2016年の投稿詩 第151作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-151

  伊賀留別        

春風習習柳條斜   春風 習習として 柳條斜めに

二月山城新物華   二月 山城 物華新たなり

楚雀流連蕩心盡   楚雀 流連して 蕩心盡き

今朝細雨別梅花   今朝 細雨 梅花に別る

          (下平声「六麻」の押韻)



<解説>

 5年ほど前から、二度目の伊賀での仕事を勤めておりましたが、この度やっと辞職いたしました。
 最後の名残を竹枝風に作ってみました。

<感想>

 「留別」は「送別」の反対で、旅立つ側の人が残していく詩。しみじみとした感傷、尽きせぬ思いはあるでしょうが、あまり大仰にならないのが去りゆく者のダンディズムですね。

 「春風」「柳」「楚雀(うぐいす)」「細雨」「梅花」と並べて「山城」(山あいの町)の春の趣を十分に出して、叙景の詩かと思わせるような展開です。
 作者の心情が出るのは結句で、まずは「今朝」、「今日は」とわざわざ言うのは「今日」が特別な日だということ、この一語で詩は急にリアルで緊迫感を持ちます。
 人によっては、ここで「旅立ちの朝」をイメージする人もいるかもしれません。
 そして、「別」の一字、「せっかく美しい梅が発いたのに、どうして別れるのだろう?」と思えば、後は連鎖で、春の象徴の「梅花」に別れるということは、それまで描いた春景色にも別れる、つまりこの山城を去るという謎解きができます。
 禿羊さんはそこまで計算づくではないと仰るかもしれませんが、さらりとした中に、眼前の春景色を惜しむ気持ちが透かし出されて、良い詩ですね。



2016. 5. 6                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第152作は 亥燧 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-152

  春夜聴雨        

困眠春恨夜三更   困眠 春恨 夜三更

今古同調簷滴聲   今古 同調 簷滴の声

落魄江湖乖夙志   江湖に落魄して夙志に乖く

懷ク千里與誰傾   懐郷 千里 誰と与にか傾けん

          (下平声「八庚」の押韻)



<感想>

 承句の「同調」は、ここでの意味としては「同じ音色」ということだと思いますが、それでしたら「調」は仄声だと思います。

 転句の「落魄江湖」は杜牧の「遣懷」の冒頭でしたね。「江湖」は「世の中、世間」という意味です。杜牧の詩は『全唐詩』では「落魄江南」となっていて、これですと江南地方を指します。

 結句は「傾」の前に「酒」に関わる言葉が欲しいですね。
 「千里」は余分な言葉ではありませんが、「江湖」「懐郷」で意図は表れているとも言えますので、ここに「舊酒」と入れてはいかがでしょうか。



2016. 5. 7                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第153作は 岳城 さんからの二作目の投稿作品です。
 

作品番号 2016-153

  櫻        

單葩重瓣両端容   単葩 重瓣 両ながら端容

仰臥蒼天滿眼紅   仰臥 蒼天  満眼の紅

花片飄飄如雪舞   花片 飄飄 雪の舞ふが如し

苑櫻麗色畫圖同   苑桜 麗色 書図に同じ

          (上平声「二冬」「一東」の通韻)



<解説>

 今年は満開の桜と猛吹雪のように散る桜に出合いました。
 桜は辞書によると国字とありますが、桜花としなければいけないのでしょうか?



  単重、八重 両方とも端正な花
  寝転んで空を見れば紅の桜
  花びらが舞う様子が雪がチラつく様に似ている
  桜苑の景色は絵画と同じ

<感想>

 起句は面白い着眼で、良いですね。

 承句も問題は無いのですが、「仰臥蒼天」は公園のベンチにでも寝転んで空を見上げたという設定、わざわざ寝なくても良いかなと思います。「仰看」でも場面は同じで、何故寝たのかが気になりました。

 転句からはやや単調で、「如雪舞」「畫図同」の比喩はどちらも定番過ぎて、せっかくの前半の描写が薄っぺらくなっています。
 この比喩が作者の感性の見せ所、読者に「なるほど」とか「おっ!」と思わせたいですね。
 もちろん、「雪のようだ」「絵画と同じだ」というのは作者の現実的な感動かもしれませんが、厳しく言えば、その感動そのものが本当に独自のものか、以前に読んだ詩句に影響されたものとも言えます。
 少なくとも比喩はどちらかにしたいですね。

 なお、ご質問の「櫻」ですが、これは「ユスラウメ」を表しますので、厳密には日本の「サクラ」にはなりません。しかし、日本人の私たちが詠む分には、伝統的な名称でもありますから、問題無いと私は思っています。
 ただ、題名は一文字よりも「櫻花」とした方が良いですね。

 あと、転句の「畫」は似ていますが「書」ではなく「画」の旧字ですので、ご注意ください。



2016. 5. 7                  by 桐山人



岳城さんから推敲作をいただきました。

 ご指導有難うございます。
 いただいたアドバイスをもとに推敲してみました。
 宜しくお願いします。

 櫻花(推敲作)
單葩重瓣両端容   単葩 重瓣 両ながら端容
仰看蒼天滿眼紅   仰看す 蒼天  満眼の紅
花片飄飄將蝶戯   花片 飄飄 将に蝶戯れんとす
苑櫻麗色野情充   苑桜 麗色 野情充つ

<口語訳>  単重、八重 両方とも端正な花
 仰ぎ見れば青空 紅の桜
 舞う花びらに蝶が戯れる
 桜苑は野趣が充つ


2016. 5. 9          by 岳城



 推敲作を拝見しました。

 承句の読み下しは「仰ぎ看る」とした方が自然です。
 「蒼天」は最後の「紅」と色の重なりが気になります。
 つまり、ここで「蒼」が入ると「紅」が生きて来ないわけです。
 「春天」としておくのが良いでしょうね。

2016. 5.13        by 桐山人























 2016年の投稿詩 第154作は 緑風 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-154

  賞桜花        

萬朶桜花鯉幟颺   萬朶の桜花 鯉幟颺へる

酣歌歓楽満河塘   酣歌 歓楽 河塘に満つ

葩華麗短余生似   葩(はな)の華麗は短かし 余生に似たり

吾赴宴筵愉酒觴   吾も宴筵に赴き 酒觴を愉しまん

          (下平声「七陽」の押韻)



<感想>

 緑風さんのお住まいのところでは、桜の開花が遅いのでしょうか。
 「鯉幟」「桜花」は一般の感覚では季節外れの印象が残ります。もしも、桜の開花が遅いということで並べたのなら、土地の特殊性をもう少し書くべきでしょう。
 読者には「あれ?」という気持ちしか残りません。
 個人的な感想では、鯉幟は子どもの成長を願う象徴として考えますので、後半の「短余生」とも合いませんので、ここは別のものを出した方が良いと思います。

 転句は「葩」「華」が何なのか、表現がバタバタして分かりにくいですね。
 「盛時眞短余生似」とストレートに言った方が、結句の「吾」の一人称が生きてくると思います。



2016. 5. 7                  by 桐山人


緑風さんから推敲作をいただきました。

鈴木先生いつもご指導有難うございます。
『賞桜花』へのご指導有難うございました。別添のように推敲いたしました。
なお、鯉幟は町が観光用に川の両岸にロープを繋ぎねそこに古い鯉幟を並べてあるものです。
丁度神社の祭用の旗もありますので『旗幟』としました。

  賞桜花
萬朶桜花旗幟颺
   萬朶の桜花 旗幟颺へる
酣歌歓楽満芳塘   酣歌 歓楽 芳塘に満つ
盛時真短余生似   盛時真に短かし 余生も似たり
吾赴宴愉天寿觴   吾も宴に赴き 天寿の觴を愉しまん

2016. 5. 9          by 緑風
























 2016年の投稿詩 第155作は 鮟鱇 さんからの作品です。

作品番号 2016-155

  沁園春・春賞櫻雲        

晩境多閑,           晩境に閑多く,

清貧少好,           清貧 好むを少なくすれば,

雅致無垠。           雅致 垠(かぎ)り無し。

喜好風拂面,         好風の面を払ふを喜び,

漫游湖畔,           湖畔を漫遊し,

老翁曳杖,           老翁 杖を曳いて,

穿入櫻雲。           櫻雲に穿ち入る。

艷雪如蝶,           艷雪 蝶のごとく,

長堤振翅,           長堤に翅を振ひ,

亂舞翩翩化玉塵。      翩翩と亂舞し玉塵と化す。

竟飄落,            竟(つい)には飄落し,

泛清漣瀲瀲,          清漣の瀲瀲たるに泛(うか)んで,

香片鱗鱗。           香片 鱗鱗たり。

     ○                ○

路傍茅店朱唇,       路傍の茅店に朱唇あり,

含笑勸、金杯緑酒醇。   笑みを含んで勸む、金杯の緑酒の醇なるを。

有白頭陶醉,          白頭の陶酔するあり,

霞光明媚,           霞光 明媚にして 

青娥更侑,           青娥 更に侑む,

花客酣醺。           花客に酣醺せよ と。

乘興揮毫,           興に乗り毫(ふで)を揮ひ,

寓情于景,           景に情を寓し,

覓句將裁詩嶄新。      句を覓(もと)めて將に裁さんとす 詩の嶄新なるを。

誇才分,            才分を誇り,

作鶯啼銀月,          鶯の銀月に啼くとなれば,

肩聳黄昏。           肩は黄昏に聳ゆ。

 

          (中華新韵九文平声の押韻)



<解説>

 拙作、2013年に詠んだ旧作です。

 私は桜を詩材として詠むのが好きです。
 2003年に『同工異曲・笑賞櫻雲』として600首あまりをまとめ、
 2012年〜2013年には『同工異曲・春賞櫻雲』としておよそ2700首を詠んでいます。
 この他にも、詩材が思い浮かばないので桜を という次第で、桜という字のある作品は、漢俳などの漢語短詩を含めれば、1万首近くになるかも知れません。

   とくに2012年〜2013年の『春賞櫻雲』は、『欽定詞譜』にある全ての詞体を詠むことを目指したもので、多少の洩れはあるかも知れませんが、付録を除くすべての詞体を詠んだものです。
 よくもマア という代物です。
 ただ、詞とは何かについて、私なりの自信をつかめましたので、私にとっては成果がありました。

   さて、そのなかで、いちばん記憶に残っているのが上掲の『沁園春』です。
 『沁園春』、下記詞譜に説明させていただいたように、四字句四句を隔句対に作らなければならないのですが、私はそれを見落としていました。
 つまり、一度は失敗。それを作り直すのに骨を折り、その苦労のおかげで思い出深い作になった次第です。

 沁園春 詞譜・雙調114字,前段十三句四平韻,後段十二句五平韻 蘇軾ほか
  △▲○○,▲▲△△,▲▲▲平。●▲○△●(一四),△○▲●,△○△●,△●○平。▲●○○,△○▲●,▲●○○△●平。△○●,▲△○△●(一四),▲●○平。
  △○▲●○平,▲▲●、△○△●平。●▲○△●(一四),△○▲●,▲○△●,▲●○平。○●○○,△○▲●,▲●○○△●平。△△●,●△○▲●(一四),▲●○平。
   ○:平声。●:仄声。
   △:平声が望ましいが仄声でもよい。▲:仄声が望ましいが平声でもよい。
   平:平声の押韻。
   (一四):直前の五字句は上一下四に作る。一は領字。
   、:句中の句読をしめす。「沁園春」下段の第二句は八字句であるが、上三下五に詠む。なお、句は「,」で、章は「。」で句読する。
   上段第四句の下四以下第七句までの四字句、下段第三句の下四以下第七句までの四字句四句は、隔句対につくる。

 もしよろしければ、下記ホームページご笑覧いただければ幸いです。

 『同工異曲・笑賞櫻雲』
 http://members3.jcom.home.ne.jp/shici44ankang/work92yingyunindex.htm

 『同工異曲・春賞櫻雲』
 http://members3.jcom.home.ne.jp/sa44ishik/adsakura1.htm

<感想>

 114字という長編の詞、お作りになる方は手間がかかった(鮟鱇さんはそれほどでもないのでしょうか)作品ですが、読む方はスラスラと最後までたどり着けました。
 あまり長さを感じなかった、というのが正直な感想です。

 これは恐らく、鮟鱇さんの措辞が明解で場面を浮かべやすいことと、これまた鮟鱇さんの描かれている世界に統一感があることによるのでしょう。
 読みながら、「多分この後の展開は・・・・」と予想できるのは、沢山読ませていただいたおかげでしょう。
 しかし、決してマンネリ感の無い表現力はすごいですね。
 蘇軾ではありませんが、詩歌の世界は無尽蔵だと改めて思いました。

 言い方が悪く鮟鱇さんには不本意かも知れませんが、私は鮟鱇ワールドが出来上がっているように思いますし、そこに心地よく入って浸らせていただいているという感じです。




2016. 5. 7                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第156作は 哲山 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-156

  櫻花        

青春何以生   青春 何を以ってか生きんとす

老朽如何生   老朽 生くるを如何せん

今昔吾同否   今昔の吾 同じや否や

仰瞻千歳櫻   仰瞻す 千歳の櫻

          (下平声「八庚」の押韻)



<解説>

 青春、青年、どちらがいいのか迷っています。

 自分は今も昔も果たして同一の自己なのか、千年の櫻は爛漫のみです。

<感想>

 前半の「生」の字の重複は韻字ですので感心しません。
 また、承句は「下三平」になっていますので、これもタブーですね。

  青春何以生   青春 何を持ってか生きんとし
  老朽若何情   老朽 情を若何せんとす

 という方向で検討してはどうでしょう。

 結句の「千歳櫻」は、「仰瞻」から推測すると、「千年変わらずに発き続ける桜はすごいなぁ」という感嘆の気持ちでしょうか。
 「千年苦しいこともあっただろう」といういたわりの気持ち、「爛漫として悩みはないのかなぁ」という同情の気持ち、色々考えられるのが五言絶句の楽しいところです。



2016. 5. 7                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第157作は 茜峰 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-157

  温潤黌     温潤の黌(まなびや)   

差別貧窮煽競争   差別 貧窮 煽る競争

児童苦悩道祇荊   児童は苦悩し 道は祇(まさ)しく荊なり

教師寄款育生意   教師は寄款し 生意を育む

醞醸交流温潤黌   交流を醞醸す 温潤の黌

          (下平声「八庚」の押韻)



<解説>

 今、学校では児童が差別や貧困、競争等の中で苦しい状態に置かれているところが多い。
 その中にあって 学校全体で綴り方教育(作文教育)に取り組み 素晴らしい実践をしているところがある。

 教師が 児童の作文をその内面に寄り添いながら丁寧に読み 実態に迫る。それが子供に生きる希望を与えている。
 文集などを通して、子供同士、教師同士が交流し、互いに分かり合えることを基本としている。
 学級崩壊もなくなり、学習意欲のなかった子も勉強しだしたということである。
 温かくて潤いのある学校である。

<感想>

 「温潤」という言葉は、「温かく潤いのある様子」を表す言葉です。
 教育の現場で大切にされなくてはならない言葉だと私も思いますが、現代社会では、児童・生徒の家庭事情の複雑さ、進学・就職実績を競う学校社会の風潮で、忘れられつつあると思います。

 私も四十年以上、現場で教えている立場ですのでよく分かります。
 と同時に、そうした情況の中で、多様な背景を持つ生徒一人一人に寄り添い、実践を積み重ねている教師の居ることも知っています。
 茜峰さんのおっしゃる学校の先生方も、熱意と実践を両立させて頑張っていらっしゃるのですね。
 転句の「寄款」は真心と愛情を持って人に接することで、それが子ども達を生き生きとした姿に導いているのでしょう。

 結句は「交流を醞醸す」は分かりにくく気になりますので、「交情」とした方が良いですね。



2016. 5. 7                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第158作は 南芳 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-158

  訪友        

連綿交詢萬感生   連綿の交詢 萬感生ず

縷縷追憶説平生   縷縷たる追憶 平生を説く

君戯碧水弧舟影   君が戯るる碧水に弧舟の影

携友航行訪舊盟   友携え航行して旧盟を訪ふ

          (下平声「八庚」の押韻)



<解説>

 承句は「縷縷」しかないと思ったのですが駄目でしょうか。

<感想>

 今回の詩は、平仄と押韻で問題がありますね。

 まず、押韻ですが、これは先の哲山さんの「櫻花」と同じで、「生」の字を二度使っていますが、これは駄目です。
 重複感はありますが、とりあえず、起句は「萬感成」「萬感情」としておきましょう。

 平仄は、次のようになっています。

  連綿交詢萬感情   ○○○○●●
  縷縷追憶説平生   ●●●●○◎
  君戯碧水弧舟影   ●●●○○
  携友航行訪舊盟   ○○●●

 問題点は、起句・承句・転句で「二四不同」「二六対」になっていません。
 これもとりあえずになりますが、起句と承句で語順を替える形、「交詢」を「交誼」として、「追憶」を「追懷」とします。

  交誼連綿萬感成
  追懷縷縷説平生

 後半は、「君戯碧水孤舟影」(弧は孤の間違いでしょう)は、友人が青々とした川で舟を浮かべているとなりますが、そうなると友人の方が先に川に居たことになります。
 ところが、結句では「携友航行」となるわけで、これは私が誘って友を舟に乗ったことになります。
 故郷の友を訪ねたという形にして、平仄も合わせて、転句は「郷村碧水孤舟影」でしょう。

 まとめると、

  交誼連綿萬感成
  追懷縷縷説平生
  郷村碧水孤舟影
  携友航行訪舊盟

 ここから、次の段階として用語が適切かどうかの検討を始めてはどうでしょうね。
 例えば、結句などは「携友」よりも「相伴」とした方が面白いでしょうね。



2016. 5.12                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第159作は 楊川 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-159

  調布詩会新緑吟行        

夏初清昼愛吟行   夏初 清昼の吟行を愛ず

漾緑林丘風竹声   緑を漾はする林丘 風竹の声

千古流泉深大寺   千古の流泉 深大寺

騒人連句一詩成   騒人句を連ねて一詩成る

          (下平声「八庚」の押韻)



<解説>

 昨年五月、調布市深大寺近辺にて、会員八名により催された吟行会で柏梁体連句を詠んだ折を回想して。。

<感想>

 この柏梁体というのが、私が1月にお邪魔した折に皆さんにご披露なさっていた連句でしょうね。
 それぞれの句が生き生きとしていて、やはり実景を見ながらの吟行は風雅な想いを強くするのでしょうね。

 吟行会の思い出ということで、時期や場所を織り込んだところは記録としても大切なところです。
 ただ、「夏初清昼」はややストレートで、いかにも説明という印象です。
 承句の「漾緑林丘」が初夏を十分に表しているように、景物を用いて表したいところです。

 転句の「流泉」は「千古深大寺」の間に無理矢理に景を入れた形で、「千古」が「流泉」に掛かるのか、「深大寺」に掛かるのか分かりにくい状態です。
 この「流泉」を前半に持ってきて、うまく叙景の中に入ると良いですね。
例えば、

  幽林漾緑促吟行
  清昼流泉風竹声

 という形が考えられますね。

 転句は「流泉」が抜けましたので「千古雅趣深大寺」と入れましょうか。

 結句は「一詩」ですと、何となく「やっとこさ詩が一つできた」という印象になりますので、「好詩成」の方がお気持ちに添うでしょうね。



2016. 5.13                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第160作は 稲江 さんからの作品です。
 お手紙をいただきましたので、ご紹介します。

   桐山堂さま
  ご無沙汰しています。
  15年ほど前に「はむよん」と名乗っていた者です。
  前回お送りした当時は高校生でしたが、覚えていらっしゃいますでしょうか。

  だいぶ長らく漢詩を作らずにおりましたが、最近またぼちぼちと作るようになりました。
  最近の習作を一つお送りします。ご笑納ください。


作品番号 2016-160

  偶成        

茶天昼永鳥知帰   

梅子金黄緑更肥   

煎茗三杯人不到   

書窓小酔燕双飛   

          (上平声「五微」の押韻)



<感想>

 お久しぶりです。
 「はむよん」さんは「徐庶」さんのお友達ということで桐山堂に来ていただいてました。
 当時はまだ中学生、しかも独学で漢詩に取り組んでいらっしゃる若い人の作品に触れることができ、とても嬉しかったのですよ。
 それは主宰の私だけでなく、このサイトを見て下さる沢山の漢詩仲間も同じ気持ちで、元気と勇気を貰っていました。

 徐庶さんからも5年前に久しぶりの投稿をいただきましたが、稲江さんは本当に15年ぶり、30歳になられたそうですが、再会を得て、「サイトを続けて来て良かった」と改めて思いました。

 さて、久しぶりと言うことでこちらがやや緊張してしまいますが、整った詩で、落ち着いた内容になっていると思います。
 年輪を重ねたことが伝わってくるようです。

 起句の「茶天」は「茶を摘むのに適した季節」ということですが、詩ではあまり使われません。
 また、四句とも頭が平字ですのでどれかを仄字にしたいので、「茶天」に何か想いがあるかもしれませんが、この場合ですと「夏天」とか「麦秋」とすると良いでしょう。

 同じく、起句の「鳥知帰」は夕方への時間経過を表します。
 後半の「人不到」とか「小酔」も実は時間経過を表していますので、起句であまり早々と同じ意味のことを出してしまうと、転句からが生きてこないですね。
 初夏の景を表す素材は色々とありそうですから、この「鳥知帰」にそうした景を入れると、全体の流れがバランス良くなると思います。

 最後の「小酔」ですが、これは作者が酔っているのだと思いますが、その前はお茶を三杯も飲んでいたわけですから、その後酒に移ったというのはどうでしょうか。
 そのまま読むとお茶で酔ったような感じもします。
 「書窓閑坐」のようにとして酒を離れるか、転句の茶の表現を抑えるかのどちらかでしょうね。



2016. 5.18                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第161作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-161

  探春        

雲淡春煙山更青   雲淡く 春煙 山更に青し

鶯声寂寞隔渓聴   鶯声寂寞 渓を隔てて聴く

花顔満地詩情逸   花顔満地 詩情逸なり

芳草随風酔野亭   芳草風に随ひ 野亭に酔ふ

          (下平声「九青」の押韻)



<感想>

 「探春」は初春の景色を求めて野に出かけること。
 北宋の戴益という詩人に、そのままずばり、「探春」という題の詩があります。この詩人は詳しいことはほとんど分からないのですが、この一詩で名を残したと言われます。
 その詩の冒頭は「盡日尋春不見春」という形で、「一日中春の気配を探したが、出会えなかった」という冒頭、梅の一枝に春を見つけたという結びで、春に会えた感動が素直に描かれている好詩です。

 仲泉さんの詩はそれよりも春が深まっているようですが、起句の「山更青」は「更」があると初夏の趣になります。
「纔」として、「やっと、ようやく」という感じにすると季節感が合うでしょう。

 転句は、作者としては「若い娘さんたちがいっぱいハイキングに来ていて」という気持かもしれませんが、「花のように美しい顔が地に満ちて」ということで、何というかハーレムにでも来たような印象があります。
 「花顔」は(必然性は感じませんが)まだ良いとしても、それが「満地」となるとおかしくなるわけで、ここは筆が走り過ぎたところでしょうね。



2016. 5.18                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第162作は 輪中人 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-162

  初夏山中        

四月清和寶樹間   四月清和 寶樹の間

如潮新此゙空山   潮の如き新緑 空山に満つ

紫藤處處香雲裏   紫藤処々に香雲の裏

林下徘徊摘菜還   林下徘徊 菜を摘んで還る

          (上平声「十五刪」の押韻)



<感想>

 まだ五月の中旬というのに、朝晩はまだ肌寒いけれど、日中は汗ばむような気候になりましたね。
 輪中人さんの今回の詩は「初夏」ということで、爽やかな風を感じるような趣をどう出すかがポイントですね。

 起句の「寶樹」は「青々とした美しい木」で「碧樹」とも言いますね。「碧樹」の方が場面としてはわかりやすいのですが、多分次の句で「新緑」「紫藤」と色を出すので重複を避けたのでしょう。
 ただ、色は出ていないにしろ、承句で「如潮」という比喩を用いて山全体を覆い尽くす新緑の景色を詠んでいるわけですので、起句であまり樹木は出したくないところ。日差しの様子とか風などを描く方がおさまりますね。
 「目に青葉」ということを強調して樹木を出したいということならば、「寳」という心情の入った言葉よりも客観的な「碧」「翠」とし、「新緑」よりも「万緑」の方が多少重複が緩くなるでしょうか。

 その承句は、「如潮」で「満山」ということは出ています。
 目の前の山を描くとおかしくなるので、同じ「満」でも「連山」とすると広がりが生まれて、重複では無く、更に発展させる形になると思います。

 転句の「處處」は「あちらでもこちらでも」、この言葉は結局は「香雲」に掛かっていく形になります。
 となると、句全体は「紫の藤の花があちこちの桜の花と重なって見える」となります。
 「香雲」は私の感覚では遠景ですので、当然「紫藤」も遠景、前半の景とあまり変化がありません。

 展開としては、転句に作者を登場させて近景にしたいところ、結句から持ってきて「徘徊林徑櫻花下」として変化を出してはどうでしょう。

 結句は「處處紫藤」と持ってきても良いですが、「四字目の孤平」を避けて、下三字は検討すると良いですね。

 なお、いただいた原稿は「處々」となっていましたが、「々」は記号で漢字ではありません(発音も平仄もありませんから)ので、漢詩本文には使えません。





2016. 5.20                  by 桐山人


輪中人さんから推敲作をいただきました。

桐山人先生 ご指導を参考に何とか仕上げてみました。
「林徑」は弧仄になるのではないか?と考え小徑にしました。
起句の「麦浪」は当初「薫染」にしましたが結句の芳馥と似たような意味を感じ、なおしました。
よろしくご指導御願い申し上げます。

  初夏山中
四月清和麦浪間   四月 清和 麦浪の間
如潮萬緑満連山   潮の如く 萬緑は連山に満つ
徘徊小徑桜花下   徘徊す小徑 桜花の下
處處紫藤芳馥閑   處處の紫藤 芳馥として閑なり

2016. 5.22          by 輪中人

全体への配慮が出て、違和感が無くなりましたね。

起句の「麦浪」は承句の「如潮」と描写が重なりますので、「四月清和風往還」とした方が良いでしょうね。

他の句は整ったと思います。


12016. 5.31            by 桐山人























 2016年の投稿詩 第163作は 芳原 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-163

  春信        

遠望煙霞晩   遠望 煙霞晩し

間関鳥囀丁   間関として鳥の囀ること丁んなり

未花幽趣足   花未だ咲かざるに幽趣足る

留友一樽馨   友を留める一樽の馨り

          (下平声「九青」の押韻)



<感想>

 起句の「晩」は「おそし」ですか。「霞」は単にモヤですので、「煙霞がおそい」というのはイメージが湧かず、「煙霞の晩」とした方が理解しやすいのですが。
 春霞の出るのが遅いということでしたら、転句の「未」と同じことになりますので、必要かどうか疑問です。

 承句は「間関」で鳥が「囀丁」ことはわかりますので、五言の詩ですし、重複は避けたいですね。「黄鳥」「衆鳥」と鳥を詳しくして、韻字は「聴」でどうでしょう。

 転句は「未だ花ならずして」と訓読するのが無難ですが、やや苦しいですね。もう一文字欲しいところで、「花」のことを言おうとすると五言では限界でしょう。
 別の言葉を探して、「早春」とすると、前半の景がより具体的になるかもしれません。





2016. 5.20                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第164作は 亥燧 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-164

  悼伊瀬先生        

俄聞訃報耳猶疑   俄に聞く訃報耳なお疑う

愛語温容博学師   愛語温容 博学の師

風雅餘生名不朽   風雅の余生 名は朽ちず

歌聲喨嘹響天涯   歌聲喨嘹 響け天涯に

          (上平声「四支」の押韻)



<解説>

 敬愛する伊瀬先生の突然のご逝去。

 半世紀にわたって新居浜混声合唱団を率い、今夏の演奏会には「銅山」をテーマに夢いっぱいの企画を考えておられました。
 私的にもこの秋に、念願の孔子廟堂、泰山への旅をお願いしたばかりでした。
 新居浜から文化の灯がまた一つ消えました。
 誠に痛恨の極み、残念です。

<感想>

 お亡くなりになった先生のお名前をそのまま載せるかどうかで悩んでいるうちに、掲載が遅くなってしまいました。
 雅号があれば良いのですが、実名でしたので、ネット上では難しいところです。
 亥燧さんのお考えは、そのまま掲載して構わない、あるいは是非掲載してほしいということかもしれませんが、申し訳ありませんが、名字だけにさせていただきました。

 故人のお人柄や活躍されたことが心を籠めて書かれていて、亥燧さんのお気持ちも結句に集約されていると思います。

 一点、転句の表現ですと、「名不朽」の根拠が「風雅餘生」となりますが、それでは主意と異なるように思います。
 解説いただいたことからしか分からないので恐縮ですが、例えば「教導平生名不朽」とした方が合いませんか。

 「風雅」の字が消えましたので、承句の「愛語」「温容」「博学」に加えて、どれを用いるのが良いかを検討されてはどうでしょう。故人のお人柄を表す言葉が溢れてしまうのは、亥燧さんの思いの深さでしょう。



2016. 5.20                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第165作は 酪釜 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-165

  水光        

香逸仰曇天   香 はやり 曇天を仰ぎ

風揺凝暗泉   風揺らぎ 暗泉を凝らす

遥知春気蓋   遥かに知る 春気蓋ふを

独悟乱花燃   独りさむ 乱花燃ゆるを

          (下平声「一先」の押韻)



<解説>

 世間様のいう花の見頃が、今日終わるであろうことを、水面を見て確信してしまった、という着想をえました。
 翌日からは春めかしく清明の空となりましょうところを一首。

<感想>

 「花の見頃が今日終わるであろうことを、水面を見て確信」ということですが、「曇天」「暗泉」という場面のどこから感じたのか、そこが分からないですね。
 情景描写として問題があるわけではありませんが、景から情へのつながりですね。

 同じものを見ても感じるのは違う、その作者独自の感性が詩では大事なところ、酪釜さんが感じたものをどう言葉にして伝えるか、です。
 素材を並べて「さあ、一緒に感じよう」と言われても、それだけでは苦しいところ。読者を導き、共感してもらうための丁寧な素材配置が必要です。

 全対格は表現が平板になりやすいものですが、後半の「遥知」「独悟」は無駄な言葉で、対句のために言葉を並べたという印象が残ります。
 語彙があるだけに筆が走ったでしょうか。五言だけに、余分な言葉は勿体ないですね。

 例えば、転句に「清明」と時期を入れるだけでつながりが生まれますから、「清明花此尽」とまず答を出して読者も同じ土俵に立ってもらって、結句を再度叙景で締めるなり、更に気持ちを発展させるなりという展開が良いでしょうね。



2016. 5.21                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第166作は 緑風 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-166

  熊本地震        

同期宴会最高時   同期の宴会 最高の時

壊屋崩山電影驚   壊屋崩山の 電影に驚く

憂慮朋友安否耳   憂慮する朋友は安否の耳

徐祈無事復興萌   徐(おもむろ)に無事と復興の萌しを祈る

          (下平声「八庚」の押韻)



<感想>

 熊本の大地震から一ヶ月、まだ日常の生活にも苦しんでいる方もいらっしゃるでしょう。
 同時に、少しずつ学校に復帰したり、お店をできる範囲で再開したり、というニュースも伝わってきます。
 昨日の新聞では、熊本城の現状を航空写真で撮影したものが掲載されていましたが、崩れた石垣や屋根を見ると、改めて地震の規模のすさまじさを感じます。

 まだまだ復興までは大変だと思いますが、少しでも早く、日常の生活が戻ることを祈っています。

 黒翌ウんからのこの詩は四月末にいただいたものですが、突然のニュースに驚いた様子が伝わってきます。
 特に承句の「壊屋崩山」は生々しい場面が浮かび上がってきます。

 起句は「最高時」では何のことか分かりません。「酣」「闌」などの字を用いるべきでしょう。

 転句は「友」は仄声ですので、ここは平仄が乱れています。
 意味としては、その場にいた友人が心配で知人の安否を尋ねている、ということでしょうが、友人を見ているという第三者の目にしてしまうと結句が軽くなります。友人の気持ちになって、「憂慮投杯問安否」が良いでしょう。





2016. 5.26                  by 桐山人



緑風さんから推敲作をいただきました。

 鈴木先生 『熊本地震』のご指導有難うございました。
 早速別添のように推敲いたしました。
 よろしくお願いします。

  熊本地震
同期宴会最酣刻   同期の宴会 最酣の刻
壊屋崩山電影驚   壊屋崩山の 電影に驚く
憂慮投杯問安否   憂慮し杯を投げ 安否を問ふ
靖祈無事復興萌   靖(しず)かに無事と 復興の萌しを祈る

2016. 5.28             by 緑風






















 2016年の投稿詩 第167作は桐山堂刈谷の 藤佳 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-167

  祈熊本地震無事        

天涯明媚競春輝   天涯 明媚 春輝を競ふ

不意有災驚愕威   不意に災有り 驚愕威なり

古里親朋行路斷   古里の親朋 行路断たれ

彼方終息一人祈   彼方より終息 一人祈る

          (上平声「四支」の押韻)



<感想>

 藤佳さんはご出身が九州ですので、地震の報に随分と心配をされたそうです。

 起句の「天涯」は「空の果て」、ここは作者が実際に見ている光景ですので、「青天」「晴天」が良いでしょう。

 承句はあまり回りくどく言わず、「不意震災」としましょう。

 転句は「古里」ではなく「故里」、九州という広い地域での災害でしたので、もう少し広げて「故國」に。
 下三字は交通手段が無くなったことでしょうが、ここは作者の立場で考え、まずは連絡が通じないことを示した方が良いです。
 「故國親朋失消息」(故国の親朋 消息を失し)という感じで。

 結句は「彼方」を「彼方より」とするのは苦しく、「彼方の終息」となります。
 遠く離れたことを表すために「千里」とするのが良いので、入れるとすると中二字ですね。
「客居千里靜鎮祈」(客居千里 静鎮を祈る)でしょうか。



2016. 5.26                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第168作は 鮟鱇 さんからの作品です。

作品番号 2016-168

  六州歌頭・仰銀河鶴壽更遷延耐流年        

野翁却老,         野翁 老いを却(しりぞ)け,

欣慕辯才天。        欣慕す 弁才天。

逢霜晩,          霜の晩に逢ひ,

瞠醉眼,          醉眼を瞠(みひら)き,

對嬋娟,          嬋娟(美人)に対し。

弄卮言。          卮言(支離滅裂なる言葉)を弄す。

韻事堪鑽探,        韻事は鑽探(研究)するに堪へ,

傾杯盞,          杯盞を傾け,

滌肝膽,          肝胆を滌(あら)ひ,

遊夢幻,          夢幻に遊び,

爲風漢,          風漢となり,

蓄髭髯。          髭髯(ひげ)を蓄ふ。

乘興賦詩,         興に乗り詩を賦さんとし,

磨墨端溪硯,        墨を端溪の硯に磨き,

走筆雲箋。         筆を雲箋に走らす。

擅捜章摘句,        ほしいままに章を捜して句を摘み,

諷詠在人間,        諷詠し 人間(ジンカン)にありて,

欲列神仙,         列さんと欲す 神仙の,

坐蓬山。          蓬山に坐りをるに。

     ○                ○

憶青春願,         憶(おも)ふは青春の願い,

金秋怨,          金秋の怨み,

冬厭倦,          冬には厭ひ倦みて,

竟辭官。          竟(つい)に官を辞す。

投藝苑,          芸苑に投じ,

尋酒館,          酒館を尋ね,

有白猿,          白き猿あり,

借紅顔。          紅顔を借る。

好日知英媛,        好日 知りたる英媛,

輕苦難,          苦難を軽んじ,

喜交歡。          歡を交ふるを喜ぶ。

玩月滿,          月の滿ちたるを玩び,

彈琴懶,          琴の懶(もの憂げ)なるを弾き,

過平安。          過ごす平安。

百載生涯,         百載(百歳)の生涯,

落葉歸根嘆,        落葉の根に帰る嘆き,

爛煮黄泉。         黄泉に爛煮(に)らる。

仰銀河遼遠,        銀河の遼遠なるを仰げば,

鶴壽更遷延,        鶴壽は更に遷延(遅延)し,

忍耐流年。         忍び耐ふる流年。

 

          (中華新韵八寒平仄両用の押韻)



<解説>

 拙作中「辯才天」はいわゆる弁天。弁舌・音楽を司るヒンドゥー教の女神サラスヴァティーです。
 今年に入って「六州歌頭」を二首詠みました。この作はその一です。
 「六州歌頭」にはいくつかの詞体がありますが、賀鑄は、
 全143字、前段19句、後段20句。押韻は平声を主押韻として前段8句、後段8句、
 その平声押韻と同じ韻部の仄声を副押韻として前段8句、後段10句で押韻しています。
 合計39句のうち34句で押韻をしています。

 つまりは、賀鑄が詠んだ「六州歌頭」は、押韻の化け物のような詞で、とても骨が折れます。
 そこで、小生も滅多に詠まないのですが、このところハードな詞をサボっているという思いがあり、研鑽を積んでどこまで詠めるようになったか、それを確かめてみるつもりで詠んでみました。
 まず、一首。そこで満足できればよかったのですが、
 いささか筆が迷走した感が残ってしまい、合格点すれすれの結果になってしまいました。
 押韻箇所が多い、それが迷走の原因であると思っています。

 六州歌頭 詞譜・雙調143字,前段十九句八平韻、八協韻,後段二十句八平韻、十協韻 賀鑄

  ●○●● ○●●○平。○○仄協○●仄協●○平,●○平。●●○○仄協○○仄協○○仄協○●仄協○○仄協●○平。○●●○,○●○○仄協●●○平。●○○●●(一四),●●●○平。●●○平。●○平。
  ●○○仄協(一三)○○仄協○●仄協●○平。○●仄協○●仄協●○平,●○平。●●○○仄協○●仄協●○平。○●仄協○○仄協●○平。●●○○,●●○○仄協●●○平。●○○○●(一四),●●●○平,●●○平。
   ○:平声。●:仄声。
   平:平声の押韻。仄協:平声の韻字と同じ韻部の仄声の押韻。
   (一四):直前の五字句は上一下四に作る。
   (一三):直前の四字句は上一下三に作る。


<感想>

 押韻の嵐のような詞で、平声だけの韻でなく、同じ韻部の仄声でも押韻するというのは、音読するとどんな感じになるのでしょうね。

 試しに前半の韻字だけを拾い出してみました。(赤字は平声・青字は仄声に色分けしました)

 (tian1)。晩(wan3) 眼(yan3) (juan1),(yan2)。探(tan4) 盞(zhan3) 膽(dan3) 幻(huan4) 漢(han4) (ran2)。硯(yan4) (jian1)。(jian1) (xian1) (shan1)。

 ここに更にそれぞれの字の平仄が関わってくるわけですので、うーん、大変ですね。

 ついつい技術的なところに目が行ってしまいますが、これだけの構成を考える「ハード」な集中力に感嘆します。

2016. 5.26           by 桐山人





















 2016年の投稿詩 第169作は 鮟鱇 さんからの作品です。

作品番号 2016-169

  六州歌頭・老學韻事試新吾        

老學韻事,         老いて韻事を学び,

言志覓新吾。        志を言ひて新しき吾(われ)を覓(もと)む。

漁詞譜,          詞譜を漁り,

求鬼斧,          鬼斧を求め,

有愚夫,          愚夫ありて,

抱金壺。          金壺(酒壺)を抱く。

飲酒含毒素,        飲む酒 毒素を含み,

誑家鼠,          誑せり 家鼠(ねずみ)の,

佯詩虎,          詩虎の佯(ふり)をし,

追月兎,          追へば月兎,

馳天府,          天府を馳せ,

照江湖。          江湖を照らす。

磨墨構思,         墨を磨いて構思(構想)し,

依舊傾杯處,        旧に依り杯を傾くるところ,

醉枕音書。         醉って音書を枕とす。

擅游魂振翼,        ほしいままに魂を遊ばせ翼を振り,

萬里問仙都,        万里 仙都を問(おとづ)れ,

笑對神巫,         笑って対す 神巫の,

賣前途。          前途を売るに。

     ○                ○

憶人生路,         憶(おも)ふは人生の路(みち),

塵寰霧,          塵寰の霧,

風雪苦,          風雪の苦,

斷雲孤。          断雲の孤。

勤世務,          世務に勤しみ,

迷穢土,          穢土に迷ひ,

作俗儒,          俗儒となり,

守殘株。          殘株を守る。

靜夜空回顧,        靜夜に空しく回顧し,

傷命數,          命数に傷み,

坐蝸廬。          蝸廬に坐す。

當自助,          まさに自助すべく,

持龜歩,          亀歩を持(たも)ち,

夢鴻圖。          鴻図を夢みむ。

走筆悠然,         筆を走らせて悠然,

不論吟陳腐,        吟じて陳腐なるを論ぜず,

暢想飄浮。         暢想して飄浮す。

泛鱗鱗滄浪,        鱗鱗たる滄浪に泛かび,

釣叟仰金烏,        釣叟 仰ぎたる金烏,

碧宇虚無。         碧宇の虚無。

 

          (中華新韵十四姑平仄両用の押韻)



<解説>

 今年に入って「六州歌頭」を二首詠んだうちのその二です。
 詠んだ当初はこちらの作の方がよいと思っていましたが、読み直してみると前作の方がよいようにも思えます。
 甲乙付けがたい、というか似たりよったりです。
 この作も一応は合格点か、というところです。

 六州歌頭 詞譜・雙調143字,前段十九句八平韻、八協韻,後段二十句八平韻、十協韻 賀鑄

  ●○●● ○●●○平。○○仄協○●仄協●○平,●○平。●●○○仄協○○仄協○○仄協○●仄協○○仄協●○平。○●●○,○●○○仄協●●○平。●○○●●(一四),●●●○平。●●○平。●○平。
  ●○○仄協(一三)○○仄協○●仄協●○平。○●仄協○●仄協●○平,●○平。●●○○仄協○●仄協●○平。○●仄協○○仄協●○平。●●○○,●●○○仄協●●○平。●○○○●(一四),●●●○平,●●○平。
   ○:平声。●:仄声。
   平:平声の押韻。仄協:平声の韻字と同じ韻部の仄声の押韻。
   (一四):直前の五字句は上一下四に作る。
   (一三):直前の四字句は上一下三に作る。


<感想>

 こちらも前作と同じ詞譜で、やはり労作ですね。

 これだけ長い内容で、何か事件とか歴史ではなく心事を語るというのは、豊富な語彙と構成力、そして想像力が要求されることと思います。
 題名ではありませんが、鮟鱇さんの若々しい頭脳は衰えることが決してないのだ、という自信が伝わってくるような気がしましたよ。



2016. 5.26           by 桐山人






















 2016年の投稿詩 第170作は山梨県北杜市にお住まいの 蒼岑 さん、六十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2016-170

  春告祭     春を告げる祭   

路傍丸石一村春   路傍の丸石 一村の春

萬戸鶯遷如有神   万戸に鶯遷 神有るが如し

玉繭燔柴花辨舞   玉繭 燔柴 花弁は舞ふ

疎梅佳氣賞心新   疎梅の佳気 賞心新たなり

          (上平声「十一真」の押韻)



<解説>

 地域の春の祭。道祖神(どんど焼き)祭りの一こまを漢詩にしてみました。
 玉繭を木の枝にさした団子。燔柴は子供たちの習字の燃え気が天まで上る光景。

<感想>

 新しい仲間を迎えることができ、とても嬉しく思っています。
 大歓迎ですので、これからもよろしくお願いします。

 漢詩のご経験は四年ほど、とのことですが、平仄押韻も含めて丁寧に作っておられ、よくお勉強なさっていることがうかがわれます。

 どんど焼き祭りの一こま、「丸石」が道祖神と読むと、起句だけでおだやかな農村の風景が目に浮かびますね。
 承句の「如有神」は鶯も春を喜んでいるようだという比喩ですね。

 転句の「花辯舞」は書き初めの紙が燃えて上がるという表現のようですが、
これも実は比喩で、「如花辯舞」とあるのを省略したもの。
 そうやって見ると、承句と転句で比喩が重なるということですので、やや気になります。
 また、ここで「花辯」と出してしまうと、結句の「疎梅」が生きてこない気もします。
 「玉繭燔柴篝火舞」「玉繭燔柴映炎火」など、直接表現する方向が良いと思います。





2016. 5.31                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第171作は 蒼岑 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-171

  春田試揮鋤     春の田に揮鋤を試す   

霜晨寒雀摘春蔬   霜晨の寒雀 春蔬を摘(ついば)む

屋外村童陽気初   屋外の村童 陽気を初む

融雪煖煙芳草野   融雪の煖煙 芳草の野

東郊晴日試揮鋤   東郊の晴日は揮鋤(たおこし)を試す

          (上平声「六魚」の押韻)



<解説>

 早春の霜の朝、農村の風景を漢詩にして見ました。

<感想>

 早春の農村の景をつかみ取った感じですが、画面が分かったようで分からないというところが若干あります。
 それぞれの句単独では問題ないのですが、例えば、「融雪」とあればまだ田に雪が残っていると思いますが、「春蔬」「芳草野」と来ると、景色がぼんやりとします。
 「處處煖煙融雪野」となると随分すっきりします。

 また、「霜晨」と霜模様を描きながら、更に残を述べるのが効果的かどうか、これも疑問です。
 「霜晨」を「早晨」とするとか、転句に地名(例えば旧国名の「甲斐」など)を入れるなどして、変化を出してはいかがでしょう。



2016. 5.31                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第172作は 酪釜 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-172

  不如帰        

春眠届耳棄瓶声   春眠 耳に届く 瓶棄つる声

瞑目暫聞如鳥鳴   瞑目 暫し聞けば 鳥鳴くが如し

夜宴誰家仙客釂   夜宴 誰が家の仙客の釂(のみほ)すや

非千日酒酔醒暁   千日酒に非ざれば酔ひ醒めの暁

          (下平声「八庚」の押韻)



<解説>

 今年のホトトギスは随分はやい、と、夢うつつに戸外の音に耳を済ましていたら、燃えないゴミの日で、誰かがビンを捨てているキャラキャラした音だった、というところから着想を得ました。
 歓送迎会も多い時候、酒瓶も多くゴミとしてでるのでありましょう。

 しかして、一杯で千日酔える酒ではなかったようで、こうして一日という日常が始まっていく、なんとなく面映ゆい感じを、布団の中で想像している、というものです。

<感想>

 題名で「不如帰」と言いながら、詩では実際に鳥は登場しないという着想、斬新で酪釜さんの面目を出した詩ですね。

 ただ、勘違いでしょうが、結句の「曉」が仄声で、押韻が違います。
 同じ韻目に「酲」(悪酔い、二日酔い)という手頃な字もありますが、せっかくですので、結びの面白さが増すような下三字を再度検討してはどうでしょうね。



2016. 5.31                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第173作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-173

  旅古巴        

四海周遊旅古巴   四海周く遊び古巴(キューバ)に旅す

革命広場感無涯   革命広場 感涯り無し

観繁盛姿加勒比   加勒比(カリブ)繁盛の姿を観て

国是父為人望誇   国是父為す人望誇らんとす

          (下平声「六麻」の押韻)

「四海」: 世界。
「革命広場」: カストロやゲバラの活動せる拠点など
「加勒比」: カリブ海の島キューバ。
「国是」: 国の方針・国が正しいとする政策、共産主義。
「国是父」:フィデル・カストロかチェ・ゲバラなりしや

<解説>

 キューバ10日間の旅をしました。

<感想>

 深渓さんの世界漫遊は東西南北、どこまでも足が伸びていきますね。
 今年は中国のシルクロードにも出かけるそうで、うらやましい限りです。
 すごいのは、出かける前に下調べを完璧になさって、出かける前には「旅行記」の大部分はできあがっていること、見せていただくと旅行会社のガイドブックなどは勝負にならない濃密な内容でびっくりです。

 今回はキューバ、アメリカと国交回復したばかりですが、深渓さんの世代の方にとっては、戦後の世界情勢を語る上では重要な国だったことで、思いも深かったでしょうね。
 そのせいかどうかは分かりませんが、気合いを入れ過ぎたかもしれません。承句転句の平仄、結句の文意に疑問が残りますね。

 承句は「革命広場」を固有名詞と見て、「反法」「二六対」「四字目の孤平」の全部を無理矢理に目をつぶるとしても、転句は難しいですね。
「観加勒比繁盛島」(観る 加勒比 繁盛の島)で平仄は合いますが、句意も同じでしょうかね。





2016. 5.31                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第174作は 楊川 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-174

  鼬川畔散策偶成        

紅飛紫散歩香塵   紅飛紫散せる香塵を歩む

楊柳江辺緑已   楊柳の江辺 緑已に堰iととの)ふ

追憶少時都似夢   少時を追憶す 都(す)べて夢に似たり

余生自適一閑身   余生 自適の一閑身なり

          (上平声「十一真」の押韻)



<解説>

「鼬(イタチ)川」: 近所にある川。

春の花の盛りは過ぎて行く、人もいつしか老いの坂
気は未だ若いつもりながら、逝去した友人も追憶の中。


<感想>

 前半の景から転句の「追憶少時」に流れる関連が無いので、前半と後半が別々の詩になっています。
 杜甫の「絶句」も前半は景、後半は情ですが、「今春看復過」と描くことで景と情をつないでいますね。

 楊川さんご自身が、この景を眺めながらどうして昔のことを思い出したのか、何かきっかけが必ずあったはずですので、それを描くようにするのが良いと思います。
 例えばですが、承句を「柳樹緑堤依旧春」とするとか、「已」を「復」と換えるだけでも時の流れが生まれてきますね。

 後半の情ですが、転句は「人生ははかないなぁ」という悲嘆なのですが、結句は「のんびりと思うがままに生きている」と楽観の心境。
 老後のこれからは悠々自適に生きていこう、という気持は誰もが思うことですが、そこに到る経過は人それぞれで異なります。「昔のことは忘れよう」とか「人生は短いものだ」とか「もう十分に働いてきた」とか、色々な思いがあるでしょう。  それをどう描くかという点で、転句と結句のつながりが十分かどうかを検討するわけです。
 「自適」「一閑身」が似た意味ですので、「自適」を「唯覓」に換えると「過去のことはさておいて」というふんぎりをつけた形になりますし、「已得」とすれば「長い人生でようやくたどり着いた」という形になる。
 そんな方向で検討してはどうでしょうね。



2016. 6. 5                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第175作は 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-175

  転居初春 一        

去秋逃避広   去秋 広きに逃避す、

何処一巡鶯   何れの処か一巡の鶯。

彼岸桜花発   彼岸 桜の花発き、

隣庭柿葉萌   隣庭 柿の葉萌ゆ。

春陽揺影入   春陽 影を揺らして入り、

掠燕執風軽   掠燕 風を執りて軽し。

新借疎家具   新借に疎なる家具、

南窓養筆明   南窓 筆を養ふに明し。

          (下平声「八庚」の押韻)



<解説>

 漢詩の印象派を自任することにしました。あくまでも自称ですが・・・・・漢詩印象派。

<感想>

 去年の秋に転居されたということで、新居で初めて迎えた春の景色は新鮮だったことでしょうね。
 首聯下句は「何処」という不定の言葉と、「一巡」という場所を暗示する言葉が気になります。
下三字を「一鶯声」としてはどうでしょうね。

 頸聯の対句は、「春陽」に対するならば「新燕」「双燕」が良いと思いますが、この聯自体が頷聯の春景とあまり変化が無く、展開が単調に感じられます。
 絶句の起承転結と同じく、頸聯で内容や描写に変化が出ると面白くなると思います。



2016. 6. 5                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第176作も 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-176

  転居初春 二       

庭前新幹線   庭前 新幹線

隔坂目高撞   坂を隔て目の高さ撞む

閉戸遮音壁   戸を閉ざせば 音を遮るの壁

招陽断露窓   陽を招き 露を断つの窓

及春風爽爽   春に及んで風 爽爽

垂夏雨淙淙   夏に垂とし雨 淙淙たらん

軒下逍遥影   軒下 逍遥たる影は

且知蝶一双   且く知らん 蝶の一双

          (上平声「三江」の押韻)



<感想>

 新幹線のすぐ近くですか、我が家の孫が聞けばうらやましがる立地条件ですね。

 首聯下句の「撞」は「かすめる」ということでしょうか。

 頷聯は、下句を見ると「招陽」「断露」もどちらも「窓」に掛かっていく並立関係になりますが、上句は「戸を閉ざす壁」とはなりません。逆に「戸」と「壁」がぶつかっています。
 「安穏遮音壁 清暄断露窓」という形がバランスが良くなるでしょう。

 頸聯下句は「夏になる直前の梅雨の頃」ということですね。「春に及べば」「夏に垂んとせば」とどちらも仮定形で読んだ方が分かりやすいのですが、頷聯と似てしまうのを避けたのでしょうかね。
 「早春」と「初夏」と単純に季節を表した方がすっきりするでしょうね。ただ、感想としては眼前の春の景色で通した方が詩の収まりはよくなると思います。

 前半の新居の説明から、頸聯は季節の景へと移り、展開は納得できる形になっています。



2016. 6. 5                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第177作は 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-177

  雨中看花        

山荘美景觀櫻宴   山荘の美景観桜の宴

雅友歡談連饗膳   雅友 歓談 饗膳を連ぬ

吹雨回風卒払花   雨を吹く回風 卒(には)かに花を払ふ

嗟吁落蕊春行見   嗟吁 落蕊 春の行くを見る

          (去声「十七霰」の押韻)



<解説>

 折角の花見でしたが急な雨と風で満開の桜が散りました。
 残念、その分酒宴の方を楽しみました。

<感想>

 起句は「美景」が邪魔ですね。桜が満開だったということを表したのでしょうが、「観桜」と来れば「桜がきれい」なことは分かります。
 どんな「山荘」だったのか、それ自体の形容を入れても良いですが、その場合も景物で表して欲しいですね。
 手っ取り早く修正するなら、「山荘一夕觀櫻宴」でしょうか。

 結句の「嗟吁」は嘆き節、仄韻の詩で古詩の雰囲気がありますので、良いでしょうね。
 下三字は「春行」では「春の行事」「春の行楽」になってしまいますので、「春徂」「徂春」が良いでしょう。



2016. 6. 6                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第178作は 春空 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-178

  筍        

雨後竹林犀角連   雨後の竹林 犀角連なり

割坤冠露映陽妍   坤を割り露を冠りして 陽に映じて妍なり

野翁欲食非長幼   野翁 食さんと欲するは 長に非ず幼なり

一日終生是宿縁   一日にして生を終えるは 是れ宿縁

          (下平声「一先」の押韻)



<解説>

 筍が大好きです。
 筍は少し芽が出たばかりの地面の下の部分がおいしいのです。
 大きくなったのは灰汁が強くておいしくありません。
 それで筍が少しかわいそうになります

<感想>

 たけのこが地面から出てきた様子を「犀角」という比喩は先例があったでしょうか。うまく当てはまっていると思います。

 転句の「非長」について、「長」は「長い」ならば平声、「育つ」「おさ」ならば仄声ですので、平仄のことで見ると、この語の意味は「長いものではなく」となります。
 「長に非ず幼なり」という表現も苦しいですので、ここは「方才幼(方に才かに幼)」として「幼」を強調する形でしょうか。  結句は話の落とし所が面白く、収まりが良いと思います。



2016. 6. 6                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第179作は 哲山 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-179

  三春酔行        

滝櫻名勝宴三春   滝櫻(ろうおう)の名勝 三春に宴す

爛漫湖山羈旅人   爛漫の湖山 羈旅の人

花片散風如歳月   花片 風に散ること 歳月の如し

嘻千古幹追懐新   嘻 千古の幹 追懐新たなり

          (上平声「十一真」の押韻)



<解説>

 福島郡山の三春町に滝桜を訪ねました。
 ウィキペディアの説明では、日本三大桜の一つとして知られ、2012年現在、推定樹齢1000年超、樹高12m、根回り11m、幹周り9.5m、枝張り東西22m・南北18m。
 根元の太さに驚きました。

「嘻」は「噫」と迷いました。

<感想>

 前半は叙景として良いのですが、承句の「爛漫湖山」がやや焦点がぼけます。

  瀧櫻爛漫宴三春
  名勝湖山羈旅人

 と入れ替えてはどうでしょうか。

 花びらが風に散るのを「如歳月」という比喩した転句は良い句ですね。

 「嘻」は喜びで漏れる声、「噫」は胸がいっぱいに詰まった声、どちらもため息ですが、どんな気持ちを内に含むかでしょうね。
 これは好みか、その時その時の心情で変化しますが、私は「噫」の方が好きですね。



2016. 6.13                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第180作は 地球人 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-180

  新緑        

田家閑暇試新茶   田家 閑暇たり 新茶を試す

和暖薫風弄日華   和暖 薫風 日華を弄す

遠眺高峰猶白雪   遠眺 高峰 猶ほ白雪

園中草満緑交加   園中 草満ち 緑交加す

          (下平声「六麻」の押韻)



<解説>

 気候もよくのんびりしたひと時、新緑が目にとまった様子を描いてみました。

<感想>

 「田家」は、その後の「試新茶」とありますので、作者自身のことを表しますね。

 全体に無理は無いですが、転句の「白雪」が、実景かもしれませんが、冬と夏の交錯ということだけでは、やや通俗な気がします。
 同じ雪でも初夏の雪ですので、何か違いがあると思い、この時の雪という表現が欲しいですね。

 結句は、「草」にあまり視点が集中しないように、また、遠景から近景に戻す意味で、「満地草樹緑交加」としてはどうでしょう。



2016. 6.13                  by 桐山人



地球人さんから推敲作をいただきました。

鈴木様、掲載とご指導ありがとうございます。

初夏の雪を表現することに注意して、下記のように手直ししましたので、報告いたします。

  田家閑暇試新茶
  和暖薫風弄日華
  遠眺雪渓雲出洞
  満地草樹緑交加

2016. 6.10                 by 角谷(地球人)