2012年の投稿詩 第151作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-151

  書懐        

霜鬢皴顔痩軀叟   霜鬢 皴顔 痩躯ノ叟

暫嫌耕耒野田疇   暫シ嫌フ 耕耒 野田ノ疇

年年相対病還老   年年 相対ス 病還タ老

日日従居春復秋   日日 従居ス 春復タ秋

五嶽峨峨征路阻   五嶽 峨峨トシテ 征路 阻シク

三山眇眇客途悠   三山 眇眇トシタ 客途 悠カナリ

既知仙境存酣酔   既ニ知ル 仙境ノ酣酔に存ルヲ

濁酒以除斯暗愁   濁酒 以ッテ除カン 斯ノ暗愁

          (下平声「十一尤」の押韻)





<感想>

 第一句は六字目の平仄が違っていますが、私の読み間違いでしょうか。

 首聯と頷聯で老いた身の、日常の生活を淡々と描いていると思いましたが、頸聯の「征路」「客途」から行くと、旅先での景ということになるのでしょうか。
 「五嶽」「三山」は具体的な名前はありませんが、真瑞庵さんのお住まいの地から考えて、鈴鹿山脈を意図されたのかと思っていましたが、旅となるとまた違ってしまいますね。

 私としては、尾聯のイメージから言っても、現在の生活を描いたと読みたいですね。





2012. 7.12                  by 桐山人





真瑞庵さんからお返事をいただきました。

 お世話になっています。
 起句の「躯」は「瘠」に変更します。

 また、「五嶽」は仙人の住む不老不死の山、「三山」は極楽浄土の蓬莱三山を指しています。

2012. 7.15             by 真瑞庵



 お手紙拝見して、疑問が解けました。
 頸聯は「仙人への道も極楽への道もはるかに遠い」ということですね。
 となると、尾聯は「(あの世の事は分からないが)仙人の心境には酒でたどり着ける」という明るい気持ちになるのでしょうが、その場合、結びが「暗愁を除かん」だと上句の解放感が弱くなる気がしますが、いかがでしょう。



2012. 7.15             by 桐山人

謝斧さんから感想をいただきました。

 起聯は三四字平で六字目の挟み平を助けて 踏み落としになっています。過去の用例もありますが、聲律を考えると対句で逃げる方もありますが、起聯の対句は拘束されることがあるので古人もよくないといってます。
 真瑞庵先生の踏み落しもひとつの見識で 七律を作りなれた先生ならではの成功した事例だとおもいます。

 対句も前聯の境と後聯の格が好く変化しているようにおもえます。

 後聯の比喩はやや晦渋のようですが、佳編だとおもいます。



2012. 7.15             by 謝斧



























 2012年の投稿詩 第152作は 押原(博生) さんからの作品です。
 

作品番号 2012-152

  初夏小園        

清陰初夏午風軽   清陰初夏 午風軽し

正好小園新緑明   正に好し小園 新緑明らかなり

躑躅配紅墻角下   躑躅は紅を配す 墻角のもと

葵花兀立向陽傾   葵花は兀立し 陽に向かひ傾く

          (下平声「八庚」の押韻)





<解説>

初夏 立ち葵のすがすがしさが際立つ。



<感想>

 押原さんは、「博生」の雅号でこれまで投稿されていましたが、今回から新たなお名前でということになりました。

 承句の「正好」は、このままでも悪くはありませんが、この場所で使われると、後の「小園新緑明」が「正に好し」ということになり、感動の表現として後半の描写の出てくるのに違和感があります。
 ただ、ここを情景描写にすると、四句全部が叙景の詩になってしまい、変化が乏しくなります。
 作者の行動を表す言葉を入れると、バランスが良くなるのではないでしょうか。





2012. 7.12                  by 桐山人





謝斧さんから感想をいただきました。

 「正好」が「小園の新緑明」をさすのでしょうか。
 句端の「正好」の意味から、「正好」は初夏をさしているのではないでしょうか。

 今丁度初夏の好季節になって、小園の新緑が明かになっている、という詩意ではないでしょうか。


2012. 7.16                by 謝斧



 そうですね。謝斧さんの仰るように解釈すべきだと私も思っています。

 気になったのは、この「正好」の後に、「新緑」から「躑躅」と「葵花」と植物の描写が続くこと、どれも「小園」の中のものと感じられますから、承句からずるずるとつながる印象があることです。それを避けるためには、承句で一旦区切りをつける形で読み取ることかな、と思ったからです。

 謝斧さんの仰るように、今丁度、初夏の好季節になったとするならば、「新緑」は少なくとも邪魔な感じです。

 「正好」を使うにしろ、承句に作者の行動が描かれると、視線の動きも自然になると思ったのが私の感想でした。



2012. 7.18               by 桐山人
























 2012年の投稿詩 第153作は 押原(博生) さんからの作品です。
 

作品番号 2012-153

  雨中排悶     雨中悶を排す   

旬餘宿雨四檐侵   旬餘の宿雨 四檐侵す

懈惓黄昏一曲琴   懈惓の黄昏 一曲の琴

午睡醒来茅屋裏   午睡醒め来る 茅屋の裏

点茶一喫拂憂心   点茶一喫 憂心を拂ふ

          (下平声「十二侵」の押韻)





<解説>

 人は常に憂ひと共にある。



<感想>

 梅雨の一日のけだるい、どろんとした思いが出ていると思います。

 数詞が入っていますが、承句の「一曲」と結句の「一喫」は「同字重出」ですね。
 承句の方は、この「琴」を演奏しているのが作者なのか誰か他者なのか、作者だとすると「懈惓」とのつながりが疑問です。他者だとすると、「聞こえてきた」「耳にした」というニュアンスをもう少し出す必要があるでしょう。
 となると、「同字重出」に解消するには、承句を検討した方が良いということですね。

 承句の「懈惓」も、結句の「憂心」を生かすには、削った方が良いでしょうね。

 後半は良いと思います。





2012. 7.12                  by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第154作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-154

  御堂関白藤原道長卿        

皇殿夙陞關白位   皇殿夙(つと)に陞(のぼ)る関白の位(くらい)

三妃独占擅威多   三妃独占し威を擅(ほしいまま)にすること多し

勅栽自在代宣傲   勅栽自在代宣(だいせん)の傲(おご)り

此世存吾望月歌   此の世をば吾(われ)に存(あ)りと望月(もちづき)の歌(うた)

          (下平声「五歌」の押韻・起句踏み落とし)





<解説>

 平成24年(2012)2月14日、NHKの『さかのぼり日本史−藤原氏はなぜ権力を持ち続けたのか−』をTVで拝見していて、一首賦すことにしました。
 道長は類まれな臭覚をもった政治家で、その評価は各々分かれるところですが、絶対権力者(天皇家の外戚)としての側面と、往生に際しては深く阿弥陀仏にすがるところなどから、私にとってはその両面が興味深い人物です。
 私など刀筆の吏には及ぶべくもありませんが、この世に男として生をなしえた以上、道長卿のようにな和歌を皆の前で披露できるようになりたいものだという、叶わぬ夢だけは心ひそかにもって、宮仕えに日々精進したいものだと思います。


★字句解説
「御堂関白藤原道長卿」: 京都市にある陽明文庫に道長直筆の日記 国宝『御堂関白記』が保存されています。
「夙」: 早い時期から
「三妃独占」: 「一家立三后」の快挙 摂関政治の最盛期を築いた。
   ●長保元年(999)長女彰子 一条天皇へ入内 紫式部が仕えた
   ●寛弘7年(1010)次女妍子 三条天皇に入内
   ●寛仁2年(1018)三女威子 後一条天皇(孫)に入内
「此世存吾望月歌」: これは大変有名な歌。教科書で習いました。
「此の世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたる事もなしと思へば」

 今宵のこの満月のように我が手中に収まった天下に、不足不満の思いは最早なく、すべて完璧に万事がうまく運んだ。
 (満月は今宵を頂点としていずれ欠けはじめるのが、天体の道理である)この月とていずれ陰れる運命ではあるが、藤原氏の栄耀栄華・摂関政治は「固定された満月」ともいうべきに未来永劫の御代の栄であることよ。
 と私見では解釈しています。

 時に寛仁二年(1018)10月16日のこととライバル藤原実資の『小右記』にある。
★関連サイト&ブログ

   「藤原道長」(Wikipediaより)

藤原氏はなぜ権力を持ち続けたのか」(さかのぼり日本史:NHKより)


PS.
 現在大河の主役である平清盛は日宋貿易など瀬戸内海の海上交通隆昌のため音戸の瀬戸(広島県呉市音戸町)を開削しました。
 この工事にまつわって「清盛の日招き伝説」があります。
 その日一日で工事を完工させたかった清盛は、我が扇を夕日に向け煽ぎ「帰れや戻れ」と唱和すると、不思議なことに光を失いかけた日光は、再びその光を増し、すんでのところで日輪が留まり、無事に工事の完成を見届けたというものです。

   「平清盛公と音戸の瀬戸

 道長の摂関政治(満月)と清盛の平氏政権(太陽)−いずれもおごる者久しからず、結果はご案内のように短期政権に終わるわけですけども、両雄の超人的な力と野望の一端を想起させるエピソードです。

<感想>

 藤原道長は平安期の貴族政治の頂点を築いた人ですから、ただのボンボン貴族と比べたら、政治力、人間力などのスケールの大きさ、魅力を随分持っている人物ですね。『大鏡』などで語り継がれています。

 もちろん、権力を握りしめたわけですから、当時の藤原実資もそうですが、批判的な見方も当然あります。
 その象徴が「一家立三后」、サラリーマン金太郎さんが承句で書かれたように「擅威」となるわけです。
 また、承句でも「傲」という言葉が用いられているわけで、となるとサラリーマン金太郎さんは道長の政治については批判をしているのだな、と判断しますので、結句への思いがややずれてしまうかな?という気がします。

 細かいところでは、「三妃独占」は「妃」のポストが三つあって、それを独占したような印象になります。そのまま「一家三后」ではいけないでしょうか。

 転句は「勅裁」の入力間違いでしょう。





2012. 7.18                  by 桐山人



謝斧さんから感想をいただきました。

金太郎さんの詩への感想(7/18)  僕輩等が詠史を作る時、唐土の故事を用いてお茶をにごします。
 なんでもかんでも故事を使うのもなんですが、似た事例がある場合は故事を使わないと寂しい気もします。

  皇殿夙陞關白位
  三妃独占擅威多

 では、事実を叙述するにはわかりやすいですが、詩的表現にかけるように思えます。

 今回は「長恨歌」がぴったりで、

  姉妹弟兄皆列土
  可憐光彩生門戸

 はよく知られた句です。
 この句を念頭にいれた句作りをすべきだと感じますが、いかがでしょう。



2012. 7.18            by 謝斧























 2012年の投稿詩 第155作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-155

  雑賦        

一夢浮世既古希   一夢ノ浮世 既ニ古希

寸毫素思可無違   寸毫ノ素思 違 無カルベシ

晴天執耒耕田圃   晴天 耒ヲ執リテ 田圃ヲ耕シ

雨日繙書閉竹扉   雨日 書ヲ繙シテ 竹扉ヲ閉ヅ

月下杯中娯酒美   月下杯中 酒ノ美キヲ娯シミ

花前風裡楽香微   花前風裡 香ノ微カナルヲ楽シム

誰知邊邑四時妙   誰カ知ラン 邊邑 四時ノ妙

昏耄逸居何是非   昏耄逸居 何ノ是非ゾヤ

          (上平声「五微」の押韻)



<感想>

 第一句の「浮世」は「浮生」でしょうね。

 晴耕雨読、風月花前の酒、どれも羨ましい限りの生活です。
 ただ、読んでみると、どれもあまりに類型的、典型的過ぎる感じがしますね。
 どうやらその辺りが作者の狙いで、まさに「昔から誰もがあこがれてきた生活」として認識した上で、その生活はどこかの理想郷・桃源郷にあるのではなく、作者の身近なところに存在していることを強調しているのでしょう。

 そういう感じで頷聯以下を読んでいくと、再度首聯に戻って、古希を経た作者の感懐の強さが納得できるように思います。




2012. 7.20                  by 桐山人



真瑞庵さんからお返事をいただきました。

 鈴木先生の解説、小生の狙いどおりの解説で作者冥利に尽きます。

 日々ありふれた時を過ごし、時には酒を楽しみ花を愛でる、そんな余生を送る事に何の不満がありましょうか。
 これからもそんな余生を、時には不安を抱えながら、詩に出来たらと思っています。



2012. 7.22              by 真瑞庵























 2012年の投稿詩 第156作は奈良市にお住まいの 岳泰 さん、七十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2012-156

  思児孫百歳        

期頤母謚十餘星   期頤(きい)の母 謚(おく)りて 十餘星

喜寿而吾壇詠経   喜寿にして 吾 壇に 経を詠む

眷属招来嬌笑妙   眷属 招来 嬌笑妙なり

唯思児孫百齢青   唯だ思ふ 児孫百齢の青なるを

          (下平声「九青」の押韻)





<解説>

 詩吟朗詠を続けています。
 インターネットで平仄と押韻に興味が出てきたので、初めて作詩してみました。
 先輩にも少々教わり、一週間くらい、何回か修正しながらやっと漢詩らしくなったかなあ?と思っています。

 ご教示頂きたく、投稿します。よろしくお願いします。



   百歳の母を見送って、もう十三年になる。
   年忌法要にあたり自分は今、仏壇にお経を上げているが早や喜寿である。
   親族が集まり男女、子や孫も嬌声一段と賑やかだ。
   ふと思った。この子や孫も百歳まで青年の気を忘れないで居てほしい。


<感想>

 新しい仲間が増えて、とても嬉しく思っています。
 詩吟を続けておられたとのことで、初めての作詩でも骨組みがしっかりしていて、漢詩によく親しんでいらっしゃることが分かります。今後ともよろしくお願いします。

 さて、気のついた点を起句から順に書いていきましょう。


 起句の「期頤」は「百歳」を表し、『禮記』を出典とする言葉ですね。投稿時には「頤」が「頣」と書かれていました。よく似ていますが、別の字ですのでご注意ください。もともと、「期」の字そのものに、人生の区切りとして「百歳」の意味がありますね。
 最近は元気なお年寄りが増えてきているように感じますが、十三年前ですと、百歳でいらっしゃったお母様は長寿とよく言われたことでしょうね。

 「謚」はここでは動詞として使っていますが、語順としては「謚期頤母」とするところです。

 承句は「期頤」に対する形で、作者の現在の年齢を示す「喜寿」が来るわけですが、「而」は散文と異なり、詩ではあまり用いない言葉です。
 「而」は接続を表しますので文は論理的にはなります。しかし、簡潔さを要求される詩では順接の「だから」にしろ、逆接の「しかし」にしろ、いちいち説明していては煩わしくなります。
 読み取りができない場合、わざと強調する場合以外には使いません。ここで「喜寿而吾壇詠経」と使うと、「喜寿になって(初めて)」とか「喜寿なのに」という読み方で、作者の思いとは別の形に解釈されてしまいます。
 「期頤母」と「喜寿吾」の対比も、現在の時点でお二人が並んでいるならばよいですが、十三年の時間が過ぎていますので、対応もあまり効果的ではないですので、この承句は検討されると良いでしょう。

 転句は、「招来」ではなく、「集来」「聚来」の方が良いでしょう。また、「嬌笑」は、法要の場面にはふさわしくない言葉です。「談笑」で十分でしょう。

 結句は四字目の「孫」が平声ですので平仄が乱れています。「孫児」と入れ替えておきましょう。
 下三字の「百齢青」は意味が伝わりません。韻字に制約されたのかもしれませんが、ポイントのところですので、伝わりやすい表現を探すべきです。
 また、子や孫も百歳まで若々しく、というお気持ちは分かりますが、みんなが百歳では、起句のお母様が百歳の長寿だったという感動の効果が薄れてしまいます。
 ここはせめて、喜寿である自分が百歳まで若々しく、という願いで収めておくべきで、子や孫に願うことは別のことをお考えになる形で、下三字を推敲されてはどうでしょうか。





2012. 7.22                  by 桐山人



岳泰さんからお返事をいただきました。

 桐山堂様
 酷暑が続きますが、ご健勝の事と存じます。

 先日来、漢詩投稿について、丁寧な添削を有難うございました。お陰さまで、貴重な、ご指導のもとに、かなり修正が出来ました。
 結句の一行は何とか直してみましたが、如何でしょうか?
 重ねてご意見などお聞かせください。

    想母百歳
  謚期頤母十餘星   期頤きいの母 おくりて 十餘星
  吾現喜充壇詠経   吾 いま じゅうにして 壇に経を詠む
  眷属聚来談笑妙   眷属 聚来 談笑妙なり
  自盡精根臻百齢   自ずから精根を盡して百齢にいたらむ

   百歳の母を見送って、もう十三年になる。
   年忌法要にあたり自分は今、仏壇にお経を上げているが、早や喜寿である。
   親族、老若男女、子や孫が集まって談笑一段と賑やかだ。
   自分は精根を盡して亡母の百歳に挑戦してみよう。



2012. 7.26              by 岳泰



 句や語を推敲した場合、修正するのは部分になりますが、作者の視点は常に全体を見る必要があり、姿勢としては新しく詩を作り始めるような気持ちが大切です。

 今回は結句を直したことで主題が変わったこともあり、まず題名を直した方が良いでしょう。「想母百歳」では「現在お母様が百歳になった」という印象になりますので、「母」を取って「想百歳」とするか、いっそのこと「亡母十三回忌」としてはどうでしょう。
 起句でそのあたりの事情はよく伝わります。

 承句の「現」はこの一字で「いま」という意味を出すのは難しいでしょう。「吾」の一人称も邪魔な感じです。
 また、「喜充」とありますが、これは「喜寿」のことでしょう。もともと「喜寿」そのものが日本語ですので、ここは上四字を「七十七翁」として、下三字も「専詠経」などを考えてみるのも良いと思います。
 この場合には「十」の字が起句の「十餘星」と重複になりますので、起句を「旬餘星」としておきます。

 結句を先に見ますが、この句は「反法」の関係で、二字目を平字にする形(平句)でなくてはいけません。
 また、「精根」は日本語ですので使わない方が良い語ですが、それ以上に、「精根を尽くして」という意識が転句からの流れを邪魔しています。
 「法事に皆が集まって和やかな様子だ」ということと「私は百歳まで頑張るぞ」というのは飛躍があり、本来ならば「一族和やか」から「この状態が長く続いてほしい」という願いになるわけで、その願望と「私も百歳まで」とは直接つながりません。
 作者の思いの奥にはもちろん、お母様が百歳だったということがあることは承知していますが、そこは控えめにした方が転句結句が収まるでしょう。
 平仄を合わせる方向からも、「百齢」を結びに持ってくるのは難しいでしょう。



2012. 7.30              by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第157作は 芳原 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-157

  七尾湾懐古(改作)        

極目蒼茫七尾湾   極目蒼茫たり七尾湾

遥遥五紀憶紅顔   遥遥として五紀 紅顔を憶ふ

煙霞三月斜陽晩   煙霞三月斜陽晩し

一去孤舟不復還   孤舟一たび去って復た還らず

          (上平声「十五刪」の押韻)





<解説>

 鈴木先生、「七尾湾懐古」の詩につきまして、このたびもまた懇切にご指導下さってありがとうございます。
 修正を施しました。お陰さまで少しはいい詩になったと思います。

 一層のご鞭撻をお願い致します



七尾の海は遠く目の届く限り紺碧の海
六十年遥かなる時を隔てて、この海に育てられた少年の日々を懐かしむ
春の霞が漂う夕暮れの海面 日の入りは遅くなって先ほど錨を揚げた舟がまだ見える 何処に向かうのだろう
舟に後戻りがないように人もまた時に追われていつしか老いる
行き先も知らぬまま

<感想>

 推敲作をいただきましたが、前作とはかなり変更されましたので、改めて掲載ということにしました。

 全体に句の作りは落ち着きましたが、まだ、「七尾湾懐古」という題名には合っていません。この題名でしたら、「七尾湾」の昔の姿を思い描く必要があります。起句はひょっとすると、かつての七尾湾の姿という気持ちかもしれませんが、明確には示されていませんので、普通に読んでいけば現在の景と判断しますね。

 承句にご自身のことを思い出していますが、この位置で描くと、ぽっかりと浮いていて、懐古を更に弱くしますね。

 結句が余韻深く、過ぎ去った時の流れを暗示しているように感じますので、承句と転句を入れ替えて、

   極目蒼茫七尾湾
   煙霞三月斜陽殷   煙霞三月斜陽殷(あか)し
   杖郷遥憶紅顔日   杖郷 遙かに憶ふ 紅顔の日
   一去孤舟不復還

 というような構成にすると、前半の叙景と後半の心情とが配合されるように思いますが、いかがでしょうか。

 「五紀」を「杖郷」に換えたのは、各句に数詞が入っていて(意図したのでしょうが)、やや苦になるからですが、他の言葉でも構わないと思います。



2012. 7.22                  by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第158作は佐賀県の 東山 さん、五十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2012-158

  多久聖廟        

和風簫鼓敬神思   風に和す簫鼓 敬神の思ひ

三百餘年釋菜維   三百余年 釈菜維ぐ

來學七賢庠舎教   来りて学ぶ七賢庠舎の教え

可恭承永聖君辞   永に恭承すべし聖君の辞

          (上平声「四支」の押韻)





<解説>

 最近、貴ページを知りましたが、投稿するのは恥ずかしく躊躇してました。何でも経験だと思い投稿させていただきます。
 宜しくお願い致します。

 多久聖廟では毎年春秋に釈菜のお祭りが行われております。
 多久茂文公が聖廟を1708年に創建され、現在まで、継承されて来ましたが、その東原庠舎で佐賀の七賢と言われる人達も学んだこともあったかと思い、作ってみました。

<感想>

 また新しい漢詩の仲間をお迎えすることができ、とてもうれしく思っています。
 今後ともよろしくお願いします。

 「佐賀の七賢人」の中には、大隈重信や副島種臣、江藤新平など明治史を彩るそうそうたる人物が顔をそろえ、佐賀藩の人材の豊かさを感じさせますね。
 この七賢人が儒学の多久聖廟で実際に学んだかどうかは分かりませんが、そういうお気持ちになるのは納得できることですね。

 起句末の「思」は名詞の時は仄声になりますので、ここは別の字に換えた方が良いでしょう。「時」「期」「煕」「墀」などでしょうか。

 承句の「釋菜」はお供えをすることで、牛や羊などの生け贄を使わずに野菜などで行うことです。日本ではほとんどがこの形ですね。

 結句はこの読み下しで行くならば、「永」は本来は句の頭、「可恭承」の前に置かれる言葉です。平仄の関係かもしれませんが、お示しになった位置にあると、読者は読み方に非常に苦しみます。
 また、「恭承」についても、もう「三百餘年」受け継がれてきているわけですので、改めて言う必要があるかどうか。
 「聖君辞」を象徴するような聖廟の風物を何か描くと、全体のまとまりが良くなると思います。





2012. 7.23                  by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第159作は 禿羊 さんからのアイルランド自転車旅行の連作です。
 お手紙では、
 鈴木先生、無沙汰をしております。禿羊です。
 久しぶりの投稿となりましたが、よろしくお願いいたします。

 三月に半月ほどアイルランドを自転車で廻ってきました。テントを積んでの生涯最初で最後の海外サイクリングでした。
 出来上がったのは詩想が乏しいというか、同工異曲の詩ばかりで恥ずかしい限りですが。

 とのことでした。

作品番号 2012-159

  愛爾蘭輪行 其一        

底事癲狂老野鴉   底事ぞ 癲狂の老野鴉

西飛万里至天涯   西飛 万里 天涯に至る

荒茫地尽洋開処   荒茫たり 地尽き 洋の開く処

無限長波洗白沙   無限の長波 白沙を洗ふ

          (下平声「六麻」の押韻)

























 2012年の投稿詩 第160作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-160

  愛爾蘭輪行 其二(波茵河考古遺址)        

巍巍阜上巨岩塋   巍巍たり 阜上 巨岩の塋

不識何時偉業成   識らず 何れの時にか 偉業の成るを

幽闇探窺立玄室   幽闇 探窺して 玄室に立ち

欲聴往歳古人声   聴かんと欲す 往歳 古人の声

          (下平声「八庚」の押韻)





<解説>

 (ボイン川考古遺址)

 ダブリンの北、ボイン川渓谷に世界遺産となっている巨石墓があります。
 五千年ほど前の新石器時代のもの(イギリスのストーンヘンジと同時代)のようです。























 2012年の投稿詩 第161作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-161

  愛爾蘭輪行 其三        

万頃猶寒異国春   万頃 猶寒し 異国の春

晩来孤宿柳煙津   晩来 孤り宿る 柳煙の津

断魂求酔入壚肆   断魂 酔を求めて 壚肆に入り

片語相斟碧眼人   片語 相斟む 碧眼の人と

          (上平声「十一真」の押韻)



























 2012年の投稿詩 第162作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-162

  愛爾蘭輪行 其四        

双輪千里似飛蓬   双輪 千里 飛蓬に似たり

何処寒霖睡草叢   何れの処ぞ 寒霖 草叢に睡る

雨滴微加異邦曲   雨滴 微かに加ふ 異邦の曲

飢腸凍骨夢朦朧   飢腸 凍骨 夢朦朧

          (上平声「一東」の押韻)

























 2012年の投稿詩 第163作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-163

  愛爾蘭輪行 其五        

羊腸荒径憩岩頭   羊腸の荒径 岩頭に憩へば

天碧風強舞白鴎   天は碧にして風強く 白鴎舞ふ

海畔寒村莫人影   海畔の寒村 人影莫く

一児黙黙戯沙洲   一児 黙黙として 沙洲に戯る

          (下平声「十一尤」の押韻)



























 2012年の投稿詩 第164作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-164

  愛爾蘭輪行 其六(幽谷半島)        

一径縈紆縫島嶼   一径 縈紆(えいう)として 島嶼(とうよ)を縫ひ

断崖風凛沍霜鬚   断崖 風凛(さむ)くして 霜鬚沍(こお)る

浪高欧亜極西海   浪は高し 欧亜極西の海

立尽扶桑漂泊夫   立尽す 扶桑漂泊の夫

          (上平声「七虞」の押韻)





<解説>

 (ディングル半島)

 アイルランド西岸のディングル半島の先端、スレイ・ヘッドはヨーロッパ極西の地で荒涼とした風景が広がっています。
 私は「ライアンの娘」という映画でこの地の風景に魅せられて、一度は訪れてみたいと思っていたのですが、やっと念願が叶いました。
 其一も同地の光景です。



<感想>

 禿羊さんの連作、まずはアイルランドを自転車で旅行されたことに感動です。
 これまでにも自転車の単独行の詩は幾つか拝見しましたが、かなり厳しい気候と険しい自然の中でのテント旅行で、私の方が危険を感じて「無事で良かったですね」と思う事もしばしば。
 羊禿さんの「禿羊 アウトドアと漢詩のページ」を拝見すると旅の記録が沢山載っていますが、とても私ではできそうもない旅行も多く、行動力にただただ敬服するばかりです。

 今回のアイルランド自転車旅行の美しい写真も掲載されていますので、是非ご覧になって、写真と併せて詩を鑑賞されると良いでしょうね。

 其の一の「西飛万里至天涯」から始まって、其の六の「立尽扶桑漂泊夫」まで、禿羊さんのスケールの大きな視点がよく伝わってくる連作だと思います。

 アイルランドに行ったことはありませんが、禿羊さんの詩を拝見すると、季節の関係もあるのでしょうが、どこか重そうな、峻厳な風景と空気が伝わってくるようですね。





2012. 7.22                  by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第165作は 澄朗 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-165

  訪粉河寺        

高野山裾風猛恩   高野の山裾 風猛かざらぎめぐみ

竹陰五月粉河村   竹陰の五月 粉河こかわの村

鳴吁踞木千年過   めい 踞木きょぼく 千年過し

知否塵縁浄六根   知るや否や 塵縁六根をきよ

          (上平声「十三元」の押韻)





<解説>

 今日は、御無沙汰いたしておりますが、鈴木先生には益々ご健勝の事と思います。
当方は変わらない生活ですが、歳なりに身体の調子は疲労してきて、物忘れも多くなり、家内に叱られる毎日です。

 さて、先般(5月)西国第三番札所 粉河寺を訪れ、庭園の石垣五月が咲きほこり、楽しみました。

 「粉河寺縁起」の「樟」に目がとまり作詩いたしました。


 枕草子の208段で「寺は・・・。石山、粉河、志賀。」との記述が残る古くからの名刹。
 境内には本堂横の巨大な樟、「粉河寺縁起」にまつわる踞木地と呼ばれるその木の傍らは、寺を開基した大伴孔子古が獣に矢を射った所とされている。(梁塵秘抄313)




<感想>

 澄朗さんもお久しぶりですね。
暑い毎日ですが、お元気でしょうか。

 起句の「風猛」は粉河寺の山号になっている言葉ですね。「かざらぎ」と読むようですが、「風が強い」という意味でしょうか。ここでは山号としてお使いになっているのですが、承句と併せるとやや固有名詞が多い印象です。
 承句の「粉河」を寺の描写にすると臨場感が出るかと思います。

 転句の「鳴吁」は感嘆詞で、千年の樟(くす)への思いが集約されている、詩の中心となる句ですね。

 結句は、そのまま読むと「塵縁が六根を浄める」となるので、理屈としては妙な気がするのですが・・・。



2012. 8. 1                 by 桐山人



澄朗さんからお返事をいただきました。

 拙作に対して丁寧な御指導有り難うございます。
下記の如く推敲致しました。

    訪粉河寺
高野山裾風猛恩
竹陰五月名刹
鳴吁踞木千年過
知否観音浄六根


2012. 8. 2               by 澄朗



 二カ所推敲されましたね。
 承句は「名刹」とすることで固有名詞の多用からは逃れましたが、この言葉自体が必要かどうか。
「竹陰」「五月」と直接にはつながらない言葉が並んでいるので、承句は事物の羅列の印象が残ります。「竹陰」がどうであるのかを述べてから「名刹村」とするか、「竹陰五月」とするなら粉河寺や村の様子を形容するなどすると、起句の「風猛恩」とつながるかと思います。

 結句は「観音」とすることで、句としての矛盾は無くなったと思いますが、「観音浄六根」はそれなりに知っていることですので、今度は「知否」が大げさに感じます。
 敬虔な心情を表す言葉で下を導くようにしてはいかがでしょうか。



2012. 8. 2               by 桐山人




澄朗さんから、再度の推敲作をいただきました。

 先日は直感的な推敲結果をお送りし失礼いたしました。
 今回は作法に違反が在るかも知れませんが、以下の如く推敲致しました。

      訪粉河寺(再推敲作)
高野山裾風猛恩    高野の山裾 風猛の恩
竹陰五月碧空村    竹陰 五月 碧空の村
鳴吁踞木千年過    鳴吁 踞木 千年過ぐ
自古口傳浄六根    古自の口伝 六根を浄る

 「口伝」のところは「伝言」とすべきか?迷いました。


2012. 8. 4              by 澄朗



 承句については、これでも良いのですが、「碧空」でまた視点が上に行くので、やや近い視点の「竹陰」とのバランスが気になります。
 順番を変えて、「碧空五月竹陰村」とすると、落ち着くように思います。
 まだ、それぞれの言葉の関連が弱い気もしますので、例えば「五月」と言わずに「竹声淅瀝緑陰村」とするなど、句の中でのまとまりがあれば良いかと思いました。

 結句は「作法に違反」と仰るように、四字目の孤平ですね。
 どうしてもこの「口伝」が必要というならば仕方ないですが、推敲した結果で「違反」では良くないです。我慢して「清六根」とするか、前回の「観音」を戻して、「千手観音」「童子観音」などの粉河寺の伝承を使うなどの形でしょうね。


2012. 8.25             by 桐山人























 2012年の投稿詩 第166作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-166

  領仙境     仙境を領す   

新樹成陰喚古愁   新樹 陰を成し 古愁を喚ぶ

谷風独領立山頭   谷風独り領して 山頭に立つ

桃花仙境蓬莱似   桃花 仙境 蓬莱に似たり

奇勝天涯雲影流   奇勝 天涯 雲影流る

          (下平声「十一尤」の押韻)





<感想>

 全体にスケールの大きな句になっていると思います。
 ただ、起句の「喚古愁」はちょっと欲張りすぎで、「古愁」が何故生まれたのか、この詩でどういう働きをしているのかが伝わりません。
 「旅愁」くらいならまだ分からないでもないですが、この詩で「愁」を言う必要があるのか疑問です。好景に出会ったことを喜ぶなら、その勢いを初めから出しても良いのではないでしょうか。

 転句は「桃花は、仙境や蓬莱を思わせる」ということでしょうが、「桃花」だけでも「仙境」を感じさせるわけですので、同じような言葉が三つ並んでいるような印象です。
 少し整理すると良いでしょう。






2012. 8. 1                 by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第167作は桐山堂刈谷の 勝江 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-167

  晩春即事        

薫風馥郁紫藤垂   薫風馥郁 紫藤垂る

新柳殘英緑水涯   新柳 殘英 緑水の涯

野徑遊行人語遠   野徑 遊行 人語遠く

春山駘蕩夕陽遅   春山 駘蕩 夕陽遅し

          (上平声「四支」の押韻)





<解説>

 藤の花の色と垂れているのが好きで、公園など毎年見に行っています。
 春ののどかな景色にうっとりです。



<感想>

 もともとは「初夏」という題で作られたものですが、内容から「晩春」にしてはどうかとアドバイスしました。

 承句は初案では「柳暗殘紅緑水涯」でした。
 句中の対を明確にするために「新柳殘紅」として、また「紅」では下三字の「緑水」にぶつかり、色が多くて起句の「紫藤」が生きてこないことを指摘して、推敲を勧めました。




2012. 8. 1                 by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第168作も桐山堂刈谷の 勝江 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-168

  新茶        

菖蒲映水満林塘   菖蒲水に映じて 林塘に満つ

翠竹薫風日已長   翠竹 薫風 日已に長し

夕暮無人方丈室   夕暮人無し 方丈の室

清和茗宴煮茶香   清和 茗宴 茶を煮るの香

          (下平声「七陽」の押韻)





<解説>

 清らかでなごやかな初夏の花菖蒲を見ながら、茶の湯の会で抹茶を一服。
 爽やかな気分です。



<感想>

 承句は「翠竹」がどうしたのか、を出すと、「日已長」とつながりますね。 「翠竹陰濃日已長」でどうでしょう。  結句は「茗宴」ですと、転句の「無人」と合わなくなります。「薫風」をここに戻して、「吹散」「吹起」と続けてはどうでしょう。



2012. 8. 1                 by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第169作は桐山堂刈谷の 真海 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-169

  祝新美南吉生誕百年祭        

千紫萬紅秋気清   千紫萬紅 秋気清し

児曹堤上唱歌聲   児曹 堤上 唱歌の聲

童謡童話舊郷景   童謡 童話 舊郷の景

生誕百年盛著名   生誕百年 著名を盛んにす

          (下平声「八庚」の押韻)





<解説>

 半田市観光協会は地元の童話作家、新美南吉の功績を高揚しようと努力しています。
 童話の里を保存し、「ごん狐」を宣伝しています。

<感想>

 童話「ごん狐」の舞台となったのは、新美南吉の育った地、半田市の岩滑地区です。
 隣の町との境になっている八勝川の土手には、地元の方の熱意で、秋には彼岸花が咲き誇り、一面真っ赤な景色になります。

 真海さんのお住まいは、同じ岩滑地区、地元への思いも籠めた詩ですね。

 起句は彼岸花を言うならば、「千紫萬紅」よりも「十里萬紅秋氣清」としてはどうでしょう。

 転句の「舊郷景」はこれでも良いですが、昔の懐かしい風景というニュアンスを出すならば、「舊時景」「昔時景」でも良いかと思いました。

 結句は「盛著名」では「著名(世に知られた名)が盛ん」では分かりにくいです。「彌顕名」読みは「顕名を彌(あまね)くす」で整うかと思います。

 これでひとまず完成で良いかと思いますが、あと、気になっているのは、承句で音声が出て、すぐに転句で「童謡」と来るところ。
 もし直すとしたら、承句を「児曹堤上散遊行」とするところでしょうか。





2012. 8. 2                 by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第170作は 芳原 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-170

  舟向桑港航大圏     舟は桑港に向かひて大圏をゆく   

揚錨三日朔風凄   揚錨三日 朔風凄し

陽薄檣頭飛鳥低   陽は檣頭にせまりて 飛鳥低し

灯下家書復開夜   灯下の家書 復た開くの夜

涛声寂寂大圏西   涛声寂寂たり 大圏の西

          (上平声「八斉」の押韻)





<解説>

 先生の懇切なるご指導にお礼申し上げます。

今回は先の「向桑港出船歌」の続編です。

どうぞよろしくお願い致します


「揚錨」: 船が出港する時錨を揚げる 揚錨とは出港を意味する。
「檣頭」: マストのてっぺん トップマスト
「仰角」: ここでは太陽と水平線との角度 半世紀前まで船の位置計算のため航海士が太陽や星の高度を観測していた
「大圏」: 地球上の二地点と地球中心を通る裁断面の円弧 中心を通らない円弧は小圏と云う

   錨を揚げて三日、北風はずいぶん冷たくなった
   夕日が檣頭に薄ると仰角が刻刻と低くなる
   暗い灯りをたよりに何度も何度も手紙を読み返す夜
   船べりに砕ける波の音は一入心に沁みいる ここは大圏の西の果て

<感想>

 サンフランシスコに向けての現代の旅ですが、古典詩を読んでいるような趣があります。
 客愁を感じさせる良い詩ですね。

 特に転句の描写は、旅人の姿が目に浮かぶようで、素直な情がにじみ出てくるように思います。杜甫の「家書抵万金」を思い浮かべる方もいるでしょう。
 私は、手紙を出す側で立場は逆になりますが、中唐の張籍の「秋思」を思い出しました。

 結句の「圏」は平仄は仄声だと思いますが、両用でしたか。ご確認ください。




2012. 8. 2                 by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第171作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-171

  壬辰花茨忌        

彼我幽明二七年   彼我 幽明 二七年

廻來忌日憶生前   忌日 廻り來りて 生前を憶ふ

南北西東看不見   南北 西東 看れども見えず

何堪影冷恨綿綿   何ぞ堪へん 影は冷やかなり 恨み綿綿

          (下平声「一先」の押韻)





<解説>

 毎年七月五日、恒例の「花茨忌」が廻って来る。

    色も香も變らねど彼の花いばら 兼山

 今年は、享年六十七歳で他界した故白石悌三君の第十四回忌である。
 我々(昭和二十六年修猷館卒業生)は、彼よりも十三年間長生きして目出度く傘寿を迎えた。
そこで、追悼の詩「壬辰花茨忌」と共に「同窓傘寿の会讃歌」を霊前に奉納することにしたが、果たして追善供養の吟題として相応しいだろうか。
 讃歌吟詠に際しては、「同窓傘寿の会讃歌(U)」(2012-139)の前歌(今様)として、同窓生である来嶋靖生君が作詞した「修猷館二〇〇年讃歌」の一節(戦火いくたび……)を、彼の快諾を得て借用させて貰った。
  (添付資料参照)

【附記】 「添付資料」は、「同窓傘寿の会讃歌(T)」(2012-138)も含めて編集致しました。
序ながら、補注の意を兼ねて、ソネット風(pentameter)の英訳を附しました。
英詩(blank verse)と称するには、凡そ、程遠い、ほんの、お遊びですが。



<感想>

 恒例の「花茨忌」、私にとっても毎年兼山さんの詩を拝見することが年中行事のように感じています。
 最初にいただいたのが九回忌の時の詩でしたが、いつも逝友への想いが深く伝わってきて、心を打たれています。

 今回は同窓生の皆さんが傘寿をお迎えになったということで、そういう意味では起句の「彼我幽明」が一層強く感じられたことでしょう。
 以前には「天地幽明」と表現された詩もありましたね。「天と地」「幽と明」の対応、「彼と我」「幽と明」の対応、どちらも同じ趣旨ですが、「彼我」の方が生きている私という立場を明確にしているわけで、傘寿同窓会を意識されての表現だと思いました。

 その点から見ると、後半の部分にもう少し、作者の現状が出されても良いかと思いました。「彼我幽明」の心情が後半に説明されている構成が悪いわけではありませんが。

 「讃歌」を奉納することに当事者としては多少気になるところがあるという心情は分かりますが、私は死者を弔う気持ちと長寿を祝う気持ちはどちらも人間の気持ちとして両存するものだと思います。
 年下の私が言うのは失礼かもしれませんが、でも、故人もきっと、同窓の皆さんが元気でいらっしゃる姿を見て、「幽明」は異にしても一緒に会に参加できたという思いを持ってくださっているのではないでしょうか。

 英訳の方は、すみません、私は単語を追うのが精一杯で、すごいなぁという感想しか申し上げられませんでした。





2012. 8. 7                 by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第172作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-172

  初夏訪倉敷        

楊柳低垂新緑豐   楊柳低く垂れて新緑豊かに

紫甍白壁岸堤通   紫甍白壁 岸堤に通ず

小舟繫處雅文在   小舟繋ぐ処 雅文在り

點點閑亭留古風   点点閑亭 古風を留む

          (上平声「一東」の押韻)



「雅文」: 高尚・風雅なさま、上品なさま。



<感想>

 初夏の倉敷の風景を色彩豊かに描いていると思います。
 一昨年の漢詩大会の折に、深渓さんと真瑞庵さんの三人で倉敷の街を散策したことを思い出しました。

 前半は王維の「客舎青青柳色新」を髣髴とするような叙景だと思います。

 転句の「雅文」はその通りだと感じますが、結句の「留古風」との重複感がやや気になるところです。





2012. 8. 7                 by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第173作も サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-173

  備中國倉敷総鎮守阿智神社        

莊嚴廟殿笛笙彈   荘厳廟殿 笛笙(てきしょう)弾じ

巫女鳴鈴舞社壇   巫女 鈴を鳴らして社壇に舞ふ

紫藤傳得備中國   紫藤伝へ得たり備中の国

恭奏~詞百姓安   恭しく神詞を奏す ひゃくせい安きを

          (上平声「十四寒」の押韻)





<解説>

 美観地区から望む山の手に阿智(あち)神社はあります。
藤の花で有名なところです。


阿智神社公式ホームページ

<感想>

 倉敷には何度か行きましたが、阿智神社は訪問したことがありませんでした。

 神社のホームページで由来を見ると、現在の美観地区は古代は干潟で、鶴形島と言われる島に神を祭ったとのことです。地図で見ても確かに、倉敷の町を見下ろすようにそびえる神社の山は、海に浮かぶ島のように見えますね。

 そうした伝承を「紫藤傳得備中國」と表したのが転句ですね。藤の花がどうして?と疑問になるかもしれませんが、この藤の木、樹齢は三百年から五百年とのことですが、藤としては日本一の巨木だそうです。その立派な藤の木を見ていると、長い時の流れを乗り越えてきたという思いが生まれたのでしょう。

 ただ、「備中國」の歴史は千数百年以上ですので、藤だけで考えたのではその重みに耐えかねる気がします。ここは、前半の起句承句で示された社殿の姿や巫女の舞、雅楽の調べなどを受け、歴史を伝えるものを総合していると考えるのでしょうね。

 拗体の詩ですが、転句のアクセントが効いていて、全体の流れも自然になっていると思いました。




2012. 8.12                  by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第174作は 茜峰 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-174

  脱原発紫陽花革命        

官邸充前数万声   官邸の前に充つ 数万の声

衆民呼応益尋盟   衆民呼応し ますます 盟をあたた

莫容生命劫鈔策   容す莫れ 生命きょうしょうの策

貫徹胸懐不屈檠   胸懐を貫徹す 不屈のともしび

          (下平声「八庚」の押韻)





<解説>

「尋盟」: もとの誓いをさらに強力にする
「劫鈔」: おびやかし奪い取る



(大意)
 首相官邸の前には金曜夜ごとに脱原発をうったえる人々が集まっている。
 日を追うごとに人数が増え深く浸透するがごとく広がっているようだ。乱れることなく整然と行われている。だれが名づけたか「紫陽花革命」とも呼ばれているらしい。
 生命を脅かし生活を破壊する原発再稼働を容認してはいけない。
 この民衆の思いを貫徹するために不屈のともしびを燃やし続けよう。



<感想>

 原子力発電所が全て止まっていた一年の間、国民ひとりひとりが節電に取り組んできました。
 先日ソウルに行った時のこと、今年の夏は韓国も雨が降らず水不足の状況になっており、節電の必要が叫ばれているのだが、ソウル市民の節電への協力姿勢はきわめて弱く、日本国民を見習うべきだという記事が新聞に載っていると現地ガイドさんが教えてくれました。
 ハングル文字の読めない私には記事の正確な根拠などはわかりませんが、日本での節電努力については韓国でも知られていることのようです。
 節電への思いの中には、当然、原子力発電を今後使わないためにも無駄な電気は省こう、という気持ちを持っていた方も多いと思います。

 そうした人々の気持ちを愚弄するかのような再稼働決定。
 経済界からの要望の強さが背景に感じられるとは多くの声ですが、私は責任はやはり政治にあると思っています。

 東日本大震災、原発事故、日本はこれからどうしていくのか、という大問題を前にして、それらは全て政局の問題に転化してしまい、方向性一つ決められない政治状況に対して見切りをつけて、経済界が昨年度の協力姿勢から要望を強める姿勢へと変わったとしても納得はできます。

 政治への不信感が強まっている中で今年も節電にいそしむ国民の姿は(決して批判や揶揄をするわけではなく)、痛々しく健気に見えてなりません。
 不信への思いの生み出したのが、毎週金曜日の官邸前の集会、「紫陽花革命」と呼ばれるものだと言えますね。

 こうした詩で難しいのは、政治的な主張が関わって来た時に、作者の思い(感動)をどう表すか、ということです。場合によっては「脱原発」という詩題だけで拒否されてしまう場合もあるからです。
 個人の考え方や思いはそれぞれ異なり、同じ「脱原発」への気持ちも人によって違う部分が必ずある、そこを描くのが詩であると私は思います。
 もちろん、散文と異なり、詩には人々の心を鼓舞し、高揚感を生む言葉の働きがあります。だからこそ、スローガンにならないように注意を払う必要もあります。
 今回の詩で言えば、結句は内容があまり無いと思いました。

 そう言えば、この集会に元首相が参加したという記事が先日ありましたね。とっくに国会議員を辞めているはずでしたが相変わらずの「KY」、政局に便乗されては集会が迷惑でしょうね。



2012. 8.12                  by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第175作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-175

  甲武信岳        

青壁松林気爽然   青壁 松林 気爽然たり

悠悠流水笛吹川   悠悠たる流水 笛吹川

雲烟峡谷孤猿叫   雲烟 峡谷 孤猿叫ぶ

対険澄心甲武天   険にむかへば心を澄ます 甲武の天

          (下平声「一先」の押韻)





<感想>

 甲武信岳(こぶしだけ)は、甲州(山梨県)と武州(埼玉県)と信州(長野県)のちょうど境にあるので、こう名付けられたと言われていますね。

 東京へと流れる荒川、信濃川へと名を変えて日本海に流れる千曲川、そして合流して富士川となり太平洋へ注ぐ笛吹川の水源の地とも言われます。甲武信岳で見た時に「悠悠」と言える程水量が多いのかどうか、実際を私は知りませんが、作者のイメージとしては笛吹川が太平洋まで流れていく光景を思い描いているのでしょう。
 無理なく、スケールの大きさを感じさせてくれますね。

 転句は起句との違いがあまり明確でなく、場面がまた元に戻ったような印象を受けます。「雲烟」を起句の「松林」と交換すると、かなり安定すると思います。

 結句に「澄心」を持ってくると、起句の「気爽然」が重複感が出てきますね。「爽然」に作者の感情が含まれる印象がするからでしょうね。
 「気」を「風」くらいにしておくと、感情形容から少し離れるかもしれません。





2012. 8.15                  by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第176作は 東山 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-176

  憶龍        

龍汝自幺爲廈員   龍 汝幼きより廈員となり

鋒綾精悍衆人賢   鋒綾 精悍 衆人賢とす

忽飄復野寒霜暁   忽飄として野に復る 寒霜の暁

今宿處何地與天   今宿るは何処 地と天と

          (下平声「一先」の押韻)





<解説>

 先生、お世話になります。
 現在所有している『だれでもできる漢詩の作り方』『詩語辞典(河井酔萩)』『新修平仄字典(林古渓)』『詩韻精英』を使っていますが、皆さんの漢詩を拝見していると難しい詩語が多く、いい詩語辞典があれば教えて頂けないでしょうか。
 宜しくお願い致します。


 扨、今回の投稿詩は、我家で生後直ぐから育てて、一緒に暮らしていた飼い犬(りゅう)が、老いて(14歳)余命も暫くかと思っていた、2月の寒い朝に突然居なくなり、随分探しましたが見つからず、やや諦めた時に作りました。
 「鋒綾」は犬にも使えますか。「廈員」(家族)・「忽飄」(突然)・「處何」(何處)は不可でしょうか。



<感想>

 東山さんからは、二作目の投稿をいただきました。お手紙の中で、私と同じ年にお生まれになったことが分かり、同年の仲間を得て喜びが増しています。

 詩語辞典につきましては、オーソドックスなものを揃えていらっしゃると思います。
 この上に求めていくならば、漢詩専門の(古)書店(神田の松雲堂書店など)でないと入手が難しいかもしれませんが、一応は現在でも手に入る本として、『詩語集成』(川田瑞穂・松雲堂書店)、『漢詩入門韻引辞典』(飯田利行・柏書房)、『漢詩作例講義』(有賀要延・国書刊行会)などが、数の多少はあれ、テーマ別に詩語が揃えられています。もちろん『佩文韻府』も縮刷版で目が疲れますが、言葉を調べるには役立ちます。
 ただ、「難しい詩語」を使うという気持ちでなく、あくまでも自分の使える語彙を増やすという観点が大事で、そういう意味では多くの漢詩を読み、あるいは漢和辞典を読んで、気に入った(気になった)言葉をどんどんメモしていくことが作詩には一番有効かと私は思っています。

 さて、今回の詩では、愛犬が行方不明になられてのお気持ちを書かれたものですね。
 私も以前、十五年ほど一緒に暮らした犬が死んだ時には、空虚感が強く胸を打ちました。家族の一員と言っても良い存在で、子ども達との思い出もたくさんありました。
 東山さんが「廈員」と言いたいお気持ちはとても納得できますが、「廈」は「家」と異なり、建物自体を表すわけで、「廈員」が「家族」という意味として伝わるかどうかは疑問ですね。「家眷員」というところでしょうか。

 起句で言えば、「龍汝」という呼びかけも、「龍」が愛犬の名前だと言うことが分からないと、本物(?)の龍の話かと思います。
 題名も「憶龍」としてあるだけなので、ここに説明的な言葉を入れると良いでしょうね。

 ご質問の「鋒綾」は引き締まった顔かたちを表す言葉で、杜甫の詩では馬に用いていましたね。
犬でも大丈夫だと思いますが、「綾」は「稜」の字ではなかったでしょうか。

 「忽飄」「處何」はどちらも平仄の関係で語順を入れ替えたものでしょうが、特に「処何」は不自然ですね。
 「忽飄」はここでは「たちまち」という意味ですので、「忽焉」「忽然」で良いのですが、冒韻を意識されたのでしょうか。

 転句から結句にかけては、「野に還った」と言いながら「地と天のどこにいるのか」と聞くのは妙な気がしますので、結句の方を生かすならば「復野」を検討してはいかがでしょう。

 なお、結句は「四字目の孤平」になっていますので、直すとすれば「今夕何居地與天」のような形でしょうか。





2012. 8.15                  by 桐山人



謝斧さんから感想をいただきました。

 杜甫の詩(「春日憶李白」に、「白也詩無敵」があります。

 杜甫に学んで、「龍汝自幺爲廈員」を「龍也自幺爲廈員」だとわかりやすくなりますが。


2012. 8.17               by 謝斧























 2012年の投稿詩 第177作は ニャース さんからの作品です。
 

作品番号 2012-177

  陳麻婆豆腐        

一盤豆腐富家門   

清末馳名蜀尚存   

配妙辣麻香満口   

誰当吝嗇十多元   

          (上平声「十三元」の押韻)





<解説>

 鈴木先生
 上海も暑いです。
 お元気でしょうか?ニャースです。

 シルクロードの詩、写真とともに素晴らしいですね。
私も先生に倣って 家族で成都に行ってきたので旅先で漢詩を創ってみました。
 麻婆豆腐の詩と杜甫草堂を訪れた時の詩です。

 麻婆豆腐はこのまま店のキャッチコピーで使えそうです。


<訳>

一皿の豆腐で大もうけ。
清末に名を馳せ、店はまだ成都に残る。
辛い、痺れる、配合が絶妙、香は口一杯に広がる。
こんな美味しい料理が十数元、誰がお金を惜しむと言うのか。




<感想>

 上海にいらっしゃるニャースさんから、二首いただきました。

 こちらは麻婆豆腐の詩ですが、仰るように、転句などはそのままお店に持って行けば喜ばれそうですね。

 麻婆豆腐は四川の成都で、陳さんちのお婆さんが作ったのが始まりとか。それを「陳麻婆豆腐(四川麻婆豆腐)」と呼ぶそうで、日本に麻婆豆腐を広めたのも陳さんなのですが、区別をしているそうです。

 ニャースさんは本場で食べられたのですから、さぞかし辛かったと思いますね。
 味の表現としては「辣」は「辛さ」を指しますが、「麻」は「痲」に通じて、「しびれる」という意味になります。
 もともとの「麻婆」は「あばたのお婆さん(先述の陳さんちのお婆さん)」ということのようですが、その「麻」を持ってきて意味を転化して用いたのでしょうが、「しびれる」がきっとぴったりという感じだったのでしょうね。

 ニャースさんの軽快な語りのリズムが伝わってくる詩ですね。





2012. 8.16                  by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第178作も ニャース さんからの作品です。
 

作品番号 2012-178

  夏夜訪杜甫草堂        

清渓竹葉巴風乗   

好景当年慰少陵   

短暫安居詩万古   

流蛍今夜代門灯   

          (下平声「十蒸」の押韻)





<解説>

<訳>

清い渓流のほとり 竹の葉が 成都の風に乗って舞う。
このような好い景色は当時も杜甫を慰めたことだろう。
短い安住の生活であったが、残した詩は永遠である。
蛍が今夜は門の灯の代わりを務めている



<感想>

 こちらの詩は一転、静かな趣が伝わって来ますね。

 承句の「当年」から始まって、「短暫」「万古」「今夜」と時を表す言葉を重ねることで、千年以上もの歳月を超える感覚になります。
 詩聖としてだけでなく、杜甫という人間への愛情といたわりが感じられ、落ち着いた詩になっていると思います。
 特に、結句の描写は余韻が深く、象徴的な場面ですね。




2012. 8.16                  by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第179作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-179

  悼井古綆先生        

肝脾索句毎吟呻   肝脾 句を索りて 毎に吟呻し

詩癖春秋意日新   詩癖の春秋 意 日に新たなり

去世尊兄在何処   世を去りて 尊兄 何れの処にか在る

蓬莱雍睦宛陵倫   蓬莱 雍睦たり 宛陵の倫

          (上平声「十一真」の押韻)





<解説>

 鈴木先生、おはようございます。禿羊です。

 井古綆先生のご逝去が知らされたのは春でしたが、もう立秋が近づいてきました。

 井古綆先生には、いつもご好意に溢れた批正をいただき感謝しておりました。一度お目にかかりお話ししたいと願っておりましたが、叶わぬままになってしまいました。
 遅くなってしまいましたが、悼詩を献呈いたします。

 井古綆先生には「詩癖」の言葉がぴったりかと思い、梅堯臣の詩を下敷きにいたしました。すこし引用が多すぎて気が引けるのですが。

<感想>

 解説の梅堯臣の「詩癖」は、「人間詩癖勝錢癖 捜索肝脾過幾春」と詠い出し、詩に魅せられた心を描いています。金や名誉に執着するのも人間の心ですが、それ以上に詩への執着は強いものだ、と言われると、詩を書こうとしている人間としては嬉しくなります。

 井古綆さんが亡くなられた後、ご家族の方(お嬢様)からお手紙をいただきましたが、「父(井古綆さん)に会いたくなったら、このサイトを拝見します」とのお言葉でした。
 私のプロバイダーがいつまで続くのかはわかりませんが、こうして作品や感想やご意見が残っていくことは貴重なことだと思っています。

 結句の「宛陵」は梅堯臣の出身地ですが、その地名から梅堯臣のことも「梅宛陵」と呼ばれています。
 あの世で、詩に魅せられた者同士、梅堯臣と仲良く詩談義をしていることだろう、という結びですが、本当にそんな場面が想像できるようです。
 ありがとうございました。




2012. 8.21                  by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第180作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-180

  獨不見 舊遊追憶        

空懷佳會易傷神   空しく佳會を懷へば 神を傷め易く

琴筑絶弦誰可親   琴筑絶弦 誰か親しむべし

雨滴紗窓牽寂切   雨は紗窓に滴りて 寂を牽くこと切に

風吹灯穂起悲頻   風は灯穂を吹いて 悲しみを起すこと頻り

愴然下涕登臺客   愴然涕を下す 臺に登る客

酔裏停杯問月人   酔裏杯を停める 月に問ふ人

此夜歡娯獨不見   此夜歡娯するも 獨不見

詩朋多是九原身   詩朋多くは是れ 九原の身

          (上平声「十一真」の押韻)





<解説>

 サヨナラだけが人生だというのが身にしみています。

「登臺客」: 陳子昂 幽州臺歌
「問月人」: 李白 把酒問月

今人は見ず 古時の月を,
今月は曾經て古人を照らせり。
古人 今人流水の若く共に 明月を看る
皆 此くの如し。

<感想>

 陳子昂の「幽州臺歌」も、李白の「把酒問月」もともに、古人への思いを寄せるとともに、はかない現世への思いを描いた名作です。

 年齢を重ねるにつれ、親しかった友も一人二人と居なくなり、寂寞感はますます募っていくばかりなのは共感できます。
 ましてや、楽しみを共にできる仲間、詩を語り合える友という条件で行くと、寂しさを一層感じてしまいます。

 どの聯も心にしみる句ですが、とりわけ頷聯の「牽寂切」は、思わず見入ってしまいました。



2012. 8.21                  by 桐山人