三耕さんの下の詩への私の感想から、「空」の字についての議論が弾みました。

  磯釣          三耕

釣磯終日只海音   釣磯 終日 只だ 海音

波頭波底復浮沈   波頭 波底 復た 浮沈

世人倦世帰何処   世人 世に倦みて 何処にか帰る

空水青青相不侵   空水 青青として 相い侵さず

          (下平声「十二侵」の押韻)

<感想>

 結句の「空」の用法につきましては、以前も三耕さんがよく調べておられましたが、今回のはどうでしょうか。「空山」「空谷」「空江」などの熟語からは、どうしても「誰もいない」「空虚」という感じがします。
 頼山陽は「水天」「天連水」として、「空」の字を避けているようですね。「空」と「水」の二者を強調するのなら「空与水」とするか、読み下す時に「空と水と」とそれぞれを分けるようにすると良いかもしれません。

2000. 5.11                 by junji



 謝斧さんと、作者の三耕さんから、すぐに「空」の字についてのお手紙をいただきました。

 三耕さんの「空水青青相不侵」、面白い句だとおもいますが、鈴木先生の言われますように、結句の空に関して吟社の間では、よく議論になります。恐らくは、太刀川呂山先生がいっておられたと、記憶しています。
 「空」一字では日本語のいう「そら」、空としては、使えないということです。その他、同じ様な使われ方としては、「彷」はさまようでは使われなく、必ず熟語として「彷徨」でしか用いられないと聞き及んでいます。

 私が調べたのですが、一字で「そら」と云う作例は、李長吉の詩集にあります。

  李憑箜篌引
呉糸蜀桐張高秋 空白凝雲頽不流
   ・・・・・・・・ 空白くの 空白は秋の空

竹 
入水文光動 抽空緑影春 
   ・・・・・・・・ この場合は空ではなく 空中の意味だとおもいますが

 等があります。
 然し、これ以外、作例は無いように思いますので、知らないで使うのは勿論のこと、知っていても、使わないほうが良いと考えています。先生の云われますように、1字では、むなしいで、使用するのが、妥やかだとおもいます。

 ついでというとなんですが、一つ提案があります。
 太刀川呂山先生が、誰でも出来るようにということで、平仄を緩くしたことがあります。
 例えば、一韻到底格であれば、四仄三平(4字目を仄にして後を三平連にする)を四仄五平で(4字目を仄にして五字目を平にするだけで、そのことにより詩語表が使える)詩作する。
 7言絶句では二字目と五字目の孤平を許したことです。
 そのことにより、仄三連も、うるさくはいわれませんでした。批正は無く、仄三連と明記するだけでした。
 孤平も仄三連も、拗句で、同じ程度の病いです。孤平をゆるせば、当然の事ながら、仄三連も許さなければなりません。二松学舎では、孤平は許さないと、聞き及んでいます。当然の事と思います、然し、恐らくは、二松学舎でも、詩全体で孤平を助けるやりかたは、許していないと、おもいます。これはこれで1つの方法だとおもいます。
 私の場合、人の詩に批侫を加える場合、孤平は失声と判断して、更に推敲を促しています。

2000. 5.12                 by 謝斧



 今日は三耕です。
 ご指摘の「空水」ですが、該当個所の用字経緯を申し上げますと、只今、何度目かの「中国名詩選」(岩波文庫)を読んでおりまして、その中に確か「空水」という言葉がありまして使ってみたいと思っておりました。その時は以前の「天」「空」談義の事は全く覚えておりませんでした。
 又、今改めて拙作のイメージの中で推敲いたしますに、特に承句「波頭波底復浮沈」に人生の浮沈も重ねて見るにつけ、「天」の如き明るい響きをもつ字よりも、本来(と諸氏が言われる)「むなしい」響きをもった(文字通り発音も含めて)「空」が適すると判断します。

 ついでに今ポケットにあります「中国名詩選(中)」をめくってみますと、幸い「空水」が「そら」と「みず」という意味で使用されていた詩を確認できました。
 「鳥鳴山更幽」で有名な王籍の「入若耶渓」の第二句「空水共悠悠」とあります。「共」字によりまして明らかに「そら」と「みず」でありまして、訳にもそうありました。確か拙作にも「相」字があったはずです。(私の解釈を示しておきます=「空と水はいよいよ青くして、さらにその青は相侵さず」)

「「空」字は本来「むなしい」であり、中国では「そら」の意に用いない。和臭の典型で批正の要点である。」とはおそらく過去の高名な日本の漢学者が述べられたことを、現代でもそのまま諸氏方が提唱されているようですが、そろそろそのような偏見を取り去る時ではないでしょうか。

2000. 5.12                 by 三耕



 謝斧さんから、再度お手紙をいただきました。

  釣磯終日只海音   釣磯 終日 只だ 海音
  波頭波底復浮沈   波頭 波底 復た 浮沈
  世人倦世帰何処   世人 世に倦みて 何処にか帰る
  空水青青相不侵   空水 青青として 相い侵さず

 三耕先生が言われるように空水(そらと海)の例はありますね、私は有る無しの問題より、生硬すぎるのではないかとおもっていたのですが、古人の詩からみてもそういうことはないようです。むしろ空水と使用したほうが熟したいい詩語なのでしょう、この場合の三耕先生の使い方は適切なのでしょう。

 清渓流過碧山頭 空水澄鮮一色秋 朱熹

 然し、空1字で使用する場合より推敲しなければ生硬な感じをあたえます。韻字を除いては、多くは天を用いた方がよいと考えますがどうでしょうか。
 詩は散文と違って、より雅なる言葉をえらびます。唯だ、辞書に載っている言葉を漫然として使うわけではありません。其のために、古人の詩を出来るかぎり多く読んで、自分の詩に取り込んでいくわけですが、それが熟した言葉だと理解しています。
 今先生の詩を読んで読者の立場では晦渋な感をもちました。
 転句と結句のつながりが表面的にはありません。そこで読者はなにか寓意があるのかとかんがえます。私は浮世にながされるには疲れた。然し居所がない。私は世間に迎合したくない。あの空と水のようにが、転句と結句の意味でしょうか。
 承句はそれ以上に晦渋です。
「波頭波底復浮沈」 なにが浮沈するのかでしょうか。読者にはよくわかりません。少し舌足らずになっているのではないでしょうか。
 転句と結句から考えて寓意があるのであれば少しの説明をふくむ句作りも必要かとおもいます。読者は人生に於ける作者の浮沈と考えるしかないのですが。もう少し推敲を重ねれば、そして読者にも分かりやすくしてくれたら蘊藉のきいたよい作品になるとおもいますが、以上が私の感想です。
 勝手なことをいうようですが、お腹立ちであれば許してください。

2000. 5.23                 by 謝斧



 三耕さんから、謝斧さんへのお返事をいただきました。

 まず、作詩の狙いと致しました「深読み」をして頂きまして作者冥利につきます。ありがとうございました。「空水」談義に紛れて「読み」が軽くなってしまうことを恐れていました。
 その「狙い」とはまさにご指摘の「寓意」でございます。拙作にはほとんど何がしかの「意」を込めております。「有感」の所産であります。ちょうど作品番号 2000-55「紀念成川美術館展贈米寿後藤全久翁 」(羊羊さん)への感想でも述べおりますように叙景の中に情を込める其れでございます。本作の転句はそれ(叙景に徹する事)に耐えきれなくなった一面を垣間見せております。

 では、ご指摘に沿って辿ってみます。
 「転句と結句のつながりが表面的にはありません。そこで読者はなにか寓意がある」という読み方は発見で、又そういう仕込み方もあると学ぶことが出来ました。
 「私は浮世にながされるには疲れた。然し居所がない。私は世間に迎合したくない。あの空と水のように」
 転句はほぼどなたも同様の解釈をして頂けると思います。
 結句は難問です。実は、私も解が出せないのです。御説はありがたく拝聴いたしました。

 承句「波頭波底復浮沈」は、初稿では沖の釣舟を入れようとしておりましたが、起句「釣磯」から読者が「ウキ」なり「舟」なり連想して頂けるかなというのと、又「寓意」を込めるには具象はかえって邪魔と判断した次第です。結局、見え見えの転句から「読者は人生に於ける作者の浮沈と考えるしかない」まさにその(シナリオ)通りです。

 おそらく、「晦渋」とのご指摘は、
 一つ、結句の解釈が作者本人も解っていない。
 一つ、転句の付け方の独自性による。ものと思われます。
 ここで、独特の転句の付け方とは、まさにこの言葉の通り「起承結句に転句を付ける構成法」であります。これは、既に喜寿を迎えられた「漱石往来」の著者 山本 平 氏に伝授されたものです。

 句構成を算術に例えますと
 1(起句)+1(承句)+1(転句)=3(結句=効果)
ではなく、
 (1(起句)+1(承句))×10(転句)=20(結句=効果)
となるような転句を付けるという方法でございます。相乗効果を狙うとも言えなくも有りません。

「×10(転句)」の「×」は指数関数となれば更に良く、又「10」も「100」「1000」となれば更に良いものになります。従いまして、転結だけの単独の繋がりは自ずから希薄となり、起承結と転結を融合させて初めて全体が立ち上がってまいります。
 これは、斯波六郎氏が「中国文学における孤独感」(岩波文庫)付録「中国文学における融合性」で述べておられます「対句」の在り方を敷衍した考え方のようにも思えます。

 結句「空水青青相不侵」は、「空と水がその青を凌ぎつつ 且つ相互に侵すことのない」自然の有様に対しまして、何を学び、向後如何に処していくかというこれまでの人生における全人格的な問いとして問いのまま据えております。

2000. 5.27                 by 三耕




 お二人の「空」についてのご意見を読ませていただきました。
 お二人とも、勉強を重ねられた上でのご意見で、私のような「感じ」でものを言っている者は恥ずかしい限りです。三耕さんのおっしゃるように、私も先人の考えをそのまま鵜呑みにしているところが多く、反省しました。
 「詩を作る」ということに関して言えば、先生の教えを金科玉条、ひたすら守るような「保守主義」に行く必要はないと思いますし、新しい感慨を表すのに新しい表現が求められるのも当然のことと思います。それは詩に限らず、どのような文学・芸術でも、伝統を守るだけになったら衰退しかないという事実を歴史が教えてくれています。
 しかしながら、では、漢詩はどうなのか、という議論になった場合には、私は少し事情が違うのではないか、と思っています。もう少し正確に言えば、「現代の漢詩の状況で」という前提が必要でしょう。
 私達のように、個人として漢詩を愛好する者は、自分が漢詩を作っても誰に読んでもらえるのか、ということが常に頭から離れない難題です。
 詩を作るという行為は、誰かに読んでもらうことを前提にしています。それは、第三者の場合もあれば、明日の自分自身の場合もあり、要は誰でも良いのですが、でも、誰かが必ず必要なのです。伝えたいからこそ形あるもの(言葉)として定着させている、これは千古の事実だと思います。「表現者と鑑賞者」と言い換えても良いでしょう。
 そうした表現者と鑑賞者の両存が前提でありながら、鑑賞者が消えて行きつつあるのが、言うところの『伝統芸能』だと思います。誰も自分の表現を見てくれる者が居ない、あるいは居なくなるかもしれないという絶望的な状況の中で、創作者が相手にするのは、実は自分自身と過去の先人です。師匠、先輩の先にいる、今は居ない先人を相手に自分の芸を披露する。
 そうした苦闘と孤独の時期を漢詩も迎えるかもしれない、と私は思っています。その時のために、先人に分かってもらう表現を身につけておく、そんなこともふと思うのです。
 
2001. 8.15                by junji
























中山さんからのお手紙


冠省
 鈴木先生の「漢詩を創ろう」のホームページを興味深く拝見しております。

 今日、先生の挨拶のページを拝見しました。どのような方が、漢詩のページを開いて居られるのか興味は抱いていたのですが、学校の先生とは存じませんでした。愛知県下の高校の先生だつたんですね!
 嘗て、小生は山陽吟社の会員でしたから、山陽吟社の主催が、広島県の高校の先生だったことは覚えております。文化面に於いては、西高東低は否めない事実でしょう。事実、関東には漢詩を嗜む人は極めて少ないのです。招聘する人が少ないという事から、中國文化人も関東に足を向ける人は少ないようです。
 小生もこの点では悩んでいます。中国国内に多数の知遇を得たのに、其れを日本国内で活用できないのです。招聘するにも、個人の資金だけでは懐が持ちませんし、学生に聞かせようと言う学校すら有りません。
 さて、私事はこれ程にして、厚顔無恥な事を書かせていただきます。

 高校生の作品を拝見いたしました。多分先生がご指導なさって居られる事と思います。
 日本人が作った漢詩作品には点丸が無いようですが、現在の中国詩壇の作品は、点丸を付けることは、作詩の最低限のルールです。点丸が欠如した作品を中国詩壇に投稿しますと、表向きは評価してくれますが、内心で笑われます。
 作品にも傾向があります。細かな点は控えさせていただきますが、小生の主催する吟社の漢詩投稿欄には中国人の作品の一部が掲載されています。是非とも生徒さん方に読ませてやって下さい。

 小生は、ご年輩の方々には、この様なことは書かないのですが、将来有る若者のため、又一人でも多くの若者が、隣国との交流に心を向けてくれることを望んで、厚顔無恥を承知で書かせていただきました。





















ニャースさんからのお手紙です。


 先生いつも御世話になっています。鎌倉のニャースです。
5万人突破 ものすごい偉業ですね。おめでとうございます。
 普通のHPでこんな数字はちょっとないのでは、と思います。ひとえに先生の熱意によるものですね。
今後ともすこしくらい更新が遅れても気になさらず お身体にご留意ください。
下手の横好きですが、また投稿させて頂きます。よろしくお願いします。

2001. 9.21                 BY ニャース


 お手紙ありがとうございます。
こんなに長い間、多くの方に見ていただくことができ、本当にうれしく思います。
ニャースさんからの投稿作品もいつも楽しみにしています。
 今後もどうぞよろしく。

2001. 9.24                 by 桐山人























落塵さんからお薦め漢詩への感想も含めて、お手紙をいただきました。

 鈴木先生、ご無沙汰しております。
体調は、万全でしょうか?私はまだ腰痛が酷い状態が続いていまして、悩みの種になっています。(ひょっとして、精神からか?)

 今月のお薦めは、武帝の詩ですね。
高校時代に習いました、かすかに記憶に残っております。
大帝国を作った人間でも、さすがに老いはどうしようも無かったようで、人間らしさを感じます。

 昨今のテロで世界が揺れていますが、アフガンの戦士はかつての予科練と同じですね。靖国で神になれるところなどは、日本が神道一色(天皇を神とした)だったことを思わせます。アラブの国々は、それを数百年も信じてきたのですから、日本のようにたかだか明治からのにわか宗教とは桁が違います、きっと筋金入りでしょう。

 さて、「屈原の詩が今日まで残り、楚王の墓が只の丘」ではありませんが、解説にもあるように、今となっては、武帝よりも司馬遷の方が有名なような気がします。与えた影響たるや司馬遷の足元にも及びません。

 これからの世界がどう変化するのか凡人には推測できません。
しかし、形こそ違え、なんだか昭和初年に随分似て来たなぁと思います。

 移り行く社会の速さに、政治家や官僚、いやいや、国のシステムそのものが追いついてゆかず、絶対だとされている「法」さえもあてにならないような気がします。(法もまた人の作ったものですから)

 邦人が殺された(行方不明)と言うのに、アメリカの機嫌ばかり気にして、つくづく、日本は平和なんだと思いますと同時に、平和ボケしていると感ぜずにはおれません・・・・・今日この頃。

秋の虫たちの声がだんだん少なくなってきました。では、。


2001. 9.24                by 落塵
























鮟鱇さんからのお手紙(9/28)です。

 鈴木先生
 こんにちわ。鮟鱇です。
 50000人突破おめでとうございます。ニャースさんも書かれていることですが、先生のご努力、熱意、そしてわたしたちの駄作に対するご誠意に頭がさがります。
 小生の個人的のことで恐縮ですが、漢詩を作り始めた当初は「いまどきこんな古くさいことを始めるのはわたしくらい」などと不遜にも思っていました。わたしのペンネーム「鮟鱇」は、暗い海底で人目を避けてひとりで暮らす醜い魚に、わたし自身が共鳴したことに由来しています。
 しかし、わたしだけだというこの不遜な考え、先生のページで多くの諸先輩、仲間がいることをどんどん知り、どんどん、つまり投稿仲間がどんどん増えていくことを目の当たりにして、今は深く反省し、先生のページに投稿させていただきみなさんの仲間に加わることをわが身の励みとしています。先生、ありがとうございます。

 さて、「桐山堂」に参堂させていただきます。
 中山先生のお手紙にあります漢詩における「点丸」について、小生の思うところを書かせていただきます。なお、「,。」を付けるべきことは中山先生から教わったことで、小生も作詩にあたっては必ず「,。」を付けるようにしています。

 まず、中国で発刊されている漢詩集に掲載されている詩に「,。」がかならず付されていることは、中山先生がお書きになったとおりです。また、わたしが詩のやりとりをした中国の漢詩人の詩にも、必ず「,。」が付されています。送られてくる詩は、原稿用紙に横書きであったり、ワープロであったり、あるいは詩箋に縦書きの墨書であったりしますが、必ず「,。」があります。そして、もっとも重要なことは、詩の場合、どこが「,」でどこが「。」かがきちんと決まっている点です。
 たとえば絶句の場合、起句と転句には必ず「,」が付され、承句と結句では必ず「。」が付されます。
 これはどういうことかとわたしなりに考えました。
 絶句の場合、転句が難しいということがよくいわれます。なぜ難しいかといえば、起・承に付き過ぎては転句にならない、また、離れすぎても転句にはならない、ということがいわれています。そして、わたしたちがおちいりやすい失敗は、どちらかといえば、起・承に付きすぎてしまう失敗です。
 しかし、あなたの転句は転句になっていないといわれたとき、どれだけの人がそのことを腹に落として納得できるでしょうか?転句が起・承と離れすぎている場合はおおむね詩の全体がバラバラになりますから、まとまりがないということで理解できますが、起・承に付き過ぎているといわれる場合はまとまりがありますから、作者の内心では、なぜ付き過ぎるのがいけないかがわからない。起・承と付き過ぎてなぜいけないかといえば、おおむねは詩の全体が平板になるからですが、なぜそれを避ける変化を転句に置かなければならないかを納得するわけにはいきません。詩のまん中で変化をつけるのがまあいいのだろうぐらいの曖昧な気持ちで収めるしかありません。

 しかし「,。」を付した絶句を前にすれば、この曖昧模糊とした霧が晴れる思いがあります。絶句には起承転結がなければならないということは小生も知っていましたが、詩は2句をもって1文とするということは、「,。」によってはじめてわかったことです。つまり、絶句は、4句で1詩とする定型詩というのでは十分ではなく、2句を1文とし、その2文をもって1詩とするのではないか、起・承で1文、転・結で1文、そうであればなぜ転句で「転」じなければならないかということも腑に落ちますし、読む側もわかりやすい。
 この2句を1文とする考え、異論があるかも知れません。ただ、実作の経験からいえば、「,。」を付けながら句を考える、たとえば5絶の場合5字1単位として句を考えるのではなく、5字×2=10字1単位として文を考える方が、より能率的に句作りができるというのが小生の実感です。

 以上、言葉足らずの感もありますが、作詩実践の立場からの話としてお聞き願えれば幸いです。

2001. 9.28                  by 鮟鱇






















「秋来ぬと・・・・」

 逸爾散士です。
 藤原敏行朝臣の歌、「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」を漢詩に翻案してみました。陶潜の「夏雲、奇峰多し」も俤にしてあります。

     秋風引
 季節移来早       季節 移り来ること早く
 時時孤客驚       時時 孤客驚く
 雲峰猶夏日       雲峰はなお、夏日
 松韻既秋聲       松韻、すでに秋風

     秋風のうた
 季節、とく移り、
 おりにふれ、人驚く。
 夏空に 雲の峰
 松ならす 秋の風

 「夏夜納涼」や「秋風辞」を読んで、ひそかな季節の訪れ、秋が来る詩を詠みたくなったのですが、にわかにできないので旧作です。

 太刀掛先生の添削を示します。
  「回移密」「移来早」
  「応時」「時時」

2001. 9.29                 by 逸爾散士






















謝斧さんからお手紙です(10/8)

今日は
謝斧です。

 中山先生の御説はもっともな気もしますが、少し反論させていただきます。

 漢詩は耳で聴くところもありますが、目で楽しむ面もあります。
 我々の先達から伝えられてきた礼法もあります。
 確かに、現代の中国で出版されている詩集等は、句読点、簡体字、横書きもありますが、私は、慣れてないせいか、甚だ目障りです。当然中国の漢籍を見ますと、句読点などはありません。中国の著名な方が送られてきた詩等を読ませて頂きましたが、句読点などはありません。
 我々の先達から伝えられてきた方法と同じです。
 七律でも七絶でも、句の境はなく、連続的に続けて書きます。普通七絶では4行になりますが、3行ぐらいにします。もし批正を乞う場合は(乞わないばあいでも謙譲の意で)、詩を右に書き、署名をして、中央は空白にします。左端に郢政・斧政及び斧正と書します。これは荘子の徐無鬼篇からきています。
 当然、返り点や読み下しを添えることはしません。漢詩は日本詩ではないので、昔の字をつかいます。(読み下し文を添える場合は、日本語なので現在使われている字を使います)

 今、先生の云われていることは、日本の読み下し文に相当するものとおもわれます。
 ご承知の通り、漢文は、文の切れ目がありません。我々嘯嘯会は漢文(特に詩)の白文を読むになれていますので、強いて、七律でも七句毎に分ける必要もありません。それよりも、目で見た美しさを大事にしたいとおもいます。

 最後に、私もいろいろと現在の中国人の詩を読む機会がありますが、多くの人の詩は、(声律に於ては能く解りませんが、)日本人の詩人にくらべて、心情の表現や感興や修辞や文飾等の面で劣っているように思えます。これは声律に拘束される(優先)かもしれませんが、どんなものでしょうか。

2001.10. 8                by 謝斧






















漢詩の点丸について、鮟鱇さんから謝斧さんへ(10/9)

謝斧さん、
こんばんは。鮟鱇です。

 点丸についてのお説、拝読いたしました。謝斧さんは直接には中山先生に対して反論なさっていますが、2句1文の効用を説き点丸の有用性について踏み込んで書かせていただいたのは小生です。いささか相手にされていないようにも思われますのであえて割り込ませていただきます。

>確かに、現代の中国で出版されている詩集等は、句読点、簡体字、横書きもありますが、私は、慣れてないせいか、甚だ目障りです。

 お慣れになっていないのだと思います。簡体字、横書きはともかく、台湾で刊行されている詩集にも点丸は付されています。韓国や、アメリカやインドやカナダの華僑の詩人たちがどうしているかつぶさには知りませんが、慣れればすむことなら、意地を張らずに国際スタンダードに随えあわせた方が何かと便利だと思います。

>中国の著名な方が送られてきた詩等を読ませて頂きましたが、句読点などはありません。
 我々の先達から伝えられてきた方法と同じです。

 確かに謝斧さんのお書きになった書き方で詩が送られてくる場合もあります。
 しかし、墨跡の場合だけです。墨跡で送られてくるのは、小生の経験では最初だけ、その後は便箋に縦書きであったり、原稿用紙に横書きであったり、ワープロであったり、そして点丸が付されています。
 横書きであったり点丸がふされていることが、現代の作詩の礼法に反するものとは思えないのですがいかがでしょう。

>最後に、私もいろいろと現在の中国人の詩を読む機会がありますが、多くの人の詩は、(声律に於ては能く解りませんが、)日本人の詩人にくらべて、心情の表現や感興や修辞や文飾等の面で劣っているように思えます。これは声律に拘束される(優先)かもしれませんが、どんなものでしょうか。

 劣っているという言い方は不適切に思います。現代中国の方々とわたしたち日本人の美意識、好みが違うだけではないでしょうか。
 特徴的には、彼らの詩はわたしたちが知らない漢字、中日辞典には載っているが漢和辞典には載っていない字、つまりは現代あるいは近代の中国語を使ったり、また、表現が非常に直截であったり大袈裟であったりするようにわたしは感じています。しかし、そういうことは、わたしたちの理解や共感の範囲を出ているのだと思っています。

2001.10. 9                 by 鮟鱇




 漢詩の点丸についての意見が続いていますが、私は議論することなのかどうか、と思っています。「平仄討論会」とはやや意味合いが異なり、結論としてはどちらも仰るとおりです、としか言いようがないと思うのですが。
 短歌や俳句に点丸を付けて読め、と言うことと同じではないかもしれませんが、違和感を感じる方もいれば、自然に入っていける方もおられると思います。
 鮟鱇さんが仰ったように、自分で作詩する時に、点丸を付けることで構成が明確に把握できることを是とする場合もあるでしょうし、点丸が邪魔だと思うこともあるでしょう。
 中山さんが最初にご指摘になったのは、現代中国の方との詩の交流の際には点丸が必要だ、という点ですし、鮟鱇さんからは点丸をつけることによる効用を教えていただきました。謝斧さんのご意見も、別の視点もあるよ、と補っていただいたものと思います。
 ここから先には話題があまり深化しないようにも感じますので、「漢詩の点丸」については、このあたりでうちきってはどうでしょう。

2001.10.10              by 桐山人






















『勇気凛々瑠璃色に』

 先日、漢詩についての質問のお手紙をいただきましたので、ご紹介します。


 はじめまして。最近、日本の小説を読んでて気になった漢詩がありました。
 それは、李白の漢詩なのですが、その小説には、部分的にしか書かれてなく、調べたくても調べようがありません。そこで、もし、お知りでしたら教えていただけないでしょうか?

 こちらが、問題の李白(と思われる)の漢詩です。
     「若群玉山頭非見、、」「、、、、、会 、台月下逢、、、、、」

 このような漢詩が書かれてて、題名がわからないため、調べようがありません。(注:、、は他の漢詩が前後に続くと思われます。)

 よろしくお願いします。

   10月1日


私からは次のようにお返事しました。

 今晩は
 はじめまして。
 李白の漢詩が引用されている小説と言うことですので、もしよろしければ題名を教えて下さい。私も読んでみたい・・・・

 さて、お尋ねの件ですが、その語句を含む詩は、確かに李白の作で、「清平調詞一」という詩です。『唐詩選』では「七言絶句」のところに収録されています。詩の全体は次のようです。

  雲想衣裳花想容
  春風払檻露華濃
  若非群玉山頭見
  会向瑤台月下逢


 書き下し、意味は申し訳ありませんが、ご自身でお調べ下さい。それも小説を読む楽しみかも。
 見つからないようでしたら、また、ご連絡下さい。

 では、素晴らしい読書体験をお祈りしています。

   10月2日


お返事は次のようでした。

 こんにちわ。今回の突然の質問への返信本当に有り難うございます。
これで、ともだちにも教えてあげることが出来ます。

『勇気凛々瑠璃色に』という題名で、作者は、浅田二郎(ポっポヤ)の本になりま す。
鈴木さんが気に入ることを願ってます。

   10月8日


皆さんも漢詩の関係で面白い本がありましたら、ご紹介下さい。






















典故の使われ方について(10/9)謝斧さんからです

 七絶等、句数の少ない詩形に、自分の心情を吐露すると、どうしても舌足らずになります。そのために、典故を借りることがあります。貴サイトの投稿された詩にも典故を使われた詩がありますが、本当に使用して妥当なのかは好く解りません。

 典故を借りるときは以下の事を注意しています。
  辟典は避ける 李商隠等は出典が解らない事もあります。
  ただ典故を引用するだけで、典故にだけ語らせて、自分は黙ってしまうやり方
  あからさまに、典故を用いてるのが解るようなやり方

 典故は使っているかいないのか解らないようなやり方が好ましく、史実や古人を引用して比較する、比喩としての用い方なら好いと聞きおよんでいます。






















Y.Tさんからお手紙です(10/9)

 鈴木 先生  
 5万人突破お目出度う御座います。
 此もひとえに先生の我々、初心者に対する暖かい気配りと、分け隔てなく受け容れてくださる寛いお心があってこそ、こうした数字になったと思います。只、我々がそれに甘えて、勝手な事ばかりして、先生に御苦労をお掛けしていると申し訳なく思います。
 私の年代が、漢文と縁のなかった世代であり又、大学も理系だったせいか、周囲の友人の誰一人、漢詩に興味を持つ者が無く、一人好きで唐詩や宋詞を呼んできましたが、先生のホームページでこんなに多くの漢詩愛好家が、この愛知県にも大勢いる事を初めて知り、すっかり嬉しくなりました。
 初めて投稿させて戴いてから、ざっと一年、生来怠け者でそんなに作れませんでしたが、詩の読み方は随分変わってきて私なりに此は進歩であると思っています。
 今後も、どうか健康にご留意の上、私どもをご指導くださいますようお願いいたします。






















典故について(2)・・桐山人(10/15)

 日本では、中古末から中世にかけて、和歌の世界では「本歌取り」という技法が流行しました。
 ご存知の方も多いと思いますが、これは、誰もが知っている古歌の一節や舞台設定、主題などを借りてきて(つまり、引用して)自分の歌の中に詠み込む、という技法です。三十一文字という制限された短歌の世界を重層化し、複雑な余韻を生み出す効果を持っています。

 例えば、「新古今和歌集」巻一の後鳥羽上皇の歌
     ほのぼのと春こそ空に来にけらし天の香具山霞たなびく
 が、「万葉集」
     ひさかたの天の香具山この夕べ霞たなびく春立つらしも
 を本歌とすることは有名ですが、本歌の夕暮れの情景から発展させて、春の到来を「ほのぼのと」と朝の空気の中に捉えた後鳥羽上皇の歌は、「枕草子」「春はあけぼの」をも連想させて、スケールを大きく拡げています。
 そして、そうした創作意図は、使われた本歌が共通の教養であること、誰もが知っていることを前提としており、それ故にこその面白さと言えます。

 もう一つ、「枕草子」百二段の話を紹介しましょう。
 概略になりますが、
 二月つごもりごろに、風いたう吹きて、空いみじう黒きに、雪すこしうち散りたる頃のこと、藤原公任から
    すこし春ある心地こそすれ
 という下の句が送られてきました。「上の句を付けるように」という誘いなのですが、相手が当時一番の才人と言われた藤原公任ですから、清少納言は悩みに悩みます。
 彼女は藤原公任の句を白楽天「南秦雪」の一節
    三時雲冷多飛雪    三時雲冷やかにして多く雪を飛ばし
    二月山寒少有春    二月山寒くして少しく春有り
 から取ったものと判断しました。確かに、今日の天気と同じ。そこで、
    空寒み(空が寒いので)花にまがへて(似せて)散る雪に
という上の句を作り上げ、藤原公任に届けました。
 清少納言の気持ちとしては、白楽天の詩のこと、私は分かりましたわよ」と伝えたかったのでしょう。平安時代の貴族にとって、白楽天『白氏文集』は必読書、共通の地盤で風雅なやりとりをする、それこそが上流の楽しみでもあります。清少納言の例の得意話の雰囲気が漂いますね。

 ところが、この話の場合、実際には藤原公任は「南秦雪」を特別意識してはいなかったという説もあるのです。
 さて、そうなると、清少納言の喜びはどうなるんでしょう。自分としては『白氏文集』をつかまえたと思っていたのだが、読み過ぎ、穿ちすぎということになるのでしょうか。いやいや、それとも、藤原公任すら思いもよらなかったことを清少納言は考えついた、と評価すべきなのかもしれません。
 ただ、どちらにしても、作り手と読み手の間にずれが生まれます。

 漢詩における典故の使用は、私は、読者との共通基盤をどこに設定するか、によって違ってくるように思います。
 作者と読者がともに漢詩文への造詣が深く、ハイレベルの共通基盤による作詩の楽しみを味わいたいのなら、どんな典故を用いようが構いません。文学、芸術、学問、どんな分野でも、自分が向上すればするほどハイレベルの集団での切磋琢磨は楽しいものです。自分と同じ水準の人と一緒にいれば、知的刺激も大きいし、作品の質も向上します。ただ、それは別の見方をすれば、「分かる人だけに分かってもらえば良い」ということであり、「わからん奴は俺の詩を読む資格はない」ということにもつながります。
 それはそれで、一つの詩の楽しみ方ですし、漢詩の場合には特に宋代以降、詩が当時としては「文章語」となってしまったこともあり、古典との接点を求める意識からか、典故が頻繁に使用されるようになったせいもあるでしょう、典故の使い方そのものを楽しむという人もいるようです。
 しかし、多くの人に(特に現代において)自分の作品を読んでもらいたいと思うならば、極端に趣味の偏った典故の使用は考慮すべきだし、表現上最適だとしての使用でも、典故を意識しなくても詩が理解できる、くらいの配慮は必要ではないか、と思っています。
 「故事を知らない人でも理解できる詩、知ってる人には面白さがもっと膨らむ詩」、そういう詩を作りたいと私は思っています。勿論、漢詩作を志す人が漢詩文の勉強をするのは当然ですから、「知らない人」が知らないままでいいと言うわけではありません。しかし、現代の日本では、戦前に教育を受けた人と、戦後に教育を受けた人、大体60歳代の後半くらいが境目でしょうか、漢詩文の教養については、極めて大きな較差があると言えます。
 少しでも多くの人に漢詩を読み、味わってもらうには、専門家がその専門性に閉じこもるのではなく、より丁寧に伝える義務があるのではないか、と思います。

 このホームページに詩を掲載する時には、漢詩初心者でも理解できるように、ということを私は基本に置いているのですが、投稿されたままではちょっと難しい、と思うこともあります。でも、作者の方のお気持ちもありますから、私が勝手に注釈をつけるのは申し訳ないようにも思い、そのあたりのギリギリの線を模索しながら書いている次第です。

2001.10.16                 by 桐山人






















典故について(3)・・謝斧さんからお返事です(10/17)     この色の部分は私の手紙の引用部分です。


 ご教示ありがとうございます。興味深く読ませていただきました。まさにその通りです。

 投稿した理由は、人のことは言えませんが、貴サイトの投稿詩に、単に典故を借りて、それで済ましてしまい、後は読者に下駄を預けるような、そうした詩が目に付いたので投稿した次第です。


<誰もが知っている古歌の一節や舞台設定、主題などを借りてきて(つまり、引用して)自分の歌の中に詠み込む、という技法です。三十一文字という制限された短歌の世界を重層化し、複雑な余韻を生み出す効果を持っています。>

 おっしゃる通りです。典故を借りる第一義は、詩意を数層に包含することであると思っています。重層化することにより、言外の意が生じ、蘊藉の効いた詩、先生の云うところの、複雑な余韻を生み出す効果を得ることが出来ます。


<作者と読者がともに漢詩文への造詣が深く、ハイレベルの共通基盤による作詩の楽しみを味わいたいのなら、どんな典故を用いようが構いません。>

 これは違っていると思います。贈答詩以外は、特に貴サイトのような所に掲載されている詩を読む人は不特定多数です。そのためには僻典はゆるされません。


<文学、芸術、学問、どんな分野でも、自分が向上すればするほどハイレベルの集団での切磋琢磨は楽しいものです。自分と同じ水準の人と一緒にいれば、知的刺激も大きいし、作品の質も向上します。ただ、それは別の見方をすれば、「分かる人だけに分かってもらえば良い」ということであり、「わからん奴は俺の詩を読む資格はない」ということにもつながります。>

 此の点については、大変難しいものと考えています。
 私はかなり早い時期から漢籍に親しんでいたため、先達の詩人が使われている典故を含んだ詩は、人よりも理解が出来ます。当然の事ながら、使われている詩句を剽竊することも多くなります。そのために、詩がいたずらに小難しく、つまらないとよく云われます。しかし、決して「わからん奴は俺の詩を読む資格はない」という気持ちはありません。
 ただ、そのために、詩作に拘束されたくはありません。


<私が勝手に注釈をつけるのは申し訳ないようにも思い、そのあたりのギリギリの線を模索しながら書いている次第です。>

 此の点については実のところ感謝しています。
 そうすれば、最初から典故の出典を説明せよとおおもいでしょうが、なにかしら説明することに抵抗があります。

 典故を借りることで気をつけてることは、必ず、古人の詩人が使った典故しか使わないことにしています。これが私の辟典を避ける対策です。


<「故事を知らない人でも理解できる詩、知ってる人には面白さがもっと膨らむ詩」、そういう詩を作りたいと私は思っています。>

 一番好ましいのは、典故を利用した詩であっても、その典故を知らなくても、詩意が重層化される効果が得られるように作詩されることです。こういった詩作りを目指して居ます。古人の詩、特に杜甫の詩には多いようにかんじています。





















「詩は志と言いますが」・・謝斧さん(10/20)

 詩は志と言いますが、(舜典 書)自分なりに理解したことを言わせて頂きます。
同学の士のご教示を待っています。(以下は多くは文鏡秘府論の引用です)

 志というものは、心の内面にあるものです。詩というものは、相手に知らせる手段、外面に生じるものと、私は勝手に理解しております。
 例えば、目に対象物が入れば、対象はそのまま心に入る、心がその対象に通ずれば、対象はそのまま言葉として表出でます。
 つまり、自分の(志)心情を、相手に伝える手段が詩だと理解しています。
 叙景詩では、言外の意を含ませて、(詩中に心を開示させ、蘊藉の利いた詩にします。景に借りて志を言います。景ばかりで意と緊密に結びついていないと、筋は通るが、味わいの無い詩になります。文鏡秘府論)
 詠史では、単に史実だけを詠ずるのではなく、典故などの引用で、自分の志をほのめかします。詠物体などはとくに、その詠ずる対象物の特性を、比喩により、自分の詠じたい心情を吐露します。(凡作詩 意是格 声是律 文鏡秘府論)

 然し乍ら、詩は志といっても、直截的に志だけをいえば、風雅に乏しく、詩中になんの妙趣も無く、味わいの無い詩になります。こういった詩は、奇を衒ったように見えます。よく言う野狐外道の詩です。
 純文学の立場からいえば詩はどんなこと云っても差し支えが無いのですが、詩は風教に関するものである以上道義に反し、もしくは儀礼にもとるようなことは言ってはならぬとしています。

 ゆえに、作詩の基本は、心情にあります。心情がこもらなければ言葉も上滑りします。それに感興 詩の面白みを工夫します。措辞は麗句を以て文彩を増し、見た目を満足させ、風律によって、清韻を起こし、耳を楽せまします。
 措辞は、識見が高くても才能が乏しければ、筋道は通っても表現は稚拙になり、ぎゃくに、才能があっても、識見が欠けて居れば、句作りはみごとでも、味わいの乏しい詩になります。以上のことは、詩の鑑賞するときにも言えると思います。

最後に
 劉禹錫は、聖人人心を感じ、而して天下和平、人心を感じるは、情より先なるはなし、言より始めなるは無し、声より切なるは無し、文より深きは無し、故に詩は和平を貴び、人をして暁り易からしむ、温柔敦厚は詩の本教なりとも云っています。






















「空」の字義について(2)・・中山逍雀さん(10/24)

 三耕先生の「空」の字義に付いて、小生のWavePageに小論を載せてありますので、転載し、其の任に換えます。

白と空
 “白”は「白い」「何もない」から、副詞として用いられるとき、結果に対して予期した成果や対価が得られずに「無駄に(・・・)する」或いは「むなしく(・・・)する」の転義を持つ。
 “空”は「空っぽである」「内容がない」から、やはり副詞として用いるとき「無駄に」「むなしく」の転義を持つ。
 ただ両者には微妙な相違があり“空説”“空講”は話し手の話し方や内容に問題があり(内容が伴わない・口先だけである)、“空”は行為の内容に問題があるため、予期した結果や成果が得られないことで有り、行為そのものに話し手のウエイとが置かれている。
 これに対し、“白説”“白講”は話し方やその内容よりも、聞き手側に問題がある事を表し、“白”は行為の内容よりも既に出ている(あるいは出るであろう)結果に対して成果が見られず、その行為が無駄に終わったことをあらわす。

    空忙一天    一日無駄骨を折る
    白忙一天    一日無駄骨を折る

 両方とも同じに訳せるが、内容に置いて微妙に異なる。






















「現代中国韻について」・・謝斧さん(10/25)

 最近では中国の詩壇と交流が盛んになり、ある京都の吟社「一衣帯水」でも、現代の中国語で漢詩を作っているようです。私は以前から斎藤荊園博士の漢詩入門で漢詩の作法を学んでいましたので、幾らか疑問が起こりました。
 同学の士の意見を拝聴したく思っています。
 以下は斎藤荊園博士の漢詩入門の引用です。

 漢字の原音というものは、現代中国の華音のことではない。
 中国語を知らないと、漢詩は作れないと思っている人があるがそれは見当違いである。現代中国の白話詩(口語体の自由詩)を作るには、現代の中国語に精通しなければならない。
 しかし、いわゆる漢詩は中国にも日本にも継承されている、共有財産であって、単なる外国語ではない。しかも、この古典語の発音は、唐を標準として、出来る限りその発音を尊重して後世に継承され、維持されてきたものである。あたかも地方の方言の発音が空間的に種種雑多であっても、標準語の発音で統一されるように、時代によって絶えず変化して行く口語の発音に拘わりなく標準発音として時間的方言を超越統一性を保ってきたわけである。だから、そのことを理解していないと唐詩の韻律も判らなければ、作詩する場合の押韻の意味の意味も判らなくなる。
 現代の中国語は北京官話が標準になっているが、これは、蒙古族が中国に侵入し、一時天下を征服して元朝を建てたとき、言語に大混乱を起こしたものと考えられる。だから、四声が乱れ、それ以前にあった、入声等も消失してしまっている。それが、更に満州の異民族である、清朝の統治を受けて、三百年を経過し、完全に洗練された結果、本来の中国語は非常な変化を蒙った。
 だから。現代の中国語の北京官話で唐詩を読めば、韻律は一向に判らなくなってしまう。
 我々は韻書をたよりに目によって韻律ぼんやり理解することができる






















「詩は志」について・・鮟鱇さんから謝斧さんへ(10/25)

 謝斧先生の風雅・妙趣・風教の論、漢詩を愛する方の言としてひとつの見識であると思います。
 しかし、今の時代にあって、インターネットという新しい手段を使い、みんなで漢詩を創ってみようという場のお話としては、少々、門戸を狭いものにしはしないかと危惧します。

 わたしは、風雅・妙趣・風教を否定しようとは思いません。というより、わたしにできないが人にはできることを、否定しようとは思えません。
 ただ、「直截的に志だけをいえば、風雅に乏しく、詩中になんの妙趣も無く、味わいの無い詩」といわれますと、わたしが面白いと思ってきたものはいったい何なのか、と考えます。
 わたしにとって同時代の方の詩は、まずこの時代に漢詩を書く人がともにいるということがうれしいし、そういう方々がどういうことを詩にしたいとしているのか、その詩材の発見が面白いし、そういう発見の努力に共鳴します。選者によって選ばれるということのないインターネット詩壇には新しい詩材がたくさんあります、しかし、そういう新しい詩材は、まず直截に志(思うこと)を書かなければ、なかなか相手に伝わりません。

 平仄・韻のある中国詩は、それを踏まえさえすれば、どのような散文をも詩に変えることができます。だからこそ、特別な才能や見識など問題とせずとも、「誰にでも書ける」のです。
 わたしは、謝斧先生と立場は違いますが、それでも詩を愛しています。「誰にでも書ける」を愛しています。しかし、今の時代、誰もが詩を書いているわけではない、むしろ詩を書く人は、何も漢詩に限りません、とても少ない、なぜなら、多くの人々が、詩を書くには、特別な才能や見識が必要だと思っているからです。

 才能や見識がなぜ議論されなければならないかといえば、「よい詩を書く」ということがあるからでしょう、そして、現代において詩を書く人がとても少なくなっているのは、書く以上はよい作品を書いてもらわなければ困るという行き過ぎた批評が、思うことを素直に言葉にして伝えたいという昔は誰にでもあったはずの自由を抑圧しているからです。
 よい作品云々の前に、どうすればみんなが詩作りを楽しめるかということをわたしは考えたいと思います。

                             (お詫び:一部、主宰により修正しました)