2010年の投稿詩 第181作からは、静岡で熱心に活動されている『芙蓉漢詩会』の皆さんの作品をご紹介します。
 三ヶ月に一度、会員の皆さんの作品集『芙蓉漢詩集』を出し、合評会を開いておられます。

 常春さんが世話役をしておられる関係で、隣県の縁ということもあり、私もお誘いを受けて第三集から参加させていただいています。
 今回は七月に開かれた『芙蓉漢詩集 第五集』の合評会での作品から、転載の許可をいただいた方の作品をご紹介します。
 私は今回の合評会には参加できませんでしたので、個々の作品についての感想を送らせていただきましたので、その折の感想も(若干手直しして)添えさせていただきます。


 初めは、静岡市にお住まいの 東龍 さんからの作品です。
 

作品番号 2010-181

  想喜寿        

喜壽團欒祝宴巵   喜寿の団欒 祝宴の巵(さかずき)

人間苦樂諭孫兒   人間の苦楽 孫児に諭す

追懐歳月倶妻健   追懐す歳月 妻倶に健なりしを

無悔餘生幸運期   悔る無き余生 幸運を期す

          (上平声「四支」の押韻)



<解説>

 喜寿を迎え家族で賑やかに祝ってくれた。
 子、孫に囲まれ昔話に興じ、又亡妻の追憶が多かったが楽しい一刻を過ごす事が出来た。
 これからは家族の平和と孫達の成長を楽しみに悔い無き人生を送るように願う。

<感想>

 喜寿をお迎えになりおめでとうございます。

 前回拝見した作から、承句転句の内容を入れ替えた形に直されて、まだ奥さまが元気だった頃を思い出すという転句が推敲が必要でしょうが、わかりやすくなったと思います。


2010. 8.24                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第182作も『芙蓉漢詩会』の 東龍 さんの作品です。
 

作品番号 2010-182

  冰上五輪競技        

金銀榮譽担雙肩   金銀の栄誉 双肩に担い

滑走跳梁冰上旋   滑走跳梁 氷上旋る

妙技麗華如蝶舞   妙技麗華 蝶の如き舞

歡嬉稱賛衆人然   歓嬉称賛し 衆人然ゆ

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 バンクーバー冬季オリンピックのフィギィアスケート競技に、男女共日本選手の活躍が見事だった。
 日の丸掲揚とメダル期待し、選手も華麗な演技でそれに応えてくれ日本中が沸いた。

<感想>

  承句と転句に変化があまり無いため、展開が平板な印象です。
 承句と転句を置き換えてみると分かりやすいと思います。あるいは、転句と結句の内容を入れ替えるようにすると、余韻も残る詩になります。
 起句「担」は動詞では平声になりますので、「負」にしておくと良いでしょう。


2010. 8.24                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第183作は『芙蓉漢詩会』の 蘭君 さん、浜松市の女性の方の作品です。
 

作品番号 2010-183

  牡丹        

麗春獨占百花王   麗春独り占む 百花の王

絳蕚纔開薫異香   絳蕚纔かに開きて 異香を薫ず

絶似太眞新沐罷   はなはだ似たり 太真新たに沐し罷み

仙姿嬝娜凭雲牀   仙姿 じょうとして雲牀に凭るに 

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 漢詩を習い始めた頃、『唐詩選』を手にし、李白の「清平調詞」、その他数々の名詩の優雅な表現や言葉に触発され、「名花」・「傾国」をイメージし乍ら作った詩です。

<感想>

  起句の「独占」「百花王」は皮日休の詩「牡丹」から持ってきたのだと思いますが、牡丹の勢いを出していて良いと思います。
 承句での「纔開」は「やっと開いた」というニュアンスなので、起句や後半とずれがあるように思います。「已開」「満開」とすれば落ち着くでしょうね。

 後半、牡丹を楊貴妃に例えるのは「清平調詞」などを意識されたのですが、常套な分、陳腐さも伴う危険性を持っています。先人、名詩への敬意としても、七絶の二句全部使うのは多すぎるでしょうね。


2010. 8.24                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第184作も『芙蓉漢詩会』の 蘭君 さんの作品です。
 

作品番号 2010-184

  懷ク        

麥風滿野舊煙光   麦風(ばくふう)野(の)に満(み)つ 旧(きゅう)煙光(えんこう)

布穀飛啼村著忙   布(ふ)穀(こく)飛(と)び啼(な)きて 村(むら)忙(ぼう)に著(つ)く

五月遙知佳節近   五月(ごがつ)遥(はる)かに知(し)る 佳節(かせつ)の近(ちか)きを

菖蒲發日好還ク   菖蒲(しょうぶ)発(ひら)く日(ひ) 好(よ)し郷(きょう)へ還(か)えらん

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 故里は、JR東北本線本宮駅より東へ十キロ程の処の小村。
 野山の木々も芽吹き、苗代作りが盛んに行われる頃、緑野を日がな郭公が囀り、白と紫の菖蒲の花が田圃の畦に映じて、美しく咲き匂う、五月が、一年の中で一番故郷が懐かしく思われる季節である。

<感想>

 故郷の思い出がよく表れていると思います。

 転句の「五月」は新暦でしょうか。漢詩ですので、旧暦で「四月」とするか、季節を出して「首夏」「初夏」で、また「佳節近」は「佳節到」が良いでしょうね。


2010. 8.24                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第185作は『芙蓉漢詩会』の 辰馬 さん、静岡市にお住まいの方の作品です。
 

作品番号 2010-185

  往事感慨        

斜陽茅屋獨傾杯   斜陽(しゃよう)の茅屋(ぼうおく) 独(ひと)り杯(はい)を傾(かたむ)く

大志昔年吾恃才   大志(たいし)の昔年(せきねん) 吾(われ)才(さい)を恃(たの)む

不遜雄圖君莫笑   不遜(ふそん)の雄図(ゆうと) 君(きみ)笑(わら)うこと莫(なか)れ

宿痾蓬髪亦悲哀   宿痾(しゅくあ)蓬髪(ほうはつ) 亦(また)悲哀(ひあい)

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

 四十余年のサラリーマン生活を終っての感慨を故郷の実家に戻って作詩してみました。

<感想>

 起句から承句へ行くのに導入がもう少し欲しいところですね。
「独傾杯」の部分に「老」「白頭」などの年齢を感じさせる言葉を置くと、承句の若い頃の回想へと流れるでしょう。

 結句は「悲哀」で終わると、年老いた現在を嘆いたまま終わることになりますので、もう少し「悟り」を感じる言葉の方が良いと思います。


2010. 8.24                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第186作は『芙蓉漢詩会』の 東薫 さん、静岡市にお住まいの方の作品です。
 

作品番号 2010-186

  想明月        

抱孫窓外電雷闌   孫を抱けば 窓外電雷たけなわなり

雨霽忽彰明月團   雨れて忽ちあらわる 明月まどかなり

隻語無邪童話喜   隻語 よこしま無く 童話に喜こぶ

同生幾歳獨長歎   ともに生きること幾歳ぞ 独り長歎す

          (上平声「十四寒」の押韻)

<感想>

 題名と主題が合致せず、全体にすっきりしない印象です。

 また、前半の話と後半のお孫さんとのやりとりがどうつながるのか、結句の「長歎」に雷や明月が関連しているならば分かりますが、そう読むのは難しいと思います。
「共生」は「倶生」の方が良いでしょうね。

 結句の感慨を強く出すならば、前半にもっとお孫さんの姿や行動を描いておく方が良いでしょう。


2010. 8.24                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第187作も『芙蓉漢詩会』の 東薫 さんの作品です。
 

作品番号 2010-187

  想田納西圓舞曲        

別君五十有餘年   君と別れて 五十有余年

想昔白頭歎逝川   昔を想ひ 白頭逝川を歎く

恍惚相包圓舞曲   恍惚相包む 円舞の曲

悲歌難忘涙漣然   悲歌忘れ難く 涙漣然

          (下平声「一先」の押韻)

「田納西円舞曲」: テネシーワルツ


<感想>

 起句は、かつて別れた時にテネシーワルツが流れていたということでしょうか。作者にはわかっていても読者にはわからないことが多いので、できるだけ配慮をする必要があるでしょうね。

 結句は、五十有余年の昔のことに「涙漣然」はやや大げさすぎる気がしますが、どうでしょうか。


2010. 8.24                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第188作は『芙蓉漢詩会』の 日順 さん、富士宮市にお住まいの方の作品です。
 

作品番号 2010-188

  初夏偶成        

落花啼鳥好風吹   落花啼鳥 好風吹き

筍竹競生春急移   筍竹競ひ生じ 春移ること急なり

如勵詩情天地妙   詩情を励ますが如き 天地の妙

悠悠韻事寸心知   悠悠たる韻事 寸心知る

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 桜が散ると同時に、筍が顔を出すという、春から初夏へと変わろうとする季節が好きで詩を作ってみました。
 作りながら今の自分の気持ちが良く分かり、整理されていく様子をまとめてみました。

<感想>

 「落花」「啼鳥」は対語の感覚だと思いますが、下の「好風」と組むと「啼鳥」は作者の感情としても季節としても曖昧になり、ただ言葉が並んでいるだけという印象になってしまいます。
 例えば「万花落尽好風吹」のような形にして、欲張らずに描いた方が良いでしょう。
「啼鳥」は承句の「春急移」の位置に置くと、起句との重複感も消えると思います。


2010. 8.24                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第189作は『芙蓉漢詩会』の 曉亭 さん、下田市にお住まいの方の作品です。
 

作品番号 2010-189

  陸奥紀行        

巍巍北嶺斷人煙   巍々たる北嶺 人煙を断つ

塵外深秋古渡前   塵外の深秋 古渡の前

千里故園情更切   千里の故園 情更に切なり

思君霜鬢異郷天   君を思ふ霜鬢 異郷の天

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 暇を得て北国への旅、聳りたつ山麓は人影も少に、空しさが込み上げ、白髪に人恋ふ心が一杯であった。

<感想>

 承句の「塵外」は直前の「断人煙」と重なりますので、敢えて用いるよりも、古渡に通じる風物など、「陸奥紀行」という題に適う具体性を入れると、詩にリアリティが生まれるでしょう。

 後半も「情更切」「思君」に重複感があります。

 結句「異郷天」はもう分かっていることで、転句の「故園」とも重なり、ややしつこく感じますね。「千里望郷情更切/孤遊霜鬢○○天」のような形で、○○に地名などを入れてはどうでしょう。


2010. 8.24                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第190作も『芙蓉漢詩会』の 曉亭 さんの作品です。
 

作品番号 2010-190

  新年偶感        

春光漸到草堂邊   春光漸く到る 草堂の辺り

墻角梅花一朶妍   墻角の梅花 一朶妍なり

馥郁芳香殊可賀   馥郁たる芳香 殊に賀すべし

吟情脈脈弄吟箋   吟情脈々として吟箋を弄す

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 春も漸く光を放ち庭の角に梅花咲き誇り心を癒してくれる。
 ふと吟情が湧き老躯を鞭打ってくれるものがあった。

<感想>

 新年らしく、春の雰囲気がよく表れている詩ですね。

 承句の「墻角」「一朶」という量に対して転句の「馥郁」はやや苦しく感じますので、他の形容でも良いかと思います。
 結句の「吟情」「吟箋」は同字反復の効果はあまり無いので、どちらかを「詩」にしてはいかがでしょうか。


2010. 8.24                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第191作は『芙蓉漢詩会』の SM さん、浜松市にお住まいの方の作品です。
 

作品番号 2010-191

  平成二二年元旦        

新春瑞氣五雲長   新春の瑞気 五雲長し

淡雪晶晶曙色粧   淡雪 晶々 曙色粧ふ

樹影鶴毛風物改   樹影の鶴毛 風物改まり

庭前景況薄銀祥   庭前の景況 薄銀の祥

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 浜松の元旦に雪のようなものが舞ったのを見たのは始めてです。

<感想>

 今年の元旦は久しぶりの雪でしたね。

 「淡雪」「鶴毛」「白銀」と雪の表現を重ねたのは、それだけ「浜松の雪の元旦」が印象深かったのでしょうが、詩としては結局雪のことしか描かれていないために、内容が薄く感じますね。
 雪は後半だけにするか、結句に元旦らしい素材を入れるかすると良いと思います。


2010. 8.24                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第192作も『芙蓉漢詩会』の SM さんからの作品です。
 

作品番号 2010-192

  春日細雨        

櫻花發偏滿天枝   桜花発いて遍し 満天の枝

仰視僧堂凛逸姿   仰視僧堂 逸姿凛たり

何刻燈籠濡磴道   何れの刻にか灯篭磴道を濡ほす

春陰寂寂雨如絲   春陰寂々 雨糸の如し

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 奥山方広寺へお花見に行って来ました。

<感想>

 転句は「いつの間に雨が降ったのだろう」という意味でしょうか。ちょっと分かりにくいですね。もしそうなら、「何刻濡灯籠磴道」とした方が良いでしょう。

 題名は、せっかくですので「方広寺春日(細雨)」と寺の名前を入れると詩に具体性が出てくるでしょうね。


2010. 8.24                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第193作は『芙蓉漢詩会』の 鈴記 さん、静岡市にお住まいの女性の方の作品です。
 

作品番号 2010-193

  中秋        

西郊緩歩正中秋   西郊緩歩すれば 正に中秋

黄落蕭蕭赤卒遊   黄落蕭蕭 赤卒遊ぶ

浮泳鱗雲天半白   浮泳の鱗雲 天半ば白し

遙山歴歴畫屏優   遥かなる山 歴々として画屏に優る

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 春宵に劣らず短い秋も値千金。サラサラの空気が外歩きを誘う。
純白のレース(鰯雲)が碧空を飾り山々が秋色を競っている。辛かった夏をつい忘れてしまいそうな秋だった。

<感想>

 承句の「黄落蕭蕭」は林の中での晩秋のイメージですので、「赤卒」と合うかどうか。「黄」と「赤」の対比は面白いのですが。

 転句はとても良い句で、スケールの大きさ、発想の大胆さ、漢詩の楽しさを感じます。この句に負けない結句にするには、下三字を比喩を使わず、実景を入れる工夫をすると面白いでしょうね。


2010. 8.28                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第194作も『芙蓉漢詩会』の 鈴記 さんからの作品です。
 

作品番号 2010-194

  歳暮風景        

冬晴富嶽白衣煌   冬晴れて 富嶽 白衣きらめ

被笠山巓巧趣装   笠を被る山巓 巧趣の装ひ

歳市人盈賈喚客   歳市人盈ちて 賈 客を喚ぶ

寶籤成列例年昌   宝籤に列を成す 例年昌ん

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 彼方の富士山は神々しいほどの美しさで思はず頭が下がってしまった。
此方、一般市民は例年同様、暮の雑事に追はれながらも年末ジャンボ宝くじの列に加わる。

<感想>

 題名と内容が良く合っています。
 笠をかぶる富士山を直接見るのは静岡の方の特権でしょうね。

 後半の人事と対照させるなら富士山の清浄さをもっと出す必要がありますが、今回のような書き方ならば、このままで。
 転句の「喚」は「呼」にして挟み平にするのが良いでしょう。


2010. 8.28                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第195作は『芙蓉漢詩会』の 幹心 さん、富士宮市にお住まいの男性の方の作品です。
 

作品番号 2010-195

  春遊大岩堤        

柳穀r塘花影浮   柳緑の池塘 花影浮かぶ

鴛鴦不語只隨流   鴛鴦語らず 只流れに随ふ

閑吟日暖春將老   閑吟すれば日暖かく 春 将に老いんとす

野寺鐘聲心自柔   野寺の鐘声 心自ら柔らぐ

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 五月初旬、約三百人の参加者を得てビオトープ大岩にて、大岩堤祭が盛大に行われました。
 本年は特に皆様のご尽力でビオトープに昔ながらの水車を新たに設置することができました。
身近な環境保全美化運動が地域の活性化につながっていくことを期待しております。

<感想>

 のどかな春日の水沿いの風景が目に浮かびますね。
 お気持ちが素直に伝わってくる詩だと思います。

「池」は古来は通水路、承句の「随流」も納得できます。


2010. 8.28                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第196作は『芙蓉漢詩会』の HT さん、湖西市にお住まいの男性の方の作品です。
 

作品番号 2010-196

  夏山所見        

禪林萬腰ェ鳴蝉   禅林万緑 乱鳴の蝉

小徑風吹氣爽然   小径風吹いて 気爽然たり

日午青嵐無限好   日午青嵐 限り無く好し

山中少夏似秋天   山中夏を少き 秋天に似たり

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 旧盆の行事の後、妻と二人で浜松市引佐町の方広寺を参詣した時の情景をしにしてみました。
 ヒグラシの鳴き声がにぎやかで、小道を吹き抜ける風がとてもさわやかでした。
 天候も雲ひとつない青空で、すでに初秋を感じさせるようでした。

<感想>

 爽やかな山の風が吹き抜けていくような思いがしました。
 起句の「万緑」は俳句では初夏の季語ですが、漢詩では王安石の「万緑叢中紅一点」の句で有名ですね。似た言葉に「穠緑(じょうりょく)」もあります。

 結句の「少夏似秋天」は直截的で、せっかくのここまでの表現が一気にしぼむような思いがします。
 確かにそうかもしれないけれど、もうちょっと別の言い方で・・・という感じです。


2010. 8.28                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第197作も『芙蓉漢詩会』の HT さんからの作品です。
 

作品番号 2010-197

  避暑        

山中避暑立溪邊   山中暑を避け 渓辺に立つ

落水飛泉在眼前   落水飛泉  眼前に在り

遊泳兒童涼笑話   遊泳する児童  笑話涼し

懸崖楓樹亂鳴蝉   崖に懸かる楓樹 乱鳴の蝉

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 避暑を兼ねて天竜川の支流に遊んだ時の詩です。

 岩床がむき出しの渓流で滝もあり、滝壺では子供たちが嬌声をあげて水遊びを楽しんでいました。
 滝壺には楓の枝葉が大きく覆いかぶさっており、いかにも涼しげでした。

<感想>

 構成も用語もとてもまとまっていますね。

 転句の人事の導入も分かりやすいですし、結句の「楓樹」が意識の中で紅葉の秋を包含していて、二重の季節が感じられるところが狙いでしょう。

 私もすこし前に、長野に行った折に天竜川に行きました。中央高速道路松川インターの近くですから上流に当たりますが、この詩に描かれたような光景を味わってきました。


2010. 8.28                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第198作は『芙蓉漢詩会』の HY さん、浜松市にお住まいの男性の方の作品です。
 

作品番号 2010-198

  賀初窯        

新築初窯中瀬郷   新築の初窯 なかの郷

陶朋創業氣軒昂   陶朋の創業 気軒昂たり

凛然決意歡無限   凛然たる決意 歓び限り無し

萬葉玉壷呈瑞祥   万葉の 玉壷 瑞祥を呈す

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 私の友人が趣味で陶芸をやっており、この度、浜北の中瀬と言う所に窯を作りました。焼物の名は「万葉焼」と名付けました。友人一同大変喜んでおります。

<感想>

 友人が頑張っている姿は嬉しいもの、祝福の気持ちがよく表れていると思います。

 転句の「歓無限」は、作者の気持ちなのか、友人の気持ちなのか、解説を拝見すると作者(達)のようなので、いっそのこと、承句と転句の上四字を入れ替えると、そのニュアンスが出るでしょう。

 結句の「万葉」は固有の焼き物の名とのことですから、題名を「賀万葉初窯」とでもする必要がありますね。


2010. 8.28                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第199作も『芙蓉漢詩会』の HY さんからの作品です。
 

作品番号 2010-199

  遊蓮華寺        

晴日萩開相映鮮   晴日 萩開き 相映じて鮮やかなり

蓮華寺畔競秋妍   蓮華寺畔 秋妍を競ふ

焚香禮拜大悲閣   香を焚いて礼拜す 大悲の閣

幸福鐘聲響九天   幸福の鐘声 九天に響く

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 遠州森町に蓮華寺と言う由緒あるお寺があります。
 またの名を「萩寺」とも呼び、萩の花がきれいに咲くことでも知られております。
 毎年秋には、萩まつりが行われ大変にぎわっております。
 境内にある鐘は「幸福の鐘」と名付けられ、撞くと美しい余韻とともに幸せになれると言われております。

<感想>

 題名の蓮華寺は地元の方は間違えることはないでしょうが、他の地区の人に示すときは「遠州蓮華寺」なり「蓮華萩寺」とすると良いでしょう。
 起句と承句の下三字に多少重複感がありますが、許容範囲でしょうね。


2010. 8.28                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第200作は『芙蓉漢詩会』の 恕庵 さん、富士宮市にお住まいの男性の方の作品です。
 

作品番号 2010-200

  遊大岩堤 其一        

花笑坡頭柳色新   花笑ふ坡頭 柳色新たなり

鶯聲百囀故山春   鴬声百囀 故山の春

紅霞靄靄微風度   紅霞靄々 微風度り

翆澗潺潺垂釣綸   翆澗潺々 釣綸を垂る

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 元区長である幹心さんのご好意で、ビオトープ大岩(大岩堤)の環境美化の諸行事が年々盛り上がっていることに感謝いたします。

 私の生活するこの大岩は、ひと昔前、日本のどこにでもあった田園風景がまだ残されている地域です。
 四季折々の自然の変化、それも富士山が常に背景としてあり、少しわき道に入るとでこぼこの懐かしい田舎道に出会い、人情豊な土地柄です。
 時々、陶淵明の田園生活の喜びが想像できそうです。




<感想>

 転句と結句は、せっかくですので対句にして、後対格にしたかったところですね。

 起句は、「花笑」「柳色新」を同じ句の中に入れるのは、目がちらついて落ち着かない気が私はしますが、いかがでしょうか。


2010. 8.28                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第201作も『芙蓉漢詩会』の 恕庵 さんの作品です。
 

作品番号 2010-201

  遊大岩堤 其二        

林亭玉蘚落花痕   林亭の玉蘚 落花の痕

燕子雙飛麗日暄   燕子双飛 麗日暄なり

池草萋萋春若夢   池草萋々 春夢の若し

不知篛竹迸籬根   知らずじゃくちくの籬のもとに迸るを

          (上平声「十三元」の押韻)

「篛竹」: 熊笹

<感想>

 この詩は、起句の描写が見事ですね。

 転句の「春若夢」は、夢の若くどうなのか、が欲しいところ。逆に言えば、そこに関わらないのなら「池草萋萋」は転句の役割としては不要となります。
 ひと言添えるのが読者への配慮になります。


2010. 8.28                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第202作は『芙蓉漢詩会』の 鈴翔 さん、静岡市にお住まいの女性の方の作品です。
 

作品番号 2010-202

  鶴ヶ城        

戊辰故地滿櫻花   戊辰の故地 桜花満つ

飯盛山頭帯紫霞   飯盛山頭 紫霞を帯ぶ

明媚城内人易醉   明媚の城内 人酔ひ易し

遲春青踏是香華   遅春の青踏 是れ香華ならんか

          (下平声「六麻」の押韻)

<感想>

 歴史的な場所に来て、現実と過去を心の中で統合させる、漢詩に限らず、古来からの文学の伝統の領域です。

 この詩では、結句の収束が見事ですね。「香華」の語によって、故地における出来事への作者の思いが凝縮されています。
 「桜花」「紫霞」といった華やかな素材でも「香華」にはなるのでしょうが、「青鞜」と若草を選んだところが作者の心でしょう。


2010. 8.28                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第203作も『芙蓉漢詩会』の 鈴翔 さんからの作品です。
 

作品番号 2010-203

  初夏        

翠柳煙街日日肥   翆柳街に煙り 日日肥ゆ

南風一路燕來歸   南風一路 燕帰り来たる

銜泥飛剪營巣急   泥を銜む飛剪 営巣急に

仰看檐頭夕照微   仰ぎ看る檐頭 夕照微か

          (上平声「五微」の押韻)

<感想>

 承句の「来帰」は「来」が向こうからこちらへの方向を示す助字ですので「帰来」が良く、逆にはしにくいでしょう。「回帰」とするところでしょか。


2010. 8.28                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第204作は『芙蓉漢詩会』の 青淵 さん、静岡県賀茂郡にお住まいの男性の方の作品です。
 

作品番号 2010-204

  夏夜納涼        

浴後輕衫流汗消   浴後の軽衫けいさん 流汗消え

水邊螢影柳條搖   水辺の蛍影 柳条揺る

三杯麥酒甦生氣   三杯の麦酒 生気を甦らす

一刻千金在夏宵   一刻千金は 夏宵に在り

          (下平声「二蕭」の押韻)

<解説>

 月ごとに人口が減って行く過疎の村ではありますが、でもそんなこととは別に、四季の移り変わりの美しい自然に囲まれて、この暑い夏の宵にビールで涼をとる幸せ感は格別。

「ここがオレの終の居場所なのだ」と納得の一時です。

<感想>

 風呂上がりの一杯でなく「三杯」が面白いところですね。

 起句は、「浴後」「流汗消」とありますが、これだけではなぜ汗がひくのかわかりません。と言うより、ここで汗がひいてしまうと、転句のビールの喜びがぼけてしまうように思います。
 やはり、「汗不消」「汗未消」ではないでしょうか。
 もちろん、これは個人の酒量によって違いがあるかもしれませんが・・・。


2010. 8.28                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第205作も『芙蓉漢詩会』の 青淵 さんからの作品です。
 

作品番号 2010-205

  偶成        

陋廬獨酌思淵明   陋廬独り酌みて 淵明を思ふ

隠逸園田忘利名   園田に隠逸して 利名を忘るを

身世浮沈人欲老   身世浮沈して 人老いんと欲す

甘貧守拙擬先生   貧に甘んじ拙を守りて 先生に擬せん

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 人生なかなか思い通りには行かないもの、ある意味挫折の連続とも云える。
 そうであるだけに、何かと煩わしい世を逃れて、何ものにもとらわれない自分だけの自由な境地を楽しみたいと願う自分がいる。
 所詮世間とのつながりは絶てないのに・・・・。

<感想>

 陶淵明の人生の評価は、もはや確定した部分が多く、承句でうまくまとめていると思います。それを受け入れて自己の人生に投影するわけですが、しがらみの多い現代に生きる私たちでは、人生に一区切りついたところで、ようやく思い至るものになるのでしょうね。

 そうした気持ちが素直に表れていて、陶潜を慕うだけの詩に終わらず、青淵さんの詩になっていると思います。


2010. 8.28                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第206作は『芙蓉漢詩会』の 洋景 さん、浜松市にお住まいの女性の方の作品です。
 

作品番号 2010-206

  春郊所見        

嫩葉搖搖鳥語長   嫩葉揺々 鳥語長し

屋頭赤白鬱金香   屋頭 赤白 鬱金香

春風顧歩郊村路   春風 顧歩郊村の路

人影西東農務忙   人影西東 農務忙たり

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 若葉の中で小鳥がよく囀っています。
 家々の頭にはチューリップが綺麗に咲いています。
 のんびりと彼方此方見ながら歩いていくと、
 忙しそうに農作業をする人の姿がありました。


「鬱金香」: チューリップ


<感想>

 春郊の詩ですが、広々とした景色を後にして、まずは近景を描いた点がこの詩に臨場感を出していますね。

 承句は、家々の庭先に色鮮やかにチューリップが咲きそろう景色ですね。
 転句は「春風」とあるだけで名詞を放り投げた感じですので、「春風」「郊村路」をどうしたのか、少し補うと良くなるでしょう。


2010. 8.28                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第207作も『芙蓉漢詩会』の 洋景 さんからの作品です。
 

作品番号 2010-207

  桂林下漓江        

覆村朝靄隔塵縁   村を覆ふ朝靄 塵縁を隔つ

習習薫風到客船   習々薫風 客船に到る

墨画如看山水妙   墨画看るが如し 山水の妙

奇岩林立在吾前   奇岩林立 吾が前に在り

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 桂林の村は朝靄が立ち込め美しく閑かです。
 早速漓江下りに出発です。
 爽やかな風が心地好く素晴らしい船旅です。

 目前に墨絵の山水画を思わせるような景色が現れました。奇岩が林立し桂林の絶景です。
 かねてからの念願の美しい景色が私の目前にあるのです。

<感想>

 俗塵を離れた桂林の朝の様子が出た起句ですね。

 転句の「如看」は表現が気持ちそのまま、という感じです。ここが詩のメインですので、もう一工夫欲しいですね。
 「顕然」「瞭然」など、探せそうな気がしますので、推敲を進めていただくと、良い詩になると思います。


2010. 8.28                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第208作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2010-208

  陶爾米納(タオルミーナ)        

秀麗雪峰伊火山   秀麗の雪峰 伊れ火山

降~正適舞吟壇   降神正に適ふ 舞吟の壇

方圓觀席市民集   方円の観席 市民集ひし

古代昌盛何奈看   古代の昌盛 何奈ぞと看る

          (上平声「十五刪」・上平声「十四寒」の通韻)

<解説>

 シシリヤ島タオルミーナからは、青い地中海とエトナ山が美しい。
 富士山を横に二倍広げたようなこの山は標高3330m級の活火山、2005年1月8日にも噴火した。
 噴火の都度標高は僅かに変わる。
 この山を背景にしたギリシャ劇場は前3世紀の創設、1万人を収容できるという。

<感想>

 この詩は『芙蓉漢詩会』に収められていた詩ですが、常春さんからはこのイタリア旅行の詩を他にも送っていただきましたので、別枠で掲載させていただくことにしました。

 この詩の舞台になったタオルミーナの劇場をインターネットで見ましたが、まさに古代の繁栄がいかばかりかと思わせるものですね。
 実際にご覧になった常春さんの感動はもっと素晴らしかったのでしょう。

 劇場の背景に、解説に書かれたような「青い地中海とエトナ山」が見えているのでしょうが、常春さんはここではエトナ山に焦点を絞ったようですね。
 実景を私は見ていませんので常春さんのご判断に任せるしかないのですが、三句全てを劇場に使っておられますので、承句に空や海が出るのも一案かと思いました。

 結句の下三字は、本来は「看何奈」とすべきところでしょう。


2010. 9. 3                 by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第209作はも 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2010-209

  阿格里琴托(アグリジェント)        

眺望燦燦紺青海   眺望燦々 紺青の海

柱石砦岩堪保存   柱石砦岩 保存に堪ふ

希腊遺風神殿谷   希腊ギリシャの遺風 神殿の谷

驚嘆古代一乾坤   驚嘆す 古代の一乾坤

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 一直線のなだらかな坂道沿いにギリシャ神殿が並ぶ。ヘラ、コンコルディア、ヘラクレス、ゼウス。最も保存の良いのはコンコルディア。路沿いに城砦があり、これを抉って墓としたところもある。砦に沿って深い軌跡のある資材運搬の跡も興味深かった。ここはイタリヤであるが、ローマ神話で語るよりも、ギリシャ神話が似つかわしい。

 紀元前五百年当たりから生き生きと語り継がれる。
 古くはギリシャ、カルタゴの支配、中世イスラムと地中海交路の歴史は古い。

<感想>

 アグリジェントは、前の詩のタオルミーナがあるメッシーナ県の対角、南西部に当たるのでしょうか。こちらには海が登場しましたね。

 句の構成としては、前作とほぼ同じで、起句で自然、承句からは遺跡を描いていますね。「保存」の語が転句の内容を先触れしている感じがするのでしょう。この三文字を替えるだけで、全体の印象が随分変わってくると思いますが。


2010. 9. 3                 by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第210作は横浜市保土ヶ谷区にお住まいの 酔歩 さんからの、初めての投稿作品です。
 

作品番号 2010-210

  山梨茶会偶成        

同門友到友情深   同門の友到りて 友情を深む

甲府幽居庵素心   甲府の幽居は素心の庵

冷水一杯消午熱   冷水の一杯に午熱消え

相携買酔快何禁   相携へて酔ひを買へば 快さ何ぞ禁へん

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

 元職場の茶道部の仲間が、今年も山梨大学茶道部の夏茶会に招かれて参加しました。
茶席は、県立文学館の「素心庵」というところでした。

 一つの席では、冷たい水で薄茶を点ててふるまわれ、意外なおいしさに一同感激。
 終了後、ワイナリーも見学し、4種のワインを試飲して大いに盛り上がり、めいめい気に入ったワインをお土産に・・・

 [訳]
 茶道の同門の友が集まり友情を深める
 山梨茶会は今年も素心庵で
 サプライズの冷水点に暑さが消える
 さらに、みんなでワイナリーの試飲でホンワカと・・・

<感想>

 初めまして。新しい仲間を迎えることができ、とても嬉しく思っています。
 横浜の保土ヶ谷は、私の姉が長年住んでいましたので、私も何度か遊びに行った場所です。ひょっとしたら、どこかですれ違ったことがあるかもしれませんね。

 平仄、押韻についてはよくお調べになっていらっしゃるようですので、表現として気がついた点をいくつか書かせていただきます。

 起句は重複が気になります。「同門」と来れば「友」なのは当然で、「友到」ならば「友情」もこれまた当然です。その当然のことを敢えて言う場合は、強調や音調などの効果が期待できると思える時です。
 この句では、「同門友到」までは読めますが、「友情」はあまりに芸が無い感じがします。「旧情」と換えるだけでも、随分雰囲気が変わります。

 承句の「甲府幽居」は、起句で「友」としていますので、読者は「作者の住んでいるところに友が来た」と思い、その場所が「甲府の幽居」だと読み取ります。となると、まず起句は「同門参集旧情深」のような形にしておいた方が誤解は避けられるでしょう。
 文学館に併設の茶席ということですと、普段は人が住んでいるわけではないと思いますので、「幽居」という表現も気になりますし、「甲府」も詩題に既に「山梨」とありますから、ややうるさく感じますね。
 下三字は漢詩の場合には倒置の形で書かれることもあるのですが、起句・承句ともにやや苦しいですね。
 「友情深」は「友情深し」と読んで一応近い意味はとらえられますが、「庵素心」は「庵が素心」としか読めません。「素心庵」という固有名詞を切って入れ替えるのも失礼なことですから、使うならば「庵」はやめて、「素心」だけを生かすような表現にした方が良いでしょう。

 転句は、カンカン照りの中で冷たい水をガブッと一杯飲み干した、という豪快な場面を想像しますので、少し入れ替えて「一服冷茶消午熱」とした方が実際に即するでしょう。

 結句は、甲府という土地でもありますから、「名産のワインを買って酔った」と終わらせようとする意図は分かりますが、やはり唐突ですね。転句からも、あるいは前半の二句からも全くつながりが無いので、読者はびっくりしてしまいます。
 詩の主題(テーマ)、つまり、詩全体で何を言いたいのかという観点で、そこに収束するように各句の構成をどう図るか、その素材配置に漢詩の妙味があります。
 特に結句は詩をまとめる大切な句ですので、転句や茶会とのつながりをどうつけるか、苦心と工夫で、ここを推敲されると良いと思います。


2010. 9.15                  by 桐山人