高校生の創作漢詩のコーナーです

 以前に掲載していました高校生の創作漢詩、形式としては韻を合わせただけですが、漢字で心を表現するという試みとして生徒達は取り組んでくれました。新鮮な表現、感覚がつかめるかとも思いますので、独立したページとしました。
 生徒の作品と、それへの私の感想を添えます。



落葉散地面   落葉地面に散り
風吹季節行   風吹きて季節行く
吾今決断時   吾今決断の時
惜別離故郷   別れを惜しみて故郷を離る
                      (下平声八庚)


初詣北風冷   初詣 北風冷たく
合掌飲甘酒   合掌して甘酒を飲む
我祈必合格   我必ず合格せんことを祈り
籠心買御守   心を籠めて御守りを買ふ
                      (上声二五有)


右の二編の漢詩は本校の三年生の創作したものである。初めのものは男子、高校卒業と共に他県に進学を希望しているのであろうか。新たな人生への決意の込められた詩である。二つ目は女子、やはり入試を前に、神仏に合格祈願をする姿。「甘酒」とか「心を籠めて」という言葉に女性の柔らかさがよく出ている。平仄や漢文法との照合などはこの際置いて、高校生の「今」の心情が表現されていると私は思うのだが、いかがだろうか。


雪降胸高鳴   雪は降りて胸高く鳴り
人皆出外遊   人は皆外に出て遊ぶ
時移雪静溶   時移り雪静かに溶け
春風桜花流   春風に桜の花流る
                      (下平声十一尤)

女子の作品。一首に二つの季節を詠み込む伝統表現に則り、ゆったりとした時の流れを感じさせる。「風」に「花」が「流れる」という結句の言い回しに独自の感覚が見られる。


朝陽齎日始   朝陽日の始まりを齎(もたら)して
東風告冬凋   東風冬の凋むを告ぐ
吾心猶稚子   吾が心猶ほ稚子のごとくして
惟旦眠春宵   旦(あした)を惟(おも)ひて春宵に眠る
                      (下平声二蕭)

男子の作品。この前にもう一首、「今宵眺月影 照映緋色光 吾憂自器小 哭明望朝陽(今宵月影を眺む 照り映えるは緋色の光 吾憂ふ自らの器の小さきを 哭き明かして朝陽を望む)」という絶句も作っており、大きな自然の中で自分という人間を見つめる若者の目が輝いていよう。


春朝不造影   春の朝は影を造らず
屋根子雀遊   屋根には子雀遊ぶ
胸中光不入   胸の中光入らず
地上足進憂   地上では足が憂に進む
                      (下平声十一尤)

女子の作。「受験がいやだなーという思い」という自注が付いている。結句の語順がおかしいが、起句の「春の陽光の柔らかさに自分の歩く影もかすか」だという捉え方は秀逸。こんな表現に出会うと、枯渇しかかった自らの感性を恥ずかしく思うと共に、教師の楽しさも感じる。


日昇草木茂   日は昇り草木は茂る
影落緑風流   影は落ちて緑風流る
友犬今至死   友である犬今死に至る
思昔忽深愁   昔を思へば忽ちに愁いを深くす
                      (下平声十一尤)

女子。語句を若干直したが、愛犬の死という出来事を自然の流れと対比させながら率直に表現している。「緑風流れる」季節がくる度に、これからもきっとこの愛犬を思い出すことだろう。日常の中での様々な事件をこうして表現できるならば、実生活に即した身近なものとして漢詩が捉えられ得るだろう。


我憶真夏日   我憶ふ真夏の日を
地乾水不足   地は乾き水不足
投走追白球   投げては走りて白球を追ふ
何為忘暑酷   何為れぞ暑酷を忘れんや
                      (入声二沃)

男子。野球部員として部活動にはげんでいた頃を思い出しての作。韻を合わせるために「酷」の字を後に持ってきたが、かえって「夏の暑さの厳しさ」がよく表されたのではないか。自分の励んだ体験を忘れずに、それを生かしてこれからもがんばるぞ!という決意が結句の反語表現からしっかりとうかがわれる。もう一つ、野球関係のものを。


風下六甲山   風は下る六甲の山
気上甲子園   気は上がる甲子園
彼率猛虎軍   彼率いるは猛虎の軍
求勝燃闘魂   勝ちを求めて闘魂を燃やす
                      (上平声十三元)

男子。ここでの「彼」とは現在は「吉田監督」のことらしいが、このまま甲子園球場での応援歌になりそうなリズムは、起句承句での対句がもたらすものか。


秋来紅映葉   秋来たりて紅葉に映ず
揺風落下葉   風に揺れるは落下葉
集葉成焚火   葉を集めて焚き火と成る
皆食熱焼芋   皆で食す熱き焼き芋
                      (入声十六葉)

林間で紅葉を焼いて酒を煖めたのは中唐の白居易であるが、現代では焼き芋の方がまず連想としては浮かぶ。「皆食熱焼芋」のために紅葉を集めた光景を見て、果たして高倉帝がやはり「風流」と見るかどうかは知らないが。

「花より団子」の年頃ばかりではなく、切ない恋の年代でもある。授業であるから書きにくいのか、数は少なかったが、相聞歌も一つ載せておこう。女子の作品。


冬夜我憶君   冬の夜我君を憶ふ
寂空輝星流   寂空輝星流る
涙落部屋隅   涙落つ部屋の隅
再会独祈求   再会独り祈り求む
                      (下平声十一尤)

やや感傷的ではあるが、詩でなければ言葉にはならなかった心境ではないかと思う。こんな気持ちに昔なったなぁ、とこれは私の感傷。


冬厳草木枯   冬厳しく草木枯れ
恋春桜花望   春を恋ひて桜花望む
吾今超腰痛   吾は今超腰痛
嗚呼寒早行   嗚呼寒さよ早く行け
                      (下平声八庚)

軽く作ればこんな感じか。男子の作だが、「超腰痛」の口語表現が面白い。


風冷吐息白   風は冷たく吐息白く
雪降積枯枝   雪降り積もり枝を枯らす
桃花満梢頃   桃花梢に満つる頃
親友将別離   親友将に別離せんとす
                      (上平声四支)

やはり三年生。間もなく訪れる春は友との別れの時でもある。冬の寒さに耐えながら自らも巣立つ日をふと思う。誰もが晴れやかに卒業を迎えてほしい。