2006年の投稿詩 第211作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-211

  伊香保作     伊香保の作   

空濛湖上雨餘佳   空濛たる湖上 雨餘に佳し、

瀲瀲水光舒我懐   瀲瀲たる水光 我が懐を舒ぶ。

欲把榛名比函嶺   榛名を把って函嶺に比せんと欲すれば、

行人総是臥湯街   行人 総て是なり 湯の街に臥さん。

          (上平声「九佳」の押韻)

<解説>

 榛名湖上に浮かぶ榛名小富士(榛名山)を見て、箱根の芦ノ湖を連想しての作。

<感想>

 蘇軾の「飲湖上初晴後雨」を十分に意識された作品ですね。

 「雨餘」と雨上がりに絞り込んだ点で、作者の独自の部分を出そうとしているでしょう。ただ、「空濛」「瀲瀲」「水光」や転句の構文などで、蘇軾の詩と重なる語が多く(「瀲灔」は「瀲瀲」と変わっていますが)、もう少し減らしたいところです。

 内容としては、結句がそれまでの勢いをしぼませているように思います。転結を入れ替えるような形で、転句に人の姿を置き、結句で大きな視野を持ってくる方が、詩としてはまとまるのではないでしょうか。

 榛名山、伊香保温泉には、姉が以前群馬県の渋川に住んでいたこともあり、遊びに行った思い出があります。懐かしいのですが、もう20年以上も前のことだと、いま書きながら気付きました。広々とした山村のイメージがありますが、変わりはないのでしょうか。

2006.11. 3                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第212作は 点水 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-212

  夏夜        

浴後単衣覚夜涼   浴後の単衣 夜涼を覚ゆ

月清風爽藕花香   月清く風爽やか 藕花香る

水辺蛙吹鳴還息   水辺 蛙吹 鳴り また 息ふ

堤上蛍明滅又光   堤上 蛍明 滅し また光る

          (下平声「七陽」の押韻)

<感想>

 「風呂上がりのゆかた」「蓮の花」「蛙の声」「川の土手」「蛍」と、夏の風物が無理なく配置されていて、視覚・聴覚から皮膚感覚までを伴って、昼の暑さをふと忘れる「夜涼」が実感されます。

 後半を対句で持ってきましたが、語の意味の対応から見れば結句の下三字は「光又滅」となるでしょうし、その方が結句としての余韻も深いだろうと思います。押韻の関係ですので、読者が逆に読み取る必要があります。

2006.11. 3                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第213作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 風早を吟行された時の連作ということですが、作者からの説明は次の通りです。
 平成十八年五月二十日(土)、共に漢詩を学んでいる仲間二十名余で故郷風早(旧北条市)を吟行してきました。一人二首が目標だったのですが、私は地元ということもあって六首も作詩することになりました。
 今回送信しますのは「万緑家郷風早吟行」の折、賦した以下六首です。

作品番号 2006-213

  万緑家郷風早吟行(一) 高縄山       

千手観音七本杉   千手観音 七本杉

拝顔仰止詣高巖   拝顔仰止はいがんぎょうし 高厳こうがんいた

俯瞰繇繇天與海   俯瞰すれば繇繇ようよう 天と海と

斎灘雲影競征帆   斎灘さいたん 雲影 征帆せいはん競ふ

          (下平声「十五咸」の押韻)

<解説>

 高縄半島の最高峰は、旧北条市にある九八六米の高縄山で、頂上には千手観音を本尊とする高縄寺や樹齢五百年を数える七本杉がある。北条市街から遠望すると稜線上に鋸歯のように見えるのが特徴。
 参詣の後、頂上展望台から眼下を望めば、はるか遠く斎灘(いつきなだ)が天空と接して見える。ちぎれ雲の中には、帆掛け舟が数艘、行きかいしているのが見える。

<感想>

 吟行詩ですので、臨場感が大切になりますが、ここでは起句の「千」「七」という具体的な数字が役割を果たしているわけで、作者の工夫、感覚の表れるところですね。

2006.11. 3                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第214作は サラリーマン金太郎 さんから、「万緑家郷風早吟行」の二作目です。
 

作品番号 2006-214

  万緑家郷風早吟行(二) 鹿島懐古        

三韓征伐將軍時   三韓征伐 軍を將いるの時

総帥神功祈戦勝   総帥神功 戦勝を祈る

不庸斤斧宿神威   斤斧をもちゐず 神威を宿とど

萬樹青青孤島瑩   万樹青青 孤島かがや

          (去声「二十五徑」の押韻)

<解説>

 北条港外四百米に浮かぶ国立公園鹿島は風光明媚、鹿島神宮(茨城県)を本社とする鹿島神社が鎮座する神島であり、三韓征伐や河野水軍の海城跡など歴史の島である。また吉井勇など数多の文人が来島し、句碑も多く、文学の島、海水浴、キャンプ、釣りなど清遊の島でもある。
 周囲1、5`、島の高さ115米の小島ながら四百種の植物が茂り、楠を初めやまもも、かごのき、たぶ、かかつがゆ、など暖帯植物林がる。また愛媛県指定の天然記念物「野生の鹿」の棲息地としても知られる。

 その昔、神功皇后は三韓征伐のみぎり、当地に立ち寄られ鹿島神社に戦勝を祈願された。今に「髪洗いの濱」が残る。鹿島全体が神域であり昔から斧を入れてはならぬとされ、社頭には

     「神威かつて 斧入らしめず 島茂る」と村上霽月の句碑もある。

 そのため先述のような青青とした生命力たくましい木々が茂り、今も昔もこの島は輝いているのだ。

<感想>

 両韻でよく問題になるのは、「將」「勝」ですね。
 「將」は「ひきいる・まさに・もって」などならば平声(「下平声七陽」)、「軍隊の長」ならば仄声(「去声二三漾」)です。
 また、「勝」は「たえる」で平声(「下平声十蒸」)、「勝つ・まさる」ならば仄声(「去声二五径」)です。
 そこでみると、起句などは下三平になりますが、押韻が仄声ということで、近体詩の規則を意図的に破ったということでしょう。

2006.11. 3                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第215作も サラリーマン金太郎 さんから、「万緑家郷風早吟行」の三作目です。
 

作品番号 2006-215

  万緑家郷風早吟行(三) 家郷風早吟行        

人生如何思不通   人生如何ぞ 思ひ通ぜず

離家三歳一心空   家を離れて三歳 一心空し

淡雅交流有神許   淡雅 交流 神の許す有り

歸郷巡友煦愉中   帰郷 友と巡る煦愉くゆうち

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 奉職十七年の北条市は松山市に合併し、心ならずも家を移して歳月は流れ去る。漢詩を学ぶことによって得た今回のふるさと吟行。心は浮き立つばかり。

<感想>

 「煦愉」「あたたかく楽しい」ことです。転句の「神」「こころ」と理解すれば、分かりやすい詩になるでしょう。

 故郷に戻った喜びと、気の通う友人との旅、二つが重なりましたから、本当に楽しかったことと思います。その分、承句の「離家三歳一心空」のお気持ちが引き立ってきますね。

2006.11. 3                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第216作は サラリーマン金太郎 さんから、「万緑家郷風早吟行」の四作目です。
 

作品番号 2006-216

  万緑家郷風早吟行(四) 櫛玉比賣命神社くしたまのひめのみことじんじゃ        

薫風嫋嫋坐幽深   薫風嫋嫋じょうじょう 幽深に坐す

鼓動僮僮神降臨   鼓動僮僮どうどう 神降臨す

全國詩筵期盛會   全国詩筵の盛会を期し

師朋稽顙徹無心   師朋 稽顙けいそう 無心に徹す

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

 櫛玉比賣命神社(妃神)は向かい合って鎮座する夫神・國津比古命神社とともに平安時代に編纂された延喜式神名帳に登載された古社である。
 当日は来る本年11月23日に松山市で開催される全日本漢詩大会大会の成功を神前に祈願し玉串の奉奠を行った。

「稽顙」‥座って頭を地面にしばらくの間つける敬礼。「顙」は額のこと

<感想>

 全国大会も間近、準備に携わっておられる方々の気合いも充実していらっしゃることでしょう。サラリーマン金太郎さんからの最近のお手紙からも、皆さんの熱気が伝わってきましたよ。

 起句の「嫋嫋」は字の通り、「そよそよ、なよなよ」という意味です。承句の「僮僮」「盛り上がるさま」です。
 古式ゆかしき神社の様子がよく伝わってきますね。

2006.11. 3                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第217作も サラリーマン金太郎 さんから、「万緑家郷風早吟行」の五作目です。
 

作品番号 2006-217

  万緑家郷風早吟行(五) 國津比古命神社くにつひこのみことじんじゃ        

石磴登來鳥語柔   石磴せきとう登り来たれば 鳥語柔らかに

水聲相和響清流   水声相和して 清流響く

古陵社殿帯苔鎮   古陵の社殿 苔を帯びて鎮まる

千歳神威遍豫洲   千歳 神威 豫洲にあまね

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 石段を皆で登ってくると、鶯の声が心地よく聞こえる。
 すぐ隣を流れる立岩川(たていわがわ)の水清く、たゆまぬ流れは鏡のごとし。

 もともと御両社は、大和朝廷の昔、この古代風早國の国造として赴任した物部阿佐利(もののべのあさり)を奉斎した前方後円墳の上に建立されており、そこかしこ古松・翠苔鮮やかに、古社の趣をかもし出している。
御鎮座千五百年を超える当社は、そのご神威すこぶる高く、伊予国全域から崇敬を集めている。

<感想>

 前半の情景描写と後半の歴史叙述の対比が鮮やかですね。「千歳」の数字が決して文学的な誇張ではなく、実際の年数を表すというのが面白い点ですね。作者からすれば、これでもまだ五百年ほど足りないぞ、ということかもしれませんが。

2006.11. 3                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第218作は サラリーマン金太郎 さんから、「万緑家郷風早吟行」の連作六首目です。
 

作品番号 2006-218

  万緑家郷風早吟行(六) 善應寺ぜんのうじ         

河野名聲四海傳   河野の名声 四海に伝わり

盛時此地恣威権   盛時 此の地 威権をほしいままにす

塔堂崩壊不看影   塔堂崩壊 影を看ず

眉雪老僧諭往年   眉雪の老僧 往年を

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 開基河野通盛(1364没)は、通有(みちあり:鎌倉時代元寇で活躍した)の末子に生まれ、河野総領家を継いだが、元弘の乱(1331)に失脚し、鎌倉建長寺の南山士雲をたより、旧勢を保つことができた。
 このとき、南山士雲の恩に報いるため、河野郷土居館を京都東福寺に擬して寺院に改築し、建武二年(1335)に河野一族の氏寺として好成山善応寺を創営した。
 通盛(法名善恵)は、南山士雲の法嗣正堂士顕を東予市長福寺から迎え開祖したが、正堂法嗣の寺として永代住持(住職)を定めた。この後、貞治三年(1364)には、諸山の列(官寺)に加えられた。
 古文書によれば、寺域を「東限鳩谷之透、南限揚岐庵過山之峰之透、西限娑婆山之透、北限土居山尾新宮山」とし、現在の大字・善応寺全域にわたり、その面積は六十町歩に及ぶ広大なものであった。 その後、善応寺は代々河野氏の帰依を受け盛観を呈したが、天正十三年(1585)七月河野氏没落と共に戦火に焼失荒廃した。
 江戸時代中期、善応寺十七世の黙翁士徹によって、将軍徳川吉宗の厚遇を受け、明智庵のあとに現在の善応寺を再建した。

<感想>

 古寺を訪れて、そこで老僧が由緒を語るという設定ですが、芳野三絶で有名な藤井竹外の「芳野」を連想させることを狙った作りでしょうね。
 六首を拝見しましたが、サラリーマン金太郎の熟練が感じられる作品ばかりだったと思います。余分な力が抜けた自然体での詩作に向かっているのは、第一作の感想でも書きましたが、故郷での朋友との吟行ということがもたらしたものかもしれませんね。

2006.11. 3                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第219作は台湾の 蝶依 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-219

  孤舟        

水草濃還淡,   

扁舟有若無。   

天長仙不遇,   

地久月同孤。   

幻出非塵世,   

巧思是畫圖。   

漁翁何處去,   

一碧認模糊。   

          (上平声「七虞」の押韻)

<感想>

 俗世(「塵世」)を離れ、一幅の絵画(「畫圖」)のような光景が目に浮かんできます。
 「扁舟」「漁翁」という配置は馴染み深いものですが、古典的な水墨画のイメージよりも近代西洋画のような思いがするのは、「水草」の濃淡、「一碧」の蒼穹の広がりのもたらす色彩感かもしれませんね。

2006.11. 3                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第220作は 翠葩 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-220

  夏山避暑        

流汗攀来立絶巓   流汗攀じ来りて 絶巓に立つ

碧岑厳角看奔泉   碧岑の厳角 奔泉を看る

道中炎熱吾何厭   道中の炎熱 吾何ぞ厭はん

快受清風別有天   清風を快受して別に天有り

          (下平声「一先」の押韻)

<感想>

 転句の「吾」のように一人称を用いる時は、「他の人と違って私は特に」という気持ちが入っている必要があります。
 この場合、作者が特別な境遇にあったというよりも、結句を先取りして、「清風を受けたこの時の私」はということでしょうか。

 日常の塵世を離れた(「別有天」)快感が伝わってくるような詩ですね。

2006.11. 4                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第221作は 徐庶 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-221

  秋晩        

孤蜩聲徹紅霞暮,   孤蜩 声は徹す 紅霞の暮れ、

叢竹影蒙白水塘。   叢竹 影は蒙ふ 白水の塘。

月上照臨千萬里,   月上りて 千万里に照臨し、

風吹合奏兩三簧。   風吹きて 両三簧を合奏す。

浮舟嘯詠敲舷棹,   舟を浮かべ 嘯詠して 舷棹を敲き、

洗盞虔恭酹酒漿。   盞を洗い 虔恭して酒漿をそそぐ。

毎日獨憂何卒卒,   毎日 独り憂ふ 何ぞ卒卒たると、

今宵始得一洋洋。   今宵 始めて得たり 一に洋洋たるを。

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 (もう秋だというのに)一匹の蝉の声が夕暮れの霞を突き抜けて聞こえ、
 群竹の影も清らかな川の堤まで伸びてきた。
(やがて)月が昇ってきて千里万里の遠くまで照らしわたし、
 風が吹いて二つ三つの笛を吹き鳴らすような音を立てている。
(そこで私は)小舟を浮かべ、(風に合わせて)放歌し、また船縁や棹を叩いて音頭を取ったり、
 杯を洗い、謹んで酒を天地神祇に捧げ(て受験の成功を祈っ)たりするのだ。
(受験勉強に)忙しくて(心のゆとりが持てないことを)毎日思い悩んでいたが、
 こんなにも心が伸び伸び出来たのは今宵が初めてだ。

<感想>

 受験生にとっては、秋の暮れというのは心が揺れ動く時ですね。頑張っておられることと思います。

 眼前の情景から少しずつ視点を広げ、自己の心情へと流れていく展開は、自然な感じです。結びの「洋洋」の気持ちとその前の「卒卒」との対比も、受験生ということで納得できます。

 第二句は孤平になっていますので、ここは気をつけましょう。

2006.11. 4                 by 桐山人



謝斧さんから感想をいただきました。

徐庶先生の七言律詩を見せてもらいました。
不注意な措辞がありますが、瑕疵はありません。
若い方だと思いますので敢て辛口になりますが、破題が弱いようです。
首聯の対句の踏み落としはよくありません。そのため、内容が冗長になっています。

2006.11. 4                  by 謝斧





















 2006年の投稿詩 第222作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-222

  謝医師郷友     医師たる郷友に謝す   

家翁一腑苦患時   家翁一腑苦患の時

疾癒正依君療治   疾く癒えしは正に君が療治に依る

郷友厚情無勝此   郷友の厚情此れに勝る無し

諸生老健負良医   諸生の老健 良医に負ふ

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 「患」は多くの辞書で仄韻(去声諌)としていますが、白川 静『字通』は上平声十五刪との両韻としていますのでそれに従いました。
 「負」の意味として、和語では「お蔭をこうむる。恩義をうける。」が広辞苑に載っており、ここではその意味に近い用法ですが、手元の4冊の漢和辞書には、この様な意味が明白に書かれたものはありません。和臭でしょうか?
 尤も「たのむ、よる」の訓はあるので、そう読めばよいのかもしれませんが。

(語注)
家翁:父親
一腑:内臓の一つ
老健:老いて猶健康なこと

<感想>

 「患」については、両韻として良いと思いますが、飯田利行先生の「韻引き辞典」などでは両韻と扱い、「災厄・うれい」の時は平声、「疫病」の時に仄声となっています。
 「負」の意味では、柳田 周さんのお考えで行けば「恩義を受ける」としたいところでしょうが、「担当する」「たのむ」の意味を持っていますから、それで意図は十分に伝わると思います。

 お医者さんへの感謝の詩は、これまでにもサラリーマン金太郎さんから「不死鳥外科入院所感」、井古綆さんから「植杏樹越智眼科」などをいただきましたね。柳田 周さんのこの詩の場合には、お友達がお医者さんということで、また別の思いが深いことでしょうね。

2006.11. 8                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第223作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-223

  列菩提寺住持尊母葬儀     菩提寺住持尊母の葬儀に列す   

細雨陰陰屋瓦濡   細雨陰陰として 屋瓦濡る

老鶯頻惜落紅芙   老鶯頻りに惜しむ 紅芙の落つるを

華経威重僧堂裏   華経 威は重し 僧堂の裏

霊魄安安冥福途   霊魄安安たるべし 冥福の途

          (上平声「七虞」の押韻)

<解説>

 威重の「重」は上記の意味からして、「重々しく、おごそか」の意であり、仄(宋)韻と考えました。「重威」という語もあり、この場合は「威を重ねる」として重は平(冬)韻になるのではないかと思います。

 七月中旬菩提寺の住持母堂の葬儀に参列した折りの作です。
寺の役員をしている高齢の父の名代として式に列し、本堂に上がって読経を聴き、焼香をしました。
 梅雨の最中で、しとしとと降る雨に屋根瓦が濡れ、何度か、鳴声を聞いた鶯は、あたかも境内の紅い芙蓉が落ちる(則ち故人)を、惜しむかのようでした。
 盆の施餓鬼会の折りに、墨書して寺へ持参したところ、額装して仏前に供えてくれました。

(語注)
紅芙(こうふ):紅い芙蓉の花
華経(けきょう):法華経
威重(いちょう):厳かで重厚なさま

<感想>

 転句の読みを少し替えました。
 前半の情景描写では、場所を寺院であることを出しませんでしたので、転句からの展開がはっとするようです。ついつい「どこの屋根」であるとか、「どこにある芙蓉」であるかを説明したくなり、それらしく匂わしたりしがちですが、ぐっと我慢をしたのが成功しているのではないでしょうか。
 そして、転句の「僧堂」の言葉で、前半の景の場所が明瞭になり、落ち着いた前半と重なって、結句の「霊魄安安」が自然に導かれることになります。
 整った良い詩で、お寺さんもお喜びになったことと思います。

2006.11. 8                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第224作は 夕照亭 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-224

  送先考帰黄泉     先考の黄泉に帰るを送る   

薫煙漠漠去天涯   薫煙漠漠として 天涯に去り

午熱収山夕暮佳   午熱山に収まり 夕暮佳なり

瞑祷明年能再会   瞑して祷る 明年 能く再会するを

慈顔浮泛慰愁懐   慈顔浮泛して 愁懐を慰む

          (上平声「九佳」の押韻)

<解説>

 3年前に亡くなった父を偲んで作りました。お盆の送り火を焚いている情景です。
「○○の××に帰るを送る」という題は、中国の詩によくありますが、現代の日本ではそういう状況はあまりないので、こういう詩で使ってやろうと思っていたものです。

 私は、父には最後まで心配や迷惑をかけてばかりで、いまだに忸怩たる思いがあり、詩ができたときには本当にしんみりしてしまいました。

<感想>

 お亡くなりになったお父さんを偲ぶ詩ですので、冒頭を「香煙」として、最初から意図をはっきりと示すのも良いでしょう。先の柳田 周さんの詩と話が違うと思われるかもしれませんが、自分の肉親への思いを直接述べているという点で違いがあり、「我慢」する必要がないでしょう。

 転句の「再会」は、誰と再会するのか分かりにくいのですが、お盆にまたお父さんが帰って来られるということでしょうか。お気持ちはよく分かるのですが、「再会」という表現で十分に伝えられるかというと、やや不安です。
 別の意味ということでしたら、すみません。また、お教えください。

 結句はお父さんへの思いがよくうかがわれます。私も幼い頃に亡くなった母への詩を以前書き上げた時に、長年放っておいた親孝行がようやくできたような、親不孝をやっと詫びることができたような気がしました。夕照亭さんの書かれたお気持ち、十分に納得できました。

2006.11. 8                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第225作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-225

  方広寺懐古        

豊公喜捨表金扃   豊公の喜捨は金扃に表れ

召集諸侯酌寺庭   諸侯を招集して寺庭に酌む

聞説武州文運地   聞くならく武州は文運の地

莫謾狸狢読鐘銘   謾る莫れ 狸狢むじなは鐘銘を読む

          (下平声「九青」の押韻)

<解説>

 鈴木先生、関東及び中部地方の諸先生方ごめんなさい。

 一昨年方広寺に行つて見ました。寺は荒れ放題勿論当時の面影はありません。有名な梵鐘をみて詩想が湧きました。

<感想>

 以前に井古綆さんからいただいた詩です。

 私の住む愛知県は徳川のご本家ですが、ご存知のように、織田も豊臣も同じ愛知ですから、みな身内のようなものですね。関東の方はムカッとするでしょうか。
 今年は大河ドラマでも豊臣秀吉が活躍していましたが、この方広寺の場面はどう描かれたのでしょうか。実は私は途中からビデオに入れ始めたため、本能寺のあたりからいつも「この前の場面を見てからにしよう」と思うと、結局は溜まるばかりという状態になっています。「いつでも見られる」という安心感がいけないのでしょうね。

 転句の「武州文運地」の「武」と「文」の対比には、井古綆さんの諧謔味が籠められているところで、結句の「狸狢」以上に、関東の方にはきついお言葉でしょうね。

2006.11. 8                 by 桐山人