2006年の投稿詩 第256作は千葉県市原市の 貞華 さん、女性の方からの作品です。
 

作品番号 2006-256

  頤和園        

広大荘園凝目行   広大なる荘園 目を凝らしてめぐる

累累連瓦幾華堂   累累と瓦を連ねて 幾華堂

清廷統治訪青史   清廷統治の青史を訪ね

王者権威引興長   王者の権威に 興を引くこと長し

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 頤和園は西太后の別荘、軍費を割いて修復したそうです。
長廊も圧巻、庶民の暮らしなど気にもかからないのでしょう。

<感想>

 新しい方をお迎えしました。これからもよろしくお願いします。

 頤和園は北京の北部、中国に数多くある世界遺産の一つです。私も今年の夏に中国に行った折に見学しましたが、「権力とはこういうものである」ということを具象化したような思いで眺めてきました。
 西湖を模したとされる昆明湖、その岸にそびえる石舫(石造りの船)は波(国民)にも揺れず、沈むことの無い王朝の象徴だとか。そして、一万四千枚近くの絵が描かれた長廊、その絵には一つとして同じものはないそうです。
 貞華さんが仰るように、この離宮がアヘン戦争で焼失し、西太后が海軍の軍費を注ぎ込んで再建したのが1888年、日本では明治21年に当たります。遠い過去の歴史のように思いますが、まだ100年程前に過ぎないのですね。

 承句の「行」は、「下平声七陽」韻で用いる時は、意味が「列、行」となります。「行く、おこなう」の時は「下平声八庚」韻になりますので、注意が必要です。ついでに、「おこない、行為」と名詞になると仄声になります。

2006.12.18                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第257作は 点水 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-257

  晩秋        

晴天萬里片雲浮   晴天萬里 片雲浮く

百舌鳴聲響四周   百舌の鳴聲 四周に響く

少女長靴踏枯葉   少女の長靴 枯葉を踏む

老婆清掃薄寒流   老婆は清掃 薄寒流る

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 今年は長靴が流行とかで、よく見受けます。そして、枯葉を清掃するのは、やはり、老婆ですか。

<感想>

 点水さんは、まずは「長靴」にポイントを置かれたのでしょうね。若い娘さんたちにブーツと言わずに「長靴を履いてますね」などと言うと嫌われそうですが。
 現代の状況から見れば、「長靴」は冬の季節のしるしです。その長靴が「踏枯葉」と来れば、一層冬を感じさせるものとなります。現代の季語というべきでしょうか。

 結句では「少女」の対比として「老婆」を、「踏枯葉」の対比として「清掃」を持ってきましたが、とらえ所が良かったですね。両方を一枚の写真に収めると、良い図柄に撮れるのではないでしょうか。漢詩ではそうはいきませんが、これだけ対照的に並べましたから、できれば転句と結句は対句にした方が面白かったかもしれません。

2006.12.18                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第258作は 謙岳 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-258

  秋夜讀書        

蕭寥秋夜未成眠   蕭寥たる秋夜 未だ眠りを成さず

枕上繙書友古賢   枕上 書を繙いて 古賢を友とす

小室無聲三五夕   小室 声無く 三五の夜

中天雲盡一輪圓   中天 雲尽きて 一輪円かなり

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 十五夜の夜景、そのままを詠んだものです。
まだまだ、こった言い回しはできませんが、これからも、感じたままを詠んでいきます。

<感想>

 「こった言い回し」なのかどうかは分かりませんが、よく内容の整った詩だと思います。

 転句は「小室」とされましたが、前半が室内の様子でしたから、転句のここでは場面を換えて、庭とか階とかに視点を移すと、全体の展開がくっきりしてくると思います。
 結句は転句の末字との関係もありますが、末字を読み下しのように「夜」とするならば、句の頭は「中空」とされるのが良いと思います。

2006.12.18                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第259作は西東京市の 叶公好 さん、三十代の男性の方からの初めての投稿作品です。尚、号の「叶公好」は「かのう きみよし」とお読みするそうです。
 四首送っていただきましたが、中日ドラゴンズのセリーグ優勝関連の連作ということですので、一気に掲載しましょう。
 ご挨拶もいただいていますので、ご紹介します。
 一年前に鈴木先生の「漢詩 はじめの一歩」で作り方を覚えさせていただきました。
 漢詩を何十首か暗記すること(好きなら覚えているはず)、漢文の初級文法をマスターすること、あと、コンピュータと、平仄チェッカーと、Super 日本語大辞典と広辞苑のCD-ROM さえあれば、パズルみたいなものだと思います。
 皆さん、まじめな詩ばかり作っておられる中、くだらない漢詩の連作ですみませんが、時事ネタですし、放っておくと腐るので投稿させていただきます。
 ご批判などいただければと思います。

作品番号 2006-259

  祝点中日魔術燈     中日のマジック点灯を祝す   

好投強打震高牆   好投、強打、高牆を震わせ

英俊陷堅歡滿場   英俊、堅(けん)を陥して満場を歓ばす

二遊球転疾風旋   二遊、球転がって、疾風旋り

右中珠落迅雷煌   右中、珠落ちて、迅雷煌く

東海蒼龍騰躍夜   東海の蒼龍、騰躍の夜

威降猛虎凱歌昌   威は猛虎を降して、凱歌昌(さかん)なり

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 お盆に帰省中、ナゴヤドームでの作です。元は七言絶句だったのですが、何か言いたりない感じがして、詩作の過程でできた対句?(対句なら反法にならなければいけないような…)を真ん中にはさんでみました。
 となると「古詩」になるのでしょうか?
ともあれ、自分では連作中でいちばん気に入っております。

語句の解説
英俊:英智の俊足
陥堅:矢野の堅いブロックをかいくぐってホームを陥れること。
疾風旋: 「これはすごい
迅雷煌: 「これもすごい
騰躍:おどり上がること

>(2回英智の走塁について)あれでホームまで還ってこれるんだからすごい。プロの走塁だ。普通だったら3塁で止まるだろう。(中日・落合監督のコメント)

<感想>

 中日ファンの方には「あの感激をもう一度!」というところですが、そうでない方には「また思い出させるな!」ということでしょうね。「帰省」というお言葉からすると、どうやら叶さんのご出身は愛知県のようですので、私の同郷ということでお許しください。
 なお、この後もまだ三首続きますので、そちらもよろしく。
 ちなみに、私は愛知県出身ですが、中日ファンではありません。

 六句の形式ですと、李白の「子夜呉歌」が思い出されます。石川忠久先生がかつて、「四句の絶句でもない、八句の律詩でもない、この形式を選んだところに李白の意図がある」と書かれていましたが、単なる形式の点での「古詩」という分類ではなく、民謡の趣、古詩の風格を残したとろこが意義深いということでしょう。
 この詩の場合、真ん中の二句の具体的な記述の是非にかかってくるのでしょうが、ファンとしての熱い思いはよく伝わってきます。

2006.12.20                 by 桐山人



謝斧さんからお手紙をいただきました。

 七古六句一韻到底格の中に対句をいれるのは、俗にいう半律といわれるものです。
平韻の場合は三句目にも押韻するようです。

    夜坐有感   高青邱
  一鴉不驚城皷低◎
  窓雨入竹暗凄凄◎
  東鄰夜宴歌尚斉◎  三句目にも押韻する
  西鄰戦歿正悲啼◎
  此時掩巻誰能問
  黙坐燈前對痩妻◎


2006.12.20           by 謝斧





















 2006年の投稿詩 第260作は 叶公好 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-260

  讃歎山本昌広投手無四球無安打無得点試合日本最年長記録達成        

螺旋断虎鳴   螺旋、虎鳴を断ち

不惑尚昌名   不惑、昌名を尚(たか)うす

可頌遅球匠   頌すべし、遅球の匠

殊勲萬歳明   殊勲、万歳に明らかなり

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 タイトルのほうが詩よりも長い(笑)

虎鳴:虎の断末魔の悲鳴。最後、赤星の打席で流れていた六甲颪のこと

<感想>

 いやいや、阪神ファンの方の怒りの声が聞こえてきそうで、このホームページのアクセス数が関西方面で激減しそうですね。

 しかし、救いなのは転句の「遅球匠」、剛速球ではなく、まさに技術のたまものと思うと、まずはやはり山本投手を誉めるべきかなと感じてしまうのは、これは私も地元ですり込まれた結果でしょうかね。

 結句の「萬歳」はもう少し遠慮すべきでしょう。

2006.12.20                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第261作は 叶公好 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-261

  祝中日優勝     中日の優勝を祝す   

百萬喚声轟巨都   百万の喚声、巨都に轟き

颱竜劇弾遠飛弧   タイロンの劇弾、遠く飛んで弧なり

艱辛制勝千虹散   艱辛、勝ちを制して、千虹(せんこう)散り

看見胴揚双眼濡   胴揚げを看見して 双眼 濡る

          (上平声「七虞」の押韻)

<解説>

 好試合でした。

 [語釈]
巨都:メガロポリス東京と巨人の本拠地をかけています。
   東京ドームでの胴上げは史上初。
颱龍:現代中国語でタイロンって読めて平仄も合うように工夫しました。
艱辛制勝:苦労して勝つから詩を作る価値があるんです。
 たかだか数試合の結果で日本シリーズに出られるようなしょうもない制度にして
 何が面白いものかと個人的には強く思うのですが・・・
千虹:何千本ものカラーテープの束。
看見:目の当たりに見ること、目にすること。
胴揚:倭臭がしますね(笑)

<感想>

 まあ、ここまで来ますと、和習であろうがなんであろうが、みんなオッケー牧場という感じですね。

「巨都」「颱竜」などの工夫も出ていますから、楽しく作っておられる気持ちが分かります。「中日スポーツ」(ローカルですみません)に紹介したいくらいですね。

2006.12.20                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第262作は 叶公好 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-262

  電視日本系列戰惨敗        

不到神龍富嶽巓   にほんシリーズ またまけた

蛍灯積恨對無眠   ごうたがわぇぁて、ねれえせん

三杯濁酒酸心味   やけざけ、さんべぇぁ、まだよえん

捲土重來又一年   れぇぁねん、まっぺん、かとめぇぁか

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 敗北の瞬間、完璧に平仄どころか韻までが合った起句と結句が同時に完成。いろいろな詩にインスパイアされてます。
 三本目の缶ビールの蓋を開けたとたん、転句「三杯麦酒三振味」が完成。
 平仄を合わせる。ビールは酸っぱくないので「濁酒」に変更。
承句の最後、「照無眠」がいいか、「對愁眠」がいいかさんざん迷ったあげく、真ん中を取って完成。ここまでで2時間。

しかし、こんな詩は作りたくなかったです。訳詩はほんのお遊び。

<感想>

 四首最後までお付き合いくださった方は、どんな感想をお持ちでしょうか。何とも楽しい仲間が増えたという気がしますね。
 漢詩がある面持っている堅苦しさや生真面目さは、それはそれで魅力ですが、叶さんのようにあっけらかんと眼前の事象を描いているのも、漢詩の楽しみ方の一つの方向を見せてくれているように思います。
 平仄の点もきちんと抑えて、下地となる漢文の知識も持った上で、漢詩の土俵で自由に遊ぶということは、若い方の特権かもしれません。枠にとらわれがちな私などはうらやましい思いもします。次回作が楽しみですね。
 ただ、この感想も四首まとめて読んだからという要素はあるでしょうが。

2006.12.20                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第263作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-263

  秋夜不寝     秋夜 寝ねず   

秋深冷氣暗蛩頻   秋深 冷氣 暗蛩頻りなり

幽見南檐月半輪   幽かに見る 南檐 月半輪

他日蛾眉酬唱夕   他日 蛾眉 酬唱の夕

思君不寝謫仙人   君を思ひて寝ねず 謫仙人 

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 言うまでもなく李白の「峨眉山月歌」である。
先年、バスで成都から岷江に添って上り「九寨溝」まで行った。
夜遅くホテルに着いた時に偶々観た半輪の月が印象に残っている。
李白の「思君不見」を捩って「思君不寝」とふざけててみたが、また又、鈴木先生に「一ひねり欲しい」と言われるだろうか。

<感想>

 そうそういつも同じ感想を書くわけにもいきませんね。今回は別の点から感想を書きましょう。

 結句の「謫仙人」は言わずと知れた李白のことですが、ここではかつて「酬唱」した詩友を指すのでしょう。そう考えると、当然「思君」の指す相手も同じように解釈でき、詩題と合ってくると思います。
 言葉としては、承句の「幽見」が弱いことと、「他日」が単に説明になっている気がします。

2006.12.20                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第264作は 芳原 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-264

  冬愁二首 其一       

茅屋黄昏裏   茅屋 黄昏の裏

残紅傍竹扉   残紅 竹扉に傍ふ

天低餘雪意   天低れて 雪意を余し

月隠雁聲微   月隠れて 雁声微か

          (上平声「五微」の押韻)

<感想>

 時間の経緯が感じられ、冬の寂寥感もよく出ていると思います。
 起句が全体を統括し、わずか五字で十分な趣を作り出しています。「黄昏」の色彩と茅屋のひなびた様子が調和して、組み合わせに成功していると思います。
 後半も緊張感は維持されてますから、結句に表れた聴覚が生きたものになっているでしょう。

2006.12.20                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第265作は 芳原 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-265

  冬愁二首 其二        

雲臥行千里   雲臥 千里に去り

清貧欠一觴   清貧 一觴を欠く

吾憂何日少   吾が憂ひ 何れの日にか少ならん

憐獨恨秋霜   憐れむ 独り秋霜を恨むを

          (下平声「七陽」の押韻)

<感想>

 こちらの詩は、やや物足りなさが残ります。
 起句と承句のつながりが分からないこと、転句の「吾憂」の内容も不明確ですね。承句からの展開で行けば、「清貧」を憂えているのかと思いますが、結句の「恨秋霜」も含ませるとなると、ここで「憂」の字を出すのはどうでしょうか。

 結句の「憐獨」は語順としては「獨憐」とすべきで、平仄の関係で入れ替えたのかもしれませんが、句意を分かりにくくしています。また、「憐」「恨」が重複しているように思いますので、その辺りに注目して推敲されると良いでしょう。


2006.12.20                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第266作は 夕照亭 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-266

  驟雨雑吟        

黒雲聚散疾風旋   黒雲聚散して 疾風旋る

洒朶追人急雨玄   朶に洒ぎ人を追ひ 急雨玄し

朋友既都凌駕我   朋友既に都て 我を凌駕す

賈花帰舎與妻憐   花を賈い舎に帰りて 妻と憐れむ

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 啄木そのまんまですね。私もあまり同窓会などには出たくありません。

<感想>

 啄木の歌というのはご存知のように、
    友がみな
    われよりえらく見ゆる日よ
    花を買ひきて妻としたしむ

ですね。
 この歌は、石川啄木の歌だと思って読み、それゆえに共感するところも多いわけですが、その共感をそのまま詠ったのでは生々し過ぎるでしょう。
 結句は啄木の歌を借りてくるとしても、悲哀の源までもそのまま用いるのは、「主題」と「表現」という詩の最も根本のところを借用することになりますから、面白みが減ります。
 そういう点では、転句の「朋友既都」に工夫が求められるでしょう。個人としての感情をいかに普遍的なものとして捉えるかが勝負どころで、例えば「朋友」の語を「後者(後生)」「後進」、あるいは「昔人」などに換えてみると、詩としての発展の面白さが出て来るのではないでしょうか。


2006.12.21                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第267作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-267

  松島        

潮満澄湾敷碧羅   潮は澄湾に満ちて 碧羅を敷き

松繁奇島点青螺   松は奇島に繁りて 青螺を点ず

蕉翁三嘆植筇詠   蕉翁 三嘆 筇を植てて詠ず

騒客千思投筆過   騒客 千思 筆を投じて過ぎる

          (下平声「五歌」の押韻)

<解説>

 転句は有名な膾炙された芭蕉の句を、結句は騒客を作者になぞらえて作りました。

<感想>

 前半も後半も対句で構成した全対格の詩です。

「蕉翁三嘆」とされた
    松島や ああ松島や 松島や
 の句は、あまりの松島の絶景に芭蕉が言葉を失ったものと知られていますが、実際には芭蕉は作っていないと言われます。しかし、松島のあの箱庭のような美しい緑の島々の風景は、この句と結び合わさって見学者に感動を与えていますね。
 私も二度ほど行きましたが、まさに自然の作り出した造形、凝縮された美に目を奪われました。瑞巌寺の境内も深い松の樹陰につつまれ、落ち着いた風格を感じました。

 結句の「騒客」を作者自身とされたようですが、あまり限定せずに、詩人一般としてとらえて、「誰でも筆を投げ出すほどに松島は美しい」とした方が絶景をよく表すように思います。
 ただ、「蕉翁」「騒客」でもあり、表現が重なっていますので、「俳(古)聖」「今人」で対比させるような形とか、「思」が名詞用法の所を修正する方向が良いかもしれません。

2006.12.22                 by 桐山人



井古綆さんからお返事をいただきました。

 御高批ご指摘有難うございます。全くその通りでありまして、以下のように改めたいと思います。
 転句の「蕉翁」は此の詩の中心的の詩語であり、これを除外はできないと思います。
 結句の「騒客」と「千思」を改めて、「野叟無言」と致します。
 転句結句を以下のように致したいと思います。「野叟」としましたのでこれは作者個人の意味になります。

    蕉翁三嘆植筇詠
    野叟無言投筆過


 御高批大変有難うございました。今後ともに叱正をお願いいたします。

2006.12.23               by 井古綆




















 2006年の投稿詩 第268作は 嗣朗 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-268

  奥琵琶湖偶感        

秋光賤岳客愁朝   秋光賤ガ岳 客愁の朝

幽韻凄涼魂欲消   幽韻 凄涼 魂消えるを欲す

核屑埋湮邦国掟   核の屑埋湮 邦国の掟

余呉村落喘揺揺   余呉の村落 揺揺と喘ぐ

          (下平声「二蕭」の押韻)

<解説>

 秋の湖北の名所を訪ねた。賤ガ岳の山頂より望む奥琵琶湖の景観、また眼下には羽衣伝説の余呉湖等・・・・
 この地に原子核燃料の残骸を埋没する計画があり、町村は揺れ動いている報道に、何か悲しく、やり切れない思いであった。・・

<感想>

 古来から変わらぬ奥琵琶湖の景と現代の問題を取り合わせた詩ですね。
 言葉としては、転句の「核屑」、そのものずばりというところで、「核燃料廃棄」について抗議の気持ちをこめるのならば直接的な表現の方が適しますが、奥琵琶湖を詠いたいのでしたら、逆に古典的な言葉で置き換える方向が良いでしょう。
 個人的には、「掟」も地元の方々のお気持ちからすると、不適切な気がします。

 結句の下三字は、書き下しのように読むのはつらいでしょう。「喘ぐこと揺揺」と読んでおきましょう。これも「喘」は別の表現ができると思います。

 全体的には、固有名詞が「賤岳」「余呉」と二つ使われていますが、「核屑」という俗語も入っていますので、どちらか一つにした方が落ち着くでしょうね。

2006.12.22                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第269作は 貞華 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-269

  那智滝        

殷殷轟轟揺半空   殷々轟々と半空を揺すり

瀑流直下断崖中   瀑流直下す 断崖の中

正看白練一千丈   正に看る 白練一千丈

熊野峻峰霊気籠   熊野の峻峰 霊気籠む

          (上平声「一東」の押韻)

<感想>

 那智の滝の豪快な姿を表すのに、書き出しの畳語の連続が効果を出していますね。「殷殷」「轟轟」ともに大きな音を形容する言葉です。

 滝の長さを「一千丈」とされたのは、李白の「望廬山瀑布」での「飛流直下三千尺」を意識されたのでしょうか。数字的には遠慮なさっているようにも見えますが、「一丈=十尺」とされ、単位が異なりますので、実は貞華さんの方が李白よりも三倍以上も長く表現していることになります。李白に勝った!!
 実際の数値がどうかはわかりませんが、いかにも熊野の「霊気」を思い浮かばせる表現ではないでしょうか。

2006.12.22                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第270作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-270

  兼六園        

林園宏大旧墟辺   林園宏大 旧墟の辺

人力集成光景全   人力の集成 光景全し

碧樹繁陰径幽邃   碧樹 繁陰 径 幽邃

緑池蒼古蘚鮮妍   緑池 蒼古 蘚 鮮妍

春花爛漫彩丘阜   春花 爛漫 丘阜を彩り

秋月玲瓏揺水泉   秋月 玲瓏 水泉に揺らぐ

眺望絶佳兼六勝   眺望 絶佳 六勝を兼ね

声華嘖嘖古今伝   声華 嘖々 古今に伝ふ

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 パソコンで兼六園を検索していたら、福井に嫁いでいる娘夫婦と共に見学したことを思い出しました。以前の作品です。今では私も車椅子の世話になり、まさに今昔の感がします。
 非才を顧みず。兼六園の主旨である六勝を詩中に入れてあります。
 諸先生のご高批をお願いいたします。

「宏大」「幽邃」「人力」「蒼古」「水泉」「眺望」

<感想>

 兼六園は、白河藩主・松平定信(楽翁)によって、中国・宋の時代の書物「洛陽名園記」から引用されて付けられました。

「園圃之勝 不能相兼者六。務宏大者少幽邃、人力勝者少蒼古、水泉多者無眺望。兼此六者惟湖園而已」

 庭園の良さには兼ねることのできないものが六つある。広々とした様子を目指せば、奥深さが少なく、人の手の加わることが勝っていれば、古びた趣が少なく、水の流れが多ければ眺望がきかなくなる。遠くを眺めることができない。この六つを兼ね備えているのは湖園だけである。

 松平定信は、この六つの要素を兼ね備えるべく、つまり理想の庭園という気持ちをこめて「兼六園」の名を贈ったそうです。

 井古綆さんのこの詩は六つの言葉を入れたというだけでなく、組み合わせの困難さをどう克服するかという方策、考え方までが描かれているように思います。
 建築物や庭園の名前の由来を知ることは製作者の意図を知ることであり、知識の蓄積が新しい鑑賞の道を開いてくれるものだと思いました。


2006.12.22                 by 桐山人