2005年の投稿詩 第76作は 登龍 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-76

  雨窓餞春        

疎簾細雨及今晨   疎簾 細雨 今晨に及び

陣陣施風惱殺人   陣陣たる施風 人を惱殺す

暗淡一庭花落否   暗淡たる一庭 花落つるや否や

老鶯與我惜殘春   老鶯と我と 殘春を惜しむ

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 疎らに編んだ簾に細雨が降り込み今朝まで続き
 切れ切れに風を施し人を悩ます
 薄暗くはっきりしない庭の花は落ちただろうかどうであろうか
 老鶯と我と去り行く残春を惜しむのである



<感想>

 孟浩然の「春暁」の世界を髣髴とさせながら、過ぎゆく季節を惜しむ感情が加わり、味わいの深い詩になりましたね。

 起句の「今」は、雨が何日も続いたということを伝えたいのでしょうね。「昨夜からの雨」ということならば、「今」の字は不要でしょう。

 承句の「悩殺人」は、転句の「花落否」がその内容になるわけで、句のつながりとしては、起承転まででひとまとまりということになります。
 そのせいか、結句がやや付け足したような印象です。
 承句の「人」に、作者ではなく不特定の誰か、という一般性を持つ形で解釈すれば多少は救われますが、そうすると、承句の描写が軽くなります。ここは、おそらくほとんどの人は、「私を悩ませる」と読むはずです。
 結句の「惜残春」に主眼を置くような気持ちで、承句は風景に徹する、少なくとも「人(私)」を出さないようにした方がよいでしょう。

2005. 8. 4                 by 桐山人


謝斧さんから感想をいただきました。

 詩薮に「老杜用字入化者、古今独歩、中有太奇巧処、然巧而不尖、奇而不詭」とあります。
 句中に字眼を意識して、ひねった表現をするとき(奇字を用いて字眼とする時)、ややもすれば、尖(生硬)な表現や詭(杜撰)な措辞になりがちです。難しいところです。
「施風」は「佩文韻府」にも例がないとおもいます。ひねった表現ではあるかとおもいますが、詩的表現に欠け生硬な表現だと感じます。要するに雅でないと言うことだとおもいます。

2005. 8. 5                 by 謝斧






















 2005年の投稿詩 第77作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-77

  鶯啼序・慶賀中国漢俳學会発足茲填拙吟        

千年一衣帶水,      千年 一衣帶水いちいたいすいに,

弄風流韵事。       風流韵事ふうりゅういんじろうす。

弟蒙受、兄濟連綿,    ていは受けたり、けい 連綿としてすくう,

導流開墾荒地。      流れを導いて荒地こうちを開墾するを。

學文字、人知雅興,    文字を学んで、人 雅興がきょうを知り,

東瀛悉喜華風起。     東瀛とういん ことごと華風かふうの起こるを喜ぶ。

肆花多日本,       ここに花多き日本,

又多好吟才士。      又 好吟こうぎんの才士多し。

   ○   

先賞梅姿,        先に梅姿ばいしで,

更入櫻雲,        更に櫻雲おううんに入り,

探春光甘美。       春光の甘美なるを探る。

香雪舞、何不聳肩,    香雪こうせつ舞えば、何んぞ肩をそびやかし,

声高裁賦言志。      声高く賦を裁してこころざしを言わざらんや。

和黄鶯、晴空巧囀,    黄鶯こうおう晴空せいくうに巧みにさえずるに和し,

有白首、花間酣醉。    白首の花間かかん酣醉かんすいするあり。

送夕陽、傷感無垠,    夕陽を送れば感をいためてかぎりなく,

猶生歌思。        なお生ず 歌思かしを。

   ○   

唐人神品,        唐人の神品しんぴん

宋代詞林,        宋代の詞林しりん

元存曲藻麗。       元に曲の藻麗そうれいたるを存す。

避暑熱、看書涼蔭,    暑熱しょねつを避け、涼蔭りょういんに書を

戀慕詩国,        詩国しこく恋慕れんぼし,

梦想桃源,        桃源とうげん夢想むそうし,

枕肱午睡。        ひじを枕に午睡ごすいす。

醒来瞻仰,        醒め来たって瞻仰せんぎょうすれば,

嫦娥妖冶,        嫦娥こうが 妖冶ようやに,

我鰥月寡秋清處,     我はやもお 月はやもめにして秋 清きところ

憶嬋娟、覓句通辞理。   嬋娟せんけんの、句をもとめて辞理じりに通じるを憶う。

嚴冬飲酒,        嚴冬げんとう 酒を飲み,

凌寒呵筆游魂,      かんしのいで筆をし魂を遊ばせば,

酬答翰飛千里。      酬答しゅうとう かんは千里を飛ぶ。

   ○   

古来如此,        古来 くの如く,

萬衆披懷,        万衆 こころひらき,

共藝文滋味。       芸文げいぶん滋味じみを共にす。

但現在、忙中堪倚,    だ現在、忙しき中 るに堪ゆるは,

寸刻幽閑,        寸刻すんこく幽閑ゆうかん

短詠深情,        短詠たんえい深情しんじょう

漢俳新意。        漢俳かんぱい新意しんい

求同敬異,        どうを求めてを敬い,

相承交誼。        交誼こうぎ相承そうしょうせん。

日中騒客應傳唱,     日中の騒客そうきゃく まさに伝唱すべく,

競謳心、代代無收尾。   競って心をうたい,代々を収むるなかれ

繆斯不厭搖脣,      繆斯ミューズは唇を揺らすをいとわず,

太白天輝,        太白たいはくは天に輝き,

子規山励。        子規しきは山に励ます。



<解説>

 昨年と今年、中国の詩壇にふたつの大きな動きがあります。

1. 中国詩詞学会が「21世紀初期中華詩詞発展綱要」を定め、普通話を基礎として声韵の改革を進めることにした--つまり、詩や詞曲を普通話韵で書いていくことに積極的に取り組むことを決めました。ただし、この運動は、詩でいえば「平水韵」で書くことを全面的に否定するものではなく、「平水韵」と「新韵」の「双軌」でやっていこうというものです。

2. 3月23日に「中国漢俳学会」が発足する運びになった。名誉会長に林林氏(中日友好協会副会長)、会長に劉徳有(対外友好協会副会長)氏。中国詩詞学会が伝統詩詞(詩・詞・曲)を書く詩人の団体であるのに対し、漢俳学会は、伝統詩詞・現代詩・外国文学研究者など幅広い分野から会員を募った組織になります。「漢俳」は、「現代の定型詩」であり、伝統詩詞を書く者も現代詩を書く者もともに書きますので、そういう詩人たちを糾合する組織となっています。伝統詩詞を書く詩人は詩詞との「双軌」で漢俳を書き、現代詩を書く詩人も現代詩との「双軌」で漢俳を書きます。

 さて、わたしも漢俳を書いています。日本語はテニオハがとても難しいので、わたしには俳句は書けないという事情があるからです。そこで、同じ道を進む仲間として、中国漢俳学会の発展に刺激され日本でも漢俳を書かれる方が増えればいいなと願っている次第です。
 拙作は、そういう願いを抱きつつ中国における漢俳のますますの発展を祈念して書いたものです。17字の漢俳という短い詩型に対し詞として最長である「鶯啼序」で書いたのは、中国漢俳学会の発足を新しい鶯の啼き始めのイメージと重ねてみたかったからです。

 「鶯啼序」について
 読み下し文をご覧いただく限りでは散文詩のように思われるかも知れませんが、下記詞譜に示すとおり平仄・押韻の定めのある定型詩(宋詞)です。
 なお、○は平声、●は仄声。△応平可仄,▲応仄可平,★仄声押韻を示します。また、「(一四)」という表記は、五字句を上一下四に作ること(上二下三ではない)を示しています。

 ○○●○●●,●○○▲★(一四)。▲△●、▲●○○,●▲▲●○★。▲△●、○○●●,○○●●○○★。●▲○△●(一四),△○▲▲○★。
 ▲●○○,▲▲▲●,●△○▲★(一四)。△△●、▲●△○,△○○▲△★。●○○、△○●●,▲△●、△○○★。●△○,▲●△○,▲○○★。
 △○▲●,▲●△○,△○△●★。▲●●、▲○△●,▲●○●,●●○○,●○▲★。△○▲●,○○▲●,△○▲●○○●,●△○、▲●△○★。○○●●,△△▲●○○,▲▲▲▲○★。
 △○▲●,▲●○○,●●○△★(一四)。●▲●、△○▲★。●●○○,▲●○○,▲○▲★。○○●●,○○○★。△○▲●△△●,●○○,▲●○○★。△○▲●○○,▲●○○,●○△★。


      (新編実用規範詞譜:[女兆]普編校による)

 「鶯啼序」は、数ある宋詞のなかで最長、240字、4段18韻の詞です。初めて作られたのは13世紀。 詞としてはいささか長過ぎた(?)ためか、「詞を賦に変えてしまった」と非難する向きもあったようです。






















 2005年の投稿詩 第78作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-78

  喜遷鶯・慶賀中国漢俳學会発足茲填拙吟        

賞春花,       春花をで,

玩秋月,       秋月をもてあそんで,

騒客永歌声。     騒客 歌声を永くす。

詩國萬歳喜華風,   詩国 萬歳ばんさい華風かふうを喜び,

唐代律絶榮。     唐代 律絶りつぜつ 栄ゆ。

   ○   

宋填詞,       宋 詞をうずめ,

元制曲,       元 曲を制し,

七百年来無續。    七百年来 続くなし。

只今集会漢俳家,   只今 集会す 漢俳の家,

五七五言佳。     五七五言 なり。


<解説>

  語釈

 永歌声:舜典に「詩言志 歌永声」とある。
 填詞、制曲:中国で買った詩書には、詩を書くことは「作」るといい、詞は「填」めるといい、曲は「制」するという言い方、区別があった。
 五七五言:漢俳は日本の俳句同様、五七五に作る。

 拙作「鶯啼序・慶賀中国漢俳學会発足茲填拙吟」の姉妹作です。
 ただ、この作は、中国定型詩詞の歴史をふりかえれば、「漢俳」は、元曲実に700年ぶりに出現した新しい定型詩型だということにフォーカスしています。  






















 2005年の投稿詩 第79作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-79

  漢俳・慶賀中国漢俳学会発足恭和趙樸初先生之原玉        

華風吹再来。     華風吹いて再来す。

山櫻當續海梅開,   山櫻さんおうまさに続くべし 海梅かいばいの開いて,

又堪吟漢俳。     又 漢俳を吟ずるに堪ゆるに。

                      (中華新韵四開)


<解説>

 今日 漢俳が中国で作られるようになったのは、1980年、日本俳句訪中団(団長大野林火)を迎えての歓迎会で、故趙樸初先生が次の一首が詠まれたことが端緒となっています。

  緑陰今雨来。山花枝接海花開,和風起漢俳。

 拙作は、中国漢俳学会の発足を祝い、趙樸初先生の記念すべき玉作に酬和したものです。日本の俳句が漢俳誕生のきっかけとなり、漢俳誕生がわたしのごとき粗野な者も俳句に親しむきっかけとなるかも、そんなことを考えながらの作です。わたしはテニオハに腐心することが苦手ですので、たぶん漢俳は書き続けるが、俳句はきっと書けないと思いますが。。。
 「海梅」は熟していない言葉かも知れません。しかし、「山櫻」と対で使っていますので、海の近くの梅と理解してもらえると思います。同じ梅でも、山の梅よりも海辺の梅の方が先に咲くイメージがあります。また、桜は日本に固有のものですが、梅は海の向こうの中国からの伝来種です。

<感想>

 今回の三つの作品を読ませていただきながら、改めて、中国と日本の文化の交流と文学の流れについて、考えさせられました。
 現代においては、中国でも日本でも、詩の創作は口語による自由詩が主流です。会えて強引な表現をするならば、漢詩にしろ俳句や短歌にしろ、それらを作る人々は千数百年前の形式をもっぱら守ろうとする側に属するのに対し、口語自由詩に関わる人々は、近代以降の「新しい形式」を完成させようとしている側だと分け得るのかもしれません。
 ただ、この分類は、形式という「器」によるものであり、そこに盛るべきものは、定型詩や自由詩に関わらず常に新しいものが求められているはずです。「器も古けりゃ料理も古い」では誰も食べようとはしないし、器だけの新しさでも人は食指を動かさないでしょう。

 近代以降の詩の流れは、「新しい時代の、新しい思想や感性をどう表現するか」という問題に直面し、一方では口語自由詩という新しい器を選択しました。そして、もう一つ、伝統的な形式の中での新しい表現を求めた方向が、短歌と俳句の革新運動としてあるのですが、それが正岡子規という一人の才人によって方向性を示され、今日の存在を確立せしめたということは驚異的なことですね。短歌や俳句がその時期に、衰亡に近い状態だったことを考慮したとしても、です。
(正岡子規が漢詩の発展形をどう考えていたのか、あれだけ漢詩に造詣の深かった彼の思いについて、私は残念ながら勉強不足で知りません。どなたかご存じの方は教えて下さい)
 漢俳という新しい器が今後どう発展していくのか、それは現代の私たちが「器」に対して何を求めるか、によると言えるでしょう。新しい思想がまず在って、盛るに適する新しい形式を生み出すこともあれば、新しい形式が新しい思想や表現を生み出すこともあります。
 鮟鱇さんや漢俳の活動に関わっておられる皆さんに、期待をこめて、私もエールを送っています。

2005. 8. 4                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第80作は 中嶋咆泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-80

  清明遊如意輪堂     清明に如意輪堂に遊ぶ   

堂扉印刻尽忠盟   堂扉印刻す 尽忠の盟

無限丹心不耐情   限り無きの丹心 情に耐えず

萬朶紅花似雲表   萬朶の紅花 雲表に似たり

畳峰陽焔入清明   畳峰陽焔として 清明に入る

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 ご無沙汰しています。
久しぶりの投稿お許しください。

 吉野の如意輪寺の作です。起句、承句で楠正行まさつら公の「かえらじとかねて思えば梓弓なきかずに入る名をぞとどめん」と扉にやじりで書いた和歌の事をを詠んでみました。
 転句、結句で雲の如き咲き誇る桜と、重畳と連なる大峰、大台の山々を詠んでみました。
叙景を後ろに回しましたが、あるいは前の方が良かったかも知れません。

<感想>

 楠正行まさつらは、ご存じの方も多いでしょうが、南北朝時代を生きた人物で、楠正成まさしげの長男ですね。湊川の戦で正成が亡くなった後、南朝、後醍醐天皇や後村上天皇に仕え、楠一族を率いましたが、最後は北朝との戦で敗れました。
 父親の正成との別れの場面や、最後に弟と差し違えて死ぬ場面などが「太平記」関連の映像などではよく紹介されますが、この如意輪寺での出陣、鏃で門扉に歌を書き残した光景も有名です。
 以前から死は覚悟していた武門の家柄 今から死(戦場)に向かうから名前を書き残そうと詠んで、出陣する一族の名をあらかじめ過去帳に記させたのは、命を惜しまず戦に向かう決意を表したもの、忠臣の鑑として伝えられています。

 咆泉さんの詩では、前半に歴史を踏まえた感懐を書かれたわけですが、巧みにまとめていらっしゃっると思います。ただ、「尽忠」「無限丹心」といった言葉で正行を表現してしまうのは、幕末、勤王の時代や明治の時代の名残りの印象が強くなります。
 思想的な問題ではなく、現代人の漢詩としてとらえた時に、共感を得られるものかどうか、です。漢詩では、忠節の志、愛国、憂国を詠った作品は多く、それらは現代の私たちにも感銘を与えてくれます。しかし、例えば文天祥の「正気歌」を読んでの感動は、明治の人たちのものと平成の今の私たちのものとは異なっているのではないでしょうか。
 「尽忠」「無限丹心」の描写からは、楠正行の人間としての姿は見えてこず、天皇に忠誠を尽くした武将という一面性でくくられてしまいます。戦前に作られた詩だよ、と言われれば納得してしまいそうな印象です。
 常套句を用いる危険性がここにあると言えるでしょうか。咆泉さんご自身はこの歴史事件から何を感じられたのか、その個人としての感懐がここで窺えないのが、物足りない印象です。

 そういう点では、叙景を後に置いたことは、この詩の場合には有効でしょう。叙景の位置というよりも、叙情の位置が後半にあるとその分、感情が強調されます。先ほど問題にしたように、感懐の記述が今のままですと、ますます一面的な部分が強調されて、忠義を強要されているような感じが出てきませんか。

 久しぶりの投稿をいただいたのに、感想が厳しい言い方になってしまったかもしれませんね。詩としてのまとまりが良い分だけ、読む私の方も欲が出てしまったのだと思います。承句をご検討ください。

 尚、転句は「挟平格」ですから、平仄が崩れているわけではありません。これは、読者の方々への解説です。

2005. 8. 5                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第81作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-81

  抱慈孫     慈孫を抱く   

孫児日日太紅顋   孫児 日日 紅顋太(ゆた)かなり

迎客欣然匍伏来   客を迎へて 欣然 匍伏して来る

抱弄些疑是敏否   抱弄して 些か疑ふ 是 敏なるか否かと

常時痴笑似泥孩   常時(つねに)痴笑すること 泥孩に似たり

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

  昨年夏、二番目の孫(男子)が誕生したのですが、二番目というのはなかなか詩想が湧きにくく、今まで作詩できていませんでした。これでは、将来怨まれるかと、頑張って一首作りました。しかし、こんな詩ではかえって怨まれるかもしれませんが。
 今度の孫はまあ、母乳をガブガブ飲んで、ブクブクと太りました。いつ行っても機嫌のいい児で泥えびすのように笑っています。「お前、ほんまに賢いんか?」と戯れてみました。

<感想>

 ほのぼのとした温かい雰囲気の作品で、お孫さんの笑顔が目に浮かんできますね。
 転句の「是敏否」も、赤ちゃんの屈託のない笑顔を見ていると、つい思ってしまう親の感情ですよね。気持ちはそれとして、ここは「下三仄」ですので、そうですね、例えば「是」の字を換えて、「卿」とか「君」などの呼びかけにするのはいかがでしょうか。

2005. 8. 5                 by 桐山人


すみません。禿羊さんからは、訂正が既に届いていました。
メールの確認が足りませんでした。お詫びとともに、改訂詩を掲載しておきます。



  抱慈孫(改)     慈孫を抱く   

孫児日日太紅顋   孫児 日日 紅顋太(ゆた)かなり

迎客欣然匍伏来   客を迎へて 欣然 匍伏して来る

抱弄詼尋汝聡否   抱弄して 詼(たわむ)れに尋ぬ 汝聡なるや否やと

常時痴笑似泥孩   常時(つねに)痴笑すること 泥孩に似たり



 下三仄も解消され、「汝」の呼びかけも入っていて、意見はぴったり一致!、ということですが・・・・。
 不注意で、反省しきりです。

2005. 8.13                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第82作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-82

  成田送孫児帰美州        

鵬程萬里遠悠悠   鵬程萬里 遠く悠悠

恰若飛仙去美州   恰も飛仙の若く 美州に去る

銀翼轟音上昇盡   銀翼 轟音 上昇して盡き

唯看霄漢彩雲流   唯だ看る 霄漢に彩雲の流るるを

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 米国在住の二六の孫息子が昨暮単身帰国して正月二日成田空港で、恰も空飛ぶ仙人のように遠く去り行くさまの所感。

<感想>

 李白の「黄鶴楼送孟浩然之広陵」を意識して作られた詩ですね。友人との別れの寂しさも、お孫さんが遠くへ帰っていく寂しさも、残される側にとっては同じ重さがあるのでしょう。
 転句は「挟み平」、内容のことで言えば、題名に「孫児帰美州」とあるので分かると言えば分かるのですが、詩の方には全く出て来ないため、飛行機について読んだ詩のように感じます。飛んでいく飛行機に愛する人が乗っている、ということを暗示する表現が欲しいところです。
 また、転句の「銀翼」「轟音」は飛行機の説明としては良いのですが、作者の心とのつながりは希薄でしょう。李白の詩での「孤帆」「遠影」が別れの寂しさを投影していたことを考えると、物足りないものを感じます。
 ただ、銀色の無機質な翼や、耳を覆いたくなるような轟音の中に「現代の別れ」がある、ということに、むなしさや寂寥感を出したい意図だとすると、判断が難しいところかもしれませんね。

 前作の「自米州孫來」と併せて読むと、気持ちの面での明暗の違いもよく分かりますね。

2005. 8.11                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第83作は 一人土也 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-83

  春陰 一        

春陰雨影陣風且   春陰 雨影 陣風且(おお)く、

植閈眸望白鳥居   植閈 眸望 白い鳥居。

殿宇鮮朱瀏大坐   殿宇 鮮朱なり 瀏大に坐し、

行行小道景何故   小道を行き行き 景 何故(いかん)。

          (上平声「六魚」の押韻)

<解説>

 口語訳
  春の曇りの日、雨のあとが残り、押し寄せる風がおおい。
  木の垣からみると、白い鳥居。
  神社は鮮やかな朱色で朗らかに大きく坐す。
  小道を行ったり止ったりして周りの様子を見ていく。

1、『且(おお)い』という使い方が魚韻にあると新字源にあります。
 漢詩を作ろうのページで調べたら、出てきませんでした。
2、「白い鳥居」という言葉は和習(和臭)でしょうか。
3、殿宇は寺などの意味がありますが、神社の意味にも使っていいですか。



<感想>

 質問もありますので、考えて行きましょう。
「且」の魚韻については、「詩経」に用例があるようですね。ただ、「多い」という意味での近体詩での用例については、どうなのでしょうか。辞書に載っていても、読者に伝わらなくては困りますから、特殊な用例は避けるべきだと思います。ここは、「徐」なり「嘘」なりを用いてはどうでしょうか。
 「鳥居」は和習です。「白鳥の居」と多くの人は読むでしょう。
 「殿宇」については、「宇」は屋根の軒のことを指しますから、建物として一般的に表現するのには問題ないでしょう。日本の神社の意味でどうしても使いたいと言われると、それは素材として漢詩にふさわしくないということです。もともと文化や風土は異なるわけで、漢詩の語彙を借りて日本の景物を表現しているのですから、共有できる部分を探るしかありません。
 どうしても日本だけの特徴を出したいとなれば、日本人だけが分かってくれれば良いという詩だと割り切って作ることになるでしょう。その場合には、「鳥居」だろうが「神社」だろうが、和習も気にする必要はありません。ただ、それを漢詩とは呼びません。

 結句の「何故」「何如」の入力間違いでしょうね。

2005. 8.11                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第84作は 一人土也 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-84

  春陰 二        

春陰碧落稍冥冥、   春陰 碧落 稍(ようや)く冥冥とし、

小径徘徊越水渟。   小径 徘徊 水渟を越す。

黯靄中詩還一興、   黯靄中の詩も還た一興、

嫩寒幽巷草青青。   嫩寒 幽巷 草青青。

          (下平声「九青」の押韻)

<解説>

 春の曇りの日、天が次第に暗くなり、
 小道を歩いていって水たまりを飛び越す。
 暗いもやの中の詩もまた一興、
 うすざむい静かな町で草のみ青青としている。

<感想>

 起句は「碧落」が気になります。「碧落」は確かに空の意味ですが、「碧」の字が使ってあるだけに、「青い空」というイメージが浮かびます。それに対して「冥冥」とつくわけですので、イメージが分裂する感じがします。
 「空」を表す言葉はいくらでもあるわけですので、ここで敢えて「碧」を用いる必要はないでしょう。

 結句の「嫩寒」「うっすらと寒いこと」を表す言葉ですが、私は漠然と寒くなり始めた頃の言葉(「嫩」の字の「若い・芽生える」からつながったのでしょうね)と思っていました。高啓の詩では春のこととして使ってあるようですね。

 起句と結句にそれぞれ「冥冥」「青青」と畳字が使われているのですが、この効果はどうでしょうか、私は結句だけにした方が良いと思いますが。

2005. 8.11                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第85作は 一人土也 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-85

  春陰 三        

春陰雲幕幕   春陰 雲幕幕,

万籟驟号狂   万籟 驟(にわか)に号(さけ)び狂う。

強風絲雨揺   強風に絲雨揺れ,

転瞬意蒼黄   転瞬 意蒼黄たり。

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 春の曇りの日、雲が空を占め,
 世界中の音がにわかにさけび狂う。
 強風に糸のような雨が揺れ,
 めまぐるしく変わる天候に目を白黒させる。

<感想>

 転句の「強」「強い」の意味の時は「下平声七陽」ですので、ここは冒韻になっています。
 「風」を主語として前に持ってきて、「風は・・・・」「雨は・・・・」という形の対にした方が良いでしょう。
 現行のままですと、説明的で、天候の激変があまり伝わらないように感じます。せっかくの五言絶句のリズム感を生かしたところですね。

2005. 8.11                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第86作は 金先生 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-86

  拝地蔵尊     地蔵尊を拝みて   

難忘災禍不堪悲   忘れ難き災禍 悲しみに堪えずして

密蔦陵頭憶旧時   密蔦(みつた)陵頭 旧時を憶す。

峡水蕭蕭天寂寂   峡水蕭蕭 天寂寂、

紅顔如夢涙双垂   紅顔 夢の如く 涙双垂。

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 [訳]
 突然の事故は悲しみしか残さなかった、
 あの三津田ケ丘に通っていた君の事を、今でも思い出すことがあるよ。
 そばの二河川の流れも青い空も あの日と変わらないように、
 若い面影のままの君を思い出しては 涙が止まらないんだ。

 金先生です。私の母校にまつわる作品を一つ。
ちなみに密蔦陵という語句は、旧制中学時代のOBでもあり、長く母校で教鞭を執られた太刀掛呂山先生もよく使われた表現です。

・1985年8月1日暑い夏の日 
 広島県呉市にある山手橋そばの県道で、近くの呉三津田高校の女生徒二名が、車にはねられ一名が五日後に死亡。 放送部の全国大会に出発する前日の事でした。
 その後 遺族の方が、現場に地蔵をたてられました。以後ここでの交通事故は無いとのこと。

 今年も叉、高校の新入生がここを通い始める季節になりました。
大過無く「丘の青春」を全うしてもらいたいと思うこのごろです。
 私の五期下の生徒になります。この前後の卒業生に、看護士や助産婦になっている生徒が多いのは、やはり皆なにか感じるものが多かったのでしょうか。

<感想>

 お地蔵さんの優しい笑顔の陰には、悲しい出来事が潜んでいることが多いと思います。記憶はいつかは風化していくものですが、同じ悲しみを繰り返さないようにという願いは、消えることなく残るでしょう。
 ご自身の身辺に注意深く目を向けて詩作を続けておられる金先生には、いつも教えられるものが多いと思っています。

 身近な出来事だけに、気持ちも深く籠められているわけですが、感情過多にならないような抑制も必要です。今回の詩では、起句の「不堪悲」と結句の「涙双垂」が重なっていて、やや重い感じがします。結句は、「紅顔」が頭に来ていますので、女生徒のことに絞って、「涙双垂」という作者の感情は避けた方がよいと思います。
 「夢の如く」どうであったのか、と事件を語ると、転句の情景も生きてくるのではないでしょうか。

2005. 8.12                 by 桐山人


謝斧さんから感想をいただきました。

 読者には先生の無念の情はよく分かりますが、詩からは、解説された内容が叙述されてないので、もう一つ感興がわいてきません。
事件の具体的な叙述がないので,詩だけでは何のことかよくわかりません。

隔靴掻痒の感があります。

2005. 8.18               by 謝斧





















 2005年の投稿詩 第87作は 登龍 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-87

  花下酒筵        

香雲爛漫映清流   香雲爛漫 清流に映じ

相會舊盟乗醉謳   相會す舊盟 醉ひに乗じて謳ふ

裙屐釵光春色好   裙屐 釵光 春色好し

遣愁青眼看花遊   遣愁の青眼 看花に遊ぶ

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

<大意>
 花雲が咲き乱れ清流に映じて
 互に出会い酔いにつけ込んで思う存分に謳う
 着飾った衣装に簪の光が春景色に相応しく
 憂さを晴らす昔馴染みの友と花見をして遊ぶ



<感想>

 転句までは非常に軽快に進展していて、とても面白いのですが、結句でやや勢いがしぼむような気がしますね。
 人事と情景に対する視点のバランスかもしれません。例えば、起句と結句を入れ替えてみると、その辺りの問題点が分かりやすくなります。
 この陽気な詩の中で、一つだけ明暗の違いがあるのは、「遣愁」の言葉です。この暗さが必要なのかどうかは作者の意図と関わるわけですが、ただ、結句に置いた場合には、詩の中での重みが増します。それまで明るく描かれてきた春の景色は、実は「憂さを晴らす」ためのもの、主眼は「愁」にあるという印象になります。
 逆に、起句にこの言葉が来ると、「憂さ晴らしで来たけれど、春の景色のすばらしさに酔いしれてしまった」という感じになるはずです。
 そうした違いを意識して、言葉を選ばれると良いのではないでしょうか。

2005. 8.12                 by 桐山人


謝斧さんから感想をいただきました。

結句の「遣愁」が落ち着きません。唐突な感がします。
「愁」がなんであるかを前句で叙述しなければ、詩が散漫になると思います。

2005. 8.18                by 謝斧






















 2005年の投稿詩 第88作は 点水 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-88

  惜花     花を惜しむ   

庭前花発一株桜   庭前に花発す 一株の桜

照映書窓興自生   書窓に照映すれば 興自ずから生ず

雨打風吹紅片散   雨打ち風吹けば 紅片散ず

佳期何短覚無情   佳期何ぞ短き 無情を覚ゆ

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 今年は春先が寒かったので、桜の花が咲き出すのが遅かったためか、花のよい期間も短かかったのが残念でした。そこで、花を惜しんでつくってみました。

<感想>

 桜の映像が目に浮かぶような、流れのある詩ですね。今回は、書き下し文を見直してみましょうか。

 起句の「花発す」は、「花ひらく」と読んだ方が自然でしょう。「花」が「発す」というのは、日本語としては違和感があります。

 承句は、「照映すれば」という条件文の読み方が気になります。古典文法的に見ると、「すれば」は「已然形+ば」ですので、意味としては次の三通りになります。

  @(原因・理由)・・するので
  A(恒時)・・・・・・・・する時はいつも
  B(偶然)・・・・・・・・する時にたまたま

 どれを持ってきても、あまりピンとこない。そうですね、ここは条件文にするから、やたらと説明的な印象になるのです。普通のつながりでよいはずですので、読み方としては、「書窓に照映して 興自ずから生ず」で十分でしょう。転句との関係もありますしね。

 転句は「雨打風吹」の表現に硬さが感じられますが、それは置いておいて、書き下しを見ると、「吹けば」とやはり「已然形+ば」の読み方です。意味はやはり三通りになります。この場合には、@の原因理由で良いでしょう。
 これを「吹かば」とすると、「未然形+ば」となりますので、仮定文になります。「もし風が吹いたら」という読み方も一つの可能性ではありますね。

2005. 8.12                 by 桐山人


謝斧さんから感想をいただきました。

結句の「覚」は字眼になるとおもいます。
「覚」を色々とおきかえれば、詩意がより重層的になるとおもいます。
「覚」のままでは、詩情がひろがらないような気がします。

2005. 8.18                 by 謝斧























 2005年の投稿詩 第89作は 坂本 定洋 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-89

  病窓偶得        

劇薬身中沸   劇薬身中に沸き、

三更不得眠   三更眠りを得ず。

側聞誰訃報   側聞す、誰が訃報ぞ。

看月四回圓   月を看れば四回まどかなり。

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 入院中の作です。何もかも放り出して今年三月初めから入院を余儀なくされています。年内に決着がつくかどうか、正直不安があります。詩は薬剤を点滴で打った日の夜に得たものです。
 自分で言うのもどうかと思うのですが、少なくとも今までの自分にないぐらいにはしっかり書けていると思います。
 しかし、この詩は書いた本人ですら好きになれるものではありません。私と同じ経験をした人でも、共感以前に「思い出したくもない」と脇にどけてしまうのが関の山でしょう。
 一生に一度ぐらいなら、こんなものを書き残しても罰は当たらないかと思い、投稿させていただくことにしました。

<感想>

 入院なさってからすでに四ヶ月ということ、病気に向かうお気持ちがよく伝わる詩だと思います。
 何科に入院したかにもよるでしょうが、私も入院していた時には、訃報を聞くことが何度もありました。同じ部屋に居た方が個室へ移っていかれる、やがてその個室から名前が消える、快復しての退院でないことは分かりますから、入院している者にとっては、自分の置かれている状況を改めて思い知らされることになります。
 「三更不得眠」は、薬や病気の痛みだけが原因ではないこともよく分かります。

 こうした状況の中で詩を書くことの意味や意義は私が語るべきものではなく、坂本さんご自身がまさに向かい合っておられるものでしょう。
 投稿いただいたこの詩を掲載するかどうか、迷いは実際に私の方にありました。しかし、「投稿した」という坂本さんのお気持ちを受け止めることにしました。
 治療は大変でしょうが、頑張って下さい。ありきたりの言葉かもしれませんが、読者の皆さんも同じお気持ちだと思います。

 詩としては、転句と結句のつながりに飛躍があります。転句の「誰」「幾」とするような、結句に導く言葉を置く工夫が面白いでしょう。推敲を進めて下さい。

2005. 8.13                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第90作は 坂本 定洋 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-90

  寄看護師諸先生        

病院死生常   病院、死生常なり。

人闢ョ欲亡   人間(じんかん)、ややもすればわすれんと欲す。

不知君落涙   知らず、君の落す涙を。

宜健白衣孃   よろしく健やかなれ、白衣のひと。

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 当初は五言律詩で看護師さんたちの健闘を称える詩をと思ったのですが、対句が思うように出来ず、何となく五言絶句にまとまってしまったと言うのが正直な所です。
 観念的に過ぎるとも思いますが、広く娑婆向きと言うことであれば、これぐらいの薄めた表現がちょうど良いようにも思います。また当の看護師さんたちには、詩に込めた厳しい意味は私以上に十分承知のことです。私の敬意はそれなりに伝え得るかと思います。

 それにしても五言絶句は苦手としていたのですが、入院中は数は少ないとは言え、また、みなさんの共感を得られるかも別として、作りとしてはまあまあのものができたと思います。一方で七言絶句は全く書けておりません。思わぬ長患いの心理的な影響があるのかと思います。
それにしても、楽しい事を詩にしたいと切望するこのごろです。

<感想>

 承句の「人閨vを、起句との対で場所を表す言葉として読む(「世間、つまり病院の外では」)か、目的語として読む(「世間・世俗のことを忘れる))か、どちらとも取れるところです。
 作者は恐らく場所として書かれていると思いますが、その時には、結果として作者の視点が病院の外に置かれるため、やや理に走り過ぎた印象が残ります。看護師さんを眺めている視点はあくまでも患者(病院の中)からのものですので、承句だけが外に飛ぶのは変でしょう。
 承句で具体的な院内の事などを描かれると、後半へのつながりが良くなるでしょう。

2005. 8.13                 by 桐山人