2016年の投稿詩 第361作は 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-361

  過關介原        

一日攻防涙湿巾   一日の攻防 涙 巾を湿す

歩兵十萬化微塵   歩兵 十万 微塵と化す

幾多戰亂都如夢   幾多の戦乱 都て夢の如し

千載恩讐胸奥巡   千載の恩讐 胸奥を巡る

          (下平声「十一真」の押韻)



<解説>

 車窓からの関ケ原
 今年大河ドラマにも演じられておりました戦い、部将は兎も角として名もなき歩兵が脳裏を過ります。

 詩題の「關介原」、「關原」で「関ケ原」と読めるか迷いました。
 「壇の浦」は「壇浦」で「壇の浦」と読ませているのを見かけました。


<感想>

 まず題名ですが、「關原」で良いです。「關介原」と書かれたものがありましたか。
 「関ヶ原」は古代三関の一つ、不破の關があったことから呼ばれた地名ですので、「関(にある)原(土地)」ということ、わざわざ「が」を強調する必要はありませんね。

 詩は、「涙湿巾」「都如夢」「胸奥巡」など感情語が多く、それだけ作者の気持ちが強く出ているとも言えますが、押しつけがましくなり、結句の「胸奥巡」が余韻不足で、思いが軽く感じます。

 また、全体に関ヶ原の戦を感じさせる言葉が少なく、かろうじて起句の「一日攻防」が「一日で勝負がついた」という関ヶ原の戦を感じさせますが、「たった一日」「わずか一日」という強調が無いと、普通に「朝から晩まで戦が続いた」というだけで理解します。
 つまり、厳しい言い方ですが、どこの古戦場の題名をつけてもこの詩は通用してしまう危うさを持っているわけです。

 起句の「涙湿巾」を削って関ヶ原の叙景なり叙事を入れて主題を明瞭にする必要があるでしょう。場所が曖昧なままですと、転句の「幾多戦乱」の広がりがますます読者を関ヶ原から遠ざけて、「戦国時代」という題名になってしまいそうです。

2016.12.24                  by 桐山人



岳城さんからお返事をいただきました。

 何時もお世話になっております。
ご指導ありがとうございます。
今回も大変 勉強になりました。

 推敲作送ります。

    過關原
  一日攻防天下分   一日の攻防 天下を分ける
  歩兵十萬化微塵   歩兵 十万 微塵と化す
  幾多戰亂都如夢   幾多の戦乱 都て夢の如し
  芽甲關原一片春   芽甲の関原 一片の春

         (上平声十一真・上平声文韻)  雪解けの関ケ原 戦乱を経て太平の世を感じました。  「芽甲」: 草木の芽


2016.12.26        by 岳城






















 2016年の投稿詩 第362作は 茜峰 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-362

  幼童白熱小檀尻     幼童は小檀尻に白熱す   

痛惜残陽童赫顔   残陽を痛惜す 童の赫い顔

輓推乗客楽輪班   輓推 乗客 楽しく輪班す

囃声扇子跳車蓋   囃声 扇子 車蓋を跳ぶ

文化継承羈絆環   文化の継承 羈絆の環

          (上平声「十五刪」の押韻)



<解説>

 十月上旬 町内揚げてのだんじり祭りに湧いた。
 子どもたちは 今もまだ その余韻に酔っているようだ。自分たちでミニチュアのだんじりを造り 顔を輝かせて曳いている。
 曳く役・押す役・乗る役は交代だ。
 屋根に乗った子は 「ソーリャ・ソーリャ」「ワアー」の掛け声に合わせうちわを手に左右に跳んでいる。
 故郷の文化の伝統継承され 互いの絆も深まるのは 喜ばしいことだ。
この子らが 大人になった時も このようなだんじり祭りが町を挙げて行われている世であることを願う。 (戦争中は祭りどころではなかった)

<感想>

 祭りの雰囲気が強く感じられるのは、承句ですね。
 ここの具体的な叙述が、やや回りくどいようでも観察が無くては描けないことで、リアリティを生んでいます。

 逆に、結句は欲張りすぎで、「文化継承」「羈絆環」の両方を感じたとするのは、実際に茜峰さんがそうお感じになったとしても、読者には後からつけたような印象を与えます。
 子ども達に語りかけるような気持ちで、どちらかに絞っても、作者の思いは伝わると思いますよ。



2016.12.24                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第363作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-363

  感皇恩・聖誕老人馳橇過        

聖誕老人馳,      聖誕老人(サンタクロース)馳す,

全球萬里。       全球(全世界)の萬里に。

馴鹿拉橇胖翁勵,   馴鹿(トナカイ)橇を拉(ひ)いて胖(でぶ)の翁勵(はげ)まし,

傲霜鬥雪,       霜に傲り雪と闘ひ,

跳過銀河清霽。    銀河の清らかに霽(は)れたるを跳過(飛び越)ゆ。

通宵搬禮品,      通宵(夜通し)禮品(プレゼント)を搬(はこ)び,

飛天地。         天地を飛ぶ。

          ○   

鶴髮童顔,       鶴髮にして童顔の,

詩翁夜起,       詩翁 夜に起き,

期待蒙恩賜才筆。   期待す、恩を蒙り才筆を賜ふを。

啜杯取暖,       啜って暖を取りをりて,

驚看北窗駒隙。    驚き看る 北窗に駒隙を。

流星如霍閃,      流星 霍閃(電撃)のごとく,

伴霹靂。         霹靂を伴ふ。

          (中華新韻十二斉仄声の押韻)



<解説>

 傲霜闘雪:寒霜に傲り,白雪に抗う。厳寒を畏れないことを形容。逆境にあっても屈服しないことを比喩する。
 駒隙:白駒過隙。白駒が細い隙間を通り過ぎること。時間が過ぎることが極めて速いこと。光陰如箭。

 傲霜闘雪、この四字成語を使って詞を詠もうと思い、子供たちにプレゼントを届けるサンタクロースの奮闘する姿を思い浮かべました。
 そして、どの詞牌で詠むかで眼についたのが「感皇恩」です。
 サンタクロースの恩ということで、「感皇恩」。

 前段は割合スムーズに詠めましたが、後段はどうするか。
 そこで思いついたのは、子供ばかりではなく年寄りにもプレゼントを というサンタへのお願いです。
 私が欲しいのは才筆です。

 末三句は、サンタの空飛ぶ橇があっという間に窗を過ぎたのを見て、雷に撃たれるごとく驚いた ということです。
 ただ、作者の妄想としてですが、
 サンタが年寄にプレゼントをくれないのは、その昔、サンタはたくさんいたが、その中の年寄を専門としていたサンタがある日飛行事故にあってしまい、以来年寄にはプレゼントが届かなくなってしまったのではないか、そういうことを思いつつ筆を進めたことを、書き添えておきます。

 拙作からそれを読み取っていただくのは無理ですので、蛇足です。

 感皇恩 詞譜・雙調67字,前後段各七句,四仄韻 毛滂ほか

  ▲●●○○,△○▲仄。△●○○●○仄。▲○▲●,▲●△○○仄。▲○○●●,○○仄。
  △●△○,△○▲仄。▲●○○●○仄。●○△●,△●▲○○仄。▲○△●▲,△△仄。
   ○:平声。●:仄声。
   △:平声が望ましいが仄声でもよい。▲:仄声が望ましいが平声でもよい。
   仄:仄声の押韻。


<感想>

 鮟鱇さんからは、私の掲載の遅れを考慮して、十二月初めにいただいていた詞です。
 クリスマスの日に掲載しようと思っていましたところ、孫から貰ったのでしょう、風邪でダウンしてしまい、ずるずると今日まで延びてしまいました。

 私も願わくば、手に執ればスラスラと「素晴らしい詩」(ここが大事ですね)が書けるようなペンが欲しいですね。サンタさんでもドラエモンでも良いですので、くれないかなぁと、鮟鱇さんの詞を読みながら思いました。



2016.12.27                  by 桐山人



鮟鱇さんからお返事をいただきました。

桐山人先生

 拙作『感皇恩・聖誕老人馳橇過』を掲載していただき
 また、感想をお寄せいただきありがとうございました。

 拙作、実はその後、暗いものを好む私の性癖が出てしまっているように思い
 ハッピーエンドに終わる案も有り得るだろうと反省し
 後段を下記のように書き改めております。

 書き直してみた結果、特段によくなったとは思えませんし
 掲載していただいた作の出来映えに不満があるわけではありません。
 ただ
 違う角度から書き直してみるというのも楽しいもので
 みなさんにもご笑覧いただければと思い
 筆を取らせていただきました。


鮟鱇拝

     感皇恩・聖誕老人馳橇過 後段別作
   鶴髮童顔,詩翁驚起,看到螢嚢照才筆。此得靈感,却老雄張鵬翼。紫穹揮彗星,題東壁。


  白髮なるも童顔,
  詩翁 驚き起き,
  見付けたり 螢嚢(螢の光)が才筆を照らすを。
  ここに靈感を得て,
  老いをしりぞけ雄々しく鵬翼を張る。
  紫穹に彗星を揮ひ,
  東壁に題さんと。

「東壁」: 星名。北方七宿之一。文章をつかさどる。天下の図書の秘府。

2016.12.29             by 鮟鱇






















 2016年の投稿詩 第364作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-364

  江村晩秋景        

寂寂条条水村秋   寂寂 条条 水村の秋

風光萬頃悴容周   風光萬頃 悴容周し

長堤衰柳寒霏動   長堤の衰柳 寒霏動き

半圃嫩稊泠露抽   半圃の嫩稊 泠露抽む

鐘漏何辺看夕日   鐘漏 何辺ぞ 夕日を看るに

雁聲幾處起藘洲   雁聲 幾處か 藘洲に起きる

紅黄霜葉終飄落   紅黄の霜葉 終に飄落し

凋菊残香漫引愁   凋菊の残香 漫ろに愁を引く

          (下平声「十一尤」の押韻)



<感想>

 真瑞庵さんの十八番、木曽川沿いの景色ですね。
 今回は晩秋ということで、寂しげな趣がよく出ています。

 やや似通った言葉が目につきます(「悴」「衰」「凋」)ので、「衰柳」を「細柳」とすると解消されるでしょう。

 第一句は平仄違いなのと、「条条」がここに合うのかどうか、「寂寂蕭蕭江水秋」ではくどいですかね。



2016.12.27                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第365作は 桐山人 の作品です。
 

作品番号 2016-365

  江村暮景(訪真瑞庵)        

滿目荒涼野渡悠   満目荒涼たり 野渡悠か

一条殘照暮天秋   一条の残照 暮天の秋

鷺鴉無語滑空影   鷺鴉語無く 空を滑るの影

蒼水漫漫紅葉浮   蒼水漫漫として 紅葉浮かぶ

          (下平声「十一尤」の押韻)



<解説>

 十二月に真瑞庵さんのお宅でお仲間の忘年会があるということで、私も同じ愛知県ということでお誘いを受け、初めてお宅を訪問しました。
 木曽三川が生んだ濃尾平野の広々とした景を眺めながら、ああ、ここが真瑞庵さんの詩作の地だと納得しました。

 入り口に「真瑞庵」と額が掛けられた玄関を入ると、様々な木々が植えられた広いお庭と広い座敷、俗塵を離れた別世界の趣で、真瑞庵さんのお姿もいかにも「主人」という風格がぴったりでした。

 あらかじめ伺っていたわけではありませんでしたが、当日は参加していた皆さんが自作の漢詩を持ち寄り、尺八の生演奏を伴奏に吟詠をするという趣向がありました。
 この詩は、当日のお礼として、真瑞庵さんのいつもお書きになる詩の世界にご相伴した気持ちで作ったもの、行く時の電車の中で考えていたのですが、急遽、即吟の形で詠んでいただきました。

 なお、その場で真瑞庵さんから転句の「滑空」は「没空」の方が良いのでは、とご指摘いただいたこともご紹介しておきます。

2016.12.28                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第366作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-366

  次韻桐山作「江村暮景」        

半生回想思悠悠   

重老還逢歳暮秋   

已矣身萎気憔悴   

羨望曾水杳然流   

          (下平声「十一尤」の押韻)



<感想>

 こちらは、拙作に対しての真瑞庵さんからいただいた次韻詩です。

 真瑞庵さんからは、

   鈴木先生先日は遠路お越し頂き有難う御座いました。
   お陰様で有意義な一日を過ごすことが出来ました。感謝いたします。

   わが家への途上賦された玉作に、拙い出来ですが次韻させて頂きました。


 とのお言葉も添えられていました。

 こちらこそ、風雅な宴を堪能させていただき、貴重な体験でした。



2016.12.28                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第367作は 南芳 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-367

  憶郷        

母親田舎失帰期   母親の田舎への帰期を失ふ

仕業連綿歳月移   仕業連綿として歳月のみ移る

我里絶佳幽谷裏   我が里絶佳幽谷の裏

今尚思発少壮時   今尚思いの発するは少壮の時

          (上平声「四支」の押韻)



<感想>

 「親に帰る帰ると言いながら遂に帰れなかった」という言葉が添えられていました。

 起句はこのままですと、田舎のお母さんが帰れなくなったという文になります。
起句に承句の言葉を持ってきて「連綿生業失帰期」、承句に「阿母郷村歳月移」と入れ替える形が良いでしょうね。

 転句はやや重なりますが、「故里絶佳幽谷裏」。

 結句は二・四・六字が全て仄声ですので、二字目と六字目を平字にする(平句)にしないといけません。
 まず下三字は「壮」が使いたいところかもしれませんが、お母さんとの思いを中心にして「少年時」とし、頭に「難忘」、あるいは「常懷」と置く形で、南芳さんが心に浮かぶものを中二字に入れてはどうでしょうね。
 



2016.12.31                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第368作は 酪釜 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-368

  餐廛群像        

女語際人男議商   女は人と際するを語り 男は商いを議し

老心高慢若言狂   老心は高慢 若言は狂。

唯存童幼喧騒内   唯 存す 童幼 喧騒の内

容忍読書知辨場   まさに忍ぶべし 書を読みて 場を弁ふるを知る。

          (下平声「七陽」の押韻)



<解説>

  女性は人間関係をしゃべくり、男性は商談をとりまとめるのに躍起になっている。
  老人の心は高慢ちきでわがまま放題、若者の言っていることは狂ったような戯れ言。
  ただ、まだ幼い子が、自分のことしか考えていない人々のなかにポツンとみえて、
  (きっとがまん強いのだろう)勝手な振る舞いをするでもなく読書をして、唯一、場を弁えることである。



 とある忘年会で即興詩をと言われて、あわててまわりを見回して一首。

 いまどきの子どもといえば、こういうところでは(大人の話かある)親が携帯ゲームやらを与えておとなしくさせそうなものですが、なんと読んでいたのは「史記(小学生向けではありますが)」
 あまりにも度肝を抜かれた気持ちになり、また心から絶賛したい気持ちになり、偏屈極まりないくらい前半を見下げた評価をして持ち上げてみました。

 即興なので語がブチブチ切れているような感覚が残りましたが、この感動は物の5分ほらどで形になったもので、どうにも手がいれづらく、自分では推敲できかねると思い、ご高覧いただきたい所存です。

<感想>

 前半を読みながら、これはなかなか手厳しい評だと思いましたが、酪釜さんは後半の幼児を引き立てるために意識して貶めたのだということですね。
 その意図が達成できたかどうか、がポイントですが、承句の「老心」で心の中まで入り込むのでなく、「老声」としておくと、「女語」「男議」「若言」とつながって、宴会の場での人々の騒がしさに限定されますので、狙いに近くなると思います。

 転句の「唯存」の語がよく働いていますね。

 逆に結句の「容忍」は邪魔な言葉で、「唯存」を弱めるだけでなく、作者の余分な感情が入って押しつけがましくなります。
 幼児の姿だけを描いた方が印象が強くなりますので、「黙黙」「没我」など適する言葉を探してはどうでしょうね。



2016.12.31                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第369作は 地球人 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-369

  初雪        

早朝静寂紙窓明   早朝 静寂  紙窓明らかなり

俄頃驚人折竹声   俄頃 人を驚かす 折竹の声

冷気浸肌寒徹骨   冷気 肌を浸し 寒さ骨に徹す

幽庭随所六花満   幽庭 随所  六花満つ

          (下平声「八庚」の押韻)



<解説>

 12月の初め、南関東では初雪が降り、雪がつもりました。
その日のうちにほとんど溶けてしましましたが・・・・。

 そこで、雪の詩を作ってみました。

 「目が覚めると妙に明るく、とても寒い、もしやと思い庭をのぞいたら期待どおり雪がふっていた」といった状況です

<感想>

 何十年振りかの早い初雪だったようで、ニュースにもなりましたね。

 句の構成が滑らかというか、動線が明確で、自然に雪までたどり着けました。

 ただ承句の「俄頃驚人」は説明し過ぎの感があります。
 どこかから、ふと聞こえてきた、という感じで、人間を登場させない方が良いでしょう。

 結句は韻字を書き間違えですね。「盈」としたのだと思います。
 「随所」ですので、庭のいたるところに雪がいっぱい、というのは、作者の驚きも含めて、よく伝わる情景ですね。



2016.12.31                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第370作は 酪釜 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-370

  酬観水先生        

穢土灰心不識鮮   穢土の灰心 鮮を識らざれば

奔流万径衆生川   奔流 万径 衆生の川

一条光彩金絲救   一条の光彩 金絲の救ひ

三拝雲華観水蓮   三拝すれば雲華 水蓮と観ゆ

          (下平声「一先」の押韻)



<解説>

 酪釜の「釜」は、地獄の釜茹で。
観水さまの「観」は観世音に通じる、か。

 と、いうことで、縁あって、何故か似た時期に鈴木先生のお嫌いな蜘蛛で縁があったために、芥川の「くものいと」になってしまいました一首を(本当は勘違いで、芥川の「くものいと」はお釈迦様がでてくるのですが)。

 当地はレンコンの名産地でもあり、寒くなると収穫に蓮田に肩まで潜って掘り出すのでありますが、一方で、曇り空にポカっと穴があいたように雲の穴ができると、ちょうど蓮の葉が水に浮かんでいるのと逆のような様相となり、その辺を表現したいのでありますけども当然のことながら及ばず。
 相も変わらず拙作につきますが、お納めくだされば幸いです。

   穢れたこの世のしょげた心に鮮やかさは無縁として、
   ときにほとばしり、ときにどこにむかうのか分からない、地獄の血の川に押し流されていると思っておりました。
   しかし、見上げればやはり光はあって、それは金の糸のようなのです。
   礼を尽くすにつくせませんが、その美しい雲を観れば水に浮く蓮のように救われた気持ちになりましたことです。


<感想>

 思いもかけずに「蜘蛛つながり」でお二人が親しくなられたようで、まあ、私も頑張った甲斐があったということですね。

 今回の詩は後輩から先輩への挨拶という感じで、世代的に近い、若いお二人の交流がこれから続いていく予感がありますね。
 
 起句は「鮮」は韻字合わせの感じで、「●然」と下二字を持ってくれば選択の幅が広がると思いますよ。

 承句は「万径」「奔流」「川」に挟まれていますので、何のことか伝わりません。
 川の中に道がある?という感じです。

 後半も、多分酪釜さんが思っている以上に難解なのですが、ここはお二人にだけは通じ合うものかもしれませんので、そのままいただいておきましょうか。



2017. 1. 2                  by 桐山人



観水さんから感想をいただきました。

 鈴木先生
 いつもお世話になっております。

 作品番号2016-370、酪釜さんの詩「酬観水先生」の感想です。
――というか、お返事というかたちになるでしょうか。


 お釈迦様にも観音様にも遥か遠く及びませんが、それなりにお役に立つことができたようで、このような詩を賜り、嬉しい半面、面映ゆくもあります。
 詩の表現にはわかりにくいところもありますが、解説もあるので、それで内容は概ね伝わっています。
 「蜘蛛の糸」が垂れてくる雲間の「あな」を、水に浮く蓮の葉に見立て、ますますありがたいものと見える――という発想も、少しひねり過ぎの感もありますが、面白いものですね。

 ところで、詩の楽しみにはいろいろありますが、自分の詩を読んでくれる人がいて、コメントを寄せてもらえたり、さらには詩を贈られたり――となると、本当に嬉しいことです。それに加えて、そういう詩にこたえての詩を書くことが、今は、いちばん楽しいと思っています。
 そういうわけで、お返しです。
 まだ推敲の余地はあるでしょうが、こういうことは勢いも大事だと思いますので、これでお送りいたします。


    地獄行(次酪釜學兄見寄詩韻)
  釜中請酪正新鮮   釜中 酪を請ふは 正に新鮮
  思飮流涎忽作川   飲を思へば 流涎 忽ち川と作る
  滋養心身觀自在   心身を滋養して 観自在
  筆教池血發蓮   筆もて 池血をして青蓮を発かしめん

    地獄の釜のミルク風呂 新鮮なのを頼みます
    飲み干すことを思ったら よだれたちまち川となる
    心身ともに養って 自由自在にものを観て
    筆をふるって血の池に 青い蓮でも咲かせましょう


 酪釜さんの「釜」は地獄の釜ということですので、そこに注がれる「酪」は本来は「浴用」ということになるのかもしれませんが、ここでは飲用として詩を仕立てました。
 ですから、作者としては、実際にひと釜飲み干すことで「滋養心身」のつもりなのですが、飲むのは「思う」だけで、「ひとっ風呂浴びて気分良し」と解釈するのもありかと思っています。

 また、筋書きとしては「新鮮」なのは「酪」なのですが、酪釜さんの「釜中請酪」の発想こそ「正新鮮」という意味も含んでいます。
 それから、結句の「青蓮」、一般にハスの花といえば、桃色や白色がイメージされるでしょうし、舞台が地獄であれば「紅蓮」もふさわしいかもしれませんが、せっかくの「観自在」なので、あえて青蓮としました(仏眼や、李白を想像することもできますしね)。


2017. 1. 4               by 観水






















 2016年の投稿詩 第371作は 東山 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-371

  漱石愁熊本震災     漱石熊本震災を愁ふ   

四歳肥州山水清   四歳の肥州 山水清く

五高師弟斷金誠   五高の師弟 断金誠なり

時遷舊里裔孫禍   時遷り旧里 裔孫の禍

天上愁臨銀杏城   天上 愁ひて臨む 銀杏の城

          (下平声「八庚」の押韻)



<解説>

 先日、多久の「東原庠舎」にて「全国ふるさと漢詩コンクール」の表彰式が、石川先生をお迎えして開催されました。
 今回は、最優秀賞に地元佐賀の方が選ばれました。

 石川先生も、熊本の「漱石漢詩大会」に引き続くご講演で、お疲れだったのではないかと思いますが、更に翌日は、大分日田の「咸宜園」でのご講演とのこと、お元気にて何よりです。


<感想>

 夏目漱石が熊本に居たのが4年3ヶ月、五高の英語教師として熱心に指導をしたと言われていますね。
 それを受けた起句ですね。
 承句は「師弟」ですので、漱石とその教え子を表しますね。「断金」は友情を表しますので、そうなると、当時の五高の師弟は友達同士のような深い友情で結ばれていた、という形で解釈しますが、それで良かったでしょうか。

 転句からは、熊本の震災に対して、雲の上の漱石先生が心配しているだろう、という温かみのある結びで作者のお気持ちを伝えていると思います。


2017. 1. 3                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第372作は 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-372

  無題        

座右旧書剣   座右の旧き書剣、

研魂自可親   魂を研くに自ら親しむべし。

交遊宜守礼   交遊 宜しく礼を守るべし、

経世已忘仁   経世 已に仁を忘る。

黄石期橋旦   黄石 橋旦に期し、

周侯拾釣人   周侯 釣人を拾ふ。

追鹿何必古   鹿を追ふ 何ぞ必ずしも古のみならん、

志士入夢巡   志士 夢に入り巡る。

          (上平声「十一真」の押韻)



<感想>

 凌雲さんからは、「特に題はつけませんでした」としていただきましたが、読書の心を詠んだというところですね。

 第五句の「黄石」は漢の張良に兵書を与えた黄石公で、橋の上で張良に靴を拾わせ、五日後に会おうと約束をし、目上の者より先に来いと二度叱りつけ、ようやく日の出前に来ていた張良に兵法書を与えたという、私などは最初にこの話を読んだ時は、張良の素直さにあきれたものです。
 第六句は太公望の故事ですが、兵法の祖と言われる二人を並べたのは、世を憂えて導きたいというお気持ちでしょうか。

 最後の尾聯はどちらの句も、二四字目が仄字ですので、ここだけ残念ですね。



2017. 1. 4                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第373作は  さんからの作品です。
 

作品番号 2016-373

  熊本偶吟        

措辭拙劣事誰關   措辞 拙劣なるも 事誰か関せん

拘執聲名滯俗間   声名に拘執するは 俗間に滞る

把筆如何肥國景   筆を把って如何せん 肥の国の景

阿蘇山與島原灣   阿蘇の山と 島原の湾と

          (上平声「十五刪」の押韻)



<解説>

 鈴木先生
いつもお世話になっております。

 改めましてご報告です。
 先日熊本で行われた「第1回漱石記念漢詩大会」にて、優秀賞を受賞いたしました。
(受賞作:「夜過凾嶺」隧道通巖百二關/暗窺幽壑老杉間/誰言自此絶人跡/眼下煌煌漁火灣)

 選評でも過分に褒めていただき、また別に伺ったところでは、二首応募したうちのもう一首についても実は随分と高い評価だったということで、自分の詩作に、少し自信がついてきました。
 鈴木先生のサイトのおかげで漢詩を続けることができ、漸くそれなりの力がついてきたということでしょうか。

 大会で入賞することが詩作の目的、というわけではないし(もちろん、ひとつの目標ではありますが)、自分の感性とは異なっても選ばれるようにあれこれと考えを巡らすのも何か違うような気もするのですが、それでもやはり、自作が評価されるのは嬉しいものです。
 自分の気持ちと矛盾なく自然に詩を書き、それでいて独善でなく人にも認められるよう、引き続き頑張っていきたいと思っています。

   言葉選びがまずくても 誰が気にすることでしょう
   評価を気にしているうちは まだまだ俗とおもいます
   それでは筆を把りまして この肥の国の好景を
   どうしましょうか阿蘇山や 島原湾がありますが

<感想>

 掲載が遅くなりお祝いの言葉も遅ればせながら、という感じですが、受賞おめでとうございます。

 詩は誰にとっても、何らかの心が動いたことの記録であり、詩魂を形にして残すためのものだと私は思っています。
 感動そのものに優劣などはもちろん無く、ただ、その感動を定型詩の枠の中で的確に表現し得たかどうか、が大事なところ。
 沢山の応募作の中から優秀と選ばれたことは、観水さんの感動が言葉として十分に定着していて、共感を得たからだと考えれば良いと思います。

 良い作品が生まれるお手伝いが少しでもできたのなら、私にとっても嬉しいことです。
 ますます、今後が楽しみですね。



2017. 1. 4                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第374作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-374

  唱甘棠        

北窗移榻夢羲皇   北窗榻を移して 羲皇夢み

冗子楽天疎懶狂   冗子天を楽みて 疎懶狂す

除却暑棼多適意   暑棼を除却しては 適意多く

茅蘆裸胆唱甘棠   茅蘆裸胆して甘棠を唱へん

          (下平声「七陽」の押韻)


「羲皇」: 伏羲羲皇去我久 陶淵明
「楽天」: 天命を楽しむ 境遇に安んじる 易
「除却暑棼」: 暑棼を除いては
「甘棠」: 人民がりっぱな為政者を心から慕うこと。詩経 召南



<感想>

 季節外れの掲載になってしまい、すみません。
 「甘棠」は謝斧さんがお書きになったように、『詩経』に載せられた詩で

   蔽芾甘棠   蔽芾(へいはい)たる甘棠
   勿翦勿伐   翦る勿(なか)れ 伐る勿れ
   召伯所茇   召伯の茇(やど)りし所

   蔽芾甘棠   蔽 芾たる甘棠
   勿翦勿敗   翦る勿れ 敗(そこな)ふ勿れ
   召伯所憩   召伯の憩ひし所

   蔽芾甘棠   蔽芾たる甘棠
   勿翦勿拝   翦る勿れ 拝(ぬ)く勿れ
   召伯所説   召伯の説(やど)りし所

 ここで言う召伯については諸説があるようですが、ともあれ為政者である召伯を人民が慕って、彼が留まった甘棠の木を切らないようにしたことを詠った詩であることは間違いないようです。

 謝斧さんの今回の詩は、詠い出しが「羲皇」、結びが「甘棠」と、古代の理想的な社会を望みつつ、自身を「疎懶狂」としてどうしようもない怠け者と並べています。
 この当たりの対比が、結論として転句の「多適意」を大きく浮かび上がらせているかと思いますね。



2017. 1. 4                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第375作は 銅脈 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-375

  越辺川静夜        

秋色越辺川水閑   秋色の越辺川 水閑かにして

涼生衰草薜蘿間   涼は生ず 衰草薜蘿の間

微風孤客黄昏月   微風 孤客 黄昏の月

照出波紋与遠山   照らし出す 波紋と遠山とを

          (上平声「十五刪」の押韻)



<解説>

 近所の徒歩5分程度の場所に流れる越辺川という川原に夜立ち、水の音がわずかに聞こえ、橋の上を通る車などが情景に浮かぶ場所ですが、人の往来もなくただ立って涼を取る。
 季節外れですが、夏は灯篭流しなどをする川だったりという川で月を見て何かを感じる。

 これは連盟の詩人から「大江静夜」という題で詩を書いてると夏頃メールをいただいて、それをヒントにいつか書こうという思いで作詩いたしました。

<感想>

 秋の川辺の夜景ということで作られたものですが、結句の「波紋」「遠山」を並べた遠近の効果で、奥行きが生まれていますね。

 「秋色越辺川水閑」と最初に述べていますので、承句の「涼生」は余分な言葉ですね。ここは感覚的な表現は止めて、「風生」と叙景にした方が落ち着くでしょう。

 転句は「微風」「孤客」「月」と名詞が三つ並んでいますが、もう少し「月」に焦点が絞られるような形が、結句への流れも良くなるでしょう。
 「黄昏」の時間帯で「照出」まで行けるかどうか、明るさを出すならば「十三夜月催孤客」のような転句も考えられるでしょうね。



2017. 1. 6                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第376作は 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-376

  花嫁        

春懐眠野菊   春懐 野菊に眠る、

万里見雲霞   万里 雲霞を見る。

旅鞄浜辺駅   旅鞄 浜辺の駅、

嫁装手束花   嫁装 手束の花。

流光山脈碧   流光 山脈碧く、

警笛故郷賖   警笛 故郷賖かなり。

窓映街灯透   窓映 街灯透き、

残夢踏切遮   残夢 踏切遮る。

星空行恋路   星空 恋路を行き、

片符捨生家   片符 生家を捨てる。

写実君微笑   写実 君微笑む、

独乗夜汽車   独り夜汽車に乗って。

          (下平声「六麻」の押韻)



<解説>

 ハシダノリヒコとウイークエンドと言うフォークグループだったと思いますが、「花嫁」という歌の歌詞のパクリです。五言詩に変えただけと言ったところでしょうか。

 駆け落ちをテーマにしているわけですが、幼い頃聞いて以来耳について離れませんでした。
 いつかこの主題で書いてみたいなーとかねがね思っていました。

 芸術表現というのは厳しい現実からの避難場所でなければならないと考えています。
 可能な限り耽美的、賛美的で在らねばならない。
 文学ですから寓話性、ストーリーも大事だと最近思うようになりました。
 社会性やジャーナリズム性も大事かもしれませんが、このスタンスを堅持していきたい。
  行き詰まりも感じてますが。

<感想>

 「花嫁」と言えば、「花嫁は夜汽車に乗って嫁いで行くの」の歌詞、同じバンドの「風」と共に、私の世代では誰もが一度は口ずさんだ曲ですね。
懐かしい思いで詩を読ませていただきました。

 それにしても、あの曲から「駆け落ち」を読み取るとは、今更と笑われるかもしれませんが、私はそんなことを考えずに歌っていました。
 改めて歌詞をなぞって歌ってみましたが、確かに「夜汽車に乗って」「何もかも捨てた」とか「帰れない」という言葉、「花嫁衣装は野菊の花束」と言われると、駆け落ちを連想させる言葉がありますね。

 古詩というよりも排律というイメージでしょうか。
 第八句の「夢」は仄声ですので、ここは確認してください。
 気になったのは、第一句の「春懐」「野菊」の季節の違い。
 もう一点は第十一句の「写実」、これは何を表しているのか難解でした。



2017. 1. 6                  by 桐山人




凌雲さんからお返事をいただきました。

 花嫁の一句
 「春懐眠野菊」を「及春懐野菊」
 「残夢踏切遮」を「浅眠踏切遮」
 「写実君微笑」を「写画君微笑」

にそれぞれ変更したいと思います。

2017. 1.10             by 凌雲























 2016年の投稿詩 第377作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-377

  秋愁        

燕語鶯聲去藝林,   燕語鶯聲 藝林を去り,

鴉飛鵲亂晩蛩吟。   鴉飛鵲亂 晩蛩吟ず。

騷人三萬皆泉下,   騷人三萬 みな泉下にあり,

詩叟殘生如月沈。   詩叟の殘生 月の沈むがごとし。

          (中華新韻平声九文の押韻)



<解説>

 燕語鶯聲:楽しげに鳴く春の鳥の声。女性のおしゃべりをも比喩する。
 鴉飛鵲亂:紛乱たる様子を形容する。

 この作は、「鴉飛鵲亂」という四字成語を詩に詠み込もうということで始め、鳥の連想から「燕語鶯聲」という四字成語を得、
晩蛩吟という句から詩人の吟を連想し、その晩字から落日を思い、沈む三日月を思い、泉下の先人たちを思い、
それらの連想を整えてみたら、結局は暗い詩になってしまいました。
 ただ、「殘生如月沈」という句が得られたのが収穫です。


<感想>

 「秋愁」という題から突然「燕語鶯聲」でびっくり、ひとまず「去藝林」で落ち着きましたが、鮟鱇さんのニヤリとした顔が目に浮かびました。
 負け惜しみを言えば、せめて夏の蝉くらいにしてくれればと思いましたが、そうなると「季節の推移」という話になってしまうことに気づきました。
 「燕語鶯聲」と来ると「時の流れ」となり、後半のスケールの大きさとつながるのでしょうね。

 仰る通り、「殘生如月沈」は心の奥に染み込んでくる句だと思います。



2017. 1. 6                  by 桐山人






















 2016年の投稿詩 第378作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-378

  無端落詩筆        

眼底花容是繆斯,   眼底の花容は是れ繆斯(ミューズ),

化爲妻子勸傾卮。   妻子(つま)となりて卮を傾けよと勸む。

心煩慮亂落詩筆,   心煩慮亂 詩筆を落とせば,

自走紅箋刪贅詞。   自ら紅箋を走りて贅詞を刪る。

          (中華新韻平声十三支の押韻)



<解説>

心煩慮亂:心思煩躁,思緒雑乱す。内心が煩悶焦躁することを形容する。

 この作は、「心煩慮亂」という四字成語を詩に詠み込もうということで始めました。
 何が起きたら私は心煩慮亂となるかとあれこれ考え、もし、ミューズが妻になってくれたら、ということを夢想しました。
 もし本当にそういうことが起きたら、私はきっとあわてふためくし、怖がると思います。
 絶対にありえないと思っている空想が現実になる、それは我を失うことにも通じ、我を失うことは、私には怖いからです。



<感想>

 ミューズは音楽や芸術を司る女神、もしも奥さんだったら・・・と考えてみても、さてちっともイメージが湧いてきません。
考えるだけでも鮟鱇さんは凄い!と変な感心をしました。
 女神が横にいれば詩が上手になれるのか、上手でなければ近寄ることもできないのか、とまで考えて、そうか、女神に近づくために向上すべく努力するということがあるのだと納得しました。
 あまり詩の感想にはなりませんでしたが、楽しく読みました。



2017. 1. 6                  by 桐山人






















 2016年の投稿詩 第379作は 茜峰 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-379

  謝旧友縁        

旧友故郷尋訪嬉   旧友の故郷 尋訪嬉(たの)し

清流果樹想童時   清流 果樹に 童時を想ふ

談諧観楽寸陰若   談諧 観楽 寸陰の若(ごと)し

三十余年縁静思   三十余年の縁 静思す

          (上平声「四支」の押韻)



<解説>

 30余年前からの付き合いの元同僚の郷里に 友人3人と訪れた。
 清流を見 ミカン畑を見 彼女の子供のころを想像すると楽しい。
 次から次へと話題は尽きず あっという間に時は過ぎる。
 30余年来の付き合いを想うと 不思議な縁を感じ 感謝の気持ちでいっぱいだ。



<感想>

 承句の「想童時」は、誰の「童時」なのか、また、「清流」「果樹」では並びが物足りなく、下三字へのつながりが欠けますね。

 きれいな川の流れ、ミカン畑の広がる風景を言うのでしたら、まずはミカンの色合いを出して、「緑黄橘果水光陂」のように景色で句をまとめて、のどかな風景の中に昔の農村の雰囲気があることを示してはどうでしょうね。

 まず、結句は下三字が弱く、「静思」の方が浮かび上がって「縁」が生きて来ません。
 できれば韻字を換えて、「謝好縁」と持ってきた方が良いと思います。

 その関係で起句や承句の下三字を改めるなら、起句は「双杖牽」として「嬉」の感情語を削って一緒に行ったという趣を出せますし、承句は「水光辺」として落ち着くと思いますが、ご検討ください。



2017. 1.10                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第380作は 哲山 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-380

  彷徨        

我誰今何在   

思料尽彷徨   

忘却孰与慮   

月華唯照霜   

          (下平声「七陽」の押韻)



<感想>

 こちらの詩は哲山さんから以前にいただいていて、メールの網の中に隠れてしまっていました。

 読み下しが無いのですが、起句は「我は誰 今何くにか在る」と読むのでしょう。
 自分自身が見えない状況とすると、承句も転句も、その答えが見いだせないことを述べていると解釈できますね。

 結句は何かを暗示していると考えると、明るい方向が見えたことになりますのでまずく、ここは悩んでいる夜中に偶々見えた景色でしょう。
 以前の「残魂」も同じパターンでしたが、転句までの内容とのつながりを得ないと、ただ置いただけという印象で、読者が一生懸命つながりを推測しなくてはならず、なかなか苦しいですね。

 平仄は今回も合っていませんので、古詩の風格のある五言絶句でも、整える必要があります。



2017. 1.10                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第381作も 哲山 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-381

  賽之磧        

一積為親二與朋   

九重石塔鬼来崩   

哀号恋母賽之磧   

知也冥中読経僧   

          (下平声「十蒸」の押韻)



<感想>

 永遠に続く賽の河原の石積み、冥土の紹介ビデオのようにリアルな描写、石を積んでいるのは親よりも先に亡くなった子供だと言われます。

 結句の「冥中」は「冥土」「暗闇の中」どちらにもとれますが、そこで僧が読経しているというのは、哲山さんのどんなイメージが生み出したのでしょうかね。
 何か作詩のきっかけがあったのでしょうが、最後に「僧」が登場して、私は少し救われる明かりを感じました。

 起句の「爲」は「ため」の時は仄字、「なす」で平字、ここは四字目の孤平になっていますので、注意が必要です。



2017. 1.10                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第382作は 酪釜 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-382

  恋詩(壱)菊花茶        

少年探話材   少年 話材を探し

凝視白瓷杯   凝視す 白磁の杯

巡気心身励   気を心身に巡らして励まし

漸湯葉蕾培   湯を葉蕾にそそぎて培ふ

明眸親睦祖   明眸は親睦の祖(おや)

芳茗緩和媒   芳茗は緩和の媒(なかだち)

勿笑顔羞恥   笑ふ勿れ 顔の羞恥を

菊花清逸開   菊花 清逸に開く

          (上平声「十灰」の押韻)



<解説>

  年若い男はマゴマゴと話題を探して
  お茶を濁すように湯飲みを覗きこんでいる。
  深呼吸して臆病を吹き飛ばすしぐさ、
  そしてゆっくりと茶葉に湯がそそがれていく。
  両目をあわせるのは、むつむことの最もはじめであって祖(おや)のようなもの。
  なればこの茶の香りは、茶葉がひらいてくる瞬間に二人の緊張を緩和する仲人のようだ。
  顔をあげたけれども、その満面の羞恥は笑ってはいけない。
  彼の目の前に、清逸な菊花(彼女)が開いたのだから。

 初々しいデートになかなか風情のある細工茶(工芸茶、花茶:コケダマのような茶葉に湯をそそぐと花が開いて茶碗のなかで咲きます)をオーダーされたのを、客観視で一首。

<感想>

 首聯はやや分かりにくいですね。「話題を探して 湯飲みを見つめる」というのは場面としては理解できますが、これでは湯飲みをじっと見つめて話題を見つけようとしているかのようです。
 「探」を「窮」とすれば通じやすくなるでしょう。

 第四句の「漸」は水が徐々に染み込むことを表す字ですので、お茶の葉が湯に浸されていく様子を出したのでしょう。孤平を避けたという点もあるでしょうが。

 頸聯は「明眸」「親睦祖」というのはやや苦しいですが、対句ということで乗り切りましょうか。

 第七句は「顔羞恥」では言葉足らず、「羞面」の二字で「恥じらう顔」となりますので、それを下に置き、三文字を工夫して初々しさが出るようにしてはどうでしょうね。



2017. 1.12                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第383作は 酪釜 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-383

  恋詩(弐)現代後朝        

香粧麗飾有才華   香粧 麗飾 また有るは才華

美服旨肴重貴家   美服 旨肴 重ねてあるは貴家

貧我不持君望品   貧我は持たず 君の望む品

披帷欲贈此朝霞   帷を披き 贈らんと欲す 此の朝霞

          (下平声「六麻」の押韻)



<解説>

  よい香りの化粧品、素晴らしいアクセサリー、とんでもない才能も持っている。
  帰ってしまえば、美しい服も、ごちそうも、りっぱな家だってあなたにはある。
  全てが乏しい僕には、君が望むようなものは持っていないかもしれない。
  だから、カーテンを開いて、一緒に朝焼けを見ることさえできればと思うのだよ。

 恋多き、というか、結婚しない言い訳が多い酪釜でありますが、これはもはや若い頃の張りつめた想いを後から考えると笑えるものだと思って漢詩風にしたものであります。
 「夜景を一緒に」ではなく「朝焼けを」と言ってしまうあたりが下世話なのですけれども、一緒に起きた際に、身支度を整えている相手を見るにつけ、自分は何ができたものか、ただ情けなさに震えてカーテンに手をかけた、という場面でございます。

 ちなみに、本当にその相手にメールで贈った後朝歌がありまして、この漢詩のもとにしたものが下記です。

    持たざるもなき君へたまふ我が胸のまこと燃ゆるを朝焼けに見よ

才女はこれに怨念のこもった返歌をして私をやり込めるのですが、、。

<感想>

 「後朝(きぬぎぬ)歌」の現代版ということですが、うーん、この漢詩を貰ったら私でもちょっと引くかもしれませんね。
 何となくいじけているような、開き直りのような感じがして、まあ、その辺りは世代差でしょうか。
 と言うことで、以下は年寄りのひがみと言われるかもしれませんが、

 前半は「香粧」「麗飾」「才華」「美服」「旨肴」と並んで、これだけ持ち上げておいて「貧我」ですと嫌味に感じます。
 女性の方も経済格差があるのは承知で相手を選んでいるわけですから、そこは問題にしないのがダンディ(これも古いか?)じゃないでしょうか。

 朝明けの美しさを贈るのも良いですが、一緒に居るという共有の時間こそが望まれる贈り物だったのかもしれませんよ。



2017. 1.12                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第384作は 酪釜 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-384

  恋詩(惨)非水晶鞋        

烏鳩街巷臭   烏鳩(つど)ひ 街巷臭し

髪乱不更衣   髪乱し 衣も更へず

靴伐之悲恋   靴伐てば 之れ悲恋

蹴群尚睨暉   群れを蹴り 尚ほ暉を睨む

          (上平声「五微」の押韻)



<解説>

  烏ばかりの路地裏の臭いなかを
  髪を振り乱して服も昨夜のままで。
  靴の音がこだまして悲恋を告げるようなので
  烏どもを蹴り飛ばして、それでも飽きたらず朝日を睨むのです。


 ホテル街の朝、おいてけぼりを食った女性主観の視点で一首。

 魔法の時間をすぎたシンデレラは運命の王子さまに未練を残せない、ということでありましょうか、こうした光景はたまに見受けられます。

 「三千世界の烏を殺し、ぬしと朝寝がしてみたい」とありますが、日本の古習では、烏というのは男女の仲をとりもつ(男女の約束事の証人のような)存在でありますから、女性のほうがカラスを蹴り飛ばそうなんぞというのは、私からするとなかなか粗末なことに見えますが、それだけ世の男性も薄情だということでございましょうか。

<感想>

 何となくテレビドラマで良く目にするような風景ですね。
 ただ、失恋なのか単なる酔っ払いなのか、どちらとも取れるところがありますが。

 起句の「鳩」は狙ったところでしょうが、読みを付けなければ「烏と鳩」としか読んでもらえないでしょうから、苦しいところです。

 承句は「更衣」よりも「調衣」でしょうか、転句も「靴の音が悲恋」というのは無理がありますね。「之」が意味のあまり無い語ですので、別の言葉、例えば「転」などとすると、少し意味が深まるでしょうか。



2017. 1.12                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第385作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-385

  露西亞行        

兵意不義脅鄰国   (邦家)兵意不義にして 鄰国を脅かし

戎馬蹂躙侵禹域   戎馬蹂躙して 禹域を侵す

殘折旌旗亡山河   旌旗殘折して 山河亡び

溢途潰卒戎火熄   途に潰卒は溢れ 戎火熄む

以直報怨魯叟心   直を以って怨に報ゆは魯叟の心

不意慈民厚情深   (隣国)意(おも)はざりき 慈民の厚情深きを

蘇俄執戟背盟約   蘇俄 戟を執りては 盟約に背き

剩掠四島萬虜瘖   剰え四島を掠めては萬虜瘖す

劫後復興平成代   劫後復興す平成の代

鼓腹撃壌遍海内   鼓腹撃壌 海内に遍く

忍見鄰人苦貧窮   忍び見る 鄰人の貧窮に苦しみ

羞忘舊悪舊恩背   羞らくは 舊悪を忘れて舊恩に背くを

蘇俄内乱國威衰   蘇俄内乱して國威衰え

亦看東欧人民飢   亦看るは、東欧の人民飢うるを

欧州妖怪一何苦   欧州の妖怪 一に何ぞ苦き (共産党宣言)

何奈禮忍馬克斯   何奈ぞ 禮忍と馬克斯(レ−ニンとマルクス)

如今日本善鄰保   如今 日本は善鄰を保ち

合敬同愛親交好   合敬同愛して 親交好し

交以利心是商估   交に、利心を以ってするは 是れ商估

商估欲售北四島   商估售んとす北の四島

野老浅薄自笑狂   野老浅薄にして、自ずから狂するを笑ふも

看眼時事獨激昂   眼に時事を看ては獨り激昂す

須休戀戀尚折腰   須らく戀戀として、尚腰を折るを休めよ

絶無憂國一藺郎   絶ちて無し 憂國の一藺郎

豺狼北朔弄狡智   豺狼の北朔狡智を弄し

自繩自縛無信義   自繩自縛して信義なし

暫任世論無欲速   暫くは世論に任せては、速やかならんことを欲し

返還四島亦随意   四島を返還するも亦随意なり



<感想>

 謝斧さんからの今回の詩は旧作とのことですが、ロシアのプーチン大統領の訪日を機に詩囊から取り出されたのでしょうか。

 北方四島返還を首脳会談の議題にするような素振りを見せながら、経済交流の道筋だけをつけようという外交戦術に翻弄され、翌日の新聞には「肩透かし」の文字が空しく載っていましたね。
 「看眼時事獨激昂」という句は、旧作だと言われればますます、かの国のしたたかさを思い知る言葉として生々しく感じるものですね。



2017. 1.16                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第386作は 哲山 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-386

  菩提樹        

独酌厳寒夜   独酌 厳寒の夜

西来樹奈凍   西来の樹 凍るを奈せん

衣蒙立宇下   衣 蒙わんとして 宇下に立てば

白雪落花空   白雪 落花の空

          (上平声「一東」の押韻)



<感想>

 釈迦が菩提樹の下で悟りを開いたということで、お寺に植えられいることが多い菩提樹ですが、「西来樹」という表現からも、隠喩のくらいで、部分があるのでしょうか。
 最近哲山さんの詩には思索深いものが多いので、ついそういう読み方をしてしまいます。

 ただ、あまり寓意にとらわれず、「歳末即事」という内容で日常を描いたとして読んでも、場面として納得できる詩ですね。

 転句は「下三仄」で、気にしない方も居ますが、できれば避けたいところですね。



2017. 1.16                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第387作は 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-387

  師走即時        

冬枯将識趣   冬枯れて将に趣を識るべし、

乾気碧愁深   乾気 碧愁深し。

草路虫声絶   草路 虫声絶え、

逃禅柏落侵   逃禅 柏落侵す。

人生朝露夢   人生 朝露の夢、

胸裏彩虹心   胸裏 採虹の心。

半已悲風足   半ば已んで 悲風足る、

無為蕭条吟   為す無かれ 蕭条と吟ずるを。

          (下平声「十二侵」の押韻)



<感想>

 第一句は「将識趣」ですので「冬枯れの今こそ物の趣が分かる」となるのでしょうが、肝心の「趣」はどこにあるのか、見つかりませんね。書いている途中で忘れられてしまったのでしょうか。

 順番に読んでいっても、途中で難解な語句(例えば、「碧愁」「柏落侵」などはよくわかりません)が出てきたり、「草路」の対に「逃禅」が来て「何の話?どういう展開?」と驚きます。

 頸聯も「人生朝露夢」で、「そうか、(禅の関係で)人生ははかないと嘆いているのかな?」と理解しますと、下句は「胸裏彩虹心」(読み下しは「採虹」ですが「彩虹」でしょう)、これも悩ましい。
 はかない人生だが、心は虹のように美しいと理解するのでしょうかね。
 ただ、それで尾聯につながるかと言うと、またまた逆転があるようで、どうも主題そのものがはっきり伝わってきませんね。

 題名は「即事」のことだろうと思いますが、これも「師走」については第一句に表れたくらいで、後の「乾気」「虫声絶」は弱く、「即事」とは言えませんね。

 今回は凌雲さんの思いが複雑に絡み合って、言葉が走り出たという印象ですね。
 感想が厳しい言い方になったかもしれませんが、全体の流れを再度見ていただいて、読者に主題が伝わりやすいようにしていただくと良いと思います。



2017. 1.19                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第388作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-388

  歳末雜感(一)駅前道路陥没        

道路突然陥没時   道路 突然 陥没の時

行人不在災不知   行人 不在 災を知らず

水面如鏡徑百尺   水面 鏡の如し 径百尺

完全復舊問安危   完全 復旧 安危を問ふ

          (上平声「四支」の押韻)



<解説>

 博多駅前道路陥没事故が発生したのは、十一月八日の早朝であった。
幸いに人身事故はなかったが、周辺地域は多大の被害を蒙った。

 一週間後には、路面復旧工事が完成して、一般交通も再開されたが、問題の地下鉄工事は現在(12/5)に至るまで、再開の見通しが付いていない。
工事関係者にとっては頭の痛い歳末ではある。


    歳末や蟻の一穴定まらず

<感想>

 承句の「行人不在」は「通行人が居なかった」ということでしょうか、「往来無客」とすれば分かりやすくなりますが、起句の「道路」との重複を避けたでしょうか。
 その後の「災不知」は主語が不明瞭で、ここから見ると、「行人」は作者自身が当時博多に居なかったと解するのかもしれませんね。

 後半は明快ですが、「工事の再開」を「復旧」と言えるのか、漢詩とは別の問題で気になりましたが。



2017. 1.19                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第389作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-389

  歳末雜感(二)賭博法採決        

認容賭博世情非   認容 賭博 世情非なり

採決強行心事違   採決 強行 心事違ふ

國會議員何使命   国会 議員の 使命は何ぞ

慨嘆審議十分稀   慨嘆す 審議 十分に稀なるを

          (上平声「五微」の押韻)



<解説>

 一党独裁の功罪を議論するまでもない。
十分な審議が行われないまま採決強行されるようでは国会の存在価値が無い。

 東京都の豊洲問題や五輪会場問題なども、混乱収拾の目途が不鮮明である。

 与党の強引な政治手法が、あらぬ方向に突き進まなければいいが。


    都議会も国会も亦師走なり

<感想>

 多数勢力を得た政権が、この時がチャンスとばかりに自らの政策を実現しようとするのは、心情的には分かりますが、昨年の政治を見ていると「数に驕る」としか見えないことが多かったですね。
 「結党以来、強行採決をしたことは無い」という言葉が、師走の風に空しく舞っていた印象です。

 海の向こうでは次期大統領の重なる暴言(妄言?)、ツィッターで国家の大事をつぶやく手法、ここ数日テレビでは就任式の話題ばかりですが、「選んだのはお前たちだ」という民主主義を逆手に取ったような権力者のおどし文句が聞こえてきそうで、どちらも不安しか感じられない年末から新年でした。

 結句は「議」が重複していますし、「審議不十分」なら分かりますが「十分稀」というのは言葉が矛盾していますね。
 「審議」はそもそも「詳しく(十分に)討議すること」なので、尚更違和感が残るのかもしれません。



2017. 1.19                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第390作は 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-390

  歳晩偶感(一)        

回首徂年康健身   徂く年を回首すれば康健の身

古稀歳晩坐斟醇   古稀の歳晩 坐ろに醇を斟む

吟魂不絶孤灯下   吟魂絶えず 孤灯の下

忘刻悠悠文墨親   刻を忘れ悠悠 文墨を親しむ

          (上平声「十一真」の押韻)



<解説>

 七十歳のこの一年を振り返れば先ずは健康を喜び、歳晩 醇酒を斟む。刻を忘れ詩作に更ける。

<感想>

 健康であること、酒が楽しめること、詩文への情熱が衰えないこと、私は古稀まではまだしばらくありますが、望ましい生活自体は変わらないですね。

 東晋の陶潜に「雜詩」と題された詩が十二首ありますが、その中の「雜詩 其五」には、次のような句があります。

我願不知老   我は願ふ 老いを知らず
親戚共一處   親戚 共に処を一にし
子孫還相保   子孫還た相保つ
觴絃肆朝日   觴と絃とを朝日に肆(なら)べ
樽中酒不燥   樽中 酒 燥(かわ)かず
緩帶盡歡娯   帯を緩めて歓娯を尽くし
起晩眠常早   起くるは晩く眠るは常に早し

 「雜詩 十二首」は、八首が五十歳前後に書かれたとされ、残りの四首は比較的若い頃のものとされます。
 「雜詩 其五」は五十歳の頃の詩で、望ましい生活として、「若々しい気持ちでいて、親戚が近くに居て子や孫も健やかで、酒と音楽を朝から楽しめて、ゆったりと楽しみ早寝遅起き」を列記していますが、納得の内容ですね。

 岳城さんの詩は、起句の「回首徂年」と承句の「歳晩」が同じような内容で、起句の内容が乏しく感じますので、そこだけが物足りないです。




2017. 1.20                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第391作は 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-391

  歳晩偶感(二)        

世上荒忙歳月侵   世上 荒忙 歳月 侵す

老漢老骨鬢邊尋   老漢 老骨 鬢辺を尋ぬ

追求我利人間事   我利を追い求めるは人間の事

持續殘涯奉仕心   残涯 持ち続けん奉仕の心

          (下平声「十二侵」の押韻)


「荒忙」: 忙しい
「老漢」: 我
「人間」: 世の中



<解説>

 慌ただしい世の中 ふと歳をとった自分に気づきます。
 最近 地域のお世話係を拝命 少しでもお役に立てればと思う昨今です。



<感想>

 前半は時の流れの速さと自身の老いを詠い、後半は功利主義の風潮への慨嘆と奉仕の心、この分断した前後をつなぐのが結句の「残涯」の言葉で、詩としてのまとまりを保っていますね。

 年を取ったからこそ出来ること、生まれる心があり、同じ奉仕でも若者のそれとはまた違った角度があるのだと私は思っています。
 頑張って下さい。

 承句の「老漢」は平仄が違いますし、「老漢」「老骨」と重ねる効果も疑問ですので、何か別の言葉を探した方が良いでしょうね。

 転句の「人間事」は確かに「人が住む世界」のことですが、この句の表現では「人間」を外から眺めていて、では「奉仕心」の作者はどこに居るの?という疑問が湧きます。
 「人間裏」くらいが収まりが良いでしょう。



2017. 1.21                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第392作は桐山堂刈谷の 仁山 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-392

  夏日水村        

青靜川面水漫漫   青静たる川面 水漫漫

葦雀囀喉江野寛   葦雀 囀喉 江野寛し

拂曉吟行朝露踏   払暁 吟行 朝露踏む

白頭壽樂晏如安   白頭 寿楽 晏如に安んず

          (上平声「十四寒」の押韻)



<感想>

 こちらの詩は世界漢詩同好會に合わせた講座の課題詩でした。
 総会には間に合いませんでしたが、紹介をしておきましょう。

 起句は平仄が合いませんので、「青青」と重ねておきましょうか。
もしくは、下三字に畳語が出ていますので、ここは避けておくことを考えると、丁度季節を表す言葉がありませんから、「南風」「夏初」など、夏の朝らしい言葉を入れてみましょう。

 承句は下三字の「江野寛」を生かすために広がりを出したいところ、「葦雀囀天(天に囀る)」とすると良いでしょう。

 転句は下三字を挟み平にして、「踏朝露」が語順としては自然です。

 結句は下三字の「晏如安」が意味が重複しており、読みにくいですね。
「晏如」を出したければ句頭に置き、「晏如壽老久盤桓」(晏如たる寿老 久しく盤桓す)とか、「晏如」の代わりに「白頭楽壽喜平安」(白頭寿を楽しみ 平安を喜ぶ)など、色々と工夫できるところですね。



2017. 1.21                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第393作は桐山堂刈谷の T.S さんからの作品です。
 

作品番号 2016-393

  夏日水村        

渓流眼下倚欄干   渓流 眼下 欄干に倚る

散歩崇朝鳥聲歡   散歩 崇朝 鳥声歓ぶ

昨夜温泉嘉會好   昨夜 温泉 嘉会好し

老人遊樂旅程寛   老人の遊楽は旅程寛し

          (上平声「十四寒」の押韻)



<感想>

 こちらの詩は世界漢詩同好會に合わせた講座の課題詩でした。
 総会には間に合いませんでしたが、紹介をしておきましょう。

 これは旅行に行かれた思い出ということですね。

 承句の「崇朝」は「朝早くから食事までの間」ということで、場面によく合っていますね。
 承句の平仄合わせも含めて、少し入れ替えて

   崇朝散歩倚欄干   崇朝散歩して欄干に倚れば
   眼下渓流啼鳥歡   眼下渓流 啼鳥歓ぶ

 こうすると、場面の流れがすっきりするかと思います。

 後半はユーモアも含まれて面白いですね。



2017. 1.21                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第394作は桐山堂刈谷の A.K さんからの作品です。
 

作品番号 2016-394

  夏日水村        

虹収霽景出門看   虹収まり 霽景 門を出でて看る

溽暑蟬鳴水渺漫   溽暑 蝉鳴き 水渺漫

一雨雷聲涼氣足   一雨 雷声 涼気足る

長夏江村心自安   長夏 江村 心自ら安らぐ

          (上平声「十四寒」の押韻)



<感想>

 こちらの詩は世界漢詩同好會に合わせた講座の課題詩でした。
 総会には間に合いませんでしたが、紹介をしておきましょう。

 詩全体を見ると、結局雨が降っているのかやんでいるのか、どちらなのか悩みますね。

 起句は、「門を出る」理由が欲しいので、「虹収天霽」とし、空が晴れたので外に出てみたという感じにしましょう。

 転句は雨が降っては困りますので、「一陣輕風涼氣足」と風だけにしておくのが良いでしょう。

 結句はこのままで良いですね。





2017. 1.21                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第395作は桐山堂刈谷の A.K さんからの作品です。
 

作品番号 2016-395

  秋山風光        

孤村暑退麦秋天   孤村 暑は退く 麦秋の天

山影鮮明群壑連   山影鮮明 群壑連なる

秋風立馬西郊路   秋風 立馬 西郊の路

黄昏細徑雨如煙   黄昏 細径 雨煙の如し

          (下平声「一先」の押韻)



<感想>

 こちらの詩は世界漢詩同好會に合わせた講座の課題詩でした。
 総会には間に合いませんでしたが、紹介をしておきましょう。

 起句の「麦秋」は「麦の実る季節」ということで「初夏」を表す言葉ですので、ここでは使えません。「首秋」「素秋」でしょう。

 承句は「鮮明」では冒韻なのと、結句と合わせると「鮮明」ではおかしいですね。
「遙遙」としておくところでしょうか。

 転句は仄句でないといけません。「秋」の字の重複、「立馬」もよく分からないです。
「路」も結句の「細径」とぶつかりますから「騒客孤往郊外野」でしょうか。

 結句は「雨如煙」ではそれまでの叙述と合いませんので、それこそ初案の「晩鐘傳」を持ってきてはどうですかね。



2017. 1.21                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第396作は桐山堂刈谷の 一兎 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-396

  秋山風光        

一雨涼生方丈前   一雨涼生ず 方丈の前

秋光照處百花鮮   秋光照らす処 百花鮮やかなり

黙坐牀上不如酒   牀上に黙坐すれば酒に如かず

寂寂鐘聲古寺邊   寂寂たる鐘声 古寺の辺り

          (下平声「一先」の押韻)



<感想>

 こちらの詩は世界漢詩同好會に合わせた講座の課題詩でした。
 総会には間に合いませんでしたが、紹介をしておきましょう。

 起句の「方丈前」、承句の「照處」、転句の「牀上」、結句の「古寺邊」と全句に場所を表す言葉が並んでいて、忙しないですね。
 また、「方丈」と「古寺」も変化が乏しく、句に広がりがありません。

 更に、「一雨」の直後に「秋光」はどうか、「百花鮮」も秋に「百花」は似つかわしくありません。

 取りあえず承句を「閑庭楓葉菊花鮮」としておきましょう。

 転句は「坐」が仄声、「牀上」よりも「黙坐」の方が意味が深いので「書窗獨坐」、下三字は「不如」は結論が早すぎますので、「暫愉酒」でしょうか。

 さて、起句に戻って、「方丈前」をどうするかですが、題名に関わらせて「秋暮天」として書き直して、まとめてみましょう。

  一雨涼生秋暮天  一雨涼生ず 秋暮の天
  閑庭楓葉菊花鮮  閑庭の楓葉 菊花やかなり
  書窗黙坐暫愉酒  書窓に独坐して暫し酒を愉しむ
  寂寂鐘聲古寺邊  寂寂たる鐘声 古寺の辺り





2017. 1.31                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第397作も桐山堂刈谷の 一兎 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-397

  夕暮        

美容山後斷雲移   美容の山後 断雲移る

殘暮香臺風洗池   残暮の香台 風池を洗ふ

蟬語偸啼隣舎竹   蝉語 偸啼 隣舎の竹

寂如階序獨爲詩   寂如の階序 独り詩を為す

          (上平声「四支」の押韻)



<感想>

 起句の「美容山」は「美しい姿の山」ですか。「美しい」ではストレートと言うか大雑把ですので、もう少し詳しくしたいですね。本当は地名や山の名が入ると良いですが、「重層」「秀尖」などでもう少し詳しく書いておきましょう。

 転句は「竹」から蝉の声というのはどうでしょう。竹に蝉は停まりますかね?「隣舎樹」の方が無難です。

 結句は「寂如」、転句で蝉の声が聞こえているのに「寂」は気になります。芭蕉の「閑かさや岩に染みいる蝉の声」がありますから、無理というわけではありませんが、転句までの記述で寂しさは無く、事前の導入が無いと苦しいと思います。
「杖翁」と作者を出してから「蕭寂」で何とかつながりますが、全体の流れとしては「老翁寧日」の方がしっとりとした趣が出ますね。

 まとめると、

  重層山後斷雲移   重層たる山後 断雲移る
  殘暮香臺風洗池   残暮の香台 風池を洗ふ
  蟬語偸啼隣舎樹   蝉語 偸啼 隣舎の樹
  老翁寧日獨爲詩   老翁 寧日 独り詩を為す





2017. 1.31                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第398作は 陳興 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-398

  唐代劉眘虚「闕題」中有「道由白雲盡 春與青溪長」之句、余拈「溪」字詠桃花溪        

武陵何處隱清溪、   

飛鳥啁啾烟雨迷。   

落盡桃花山不改、   

讀多詩句我新題。   

還疑瀑布遮桑葚、   

應有人家養鴨鶏。   

記得慇懃洞邊語、   

当時回頸聽猿啼。   

          (上平声「八斉」の押韻)



<感想>

 唐の劉眘虚の詩は次の五言律詩です。(読み下しと訳は 「闕題」

   道由白雲盡,春與青溪長。
   時有落花至,遠隨流水香。
   阮蛹山路,深柳讀書堂。
   幽映毎白日,清輝照衣裳。


 『唐詩三百首』にも載せられている詩ですので、ご覧になった方もいらっしゃるでしょうね。

 陳興さんはこの詩の首聯の十文字「道由白雲盡春與青溪長」を韻に使って詩を作りましょうという提案をブログでなさったようですね。
 詩友の方からの作品も送っていただきましたが、お名前を出す判断ができませんので、鮟鱇さんのブログからいただいて、紹介をしておきましょう。

   雪中尋繆斯    鮟鱇
  詩箋恰似雪原白,  詩箋 恰も雪原の白きに似て,
  遙望落暉紅點額。  遙かに望む落暉 紅く額に點ず。
  曳杖風餐問繆斯,  杖を曳いて風に餐ひ繆斯(ミューズ)を問(たづ)ぬるも,
  迷途露宿無錢陌。  迷途(みち)に迷ふ露宿に錢陌(錢)なし。
  瓊林仙館見華燈,  瓊林の仙館に華燈見え,
  眼底竅門鑲琥珀。  眼底の竅門 琥珀を鑲(象嵌)す。
  致敬花容請短評,  花容に致敬(あいさつ)して短評を請ひ,
  聲高吟詠爲煙客。  聲く吟詠して煙客となる。

 皆さんも挑戦してみてはいかがでしょう。



2017. 1.31                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第399作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2016-399

  歳暮書懷        

一家幸福更何求   一家の幸福 更に何をか求めん

妻子團欒掃萬憂   妻子 団欒 万憂を掃ふ

多謝今年也無事   多謝す 今年 也た事無きを

好賖盛饌以聊酬   好し盛饌を賖って 以て聊か酬いん

          (下平声「十一尤」の押韻)


「賖」: おぎのる、おきのる。掛けで買うこと。

<解説>

 家庭の幸福というもの このうえ何を求めよう
 妻と子どもの団欒に つもる悩みもどこへやら
 息災無事の一年を とっても感謝してるので
 気持ちばかりのお返しに カード払いで御馳走だ


<感想>

 平成28年は観水さんにとって、詩作が充実した一年でしたね。
 若い(漢詩の世界では当分この形容詞がつきますよ)方が実力をつけて、詩作を愉しんでいらっしゃる姿は漢詩のイメージを換える力になると思います。

 私もまだちょっとは「若い」漢詩世代に属するようですので、頑張って行きたいですね。




2017. 1.31                  by 桐山人
























 2016年の投稿詩 第400作は 桐山人 の作品です。
 

作品番号 2016-400

  水村古寺        

堰堤柳樹一条風   堰堤の柳樹 一条の風

鳴盡沙鷗舞半空   鳴き尽くす沙鴎 半空に舞ふ

夕照遲遲縱春景   夕照遅遅として春景を縦(ほしいまま)にす

水村十里遠鐘中   水村十里 遠鐘の中

          (上平声「一東」の押韻)



<解説>

 川沿いの柳をひと筋の風が抜け
 砂に遊ぶ鴎は鳴きながら空に舞う
 夕陽が春景色を独占するようにゆっくりと沈み
 水辺の村一帯を遠くの寺の鐘の音が包む



 平成28年の投稿詩の掲載も、区切りの良い四百首目のこの詩で打ち切り、平成29年に引き継いで行きます。
 今年も色々と皆さんのご協力で、一年間ホームページを恙なく(?)運営できました。

 世界漢詩同好會につきましては、13年間続けてきて、多くの参加をいただけるようになりました。
 すでにご連絡しましたように、一緒に幹事を続けてきた台湾の汨羅江先生、韓国の清溪先生がご高齢ということで各国の参加詩をとりまとめることが厳しいというお話で、次回の総会からは参加者各自で桐山堂に直接送っていただく形にしました。
 両先生のこれまでのご尽力に感謝するとともに、世界漢詩同好會の意義と趣旨を一層発展させていかなくてはと思っています。

 一年間、ありがとうございました。
 引き続き、今後も宜しくお願いします。



2017. 1.31                  by 桐山人