2014年の投稿詩 第241作は 越粒庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-241

  吟友送別        

風露蓮荷上   風露 蓮荷の上

池亭晩刻移   池亭 晩刻移る

送君三復酒   君を送る 三復の酒

傾蓋一言知   傾蓋 一言に知る

          (上平声「四支」の押韻)



<解説>

 昼間のほとぼりが冷めない夕刻でした。
 起句、いったん残暑と入れてみましたが、こちらの方がいいかなと・・。

 蓮に目を付け、「蓋」にこだわってしまいました。
 友は息子さんの家へ行かれました。

<感想>

 味わいのある良い詩ですね。

 起句で悩まれたそうですが、結句の余韻の深さを考えると、「残暑」よりも「晩涼」の趣の方が落ち着きますね。

 転句の「三復酒」に表された送別の名残惜しさ、結句の「一言知」に見える友への信愛の情、どちらも数詞が働いていて、よく伝わってきます。



2014. 8.14                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第242作は 春空 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-242

  閑谷学校        

深山幽谷白雲天   深山 幽谷 白雲の天

楷樹亭亭赤甍鮮   楷樹 亭亭として 赤甍鮮やかなり

貴賤為朋名教舎   貴賤 朋と為る 名教の舎

石屏芳烈至今堅   石屏 芳烈 今に至るも堅し

          (下平声「一先」の押韻)



<解説>

 閑谷学校へ行きました。
 封建時代に庶民の為の学問所があったことに驚きました。

<感想>

 閑谷学校のシンボル、歴史を織り込み、訪問の記録として十分な詩になっていますね。

 起句は閑谷学校の周辺を眺めた実景でしょうから、このままでも良いですが、藩主がこの地を選んだ理由とされる「山水閑静」の語をいただいて「静閑山水」とするのも面白いでしょう。

 「白雲天」はちょっと目線が遠く、承句へのつながりが弱く感じますが、「楷樹亭亭」の背景として置きたいという意図でしょう。

「白雲辺」として学校の存在する場所を語る句にするのも一案、「一望天」「碧空天」なども考えられますね。



2014. 8.16                 by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第243作は 松庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-243

  夏夜偶成        

夕陽已没到衣羅   夕陽已に没して 衣羅に到る

松籟修修涼味多   松籟修修 涼味多し

獨座榻牀無月夜   獨座榻牀 無月の夜

仰看天上溢銀河   天上を仰ぎ看れば 銀河溢れる

          (下平声「五歌」の押韻)



<解説>

 新月の夜、裏山からのそよ風を受けて庭先の縁台に涼む。
 天上を見上げればポーと汽笛を鳴らして銀河列車が走り去った。

<感想>

 起句の「衣羅」は「羅衣」のことですか。それとも「羅を衣るに到る」と読むのでしょうか。
 意味としては多分、「浴衣に着替えて」とか「ステテコ姿になり」という感じでしょうが、この下三字で分かりにくいのが難ですね。

 転句で「獨座」、結句で「仰看」とやはり行為を表す語が続きますので、「到衣羅」は叙景とはっきりわかるような語に換えた方が良いでしょうね。
 あるいは、「松籟修修」「獨座榻牀」を入れ替えて、前半に行為をまとめてしまい、「仰看」を変えて叙景の句にするのも考えられますね。



2014. 8.16                  by 桐山人



松庵さんからお返事をいただきました。

 起句「到衣羅」は漢詩三字語辞典から得たものでしたが、ご指摘の如く、叙景を表す「暑威和」に変えました。

 承句と転句の入れ替えは今回しませんが、先生のおっしゃる、前半を叙景の句、後半を行為の句又は逆にしてみるという意味が勉強出来ました。
 有り難うございました。


2014. 8.23         by 松庵






















 2014年の投稿詩 第244作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-244

  追悼之詞(悼故H先生)        

一年如矢去何之   一年 矢の如く 去りて何れにか之く

君逝茫茫無限悲   君逝きて 茫茫 無限の悲しみ

風雅工房名不朽   風雅 工房の 名は不朽

靈前微志弟兼師   靈前 微に志す 弟 師を兼ぬるを

          (上平声「四支」の押韻)


【弔句】
    土を焼く君は何処へ夏は来ぬ

【自註】

<解説>

 陶芸教室「風雅」のH先生が亡くなられた。
 肺線維症と云う難病で療養中の処、一年ほど御無沙汰している間の訃報である。
 享年六十九歳。御悔みに伺ったら、折りしも初盆の祭壇が設えられていた。

(追悼之詩)      一年の歳月が、矢の如く何処かへ過ぎ去った。
     先生の訃に接し、只々茫然、悲しみは限りない。
     陶芸教室「風雅」の名は朽ちることは無いであろう。
     先生亡き後、生徒としてのささやかなる志を御霊前に捧げる。

(弔 句)      陶芸教室の先生が亡くなられた。春先のことだと言う。
     土を捏ねて色々なものを創り、先生に電気窯で焼いて貰った。
     今は、もう既に、夏も真っ盛りである。

<感想>

 漢詩の方では「去」「之」「逝」と遠ざかる意味の語を繰り返しておられるのですが、俳句では「夏は来ぬ」と言い切ったところに、なるほどと感心しました。
 もちろん、「君は何処へ」の後には「行った」が省略されているのですが、「来ぬ」とすることで「行った」ことが強く暗示され、別れの悲しみが深く伝わってきます。

 漢詩はなかなかこの省略がうまく使えず、ついつい説明オーバーになりやすいところがありますが、兼山さんはその辺りをうまく使い分けようとしていらっしゃるのでしょうね。



2014. 8.16                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第245作は 紫芳 さん、大学生の方の作品です。
 先日、大学で漢詩創作の特別講座を私が行った折にお会いしました。
 3時間の講義が終った後も更に2時間以上、漢詩作りに皆さんが取り組んでいて、「では、さようなら」とは私もなかなか帰るわけにいきませんでしたが、若い方々のエネルギーを少しだけ分けていただきました。

作品番号 2014-245

  銀河        

延蔓闇深訪   延蔓 深い闇が訪れる

星群瞬焜煌   星群は焜煌と瞬く

失君栄祖国   君を失ひ 祖国は栄ゆ

我独仰空望   我は独り 空望を仰ぐ

          (下平声「七陽」の押韻)



<感想>

 五言絶句としての平仄や押韻は整っています。
 起句の「延蔓」は通常は草木がはびこることを言います。しかし、ここでは闇が広がることを表そうとしているのでしょうか。
こうした比喩はなかなか理解されないもので、夜が深まることを表す言葉は他にもありますし、私は「月落」くらいが妥当かと思います。

 承句の下三字は「焜煌と瞬く」とひっくり返っては読めません。「瞬くこと焜煌たり」と読むのでしょうが、「瞬」は余分な言葉になります。
「星群初焜煌」として、「月落」と時間的に対応させるのが良いでしょう。

 転句は何のことなのか、「君」は誰のことなのか、多少の予告が無くては読者はとても付いていけません。
詩の中に入れにくければ、題名に書き添えるくらいの配慮が必要です。

 結句は「我」か「独」のどちらかで十分意味が通じます。
 ただ、転句の内容が分からないだけ、「我」もどうして「仰空望」なのかも分かりませんね。

 気持ちを表現するためには、読者に伝わる描き方をしなくてはいけません。
 結論としての感情だけを書いても、それだけでは「私は悲しい」と言うだけで共感してくれ、と言ってるのと同じで、その悲しみの背景や原因をどう表すかが詩としてのポイントになります。

 この詩は、転句を検討することが取りかかりになるでしょう。



2014. 8.17                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第246作は 紫芳 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-246

  懐古        

過雁同知己   雁が過ぎ 知己と同じくす

楽皆遊詠歌   皆楽しみ 歌を詠み遊ぶ

空虚今憶昔   空虚 今 昔を憶ふ

故里復聞訛   故里 また訛を聞く

          (下平声「五歌」の押韻)



<感想>

 まず題名は「懐古」では遙か遠い時代を思うことですから、「懐昔」くらいが良いでしょう。

 起句は表現がおかしいですね。平仄を合わせるためでしょうが、「雁過」と「過雁」では意味が違います。
この場合は、「通り過ぎた雁が知己と同じだ」となります。
「雁が過ぎる」と読んでも、「雁」に役割というか意図が感じられませんので、「行楽同知己」とすべきです。

 承句は読み下しのようにするなら、「皆楽詠歌遊」となるところ、平仄や押韻合わせで文法無視してはいけません。
上二字を「高吟」とまず変えて、どんな歌を詠ったのかを下三字で書くとよいですね。

 転句は、友人と楽しく時を過ごしているのに「空虚」、気持ち的には「ふと」というくらいの意味かもしれませんが、結局は楽しんでいないという理解になります。それは、前半からはとても納得できません。
「今憶昔」も「今」とすると「ちょうど今、今こそ」と強調する形になり、やはりちぐはぐな印象ですので、この句は検討しなくてはいけませんね。

 結句は石川啄木の「ふるさとのなまり懐かし」の心情ですね。となると、同窓会にでも参加したのでしょうか。
「訛」は標準語に対して「誤った言葉」という意味ですので、私は漢詩ではあまり使いたくない字です。
「郷音」という語を唐の賀知章という詩人が「回郷偶書」という詩で用いていますので、使ってみてはどうですか。
「秋暮聴郷音」などはどうでしょう。当然韻字が変わってきますが、「下平声十二侵」は韻字も多く、承句も直しやすいのではないでしょうか。



2014. 8.17                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第247作は 紫芳 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-247

  訪春     春の訪れ   

微温春風度   微温の春風が度る

夕陽酒伴過   夕陽 酒を伴ひ過ぐ

墨書酬唱楽   墨書 酬唱を楽しみ

月下競吟哦   月下に吟哦を競ふ

          (下平声「五歌」の押韻)



<感想>

 題名は「訪春」でしたら、「春を訪ぬ」となります。「春が来た」ということでしたら、「春到」「春來」が良いでしょう。

 起句は平仄が違っています。二字目の「温」の平仄を間違えたのではないですか。「微暖」とします。

 承句は「二四不同」は良いですが、「二字目の孤平」になっています。五言では二字目が孤平になることは禁忌です。
「夕陽」が「酒を伴い過ぎる」というのも気にはなりますが、ひとまず、「夕陽携酒過(●〇〇●◎)」とします。
「夕陽」を「暮江」「夕村」など場所を表す言葉にすると、すっきりしますね。

 後半は、書を楽しみ、詩のやりとりを楽しみ、更に「吟哦を競う」と来ると、どう見ても「酬唱」が重複してますね。
 転句で吟詠のことを出すのは我慢して、ここは書のことだけに絞って、「刀筆楽」などが良いでしょう。

 読み下しも添えて、推敲案を示しましょう。

    春来
  微暖春風度   微暖 春風度り
  暮村携酒過   暮村 酒を携へて過ぐ
  墨書刀筆楽   墨書 刀筆の楽しみ
  月下競吟哦   月下 吟哦を競ふ




2014. 8.17                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第248作は 芳原 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-248

  感懐寄八旬        

三伏追涼褪葛衣   三伏 涼を追うて葛衣を褪ぐ

風揺檐鐸入柴扉   風は檐鐸を揺りて柴扉に入る

鳴蝉高枕黄粱夢   鳴蝉 高枕 黄粱夢

一瞬八旬千載帰   一瞬 八旬 千載に帰す

          (上平声「五微」の押韻)



<感想>

 起句から転句までは、夏日の感懐としてよく分かる内容になっています。

 ただ、結句の「千載帰」がどうも分かりにくいですね。
 「黄粱夢」からの連想でしょうか、八十歳を迎えた感懐をもう少し具体的な形で聞かせていただけるとありがたいですね。
 この最後の三文字で、何か禅問答のような結末になってしまい、もやもやとした印象です。



2014. 8.22                  by 桐山人



芳原さんからお返事をいただきました。

鈴木先生 今回もありがとうございます。
ご指摘頂いて練り直しました。

少年の頃と老年とは一日の長短に感覚的な違いがあります。
また年の瀬が近づくに連れて一日が早く(短く)なる。
ゾウの時間とネズミの時間はどう違うのか、違わないのか。
時間の長短を分かつものは何か等々
絶句の一行で表現するには私の力の及ぶところではないことを痛感致しました。

今後ともビシビシとご指導下さいます事をお願い申し上げます。

後半2行を下記のように改作致します。

鳴蝉高枕八旬夢   鳴蝉 高枕 八旬の夢
眠幻境迷醒日稀   眠(いね)ては幻境に迷(さまよ)い 醒むること日々に稀なり

「八旬夢」・・・挟み平(旬)が許容されるのかどうか気になるところです。


2014. 8.26        by 芳原


 転句については挟み平ではなく、通常の二六対ですので、問題無いですね。

 結句は「眠ては〇〇、醒めては〇〇」という形にしたかったのでしょうが、回りくどい感じですので、

  幻境久迷醒日稀  幻境に久しく迷ひて 醒日稀なり

としてはいかがでしょうか。

2014. 8.28        by 桐山人






















 2014年の投稿詩 第249作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-249

  閑適        

江村委老倣巣由   江村 老ヲ委ネテ 巣由ニ倣ヒ

欲楽風霜自在流   風霜ノ 自在ニ流ルルヲ楽シマント欲ス

春夏摘菜田圃畔   春夏 菜ヲ摘ム 田圃ノ畔

秋冬煮茗火爐頭   秋冬 茗ヲ煮ル 火爐ノ頭

一樽酔夢是胡蝶   一樽ノ酔夢 是胡蝶

六紀残年非贅肬   六紀ノ残年 贅肬ニ非ズ

日日舒舒無事過   日日 舒舒トシテ 事無ク過グレバ

正知足下有丹丘   正ニ知ル 足下ニ丹丘有リト

          (下平声「十一尤」の押韻)



<解説>

 この拙詩は私の恩師の律詩に次韻したものです。

 「倣巣由」等といえば、また鈴木先生に烏滸がましいと言われそうですが、自分自身を当然ですがそこまでの者とは思っていません。
 ただ何物にも捉われず気儘でありたいとの表現と思ってください。


<感想>

 「巣由」は、古代に堯帝から天下を譲ると言われ、汚れた話を聞いたと潁川で耳を洗った許由(「洗耳」)と、その川の水が汚れたとして去ったという巣父の故事で、高潔な隠者として知られる二人です。
 その二人を「倣」うわけですから、「若」「似」とは趣が違いますね。目標とするということでは良いと思います。
 「自由気儘でありたい」ということを表すのに、誰を理想とするかを考えるのは楽しいですね。

 頸聯は、「夢」「蝴蝶」と来ると荘子が浮かび、「自由気儘」な境地を描いた句だと理解してしまいますが、そこまで言わずに「ふわふわと宙に浮いたような気分」というくらいでしょうか。
 下句の「六紀残年非贅肬」が良い表現ですので、対応する上句が難しいところですが、内容的にはこれまでを振り返っての思いが表れるとまとまりが出るかと思います。



2014. 8.22                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第250作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-250

  八月十五日        

志軍三五務兵屯   三五にして軍を志し兵屯に務む

十死零生為入魂   十死零生の入魂を為す

友散南溟老残裡   友は南溟に散り 老残の裡

干戈語部悼君論   干戈の語部 君を悼んで論ぜん

          (上平声「十三元」の押韻)


「三五」: 三×五=十五。十五歳五か月で海軍に入隊。
「十死・零生」: 特攻精神。
「語部」: 戦争の悲惨さを後世に伝える人。



<解説>

 今年もあの烈日の敗戦の日のこと、昨年は68年ぶりに鹿屋を訪ね鎮魂の旅せり。
 当時を語るべき残存者少なく風化を危惧するのである。

<感想>

 十五歳は「志学」の歳、そこで「志軍」と置いたことで、起句から強い息づかいが伝わってきます。
 読み下しはひっくり返さずに「軍を志し三五 兵屯に務む」としておきましょう。

 転句は「友は南溟に散り(我は)老残の裡」ということですが、友がそのまま主語で下三字にも流れそうな趣もあります。
 「身朽老」「我羸老」のような形の下三字もいかがでしょうか。

 結句は、詩としては何を「語」るのか書いて欲しいところもありますが、「悼君」の言葉には深渓さんの世代の思いが籠められているのでしょうね。




2014. 8.23                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第251作は 澄朗 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-251

  憶戦後六十九年        

六十九年神韻侵   六十九年 神韻 侵し

萬人多恨坐更深   萬人 多恨 更深に坐す

月明天碧在餘瀝   月明 天碧 餘瀝に在し

何處不知無俗心   何の處ぞ知らず 無俗の心

          (下平声「十二侵」の押韻)



<解説>

 鈴木先生今晩は
 今日は終戦69年記念日の式典があり、これからも戦争のない世界でありますように平和を願いたいと思います。

<感想>

 起句の「神韻侵」は題名の通りで考えると、戦後六十九年の間、ずっと「神韻」は侵されてきたとなりますが、何のことを指しているのか、話が大きいだけにもう少し説明が要るでしょう。

 承句の「更深」は「深更」で使われることが多いですが、意味としては同じですね。

 転句の「餘瀝」はまさかお酒を飲んでいるわけではないと思いますので、月の光の比喩でしょうか。

 結句の「無俗心」は「俗心無し」ならば分かりますが、「無俗」とは聞き慣れない言葉です。
 戦争ばかりする愚かな心を「俗心」とするならば何とか理解できますが、それならば「無」がもう少し適切な字に変更できそうです。

 全体に具体性がないため、せっかくの思いが空回りになっているような気がして残念です。



2014. 8.23                  by 桐山人



澄朗さんからお返事と推敲作をいただきました。

 いつもいつも私の拙作の漢詩に対し、丁寧な御指導有り難うございます。

 此の漢詩の作詩過程は戦後69年間を想定し、起句、承句終戦時を転句、結句は今年の8月15日を表現したいと思いました。

 起句・承句は 終戦の玉音がラジオからながれ、次第に敗戦が心にしみこむさまを「神韻侵」の表現にし、萬人は靖国神社方角に向いて深々と首を下げた。
 転句・結句は 今、靖国神社の持つ意味を理解しない現代人が、それでも「無塵無俗心」で参拝している様子を表しましたつもりです。(無塵無俗心は宮崎東名先生の古稀偶感より)


   憂国英雄神韻侵   憂国の英雄 神韻を侵し
   萬人多恨坐更深   萬人 多恨 更深に坐す
   風雲恋恋在餘瀝   風雲 恋恋 餘瀝に在り
   何處不知無俗心   何の処ぞ知らず 無俗の心
























 2014年の投稿詩 第252作は彦根市にお住まいの 岳峰 さん、六十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 お手紙をご紹介します。
 昨年の秋に、鈴木先生の著作「漢詩を創る、漢詩を愉しむ」を手に入れることができ、読ませていただきました。
 高度な内容を平易な著述に変えて解説願っていることに、こころからありがたく感じた次第です。

 私は長年、独学で漢詩の魅力を細々と表してきた者ですが、このたび先生主宰の会があることを知り、かつ、投稿もできる場を設けていただいていることも知り、わが意を得たりとの思いでいっぱいです。
 もちろん、私の漢詩は拙いものと思いますが、投稿により自身の励みになるのでは?と喜んでおります。

 先生が本の標題を、「作る」、「楽しむ」でなく、「創る」、「愉しむ」とされたことに、大きな意義を感じております。
 誠に趣があり深い情感を伴っています。
 及ばずながら私も漸くその気になって挑戦してみましたが、なかなか道は程遠く、我が身の未熟さを改めて痛感させられた次第です。

作品番号 2014-252

  苦吟        

清韻滔滔風雅持   清韻滔滔として 風雅持す

深情無限是吾師   深情限り無き 是吾師なり

寸心漸就催詩興   寸心漸く就りて 詩興を催すも

一句呻吟拙自知   一句に呻吟して 拙きこと自ずから知る

          (上平声「四支」の押韻)



<解説>

 この詩は漢詩を作り始めたころの作品です。

 当時、詩吟を習っていてそこから漢詩に興味を持ち、恩師から作詩の方法も学びましたが、なかなか思うに任せない心情を吐露したものです。
 昭和62年8月の作品で今から27年にもなります。

 その恩師も今はもうおられません。

<感想>

 新しい漢詩の仲間をお迎えして、とても嬉しく思っています。
 今後ともよろしくお願いします。

 漢詩を作り始めた頃の率直なお気持ちが結句に表れていて、私も含めて、共感する方も多いのではないでしょうか。

 27年も前の作品とのこと、大事にされてきたものでしょうね。
 もう私が今頃になって感想を申し上げるものでもないでしょうが、改めて新鮮なお気持ちで見直されても面白いかと思い、若干の参考に書かせていただきます。

 起句と承句に変化があまり無いので、心情の繰り返しという感があり、承句が物足りなく感じます。
 ここに具体的な景物、季節や時間を感じるものが少し入ると、全体がひきしまり、後半の「催詩興」が生きてくると思いました。



2014. 8.28                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第253作も 岳峰 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-253

  凄絶詞(東北大震災)        

分袂波濤水禍悲   袂を分かつ波濤 水禍悲し

安危寸刻奈相思   安危寸刻 思ひを奈んせん

北風吹雪孤灯下   北風雪を吹く 孤灯の下

満目荒涼聞尚疑   満目荒涼 聞いて尚疑ふ

          (上平声「四支」の押韻)

「凄絶」: たとえようもない凄まじいこと。



<解説>

・この詩は震災から6日後の3月17日に作ったものです。

 一瞬のうちに身近な人達が離れ離れのなった津波の恐ろしさは言葉には表せません。
 命が助かった人と亡くなられた人の違いは何だったのでしょうか。
 雪混じりの寒い北風が吹く避難所も、かすかにろうそくの灯りが揺れているだけです。
 かつての街中の風景は微塵もなく消え去り、荒涼とした様はいくら真実だと聞かされても疑うばかりです。



<感想>

 こうして詩を拝見すると、三年前の当時の思いがよみがえって来ます。
 本当に、目を疑うような光景がテレビに映し出され、私は言葉を失っていました。
 津波や原子力発電所の大事故、「想定外」という言葉がこんなに悲惨な意味を持っていることも改めて知りました。

 その後の各地で大規模な自然災害が繰り返し起き、犠牲になられた方にも、また助かった方にも、辛く残酷な災害の姿に胸が痛んでなりません。
 直接の被害を受けなかった地域の人も、心に大きな傷跡をつけて、癒える時が無いことを思います。

 承句の下三字、「奈相思」がちょっと分かりにくいでしょうか。



2014. 8.28                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第254作も 岳峰 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-254

  大津波        

突然烈震警鐘伝   突然の烈震 警鐘伝ふ

千里奥州豈咎天   千里の奥州 豈に天を咎めんや

海嘯須臾風捲雪   海嘯須臾にして 風雪を捲く

長堤無跡転凄然   長堤跡無く 転凄然たり

          (下平声「一先」の押韻)



<解説>

 突然の凄まじい地震が三陸地方を襲い、防災本部からの非常警報が鳴り響いています。
 はるか遠くの東北地方での出来事は、天をも恨みたいほどの大惨事となりました。
 時を経ずして大津波が海岸を襲い、降りしきり吹雪の中で悲惨な状況を呈しているのです。
 頑丈な防潮堤であったはずの堤も無残に打ち砕かれ、津波のエネルギーの凄まじさにただ恐れおののくばかりです。

「津波」は和習と思いますが、いまや国際語になりつつあることから標題としました。
 大震災から二個月半後、5月30日の作です。

<感想>

 この詩は、少し推敲が必要でしょう。

 承句は「四字目の孤平」になっていることと、「豈」は反語として読むと意味が逆になるように思います。
 また、句の内容は津波も含めた大地震全体への感懐と思いますので、この位置で良いのか疑問です。

 転句は「海嘯」「須臾」にどうしたのかを言わずに「風捲雪」と主語を替えてしまいますと、「津波はほんのわずかの時間で、風が雪を巻き込んでいる」となり、津波が軽くなってしまいます。
 「須臾」は地震の後の時間経過を表したのでしょうが、必要があるのかどうか。

 語句の順番を少し入れ替えて、
   突然烈震警鐘伝
   海嘯須臾惟咎天
   無跡長堤風捲雪
   奥州千里転凄然
 のような形で、青字の部分を検討してはどうでしょうか。



2014. 8.28                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第255作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-255

  北遊雑詩        

雄大自然巡北欧   雄大なる自然 北欧を巡る

断崖海頸四囲幽   断崖と海頸 四囲幽なり

天涯飄蕩三千里   天涯の飄蕩 三千里

白夜今宵洗旅愁   白夜 今宵も 旅愁を洗はん

          (下平声「十一尤」の押韻)



<解説>

 7月3日〜13日 北欧4ヶ国(芬蘭・瑞典・諾威・丁抹)を周遊せり。

「海頸」: 海峡・二つの陸地に挟まれた海。
     フィヨルド(氷河に削られた谷が海に沈むことで出来た細長い入り江)のことである。
     高い山絶壁断崖が迫るV字溝状の海である。

「白夜」: 夜12時頃まで明るい。

<感想>

 芬蘭・瑞典・諾威・丁抹は、それぞれ、フィンランド・スエーデン・ノルウェー・デンマークです。

 起句は「自然」を名詞として使っていますが、そうすると上四字と下三字が分離した感が強くなります。
 形容詞だとはっきり分かる言葉を置くと、流れが良くなると思います。
 例えば、「悠然」「荘厳」などでしょうか。



2014. 9. 7                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第256作は 押原 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-256

  夏日雑詠        

炎蒸日午乱峰堆   炎蒸の日午 乱峰堆し

急雨滂沱遶宙雷   急雨滂沱 宙を遶る雷

滌暑呼清何処去   暑を滌ひ清を呼び何れの処にか去る

鳴蝉嘒嘒晩涼催   鳴蝉嘒嘒(けいけい) 晩涼催す

          (上平声「十灰」の押韻)



<解説>

 近頃は狂風雨が主、夕立の風情が懐かしい。

<感想>

 今年の夏は雨が多く、しかも降り出すと激しい雨が続き、降水量の数字に対しての感覚が、少し狂ってきているような気がします。
 水害に遇われた地域の方々の映像をテレビで視る度に、辛い思いで胸が痛みます。

 押原さんの仰るように、昔は夕立や入道雲、雷などは夏の風景として感じられていましたが、昨今はどうも危機感を募らせる代物に変わりつつあり、「風物詩」という言葉が遠いものに感じられます。
 そうした懐かしさが感じられるのが今回の詩ですね。

 転句は「呼清」は「呼涼」ならば通常の表現、結句に「晩涼」を置いたこともあるでしょうが、きっと「空気とか辺りの雰囲気が清々しくなった」というお気持ちでしょうね。
 ただ、「晩涼」との重複感がありますので、王維の「渭城朝雨浥軽塵」のような、何か形のあるもので表現するような方向を検討してはどうでしょう。



2014. 9.11                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第257作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-257

  避暑        

不用揺扇涼味多   扇を揺すを用ひず 涼味多く

緩衣裸袒聴軽波   衣を緩め裸袒して 軽波を聴かん

停舟入夢無何有   舟を停め 夢に無何有に入り

誰羨忘帰張志和   誰か羨まん 帰を忘る張志和を

          (下平声「五歌」の押韻)



<感想>

 思わず涼しくなるような詩ですね。

 湖に船を浮かべてゆったりという夢心地というだけで気持ちよくなります。

 「無可有」は『荘子』の「逍遙篇」に出て来ますね。
 「無用の用」の話で、「樗という木は大きいだけで役に立たず無用だ」と言う恵子に対して、「その樗を無可有の郷に植えてのんびりと寝そべれば良いのに」と荘子が答えた部分です。
 「無可有の郷」とは「何も無い」ということですが、「作為を加えない自然のまま」という意味を含みます。

 「不帰」の言葉は張志和の「漁歌子」という詞から持ってきたわけですが、この詞は「桃花流水」の地に風が吹き雨が降っても、こんな素晴らしい景色の中だから「帰るを須ひず」と結ばれているものです。
 水の上に筵を浮かべて坐ったと言われる張志和の、仙人のような暮らしも羨ましくないと豪語するくらいの快適さ、こちらが謝斧さんを羨ましく思いますね。



2014. 9.17                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第258作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-258

  天仙子・學匠尋死        

當代宣傳媒介網,   當代の宣傳媒介(マスメディア)網,

嫌疑才媛新説妄。   懐疑す 才媛の新説 妄たらんかと。

世人騷擾討眞實,   世人 騷擾して眞實を討(たづ)ぬれば,

有學匠,          學匠あり,

難靜養,          靜養しがたく,

尋死悲懷増慘愴。   死を尋ねて悲しき懷(こころ) ますます慘愴たり。

          (中華新韵十唐仄声の押韻)



<解説>

「學匠」: 偉大な学者。
「尋死」: 自殺すること。

 理研笹井氏の死が傷ましいです。
 笹井氏の心に何が起きていたかは私には知るよしもないのですが、世間をお騒がせしたことへの責任の重圧に耐えかねて、のことのように思えます。
 しかし、世間をお騒がせしたとして、世間は、なぜ騒いだのでしょうか。

 ノーベル賞級の研究、ということで、日本国民の多くが、わがことのように喜んだ時期がありました。
 しかし、それがぬか喜びであり、から騒ぎだったかも知れない、となると、世間はわがことのように落胆し、怒り、大騒ぎとなったように思います。

 日本国民の多くがわがことのように喜んだのでなければ、論文に不備があり、その成果が疑わしい、というだけのことが、大きなニュースとなることはなかった、と思います。
 もちろん、その研究成果をめぐって、学会の内部では熱い議論が交わされることはあったでしょうが、多くの学会の内部での議論がニュースになることは、これまではあまりなかったように思います。

 しかし、不幸なことにそれが、大きなニュースになってしまい、世間が騒いでしまいました。
 そして、世間をお騒がせすることは一死に値する、ということでは決してないのに、笹井氏は自決しました。

 世間とは、日本に独特のもので、曖昧な道義感のもとに、当事者ではない者が自身にはよくわからないことに首を突っ込み、口を出し、当事者であるかのようにふるまい、それによって人の心を傷つけても、誰も咎めを受けない、つまりは、責任の所在が不明で見境のない言論の仕組みだと思いますが、そういう日本の世間が、私にはとても恐ろしいです。

 なお、拙作が用いた天仙子の詞譜は、次のとおりです。

     天仙子・單調34字,六句五仄韻 皇甫松ほか

 △●▲○○●仄,▲△○▲○△仄。△○▲●●○○,△▲仄,▲△仄,▲●▲○○●仄。
  ○:平声。●:仄声。
  △:平声が望ましいが仄声でもよい。▲:仄声が望ましいが平声でもよい。
  仄:仄声の押韻。


<感想>

 笹井氏の自殺については、様々な思いを皆さんも持ったことと思います。

 過剰な熱狂ぶりと、醒めた時の無関心、あるいは攻撃性、色々な事件やニュースがある度に見られる日本の姿ですが、「最近」という言葉で限定してよいかどうか、悩ましいところです。
 もちろん、だからと言って肯定的に考えるわけではありませんが。

 日本有数と言われる科学者の心の中を推し量ることなど私には到底できないことですが、それだけ優れた考え方ができる方だからこそ自殺だけはしないで欲しかったと、私は思いました。



2014. 9.19                  by 桐山人





















 2014年の投稿詩 第259作は桐山堂刈谷の M.O さんからの作品です。
 

作品番号 2014-259

  待春松本城        

天守雄姿國寶皇   天守の雄姿 国宝皇いなり

黒塗樓壁記星霜   黒塗りの楼壁 星霜を記す

城池解凍東風暖   城池 解凍 東風暖なり

紅萼芳梅一朶粧   紅萼の芳梅 一朶粧す

          (下平声「七陽」の押韻)



<感想>

 起句と承句は問題ありません。
 転句の「城池」は説明だけで面白くないですね。どんな池だったのか、が分かると良いのですが。
 ひとまず、「解凍」との関係で「氷池」としてはどうでしょう。

 結句は「芳梅」「一朶」は合いますか?
 「一朶」ではまだ香りは少ないと思いますが。
 「紅萼清香一朶粧」というならば、辻褄が合うと思います。



2014. 9.20                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第260作は桐山堂刈谷の 眞海 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-260

  夏日雜興        

西尾炎蒸若甑中   西尾の炎蒸 甑中の若し

雨余桃李熟天風   雨余の桃李 天風に熟す

求涼北上飛驒路   涼を求めて飛騨路を北上す

歌舞高山徹夜隆   歌舞の高山 夜を徹して驍ネり

          (上平声「一東」の押韻)



<感想>

 起句の「西尾」は尾張西部のことでしょうか。「西尾」という地名がありますし、誤解されやすいですね。
 後半で「飛驒」「高山」と二つ地名が出てきますので、冒頭は「孟夏」「三伏」など、季節を出してはどうですか。

 承句は「雨余」である理由があまり無いですね。逆に、「炎蒸」の感じを弱まらせるように思います。「南園」などの場所を表す言葉が良いでしょうね。

 結句の「歌舞」は盆踊りでしょうか、徹夜の踊りと来ると、郡上八幡の地名が欲しいところ、「郡上舞歌通夜驕vという感じでご検討を。



2014. 9.20                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第261作も桐山堂刈谷の 眞海 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-261

  看梅        

騒客歩東郭   騒客 東郭を歩すれば

無雲暖氣生   雲無く暖気生ず

魁花梅始發   花に魁けて梅始めて発き

春信動詩情   春信 詩情を動かす

          (下平声「八庚」の押韻)



<感想>

 五言絶句は字数が少ない分、どれだけ言葉を選ぶかが難しくなります。
 俳句を作るような気持ちで作詩すると、うまくまとまります。

 起句は「騒客」で作者自身が登場するわけですが、結句の「動詩情」とつながり過ぎで、「騒客だから詩情だね」と納得してしまい、余韻が残りません。
 諧謔の意味でも、ここは「老農」「老杖」としたいですね。

 承句転句は問題ありません。

 結句は「春信」は言わずもがなの言葉で、「暖気」や「魁花」「梅発」で十分です。
スケールを大きくして、「天地動詩情」とか「満目動詩情」などとしてみると、面白い詩になるのではないでしょうか。



2014. 9.20                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第262作は桐山堂刈谷の 勝江 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-262

  納涼        

碧天三伏板橋東   碧天 三伏 板橋の東

柳岸林塘樹影蒙   柳岸 林塘 樹影蒙たり

江水滝滝苔石緑   江水 滝滝 苔石緑

快哉忘暑坐涼風   快哉 暑を忘れ 涼風に坐す

          (上平声「一東」の押韻)



<感想>

 勝江さんのこの詩は推敲作で、初案は以下のような形でした。

   納涼(初案)
 碧天三伏石橋東   碧天 三伏 石橋の東
 柳暗林塘樹影空   柳暗 林塘 樹影空し
 泉石滝滝江上路   泉石 滝滝 江上の路
 深渓忘暑快哉風   深渓 暑を忘る 快哉の風

 私の感想は、全体に場所を表す言葉が多く、説明しようという気持ちが強く出過ぎている印象でした。
 また、その場所も「林塘」「泉」「江上路」から「深渓」まで足を延ばしていますが、結局作者は何処にいるのか分かりにくいので、もう少し整理をして、動きすぎないようにとアドバイスをしました。

 その後にいただいた推敲作ですが、起句の「板橋」よりも初案の「石橋」の方が川沿いの雰囲気を出しますので、戻したいですね。

 起句に「石」を使いましたので、転句は「泉水滝滝古苔緑」として挟み平にしておくところでしょうね。



2014. 9.20                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第263作は桐山堂刈谷の T.K さんからの作品です。
 

作品番号 2014-263

  一宮雙穹塔景        

一三八塔聳天空   一三八塔 天空に聳ゆ

雲上眺望觀不窮   雲上の眺望 観窮まらず

日落燈光浮夜夜   日落つれば灯光 浮かぶこと夜夜

堂堂形態尾濃雄   堂堂の形態 尾濃の雄たり

          (上平声「一東」の押韻)



<感想>

 こちらの詩も推敲作で、初案は以下の通りでした。

   一宮雙穹塔景(初案)
 一三八塔聳天空   一三八塔 天空に聳ゆ
 雲上觀望興不窮   雲上の観望 興窮まらず
 日暮燈檠如翡翠   日暮 燈檠 翡翠の如し
 尾張明旦報曇穹   尾張の明旦 曇穹と報ず

 愛知県の一宮市は木曽川を挟んで岐阜県と接し、人口は約38万人、かつては織物で栄えた街でしたが、私にとっては森春濤の出身地としての気持ちが強いです。
 今回の詩は、この一宮市にある「138ツインアーチタワー」を、同市在住のT.Kさんが詠まれたものです。
 この138ツインアーチタワーは高さ138メートル、「いちのみや」の語呂合わせ(ではない、という声もありますが)で覚えやすい名称ですね。
 日没後はライトアップされ、その色によって翌日の天気を予報するというアイディアも、楽しいですね。

 詳しくは、「木曽三川公園」をご覧ください。

 起句の「一三八塔」が意見の分かれるところかもしれません。知らない人には何のことか、まったく分からないでしょうから、「一宮高(雙)塔」とかにすることも考えられますが、面白さではやはり原案のままが私は好きですね。

 初案は、結句にライトアップによる天気予報のことが書かれているのですが、このことで詩を終らせることには疑問を感じました。ただタワーの説明に過ぎず、だから何なのか、という思いが湧いてくるからです。
 その辺りを検討するようにお願いした結果が、今回の詩です。

 「堂堂」が結びの「雄」と対応していて、良いと思います。
ただ、「堂堂」で姿のことはもう出ていますので、「形態」と更に言うのは間延びしています。
 「堂堂秀麗」「堂堂睥睨」「堂堂秀抜」など、塔の形容を入れると良いでしょうね。



2014. 9.20                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第264作は桐山堂刈谷の 老遊 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-264

  八橋喫茶        

心字清池廻小蹊   心字の清池 小蹊を廻らし

風爐煙颺點茶齊   風爐煙は颺り 点茶斉ふ

古松竹籟泉流曲   古松 竹籟 泉流の曲

一啜虚懷幽鳥啼   一啜 虚懐 幽鳥啼く

          (上平声「八斉」の押韻)



<感想>

 「八橋」は『伊勢物語』の「東下り」で有名な場所です。愛知県の知立市にありますが、講座のある刈谷市のすぐ隣になります。

 昔、男ありけり。
 その男、身を要なきものに思ひなして、京にはあらじ、東の方に住むべき国求めにとて行きけり。
 もとより友とする人一人二人して行きけり。道知れる人もなくて、惑ひ行きけり。

 三河国八橋といふ所に至りぬ。そこを八橋と言ひけるは、水ゆく川のくも手なれば、橋を八つ渡せるによりてなむ八橋と言ひける。
 その沢のほとりの木の陰に下りゐて、乾飯食ひけり。その沢にかきつばた、いとおもしろく咲きたり。それを見て、ある人の言はく、「かきつばたといふ五文字を句の上に据ゑて、旅の心を詠め。」と言ひければ、詠める、

   ら衣つつなれにしましあればるばるきぬるびをしぞ思ふ

 と詠めりければ、みな人、乾飯の上に涙落として、ほとびにけり。        (第九段)
 この地で在原業平が「かきつばた」の歌を詠んだということから、この花が大切にされています。知立市の無量寿寺は、庭の池に「かきつばた」がいっぱい植えられ、毎年、「かきつばた」の花が開く季節には、池の上の八橋を通りながら花を眺める人でいっぱいになります。

 園内では花見客のための茶会も開かれるのですが、今回の老遊さんの詩は、そこを舞台にしたものです。

 「かきつばた」は「いづれあやめかかきつばた」と言われるように「あやめ」と花の姿は似ていますが、水辺に育つのが特徴ですので、詩に詠む時も水は不可欠、逆に花を出さずに水だけで「かきつばた」を感じさせたところが作者の工夫でしょうね。

 詩の流れは、「庭を眺めて、お茶を一服、茶室から周りを眺めていると、静かな中に鳥の声がした」ということでしょう。実際の作者の目の動きを再現したものですが、詩としては、構成を考える必要があります。

 具体的には転句の叙景、これを茶室から見たものと解釈したのはかなり好意的な見方で、普通に読むと、庭・茶席・庭・茶席と交互に場所が変化している印象を受けると思います。
 歩き回って見ていた景色とは異なる、茶席からならではの風景ということならこの構成も有るでしょうが、転句はそこまでの描写をしていませんので、何となくバタバタとした構成に感じます。
 周囲の叙景を前半に置く形で、承句と転句を入れ替えて、

   心字清池廻小蹊  心字の清池 小蹊を廻らし
   古松竹籟水聲齊  古松 竹籟 水聲斉ふ
   風爐煙颺點茶席  風爐煙は颺る 点茶の席
   一啜虚懷幽鳥啼  一啜 虚懐 幽鳥啼く

 とすると、流れが落ち着きますね。



2014. 9.20                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第265作も桐山堂刈谷の 老遊 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-265

  八橋初夏        

點水蜻蜓飛左右   水に点ずる蜻蜓は左右に飛び

穿林蛺蝶儛高低   林を穿つ蛺蝶は高低に儛ふ

泉池築山三尊石   泉池の築山 三尊の石

杜若花開一景齊   杜若の花は開いて 一景斉ふ

          (上平声「八斉」の押韻)



<感想>

 こちらの詩も、同じく八橋でのもの、花を持ってきて、良い絵になっていると思います。
 まさに「一景斉」というのは、その時の素直な感懐だったのでしょうね。

 前半の対句も整い、全体に落ち着いた印象ですが、もう一歩検討するならば、承句の「穿」。これは「穴をあける」わけですので、「蝶」が舞う形容としては、直線的に林の奥の方に飛んでいったという形です。
 「儛高低」と違和感がありますので、別の表現が可能でしたら、差し替えた方が良いのでは、とアドバイスをしましたところ、完成したのが以下の形でした。


   點水蜻蜓飛左右   水に点ずる蜻蜓は左右に飛び
   回林蛺蝶儛高低   林を回る蛺蝶は高低に儛ふ
   泉池築山三尊石   泉池の築山 三尊の石
   杜若花開一景齊   杜若花は開いて 一景斉ふ




2014. 9.20                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第266作も桐山堂刈谷の 老遊 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-266

  散策重原陣屋跡        

魚覺船行沈草岸   魚は船の行くを覚えて 草岸に沈み

鶴驚車轟出松關   鶴は車の轟くに驚きて 松関を出づ

重原陣屋藥硝藏   重原の陣屋 薬硝の蔵

景勝一望扶杖還   景勝一望 杖に扶けられ還る

          (上平声「十五刪」の押韻)



<感想>

 「重原」は刈谷市の地名です。

 前半は現在の姿か過去の姿か、どちらともとれるでしょうが、私は「船」「鶴」から昔の様子かと思いました。ここを対句で描いたのは効果的だと思います。
 ただ、承句の「轟」は平声なので、二四不同が崩れています。同じように音を感じさせる言葉で「軋」が仄声なので、こちらにしておけば良いでしょう。
 川の広さにもよりますが、「船」か「舟」かも、迷うところがあります。

 転句は歴史的なことを説明して、ここだけ見れば問題無いですが、結句で「景勝」とまとめようとすると好景が不足しています。
 前半が叙景だとも言えますが、「魚」「鶴」が頭にあるために、景が細かくなっていて、「一望」というほどのひろがりが無いからです。
 「薬硝蔵」は歴史としては面白いですが、景色としては「蔵」だけで良く、「薬硝」あるいは「蔵」の代わりに何か印象的なことを描いておくと、結句にうまくつながるでしょうね。



2014. 9.20                  by 桐山人



老遊さんから推敲作が届きました。
 起句は、江戸時代に船着き場のあった猿渡川三ツ又付近の風景。
 承句は、県道岡崎線の幹線道路の松林。
 転句は、江戸から明治初年には煙硝蔵が実在していましたが、現在は台地のみで建物はありません。

 以下のように推敲しました。

    魚覺舟行沈草岸
    鳥驚車軋出松關
    軍營藏跡青苔石
    覧古周遊扶杖還


 前半は、「鶴」を「鳥」と替えたのは、何か意図がありましたか。
「魚」と「鳥」ですと、対句として収まりすぎて、あまり面白くないように思います。

 転句は「青苔石」が時間の流れを暗示していて、良いですね。
また、それにつながる形での「覧古」も効果的ですね。


2014. 9.24           by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第267作は桐山堂刈谷の Y.A さんからの作品です。
 

作品番号 2014-267

  早春郊外        

郊原雨後早鶯聲   郊原の雨後 早鶯の声

一面黄華輝映明   一面の黄華 輝映明らかなり

座拝路傍和眼佛   座して拝す 路傍の和眼の佛

春光藹藹忘帰程   春光 藹藹 帰程を忘る

          (下平声「八庚」の押韻)



<感想>

 全体にまとまりがあり、おだやかな雰囲気の出た詩ですね。

 一箇所だけ、転句の「座」が気になります。
 散歩の途中に「坐」、腰を下ろして拝むのでしょうか。
 しゃがんで拝むということで「跪拝」としたら落ち着きます。



2014. 9.20                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第268作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-268

  颱風大雨        

誰喜颱風過雨餘   誰か喜ばん颱風 過雨の餘

人爲有限一心虚   人爲 有限 一心虚し

赤帝何須甘露滴   赤帝 何ぞ須ひん 甘露の滴

奔流土石忽成墟   土石 奔流して 忽ち墟と成る

          (上平声「六魚」の押韻)



<解説>

 「日本のいちばん長い日」を含む盛夏・八月に、大型台風十二号及び十一号が日本列島を襲い、記録的な大量の降雨による災害を齎した。官民一体の人命救助や災害復旧など、人智の及ぶ範囲は知れている。
 殊に、原爆の被災地・広島に於ける大規模な土石流の発生は、何とも皮肉である。
「バックビルディング現象」や「崩落し易い真砂土」が原因などの解説は、この際、無用であろう。

 戦争の犠牲者や原爆の被災者たちは、「一滴の水」を求めながら死んで行った。

   終戦日一滴の水欲しかりき 兼山

<感想>

 広島の水害から一ヶ月が過ぎましたが、まだ避難勧告が出たままの地域も残っているようです。
 雨が甘露にもなれば、土石流にもなるという自然の姿は、以前から知ってはいてもこんなに大きな被害が出ると、辛い思いが募ります。

 海に近ければ津波の心配があり、山に近ければ土石流の心配がある、島国に住んでいれば平地は少なく、海を埋め立てるか山を拓くしか新しい土地は生まれないわけで、見渡せば足元がふらふらと不安定になります。
 自然の災害を避けるのは人為では難しいのでしょうが、何とか犠牲者を出さないように出来ることはないものかと思います。

 兼山さんのこの詩は八月下旬にいただいたもので、災害の直後に作られたものですね。
 お気持ちがどの句にも表れていて、心への衝撃の強さが感じられます。

 句の構成としては、起句はまだ災害とまでは感じさせないので、承句が急ぎ過ぎかなと思います。
 承句と結句を入れ替えるくらいが、読者には伝わりやすくなると思います。

 転句は「赤帝(夏の神様)は、どうして甘露を用いる必要があるだろうか」という意味ですので、「何」を「盍」にした方が私は分かりやすいと思いますが、どうでしょう。



2014. 9.27                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第269作は 松庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-269

  異常気象        

今茲気象雨頻催   今茲の気象 雨頻りに催し

林下蝉吟溽暑開   林下の蝉吟 溽暑を開く

白日炎威如坐甑   白日の炎威 甑に坐すが如し

狂風巻地数声雷   狂風地を巻き 数声の雷

          (上平声「十灰」の押韻)


「今茲」: 今年
「溽暑」: 厳しい暑さ
「甑」: こしき(せいろ)


<解説>

 広島の痛ましい土石流の惨状、今夏の異常気象を記憶にとどめたいと、急ぎ詩を作りました。
被災者の方々に中心よりお見舞い申し上げます。

<感想>

 そうですね、今年の夏は本当に、やたらと雨が多かったと同時に、暑さも例年以上、「極端な天候」という言葉を耳にしましたが、まさにその通り、「極端に過激な天候」と付け足したい程です。

 そういう記憶で詩を拝見すると、それぞれの句では「そうそう、そうだな」と納得するのですが、全体としてはまとまりが無く、  起句で「今茲気象」「雨頻催」と言いながら、次には厳しい暑さが二句、結句も突風と雷、バラバラと並んだ印象です。
 「異常気象」という題ながら、どこを「異常」と言っているのか分からないのが残念です。
 豪雨(水害)と暑さ、どちらかを前半にまとめ、「異常」をより強調する形で整理するのが良いでしょうね。

 



2014. 9.27                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第270作は 亥燧 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-270

  憶広島土砂災害     広島土砂災害に憶ふ   

豪雨裂山奔削堤   豪雨山を裂き 堤を削って奔る

人家悉潰景凄凄   人家悉く潰え 景凄凄たり

安知天譴不条理   安くんぞ知らん 天譴の不条理

弱者何辜消濁泥   弱者 何の辜ありてか濁泥に消えん

          (上平声「八斉」の押韻)



<解説>

 広島ではまだ一人行方不明の方がいるようです。(投稿いただいた九月十日時点)

 日本のあちこちで多発する事故や災害には、自然現象であれ、社会現象であれ、災害を拡大する要因があるはずで、これを取り除かない限りいつまでたっても、「天災は忘れたころにやってくる」と思います。
 「今まで経験したことのない○○」」とか「想定外の○○」とか、「観測史上初めての○○」とか。これで許されるのなら政治や行政はいらない。また、悲惨は繰り返されると思います。
 犠牲者は「そのような場所に住む者」である。福島を見るまでもありません。
 水や空気がただと言って一私企業が自然豊かな海や山を独占してよいわけがない。
 というより、私たちはとんでもないリスクを背負ってしまったのかもしれません。

<感想>

 御嶽山の噴火が、今日はずっとニュースになっていました。
 週末の絶好の行楽日和、大勢の登山客が居て、被害に遭われた方も多いようです。「山小屋に逃げる間もなく噴煙が襲ってきた」という生々しい映像も流れていました。
 事故や災害は予測できない部分があり、日常の生活や様々な活動をする限り、被害をできるだけ最小限に防ぐことを考えなくてはいけないのでしょう。
 同時に、亥燧さんが仰るように、自然災害のリスクを人間がわざわざ高めることは止めて行かなくてはいけないと思いますね。

 前半の具体的な描写が効果的で、転句の感懐や結びの象徴性がしっかりと出ていると思います。
 転句と結句で反語を繰り返すのはくどいと言うか逆効果で、結句は「無辜」と言い切った方が「不条理」という厳しい言葉によく対応するでしょうね。



2014. 9.27                  by 桐山人