2014年の投稿詩 第151作は 玄齋 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-151

  緑陰讀書        

清和堆卷讀書樓   清和 巻を堆くする読書の楼

移榻獨坐詩遣愁   榻を移して独坐し 詩 愁ひを遣る

爲君切切送花信   君が為に切切と花信を送り

茲迎才女共良儔   茲に才女を迎へて良儔を共にせん

          (下平声「十一尤」の押韻)



<解説>

 お久しぶりです。
 初夏の日に、一人の人を想って本を読んで、漢詩を作った情景を詠みました。

 三月末まで入院して、今は療養しながら元気に学んでおります。
 よろしくお願いいたします。

<感想>

 こうしたお若い感覚の詩をいただくと、日頃の自分の心が洗われるようで、何とも嬉しくなります。

 平仄が若干気になりますので、先にそちらを見ておきましょう。
 承句の「獨坐」は「二四不同」が崩れていますので、「坐」を「吟」とでもしておくところでしょう。
 転句は上の二字と中の二字を入れ替えて、「切切爲君送花信」とすれば句意も変わらないので良いですね。

 結句の「共良儔」は「結良儔」とした方が「迎才女」には合うと思います。
 また、この後半の明るい気持ちを生かすためには、承句の「遣愁」は重すぎるように感じますので、別の韻字でここを検討してはいかがでしょう。



2014. 5.27                  by 桐山人



玄齋さんからお返事をいただきました。

こんにちは。佐村(玄齋)です。
添削をありがとうございます。
ご指摘に従い、次のように推敲しました。

  緑陰讀書(推敲作)
 清和堆卷讀書樓   清和 巻を堆くする読書の楼
 移榻獨吟春色悠   榻を移して独り吟じて春色 悠かなり
 切切爲君持花信   切切と君が為に花信を持ちて
 茲迎才女結良儔   茲に才女を迎へて良儔を結ばん

2014. 5.28         by 玄齋






















 2014年の投稿詩 第152作は 上弦采人 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-152

  詣湯島菅公廟        

寒行啓蟄拝天神   寒行(さ)る啓蟄 天神に拝す

梅満陽和不忘春   梅陽和に満ちて 春を忘れず

四面畳楼殫古雅   四面の畳楼 古雅を殫(つ)くす

遺風久在学生頻   遺風久しく在りて 学生頻なり

          (上平声「十一真」の押韻)



<感想>

   起句の「寒行」は「寒さが消えた」ということでしょうが、「寒中の修行」という雰囲気があり、何となく意味が混乱しますね。
 「啓蟄」という言葉も入っていますので、逆に「余寒」「残寒」などが面白いでしょう。

 大学受験も終盤の頃ですが、合格祈願やらお礼やらで賑わっていたのでしょうね。
 結句の「学生頻」が微妙な結びで、菅公廟に若い人が沢山いるという描写をどう感じるかという問題です。
 「日本の未来は明るい」という若者への期待のように取ることもできないわけではありませんが、何か年寄り臭いですよね。
 感情が表れた言葉と言うよりも、映像の一シーン、一つの風景としてとらえる方が一般的でしょう。
 詩の結びが風景ですと、転句の「四面畳楼殫古雅」も単なる寺院の説明となり、全体としてもスナップ写真が並んでいるようになり、主題や作者の心情がぼやけてきます。

 句の順番を入れ替えてみて、例えば(平仄や押韻は別にして)、
<承句と転句のチェンジ>
  寒行啓蟄拝天神
  四面畳楼殫古雅
  梅満陽和不忘春
  遺風久在学生頻

 これで、前半が湯島天神の情景、後半が春を迎えた様子となり、「学生頻」にも感情が入ってきます。

<起句と承句、転句と結句のチェンジ>
  梅満陽和不忘春
  寒行啓蟄拝天神
  遺風久在学生頻
  四面畳楼殫古雅

 こうすれば、全体が風景であっても、湯島天神への畏敬が感じられてきます。

 時間の流れ、場所の移動などを素直に作られていると思いますが、回し続けたビデオを見るのと似たところがあります。どこに感動の中心があるか、それを明瞭にするために編集することも有効な手段です。
 構成を練るという意味での参考にしてください。



2014. 6. 6                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第153作は岡山県浅口市の 春空 さん、六十代の女性の方からの投稿作品です。
 先日の世界漢詩同好會にも作品を出していただきましたが、投稿作品としては初めてですので、ご紹介をしました。

作品番号 2014-153

  梅天閑詠        

秧田挿後財a濛   秧田 挿後 緑濛濛

燕子低飛細雨中   燕子 低飛す 細雨のうち

待友不來心悶悶   友を待てど來らず 心悶悶たり

幽齋靜坐一簾風   幽齋 静かに坐せば 一簾の風

          (上平声「一東」の押韻)



<感想>

 浅口市は四年前に、岡山での国民文化祭の際、漢詩大会の会場になった地でしたね。
 私も大会に参加し、阿藤伯海の旧居を尋ね、広々とした田園の風景を味わってきました。

 起句は田植えの終った緑一面の風景を描いたものですね。場面はよく分かりますが、「挿後」はどうでしょうか。
 ご自身が田植えを終えたということを示す意図かもしれませんが、そうなると、ここで作者の行為を表し、承句は情景、転句からまた作者の行為となり、構成がわかりにくくなります。
 前半は叙景として、この「挿後」も人物は登場しないと考えた方が良く、ならば、「秧田」だけでも田植えのことは十分に伝わっていると思います。
 「秧田水緩」「秧田一面」とか「秧田初夏」でも、素材の情報が膨らむと思います。

 転句の「心悶悶」の心情語は結句の落ち着いた表現から見るとやや強すぎて、違和感があります。「することが無くてひまだ」というくらいで、「餘暇午」(余暇の午、暇午を余す)でしょうか。



2014. 6.10                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第154作は 亥燧 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-154

  春日偶成        

両人相対競鮮妍   両人相対して鮮妍を競ふ

三月初旬送別筵   三月初旬 送別の筵

花束贈呈推不得   花束贈呈 推すを得ず

可憐且美美而賢   可憐且つ美か 美にして賢なるか

          (下平声「一先」の押韻)



<解説>

 数年前に、とても大事にしていた若い記者が松山に転勤することになりました。
 送別会には沢山の人が参加して別れを惜しみました。

 進行役の私は花束贈呈の折、「一番美しい人(女)にお願いしてます」と。ところがもう一人美人が居たのです。(-_-;)。
 ほんとに取り返しのつかないミスでした。冷や汗タラタラ。

 美しいが可愛いのがいいか、それとも賢くて美しい方を撰ぶのか。
 こんなん、生まれて初めてのぜいたくな悩みでした。鈴木先生ならどちらを選ばれますか?

<感想>

 何と言ってコメントしていいものやら、そもそもが「一番美しい」という形容をつけたのが間違いです。
 起句にもあるように、「競鮮妍」ものは、そもそもの花が美しさを見せてくれているわけで、同一基準で判断できないし、優劣を競うのは野暮というもの、「どの花もきれい、美しいものが一杯だ〜!」と眺めているのが幸せだし、そういうシチュエーションにすべきですよね。
 送別会でしたら、女性も二人だけではなかったでしょうから、亥燧さんはきっと、この時は会場中の女性から冷たい視線を浴びたでしょう。

 亥燧さんに同情するとともに、共感もするのは、こういう失言を私もついついしてしまうからです。
 その場で「あ、しまった」と気づいた時も嫌ですが、帰宅してベッドに入った途端にその時の場面がフラッシュバックして、「あ〜〜、あんなこと言っちゃった〜〜」と思い出した時の辛さと恥ずかしさ、「これからは絶対に気をつけよう」とひたすら反省して夜が更けます。
 ところが、しばらくすると、また同じような夜を過ごす事態になってしまうのですね。
 若い頃も今も、いつまで経っても、反省ばかりです。

 さて詩の方ですが、亥燧さんの冷や汗も「他人の不幸は蜜の味」ではありませんが、楽しく拝見できました。

 「三月」「送別」「花束」という連想ゲームのような言葉のつながりから「推不得」への逆転、その「不得」の理由や、書き出しの「両人」の正体が、最後の「可憐且美美而賢」で分かるという謎解きの展開も理解できますし、本文にみなぎる緊張感に対して「春日偶成」という何となくのどかな感じの題名をつけたアンバランスも皮肉っぽい狙い所でしょうね。
 ただ、解説を読まずにどこまで理解できるか、と言われると悩みどころ。
 句の順序を換えて、起句を最後に持ってくるような展開にすると、話が分かりやすくなるかと思います。





2014. 6.10                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第155作は 東山 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-155

  春日訪西海橋        

港口更航還有湾   港口更に航すれば 還た湾あり

春陰揺曳彩雲間   春陰揺曳す 彩雲の間

大渦弄舸水門蟠   大渦舸を弄して 水門に蟠り

花影随風海峡環   花影風に随ひて 海峡を環る

潮汐反流帰閘外   潮汐反流して 閘外へ帰り

紅腰相比碧空班   紅腰相比んで 碧空を班かつ

船中遊子興懷作   船中の遊子は 興懐を作し

橋上行人塵意關   橋上の行人は 塵意を関す

          (上平声「十五刪」の押韻)



<解説>

 佐世保港を更に奥に入ると、針尾瀬戸があり、西海橋が新旧2本並んで架かり、その奥が大村湾です。

<感想>

 雄大な港の景色、船でゆらゆらと眺めながら進むようで、映像が目に浮かぶようですね。

   頷聯と尾聯はすっきりと対句になっていますが、頸聯は「潮汐」「紅腰」の対応や、下三字の語順で、対になるかどうか悩みますね。
 「紅腰」は最初綺麗な女性かと思ったのですが、「碧空班」ですので違いますね、白居易に「翠羽」と対にして使っている詩がありますので、腹の赤い鳥のことと解釈しました。違っていたらご教示ください。

 頷聯と頸聯で聯としての対を狙っているのだと思いますが、頸聯の対句が微妙なために流れが途切れて、だらだらと情景を描写しているような印象です。
 視点を合わせる形で「大渦」「潮汐」を、「花影」「紅腰」を揃える方向で組み直してみるのはどうでしょうか。

 例えば、

   大渦弄舸水門蟠
   潮汐反流西峡環
   花影随風清浪映
   紅腰比翼碧空班

 のような感じでしょうか。

 私の印象では、全対格ならば良いのですが、尾聯まで対句になっているのは落ち着かないです。詳しく調べてないのですが、用例もあまり無いと思います。
 せっかくですので頑張って、首聯も対句にしてみてはどうでしょうね。




2014. 6.11                  by 桐山人



 謝斧さんから感想をいただきました。
 七言律詩の中聯同律は禁忌です。

 唐賢七言律詩三体家法によると、
  七言同律四実 最難飽満易疎弱而前後多不相応
  七言同律四虚 中四句全て虚なれば句が柔弱になります。
  中四句全景物を言い添えて うまうまとつくるのは四五人はすぎなんだほどに
 といってます。

 中四句全景物を言い添えるのであれば 情思を以て貫通することが肝要で、景を以て情をいうのであるといってます。

また、尾聯対杖は拘束され、平板になりやすく最も禁忌です。
 尾聯能開一歩 別運生意結之 然亦有合起意者亦妙 収束或放開一歩 

首聯もおなじです
 若起句対杖 即常為対杖所拘 而顕呆板絆之象

2014. 6.13       by 謝斧


 東山さんからお返事をいただきました。
鈴木先生、お世話になります。

「紅腰」は「虹腰」の入力誤りでした。
 詩語辞典の「はし」の項目で見つけて、針尾瀬戸の2本の「西海橋」が空を区切っているとの意味で使いました。安易に使ったことを反省しています。

 また、謝斧先生のご指導に対しても、厚くお礼申し上げます。
 宜しくお伝え頂ければ幸いです。
 私には難しい事ですが、今後も少しずつ勉強していく所存です。

2014. 6.14       by 東山






















 2014年の投稿詩 第156作は 緑風 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-156

  初夏偶成        

耕田水溢燕翔翺   耕田 水溢れ 燕 翔翺

小雨野畦漫遊遨   小雨の野畦 漫ろに遊遨

煙霧緑林幽寂趣   煙霧の緑林 幽寂の趣あり

薫風爽沢畔蛙騒   薫風爽やか沢畔で蛙騒ぐ

          (下平声「四豪」の押韻)



<解説>

 田圃一面に水が張り巡り、田植えが間近な田園風景を作詩しました。

<感想>

 初夏の田園という趣を出そうと工夫されているのはよく分かります。

 しかし、起句で「燕」、結句で「蛙」と二つ小動物を出していること、ややありきたりですね。

 承句、転句、結句と「小雨野畦」「煙霧緑林」「薫風爽沢畔」と何度も場所を示しているのは、歩き回っている(「遊遨」)ことを示しているのでしょうが、漫然とした印象です。

 「小雨」「煙霧」まではつながりますが、「幽寂趣」から「薫風爽」と急変するのは、時間経過の意図としても、あまりに唐突で別の日の話のようです。

 結句の三字・四字の句切れも読みにくく、読者への意識がもう少し欲しいところです。



2014. 6.12                  by 桐山人



緑風さんからお返事をいただきました。

鈴木先生いつもご指導有難うございます。
ご指導のありました『初夏偶成』、少し内容を検討のうえ推敲しましたので、よろしくお願いします。

  初夏偶成(推敲作)
耕田水溢燕翔翺   耕田 水溢れ 燕 翔翺
小雨野畦漫遊遨   小雨の野畦 漫ろに遊遨
隣接黄雲収穫迫   隣接の黄雲 収穫迫る
樹陰古老話農労   樹陰の古老 農労を話す


2014. 7. 1          by 緑風


 後半だけを見ると、物語風でまとまっていると思います。

 「隣接黄雲」は熟した麦の穂波のことですね。
 前半に登場した「耕田水溢」、つまり田植えを待って水を張った田の横に麦の畑が散在する光景は、私の住む地でもよく見る初夏の光景です。
 ただ、作者の立場で見れば、水田と麦畑は一眼の中に最初から見えていたことで、前半が水田のことだけしか言わず、後半で突然「隣接黄雲」と出てくるのは妙な気がします。
 構成としては、起句で水田ならば承句で麦畑が合うでしょう。

 前回言い忘れましたが、承句の平仄も乱れていますので、句を入れ替えるついでに

耕田水溢燕翔翺   耕田 水溢れ 燕 翔翺
隣接黄雲麦穂高   隣接の黄雲 麦穂高し
小雨野畦閑歩趣   小雨の野畦 閑歩の趣
樹陰古老話農労   樹陰の古老 農労を話す

のような形で推敲されてはどうでしょうか。


2014. 7.14           by 桐山人























 2014年の投稿詩 第157作は 亥燧 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-157

  初夏吟遊雑詩        

落紅村徑梅初熟   落紅村径 梅初めて熟れ

新穀r邊燕學飛   新緑池邊 燕飛ぶを學ぶ

蕗筍蕨薇山譟譟   蕗筍蕨薇 山譟譟として

天恩滿溢送春帰   天恩満溢 春帰を送る

          (上平声「五微」の押韻)



<解説>

 そろそろ梅の季節。
 家内が七折小梅は梅干に、信州小梅はカリカリに、大梅は梅干や梅煮にしてくれます。

 山も賑やかです。
 今年はタケノコが豊作で、船木、垣生、多喜浜産など、あちこちから沢山頂きました。
 信州から蕗、筍が届いて今年は山菜の当たり年です。

 自然のおおいなる恵みに感謝しながら行く春を惜しんでいます。

<感想>

 私も今年はタケノコを沢山いただき、おいしく食べましたが、岐阜の友人は「今年はワラビ(蕨)やゼンマイ(薇)が出てこない」と先日遊びに行った時に残念がっていました。
 地域によって違うんですね。

 起句と承句は対句として前対格の踏み落としですが、「初」「學」は対応が弱いですね。
 子燕が飛ぶことを練習しているという点を残して「梅須熟」「燕習飛」、あるいは「野梅熟」と「雛燕飛」という感じでしょうか。

 転句の「山譟譟」は、山菜がいっぱい顔を出して山はにぎやかだ、ということですね。「譟譟」は「がやがやと騒がしい」ということで、比喩としては、蕨や筍が「今年もよろしく」「雨がもう少し欲しいね」などと会話しているようなニュアンスで、楽しい表現になっていると思います。




2014. 6.13                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第158作は 越粒庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-158

  端午        

燕飛渠水上   燕飛ぶ 渠水の上

倒影白菖妍   影を倒しまにして 白菖妍なり

端午烟村昼   端午 烟村の昼

風停鯉幟眠   風停まり 鯉幟眠る

          (下平声「一先」の押韻)



<解説>

 相変わらずの農村風景です。
 一歩住宅地を離れると田んぼだらけです。  住民の散歩コースですが、例の犬のフン害が・・・

「鯉のぼり だらりと下がり 村昼寝」こんな駄句が過ぎりました。

<感想>

 のんびりとした気持ちで、ついうとうととしてきますね。
 「相変わらず」とのことですが、季節の変化を毎月読み取って詩情を湧かせる、というのは素晴らしいことです。

 遠近感のある光景が思い浮かぶ詩で、結句の「鯉幟眠」に、作者も含め生き物全てが一眠りしているようなのどかさが象徴されていると思います。

 転句の「烟村」は、この情景からは「晴村」が良いでしょうね。
 結句の「風停」は説明として書かれていてあまり面白くなく、「だらりと下がり」を表すような言葉が良いですね。
 「悠悠」とすれば鯉幟の様子、「静閑」とすれば村の様子が出ると思います。



2014. 6.16                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第159作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-159

  昆陽寺        

山陽道頭名刹在   山陽道頭 名刹在り

朱塗山門放光彩   朱塗山門 光彩を放ち

多聞広目能陪侍   多聞 広目 能く陪侍し

飛甍荘厳衝天嵬   飛甍荘厳 天を衝て嵬なり

武庫水東稻野村   武庫水の東 稻野村

行基開基大雄尊   行基基を開いて 大雄を尊ぶ

穿池墾田救鰥寡   池を穿ち田を墾して 鰥寡を救ひ

治癒疱瘡施仏恩   疱瘡を治癒して 仏恩を施す

伝聞   伝え聞く

僧徒修行惡淫比   僧徒修行して 淫比を惡むも

遇遭斃門人欲死   遇々門に斃れて人死なんとするに遭ふ

何事袖手祗看過   僧徒手を袖にして 祗だ看過するのみ

為失梵鐘報如此   為に梵鐘を失ひては報ひ此の如し

野客不信暫欲聴   野客信ぜざるも 暫くは聴かんとす

一笑卻覺此地霊   一笑卻って覚ゆ 此地霊あるを

依然尚有鐘楼在   依然として尚ほ鐘楼の在る有り

世人如何妄説承   世人何事ぞ 妄りに説を承けんや

又聞       

上人行脚湯山道   上人行脚す 湯山道

人療沈痾神湯討   人沈痾を療す 神湯討ぬ

偶逢窮子臥路傍   偶ま窮子に逢って、路傍に臥す

憐人病苦急擁抱   人の病苦を見ては、急ぎ擁抱せん

頻訴身痛泥鮮鱗   窮子意を恣いままにして、鮮鱗を泥り

下山欲求長州濱   下山して求めんと欲っす 長州の濱

更使吸瘍是何者   更に瘍を吸さしめては、是れ何者ぞ

温泉行者現霊身   温泉の行者 霊身を現はす

便奉一巻薬師寺   便ちは一巻を薬師寺に奉じ

遊化少留昆陽地   遊化して、少留す昆陽の地

携彼魚片放清池   彼の魚片を携へて、清池に放てば

忽焉蘇生是仏意   忽焉として蘇生するも、是れ仏意なり

歇来    歇来

建立伽藍弘法周   伽藍を建立して、法を弘めんこと周し

欲傳灯火教行修   灯火を傳へんと欲して、教行を修む

仏門弟子慈恩厚   仏門の弟子 慈恩厚く

如此流伝君信不   此の如き流伝 君信ずるや不や




<感想>

 昆陽寺は兵庫の伊丹市にあるお寺だそうですが、1300年の歴史を持ちますから、歴史や言い伝えも沢山あるのでしょうね。

 書き出しは昆陽寺の紹介で、お寺の様子と由来をまとめたものですね。
 行基上人が、伏屋という病院のような施設を作り、周辺の地を開墾したことから「行基田」と呼ばれるそうですが、そうした事情がよくわかります。

 鐘が消えたという話は『今昔物語集(巻二九)』にも載っているものです。
 概略は

 昆陽寺にある日、八十歳くらいの旅の法師が現れ、「京都まで行くが高齢で疲れてしまったので休ませて欲しい」と頼みました。
 寺のお坊さんは気の毒に思い、鐘楼の下で休ませることにし、鐘でも撞きなさいと言いました。二晩ほど鐘を撞いていましたが、三日目に楼を覗いてみると、既に死んでいました。
 他のお坊さんは「お寺で死人を出すなんて穢れたことだ」とか「もうすぐ祭りがあるから穢れるのは嫌だ」と言って、誰もその死体に触れようともせず、片付ける人もなくて困り果てていました。

 すると、三十歳くらいの武士が二人現れて、
「この辺で老人を見なかったか」
とお坊さんたちに尋ねます。
「おとといから八十くらいの老人が居たが、今朝見たら死んでいた」
と答えると、
「それこそ私たちの父親です。年老いて頑固になり、気にくわないことがあると家を出てしまうことが多くなっていました。今回も方々を探していましたが、死に目に会えなくて悲しいことです」
とさめざめと泣きました。
 お坊さんも同情し、一緒に泣いて見ていました。
「私たちは明石の者だが、この近くには知り合いの下人も多く居るので、父を運んで葬りたいと思います」
と言うので、承諾しました。

 夕方近くになり、四五十人ばかりの男どもがやって来て、死んだ老人を運び出し、十町ほど山奥の松林で夜通し念仏を唱えて葬儀を行っていました。
 運び出す時から夜の葬儀の間、寺のお坊さんは穢れを恐れて誰一人として手伝いどころか見ることもせず、しかも三十日間は誰も鐘楼に近づきもしませんでした。
 その三十日の忌みが明けて鐘楼に行ってみると、何と、鐘が無くなっていました。

 さすがに怪しんだお坊さんたちが葬儀をしていた松林に行ってみると、松の木を燃やして鐘を溶かした欠片が散らばっているだけでした。
 初めから計画的な犯行で、死んだ振りも号泣の演技だったということで、それ以来、この寺には鐘が無いとのことです。

 『今昔物語集』の世俗編はこうした盗人に関する説話が多く載っていて、この話の後には、芥川龍之介の「羅生門」の原典になったとされる、羅城門の上で死体から髪を抜き取っている老婆の説話がありますよ。

 さて、謝斧さんの詩の後半の話は、昆陽池に関する行基上人の伝説です。
 行基上人が道ばたで苦しんでいる老人に声をかけると、
「病気で有馬温泉に行くところだが、苦しくてたまらん。魚を食べさせてくれ」
と言うので、上人は魚を手に入れて半身を食べさせ、残った半身を池に投げると、そのまま魚は泳いで行ってしまったそうです。

 老人を背に負って歩いて行くと、
「体中にかさぶたが出来て、それが膿んでウジがわき、辛くてたまらん。吸い取ってくれ」
と言うので、上人は願いを聞いて、かさぶたを嘗めてあげますと、嘗めたところからだんだんと金色に肌が輝き始め、最後に薬師如来になったということです。

 説話、伝説を織り込むこともそうですが、最後にどうまとめるかというのが作詩の苦労されたところではないかと思います。
 最後の「如此流伝君信不」の手法で、うまく逃げられたような気がしますが、久々に日本の古典を読み返したりして、勉強させていただいた詩でした。



2014. 6.19                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第160作は 銅脈 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-160

  新緑        

新緑落雷夏日長   新緑に落雷す夏は日長し

競争作曲正煌煌   作曲競争は正に煌々

幽棲夢覚人間熱   幽棲に夢から覚むる人間の熱

筆陣改心一草堂   筆陣の改心は一草堂

          (下平声「七陽」の押韻)


<感想>

 音楽と詩作の両方に取り組む銅脈さん、どちらも創作活動だとは言え、気持ちの切り替えが必要でしょうね。
 特に作曲の方は本業ですから、現実の世界と離れられないことも多いでしょうから、漢詩で精神を遊ばせることも意義があると思います。

 少し急いで作られたのか、今回の詩では、起句と結句が「四字目の孤平」になっていますので、そこは直す必要がありますね。
 「落雷」を「雷鳴」、「改心」を「心新」とひとまずは修正しておきましょうか。
 起句で、「新緑」「落雷」は珍しいですが、最近の気象ですと「あり得る」という感じです。
 辺り一面の新緑を眺めていたら季節外れの雷が鳴ったのだな、と理解しますが、ただ、その後の「夏日長」は不釣り合いというか、場面としてのつながりが欠けていますね。  雷が鳴ってどんな気持ちになったのか、辺りはどんな気配に変化したのか、その辺りを描いて欲しいところです。

 承句は「作曲競争」の読み下しは変ですので、「競ひ争ひて曲を作す」としましょうか。
 ただ、これも転句の「夢覚」を見ると、「競争」という言葉に違和感があります。作曲に一生懸命だったのに、「夢」、つまり眠っていたのか、ということで、時間の経過を表す言葉が何か欲しくなりますね。
 後半だけを見ると、まとまりはあると思いますので、銅脈さんのお気持ちが一気に飛び過ぎたというところでしょうか。。



2014. 6.19                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第161作は 亥燧 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-161

  初夏懐郷        

昨夜夢中亡母現   昨夜夢中に亡母現わる

弟兄伴侶肉魚宴   弟兄伴侶 肉魚の宴

呢喃昔日故郷家   呢喃昔日故郷の家

又看今朝梁上燕   又看る今朝梁上の燕

          (去声「十七霰」の押韻)



<解説>

 久し振りに兄弟会をすることになったせいなのか、ついつい夢を見てしまいました。
 子供のころが懐かしくて。兄弟仲良く(ケンカもしましたが)暮らしたことを思い出しました。
 父は船乗りだったので一週間に一度しか帰ってきません。母は内職で着物を縫ってました。
 そうそう、燕ががあばら屋の梁の上に巣を作って、子育て真っ最中でした。

<感想>

 珍しい仄韻の詩ですね。

 各句のつながりが分かりにくく、解説を読んで、何とか理解できた感じです。
 句の大意だけで並べて見ると判然としますが、
(起句) 昨夜の夢で母を見た
(承句) 兄弟会を開いた
(転句) 昔の暮らしをあれこれと話した
(結句) 今朝も燕の巣作りを見た

 つながりがはっきりしているのは承句から転句にかけてだけですね。
 実景と思いとが頭の中で動いて、作者にとっては関連があることでも、読者には「???」となることも多く、丁寧な説明が欲しいものです。
 お母様が夢に現れて「兄弟会を開きなさい」と仰ったのなら一応話としてはつながるかもしれませんが、「久し振りに兄弟会をすることになったせい」というのは作者の思いこみで、伝わりません。
 燕が巣作りをしているのも、昔の故家でも燕の巣があった、という記述が無いと、燕を見たことにどんな暗示が隠されているのか悩んでしまいます。

 七言絶句の中に、「昨夜」「昔日」「今朝」と時を表す言葉が三つも使われているのも混乱の種でしょう。
 これだけの内容でしたら律詩に持って行って、聯単位で内容をまとめると、伝わりやすいと思います。



2014. 6.21                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第162作は 松庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-162

  憶亡父年忌        

自献其身為学研   其の身 自ら献ず 学研の為に

年回廿七詠遺篇   年回二十七 遺篇を詠む

光陰如夢幽明隔   光陰夢の如く 幽明隔つ

慈父温容在眼前   慈父の温容 眼前に在り

          (下平声「一先」の押韻)



<解説>

 名古屋東山平和公園に献体の塔があります。
 献体を決意した時の詩を読み、父を思い起こしました。

<感想>

 起句の読み下しは「自ら其の身を献ずるは学研の爲なり」とした方が良いですね。

 転句の「光陰如夢」は、承句の「年回廿七」に対しての感懐ですので、転句としての役割が弱く感じます。この二句はひとまとまりで前半か後半に置きたいところですね。
 逆に、起句と承句はつながりがわかりません。
 「遺篇」の中に献体の記述があった、ということを籠めているようですが、それは作者にしか分かりません。
 読者はただ、遺稿があったのか、と思うだけで、しかもこの段階では誰の遺稿なのかもわからないわけですので、尚更ですね。
 起句と結句を並べると、「慈父温容」もただ顔が浮かんだというだけでなく、お父様の人柄までも含めて思い出したとなると思います。

 私の感想としては、

  承句〜転句〜起句〜結句

 という順番にして、あとは平仄、押韻を整えることかと思います。



2014. 6.21                  by 桐山人



松庵さんからお返事をいただきました。

ご教示有り難うございました。
一旦出来上がってしまうと、なかなか気がつきません。
ご指摘頂き、納得出来ます。有り難うございます。

この漢詩を作るきっかけは夢からでした。
下記の如く訂正してみました。

昨夢高堂去杳然   昨夢の高堂  去って杳然
光陰如矢幾何年   光陰矢の如し いくばくの年ぞ
其身献体フ医学   其の身献体  医学にささぐ
慈父温容浮眼前   慈父の温容  眼前に浮かぶ

2014. 6.24            by 松庵






















 2014年の投稿詩 第163作は京都市にお住まいの 和光心健 さん、六十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 「桐山堂ホームページへの感想」として
いつも投稿者の皆さんの漢詩を拝読させて頂いていますが、本当に羨ましく思っています。
いざ自分も作詩してみようなどと厚顔にも思って見たものの、自分の思いの漢字が出て来ません。

このようなホームページがあることを知り、うれしく思っています。
ぜひ来年の賀状に漢詩を書いてみたいと、今から勉強致します。

と書いてくださいました。

作品番号 2014-163

  年頭誓願     年頭に誓願す   

昔歳回頭涕涙多   昔歳回頭すれば涕涙多し

辛苦幾度易磋跎   辛苦幾度 磋跎たり易からしむ

桃山御陵明旭日   桃山御陵に旭日明るく

誓願大成望復過   誓願大成復望み過る

          (下平声「五歌」の押韻)



<解説>

 一年を振り返れば悔やまれることばかり、
 辛いことはよくある事で仕方がないと思っている。
 桃山御陵(近くの明治天皇陵)に上って初日の出を拝み
 又今年一年多くの望みをお願いした。

<感想>

 新しい漢詩仲間をお迎えし、とても嬉しく思っています。
 初めての作詩とのことですので、押韻と平仄をまず確認しましょう。

  昔歳回頭涕涙多  ●●〇〇●●◎
  辛苦幾度易磋跎  〇●●●●◎◎
  桃山御陵明旭日  〇〇●〇〇●●
  誓願大成望復過  ●●●〇〇●◎
※〇は平声、●は仄声、◎は韻字

 押韻は大丈夫ですが、平仄については承句と転句が気になります。
 七言句では「二四不同」「二六対」が大切です。

 承句は「二四不同」も「二六対」もどちらも乱れていますし、またこの詩は「仄起式」ですので、「反法」の関係から承句の二字目は平声にならなくてはいけませんので、二字目だけを考えれば良いでしょう。
 「苦辛(●〇)」とひっくり返すか、「辛艱(〇〇)」とすれば良いですね。

 転句は「粘法」で二字目は平声、「山」でこれは良いですが、四字目の「陵」も平声、逆に六字目の「旭」は仄声ですから「二四不同」と「二六対」が乱れています。
 「桃山」を地名として独立させて、「桃山旭日御陵上」としておきますが、「旭日」は別の言葉にしても良いでしょうね。

 承句は「辛いことがいっぱいあって、躓きやすい」という意味でしょうか。
 「磋跎」は「蹉跎」で、読み下しは「辛苦幾度ぞ 蹉跎し易し」としておきましょう。

 結句も読み下しがよく分からないですね。

  「大成の望みを請願し復た過ぐ」
  「大成を請願し 望みて復た過ぐ」

 というところでしょうか。
 「過」の使い方がちょっと違う気がしますので、別の韻字を探してみてはどうでしょう。

 全体の流れから見ると、前半の描写が重すぎて、後半の「年頭請願」という肝心の所まで引きずってしまい、希望や期待が薄っぺらで、厳しく言えば「どうせ駄目だろう」という「やけっぱち」のような印象になります。
 昨年までは辛いことが多かったとしても、この詩を詠んでいるのは正月、新しい気持ちで未来に向かいたいというのが本旨でしょうから、あまり大げさな表現は避けた方が良いでしょうね。

 自分の気持ちを文字で書いていくと、実際の心情と少しずつ離れていくような感じがあります。
 特に漢詩では普段とは異なる表現のため、一層、それが強くなるものです。
 一首ずつ積み重ねていくと、肩の力も抜け、難解な言葉を使わなくても自分ですっと腹に落ちるような句が生まれる時が来ます。
 年賀状までにはまだ時間がありますから、是非、二首目、三首目に挑戦してみてください。



2014. 6.22                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第164作は 虎堂 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-164

  夏至燕來        

雙燕歸還六月天   雙燕 歸り還たる 六月の天

頡頏如競掠門前   頡頏 競ふが如く 門前を掠む

北來南去行不謬   北來南去 行くを謬らず

鳥路迢迢雲外連   鳥路 迢迢として 雲外に連ならむか

          (下平声「一先」の押韻)


「頡頏」: 鳥が、飛び上がり、飛び下りるさま
「迢迢」: 遙か遠いさま



<感想>

 漢詩は古典詩であり陰暦を用いますので、起句の「六月」は陰暦では「五月」です。ただ、この辺が難しいところで、陽暦では「夏至は六月」ですので日常の感覚を生かすなら「六月」のままでも良いとも言えます。
 実感を生かすか、古典の趣を出すか、という判断ですね。

 「帰還」はどちらの字も「かえる」という用法ですが、「還帰」と順序を換えて「還た帰る」と読んだ方が、作者の気持ちが籠められます。

 転句は打ち消しの「不」は仄声ですので「二六対」が壊れています。「無」としておくのが良いでしょう。

 結句については疑問が残ります。
 転句からの連想で結句の表現が出るのは分かりますが、前半で「双燕が帰還し門前を掠める」と言っておいて、「雲外に連なる」ではどこを見ているのかわかりません。
 転句ですでに眼前の景から離れて視点が広がっていますので、更に広がると詩がどこに行ってしまうのか収まりがつかなくなります。
 結句ではもう一度、目の前の夏至の風景に戻すのが、詩としてまとまりを生みます。



2014. 6.22                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第165作は岐阜県の大学生である 紫芳 さん、二十代の女性の方の作品です。
 

作品番号 2014-165

  春暉        

盛開花染色   盛開の花 色を染む

春容折花歸   春容 花を折りて帰る

思君無恙否   君を思ふ 恙無きや否や

我獨浴春暉   我独り 春暉に浴す

          (上平声「五微」の押韻)



<感想>

 紫芳さんは、私の元の職場の先輩が現在教えていらっしゃる大学での、書道のゼミの学生さんです。
 先日先輩にお会いした折に、「学生が独学で作った漢詩があるのだが、見てくれないか」と頼まれて拝見しました。

 漢文法、措辞(用語)ともに、しっかりと勉強していらっしゃり、漢詩の趣が十分に出ている作品ばかりでした。
 若い年代の方が漢詩に取り組んでいらっしゃることを、皆さんにも是非ご紹介したく、ご本人の承諾を得て、ホームページに掲載させてもらいました。
 以下はその折の紫芳さんへの感想に、若干手直しして載せました。
 また、原詩には題名がありませんでしたので、掲載にあたり、桐山人が仮題としてつけさせていただきました。


 さて、詩の方ですが、この詩は後半にやや疑問があります。
「あなたはお元気でしょうか」と転句で出し、結句で「私はひとり春の光りを浴びています」とありますので、本当は二人で春を賞でたいのにあなたは居ない、という切ない心情は伝わってきます。
 ただ、うがった見方をすれば、「(あなたはどうだか知らないが)私だけは春を満喫しています」というように解釈もできます。「我獨」にはそうした限定の意味が強いことと、「浴春暉」は一般には快適な気持ちを表すからです。

 そうした誤解を避けるためには、この「浴春暉」をもう少し寂寥感の強い言葉にする必要があります。
 幸いに承句に使った「歸」の字は、春の景色を眺めるのはひとまず終って家に戻ることを表す言葉ですので、これを結句に持ってくる形が良いでしょう。
 前半を叙景にまとめるという観点から、「浴春暉」と「折花歸」を入れ替える方向です。

  盛開花染色
  春容浴春暉
  思君無恙否
  我獨折花歸

 しかし、承句は「春景色の中、春の光りを浴びる」となって妙ですね。実はもともと「春」の字の重複がおかしかったわけですが、位置が離れていると気がつかないもの、こうして近づけてみると重複感がよく出てきます。
 「極目浴春暉」などが考えられますが、実際に作者が今どこにいるのか分からなくて抽象的な詩になっています。
 「山水浴春暉」とか「芳苑」などとしておくのも良いですね。

 五言の絶句は古詩の風格を持つとされ、平仄などの規則を敢えて破ることもありますので、ひとまずはこれでも漢詩としては成り立ちます。
 しかし、せっかくの詩ですので、近体詩の規則に従ったものにしたいですね。

 ポイントは各句の二字目と四字目の平仄を逆にする「二四不同」、その組み合わせを起句と承句は逆に(反法)、承句と転句は同じに(粘法)、転句と結句はまた逆にする(反法)ということについても勉強しているようですので、それを確認する形で行きましょう。

 とりあえず修正したのが以下の形です。

  盛開花染色
  極目浴春暉
  遙想君無恙
  孤游日暮歸

 承句の「極目」を「山水」などとして川沿いの景だとすれば、「孤帆」とすることもできますよ。



2014. 6.22                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第166作も 紫芳 さんの作品です。
 

作品番号 2014-166

  緑陰        

萬緑陰深地   万緑 陰深きの地

森林遶樹翔   森林の樹を遶りて翔る

高空心地爽   高空 心地爽なり

水涵挿新秧   水は涵す 新秧を挿す

          (下平声「七陽」の押韻)



<感想>

 承句の「森林遶樹」を「森林の樹を遶る」とは読めません。「森林(が)樹を遶りて翔る」となり、「翔」の主語がおかしいですね。
 「清風遶樹翔」で落ち着きますが、作者のイメージと異なるようでしたら、他の言葉を考えても良いですね。

 転句は「高空」だけでは「心地爽」へのつながりが弱く、「晴空」「青天」と感情が少し入った言葉にすべきです。
 ただ、「心地爽」はストレートな表現ですが、あまり感情語を入れるのは詩的ではなく、「心地爽」なことを叙景で感じさせるのが重要です。この詩では前半でかなり描かれていますので、わざわざ言う必要があるかどうかを考えてみましょう。

 結句の農作業の場面は「森林」から急に画面が移動しますので、少し導入が欲しいところですので、それを入れるような工夫が良いでしょう。
「晴空田水緩」という感じでしょうか。
 結句は二字目の「涵」も四字目の「新」も平声なので「二四不同」が崩れています。
 ここは二字目を仄声にすべきですので、「涵」を検討することになりますが、転句の流れから行くと、「村叟」「野老」を上二字に置くと「挿新秧」とつながるでしょう。



2014. 6.22                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第167作も 紫芳 さんの作品です。
 

作品番号 2014-167

  秋色        

夕暮断雲赤   夕暮 断雲赤く

登天月色秋   天に登る 月は秋の色

聞黄驚節序   聞黄に節序に驚く

消破笛聲愁   消破 笛声に愁ふ

          (下平声「十一尤」の押韻)



<感想>

 承句で「月色秋」を「月は秋の色」とは戻れません。
 返り点で戻れるのは、日本語と文法構造が異なる漢文を日本語化する場合で、「秋の色」はあくまでも「秋色」としか書けません。
 あまり表現がきれいではありませんが、「月色は秋」と読み下すことになります。

 キンモクセイは仰る通りで、律儀に決まった時期になると芳香を街中に漂わせてくれますね。
 それぞれの句は趣がある内容になっていますが、では作者はどこに心惹かれているのか、というと漠然としてきます。
 空の雲を見て、月を見て、キンモクセイの香りを嗅いで笛の音を聞く、五感をフル活用していますから、これはこれで贅沢なひとときを味わう詩とも言えます。
 しかし、フルコースが常に読者の共感を呼ぶかと言うと、私は疑問だと思います。

 夕暮れの空の美しさ一つだけでも十分に詩の主題になるのであり、そこに月が加わるか、花の香りが加わるか、そのくらいが適当で、一つ一つの素材を丹念に描くことも面白いものです。



2014. 6.22                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第168作も 紫芳 さんの作品です。
 

作品番号 2014-168

  憶朋友        

白柳蜀魂叫   白柳 蜀魂叫び

流雲任風波   流れる雲は風の波に任す

離群雖異路   群を離れ路を異にすと雖も

朋友竟如何   朋友の竟に如何

          (下平声「五歌」の押韻)



<感想>

 ほととぎすの異名の「蜀魂」を用いたのは「望郷」のイメージを出したのでしょうね。
 そうなると、「離群」は故郷を離れたこと、「流雲」は作者自身、あるいは遠くへ去った友を表していると考えられます。
 ただ、それは「蜀魂」の故事が分かる人でないと不可能ですので、さてどうでしょうね。

「蜀魂」「流雲」「離群」などが暗喩として使われているとなると、「白柳」はどんな意図があるのか、これは私には読み取れませんでした。

 承句の「二四不同」をどう解消するかですが、「片雲風裏過(片雲風裏に過ぐ)」というところでしょうか。

 結句の「如何」は手段方法を尋ねる言葉で「どうしよう」、似ていますが「何如」は状態を尋ねる言葉で「どうなのか」。
 ここは「何如」の意味ではないかと思いますが、どうでしょう。
 ここを「何如」とすると韻目が違ってきますので、再検討になりますね。



2014. 6.22                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第169作は 桃羊野人 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-169

  緑陰偶吟        

風鐸丁東情自存   風鐸丁東(ちんとん) 情自ずから存す

何為都門我無縁   何為(なんす)れぞ 都門 我に縁無き

山堂午睡不成夢   山堂 午睡 夢を成さず

雨後新蝉夏木繁   雨後 新蝉 夏木繁し

          (上平声「十三元」の押韻)



<感想>

 緑陰での一時も様々な思いが駆けめぐるようですね。
 承句で、これまでの充たされなかった想いを出し、転句でそれを引きずって「午睡」でも眠ることが出来ないことを出しましたので、結句の「雨後新蝉夏木繁」は季節の移り変わりだけではなく、人生の時の流れも描いているのでしょうね。

 ただ、そこまで詩を重くしなくても、例えば起句と結句を入れ替えて、「風鐸丁東情自存」で終わると、少し軽みが出るように想います。



2014. 6.26                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第170作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-170

  甲午花茨忌(故白石悌三君十六回忌)        

文究悌譽題院號   文究 悌譽 院號に題す

碑銘自撰句行春   碑銘 自ら撰す 行く春やの句

著書論考何須數   著書 論考 何ぞ數ふるを須ひんや

不許追隨第一人   追隨 許さず 第一の人

          (上平声「十一真」の押韻)


<解説>

 今年も又「花茨忌」を迎える。十六回忌である。十五年と言う歳月は故人との交友期間(五十年)の三割に相当する。
 或いは「馬齢を重ねた」と言うべきか。

 恒例となった漢詩「花茨忌」、及び獨吟歌仙「花茨」の奉納を今更中止する理由も無い。

 今年は故人の法名「文究院悌譽學道居士」、及び生前に故人が碑文に刻した芭蕉の句「行く春や鳥啼き魚の目は涙」を想起しながら作詩した。
 また獨吟歌仙の発句には、「日本百名峠」にも収録されている故人の名紀行文「岳滅鬼峠」を選んだ。


獨吟歌仙 花茨(第十四の巻)

(発句)嶽滅鬼峠の記憶花いばら
  白石悌三「十名峠」(岳滅鬼峠、山刀伐峠他)
  井出孫一編「日本百名峠」(昭和五十八年刊)

(脇句)木の暗隠り藪漕ぎルート
  「かの岳滅鬼は、人間どもがそのどてっぱらを穿った報いに峠まで手を廻して茨を絡め、
  古来からの道を滅却してしまった」(「岳滅鬼峠」の一節より)

(第三)彼是と温泉土産決めかねて
  英彦山温泉の代表的な土産は英彦山ガラガラ

(第四)凡てお任せインターネット
  Eメール及びウェブサイトなどIT万能時代

(月座)お寶は見返り美人月に雁
  切手趣味週間記念切手(1948年・1949年発行)

(挙句)秋風快晴世界の遺産
  世界文化遺産登録「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」

  北斎画「富嶽三十六景・凱風快晴」、日本を象徴する国内最高峰の富士山(3776m)がユネスコの世界文化遺産に登録された。
  正式名称は「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」。日本の世界遺産はこれで17件となった。


<感想>

 今年も「花茨忌」の詩を拝見でき、故人への友情の深さがよく伝わってくる詩だと思いました。

 「文究悌譽」は「学問を究めて立派な業績を残した」という意味でしょうね。
 ただ、これは故人が付けたものではないでしょうから、「題」はどうでしょう。「称」の方がすっきりすると思います。

 承句の「句行春」を「行く春の句」と読むのはいかにも苦しく、「自ら撰せし句は行く春」と訓じておくのでしょうか。
 できれば「行春句」として起句や転句に置いた方が落ち着きますね。
 あるいは、「碑銘撰句是行春」でしょうか。

 転句までの三句は、内容的にはどう入れ替えても通用することで、漢詩としては変化に乏しい感はありますが、追悼の詩としては思いを深める効果があると思えます。

 歌仙の脇句の「木の暗隠り」は、すみません、どう読むのですか?



2014. 6.26                  by 桐山人



兼山さんからお返事をいただきました。

 拙詩「甲午花茨忌」に対する御丁寧な感想を賜り、誠に有難く感謝申しげます。

 花茨忌当日には、起句及び承句を、添削して戴いた趣旨に添うて修正の上、献吟・奉納させて戴きます。

「題院号」→「稱院号」、「自撰句行春」→「撰句是行春」

【補注】
 木の暗隠り(このくれがくり)は季語で、夏木立の鬱蒼と茂って昼なお暗いさまです。

 用例として

 田辺福麻呂「寧樂の故郷を悲しびて作る歌一首」

  奈良の都は陽炎の 春にしなれば春日山 御笠の野辺に桜花 木の暗隠り貌鳥は 間なくしば鳴く(万葉集・6-1047)

2013. 7. 3            by 兼山






















 2014年の投稿詩 第171作は 玄齋 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-171

  三月十一日即事        

扶桑災禍已三年   扶桑の災禍 已に三年

萬戸窮愁猶眼前   万戸の窮愁 猶ほ眼前のごとし

國士孜孜論對策   国士 孜孜として対策を論じ

詩人寂寂寄吟箋   詩人 寂寂と吟箋を寄す

再迎芳事歸心切   再び芳事を迎へて帰心切に

幾憶往時郷信傳   幾たびも往時を憶ひて郷信伝はる

復缺一人何日會   復た一人を欠いて何れの日にか会せん

獨懷遺影祈安眠   独り遺影を懐ひて安眠を祈る

          (下平声「一先」の押韻)



<解説>

日本に災害が起きてすでに三年が経ちました。
多くの家が苦しみなやむ様子は、今も目の前にあるようです。

国じゅうのすぐれた人たちが勤め励んで様々な方策を論じて、
病人の私はさびしく詩を書いた手紙を送っていました。

再びお花見の時期がやってきて、故郷に帰りたいという気持ちが高まり、
何度も過ぎ去った昔のことを思っていると、郷里からの便りがやってきました。

また一人が亡くなってしまい、いつになったら皆と再び会えるのでしょうか。
一人で亡くなった人の写真を思って、安らかに眠っているようにと祈っていました。

「扶桑」: 東の日の出る辺りの海中にあるという神木の名で、その神木のある土地である日本の別名でもあります。
「国士」: 国じゅうで第一級のすぐれた人物のことです。
「孜孜」: おこたらずにつとめるさまを指します。
「遺影」: 死んだ人の写真や肖像画です(これは日本語ですが、漢詩の言葉にも出てくることを確認しました)


 今年の入院中に作った漢詩で、今年の東日本大震災の漢詩の投稿です。

 震災から三年経ち、避難先で亡くなる方や、重い病気になって、帰るとかかる病院がないために帰れない、そんな悲劇も見聞きすることがあります。
 私も長い療養生活の中で、そういう部分は、もし自分の身にあればとても悲しいだろうなと思いました。

 引き続き療養しながら、私なりに震災をどのようにとらえていくか、そんなところにも思いを巡らせながら、さらに学んでいこうと改めて思いました。

<感想>

 長い療養を送っていらっしゃる玄齋さんだからこその思いもあるでしょう。
 慌ただしい日常の中で、震災も遠く感じるようになりました。

 その遠く感じることが良いのか、悪いのか、「最後は金目だよ」と嘯いた大臣にとっては、もう遠い出来事という感覚しかないのかもしれません。
地元に戻りたくても戻れない方々、悲しみを胸の中に隠して日々を送る方々、早く忘れたいという思いと忘れたくない、忘れてはいけないという思いは交錯するもので、人のそうした複雑な心への共感を持てるかどうかが大切なのだと私は思います。

 玄齋さんのこの詩や、次の亥燧さんの作品で改めて振り返らせてもらいました。

 四句目と七句目に「人」が重複している点の修正と、五句目の「芳事」は「芳節」「芳季」の方が良いと思います。



2014. 6.30                  by 桐山人



玄齋さんからお返事をいただきました。

玄齋です。

ご指導ありがとうございます。
ご指摘に従い、改めて次のように推敲いたしました。

  三月十一日即事  
扶桑災禍已三年   扶桑の災禍 已に三年
萬戸窮愁猶眼前   万戸の窮愁 猶ほ眼前のごとし
國士孜孜論對策   国士 孜孜として対策を論じ
詩家寂寂寄吟箋   詩家 寂寂と吟箋を寄す
再迎芳節歸心切   再び芳節を迎へて帰心切に
幾憶往時郷信傳   幾たびも往時を憶ひて郷信伝はる
復缺一人何日會   復た一人を欠いて何れの日にか会せん
獨懷遺影祈安全   独り遺影を懐ひて安全を祈る

私も、被災地の方々の複雑な気持ちのありようを、少しでも私なりに察していければいいなと思います。
改めて宜しくお願いいたします。


2014. 7. 6           by 玄齋






















 2014年の投稿詩 第172作は 亥燧 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-172

  憶福島 其の五        

茅庵梁上楽団欒   茅庵梁上 団欒楽しむ

燕子帰郷生誕辰   燕子帰郷 生誕のとき

虚実未明福島怪   虚実未だ明らかならず 福島の怪

一家離散断蓬民   一家離散 断蓬の民

          (上平声「十四寒」・「十一真」通韻」の押韻)



<解説>

 今年もツバメが帰ってきました。あばら屋に巣を作り、ヒナがうるさく餌を求めています。
他方、福島では事故から3年3か月、39か月目の月命日です。
 新聞やテレビでは復興の話ばっかしです。
 今なお帰れない人が沢山いるというのに。

<感想>

 燕が今年も戻ってきて巣を作り、雛を育てている姿との対比として、離れて暮らす被災者の方々を思い浮かべるのは良く分かります。
 花や鳥が季節を忘れないことは、平穏な日々の中では微笑ましい気持ちで眺めることもできるでしょうが、その生活が壊されてしまった中では悲しみに変わるのだろうと思います。

 前半と結句の橋渡しをする転句ですが、「虚実未明福島怪」はやや乱暴でしょうね。
 東電にしろ官邸にしろ「虚実未明」なことはまだ山ほど有るようですが、真相やら責任の解明ばかりが議論になる現状を「福島怪」と表したのかと思いますが、「怪」では興味や好奇心のニュアンスが出て、句が軽くなっていくように感じます。
 いまだに家族が離ればなれになって故郷に戻ることができない現実は「怪」とは異なる心の動き方だと思います。
 「福島怪」は下三仄にもなっていますので、惨禍から三年経ったという意味合いの句に直すのが良いでしょうね。

 



2014. 6.30                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第173作は 東山 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-173

  甲午春季釋菜献詩        

庠舎廟堂丘壑儷   庠舎廟堂 丘壑に儷(なら)び

櫻花楷樹比春天   桜花楷樹 春天を比(たのし)む

一衣帯水交情久   一衣帯水 交情久しく

千歳仁風兩岸旋   千歳の仁風 両岸を旋る

          (下平声「一先」の押韻)



<解説>

 4月18日、多久聖廟の春季釈菜が行われました。
最近の日中情勢に鑑み、両国の友好を願い、献詩しました。

<感想>

 仰る通り、日中の交流の歴史は久しいものです。
 ただ、順風ばかりの歴史ではないし、昨今は政治面で厳しい状況が続いています。
 機会のあるごとに一衣帯水の縁が深まることを祈りたいですね。

 献詩された詩ですのでこのままでも良いですが、起句と承句は対句に持って行きたいですね。
 現場を知らないので申し訳ないですが、「齊翠壑」というような感じで考えてはどうでしょう。

 結句の「仁風」は孔子の仁の思想、両国に関わりの深いとともに、多久聖廟を強く打ち出した形で良い言葉ですね。
 「千歳」は直前の「久」と重なるので、「仁風」の内容的な修飾語の方が良いかもしれません。

 友好の心を持ち続けたいもの、本来は政治を執る人にこそ、強く持って欲しいものなのですが・・・・。



2014. 7. 7                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第174作は三重県四日市市の 菅原 さん、七十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2014-174

  青岸渡寺        

瀑布轟音緑澗環   瀑布 轟音 緑澗環る

波濤拍岸碧洋湾   波濤 岸拍つ碧洋の湾

飛声便是広長舌   飛声 便ち是れ広長舌

西国一番那智山   西国 一番 那智の山

          (上平声「十五刪」の押韻)



<解説>

 「青岸渡寺」のご詠歌

   補陀落や 岸打つ波 三熊野の 那智のお山に ひびく滝つせ

に発想を得て創作したものです。

「青岸渡寺」: 西国巡礼一番札所。
「瀑布」: 大きな滝(那智の滝)。
「轟音」: 大きく鳴り響く音。
「緑澗」: 緑におおわれた谷川。
「波濤」: 大波。
「碧洋」: 青々とした海(熊野湾)。
「飛声」: 飛び広がる音。
「広長舌」: 仏の説法のたとえ(禅語)。

 古稀を記念して『漢詩詩語辞典』を出版しました。

<感想>

 新しい仲間をお迎えして、とても嬉しく思っています。

 菅原さんは解説にもお書きになっていますが、昨年の八月に『漢詩詩語辞典』という500ページにもわたる労作を幻冬舎から出版されました。
 ご自身が作成した詩語集から厳選した詩語を載せたそうですが、本当に大変な作業だったことと思います。
 アマゾンでも購入できますので、ご希望の方はご購入ください(私も昨年買いました)。できれば、感想などをお寄せ下さると、私の方からメールでお届けしますので、よろしく。

 作詩は現在五十首ほどとのこと、この詩は骨の太い作品ですね。

 拝見した後でお送りした私の感想は次のものです。

 お上手に作っていらっしゃると思います。

 内容として、起句で那智の滝、承句で熊野湾、二つの雄大な景色を詠み込んだパノラマのような広がりは、やや無理があります。
 「瀑布轟音」は滝の近くでの感覚、また、「波濤拍岸」は海辺での景、作者は一瞬にして滝と海岸を移動したかのようです。滝から遠く海が見えたというなら「拍岸」を直すことになりますが、実際に見えるのかどうか、題名や結句から考えても、ここで熊野湾を出す必要は無く、逆に「青岸渡寺」のことはどこにあるのか、という感じです。

 転句の「飛声」は渓流の音だと思いますが、承句のせいで波が砕け散る音にも取れます。
 「飛声」を谷川の水音だとすると、起句の「轟音」がありますので、「音」と「声」と同意の字が使われていて、面白くありません。「轟音」を「轟轟」として避けるか、起句では聴覚を出さないようにするのが良いと思います。
 ただ、この句は蘇軾の「谿声便是広長舌」の一字を換えただけですので、良くありません。
 発想を借りるのは問題ありませんが、表現までそのままではいけません。
 「広長舌」のように聞こえたのは何故か、そこを語ることで個性が出てきますし、先人への敬意が生まれます。

 承句で青岸渡寺の景色や山の中の幽静な趣を出す方向と、転句の中二字の検討をお勧めします。

 なお、通常は投稿の際には雅号で掲載していますが、特に決まった雅号を使っていらっしゃらないことと、ご著書の紹介もありますので、今回はそのまま書かせていただきました。



2014. 7. 7                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第175作は 哲山 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-175

  薫風堤        

薫風堤媼嫗休休   薫風の堤 媼嫗 休休

黙座居然眺逝流   黙座居然として逝流を眺む

幻想往時慈母影   幻想す 往時 慈母の影

其将呼佇立芒留   其れ将に呼せんとして佇立芒留す

          (下平声「十一尤」の押韻)



<解説>

 母の一周忌が近い日、堤を散歩していて、手押し車に腰掛けてじっとしておられた老婆の後ろ姿にふと亡母を重ねました。
 すぐ詩作に取りかかったのですが<尤>は同類が多いのに適当な表現が見つからず、いつものことながら難産です。

「休休」も適当かどうか、「芒留」というにわか作りの語も通じるかどうかわかりません。

<感想>

 起句は三字+四字の切れ目になっていますが、最初に思いついた表現にこだわらず、「媼嫗休休風渡堤」という形にして行く柔軟性も必要でしょう。
 韻目が「上平声八斉」に変わってしまいますので、「堤」ではなく「疇」で我慢できれば良いですが。

 結句の「其」は特にそうですが、結句自体があまり意味が無く、転句までで終っている詩を無理矢理長くしたような印象です。
 自分の心情を描くか、お母様の様子をもう少し描くか、実感の伴う句にしたいですね。

2014. 7. 7                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第176作は 玄齋 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-176

  哭人        

年年勤菽水   年年 菽水(しゅくすい)に勤め

葬送感無常   葬送 無常に感ず

今日弔魂在   今日 弔魂(ちょうこん)在りて

將迎六月涼   将に六月の涼を迎へんとす

          (下平声「七陽」の押韻)



<解説>

【現代語訳】
  年々、まめを食べて水をすするような貧しい暮らしの中で孝養に勤めて、
  この葬儀の日を迎えて、この(父の死という)無常な出来事に心乱されます。
  今日は弔う魂が自宅にあって、
  まさに六月の涼しさを迎えようとしているところです。

「菽水」: 昔の礼法や制度を記した『礼記』壇弓上にある言葉で、まめを食べて水をすするような貧しい暮らしの中で孝養をすることです。

<感想>

 玄齋さんはお父様がお亡くなりになったそうで、お悔やみを申し上げます。

 起句から承句へは唐突な印象もありますが、作者の玄齋のお気持ちになると、長年孝養を尽くして来たことと、その中で迎えたお父様の死の悲しみは連続したものなのでしょう。
 「感無常」は瞬間的な感じになりますので、これまでの思いを凝縮した形にして「憶無常」が合うかと思います。

 玄齋さんご自身も病と闘っておられる中、悲しみは一層のことと思いますが、頑張って療養されることを祈るばかりです。



2014. 7.11                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第177作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-177

  郷愁        

去閭在府幾星霜   閭を去って府に在りて 幾星霜

欲耒帰心繞草堂   耒かんと欲す 帰心 草堂を繞る

歳月如何身已老   歳月 如何せん 身已に老い

青山武野是家郷   青山 武野 是れ家郷

          (下平声「七陽」の押韻)



<解説>

 故郷山代(岩国)を出て東京に居を構えていく幾十年
 田舎に帰り農耕でもとの心が廬をめぐる
 ああ、歳月は矢の如く過ぎ老いの身ではどうしようもない。
 男児至る所青山あり、蘇軾の詩の通り武蔵野深大寺東がわが故郷である。と観念せり。

<感想>

 私は故郷を離れることが無く生きてきましたが、深渓さんのお気持ちはよく理解できます。

 「青山」が「墳墓の地」であるということで、深渓さんが書かれた蘇軾の詩というのは、政治的対立から拘禁、獄に繋がれていた時に作ったもので、長い題の詩です。

  予以事繋御史臺獄。獄吏稍見侵。自度不能堪、死獄中、不得一別子由。故作二詩、授獄卒梁成、以遺子由。
   其一  

聖主如天萬物春   聖主は天の如く 万物春なり

小臣愚暗自亡身   小臣は愚暗にして 自ら身を亡ぼす

百年未滿先償債   百年未だ満たず 先ず債を償い

十口無歸更累人   十口帰する無く 更に人を累せん

是處青山可埋骨   是の処の青山 骨を埋むべし

他年夜雨獨傷神   他年夜雨 独り神を傷ましめん

與君世世爲兄弟   君と世世 兄弟と為り

又結來生未了因   又 来生 未了の因を結ばん

 詩の意味は「予以事繋御史臺獄・・・」を参照してください。

 第五句がポイントで、ここは「是(いた)る処の青山」と読んで、「どこの地でも」と解釈する場合もあります。
 死を予感した蘇軾が「この地が死に場所だ」と弟に遺言めいた内容を語っていて、重たい気持ちが伝わってきます。

 もう一首、「青山」でよく引用されるのが「人間到処有青山」の句ですが、これは幕末日本の勤王僧であった釈月性の詩ですね。

  將東遊題壁

男児立志出郷關   男児 志を立てて郷関を出づれば

學若無成死不還   学若(も)し成る無くんば死すとも還らず

埋骨豈惟墳墓地   骨を埋むる 豈(あに)惟(ただ)墳墓の地のみならんや

人間到處有青山   人間到る処 青山有り

 こちらは、今から故郷を離れて頑張るぞ、という決意が出ています。

 深渓さんの「青山」は「観念して」と解説にありましたが、どちらの詩に近いでしょうか。
 私はあまり「墓地」を意識せずに、緑豊かで青青とした武蔵野と解釈した方がまとまりが良いと思います。



2014. 7.14                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第178作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-178

  客中書懐        

老生又得赴天涯   老生 又得たり 天涯に赴くを

希臘客遊心境佳   希臘の客遊 心境佳なり

古代遺蹤見聞裡   古代の遺蹤 見聞の裡

積年宿志入幽懐   積年の宿志 幽懐に入る

          (上平声「九佳」の押韻)



<解説>

 甲午四月下旬。建築学徒の頃からの懸案の希臘に旅す。
 オリンピアでは、若者3人に交じり、古代の競技場198mを走破せり。

<感想>

 お元気で何よりです。
 これまでいただいた詩でも、トルコ・カナダ・エジプト・アメリカなど沢山の国に行かれていて、うらやましい限りです。
 もう一首いただいていますので、併せて読むと一層旅懷が深まりますね。



2014. 7.14                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第179作も 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-179

  覊愁        

希臘遺蹤多廃樓   希臘の遺蹤 廃楼多し

壮觀偲昔募覊愁   壮観なる昔を偲び 覊愁を募る

人生有限飄零久   人生限り有り 飄零久し

想起風情賦客遊   風情を想起して 客遊を賦さん

          (下平声「十一尤」の押韻)



<感想>

 こちらもギリシア旅行の詩ですが、承句が気になります。
 「壮観偲昔」を深渓さんは「壮観なる昔を偲び」と訓じていますが、修飾語と被修飾語の間に動詞を入れるのは無理で、「偲 壮観昔」でなくてはいけません。
 このままですと、今目の前で見ている景色が「壮観」ということになります。それでは、起句の「多廃楼」という記述とずれてしまう、つまり、崩れた旧跡が壮観だと見ていることになります。
 また、「偲」「募愁」はどちらも心の動きを表す言葉で重複感があります。
 結句にも「想起風情」と心の動きが出てきますので、承句は推敲して、ギリシアの具体的な景色をもう少し入れると、旅の記録にもなりますね。



2014. 7.14                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第180作は 薫染 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-180

  梅雨近        

蒼旻稍少雨天洪   蒼旻やや少なくして 雨天洪(おほ)く

昨日晴天減迹終   昨日の晴天 減迹して終る

午後太陽姑赫灼   午後太陽 姑(しばら)く赫灼として

經昏夕影待南風   すでに昏(くら)き夕影 南風を待つ

          (上平声「一東」の押韻)


「蒼旻」: 青空
「減迹」: 姿をかくす
「南風」: 温和で生物を育てる風

<感想>

 薫染さんから六月にいただいた詩ですが、沖縄の方では今日には梅雨明け宣言もあったとか、遅くなってすみません。

 初夏と呼んでいた時候から次第に暑さが増し、夏本番となる前に、じめじめとした梅雨が控えている、そんな季節の移ろいを工夫して描いていらっしゃると思います。

 起句と承句で梅雨の雰囲気を出していますが、承句の昨日今日という直近のことを描いているのに対し、起句はやや期間が広く、変化を出そうとしていることが分かります。
 ただ、「雨天」から「晴天」は同字重出でもあり、面白くないですね。

 転句は、梅雨の直前の日差しの強さを述べて、結句の「夕影」と対比させているのでしょうが、前半の雨模様からは違和感があります。
 また、「雨天」「晴天」「(赫灼の)太陽」「夕影」と視線が空の方に向きっぱなしで疲れます。転句に植物などが入ると、まとまりが良くなると思います。



2014. 7.14                  by 桐山人