2024年の投稿詩 第91作は 賤木 さん、富山県の三十代の男性からの初めての投稿作品です。
 お手紙には、自己紹介と、このサイトへの感想も書いてくださいました。
 お初にお目にかかります。
 創作経験はおよそ3年、師を求めて教えを受けたわけではなく、一人で思いついた時に年に2、3篇、戯れに28文字を並べる程度です。

 幾つかの投稿詩を拝見するに、日本や海外の世情、現代の文物などを詠み込んだものもあり、昔の中国に存在しない概念をも取り入れる事の出来る漢詩の懐の広さに感じ入るところがあります。
 自分もいずれ詩魂を磨き、好むところである歴史や英雄を謳う詩を作れるようになりたい、と思っております。

作品番号 2024-91

  勲家墓        

偶寄林園対古塋   偶々林園に寄りて 古塋に対す

叢中蕪没武臣名   叢中に蕪没す 武臣の名

絳騶稀客子孫絶   絳騶は稀客ならん 子孫絶えたれば

誰捨枯枝惨我情   誰か捨つる 枯枝 我が情を惨ましむ

          (下平声「八庚」の押韻)


<解説>

 たまたま木々生い茂る霊園を訪れて、一つの古い墓を目の当たりにした。
 草むらの中に埋もれているのは、かつて武勲があった朝臣の名。
 赤とんぼは稀な来客だろう、子孫は絶えたのだから。
 誰が捨てて行ったのだろうか、一本の枯れ枝。私の心を痛める光景だ。

 2018年頃、たまたま訪れた雑司ヶ谷霊園で見かけた墓は、草が生い茂るに任せ、どこかの木の枝が墓域に無造作に投げ込まれている有様でした。
 どうやら家が絶えたようで、祭祀は続かず、改葬予告の札が立てられていました。
 訪れる者も自分のような物好きの旅人の他は、赤とんぼや蝶くらいのものでした。

 後で知ったところによると、この墓の主は旧伯爵の家でした。幕末の当主は尊王攘夷派の公卿として活動し、戊辰戦争の時は奥羽鎮撫使総督(のち副総督)として出陣し、奥羽各地に転戦した人物です。明治時代に入ると華族令により子爵に叙せられ、のち伯爵に陞りました。
 その栄華も今や昔となり、家は絶えて、2024年現在は墓も改葬されてしまったようです。

 実はこの詩は、数年前に作り改作を試みたものになります。
 前はこのようなものでした。
「墓門寂寂草荒中 赤卒漂揺秋影風 栄耀武勲誰顧見 往来過客度蒼穹」
 墓から赤とんぼに視点が動いたまま戻ってきておらず、主題が曖昧になっていると思ったので、今作は起句と結句で同じ方向を向くようにしようと試みたつもりです。

<感想>

 初めて拝見しましたが、無理な用語も無く、漢詩(漢文)に日頃から丁寧に向かっていらっしゃることが分かります。

 改作ということですが、その意図は「視線」を整えるためということ、これは長年の詩作経験者でも気付かないことが多いのですが、ある意味、起承転結の基本的な発想でもあります。
 素材を詩に配置し、多過ぎたり、少なかったりで動かしたりしていると、つい、作者の見ているものが曖昧になってしまうことが出て来ます。
 どこを見て、何を見ているのか、視点をきちんと持つことが臨場感に繋がりますので、特に、こうした実体験を描こうという詩の場合には、一貫した方向性があると安心できます。

 ただ、前作がそれほど悪いということではなく、目に見えたものを素直に描いたという点では、ビデオを見ているような穏やかな内容だと思います。
 改作の方は時を経た分、知識が加わり、それが「初めて見た時の印象」を一歩下がらせているように感じます。
 具体的には、赤トンボの表現です。前作では、たまたま赤トンボは飛んでいただけで、秋の風物素材としての役割ですが、改作では「稀客」と作者の判断が入りました。
 更に、その「稀客」である理由も「子孫絶」だと書かれていますが、「偶寄林園」という設定ですので、そこまで分かるかどうか、やや違和感が残ります。
 時が過ぎた分、作者には情報が増えますが、読者は初めての場面、その辺りのバランスですね。

 結句は、「枯枝」ですが、これを荒廃の象徴として「惨我情」とするのは、解説を読まないと難しいです。
 「林園」「枯枝」が落ちていることに不自然さは無いわけで、問題はそれが「墓域」に集めて放棄されていた状況です。
 となると、この「枯枝」の話は「古塋」の説明に持ってきた方が分かりやすくなりますね。
 例えば、起句はこのままで、承句に「枯枝」などで荒れた墓の様子を入れ、内容をずらすような形で転句には墓の主のこと、結句で赤トンボから秋空や作者の心情へと流すような構成にしてみると、作者の当初の気持ちがそのまま表れるように思います。

 推敲作、あるいは次作も拝見させていただけると嬉しい限りです。 2024.11.20                  by 桐山人
























 2024年の投稿詩 第92作は 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2024-92

  逃散        

山声響廃村   山声 廃村に響く、

請宿旅人言   宿を請う 旅人の言なり。

朽雨龍神社   雨に朽ちる龍神の社、

悲風乱蔓垣   風を悲しむ乱蔓の垣。

虎威残立壁   虎威 立壁のみ残し、

酷政滅精魂   酷政 精魂を滅せん。

杳杳隣邑遠   杳杳と隣邑遠く、

蕭然已近昏   蕭然として已に昏に近し。

          (上平声「十三元」の押韻)


<解説>

 百姓一揆には強訴とうちこわしと逃散とあるそうです。
 この詩はその中の一つ逃散を詠んだものです。

 村をすてて集団でどこか逃げてしまう。
 当然ですが、その後は無宿者として生きていくわけです。
 酷政は無宿者になったほうがよいほどに過酷であると言うことでしょうか。


<感想>

 誰も居なくなった村に、旅人の声だけが響く。
 書き出しから不穏な趣が漂いますね。

 過去の逃散の出来事が、今の移民問題に直結するわけでは無いでしょうが、家を捨て故郷を捨てなければならない状況が今でも続いていることに悲しい思いが募ります。
 そして、その原因が「酷政」であることを示した凌雲さんの視点は、現代への警鐘となっていますね。



2024.11.22                  by 桐山人
























 2024年の投稿詩 第93作は 陳興 さんからの作品です。
 

作品番号 2024-93

  呉越        

桐山十載薦詩功   

呉越千年語已通   

為有濱籌漢詠   

多年舊友此重逢   

          (上平声「一東」の押韻)


<感想>

 先日の全日本漢詩大会・神奈川大会での懇親会で、日本に来て居られた陳興さんと再会できました。
 コロナ禍の前の最後の中国旅行で出かけた蘇州でお会いして以来、変わらぬ若々しいお姿でした。
 この詩は、翌日にいただいたものです。
 ありがとうございました。



2024.11.23                  by 桐山人
























 2024年の投稿詩 第94作は 杜正 さんからの作品です。
 

作品番号 2024-94

  大鳥飛揚        

陽夏湖中浮御堂   陽夏の湖中 浮御堂(うきみどう)

瀾文水闌遠相望   瀾文 水闌(ひら)く 遠く相望む

突如大鳥飛翔影   突如 大鳥 飛翔の影

円碧清游意気揚   円碧 清游して 意気揚がる

          (下平声「七陽」の押韻)


<感想>

 杜正さんとも神奈川大会の懇親会会場でお会いしました。
 水墨と漢詩を変わらず楽しんでおられるようで、葉書に書かれた最新作を見せていただきました。
 この詩は、その葉書に書かれた詩で、以下の画に書かれていました。
 掲載のご許可もいただきましたので、紹介させていただきます。


 琵琶湖での鳥人間コンテストの場面でしょうね。



2024.11.23                  by 桐山人
























 2024年の投稿詩 第95作は岐阜県にお住まいの 河山 さん、七十代男性の方からの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2024-95

  中秋賞月        

白露幽庭松影横   白露の幽庭 松影横たわり

南軒滅燭酒杯傾   南軒 燭を滅して 酒杯傾く

風流恰好中秋夕   風流 恰も好し 中秋の夕

千里無雲玉兎明   千里 雲無く 玉兎明らかなり

          (下平声「八庚」の押韻)


<解説>

  白い露が落ちた静かな庭には 松の影が横たわり
  秋の気配に誘われ南の軒に出て、灯を消して、酒杯を傾ける
  中秋の夜は、風流なものだ。
  雲一つない空には、名月が輝いている。


<感想>

 新しい方をお迎えして嬉しく思います。
 漢詩創作については、河山さんは十年程のご経験だそうですが、一番油が乗った、と言うか、作詩の楽しみが深まった頃ですね。
 拝見して、画面のしっかりした詩だと思いました。

 承句の「滅燭」は古来、月を愉しむ折に使われる言葉で、風雅を高めるための行為ですね。
 ただ、結句の月の描写が壮大ですので、承句で光を出す必要は無く、別の情報を考えて見ても面白いかと思います。




2024.11.25                  by 桐山人
























 2024年の投稿詩 第96作は京都市にお住まいの 神無月 さん、六十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2024-96

  春愁        

桜雲江上駕孤篷   桜雲 江上 孤篷(こほう)に駕(の)り

柳緑桃紅微午風   柳緑 桃紅 午風微かなり

香裏落下春寂寞   香裏 落下 春寂寞として

船頭休櫂眺天穹   船頭 櫂を休め 天穹を眺む

          (上平声「一東」の押韻)


<解説>

 雲のように桜が群がり咲いている川のほとりで一艘の舟に乗った。
 緑の柳と紅の桃に微かに午後の風が吹いている。
 芳しい香りの中、花が散り、春はひっそりとしてもの寂しい。
 船頭は櫂を漕ぐ手を休め、天穹を眺めている。

<感想>

 神無月さんは、お手紙によりますと、定年退職後に漢詩に興味を持ち、今年の春から漢詩教室に通われておられるそうです。
 作詩経験は九ヶ月ほどですが、熱心に取り組んでいらっしゃるようですね。

 いただいた詩の転句は「落下」ではなく「落花」の入力ミスですね。
 ということで拝見すると、起句の「桜雲」、承句の「桃紅」、転句の「落花」と三句に花のことが出て来ます。
 この三つの素材、微妙に時期にズレがあるように感じます。「桜雲」は風が吹けば「落花」も同時に起きることはありますが、そこに「桃紅」はちょっと早いかな。
 また、同じ種類の素材を並べると、画として眺めた時に全体が濁る、と言うか、生き生きとして来ない感じもしますので、取りあえず検討対象は「桃」ですかね。

 全体としては、構成的にも考えておられると思いますが、題名の「春愁」があまり感じられず、どちらかと言えば「のんびりと春の川遊びを楽しんでいる」中に、無理矢理「落花春寂寞」が入り込んだように感じます。
 前半は春の景、転句で変化を出した所までは良いので、つまりは結句の穏やかさに原因があるのかもしれません。

 「春遊」くらいの気持ちで転句を揃えるか、「春愁」にまとめるなら結句を主題に寄せてくるか、どちらかの方向かと思います。

 以上が私の感想ですが、瑕疵があるということではなく、今後の推敲の楽しみの手がかりだと思ってください。
 



2024.11.27                  by 桐山人
























 2024年の投稿詩 第97作も 神無月 さんからの作品です。
 

作品番号 2024-97

  天空城(竹田城)        

南風天守嘆流離   南風の天守は流離を嘆き

夏草石垣寂寞悲   夏草の石垣は寂寞として悲しむ

遥見群山無限緑   遥かに見る群山は限りなく緑にして

応知戦火落城時   応に戦火落城の時を知るべし

          (上平声「四支」の押韻)


<解説>

 初夏に兵庫県の竹田城に行きました。
 天守や石垣の跡が残っていて、往時を偲び悲しんでいるように感じました。
 周辺の悠久の山々はきっと戦乱の時を覚えているに違いないと思いました。

<感想>

 初夏の城閣を眺めて、芭蕉の句を思い出したのでしょうね。

 起句の「天守」は和語で、漢詩では使わないように、とされています。「和習」と言われますね。
「古閣」「樓閣」など考えてみてはどうでしょう。

 前半は作者の心情を表す言葉が両句に出てますが、通常は詩の後半に持ってくる言葉で、その方が詩としてはまとまりやすくなります。
 ただ、心情を大きく出しておいて、最後にその心情を象徴する叙景を置くという手法もあり、ドラマチックな展開が生まれます。
 この詩では、「嘆流離」「寂寞悲」という心情表現は脈絡が無くてボヤーとしているのですが、結句の「戦火洛城時」の言葉で具体性を一気に引き立ってくるわけです。

 そういう流れ、つまりこの詩の主題はまさに「兵どもが夢の跡」だということで行くと、転句は単なる叙景ではなく、もう少し結句に繋がるような物が欲しいですね。
 簡単に言うと、転句の景色からどうして過去の出来事へ連想が行くのかが分かりにくいところです。

 ただ、私としてはこの転句がこの詩では一番具体性があり説得力もありますので、この句を中心に置いて、竹田城の夏の景色を描き出すと、実感の湧く詩になるかもと思いました。



2024.11.27                  by 桐山人
























 2024年の投稿詩 第98作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2024-98

  岩井懷古        

馬上兜鍪野髑髏   馬上の兜鍪 野の髑髏

承平一破戰雲流   承平 一たび破れて 戦雲流る

當年覇業今何處   当年の覇業 今何れの処ぞ

只見夕陽刀水浮   只見る 夕陽の刀水に浮かぶを

          (下平声「十一尤」の押韻)


<解説>

  下總國岩井傳是平將門公終焉之地也
  下総国岩井、伝ふ是れ平将門公終焉の地なりと

 カブト煌く騎馬の上 ドクロ転がる草の陰
 太平無事の世は終わり 戦乱の気が立ち籠める
 つわものどもが夢の跡 今はいったいどこにある
 坂東分つ利根川に 沈む夕陽が浮かぶだけ


<感想>

 平将門は随分昔の大河ドラマの主役、草原を馬で走り回る加藤剛さんの姿を覚えていますし、「平将門」という人物について詳しく知るきっかけを与えられました。
 愛知県に居ては、平将門の名前は普段目にすることはありませんから。

 起句の句中対、「兜鍪」「髑髏」の対が戦乱の時代を象徴し、次の「承平」「戰雲」の対比も話の明快さが出てますね。

 後半は歴史を語るオーソドックスな展開ですが、利根川の古名で使われた「刀」が、起句の「兜鍪」と照応して、全体がうまくまとまっていると思います。



2024.12. 8                 by 桐山人
























 2024年の投稿詩 第99作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2024-99

  縁起達磨        

一目瞭然千里明   一目瞭然 千里明らかにして

雖無手脚溢丹誠   手脚 無しと雖も 丹誠溢る

矮軀自在轉還起   矮躯 自在にして 転じて還た起き

日日偏期完點睛   日日 偏へに期す 点睛の完きを

          (下平声「八庚」の押韻)


<解説>

 「一目瞭然!」片目でも 千里の果てまで見通して
 手も足も出ぬと言いながら 真心いっぱいあふれそう
 小さなからだで何度でも 転んでもまた起き上がり
 両目に墨が入る日を 今日か明日かと待っている


<感想>

 こちらの詩はダルマですので、岩井から群馬県の高崎に旅行されたのかな。

 起句の「一目」は「一目瞭然」の「一目」、つまり「ちょっと見る」の意味とダルマの「片目」であることを掛けているのですね。
 というよりも、そこにこそ、まずは作詩のきっかけがあったのかな。
 「千里」もピッタリの対応していますので、これだけで画賛になりそうな一句です。

 となると、その後の話が難しいところですが、姿形、七転び八起きの動作、願いが成就して両目になる風習などと観点を変えてますね。
 そして、やや大げさな表現もユーモラスなダルマの姿を表すように、工夫されていると思いますよ。
 詩を楽しんでいるお気持ちが伝わって来るようですね。



2024.12. 8                 by 桐山人
























 2024年の投稿詩 第100作は 擔雪 さんからの作品です。
 

作品番号 2024-100

  祝平和賞受賞        

被爆眞情六八年   被爆 真情 六八年

爛焦地獄震驚然   爛焦 地獄 震驚然り

永懷更願三原則   永懐 更に願ふ 三原則

快報忽來稱贊連   快報 忽ち来たり 称賛連なる

          (下平声「一先」の押韻)


<感想>

 今年のノーベル平和賞が発表され、日本の被爆者の団体が受賞しました。
 そのことに対して、静岡の教室でお二人が作詩されていましたので、紹介しました。
 現代のタイムリーな出来事は、漢詩ではなかなか作りにくいところですが、しっかり取り組んでおられました。



2024.12. 8                  by 桐山人
























 2024年の投稿詩 第101作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2024-101

  讃諾貝爾平和賞        

結成被團協     結成 被団協

訴求非核萬邦聯   非核を訴え求め 万邦に聯なる

連綿七十年     連綿 七十年


廣島長崎血     広島長崎の血

屍死累累閃爍熱   屍死累々 閃爍の熱にて

黒雨滿身穴     黒雨 満身に穴(ウガ)つ


水爆環礁閃     水爆 環礁に閃き

操業漁船深刻冤   操業の漁船 深刻なる冤(うら)み

不撓敢心魂     撓まず心魂敢えてす

    (漢俳 「聯・年」「熱・穴」「冤・魂」… 下平声一先・入声九屑・上平声十三元の押韻)


<解説>

 今年 第五福竜丸の水爆禍七十年になります。
 漢俳三聯は、漢俳提唱者、趙樸初に見られます。
 (作者注)

<感想>

 こちらは、五言・七言・五言の漢俳で書かれたもの。
 解説に書かれたように、換韻された三つの聯による連作です。



2024.12. 8                  by 桐山人