投稿漢詩のコーナー

 このホームページに投稿して頂いた創作漢詩を紹介します。
 「初めて創った」という方もいらっしゃれば、20年以上のキャリアをお持ちの方もいらっしゃいます。でも、自己の表現手段として漢詩が大好きだという方々ばかりで、皆さん、漢文学にも造詣が深く、素晴らしい詩がいっぱいです。
 ご覧になって、それぞれの詩に対しての皆さんの感想も、是非、お聞かせ下さい。


 13・14作目は岡谷市の 京祥 さんからの作品です。
 1年前の中国での生活を思い出しての詩だそうです。このホームページへの投稿は初めてですが、味わい深い、秋にふさわしい作品をいただきました。

作品番号 1998-14

聴秋霖中青蛙鳴有感     秋霖の中青蛙鳴くを聴きて感有り    京祥

去年今日在燕京   去年の今日燕京に在り

難忘夕暉天半甍   忘れ難し夕暉天半の甍

空負秋霖吟倦処   空しく負ふ秋霖吟倦む処

青蛙和気二三声   青蛙気を和する二三声

              (下平声 八庚)

<解説>
 天候不順の中、想い返せば去年のいまごろは、北京に滞在していました。夕日が故宮の屋根を赤く染めるその光景は忘れられません。
 また外に眼をやれば今も秋雨がしとしとと降り続き、気は晴れませんが、時折庭の植木で鳴く青蛙の声が少しは心を和ませてくれるものですね。




 13・14作目は岡谷市の 京祥 さんからの作品です。
 1年前の中国での生活を思い出しての詩だそうです。このホームページへの投稿は初めてですが、味わい深い、秋にふさわしい作品をいただきました。
作品番号 1998-13
  中秋名月    中秋の名月  京祥

明鏡満天秋色昌   明鏡満天秋色昌(さか)ん

西流河漢遠望郷   西流河漢遠く郷を望む

弧身漂渺故園夢   弧身漂渺(ひょうびょう)故園の夢

旧恨新愁促月光   旧恨新愁月光を促す

              (下平声 七陽)

<解説>
 昨年中秋節を中国の北京で迎えました。中国では中秋節を家族みんなで盛大に祝います。異国で見る月はとても見事でした。
 月を見ながら月餅や御馳走をみんなで食べている人々の中に、遠く遙か蘭州より来ている、まだあどけない女子服務員が一人、誰もいなくなった庭に出て、遠く満天の月を眺めていました。その後姿が寂しげでした。

<感想>
 個人的なことになって申し訳ないのですが、今年の中秋の名月を私は病室で眺めることになってしまいました。
 9月の終わりに体調を崩して、そのまま入院。決して美味しくはないけれど、ま、それなりに病院の食事にも慣れてきた頃、夕食にお団子がついたのが中秋の名月の日でした。
 病院の窓ガラス越しの名月は、幸いにも雲が消えて美しかったのですが、やはり、自宅で家族と見たいものだと思いました。
 さて、10月8日に退院をしましたら、京祥さんから詩を頂きました。私のあの時の気持ちがまさにそのまま言葉として表されているようで、とても感動しました。ありがとうございました。

                     by junji
1998.10.11




 12作目は 嶺上 さんからの2作目です。
 読書の秋、気が付くと既に夜半、でもまだ読み足りないし眠るのも惜しい、そんな季節です。
 秋の夜長、じっくりと詩を作るのも良いですね。

作品番号 1998-12

  秋夜讀書      嶺上

獨夜寒燈盡   獨夜寒燈盡き

三更轉粛然   三更轉(うた)た粛然

窓瞻無一靄   窓より瞻(あふぎみ)れば一靄と無く

月白風清天   月白く風清きの天

隔樹滔光冷   隔樹光に滔れて冷やかに

庶叢濡露鮮   庶叢露に濡れて鮮やかなり

今宵興洌洌   今宵興洌洌たり

坐愈絶韋編   坐して愈(いよい)よ韋編を絶たん

              (下平声一先)

<解説>
 数年前に作った作品ですので、どことなく気負いが感じられる詩だと今読むと思います。律詩に挑戦してみようとしたのですが、詩の長さに力が負けたかな?とも感じます。皆さんのご批判をお願いします。
 最後の「絶韋編」は『史記』にある孔子の故事「韋編三絶」からの引用です。孔子の時代は、書物は竹や木を細く切った木簡に字を書き、なめし皮(韋)で編んだそうです。孔子はそのとじひもが何度も切れるほど書物を熟読したと言われます。
 現代の私たちは、書物も使い捨てのようにしていて、同じ本を何度も読み返すことをしなくなって来ていますね。それだけ惹き付ける書物が稀ということもあるでしょうが、時間を喪失したことの方が原因としては大きいかもしれません。
 せめて秋の夜くらいは、じっくりと本に向かいたいと思いました。

                     by junji
1998.9.17




 11作目は 風塵翁 さんからの作品です。

 風塵翁さんは、このホームページへの投稿欄での記念すべき第1号の方です。2度目の投稿は秋保温泉に行かれた時に作ったものだそうです。
 今回は特に、推敲の過程が分かるように、初めに送られた初稿とその後の二稿目・そして最終稿の3詩を載せました。徐々に詩が深まっていく様子を参考にして下さい。
 初稿・二稿・最終稿、それぞれについての感想をいただけると有り難いです。

作品番号 1998-11-1

  游秋保宗園 (初稿)    秋保宗園に游ぶ  風塵翁

曲水八千畝   曲水八千畝

清閑在一心   清閑一心に在り

湯池浴愁忘   湯池浴して愁ひを忘れ

憾別更身沈   別れを憾んでは更に身を沈める

<解説>
 この夏の終わり、仙台市郊外の秋保温泉の茶寮宗園に夫婦で宿泊したときにつくりました。八千坪の庭園の静寂をひとり占めしたような、ゆったりした気分に浸り、帰るのが心残りで何時までも湯につかっていたいと思いました。

<感想>
風塵翁さんからこの詩をいただいて、私の方からは次のような感想を送りました。

 投稿ありがとうございます。前回の「秋日下漓江」を頂いてから、もう三ヶ月が経ったのですね。風塵翁さんがこのHPに最初に投稿して下さった、あの時の感激をまた思い出しています。
 さて、新作の方ですが、できるだけ早くHPの方に掲載する予定ですが、転句と結句について、少し気になりますので、考えてみて下さい。
 文法的に「愁忘」と「身沈」はどちらも目的語が前に来てますので、書き下し文のようにするのでしたら、「忘愁」と「沈身」となった方が自然でしょう。又、「愁忘」と「憾別」はどちらも心情を表す語で、内容的にも似ていますので、結句の頭を「忘愁」にして、転句の後半部分を直したらどう でしょう。温泉そのものの様子や情景を詠うのも良いと思います。


風塵翁さんからは、すぐに次のように送られてきました。

作品番号 1998-11-2

  游秋保宗園 (二稿)    秋保宗園に游ぶ  風塵翁

曲水八千畝   曲水八千畝

清閑在一心   清閑一心に在り

湯池煙上雨   湯池煙上の雨

惜別更深沈   別れを惜しみて更に深く沈む

              (下平声十二侵)

<解説>
  直してみました。転句を指摘のように情景にしました。露天風呂に降る雨のつもりです。「煙下雨」より湯煙を見上げる感じの方が結句との対比上いいと思い「煙上雨」にしたのですが。結句は「更沈身」にすると身と心で韻が違うので迷った末の決断です。それでも深と沈が同韻なので、いいのかなと不安です。日常に戻りたくないと言う気持ちが湯の深みに深みにと身を誘うと言いたいのですが、いかがでしょうか。
<感想>
 2稿目については、私の感想は次のようでした。

 2首目についての感想ですが、「雨」を入れたのが良かったかどうか。前半が広く大きな情景を眺めていますので、雨の字が使ってあると、「おや、いつから降り出したのかな?」という印象を受けますね。「夕」とか「暮」ではどうでしょうか。
 「深」と「沈」の同韻は構わないと思いますが、「沈む」という言葉がやや直接的というか具体的過ぎるような気がします。余韻を残す形になると面白いと思います。あと、地名を入れるのもいいかもしれませんね。


風塵翁さんからは、更に3稿として次の詩が送られてきました。


作品番号 1998-11-3

  游秋保宗園 (三稿)    秋保宗園に游ぶ  風塵翁

曲水八千畝   曲水八千畝

清閑在一身   清閑一身に在り

湯池催午睡   湯池は午睡を催し

覚不識昏晨   覚めて昏晨を識らず

              (上平声十一眞)

<解説>
 いろいろやっておりまして疲れました。結局、これにします。
 温泉に入って昼寝をして、どれくらい寝たのか。夕方なのか朝になったのか。のんびりしたものでした。
 ご指導ありがとうございました。感激が得られたら、またつくります。

<感想>
 秋保温泉は、私が10年ほど前に行きました。仙台の大学に卒業生が在学していたので顔を見に行き、その後、秋保まで足を延ばしました。春先のことでしたが、自然に包まれた落ち着いた所と覚えています。
 3稿目で韻字も変えられたようですね。
 初稿・2稿に見られた「憾別」「惜別」の言葉は無くなりましたが、十分心情は伝わる表現になっていると思います。このように、間接的に主情を表現することも詩の面白さですよね。情景的にも、それほど時間的な飛躍もありませんし、五言絶句らしいすっきりした内容だと思います。次は七言で作ってみても面白いと思います。
 お疲れになったと思います。ありがとうございました。

                     by junji
1998.9.23




 10作目は埼玉の 游惟 さんからの作品です。

作品番号 1998-10

  紫羅蘭(すみれ)      游惟

不期逢遇見   期せずして逢遇し見えた

香港紫羅蘭   香港紫羅蘭

凛凛堪溽暑   凛々として溽暑に堪え

婉然彩久安   婉然たる彩久しく安し

              (上平声 十四寒)

<解説>
 今年の春、三年余の香港勤務を終え、香港を去る際に作りました。 
bu qi feng yu jian, xiang gang zi luo lan,
lin lin kan ru shu, wan ran cai jiu an.

<感想>
 私は花に詳しくないため知りませんが、「香港紫羅蘭」という種類があるのでしょうね。あでやかな花が想像され、感動がよく表れている詩だと思います。
 表現としては、起句の「逢」「遇」「見」が意味的に共通していますので、やや繰り返しが気になります。五言絶句でもありますから、重複を避けた方が良いかもしれません。
 転句の「凛凛」は、植物に使った場合には冬の厳しさに堪える意味の方が一般的のようです。結句の「婉然」のしなやかさとの調和から見て、可憐さ・健気さを表す言葉にしてみたらどうでしょうか。

                     by junji
1998.8.25




 9作目は 河東 さんからの作品です。
 河東さんは10数年前に中国から来日なさったそうです。「漢詩の創作は難しく、日本人にとっては外国語でもあり、なおさら難しいことだと思いますが、(このホームページの)皆さんの詩を拝見して、レベルの高さに驚きました。漢詩の普及を推し進める熱意と皆さんの造詣の深さに頭が下がります」との言葉を頂きました。
 送っていただいたのは自作の白話打油詩(「白話詩」は押韻や平仄の制約から離れた自由詩・「打油詩」は口語や俗語を用いた詩です)です。

作品番号 1998-9

青島出差        河東

青島停留十数天、
匆々来去未能閑。
会談席上当通事、
招聘場中任考官。
甘美佳肴増体重、
繁忙俗務減酣眠。
多聞斯地山河秀、
惜与観光太少縁。

              

<感想>
 白話詩の規則を詳しくは知りませんし、何よりも本場中国の方の詩に感想を述べるなんてのはおそれ多いこと限りないのですが、他の方の参考にもなると思いますので、唐詩(近体詩)の感覚で感想を述べます。
 押韻につきましては、「天・眠・縁」が下平声1先に属しますが、「閑」は上平声15刪に、「官」は上平声14寒に属し、近体詩では違う韻目として考えます。
 しかし、「通韻」(古詩で用いられますが、似た発音のものは同韻として認めるという規則)から見ると、全て通韻の範囲内ですね。
 少し感想から外れますが、この「通韻」の詩では杜甫の『石壕吏』が参考になると思います。冒頭の4句を引用しますと、次のようです。
 暮投石壕村
 有吏夜捉人
 老翁踰墻走
 老婦出門看
 押韻しているのは、1,2,4句の末ですが、それぞれの韻を調べますと、「村」は上平声13元に、「人」は上平声11真に、「看」は上平声14寒に属します。つまり、全部別々の韻目に属するのですが、「通韻」として使われています。
 通用の範囲を全て書くわけにはいきませんが、河東さんの『青島出差』も杜甫の『石壕吏』も同じ通用範囲で、これは上平声11真から下平声1先までを認めています。さて、感想に戻りましょう。
 せっかく山河に秀でた青島に何日も来ていながら、観光する時間もなく、慌ただしく去らねばならない河東さんに同情すると共に、でも、ほほえましくもあり、作者の気持ちが分かりやすく表現されていると思います。
 私などは、唐詩を作ろうとすると、つい難しそうな内容にしようとしたり、深刻な描写を使いたがり、「外国語で詩を書く」欠点をそのまま出してしまいます。河東さんのように、その時その時の気持ちを素直に表現できたら素晴らしいと思いました。

                     by junji
1998.8.16




 8作目は愛知の 偸生 (とうせい)さんの作品です。
 偸生さんは私にとって、職場の大先輩です。信州に行かれた折の詩だとのこと、このホームページにいただきました。

作品番号 1998-8

信州扉温泉       偸生

病翁偶復到山湯   病翁偶(たまた)ま、復た山湯に到り

急雨三更泪骨創   急雨の三更に、骨創を泪(しず)めたり

嶂暗雲低泉韻静   嶂は暗く雲低(た)れて、泉韻静(しず)もり

吹紛噴汽峡風涼   噴汽を吹き紛(みだ)して、峡風涼し

              (下平声 七陽)

<感想> 
 山深き温泉、谷を抜けてくる風、静かに流れる水の音、身も心もゆったりとする温泉の風景が目に浮かぶようです。
 私もこの夏に、郡上の北にある温泉に出かけ、露天風呂に入りながら山気をいっぱいに吸ってきました。5月に痛めた足首の捻挫も、長年の肩の痛みもふっと取れたような気がしています。

                     by junji
1998.8.13




 7作目は、愛媛県の 浜田 松哺 さんから頂きました。
 漢詩歴27年の大ベテランの方です。このホームページを励まして投稿して下さいました。ありがとうございます。

作品番号 1998-7

  緑陰偶作

緑陰覆尽路叢傍   緑陰 覆ひ尽くす路叢の傍ら

前嶺鵑啼風又涼   前嶺 鵑啼いて風又涼し

来憩老農猶矍鑠   来り憩ふ老農 猶矍鑠(かくしゃく)

秧田畝畝絵紋蒼   秧田 畝畝 紋を絵いて蒼し

              (下平声七陽韻)

<解説>  緑の木陰にすっかり覆われた道端の叢に坐していると、前の山ではホトギスが啼き、吹く風も殊の外涼しい。
 一休みにやって来られた年老いた農夫は、猶矍鑠としておられる。
 ご自身が作っておられるのであろう田圃は、一枚一枚、美しく風紋を画いて青々と広がっている。

 若い人達に漢詩創作を普及しようという先生のお志に敬意を表したく、投稿しました。ご批正をお願い致します。先生のご尽力に対し、心からの敬意を表する次第です。
(私達は韻字と同韻の字を押韻以外にも使っております。また、下三連は平仄を問わず禁じております)

<感想>
 ゆったりとした初夏の午後、広々とした田園の風景が目に浮かびます。
 承句の「又」の字が、その前の「前嶺の鵑の啼き声」と対応して、「更に一層涼しさが増す」感じをよく出していると思います。
 松哺さんの言われる同韻字は結句の、稲の苗の意味の「秧」の字ですね。同韻は禁じている所も多いと思いますが、「平仄よりも意味を優先」という鉄則もありますので、あらかじめ同韻ということを承知の上ならば構わないと思います。
 投稿ありがとうございました。このホームページへのご意見も、又お寄せ下さい。

                     by junji
1998.7.30
 



 6作目は愛知県の 嶺上 さん、45歳、男性の方の作品です。

作品番号 1998-6

  春窓聴雨

春烟濛曖寺庭昏   春烟 濛曖として寺庭昏(くら)く

林樹花稀幽草繁   林樹 花稀(まれ)にして幽草繁し

一夕閑窓人語絶   一夕 閑窓 人語絶え

蕭蕭細雨洒柴門   蕭蕭たる細雨 柴門を洒(あら)う

              (上平声十三元)

<解説>  「春窓聴雨」という題で作りました。雨の音を聴く、となると、起句承句で外の景色をあまり描写するわけにもいかず、聴覚(音)で行くか、嗅覚(香)で行くか、随分迷いました。結局視覚に落ち着いてしまったのですが。
 結句は「新知蕭雨灌柴門(新たに知る蕭雨柴門に灌ぐを」と、題の「聴」を意識して最初は作りましたが、無理に「聴」を意識させる「知」の語を入れなくても伝わるかと思い、直しましたが、どうでしょうか。

1998.7.10

<感想>
 こんにちは梅足です。
 嶺上さんの詩を拝読いたしまして、淡々とした叙景の中に、切々たる情を感じました。

「林樹花稀幽草繁   林樹花稀にして幽草繁し」
 花は貴い人、草はそうでない人が浮かびます。
「一夕閑窓人語絶   一夕閑窓人語絶え」
「蕭蕭細雨洒柴門   蕭蕭たる細雨柴門を洒う」

 そして親愛なる人は誰も居なくなった処にあるのは、 身も心も貧しくなってしまった私の自省の涙。
 とても禅林の清庭には遊ぶべくも無く・・・

「結句は『新知蕭雨灌柴門(新たに知る蕭雨柴門に灌ぐを)』と、題の『聴』を意識して最初は作りましたが、無理に『聴』を表す言葉を入れなくても伝わるかと思い、直しましたが、どうでしょうか。」
 「新知」ではやっと気が付いた感で、又「灌」には屈原を想起しますが、本稿の方が、しみじみと読むことができました。
 又寄らせて頂きます。


1998.7.15




 3作・4作・5作目は 元亮 さん、二十歳の大学生の方です。初めての作品だそうですが、一度に3首送っていただきました。
 若さのエネルギーがあふれるようです。これからもどんどん創作なさって下さい。

作品番号 1998-3

気炎揺上下   気炎は上下を揺るがし

威武圧縦横   威武は縦横を圧す

一出関門外   一たび関門の外に出づれば

長留神将名   長えに神将の名を留ましむ

              (下平声 八庚)

<解説>
 中国のヒーロー像をイメージして作りました。



作品番号 1998-4

  春愁

雨払桜花色   雨は桜花の色を払い

東風忽滅香   東風は忽ち香を滅す

春栄如夢幻   春栄は夢幻の如く

鏡裏見空房   鏡裏に空房を見る

              (下平声 七陽)

<解説> 鏡裏:鏡の中    空房:ひとりねのさびしい寝室
 女性の立場になって詠じてみました。



作品番号 1998-5

  憂国之嘆
驥騏悲伏櫪   驥騏は伏櫪を悲しみ

塵土貴肥牛   塵土は肥牛を貴ぶ

代代常如此   代代常に此の如し

思民血涙流   民を思えば血涙流る

              (下平声 十一尤)

<解説>
 驥、騏ともにすぐれた馬の意。ここでは才能のすぐれた人物をたとえています。本来の順序は騏驥のようですが、平仄の関係上逆にしました。伏櫪は馬がうまやの中で寝ていること。才能を発揮できずにいることをたとえています。塵土はけがれた世の中、肥牛は私腹を肥やす愚者にたとえています。
 完成した後、辞典を調べて知ったのですが、宋の文天祥の「正気歌」に驥と牛を用いた表現があるそうです。


<感想>
 1作目の「気炎揺上下 威武圧縦横 一出関門外 長留神将名」は、言葉も生き生きとしていて、力強さが感じられます。起句承句の対句が効果を出しているのでしょう。「ヒーロー像」とのことですが、具体的に誰をイメージしていらっしゃるのでしょうか。元亮さんが思い描いている人物を連想させる言葉を使ってみるとすっきりした詩になると思います。(例えば、「騅」とか「虞美人」とか「烏江」とかを詩の中で使えば項羽だとすぐに分かるように)

 2作目の「雨払桜花色 東風忽滅香 春栄如夢幻 鏡裏見空房」は、前半の2句はしっとりと仕上がっていると思います。小野小町の「花の色は移りにけりないたづらに・・・・」の和歌を連想させる内容ですね。結句がやや唐突な印象で、作者の今居る位置が「室内」なのか「室外」なのか、最後になってぼやけたように感じて、やや残念。転句の内容と、結句の内容を入れ替えると、「起承転結」がまとまるように思います。転句を隠しても一首全体の意味が通じるのが良い、と言われています。

 3作目の「驥騏悲伏櫪 塵土貴肥牛 代代常如此 思民血涙流」は、比喩が明確で、主題もしっかりしていると思います。「塵土貴肥牛」の状況に対しての「血涙」は、少し表現が強過ぎたでしょうか。
 指摘なさった宋の文天祥の『正気歌』は、幕末に憂国の詩として志士に愛唱された有名なものです。文天祥は、宋の宰相となった人ですが、宋の滅亡に際して元に捕えられ、幽囚3年、その才を惜しんだ元への仕官を最後まで拒み、死刑にされた人物です。、「天地有正気(天地の間には正しい気が存在する)」と詠い始め、この「正気」こそが古代から脈々と守られてきた全ての道義の根元であるとし、自分は「正気」のためには死も恐れない、と60句もの長い詩で自己の心情を詠っています。「驥と牛」の比喩はその43句目に出てきますが、捕らえられた自分を「驥」と「鳳凰」に例え、誇りの高さを示しています(と私は解釈しています)。部分だけを以下に引用しておきます。

    正気歌      文天祥
     :
     :
43 牛驥同一槽     牛驥一槽を同じうし
44 鶏栖鳳凰食     鶏栖に鳳凰食す
45 一朝蒙霧露     一朝霧露を蒙らば
46 分作溝中瘠     分として溝中の瘠と作らん
     :
     :
訳は次のようになります。
43 牛と名馬がひとつの槽で同じように食べ
44 鶏の小屋に鳳凰が暮らす(ような私の状況だ)
45 もしもある朝、霧や露によって身を損なって死ねば
46 私の立場は溝に捨てられるくらいのものだ


 今後も是非、漢詩を身近なものとして、どんどんと創って下さい。

         by junji

1998.6.11




 お二人目は、愛知県の 大岩雪堂 さんからのものです(同じ号ですが、通信では先輩の東坡肉さんとは別の方です)。大岩さんは漢詩教室に通っていらっしゃる方ですが、80歳を過ぎたという年輪を感じさせる手慣れた漢詩ですね。

作品番号 1998-2

拝呈大蔵屋敷

華都怪噂宝倉危  花の都の怪しい噂、宝の倉が危ういと

暗夜幽声不得窺  暗夜の幽声窺うを得ず

巷説蚊蠅悲穢簇  巷説は蚊蠅の穢簇を悲しみ

流言蜚悒黏罹  流言は蜚の黏罹を悒(うれ)う

天公萬象全機礎  天公は萬象全機の礎

地主人倫本幹基  地主は人倫本幹の基

旭耀排濛迎麗朗  旭耀排悒麗朗を迎へ

忘任鼠輩匿憐姿  忘任の鼠輩憐姿を匿(かく)す

           (上平声 四支)

<訳>
金庫がカラかと心配したら危うかったは金庫番
役所勤めは昼間の筈が本当の勤めは夜だった。

聞くも悲しい巷の噂、金の亡者や幇間紳士、幽霊屋敷に毎夜の出入り
倫踏み外せば蛆虫・毛虫・人の姿のアブラ虫、蜜に粘りつく醜さよ。

天の神様仰る通り、心の奥底お見通し、曲がったことなど許されぬ
地の神様の教えには、善悪わきまえ正しく生きる、この道遵るが人なるぞ。

闇の時間はアッという間、光り輝く明るい世界、天の慈の有り難さ
暗がりだけが頼りの田鼠(モグラ)(米喰い鼠大蔵役人)お天道様には最敬礼土の牢舎のあわれな姿
1998.6.4




 第1番目は宮崎の 風塵翁 さんからの作品です。

作品番号 1998-1

秋日下漓江      秋日漓江を下る  風塵翁

桂林朝雨送新涼   桂林の朝雨、新涼を送り

街路金銀叢桂香   街路金銀、叢桂香る

渡口鳥啼聲不断   渡口の鳥鳴き、声絶えず

行舟漓水入仙郷   行舟漓水、仙郷に入る

              (下平声 七陽)

<解説>
 1997.10に中国を訪ね桂林に遊んだときに戯れに詠んだものです。
 この日ホテルで目覚めたら霧雨の中からいま盛りと咲く金木犀と銀木犀の香りが漂ってきて王維の七絶が浮かびまねてみました。桂林は街路樹が木犀で文字通り叢桂咲きほこっていました。川下りの乗り場はたくさんの観光客に混じってアヒルやら鴨のような水鳥の鳴き声が喧しくごった返していましたが、舟が下るにしたがって霧雨の中、まるで墨絵の世界に入っていくようでした。

<感想>
初めて作ったとのご返事でしたが、とてもそんな風には思えませんね。特に結句の「行舟入仙郷」は、解説にあるように墨絵の世界を彷彿とさせるような余韻を持っていると思います。是非、今後もおつくりになって下さい。

                     by junji
1998.5.30




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