2014年の投稿詩 第91作は 亥燧 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-91

  時事書感        

先端科学割烹衣   先端科学に割烹の衣

獨覆公論啓重扉   独り公論を覆して 重扉を啓く

理系女如魚得水   理系の女は水を得た魚の如し

萬邦睥睨已爲威   万邦睥睨し 已に威と為る

          (上平声「五微」の押韻)



<解説>

 割烹着を着て実験室を歩く姿がとても愛らしくて。彼女のコメントも的を射て素晴らしい。
 更に飛躍してほしいですね。
 若い人のしている姿を見ると、爺やんももっと頑張らねばと思います。


<感想>

 先月末に「世紀の大発見」とニュースが流れた小保方晴子さんのチームが発見した「STAP細胞」の話題ですね。
 昨年のノーベル賞を受賞した山中教授の「iPS細胞」と並んで、日本の医科学分野でのめざましい業績は本当に喜ばしい話でした。

 「理系女」は「リケジョ」、この言葉も久しぶりに聞いた感じでしたが、研究に向かう目の輝きも魅力的でした。

 この「理系女」も、それから起句の「割烹衣」も、今回のニュースや小保方さんの紹介報道があっての表現ですので、時間が経ると詩の解釈が難しくなるかもしれません。
 そういう意味では、言わば「旬」の詩ということでしょうね。



2014. 2.10                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第92作は 芳原 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-92

  春兆 一        

東風寒半減   東風 寒半ば減じ

野色僅含青   野色 僅かに青を含む

處處幽探足   処処 幽探に足る

鐘聲更盡聴   鐘声 聴き尽くせば更なり

          (下平声「九青」の押韻)



<感想>

 春の訪れを少しずつ感じる気候を前半の「半」「僅」の字で十分に表していると思います。

 後半は、季節感が全く出ていないのがやや疑問です。
 「鐘声」がどう聞こえたか、そのことが「春兆」と関わっていると良いのですが。
 五言絶句ですので、あまり主題に関わりのない描写は避け、結句では季節が感じられるようにして全体の構成、収束を狙うのが良いでしょう。

 下三字は読み下しとしては、「更に聴き尽くす」となりますね。



2014. 2.11                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第93作は 芳原 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-93

  春兆 二        

煙花迎柳色   煙花 柳色を迎ふ

駘蕩夕陽遅   駘蕩として夕陽遅し

側耳空齋裏   耳を側だつ空齋の裏

鶯聲亦聴宜   鶯聲 亦聴くに宜し

          (上平声「四支」の押韻)



<感想>

 こちらの詩は、前半と結句がよく照応していて、流れが良いですね。
 ただ、ケチをつけるみたいで申し訳ないのですが、この内容ですと、「春兆」というよりもう春になったような場面で、「春景」とした方が良いでしょう。
 詩がまとまりが良いだけに、題名との食い違いが見えたというところでしょうか。

 承句の「駘蕩」は、春ののどかな様子を表す言葉ですので、効果的だと思います。
 しかし、転句の「空齋」は、どうしてここで部屋の中に入るのか、他の句の場面は視野的にも広く、郊外、せめて庭で辺りを眺めている方が自然です。
 また、「空」としたため孤独感が出てきますが、その必要性というか、意図がはっきりしません。例えば、「書斎」としてみるとどう違ってくるか、という観点で考えてみると良いでしょう。
 ここは、つい筆が常套句に走ったのではないでしょうか。
 「空齋」でも意味は通じるだけに難しいところですが、私はこの「空」一字が残念に感じます。



2014. 2.11                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第94作は台湾の 汨羅江 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-94

  世界漢詩同好會第37次匯總向詩友致謝        

椒花同獻頌,   

喜獲錦章傳。   

詩文存一脈,   

道統任雙肩。   

賈島吟心壯,   

潘安顧影憐。   

感君揮彩筆,   

吾道永綿綿。   

          (下平声「一先」の押韻)



<感想>

 世界漢詩同好會の台湾幹事でいらっしゃる汨羅江さんから、今回の総会の盛況を祝う形で詩をいただきました。
 励ましのお言葉としてありがたく読ませていただき、今後も盛況が続くようにとお礼を申し上げました。

 詩中の「賈島」は「推敲」の故事で知られる中唐の苦吟詩人、「潘安」は晋の人で容貌がとても美しかった、今で言えばイケメンの代名詞のような人物ですね。

 この詩は首聯と頷聯の間が反法になっていて変格ですが、「折腰体」という詩体で作られたものだそうです。
 斎藤荊園先生の「漢詩入門」にも「拗体の一種だが、拗体は幅が広いから、この形式は折腰体と呼ぶのが良い」と書かれています。
 一、二首、詩の例を出しておきましょう。

  西亭春望   賈至(盛唐)

日長風暖柳青青   日長く 風暖にして 柳青青

北雁帰飛入窅冥   北雁帰り飛び 窅冥に入る

岳陽城上聞吹笛   岳陽城上 吹笛を聞く

能使春心満洞庭   能く春心をして洞庭に満たしむ

          (下平声「九青」の押韻)


  題斉安城楼   杜牧(晩唐)

鳴軋江楼角一声   鳴軋たり 江楼の角一声

微陽瀲灔落寒汀   微陽瀲灔として 寒汀に落つ

不用憑欄苦回首   用ひず 欄に憑りて 苦ろに首を回らすを

故郷七十五長亭   故郷は七十五長亭

          (下平声「八庚」・「九青」の通韻)





2014. 2.12                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第95作は 桐山人 の作品です。
 

作品番号 2014-95

  次韻汨羅江先生玉作        

梅花南苑發、   梅花 南苑に発き

春信四圍傳。   春信 四囲に伝ふ

芳宴盡高趣、   芳宴 高趣を尽くし

騒人憑好肩。   騒人 好肩に憑る

青邱疏影愛、   青邱 疏影を愛し

和靖暗香憐。   和靖 暗香を憐む

大雅陳千古、   大雅は千古に陳なり

風懷正纏綿。   風懷 正に纏綿たり

          (下平声「一先」の押韻)

 ※「梅花」:因梅花爲台中國之國花

<解説>

 前掲載の汨羅江先生の作品に次韻をさせていただきました。

 「憑肩」は「互いに親しんで肩を寄せ合う」という熟語、「青邱」は明の高啓、「和靖」は北宋の林逋、高啓の「梅花九首」、林逋の「山園小梅」、どちらも梅花を詠んだ代表作として有名ですね。

 台湾から届いた便りということで、国花である梅を主題に、古来からの伝統を詠み込もうという狙いです。

2014. 2.12                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第96作は 銅脈 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-96

  秋夜偶成        

行人不尽別離情   行人尽くさず別離の情

半死半生落筆成   半死半生落筆成る

絲漢灯昏秋客淡   絲漢灯昏淡い秋客

誰家乱滴寸心傾   誰の家ぞ乱滴に寸心傾く

          (下平声「八庚」の押韻)



<感想>

 昨秋に作られた作品とのことです。

 転句以外は話としては分かるのですが、「絲漢」は何のことでしょう。調べてみても分かりませんので、出典とかの注を可能ならば添えていただけるとありがたいです。

 そこが分かると、承句の大ぶりな表現も理解できるように思いますが・・・



2014. 2.17                  by 桐山人



銅脈さんからお返事をいただきました。
「絲漢」ですが、雨の天まぁ、銀漢という類いの言い回しでここでは「涙」を誇張した詩意にしたつもりですが、ちょっと遠いですか?

 うーん、ちょっと苦しいかな?と思いますね。
「漢」はもともとが川を表すので、「銀漢」「天漢」も「天の川」です。その展開でいけば、「絲漢」も「糸のように細い川」「糸のような天の川」まででしょう。
 仮に「雨空」だとすると作者はどこで空を見ているのか、次の「落筆」「灯昏」の関係で見ると作者は室内に居ると考えられますので、視点がどうしても揺れてしまいます。

 全体のまとまりとしては、「絲雨」と措辞した方が整うでしょうね。


2013. 2.19              by 桐山人






















 2014年の投稿詩 第97作も 銅脈 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-97

  故郷        

多年学業貝多芬   多年学業の貝多芬

一片人生不忘君   一片人生 君を忘れず

無効浮沈存宿志   効無く浮沈 宿志存す

和声交響望青雲   和声 交響 青雲を望む

          (上平声「十二文」の押韻)



「貝多芬」: ベートーベン


<感想>

 この詩に「故郷」という題がついていることに、不思議な思いがします。
 ベートーベンが銅脈さんにとっては故郷に等しい、ということでしょうかね。それでしたら、題名に「貝多芬」を入れた方が読者は理解しやすくなるでしょう。

 ベートーベンへの思い、音楽にかける銅脈さんの意気、そうしたものが素直に表れているだけに、題名が隠喩ですと、読者に深読みをさせてしまって、方向のずれることが懸念されます。



2014. 2.17                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第98作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-98

  快哉羽生結弦選手優勝        

翼堪張氷上飛,   羽翼 張るに堪へて氷上に飛び,

花之舞刻豐碑。   花を生ずるの舞 豐碑を刻む。

交仙子修絶技,   仙子と交はりを結んで絶技を修め,

月滿盈金獎輝。   弦月 滿ち盈(み)ちて金奨 輝く。

          (中華新韵「五微平声」の押韻)



<解説>

  羽生結弦選手、金メダルおめでとうございます。
  お名前を拝借し、栄誉を称え七言絶句一首、献呈いたします。

 冠軍:優勝。
 豐碑:偉大な功績を刻んだ碑。
 仙子:仙女。
 絶技:余人を凌ぐ絶妙の技。
 金獎:一等賞。金メダル=金獎牌。

<感想>

 ソチのオリンピックでは、日本はなかなかメダルが獲れなくて、特集番組も元気があまり感じられなかったのですが、羽生選手の金メダル、本当に良かったですね。

 演技の美しさはもちろんですが、彼の初々しい笑顔と心の強さが印象に残りました。
「オリンピックということをあまり意識せず、普段の通りの演技ができれば良い」と彼は語っていましたが、それがいかに難しいか、凡人の私にだってよく分かります。
 十代の若者の強靱な魂に、心から讃辞を送りたいと思います。



2014. 2.19                  by 桐山人






















 2014年の投稿詩 第99作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-99

  慶賀葛西紀明選手獲得銀銅兩獎牌        

滑雪苦節十六年,   雪を滑りて苦節十六年,

葛西選手作飛仙。   葛西選手 飛仙となる。

銀銅兩獎値金字,   銀銅の兩獎は値す 金字の,

銘刻口碑輝碧天。   口碑を銘刻して碧天に輝くに。

          (中華新韵「八寒平声」の押韻)



<解説>

 葛西紀明選手、銀銅兩メダル おめでとうございます。
 肉体年齢に負けないご精進に敬服いたしております。
 われわれ老詩人も、却老の作詩に励まないとならないと、身をもって示していただいたように思え、ご活躍、とてもうれしいです。

 銀獎牌、銅獎牌:銀メダル、銅メダル。
 滑雪:スキー。
 金字:ここでは碑文を刻む金字だが、金獎牌を念頭においている。
 口碑:伝説。葛西選手の活躍はまことにレジェンド(伝説)となって後世に伝えられると思う。

(補足)
 中華新韵で詠んでいます。中華新韵では節、十、葛、値は平声ですので、拙作の詩譜は、

 ○●●○○●平,○○●●●○平。○○●●○○●,○●●○○●平。
  ○:平声。●:仄声。平:平声の押韻

 となっています。

<感想>

 スキージャンパーとしての葛西選手の名は、もう二十年前からずっと聞き続けています。世界の第一線で輝き続けることの素晴らしさと、しかもオリンピックという大舞台でのメダル獲得は、本当に精進のたまものと思います。

 助走をつけての落下という行為を「飛行」という形に変えてしまうスキージャンプは、見ている私たちに神秘的な躍動美を伝えてくれます。
 スケートのジャンプやスピンもそうですが、冬のオリンピックの競技は、雪の上や氷の上でなくてはできないものが多く、地面にへばりついて一歩ずつしか進めない私たち人間を、日常から解き放たれた世界に導いてくれるような気がします。
 幻想の美しさでしょうね。



2014. 2.19                  by 桐山人























 2014年の投稿詩 第100作は 上弦采人 さん、二十代の方の初めての投稿作品です。
 お手紙には、
お初にお目にかかります。漢詩に興味を持って先生の本で勉強をしておりました。
初めて作詩したら是非先生に読んでいただきたいと考えておりました。講評をお願いいたします。」
 とのことでした。

作品番号 2014-100

  信州遊夜桜     信州の夜桜に遊ぶ   

艶櫻千花誘萬民   艶櫻千花万民を誘ふ

濠成水鏡彩陽春   濠水鏡と成り 陽春を彩る

烏眠閑峰中天月   烏閑峰に眠る 中天の月

酒爵喧騒未暁巡   酒爵喧騒 暁未だ巡らず

          (上平声「十一真」の押韻)



<解説>

 以前に見物した長野県の上田城の夜桜を詩にしました。
 城内に所狭しと並ぶ夜桜。お堀の水に映った桜がまた一層美かったです。夜も更けて遅い時間だというのに、夜桜を見に来た人たちは時間を気にせずに宴会を楽しみ、またある人達はお喋りに花を咲かせる。

 こんな情景を表現したつもりです。

<感想>

 漢詩創作に取り組まれるきっかけ、お役に立てたのなら嬉しいことです。
 今後とものお付き合いを希望するとともに、感謝を申し上げます。

 まず、前半の昼の景から、転句からの夜景へと移り、詩全体の構成がきちんとしていることに、初めての詩作とは思えず驚きました。
 平仄の点では不備がありますが、それは修正できることで、用語もそうですが、漢詩(七言絶句)としてのイメージを持っていらっしゃることが頼もしく、これからの詩作が楽しみです。

 その平仄のことで言えば、いただいた詩は次のようになっています。(○は平声、●は仄声、◎は韻字)

 (起句) ●
 (承句) ○
 (転句) ●
 (結句) ●

 平仄で大きなことは、一句の中で「二四不同(二字目と四字目は平仄が逆)」と「二六対(二字目と六字目は同じ平仄)」の規則です。
 この詩では、起句と転句が乱れていますね。

 起句については、二字目に「艶」の仄字を置けば解消しますので、「芳艶桜花」「清艶桜花」などとすれば良いのですが、そうするとせっかく「千花誘万民」という数詞を重ねた意図が弱まります。
 題名に「桜」も入っていることですので、ここで花の種類を間違える恐れはありませんから、「芳(清)艶千花誘万民」というところかと思います。
 ただ、桜は「千樹」ならば豪勢ですが、「千花」ではかなり少なく、寂しい感じになります。賑やかさを出して「万朶桜花誘万民」としてはどうでしょう。

 承句は「彩陽春」の「彩」は動詞には使いにくいので、「映陽春」としておきます。

 転句は「峰」を「嶺」とすれば平仄は合います。このように同意字で平仄をひっくり返すのは常套手段です。あまり「峰」に執着が無いのなら、「山影」も考えられます。
 内容的には、「烏が眠る」の役割、つまり実際の場面で考えた時に、どうして眠っている烏を思い浮かべたのか、また、結句の「喧騒」という聴覚に持っていくのに「閑」では対比があざとくないか、という点が気になりますのが、これもせっかくの第一作ですので、あまり直さないで、「嶺」だけの変換にしておきましょう。
 上二字で峰の様子を描写するような展開を、今後の推敲で考えると良いでしょうね。

 句の平仄を直した段階で、結果的には「反法」「粘法」も整いましたので、漢詩としては十分な作品になったと思います。

 題名の「信州遊夜桜」は「信州の夜桜に遊ぶ」と読むのは苦しいので、「遊信州夜桜」の語順で、すっきりと「信州夜桜」でも良いと思います。

 第二作もいただいていますので、また、楽しみです。



2014. 2.19                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第101作は 哲山 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-101

  寄親朋        

親朋心臓病   親朋 心臓 病む

手術及累時   手術 累時に及ぶ

何若冥中活   何若 冥中の活

廬生猶一炊   廬生 猶ほ一炊のごとし

          (上平声「四支」の押韻)




<解説>

 先日、友人が心臓手術(血管のバイパス)をしました。なんとか成功した由ですが、励ましにと寒中見舞いの詩を作りました。

 心臓、手術など漢詩語でどう表現するのかまたしてもわからないまま作りました。心臓は心の臓と読めばいいのかもしれませんが心だけでも心臓の意味があると辞書に記載されていますが、日本では一般に「こころ」としか解釈されないのではと思って、あえて心臓の熟語にしました。
 手術ですが、隋唐の時代でも手術はあったと思いますが、手術に当たる漢字熟語がわからず、そのまま使いました。

<感想>

 哲山さんの詩作の苦労をいつも書いて下さいますので、どこで悩んでいるのかがよく分かります。
 今回で言えば、「心臓」とか「手術」という現代語をどう表現するかで困っていらっしゃるようですね。

 この詩はご友人に送ったものでしょうから、二人のやりとりの間だけで見れば、「心臓病」「手術」と書いた方が却って相手に伝わりやすいとも言えます。
 ただ、その詩を無関係の他人が読むということになると、適切な詩語を探さねばなりません。

 漢詩を作る作業は、自分の思いを漢詩の言葉に「翻訳」すると言えますが、大切なのは「直訳」ではないということです。

 言葉をうまく置き換えられる場合もあれば、なかなか見つからない場合もあります。特に、現代言葉を古代に用いられた詩語で表すことは難しいことです。
 更に、「手術」という言葉を「方術」とか「開刀」という語に交換できたとしても、その表現に作者が納得できるかどうかは別のことになります。

 言いたいことを表す言葉が分からないから無理矢理に自分流の言葉を放り込むのではなく、別の観点からの表現を探してみることが解決策です。本当にその言葉を使う必要があるのかどうか、作者である自分が一番言いたいことは何か、古人は同じような場面でどんな言い方をしているのか、そうした多面的な検討ができると、直接に言い換えるのではなくても、詩語から探し出すことができるようになります。
 それが、思いがけず自分の思いと合致したり、昇華したり、新しい発見につながることも、漢詩創作ならではの楽しみでもありますよ。

 後半は、「手術中に(廬生が一生を見たという)邯鄲の夢を見たかい」という軽さで励ましたのでしょうね。ただ、「邯鄲の夢」と言えば「栄枯盛衰は空しいもの」と来ますので、ベッドでご友人がどう解釈したか。また、「及累時」と「一炊」との整合性が気になりますね。



2014. 2.22                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第102作は 上弦采人 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-102

  露州浅田選手詩  先編        

復遠金章預次期   復た金章遠く 次期に預く

人蒙勝敗但天知   人は勝敗に蒙(くら)く 但だ天が知るのみ

然何不賜教娘泣   然れども何ぞ賜はず 娘をして泣かしむ

雖大才望少盛時   才望大(おお)しといえども盛時少なし

          (上平声「四支」の押韻)


「金章」: 金メダル


<解説>

 また金メダルは遠のき、次の大会にお預けとなった。
 勝ち負けは誰にも分からない。天が唯一知るだけである。
 しかし、それでもなぜ彼女に金メダルをお与えにならないのだ。彼女を泣かせるようなことをするのだ。
 才能や名声に恵まれているが、活躍できる時間は少ないというのに。

 今回の詩は浅田選手のショートプログラムとフリープログラムの結果を受けて作りました。
 それぞれの結果を受けて作ったものですので互いに多少の齟齬がありますが、リアルタイムでの感想ですので、それはそれで良いかなと思いそのままにしました。

<感想>

 今回の浅田選手のショートプログラムは、誰もが驚く結果でした。
 「頑張って」とか「挽回しよう」という言葉も掛けられないほどのもので、何か、日本中が声を潜めたような雰囲気でした。
 ひとりだけ、空気も読めず、人の心も読めないで、暴言をした人が居ましたが・・・

 この詩は「先編」ということで重い雰囲気が漂っていますが、「そうそう、私もそう思った」と、多くの人は共感できるのではないでしょうか。

 結句は「大なる才望と雖も」という読み方でないといけませんね。



2014. 2.28                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第103作は 上弦采人 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-103

  露州浅田選手詩  後編        

銀盤佳舞攫多尊   銀盤佳舞 多尊を攫む

善啓賂能克舊惛   善く賂能を啓き 旧惛に克つ

天使寵辛何以也   天寵をして辛せしむ 何を以ってか

艱爲英傑古箴言   艱英傑を為る 古の箴言なり

          (上平声「十三元」の押韻)


「旧惛」: 浅田選手のショートプログラムの結果を受けて


<解説>

 フィギアスケートでの素晴らしい演技は多くの尊敬を攫んだ。
 十分に持ち前の才能を啓(ひら)き、かつての迷いに打ち勝った。
 天はその愛する人に辛酸を課す。なぜであろうか。
 艱難は英傑を作るのだ。古くから言われている言葉である。



<感想>

 本当に、素晴らしい演技と、前日の過酷な結果を乗り越えた精神力の強さに、心から感動をしました。
 真央ちゃんは、何と言うか、誰もが自分の娘を見ているような感じで、「頑張ってね」「泣かないでね」「笑顔を見せてね」という声を掛けたくなる存在ですね。
 「賂能」は「持ち備えた才能」、「惛」は「心が昏い」ことから「迷い」を表していますが、「旧」を付けることで「これまでの迷いや悩み」に打ち勝ったという、つまり浅田選手のまさに「集大成」であったという思いが籠められているのでしょうね。

 転句は「寵」を目的語、「辛」を補語というのは、それぞれ一字で独立させるのは苦しく、「寵辛」という熟語かと思いました。
 使役形の述語に「辛」という形容詞も分かりにくくさせています。
 欲張りすぎず、簡潔な形で表現を検討すると良いでしょう。
 それを受けてのことになりますが、結句の「英傑」も、「寵」とのつながり、つまり作者の注で言えば、「愛する人」を「英傑」にするということに、やや疑問が残ります。




2014. 2.28                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第104作は 緑風 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-104

  登南宮山        

紅楓樹下陟険蹊   紅楓樹下 険蹊をのぼる

展望山巓野色斉   山巓(さんてん)より展望 野(や)色(しょく) 斉(ひと)し

古戦智謀今広夢   古戦の智謀 今や広夢

丘墟不変暮鴉啼   丘墟は変わらず 暮鴉啼く

          (上平声「八斉」の押韻)



<解説>

 晩秋の晴れた日、近くの南宮山に登りました。

 ここは昔天下分け目の関が原合戦の中心地で、東西の武将が夫々陣を敷き戦いました。
 山頂からの見晴らしは濃尾平野が一望でき、絶景です。

 当時の武将を思い作詩しました。

<感想>

 起句の「険」は仄字ですので、平仄が乱れていますね。「危蹊」「樵蹊」「斜蹊」などでしょうか。

 転句の「広」は「空」の代わりに使ったとのことですが、これは意味が通じませんね。「夢」の用法も気になりますので、「夢」を使わない形で考えていくと、もっとすっきりした表現になると思います。





2014. 3. 2                  by 桐山人



緑風さんから推敲作をいただきました。

  登南宮山(推敲作) 紅楓樹下陟樵蹊   紅楓樹下 樵蹊をのぼる
展望山巓野色斉   山巓より展望 野色斉し
古戦智謀似欺騙   古戦の智謀 まさに欺騙
丘墟不変暮鴉啼   丘墟は変わらず 暮鴉啼く

2014. 3.18            by 緑風


 推敲作をいただきましたが、転句の読み下しは「欺騙の似し」としておいた方が素直ですね。(桐山人)























 2014年の投稿詩 第105作は 東山 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-105

  訪うらがしら引揚記念館有感        

東亜共榮炊夢春   東亜共栄 炊夢の春

敗殘異境避逃民   敗残の異境 避逃の民

南方瘴癘老親哭   南方の瘴癘 老親を哭し

大陸厳寒幼童茵   大陸の厳寒 幼童を茵す

歸去邊疆艱苦地   帰り去る辺疆 艱苦の地

生還故國歡悲濱   生還する故国 歓悲の浜

遙望碧海茫茫思   遥かに望む碧海 茫茫の思ひ

丘上歌碑萬感新   丘上の歌碑 万感新たなり

          (上平声「十一真」の押韻)



<解説>

 先日、佐世保のハスステンボスの近くにある、「浦頭引揚記念館」に行きました。
 此処は大戦終了後、全国各地に設置された外地からの引揚者を受け入れた基地の一つですが、約160万の方がこの地に上陸されたとのことです。

 私が現在所属する、多久の漢詩の勉強会に参加されている方で、88歳の方が終戦後3年間、シベリアに抑留された経験をお持ちの方が居られ、記念館の資料を見てその心情を思いました。
「茵」を動詞で使いましたが、如何でしょうか。

「丘上の歌碑」:記念館の前庭に田端義男の「帰り船」の歌碑が建立されている。

<感想>

 外地からの引き揚げでは大変な苦労をされた方ばかりということは、書物などでは何度も目にしていますが、資料館で実際の記録をご覧になると、思いはまた深くなることでしょうね。
 六十年以上もの歳月が過ぎていますが、直接体験された方から話を聞かれたとのこと、東山さんの詩では実感と共感がよく出ていると思います。

 頸聯の「幼童茵」は「幼童の茵」としか読めないですね。幼い子どもの棺を置いた「茵」と解しますので、「老親哭」も「老親の哭」となります。
 「幼童茵」が韻字ですのでこちらを優先するとすれば、「老親の哭」でよいかどうか、の判断ですね。

 尾聯の「丘上歌碑」は、分かる人は分かるが分からない人は分からない、という感じですので、歌の内容に少し触れるような言葉を「丘上」の二字に置き換えるようなことも考えられますね。



2014. 3. 2                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第106作は 哲山 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-106

  大寒        

大寒奇襲旦   大寒 奇襲の旦

霜白白陽遐   霜白白として陽遐し

徒渉凍河岸   徒渉せる凍河の岸

唐梅蕾且花   唐梅の蕾まさに花ひらかんとす

          (下平声「六麻」の押韻)



<解説>

 大寒奇襲旦を<大寒 旦を奇襲>と読むことも考えたのですが・・・
 蝋梅の漢語がわからず、唐梅としました。


<感想>

 「蝋梅」は中国から入ってきたもので、「臘梅」の語は杜牧の「正初奉酬歙州刺史邢群」にも見られます。
 花が「黄蝋」に似ていたからと言われますが、「臘月」に開くからとも言われ「臘梅」とも書きます。
 逆に、「唐梅」の方は「中国から入ってきた梅」ということですから、これでは和習になります。漢語にしようとされたとのことですが、考えすぎたというところですね。

 起句の読み方は、どちらでも可能ですが、書かれた「奇襲の旦」のままで良いと思います。

 承句は「霜白く 白陽遐し」と二字三字のリズムでつい読んでしまうのは、「陽」の一字で太陽を表すのに違和感があるからです。主語が一字、述語も一字の「遐」なのも読みにくいですね。
 どちらかを二字の言葉にすると良いでしょう。





2014. 3. 2                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第107作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-107

  待春 一        

首陽山下獨閑居   首陽山下 獨リ閑居ス

自笑厨房無粟儲   自ラ笑フ 厨房 粟ノ儲無キヲ

野梅花発餘寒去   野梅花発イテ 余寒去レバ

草屋喜迎春事初   草屋 喜ビ迎フ 春事ノ初

          (上平声「六魚」の押韻)



<感想>

 古代に伯夷叔斉が、乱れた世を嘆き、首陽山に隠れて、薇を採って生活し、最後は餓死したという故事がありますが、ここでの「首陽山」はどこでしょう。
 真瑞庵さんからはもう一首、同じ題でいただいていますが、そちらは「吹山」、つまり伊吹山を眺めての詩ですので、こちらも同様に伊吹山でしょうか。別名「首陽山」というのは私は聞いたことがないのですが。

 あまり伊吹山にこだわらず、隠棲したというくらいの意味合いで解釈もできますが、伯夷叔斉の故事は「史記」列伝の冒頭、聖人としてのインパクトが強すぎますので、あまり軽くは扱えません。

 承句以下は真瑞庵さん節がよく表れているところですので、最初の「首陽山」だけ教えていただきたいですね。



2014. 3. 3                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第108作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-108

  待春 二        

皚皚冠雪吹山横   皚皚ト雪ヲ冠シテ 吹山横ル

漸漸日高庭鳥鳴   漸漸ト日高クシテ 庭鳥鳴ク

梅莟香滲紙窓暖   梅莟ノ香ハ滲ム 紙窓ノ暖カキニ

檐前喫茶案春耕   檐前 茶ヲ喫シテ 春耕ヲ案ズ 

          (下平声「八庚」の押韻)



<感想>

 遠景の伊吹山の冠雪と対照的な庭先の春模様、その対比がおもしろく出ていますね。
 特に、転句の「香滲」は絶品で、「紙窓」との調和、その暖かみが感じられます。

 この転句がとても良いので、そうなると、起句の遠景が必要かどうかが逆に気になります。
 画面としては作者の近辺に収斂してしまってこじんまりとするかもしれませんが、「待春」のささやかさな発見を際立たせるには、その方が良いのではないでしょうか。
「皚皚冠雪吹山横」の力強さが大げさすぎると思いますが、いかがでしょうか。




2014. 3. 3                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第109作は 上弦采人 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-109

  行路詩        

弱商求千貫   弱商 百貫を求む

朋輩玉関先   朋輩 玉関に先んずる

誰謂無迷惑   誰が謂ふ 迷惑する無かれと

孤征発酒泉   孤征して酒泉を発つ

          (下平声「一先」の押韻)




<解説>

 若い商人は大金を求めようとした。
 同い年の仲間たちは玉関の先へと言ってしまった。
 誰が道に迷ってはいけないといったのだ。誰が心迷わせ戸惑ってはいけないといったのだ。
 若い商人は一人旅路へと出て、酒泉を出発した。



<感想>

 掲載の順序が逆になりましたが、この詩は上弦采人さんの作り始めの頃の作ですね。

 起句の平仄が乱れていますが、本来は読み下しのように「千貫」ではなく「百貫」だったと思います。
 ただ、若者が夢を追い求めるということで言えば、「百貫」よりも「千貫」の方が趣旨に合いますので、つい指が動いてしまったのでしょう。
 それならば、いっそのこと「万貫」でも良いかとも言えそうですが、「万」まで行くとバブルのようなもの、あまりまっとうな手段とは思えなくなってしまうのが難しいところですね。

 若者は誰もが夢を求めるもの、そこにまっしぐらに猛進できる者もいれば、迷いためらう者もいる。まして、現代は先の見えない時代。
 もちろん、スタートダッシュの早かった者が栄光のゴールに先にたどり着けるわけでもないが、しかし、走り出さない限りはゴールに着けないのも事実。

 そんな若い人たちの心情が暗示されているのでしょうか。



2014. 3. 3                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第110作は 桃羊野人 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-110

  雪中作        

一陣寒風折竹声   一陣の寒風 折竹の声

老松落木数枝横   老松落木 数枝横たふ

雪埋陋屋無人訪   雪にうずもるる陋屋は人のおとなふ無く

四面紛紛凍雀鳴   四面紛々として 凍雀鳴く

          (下平声「八庚」の押韻)



<解説>

 2月13、14、15日、雪の少ない当地でも前代未聞の大雪。
 京都出張を取りやめ、鉛筆を舐め舐め愚作に取り組みました。


<感想>

 桃羊野人さんのお住まいは大分でしたね。
 今年の雪は記録的なものだということで、全国ニュースでは関東の降雪が話題になりますが、日本海に面した大分でも随分の大雪だったと聞きました。
 多分、北九州よりももっと温暖な私の住む知多半島でも、この日は前夜からの降雪で、朝方が異様な静けさ、新聞を取りに玄関を開けると一面の銀世界でした。

 実際の雪景色を眺めながらの詩作で、余分な修飾もなく淡々と描かれていますので、一層、雪に一面包み込まれた情景が浮かび上がってきますね。
 一点だけ気になるのは、起句の「折竹声」で、風では折れない竹が雪の重みで折れてしまう、その音を言いますから、直接「一陣寒風」とはつながりません。ただ、句全体として風雪の夜を表しているということで、納得はできる表現です。
 実はそれで十分で、承句の「老松落木」「数枝横」も雪の結果だとするとくどいし、雪とは関係ないとすると句の役割は何なのか、ピントがぼけます。
 「老松」をどういう意図でここに置くのか、それを意識して見直してみるとまとまりが出るかと思います。



2014. 3. 3                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第111作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-111

  東都春雪        

如月東都舞六花   如月 東都 六花舞ひ

西郊眼界擁檐牙   西郊の眼界 檐牙を擁す

坐炉啜茗覗窓外   炉に坐し 茗を啜り 窓外を覗きみれば

一白庭柯月自華   一白の庭柯 月自から華やかなり

          (下平声「六麻」の押韻)



<解説>

 甲午立春、一転して厳冬に逆戻りして雪が舞い、八日払暁から終日降雪27センチ。
 次いで一四日未明から大雪に見舞われ雪に弱い東都は大混乱、否、この雪で国中が交通流通マヒせる。
 風流を通り越えたり。

<感想>

 深渓さんからは、昨年も東京が雪に襲われたという「東都雪晨」をいただきましたね。
 首都圏の交通がマヒするような大雪が毎年続くと、やはり気象がおかしいのかな、という気持ちが強くなります。

 起句の「如月」は本来は陰暦での呼び方ですので、意味合いとしては「二月になったのに(雪が舞った)」という感じになります。
 深渓さんの意図に合わせるなら、ここは「春首」とか「春立」として、「雪」の意外性を強調する形が良いでしょう。



2014. 3. 3                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第112作は 緑風 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-112

  雪中偶成        

一夜天公枯木花   一夜 天公 枯れ木に花

寒波凛凛竹籬斜   寒波 凛凛 竹籬斜め

雪中侘助将如絵   雪中の侘助 将に絵の如し

庭院風光競麗華   庭院の風光 麗華を競ふ

          (下平声「六麻」の押韻)



<解説>

 今年一番の寒波によって我が家は一晩で雪に埋もれてしまいました。
 窓から見る庭の雪景色、白砂で作った箱庭のように綺麗でした。


<感想>

 緑風さんのこちらの詩は一月の大雪の際に作られたものだそうですが、緑風さんは岐阜県、関ヶ原や米原に近いところにお住まい、毎年雪の多い土地柄でしょうが、それでも今年の雪は深かったのですね。

 起句は、一夜で雪が枯木に花のように積もったということですが、「天公」では通じません。「枯木に花」をつけたのは雪であり、「天公」ではないわけで、「天公」を用いるならばそれが主語になりますので、「枯木に花をつけさせた」という述語が必要になります。
 名詞を並べる形の句もありますが、文としてのまとまりが無いと、三題噺みたいな印象になります。

 転句は「将如絵」が面白くないですね。
 「如絵」の比喩に新鮮味がないので、「将」と強調しても実態が却ってぼやけてきます。
 比喩にするなら、どんな絵なのかを示して「如〇絵」と書いた方が良いですが、私の感じでは直喩は避けたいですね。



2014. 3. 6                  by 桐山人



緑風さんから推敲作をいただきました。

  雪中偶成(推敲作)
昨夜寒波枯木花  昨夜 寒波  枯れ木に花
藪椿侘助競麗華  藪椿 侘助  麗華を競ふ
初鶯移朶囀声透  初鶯 朶を移り 囀声透る
眺雪風光宴居嘉  雪の風光を眺め 宴居楽しむ

2014. 3.18           by 緑風






















 2014年の投稿詩 第113作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-113

  雪日訪友        

餘雪紛紛江上村   餘雪紛紛 江上ノ村

遠林近樹泛冥昏   遠林近樹 冥昏ニ泛ブ

茅檐燈暖聞人語   茅檐 燈暖カニシテ 人語ヲ聞キ

訪客停筇叩竹門   訪客 筇ヲ停メテ 竹門ヲ叩ク

          (上平声「十三元」の押韻)



<感想>

 真瑞庵さんからも雪の詩をいただきましたので、雪シリーズということで続けて掲載をします。

 起句の「江上村」が真瑞庵さんのお住まい、私も何となくなじみ深く感じるようになってきました。
 承句と併せて、雪の日の情景がよく出ていますね。

 転句は、作者が尋ねていったお宅の灯火、ご家族の声でしょうか、暖かみの感じる良い句ですね。



2014. 3. 6                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第114作は神奈川県相模原市の 淵野 さん、二十代の男性の方からの初めての作品です。
 

作品番号 2014-114

  贈同学諸友     同に学びし諸友に贈る   

啼鳥怡怡却戚情   啼鳥怡怡として 却って情を戚ましむ

春風人且出門行   春風 人 且に門を出でて行かんとす

四年繙帙学諸事   四年 帙を繙いて諸事を学び

一夜銜杯到五更   一夜 杯を銜んで五更に到る

壮士忽徂為往歳   壮士 忽として徂き往歳となるも

親朋不変有終生   親朋は変ぜず 終生に有つべし

如今卒業各離散   如今 卒業 各々離散

他日団欒懐此黌   他日の団欒 此の黌を懐はん

          (下平声「八庚」の押韻)



<解説>

 投稿でいただいたお手紙で、このホームページへの感想を書いて下さいました。

 現代の生活に根差した様々な視点からの詩作を、大変興味深く拝見させて頂いております。
 唐詩などに範を求めることも大切ですが、他の投稿者の方の実生活から得た詩想などは、その人の生活の中での小さな驚きに共感することが出来たりなど、漢詩が決して古典の世界だけのものではないと云うことを、再確認させられます。

 私も同級生と漢詩について話し合う機会を持つことはなかなかございませんが、こうしてHPを通して同じように漢詩を作る人たちの存在は、私にとって大きな励みとなりました。

 私は今年で大学を卒業します。
 この詩は、大学生活を共に過ごした友人たちに向けて作りました。私たちの青春などは忽ち過去の思い出となってしまいますが、ここで得た友情だけは変わることはないだろう、それがこの詩の主題です。

 詩題ですが、当初は『卒業有感』と考えておりました。

<感想>

 若い漢詩仲間を迎えて、とても嬉しく思います。
 作詩経験は2年程とのことですが、対句もよく工夫されていて、面白く拝見しました。

 首聯は鳥の楽しげな鳴き声が逆に心を痛ますという書き出しで、読者に疑問を抱かせ、関心を高める効果が出ています。
 その疑問の答えが次の句で示されるわけですが、「春風」は話として通じません。季節感を出したかったのでしょうが、「春風」がどうしたのかと更に疑問が深まるだけで、素直に「季春」「孟春」など、旅立つ日を表した方が良いでしょう。

 頷聯の「四年」「一夜」の対は、語の対応は良いですが、「四年間勉強してきて、一晩飲みふけった」という内容では、四年間の中で一晩だけ酒を飲んだということで、まことに品行方正な学生生活になります。
 意味としては「別れの夜」ということでしょうから、ここは数字対にはなりませんが「今夜」「此夜」として、学生生活についての記述に結着をつけておくところでしょう。尾聯の「今」あるいは「此」はまた検討することにしておきます。
 「到五更」もこれでひとまずは良いですが、聯としてのまとまりから見ると、推敲の余地が残っているでしょう。

 頸聯は、対句としては良いと思いますが、下句は本来は「友情は変わらない」のであって、「親友は変わらない」というのは主語がおかしい気がします。
 友情のことは尾聯でもわかりますので、ここは「游魂」とか「清魂」で対にしておくと良いでしょう。

 全体に、対句も含めて規則を遵守されていて、よく勉強なさっていることが伝わってきます。ただ、聯としてのまとまり(起承転結)や句単位での意図がやや不明瞭な面があります。
 特に律詩の場合には、対句に目が行きがちですが、聯としてどんなことを言おうとしているのか、構成と主題との関係を客観的に眺める視点も必要ですね。



2014. 3.10                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第115作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-115

  故郷廃家        

清澄万里一天秋   清澄 万里 一天の秋

吾是牢牢興自幽   吾は是れ牢牢 興自ら幽なり

草屋無声人已去   草屋声無く 人已に去り

驚風檐馬坐呼愁   風に驚く檐馬 坐に愁ひを呼ぶ

          (下平声「十一尤」の押韻)



<感想>

 承句の「牢牢」は「気分が塞がる」「幽鬱」という意味ですが、起句の爽やかな秋空の描写から一転し、また、「万里一天」の広がりに対して「我」が対照的で、作者の沈んだ気分が強調されてきます。
 一人称の主語はよほど強調する時でないと使いづらいもの、この詩は好例と言えるでしょうね。

 転句からは題名の「故郷廃家」の描写になるわけですが、作者の幽鬱の理由も示している、つまり謎解きの後半になるわけです。
 例えば、先に「故郷廃家」を描写してから後で心情を述べるという逆の展開を考えてみると分かりますが、この詩の構成が読者を引きつけるのに効果的だと納得できます。
 特に、起句と承句で一度内容を逆転していますので、「おや?」「おやまあ!」と、一層心が動かされます。
 そうした、(別の言い方をすれば)慌ただしい展開で来ましたので、結句は穏やかな収束が望ましく、「坐呼愁」は通常では甘い表現ですが、この詩では気にならずに読めますね。

 詩題をよく吟味された作品になっていると思います。



2014. 3.11                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第116作は 越粒庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-116

  早朝散策        

更歩春泥路   更に歩く 春泥の路

吟詩獨樂晨   詩を吟じ 独り晨を楽しむ

侵寒梅數蕾   寒を侵す 梅の数蕾

蠢動逼人親   蠢動 人に逼りて親し

          (上平声「十一真」の押韻)



<解説>

 節分を越えてから、春は一進一退です。
 寒さは厳寒期と変わりませんが、明けが早くなったのが、はっきりと分かります。
 まだ凍えている、家々の梅を見て、作ってみました。

<感想>

 越粒庵は新潟にお住まいですので、極寒や豪雪など大変厳しい冬を過ごしておられると思いますので、春の訪れを感じるのはひとしおの喜びなのでしょうね。
 雪解けの「春泥路」、ぬかるんではいても冬の凍てついた雪道ではないのが嬉しく、ついついもう少し先まで歩いてしまう、そんな気持ちが「更歩」の書き出しでよく表れています。
 書き出しから、何となく楽しくなるような気分になれ、承句へとそのまま流れていけます。
 ただ、下三字の「獨樂晨」は「独り楽しむ晨」と読みたくなりますし、「獨」も不要かと思いますので、「樂早晨」とか「游早晨」などではどうでしょうか。

 後半も良いですが、結句は「親」を生かすなら「逼人」よりも「傍人」の方が言い方が柔らかくなるでしょう。



2014. 3.10                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第117作は 谿聲 さん、海外にお住まいの五十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 いただいたお手紙に、このホームページの感想をいただきました。
 中学の漢文の授業も全く頭に残っていない素人にも、詩作をしてみようと言う気持ちを起こさせる、すばらしいページだと思います。
 ご指導のほどよろしくお願いいたします。


作品番号 2014-117

  春家路        

暖律和風薄暮帰   暖律 和風 薄暮に帰る

田園野景鳥聲微   田園の野景 鳥の声微かなり

山房小徑花間路   山房の小径 花間の路

我把春光上手機   我 春光を手機に上げる

          (上平声「五微」の押韻)



<解説>

 日が延びてきた春の家路、郊外や山裾の景色を眺め、その景色を携帯電話のカメラで撮ったことを詩にしました。

 初めての漢詩ですが、結句は「我把」(私は写す)、「上手機」(携帯電話で)という現代中国語をそのまま借りてきました。
 前の三句が何れも詩語の美文調なので、据わりが悪いかなとも感じてますが、いかがでしょうか。


<感想>

 新しい漢詩仲間がどんどん増えていくのが、とても嬉しく思います。
 また、このホームページが詩作に入る方のお役に立っているとのお言葉を感謝します。

 初めての作詩ということですが、押韻も平仄も間違いが無く、よく勉強されたことが感じられます。

 まず、ご自身も解説で書かれていますが、結句の現代語表現についての感想ですが、私はこれはこれで一つの詩になっていると思います。
 漢詩を作る目的として、古来からの伝統的な風雅の道を共感したい、という方も多くいらっしゃいます。
 その場合、古来からの詩語を用いて唐代の詩と相通じ合う作品にするのが大事なことになりますので、当然、現代の口語表現や現代人の生活に関わる物質などをそのまま詩に持ち込むのは好まれません。日本の漢詩教室などでは、初心の方には「詩語集に載っている言葉で作詩しなさい」と指導することもあります。
 それは、そもそも伝統との交流が目的であることと、漢文や漢詩の専門家でない人でも作詩に取り組めるようにという指導における方法論として、認められるものです。

 しかし、一方で、作詩の目的を自分の現在の心情を漢詩というスタイルで表現したいとする方も居ます。
 その場合には、現代に通用しているものをどう表現するかが工夫のところで、当然、古代には存在しないものを表すことになります。
 詩語から応用できそうなものを選ぶことができれば良いですし、まあ、そこの工夫が愉しみだとも言えます。しかし、どうしても詩語に翻訳できないこともあれば、翻訳ではどうもしっくりこないこともあります。
 敢えて現代語を用いるという表現も、意図を持っていれば、詩としては認められるものだと私は思います。

 今回の谿聲さんの詩の場合では、転句までの伝統的な描写と最後の「手機」の表現、というか物質はアンバランスと言えばそうですが、古典詩のままのような風景を現代の道具である「手機」で切り取ったという面白みが狙いだと考えると、なるほどと納得できるものです。
 ただ、その前の「我把」の口語表現は違和感しか残らず、特に「我」の一人称は詩では強調であり、結びの「手機」の面白みを半減させてしまいます。
 「満目春光上手機」とするところでしょう。

 その他の内容としては、全体で矛盾が無いようにする必要があり、読者に「あれ?」という疑問が湧くのは避けたいですね。
 例えば、承句の「田園野望」から転句の「山房小径」と来ると、題名にある帰るべき家はどこにあるのか、「春郊散策」という題ならわかりますが、田野を渡り山道を上らねばならないような「家路」は遠すぎませんか。
 また、結句の「春光」は春景色ですが、起句でこの場面の時刻は「薄暮」となっていますので、夕暮れにどれだけの景色を写真に納められたのか、これも疑問です。
 筆が流れたのではないでしょうか。

 結論としては、「薄暮」の修正、「田園」と「山房」のどちらかを削る、という方向で推敲されると良いと思います。



2014. 3.14                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第118作は 芳原 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-118

  二月詩        

天逐雲雲急   天は雲を逐って雲急し

地重雪雪堆   地は雪を重ねて雪堆し

乾坤聞一滴   乾坤 一滴を聞く

極目只皚皚   極目 只だ皚皚

          (上平声「十灰」の押韻)



<感想>

 詩題の「二月」は現在の日本の暦でのものですので、内容的にこれだけ雪が深いとなると「一月」というところでしょうか。

 起句と承句で同字を用いていますが、起句の方はまだ内容に若干の違いがありますので分かりますが、承句の方は「重雪」「雪堆」は同意で、あまり効果が出ているとは思えません。
 ただ、対句として整えるという意図だけで見れば、納得はできるものです。

 転句は「乾坤」が良くないですね。せっかく起句と承句の対で「天」「地」を出したのに、更に同意の「乾坤」でまとめる必要は感じません。重複感だけが残ります。
 同じことが結句の「極目」にも出ていて、これも意味としては「天地」を表しているわけで、全部の句の頭に同じ言葉が連なっています。
 転句は「一滴」も唐突で意味が通じませんので、この句を推敲されると良いでしょう。



2014. 3.17                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第119作は 上弦采人 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-119

  五輪終詩        

熊聖燈消一涙零   熊聖燈を消し一涙を零(お)つ

衆辞去已処閑寧   衆已に辞去し処閑寧なり

当時妙技心中見   当時の妙技心中に見え

昔日轟声脳裏聴   昔日の轟声脳裏に聴こゆ

          (下平声「九青」の押韻)



<解説>

 熊は聖火を消して一筋の涙を流した。
 選手はすでに会場を辞去して深い静かさに包まれている。
 あの時競技した選手の素晴らしい技は心の中で見ることができる。
 かつて轟いた歓声は脳裏にまだ響いている。

起句について、閉会式ではマスコットキャラの熊のミーシャくんが聖火を消して涙を流すという演出がありました。

<感想>

 こちらの詩はしばらく前にいただきましたが、ひとまずパラリンピックが終わるまではということで、掲載を遅らせました。

 起句の「熊」は分かりましたが、語順は妙ですね。平仄合わせのためでしょうが、意味が通じません。「熊の聖燈は消え」としか読めません。
 同じことは承句もそうで、これも「衆已辞去」とすべきところを平仄合わせをしたのだと思います。「衆の辞去すること已にして」と読めば読めないことはありませんが、「衆人已去」でも十分かと思います。

 転句の「当時」はまだ分かりますが、結句の「昔日」はつい先日のことを言うには大げさすぎます。
 また、「当時」と「昔日」は同じことを言い換えたわけですが、わざわざ言う必要はない言葉で、対句にすることで考えても、同意の言葉を並べては詩のふくらみが出てきません。
 「妙技」が心の中でどんな風に見えたのかを形容する言葉を考えると、読者に伝えたい内容がしっかりしてくると思います。



2014. 3.17                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第120作は 秀涯 さんからの作品です。
 

作品番号 2014-120

  祝新年志恩三歳     新年に志恩の三歳を祝す   

阿孫愛好数三春   阿孫を愛好して数えて三春

未語回亦歩頻頻   未だ語は回らず 亦 歩頻頻たり

虜孫面包名画劇   孫を虜にす面包の名画劇

来賓客喜喜双親   賓客来れば 双親は喜喜たり

          (上平声「十一真」の押韻)



<解説>

 孫・志恩の三春の新春を迎えた
 未だ、言葉は回らず、歩みは行ったり来たり、
 孫は、アンパンのアニメの虜になっている
 孫が我が家に来れば親(両家の親を含んで)は、喜々として幸せを感じている

 孫の志恩の三歳を祝した詩です。

<感想>

 私の家も孫が三歳の男の子、娘が近くに居るためしょっちゅう我が家に来ては「かるたをしよう」「本を読んで」「(プラレールの)線路で遊ぼう」「横で一緒に昼寝して」「公園にお散歩に行こう」と私の時間を情け容赦なく奪って行きます。
 だったら相手をしなければ良いのに、と言う野暮な方は居ませんね、孫の顔を見ると「はいはい」とつい相手をすることになります。
 ですので、孫がかわいくてしかたがないという、秀涯さんのお気持ちがとてもよく分かります。
 せっかくの詩ですので、疑問の残らない完成形にしておきたいですね。

 起句の「愛好」は「可愛」「愛育」の方が、お孫さんへの愛情を表す言葉としては適当でしょう。

 承句は語順がおかしく、「語未回」でしょうが、次の「亦」も不要な語です。
 句末の「頻頻」もあちらこちらを行ったり来たりということで、歩くことが達者な方に使うと思いますので、「未語回」との対応がおかしいですね。
 上四字は、言葉も色々と話すようになった、という成長を感じさせる言葉でないと釣り合いがとれません。

 転句は「孫」の同字重出も問題ですが、「虜」が気になります。
 日本の通常の表現ですと、「〇〇をとりこにする=〇〇に夢中になって」というかわいらしく肯定的な感じもありますが、漢文では「捕らえられてしまった」という否定的なニュアンスで、「困ったものだ」となります。
 「面包名画劇」はどうせなら中国語表記の「麵包超人」として、平仄の合わない点は、固有名詞だからという理由で乗り切った方が良いでしょう。

 ただ、お孫さんがアンパンマンに夢中だという句意は、結句と何もつながりが感じられず、ただ最近の様子を語っただけで承句の延長でしかありませんので、詩のまとまりがありません。
 平仄を破って苦労して表現を探しても句の効果が弱いわけですので、いっそのことアンパンマンのことは承句にもってくる形で、句末を「麵包人」として、上四字を考えた方が効果があると思います。
 その上で、転句にお孫さんの成長を表す表現を置くと、結句への流れがスムーズになるでしょう。

 結句は「来賓客」がお孫さんが来たとはとても読めません。誰かお客さんがいらっしゃったと読みます。
 また、注に書かれた「両家の親」も疑問です。ここで「親」とすれば、お孫さんの親、つまりは秀涯さんのお子さんになります。従って、「双親」はお孫さんの両親になります。
 「お客さんが来て、大喜びのパパとママ」、簡単に言えば結句はこんな意味になりますので、作者の趣旨とは随分異なった表現ですね。
 お相手の方のことまで言う必要はなく、ここは率直に「爺と婆は孫の来訪(襲来)を喜んでいるぞ」という形に持って行くのが良いでしょう。

 全体に、句の構成を見直すことで、お孫さんへの思いが表れてくると思います。



2014. 3.21                  by 桐山人























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