作品番号 2018-241
初夏山行
山行五月緑陰濃 山行 五月 緑陰濃やかに
苔径羊腸続一峰 苔径 羊腸 一峰に続く
追憶往年遊竹馬 追憶す 往年 遊びし竹馬
風光猶是旧時容 風光 猶ほ是れ 旧時の容
<解説>
五月の山歩きは木陰が濃く、苔径は曲がりくねって、峰に続いている。
昔、ここで遊んだ友は、いま、どうしているか。景色は当時の姿のままであるが。
<感想>
新しい仲間が加わって下さり、とても嬉しく思います。
今後ともよろしくお願いします。
それぞれの句は平仄は勿論ですが、内容も破綻無く、整っていると思います。
しっかり学ばれていることが分かります。
内容としてやや苦しいのが、転句の役割。通常で考えると、「竹馬の友」と「(険しい)山行」はつながりません。
山を歩きながらどうして幼なじみを思い出すのか、その根拠ですね。
この山が故郷の山だと考えると一応辻褄は合うのですが、そのことは書かれていませんので、かなり善意に解釈することになります。
一言、例えば起句の「山行」を「故山」とするとか、読者への配慮は必要でしょう。
承句の「苔径」も、日の当たらない苔むした道が「羊腸」で「続一峰」と見えるかというと疑問です。
実際にはそうした道があり、作者自身がその道を歩いた結果の感慨なのかもしれませんが、読者はまだ道の途中までしか来ていませんから、これも読者目線が切られています。
ではどうするか、と言えば、「苔径」を「細径」とすれば収まる話で、それは作者の配慮一つだと思います。
書きました二箇所を直すだけで、気持ちがしっかり伝わる詩になると思います。
語彙や表現力をお持ちですから、書き上げた後に、「思い込みは無いか、思いは全部出ているか」という形で、読者の目線で読み返されると詩境が拡がると思います。
2018. 8.17 by 桐山人
ご指摘の二点、ご指導のとおりであります。ゆっくりと「推敲」してまいります。
また、思い込みもありました。「竹馬」の一言で過去に遊んだ場所を表現できたと勝手に思い込んでいました。
「読者の目線」も考えたことはありません。
添削のみならず、詩作のスタンスについても、あり難いご指導です。
また、投稿させてください。とりあえず、お礼まで。
作品番号 2018-242
八月忌
已兵餘七十三年 已に兵餘 七十三年
少小令吾思惨然 少小 吾をして 思ひ惨然たり
南海枯骸無限恨 南海の枯骸 無限の恨
太平至世向誰傳 太平の世に至り 誰に向って傳へん
「兵余」: 戦後。
「少小」: 年齢が若いこと。
「南海枯骸」: 南海に散華の友や兵。
<感想>
毎年、深渓さんからは八月になると、戦争体験者としての思いを籠めた詩を送ってくださいます。
七十三年の平和の重みと戦友への思い、先達の言葉として噛みしめるべきものだと思っています。
起句は「兵餘已七十三年」とした方が自然でしょうね。
承句はやや難解で、「若かった頃の自分を思い返すと、心が惨然となる」ということでしょうから、「憶昔傷懐思惨然」でどうでしょう。
2018. 8.17 by 桐山人
作品番号 2018-243
又八月忌
兵氣昭和少出師 兵氣の昭和 少くして師に出づ
齡數九秩健康彌 齢数ふること九秩 健康弥し
散華南海人安在 南海に散華 人 安くに在りや
難忘風雲憶舊時 忘れ難き風雲 舊時を憶ふ
「兵氣」: 戦争の気配。
「少出師」: 年若くして戦に出る。
「九秩」: 九十歳。
「風雲」: 戦争の起こりそうな気配・戦争。
<感想>
まもなく平成も終れば、昭和は二つ前の時代、戦争があったということもだんだんと記憶から薄れていく。
世の中から戦争という言葉が自然に忘れられていくことは、逆にそれだけ平和だということかもしれないと私は思いますが、意識的に忘れさせようとする輩が今までも現在も居るので、若者を守るためにも、戦争の記録や記憶を伝えることが大切なのだと思います。
この詩の「少出師」と「齢数九秩」が衝撃的な対比で、思わず引き込まれてしまいます。
結句は「難忘」よりも「不忘」とした方が、深渓さんのお気持ちが出てくると思います。
2018. 8.17 by 桐山人
作品番号 2018-244
臨小學校入學式有感(一)
追思赤子只無心 追思す 赤子 只だ無心にして
覓乳呱呱亂枕衾 乳を覓め 呱呱 枕衾を乱せしを
春夏秋冬七巡處 春夏秋冬 七たび巡る処
眼中人已好青衿 眼中の人は已に 好青衿
<解説>
次男もやっと小学生です。
思い起こせば赤ちゃんの ときはミルクをねだっては
布団も枕も蹴っ飛ばし おぎゃあおぎゃあと泣いていた
春夏秋夏四季巡り もう七歳になったキミ
私の瞳に映るのは 立派な小学一年生
<感想>
子供の成長は本当に早いもので、私も孫の成長を眺めながら、三十年ほど時を遡って楽しんでいます。
ただ、体力がその頃に比べて格段に落ちていますので、なかなか思った通りにこちらが動けませんが。
こちらの詩は、入学式の当日、お子さんを見つめての感慨が、保護者として、父親として、たくましく育った姿を喜ぶ形で出ていますね。
結句の「眼中」は「眼前」とした方が、今目の前で見ている姿という感じになると思います。
2018. 8.18 by 桐山人
作品番号 2018-245
臨小學校入學式有感(二)
灼灼百人新學童 灼灼たり 百人の新学童
相歡相笑與君同 相歓び 相笑ふこと 君と同じ
黌堂誰語青雲志 黌堂 誰と語るか 青雲の志
忽卷芳葩萬里風 忽ち芳葩を巻く 万里の風
<解説>
ピッカピカしょうがくいちねんせい 友だち百人できるかな
みんな歓び笑い合い どの子もキミと一緒だね
いったい誰と話してる? 将来なりたいしたいこと
急に花びら舞ったのは せかいをめぐる風のせい
<感想>
起句の「灼灼」は赤く輝く様子を表しますが、これを新入学の子ども達に用いたところは、秀逸ですね。
もうこれだけでも詩としては十分出来上がっているのですが、父親の気持ちはまだまだ広がるようで、将来までを思い描き、「萬里風」と結んで、観水さんの詩業と家族への思いが凝集したような、温かい詩になっていると思いました。
2018. 8.18 by 桐山人
作品番号 2018-246
盛唐春
長安歌誉放詩神 長安は歌の誉、詩神を放にす
舞踊胡姫媚態匀 舞踊の胡姫は媚態匀ふ
詠嘆酒香花世界 詠嘆し酒香る花世界
壮年来往盛唐春 壮年来往する盛唐の春
<解説>
長安は詩のほまれ、名詩人をほしいままにします。
踊っているペルシア人の女性たちも媚態十分です。
歌いほめて酒香る、ここは花世界です。
壮年が行き来する、今まさに盛唐の春真っ盛りです。
<感想>
まさに盛唐の時代にタイムスリップしたような印象ですね。
名だたる詩人が闊歩し、シルクロードの異国情緒が漂う街、遣唐使が眺めたのもこうした景色かもしれませんね。
活気みなぎる街として結句の「壮年来往」を持ってきましたが、現代でも「若者の街」と言えば文化の中心地というイメージがありますね。
表現としてよく工夫されたと思います。
具体的な記述が承句だけで、他は観念的な言葉が並ぶ印象なのがやや物足りない点ですが、イメージの詩ですのでなかなか難しいところではありますね。
2018. 8.18 by 桐山人
作品番号 2018-247
惜春
蕩漾深淵水 蕩漾 深淵の水
綿蛮幽谷鶯 綿蛮 幽谷の鶯
今春空又過 今春 空しく 又 過ぐ
自似我人生 自から似たり我人生
「蕩漾(とうよう)」: 漂う
「綿蛮」: 細く長く声を引いて鳴く
<感想>
前半で「春の過ぎ行く様子」が出ていませんから、転句の「空又過」がピンときません。
この叙景は、春の終わりらしい風物を出すようにしましょう。
転句は杜甫の句を想起してですが、結論として「私の人生も空しく過ぎて行った」ということになりますので、そういう意味でも前半に移りゆくものが欲しいですね。
2018. 8.18 by 桐山人
作品番号 2018-248
薔薇圍散策
百種千株萬朶花 百種 千株 万朶の花
艶葩畳畳競相誇 艶葩 畳畳 競って相誇る
長閑緩歩芳香道 長閑 緩歩 芳香の道
映日薔薇詩興加 日に映ず薔薇 詩興加ふ
「艶葩」: 綺麗な花
「畳畳」: 重なるさま
<感想>
起句は奇抜な表現で、迫力のある句ですね。
受ける承句も、「畳畳」と語を重ねることで、やはり力のある句になっています。
転句は「長閑」は「のんびりと」という意味では和語になります。(漢語では「長い閑な時間がある」となります)
「安閑」ならば良いですが、次の「緩歩」で重なる印象もありますね。一気に「醉翁」「詩翁」と作者を登場させるのも面白いでしょうね。
「芳香」は、薔薇ですので、もう少し濃い表現が欲しいですね。
結句の「詩興加」は無難ではありますが、せっかく薔薇を描いてきたので、別の話のような印象があります。
最後まで薔薇で通した方が、起句の勢いが生きると思いますよ。
2018. 8.18 by 桐山人
作品番号 2018-249
大垣藩懐古
巨鹿城邊偉蹟充 巨鹿城辺 偉蹟充つ
重臣書簡識純忠 重臣の書簡 純忠を識る
維新決斷輝青史 維新の決断 青史に輝く
先哲故郷留盛隆 先哲 故郷の盛隆を留む
<解説>
大垣城と近くの先賢館を見学しての感想です。
「先哲五人」: 江馬蘭斎・飯沼慾斎・江馬細香・梁川星巌・小原鉄心
「純忠」: 幕末、藩の趨勢は佐幕から勤王へ大転換したこと
<感想>
私も二年ほど前に、大垣城に行きました。
大垣の町は水郷の地、町の中を流れる水に目を癒やされました。
緑風さんのこの詩は、幕末明治維新の大垣の歴史を描いたもの、「巨鹿城」は大垣城の別称です。
大垣藩は鳥羽伏見の戦いで新政府軍と戦ったため朝敵とされますが、その後、新政府軍に加わりました。その藩の方針転換が転句の「維新決断」ですね。
結句の「先哲」は、大垣出身の偉人ということで、起句の「偉蹟充」と照応させているのだと思いますが、承句転句が政治の話ですので、急に蘭学者や漢詩人まで含めるとなると、構成に難があります。
承句で政治、転句で学問、というような感じで書くと、お気持ちがよく伝わると思います。
2018. 8.18 by 桐山人
作品番号 2018-250
古道墓石
古道峰頭墓一基 古道 峰頭 墓一基
可憐行客斃荒陲 憐れむべし 行客の荒陲に斃れしを
親朋不識消何処 親朋 識らず 何れの処に消えたるかを
唯有清風撫石慈 唯だ清風の石を撫でて慈しむ有り
<感想>
古道を訪れて途中で病に倒れたのでしょうか、峠にあるお墓を前にしての思いですね。
家族すら分からない無名の方のお墓を風が吹き抜けて行くという場面で「慈」の字で結んだところに、作者の気持ちが表れていて、全体をまとめている良い語だと思います。
この字をより効果的に用いるなら、承句の「可憐」の感情語を避けた方が良いかもしれませんね。
2018. 8.28 by 桐山人
作品番号 2018-251
初夏山行
陽光燦燦夏初穹 陽光 燦燦たり 夏初の穹
独歩荒途分樹叢 荒途を独歩して 樹叢を分く
衰老何時已斯業 衰老 何れの時か 斯の業已まん
暫依巨木坐薫風 暫く 巨木に依りて 薫風に坐す
<感想>
初夏の山行という題名に即した部分が前半にきれいにまとめられ、後半は一休みの思いを述べたもの。
アウトドアが本領とは言え、さて、体力的にいつまで続けられるかなぁという気持ちが転句の「衰老」の語に籠められていますね。
しかし、結句で「巨木」が現れると、「巨木」=「老木」でしょうから、この木のようにまだまだ頑張るぞ、という意欲が感じられます。
「坐薫風」も爽快で、沈み込む趣は微塵もありませんから、いつまでもお元気で活躍なさることと思います。
2018. 8.28 by 桐山人
作品番号 2018-252
梅雨偶成
破檐夢醒惜残花 破檐にて夢醒めて残花を惜しむ
避雨幽斎独煮茶 幽斎に雨を避け独り茶を煮る
小霎連霏成詠歎 小霎も連霏も詠歎と成る
霉中如許可詩家 霉中も許の如し 詩家に可なり
<解説>
軒下で夢醒めて、雨に散る花を惜しみます。
書斎に雨を避けて一人茶を作ります。
霧雨も激しい雨も詩と成りえます。
同じように梅雨も詩人にとっては扱うのはお手の物です。
<感想>
おっしゃる通りで、「雨もまた奇なり」という芭蕉の言葉が納得できますね。
「霎」「霏」「霉」と雨の言葉を並べていますが、これは主題に関わる言葉ですから良いですね。
そう考えると、承句に「雨」の字が必要かどうか、ここは不用意な言葉に感じます。
「雨」を「日」に換えるだけで、「半日」「一日」「終日」「数日」「閑日」など色々なバリエーションが考えられますので、他の字を見つければ更に幅が広がると思います。
あと、後半の詩人としての矜恃を見ると、題名の「偶成」で「たまたま出来た詩」というのはやや疑問です。
「梅雨書懷」とか「梅雨詩客」などでしょうか。
2018. 8.31 by 桐山人
作品番号 2018-253
詠横浜金沢 其一
鎌倉書庫在 鎌倉 書庫在り、
館備武威魂 館は備ゆ 武威の魂。
開発人工島 開発 人工島、
陽光舟泊村 陽光 舟泊まりの村
遊波中世史 波に遊ぶ 中世史、
拾貝海公園 貝を拾ふ 海の公園。
再訪称名寺 再訪する 称名寺、
超時想潜門 時を超え 門を潜るを想ふ。
<解説>
横浜の金沢は金沢八景と言われたほどの景勝地だそうです。
鎌倉も近く海もあり、また最近では八景島シーパラダイスあり。
ゴールデンウイークは賑やかでした。
今は違う所に住んでますが、横浜金沢に住んでいたころを思い出しながら、懐かしみながら作詩しました。写真も添付したのでイメージも涌きやすいかと。
歩いて行ける所に金沢文庫もありました。
もうかれこれ6〜7年前になりますが。
<感想>
写真をいただきましたが、どれがどの写真なのか、きっと順番だろうと思いますので、添えさせていただきます。
(違っていたらごめんなさい)
これが称名寺のお庭ですね。
こちらは野島展望台でしょうか。
こちらは海の公園と説明がありました。
こちらは金沢文庫ですね。
この詩は、頸聯の対が苦しいですが、連作の導入として盛りだくさんで、まとまっていると思います。
全体としても、落ち着いた金沢の雰囲気が感じられます。
思い出の分だけ、整理されて穏やかな趣が増したのかもしれませんね。
2018. 9. 4 by 桐山人
作品番号 2018-254
詠横浜金沢 其二
五月春池暖 五月 春池暖かく、
晴天握筆誇 晴天 筆を握りて誇らん。
古来営浄土 古来 浄土を営み、
聖女伴雲霞 聖女 雲霞を伴ふ。
水写朱橋影 水は写す 朱橋の影、
風揺碧草花 風は揺らす 碧草の花。
陽光難画眉 陽光 眉を描き難く、
翠柳已横斜 翠柳 已に横斜なり。
<感想>
こちらの詩も良いですが、第七句は「細徑」になりませんかね。
「草」ですと、収まりがやや物足りなくなります。
2018. 9. 4 by 桐山人
作品番号 2018-255
詠横浜金沢 其三
晩鐘還合掌 晩鐘 還た合掌す、
難憶邈思惟 邈(はる)かに思惟するを憶し難し。
渡世罪過伴 渡世 罪過伴ひ
浮身仏籍非 浮身 仏籍に非なり。
読経聞静寂 読経 静寂を聞き、
立像湛慈悲 立像 慈悲を湛ふ。
尚恐迷迷裏 尚恐る 迷迷裏、
開顔憤怒時 開顔 憤怒の時。
<感想>
お寺で読経を聴きながら、まだまだ悟りには遠いというお気持ちでしょうか。
最後の「開顔」と「憤怒」は、「笑み」と「怒り」の二つの表情、迷いの心を象徴しているのでしょう。
2018. 9. 4 by 桐山人
作品番号 2018-256
詠横浜金沢 其四
古刹朱門路 古刹 朱門の路、
潮香近鄙湾 潮香り 鄙びた湾に近し。
晩鐘飛燕影 晩鐘 飛燕の影、
残響竹林閑 残響 竹林閑かなり。
脚弊砂浜海 脚弊れる 砂浜の海、
心遊故里山 心は遊ぶ 故里の山
楼台望日暮 楼台 日暮に望み、
何歳再期還 何れの歳に 再び還るを期せん。
<感想>
最後の詩は、まとめようという気持ちが出ましたか。
やや慌てた感がありますね。
第三句の末字は「影」の名詞よりも、形容詞か動詞で終りたいですし、第五句は「海」で「脚弊」というのは違和感がありますね。「海浜石」とするところでしょう。
「竹林」から一気に「砂浜を歩き回る」というのも、前半で「場所は近い」との説明はありますが、現地を知らない読者にはやはり気になるところ。
それよりも大きいのは、第六句の「故里」ですね。
ここが故里ということを示そうとしたのでしょうか、上の「砂浜海」を歩きながら「故里山」を思うというのは、発想としてどうなのでしょう。
「昔遊んだ頃のことを思い出した」というだけならば、「山」は不要に思いますね。
2018. 9. 4 by 桐山人
作品番号 2018-257
樓船酔泊
湖上吟風夜宴游 湖上 吟風 夜宴の游び
浮生一転散千憂 浮生 一転 千憂を散らす
誰知不日黄墟客 誰か知る 日ならず黄墟の客を
金波銀波月下樓 金波 銀波 月下の樓
<感想>
七言で、じっくりと思いを書かれましたね。
承句の「一転散千憂」は数詞の組み合わせも生きていると思います。
転句の「黄墟」は「冥土、あの世」のことですが、前半の軽やかさが詩を重くしないで受け流してくれていますね。
結句は平仄を合わせれば「金浪銀波」と異韻字を使いますが、ここは敢えて四字の熟語のように使って、勢いを出しているのだと思います。
2018. 9. 5 by 桐山人
作品番号 2018-258
於旅終
故国堪風雪 故国は風雪に堪へ
春秋彩万寰 春秋は万寰を彩る
茶烟遊子想 茶烟 遊子の想い
帰矣彼家山 帰らんかな 彼の家山
<感想>
題名は「旅の終わりに」ということで、人生という長い旅も、終わりになると故郷に帰りたくなるというお気持ちを書かれたものですね。
前半は「故国」への思いが、愛情深く描かれていると思います。
転句は「茶烟」と「遊子想」が直接はつながりませんが、「茶烟」は人家のしるし、故郷の景色が思い浮かんだということでしょう。
2018. 9. 5 by 桐山人
作品番号 2018-259
人生
浮生夫賜物 浮生 夫れ 賜物
逢會是財豐 逢会 是れ 財豊
孫子祇天授 孫子 祇に 天授
凡縁佛掌中 凡ての縁 佛の掌中
<感想>
題名を読んでから、一つ一つの句を味わっていくと、お寺でありがたいお言葉を聞いているような味わいがありますね。
多くの人との出会い、家族、全ての関わりに感謝の気持ちを持つ、という心境を教えていただいたような気がします。
2018. 9. 5 by 桐山人
作品番号 2018-260
望海潮・慶賀桐山先生開堂二十周年少述所懷
風流千古, 風流千古,
薪傳百代, 薪傳百代,
蓬萊文運連綿。 蓬萊の文運連綿たり。
今世若何? 今の世は若何?
先生尚志, 先生 志を尚(たか)くし,
開堂新緑桐山。 堂を開く 新緑の桐山に。
會衆喜攢攢, 會衆 喜びて攢(あつ)まり攢まり,
見明眸皓齒, 見ゆ 明眸皓齒をれば,
鶴髮童顏。 鶴髮童顏もをるを。
刻苦裁詩, 苦を刻んで詩を裁き,
遊魂覓句二十年。 魂を遊ばし句を覓(もと)めて二十年。
○ ○
繆斯沈默通寛, 繆斯(ミューズ)の沈黙は寛に通じ,
恕紅顔揚志, 恕(ゆる)せり 紅顔 志を揚げ,
白首遊仙。 白首 仙に遊ぶを。
尊重自由, 自由を尊重し,
看輕優劣, 優劣を輕く看て
不容人士專權。 人士の権を専らにするを容れず。
平等正當然, 平等は正に当然のこととして,
促標新創異, 促す 新しきを標(しるべ)として異を創(つく)り,
有意揚言。 意あれば言を揚ぐるを。
欣賞春花秋月, 春花秋月を欣賞し,
也可共嬋娟。 嬋娟を共にするもまた可なり。
<解説>
〔語釈〕
「風流千古」: 風雅の事、久遠に流伝するをいう。
「薪傳」: 師と弟子の授受、相伝して絶えざるをいう。
「標新創異」: 新奇なる主張をして,人とは異なることを表わす。
桐山人先生、桐山堂開堂二十周年おめでとうございます。
小生、桐山堂新築の1998年以来、投稿を続けさせていただいておりますが、
投稿作のすべてに丁寧な感想を書いていただく先生のご誠意に深く感動し、
佩服いたしております。
感想を述べることは詩を作ることよりも遥かに難しいです。
読者が自身が選んだ作品について感想を述べ、
自身の好悪を述べることは誰でもできるかと思いますが、
投稿された作品のすべてに分け隔てなく感想を述べることは、
作者の苦吟をはるかに超えるご苦労であるだろうと推察いたします。
そして、
拙作につき思いを述べさせていただくなら、
先生に感想を述べていただいたことが、
小生にとっては大きな喜びとなり、
明日の作詩へ向けての力強い励ましになってきた、
という思いがあります。
桐山堂へ投稿を続けられている同学の皆さんも
同じ思いであるかと考えますが、
開堂二十周年、小生の作詩を励まし続けていただいたことに、
厚く御礼申しあげます。
なお、「望海潮」の詞譜(『欽定詞譜』)は次のとおりです。
望海潮 詞譜・雙調107字,前段十一句五平韻,後段十一句六平韻 柳永
△○○●,○○△●,△○▲●○平。○●●○,○○●●,△○▲●○平。△●●○平,●△▲△●(一四),△●○平。▲●○○,▲△△●●○平。
△○▲●○平,●△○●●(一四),▲●○平。○●●○,○○●●,△○▲●○平。△●●○平。△▲○△●(一四),△●○平。▲●○○▲●,△●●○平。
○:平声。△:平声が望ましいが仄声でもよい。
●:仄声。▲:仄声が望ましいが平声でもよい。
平:平声の押韻。(拙作は中華新韻八寒)
(一四):前の五字句は上二下三ではなく上一下四に作る。
<感想>
桐山堂開設以来の漢詩仲間である鮟鱇さんからお祝いの詞をいただきました。
ありがとうございます。
お祝いをいただいたことは勿論嬉しいことですが、私の方が皆さんに感謝の気持ちをお伝えしなければいけません。ですが、これはもう言葉では言い尽くせないほどで、もう、ただひたすら「ありがとうございます」と言うしかありません。
鮟鱇さんが仰ったように、私の感想が、皆さんの詩作に少しでもお役に立っているならば、これまた嬉しい限りです。
二十周年についての私の思いはまた改めて書かせていただきますが、今後も、一年一年頑張って行きますので、皆さんと一緒に漢詩を愉しんでいきましょう。
2018. 9. 5 by 桐山人
作品番号 2018-261
歳晩偶成
寒光滿地欲三更 寒光 地に満ち 三更ならんと欲す
蓬屋机邊灯影明 蓬屋の机邊 灯影明かなり
老去初知風雅道 老い去りて初めて知る 風雅の道
詩歌酬唱樂餘生 詩歌酬唱して 余生を楽しまん
<感想>
新しい漢詩仲間を迎えることができ、とても嬉しく思っています。
今後とも宜しくお願いします。
詩作経験が七年とのこと、自分の気持ちを漢詩で綴ることの楽しさが感じられるようになってきた頃ですね。
ご年齢から行くと、古稀を迎えた頃から始めたということでしょうか、その辺りのお気持ちが転句・結句に描かれていますね。
おおげさでなく、思ったままの言葉が句になっている感じで、率直な表現はとても良いと思います。
起句の「寒光」は「冬の寒々とした日光」にも使いますし、「月の光」にも使います。ここは「月光」の方でしょうね。
「三更」は真夜中ですので、その頃に輝いている月は満月の前後の月、「滿地」もよく呼応しているでしょう。
承句も句としては問題ありません。夜中まで読書や詩作に熱心にいそしんでいらっしゃることが分かります。ただ、下三字の「灯影明」は疑問で、起句にも「明るい月光」が出ているのに、更に「灯影明」を言う狙いが何かあるのでしょうか。
単純に考えると、明るい部屋の中に居て、屋外の明るさに目が移るかどうか、悩みます。
「檠」を韻字に置くような形で下三字を考えてはどうでしょう。
あとは題名ですが、「歳晩」とあっても詩中にはそれらしき景は何も書かれていませんので、「冬夜偶成」とした方がすっきりするでしょうね。
2018. 9. 6 by 桐山人
作品番号 2018-262
夏日陪調布詩会(一)
何喜今朝雲倍増 何ぞ喜ばん 今朝 雲倍(ますます)増し
大風到處掃炎蒸 大風 到る処 炎蒸を掃ふを
不如猛雨盪天地 如かず 猛雨 天地を盪(ゆる)がすも
詩思更幽師與朋 詩思 更に幽なる 師と朋とに
<解説>
雲がますます厚くなり はげしい風が蒸し暑さ
吹き飛ばしてはくれたけど 喜ぶようなことじゃない
天地ゆるがす大雨の なかで詩を賦すその心
いよいよさらに奥深い 先生・仲間に及ばない
調布にお邪魔させていただくにあたり、連日の猛暑にもかかわらず詩会の意気は盛んだ、という趣向で詩を作っていたのですが、
台風接近による悪天候をうけて、急遽改めたものです。
こちらは、台風のおかげで暑さはやわらいだけれど、そんなことよりもこの会の素晴らしさが喜ばしい、という趣向です。
ちなみに、「鶏肋」ではないですが、元の詩もそのままボツにするのはもったいないので、あわせてこちらに掲げさせていただきます。
三伏驕陽熱倍増 三伏の驕陽 熱倍(ますます)増し
南風度水却炎蒸 南風 水を度って 却って炎蒸
莫言大暑礙詩思 言ふ莫れ 大暑 詩思を礙(さまた)ぐと
意氣沖天師與朋 意気 天に沖す 師と朋と
夏の盛り太陽の 熱さますます増してきて
川を渡って吹く風も 逆に蒸し蒸しさせるだけ
こんな暑さのせいで詩を 書けないなんて言うものか
先生・仲間も意気高く そらの彼方にとどくほど
<感想>
調布の「漢詩を楽しむ会」に私は年に二回お邪魔して、詩会のお仲間に加えていただいていますが、今回(七月二十八日)は観水さんが千葉から来て下さいました。
今度の「桐山堂二十周年記念懇親会」の幹事顔合わせも兼ねてですが、合評会でも発言くださり、調布の会員の皆さんも喜んでいらっしゃったようです。
詩会の後の恒例の食事会まで残って下さったのですが、丁度台風の影響が強まった日でしたので、千葉へのお帰りの電車が大丈夫かと心配しました。
ありがとうございました。
2018. 9. 6 by 桐山人
作品番号 2018-263
夏日陪調布詩会(二)
深大寺邊清集尋 深大寺辺 清集尋ぬれば
尋常俗士發詩心 尋常 俗士 詩心を発す
心中未盡日將暮 心中 未だ尽さざるに 日将に暮れんとす
暮色晩鐘離恨深 暮色 晩鐘 離恨深し
<解説>
武州調布の深大寺 きょうの集まりその辺り
ふだん俗世の凡夫でも 詩人の気分になってくる
ところが残念その気持ち 尽してないのに日暮れ時
入相の鐘聞きながら 別れを惜しむいつまでも
記念の詩なので、その時、その場所に固有の要素は気持ちとして是非盛り込みたいところ。
固有名詞をうまく詩に取り入れるのは難しいことですが、今回はいかがなものでしょうか。
調布駅前から深大寺までは、実際には少し距離があるので、ちょっとどうかな、と自分では思います。
結句の晩鐘は、深大寺の鐘の音が聞こえてきたような気分、とご理解ください。
<感想>
深大寺まではちょっと遠い、とのことですが、「深大寺邊」で調布の町だということは十分に伝わると、遠方の私は納得できますが、まあ、あとは地元の方がどう思うかでしょうね。
全体に叙情豊かで良い内容だと思います。
後半での名残惜しいお気持ちが「晩鐘」に集約されて余韻深くなっていると思います。
2018. 9. 6 by 桐山人
作品番号 2018-264
春河川敷
屋廃偏西渡 屋は廃れ 偏西渡る、
臣三恐諌憂 臣は三たび 諌憂を恐る。
折菱猶漸漸 菱を折り 猶漸漸たり、
落影故油油 影を落として 故油油たり。
可憫荒波岸 憫むべし 荒波の岸、
応危細草舟 応に危むべし 細草の舟。
臨風無麦秀 風に臨んで麦秀をうたう無かれ、
花散独如秋 花散って 独り秋の如し。
<解説>
或いは一筋の飛行機雲が風に千切れる様な長閑な河川敷の風景を詠んだものです。
「偏西渡」: 偏西風が楚楚とわたる。
「臣三」: 殷が滅ぶ時の故事をここでひっぱってきたものです。
余談ですが、書いていてとても愉快になりました。「空飛ぶタイヤ」ですかね〜
<感想>
「春河川敷」と来ると、花が咲き乱れ穏やかな春風の川岸を思い浮かべるのですが、第一句から裏切られて、ある意味痛快ですね。
「臣三」は「殷が滅ぶ時」とのことなので「三仁」(微子啓・箕子・比干)のことかと思いましたが、「三たび」ですので、彼等が紂王を諫めたことでしょう。
微子啓と箕子は諫言が聞き入れられず殺される予感から他国に亡命しますが、比干は王の面前で身体を切り刻まれて殺されてしまうというのは有名な話ですね。
あるいは、最後の「麦秀」が箕子の詩だとされますので、「臣三」は「箕子が何度も諫言した」ということともとれますね。
その「麦秀の歌」は殷滅亡後に箕子が廃墟となった都を眺めて詠んだとされているものです。
麥秀漸漸兮 麦秀でて漸漸たり「漸漸」は「麦が少しずつ伸びる様子」、「油油」は「稲やきびが輝くように育つ」ことを表します。
禾黍油油 禾黍油油たり
彼狡僮兮 彼の狡僮
不與我好兮 我と好からず
作品番号 2018-265
首夏偶成
座看竹几碧山鮮 竹几に座して看る碧山鮮やかなるを
避客幽深氤正仙 幽深に客を避く 氤正に仙なり
万巻繙書耽読好 万巻の書を繙き 耽読好し
人間何事普無縁 人間何事ぞ普く縁無し
<感想>
初夏の爽やかな風が感じられるような詩ですね。
承句の読み下しは「客を避け幽深」としておいて問題ないでしょう。
転句は「繙万巻書」としたいですね。平仄的には大丈夫だと思いますので、わざわざ「万巻書」を分割する必要は無いですね。
結句は「無縁」が気になります。「万巻書」を読むということは古人との交流を意味していると思いますので、ここは「有縁」とした方が、前半の爽やかさから見てもまとまりが良いでしょう。
2018. 9. 7 by 桐山人
作品番号 2018-266
晩夏閑遇 其一
猛夏炎天懶読書 猛夏 炎天 書を読むに懶く、
閉門終日友人疎 門を閉ざし 終日 友人疎なり。
蝉声静院耽詩作 蝉声の静かな院 詩作に耽り、
晩景残陽感慨諸 晩景の残陽 感慨諸々なり。
<解説>
晩夏の懶い感じを表現してみました。
<感想>
今年の夏の暑さでは、何もする元気が無くなる、というのはよく分かりますね。
前半の記述は共感できます。
少し気になるのは、承句ですが、「閉門」は自分で門を閉じているわけですので、「友人」(「訪人」の方が良いと思いますが)が来ないのは当然、下三字を生かすなら「開門」(門は開けども)とした方が通じるように思いますね。
もう一つは、起句で「懶読書」とありますが、転句では「耽詩作」と精神活動は盛んだと言っていますので、これはどう考えるか。
「懶」を表すには「読書」以外にもありますので、他のことを出した方がまとまりが出ると思いました。
2018. 9.7 by 桐山人
作品番号 2018-267
晩夏閑遇 其二
里裏蜻蜓憩樹陰 里裏の蜻蜓 樹陰に憩ひ、
晴天嘉報待人心 晴天 嘉報 待つ人の心。
炎炎一路隆雲遠 炎炎 一路 隆雲遠く、
鬱鬱両端雑草深 鬱鬱 両端 雑草深し。
停歩碧空昇影像 歩を停め 碧空 昇る影の像、
求涼白夏壮蝉林 涼を求めれば 白夏 壮んな蝉の林。
乗閑散策斜陽懶 閑に乗じて散策すれば斜陽懶し、
晩靄群青漸漸侵 晩靄 群青 漸漸に侵す。
<感想>
うーん、こちらの七律は何となくまとまりが無いですね。
七言絶句を無理矢理律詩に持って行ったような印象で、休んでるのか歩いてるのか、午後の日射しの中なのか夕方なのか、(涼しい)「樹陰」にいる割りに「壮蝉林」に入っていったり、という感じで、頷聯頸聯が全体をちぐはぐにしているように感じます。
せっかくの対句を生かすためにも、その辺りを整理されると良いでしょうね。
2018. 9. 7 by 桐山人
作品番号 2018-268
照鏡見白髮(一)
從來漫詠白頭悲 従来 漫りに詠ず 白頭の悲しみ
驚見鬢邊生一絲 驚き見る 鬢辺 一糸の生ずるを
四十當言吾老矣 四十 当に言うべし 吾れ老いたり と
青春夢破有秋思 青春の夢破れて秋思有り
<解説>
しらが頭の悲しみを 詩ではずいぶん書いたけど
本当に見て驚いた 鬢に一すじ白いもの
満で四十といったなら 俺もすっかりオッサンさ
青春の夢から醒めて たちまち秋のもの思い
今まで詩の中では平気で「白髪」「白頭」なんて使ってきましたが、いざ現実に我が頭に生じたものを目にしての感慨です。
早い人は二十代でも白黒半々みたいなこともありますし、年相応と言えばそうなのですけれどね
(ちなみに、色でなく量のほうは、もともと広いデコだったので、今さら然程は気にしていないのですが……)。
<感想>
いつ頃からでしたでしょうか、授業で李白の「白髪三千丈」を読みながら、「三千丈もあるなら(髪の毛の無い)俺に分けてくれれば良いのに」という自虐ネタが素直に笑いの種になるようになりました。
後頭部が目立つようになったのは四十代初め、生徒も笑って良いのか微妙な空気、こちらも顏は笑いながらもちょっと固まっていたような、そんな頃を思い出しました。
三斗さんが以前、「和春」の詩で「曳杖」の語で作者自身を表すのは、自分の年齢から考えるとどうなのか、と考えておられましたが、漢詩では決まり言葉のように「老」とか「杖」「筇」、別に田舎でなくても「野老」と言いますね。
もちろん、そう表現してもおかしくない年齢の詩人が多いからでしょうが、詩語として常套句、あまり意識せずに使うことも多いかもしれません。
まあ、観水さんも「初老」に近づいたのかと、私はそちらの方に感慨が深まりましたけれど。
2018. 9. 7 by 桐山人
作品番号 2018-269
照鏡見白髮(二)
昔者潘郎見二毛 昔者(むかし) 潘郎 二毛を見
以爲佳什令名高 以て佳什を為して令名高し
田夫一髮何相似 田夫の一髪 何ぞ相似たる
兩首狂詩足苦勞 両首の狂詩に苦労足る
<解説>
むかし潘岳三十二 はじめて白いものを見て
「秋興賦」を書き上げて なまえ天下に知れわたる
それに比べて我がほうは 似ても似つかぬ体たらく
こんな詩ふたつできたけど 苦労しいしいやっとこさ
第一首を作ることとなった衝撃から数か月後、二本目の白髪を見つけての作詩です。
さすがに、二度目ともなると気持ちにも(詩にも)少し余裕があるようなないような。
<感想>
お書きになった「潘岳」は西晋の時代、三世紀後半を生きた文人で、字は安仁、潘安とも言われます。
非常に美男子で、彼が洛陽の街を行くと、車に女性が果物を投げ入れ、帰る時には車の中が一杯になっていたと言われます。
その潘岳の「秋興賦」は『文選』に収められていますが、その序の冒頭です。
晋十有四年、余春秋三十有二、始見二毛。
晋の建国より十四年、私は三十二年の歳月を過ごし、白髪が生え始めてきた。
作品番号 2018-270
巌邑槍倒松
青枝河畔一松株 青枝 河畔 一松株
筑紫列侯岩國途 筑紫の列侯 岩国の途
難渋倒槍連下士 難渋し槍を倒して下士連なる
老臣辛苦費工夫 老臣の辛苦して工夫を費せり
<解説>
岩国錦帯橋を渡ると河畔に愚老少年時代には、道に這蹲うような松の巨木有り。
幕藩時代、参勤交代で江戸に上る順路が定められ、各藩の大手門を通過の際に禄高の低い藩は槍を倒して通過するが礼儀だった。
関ヶ原の敗戦で富田十四万石から岩国三万石に減俸(後に六万石)移封され、西国の雄藩が槍を立てて通過するのを切歯扼腕で眺める日々、古老の発案で先述の松の大木を移植し槍を倒さなくては通れなくして留飲を下げたという。
残念ながら 戦後、松くい虫に侵され枯失せり。
現在跡地にまた松が植栽されているが、昔日の面影も留めない。
嗚呼。齢九十の爺曰く。
<感想>
子供の喧嘩みたいな話ですが、「老臣」の苦心の発案というところが何とも面白く、藩を挙げての鬱憤晴らし、戦争をするよりも余程健康的かもしれませんね。
その通行に邪魔な松を切ろうともせずに通っていったわけですから、案外通る方も岩国藩の気持ちを理解していたのでしょうね。
2018. 9. 8 by 桐山人