ。

 実体験と想像のことでは、漢詩は意外と奥行きが深く、例えば「閨怨詩」のようにひとりぼっちの女性になって悲しみを詠う詩が詠まれています。
 漢詩は特に、言葉だけでなく使った漢字によってもイメージが拡がり、現実ではない場面へ入りやすい面がありますので、想像は大事な要素でもあります。
 だから、奥様が「気になる」というのは、想像したものだからではなく、想像で構築した世界にリアリティが足りないという、厳しいお言葉ではないでしょうか。
 では、そのリアリティの不足はどこなのか、と言えば、多分、シチュエーションが定番過ぎるということかと思います。
 私も読んで思ったのは、「これは、いつの時代の女性なのか」という疑問であり、「大正ロマン」か「昭和の演歌」かというような場面設定に感じました。
 言い換えれば「古くさい」ということで、二十一世紀の現代の趣き、少なくとも作者自身が共有できる時代の香りが無いと「恋歌」としては上滑りになってしまうかと思います。

 平仄の点で、第六句の「更」は時刻の場合は平声です。
 また、「夢」は「実際に眠った時に見る夢」として使われますので、ここでは句意として「五更に同衾の夢を見た」となります。作者の意図から考えると、「夢」ではなく「想」でしょうね。



2019. 4.23                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第108作は北海道の 雷鳴 さん、40代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2019-108

  待春        

孤村春暁草初萌   孤村春暁に草初めて萌し

雨後新鶯放数声   雨後新鶯数声を放つ

野客逍遥幽谷裏   野客幽谷の裏逍遥すれば

紅霞妖艶一枝横   紅霞妙艶一枝横たふ

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 漢詩作りに興味をもちまして、四苦八苦しながら初めて詠んでみた一首です。
 不備なところもあるかもしれませんが、よろしくお願いします。

 暦の上は春ですが、ここ北海道ではまだ雪が残り、風も冷たいです。
 そんな中で青い草も芽生え始め、鳥の歌声も聞こえ始めました。
 ひとり野を散歩すれば、幻想に誘うような朝霞の中、一輪の花が咲いていました。


<感想>

 初めてお作りになったとのこと、押韻や平仄も整って、よく勉強なさっていらっしゃると思います。
春を待つお気持ちがよく出ている詩ですね。

 それぞれの句は破綻も無く、第一作としては十分に評価できる作品だと思います。
第二作、あるいは次へのステップに進むためのご参考に感想を書かせていただきます。

 第一句(起句)は初春の朝、草が芽生えてきた場面で、村に出かけて行って広々とした郊野が目に浮かびますが、転句の「幽谷裏」と併せると、やや画面が乱れますね。
 「草」ではなく「緑」くらいにしておくと、ちょっとのことですが、バランスが良くなります。

 第二句(承句)の「雨後」、次の「新鶯」が啼くこととどう関係があるのかが分かりません。
 雨が上がったことを鶯も喜んで、ということですと、雨の中を作者が歩いていたことになりますが、あまり必要の無い語、と言うよりも読者を悩ませる形ですね。

 また、第三句(転句)の「幽谷裏」を考えると、そこまで「逍遥」するのもちょっと遠すぎますので、ここは「新鶯」とつなげて、遠く(にある筈)の渓谷の方から聞こえてくると持って行くと自然です。

 承句と転句の語を入れ替えて場面を合わせてみると、
  郊村春暁緑初萌
  孤客逍遥野気清
  吶吶新鶯幽谷裏
のような流れが良いでしょう。

 第四句(結句)はこのままでも通じますが、「紅霞」も入るとちょっと素材が多すぎる印象ですので、結句は花だけにして
   紅花妖艶一枝香
などで収めると良いでしょう。

 全体的な印象で欲を言いますと、この詩の場所はどこなのか、と考えると、北海道でしか見られないというイメージが弱く、日本全国どこでも通用する感じがします。
 それはそれで悪くは無いのですが、せっかくのことですので、どこか一箇所でも北の大地を感じさせる言葉を入れるような方向でお作りになると、雷鳴さんだけの記録や記憶になる詩が生まれると思います。

 次回作もお待ちしています。



2019. 4.23                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第109作は 陳興 さんから連作をいただきました。
 

作品番号 2019-109

  武漢大學賞櫻 一       

江城如畫復如詩,   

三月櫻花千萬枝。   

南海鯤鵬今到此,   

風飄點點是春思。   

          (上平声「四支」の押韻)

























 2019年の投稿詩 第110作は 陳興 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-110

  武漢大學賞櫻 二        

連日天陰霧氣濃,   

櫻花江外已重重。   

可堪預約黌門往,   

人説春風尚可逢。   

          (上平声「二冬」の押韻)



























 2019年の投稿詩 第111作は 陳興 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-111

  武漢大學賞櫻 三        

兩重關卍限觀花,   

不絶黄牛帶路家。   

卻笑賞花唯拍照,   

萬張照片願刪些?   

          (下平声「六麻」の押韻)

























 2019年の投稿詩 第112作は 陳興 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-112

  武漢大學賞櫻 四        

兒童列隊看花來,   

遙指櫻花不是梅。   

幾座樓台皆學舍,   

就中誰是棟梁才?   

          (上平声「十灰」の押韻)





















 2019年の投稿詩 第113作は 陳興 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-113

  武漢大學賞櫻 五        

喧嘩樹下遇僵持:   

“素質為何知不知?”   

借問縁何相吵鬧:   

“曾招花雨蹴花枝”。   

          (上平声「四支」の押韻)

























 2019年の投稿詩 第114作は 陳興 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-114

  武漢大學賞櫻 六        

學子春來最自豪,   

紛紛遊客拜黌高。   

非因又出新才傑,   

但爲櫻花作怒濤。   

          (下平声「四豪」の押韻)





















 2019年の投稿詩 第115作は 陳興 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-115

  武漢大學賞櫻 七        

碧瓦參差古校園,   

生寮錯落各閉門。   

唯有櫻花開太盛,   

一枝輕點讀書軒。   

          (上平声「十三元」の押韻)





















 2019年の投稿詩 第116作は 陳興 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-116

  武漢大學賞櫻 八        

花間翻閲中華史,   

數片落櫻擬作箋。   

武大學人知幾位,   

清溪能識易中天。   

          (下平声「一先」の押韻)





















 2019年の投稿詩 第117作は 陳興 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-117

  武漢大學賞櫻 九        

滄波萬里似春還,   

堪遇東風咫尺間。   

不管東湖何廣袤,   

櫻花開到珞珈山。   

          (上平声「十五刪」の押韻)





















 2019年の投稿詩 第118作は 陳興 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-118

  武漢大學賞櫻 十        

落花樹下各成堆,   

且共林中昨日苔。   

莫笑晩來花作雪,   

雪中何幸看花開。   

          (上平声「十灰」の押韻)

























 2019年の投稿詩 第119作は 陳興 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-119

  武漢大學賞櫻 十一        

大學有名爭逆讀,   

當年漢武逐匈奴。   

小池青草沾花瓣,   

終是杳然如露珠。   

          (上平声「七虞」の押韻)





















 2019年の投稿詩 第120作は 陳興 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-120

  武漢大學賞櫻 十二        

風捲煙塵欲擾君,   

花間談笑入香雲。   

應學櫻花飄作雨,   

梧桐樹籽落紛紛。   

          (上平声「十二文」の押韻)