2025年の投稿詩 第451作は桐山堂半田の 健洲 さんの作品です。
 10月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-451

  秋月有感        

 庭樹月明秋氣涼   庭樹 月明 秋気涼し

 夜深閑坐嘆聲長   夜深し 閑坐すれば嘆声長し

 老來事業轉疲倦   老来 事業 転た疲倦す

 思暇獨呑茶倍香   暇を思ひて独り呑む 茶は倍ます香し

          (下平声「七陽」の押韻)


<解説>

 秋の月夜は想いを回らすと云うが、歳を取り仕事や付き合いが億劫になってきた。暇になった時を思って茶を飲む

<感想>

 起句は明解で、月夜を表す良い句ですね。

 承句は下三字の「嘆聲長」が突然で、こんな良い景色の中なのに、とビックリします。
 その理由は転句に書かれるわけですが、どうでしょうね、起句の好景を捨ててまでの嘆きとは思えません(失礼)ので、承句まではトーンを変えないで行きたいですね。
 「素風長」「晩風長」などで抑えておきたいですね。

 転句の「事業」は「人事」、転句の「暇」は「隠」とすると良いです。

 最後は「酒」ではなく「茶」というのが、意外性があって面白いですね。

 by 桐山人(2025.10月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第452作は桐山堂半田の 健洲 さんの作品です。
 10月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-452

  旅館明月        

 落落青苔泉石間   落落たる青苔 泉石の間

 客窗只聽水潺湲   客窗只聴く 水潺湲たり

 靜觀携内収疲勞   内を携へて静観すれば疲労収まり

 明月玲玲欲出山   明月玲玲として山を出でんと欲す

          (上平声「十五刪」の押韻)


<解説>

 妻と久しぶりに旅行に行き、旅館の山水庭を見ていると日常の疲れが取れるようで、丁度山に明るい月が出てきた。

<感想>

 起句の「落落」は色々な意味がありますね。
 「まばら、もの寂しい、ごろごろ」などで、ここは「まばら」ですね。

 承句は「竝看」と視覚にして、下の「水潺湲」と合わせましょう。

 転句は「靜觀」はあまり意味が無いのと、読み下しでもそうですが、まずは奥さまと二人でということが重要ですので、そちらを先にして「携妻秋日収疲勞」。
 「勞」が「つかれる」の意味だと平声になってしまいますので、前の詩のような「収疲倦」、あるいは「養神體」にしなくてはいけませんね。

 結句は下三字、「欲出山」がやや寂しいかな、もう少し迫力が欲しいところ、「今在山」「正上山」など、工夫をしてください。

 by 桐山人(2025.10月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第453作は桐山堂半田の 快寔 さんの作品です。
 10月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-453

  題耶蘇降架圖        

 劇的瞬間神竉彰   劇的瞬間 神竉を彰かにす

 梵蒂展圖委希望   梵蒂 図を展じて希望に委ねる

 愛摧將死永懷信   愛は将に死を摧す 永懐に信ず

 雙作共存允越障   雙は共存を作(な)して越障に允す

          (下平声「七陽」の押韻)


<解説>

 万博でイタリア館のバチカンが展示するキリスト降架の作品を見ました。
 十字架から降ろして正に埋葬するまでの信者達の様です。
 言わんとするのは、神の子キリストの死は、神が人々をどのように愛するかを人間的言葉で表現するうえで頂点になる行為だと記されていました。
 命と愛は共に歩み、人間社会において真の障害を乗り越えるものなのだそうです。

 質問ですが、バチカンの中国語表記は「梵蒂」なのだそうです。そのため平仄を整えることができませんが、許されるのでしょうか?

<感想>

 起句の六字目、「竉」になっていますが、「寵」の間違いでしょうね。
 「神寵」ならば「恩寵」と同じ意味で「神の恵み」を表します。
 似ていますが、「竉」は「洞穴」になってしまいます。

 承句の「梵蒂」はもう一文字「岡」を入れないと「バチカン」にはなりませんので、これでは意味が通じません。
 一般的に、固有名詞を入れる時に平仄が乱れることがありますので、ご質問の趣旨はそのことかと思います。
 確かに漢詩では地名とか人名を入れた時に平仄が合わなくても許されます。
 しかし、だからと言っても、大切なのは「平仄」という大きな規則を破ってまでその固有名詞を入れる必要が本当にあるかということです。
 詩としての効果を考えた時に、固有名は詩題に入れた方がすっきりする場合も多く、その地名や人名が詩に不可欠、あるいは何かの効果がある、と作者が意図を持った時にこそ入れるのが正しいでしょう。
 平仄が合わないけど、固有名詞だから良しとしよう、という方向ではなく、再度別の表現を探すのが大切です。
 バチカンは諦めて、「耶蘇聖畫」などでしょうかね。
 五字目の「委」は両韻字ですが、「ゆだねる(古語では「ゆだぬ」)」の意味ならば仄声になりますので用法としては合っています。

 転句は語順としては「愛將摧死」となります。「死は悲しみでも終わりでもない」ということでしょうね。

 結句の「雙」は解説ですと「命と愛」とありますが、それは詩のどこから読み取るのか、読者に伝えるにはどういう表現が良いでしょうね。
 三字目の「共」も両韻字で、「供」「恭」の代用の時以外は仄声、従って、ここも「四字目の孤平」です。
 「共」か「允」のどちらかを平字にしなくてはいけません。

 結びの「障」は辞書では多くが仄声と書かれていますが、『詩韻含英異同弁』や韻書では下平声七陽韻も載っています。
 漢詩での平声の用例があまり無いのかもしれませんが、大丈夫です。


 by 桐山人(2025.10月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第454作は桐山堂半田の 酔竹 さんの作品です。
 11月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-454

  水杉林陰道        

 街斷忽開詩境扃   街断(とぎ)れ 忽ち開く詩境の扃(もん)

 水杉夾路聳亭亭   水杉 路を夾んで 亭亭として聳ゆ

 上坡天外山雲白   坡を上れば 天外 山雲白く

 下麓池邊野草青   麓へ下れば 池辺 野草青し

 初夏拷A身暫憩   初夏の緑陰 身暫し憩ひ

 晩秋紅葉眼方醒   晩秋の紅葉 眼方に醒む

 平時疾驅囂塵裏   平時 疾駆 囂塵の裏

 到此人皆豈不停   此に到りて 人皆 豈停まらずや

          (下平声「九青」の押韻)


<解説>

 「水杉林陰道」はメタセコイアの並木道です。
 メタセコイヤ並木は滋賀県マキノ町が大変有名で、紅葉シーズンには観光ドライブ客でごった返すようです。
 愛知県の蒲郡から吉良・西尾に抜ける県道41号線の並木道は、ほとんど全国には知られていませんが、なかなかの物です。
 樹の数はマキノ町が500本に対し幸田は380本、距離は2.4qに対して2.6q。
 東京から車での帰り、此処にさしかかると、自宅までもう直ぐということと相まって、心身が癒されます。

 尾聯の代案として「長途疾驅還家近  撫景徐行適得寧」を考えました。
 また、三句、四句を「上坡天外雪山白 下麓池邊芳草青」として五、六句とあわせ、四季を表現するのは凝り過ぎですか?

<感想>

 私もつい先日に蒲郡に車で出かけましたので、帰りにこの41号線を走りました。
 メタセコイアの並木は紅葉にはまだ早いようですが、一週間もすると見頃になるかもしれませんね。
 メタセコイアの並木の道路は新しく開かれた道路で、真っ直ぐな道がずーと続いていて、走りやすい道です。

 詩は対句も整ってますね。
 まずは代案について検討しましょう。  まずは尾聯についてですが、原案は「普段はトラックが勢いよく走り過ぎるが、この場所に来ると皆が車を停めて鑑賞する」という内容で、客観的な描写。
 対して代案は「長距離走って来て家の近くまで来たが、ついつい景色を愛でて(撫景)速度も落として心身を癒やす」となり、作者の気持ちを表す内容ですね。
 通常ですと作者の気持ちが出た方が良いですが、この詩では既に頸聯で「身暫憩」「眼方醒」とありますので「適得寧」と重なります。
 頸聯の描写以上の感動とか、行動が表せれば良いですが、今の代案でしたら原案の客観描写の方が重複が無いだけ良いです。

 尾聯で言うと、原案でやや判然としないのが下句の「此」で、前の「平時」から行くと「良い季節になると」と解釈しますが、頸聯の「夏も秋も良い」を見ると「この場所(道)」と考えることになります。
 次に書きますが、頷聯の代案で四季ということまで想定しているようですと、この場所と考えた方が良いでしょうから、そうなると「平時」を「長程」「長途」とした方がすっきりしますね。

 頷聯の代案については、春夏秋冬いつも良い景色の道路だと述べることになります。
 ただ、実際には春や冬の時には車を停める人は居ないし、メタセコイアから離れてしまいますので、原案のままの方が良いと思います。

 全体としては、この道路の具体的な場所が描かれていない点、これは多分意図をお持ちの上でしょうが、お書きになったようにメタセコイアの並木道は別の地区にも存在しますので、地元民としてはここだと分かるような何かが出て来ると嬉しいです。

 by 桐山人(2025.11月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第455作は桐山堂半田の 泠江 さんの作品です。
 11月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-455

  立秋        

 空碧新涼傍短垣   空碧く 新涼 短垣の傍ら

 可憐撫子滿邸園   可憐なる撫子 邸園に満つ

 我知萬葉故事本   我知る 万葉 故事の本(もと)

 形見只須風雅尊   形見 只須 風雅を尊ぶ

          (上平声「十三元」の押韻)


<解説>

 秋の七草一つである「撫子」を詠みました。
 『万葉集』でナデシコが使われた歌は二十六首、『枕草子』にも登場。日本人に馴染みの深い花。

<感想>

 ナデシコを「形見草」と呼んだのは『万葉集』の時代からだそうですね。亡くなった人を恋い慕う花とされています。

 起句は下三字、本来は「短垣傍」となるところです。
 この語順ですと「短垣に傍ふ」と読んでしまいますね。
 この意味で悪くなければこのままで良いですし、直すなら別の言葉で「渡」「覆」「包」など。

 承句は五字目の「邸」ですが、これは仄声ですので、「庭園」で良いでしょう。

 転句は「我」が要りませんので「正知」「時知」、これで良いですが、六字目の「事」は仄字ですね。
「古來語」で意味は同じになるでしょう。

 結句は上を「形見草名」とすると、下と繋がりが良くなりますね。

 by 桐山人(2025.11月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第456作は桐山堂半田の 泠江 さんの作品です。
 11月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-456

  秋月        

 紅葉石梁茅舎傍   紅葉 石梁 茅舎の傍ら

 圓輝迢遞夜偏長   円輝 迢遞 夜偏へに長し

 鏡花水月南柯夢   鏡花水月 南柯の夢

 晩節風流入醉ク   晩節 風流 酔郷に入る

          (下平声「七陽」の押韻)


<解説>

「鏡花水月」という言葉は、見るだけで手に取れないもの、まぼろし。
 月が心を写す鏡なら、今の私はどう写っているのでしょうか?

<感想>

 「傍」は両韻字で、名詞用法では平声、動詞用法では仄声、この使い方は良いですね。

 起句は場面としては昼間の風景、良い句なのですが、承句と時間にズレが出てしまいます。
 夜を感じさせる物を一つでも入れられると良いですが、「紅葉」を「晩氣」とするとか、下三字を「宵氣涼」「秋暮涼」かな。
 ここで夕方にしておくと、多少でもズレが減ります。

 承句は良いですね。

 転句は、儚いものを並べましたが、「南柯夢」は栄華を極めたのは夢だったという話でしたので、ここでも作者に戻って「鏡花水月のように、栄華も手に入れられなかった」という流れになります。
 次の「晩節」と繋げるなら「池塘春水夢」も使えそうですので、平仄で行くと「鏡花水月池塘夢」、若い頃のはかない夢となります。


 by 桐山人(2025.11月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第457作は桐山堂半田の 向岳 さんの作品です。
 11月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-457

  義弟死別        

 愛煙愛酒性情雄   煙を愛し 酒を愛し 性情雄なり

 親族親和饗宴功   親族 親和の 饗宴功なり

 入院知癌餘命覺   入院 癌を知り 余命を覚り

 七旬世路去人中   七旬の 世路 人中を去る

          (上平声「一東」の押韻)


<感想>

 「愛酒」は通じますが、「愛煙」は煙草と理解できるかどうか。

 承句の「饗宴」が「功」というのはどういう意味になるでしょう。

 転句の「入院」は和語、下三字は「覺餘命」の語順で良いですが、「余命を覚った」となると、その後に弟さんは何をしたのか、と聞きたくなります。
 「餘命少」という形ならば収まります。

 結句は「世路」で「人生」と言いたいのでしょうが、「享年(行年)七十」とした方が分かりやすいですし、そう書けば下の「去人中」は不要になります。

 詩としても、「この世から去って行った」と事実だけを述べるよりも、「義弟」の亡くなったことに対する作者の気持ちが出てきて欲しいですね。

 by 桐山人(2025.11月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第458作は桐山堂半田の 向岳 さんの作品です。
 11月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-458

  貴兄別        

 退休北地住居更   退休し 北地へ 住居が更(かわ)り

 渭樹江雲訪問兄   渭樹 江雲で 兄を訪問す

 斟酒笑談無限界   斟酒 笑談 限界無し

 依依抱擁涙濡睛   依依として 抱擁 涙睛を濡す

          (下平声「八庚」の押韻)


 「北地」:北海道

<感想>

 題名は「貴兄の別れ」と読むのでしょうか。
 「別○○兄」と特定の相手の名前を入れるならばわかりますが、二人称で「貴兄が別れる」では意味が通じないですね。
 内容的にも「別れの詩」ではなく「再会」の詩、「訪○○兄」か「尋舊友」でしょう。
 題名さえ直せば、詩全体はわかりやすい内容だと思います。

 承句の「渭樹江雲」は「(渭水と長江に)遠く離れた友人を思う気持ちが切実だ」という意味ですね。

 by 桐山人(2025.11月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第459作は桐山堂半田の 健洲 さんの作品です。
 11月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-459

  晩秋感懷        

 池苑秋終懷渺然   池苑秋終りて 懷ひ渺然

 依稀暮色月團圓   依稀たる暮色 月団円

 老愁如水汲難盡   老愁水の如く汲めども盡き難く

 絡緯聲中又過年   絡緯の声中 又年を過ぐ

          (下平声「一先」の押韻)


<感想>

 「秋終」「暮色」「過年」と流れて、秋の終わり、一日の終わり、年の終わりが重ねられて、そして作者の思いは人生の思いへと発展して、うまく構成されていますね。
 気になるとすると、起句の「秋終」ですね。
 「晩秋」よりももう一つ季節が移りますので、題名が「初冬」ならば良いのですが。
 合わせるならば、起句の「秋終」を「晩秋」とするのでしょうね。

 承句の「依稀」は「かすかでぼんやりとする」で「暮色」にはよく合いますが、月景色にはどうか。
「月團圓」を変更するのは韻字の問題もありますので、上の「依稀」の方を考えましょうか。
「寂寥」「蕭蕭」「凄涼」などで、バランスは取れると思います。


 by 桐山人(2025.11月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第460作は桐山堂半田の 輪中人 さんの作品です。
 11月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-460

  晩秋舟行        

 東臨尾張西勢州   東に尾張を臨み 西は勢州

 朝陽好日大堤頭   朝陽 好日 大堤の頭

 蘇江曲浦鰻鱺氣   蘇江の曲浦 鰻鱺の気

 早曉微風獲碧流   早暁 微風 碧流に獲る

          (下平声「十一尤」の押韻)


<解説>

 情景を出すのが大変難しく、苦労しました。
 「臨」「望」は平仄どちらもあります。

<感想>

 起句二字目の「臨」は平仄どちらもありますが「異韻異義」字で、仄声の場合には「大勢の人の前で泣く」という意味で使われます。
 ここで仄声で使うのは良くなく、「望」としておいた方が良いですね。

 承句までは良い描写になっていますね。

 転句は、「蘇江曲浦」だけでウナギが居ると思うのはどうでしょう。
 転句と結句の語句を入れ替えて、「微風早曉」とした方が「鰻鱺氣」と繋がりそうです。

 結句の方は「曲浦蘇江」として最後の「碧流」の上に来る字を検討してはどうでしょうね。
 取りあえずということならば「臨碧流」でもまとまりはできます。


 by 桐山人(2025.11月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第461作は桐山堂半田の 輪中人 さんの作品です。
 11月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-461

  晩秋卽事        

 空庭郁郁菊映欄   空庭 郁郁として 菊は欄に映ず

 茅屋籬邊荒葉殘   茅屋 籬辺 荒葉残る

 景物悠悠秋色老   景物 悠悠 秋色老ゆ

 西風一笛夕陽寒   西風 一笛 夕陽寒し

          (上平声「十四寒」の押韻)


<感想>

 起句の六字目「映」は仄字ですので「菊依欄」「菊粧欄」とか、あるいはいっそシンプルに「菊花欄」とするのも面白いと思います。

 承句は句としては良いですが、前からの続きで見ると、「空庭」「欄」「茅屋」「籬邊」と場所を表す言葉が続いていて、ちょっとしつこい感じもします。
 「籬角蕭蕭」とか「茅屋蕭蕭」として、そうなると起句も「幽庭郁郁菊花闌」として対句に持って行くという形も考えられます。

 ただ、その場合には畳字が並びますので転句の「悠悠」を変更しなくていけなくなります。
 この「悠悠」はかなり気合いの入った描写に思えますので、残した方が良いならば、逆に前半は対句の色合いを消した方が良いです。

 具体的に書くと、対句案ならば

   幽庭郁郁菊花闌  幽庭 郁郁として 菊花は闌(たけなわ)に
   茅屋蕭蕭荒葉殘  茅屋 蕭蕭 荒葉残る
   景物有時秋色老  景物 時有りて 秋色老ゆ
   西風一笛夕陽寒  西風 一笛 夕陽寒し

 「悠悠」を生かすなら

   空庭芳郁菊粧欄  空庭 芳郁たり 菊は欄を粧ひ
   蕭寂籬邊荒葉殘  蕭寂の籬辺 荒葉残る
   景物悠悠秋色老  景物 悠悠 秋色老ゆ
   西風一笛夕陽寒  西風 一笛 夕陽寒し

 という二つの考え方が出来ますので、どちらが良いかは作者のお気持ちですね。

 by 桐山人(2025.11月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第462作は桐山堂半田の 香裕 さんの作品です。
 11月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-462

  貎鼻溪懷古        

 昔日回舟水景鮮   昔日 舟を回らせば 水景鮮なり

 巖頭聳峙畫中姸   巌頭 聳峙(しょうじ)し 画中に妍たり

 波光歌棹孤帆影   波光に棹さす歌 孤帆の影

 夢裡徒哀白髪延   夢裡 徒に哀れむ 白髪延ぶるを

          (下平声「一先」の押韻)


<解説>

 もう一度、美しい猊鼻渓(岩手県)に行きたく思っても、年齢を重ねてしまい残念です。
 かつての思い出を詩にしました。

<感想>

 猊鼻渓は私は行ったことがありませんが、平泉までは行きましたので、そこからもう少しのようですね。
 でも、なかなか行くまでも大変なようで、仰る通り、行きにくい景勝地ではありますね。
 ネットで現地の写真を見ると、すばらしい渓流美で、切り立った岩が目の前に迫って来ますね。
 思い出の光景ということでの作詩ですが、今目の前で見ているという臨場感の出ている詩になっていると思います。

 承句の「聳峙」は「そびえたつ」という熟語ですが、岩の険しさが感じられる表現です。
 この力強い上四字に対して末字の「姸」は女性っぽくて弱々しく感じます。
 韻字を起句と入れ替えた方がまだ良いかと思います。

 転句は本来は「棹歌」として「船頭の歌」としたいところですが、平仄のために入れ替えたわけですね。
「波光燦爛棹歌渡」と位置を動かしましょう。

 結句で現在の時間に移り、旅に行けない残念さが出ていますが、あまり強調すると転句までの猊鼻渓の素晴らしい景色が消されて、哀しみが主題の詩になってしまいます。
 思い出の中だけど素敵な景色だと賞賛する形で終わる方が良いです。
 そうすると、結句は「帆影C溪追憶天」として収める形でしょうね。


 by 桐山人(2025.11月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第463作は桐山堂半田の 快寔 さんの作品です。
 11月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-463

  中秋明月偶感        

 流雲團月小庭光   流雲 団月 小庭を光らす

 獨酌沈思天仰望   独酌 沈思 天を仰望す

 風態転遷慣行失   風態転遷して慣行を失ふ

 昔人興趣慕情昂   昔人 興趣 慕情昂る

          (下平声「七陽」の押韻)


<解説>

  流雲に名月が顔を出して その明かりが中庭を照らしていました 
  中秋の名月の感慨にふけって 一人盃を重ねました
  風情を楽しむ風習が失われて行くことを少し寂しく思いました
  昔は月見団子を供えるなど趣向を凝らして楽しんだことを思い出しました

<感想>

 起句は「雲流」とした方が動きが出るでしょうね。

 全体で見ると、題は「中秋名月偶感」ですが、月の話はこの起句だけで、後は承句の「沈思」の内容で二句使ってる形です。
 最後にもう一度、月の話に戻れると詩題に合うようになります。
 現行では詩題は「嘆風習変遷」という感じです。

 もう一点は、どこから「風態転遷」を感じたのかが分からないこと。
 作者本人は名月を眺めて酒を酌み、十分に旧習を楽しんでいるわけですから、あまり説得力がありません。
 一人で飲まなければならなかった事情とか、誰も名月を見ようともしない光景とか、そうしたものが有ればお気持ちも伝わりやすくなるでしょうね。

 転句と結句は同じことを言い換えていますので、どちらかで十分、その辺りに言葉を加えていくと良いでしょう。
 風習の変化をもう少し軽くした例を考えて見ました。ご参考に。

  雲流團月小庭光
  風渡明窗氣爽涼
  佳節中秋獨斟酒
  一杯尚古舊懷昂


 by 桐山人(2025.11月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第464作は桐山堂半田の 快寔 さんの作品です。
 11月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-464

  有感熊騷動        

 輝茜東空安穩粧   茜に輝く東空 安穏を粧ふ

 村墟秋稼育成長   村墟 秋稼 育成長し

 熊羆出没騷然驟   熊羆(ゆうひ)出没し 騒然驟(しゅう)たり

 親子冬眠無餌狂   親子冬眠 餌無きに狂ふ

          (下平声「七陽」の押韻)


<解説>

 昨今の熊騒動、全て人間の身勝手が底にあるように思います。
 共生が早くできることを祈って漢詩にしてみました

<感想>

 熊が市街地に出没し、犠牲になった方も史上最も多くなっているそうです。
 仰るような「全てが人間の身勝手」が原因かどうかは分かりませんが、近年の異常気象により、熊の食料である果実の生育が悪くなって来ているそうです。
 その結果、食べ物が手に入らない、特に晩秋の頃、冬眠に備えて多くの食物が必要になる熊は人里にまで出て来るようになった、つまり、人間と熊の生活圏の重なりが大きくなったために、熊との遭遇、そして被害を受けることが増えたのでしょう。

 さて、詩の方ですが、起句は「茜に輝く」の時は「茜輝」の語順、平仄を合わせると「茜色」です。
 中二字の「東空」ですが、「茜」になるのは「西空」ではありませんか。

 穏やかな村里の様子が前半に描かれて、転句からの熊騒動と対比する狙い、農民の気持ちが少し入った方が良いですので、「育成長」を「喜豐饒」としておくと良いでしょう。

 転句は最後の「驟」ですが、「騒然が驟(はし)る」ということで、場面説明としてはよく分かりません。
 「騒然巷」「騒然報」とか、「日」「夕」なども。

 結句は語句を入れ替えて「無餌冬眠親子狂」の方が分かりやすいです。
 「狂」のは熊のことだと分かるようにしたいので、「獸性狂」とすると危険度が増して感じられませんかね


 by 桐山人(2025.11月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第465作は桐山堂半田の 今江 さんの作品です。
 11月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-465

  天龍山        

 散歩青空白雲悠   散歩 青空 白雲悠か

 常樂寺庭菊花風   常楽寺庭 菊花の風

 本堂手合心落着   本堂に手合はせ 心落ち着く

 広大詩思晩秋晨   広大な詩思 晩秋の晨

<


<感想>

 先ずは、雄大な思いが出ている結句から見て行きましょうか。

 内容的には問題ありませんので、言葉を入れ替えて平仄を合わせます。
 「詩情広大晩秋晨」で整います。韻字は他の句の関係もありますので変更するかも知れませんが、取りあえずこの句を詩の中心として、前を合わせて行きましょう。

 起句は二字目を平字にしなくてはいけませんので「青空朗朗白雲悠」、韻字を合わせるとすると「晨」は上平声十一真韻ですので「白雲新」。

 承句は韻字を決めないといけません。「常樂寺庭香菊陳」

 転句は韻字は関係ありませんので、内容がきちんと伝わるように考えると、上四字は「拍手堂前」。
 下三字は心が落ち着いたということですので、「心靜穩」ですかね。


 by 桐山人(2025.11月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第466作は桐山堂半田の 健洲 さんの作品です。
 12月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-466

  企業引退者會        

 今席同胞萬感生   今席 同胞 万感生ず

 宴遊和氣酒杯傾   宴遊 和気 酒杯傾く

 昔談新話興無盡   昔談 新話 興尽くる無し

 自愛明年約舊盟   自愛して明年の旧盟を約す

          (下平声「八庚」の押韻)


<解説>

 会社のOB会は毎年開催し昔の仲間と歓談している。
 二十五年目を迎え、高齢の者は来年も参加すると約束しながら酒を楽しんでいる。

<感想>

 私も地元にずっと住んでいますので、中学や高校時代の友人と年末などには集まる会がありますが、だんだんと出席者が減って来て、夜をやめて昼間に開催することが多くなりました。
 でも、集まると昔に戻る、というか、当時のままの元気な(ような)気持ちになれます。

 さて、詩の方ですが、一気に仕上がったような勢いがありますね。
 特に転句の「昔談新話」はよく分かります。
 私たちも、現代の風潮に文句を言っては、昔を懐かしがっています。
 ただ、語順としては「談昔」ですので、「語新談昔(新を語り昔を談じ)」という語順でしょうかね。

 細かい所では、起句は「同胞」ですと同じ国の人になりますので、「同朋」か「同袍」ですね。
 ここの「萬感生」はできれば具体的な気持ちが欲しいですね。
 「久故情」(久故は古いなじみ)、「久闊情」とか。

 結句は「明年」と「舊盟」が食い違うのと「明」が韻字なので、「自愛復逢新約盟(自愛して復た逢はん 新たなる約盟)」

 by 桐山人(2025.12月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第467作は桐山堂半田の 泠江 さんの作品です。
 12月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-467

  祝成年        

 晴雪弄璋慶共新   晴雪 弄璋 共に新たなるを慶ぶ

 蹴球勝利幾希春   蹴球 勝利 希幾の春

 佳朋學術多才俊   佳き朋 学術 才俊多し

 結髪雲念保眞   結髪 青雲 保真を念ず

          (上平声「十一真」の押韻)


 「弄璋」… 男児の生まれること。男の子には「璋(たま)」、女の子には「瓦(いとまき)」を生まれた時に与えた故事。
 「結髪」… 成人となる儀式 
 「保眞」… 生まれつきの本性(天真)を失わないこと

<解説>

 中学、高校とラグビー一筋だった孫。浪人を経験。少し世間が分かっての成年式かなあ。

<感想>

 「成年」は法的に大人になったことを表すようですので、現代では十八歳かな。
 そういうことでは題名は「祝成人」の方が良いでしょうね。
 孫を持つ身の目線では、成年と成人と二回も大人になるのを眺められるのは嬉しいですかね。

 さて、詩の方ですが、起句はお孫さんが誕生された十八年前の場面でしょうね。

 承句の「蹴球」は元々はボールをやり取りする競技、サッカー、ラグビー、フットボールなどを表す言葉でしたが、現在はサッカーを指すようです(ラグビーは「橄欖球」)。
 広い語義で「足を使う球技」という意味だとしましょう。
 下の「幾希」はどう読むのですかね、辞書的には「幾希(きき)」で「とても少ない」となってます。
 でも、それでは句の意味が伝わらないですね。

 さて、この句の内容は、お孫さんの中学高校の姿、起句では誕生でしたので飛躍が大きいですね。
 祖母としては思い出としてひとまとめになるのでしょうが、十八年をこの二句で一気に理解するのは難しいですね。

 まず起句は下三字を「慶誕辰」。承句はいきなり「蹴球」に行かず、「少年歳歳蹴球春」かな。
 転句は大学生活の様子、中二字は「學術」ではちょっと分かりづらいので「學舎」と場所を表すのが良いでしょう。

 結句は「結髪」で二十才を表しますが、男性ですので「弱冠」の方が理解しやすいかと思います。

 by 桐山人(2025.12月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第468作は桐山堂半田の 快寔 さんの作品です。
 12月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-468

  京都祇園散策        

 冷氣柳塘高P川   冷気 柳塘 高瀬川

 洛中昏暮異人專   洛中昏暮 異人専らなり

 觀光歡樂邦家溢   観光 歓楽 邦家溢す

 忌避風潮狹量憐   忌避せし風潮 狭量を憐れむ

          (下平声「一先」の押韻)


<解説>

 先日京都であった邦楽鑑賞の後、先斗町界隈を歩き食事をしました。
 高瀬川沿いの道を歩くのは外国人ばかり。
 聞こえる声も外国語。観光歓楽をする彼らに、確かに風情は飛んでしまいますが、それが昨今の外国人排斥の騒ぎにつながるのは情けなく思っての漢詩です。

<感想>

 承句の「洛中」は、川沿いから離れて京都という広い範囲に意識を持っていく狙い、更に転句で「邦家」と進みますが、これは急ぎ過ぎ。
 「異人」の登場も早くて、景色を頭に入れる暇もありません。結果として、詩の半分以上が外国人観光客の話で、高瀬川の柳もそのための舞台装置になっています。
 先ずは京都の景色をきちんと描いて、その後に心情へと行くのが穏やか、構成的には自然です。

 そうなると、起句は「秋氣蕭蕭高P川」とし、承句は「柳塘昏暮」として、下三字は水とか月とか、「漾微漣」「水波鮮」など色々あるかと思います。

 転句からは発展させても良いですが、「邦家」から「風潮」へと進むのはあまり感心しません。
 外国人観光客の多いことに作者自身はどう思ったのか、世人の狭量を憐れむのではなく、直接体験をした立場からの言葉が欲しいと思います。
「異人」を外国人とするのは日本語用法ですので「外人」と書きます。「觀光旅客外人溢」が落ち着くと思います。

 結句は作者ご本人の感想になりますので、推敲された案を送っていただければ拝見します。

 結句の推敲案として「音吐雖多情趣全」をいただきました。

 「音吐」は「口から出る声」ということで、吟詠や朗読の時などにも使う言葉。「吐」の字には現代の私たちの感覚ですとちょっと汚いようなイメージがありますが、字義は単に口から出るという意味です。
 いろんな国の言葉で騒がしい、という体験からの表現ですが、転句で「外国人観光客がいっぱいだ」と言ってますので、似たような意味合いに感じます。
 繰り返すよりも別のことを表した方が良くないですかね。
「猶有古都情趣全」「唯見C風古趣全」など。


 by 桐山人(2025.12月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第469作は桐山堂半田の 香裕 さんの作品です。
 12月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-469

  白居易作王昭君讀        

 娥眉不競散C光   娥眉競はず 清光を散ず

 悲劇王昭君斷腸   悲劇の王昭君断腸す

 自漢匈奴天下計   漢に自(よ)り 匈奴と天下の計

 招魂冢恨難忘   招魂の青冢(せいちゅう) 恨み忘れ難し

          (下平声「七陽」の押韻)


<感想>

 白居易の「王昭君」の二首の詩は、古来から絶賛されている作品です。
 外見の美貌だけでなく、志も高潔であった王昭君は、中国では南北朝の頃から盛んに詩で詠われ「楽府題」となったこともあり、唐代には李白や杜甫、李商隠、白居易、北宋でも王安石など著名な詩人も詩を作っています。
 日本でも平安時代には中国に倣って題詠で「王昭君」の詩を詠んだりもしています。

 参考として、白居易の「王昭君詩」を載せておきます。

     王昭君 其一   白居易(中唐)
    滿面胡沙滿鬢風  面(おもて)に満つる胡沙 鬢(びん)に満つる風
    眉銷殘黛臉銷紅  眉は残黛銷(き)え 臉(かお)は紅銷ゆ
    愁苦辛勤顦頁盡  愁苦 辛勤して 顦頁(しょうすい)し尽くし
    如今卻似畫圖中  如今 却って似たり 画図(がと)の中
            (上平声「一東」の押韻)

 「殘黛」…消えかけたまゆずみ 
 「愁苦辛勤」…辛くて愁い悲しむこと
 「如今」…丁度今の時 

    王昭君 其二   白居易(中唐)
   漢使卻回憑寄語  漢使却(きやく)回(かい) 憑(よ)りて語を寄す
   黄金何日贖蛾眉  黄金 何れの日か蛾眉を贖(あがな)はん
   君王若問妾顏色  君王 若(も)し妾(しよう)が顔色を問はば
   莫道不如宮裏時  道(い)ふ莫(な)かれ 宮裏の時に如(し)かずと
            (上平声「四支」の押韻)

 「却回」…引き返す 
 「憑」…頼みこむ 
 「寄語」…言付ける
 「莫道」…「莫」は「無」と同じ
 「道」は「言う」

 今回の詩でも、王昭君の悲しい思いがしっかりと描かれています。
 特に、転句に書かれた「漢と匈奴の和平」に尽くした彼女の思いは、国を守るという使命感の中での苦しみとして表れていると思います。

 内容は必要なことがしっかり描かれていますので、部分的に語句を直すだけで、しっかりした「詠史詩」になります。
 承句は「悲劇王昭君」と五字目まで使うと読みにくいので、「悲劇昭君眞斷腸」と四字目で間を置けると良いですね。

 転句の「自」ですが、ここでの用法は「起点を表す」ものですので、「漢から匈奴へ」とした方が良く、読み下しは「漢よ(自)り匈奴に天下の計」とすれば、句意ははっきりします。

 最後の「恨難忘」は王昭君の思いですが、承句で「斷腸」と出ていますし、二千年程恨み続けるのも可哀想です。
 少し視点を変えて「浴春陽」「待春陽」などとしてはどうでしょうね。王昭君も少し気が楽になるかもしれません。

 題名は「讀白居易王昭君詩」とすると良いですね。

 by 桐山人(2025.12月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第470作は桐山堂静岡の 柳村 さんの作品です。
 静岡の教室は今年から奇数月の開催になりました。
 こちらは11月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-470

  湖畔觀月        

 秋心一片動吟情   秋心 一片 吟情動き

 獨出湖邊氣盈   独り湖辺に出れば 気盈つ

 碧落無雲三五夜   碧落 雲無し 三五の夜

 永輪皎皎映波明   永輪 皎皎 波に映じて明らかなり

          (下平声「八庚」の押韻)


 「氣」: 天上の白く明るい気

<感想>

 起句の「秋心」は一つにまとめれば「愁」ですが、「物を思う心」というところでしょうか。  起句の「動」と承句の「出」は同じ主語でしょうから、「吟情が動いた」ので「湖辺に出た」となりますね。  「氣」や「碧落」は秋の青空というイメージもありますが、夜の場面でも使われますので、「澄んだ空気」「晴れ渡る空」と考えれば良いですね。  今日は十五夜だということが後半に出て来ますので、全体の流れとしては、「吟情が動いたので湖辺に出てみたら、空は晴れて十五夜だった。月が明るく波がキラキラと光っている」となります。  「動吟情」の位置が、起句が良いか、結句が良いかが悩ましいところではありますね。  結句の「永輪」は「氷輪」ですかね。

 by 桐山人(2025.11月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第471作は桐山堂静岡の 柳村 さんの作品です。
 静岡の教室は今年から奇数月の開催になりました。
 こちらは11月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-471

  秋雨        

 歸鴉何處雨蕭然   帰鴉 何処 雨蕭然

 殘柿依稀落葉前   残柿 依稀たり 落葉の前

 一倍思君心悶悶   一倍 君を思ふ 心悶悶

 吟杯微醉枕書眠   吟杯 微かに酔ひ 書を枕して眠る

          (下平声「一先」の押韻)


<感想>

 起句は、雨の中ですので空を飛ぶ鴉を見ることはできない、となると、声を聞いたということですね。
 「鴉聲」「鳴鴉」のように音を出した方が分かりやすいですね。

 承句は、雨で霞んで見える柿の木、「落葉の前」なのは柿の木でしょうか、それとも作者か。
 結句を見ると作者は部屋の中に居るようですので、柿の木が落葉の前にあると考えますが、ぼんやりとしか見えない柿の木が落葉の前にある、というのは不自然ですね。
 そうなると、ここは「窗牖前」くらいが良いでしょうかね。

 後半は「心悶悶」と言いつつ、「微醉」「枕書眠」となると、大したことないという気持ちになります。
 転句はまだ主題を出さずに、「満目寂寥心悶悶 一杯微醉憶君眠」という流れが良いですかね。


 by 桐山人(2025.11月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第472作は桐山堂静岡の 一菊 さんの作品です。
 静岡の教室は今年から奇数月の開催になりました。
 こちらは11月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-472

  送友        

 幽桂芬芬閑月明   幽桂 芬芬 閑月明らかなりて

 疎蘭滴露暗愁生   疎蘭(そらん) 滴露 暗愁を生ず

 涙垂孤客贈寒玉   涙を垂れて 孤客に寒玉を贈り

 行跡殘存落葉聲   行跡 残存 落葉の声

          (下平声「八庚」の押韻)


<解説>

 金木犀の咲く時分、友達が海外に帰るので餞別にイヤリングを贈ったことを詩にしました。
 少し暗過ぎたかも……。


  人知れず咲く金木犀の香りは芳しく、冷たい月が明るい
  枯れ残った蘭は露を滴り暗澹たる気持ちにさせる
  私は涙を垂れ旅人に冷ややかな玉を贈る
  足跡が残すのはただ落葉の音だけだ

<感想>

 李賀を最近読んでおられるそうで、言葉が研ぎ澄まされる感覚が心に染み込んでいったかもしれません。
 それが「暗過ぎたかも…」という感想になったのかもしれませんね。

 起句の「閑月」は冬の月を表しますが、農作業の無い閑な月というのが原義です。
 「冷月」の方が全体とのバランスが良いでしょう。

 承句で「疎蘭」を持ってきましたが、起句との差が大き過ぎるかな。
 ここから一気に雰囲気が暗くなっていきますから。
 逆に全体のトーンで言えば、起句の「芬芬」が明る過ぎるとも言えますね。「微芬」くらいか。

 転句は「孤客に」と目的語にするのは苦しく、「孤客が贈る」と読みますね。
 ただ、句としては「涙を垂らした孤客(私)が寒玉を贈った」ということで、私が贈った事実を伝えることはできます。
 問題は、「涙垂」がどういう事情からなのか、の説明が無いので、モヤモヤした感じが残ります。「與朋惜別贈寒玉」と状況を述べた方が良いでしょう。

 結句はやや曖昧ですが、「足跡が落葉の音を残す」という象徴的な句は、これも李賀の影響があるかもしれませんね。

 by 桐山人(2025.11月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第473作は桐山堂静岡の A・S さんの作品です。
 静岡の教室は今年から奇数月の開催になりました。
 こちらは11月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-473

  看堤上野球        

 午日微風堤柳秋   午日 微風 堤柳の秋

 川原數處少年遊   川原 数処 少年遊ぶ

 棒聲一打碧空響   棒声一打 碧空に響けば

 吠狗脱繩追白球   吠狗 縄を脱し 白球を追ふ

          (下平声「十一尤」の押韻)


<解説>

 近所の河川敷には野球をする少年や犬の散歩をする人がたくさんいます

<感想>

 のどかな風景を丁寧に描いていますね。

 起句は「午日」は「端午の日」になりますので、「日午」「午下」。「秋」ということですので、「微風」よりも「涼風」「清風」の方が良いですね。

 承句の「川原」は日本語の「川原」とは違い、「川の源」「川と高原」などスケールが大きくなります。
 「川上」で「川のほとり」になりますが、ここは平仄合わせで「川邊」「水頭」、「數處」は説明臭いので「處處」で良いでしょう。

 転句の「棒聲」はバットの音、「カキーン」という音でしょうか。
 通常はバットの音ではなく、「球音」として捉えますので、「棒聲」は違和感があります。「歡聲一打」かな。

 結句は打球を少年達が追いかけるのではなく、散歩に来ていた犬が走って取りに行く、というのが面白いところですね。

 by 桐山人(2025.11月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第474作は桐山堂静岡の A・S さんの作品です。
 静岡の教室は今年から奇数月の開催になりました。
 こちらは11月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-474

  看白糸瀑布        

 雨後溪橋浮水煙   雨後の渓橋 水煙に浮かび

 蒼崖絶壁挂飛泉   蒼崖の絶壁 飛泉を挂く

 倚欄仰看瀑聲下   欄に倚りて仰ぎ看る 瀑声の下

 彩虹一条昇九天   彩虹一条 九天に昇るを

          (下平声「一先」の押韻)


<解説>

 富士宮市にある白糸の滝を見に行ってきました

<感想>

 富士宮の「白糸の滝」は、私も昨年田貫湖に行った時、寄りました。
 お書きになった通りの景観で、その時の感激が蘇ってきます。

 転句は「仰看」が結句の「彩虹」を目的語としていますが、遠いですね。
 「瀑聲下」を「仰看」するように読んでしまいます。
 考えるとかなり矛盾した(「看」と「聲」とか、「仰」と「下」)構成で、句としてのまとまりが気になります。
 逆に言えば、転句で「仰看」という言葉を入れておく必要があるかどうか。
「倚欄瀑布囂囂響」として、結句を単独で描いても通じますね。


 by 桐山人(2025.11月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第475作は桐山堂静岡の 甫途 さんの作品です。
 静岡の教室は今年から奇数月の開催になりました。
 こちらは11月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-475

  明月        

 素風秋氣竹床涼   素風 秋気 竹床涼し

 茅屋佳花知暗香   茅屋 佳花 暗香を知る

 薄暮東籬聞蟋蟀   薄暮 東籬 蟋蟀を聞けば

 孤雲明月夜偏長   孤雲 明月 夜偏へに長し

          (下平声「七陽」の押韻)


<感想>

 落ち着いた趣で、画面もよく伝わる詩ですね。

 ただ、起句は「素風」と「秋氣」がどちらも似たようなものなので、区別がつきません。
「秋風一颯」という感じでまとめるのが良いでしょうね。

 承句の「佳花」は「良い花」ですかね。
 偏を換えて「桂花」と具体的にした方が「暗香」が生きるかと思います。

 後半はどちらも佳句です。

 by 桐山人(2025.11月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第476作は桐山堂静岡の 甫途 さんの作品です。
 静岡の教室は今年から奇数月の開催になりました。
 こちらは11月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-476

  百舌        

 未明驚小鳥   未明 小鳥に驚く

 裂帛一聲芭   裂帛 一声の芭

 月去秋將老   月は去り秋将に老いんとす

 朝陽靜煮茶   朝陽 静かに茶を煮る

          (下平声「六麻」の押韻)


<感想>

 百舌の声に目を覚まされたというところでしょうか。

 起句は「驚小鳥」が間延びしてますね。
 この構成ですと、「先ず小鳥を見つけて驚いた、その後に(鳥が)鋭く鳴いた」となります。
 まだ夜が明ける前に小鳥を見つけるというよりも、鳥の鋭い声を聞いて驚いた方が自然な感じです。
「未明殘月下」のような形で朝方の様子を述べておくと、次の「裂帛一聲」が強烈な印象で迫ってきます。

 承句の末字の「芭」はどういう意味でしょう。
 「芭蕉」の所に百舌が居たのですかね。
 これも冠を換えて「笆」とすれば「竹垣」になります。

 転句は「風冷」「松籟」と自然を入れるか、「老病秋將往」と作者を出すか、後者の場合には「靜」を「坐(そぞろニ)」と換えた方が良いでしょうね。

 by 桐山人(2025.11月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第477作は桐山堂静岡の F・U さんの作品です。
 静岡の教室は今年から奇数月の開催になりました。
 こちらは11月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-477

  秋夜懷友        

 閑庭馥郁桂花香   閑庭馥郁として 桂花香り

 嫋嫋秋風吹面涼   嫋嫋(じょうじょう)たる秋風 面を吹いて涼し

 憶友遙看一輪月   友を憶ひ 遥かに看る 一輪の月

 又聽蛩韻惹愁長   又聴く 蛩韻の愁ひを惹いて長きを

          (下平声「七陽」の押韻)


<感想>

 起句は「閑庭」ですといつでも使える言葉ですが、ここはもう少しインパクトを強くして、「夜庭」と場面をまず作るのが良いと思います。
 それによって、庭が視覚から消えて、嗅覚の舞台になります。
 可能性としては、ここを「秋庭」として承句を「夜風」にすることも考えられますが、画面の流れは「夜庭」の方が断然良いです。

 転句から主題の「懷友」へと流れますが、月を出すことによって、視覚が強く戻り、「遙」の度合いがそれこそ千里離れたような広がりが出て、良い展開だと思います。

 結句は聴覚で余韻を残していますが、詩題が「懷友」ですので、友を思う気持ちをもう少し、ここに入っても良いかとは思います。
「蛩聲哀切爲君長」ではどうでしょうか。


 by 桐山人(2025.11月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第478作は桐山堂静岡の F・U さんの作品です。
 静岡の教室は今年から奇数月の開催になりました。
 こちらは11月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-478

  月下懷友        

 禪宮夜靜立空廊   禅宮 夜静かに 廻廊に立つ

 tt玲玲瀉月光   tt(きょうきょう)玲玲として 月光瀉(そそ)ぐ

 遙望碧霄懷故友   遥かに碧霄を望み 故友を懐(おも)へば

 雲邊雁唳沁愁腸   雲辺の雁唳(がんれい) 愁腸に沁む

          (下平声「七陽」の押韻)


 「tt」… 白くて明るいさま
 「玲玲」… 冴えて鮮やかなさま
 「唳」… なく

<感想>

 起句は本文と読み下しが違いますね。
「空廊」ですと「人が居ない廊下」、上の「夜靜」と重なるように思います。

 転句は語順を換えて「碧落遙望異ク友」と「遙」が両方に掛かるようにすると思いが強くなりますね。

 結句の「唳」は「鶴や雁などの鳴く声」を表す言葉です。
 「こむ(ん)な夜が又も有(ら)うか月に雁」は切手で有名な歌川広重の「月に雁」の絵に添えられた句だそうですが、本当に「こむな夜」は友を思い出してしまうのでしょうね。


 by 桐山人(2025.11月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第479作は 凱拉 さんからの作品です。
 掲載が遅くなり、失礼しました。

作品番号 2025-479

  冬景曷留我     冬景 曷(なん)ぞ我を留(とど)む   

 聽北蟲聲絶   北に聴けば 虫声 絶え

 看南樹蔭疏   南に看れば 樹蔭 疏(まば)らなり

 稀飛天上鳥   稀に飛ぶ 天上の鳥

 靜泳水中魚   静かに泳ぐ 水中の魚

 冷極胎精氣   冷 極まれば 精気を胎(はら)み

 春來逼太虛   春 来たれば 太虚に逼(せま)る

 蕭條淵旨滿   蕭条(せうでう) 淵旨(ゑんし) 満つ

 欲邁已趑趄   邁(ゆ)かんと欲すれば 已に趑趄(ししよ)たり

          (上平声「六魚」の押韻)


 「太虚」: (果てしない)大空。虚空。
 「蕭条」: 物寂しい。ひっそりとしている。
 「淵旨」: 奥深い意味。
 「邁」: 立ち去る。
 「趑趄」: ためらう。行き悩む。二の足を踏む。

<解説>

   北のほうに耳を傾けると、虫の声は聞こえず、
   南のほうを見れば、木陰は〔葉が落ちて〕隙間が多い。
   空を飛ぶ鳥の姿はほとんどなく、
   〔池の〕水の中にいる魚は静かに泳いでいる。
   冬の最も寒い時期には、生命の根源となる気をたくわえ、
   春を迎えると、大空にも届くほどに成長する〔と聞いたことがある。
   物寂しい冬の景色の中にも、奥深い意味がある。
   その場から立ち去ろうとするけれども、もはや二の足を踏んでしまう。




2025年投稿作
























 2025年の投稿詩 第480作は 凱拉 さんからの作品です。
 こちらも掲載が遅くなり、すみません。

作品番号 2025-480

  天童乙巳春        

 淑氣盈時莫自他   淑気 盈(み)つる時 自他 莫し

 花開布錦襲綾羅   花 開けば 錦を布(し)き 綾羅を襲(かさ)ぬ

 紅藍亂鬪巒丘上   紅と藍と 乱闘す 巒丘(らんきう)の上

 得否降仇唱凱歌   得んや否や 仇(かたき)を降(くだ)し 凱歌を唱ふることは

          (下平声「五歌」の押韻)


 「乙巳」: ここでは西暦2025年。
 「淑気」: 春の穏やかな気。
 「綾羅」: 美しい衣服。
 「巒丘」: 小高い山。ここでは山形県天童市にある舞鶴山(まいづるやま)のこと。

<解説>

 山形県天童市の舞鶴山で開催される「天童桜まつり」の目玉行事「人間将棋」に駒武者として参加するにあたっての心情を述べました。


   春の穏やかな気が満ちるとき、そこには自分と他人の区別はない。(自分にも他人にも同じように、春の穏やかな気が満ちる)
   〔桜の〕花が咲くと、錦の布を敷いたようにも、美しい着物を重ねたようにも見える。
   〔人間将棋の当日には〕赤や青の鎧をまとった軍勢が、小高い山の上で入り乱れて戦う。
   〔作者が属する陣営が〕敵を打ち負かして勝どきを上げることはできるのか、それともできないのか。




2025年投稿作