2013年の投稿詩 第91作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-91

  春猶遠        

凍煙微動晩風生   凍煙 微カニ動キ 晩風生ズ

幾處沙洲宿雁鳴   幾処ノ沙洲 宿雁ノ鳴ク

茅舎寒窗燈火影   茅舎ノ寒窓 灯火ノ影

魚津凋岸夕波聲   魚津ノ凋岸 夕波ノ声

江流半月銀光冷   江ハ流ル 半月銀光ノ冷カナルニ

日落孤峰白雪晶   日ハ落ツ 孤峰白雪ノ晶カナルニ

試折一枝梅樹下   試ミニ折ル 一枝 梅樹ノ下

紅裙固閉待春情   紅裙 固ク閉ザシテ 春ヲ待ツノ情

          (下平声「八庚」の押韻)



<感想>

 日が落ち、暮色が一面を暗く覆う中、半月の光と峰の白雪が明るく輝くという幻想的な情景が、頸聯までの丁寧な描写で浮き上がってきますね。
 まるで映像を見ているような臨場感があります。
 夕暮れ時の「半月」となると、位置関係は南向き、木曽川の河口を眺めながら西に眼をやると雪をかぶった鈴鹿の山が見えたという構成でしょう。

 「晩風」「夕波」と来て、「日落」とここでもう一度時刻を表す言葉を入れるのはどうでしょうか。
 方角の対を頸聯で示すならば、「風」や「波」のどちらかを何か別の言葉で形容した方が生きてくるかと思いました。




2013. 2.28                 by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第92作は西安の 金中 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-92

  抵吐魯番翌晨天雨,同行者曰「曾来此地百余次,未曾遇雨。」        

晨起清凉草木新,   

火洲初至訝甘霖。   

蒼龍此地多詩眼,   

待我渾如禮上賓。   

          (中華新韻の押韻)





<解説>

 注:「火洲」とはトルファンの別名です。

<感想>

 トルファンは年間降水量は20ミリにも届かないと言われる乾燥の地ですので、雨に遭うのは本当に稀なのでしょうね。私が一昨年訪れた時も夏でしたが、突き抜けるような青空が印象に残っています。

 だからこそ、ということで、起句の「草木新」がよく生きているのだと思います。

 転句の「蒼龍」は、青々とした山が龍のようにうねっているという場面でしょうか。




2013. 2.28                 by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第93作も 金中 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-93

  無題        

漸近年關又雪花,   

坐擁炉暖品瓶茶。   

遙知多少天涯客,   

驛路徘徊未到家。   

          (下平声「六麻」の押韻)





<感想>

 こちらの詩は、押韻は「下平声六麻」となっていますが、承句の「擁」は、先日の一地清愁さんの詩(2013−87「関東地方大雪(三)」)と同じく、現代発音で二声、平声になる形ですね。

 起句の「年関」は「年の暮れ」のことです。
 前半の日常的な描写から、転句の「天涯客」と感覚が一気に飛ぶ表現が、ドラマチックな効果を出していますね。



2013. 2.27                 by 桐山人





謝斧さんから感想をいただきました。

 金中先生の「無題」の詩を拝見しましたが、正確には「無題」は詩の内容と題が違っているので軽い疵になります。
 著名な古人でも例がありますし、今ではうるさく云わないと思いますが、古典詩であるならば守ってほしいものです。

 ご承知の通り「無題」は李義山から始まります。
士大夫が男女の情愛を詩にすることが憚れるので無題としたときいています。

 今の時代にそぐわず、重箱の隅をほじくるような物言いですので、どうでもよいことで、自由に作るのもいいとおもいますが、古典詩病におかされた頑固ものには気になるところです。


2013. 3. 7                 by 謝斧



鮟鱇さんから感想をいただきました。

 『無題』は、必ずしも愛情詩ばかりに用いる題ではない、と私は思っていますが、金中さんの『無題』は愛情詩だと思います。

 まず、『無題』は、必ずしも愛情詩ばかりに用いる題ではない、ということについて述べます。
インターネットの記事(中国)で恐縮ですが、
 >李商隱の“無題詩”は大いに隱約で朦朧としており,表現に含蓄があり委婉,このため模糊として不確定なところがあり、対李商隱の“無題詩”も評析も諸説紛紛としている。この“無題詩”にしても,ある人は政治詩だと思い,ある人は愛情詩だと思っている。
とあります。( http://gb.cri.cn/3601/2004/08/02/109@251959.htm )

 李商隱:無題
 昨夜星辰昨夜風,畫樓西畔桂堂東。身無彩鳳雙飛翼,心有靈犀一點通。隔座送鈎春酒暖,分曹射覆蠟燈紅。嗟余聽鼓應官去,走馬蘭台類轉蓬。

 この作にしても、
1.左遷・転勤によって思う女性との別れを嘆いているのか、
2.昔は華やかな都の暮らしは昨日のことで、左遷・転勤によって各地を転々としている今をうらんでいるのか、
 はっきりしていません。
 1.なら愛情詩、2.なら政治詩です。

 「無題」は、現代でも詠まれています。

 魯迅: 五絶・無題
 烟水尋常事,荒村一釣徒。深宵沈醉起,無處覓菰蒲。

 この作、男女のことを詠んでいるとはとても思えず、国のために果たす役割がないことの恨みを詠んでいる、と読めば、政治詩です。「釣徒」の二字は、太公望の故事を踏まえていると思えます。

 そこで、次のネットの記事も頷けます。
 >“無題”を題目とするのは,作者が題によって詩歌の主旨を露わにするのが不都合であるか、また、そうしたくないと思う場合に用いる。 ( http://baike.baidu.com/view/474458.htm )

 さて、金中さんの作ですが、
 歳暮に暖炉のそばにいる人と、天涯の客の関係が微妙です。

 「品瓶茶」とあるので、暖炉のそばにいるのは女性、天涯の客は男性、と私は読みました。
 仕事でなかなか家に戻れない男性が、自分のことを思ってくれている妻の思いを愛しんでいる、そう読みました。
 つまり、愛情詩として読みました。

 とすれば、題を「閨怨」としてもよさそうですが、「閨怨」には男の独善的女性理解もあるし、いかにも旧時代的発想です。
 男女平等の時代にあって男が「閨怨」の詩を作れば、自惚れないでよ、といわれるのがおちでしょう。
 そこで、「閨怨」とするよりも、「無題」とする方がよい、というのが私の理解です。


2013. 3.24               by 鮟鱇





















 2013年の投稿詩 第94作は 押原 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-94

  水仙        

寒塘看絹素   寒塘に絹素を看る

香馥白黄花   香馥 白黄の花

笑貌招和気   笑貌は和気を招き

芳姿亦足誇   芳姿 亦誇るに足る

          (下平声「六麻」の押韻)





<解説>

 寄り合う水仙の花、互いに笑顔を交わしている様だ。

<感想>

 水仙もようやく花を開く季節になりましたね。
 我が家の庭の水仙も「寄り合う」ように顔を付き合わせています。

 春の魁と言われる梅も今年はやや遅いようで、庭の白梅、紅梅、そして水仙と花を開いています。朝起きて庭を眺めるのが楽しみになってきました。

 起句の「素」はもともと「白い」ことを表しますので、承句の「白黄」の色と重なります。どちらを生かすかは作者のお気持ちでしょう。





2013. 3. 7                 by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第95作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-95

  四国巡礼        

霊山攀上碧嵐光   霊山 攀じ上れば 嵐光碧たり

八十八院行脚行   八十八院 行脚の行

弘法開基修験道   弘法の開基 修験の道

瞰臨空海立朝陽   空海を瞰臨して 朝陽に立つ

          (下平声「七陽」の押韻)





<解説>

 亡き荊妻を弔わんとして、弘法大師の遺跡を訪れる。
 かくも嶮しい山奥に分け入り、難行苦行、佛道を極めたものよと感嘆する。
 眼下に広がる雲海はまさに空海そのものであり、ご来光の荘厳に極楽浄土はかくありなんと心が洗われるのであった。

<感想>

 四国八十八カ所を巡られた中で、弘法大師の跡を尋ねられたのですね。

 起句と結句で壮大なパノラマを見ているような雄大な景観が浮かび上がり、情景はこの二句で十分に描かれています。特に結句の「空海」が二重の意味で大きな効果を出しています。
 となると、残りの二句が重要で、ともすると句の勢いが落ちてしまうことが多いのですが、この詩では承句の破格な表現がリズムも良く、バランスを保っていますね。
 転句は出来れば「弘法」ではなく「大師」としたいところですが、平仄を合わせた形ですね。
 ただ、現代でも愛着をこめて「こうぼうさん」という言い方を幼児でもしていますので、このままでも良いでしょう。



2013. 3. 7                 by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第96作は 東山 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-96

  赴北邊憶郷        

十里呦呦支笏濛   十里&321606;呦 支笏濛とし

積年異客雁書空   積年の異客 雁書空し

鳥歸魚返獨歸夢   鳥帰り魚返るも独り夢に帰る

山海千程離思窮   山海千程 離思窮す

          (上平声「一東」の押韻)





<感想>

 起句の「呦呦」は「(鹿の)むせび泣くような声」を表しますので、北の地の寒々とした情景を形容したものですね。
 東山さんは、以前の作品で「四旬異客」と書かれていましたので、40年近くも故郷を離れていらっしゃるわけですね。「雁書空」は「消息を伝える手紙も通わなくなった」ということで、直前の「昔年異客」との照合もよく、気持ちをストレートに出しているわけではありませんが、寂寞とした感情が伝わってきます。

 同じ構造で、どの句も上四字と下三字の組み合わせがすっきりしていて、句ごとの完結性が出ています。そのおかげで、起句からリズム良く結句まで読み通すことができます。

 起句と承句のつながりだけ、どうして「支笏濛」から「昔年異客」と気持ちが流れるのか、その辺りをもう少し出してもらえると、意味の上でもすっきりすると思います。
 現状ですと、起句だけが別物という感じがしますので。



2013. 3. 7               by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第97作は 亥燧 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-97

  憶福島     福島を憶ふ   

邦家灰燼幾辛酸   邦家灰燼して幾辛酸

復旧遅遅春尚寒   復旧遅遅として春尚寒し

無策政経捐衆庶   無策の政経 衆庶を捐つる

帰郷許有一宵歓   帰郷許されて一宵の歓有り

          (上平声「十四寒」の押韻)





<解説>

 この時期になると決まって東日本の大震災を思い出します。

 福島への帰郷を許された家族の、僅か一日だけの、一刻の団欒を楽しむ様子をテレビで見ました。
 人(生活)だけでなく、動植物を含め豊かな自然(風景)まで失くしてしまいました。
 なんとも辛いです。

 地震や津波のあと復興へ向けて頑張る人たちを見て勇気をもらいましたが、福島は違う・・・。
 復旧が出来ないのではと不安な思いがよぎります。



<感想>

 大震災のあった3月11日から、まもなく2年が過ぎようとしています。
 復興へと取り組んでいらっしゃる方々のお話を聞くたびに勇気づけられますが、一方で、地震、津波で故郷が失われた方々、原発の放射能汚染で故郷に帰ることもできない方々のお話を聞くと、二年前と全く変わらない状況に悲しみがつのります。
 「記憶を風化させない」という言葉は、復興が成って初めて使われる言葉なのだと改めて思います。

 転句の「無策政経捐衆庶」は、この二年を政争に費やした政治家への批判。しかし、反省もなければ議論もなく、政府は原発依拠の方針へと変換しようとしています。
 経済が明るい見通しになれば、国民は何でも言うことを聞くという姿勢、随分と私たちもなめられたものですね。




2013. 3. 7                 by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第98作は 茜峰 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-98

  再楽友与山行     再び友と山行を楽しむ   

祠堂隘路陟岩稜   祠堂の隘路 岩稜を陟る

海面陽光眺覧弘   海面の陽光 眺覧は弘し

情緒母憂超友病   情緒の母憂 友は病を超え

共鳴再起志望騰   共鳴す 再起 志望はあが

          (下平声「十蒸」の押韻)





<解説>

 先日古くからの山友達と一緒に六甲に登った。
 この友はここ数年 あまり山行が出来なかった。老母を一昨年見送ったが、それまでは介護に手を取られた。介護から解放されたと思った直後、自身が病に侵されているとわかり、病魔とたたかう身となった。
 ようやく回復し、また山行を始めつつある。
 彼女が徐々に元気を取り戻し、久しぶりに共に山上から神戸湾を見下ろしていると、しみじみとこちらもうれしく元気になる。
 そして、「ようし、まだまだ登るぞ」と元気がわいてくる。

<感想>

 題名の「与」は、位置としては「友」の前に来ます。
「与友人再楽山行」としておくのが良いでしょうね。
 「再楽」は通常ですと削るべき言葉ですが、この詩では「再」という語に、病を乗り越えたお友達への思いが籠められていますので、このまま残しましょう。

 前半は六甲山行の趣がよく表現されていて、一緒に神戸の街を眺めているような思いがしますが、転句の表現がモヤモヤしているのが気になります。
 「母憂」は「母の死」を表しますので、上四字は「色々な思いをしたお母さんの死」ということでしょうが、下三字の「超友病」は「友は病を超え」とは読まず、「友の病を超え」と読みます。
 「お母さんの死で、友人は自分の病気どころではなかった」とも理解できますが、実際の順序と違うようですし、私でしたら「還篤病」と畳みかけるような形にするところでしょうか。




2013. 3.18                 by 桐山人





茜峰さんから推敲作をいただきました。

鈴木先生
いろいろご指導ありがとうございます。

ご指導に従って 以下のように 補正しました。

    与友人再楽山行
  祠堂隘路陟岩稜
  海面陽光眺覧弘
  情緒母憂還篤病
  共鳴再起志望騰


  今後ともよろしくお願いいたします。 2013. 3.19                by 茜峰























 2013年の投稿詩 第99作は 亥燧 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-99

  春日偶成        

清室漸成心緒厖   清室漸く成りて 心緒厖し

春陽擁褐倚南窓   春陽に褐を擁して 南窓に倚る

野情佳景向誰語   野情佳景 誰に向って語らん

無奈夢廻慈母邦   奈かんともする無し 夢は廻る 慈母の邦

          (上平声「三江」の押韻)



<解説>

 部屋の片づけが終わって一息、いろいろと思うことしきり。

陽だまりで紅茶を飲んでいると急に故郷のことを思い出しました。母のことも。


<感想>

 よく内容がまとまっていると思います。

 転句の「向誰語」は疑問にも反語にも取れます。
 結句の「無奈」は下を受けて、「夢廻慈母邦」をどうすることもできない、という嘆きになりますので、「無奈」は前半の情景からは変化が大き過ぎますし、「春日偶成」という題にもそぐわないでしょう。
 「悠遠夢廻」のように、夢を形容する語でどうでしょうね。



2013. 3.18                 by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第100作は 薫染 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-100

  冬季風景        

碧落行雲相遇離   碧落の行雲 相遇ひて離れ

蕩搖林木疾風移   蕩揺する林木 疾風移る

乾枯雑草占閑地   乾枯の雑草 閑地を占め

暗発山茶深緑滋   暗(ひそか)に発(ひら)く山茶 深緑滋(しげ)し

          (上平声「四支」の押韻)



「蕩揺」: 揺れ動く
「山茶」: さざんか




<解説>

 一昨年の左肩骨折以来運動量が減り、下肢が衰えました。遠出が出来ない分、詩の題材が変哲のないものになりました。

 陶淵明の飲酒其五などを読んでいます。

<感想>

 起句の「碧落行雲」から承句の「蕩搖林木」、そして転句の「乾枯雑草」へと、順に視点を近づけていき、冬の風景を見たままに描こうという姿勢が感じられます。
 その分、例えば、起句の「行雲」、承句の「疾風」、転句の「閑地」などは季節感が感じられず、もう少し季節感を出す言葉に変換した方が良いでしょう。
 現状では、ただスケッチしたという感じで、作者の感情が浮かび上がってきません。

 結句は「暗発山茶」、そして「深緑滋」ですので、冬枯れの景色の中に、サザンカの緑の葉が際立っているという内容です。サザンカの花ではなく、葉に主眼を置いているのが工夫されたところでしょうか。
 転句までの情景を受け継いで「山茶」と来るならば、私はどうしても花の紅さを想像してしまいますので、「緑」で違和感を感じました。ここも季節がぼやけている印象ですが、いかがでしょうか。



2013. 3.20                 by 桐山人


 その後、何となくすっきりしなかったので見直してみました。
 結句は焦点は「深緑」にあって、一面枯れた草木の中で、サザンカだけが緑を誇っているということを言いたいのかな、と思いました。サザンカの花はまだチラホラとしか見えないということが「暗発」に示されていて、全体で冬の寂しげな装いを表していると読むべきだろうと思いました。
 感想を若干訂正しておきます。

2013. 3.20                 by 桐山人




薫染さんからお返事をいただきました。

拝復
お忙しい中早速にご掲載頂き、有難うございました。
ご感想でのご指摘を勘案し、以下の通り改めました。
ご再考下されば幸いです。


  冬季風景 碧落凍雲相遇離   碧落の凍雲 相遇ひて離れ
蕩搖林木冷風移   蕩揺する林木 冷風移る
乾枯雑草占閑地   乾枯の雑草 閑地を占め
暗發山茶丹赤滋   暗(ひそか)に発(ひら)く山茶 丹赤滋(しげ)し

「山茶」: さざんか
「凍雲」: 冬の冷え冷えとした雲
「丹赤」: あかいこと


2013. 3.21              by 薫染























 2013年の投稿詩 第101作は新潟市にお住まいの 越粒庵 さん、七十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2013-101

  春意        

斜日遷幽谷   斜日 幽谷に遷り

鶯声響澗泉   鶯声 澗泉に響く

探芳帰路迥   芳を探り 帰路は迥かなり

遠見草廬煙   遠く見る 草廬の煙

          (下平声「一先」の押韻)





<解説>

 夕日は静かな谷間に移り、鶯の声が渓水を渡って来る。
 春を探しに来たのだが帰り道が遠くなってしまった。
 向こうに見えるのは山家の煙か

 近くの里山を散歩しました。
 雪がところどころ残っています。
 実のところ、鶯はまだまだ先の話です。



平韻表をコピーして使っております。
先輩諸兄の立派な漢詩に圧倒されております。小生、歳も歳だし、どこまで行けるのか、まあ、楽しくやるに越したことないと、自らを慰めております。
ご指導よろしくお願いいたします。

<感想>

 また、新しい仲間を迎えて、とても嬉しく思っています。
 越粒庵さんは作詩経験は三年とのこと、一番楽しい時でもあり、一番苦しい時でもありますね。
 今後もよろしくお願いします。


 詩を拝見しましたが、落ち着いた雰囲気が漂う内容になっていると思います。

 表現の面では、後半で、転句の「探芳」「遠見」の両方に、作者の行為が出ている点が惜しいところ。
 また、転句末の「迥」としておいて、結句の頭に「遠」が来るのは重複感があります。「遠見」を「一縷」とすると、結句が叙景に徹して、余韻が深まるように思います。




2013. 3.21                 by 桐山人



越粒庵さんからお返事をいただきました。

 拙作を投稿しましたところ、ご掲載賜りありがたく存じます。
こつこつ作っていても、だれの目にも触れないというのは、味気なく寂しいものです。
 孤独な作詩環境ですが、このような機会を得て、またやる気がでてまいりました。

 ご感想は、なるほどと思いました。
 センスがない上におっちょこちょいなのが石に疵です。

 今後とも、なにぶんのご指導をお願い申し上げます。


2013. 3.23              by 越粒庵

























 2013年の投稿詩 第102作は 哲山 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-102

  春窓        

春窓光暖榻   春窓の光 榻を暖め

独横臥操觚   独り横臥して觚を操る

厭世閑居老   世を厭ふ 閑居の老

唯詩客有愉   唯だ詩客の愉しみ有るのみ

          (上平声「七虞」の押韻)





<解説>

 窓からさす春の陽ざしが寝台を温め、一人横になってくつろぎ、ノートを取り上げる。
 私は世の中が嫌になって閑居している老いの身で、苦労して詩を作る楽しみがあるだけだ。

 五言絶句平起式の○●を意識しながらなんとか作りましたが、後であれこれ間違っていないか調べていたとき、ふと柳宗元の「江雪」を思い浮かべました。
 はじめ「閑居老」を「閑居翁」としたのですが、「翁」は○なので「老」●にしました。
 ○●の図式からすれば、江雪の翁は間違っていると思うのですが私にはわかりません。
 そう思って江雪全体を○●で判断したら図式からは随分はずれていると思うのですが、法則がまだ頭に入っていない私には理解が難しいです。



<感想>

 そうですね、まずはこの詩の平仄を確認しておきましょう。

    春窓光暖榻  ○○○●●
    独横臥操觚  ●○●○◎
    厭世閑居老  ●●○○●
    唯詩客有愉  ○○●●◎

 承句の二字目以外は平仄は整っていますので、承句は語順を入れ替えて、「横臥独操觚」で良いでしょう。
 ただ、結句に「唯」を用いるならば、ここでは「独」は使う必要は無いように思いますね。

 その結句について、平仄としてはこれで良いですが、「唯詩客有愉」の語順では「唯だ詩客(のみ)は愉しみ有り」となり、意味としては「私(詩客)だけは楽しみがある」ということになります。
 「唯須詩客愉」としておくところでしょうか。

 柳宗元の「江雪」については、疑問が多いようですので、こちらも平仄を確認しましょう。

      江雪    柳宗元
    千山鳥飛絶  〇〇●〇●
    万径人蹤滅  ●●〇〇●
    孤舟蓑笠翁  〇〇〇●〇
    独釣寒江雪  ●●〇〇●

 押韻は「入声九屑」の仄韻の詩です。入声の詰まる音で韻を踏むことで、緊迫感のある響きを出しているといわれます。

 平仄については、起句は「二四不同」が崩れていますが、下三字については平声を仄声で挟む「挟平格」で、これは「●○●」となっているものを「○●●」と見なす形で、結果として「二四不同」が守られているとされます。

 また、承句と転句で粘法が崩れています。これは平仄を守っていない形になっていますが、各句は平仄に従う「律句」となっており、近体詩の規則を遵守していることと、反法は守られていることから、「拗体」ということで認められている形式です。
 以前にサラリーマン金太郎さんが「船發豫州佐田岬向佐賀關」でも話しておられましたが、この「拗体」は全く問題にしない詩社もありますので、この柳宗元の詩の平仄が間違っているということではありません。

 唐代の詩では、李白の作品などでも近体詩の平仄から大きく外れているものもよく見られ、明らかに古体詩に分類した方が良い場合もありますが、この「江雪」はそうしたものとは異なり、近体詩の五言絶句の名作と見てよいものです。
 ただ、仄韻であったり、拗体であったり、挟平格があったりで、近体詩の平仄と見比べると最初は違和感を持つだろうと思います。

 以上、参考にしてください。



2013. 3.23                 by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第103作は 東山 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-103

  題酒家高尓夫例会        

天山紅葉彩村村   天山紅葉 村々を 彩どり照らし美しい

同好嬉嬉例会喧   同好嬉々と集まれば 例会早に喧し

豪打遠飛希羨的   豪打遠くに飛んで行き 羨む心限りなし

白球大曲嚄聲繁   白球大きく右左 ヤンヤヤンヤの野次り合い

向旗寄巧長年技   ピンに向かって巧みにも 寄せるは場数の成せる技

狙鵠外毫三嘆言   カップを狙うも毫だけ 惜しくも外し嘆き節

浴後酒房談笑宴   十九番は行きつけの 酒場で楽しい「たら・れば」だ

歓迎送別友情温   帰り行く人来たる人 友情みんな温かい

          (上平声「十三元」の押韻)



「天山」: 佐賀北方にある山、天山カントリークラブがある


<解説>

 今回は、仕事帰りに良く行く店(立ち飲み)の、昨年秋のゴルフコンペについて作ってみました。
対句になっているか疑問ですが・・・

 また、作年11月に石川先生が、当地多久の「漢詩コンクール」に来られて、白楽天の「琵琶行」を高崎正風が七五調で翻案した「潯陽江」を空で朗誦されたのは、聴講者全員驚嘆致しました。
 今回の詩に、私も七五調で訳をつけてみましたが。



<感想>

 私はゴルフを実際にやったことはありませんが、もちろん、ゴルフの楽しさは理解しています。今回の詩では、友人との楽しいやりとりが描かれていて、共感できます。
 また、添えられた七五調の訳文も、漢文では描ききれなかった部分も補われ、詩の味わいを一層膨らませているように感じました。

 こうした詩では、修辞上の細かなことよりも、即時性で勢いのある表現が大切だと思いますが、それでも一つ二つ気になった点だけ書かせていただきます。

 まず、全体に「喧」「嚄聲繁」「三嘆言」「談笑宴」と音に関する表現が多く、それだけ和気藹々と騒がしかったことを示していますが、ややしつこいかなという印象です。

 あと、頸聯の「寄巧」「外毫」は、「巧」も「毫」も連用修飾語としての使用する方が分かりやすく、「巧寄」「毫外(逃)」の語順にした方が読解がしやすくなりますね。



2013. 3.23                 by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第104作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-104

  川中島        

越甲風雲古戦場   越甲 風雲の古戦場

毘沙孫子賭興亡   毘沙と孫子 興亡を賭すも

両雄自故不双立   両雄 故より双び立たず

流劃千犀十二霜   千犀に流を劃ち 十二霜

          (下平声「七陽」の押韻)



<解説>

 次年度の文芸祭「漢詩」が、やまなし(山梨県)とのことで、武田信玄ゆかりの川中島の戦いを題材にしました。

 千曲川と犀川の中州で12に年にも及ぶ戦いの故事を思いなす。
「毘沙孫子」は、謙信の馬印である毘沙門天、信玄は孫子の風林火山を入れました。

<感想>

 文芸祭やまなしの漢詩応募も四月末までですので、皆さん、遅れないように応募してください。
 今年は漢詩大会が東京ですので桐山堂の懇親会も東京でお願いしましたが、来年は山梨でひらきたいですね。

 深渓さんの今回の詩、題名に助けられている部分が多く、詩だけを見るとちょっと分かりにくい点もありますね。

 「越甲」は「越後」と「甲州」、これはわかりますが、謙信と信玄の旗印を「毘沙孫子」は苦しいでしょう。

 転句の「自故」は「もとより」でしょうか、それでしたら「固」一字の方が分かりやすいでしょう。
 「昔から」ということでしたら、「今古」とするところでしょう。




2013. 3.23                 by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第105作は上海の ニャース さんからの作品です。
 

作品番号 2013-105

  寄桐山堂懇親会        

歓聚春宵九段楼   

桜花盛景楽清遊   

江南独酔依黄酒   

千里与君賞月求   

          (下平声「十一尤」の押韻)





<解説>

 鈴木先生
 懇親会 参加できずに残念です。

 上海で同じ月を見ながら 会の盛り上がりを期待しています。

<感想>

 ニャースさんのこの詩は、前日にメールでいただいていたのですが、その日は職場の慰労会で酔って帰宅したため、メールチェックしない(できない)まま、東京に出発してしまいました。
 出席の皆さんにその場でご披露できると良かったのですが、すみません。

 万里離れた異国の地からも懇親会に参加してくださり、嬉しい思いです。
 今年こそ、日本か中国か、どこかでお会いしたいですね。



2013. 3.25                 by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第106作は 觀水 さんから、懇親会に参加しての作品です。
 

作品番号 2013-106

  春夜偶成        

紛紛暖雪落何邊   紛々たる暖雪 落つるは何れの辺ぞ

遊宴藹然千鳥淵   遊宴藹然たる千鳥が淵

今夜有朋來集處   今夜朋有り 来り集ふ処

好花好酒好詩縁   好花 好酒 好詩縁

          (下平声「一先」の押韻)



<解説>

さくら花びらひらひらと 落ちていくのはどこらへん?
春の宴も賑やかな 千鳥ヶ淵の程近く
こんや友だち遠くから はるばる集い寄るところ
きれいな花にうまい酒 まこと良きかな漢詩の縁



<感想>

 懇親会を終えて、もう少し飲みたいと九段下で店を探して四人で飲みました。
 觀水さん、サラリーマン金太郎さん、東山さん、そして私ということで、まあ、若手組(還暦の私が言うのは何ですが)かな?

 桜見物の大変な人混みの中でお店を探して、料理の注文、最後の会計も觀水さんがてきぱきと処理してくださり、私は食べて飲んで、ただただ楽しく過ごしました。
 詩朋の宴の佳きことはこんなにか、と古人の楽しみを改めて思いました。



2013. 3.25                 by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第107作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-107

  全日本漢詩大会兼懇親会     全日本漢詩大会と懇親会と   

日東羣彦侍講堂   日東の羣彦 講堂に侍す

発表高懐翰墨場   高懐を発表す 翰墨の場

騒客談諧詩酒会   騒客 談諧 詩酒の会

先生一任把杯觴   先生 一任 杯觴を把らん

          (下平声「七陽」の押韻)





<解説>

 全日本漢詩大会と懇親会とを終えその余韻を忘れぬうちにと。

 靖国神社の九段界隈と千鳥ヶ淵周辺の満開の桜、講演・懇親会を終え、酔余の夜桜を楽しむ。

<感想>

 深渓さんには、懇親会の準備でお骨折りいただきました。
 懇親会で顔を見ても、日頃の雅号が無いことには誰だか分からないだろうと名札も用意くださり、更に会費の領収書まであらかじめ印刷して持参下さり、万端の手配に感激しました。

 二首いただきましたが、こちらの詩は漢詩大会と懇親会の様子を描かれたものですね。
 起句の「講」だけ、「華」としておくと良いでしょうね。



2013. 3.25                 by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第108作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-108

  桐山堂懇親会        

桐山詩客一同親   桐山の詩客 一同親しむ

相合再初交欲真   相合す 再初の交り真ならんと欲す

千鳥淵邊催小宴   千鳥が淵邊 小宴を催し

今宵羣彦酔佳賓   今宵 羣彦 佳賓を酔わしむ

          (上平声「十一真」の押韻)





<解説>

 全日本漢詩大会の諸行事終了後、二次会として桐山堂の懇親を行う。
 再度や初対面の雅友と和やかに、夜桜と美酒にひと時をすごす。

<感想>

 仰るとおりで、初対面の方とも再会の方とも、一様に懐かしく、ついつい「お久しぶり」の言葉が出てしまいますね。
 ありがとうございました。

 せっかくの桜でしたので、転句の「催小宴」を「桜雅宴」ではいかがでしょうね。




2013. 3.25                 by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第109作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-109

  次深渓詩兄桐山堂懇親会詩韻        

再会初逢倶懇親   再会初逢 倶に懇親す

乍知意気友情真   乍ち知る 意気友情の真

談論不住詩懐大   談論 住まらず詩懐大ねく

九段春宵花下賓   九段の春宵 花下に賓なる

          (上平声「十一真」の押韻)



<解説>

 鈴木先生
 久し振りに、楽しい宴でした。有難うございました。


<感想>

 深渓さんの作品に、早速次韻していただきました。
 「詩」「花」が加わり、場の雰囲気が一層よく伝わりますね。

 常春さんも二月にお身体の調子を悪くされたとうかがい、心配をしていましたが、お元気そうなお姿を拝見でき、安心しました。



2013. 3.27                 by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第110作は 東山 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-110

  桐山堂華筵        

鳴鶏東上列華筵   鳴鶏東上し 華筵に列す

師弟相親電網縁   師弟相親しむ 電網の縁

酌盡百杯清話楽   酌み尽くす百杯 清話楽し

三更吟復絳雲天   三更吟じて復へる 絳雲の天

          (下平声「一先」の押韻)




<感想>

 東山さんは私と同い年、漢詩界では見渡すと人生の先輩の方が圧倒的に多く、その中で同い年の同志が居るということは、とても力強く感じます。
 お酒もお強いようで、転句の「酌盡百杯清話楽」はまさに実景という感じですね。



2013. 3.27                 by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第111作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-111

  自賀傘壽有感     自ら傘壽を賀して感有り   

堪喜萎聲鶴髪人   喜びに堪へたり 萎聲 鶴髪の人

方雖負杖酒三巡   方に 杖に負ると雖も 酒三巡

友朋知己何須數   友朋 知己 何ぞ 數ふるを須んや

一片詩情不染塵   一片の詩情 塵に染まらず

          (上平声「十一真」の押韻)


     春の夜知己を求めて梯子酒



<感想>

 兼山さんは、懇親会への参加を予定されていたのですが、お身体の調子が悪く、事前に取りやめの連絡をいただきました。

 名古屋での最初の懇親会、岡山での懇親会、そして昨年は学校での漢詩発表会にも兼山さんはおいで下さり、楽しい宴を重ねてきましたので、私も楽しみにしていました。
 残念ですが、お身体を早く治されて、またお会いできるのを楽しみにしています。

 事前にいただきましたお手紙もご紹介しておきます。

 二年振りのサイト親睦会を楽しみに、早々と参加申し込みをして居りましたが、誠に残念です。

 明後日(3/21)満80歳の誕生日を迎えます。気分は何も変わらぬのに、歳には勝てぬものです。
其処で、強がりの弁明を七絶に詠みました。



2013. 3.27                 by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第112作は 鮟鱇 さんからの作品です。

作品番号 2013-112

  歩韵觀水雅兄原玉“春夜偶成”        

人入櫻雲涌日邊,   人 櫻雲の日邊に涌きたるに入り,

暫爲千鳥聚春淵。   暫く千鳥となりて春淵に聚(つど)ふ。

善哉騷客傾清聖,   善き哉 騷客 清聖を傾け,

吟酒醉詩詩酒縁。   酒を吟じ詩に醉ひたる詩酒の縁

          (中華新韵八寒平声の押韻)

<解説>

「日邊」: ここでは、皇居の附近。
「清聖」: 清酒の別名。
 皆さま、桐山堂懇親会、楽しい時をありがとうございました。
 深溪さん、觀水さん、幹事団、お疲れさまでした。

<感想>

 鮟鱇さんからも、次韻の詩をいただきました。
 觀水さんが「千鳥」を地名として使われていたことを受けて、花見の群衆の比喩へと持っていかれたのが、鮟鱇さんの発想の妙ですね。



2013. 3.28                 by 桐山人






















 2013年の投稿詩 第113作は上海の ニャース さんからの作品です。
 

作品番号 2013-113

  於蘇州 怡園        

閑庭細雨訪春塘   閑庭 細雨 春塘を訪れ

紅白花開競発香   紅白花は開き、競ひて香を発す。

墨客明清尊雅趣   墨客 明清 雅趣を尊ぶも、

寧求饞嘴白紅湯   寧ろ求む 饞嘴 白紅湯。

          (下平声「七陽」の押韻)





<解説>

静かな庭に細かい雨が春の池に降り注ぐ。
紅梅の梅の花が咲きそろい、香を発している。
明、清時代の墨客はこのような雅趣を尊んだのだろう。
しかし、食い意地の張った私は、蘇州名物の白、紅湯ラーメンのほうがありがたい。

 お手紙も紹介しておきましょう。

 鈴木先生
お元気でしょうか?ニャースです。

 最近 蘇州に商談でよくいきます。
 蘇州といえば、歴史の街。張継の楓橋夜泊の詩でも知られます。
 その反面、上海から鉄道で30分弱、工業都市としても著しい発展をとげています。

 商談の合間に近くの怡園という庭園に行きました。
 名園の多い蘇州の中で地味な存在ですが、観光客も少なく、静かなたたずまいがとても素晴らしいです。

 その近くに同得興という蘇州の地元でも知られるラーメン屋さんがあり、白湯(白スープ)、紅湯(赤スープ)の2種類のスープを選べ、今回は私は白スープで注文しました。

 またちょっと古いですが蘇州といえば、昔の日本人には、蘇州夜曲、李香蘭で記憶されていると思います。
 蘇州夜曲のイメージで五言を作詩しました。



<感想>

 中国への旅行は、行きたい所がまだまだ沢山あり、ニャースさんや馬薩涛さんのように現地で暮らしていらっしゃる方々のお話を聞くとムズムズしますね。
 しかし、昨今の国際事情で、以前のような格安中国ツアーは案内広告すら見られない状況ですので、本当に早く改善して欲しいものです。
 せっかく定年退職しましたので、どんどん行けるぞ、と楽しみにしていたのですが・・・・

 蘇州は私の印象でも、歴史を感じさせる街で、二千年の時の流れが風の匂いにも混じっているようでした。
 前半の落ち着いた趣と、結句の逆接の面白さが、いかにも現代の詩という感じで良いですね。



2013. 3.30                 by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第114作も ニャース さんからの作品です。
 

作品番号 2013-114

  蘇州夜曲        

姑蘇朧月照   

呉女送扁舟   

花落春江満   

柳糸惜別愁   

          (下平声「十一尤」の押韻)





<解説>

 朧月が出ている春の蘇州の夜、美人が恋人の舟を見送る。
 散る花は春の河に浮かび、花との別れを柳も惜しんでいる。

参考に

  蘇州夜曲

君がみ胸に 抱かれて聞くは   夢の船唄 鳥の唄
水の蘇州の 花散る春を  惜しむか柳が すすり泣く

花をうかべて 流れる水の 明日のゆくえは 知らねども
こよい映(うつ)した ふたりの姿 消えてくれるな いつまでも

髪に飾ろか 接吻(くちづけ)しよか 君が手折(たお)りし 桃の花
涙ぐむよな おぼろの月に 鐘が鳴ります 寒山寺(かんざんじ)



<感想>

 蘇州に行きました時に、オプションの水上観光でガイドさんが「蘇州夜曲」を朗唱してくれました。

 その折の拙詩は、
 「蘇州夜曲
 として以前掲載しましたが、懐かしいですね。





2013. 3.30                 by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第115作は 緑風 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-115

  傘壽遇感        

傘壽齢驚愕   傘寿の齢に 驚愕す

身無病息災   身は 無病にして息災

暇餘錢乏惱   暇余るも 銭の乏しきが悩み

金熟木移裁   金の熟(な)る木を移裁せん

          (上平声「十灰」の押韻)




<解説>

 知らぬ間に傘寿になってしまい驚いている心情を久し振りに五言絶句に纏めてみました。

<感想>

 先日、兼山さんも傘寿をお迎えになったそうで、お二人ともおめでとうございます。
 お元気で作詩をされているお姿は、私の目標です。

 結句などは、私のような俗世と関わりの深い人間が書くと生臭くなりますが、作者が傘寿だという前提があると、楽しく読み終えることができますね。
 ご本人は「いやいや、切実なのだ」とおっしゃるかもしれませんが。
 最後の字は「栽」の方でしょうね。



2013. 3.30                 by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第116作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-116

  題春一番        

北方豪雪塞層軒   北方の豪雪 層軒を塞ぎ

民苦排除幾断魂   民は排除に苦しみ 幾か魂を断たん

天帝無情従禹域   天帝 無情 禹域より

黄沙塵毒散乾坤   黄沙 塵毒 乾坤に散ず

          (上平声「十三元」の押韻)




<解説>

 癸巳の春 北陸東北と北方は未曽有の豪雪に見舞われ、また春一番が吹き荒れおまけに塵毒PM2.5とは・・・

<感想>

 この一二週間は季節の移ろいがとても早く、ついこの前までは寒さが残っていたと思っていたら、桜も満開になってしまいました。
 掲載に少し時期が過ぎてしまった感がありますね。すみません。

 黄砂、PM2.5、そして花粉の三段攻撃で、町を歩いていても、マスクを外せないという人が多くなったように感じます。
 私は喘息の関係でアレルギーを抑える薬を飲んでいますので花粉は最近症状が軽いのですが、妻は先日鼻水に苦しみ、「ついに花粉デビューしたかもしれない」と、何故かちょっと誇らしげに話していました。




2013. 3.30                 by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第117作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-117

  江村初冬暁景        

昨夜江頭冰雨過   昨夜 江頭 冰雨過ギ

今朝堤上晩花萎   今朝 堤上 晩花萎ム

染村黄樹吐寒霧   村ヲ染ム黄樹 寒霧ヲ吐キ

冠雪吹山輝曙曦   雪ヲ冠シテ 吹山 曙曦ニ輝ヤク

群雁声低枯葦岸   群雁 声ハ低シ枯葦ノ岸

繋舟影淡古津涯   繋舟 影ハ淡シ古津ノ涯

両三茅舎点燈火   両三ノ茅舎 燈火ヲ点ジ

煦煦紙窓分世羈   煦煦くくトシテ 紙窓 世羈ヲ分ツ

          (上平声「四支」の押韻)



<感想>

 真瑞庵さんからは「昨年の作ですが」とのことでしたが、初冬の寒々とした朝の景色がよく描かれていると思います。
 首聯から対句を置き、リズム感のある中で、情景が広がり、美しい音楽の入った風景ビデオを鑑賞しているような気持ちになりますね。

 頷聯下句の「吹山」は「伊吹山」のことでしょう。「黄樹」との対応は作者の狙い所なのかもしれませんが、私はやや気になります。
 「黄樹」と固有名詞ではない語と対にしていくと、ここはどうしても「山を吹く」と読みたくなります。「遠山」「連山」を避けた形でしょうが、聯の意図が分かりにくくなっているのではないでしょうか。

 尾聯の「煦煦」は「あたたかな様子」を表す言葉です。冬のまだほの暗い朝、窓の灯が家庭の温かさの象徴、更に言えば、全体に蕭条とした叙景の中、人の生活のぬくもりが唯一示されているところです。
 「世羈」は「世のしがらみ」といった感じでしょうね。






2013. 4. 1                 by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第118作は 哲山 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-118

  玉門関        

隔万里沙塞   万里 沙塁を隔て

亡千古牙城   千古の牙城亡ぶ

玉関猶孤絶   玉関猶ほ孤絶し

眼下峙漠兵   眼下 漠兵に峙す

          (下平声「八庚」の押韻)




<解説>

 鈴木先生のシルクロードの写真を拝見して、詩を作りたくなり書きました。

<感想>

 こちらの詩は以前にいただいたものですが、平仄や押韻にもまだ慣れていない状態で、ひとまず韻字を揃えるところから始めましょうとお話ししました。

 最初にいただいたのは、次の形でした。

    玉門関
  隔万里砂場  
(下平声七陽)
  亡千古牙城  (下平声八庚)
  玉関猶仰天  (下平声一先)
  眼下峙漠兵  (下平声八庚)

 私の返事は次のようでした(一部修正しました)。

 【物事に感動する心が大切】

 以前の詩も含めて、詩を書くと言うことはまず、心が動くことが大切です。
 感動も無いままに言葉だけが並んでいては、いくらそれが規則通りだとしても、詩としては面白くないし、数首は作れても、やがて息が切れてしまうものです。
 哲山さんが時節や写真などから感じたものを言葉にしようとしていること、それが何よりも大切なことです。


【第一ステップは押韻を整えること】

 漢詩としての第一ステップは押韻をすることです。押韻が整っていないのは漢詩とはなりませんので、これは絶対に守らなくてはいけません。
 その場合、五言の詩は二句目と四句目の偶数句の末です。七言の詩は偶数句の末に一句目も加わります。(但し、一句目については、五言でも押韻することもあるし、七言で押韻しない場合もありますが、どちらも許されます)

 さて、その押韻を整える方法ですが、句末の字の韻目を調べることになります。
 この韻目調べは、基本的には漢和辞典を引きますが、最近は電子辞書に漢和辞典が入った機種がほとんどですので、そちらを使うと早くて便利です。
 ただし、漢字によってはいくつかの韻目があったりして迷う時に、「平仄辞典」などが役立ちます。

 五言は二句目と四句目に押韻するということで、では一句目と三句目はどうなのか、と言うと、押韻したのと逆の平仄にすることになります。
 つまり、平声で押韻をしたら(こちらが一般的です)、他の句末は仄声にするという形です。
七言句も同じで、押韻しない句は仄声にします。

 ということで見てみると、「玉門関」の詩は一句目の「場」と三句目の「天」は規則外れで、この二字は仄声の字でないといけないところです。

 課題として、「玉門関」の詩の一句目と三句目を、末字を仄字にして、押韻が合うように直しましょう。
句末の一字を仄字に換えるわけですが、一字だけで考えにくければ、その上も含めて二文字や三文字の単位で考えても構いません。

 ということで、直していただいたのが、今回の掲載詩です。

 ひとまずの課題はクリアしましたので、あとは詩意を変えないように気をつけて平仄を整えることになります。

 今回は、私の方で推敲案を示しますので、ご検討下さると良いでしょう。

  万里平沙塞
  牙門千古城
  玉関猶阻絶
  眼下漠邉兵






2013. 4. 3                 by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第119作は 哲山 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-119

  途上        

游子陽落惑   游子 陽落の惑

石佛道衝迎   石佛 道衝に迎ふ

乞暗中隻句   暗中に隻句を乞ふ

雰雰雪隠檠   雰雰として雪は檠を隠す

          (下平声「八庚」の押韻)




<感想>

 この作品は哲山さんの何作目でしたでしょうか、押韻が合うようになった頃のものですね。
 旅の途中でしょうか、道を歩きながらの偶感という感じですが、雰囲気のよく出ている詩になっていると思います。
 あとは、語順などを若干修正すれば、詩としては整うと思います。

 平仄の確認をしておきますと、

  游子陽落惑 ○●○●●
  石佛道衝迎 ●●●○◎
  乞暗中隻句 ●●○●●
  雰雰雪隠檠 ○○●●◎

 全体を見ると、「孤平」も「下三連」も無く出来上がっていますが、起句と転句だけが「二四不同」になっていますので、この詩は「五言絶句の平起式」の方向で修正するのが良さそうですね。

 起句は語句も変更して、「夕(落)陽遊子意」でどうでしょうか。
 また、転句は「乞」よりも「尋」の方が通じやすいのでそこを変えます。「暗中」が句の上に来ると収まりが良いのですが、このままでは使いにくいので同意の「昏暗」として、「昏暗尋詩句」というところでしょう。



2013. 4. 3                 by 桐山人
























 2013年の投稿詩 第120作は 藤城 英山 さんからの作品です。
 

作品番号 2013-120

  憂七十腱板断裂     七十の腱板断裂を憂ふ   

後斜転倒肩腱傷   後方斜め転倒し肩腱板断裂傷となる

日夜不眠不痛忘   日夜痛くて眠れない

何日嗚呼是快復   ああ、いつになれば治るのか

七十知命達観行   七十なり天命を知り達観し行かん

          (下平声「七陽」の押韻)




<解説>

 昨年末、不注意で転倒、右肩腱板断裂、いまだ痛くて眠れず、七十の年の憂いを詩にしたものです。

<感想>

 大変でしたね。
 七十代はまだまだ元気を維持したい世代、怪我で動けないのが一番辛いですね。一日も早い快復をお祈りします。
こういう時は漢詩にふける機会と考えるのも良いですよ。

 さて、詩の方ですが、幾つか直すところがありますね。
順に見ていきましょう。

 起句は病院の診断書を読んでいるようで、説明としては分かりますが、例えば「後斜」などの記述は詩としては不要でしょう。
 「不覚」「不図」など「うっかりして」という言葉が手頃ですが、「不」の字は承句でも出てきますので、ここは「無端」(はしなくも)というところでしょうか。

 下三字も平仄が合いませんので、「被肩傷」としておくと良いでしょう。

 承句は「不」は同句内の、効果を狙った繰り返しと思えますが、「日」は転句でも使われており、句またがりの同字重出は避けます。「連夜」「夜毎」としましょう。
 「眠」の字が上下を仄字に挟まれた「四字目の孤平」に当たりますので、ここは直さなくてはいけません。
 下三字も本来は「不忘痛」の語順にすべきところですが、韻字を最後に持っていくための倒置で「痛不忘」、これでも「四字目の孤平」は解消しませんから、「痛」の仄字を同意で平字の「疼」にしておきましょう。

 転句は「是快復」は全て仄字の「下三仄」になっていますので、「是」を「為」としておきます。

 最後の結句は、二字目を平字にして「反法」を守らなくてはいけません。やはり「七十」と同意の「七旬」とします。
 また、韻字である「行」は、「下平声七陽」韻の時は「並んだ列」を表し、「涙数行」などで使います。「いく、おこなう」の意味では「下平声八庚」韻になります。
 ここは「下平声七陽」韻でなくては収まりませんので、「達観牀」とすると、「達観はしたが、いまだに寝たままだ」という諧謔味が出てきます。

 最終的にまとめると、次のような形になりますので、参考にしてください。

  無端転倒被肩傷
  夜毎不眠疼不忘
  何日嗚呼為快復
  七旬知命達観牀


2013. 4.10                 by 桐山人