作品番号 2013-331
樹上黄鸨
新麹&利H 新緑 香風の路
路花雙蝶旋 路花 双蝶旋る
穿梭枝葉影
鶯囀有吾前 鴬の囀り 吾前に有り
<解説>
梅の季節、わが家では鴬は聞かれない。鴬は初夏から始まる。
近くの坂道を下る時、付き添うように美声頻りである。
<感想>
承句の「梭」は機織りの道具、「穿梭」はその梭が縦糸の間を行き来するように、ひっきりなしに動くことを表す言葉です。
「枝葉」の間をちょこちょこと動き回る姿が見える、何かなと思ったら「鶯」の声が目の前でした、というのどかな場面が描かれていますね。
結句の「吾」が効果的だと思います。
2014. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2013-332
拷A對酌
泉中素腰沐 泉中 素腰沐し
草上赤身熙 草上 赤身
何偶紳衿奈
午餐酣醉時 午餐 酣酔の時
<解説>
マネの「草上の昼食」
流行の服を着こなす二人の男性と並んで観衆に目を向ける大胆な裸女、後方には髪を洗うもう一人。そして倒れた酒瓶。
150年前の作品だが、今猶強烈な印象である。
<感想>
画に触発されて詩が生まれるのは、昔からの手法で、例えば晩唐の韋荘の金陵図などもそうですね。
ただ、漢詩となるとつい水墨画を連想してしまいますが、常春さんの枠に縛られない自由さに改めて感心しますね。
2014. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2013-333
季節
豪雪嚴寒尚累紛 豪雪 厳寒 尚 累紛するに
櫻花忽散短春氛 桜花 忽ち散り 春氛 短し
南冥北朔胡相鬩 南冥 北朔
今夏如何空仰雲 今夏
<解説>
三月彼岸の頃、東北で豪雪のニュースがあり、東京では桜満開。梅が散りつくす前に、桜が散ってしまった。
そして、夏へと振幅大きく揺れ動いた。
<感想>
転句の「胡」と結句の「如何」、疑問詞が続くのが気になりますね。
「如何」は手段・方法を問う疑問詞、「何如」は状態を問う疑問詞、ここは「今年の夏はどうしたらよいだろう」という気持ちです。
2014. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2013-334
常春
夏異常
暑熱龍騰比體温 暑熱 竜騰し 体温と比ぶ
突如豪雨疾風繁 突如 豪雨 疾風 繁し
夏天異變不知住 夏天の異変 住まるを知らず
憂嘆人爲一半源 憂い嘆く 人為 一半の源なるを
<解説>
35〜40度の気温が常態となった今夏、漏斗を天に当てて水を流し込むような局地豪雨、そして突風、竜巻。異常の夏といわざるを得ない。
その中で、化石燃料の探査採掘も盛んである。あーあー、ただ溜め息のみ。
気象庁が定点観測している大気中の炭酸ガス濃度は、昭和の終わり350ppmから現在400ppmに迫っている。
<感想>
結句の「人為一半源」は「人為是一源」あるいは「人為是半源」ではどうでしょう。
2014. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2013-335
祝浜松吟詠會記念大會
五十五年歡更新 五十五年 歓 更に新なり
名歌朗朗興詩親 名歌 朗々 詩に興じて親しむ
相思同志樂吟會 相思の同志 吟を楽しむの会
養徳正倫斯道循 徳を養ひ倫を正して斯道に循ふ
<解説>
六月三十日に私達の吟道陽心流浜松吟詠会が創立五十五周年記念大会を開催しました。
<感想>
全体に「歡」「興」「親」「樂」などの同意の語が多く、何となく「ワイワイ」と騒いでいるような印象です。
前半は良いとしても、後半の「楽」は邪魔ですので、「相思同志詠吟道」とするところでしょうか。
その関連で「道」の重複を避けるため、結句は「風韻純」「風雅循」などに直します。
2014. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2013-336
世界文化遺産三保松原
潮光搖蕩靈峰望 潮光 揺蕩 富峰 望む
白砂弄波何浩洋 白砂 波を弄ぶ 何ぞ浩洋たる
傳説羽衣青松舞 羽衣の伝説 青松に舞って
待來吉報喜呈祥 待ち来る吉報 祥を呈するを喜ぶ
<解説>
六月に三保の松原が富士山とともに世界文化遺産として登録されました。
<感想>
起句の「霊」は平声で下三平になっていますので、仄字の言葉「富」「聳」「矗」などに直します。
承句も二字目は仄声でないといけませんので、「砂白」と逆にしておくと良いでしょう。
転句は二六対が崩れていますので、直す必要がありますが、「松」は替えにくいので「挟み平」にして「碧松舞」という感じでしょうか。
転句から結句への流れが無く、結句は無理矢理入れた感があります。また、「吉」「喜」「祥」の三字も意味が似ており、検討が必要でしょう。
世界遺産登録を主眼にするならば「吉報」についてもう少し言葉が必要でしょうし、三保松原の美しさを世界に向け発信するならば逆に「吉報」に関連する語は不要でしょう。
2014. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2013-337
偶成
月白幽篁裏 月白し 幽篁の
彈琴物外心 弾琴 物外の心
雪藕C香散 雪藕 清香散じ
玉露濕衣襟 玉露 衣襟を湿す
<解説>
「春風・秋月」の心境。王維のまねになってしまいました。
<感想>
「偶成」という題ではもったいないですね。王維の「竹里館」とまでは行きませんが、蓮池を用いるような形に持って行ったら良いでしょう。
転句は二四不同を合わせて「清香花藕裡」として、形を整えてはどうでしょう。
2014. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2013-338
恕庵
偶成
避暑山中風籟C 避暑の山中 風籟清し
倚欄閑聽一魂鳴 欄に倚り 閑かに聴く 一蝉の鳴くを
倦書頃刻枕肱臥 書に倦み 頃刻 肱を枕に臥す
夢裏還知世外情 夢裏 還た知る 世外の情
<解説>
第六集の推敲後の作。
<感想>
こちらの詩は「偶成」の題がよく似合っていますね。
合評会でも申し上げましたが、結句に「小隠」の語を入れると結句や詩のしまりが良くなると思います。
2014. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2013-339
花時出遊
吟友相携郊外天 吟友 相携ふ 郊外の天
不時黄鳥不聲圓 時ならず黄鳥 声円かならず
櫻花泛水釣人坐 桜花 水に泛べ 釣人坐す
一陣流風紅雪煙 一陣の流風 紅雪煙る
<解説>
桜も満開をすぎようとする頃、吟友と共に郊外の園地に行ってみました。その時の情景を思い出してみました。
<感想>
承句の「不声円」は語順がおかしく、「声不円」が正しい形。それでは平仄が合わないわけで、この部分を優先するならば「黄鳥不時声不円」と仄句にするわけですが、そうなると詩全体を構成し直さねばなりません。
そこまで「不円」にこだわる必要は無いと思いますので、作者の気持ちと多少ずれるかもしれませんが「声囀遷」で我慢するところでしょう。
転句は、まず読み下しで「桜花泛水」は「桜花 水に泛び」でないと、釣り人が花を浮かべたような句意になります。
また、結句の「紅雪煙」は桜の舞う姿ですので、「桜花泛水」は結句と重なってしまいます。かと言って、桜が爛漫だとすると釣り人が唐突になります。
転句を構成し直す形で、春の郊外の様子をもう少し描く方向が良いでしょう。
2014. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2013-340
探秋
兄弟伴尋千里悠 兄弟伴に尋ぬ 千里悠なり
會津城景遠雙眸 会津 城景 双眸に遠く
奇岩林立畫眞似 奇岩林立 真に画に似たり
黄葉染秋溪水頭 黄葉 秋を染むる 渓水の頭
<解説>
夫の兄弟と秋に福島県を旅行した時「塔のへつり」の周辺の楢の黄葉のすばらしかった事を思い出しました。
<感想>
承句の「遠双眸」が分かりにくいので、「会津城趾暮雲悠」(場面を昼にするなら白雲)として、起句を「千里遊」としてはどうでしょう。
転句の下三字も語順がおかしいので、「真如画」でしょう。
結句は良い句ですね。
2014. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2013-341
暑中樂圍碁
如焚烈日水邊村 焚くが如き烈日 水辺の村
追約訪來碁友門 約を追うて訪ね来たる碁友の門に
臨局熱中忘暑氣 局に臨みて熱中すれば暑気を忘る
尺餘盤上一乾坤 尺余の盤上 一乾坤
<感想>
時間の流れに従ってそのまま素直に詩に仕上げたという印象で、結句の「一乾坤」が常套の語でありながら実感のこもったものになっていて、良いまとまりになっていますね。
2014. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2013-342
田園雜興
雙鳶緩舞水雲郷 双鳶 緩かに舞う 水雲の郷
終日家家穫稻忙 終日 家々 稲を穫るに忙し
殘暮老農相語處 残暮 老農 相語る処
桂花馥郁一村香 桂花 馥郁として 一村香し
<感想>
前半の二つの句の自然と人事が対応し、良い導入になっていますね。
後半はその逆の構成になりますが、ここに「残暮」を持ってくるならば、承句の「終日」は変更したいところです。
2014. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2013-343
牽牛花
夏日晨朝爽氣盈 夏日晨朝 爽気盈つ
牽牛花發小庭明 牽牛花発いて 小庭明らかなり
時懷加賀俳家女 時に懐う 加賀 俳家の女
丸髷輕衫往昔情 丸髷 軽衫 往昔の情
<解説>
朝顔につるべとられて もらい水
俳人、加賀の千代女を思い回らしました。
<感想>
転句からの加賀千代女への連想は良いですね。
結句は、「往昔情」と終ると、詩の主題が「丸髷軽衫の時代は良かった」ということで、牽牛花という題からそこまでの飛躍は苦しいですね。
「蔓」「綆」などを使って、花に戻っておくのが肝心でしょう。
2014. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2013-344
看瀑
陌上溪潭冷石床 陌上 渓潭 石床冷やかなり
鬱然樹蔭古苔蒼 鬱然 樹蔭 古苔蒼し
尋來瀑布淙淙響 尋ね来る瀑布 淙々の響き
萬境C涼忘夏陽 万境 清涼 夏陽を忘る
<解説>
かねてより尋ねたいと思っていた、滝を見に出かけました。
うわさの通り滝は淙淙と響き、真夏の暑さをも忘れさせてくれました。
<感想>
「看瀑」
涼しさを感じさせる詩です。
結句を生かすならば、起句の「冷」が邪魔ですので、「碧」「白」で。
ただ、結句はもう言わずもがなという感じもしますので、滝そのものの描写に持って行っても良いでしょうね。
2014. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2013-345
梅雨
連日蕭蕭雨 連日 蕭々の雨
冥濛窗外憂 冥濛たり窓外憂う
蝸牛籬柵悦 蝸牛 籬柵に悦び
蛙市水池謳 蛙市 水池に謳う
苔蘚翠然艷 苔蘚 翠然艶やかなり
菖蒲淡紫優 菖蒲 淡紫優し
幽齋無客訪 幽斎 客の訪う無し
獨待碧空周 独り待つ 碧空の
<解説>
連日の雨に うんざりしていると、悦ぶ生物あり又、植物あり。
自然を受け入れて 静かに晴れる日をまちます。
<感想>
四句目の「蛙市」は、蛙が群がって鳴くこと、下の「謳」と重複します。「蝸牛」との対で考えても「蛙黽」としておくのが良いでしょう。
頸聯の「翠然」と「淡紫」の対応も気になります。「翠藍(青)・碧蒼」と「白紫」、あるいは「翠然」を「深(普)青」「新青」「遍蒼」などが良いでしょう。
尾聯の「獨待」は説明的で、結末としてはやや物足りないですね。
2014. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2013-346
詠富士山
早暁飛機離首都 早暁飛機 首都を離る
太平洋上一塵無 太平洋上 一塵無し
眼前浄土三千界 眼前浄土 三千界
冠雪芙蓉水墨図 冠雪の芙蓉 水墨の図
<解説>
飛行機の中から眼下に富士山を見ました。
飛行機が詩語集になかったので漢語(飛機;fei ji)で代用しました。
行きと帰りで富士の姿が違っていましたが、やっぱり富士山はすごい、日本一の山でした。
<感想>
すっきりとまとまった詩ですね。
転句の「浄土三千界」の比喩がやや大げさですが、他は見たままの実景が描かれていると思います。
今年は富士山と美保の松原が世界自然遺産登録されたこともあり、富士山を詠んだ詩を投稿詩でも私の講座でも、また静岡の芙蓉漢詩会の作品集でも、とにかく沢山拝見しましたが、不思議に空からの富士山の詩は初めてですね。(記憶違いがあったらすみません)
中国の天目山は空から見るとまさに目玉のようだと言われますが、富士山はどんな様子なのでしょう。「浄土三千界」の比喩よりも、具体的にどう見えたかを知りたいですね。
結句は雪のおかげ(?)で、水墨画のように白と黒だけの色彩だったということで、分かりやすい良い句ですね。
2014. 1. 6 by 桐山人
作品番号 2013-347
秋日村居
放適過従故觜洲 放適過従す 故觜洲
兒時放学釣魚遊 兒たりし時 放学 魚を釣りて遊ぶ
青楓枯荻晴軽雨 青楓枯荻 軽雨晴れ
野渡坡塘杙小舟 野渡坡塘 小舟杙ぐ
松下久無斟酒侶 松下久しく無し 酒を斟む侶
沙邉時有狎人鷗 沙邉時に有り 人に狎れし鴎
等閑世上粉華事 等閑す 世上粉華の事
上磴徒杠満目秋 磴を上り 杠を徒でわたる 満目の秋
<感想>
謝斧さんの子ども時代、定番のランニングシャツに坊主頭でしょうか、川辺を走り回る少年の姿が目に浮かびます。
「觜洲」は鳥の觜のように尖った川の洲、具体的にどこなのかは分かりませんが、自然に囲まれた中でのびのびと育ったことが分かります。
昔の子どもは、でも、みんな自然の中が遊び場でしたよね。
後半から現在の閑適へと移りますが、『列子』「海翁好鴎」と重なる「狎人鷗」が無欲無私の生活を表して、効果的ですね。
2014. 1. 9 by 桐山人
作品番号 2013-348
冬夜感懐
聴雪炉頭坐 雪を聴き 炉頭に坐す
書檠已半消 書檠 已に半ば消す
恰宜詩債少 恰も宜し 詩債少なし
温酒欲伸腰 酒を温め 腰を伸ばさんと欲す
<解説>
雪がちらついています。とぼとぼ歩きの漢詩作りも4年になろうとしています。
月一度の桐山堂投稿を課していることが、私の詩債です。今月もなんとか”やっつけた”のでほっとしているところ。
最近、生意気にも手詰まり感に襲われ、諸兄のアドバイスが欲しいところです。
<感想>
起句の「聴雪」というさりげない表現が、いかにも雪深い国を思わせて良いですね。
普段あまり雪を見ない土地に住んでいますと、どうしても「雪を見る」という感覚で、耳で感じることは思いもよりません。
桐山堂への投稿を作詩のペースメーカーにして下さっているとのこと、お役に立てればありがたいことです。となると、掲載が遅れることが申し訳なくて、本当にすみません。
この新年こそ、私もがんばりますので、越粒庵さんも作詩にがんばってください。
作詩を始めて四、五年がマンネリ感の出る頃ですが、そういう気持ちになるということは、詩への評価基準が上がった、つまり詩人として向上しているのだと逆に励みにするように考えると良いですよ。
題によく合った内容になっていますが、承句の「書檠」は、ここで「書」を出してしまうと、転句の「詩債」を予感させてしまいます。
我慢して「短檠」「孤檠」くらいにして前半は冬の夜の情景に徹しておくと、後の語、特に「恰宜」が「おやおや?!」という気持ちを読者に持たせ、転句の効果が高まりますね。
2014. 1. 9 by 桐山人
作品番号 2013-349
千日詣(石鎚神社大觀遙拝所)
一千日行上神山 一千日行 神山に上る
磴道往來扶杖還 磴道 往來 杖に扶けられて還る
高吟静思無人識 高吟 静思 人の識る無し
滿願漸成心自閑 滿願 漸く成り 心自ら閑なり
<解説>
「千日行」と言っても、勿論、本格的な荒行ではない。
裏山(西油山)の中腹にある石鎚神社大觀遙拝所まで、往復約一時間、健康管理の爲の「ウオーキング」である。
悪天候の日を除いて朝食の前か後に必ず実行した。
四年前の十月十日に始め、満四年余りで延べ一千日、目出度く「満願成就」と相成った次第である。
<感想>
四年で一千日ということは、平均で見れば一年で二百五十日ほど、雨の日を除けばほとんど毎日必ずという感じですね。
それに、昨年は春先に座骨神経痛で歩くのも辛いとのお話でしたから、本当にすごいですね。
私も十年前に病気して右半身が不自由になった時は、リハビリのため毎朝三十分、夕方プールで三十分歩いていました。その時は体重も毎月0.5キロずつ確実に減っていき、たるんだお腹も締まってきていたのですが、最近は駄目ですね。すぐにくじけてしまいます。
まあ、身体の機能がそれだけ回復して必要性が薄れたのだと前向きに考えて、妻からの「幼児体型逆戻り」という厳しい叱責にも耐えていますが。
起句の「行」は仏道のおつとめの意味で仄声の用法ですが、転句の「静思」はやや微妙、「静かに思う」と動詞として読むと思いますので、「想」にしておいた方が良いでしょう。
2014. 1.14 by 桐山人
作品番号 2013-350
多久二千年蓮
園中細徑聞渓聲 園中の細径 渓声を聞き
暁色池亭緑水平 暁色の池亭 緑水平らかなり
矗矗芙蓉千古状 矗矗たる芙蓉 千古の状
軽風作皴郁氛盈 軽風皴を作り 郁氛盈つ
<解説>
佐賀県多久市の「多久聖廟」の近くの「聖光寺」の池に、毎年綺麗な蓮の花が咲いています。
この蓮は、大賀博士が発見された二千年前の蓮の種子から発芽した蓮の種子を譲り受けて、栽培したとのことです。
<感想>
植物の生命力に感嘆しますね。また、蓮は「泥中より出でて清廉」ということで高潔の象徴でもあり、眺めていると心が洗われるような気がします。
そうした雰囲気を感じさせる良い詩だ思います。
起句の「聞」は平声の用法ですので、ここは「聴」にしておいた方が良いですね。
転句の「矗矗」は、多くは山が高く聳える様子を表しますが、「直」が重なった字ですのでまっすぐに立つ意味で蓮の花の形容に使われます。二千年の時を乗り越えた蓮の凜とした気品を表したいという意図でしょう。
2014. 1.14 by 桐山人
作品番号 2013-351
拉致悲愁
故園風景未曾忘 故園の風景 未だ曾って忘れず
帰思如何悲断腸 帰思如何せん 悲しみ腸を断つ
父母減年憔悴盡 父母年を減じ 憔悴し尽くし
夢中愛護十三娘 夢中愛護す 十三の娘
<解説>
報道によれば、北朝鮮では色々の動きがあるようですが、先日も投稿しましたように、一日も早く、悲惨な状態が解決されるのを、祈るばかりです。
<感想>
そうですね、国際的にますます孤立化を目指すような北朝鮮の状況で、拉致の問題解決が遠くなって行く気持ちになります。政治問題ではなく、人道的な問題として、一刻も早く戻れるような解決を望みます。
結句の「娘」は「少女」の意味でとらえ、客観性を出したいところでしょう。
2014. 1.14 by 桐山人
作品番号 2013-352
静(詠物體)二首 一
静中忘我覚精神 静中我を忘れて 精神を覚(a)り
幽絶林居心自延 幽絶たる林居 心自ずから延ぶ
欹耳深閑群動息 耳を欹つれば深閑として 群動は息み
森羅万象寂如眠 森羅万象は寂として眠が如し
<感想>
平成26年の歌会始のお題「静」をお詠みになった作品です。
抽象的な題ですので、どのようなシチュエーションにするかが作者の工夫の出しどころ、謝斧さんは叙景を排除して一気に心象の世界に入っていきました。
かろうじて作者の所在がわかるのは承句の「幽林」ですが、これとても具体性はなく、どこのどんな林であるのかは描かれていません。
その分、作者の精神世界の中に読者は迷い込んだような気持ちになり、作者と同じように、耳を欹てて周囲の音に耳を澄ましますが、あらゆるものが静寂を保って深い眠りに陥るような趣を共感します。
「静」「幽」「深閑」「寂」などの語は、本来は「静」という状態を説明するのに用いてはいけない言葉ですが、それらも全て素材の一つ、つまり小道具として配置することで、現実的な「静」よりも精神的な「静」を浮き出させている狙いがあるのでしょう。
一語一語が目的を持って置かれているという印象を受けました。
2014. 1.19 by 桐山人
作品番号 2013-353
静(詠物體)二首 二
~廟森森自忘機 ~廟森森として自ずから機を忘れ
静中幽絶世音稀 静中幽絶 世音稀なり
庭階黙坐無人語 庭階に黙坐 人の語る無く
欹耳徒聞鳥囀微 耳を欹てれば徒だ聞く鳥囀の微なるを
<感想>
こちらも同じ題での作品ですが、表わされている「物」が多くなっていますね。併せて読むと、前作の作者の居たのはここだったのかと感じますが、それぞれの作品毎に味わった方が良いでしょうね。
転句の「無人語」と結句の「鳥囀微」を対応させて、結論として「鳥囀」は静寂を強調する役割を果たしています。
ただ、承句で「世音稀」と述べていますので、「無人語」がくどく感じます。
どちらかを叙景にした方が、詩としての効果は上がるように思いますが、いかがでしょうか。
2014. 1.19 by 桐山人
作品番号 2013-354
秋郊散策
野菊丹楓秋興塘 野菊 丹楓 秋興の塘
西風撫鬢氣清涼 西風 鬢を撫づれば気は清涼
高天鴻雁傳家信 高天の鴻雁は家信を伝へ
蟋蟀一聲懐故郷 蟋蟀の一声に故郷を懐かしむ
<感想>
老遊さんの初案は次のようでした。
秋郊散策
楓葉秋花野趣長 楓葉 秋花 野趣は長し
西風撫鬢覺清涼 西風 鬢を撫づれば清涼を覚ゆ
高天鴻雁傳家信 高天の鴻雁は家信を伝へ
蟋蟀一聲憶故郷 蟋蟀の一声に故郷を憶かしむ
私の方では、次のようなコメントを書きました。
これでまとまっていて、手慣れた印象があります。その分、リアリティが感じられません。推敲された作品が投稿詩です。
眺めてみますと、作者の感情を表す言葉が多いことに気づきます。
「野趣長」「覚清涼」「憶故郷」、実はどれも詩の主題を表すに足るもので、結論を言えば「言いたいことが多すぎる」ということです。
この中のどれを主題にするか、となると、やはり結句の「憶故郷」となりますので、ここに集約するよう持って行く必要があります。
取りあえず、「覚」と「憶」はほぼ同意ですから同居は避けたいところ、承句の方を「西風撫鬢氣清涼」としておくと、ここは情景を描いた句に変わり、落ち着くように思いますね。
作品番号 2013-355
晩秋
秋旻蒼碧弄風光 秋旻 蒼碧 風光を弄す
路轉湖山木葉黄 路は転ず 湖山の木葉黄なり
映日紅粧如彩画 日に映じて紅の粧ひ 彩画の如し
遠峰幽曖暮雲長 遠峰 幽曖 暮雲長し
<解説>
青い秋の空、晩秋の景色を眺めて、黄紅葉のすばらしさに感動した一日。
秋はさみしいと思われがちですが、私は美しい木葉にいやされて楽しくなる良い季節だと感じました。
<感想>
勝江さんの初案とその折の私のコメントも載せておきます。
晩秋
秋晴探勝弄風光 秋晴れて探勝 風光を弄す
路轉湖山木葉黄 路は転ず 湖山の木葉黄なり
映日紅粧美於画 日に映じて紅の粧ひ 画よりも美なり
峰心幽賞暮雲長 峰心幽賞す 暮雲長し
起句の「探勝」と結句の「幽賞」が同意ですので、どちらかにした方が良いでしょうね。推敲作に対しての私のコメントです。
「秋晴」も表現がいまいちですので、「秋旻(しゅうびん)」と晴れた秋空を出しておき、空の様子を次の二字で出すと良いですね。「秋旻蒼碧」というところでしょうか。
転句の「美於画」はストレートな表現で、もう少し詩的にしたいところです。
結句は「幽賞」でも良いですが、転句を繰り返すだけのようで、「暮雲長」とのつながりが弱いですね。遠くの峰が夕方になってぼんやりとしている、という感じが良いでしょう。
作品番号 2013-356
秋日閑人
近隣草木已清霜 近隣の草木 已に清霜
陋屋空庭蟲語長 陋屋の空庭 虫語長し
籬菊爭妍無甲乙 籬菊妍を争へど 甲乙無し
閑人緩歩弄秋光 閑人緩歩して 秋光を弄す
<感想>
題名は「秋日閑居」とするのが良いです。「秋日閑人」ですと、結局「閑人」がどうしたのかを示す必要が出てきますから。
承句の「蟲語長」が気になるようですが、虫の声が「途切れ途切れ」に「長い」というのは矛盾していて苦しいですね。「蟲語」がこの位置ですと、韻字の一字で考えなくてはならず、変更に自由度が減ります。
「蟲語忘」についてですが、「空庭」でしたら通常は静かな環境、その中に「虫の声だけが響く」ということで「虫語繁」となるところ、「忘」では不自然です。句全体を検討する形で考えていくと、作者の気持ちに近いものが出るでしょう。
大切な下三字から入れていくことにして、虫の声が「切切長(切切と長し)」とすれば、途切れ途切れまでは行きませんが、弱々しく寂しげな感じは出るでしょう。
「陋屋空庭」は決して悪くないのですが、基本的には自分が庭の中に居る様子を表します。他人の家の庭を覗き込んで「誰も居ない」と言っていては怪しいですからね。
となると、作者は外を歩いているのか、自宅にいるのか混乱が起きますので、全体に外出に揃えるためには「陋屋空庭」を検討した方が良いとも思いますので、場所を表す言葉は削り、代わりに風の音でも加える形で、「松籟蟲聲切切長」というところでしょうか。
承句で場所を表す言葉が無くなれば、起句と結句は入れ替えても入れ替えなくてもどちらでも可能だと思いますので、結びの語として「已清霜」と「弄秋光」のどちらが良いかは作者の気持ちだと思います。
2014. 1.19 by 桐山人
作品番号 2013-357
北海道晩秋
冠雪連峰万頃涼 冠雪の連峰 万頃涼し
小村秋色好風光 小村の秋色 風光好し
哀鳴孤雁帰何処 哀鳴する孤雁 何処にか帰る
錦繍紅葩映夕陽 錦繍の紅葩 夕陽に映ず
<感想>
全体にまとまりがあり、イメージもすっきりした詩です。
起句は問題有りません。
承句は「小村」では、北海道の雄大さが出ませんので、「北辺広野」としてはどうでしょう。ついでに、「秋」の字が抜けましたので、下三字を「好秋光(秋光好し)」としましょう。
転句は「雁」ならば常套手段ですが、ここはやはり北海道らしく「鶴」としたいですね。何なら「白鶴」でも良いですね。
結句の「紅葩」は赤い花ですので、「錦繍」とは合いませんし、重複感が強いですね。
「楓葉黄紅」などで考えてはどうですか。あるいは「一面紅楓」も考えられます。
全体に北海道らしい雄大さを出して、旅の写真と一緒にすると、よい記念になりますね。
2014. 1.20 by 桐山人
作品番号 2013-358
秋郊
秋郊吟歩到池塘 秋郊 吟歩 池塘に到る
黄稲田園雁一行 黄稲 田園 雁一行
低度夕陽何処去 低く度る夕陽 何処にか去る
遠山長堤好風光 遠山 長堤 風光好し
<感想>
平仄も整っていて、一つ一つはしっかりした句になってきたと思います。
あと、詩として完成させるには、全体的な視野が必要になってきますね。
例えば、起句で「到池塘」となっていて、次に「黄稲田園」となると、どこを歩いているのかが分かりません。「池塘に着いた」と来れば、その後は当然池の様子、せいぜい池の周囲くらいまでの描写にしなくては視点がバラバラになりますね。
「秋郊吟歩野風涼」くらいで次に持って行く形でしょうか。
転句、「夕陽は何処に行くのか」と問いかけると、とても哲学的な話になってしまいます。通常は夕陽は海か大地に沈むと考えるものです。「雁」や「雲」が「何処去」なら分かりますけれど。
また、「夕陽何処去」を出すと寂寥感が生まれますが、結句の「好風光」へのつながりが悪いですね。
韻字も合いますので承句の下三字に「夕陽」を置き、転句に「雁」を持ってきた方が話は通じるでしょう。
結句については、起句をどうするかで違ってきますが、「長堤」は通常は川の堤を表します。「池塘」で「長堤」となると相当大きなものになります。
「遠山」と「長堤」も遠近で視点がぼけますが、何とか許容範囲ですね。
できれば、「遠くの山がどんな様子なのか」を考えると良いでしょう。例えば、紅葉しているとか、「西山」だけでも良いですね。
作者が川沿いの道を歩いているのか、池のほとりで眺めているのか、その辺りを絞って全体を統一するようにしましょう。
2014. 1.20 by 桐山人
作品番号 2013-359
秋郊
素風秋興菊花黄 素風 秋興 菊花黄なり
松子籬邉對夕陽 松子 籬辺 夕陽に対す
何處鳥飛空回首 何処へ鳥飛ぶ 空へ首を回す
閑居陋室煮茶香 閑居 陋室 煮茶香る
<感想>
起句は良いですね。
承句、「松子」は「松かさ」ですので籬のあたりに松ぼっくりが落ちているという光景ですか。組み合わせがしっくり来ない印象ですね。「籬」ならば「菊」をここに置いた方がすっきりするでしょう。
素風秋興露清涼
松菊籬邉對夕陽
という感じでどうでしょうね。
転句は下三字、「空へ」と読んではこの語順ではおかしくなります。また、二六対も乱れていますので、この下三字は直す必要があります。
挟み平に持って行く形で「渺回首」(渺として首を回す)として落ち着かせましょう。
結句は良いですが、読み下しとしては、「茶を煮るの香(こう)」が良いでしょう。
2014. 1.20 by 桐山人
作品番号 2013-360
晩秋
桂花馥郁満庭香 桂花馥郁 満庭香し
葉上秋輝白露涼 葉上の秋輝 白露涼し
吟友求詩楓樹下 吟友 詩を求めて楓樹の下
前峰錦繍滌塵腸 前峰 錦繍 塵腸を滌ふ
<感想>
起句は良い句ですね。ただ、晩秋の紅葉と桂花が時季として合うかどうか、ですね。
承句は「葉上」が場所を表す言葉ですが、起句の「庭」や転句の「楓樹下」にも場所が出ていて、ここはくどい気がします。「秋輝」がどうなのか、「清朗」「晴朗」などを置いておくと重複感が薄くなりますね。
転句は問題ありませんね。
結句は「前峰」でも悪くはないのですが、また場所を表す言葉になり、どうしても説明的になります。
やはり峰を形容するような形で、「連山」とか「四山」「連峰」、ぎりぎりで「遠峰」というところでしょう。
起承転結の構成も出ていて、漢詩としてのまとまりができています。
2014. 1.20 by 桐山人
作品番号 2013-361
宿上高地
朱明避暑宿山荘 朱明 暑を避け 山荘に宿す
巖嶂穂高幽樹蒼 巌嶂 穂高 幽樹蒼し
萬点星辰垂梓水 万点の星辰 梓水に垂れ
夜陰滿面淹仙郷 夜陰 満面 仙郷を淹(ひた)す
<感想>
静巒さんのこの詩は三敲作で、初案は次の形でした。
宿上高地
閑人避暑宿山荘 閑人 暑を避け 山荘に宿す
窗外月無追晩涼 窓外月無く 晩涼を追ふ
萬点星辰垂梓水 万点の星辰 梓水に垂る
浴餘麦酒別天郷 浴餘の麦酒 別天の郷
この初案に添えた私のコメントです。
平仄の点では問題はありませんが、承句の「月無」は語順としては「無月」でないといけません。そうなると平仄が合いませんので、検討が必要です。 転句の「万点の星辰」を強調するならば、外が漆黒の闇であったことが重要になりますので、暗いことを表す「冥冥」、あるいは「沈沈」というところでしょうか。 上高地そのものの景色が描かれていないので、その辺りをどう考えるかですが、私の感じでは、結句の「浴餘麦酒別天郷」を叙景にすると落ち着いた詩になると思います。 温泉上がりのビールも魅力的で、これはこれで「楽しい」詩ですから悪くはないのですが。 あるいは、転句に酒を持ってきて、結句に「万点星辰」を置くと余韻もあって、収まりの良い詩になるようにも思います。平仄で入れ替えにくければ、起句と承句をそっくり入れ替えて、「仄起式」にしても良いでしょう。ということで、推敲を進められた結果、今回の掲載作になりました。
作品番号 2013-362
冬夜偶成
山房破壁夜寒侵 山房 壁を破って 夜寒侵す
窓外如刀斜月臨 窓外 刀の如き斜月臨む
弄筆営営猶不倦 筆を弄んで営営 なお倦まず
三更展巻独研尋 三更巻を展べて 独り研尋す
<感想>
桃羊野人さんもお久しぶりです。お元気でいらっしゃいましたか。
冬の夜の寒さが厳しい情景かと思いましたら、それは導入で、その寒さの中で勉学に励んでいらっしゃるのが主題であるという展開、日頃のお姿が目に浮かぶようですね。
詩文を学ぶに適するという「三余」は「雨・夜・冬」ですが、その「夜・冬」の二つを十分に生かした暮らしというところでしょうか。
前半と後半は直接のつながりはなく、穿った見方をするならば、前半の季節は春でも夏でも良いという批評もあるでしょう。
しかし、研ぎ澄まされたような寒月の光、「山房破壁」の孤絶感があって、「三更」という時刻が一層重みを増すわけで、前半が有ってこその後半と言えます。
そういう意味での狙い澄まされた構成だと私には思えます。
強いて言えば、承句の「如刀」の比喩は定型過ぎて、もう一工夫できると「偶成」とは思えない佳作になると思います。
2014. 1.20 by 桐山人
作品番号 2013-363
思除日
窮陰風冷季遥遷 窮陰 風冷ややかにして季(とき)遥かに遷り
邑子将迎除日天 邑子 将に迎へんとす除日の天
車馬往来人簇賑 車馬は往来し 人は簇り賑はふ
幽襟索索独居辺 幽襟索索たり 独居の辺り
<解説>
寒い風は冷え冷えとして時は後ろを振り返りもせず遠く去ってゆく
子供たちはやがて来るみそかの日を指折り数えて待っている
行き交う車馬も人も時には立ち止まり時には小走りだ
年の瀬の賑わいは私にとってどうってことないが
心の奥はさわさわと風が吹き抜けてゆくばかり
<感想>
暮れのあわただしい雰囲気が転句によく出されていて、結句との対応も良く、面白い詩になっていますね。
除日という題ですので仕方ないのかもしれませんが、子ども達が待ちかまえているのは大晦日ではなく、お正月の方がピンと来ますね。「もう幾つ寝るとお正月」ですからね。
「将迎除日天」を「将迎元日天」としても、一応大晦日の詩にはなるようには思いますが、いかがでしょうか。
2014. 1.22 by 桐山人
作品番号 2013-364
癸巳歳晩書懷
平成癸巳歳將殘 平成 癸巳 歳將に殘せんとす
八秩壽辰強盡歡 八秩 壽辰 強ひて歡を盡せり
一病息災神契在 一病 息災 神契在り
餘生不厭味甘酸 餘生 厭はず 甘酸を味ははん
<感想>
私は定年退職を迎えて、なんとなく自分自身が年をとったなぁという気持ちでいたのですが、兼山さんや深渓さん、常春さんなどの矍鑠たるお姿を拝見すると、そうか、まだ二十年は頑張らないと追いつけないのだと納得します。
サイトで沢山の人生の先輩に出会うことができ、本当に幸せだと思っています。
結句のお言葉は、ついつい辛いことから逃げて行こうとする私にとっては、目が覚めるような思いです。
個人的な話になりますが、私は小学校の時に母親を、中学の時に父親を亡くしていますので、「親に叱られた」という経験もあまりないし、親父の背中を見て育ったということもなく、当然のことながら反抗期も無く素直に育ってきました。
だからなのか、諸先輩のお話やお考えをうかがうたびに、父親に教えてもらっているような気持ちで嬉しくなります。
兼山さんは今年は歩くのも辛いという神経痛にお苦しみになったようですが、ご健康を保たれて、時には私に説教をしてくださるくらいお元気なお姿を拝見するのを楽しみにしています。
2014. 1.22 by 桐山人
作品番号 2013-365
歳晩書懐
師友難忘独不眠 師友忘れ難し 独り眠らず
挙頭此夕月如弦 頭を挙げれば此夕 月弦の如し
索居静座孤灯下 索居に静座す 孤灯の下
宿志無成又一年 宿志成る無く 又一年
<感想>
桃羊野人さんのこの作品は、歳晩の思いをよく表しています。
特に前半は我がことのように納得できる描写ですね、
転句の読み下しは、ここでは「静かに坐す」とした方が読んだ調子が良いでしょう。
結句の「宿志無成」は、ここまでかっちりと積み上げてきた筆がわずかに流れた、という印象で、起句の「師友難忘」という心情と交錯して、作者の「歳晩の思い」、つまり主題は一体どちらなのかが分からなくなります。
もちろん、詩には二つ以上の心情が入ることもありますが、この場合、「師友難忘」も「宿志無成」も結構重く暗い心情で、このまま新年を迎えるのはつらいだろうなぁと思ってしまいます。
ぐっと我慢してどちらかを削る、私は「宿志無成」の方かなと思います。過去を振り返って嘆くよりも、新しい年を迎えるという方向を持った方がリアリティがあるのではないでしょうか。
さて、2013年中にいただいた投稿詩掲載も、この桃羊野人さんの作品で一年の締めくくりとなりました。
掲載が一ヶ月以上も遅れたりして、ご迷惑やご心配をおかけしたことをお詫び申し上げます。
定年退職し、勤務が週に四日ほどになりましたので、今年は時間が取れるだろうと思っていましたら、随分甘い見通しだったようで、結局は、相変わらず追っかけられているような状況でした。
常春さんの芙蓉漢詩会の皆さんの作品も合評会二回分が未掲載のままですし、刈谷での漢詩講座の受講生の作品もまだまだ載せ切れていなかったり、要するにため込んだままのものが残ってはいるのですが、丁度(?)365作ということで、一年の日数と同じというのも区切りが良いと勝手な理屈を立てました。
2014年もよろしくお願いします。
2014. 1.22 by 桐山人