2017年の投稿詩 第211作は 酔竹 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-211

  台風一過心機改        

夜来豪雨濯塵埃   夜来の豪雨塵埃を濯ふ

蟬語再喧新気廻   蝉語再び喧しく 新気廻る

愛育庭花皆散尽   愛育す庭花皆散じ尽すも

為吾桔梗一華開   吾が為に 桔梗一華開く

          (上平声「十灰」の押韻)



<解説>

 8月7日の夜襲来の台風5号が通過した翌朝の状況を詠いました。

<感想>

 この時の台風で私の家の庭でも、桃の実が落ちたり、木が倒れたりという被害がありました。
 雨も風も強かったですね。

 その豪雨によって「塵埃が濯われた」というのは、雨の少なかった今年の夏ならではの感慨ですね。そして、「新気廻」も同様でしょう。

 この前半をまとめれば、まさに「台風一過」の爽やかさ、後半は転句で台風の被害がありますが、「桔梗一華」で救われたということで、視野をどんどん凝縮して行く展開はよく分かりますね。

 結句の「為吾」は「大事にしていた庭の花が皆散ってしまい、落ち込んでいるこの私」、というニュアンスでしょうが、そこまで深刻にすると前半の爽やかさと違和感が出てきます。
 転句は「桔梗」を盛り上げる素材と割り切っていく方が良く、そうなると、「為吾」は「只看」として軽く表現したいところですね。

 この詩の主眼は「桔梗一華」にあるわけで、前半の爽やかさもその伏線と考えることになりますが、そうすると詩題で「心機改」が必要かどうか、疑問ですね。
 逆に、「桔梗一華」で「心機改」となったというならば、前半の心境をもう少し抑える必要があるでしょうが、せっかくまとまっていますので、題名をやはり考えた方がよいでしょうね。



2017. 9.13                 by 桐山人
























 2017年の投稿詩 第212作は 酔竹 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-212

  衣浦港送海王丸        

皓白麗姿衣浦看   皓白の麗姿 衣浦に看る

海洋貴女海王丸   海洋の貴女 海王丸

臨行壯勇登檣禮   行くに臨み 壮勇 檣に登り礼す

惜別征帆願大安   征帆に別れを惜しみ 大安を願ふ

          (上平声「十四寒」の押韻)



<解説>

 衣浦みなと祭のため「海の貴婦人」と呼ばれる帆船「海王丸」が、半田市の衣浦港亀崎埠頭に寄港しましたので見に行きました。
 翌日に登檣礼を行い出航する予定でしたが、生憎台風の為、登檣礼は中止となったようです。
 先に寄港した御前崎港での登檣礼をビデオで見て詩に致しました。

「登檣礼」: 帆船の出航時に船員を帆桁などに配置し、見送りに来た来客に対する謝礼を行うもの。帆船において最高の礼。

 質問ですが、第一句は文法的にこれで良いのでしょうか?
 本来なら、「衣浦看皓白麗姿(皓白の麗姿を 衣浦に看る)」としなければイケナイと思いましたが、「孤帆天際看」(孟浩然 早寒有懐)の句をみましたので、散文の場合は不可だが韻文の場合はOKなのかと思い、このようにしました。

 同様に、詩語集で「空断魂(断魂空し)」とか「啼蜀魂(蜀魂啼く)」など、主語と述語の位置が逆になっていると思われる語があります。
 『中国詩人選集 別巻 唐詩概説』(小川環樹著 岩波書店 135ページ)に、「詩の中では主語と述語の位置が反対になることがある。」とありました。
 しかし、どのような場合に此のような表現が許されるのでしょうか?

<感想>

 第一句については、文法的なことで言えば、散文では「我看於衣浦皎白麗姿」となります。
 詩では、一人称の主語は省略され、また場所を表す言葉も、強調する場合には「於衣浦看皓白麗姿」となります。
また、省ける助字は省きますので、結論として「衣浦看皓白麗姿」としても可能です。
 ここは更に、目的語を先に述べる倒置法を使っていますが、もちろん句として大丈夫です。
逆に、「皓白麗姿」とまず視覚に迫るのは、主題が海王丸だと分かって良いですね。

 承句は「貴女」で身分の高い女性の意味が出ています。「貴媛」なども考えられますね。

 転句は「壮勇」が承句の「貴女」を形容している印象で、そうなると「女性」と「壮勇」が不釣り合い、「登檣礼」のことを指していることがはっきりしないといけません。
 現行でも「ああ、そういうことか」と分からないでもないですが、できれば「登檣礼」を句頭に持ってくるような変更、そうでなければ、似たような言葉で「壮麗」と変更すれば「貴女」とも釣り合います。
 なお、読み下しは「登檣の礼」と熟語にした方が漢詩らしくなります。

 結句は、この読み下しは無理で、「惜別」でひとまとまりにしないといけません。
「惜別 征帆 大安を願ふ」ですね。

 質問の下三字の語順については、漢詩では、押韻が優先されると思ってよいです。
 ただ、それなら何でもありか、というとそうではなく、例えば「断空魂」とか「蜀啼魂」としたら意味が全く通じません。
実際にどのような場合が許されるのか、と言えば、文法的には「強調」「倒置」「体言(名詞)止め」などの説明が付けられるものとなり、例に出た「空断魂」も(空しき断魂)、「啼蜀魂」も(啼く蜀魂)と体言止めで見れば意味は分かります。

 具体的には、熟語は分解しないようにすれば良いでしょう。





2017. 9.13                 by 桐山人
























 2017年の投稿詩 第213作は 哲山 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-213

  残年        

春秋永永運天淵   春秋 永永として天淵を運り

逝水滔滔振古連   逝水 滔滔として振古 連なる

生死一如誰是謂   生死一如 誰か是れ謂ふ

向何処可去残年   何処に向かってか 残年を去るべき

          (下平声「一先」の押韻)



<感想>

 承句の「振古」ははるか古代を表す言葉ですね。

 哲山さんはしばらくご病気で入院なさっていらっしゃったそうです。
 私が入院したのは随分前、まだ若い(?)頃でしたが、それでも病気のことや今後のことを病室で考えていると、人生とか時の流れをどうしても考えていました。
 結句の「残年」という言葉は、誰にでもあるものですが、きっと心に重くかかったものでしょうね。
 その結句はやや読みにくいので、「将徂何処」くらいでしょうか、「去」も「遣」が良いかと思います。



2017. 9.15                 by 桐山人
























 2017年の投稿詩 第214作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-214

  春日雑興(推敲作)        

雪解連山日影移   雪解け 連山 日影移る

川流細雨柳枝垂   川流 細雨 柳枝垂れる

白鷺寂寂水辺佇   白鷺 寂寂 水辺に佇む

風伯悠悠草野怡   風伯 悠悠 草野を怡しむ

朝来疎梅開処愛   朝来 疎梅 開処愛で

夕陰桜萼闇香慈   夕陰 桜萼 闇香慈しむ

万戸花有春粧好   万古花有春粧好し

淑気深更老自知   淑気 深更 老自ら知る

          (上平声「四支」の押韻)



<感想>

 仲泉さんのこちらの作品は、2017−173 の作品を推敲されたものですが、随分変更されましたので、新たに掲載させていただきました。

 以前の作品はこちらです。

  初春偶成
雪解山容日影移   雪解け山容 日影移る
門庭柳眼暗香吹   門庭柳眼 暗香吹く
光彩燦燦花堤注   光彩 燦燦 花堤注ぐ
風伯悠悠草野怡   風伯 悠悠 草野怡しむ
曲径新樹鶯語湿   曲径 新樹 鶯語湿す
幽居小韻興無涯   幽居 小韻 興涯り無し
行人美景傷心慰   行人 美景 傷心慰む
坐見落紅知不知   坐して見ん落紅 知るや知らずや

 さて、推敲作を拝見しますと、頷聯に「細雨」をどうして入れたのか、疑問です。
 山の方は晴れていて、川の方は雨が降っていたという天気だったのでしょうか、せっかくの「日影移」という表現が役に立たないですね。
 波を出しても良いし、光を出してもよいですが、「雨」では読者が混乱しますね。
 その他は良いと思います。

 頷聯は「白鷺」を置きましたが、「寂寂」の形容が適切かどうか、春の喜びを述べている詩の中で、この「寂寂」が浮いています。
 もう一つ、尾聯の最後の「老自知」も合わない気はするのですが、ただ、春の訪れから歳月の流れ(老)を感じ取るのは昔からの発想で、これが実はこの詩の主題だとするならば、前半に一つ違和感の残る言葉(「寂寂」)を入れておくのは伏線としての効果はあるかもしれません。

 頸聯・尾聯は平仄が乱れています。「来」は平声ですし、「戸」は仄声です。

 その頸聯は「疎梅」「桜萼」は季節として合うかどうか、桜を入れるために題名を「初春」から「春日」に変更されたのかもしれませんが、詩としての統一性の方が大切です。
 上句、下句を一日の朝と晩とすると苦しくなるので、別々の日のように上二字を持ってくれば、春全体という形にできると思います。

 あと、私は個人的には「桜の花の香り」をあまり感じないので「闇香」も実は違和感があるのですが、「桜は甘い香りだ」という人もいるので、そうなのかと思っています。
 しかし、「闇の中に漂う香り」となると「梅」じゃないかと思いますが、いかがでしょうか。

 尾聯の「万戸花有春粧好」はどう読み下せば良いでしょうか。(読み下しの「万古」は入力ミスだと判断しました)
 そのまま行けば「万戸 花は春粧有りて好し」となりますが、どうもすっきりしません。仲泉さんの意図は多分、「どの家も花が咲き、春の粧いが済んで良い景色だなぁ」ということかと思いますので、平仄合わせも兼ねて「万花千戸春粧好」(万戸でも良いですが)でどうでしょうね。





2017. 9.18                 by 桐山人
























 2017年の投稿詩 第215作は 峰月 さん、台湾出身で日本に在住されている二十代の女性の方からの作品です。
 

作品番号 2017-215

  平成廿九年九月四日忽憶舊友因題  
         平成廿九年九月四日 忽ち旧友を憶ひ 因って題す   

雨霧濛濛月影涼,   雨霧濛々として 月影涼し、

孤衾無寐起徬徨。   孤衾 寐ねざれば 起きて 徬徨す。

歌詩朗誦聲猶在,   歌詩 朗誦せし 声は猶在り、

街市嬉遊樂未央。   街市 嬉遊せし 楽しみは未だ央きず。

一水疏分千里路,   一水 疏として分かつ 千里の路、

四都杳隔百迴腸。   四都 杳として隔つ 百迴の腸。

何當共聚曲江宴,   何れか当に 共に聚まらん 曲江の宴、

再話紅樓笑楚狂。   再び紅楼を話し 楚狂を笑ふ。

          (下平声「七陽」の押韻)



<解説>

 平成二十九年九月四日深夜に、ふと昔の友達のことを思い出し、懐かしさの余り筆を執った。
 詩に「四都」とあるが、これは東京、台北、北京、倫敦という四国の首都のことを言っている。
 私は東京に住んでいるが、当時の友達は今それぞれ台北、北京、倫敦に住んでいるため、そう書いた。

<感想>

 峰月さんからは、このホームページの感想もいただきました。

 日本ではまだこんな漢詩創作を集めるサイトがあるのは、本当に喜ばしいことです。
 これからも書きます。
 宜しくお願い致します。
 ということですが、海外の方の作品を拝見できるのはとても嬉しいことです。
 こちらこそ宜しくお願いします。

 読み下し文も峰月さんが書いて下さったものですが、歴史的仮名遣いも含めて、丁寧に勉強なさっていることが分かります。
 第二句の「無」は用法としては「不」と同じですが、読み下しでは「不」とは区別して「寐ること無く」とします。

 作詩経験は少ないと書かれていましたが、全体に用語や流れも自然で、読みやすく書かれていると思います。

 第一句は「雨霧濛濛」「月影涼」が疑問で、「涼」と感じるには月の光がはっきり見えている必要があり、「茫」くらいがここでは適当かと思います。

 内容の展開では、頷聯から過去の追憶へと進みますが、その前の首聯では作者の状況だけなので、やや唐突感がありますね。
題名に「憶舊友」があるので誤解されることはないでしょうが、反対に言えば、詩が題名に引きずられる、助けられた形になります。
 第二句の「無寐」は言わなくても良い言葉でしょうから、ここに「懷友」を入れるのも一案です。ただし、その場合には題名の「忽」のニュアンスが弱くなります。
 ただ、この「忽」も悩ましく、何も無い所から突然思い出すというより何かきっかけがあった方が理解しやすいので、読者は題名を見て「九月四日」というのが何かキーワードなのだろうか、それとも何かあるのか、と考えます。
 そういう悩みを防ぐ意味でも、第二句で補っておくと良いかと思いました。

 頸聯の数詞の対も工夫されていて良いと思います。数字だけの事で言えば、「百」は「萬」でも良いかと思いましたが、ちょっと大げさ過ぎますね。

 尾聯は故事で結ぶという王道の締めです。
 「曲水宴」は「今度また飲もうね」くらいでしょうが、「紅樓」「楚狂」と「文学と政治」という話題が加わることで、「青春時代の友人」というイメージが強くなっていると思います。




2017. 9.18                 by 桐山人


峰月さんからお返事をいただきました。

こんばんは、峰月です。
素敵な感想、ありがとうございます。

 ご指摘は全く仰る通りで、特に「第一句は「雨霧濛濛」と「月影涼」が疑問で、「涼」と感じるには月の光がはっきり見えている必要があり、「茫」くらいがここでは適当かと思います」というご指摘は、なるほど、確かに!と思いました。

 2017. 9.23              by 峰月

























 2017年の投稿詩 第216作は 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-216

  晩春偶成        

花王薄命感幽憂   花王 薄命 幽憂を感ず

移景千紅去不留   景は移り千紅 去って留まらず

山腹新枝深緑化   山腹の新枝 深緑と化し

嬌鶯良舌洗春愁   嬌鶯の良舌 春愁を洗ふ

          (下平声「十一尤」の押韻)



<解説>

  ぼたんの花はあっという間に散り時は移る。
  山の新緑は深い緑に ただ鶯の美しい鳴き声は
  晩春の愁いを払ってくれる


<感想>

 岳城さんからはしばらく投稿が空きましたが、その間にお作りになった作品をまとめて送っていただきました。

 「花の王」と呼ばれる牡丹も終わり、晩春から初夏へと季節が移る流れを描こうという詩ですね。

 承句の「移景」は語順が逆で、平仄を合わせたのでしょうが、「景を移す」と読みます。
 「景が移った」としても、次の「千紅」との関係がはっきりしません。この「千紅」は牡丹の花ではないのでしょうか。
 起句の「薄命」を補う形になりますが、花の落ちる姿を書いてはどうでしょう。

 前半の季節の変化を嘆く心情が、転句からは初夏の深緑や鶯の好音を喜ぶ気持ちへと変化するわけですが、結句の「春愁」と起句の「幽憂」がどうもすっきりしません。
 同じものを言っているのか、それなら起句で「幽憂」と言うのは無駄です。
 牡丹の散り落ちる姿で十分に伝わることですので、ここは別の言葉を考えてはどうでしょう。
 読者に「憂」を共有させておいて、結びで「春愁」とまとめるならば納得できます。
 そうなると、牡丹の花で前半二句使うのが良いか、という考え方も生まれてくると思います。例えば、起句の下三字を「萬紅流」のようにすれば収まるように思いますが、いかがでしょう。



2017. 9.20                 by 桐山人


岳城さんから推敲作をいただきました。

いつもお世話になっております。
ご指導有難うございました。

推敲作 送ります。
よろしくお願いします。

  晩春偶成(推敲作)
花王薄命洗粧収   花王 薄命 洗粧 収まり
畳畳落花猶不留   畳畳たる落花 猶 留まらず
山腹新枝深緑化   山腹の新枝 深緑と化し
嬌鶯良舌払春愁   嬌鶯の良舌 春愁を払ふ


2017. 9.25          by 岳城


 まだ、前半の「薄命」「落花」などの情景の重さと、後半の初夏への軽やかさのバランスが悪いように感じますね。
 結局、承句が起句を補強する形になっているのが原因のように思います。
 試みに、承句で牡丹とは別のことを言ってみてはどうでしょうか。

2017. 9.28            by 桐山人























 2017年の投稿詩 第217作も 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-217

  送春        

林塘竹徑暮煙横   林塘 竹徑 暮煙 横たはり

燕雀群蛙盡日鳴   燕雀 群蛙 盡日 鳴く

十里田園人不見   十里の田園 人 見えず

百花零落惜春情   百花 零落 惜春の情

          (下平声「八庚」の押韻)



<感想>

 場面がすっきりと分かる措辞になっていると思います。

 感覚的なことですが、起句で「暮煙」として夕方だと示していますので、承句で「盡日」は時間が遡るような印象です。
 逆の形で「盡日」と言ってから「暮」と出すならば素直ですが、鳴き声の形容くらいにできると良いかと思います。

 後半も無難ではありますが、「十里田園」となると「林塘竹径」はどうしたのか、また、「百花零落」はどこで見ているのか、その辺りがやや不安定な気がしますね。
 「田園」と場所を出さずに、「入望」など「眺めてみると」というような言葉にすると良いかと思います。



2017. 9.20                 by 桐山人


こちらの詩も推敲作をいただきました。

  送春 (推敲作)
林塘竹徑訪朋行   林塘 竹徑 朋を訪ねて行けば
燕雀群蛙盡日鳴   燕雀 群蛙 盡日 鳴く
十里眺望人不見   十里の眺望 人 見えず
百花零落惜春情   百花 零落 惜春の情

2017. 9.25              by 岳城


 起句を無難に収めた印象ですね。
 「訪朋行」ということと「人不見」がどうつながるのか、どちらも「人間」に関わるので関連をつけたくなります。
 ひとまず完成としておいて、起句は今後の推敲のお楽しみというところでしょうか。

2017. 9.18            by 桐山人
























 2017年の投稿詩 第218作も 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-218

  初夏偶吟        

竹風松籟作涼聲   竹風 松籟 涼声を作し

蜀鳥黄鶯樂和鳴   蜀鳥 黄鶯 和鳴を楽しむ

田地新秧蛙市内   田地の新秧 蛙市の内

安安初夏愛吟行   安安たる初夏 吟行を愛す

          (下平声「八庚」の押韻)



<解説>

  風渡る初夏 ホトトギス ウグイスが楽しそうに鳴き声を合わせている。
  田植えの終わった田んぼは蛙の声
  のんびりと吟行に行く。

<感想>

 初夏まで来ましたね。

 前半を対句で仕立てた分、素材がきれいに配置されて、分かりやすい場面になっていますね。

 転句の「蛙市」は蛙が群がって鳴いている場面を表す言葉、「内」がやや弱いのと、承句からまた音なのが気になります。
 起句が肌感覚、承句が耳で聞いたこと、そうなると転句は目で見たものくらいでしょうか。
 「蛙」の声を入れるにしても句の頭に置くようにして「田」の形容に使うと音の意識は弱くなりますから、例えば「蛙市秧田青一色」のような形が結句への収まりが良いかと思います。



2017. 9.27                 by 桐山人


こちらの詩も推敲作をいただきました。

  初夏偶吟(推敲作)
竹風松籟作涼聲   竹風 松籟 涼声を作し
蜀鳥黄鶯樂和鳴   蜀鳥 黄鶯 和鳴を楽しむ
蛙市秧田青一色   蛙市の秧田 青一色
安安初夏愛吟行   安安たる初夏 吟行を愛す

2017. 9.29           by 岳城

























 2017年の投稿詩 第219作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-219

  (一)博多民謠戯歌(名鎗日本号)        

美酒古來生武傳   美酒 古來 武伝を生ず

斗盃斟酌滿堂前   斗盃 斟酌 満堂の前

扶桑第一大長劒   扶桑 第一 大長剣

呑取母里多兵衛   呑み取る 母里 多兵衛

          (下平声「一先」の押韻)


   もののふの名誉か酒か名鎗日本号

<解説>

「博多民謡」: 黒田節、正調博多節 は共に福岡を代表する民謡であるが、那珂川より西側の福岡・黒田藩の城下町では「黒田節」が歌われ、東側の町人の町・博多では、花柳界を中心に「正調博多節」が歌われて来た。

「黒田節」
  酒は呑め呑め呑むならば
  日の本一のこの槍を
  呑み取る程に呑むならば
  これぞ真の黒田武士

「美酒古來」: 有名な松口月城作「名槍日本号」のパロディである。
 遊び心が常軌を逸脱しているかも知れないと、一応、気にはなっている。
  美酒元來我所好   美酒元来我好む所
  斗盃傾盡人驚倒   斗盃傾け尽くして人驚倒

「母里多兵衛(太平衛)」: 母里は毛利(もり)ではなく、元々は「ぼり」である。
  個性的な固有名詞を尊重し、敢えて平仄及び押韻を無視した。

<感想>

 兼山さんもお元気になられたようで、安心しました。
 10月に名古屋でお会いできるのが楽しみです。

 さて、今回の詩は、ちょっと説明が必要かもしれませんね。
 「黒田節」の内容は、実は故事で、兼山さんが解説でお書きになったように、黒田藩の「母里多兵衛」が芸州広島藩主の福島正則から「日本号」という名槍を拝領しました。
 この槍は足利義政から織田信長、そして羽柴秀吉を経て福島正則に渡ったという由緒あるもの、福島正則に大杯の酒を飲み干したらこの槍を与えると言われた母里多兵衛は見事豪快に飲み干したということですが、さて、その話を下敷きにしての一首ということです。

 松口月城の「名槍日本号」の詩は、兼山さんが前半をご紹介下さいましたが、全体は次のものです。

名槍日本号
   美酒元來我所好   美酒元来我好む所
   斗盃傾盡人驚倒   斗盃傾け尽くして人驚倒
   古謠一曲芸城中   古謠一曲 芸城の中
   呑取名槍日本号   呑み取る名槍 日本号


 川口松城の詩は仄韻、古詩の感じが出ている詩ですが、それを受けた形で、結句の固有名詞による踏み落としでしょうね。
 「遊び心」が過ぎるかと心配されているようですが、地元の方ならではの「遊び心」、羨ましいような気持ちで読みました。
 強いて言えば、三句の頭が松口月城の詩と同じなのが、やり過ぎかなというところですね。



2017. 9.28                 by 桐山人
























 2017年の投稿詩 第220作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-220

  (二)博多民謠戯歌(博多人形)        

故友遠來堪忘機   故友 遠来 機を忘るるに堪へたり

櫻花散盡客行稀   桜花 散り尽して 客行稀なり

城内夢幻大天守   城内 夢幻の大天守

土産人形携抱歸   土産 人形 携抱して帰る

          (上平声「五微」の押韻)


   独り旅帰りゃ人形と二人連れ

<解説>

「正調博多節」
  博多へ来る時ゃ 一人で来たが
  帰りゃ人形と 二人連れ
「夢幻大天守」: 福岡城址には「大天守台」のみが遺っている。
  果たして天守閣は有ったか無かったか。ロマンは尽きない。

<感想>

 こちらの詩は、「博多節」の場面を想定されたのか、それとも実際にご友人がいらっしゃって福岡城址に行ったのか、どちらかはわかりませんが、 一番大事なのは結句の「人形携抱歸」でしょうね。
 そのためか、一句一句のつながりが無く、全体にまとまりを欠く印象ですね。

 転句の平仄が合いませんから、これを直しがてら、という感じになりますね。

 承句に「城」を持って行き、「○城四月客行稀」とし、転句に「桜花夢幻大天守」と「夢幻」が前後どちらにもかかるような感じでしょうか。
 「○城」は調べると福岡城のことを「石城」と呼んだと書かれていましたが、それですぐにピンと来るかどうかわかりませんので、地元の方がすっと理解できる名前が良いですね。



2017. 9.28                 by 桐山人
























 2017年の投稿詩 第221作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-221

  (三)博多民謠戯歌(御亭殿)        

朴訥無心手職研   朴訥 無心 手職を研く

抜群酒戸冠多年   酒戸 抜群 冠多年

清貧面目子煩惱   清貧 面目 子煩悩

亭主形名婦功全   亭主 形名 婦功全し

          (下平声「一先」の押韻)


   御亭殿酒には負けぬが嬶には




<解説>

「御亭殿(博多子守唄)」
  うちのごていどんナ 位の御座る
  何の位か酒食らい

「形名(かたな)」: 上州上毛野君「形名」の妻女は、非常時に夫君を助けた。
  上州名物「嬶天下」と「からっ風」は、上州人の気質や風土性を表わした言葉であり、嬶天下は夫婦円満の代名詞でもある。
  物資の乏しかった戦中戦後、大所帯を切り回していた母は、絶やすことなく「どぶろく」を作っては、酒好きの父に飲ませていた。
  紛れもなく婦唱夫随だった。
  夫婦喧嘩らしい雰囲気もなかった。  

<感想>

 解説に書かれた「上毛野君形名(うえつけのきみかたな)」は古代(飛鳥時代)に蝦夷に向かった武人、「君」が姓だとされていますが、現在の群馬県、上州の豪族だったようです。
 反乱した蝦夷を制圧するために出かけますが、負けて砦も包囲されてしまいました。その時に妻女が、「逃げだそうかなぁ」と弱気になっている夫を叱咤し、酒を飲ませて気持ちをたかめた上で、侍女たちに弓の弦をビュンビュンと鳴らさせました。
 敵がその音を聞いて、新手の軍勢が増えたのかと勘違いして一旦兵を引いた時に、一気に逆襲に転じて勝利を収めたという話です。

 これは結句の「亭主形名」につながってくるわけですが、「形名」は「かかあ天下」と読み替えておくくらいで、詩自体は「博多子守歌」からの連想で兼山さんのご両親を思い出してのものです。

 承句の「酒戸」は「大酒飲み」のこと、読み下しがやや不完全ですが、句の意味は「長い間並外れた大酒飲みを誇っていた」というところでしょう。

 ただ、ここがお父様のことを表しているとすると、承句と転句は入れ替えた方が内容的にまとまりが良くなると思います。



2017. 9.30                 by 桐山人
























 2017年の投稿詩 第222作は 茜峰 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-222

  大久野島秘史        

滄海瀬戸景勝洲   滄海の瀬戸 景勝の洲(しま)

石仏知乎軍詐謀   石仏は知るや 軍の詐謀

毒気蔽遮工務島   弊遮す 毒気 工務の島

現存滅却地図籌   滅却す 現存 地図の籌

制裁口説往時令   口説への制裁 往時の令

魯鈍妖魔戦後修   妖魔への魯鈍 戦後の修

遺址曾経牲殺使   遺址 曽経 牲殺の使ひ

虚空戦跡兎漫遊   虚空の戦跡 兎は漫遊す

          (下平声「十一尤」の押韻)



<解説>

 3月に広島県の大久野島を訪れた。

 大久野島は 瀬戸内海に浮かぶ景勝の島だ。
 対岸の石仏は戦時の軍の詐謀を知っていたのだろうか。
 毒ガスをこの島で造っていたことを。
 地図からこの島が消されていたことを。
 ここで働かされた労務者は、戦時知り得たことを口外するのを禁止された。
 戦後は風聞を恐れて、ここで働いたことを言えなかった。公表まで40年もかかった。
 死亡や発がんの後遺症で健康を害した。今ここは兎の島として有名で国民宿舎もあり人気の島である。
 兎たちはかつては毒ガス実験用として飼われていた。
 戦跡は空しく残りそこを兎たちはただ跳びはね回っている。

<感想>

 こうした歴史的な出来事を語るには、やはり律詩でないと思いを伝えられません。
 茜峰さんにとってはまだまだ足りない、というお気持ちもあるかもしれませんが、読む側にも十分に伝わって来ます。

 今回の「大義無き衆院解散」でもそうですが、政治の隠蔽体質と「喉元過ぎれば」の発想に、ほとんどの国民は強い憤りを感じた筈です。
 そして何よりも危険なのは、「政治なんてそんなものさ」とか「戦時は仕方ない」と分かったような台詞で非常識を結果的に追認してしまうことだと思います。
 そんなことは、そもそも人の道としておかしい、そういう素直な怒りを忘れてはいけないでしょう。

 茜峰さんの詩は歴史をよく伝えていると思います。
 尾聯で、兔を過去と現在の象徴として描いた構成も工夫されていますが、二句を兔に使うとその前の聯からの連続性が強くなり、詩としてのまとまりが弱く感じます。
 例えば、島の美しさなどの景観を少し入れると、非道への思いが逆に浮き出てくるかと思います。

 細かい所で言えば、頷聯は読み下しが苦しいのと、「毒気」「現存」の対も気になります。
 「毒気蔽遮工務処 島名滅却地図籌」という対などで考えてはどうでしょう。







2017. 9.30                 by 桐山人



茜峰さんからお返事をいただきました。

 鈴木先生 「大久野島秘史」に関して ご指導ありがとうございました。

 以下のように補正しましたが 結句の方は なかなか思うようにができませんでした。

  滄海瀬戸景勝洲
  石仏知乎軍詐謀
  毒気蔽遮工務島
  島名滅却地図籌
  制裁口説往時令
  魯鈍妖魔戦後修
  繚乱黄花児壮笑
  虚空戦跡兎漫遊

春先 ミモザの花が咲き乱れ 青空に映えてきれいでした。
サイクリングの若者が語らいながら浜辺を軽やかに走っていました。

2017.10. 7         by 茜峰























 2017年の投稿詩 第223作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-223

  訪湯島聖堂        

聖廟來尋夫子迎   聖廟 来り尋ぬれば 夫子迎ふ

尊前拱揖擬門生   尊前 拱揖して 門生に擬す

鳥啼蟬噪應論學   鳥啼 蝉噪 応に学を論ずべし

楷樹森森是魯城   楷樹 森森 是れ魯城ならん

          (下平声「八庚」の押韻)



<解説>

 湯島聖堂たずねれば 迎えてくれる孔子像
 先生の前お辞儀して 弟子のつもりになってみる
 鳥のさえずり蝉しぐれ きっと議論の真っ最中
 楷の樹しげるこの場所は ちょうど昔の魯のまちか


<感想>

 そうですね、お茶の水の湯島聖堂に行くと、厳かな廟堂、鬱蒼と茂る樹樹、大きな孔子像、時間が止まったかのような気持ちになります。
 山東省の曲阜から移植したという楷の木も大きく育っていますね。

 観水さんの作詩もいよいよ脂がのってきたようで、全漢連会報の記事も楽しく拝見しました。
 毎日、どこかの時間を使って漢詩を考える、そうした積み重ねは大きいものだと改めて思いました。

 承句の「拱揖」(きょうゆう)は、両手を胸の前で合わせて会釈すること、確かにあの巨体の孔子様の前に出ると、誰でも門人になってしまいますよね。



2017. 9.30                 by 桐山人
























 2017年の投稿詩 第224作は 芳園 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-224

  近重陽聴遠雷        

黒雲晩夏遠雷光   黒雲の晩夏 遠雷光る

白雨覆盆逃避行   白雨は盆を覆し 逃避行させる

風竹蕭蕭残暑退   風竹は蕭蕭 残暑を退ける

月下虫語近重陽   月下の虫語 重陽近づく

          (下平声「七陽」の押韻)



<感想>

 場面が少しずつずれているので、全体が分かりにくく感じます。

 起句の「晩夏」は明らかに無駄な言葉で、最初から「夏の終わりだよ」と言ってしまっては、せっかく後半で「残暑退」とか「近重陽」と季節感を表そうとしているのにインパクトが弱く、重複感の方が強くなります。
 結句で急に「月下」と夜の場面になるのも唐突ですので、ここは「一夕」くらいが妥当でしょう。

 承句の「逃避行」は使役では読みづらく、また「行」もこの意味でしたら庚韻の方が適切ですので、下三字は検討が必要です。

 後半は、盆をひっくり返すような強い雨はどこに行ったのか、一転穏やかな風が吹くのは不自然で、現実感がありません。別の詩のような印象です。
 せめて一言、「雨が止んだ」という言葉が欲しいですね。
 「雨」の字が重なるようでしたら、承句の「白雨」を「銀箭」と替えるのでしょうね。

 「残暑退」「近重陽」も、実は同じ時節を表と裏から言っているわけで、先ほどの「雨霽(歇)」を句頭に置くなら下三字は「風竹裡」でしょうか。
 結句への流れを考えると音が続くのを避けて、挟平格で「竹風裡」と風そのものにした方が良いかもしれません。



2017.10. 7                 by 桐山人
























 2017年の投稿詩 第225作は 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-225

  代暑中見舞 其一     暑中見舞いに代へて 其の一   

青雲蹉跌志   青雲 蹉跌の志、

老去退閑郊   老去 閑郊に退く。

楚楚鮮花笑   楚楚と鮮花笑み、

喧喧燕子巣   喧喧と燕子巣くふ。

南窓猶可詠   南窓 猶詠ふべきも、

夏色亦難抄   夏色 亦抄し難し。

驟雨虹橋架   驟雨 虹橋架り、

余光進酒肴   余光 酒肴を進めん。

          (下平声「三肴」の押韻)



<感想>

 凌雲さんからいただいた暑中見舞いでしたが、掲載が遅れてすみません。
 いつの間にか仲秋を過ぎてしまいました。

 お仕事の合間におつくりになったとのこと、「仕事の都合上朝は早く午後は明るいうちに帰ってきて風呂に入って一杯」と書かれていましたが、そのちょっとのんびりとした心境が首聯の「退閑郊」という設定につながったのでしょうね。
 ただ、無理に老境に入る必要は無く、「仕事の関係で午後閑ができた」ということは古人でも起こること、逆に「忙しい合間に見つけた自然の風物」という描き方の方が、現実感が浮かんできて、凌雲さんの詩という印象が強くなると私は思います。

 もちろん、実際と異なる場面設定で心を自由に飛翔させるのは詩の大切な要素ではありますから、否定をするわけではありませんが、頷聯以下はどちらかと言えば「夏午即事」という印象ですので、凌雲さんの現在の一場面を切り取る形の方が、詩が生き生きとしてくるように思います。

 ともあれ、暑中見舞いありがとうございました。返事が遅れましたこと、重々お詫びいたします。



2017.10.10                 by 桐山人
























 2017年の投稿詩 第226作は 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-226

  代暑中見舞 其二     暑中見舞いに代へて 其の二   

熱気児童喜   熱気 児童喜ぶ、

長休躍躍天   長休 躍躍たるの天。

公園深翠碧   公園 翠碧を深め、

旦道聴初蟬   旦道 初蝉を聴く。

郷里書催訪   郷里 書は訪るを催し、

蒸雲夏欲燃   蒸雲 夏燃えんと欲す。

陰陰風運夢   陰陰 風は夢を運び、

当午伴浅眠   午に当たり 浅眠に伴ふ。

          (下平声「一先」の押韻)



<感想>

 第二句は「夏休み」と言わずに「長休」として、子ども達が喜ぶ長〜いお休みだということを表したのでしょうね。

 頷聯は「初蟬」はやや遅いような気もしますが、地域によってはそんなこともあるかな?と納得しました。

 頸聯の「書催訪」はぐっとくる表現ですが、下句の対応がやや物足りないですね。ここはもう少し作者の気持ちが出て来て欲しいところ。「暑くて行く気がしない」ということかもしれませんが、それでは素っ気なさ過ぎるように思いました。



2017.10.10                 by 桐山人
























 2017年の投稿詩 第227作は 三斗 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-227

  初秋吟(一)        

空江潺潺遶村流   空江は潺潺と村を遶り流る

信歩飄然登小丘   歩に信せ飄然と小丘に登る

恰則驚風知節序   恰も則ち風に驚き節序を知る

山脈脈一天秋   青山脈脈として一天の秋

          (下平声「十一尤」の押韻)



<感想>

 全体の用語が統一感が出てきて、詩としてのまとまりが良くなってきましたね。
 部分的な修正だけで十分だと思いますので、気の付いた点だけ、順に言っていきましょう。

 起句の「空江」は寂しげな趣を出す言葉です。起句と承句は叙景に徹して、あまり詩人の感情が表れない方が後半の心情をしっかりと出します。
 逆に、最初に「寂しい」と思わせてしまうと、結句の雄大な感動とどちらが主なのか迷わせているとも言えますね。
 ここは「緑江」「碧江」くらいで、絵をしっかりと描いておいた方が良いでしょう。

 転句は「恰則」が間延びしていますね。丘に登った、風が吹き抜けた、季節の移り変わりを知った、このあたりはトントンと進まないと、風への驚きが弱くなります。
 丘に登って一休みして、やれやれと辺りを見回したら秋の気配だった、というのならこれでも良いのですが、その辺りのリズム感というかスピード感が大事なところでしょう。
 「忽到高風」「風叩衣襟」などが考えられますね。

 結句は良い句ですね。



2017.10.11                 by 桐山人
























 2017年の投稿詩 第228作は 三斗 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-228

  初秋吟(二)        

秋聲先到野人居   秋声 先づ野人の居に到る

倚几無端蟲韻疎   几に倚り 端無く虫韻疎らなり

冷露專專殘暑退   冷露專專として 残暑退く

虚明可味月臨除   虚明味はふ可し 月は除に臨む

          (上平声「六魚」の押韻)



<感想>

 承句の「無端」の解釈ですが、承句からの流れから行くとここは「思いがけず」と読むのが自然ですが、そうなると虫の音がいっぱい(密)でないとおかしいと思います。
 もう一つ「無端」を「退屈だ」という意味でとらえることもできますが、先述したように、承句の「秋の気配がこの私の家に来た」という気持ちと矛盾します。

 同じように虫の声が少なくても、「蟲韻初」とすればすっきりします。

 転句の「冷露」は初秋ですので「冷」は早すぎるでしょうから、「清露」「泠露」が適当でしょう。
 また「專專」は「漙漙」とサンズイを付けた方がよいでしょう。

 結句は、読み下しの時に「可」は「べし」で助動詞ですが、助詞と助動詞は日本語では多くの場合平仮名で書きます。
 「虚」は「上平声六魚」韻の字で、冒韻になります。特に句頭は避けたいので、同じような意味の「澄明」としておきましょう。



2017.10.12                 by 桐山人
























 2017年の投稿詩 第229作は 峰月 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-229

  仲春忽憶舊友M因題     仲春 忽ち旧友Mを憶ひ 因って題す   

雨驟櫻殘夢影幽,   雨 驟なり 桜 残なりて 夢影 幽かなり

中台別後幾春秋。   中台 別後 幾春秋

鯤鵬薄宙今何在?   鯤鵬 宙に薄るは 今 何くに在らん

帝女堙洋志未酬。   帝女 洋を堙むるは 志 未だ酬いられず

乍曉阨災方惴惴,   乍ち 阨災を暁すに 方に惴々たり

忽聞秦晉復悠悠。   忽ち 秦晋を聞くに 復た悠々たり

蓬萊瑞穗難期會,   蓬莱 瑞穂 期会すること難し

且託嬋娟寄旅愁。   且く 嬋娟に託して 旅愁を寄す

          (下平声「十一尤」の押韻)



<解説>

 桜の散る季節、ふと旧友Mさんのことを思い出した時に創った詩です。幾つか故事や典故を使っているし、Mさんに実際にあったことも書かれていて脈絡を知らないと、やや難解だと思われるから、少し説明します。

 Mさんとは大学時代の友人でしたが、作詩時に既に三年ぶりでした。最後に会ったのは台湾の中部地方、台中でした。Mさんは日本人ですが、台湾で仕事をしていて、私は台湾人ですが、東京で働いています。

 「鯤鵬」は『荘子』に出てくる巨大な神獣で、鳥の形態になると体は数千里と大きく、一気に遠くまで飛べると言われています。
 「帝女」は炎帝の娘で、海に溺死した後、精衛という鳥になり、西の山の樹や石を銜えて東の海を埋めようとしました。
 「今何在」「志未酬」とあるのは、私とMさんを隔てる大海は未だに埋められていないし、簡単には飛び越えられない、という意味です。
 また別れている間、Mさんは事故に遭って入院したり、結婚したりと、大きな災難とライフイベントがあった。「阨災」「秦晋」とあるのはそのためです。



<感想>

 遠く離れた友人への思いが胸に染み込んでくるような詩ですね。
 特に、第一句の短文を重ねて畳みかける描写と、第二句の名詞の配置は、漢文はもちろん、読み下し文(日本語)で読んでもリズム感があり、別れ別れの寂しさが浮き上がってきます。
 その第一句の読み下しで「残」は「残(そこ)なはれて」と読んだ方が和訓としては分かりやすいでしょう。

 「鯤鵬」「帝女」の説明も丁寧にありがとうございます。
 多少追加すると、「薄宙」は「空を滑るように飛ぶ」、「惴惴(ずいずい)」は「おびえ、恐れること」、「秦晉」は「(家同士が)婚姻する」ことを表していますね。

 最後の聯は「蓬莱瑞穂」で台湾と日本が遠く離れたことを指していますが、そこから「寂しい、悲しい」と流れるのではなく、「春景色を互いに共有して慰め、再会を待とう」という期待を籠めた点が鮮やかですね。
 「且」の一字に気持ちが凝縮されていて、効果的な措辞になっていると思いました。



2017.10.21                 by 桐山人


峰月さんからお返事をいただきました。

お世話になっております。
峰月です。

拙稿を掲載していただき、また素敵な感想も添えていただき、ありがとうございます。
「第一句の読み下しで「残」は「残(そこ)なはれて」と読んだ方が和訓としては分かりやすい」というご指摘も、なるほどと思いました。

今後も何卒宜しくお願い致します。
2017.10.24             by 峰月
























 2017年の投稿詩 第230作は桐山堂半田の 昇洲 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-230

  夏日感懷 一        

山青啼鳥水辺村   山青く 啼く鳥 水辺の村

避暑野風坐小軒   暑を避け 野風 小軒に坐す

沛然雷雨落下痕   沛然 雷雨 落下の痕

林亭雲外懷家園   林亭 雲外 家園を懐ふ

          (上平声「十三元」の押韻)



<解説>

 桐山堂半田は、吟詠の方々が自作の漢詩を吟じたいという希望を持たれ、昨年から私の地元で開講した講座です。
 作詩はこれまで経験が無く、まずは七言句を作るところから始めている方もおられるのですが、皆さん、積極的に楽しんでおられます。

 今回は「桐山堂詩会」に参加するために「夏日感懷」「夏日即事」という題で挑戦していただきました。すでに「桐山堂詩会」には完成形を掲載していますが、その完成形に到る過程をご覧いただくのも皆さんの参考になるかと思い、途中経過も含めてご紹介します。
 「桐山堂詩会」以外の作品も併せてご紹介しますので、ご覧ください。

 昇洲さんは、まずは七言の句を四つ作るところから、句の並べ替え、平仄の整理などを行っていきました。

<感想>

 句の並び方としては、「懐家園」の句を最後に持ってくると良いですね。
 そうなると、やはり変化を持たせる転句は「沛然」の句で、雨が降ってきたということにするのが自然でしょう。転句に、ということですと押韻はしませんから、句末の字は仄声にしますが、ただ、この句は平仄が合っていなくて、「●○○●●●○」、「二六対」が壊れています。
 また下三字だけを見ると「●●○」ですから、単純に末字を仄字にしても「●●●」の「下三仄」になるだけですので、検討が必要です。

 他の句は「二四不同」「二六対」「押韻」は大丈夫です。
 結句は下三字が「下三平」になっていますので、「憶家園」にします。

 順番に見ていきますと、第一句は、作者が山に居るのか川のほとりにいるのか、悩ましいですね。「山青」「啼鳥」は合いますので、「水辺」を「緑陰」としましょうか。

 第二句は「●●●○●●○」で「四字目の孤平」ですので、「野風」を「涼風」「清風」にしましょう。

 第三句はまず「雷雨沛然」として、下三字を「○●●」となるようにします。
「光照野(光野を照らす)」「簷下滴(簷下の滴)」でしょうか。

 まとめると、

   山青啼鳥拷A村  山青く 啼く鳥 緑陰の村
   避暑涼風坐小軒  暑を避け 涼風 小軒に坐す
   雷雨沛然簷下滴  雷雨沛然たり 簷下の滴
   林亭雲外懷家園  林亭 雲外 家園を懐ふ




2017.10.21                 by 桐山人
























 2017年の投稿詩 第231作も桐山堂半田の 昇洲 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-231

  夏日感懷 二        

南風万緑住山村   南風 万緑 山村に住む

天漢閑林日欲昏   天漢 閑林 日昏れんと欲す

白雨一竿杜鵑魂   白雨 一竿 杜鵑の魂

孤窓欹枕涙空呑   孤窓 枕を欹て 涙空しく呑む

          (上平声「十三元」の押韻)



<解説>

 同じく、完成形を「桐山堂詩会」に載せたものです。

<感想>

 こちらの詩については、第一句から三句まで、言葉がバラバラでつながりませんね。
 第四句は話がうまく出来ていますので、この句を結句に置きましょうか。

 言葉を繋げながらまとめて行くと、

   南風颯颯水辺村  南風颯颯たり 水辺の村
   万緑閑林日欲昏  万緑の閑林 日昏れんと欲す
   碧漢杜鵑聲一叫  碧漢の杜鵑 声一叫
   孤窓欹枕涙空呑  孤窓 枕を欹て 涙空しく呑む




2017.10.21                 by 桐山人
























 2017年の投稿詩 第232作は桐山堂半田の 靖芳 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-232

  夏日感懷        

松籟清陰隔市喧   松籟 清陰 市喧を隔つ

閑窗半日坐幽軒   閑窓 半日 幽軒に坐す

南風白雨一燈暗   南風 白雨 一灯暗し

雷火煌煌雨脚繁   雷火煌煌として 雨脚繁し

          (上平声「十三元」の押韻)



<解説>

 こちらの詩も「桐山堂詩会」に掲載した作品の初案です。
 詳しくは 2017-230 をご覧ください。

<感想>

 内容がよくまとまった詩ですね。

 「雨」の字が重複していますので、ここは直さなくてはいけません。
 「白雨」を直すなら「銀箭」「銀竹」、結句の「雨脚」を直すなら「簷溜」でしょうか。

 なお、転句の「南風」を「暗風」とすれば、雨が降る前の不穏な雰囲気が出ると思います。

  松籟清陰隔市喧  松籟 清陰 市喧を隔つ
  閑窗半日坐幽軒  閑窓 半日 幽軒に坐す
  暗風銀箭一燈淡  暗風 銀箭 一灯淡し
  雷火煌煌雨脚繁  雷火煌煌として 雨脚繁し




2017.10.21                 by 桐山人
























 2017年の投稿詩 第233作も桐山堂半田の 靖芳 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-233

  夏日好景        

結實忘歸農事繁   結実 帰るを忘る 農事繁し

噪蝉半日話田園   噪蝉 半日 田園に話す

火雲白白拷A邑   火雲白白 緑陰の邑

雀聲涼風野色昏   雀声 涼風 野色昏し

          (上平声「十三元」の押韻)



<解説>

 こちらの詩も「桐山堂詩会」に掲載した作品の初案です。
 詳しくは 2017-230 をご覧ください。

<感想>

 こちらの詩は、何となくバラバラとしていて、落ち着かないですね。
 冒頭の「結實」「忘帰」「農事繁」が、何となく分からないではないですが、どうもつながりが弱いです。
 起句も農作業のことを描いて、「忘帰」はちょっと取っておきましょう。
 そうすると、「結実好期農事繁」という感じでしょうか。

 承句の「噪蝉」は結句の「雀聲」と音でぶつかりますので削って「忘帰」を入れ、「半日」ではなく「終日」としておくと、結句の「昏」と合うと思います。

 転句の「火雲」ですが、「火」は「赤」を連想させるので、下の「白白」「香vと違和感がありますね。
 同じ発音ですが、「夏雲」としておくと良いでしょう。

 まとめてみますと

   結實好期農事繁  結実の好期 農事繁し
   忘歸終日話田園  帰るを忘れ 終日 田園に話す
   夏雲白白拷A邑  夏雲白白 緑陰の邑
   雀聲涼風野色昏  雀声 涼風 野色昏し




2017.10.21                 by 桐山人
























 2017年の投稿詩 第234作は桐山堂半田の 健洲 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-234

  夏日感懷 一        

南風颯颯鳥聲喧   南風颯颯として 鳥声喧し

碧水潺湲夏木繁   碧水潺湲として 夏木繁し

雨霽鳴蛙消午熱   雨霽れ 鳴蛙 午熱を消す

閑林歩向夕陽村   閑林歩して向ふ夕陽の村

          (上平声「十三元」の押韻)

 

<解説>

 こちらの詩も「桐山堂詩会」に掲載した作品の初案です。
 詳しくは 2017-230 をご覧ください。

<感想>

 承句の「碧水」ですが、これはある程度深さが必要で、ということは大きな川になります。そうなると、作者は今どんな場所にいるのか、「夏木繁」「閑林」などがやや気になってきますね。蛙も鳴いていますので、ここは「田水」くらいが無難でしょう。

 転句は「雨」がいつ降ったのか、また蛙の声で涼しさを感じたというのも妙ですので、ここは「驟雨一過」としてはどうでしょうね。

   南風颯颯鳥聲喧  南風颯颯として 鳥声喧し
   田水潺湲夏木繁  田水潺湲として 夏木繁し
   驟雨一過消午熱  驟雨一過 午熱を消す
   閑林歩向夕陽村  閑林歩して向ふ夕陽の村




2017.10.21                 by 桐山人
























 2017年の投稿詩 第235作も桐山堂半田の 健洲 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-235

  夏日感懷 二        

避暑潮風坐小軒   暑を避け 潮風 小軒に坐す

層雲樹影野色昏   層雲 樹影 野色昏し

煙波瑟瑟漁歌近   煙波瑟瑟として 漁歌近し

酌酒蕭然憶孤園   酒を酌み蕭然として孤園を憶ふ

          (上平声「十三元」の押韻)



<解説>

 こちらの詩も「桐山堂詩会」に掲載した作品の初案です。
 詳しくは 2017-230 をご覧ください。

<感想>

 こちらも承句の「野色」がおかしいですね。海辺に来ていますので、「水色」「海色」としなくてはいけません。
 ただ、ここは六字目が平字でなくてはいけない(平句)ですので、「水光」とします。
 そうなると、「樹影」も気になりますので、「帆影」としましょう。

 転句の「瑟瑟」は風がさっと吹く様子ですので、「一」の「颯颯」と似た感じですね。
それならば起句の「潮風」が手頃ですが、承句で「昏」を使っていますので、ここは「夕風」「晩風」が手頃でしょう。

 起句は「海濱」として、結句の「孤園」は「故園」にしないと平仄が合いません。

   避暑海濱坐小軒  暑を避け 海浜 小軒に坐す
   層雲帆影水光昏  層雲 帆影 水光昏し
   夕風瑟瑟漁歌近  夕風瑟瑟として 漁歌近し
   酌酒蕭然憶故園  酒を酌み蕭然として故園を憶ふ




2017.10.21                 by 桐山人
























 2017年の投稿詩 第236作は桐山堂半田の 睟洲 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-236

  夏日感懷(懷昔新構居之時)        

翠陰風爽坐幽軒   翠陰風爽 幽軒に坐す

螢影青蜩數畝園   螢影 青蜩 数畝の園

雷雨沛然挼酷暑   雷雨沛然 酷暑を挼(さい)す

北辰南指暮煙昏   北辰南指す 暮煙昏し

          (上平声「十三元」の押韻)



<解説>

 こちらの詩も「桐山堂詩会」に掲載した作品の初案です。
 詳しくは 2017-230 をご覧ください。

<感想>

 起句は「風爽」でしたら「風爽やか」と読みます。「爽風」ならばそのままですが。

 転句は雷雨が暑さを抑えつけたということで、納得できる表現ですね。

 結句の「北辰南指」は北極星の柄が南を指す季節だということでした。



2017.10.21                 by 桐山人
























 2017年の投稿詩 第237作は 睟洲 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-237

  夏日感懷(木曽旅懷)        

野亭閑寂緑陰繁   野亭閑寂として 緑陰繁し

聒聒寒蜩遠近村   聒聒たる寒蜩 遠近の村

城裏尚殘三伏熱   城裏尚残す 三伏の熱

西風颯颯滿田園   西風颯颯として 田園に満つ

          (上平声「十三元」の押韻)



<解説>

 こちらの詩も「桐山堂詩会」に掲載した作品の初案です。
 詳しくは 2017-230 をご覧ください。

<感想>

 場所を表す言葉が「野亭」「緑陰」「遠近村」「城裏」「田園」ですが、この中で「城裏」だけが調和しませんね。
 作者の気持ちは「この野亭は涼しいけれど、街の中はまだ暑いだろうよ」という対比ですが、「村」から「城裏」へと場所を表す語がつながるので、やや混乱します。
 「三伏城中(街)余午熱」と位置を少しずらすのも一案です。

 結句の「西風」は秋の風、「寒蜩」と合わせるとこの詩は「初秋」のイメージが強いので、起句の「緑陰」は「樹陰」にした方が良いでしょう。

 この「西風」を「谷風」「山風」「涼風」「暮風」など変化させると、詩のイメージも変わってきます。
 木曽での思い出にぴったり合うのはどれかを選ぶのも推敲の楽しみでしょう。



2017.10.21                 by 桐山人
























 2017年の投稿詩 第238作は桐山堂半田の 酔竹 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-238

  夏日好景        

潮平暑氣溢乾坤   潮平かにして 暑気乾坤に溢る

舟遠含風白帆翻   舟遠く 風を含んで白帆翻る

淺渚追波童稚戯   浅渚 波を追ひ童稚戯れる

老夫罷釣向黄昏   老夫 釣を罷め 黄昏に向ふ

          (上平声「十三元」の押韻)



<解説>

 こちらの詩も「桐山堂詩会」に掲載した作品の初案です。
 詳しくは 2017-230 をご覧ください。

<感想>

 承句は「舟遠」「白帆翻」の距離感ですね、語を入れ替えて「風遠輕舟白帆翻」として調整でしょうか。

 転句は「追波」の主語が下に在るため、どうも落ち着きません。
 「碧渚銀波童稚戯」「童稚追波江渚戯」とした方が良いでしょう。

 結句は「黄昏」という時間帯と転句の「童稚戯」の時間帯が合うかどうか、ですね。
 流れとしては、「老夫倦釣既黄昏」というところでしょうか。



2017.10.21                 by 桐山人
























 2017年の投稿詩 第239作は桐山堂半田の 輪中人 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-239

  夏日感懐        

蝉声十里緑陰村   蝉声十里 緑陰の村

茅屋窓前燕語喧   茅屋 窓前 燕語喧し

慈雨一過消午熱   慈雨一過 午熱消す

中庭嫩草倍生蕃   中庭の嫩草 倍す生蕃

          (上平声「十三元」の押韻)



<解説>

 こちらの詩も「桐山堂詩会」に掲載した作品の初案です。
 詳しくは 2017-230 をご覧ください。

<感想>

 この詩では、起句の「蝉聲十里」と承句の「窓前燕語喧」という聴覚の素材を並べた点がポイントになります。
 遠くからの蝉の声、近くの燕の声という対比として音による遠近感ととらえることもできますし、それはそれで詩として工夫されたと思います。

 しかし、そういう効果を狙ったのでしたら、結句がピント外れの印象です。
 夏の日の一面の騒がしさの中、雨が降って何か変化があったのか、と言うと、「草がますます生い茂った」では詩情が浮かび上がってきません。

 結句を作り直すのも一つですが、せっかくの句ですので、起句と承句を入れ替えましょう。
そうすると、「中庭」で詩が始まるのは妙ですので、「夏初」「夏天」とする必要があります。

   夏初嫩草倍生蕃  夏初 嫩草 倍す生蕃し
   茅屋窓前燕語喧  草堂の窓前 燕語喧し
   慈雨一過消午熱  慈雨一過 午熱消す
   蝉声十里緑陰村  蝉声十里 緑陰の村

 「緑陰」を頭に置けば

   緑陰嫩草忽生蕃  緑陰 嫩草 忽ち生蕃
   茅屋窓前燕語喧  草堂の窓前 燕語喧し
   慈雨一過消午熱  慈雨一過 午熱消す
   蝉声十里夏初村  蝉声十里 夏初の村

 雨が降るとまた草が伸びて困るわぃ、という感覚の「倍」は「緑陰」では合わないと思い、何とかニュアンスを残して「忽」としました。




2017.10.21                 by 桐山人
























 2017年の投稿詩 第240作も桐山堂半田の 輪中人 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-240

  夏日好景        

溽暑繙書坐小軒   溽暑書を繙いて 小軒に坐す

南薫未散忘塵煩   南薫未だ散ぜず 塵煩を忘る

窓前風鐸清泉響   窓前の風鐸 清泉の響き

萬地洋洋軽燕翻   萬地洋々 軽燕翻る

          (上平声「十三元」の押韻)



<解説>

 こちらの詩も「桐山堂詩会」に掲載した作品の初案です。
 詳しくは 2017-230 をご覧ください。

<感想>

 全体に整っていますが、一点だけ、起句の「溽暑」は夏の詩語ですが、ここで用いると、蒸し暑い中で何で「書を繙き小軒に坐す」のかが疑問になります。
 後半の爽やかな趣から見ても合わないですので、ここは感覚を表す言葉を避け、「六月」「夏午」「夏日」など、時候を客観的に述べておくだけの方がすっきりします。



2017.10.21                 by 桐山人