2017年の漢詩 第331作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-331

  高平探芳新・裁詩二十年吟得五萬篇        

硯池邊,       硯池の邊,

有贅翁遐想,     贅翁の遐想する有り,

欲騎柔翰。      柔翰(毛筆)に騎(の)らんと欲す。

鼓翼行空,      翼を鼓して空を行き,

單嚮朝陽暉煥。    單(ひたすら)嚮(むか)ふ 朝陽の暉煥(かがや)けるへと。

乘風韻,       風韻に乘り,

求妙趣,       妙趣を求め,

舞雲箋,       雲箋に舞ひ,

穿夢幻。       夢幻を穿つ。

遇飛仙,       遇へり 飛仙の,

堪追尾,       追尾するに堪へ,

竟到蓬莱文苑。    竟(つい)に蓬莱の文苑に到るに。

     ○                ○

遊目詞華絢爛,    詞華の絢爛たるに目を遊ばせ,

賞麗蕊生香,     賞(め)づるは麗蕊の香りを生じ,

花心競艷。      花心の艷を競ふなり。

以致非才,      以って致(いた)るに非才,

容易吟魂舒展。    容易に吟魂を舒展す。

餐烟霞,       烟霞を餐(くら)ひ,

傾玉酒,       玉酒を傾け,

二十年,       二十年,

詩五萬。       詩は五萬。

廢甘眠,       甘眠を廢し,

揮禿筆,       揮へる禿筆,

潤黄金盞。      黄金の盞に潤ふ。

          (中華新韻八寒平声の押韻)



<解説>

 拙作5万首目の記念作は五言律詩にしましたが、いささか物足りず「水調歌頭」に加え「高平探芳新」でも詠んでみました。
 「高平探芳新」の詞譜は次のとおりです。

 高平探芳新 詞譜・雙調93字,前段十二句一協韻四仄韻,後段十二句五仄韻 呉文英
  ●○平協●●○○●(一四),●○○仄。●●○○,○●○○○仄。○○●,○●●,●○○,○●仄。●○○,○○●,●●○○○仄。
  ○●○○●仄,●●●○○(一四),○○●仄。●●○○,○●○○○仄。○○○,○●●,●○○,○●仄。●○○,○○●,●○○仄。
   ○:平声。●:仄声。平:平声の押韻。(拙作は中華新韻八寒)
   (一四):前の五字句は,上二下三ではなく,一・四に作る。

 「高平探芳新」の詞譜は△(平声が望ましいが仄声でもよい)と▲(仄声が望ましいが平声でもよい)が全くありません。
 このような場合、平仄の規則(二四不同、二六同、一三吾不問)を遵守しさえすれば、多少は変えてもよいと思いますが、
 小生は、言葉のスポーツのつもりで、〇●を厳守しています。


<感想>

 
 水調歌頭の方が人間界の鮟鱇さんとすれば、こちらは同じ詞でも、既に仙界に遊ぶ趣で、詩作に耽る楽しい姿が描かれていますね。
 どちらも鮟鱇ワールドという感じで、嬉しくなります。
 全体の字数は変わらないけれど、句数が異なることで、リズム(正しくはメロディでしょうか)が変わってきて、そのあたりが詞譜選択につながるのでしょうか。

2018. 2. 9                  by 桐山人























 2017年の漢詩 第332作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-332

  七律・裁詩二十年吟得五萬篇        

凡才刻苦二十年,   凡才 苦を刻んで二十年,

寫了詩詞五萬篇。   寫了(書けり)詩詞五萬篇。

春賞櫻花扮鶯哢,   春には櫻の花を賞(め)でて鶯の哢るに扮し,

秋題月鏡競蛩喧。   秋には月鏡を題として蛩(こおろぎ)の喧しきと競ふ。

古來筆路通霞洞,   古來 筆路は霞洞に通じ,

今至竅門開曉天。   今に至って竅門(秘訣の門)は曉天へ開く。

厭倦現實無興趣,   現實の興趣なきに厭倦し,

游魂張翼友飛仙。   魂を游ばせ翼を張って飛仙を友とす。

          (中華新韻八寒平声の押韻)



<解説>

 拙作五萬首達成の記念は五言律詩で詠みましたが、七言律詩でも詠んでみようということで上掲作を書きました。
 実は二萬首達成の記念で2006年に詠んだのが下載の七言律詩、
 そこで五萬首目は五言律詩にしたのですが、
 出来ばえでいえば五萬首の五律・七律よりもこちらの方がよいように思えます(ただ、韻字の才と材が同音。これは避けるべきです)。
 当時は投稿させていただかなかったので、この機会に付記させていただきます。

  七律・九年吟得二萬首詩詞        

詩魔一日抱琴來,   詩魔 一日 琴を抱きて來たり,

附體田翁乏雅才。   田翁の雅才の乏しきに附體せり。

落戸九年教韻事,   落戸(住みつく)の九年 韻事を教へ,

侑觴八斗洗塵埃。   侑觴(觴をすすめる)の八斗 塵埃を洗ふ。

尋幽隨處景堪賞,   幽を尋ぬれば随處に景は賞(め)づるに堪へ,

覓句含情聯自排。   句を覓(もと)むれべば情を含んで聯自ずから排(なら)ぶ。

莫笑老殘吟不厭,   笑ふ莫れ老殘 吟じて厭(あ)きず,

聳肩高唱坐棺材。   肩を聳やかして高唱し棺材に坐しをるを。

          (中華新韻四開平声の押韻)



<感想>

 先日、久しぶりに私の漢詩の先生のところに伺いました。
 日頃ご無沙汰ばかりで申し訳ない限りなのですが、その折に先生が「一日三首作詩することを日課としている」と仰っていて、まもなく米寿をお迎えになる先生の変わらぬ創作意欲に頭が下がりました。
 私は、先生の前でただただ小さくなっていました。

 その時に先生が「一日三首作れば、一年で約千首だよ」と仰ったのは怠け者の私に目標設定の大切さを諭して下さったのだと思いますが、私も20年先に先生のように毎日詩が作れる伎倆を身につけ、豊かな詩情を保持するために、精進したいと思いました。
 先生も鮟鱇さんも、私の詩人生の目標です。

 二万首と五万首の七律を読み比べると、二万首は「詩魔」に出会えた喜びと高揚感が感じられますし、五万首はその詩魔を飼い慣らしたというか、自在、ほとんど仙境に入りびたりという感じですね。
 どちらも鮟鱇さんの記録となる良い詩だと思います。


2018. 2. 9                  by 桐山人























 2017年の漢詩 第333作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-333

  六州歌頭・裁賦二十年吟得五萬首        

贅翁刻苦,      贅翁 苦を刻み,

裁賦二十年。     賦を裁くこと二十年。

傾金盞,       金盞を傾け,

磨玉硯,       玉硯を磨き,

剪銀幡,       銀幡を剪り,

作紅箋。       紅箋と作す。

美醉將遊覽,     美醉して將に遊覽せんとし,

騎柔翰,       柔翰(毛筆)に騎り,

飛星晩,       星の晩に飛び,

穿夢幻,       夢幻を穿ち,

迎清旦,       清旦を迎へ,

到桃源。       桃源に到る。

捜索綺思,      綺思(美妙なる情思)を捜索するに,

空想無拘限,     空想に拘限(拘束制限)無く,

筆路連綿。      筆路 連綿たり。

有旗亭賣酒,     旗亭の賣りたる酒あり,

可口浸心肝。     口に可にして心肝を浸す。

里婦温顏,      里婦は温顏,

是天仙。       是れ天仙なり。

   ○          ○

笑輝青眼,      笑みて青眼を輝かせ,

嫣然勸,       嫣然と勸む,

霞液淡,       霞液の淡きの,

涌靈泉。       靈泉に涌くを。

花貌艷,       花貌 艷にして,

洪量健,       洪量(大量の酒量)健やかに,

用辭甘,       辭(ことば)の甘きを用ひ,

肆良言。       良言を肆(ほしいまま)にす。

拜受薫陶産,     薫陶を拜受して産みたる,

詩五萬,       詩は五萬,

上峰巓。       峰巓に上る。

獨壟斷,       獨り壟斷せるは,

江湖煥,       江湖の煥(かがや)き,

聳吟肩。       聳やかせるは吟肩。

莫笑凡才,      笑ふ莫れ凡才の,

信口佯風漢,     口に信(まか)せて風漢の佯(ふり)をし,

諷詠聲喧。      諷詠せる聲の喧しきを。

喜遊魂終老,     魂を遊ばせて老いを終(すご)すを喜び,

飲露扮鳴蟬,     露を飲んで鳴蝉に扮し,

覓句新鮮。      句の新鮮なるを覓(もと)むるを。

          (中華新韻八寒平仄両用の押韻)



<解説>

 拙作5万首目の記念作、「六州歌頭」でも詠んでみました。
 拙作5万55首目、漢詩を始めた1997年は9か月で55首しか詠んでいないので
 1998年1月から起算すればこの作でちょうど5万になります。

 「六州歌頭(賀鑄体)」の詞譜(『欽定詞譜』)は下載のとおりですが
 賀鑄は押韻が大好きな詩人のようで、前人は押韻していない句を敢えて押韻する
 という例を他の詞牌でも見ることができます。
 しかし、押韻大好き詩人の本領はこの「六州歌頭(賀鑄体)」で発揮されています。
 主たる押韻である平声の押韻16句のほかに、
 その押韻と同じ韻部の仄声の押韻(協韻)が18句あり
 全39句のうち34句が押韻句です。
 筆の針路が押韻に振り回され途方に暮れる思い少なからずで
 よい作にできたかという不満が一方にはあるものの
 ともかくも詠み終えた、という達成感にはなかなかのものがあります。

 六州歌頭 詞譜・雙調143字,前段十九句八平韻、八協韻,後段二十句八平韻、十協韻 賀鑄

  ●○●●,○●●○平。○○仄協○●仄協●○平,●○平。●●○○仄協○○仄協○○仄協○●仄協○○仄協●○平。○●●○,○●○○仄協●●○平。●○○●●(一四),●●●○平。●●○平。●○平。
  ●○○仄協○○仄協○●仄協●○平。○●仄協○●仄協●○平,●○平。●●○○仄協○●仄協●○平。○●仄協○○仄協●○平。●●○○,●●○○仄協●●○平。●○○○●(一四),●●●○平,●●○平。
   ○:平声。●:仄声。
   平:平声の押韻。(拙作は中華新韻八寒)
   仄協:平声の押韻と同じ韻部の仄声の押韻。(拙作は中華新韻八寒)
   (一四):前の五字句は,上二下三ではなく,一・四に作る。


<感想>

 読んだ時に漢字の音読みで「-n」と終る字が次々に出て来て、最初「押韻が多いなあ」と思いましたが、よく見ると漢字の音読みは同じでも仄字の字が含まれていて、二度びっくりでした。
 解説していただいた協韻の面白さは中国語で聞くと面白さがストレートに直感できるのでしょうが、日本人にとっては知的な「くすぐり感」ですね。
 読み終えたこちらにも「達成感」を与えてくれて、感動です。

 その分、内容を忘れそうで(失礼)、読み下しで再度読み味わいました。

2018. 2. 9                  by 桐山人
























 2017年の投稿詩 第334作は 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-334

  晩秋作詩        

坐看星象送秋時   坐に看る星象 秋を送るの時

天宇無雲月似眉   天宇 雲無く 月 眉に似たり

風冷敲窓紅葉盡   風冷やかに窓を敲き 紅葉尽くも

吟情未替獨刪詩   吟情未だ替えず独り詩を刪る

          (上平声「四支」の押韻)



<感想>

 岳城さんから沢山いただいた作品も、ようやく晩秋まで来ましたね。
 お待たせしてすみませんでした。

 晩秋の夜、星明かりの中、眉のような細い月、最初の場面設定は十分ですね。

 更に「風」が冷たく吹くわけですが、「敲窓」となると、窓は閉まっているように感じます。せっかくの前半の設定がちぐはぐな印象になります。「敲」の字はあきらめて、「窓邊」とか、「窓前」と「紅葉」を形容する形に変化させた方が良いでしょう。





2018. 2. 9                 by 桐山人
























 2017年の投稿詩 第335作は 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-335

  憶拉致被害者兩親        

悪夢經年四十年   悪夢 年を経ること四十年

非情國邑九州先   非情の国邑 九州の先

女兒救濟風前燭   女児の救済 風前の燭

殘日暗雲空仰天   残日 暗雲 空しく天を仰ぐ

          (下平声「一先」の押韻)



<感想>

 拉致問題の解決は、年を追うごとに難しくなっていくことは明白で、日本側の緊急解決を求める強い要望に対して、一向に解決の姿勢が見られない北朝鮮の姿勢は憤ろしいものです。
 しかし、いくら気持ちを示さないからと言ってこちらが黙ってしまう(相手はそれを待っているのでしょうが)と、それこそ思うつぼにはまることになるでしょう。
 日本の世論や空気が「理不尽を許さない」「被害を受けている人を救う」と不断に抗議の声を発し続けることが大切だと思います。

 今回の詩は、そういう意味での大切なメッセージだと思います。

 結句の下三字は、作者のお気持ちは分かりますが、「被害者兩親の思い」としては別の表現が良いと思います。緊迫感はやや薄れますが、「即今緊」ではどうでしょうね。



2018. 2. 9                  by 桐山人
























 2017年の投稿詩 第336作は 三斗 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-336

  初冬吟        

岸樹風枝帶痩容   岸樹の風枝痩容を帯び

平池瞑色入初冬   平池の瞑色初冬に入る

京師處處寒鴉噪   京師の処処に寒鴉噪ぎ

高閣杳然三四峰   高閣の杳然と三四峰

          (上平声「二冬」の押韻)


<感想>

 起句は「岸樹」「風枝」がからみが悪いですね。
 「池畔梢枝」としておくのが良いでしょう。

 承句は「平」が必要かどうか、「蕭蕭水面」など、形容詞を前に出す方が良いです。

 転句は「京師」では広すぎ、作者の現在居る場所を示すのが良いですね。
「郊園」「空園」「故園」「空林」「寒林」などが考えられますが、結句の高層ビルを考えると「空園」が良いでしょうね。

 結句は「峰」による高層ビルの比喩が通じるかを心配しておられましたが、この比喩自体は良いですので、「層閣聳天」としておくと良いでしょう。



2018. 2.10                  by 桐山人
























 2017年の投稿詩 第337作は 三斗 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-337

  冷榻        

逍遙獨到野橋傍   逍遥して独り到る野橋の傍ら

雲色空濛天一方   雲色空濛たり天の一方

日氣深沈寒慄烈   日気深沈として寒慄烈

厠中冷榻斷人腸   厠中の冷榻は人腸を断つ

          (下平声「七陽」の押韻)



<解説>

 「榻」とは椅子のことと捉えておりますが、便座を称して「榻」は如何。
滑稽なる美称のつもりで用いましたが滑稽以前に不当なのでは失敗でございますね。

「人腸を断つ」も又、悲しみの場合にのみ妥当する表現なのだとすれば、これも駄目かと怪しんでおります。

<感想>

 滑稽味を出せるようになってきたことは、作詩に余裕が生まれたことと考えれば良いことです。
ただ、この詩の場合、「野橋」から突然「厠中」ではどこでトイレに入ったのか悩みます。
 多少なりとも転句でその前に室内に入ったことを示すべきですね。

 前半はひとまとまりで出来上がっていますから、転句を考えましょう。
「日氣深沈」は承句で示しているとも言えますので、「空濛」を「深沈」としておき、「茅屋歸來」というようにしてはどうでしょうね。

 結句の「談人腸」は「斷」を「脅」とすれば、話は合うようになるでしょう。



2018. 2.10                  by 桐山人



常春さんから感想をいただきました。

   滑稽味溢れる詩 楽しいですね。
   この詩、公衆トイレに駆け込む風情、ストレートに、「凛冽寒風凍腰腹」「侵内臓」など如何。


2018. 2.12                      by 常春























 2017年の投稿詩 第338作は 楊川 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-338

  除夜        

今歳詠懐三五篇   今歳の詠懐 三五篇

雖誰鷄肋苦難損   誰か鷄助と雖も苦だ損て難し

鐘聲百八響胸裡   鐘聲百八胸裡に響く

又興蕪詩除一年   又蕪詩に興じて一年を除せん

          (下平声「一先」の押韻)



<解説>

 三五は十五というよりもわずかちらほら
 最近は月1作になりつ

 数字遊びの三句

<感想>

 起句の「今歳」は説明臭いですね。
 また、わざわざ「三五」というのもどうか、ということで「一歳吟懷十五編」でどうでしょうね。

 承句は「雖言鷄肋」で「誰」は余分ですね。「苦」は「復」「尚」が良いでしょう。

 結句の「興蕪詩」は賈島の故事に倣って、「肅肅祭詩」でいかがでしょうか。



2018. 2.10                  by 桐山人
























 2017年の投稿詩 第339作は 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-339

  恋詩 其二        

頼友使文添   友を頼み文を添へしむ、

且難億好嫌   且だ好嫌を億し難し。

漂漂胡蝶夢   漂漂たり胡蝶の夢、

灼灼暖炉炎   灼灼たり暖炉の炎。

対面紅顔伏   対面せば 紅顔伏し、

逡巡落涙淹   逡巡として 落涙淹る。

逍遥迷恋路   逍遥と恋路に迷ひ、

放擲折花占   放擲 花を折り占ふ。

          (下平声「十四塩」の押韻)



<感想>

 友達に頼んで手紙を渡してもらい、返事を貰えるかと不安の日々、青年期の恋心を思い出させてくれるような詩ですね。
 携帯電話やメールが浸透した現代では「ラブレター」という言葉も死語に近いのかもしれないと思っていましたが、最初のきっかけはやはり手紙なのかな、などと高校生を眺めながら考えたりもしました。

 頷聯は、「蝴蝶夢」で夢うつつの心境、下句の「暖炉炎」は燃える恋心の象徴でしょうか、上句が故事ですので対としては下句も同様にしたいところです。
 ただ、この比喩が現実的で良いので、逆に「蝴蝶夢」の方も直接身の回りを描くような形が良いかもしれません。

 頸聯と尾聯は順序が逆のように感じるのと、「落涙淹」は表現が大げさ過ぎると思いました。



2018. 3. 2                  by 桐山人
























 2017年の投稿詩 第340作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-340

  忖度        

側近巧言生忖度   側近の巧言 忖度生じ

懸題一氣貫呵成   懸題 一気呵成に貫く

官僚資質何無碍   官僚の資質 何ぞ無碍たる

判断是非微妙縈   判断の是非 微妙に縈(めぐ)らん

          (下平声「八庚」の押韻)



<解説>

 『詩経』小雅、節南山之什は乱世に処して世を憂え憤る痛烈な風刺の歌。
 これにある「巧言」には「他人有心 予忖度之」「巧言如簧 顔之厚矣」など現代ぴったしの言葉豊富。

 この詩では、側近巧言としたが、上司有心のほうが、今年の諸々に合っていたのかな。

<感想>

 「忖度」という言葉が流行語大賞に選ばれました。
 『詩経』の解釈では「他人に悪い心があれば、私はそれを厳しく吟味する」ということで、それを例えて「躍躍毚兔 遇犬獲之」(ずるがしこい兔を良犬が捕まえるように)となっています。
 この「巧言」は、讒言を述べる者がいるから世の中は乱れるというのが主旨で、文脈から見ると「忖度」は決して悪い意味ではなく、悪意をもって讒言をする輩の心を見抜いて、世の乱れを正すという意味ですね。

 有力者や権力者のご意向を「忖度」するのは、大抵、直接言葉にすると悪事が表れる時、口に出すと問題が多い時であり、下の者が(悪意を承知の上で)代わりに事を行う、のが忠義のように勘違いしている現状と、その「忖度」が流行語大賞というのも、嘆かわしいことですね。



2018. 3. 1                  by 桐山人
























 2017年の投稿詩 第341作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-341

  奈非核何        

傘今成御盾   傘今御盾と成り

不識在營衙   識らず営衙にあり

非核三原則   非核三原則

嗚呼奈汝何   嗚呼 汝を奈何にせん

          (下平声「五歌」の押韻)



<解説>

「御」: 禦

 核の傘、当初は大きな傘の許ただ蹲っていればよい語感があったが、今は傘の骨一本一本を銘々が支える感じ。第一線に立っているかの様。

 米国の新核戦略指針公表(2月2日)を受けて、直ちにこれを「高く評価する国」が身近にあったことに驚いた。
 「非核三原則」は何処かに仕舞いこまれたようだ。
 核使用のハードルを大きく下げた新指針。抑止力から実戦力へ転換することを意味しよう。
 廃絶ではなく競争時代への導火線に火をつけたかのようだ。

<感想>

 常春さんの今回の詩は、凌雲さんの投稿された「核戦争」をお読みになって共感されての作品だそうです。

 非核三原則が日本の決して揺るがない平和への誓いだったように思います。

 かつては「御盾」、知らないうちに「営衙」、防御システムの中に入ってしまっているという思いが前半に書かれているのでしょう。





2018. 3. 1                  by 桐山人
























 2017年の投稿詩 第342作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-342

  追憶        

劫中征少氣雄哉   劫中少くして征く 氣雄なる哉

人没戦塵焦土哀   人は戦塵に没し 焦土哀し

興復山河仍若昔   興復の山河 仍昔の若く

追懐往事獨傾杯   往事を追懐し 独り杯を傾く

          (上平声「十灰」の押韻)


「劫中」: 戦時中。
「征少」: 年若くして海軍に入隊。
「氣雄哉」: 気力横溢。
「興復山河」: 国土の復興。
「往事」: 戦時中の事柄。



<感想>

 深渓さんから、戦争の思いをまとめられた詩を何首かいただきましたので、まとめて掲載をします。

 こちらの詩は、起句の当時の青年の思いと、焦土と化した国土を眺めた過去と、現在の姿をまとめたものですね。
 「追懷往事」の言葉が全体を象徴して、お気持ちがよく出ている内容だと思いました。



2018. 3. 4                  by 桐山人
























 2017年の投稿詩 第343作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-343

  又追憶        

兵氣昭和少出師   兵気の昭和 少くして師に出る

數齡九秩健猶爲   齢数ふ九秩 健を猶為す

散華南海人安在   南海に散華の人 安くに在りや

難忘風雲憶舊時   忘れ難き風雲 舊時を憶ふ

          (上平声「四支」の押韻)


「兵気」: 戦争の気配
「劫中」: 戦時中。
「九秩」: 九十才。
「散華」: 花のように散る、戦死。
「風雲」: 戦いの気配。
「少出師」: 我十五歳五ヶ月で海軍に入隊、日夜猛訓練、多くの先輩や同年兵を南海に散華失う。嗚呼。


<感想>

 こちらもお気持ちが十分に出ている詩ですが、承句の下三字だけが分かりにくいですね。

 韻字を替えて、「健康弥」でどうでしょうね。



2018. 3. 4                  by 桐山人
























 2017年の投稿詩 第344作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-344

  懐古        

劫後趨餘七十年   劫後趨くこと 七十年を余す

寒蕪邦土草芊芊   寒蕪の邦土 草芊芊

如今高屋聳蒼昊   如今高屋 蒼昊に聳ゆ

物変干戈万古傳   物変わり干戈 万古に伝へん

          (下平声「一先」の押韻)


「劫後」: 戦後。
「寒蕪」: 荒れ果てた原。
「邦土」: 国土。
「草芊芊」: 草が茂る。
「高屋」: 高層・ビル。
「蒼昊」: 青空.
「干戈」: 戦争。


<感想>

 戦後という言葉は、私の世代でも子供の頃は身近で現実のものでした。
 七十余年を過ぎて、東京の街は高層ビルが林立する大都会の姿、「草芊芊」の風景との対比が高低で描かれていて、結句が生きていると思います。



2018. 3. 4                  by 桐山人
























 2017年の投稿詩 第345作は 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-345

  大相撲騒動        

前代未聞多耳疑   前代未聞 多(た)だ 耳を疑ふ

動天驚地裂傷姿   動天驚地 裂傷の姿

千年伝統大相撲   千年の伝統 大相撲

協会紛訌猛士犧   協会の紛訌 猛士 犧(いけにえ) 

          (上平声「四支」の押韻)


「動天驚地」: 世間を驚かせる
「紛訌」: 内輪もめ
「猛士」: 力士

<感想>

 年末からの大相撲騒動は、日馬富士の引退と貴乃花の理事解任で両成敗、おや、当事者は貴乃花ではないはずなのに、いつの間にかモンゴル勢と貴乃花の対立のような構図にすり替わってしまってましたね。
 しかも、いまだに現場の実情は曖昧なまま、というのも理解しがたいですね。
 理事会の席でただひとりふんぞり返って坐っていた貴乃花の姿には、「聞く耳持たぬ」という意志が強く出ていて、別に大相撲ファンでもない私は、いささかうんざりという感じでした。

 岳城さんはファンなのでしょうね。

 結句は「猛士」ですと特定の人物、例えば日馬富士を指すように感じます。
「大相撲」で和習は避けられないのですから、ここも同様に「力士」とした方が、岳城さんの意図に合うと思います。



2018. 3. 4                  by 桐山人
























 2017年の投稿詩 第346作は 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-346

  仲冬散策        

緩歩求詩登小丘   緩歩 詩を求めて小丘に登れば

寒林蘚石古祠頭   寒林の蘚石 古祠の頭

暦年大雪經霜葉   暦年の大雪 経(すで)に霜葉

鶡鳥不鳴山徑幽   鶡鳥 鳴かず山径 幽なり

          (下平声「十一尤」の押韻)



<解説>

  閑に任せて小高い山に登れば
  冬の林の苔むした石の傍には祠
  暦の上では大雪 既に霜枯れた葉
  山鳥も鳴かず 静かな山道を登る



<感想>

 結句は王安石の「鍾山即事」を意識しての句でしょう。
 ここでは「鶡」として、具体的な「ヤマドリ」の鳴き声とした点が気になるところです。

 王安石は「一鳥不鳴」として、特に鳥の種類は限定せずに「鳥の鳴き声も聞こえない」という意味ですが、「ヤマドリが鳴かない」と言うと、そもそも「鳴いていないのにどうしてヤマドリと限定できるのか」という疑問がわき、そこから
  普段聞いているヤマドリが今日は鳴かない・・・・何が起きたのか、どうしてなのか
  他の鳥はともかくヤマドリが鳴かない  ・・・・ヤマドリが特別なのはどうしてか
 のように、ヤマドリと作者の関係が謎になってきます。

 柿本人麻呂が「あしびきのやまどりのおのしだりをのながながしよをひとりかもねむ」と詠んだように馴染みの深いヤマドリですが、最近は希少種とのこと。
 思いを籠めて、鳴き声を出してはどうでしょうね。



2018. 3.15                  by 桐山人
























 2017年の投稿詩 第347作は 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-347

  冬夜散策        

朔雲流動散天稀   朔雲 流動 天に散じて稀なり

九漢寒光月色微   九漢の寒光 月色 微(かすか)なる

街道兩端千萬飾   街道の両端 千万の飾

赤青紫白夥多輝   赤 青 紫 白 夥多の輝き

          (上平声「五微」の押韻)



<感想>

 これは、年末の賑わいを見せるネオン街を歩いた詩でしょうか。
 「酒」とか「酔」の字が出て来ませんので、作者はそれらを横目で見ながら、一歩離れた心境で眺めている様子ですね。

 起句の「天」と承句の「九漢」、転句の「千萬飾」と結句の「夥多輝」が重なり感が強く、そこにもう一言、二言入るかもしれませんので、その辺りで推敲してはいかがでしょうね。



2018. 3.15                  by 桐山人
























 2017年の漢詩 第348作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-348

  七律・兒童歡喜聖誕節礼物        

聖誕老人穿客袍,   サンタクロース 客袍(旅の綿入れ)を穿(き)て,

全球航路架星橋。   全球(全世界)の航路に星の橋を架く。

慈顏含笑拉韁轡,   慈顏 笑みを含んで韁轡(たづな)を拉(ひ)き,

馴鹿攅蹄牽雪橇。   馴鹿(トナカイ)蹄を攅(あつ)めて雪橇(そり)を牽く。

靜夜千門幼童夢,   靜夜の千門に幼き童夢み,

清晨萬戸喜聲高。   清晨の萬戸に喜びの聲高し。

眼前礼物合心願,   眼前の礼物(プレゼント)心の願ひに合へば,

多謝天神美意豪。   多いに謝す 天の神の美意の豪なるを。

          (中華新韻六豪平声の押韻)



<解説>

 クリスマスを題材に七言律詩を詠んでみました。
 末句の「美意豪」は「気前がいい」のつもりですが、その意が伝わるかどうか・・・
 別案では、
 第六句を 清晨萬戸喜聲高→清晨萬戸喜聲嬌
 末句を  多謝天神美意豪→多謝天神美意高
 迷いましたが、
 こういう時はどちらが自分の好みに合うかで決めようということで、上掲のとおりとしました。


<感想>

 クリスマスに合わせて送っていただいた詩を、こんなに遅く掲載して申し訳ありません。
 年末からずっと、何かと慌ただしさに流されて、HPを更新するという生活習慣が崩れてしまったようです。
 焦ってばかりで空回りが多く、どうも不調でした。

 でも、何とか気力が戻ってきましたので、また、頑張って皆さんの作品を紹介していきますので、宜しくお願いします。

 ちょっと懐かしいクリスマスの風景、最近はテレビCMなどでもクリスマスと言うと恋愛のチャンスみたいな表現が多いですが、「サンタさん」という言葉には家族の温かさも感じられます。
 そういうクリスマスの王道を行く詩ですね。

 別案もご教示、ありがとうございました。鮟鱇さんの結論に納得です。

 第八句は「美意」はどうでしょう、「美」は尊称としてお使いでしょうが、「美」と「豪」の二つの形容詞が重なります。「神意豪」とした方がすっきり伝わると思います。中二字は色々考えられますね。



2018. 3.15                  by 桐山人






















 2017年の漢詩 第349作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-349

  鳳鸞雙舞・二〇一七年祭詩詞        

臨年底,        年底に臨み,

騷翁獺祭,       騷翁(詩翁)の獺祭,

伴金杯紅友。      金杯の紅友(酒)を伴ふ。

香味可口,       香と味は口に可にして,

爐邊取暖,       炉辺に暖を取り,

眼前陳列,       眼前に陳列す,

二千多首。       二千以上の首(しゅ)。

詩詞似、        詩詞は似る、

枯魚越冬,       枯魚(ひもの)の越冬するに,

乾屍老朽。       乾屍(ミイラ)の老朽せるに。

醉眼帶涙悽然自知,   醉眼 涙を帯びて悽然と自知(自覚)す,

毫無佳作,       毫として佳作なく,

措辭依舊。       措辞は旧に依るを。

   ○          ○

苦學對偶,       苦学せる対偶(対句),

執筆潤、        執りたる筆は潤ふ、

醇醪八斗。       醇醪の八斗に。

拓開思路,       思路を拓開(開拓)し,

問霞洞林藪。      霞洞の林薮を問(たづ)ぬ。

溺愛山河,       山河を溺愛し,

求風韻、        風韻を求むるも、

未到竅門堪叩。     未だ到らず 竅門(秘訣の門)の叩くに堪ふるに。

身%#30246;,         身は痩するも,

尚探蜃樓虚構。     なほ探らん 蜃楼(蜃気楼)の虚構を。

          (中華新韻七尤仄声の押韻)



<解説>

 拙作5万首を越え、旧作の見直しを心がけています。
 5万首のうち一番多い詩体が七言絶句でおよそ6700首、
 その七言絶句をいちばん多く詠んだ年が2008年で1300首弱、
 無闇に詠むとどうなのか、ということで、その2008年の七言絶句を見直しています。
 1300首からどれだけ自選できるのか。20首が目標です。
 しかし、多くの作に捨てがたい思いがあり、
 ということはどれも似たり寄ったりで、全部ボツなのでしょう。
 フランスの詩人、ポール・ヴァレリーが、
 「詩は詠んでいる間は生きているが、詠み終えた瞬間に死ぬ」
 とどこかに書いていたことを思い出します。

 旧作を読み返してみて思いが今も伝わるものは干物
 何が面白くて詠んだのかがわからないものはミイラ
 拙作はそんなことを思いながら詠んでいます。

 なお、「鳳鸞雙舞」の詞譜(『欽定詞譜』)は次のとおりです。

   鳳鸞雙舞 詞譜雙調96字,前段十二句四仄韻,後段八句六仄韻 汪元量
  ○○●,○○●●,●○○○仄(一四)。○●●●,○○●●,●○○●,●○○仄。○○●、○○●○,○○●仄。●●●●○○●○,○○○●,●○○仄。
  ●○●仄,●●●、○○○仄。●○○●,●○●○仄(一四)。●●○○,○○●、●●●○○仄。○仄,●●●○○仄。
   ○:平声。●:仄声。仄:仄声の押韻。
  (一四):前の五字句は上二下三ではなく上一下四に作る。


<感想>

 2008年ですと10年前ですか。
 ちょうど、私も刈谷桐山堂の講座を始めてから今年で10年、先日、今年度の講座作品集ができましたので受講生の皆さんと食事会をしました。そこで、最初の作品集から10年分の10冊を持参して、皆さんで閲覧しました。
 勿論、私の作品も入っていまして、それをパラパラと見ながら、現在の作品とあまり変わっていない、年数を経ても同じようなことしか描けていないという事実が目の前にあり、うーん、旧作にどう処するかは難しいですね。

 「祭詩」は賈島の故事で知られていますが、賈島はきっと自分の作品の一首一首、一語一語を愛おしむように、大切に扱ったのでしょうね。
 そして、一年の締めくくりは新年への希望や決意が表れるべきで、鮟鱇さんの作品でも、まだまだ行くぞーという気概がうかがわれます。
 「蜃樓」は蜃気楼ですが、鮟鱇さんの場合には、人間界を超えた仙界の建物、そこにたどり着きたいという思いこそが新年への抱負なのでしょうね。



2018. 3.15                  by 桐山人






















 2017年の投稿詩 第350作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-350

  歳晩書懷(一) 丁酉一年        

丁酉一年無一功   丁酉 一年 一功無し

傷心多病待春風   傷心 多病 春風を待つ

賦詩放吟歡何盡   賦詩 放吟 歓何ぞ尽きんや

難忘幾篇殘夢中   忘れ難き幾篇 残夢の中

          (上平声「一東」の押韻)


    敲けども抛ち難し詩を纏る

<感想>

 兼山さんからは、年末に詩を六首いただきました。
 2017年をふり返って、色々な話題を思い出すきっかけになりますね。

 この詩は、体調がすぐれなかった折を思い出されての詩ですが、そんな時に詩が元気回復の薬になるというお気持ちでしょう。
 桐山堂の長老(兼山さんには怒られるかもしれませんが)のお一人として、詩作だけでなく詩との関わりというお姿で私にとっては人生のあり方を教えて下さる兼山さん、私はご病気のことを心配していましたが、秋の全国大会やこうした作品を拝見すると、嬉しくなります。

 転句の三字目、「吟」は平声で用いますので、「吟句」「錬句」などに替えると良いですね。



2018. 3.17                  by 桐山人
























 2017年の投稿詩 第351作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-351

  歳晩書懷(二) 晴雨不定        

一朝萬里浄無煙   一朝 万里 浄らかにして無煙

他曉俄驚十月天   他曉 俄かに驚く 十月の天

晴雨不定秋已老   晴雨 不定 秋已に老ひたり

任他誰識氣如仙   任他 誰か識らん 氣仙の如し

          (下平声「一先」の押韻)


    男心か女心か秋の空

<感想>

 前半の「一朝」「他暁」の対は、天気の変わりやすいことを述べたもの、「他日」とすれば自然ですが、「朝」との対応で「曉」とされたのでしょうね。

 結句は「誰が天気の流れを分かろうが、そんなことはどうでも良い」ということで、四字目で切って解釈するのですが、「任他」「誰識」の反語形で意図は通じますし、「他」の字そのものが重複していますので、ここは別の言葉を入れた方が良いでしょう。



2018. 3.17                  by 桐山人
























 2017年の投稿詩 第352作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-352

  歳晩書懷(三) 一片秋心        

烏飯樹邊紅葉稠   烏飯の樹辺 紅葉稠し

檸檬黄果更亦優   檸檬の黄果 更に亦優なり

莫悲白首恩波洽   悲しむ莫かれ 白首 恩波洽し

一片秋心百不憂   一片の秋心 百も憂へず

          (下平声「十一尤」の押韻)


    白頭翁憐れむ莫かれ秋紅葉


<解説>

 「日中事典」に拠れば「烏飯=ブルーベリー」とあります。日本語としては、どうしてもピンと来ませんが、「ブルーベリーは、ツツジ科スノキ属 (越橘屬・烏飯樹屬)の低木群で、藍黒色から淡青色の液果を房状につける果樹」とも書いてあります。
 この「一片秋心」は、自宅の庭で紅葉したブルーベリーと、紅葉することなくレモン色の果実を付けている檸檬の木を眺めている「白頭を悲しむ翁」に代わって詠んでみました。

<感想>

 蘇軾が「贈劉景文」の詩で「橙黄橘緑時」と詠んだのが、ちょうどこの詩の時節でしょうか。
 通常「愁心」となるところを「秋」として、愁いなんか無いよと傲然と処するところは、痛快ですね。

 「紅」「黄」「白」の重ね、「一」「百」の対応など、工夫が籠められている詩ですね。

 承句の「亦」は仄声ですので、ここは「更加優」などに替えておくと良いですね。



2018. 3.17                  by 桐山人
























 2017年の投稿詩 第353作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-353

  歳晩書懷(四) 一強政權        

丁酉流年話瓦全   丁酉 流年 瓦全を話す

迎來戊戌轉凄然   迎へ來る 戊戌 転た凄然

一強政權迂愚甚   一強 政権 迂愚甚し

老耄無言謝世縁   老耄 無言 世縁を謝す

          (下平声「一先」の押韻)


    八十四齢大義を問はず越年す


<感想>

 起句の「瓦全」は「瓦となって漫然と生きる」意味ですが、一枚の瓦も雨に打たれ風に吹かれ、形を全うするのは難しいもの、心の中の思いは自然に現れるものです。
 竹林の賢者たちも同じような思いだったのかもしれない、と、そんなことを結句を読みながら思いました。



2018. 3.17                  by 桐山人
























 2017年の投稿詩 第354作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-354

  歳晩書懷(五) 基地移転        

七十餘年響爆音   七十餘年 爆音響く

琉球被壓恨難禁   琉球 被圧 恨み禁じ難し

安全保障是非論   安全保障 是非の論

何處行方悼我心   行方 何処か 我が心を悼ましむ

          (下平声「十二侵」の押韻)


    年の瀬や普天間辺野古時間切れ


<感想>

 日本の安全保障と沖縄の基地問題をどう考えて行くのか、という長年の問題は、2017年は憲法改正を実行しようとしている政府の下での議論になりますので、重要なテーマの一つだと思います。
 自国の利益を最優先に考える現在の米国にとって、日本は巨大化する中国の軍事力に備える防潮堤程度の位置づけでしかないのでしょうが、そこに媚びを売り、へつらい続けて、結局「戦後からの脱却」が一番出来ていないのは首相ではないか、と思ってしまいます。



2018. 3.17                  by 桐山人
























 2017年の投稿詩 第355作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2017-355

  歳晩書懷(六) 原発再開        

人類危亡核最多   人類の 危亡 核最も多し

雖成條約國連波   条約 成ると雖ども 国連波だつ

是非兩論存不朽   是非 両論 不朽に存す

原發再開難奈何   原発 再開 奈何ともし難し

          (下平声「五歌」の押韻)


    平和賞授賞式に聞く核絶対悪


<感想>

 転句の「不」は平仄が合わないので、そこは修正をお願いします。

 昨年私が最も驚いたことは、ヨーロッパ諸国がガソリン車を廃止する方針を出した途端に、日本の自動車メーカーがこぞって電気自動車への移行を前面に出してきたことでした。
 これだけ物や人の移送に関わる技術として確立、普及してきたガソリンエンジンが電気モーターに代わるということは、日本の日常から見れば革命に等しいことのように思うのですが、そうした大きな変化が(他人事のように言えば)「簡単に」起きてしまう。
 企業としての世界戦略による経営的な判断とかこれまでの蓄積とか複雑なことはあるのでしょうが、単純に私が思ったのは、変化というものは技術が生むのではなく、人間が生むものだということでした。
 原子力発電を廃止した国もあれば、重大な事故を起こしたにも関わらず技術を売り込もうとする国もある、ひとたびコントロールを失えば甚大な災禍をもたらす核を、外交交渉の道具に使うことと経済利益の道具に使うこととの違いはどのくらいあるのか。
 原子力の平和利用、科学者や技術者の思いは純粋なものだったのかもしれませんが、核汚染物質の処理を負の遺産として幾世紀後にも残していくのだとしたら、長い目で見れば刹那的な発想としか言えないでしょう。

 原発の「是非」に現代では「両論」は無いと私は思っています。
 変化への決断が無い、決断を議論し託せる場が無い、そこが問題だと思います。



2018. 3.15                  by 桐山人