2013年の投稿詩 第181作は 亥燧 さんからの作品です。
 解説には
 二泊三日の信州小旅行で松本駅に着いたときは雨が降っていましたが、翌朝からは天気に恵まれ、残雪の北アルプスや新緑の山中を満喫。
 旧友と再会し、食事(山菜や蕎麦)や温泉巡りを楽しみました。
 その時のことを思い出しながら作りました。
 とのことです。

作品番号 2013-181

  信州遊覧・其一(千鹿頭公園)        

信州五月雨聲深   信州の五月 雨声深し

野鴨靜眠池沼潯   野鴨静かに眠る 池沼の潯

君戀舊林歸北夢   君は旧林を恋ひて北に帰るを夢みるも

吾求自由旅人心   吾は自由を求むる旅人の心

          (下平声「十二侵」の押韻)



<解説>

 学生時代に、部活でよくこの池まで走ってきました。今回は一人旅、しがらみから離れてやや感傷的になりました。

<感想>

 野鴨に「君」と呼びかけ、北に帰らねばならない鳥に比べて私は自由だ、という発想は、まさに自由な心意気ですね。
 空を飛んでどこにでも行ける鳥の方が、地に足を着けている人間に比べれば自由だというのが一般的ですからね。

 確かに渡り鳥は最後は帰らねばならない地(舊林)があるわけですから、仰ることも理解できないことはないですが、自由を表すのに「旅人心」を持ってきては、渡り鳥との違いが逆に分からなくなります。
 「自由」もこの位置では平仄が合いませんので、結句全体を検討してはいかがでしょう。
 私でしたら、「飄飄自在老成心」とするところでしょうか。
 「自由」は古典では、近代的な感覚としての「拘束されない状態」というよりも、「自分勝手、思うがまま」というニュアンスが強いように私は感じていますので、ちょっと替えました。

 転句の下三字は「北帰夢」として、挟み平にしておいた方が良いでしょうね。



2013. 6.24                  by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第182作も 亥燧 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-182

  信州遊覧・其二(同窓会)        

少時多感資詩興   少時の多感 詩興を資け

老去無方仰酒漿   老去の無方 酒漿を仰ぐ

浮薄半生君勿笑   浮薄の半生 君笑ふ勿れ

須愉世事棄人評   須らく世事を愉しみ 人の評を棄つるべし

          (下平声「八庚」の押韻)



<解説>

 同窓会では、45年ぶりの人もいて、最初誰だかわからなかったのですが、あれこれ話しているうちに思い出して、時の経つのも忘れて飲み明かしました。

<感想>

 同窓会の楽しみは、何と言っても昔に戻れること。
 青春時代の気持ちがよみがえってきて、不思議とどんな思い出も「よかった、よかった」と評価できてしまうところが、恐ろしいと言えば恐ろしいですけどね。
 「少時多感」、若い頃の豊かな感受性に対して、「老去無方」、年を取ったら自由気まま、怖いもの知らずという対比も面白く読みました。

 起句は対句の関係もあり踏み落としですが、これは問題なし。
 承句の「漿」は「下平声七陽」韻、結句の「評」は「下平声八庚」韻ですので、韻目が異なっています。
 どちらかに合わせる形になりますが、承句の「漿」を「觥」として、かなり大きな杯になりますが、勢いが出て良いかもしれませんね。



2013. 6.24                  by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第183作は 亥燧 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-183

  信州遊覧・其三(北阿爾卑斯)        

北嶺染朱冠雪晨   北嶺朱に染む 冠雪の晨

翠微靉靆絶風塵   翠微靉靆して 風塵を絶す

艶粧常念失魂客   艶粧の常念 魂を失ふの客

真是神州貴婦人   真に是れ 神州の貴婦人たり

          (下平声「十二侵」の押韻)



<解説>

 北アルプスの貴婦人と呼ばれる常念岳は、松本平や安曇野からが一番きれいと思います。
 雲が懸ってしまい頂上しか見えませんでしたが、かえって下界を拒絶した感じで、清く気高く、昔と変わらぬ姿でした。

<感想>

 この五月末、私も安曇野に旅行に出かけましたが、丁度常念岳が真ん前に見られると言われたホテル、結局その日は姿を拝むことができませんでした。
 ホール担当の若い男の子が申し訳なさそうに、快晴ならばどんな風に見えるかを、情熱を籠めて語ってくれました。
 亥燧さんの詩を拝見して、残念な気持ちが戻ってきてしまいましたよ。

 詩は前半が北アルプスの峰々、後半が焦点を絞って常念岳の姿へと進むわけですが、この構成でしたら、題名は「北アルプス」よりも「常念岳」を出した方が良いでしょう。

 転句の「艶粧」は結句の「貴婦人」を出すための伏線でしょうが、具体性の無い「きれいだ」というのと「失魂」がかぶっています。
 どちらかを具体的な常念岳の形容にすると、落ち着くでしょう。

 結句の「神州」は世俗を超えた、神仙の世界を示していますが、音だけを聞けば「信州」と重なり、面白い効果が出ていますね。



2013. 6.26                  by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第184作は 亥燧 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-184

  信州遊覧・其四(鹿教湯温泉)        

世事紛紛身欲仙   世事紛紛 身の仙なることを欲し

一朝想起澡温泉   一朝想起して 温泉にあら

湯湯瀲灔渓聲響   湯湯瀲灔 渓聲響き

返照懸崖新国N   返照 懸崖 新緑鮮やかなり

          (下平声「一先」の押韻)



<解説>

 湯池場で栄えた昔の面影がなく、ひっそりしていました。
 新緑の季節で、露天風呂からの眺めは実に素晴らしかったです。

<感想>

 山の温泉の魅力は露天風呂、もちろん、温泉の温かい湯による体感もありますが、渓流の水の音も好きなものです。
 季節は新緑、時刻は夕暮れ、切り立った崖と流れる渓水、条件は万全ですので、あとは作者の思いが大切。

 前半の「脱俗」と「温泉」はつながりが悪く、説得力がないですね。
 温泉に行くのに、多くの人はそれほど大げさな意味を持っていないと思いますので、「欲仙」はどうなのか。
 鹿教湯温泉は、名の通りで鹿が教えてくれた温泉、仙界とはつながりが弱いでしょう。

 毎日の仕事に疲れたから、ちょっと温泉へ。というくらいが手頃かと思います。



2013. 6.26                  by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第185作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-185

  憶病兒     病児を憶ふ   

滿身焦熱透輕羅   満身の焦熱 軽羅を透し

慈母幾呼譫語多   慈母幾たびか呼べども 譫語多し

半夜驅車求國手   半夜車を駆って国手を求む

兒兮奈若弱衰何   児や若(なんぢ)の弱衰せるを奈何(いか)んせん

          (下平声「五歌」の押韻)



<解説>

 からだ全体熱いのが 服を着ててもよくわかる
 母が何度も名を呼ぶが うわ言ばかり口走る
 真夜中だけどタクシーを飛ばして医者に運び込む
 わが子よ 君が力なく弱っていくのをどうしよう

 3、4年程前、長男が最初に高熱を出した時に作りました。
 もちろん、苦しむ息子の横目に、その場で詩を考えていたわけではなく、事後の作ということになりますが。

 おかげさまで、その長男も今春から小学校一年生。
 弟思いの良い兄さんです。


<感想>

 「譫語」は日本語でも使いますが、「うわごと、たわごと」ですね。

 息子や娘を育てていた頃のことはどうだったかなぁという記憶も曖昧になっていますが、最近は、孫の相手や世話で、観水さんと同じような思いをすることが多くあります。
 どうなんでしょう、やはり孫になると心配が一気に募りますね。

 結句は項羽の「垓下歌」の結句である「虞兮虞兮奈若何」を受けた表現ですね。



2013. 7. 8                  by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第186作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-186

  武甲山行        

武甲山中旅客   武甲山中の旅客

石灰岩上詩情   石灰岩上の詩情

獨憐君割身體   独り憐れむ君が身体を割いて

久助人興市城   久しく人の市城を興すを助くるを

          (下平声「八庚」の押韻)



<解説>

 今日の旅路は武甲山
 石灰岩に詩をおもう
 君がからだを分けてくれ
 秩父のまちができたのか

 昨年秋、秩父方面に旅行した折の作です。
 武甲山は、上半分を大きなフォークで削りとったような特異な山容が印象的。
 セメント原料の石灰岩を掘り出していった結果、そのようになったのだとか。

 たまたま出来たのが六言句で、五言にも七言にもうまく直せなかったため、結局、そのまま六言絶句としました。

<感想>

 六言絶句は銅脈さんが「哀愁偶成」を投稿されて、存在が再確認されたような印象ですね。

 「六言で出来た」とのこと、私は全対格で作り始めたためかと思いましたが。

 「二六対」が整わなくなるのが六言絶句の難点、という話が前回出ましたが、それを対句で乗り切るという形でしょうか。

 それにしても、山に対して「君」と呼びかけるという発想、それは観水さんが解説に書かれた「上半分を大きなフォークで削りとったような特異な山容」に拠るところが大きいと思います。
 となると、もう少し、山の形容が入っても良かったかな?という気もしました。



2013. 7. 8                  by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第187作は 東山 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-187

  初夏九年庵        

朝市遠來山徑深   朝市遠く来たれば 山径深く

庵裡唯聞緑枝琴   庵裡唯聞く 緑枝の琴

黄昏澄景庭苔入   黄昏澄景 庭苔に入り

古刹鐘聲醒四村   古刹の鐘声 四村を醒ます

          (下平声「十二侵」・上平声「十三元」の押韻)



<解説>

 自宅近くの「九年庵」へ5月に行った時の詩です。

<感想>

 「九年庵」は築造に9年かかったところからの名だそうですが、いかにも趣深そうなお寺ですね。

 押韻が前半は「下平声十二侵」、結句だけが「上平声十三元」となっているので、ここは直す必要があります。

 もう一点は、承句の平仄が合いませんので、単純には上四字をひっくり返せばよいですが、ご検討下さい。



2013. 7. 9                  by 桐山人



東山さんからお返事をいただきました。

 先生、お世話になります。
 拙詩「初夏九年庵」の承句は、「庵裡唯聞」を「唯聞庵裡」へ、結句の「四村」を「寸心」に変更します。


2013. 7.11                  by 東山


鮟鱇さんから感想をいただきました。

 桐山人先生ご指摘の押韻の乱れについては、東山さんが、中華新韵で押韻されているのであれば、問題はないと思います。
 平水韵上平十一眞、十二文、十三元(のおおむね半分、村、魂など)、下平十二侵は中華新韵では九文平声です。
 ただ、新韵で押韻されているのであれば、新韵である旨の注記をされた方が、よいと思います。

 また、承句の「聞」転句の「魂」も中華新韵では九文平声、いわゆる冒韵になります。
 この冒韵が多いことを避けるなら、桐山人先生ご指摘のように、下平声十二侵で筋を通すのがよいと思います。

 結句は、下平声十二侵の押韻なら、「黄昏澄景庭苔映,古刹鐘聲入●襟(●心)」とされたらよいと思います。
 (なお、転句の「入→映」にしたのは、拙案では、「入」を結句で使うからです)

 承句は桐山人先生ご指摘のとおりで、「唯聞庵裡緑枝琴」とされれば平仄は調います。
 そのうえで、庵裡は庵のなか、緑枝は庵のそと・・・作者が庵のなかにいるのか外の庭にいるのかがわかりにくいと思います。
 また、「唯」といっておいて「聞」なのか「聽」なのか、ということも気になります。
 ここは、「偶聞院落緑陰琴」 とでもされるのがよいのではないでしょうか。


2013. 7.11                  by 鮟鱇























 2013年の投稿詩 第188作は 鮟鱇 さんからの作品です。

作品番号 2013-188

  偶成百韵        

老骨爲騷客,     老骨 騷客(詩人)となり,

苦學十六年。     苦學 十六年。

吟得詩四萬,     吟じ得たる詩は四萬,

啜盡盞八千。     啜り盡したる盞は八千。

美酒滌腸肚,     美酒 腸肚を滌ぎ,

醇醪洗肺肝。     醇醪 肺肝を洗ふ。

醉魂張羽翼,     醉魂 羽翼を張り,

綵筆走雲箋。     綵筆 雲箋を走る。


正旦屠蘇酒,     正旦 屠蘇の酒,

茅廬献壽筵。     茅廬 献壽の筵。

荊妻化妝淡,     荊妻 化妝は淡く,

野叟醉顔鮮。     野叟 醉顔は鮮やかなり。

默默傾清聖,     默默として清聖(清酒)を傾け,

悠悠佯散仙。     悠悠として散仙の佯(ふり)をす。

曲肱堪午枕,     肱を曲げれば午枕に堪へ,

瞑目擅鼻鼾。     瞑目して鼻鼾をほしいままにす。


碧漢浮輕舸,     碧漢(銀河)輕舸を浮かべ,

白頭泛清漣。     白頭 清漣に泛かぶ。

風入行衣軟,     風は行衣に入りて軟らかく,

日照嫩晴暄。     日は嫩晴に照りて暄なり。

同伴嫦娥望,     同伴せし嫦娥の望むは,

可惜春色妍。     惜しむべき春色の妍なるなり。

櫻雲流靉靉,     櫻雲 流れて靉靉として,

艷雪舞翩翩。     艷雪 舞って翩翩たり。


河岸花星散,     河岸に花は星と散り,

水心人瓦全。     水心に人は瓦全たり。

紅唇含笑勸,     紅唇 笑みを含んで勸むれば,

丹液滿杯甘。     丹液 杯を滿たして甘し。

乘興押風韵,     興に乘って風韵を押し,

寓情于景觀。     情を景觀に寓す。

飛聲作啼鳥,     聲を飛ばして啼鳥となり,

吟句伴鳴絃。     句を吟ずるに鳴絃を伴ふ。

    「水心」:流れの中心。 「瓦全」:つまらない瓦となって残る。無駄に生きのびる。

西送金烏落,     西に金烏の落つるを送り,

東迎銀兎圓。     東に銀兎の圓(まどか)なるを迎ふ。

黄昏到津渡,     黄昏 津渡に到り,

青眼這飛船。     青眼 飛船を這(むか)ふ。

旅館無塵慮,     旅館に塵慮なく,

腰包有酒錢。     腰包に酒錢あり。

對酌花貌艷,     對酌したる花貌 艷にして,

浩飲皺顔談。     浩飲したる皺顔 談ず。

    飛船:船足の速い船。また、宇宙船。腰包:腰につける巾着。
    皺顔:皺だらけの顔。老人。

回憶生涯苦,     回憶す 生涯の苦,

宦游窮僻閑。     宦游したる窮僻の閑。

鳳雛學漢字,     鳳雛 漢字を學び,

麟子看書傳。     麟子 書傳を看(よ)む。

立志晋京邑,     志を立てて京邑へ晋(すす)み,

待機彈鉄冠。     機を待ちて鉄冠を彈く。

揚眉且強志,     眉を揚げてまさに志を強くせんとし,

受命欲圖南。     命を受けて圖南せんとす。

    窮僻:さいはての地。京邑:京都。
    鉄冠:剛直なる官吏の冠。彈冠:冠の塵を払って出仕の準備をする。

正色將結綬,     色(顔色)を正してまさに綬を結ばんとするに,

愛民宜養廉。     民を愛し宜しく廉(廉潔)を養ふべし。

精勤惜短日,     精勤して短日を惜しみ,

清痩似長杉。     清く痩せて長き杉に似る。

拂曉期昇等,     拂曉 期するは昇等(昇進),

戴星疲下班。     戴星を戴き 疲れて下班(退勤)す。

城狐求利益,     城狐 利益を求め,

社鼠齧王權。     社鼠は王權を齧る。


飲酒滌腸肚,     酒を飲んで腸肚を滌(あら)い,

憂國爲諫官。     國を憂いて諫官となる。

秀才頻殉義,     秀才しきりに義に殉じ,

奇士屡失言。     奇士しばしば失言す。

一日爲謫宦,     一日 謫宦となり,

三秋遠日邊。     三秋 日邊より遠し。

早春無世務,     早春に世務なく,

隔日問梅園。     隔日 梅園を問(たず)ぬ。

    謫宦:流刑の臣下。日邊:帝王の周辺。

曲徑隨風進,     曲徑 風に隨いて進めば,

横枝綴玉闌。     横枝 玉を綴って闌(たけなわ)なり。

暗香流野店,     暗香 野店に流れ,

雅客在桃源。     雅客 桃源にあり。

緑酒芳樽盡,     緑酒 芳樽に盡き,

黄鶯空谷遷。     黄鶯 空谷へ遷る。

暮愁風寂寂,     暮愁 風は寂寂として,

醉臉涙潸潸。     醉臉 涙 潸潸たり。


朱夏多閑暇,     朱夏に閑暇多く,

碧湖投釣竿。     碧湖に釣竿を投ず。

垂綸玩細浪,     綸を垂れて玩ぶ細浪(さざなみ),

盡日洗魚筌。     盡日 魚筌を洗ふ。

鏡水鱗鱗映,     鏡水は鱗鱗として映ず,

夕霞炳炳延。     夕霞の炳炳として延びたるを。

歸途沈脚歩,     歸途に脚歩を沈め,

門口仰孤蟾。     門口に孤蟾を仰ぐ。

    沈脚歩:足取りが重い。

短夜無香夢,     短夜に香夢なく,

長居聽杜鵑。     長居に杜鵑を聽く。

清晨終悔過,     清晨 ついに悔過し,

平午欲參禪。     平午 參禪せんとす。

曳杖登石磴,     杖を曳いて石磴を登り,

敲門對褊衫。     門を敲いて褊衫(僧侶)に對す。

上堂求印可,     堂に上って印可を求め,

虚己坐香蓮。     己れを虚しくして香蓮に坐す。


解悶無良策,     悶えを解くに良策なく,

念經紛亂蝉。     經を念ずるも亂蝉に紛(まぎ)る。

飛聲鳴碧宇,     聲を飛ばして碧宇に鳴き,

盡力落蒼巖。     力盡きて蒼巖に落つ。

老叟求佳配,     老叟 佳配を求め,

好逑違宿縁。     好逑 宿縁に違ふ。

低迷不能忘,     低迷して忘る能はず,

懊惱自矜憐。     懊惱して自らを矜憐す。


徑路通塵界,     徑路は塵界へ通じ,

酒旗催苟安。     酒旗は苟安を催(うなが)す。

紅亭夕暮借,     紅亭の夕暮に借る,

朱臉醉郷霑。     朱臉の醉郷に霑ふを。

清聖催靈感,     清聖 靈感を催し,

吟翁聳痩肩。     吟翁 痩肩を聳やかす。

月明蛩雨洗,     月明るく蛩雨は洗ふ,

人撰韵脚先。     人は撰ぶに韵脚を先とするを。


拂面新涼好,     面を拂(な)でて新涼好し,

飛聲吟歩寛。     聲を飛ばして吟歩寛なり。

斷章乘興詠,     章を斷ち興に乗って詠ずるに,

摘句擬唐完。     句を摘み唐に擬して完(まっとう)す。

却老舌流暢,     老いを却(しりぞ)けて舌は流暢,

如斯話尚連。     斯くのごとく話なお連ぬ。

通宵傾緑酒,     通宵 緑酒を傾け,

向曙仰青天。     向曙 青天を仰ぐ。

    向曙:破曉。

積氣蒙溟海,     積氣 溟海を蒙(おお)い,

明星疎曉山。     明星 曉山に疎なり。

鷄鳴破春夢,     鷄鳴いて春夢を破り,

人醒起茅庵。     人醒めて茅庵に起く。

神媛乘雲去,     神媛(仙女)雲に乘って去り,

老骸傷感瞻。     老骸 感を傷(いため)て瞻(みあ)ぐ。

蒼穹飛過雁,     蒼穹に過雁飛び,

白首動吟髯。     白首 吟髯を動かす。

    積氣:積み重なった大気、天。

重振精神坐,     精神を重ねて振って坐し,

再興醉夢殘。     再興す 醉夢の殘(そこな)はれしを。

明窗机案淨,     明窗に机案 淨らかに,

暗恨道心曇。     暗恨に道心 曇る。

吐氣排幽悶,     氣を吐いて幽悶を排し,

吸風愛自然。     風を吸って自然を愛す。

游魂携筆墨,     魂を游ばするに筆墨を携え,

浮想跨瀛寰。     想を浮かべて瀛寰を跨ぐ。

    重振精神:気をとり直す。

獨坐飛機伴,     獨り坐る飛機(飛行機)の伴ふは,

群翔羽客環。     群れ翔んで羽客の環(めぐ)りをるなり。

巴黎華館聳,     パリに華館聳え,

倫敦古城堅。     ロンドンに古城堅なり。

羅馬尋遺跡,     ローマに遺跡を尋ね,

北京迎玉盤。     北京に玉盤(滿月)を迎ふ。

烤鴨眞美味,     烤鴨 眞に美味にして,

老酒促香甜。     老酒 香甜を促す。

    香甜:香味と甜味。睡って心地よい状態を形容する。

比薩瞻斜塔,     ピサに斜塔を瞻(みあ)げ,

柏林爲酒癲。     ベルリンに酒癲となる。

紐約吃漢堡,     ニューヨークにハンバーガーを吃(く)い,

上海抱糟壇。     上海に糟壇(酒壺)を抱く。

處處傾清聖,     處處に清聖(清酒)を傾け,

頻頻作醉猿。     頻頻として醉猿となる。

歸國醒蝶夢,     歸國すれば蝶夢醒め,

仍舊探春烟。     仍舊(いつものように)春烟を探る。


青柳板橋畔,     青柳 板橋の畔(ほとり),

紅梅水驛前。     紅梅 水驛の前。

佳人賣醇酒,     佳人 醇酒を売り,

美祿涌清泉。     美祿(美酒)清泉に涌く。

眼底江如鏡,     眼底(眼前)に江 鏡のごとく,

杯中詩造端。     杯中に詩 端を造(な)す。

舒情順聲律,     舒する情 聲律に順ひ,

走筆似拖涎。     走らす筆 拖涎(ナメクジ)に似る。

    造端:ものごとの最初となる。そこから始まる。

酩酊韵脚萎,     酩酊して韵脚萎え,

難得聲病痊。     得がたし 聲病の痊(いえ)るを。

嘆息辭野店,     嘆息して野店を辭し,

醉歩下河沿。     醉歩して河沿(河岸)を下る。

高踏脱塵網,     高踏 塵網を脱し,

低徊在墓田。     低徊して墓田(墓苑)にあり。

歸途迷近道,     歸途 近道に迷い,

月下歩横阡。     月下 横阡(田のあぜ)を歩む。


露宿酒徒慣,     露宿するは酒徒の慣(ならい),

風餐詩客歡。     風餐するは詩客の歡(よろこび)。

九州多勝地,     九州に勝地多く,

四海有文瀾。     四海に文瀾(文章の波瀾)あり。

愛唱李白句,     愛唱す 李白の句,

高吟杜甫聯。     高吟す 杜甫の聯。

詩名垂後世,     詩名は後世に垂れ,

瀑布挂前川。     瀑布は前川に挂かる。


盛夏逃涼蔭,     盛夏 涼蔭に逃れ,

旗亭借醉顔。     旗亭に醉顔を借る。

秋來菊怒放,     秋來たれば菊は怒放し,

老去我歸還。     老い去りて我は歸還す。

緑蘚虫聲切,     緑の蘚(こけ)に虫聲切に,

蒼旻雁語酸。     蒼き旻(そら)に雁語酸たり。

清貧宜少好,     清貧 よろしく好むを少なくすべく,

晩境數凭欄。     晩境 しばしば欄に凭(よ)る。


游目玩湖水,     游目して湖水を玩び,

亡羊仰暮檐。     亡羊として暮檐を仰ぐ。

虚空彩酣紫,     虚空 酣紫(濃い紫)に彩られ,

散士念幽玄。     散士 幽玄を念(おも)う。

有感裁詩賦,     感ありて詩賦を裁し,

無他佯蔽賢。     他なし 蔽賢の佯(ふり)をす。

心中生妙想,     心中に妙想生じ,

塵外挂孤帆。     塵外に孤帆を挂く。

    暮簷:日暮れの軒。無他:他でもなく。
    佯蔽賢:賢(徳・才能)を隠す賢者といつわる。ふりをする。

辭海稀航路,     辭海に稀れなる航路,

士林多剩員。     儒林に多き剩員。

才徳失秩序,     才徳 秩序を失い,

文藝要聲援。     文藝 聲援を要す。

燈下時三鼓,     燈下に時は三鼓,

茅齊詩百編。     茅齊に詩は百編。

沈沈窗雪舞,     沈沈として窗雪舞い,

卷卷醉眸旋。     卷卷として醉眸旋(まわ)る。


取暖傾杯坐,     暖を取るに杯を傾けて坐し,

祭詩擱手刪。     詩を祭るに手を擱(つか)ねて刪(けず)る。

睡魔斟美祿,     睡魔 美祿を斟み,

暗鬼擅欺瞞。     暗鬼 欺瞞をほしいままにす。

幸對花容笑,     幸いにも花容の笑ふに對するも,

未排障惱煩。     いまだ障惱(碍となる悩み)の煩しきを排せず。

鐘聲停破曉,     鐘聲 破曉に停(や)み,

樗叟醒三元。     樗叟 三元に醒む。

    擱手:腕をくむ。障惱:碍となる悩み。

          (中華新韵八寒平声の押韻)

<解説>

 漢詩を作り始めてから16年と2か月になりますが、詩・詞・曲のほか現代短詩のさまざまな詩体に挑戦し、拙作4万首を超えました。
 詩は8000首、詞曲11000首、漢俳ほかの現代短詩が21000首で、詩体の数では、主に詞曲を中心におよそ2500詩体になります。

 さて、拙作は、4万首を機に、初心に帰りたいという思いがあり、これまでに詠んだことのない百韵に挑戦してみることにしたものです。
 百韵に要した日時は10日。作っている間に構想上の欠陥に気が付いたり、とはいえ引き返すこともできずで中断したりで、苦吟しました。
 私が最初に詠んだ七言絶句は、作るのに2週間近くかかりました。詩語辞典の存在を知らず、漢和辞典一冊だけがたよりだった、ということもありますが、10日という苦吟は、それ以来のものです。
 そして、10日もかけて、とにかく何とか目的を達成した、というところです。
 初心に帰りたい、という気持ちは、初めて絶句を詠んだときの苦吟を思いだすことができた、という形でも目的を達しました。
 そのようなことで、作者としては、作品の出来はともかく、大変満足しています。

<感想>

 全唐詩を見ると、中唐のあたりから百韻の詩や二十韻、四十韻、五十韻などが見られ、白居易なども作詩していますね。
 五言で隔句韻ですから合計で二百句、同じ韻字を使わないのは勿論、用語も重複を避けるわけですから、語彙力や構成力なども求められるもの。何となく力わざの趣もありますね。

 実は読む方も気力を高めないと辛い面もありますが、鮟鱇さんのこの百韻はそれほど力まずに読ませていただけました。
 八句ごとに切れ目を入れて下さったのが、古詩の換韻のような感じで、ブロック単位で眺められたおかげかもしれませんし、作詩の過程でもきっと、八句を基準単位にして作られたのでしょうね。




2013. 7. 9                  by 桐山人





















 2013年の投稿詩 第189作は S.U さん、二十代の男性の方からの作品です。
 

作品番号 2013-189

  弄琴之音        

明窓對几寄詩稀   明窓几に對し 詩を寄すること稀なり

茶鼎花香一布衣   茶鼎 花香り 一布衣あり

嫋嫋弄琴無限好   嫋嫋たる弄琴 無限に好し

可憐忽憶月依微   可憐にして 忽ち憶ふ 月微かに依る

          (上平声「五微」の押韻)



<解説>

 母が楽しくピアノを弾いている姿を詩にしました。

<感想>

 世界漢詩同好會にもご参加くださったS.Uさん、投稿での雅号に「無名氏」をご希望でした。
 このサイトでは、投稿される方は雅号でご参加いただいています。
 勿論、匿名ですので、どこの誰であるか、という個人情報を出さないことは原則ですが、詩である以上、作者は必ず固有の存在であり、発表にあたって責任を持つ、という観点で、他の方と区別できるように雅号をお願いしています。
 今時のネット社会にはそぐわないかもしれませんが、ご自分の詩を大切にする、という趣旨ですので、ご理解いただきたいと思います。

 前半は作者の現況、というところでしょうか。
 落ち着いた穏やかな生活が、両句とも上四字で表れていると思いますが、起句の「寄詩稀」は謙遜でしょうか。「明窓對几」ではある「けれど」、と逆接でつながる点で、作者はこの状態を喜んでいるのかどうか、わかりにくく感じます。
 また、承句の「一布衣」にも謙遜(自負)が表れていると思いますので、二句での感情のバランスも気になりました。
 起句は「詩を書く」という意味合いの「彩毫揮」「自毫揮」などを考えてはどうでしょう。

 転句が、お母様がピアノを弾いている姿ですね。「無限好」はやや大げさかな?という気もしますので、解説でお書きになったように、「楽しそう」な様子を出して、転句は作者の気持ちは出さずにお母様のことに統一されると良いかと思います。
 あるいは、結句の「可憐」をここに持ってくるのも考えられますね。

 結句は、転句までで詩が終って、おまけの句のような印象です。
 「忽憶」は、誰が何を思っているのでしょう。
 また、「月依微」を「月微かに依る」と訓読されていますが、「月の依ること微かなり」とするのが無難でしょう。ただ、この語は「月 依微たり」と読み、「月がぼんやりとして、かすかだ」と理解した方が良いでしょう。
 「忽憶」とつなげると、何かを象徴しているのでしょうか。




2013. 7.14                  by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第190作は 岳泰 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-190

  贈螺鈿硯     螺鈿の硯を贈る   

進黌孫志學   黌に進む 孫 志学(じゅうご)

傳贈硯螺鈿   傳へ贈る 硯は螺鈿

廻已吾研席   廻れば已に吾 研席

惟思筆墨研   惟 筆墨の研(こころ)を思ふ

          (下平声「一先」の押韻)



<解説>

 十五歳の孫が高校に進学する
 お祝いに祖父から貰った螺鈿の硯箱を贈ろう
 振り返れば、この硯箱は60年前の祖父からの入学祝いだ
 硯箱は筆や墨と共に大切にして、勉学に研鑽してほしい

 今回は五言絶句に挑戦してみました。
 やっと平仄押韻が少し分かってきました。

 起句の「志学」を「十五」と詠みますが、如何でしょうか?
 重要な転句ですが、初案は「硯席」でしたが、これを「研席」にしましたが、意味が通じるでしょうか?

 結句が少し頼りないのでは?と感じています。



<感想>

 仰る通り、平仄や押韻については、ほぼ大丈夫な詩になっていますね。

 初案もいただきましたが、「硯」の字が三箇所に使われていて、岳泰さんご自身も疑問視されていましたね。句をまたがっての「同字重出」は禁忌とされています。
 その「硯」を今回は変更したのですが、「硯席」も「研席」も「学問をするところ」という意味ですので心配は要りませんが、ただ、今度は「研」が重複してしまいましたね。
 一つ直すと一つぶつかるところが出てくる、というのが漢詩の難しいところですが、そこが楽しいところでもあると思って下さい。

 順に見ていくと、

 起句は「志学」を「じゅうご」と読むのは、どうしてもということなら許容できる範囲だと思いますが、「しがく」という読み方も「十五歳を表す」ということもよく知られていることですので、私はそのまま「しがく」で良いと思います。

 承句は問題なく、「伝贈」がよく利いているでしょう。

 転句は句意が通じませんね。
 ご自身の若かった頃を思い出してということで「廻已」としたのかと思いますが、すっきりと「憶昔」と言い出した方が良いでしょう。
 下三字を続けると、「憶昔吾時習」と『論語』で「志学」と重ねるか、「憶昔青襟日」など、学問をすることを表す言葉は沢山ありますので、色々と探してみると良いでしょうね。
 結句は「研」で「こころ」というのは苦しく、「筆墨を研ぐ」と理解します。「筆墨専」(ひつぼくをもっぱらにす)として結論を決めておき、上の二字に願いを示す言葉を入れてみてはいかがでしょう。
 お書きになった「惟思」でも通じますが、もう少し、意味がはっきり出るような形が良いと思います。



2013. 7.15                  by 桐山人



岳泰さんからお返事をいただきました。

 日頃、ご多忙な中を拙作の漢詩に丁寧な添削を頂き誠に有難う存じます。
 再度、推敲しましたので、ご意見などよろしくお願いします。

    贈螺鈿硯
  進黌孫志学  黌に進まんとす孫志学
  傳贈硯螺鈿  傳へ贈らむ 硯は螺鈿
  憶昔吾時習  憶ふ昔 吾 時に習ふ
  須応筆墨専  須らく応に 筆墨を専(もっぱら)にすべし

 結句、最初の二字は如何でしょうか?
「須応」(すべからく まさに)と「応須」(まさに すべからく)のどちらが良いでしょうか?

 また、最後の「専」の読みですが、「もっぱらにすべし」「せんにすべし」の、これもどちらが良いでしょうか?




 ご質問については、読み下し文は私の方で修正しましたので、参考にして下さい。

 「須応」と「応須」につきましては、どちらも用例はありますが、「応須」の方が一般的です。

 転句の「時習」は「学ぶ時」と返って読むのではなく、ここでは、『論語』の「学而時習之、不亦説乎。」(学びて時に之を習ふ、亦説ばしからずや)からの言葉です。
 「学び、機会ある度に学び直すことは、何とも楽しいことだ」という意味から、「私も若い頃、学問の楽しみを堪能していた」ということを表しています。
 「だからこそ、孫よ、お前もしっかり励め」、と結句につながります。

2013. 8.15                by 桐山人























 2013年の投稿詩 第191作は 越粒庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-191

  梅雨        

晝昏簷溜響   昼は昏し 簷溜響く

梁上燕泥香   梁上 燕泥香る

哺養精根在   哺養 精根在りて

雙親潤翼忙   双親 翼を潤して忙し

          (下平声「七陽」の押韻)



<解説>

 今のところ空梅雨です。先に見かけた燕たちは今どうしているのやら、さっぱり見かけなくなりました。
 詩語集で「燕泥」ということばを見つけ、使ってみようという気になりました。(まさか燕のふんではないでしょうね)
白楽天の「燕詩示劉叟」が思いだされます。


 

<感想>

 「燕泥」は、燕が営巣の時に泥を口に銜んで運ぶことから来た言葉で、泥そのものよりも燕の巣や築巣行為を表しています。
 白居易の詩に「誰家新燕啄春泥」(「錢塘湖春行」)という句がありますね。

 お示しになった「燕詩示劉叟」は、燕が一生懸命に雛を育てても、雛の方は大きくなれば勝手に巣立って行ってしまうことを詩にして、子に裏切られたと泣いている劉じいさんに示したものという注が付いています。(「叟有愛子,背叟逃去,叟甚悲念之。叟少年時,亦嘗如是。故作燕詩以諭之」)

 越粒庵さんの詩はまだ巣立つ前の段階、親燕が子どもに餌を運んでいる姿を描いていますね。
 起句の「簷溜」は「軒溜」と同じで、軒からの雨垂れ、その音が響いている梅雨の午後、梁の上に燕が営巣している。その巣を香しいと感じるのは詩人の好みですから、「燕泥香」は問題ないですね。

 ただ、後半は子育ての様子を丁寧に描いていますが、承句の「香」が働きますので、燕への好意的な視点が保持されますね。

 子どもへの虐待や乳幼児の餓死などのニュースが毎月の如く流れる昨今、育った後はともあれ、育児をすべき時期はひたすら愛情を注ぐ、という姿は、大切かもしれませんね。
 転句の末字を「盡」としておいた方が、意図も強く示されると思います。




2013. 7.15                  by 桐山人





越粒庵さんからお返事をいただきました。

鈴木先生:
ご懇切な批評を賜りありがとうございました。
このような長文にわたるご批評をいただくに値する作品とは、思ってもおりませんでしたので、恐縮のほかありません。

「在」は現在進行形のつもりだったので、「盡」だと現在完了形になってしまうのではと思いましたが、辞書をよくよく見ましたら、「力を尽くしている状態」ということですので、まったく先生のご指摘の通りです。
「尽き」ではなく「尽くす」なのですね。よく分かりました。


2013. 7.16                by 越粒庵






















 2013年の投稿詩 第192作は 東蔭 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-192

  梅雨坐禅        

古刹幽庭獨坐禅   古刹の幽庭 独り坐禅す

濕風撫頬急陰天   湿風頬を撫づ 急陰の天

雷光撃喝驚心地   雷光撃喝し 心地を驚かす

催雨蒼苔更色鮮   雨催し 蒼苔 更に色鮮なり

          (下平声「一先」の押韻)



<解説>

古いお寺の幽玄な庭の前で独り坐禅をしている
湿った風が頬を撫でるように吹き、急に空が陰りはじめた
雷が光り、直撃したような大きな音に心底驚き
雨が降り始め、蒼い苔は更に青々と色鮮やかになってきた


<感想>

 東蔭さんは、前作では「賢道」の雅号でご登場でしたが、今回から新しい号に変更とのことです。

 起句はよく収まっていると思います。

 承句の「急陰天」は、「急に暗くなってきた空」というところで、次の「雷光」に進み、結句の「催雨」と流れていくのですが、ちょっと丁寧すぎるかな?という気がします。
 また、転句では「雷光に心が驚いた」とのこと、坐禅の時に雷で心が乱れて良いのかなぁと心配をしてしまいます。ま、人間くさい姿も大切と言えばそれでも良いのですが。
 私は、「座禅」にあまりこだわらなくても良く、「古刹」をただ愛づる立場で行くのも一つの案かなと思います。

 結句は「催雨 蒼苔更色鮮」という形で、上二字で切れるリズムでしょうが、「雨洗蒼苔 更色鮮」という形も考えられますので、ご検討を。



2013. 7.15                  by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第193作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-193

  出郊        

堤楊畔竹景参差   堤楊 畔竹 景 参差タリ

鬱鬱芊芊吐靄滋   鬱鬱 芊芊トシテ 靄ヲ吐クコト滋シ

煙裡交加蘆岸緑   煙裡 交加ス 蘆岸ノ緑

雨中静寂度頭祠   雨中 静寂タリ 度頭ノ祠

蓑衣東圃腰鎌影   蓑衣 東圃 鎌ヲ腰スルノ影

藤笠西田執耜姿   藤笠 西田 耜ヲ執ルノ姿

熟麦青禾郊甸径   熟麦 青禾 郊甸ノ径

江村農月気蒸時   江村ノ農月 気蒸ノ時

          (上平声「四支」の押韻)



<感想>

 真瑞庵さんはいつものように、情景を的確に描写されておられて、一幅の風景画を見ているような思いになります。

 降り込める雨の中、川辺の樹影、垂れこめてかすむ渡し場、目をやれば農夫の働く姿、茶色く熟した麦と田植えを終えたばかりの若い稲、作者の落ち着いた生活が感じられます。

 「鬱鬱」は樹木のこんもりと繁った様子、「芊芊」は草が勢いよく繁る様子で、新緑の鮮やかな色が引き立っています。
 そういう意味では、三句目の「緑」は言わずもがな、というところでしょうか。

 頸聯の対句は収まりすぎて、面白みが足りないように思います。

 尾聯はまとめになりますが、「青」は、この色が引き立つわけでもなく、「新」あたりでどうでしょうか。
 あるいは、「熟麦」が「黄麦」ですと、二つの色が出されて「青禾」も生きてくるように思います。




2013. 7.17                  by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第194作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-194

  遊藤花下        

古池水面展花筵   古池ノ水面 花筵ヲ展ベ

棚架垂藤紫影嬋   棚架ノ垂藤 紫影嬋タリ

風裡如観羽裳舞   風裡 羽裳ノ舞ヲ観ル如ク

遊人歩歩裹香煙   遊人 歩歩 香煙ニ裹マル

          (下平声「一先」の押韻)



<感想>

 藤の花の艶やかな紫色は、私も大好きなのですが、熊ん蜂がよく巡回していて、なかなか花の近くでのんびりと鑑賞することができないことが多いのが難点ですね。
 ただ飛んでいるだけなら良いのですが、花に近づくと急飛来し、目の前の空中にぴたっと静止し、こちらの動きをじっと観察したりします。何とも背筋に冷たいものが走り、「お邪魔しました」という感じで、こそこそとつい退去してしまいます。
 真瑞庵さんは、ゆったりと散歩を楽しんでおられるようで、うらやましいですね。

 転句はその思いがよく表れた表現で、「羽裳舞」は紫のシルクの裳裾が風に翻るようなイメージで、動きのある比喩になっていると思います。
 その分、「如観」の直喩は邪魔で、ここは花の揺れる姿を表す形容語を入れた方が良いでしょうね。



2013. 7.17                  by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第195作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-195

  癸巳花茨忌(故白石悌三君十五回忌)        

五三年所奈無人   五三年所 人無きを奈せん

八十衰殘入夢頻   八十衰殘 夢に入ること頻りなり

天界行行君不見   天界 行き行きて 君見えず

茫茫漠漠涙沾巾   茫茫 漠漠 涙 巾を沾す

          (上平声「十一真」の押韻)



<解説>

 還暦後、幾年も経たずに他界した畏友(故白石悌三君)を偲んで、個人的な忌日『花茨忌』を修し始めたが、今年は何と十五年回忌である。
 故人がもし存命ならば、共々、傘壽である。そこで一句を詠んだ。

     八十なほ夢にかも見ん花茨  兼山

 また「第十三の巻」を巻くことになった獨吟歌仙「花茨」は、時節柄、「憲法改正、原発反対」を取り上げた。

獨吟歌仙 花茨(第十三の巻)

(発句)八十なほ夢にかも見ん花茨
    かの東皐にのぼれば

    愁ひつつ岡に上れば花茨  蕪村

(脇句)歸りなんいざ茂る夏草
    東皋以舒嘯 臨C流而賦詩  「歸去來兮辭」 陶淵明

(第三)みちのくに野馬追太鼓轟いて
    相馬野馬追(国の重要無形民俗文化財)
    千年以上もの歴史を誇る伝統馬事文化

(平句)原發不要戰争放棄
    九十四歳老人車椅子で参加「金曜デモ」
    憲法第九条を変へるな「九条の会」

(月座)宇宙服月面歩行陰謀説
    月の人の一人とならん車椅子  源義 

(挙句)減量成らず馬肥ゆる秋
    馬肥ゆる陸奥の旅けふここに  青邨


【補注】
 杜甫に李白を詠んだ五言古詩「夢李白」(二首)がある。

   故人入我夢 明我長相憶(其一)杜甫
   三夜頻夢君 情親見君意(其二)杜甫

 拙詩「癸巳花茨忌」の承句には、杜甫の詩「夢李白」と同じ三文字「入・夢・頻」を用いたが、続く転句では、残念ながら「君・不・見」と詠んでいる。
 即ち、十五回忌の今日に至る迄、夢の中で故人と相見えたことは遂に無い。


<感想>

 兼山さんの「花茨忌」の詩、七月五日に十五回忌の法要が行われたとのこと、もう少し早く掲載をしておくべきでしたね。
すみません。

 お書き添えの李白の詩につきましては、「夢李白 二首之一」「夢李白 二首之二」を「名作集」に載せておきました。
 安禄山の乱の後、李白が反逆罪に問われて南に流された時の詩で、李白、高適と共に旅をした時からすでに十五年が過ぎていますが、李白への変わらぬ思いが胸に迫る詩です。

 この杜甫の詩は一面、魂の行き来を語るもので、思いがあれば自分の魂が相手の所に行くという古代以来の考え方が見られます。
 「じゃあ、姿を見せてくれないのは、自分のことを忘れてしまったのか」と考えがちですが、姿を見せないのは、故人が異籍において、恙なくいらっしゃる証。死者の魂が現世に来るのは、怨みが残っていたり、生前の不満を語りたい時というのが相場ですので、まさに「便りのないのはよい便り」ということですね。
 兼山さんが毎夜毎夜、故人を尋ねて夢の中をさまよっている、という思いは、それだけ強ければ、相手の所には必ず伝わっているわけですので、一方通行を嘆くことは無いと思いますよ。





2013. 7.18                  by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第196作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-196

  又又川中島        

流合千犀古戦場   流は千犀に合す 古戦場

只期上洛賭興亡   只上洛を期して 興亡を賭ける

両雄今古不双立   両雄 今古 双び立たず

甲越風雲十二霜   甲越 風雲の十二霜

          (下平声「七陽」の押韻)



<解説>

 前作の起句の一部と結句の一部を入れ替えました。

 起句は千曲川と犀川の中州川中島辺りの古戦場。
 結句は甲州武田信玄と越後上杉謙信の戦い、風雲の足かけ12年に及ぶ戦いであった。

 風雲の語意:竜が風雲を得て天に上るように優れた人物が機会を得て世に出るたとえ。
 武田か上杉か・・・



<感想>

 又川中島から更に推敲を重ねた形ですが、何と言っても十二年にも及ぶ長い戦い、日本史でも名高い川中島の決戦を七言絶句の二十八文字で表しきるには、まだまだ迷いが深いかもしれませんね。

 これを完成形として、また、別の視点からの川中島の詩作を試みると面白いのではないでしょうか。



2013. 7.23                  by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第197作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-197

  壬辰旅京洛        

洛中洛外看花時   洛中 洛外 看花の時

明治維新殉国碑   明治 維新 殉国の碑

烈士東山埋骨処   東山に烈士 埋骨の処

不知野老古都覊   野老は知らず 古都の覊

          (上平声「四支」の押韻)



<解説>

 壬辰辰年生まれの祝い旅とて京洛に旅す。

 東山この一帯には、柳川星巌・梅田雲浜・坂本竜馬・木戸孝允などの墓碑が多い。
 田舎爺は醍醐の桜に見とれ、殉難烈士のことを知ってか知らずにか、流浪の旅をしている。

<感想>

 「壬辰」ということですので、昨年の春に旅をされた折のものですね。

 起句の京都一帯の広い春景色から、いきなり東山の「明治維新殉国碑」と来るのは苦しく、「洛中洛外に殉国の碑」が散在していることを言っているのかと思います。「東山」を一旦持ってこないと、読者も想像がしにくいでしょうね。

 転句の読み下しは「烈士 東山 埋骨の処」とし、「東山」の後に入るべき「に」とか「の」という助詞を省略した(要するに、ちょっとぼかした)読み方が良いでしょう。

 結句は、主語を「野老」とするのは何とか理解できないこともないですが、「不知」の内容を前句とするのは無理強いで、本来なら転句に「野老不知」と入れてから、内容を示すのが筋です。
 現行では、そのまま読めば、「野老が古都を旅していることを知らない」となるでしょうね。



2013. 7.23                  by 桐山人



深渓さんからお返事をいただきました。

ご感想を頂き有難うございました。
ご感想を心してこのように推敲しました。

    又壬辰旅京洛
  壬辰四月古都覊   壬辰 四月 古都の覊
  香靄東山烈士碑   香靄 東山 烈士の碑
  野老不察埋骨処   野老 察らず 埋骨の処
  維新殉国識君遅   維新の殉国 君識る遅し


2013. 7.24              by 深渓


 推敲作を拝見しました。
 前半に場面が描かれたため、随分、すっきりしたと思います。

 転句は四字目が平字でなくてはなりませんので、「察」を「知」にする形、そうなると、結句の「識」が邪魔になりますね。
 実際、結句の下三字は何が「遅」のか分からないので、変更した方が良いでしょう。
 私でしたら、後半に維新の義士の話をまとめたいので、「碑」を結句の韻字にしたいと思います。

  壬辰四月古都覊
  香靄東山花萬枝
  野老不知埋骨処
  維新殉国義臣碑

 こんな感じを考えましたが、いかがでしょうか。


2013. 7.26              by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第198作は 道佳 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-198

  富士山登録世界遺産        

万葉史詩安敬恭   万葉より史詩 安んじる敬恭

恋情噴火詠潜龍   恋情 噴火 詠ふ潜龍

倒懸白扇玉姿一   さかしまに懸る白扇 玉姿は一

莫撃平和富士峯   撃つ莫かれ 平和の富士の峯を

          (上平声「二冬」の押韻)



<解説>

 世界遺産に冨士の山は登録されたが、万葉時代から歴史の詩に詠まれ、心安んじる山として敬われてきた。
 恋心や噴火、そして龍が潜んでいると詠われてきている。
「白扇さかしまに懸る」と丈山が詠んだその美しい姿は一番だ。
 この平和の象徴冨士の峯を戦で荒らすことがあってはならない。


<感想>

 世界遺産登録から、富士山への観光客や登山客が激増しているそうで、この夏休みはきっと、すさまじいラッシュになるのではないかと心配しています。
 道佳さんが仰る通り、古代から日本人に親しまれ、敬愛されてきた富士山、宝永の噴火の前までは噴煙が立ち上っていたそうですので、現在の私たちが見ている姿よりも、もっと勇猛で神秘的だったかもしれません。
 丈山の詩も噴煙の時代、美しいというだけではない力強さも感じられるのは、そのあたりも影響があるかもしれませんね。

 道佳さんのこの詩は、そうした背景を押さえつつ、平和日本の象徴としてとらえようという意思が出ていますね。
 ただ、「撃」と言われても、「富士山の峰を攻撃する」ということは具体的なイメージとしてとらえにくく、「悠久」「久遠」として願望を表す形が良いでしょう。

 結句の「平和」は強引に入れた印象です。
 お気持ちは分かりますが、古来からの「心安んじる」という概念と現代日本の平和と結びつけるにはもう少し丁寧な叙述が欲しいところです。
 また、「富士」の山は「(兵)士に富む」という語源説もありますので、「平和である富士」という表現は、私は個人的にはあまり納得できません。
 「富士」か「平和」か、どちらかを削る形で、私でしたら「久遠清聖富士山」、「安」を入れるなら「祈願安寧富士山」としますが、主張が甘いと言われてしまいますかね。



2013. 7.23                  by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第199作は 劉建 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-199

  半夏生        

書簡難酬半夏生   書簡 酬い難く 半夏生まれ

未封払曉伯勞鳴   未だ封ぜず 払暁 伯労鳴く

欲君披膽傳心意   君胆を披き 心意を伝へんと欲し

已忘隣家木菫榮   已に忘れんか 隣家 木槿の栄(はなさ)くを

          (下平声「八庚」の押韻)


「半夏」: 雑節で夏至から11日目。植物の半夏はんげが生える頃を指す。
「伯労」: 百舌。
「木菫」: 槿。


<解説>

 最近の子はスマホでメールを送り、意思を伝えていますが、大事な事は便箋に万年筆でと、娘に送りました。
 ところが、なんであんなの書いて送るのか?と私の携帯電話にメールが来ていました。
 紙に字を書いて伝えるのは、メールとは絶対に違うのに。

<感想>

 「辛夷」の詩でお話になっていた娘さんですね。下宿しておられるとのことでした。
 父親としては、メールでは何となく物足りない気持ちで、「大事な事」だと思って便箋をお使いになったのでしょうが、反応は「あんなの」とのこと、ちょっとがっかりですか。
 でも、手紙で「書いて送る」のは重大事件の時だという認識は持っていらっしゃるわけですから、要は、「大事な事」の感覚の違いでしょうね。
 それが「隣家の木槿の花が開いた」というニュースだったとしたら、私は娘さんに同意しますが・・・・(笑)。

 転句は、お気持ちがストレートに出ているところですが、「欲」の内容に気をつけて読み下してください。
 「欲」を最後に読むと、「君(娘さん)が心を開いて、(私に)心意を伝えてくれること」を「欲」することになります。上四字で一旦切る形、できれば「欲披君膽」として、「君が膽を披かんと欲して 心意を伝へん」とした方が良いでしょうね。

 粘り強く心を伝えることが、「披膽」の鍵だと私は思いますので、叱られても叱られても手紙を出す、こちらもメールに対して抵抗感を無くす努力も必要でしょうね。



2013. 7.23                  by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第200作は 鮟鱇 さんからの作品です。

作品番号 2013-200

  應天長・秋 蝉        

秋蝉飲露鳴山寺,   秋蝉 露を飲んで山寺に鳴き,

詩叟傾杯吟海市。   詩叟 杯を傾けて海市に吟ず。

啜霞漿,          霞漿を啜り,

無牙齒,          牙齒なく,

晩境飛聲相類似。   晩境に聲を飛ばして相ひ類似す。

   ○          ○

愛風流,          風流を愛し,

學韵事,          韵事を學び,

頻願厭離塵世。    頻りに願ふ 厭離塵世。

但冩好逑名字,    但し 好逑の名字を冩(か)かんと,

禿毫走箋紙。      禿毫 箋紙を走る。

          (中華新韵十三支仄声の押韻)

<解説>

「海市」: 蜃気楼。
「霞漿」: 仙人の飲み物。
「牙齒」: 歯。
「好逑」: よい伴侶。
「禿毫」: ちびた筆。

 蝉は最晩年によき伴侶を求めて鳴きます。晩境にあって詩を詠むにしても、完全に枯れ切った境地で詩を詠むのではなく、せめて、恋人の名を詩に詠みこむぐらいのことはしたい、と思った次第です。
 「應天長」の詞譜は次のとおりです。詞を詠む喜びのひとつに仄声で押韻できる、ということがありますが、「應天長」は仄声押韻の詞です。

 應天長 詞譜・雙調50字
  ▲△△▲○△仄,△●△○○●仄。▲○△,△▲仄,▲●▲○○●仄。
  ●○○,○●仄,△●▲○○仄。▲●▲○△仄,▲△△▲仄。
     仄:仄声の押韻。○:平声。●:仄声。△:応平可仄。▲応仄可平。
  





















 2013年の投稿詩 第201作は 鮟鱇 さんからの作品です。

作品番号 2013-201

  踏莎行・七 夕        

老叟傾杯,        老叟は杯を傾け,

鳴蝉飲露,        鳴蝉は露を飲み,

晩年相競吟昏暮。   晩年に相ひ競ひて昏暮に吟ず。

彩霞如扇紫穹開,   彩霞 扇の紫穹に開くが如く,

聲聲不斷風輕處。   聲聲不斷 風輕きところ。

   ○          ○

煩惱連綿,         煩惱は連綿として,

好逑清楚,         好逑は清楚なり,

害単思病愁南浦。   害単思病(片思ひ)して南浦に愁ふ。

碧湖如鏡耀鱗鱗,   碧湖 鏡の如く鱗鱗と耀き,

銀河夜半牛郎渡。   銀河 夜半に牛郎渡る。

          (中華新韵十四姑仄声の押韻)

<解説>

「害単思病」: 片思い。
「牛郎」: 彦星。

 七夕の神話はいつから始まったのでしょうか。牛郎、今年は何歳か、などととりとめもなく老いらくの逢瀬を詠みました。

「踏莎行」の詞譜は次のとおりです。

 踏莎行 詞譜・雙調58字
  [▲●○○,△○▲仄],△○▲●○○仄。▲○△●●○○,△○▲●○○仄。
  [▲●○○,△○▲仄],△○▲●○○仄。△○▲●●○○,△○▲●○○仄。
  [ ]内は対仗に作る。仄:仄声の押韻。○:平声。●:仄声。△:応平可仄。▲応仄可平。

 莎(はますげ)を踏んで貴方に逢ひに行く

 莎(はますげ)の銀河の岸に咲く頃や牛郎夜半に花を踏みゆく

<感想>

 鮟鱇さんから詞を二つ、どちらも「秋蝉」と「老叟」を並べて、残り少ない人生を華やかに過ごそうという趣旨のものですね。
 老境と恋情という組み合わせが、妙な緊張感を生んで、何となくドキドキとして印象派(抽象派?)の絵を観ているような感じがします。

 老いらくの恋は深みにはまりやすい、と言われますが、人生の晩期という気持ちが炎をかき立てるという面もあるのでしょうね。
 孫をつい甘やかして、溺愛してしまうのも、ある種の恋愛感情に近いものがあるような気がしますね。



2013. 7.24                  by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第202作は 劉建 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-202

  癸巳七夕        

黄昏湖畔水清坳   黄昏 湖畔 水清きくぼみ

皎映疎林佛焰苞   皎く映ずる 疎林 仏炎苞ぶつえんほう

宵燭熒熒裳點點   宵燭 熒熒けいけい 裳 點點

牽牛織女喜聲交   牽牛 織女 喜聲交じわる

          (下平声「三肴」の押韻)



「仏炎苞」: 水芭蕉の肉穂花序を包む苞葉を指す。白色。
「宵燭」: 崔豹『古今注・魚虫』に「蛍火,一名宵燭」とある。
「裳」: ここでは浴衣の裳裾のこと。



<解説>

 蛍の復活を期して自然な環境に、と再開発をする事が、問題になったりします。
 空想の蛍で良いのですが、如何なものでしょう。

<感想>

 螢の光りは一定時間を置いて明滅するのですが、暗闇を覗き観察していると、本当に幻想的な気がします。
 子どもの頃の思い出では、海に通じる川の土手で蚊柱のように群れていました。実家の庭で兄姉たちと点いたり消えたりを眺めていたことも思い出します。

 劉建さんの「七夕」の詩は、水芭蕉の育つきれいな水辺、そこに螢が一つ二つと飛んでいる、今日は七夕、空では二つの星が相会うているようだ、という、静かな夏の宵の光景を描いていますね。

 ただ、色々と舞台に並ぶものが多く、どこに主眼があるのかが分かりにくくなっています。逆に言えば、読者はどこに共感したら良いのか、迷います。
 全部に感動してくれ!と言われるかもしれませんが、それでは一句一句が孤立してしまいます。

 例えば「螢」を中心におくならば、承句の「皎映」をやめるとか、結句も「喜声」という感情を表す言葉を避ける、とかが考えられます。

 主役が誰であるかを明確にするためには、脇役が控えるということも必要かと思います。

 と言うよりも、一つ一つで詩が作れそうな感じがしますので、うらやましいですね。



2013. 7.24                  by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第203作は 哲山 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-203

  母節有感        

親亡方母節   親亡ず 方に母の節

幽室仏灯輝   幽室 仏灯輝き

暢茂椿萱苑   暢茂す 椿萱の苑

哀情極沾衣   哀情極って衣を沾らす

          (上平声「五微」の押韻)

 

<解説>

 父は遠に亡くなり、母がこの5月12日(母の日)に他界しました。享年96歳。
 葬儀や後片付けに追われて詩作の余裕もなく、取りかかっても韻に行き詰まっていました。世界漢詩同好會の案内を貰って、その上平声五微韻で行こうと思い立ち、なんとか一段落しました。

 母の日は中国語で母親節とあり、詩題を単に<母節有感>としました。
 「仏灯輝」、「(涙)沾衣」も『漢詩を創る 漢詩を愉しむ』の韻脚集から拾いました。
「哀情涙沾衣」「哀情極沾衣」としたのですが、これもベターなのかわかりません。

<感想>

 世界漢詩同好會の折にいただきましたが、「夏至有感」という共通詩題には内容的にも入れられませんでしたので、一般投稿にさせていただきました。

 お母様が亡くなられたということ、なかなか詩作に取り組むこと自体が難しい時期でもあり、心境でもあったかと思います。
 こうして作品としてまとめられたことが、ご供養になるのではと思います。

 用語も適切で、全体にも悲しみが伝わってくる詩です。あらためて、お悔やみを申し上げます。

 一点、修正するのは、結句の「沾」で、この字は平声で用います。拙著の「韻脚集」でも上段の「●〇◎」の項目に入れてあると思います。
 別の韻脚を探すのは気持ちがすっきりしないと思いますので、「沾」を「染」と変更しておくのが良いかと思います。



2013. 7.26                  by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第204作は 哲山 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-204

  納骨        

母憂迎納骨   母憂 納骨を迎へ

鬼雨入黄泉   鬼雨 黄泉に入る

再会何不叶   再会 何ぞ叶はざる

遺影笑灯前   遺影 灯前に笑ふ

          (下平声「一先」の押韻)



<解説>

 「母憂」は「母の死」という意味になっているのですが、「母憂迎納骨」が文法的に合っているのかどうかよくわかりません。

 「遺影」も●○を探したのですがうまくいかず、「遺影」で済ませました。

<感想>

 こちらの詩も、構成が整っていて、お気持ちがよく伝わってきます。

 起句の「母憂迎納骨」は、確かに「母親の死」が「納骨を迎えた」わけではありませんから、文法的に適切かと言うと疑問ですが、詩であり、特に五言句ですので省略も許されます。
 句意が全く通じないなら別ですが、このくらいなら、十分に通じますので良いと思います。
 どうしても気になるのでしたら、「母亡迎納骨」と二つの文にする形でしょう。

 転句は四字目の「不」が仄声ですので、「難」にして合わせます。
 また、「叶」で「思い通りに実現する」の意味は日本語だけの用法ですので、「適」の字にしておきましょう。
 結果として、「再会何難適」で「再会 何ぞ適(かな)ふの難(かた)きや」と訓じておきます。

 結句は、仏壇で遺影が笑いかけてくれる、という結びで、愛する人を失った悲しみから一歩前に出て行くお気持ちを表しており、余韻の残る内容です。
 平仄を合わせようと語句を入れ替えたせいで、当初の思いとずれてしまってはいけませんので、選択が難しかったと思います。
 お気持ちに沿うように、「笑顔遺影前」と考えましたが、いかがでしょう。



2013. 7.26                  by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第205作は 哲山 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-205

  墓前        

夏炎焼列島   夏炎 列島を焼き

新鬼渇求泉   新鬼 渇して泉を求む

冥俯奈遐異   冥俯 遐異を奈んせん

吾唯供香煙   吾 ただ香煙を供ふのみ

          (下平声「一先」の押韻)



<感想>

  亡くなられてから季節も移ったことが最初に示されて、当初の深い悲しみから少し見方が変化したように感じます。
 こちらの詩も首尾一貫していて、よくお気持ちや場面が感じられます。

 結句は「平句」でないといけませんので、平仄を直す必要があります。「吾唯」は入れ替えれば良いですが、「香煙」は変わる言葉が難しいですね。
 「香」に代わるとすると、「寺」「墓」「仏」「梵」などでしょうか。
 私としては、「梵煙」でどうかと思っています。





2013. 7.26                  by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第206作は名古屋市千種区にお住まいの 彪さん さん、七十代の男性の方からの作品です。
 

作品番号 2013-206

  題山中老梅     山中の老梅に題す   

山路遭梅樹   山路 梅樹に遭う

越冬四百回   冬を越すこと四百回か

棲龍潜朽幹   棲龍 朽ちた幹に潜み

未已精花開   未だ已めず 精花を開く

          (上平声「十灰」の押韻)



<解説>

 数年ごとになりますが、祖父が残した推定樹齢四百年以上と言われる盆梅を見に行きます。
 祖父が山中で枯れかかった樹を見つけて来て、慈しみ、盆栽に仕立てたものです。
 見る度に、祖父の努力と樹の持つ力に感動を覚えます。

 山中で遭遇したとして詠んでみました。

<感想>

 「彪さん」さんからは、初めての投稿をいただきました。
 私と同じ愛知県の方ですので、嬉しいですね。

 お手紙では「手当たり次第に言葉を探して、初めて作った」と書かれていましたが、措辞にも不安はなく、雰囲気を備えた詩になっていると思います。
 押韻も良し、平仄もよくお調べになって、「二四不同」「反法・粘法」も守られていますから、漢詩として十分な体裁で、初めての作品ということでもありますから、このままの形で記録として残されても良いレベルだと思います。

 ただ、「古体詩」ならば良いですが、「近体詩」としては、平仄で気になる部分がありますので、今後の参考ということで指摘をしておきましょう。

  [1]二字目の孤平

 承句の平仄は「●〇●●◎」となって、二字目の「冬」が仄声に挟まれています。これは「孤平」と言われ、避けるべきものとされています。
 特に、「五言の二字目、七言の四字目」は近体詩では禁忌ですので、上か下の字を平声にしなくてはいけません。「越」を「経」とするか、「四百」を少し遠慮して「三百」にする、不確定の「何百」とするなどが、取りあえずの応急措置ですね。

[2]下三連

 結句の平仄は「●●〇〇◎」です。下三字が全て平字、あるいは全て仄字になるのは「下三連」と言って、これも近体詩では禁忌ですので、さしあたり、「精」の字を仄字に変更しておくことになります。

 ただ、この二点はくどいようですが、あくまでも「近体詩」としてのルールです。古体詩に持って行く時には、逆に意図的に「孤平」を置いたり「下三連」にしたりして、「近体詩」としてはルール違反になることを狙います。
 五言絶句は、昔から古体詩の雰囲気を残していると言われていますので、仄韻の詩も作られますし、こうした破格も許容されることもあります。
 先に「漢詩として十分な体裁」と書きましたのは、そういう意味でのものです。
 その他で言えば、起句の四字目に「梅」を使っていますが、この字は韻字と同じ「上平声十灰」の韻目、「冒韻」と言われます。この「冒韻」は禁忌とはしないという考える方も多いので、「彪さん」さんもそれほど気にはしないかもしれません。
 ただ、この詩は梅を描いた詩です。せっかく「梅」の字が韻字として使えるのに、もったいないですね。
起句に限定せずに、二句目や四句目の末字に置けるかどうか、検討をしてみるのも良いと思います。

 内容的には、老梅をここでは生命力の象徴として出していますが、もっと自在に場面構成を考えても良いでしょうね。
 「山中での遭遇」という設定でしたが、たまたま見つけた梅の樹齢が四百年以上だとはその場ですぐに分からないと思います。誰かに語らせるような形、私でしたら、梅の精である老人を登場させますかね。
 老梅の擬人化(擬神化)など、いろいろ考えることができそうですが、「たまたま出遭った」というよりも、老梅が心優しいお祖父さまを呼び寄せたのだろう、という気がしますので、そのあたりが感じられると良いですね。



2013. 7.29                  by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第207作は 越粒庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-207

  古刹白雨        

古池菖蒲亂   古池 菖蒲乱れ

長松雨脚稠   長松 雨脚稠し

一雷人四散   一雷 人四散し

鳩噪五重樓   鳩は五重楼に噪ぐ

          (下平声「十一尤」の押韻)



<解説>

 鳩首なんとかという情景も目に浮かびましたが、何やら雨宿りの人を指すようで止めました。
そちらも面白いかとも思いましたが。

<感想>

 起句の「菖蒲乱」は表現が新鮮で、花を観賞している時に雨に遭った、という印象がはっきり出ていますね。
 雨を出さずに雨を描く、という点で、とても良い表現だと思いました。

 ということで見ると、承句の「雨脚稠」がやや残念に感じます。もちろん、この承句自体は悪くないのですが、起句で引っ張られた分、期待が高くなってしまいますね。

 後半は、「一」「四」「五」と並んだ数詞も無理がなく、バランスも良いと思います。
 「鳩噪」が散文的な印象かもしれませんが、「五重楼」が雅味を持っていますので、これくらいが丁度釣り合うように感じますね。

 起句の「古池」、承句の「長松」、そして結句の「五重楼」が「古刹」の趣をよく出していますね。




2013. 7.29                  by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第208作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-208

  惜春        

柳煙暮靄又何加   柳煙 暮靄 又何ぞ加へん

蝶怨鶯愁生有涯   蝶怨み 鶯愁ふ 生涯有るを

経雨千紅留不得   雨を経て 千紅留め得ず

閑階寂寂踏残葩   閑階 寂寂 残葩を踏む

          (下平声「六麻」の押韻)



<感想>

 句の一つ一つにつながりがあり、作者の思いを順に追っていくような感覚になりますね。
 そのつながり感を説明的だと感じる方も居るかもしれませんが、私は、「惜春」の気持ちを丁寧に描こうという作者の気持ち、その順に進む思考の流れに共感しますね。

 転句はまさに「惜春」の情景をすっきりと表されていると思います。

 印象に残る詩になっていると思います。



2013. 7.29                  by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第209作は 藤城 英山 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-209

  新二十一世紀偶成        

磨養地球感覚常   常に地球(国際)感覚を磨き養い

培豊感性得人望   豊かな感性を培い人望を得り

不焦可興不惑即   焦らず、惑わず即興すべし

日本魂常時不忘   いつも大和魂を忘れるなかれ

          (下平声「七陽」の押韻)



<解説>

 現状の日本、世界を視て、これから、新しい21世紀に向け、もっと国際感覚に明るく、感性豊かな、気骨ある政治家を、世界の平和を、期待せずにはいられません。

<感想>

 平仄や押韻を揃えようと、随分苦労されたようですね。その分、語順に乱れが出来、文意が通じなくなっています。
 漢詩は平仄を合わせて漢字を並べますが、あくまでも「詩」ですので、作者の言おうとすることをきちんと伝えることがまず最優先です。
 もう一つは、用語として普遍性のある言葉を選ぶことで、唐代の詩人に通じるかどうかは別にしても、少なくとも、現代の日本にしか通じない言葉、自分だけに通じる言葉(造語)の使用は控えるようにします。
 この詩で言えば、例えば、「地球感覚」とか「日本魂」などはよくありませんね。

 平仄の事で言えば、「二四不同」「二六対」は意識されていますが、「四字目の孤平」(起句の「球」)や「下三連」(転句の「不惑即」)、また、転句の「興」は平仄で意味の異なる両韻字ですが、ここは「おこす」の意味ですので平字になります。
 また、詩の中に別々の句で同じ文字を何度も使うことは「同字重出」として禁忌です。転句の「不焦」「不忘」は対語であり、同一句内ですので問題ありませんが、結句の「常」と「不」は疑問です。
 他の言葉に替えられるならば、替えておくべきでしょうね。

 起句の「地球」は「寰球」「全球」と置き換えるなどはできますが、韻目がこれで良いかどうかも含めて、再度、検討してみてください。



2013. 7.30                  by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第210作は 南芳 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-210

  辞世詞        

老翁分別欲斜陽   老翁ノ分別 斜陽ナラント欲ス

人生薫陶次第黄   人生ノ薫陶 次第ニ黄ナリ

一片氷心深似海   一片氷心 深キコト海ニ似タリ

輪廻転生又何妨   輪廻転生 又何ゾ妨ゲン

          (下平声「七陽」の押韻)



<解説>

 術後からの一詩です。
 古稀になりました。

<感想>

 古稀ということですが、手術の後ということですと、これはお祝いも中途半端になりそうで、すみません。

 詩の方は、承句の二字目の「生」は結句にも「生」が出てきますので「同字重出」、平仄も合いませんので、どうしましょうか。
 ひとまず、承句は「人世」として逃げられますが、転句は「生死」で意味合いとしては似たものになるように思います。

 語句としては、承句の「薫陶」「次第黄」は意味が通じないですね。
 また、転句も「一片」は王昌齢の詩に使われた言葉ですが、もともと謙遜して「小さい」ことを表しています。それが「深似海」という広大深遠な言葉で持ってくると、これも解りにくいです。
 この二つの言葉は、そもそも作者として伝えたいことは何なのか、を検討すれば、「薫陶」「一片氷心」も別の言葉が見つかりそうな気がします。



2013. 8. 1                  by 桐山人