2024年の新年漢詩 第61作は桐山堂静岡の 擔雪 さんからの作品です。
 

作品番号 2024-61

  令和甲辰新年作 一        

改歳三元拜旭光   改歳の三元 旭光を拝す

庭梅一朶放新香   庭梅 馥郁として 新香放つ

春回八十身康健   春は回る 八十 身は康健

時遇甲辰昇吉   時に遇ふ 甲辰 吉祥を昇らす

          (下平声「七陽」の押韻)


























 2024年の新年漢詩 第62作は桐山堂静岡の 擔雪 さんからの作品です。
 

作品番号 2024-62

  令和甲辰新年作 二        

四海洋洋初旭紅   四海 洋洋たり 初旭紅し

暄風千里坐春風   暄風 千里 春風に坐す

甲辰正旦祈無恙   甲辰 正旦 恙無きを祈る

梅蕾幽香淑氣通   梅蕾 幽香 淑気通ず

          (上平声「一東」の押韻)


























 2024年の新年漢詩 第63作は桐山堂静岡の 擔雪 さんからの作品です。
 

作品番号 2024-63

  令和甲辰新年作 三        

改歳春光綻早梅   改歳の春光 早梅綻び

乾坤風渡暗雲開   乾坤 風渡り 暗雲開く

甲辰正月祈無恙   甲辰 正月 無恙を祈る

萬國平安時滿來   万国 平安 時満ちて来たらん

          (上平声「十灰」の押韻)


























 2024年の新年漢詩 第64作は桐山堂静岡の 柳村 さんからの作品です。
 

作品番号 2024-64

  新年作        

旭日曈曨一歳回   旭日 曈曨 一歳回る

靈峯戴雪正皚皚   霊峯 雪を戴き 正に皚皚

三元淑氣生何處   三元の淑気 何れの処にか生ずる

先吐暖香庭上梅   先ず吐く 暖香 庭梅の梅

          (上平声「十灰」の押韻)


























 2024年の新年漢詩 第65作は桐山堂静岡の 一菊 さんからの作品です。
 

作品番号 2024-65

  元旦家書        

晴日迎年郷信來   晴日 歳を迎へて 郷信来たる

親朋無恙笑顏開   親朋 恙無く 笑顔開く

蓬門松竹風遍   蓬門の松竹 祥風は遍き

寄語飛鴻春正回   語を飛鴻に寄せる 春正に回ると

          (上平声「十灰」の押韻)


<解説>

「年賀状を取りにポストを見に行き、返信の気持ちを鳥に託す」という気持ちで作りました。
 なるべくおめでたい言葉を入れて、楽しい感じを出したつもりです。


























 2024年の新年漢詩 第66作は桐山堂静岡の 一菊 さんからの作品です。
 

作品番号 2024-66

  新歳即事        

元旦青龍新霽開   元旦 青龍 新霽を開き

祥光正照數枝梅   祥光 正に照らす 数枝の梅

景風運暖衡門下   景風 暖を運ぶ 衡門の下

遙望黄雲何處來   遥かに見る黄雲 何れの処より来たる

          (上平声「十灰」の押韻)


























 2024年の投稿詩 第67作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2024-67

  晩秋行萩往還     晩秋 萩往還を行く   

田野渓山村市中   田野 渓山 村市の中

防長百里一途通   防長 百里 一途通ず

霜畦漠漠無人影   霜畦 漠漠として 人影無く

荒径寥寥堆落楓   荒径 寥寥として 落楓堆し

遙想輝天藩后幟   遙かに想ふ 天に輝く 藩后の幟

徒悲濡雨楚囚籠   徒らに悲しむ 雨に濡る 楚囚の籠

今時此路少来去   今時 此の路 来去少なく

暮嶺孤踰衰老翁   暮嶺 孤り踰ゆ 衰老の翁

          (上平声「一東」の押韻)


「楚囚」: 江戸送りになった吉田松陰 

<解説>

 昨年、萩往還を歩いてきました。
 藩政時代に日本海側の長州萩と瀬戸内側の防州三田尻の間、南北約五十キロに幅二間の立派な街道が開かれていたようです。
 現在、古道が残っているのはその内三分の一位でしょうが、なかなか風情のある道でした。
 当時の健脚でしたら、一日で歩いたのでしょうが、私は二日以上かかりました。
 老齢となって体力の衰えを感じさせられた旅でもありました。


<感想>

 各聯の構成は起承転結に従って、起(首聯)承(頷聯)で晩秋の街道の寂しげな眼前の様子を描き、転(頸聯)で過去の場面を思い描いてから、結(尾聯)で現在に戻ってますね。

 その頸聯では、長州藩、それなら吉田松陰、という形で、確かに過去へと気持ちは進みますが、街道そのもののが賑わったということではないので、第七句の「今時」が何を含むのかがはっきりしませんね。

 そのままの展開だと、「吉田松陰の護送の時には、この街道には人がいっぱい居たのに、現在では・・・・」と拡げて読むしか無い状態です。
 それとも、「雨の中で見送る人も無く寂しい護送だったろうが、今も同じく・・・・」という流れで行くか、それだと上句の「輝天藩后幟」が気になるし、難しいところですね。

 表現としては、三句目の「無人影」と七句目の「少来去」は重複感が強いですので、どちらかにして、別の表現も考えてはどうでしょう。



2024. 5.20                  by 桐山人
























 2024年の投稿詩 第68作は 国士 さんからの作品です。
 

作品番号 2024-68

  射水親漢詩会        

漢詩会友一欣然   漢詩 会友 一に欣然

吾這仁心最弱年   吾 仁心に這えられ 最も弱年なり

師範奇文間語話   師範 奇文 間語話

江東綵筆好書編   江東 綵筆 好書編

和人典籍歓猶在   和人の典籍 歓猶在り

郡彦遺経賞更延   郡彦の遺経 賞更に延く

函丈慇懃耽翰墨   函丈 慇懃 翰墨に耽る

幾辛苦未憶先賢   幾辛苦ぞ 未だ先賢を憶はざる

          (下平声「一先」の押韻)


<解説>

 漢詩の会の仲間はなんと喜び楽しんでいることだろうか。
 私は、思いやりの心で、この仲間にむかえられて一番若者でもある。
 先生は素晴らしい詩文を静かに語られて。
 故人の郷土の漢詩人江東氏のすぐれた文才はよい書物である。
 日本人の古い書物にも面白さがあり。
 すぐれた昔の人々のいにしえの聖賢が遺した書物の賞翫はまた別にある。
 講義の席でていねいに詩文や書画などの文芸に耽る。
 どれほど昔の人は苦しんだのだろうか、まだ昔の賢人をそれほど思いやったことがない。



<感想>

 律詩に挑戦、ということですね。掲載が遅くなり、すみません。

 律詩で大事なのは、頷聯と頸聯に置かれる対句の妙になります。
 最初は、丁寧に言葉を対応させるようにして練習することです。
 きちんと収まり過ぎて面白みが無いとか、「合掌対」で斬新さが無いとか、言われることもありますが、最初は愚直なくらい合わせることが大切だと思います。

 そういう点で拝見すると、頷聯は「奇文」「綵筆」の対応は良いですが、上の「師範」「江東」はどうでしょうね。
 「江東」「郷土の漢詩人江東氏」とありますので、個人名のようです。そうなると、一般名詞の「師範」とは対が悪いですね。
 ただ、この詩が漢詩の会の中だけで読まれるということでしたら、恐らく「師範」「江東」も会員の方から見れば同じ「先生」ととらえるでしょうから、それならばこういう対応も有りだと言えますので、場によって違うということもあります。

 あと、上句は「師範は奇文を語る」ですが、下句は「江東の綵筆は好い」なので文の構造は違うかな?
 下三字は「間語話」はどう読むのでしょうか。下句を「書編好し」とするなら「語話間か」「好書の編」なら「間語の話」と合わせるわけですが、どちらにせよ「語」「話」が重複しているように感じます。、

 頸聯は上二字、「和人」と限定すると「郡彦」が苦しくなりますので、「和人」なら「漢土」「群彦」なら「古人」あたりが収まりが良いかと思いました。

 最後は「辛苦」が突然来ましたが、先人も漢詩の仲間の方々も、苦吟をした人もいるでしょうが、結論は楽しんでいる筈ですね。
 「昔の賢人」の歓びを思いやることが方向としては嬉しいですね。



2024. 6. 3                  by 桐山人
























 2024年の投稿詩 第69作は 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2024-69

  赤壁前夜        

北馬捲砂迫   北馬 砂を捲き迫り、

孫王未決降   孫王 未降るを決せず。

南船須独占   南船 須べからく独占すれば、

水戦総無双   水戦 総じて無双なり。

月照釣人岸   月は照らす釣人の岸、

風吹陣屋窓   風は吹く 陣屋の窓。

騎兵幾十万   騎兵 幾十万、

不敢渡長江   敢えて長江を渡らず。

          (上平声「三江」の押韻)


<解説>

 電子辞書をなくしてしまい平仄をしらべるの難儀しています。

<感想>

 凌雲さんがお得意の歴史物ですね。
 『三国志』シリーズも楽しく拝見しました。

 今回は「赤壁の戦」の前夜、呉軍の側からの視点で描いているわけですが、頸聯はのんびりした印象、呉軍の勝利を知っている分だけ緩くなりましたかね。

 「北馬」「南船」は熟語としての対応が強いので、対句かと思ってしまいます。
 「魏」「呉」の国名を配分すると、収まりが良くなるでしょう。



2024. 6. 2                  by 桐山人
























 2024年の投稿詩 第70作は 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2024-70

  沖縄 其一       

熱帯鮮花返礼迎   熱帯鮮花 返礼に迎え、

琉球美海雅凌京   琉球美海(ちゅらうみ) 雅 京を凌ぐ。

華僑貿易南洋港   華僑 貿易す 南洋の港、

万国乾杯首里城   万国 乾杯す 首里の城。

孟夏今将行楽地   孟夏 今将に行楽の地、

砂浜早已歓喜声   砂浜 早くも已に歓喜の声。

珊瑚髪飾竜宮夢   珊瑚の髪飾 竜宮の夢、

碧水周天四面平   碧水の周天 四面平らかなり。

          (下平声「八庚」の押韻)


<解説>

 今年の二月のすえに初めて沖縄に行ってきました。
 旅行前にイメージを膨らませかいたものです。しかし沖縄は暖かかったですね。


<感想>

 「沖縄!」というイメージが「熱帯鮮花」とか「碧水周天四面平」などによく表されていると思いますね。

 頷聯は琉球王国としてのかつての沖縄の光景を思い浮かべた聯で、国際的にも大きな交流拠点だったことを言ってるのでしょう。
 ただ、唐突な印象は残り、急に「華僑」とか「万国乾杯」となって、最初は何の話かと思いました。
 二句目の「雅」で、「歴史のある場所だ」と述べ、言わば作者の連想の鍵を示してはいますが、ちょっと弱いですね。
 「美海」のところで、「雅」が古来からのものだと示すような導入があると良いかと思います。

 頸聯は、「孟夏今将」とあるので、詩の季節は「孟夏」と考えれば良いでしょうか。
 そうすると、下句の「早已」が何に対して「早い」のか、悩ましいですね。
 この句は平仄も違いますので、併せてご検討を。



2024. 6.24                  by 桐山人
























 2024年の投稿詩 第71作は 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2024-71

  沖縄 其二        

祖廟菩提府米軍   祖廟の菩提 米軍に府し、

珊瑚岩殿遠青群   珊瑚岩殿 遠く青い群。

明槽燿滅大游影   明槽 耀滅 大きな游影、

日柱横斜碧水文   日柱 横斜 碧い水文。

島北猶存貴重種   島北 猶存す 貴重な種、

遼平望見熱驩_   遼平 望み見ん 熱驍フ雲。

弾心邂逅人魚幻   心を弾ませ邂逅す 人魚の幻、

白渚南風総献君   白渚 南風 総て君に献ぐ。

          (上平声「十二文」の押韻)


<感想>

 こちらは続編、首聯はドキュメンタリー映像のような鮮やかさがあります。
 ただ、沖縄の持つ歴史の重みを描いた第一句に対して、第二句はただ景色だけという形で、組み合わせが物足りないですね。
 沖縄の景色の良さと描くならそれでも良いし、沖縄の歴史と現状を思うならそれでも良いのですが、両方を一聯に入れたためどちらも軽くなってしまってます。
 頷聯以降の内容を見ると、景色に絞って明るい光景が主体のようですので、第一句も合わせる方向でしょうが、第一句の描写は適切で捨てがたいところ。
 この句を頸聯くらいに持って行くような展開も見てみたい気もあります。



2024. 6.20                  by 桐山人
























 2024年の投稿詩 第72作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2024-72

  賀畢業        

胸中懼懼六年前   胸中 懼懼たり 六年前

畢業堂堂對碧天   業を畢へて 堂堂として 碧天に対す

各寄春風言志處   各おの春風に寄せて志を言ふ処

乃翁笑見老櫻邊   乃翁 笑って見る 老桜の辺

          (下平声「一先」の押韻)


<解説>

 六年前は内心で ドキドキしてたキミたちも
 卒業の日は堂々と そらに向かって胸をはる
 大きな夢を春風に 寄せて語っている背中
 オヤジは笑って見てるだけ 歳経た桜の樹の下で

次男も小学校を卒業し、今春から中学生となりました。
まだまだ心配な部分もありますが、大きな一区切りです。


<感想>

 父親としての観水さんのお気持ちがよく分かりますね。
 お子さんの成長を「懼懼」「堂堂」の対比で表し、その六年間、ずっと「笑見」してきた自分を最後に出すという構成もしっくりとします。

 この詩は私にとっては、観水さん自身の「成長」の記録というもので、嬉しい近況報告ですね。



2024. 6.25                  by 桐山人
























 2024年の投稿詩 第73作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2024-73

  代櫻花        

薄命自衰旬日中   薄命 自ずから衰ふ 旬日の中

明朝我也散春風   明朝 我も也た 春風に散ず

年年歳歳人相似   年年 歳歳 人相似たるも

歳歳年年花不同   歳歳 年年 花同じからず

          (上平声「一東」の押韻)


<解説>

 花の命は短くて 十日もすればお仕舞いさ
 あしたになればオレだって 春風ン中散ってくさ
 花見の客の顔なんぞ ちっとも区別つかねェが
 どうせコッチも来年は オレの出番はねェからさ

「年年歳歳花相似、歳歳年年人不同」とは言いますが、花の側からしてみれば逆だろうかと想像してみての一首。

<感想>

 初唐の劉庭芝(希夷)の「代悲白頭翁」の名句を一拈りして、桜の立場で眺めたもの。
 確かに、令和の花見も昭和の花見も、桜の前に人が陣取って酔っ払っている姿は変わらないし、今年の桜と来年の桜についても木は同じでも花は今年の花ではない。
 新らしい視点で、漢詩を楽しんでるなぁと共感します。

 そう言えば、先日の漢詩教室で、北宋の劉禹錫の「嘲少年惜花」という詩を鑑賞しました。
 「花は毎年生まれ変わって新たになるが、人間はただ年老いるばかり、若い奴らが落花を嘆くなどちゃんちゃら可笑しいわい」と断じています。
 観水さんとは違う視点ですが、発想の転換という姿勢は共通しているかもしれませんね。



2024. 6.25                  by 桐山人
























 2024年の投稿詩 第74作は横浜市にお住まいの 寒鶩(かんぼく) さん、十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2024-74

  某人之嘆        

人悉磬驩悦   人悉く驩悦を磬(つく)す

庶衆何得得   庶衆なんぞ得得たる

空居虚白裡   空しく虚白裡に居り

念欲縊溝涜   溝涜に縊(くび)らんと欲するを念(おも)う

       


<解説>

 今はちょうど受験期なので、自分は勉強しているけれど、まわりはみんな遊びに興じている
 そんな対蹠的な哀歓(あいかん)を詠んだ漢詩です。

 人はみんな興を尽す
 どうして多くの人はそんなにも得々としているのだろうか
 私は空しくさびしい家にいて
 溝涜(こうとく)に縊ろうと思っているのに


<感想>

 前半で、周囲の人々の姿、後半は自分の心情、という組み立ては、短詩の構成としては分かりやすいものです。
 五言絶句は使える字数が少なく、伝えたいことを確実に言葉にすることが大事ですね。
 第一作として、まずは気持ちを漢語で表す、ということがよく出来ていると思います。

 起句の「驩」は「歓」の字に代用されることも多いですが、「驩欣」「驩然」など、喜ぶ意味で使いますね。
 また、結句の「縊溝涜」は『論語』の「憲問」に出て来る言葉で、溝(みぞ)や涜(たにま)にはまって首をくくる、という意味。
 管仲は仁者とは言えないのでは、と尋ねた子貢に対して孔子が「管仲は世の中への功績がある。つまらない人間が誰にも知られない場所で無為に死ぬよりも価値がある」と管仲を擁護した言葉として知られています。
 この詩では「無為に生きる」ということでしょうから「縊」までは要らないでしょう。
 難しい言葉も無理なく使われていて、漢詩に対する気迫が感じられます。

 押韻については、承句の「得」も結句の「涜」も日本語の音読みでは「トク」でどちらも入声ですが、漢和辞典で調べてもらうと「得」は「入声十三職」の韻目、「涜」は「入声一屋」の韻目と違いがあります。
 押韻は四声(平・上・去・入)と韻目を共通にすることが必須ですので、例えば「涜」に合わせるなら「入声一屋」に属する「屋木竹目服福祿熟谷肉族鹿腹菊陸軸逐牧伏宿讀犢牘復粥肅育六縮哭幅斛独沐速麓穀」などの字を承句末に置くようにします。
 あるいは逆に「得」に合わせるなら結句末を「入声十三職」に属する「職國コ食色力翼墨極息直北黒側飾賊刻則塞式軾域殖植織匿億臆憶特劾仄識克測冒抑翌」などの字にすることになります。
 一つの韻目にどの字が含まれるのか、というのは、桐山堂のホームページ上の「平仄チェッカー」でも調べられますし、平声だけの一覧表ならこれもホームページからダウンロードできます。
 その他にも調べられるサイトはありますので、利用すると良いでしょうね。



2024. 8.12                  by 桐山人
























 2024年の投稿詩 第75作も 月輪寒鶩 さんからの作品です。
 

作品番号 2024-75

  烏兎匆匆       

朝携書静座牀榻   朝に書を携えて牀榻に座し

繙殺青能知史牒   殺青(さっせい)を繙きて能く史牒を知る

夕紫闇追漸染昊   夕に紫闇漸を追って昊を染む

不思時倏易宵到   思わず 時の倏として易(かわ)り宵の到るを


<解説>

朝と夕を対照的に使い、また昔水彩画を習っていて、たまに茜色の夕焼けの空が紫色の闇をおおわれる様を描いていたので、それを思い出し、それを漢詩に取り込みました。

 朝書を持ってきて、椅子に座り
 歴史書を繙くと、歴史を知る
 夕に紫色の闇がだんだんと空を染めて
 時が早くかわり、夜になっていたとは思わなかった

<感想>

 押韻については、こちらも同様です。七言ですので起句も韻を踏むことと、全体を仄声で韻を踏むなら転句は平声にして押韻しないこともルールです。

 題名は「烏兎匆匆」、「烏兎」は「太陽と月」を意味し「歳月のはやく過ぎる」ことを言いますが、詩の内容からは朝から夕方までの出来事ですので、詩の方をもう少し長く、こうした生活を毎日送っている、という感じにすると合うでしょうね。

 七言の詩は、句の構成として「二・二・三」という句切りがあると意味が理解しやすくなります。
 例えば起句は「携書早暁坐牀榻(書を携えて早暁 牀榻に坐す)」、承句は上四字を「繙読殺青(殺青を繙読して)」のように語を入れ替えるようにすると、リズムが生まれて読みやすくなります。

 転句の「夕」は結句の「宵到」と重なりますので、「紫闇」を頭に置いて、これを主語として書いてみる形が良いかと思います。
 ただ、結句には「翌日もその翌日も」という形で、この生活が続いていくことを入れるとなると、「宵」の方を直す必要があるかもしれませんね。



2024. 8.12                  by 桐山人
























 2024年の投稿詩 第76作は 月輪寒鶩 さんからの作品です。
 

作品番号 2024-76

  感寂寥而賦詩        

雀響於庭樹   庭樹に雀響き

同作群繞松   同(とも)に群れをなして松を繞る

懶醒眸覩褥   眸を醒むるに懶く褥より覩(み)る

忽夐去蕭蕭   忽ち夐(はる)か去りて蕭蕭たり


<解説>

 個人的にはあまり上手くいった漢詩には思っていません。
 眸子を醒めるのに懶いのに、何故蒲団より見たのか なんとなく矛盾の感が拭えないのです。
 その実、本来ここでは立つのが面倒なので、蒲団から見た としたかったのですが、立にすると平仄が合わないらしく、詮方なく眸を醒めるに懶くとしたので、奇妙古怪な矛盾みたような漢詩になったわけです。
 亦た鶴立や佇立等を使えば、良いかとも思ったのですが、是もまた平仄があわず、どうしても捗が行かなかったです。
 詰まるところ今日甫めて漢詩を詠んだ訳ですから、研鑽の為甲斐があるということでしょう。


 庭の木に雀が鳴き、群れをつくり、松の周りを飛んだのを起きるのが面倒なので、蒲団より見た。
 忽ち雀は遥かに去り、庭は寂しくなった。

<感想>

 「松」「蕭」も音は「ショウ」ですが、「松」は「上平声二冬」で、「蕭」は「下平声二蕭」となります。

 平仄で苦しんだようですので、確認のために調べてみましょう。
 平声は「○」、仄声は「●」、両韻字は「△」「▲」としますと、
  雀響於庭樹・・・●●○○●
  同作群繞松・・・○●○●○
  懶醒眸覩褥・・・●△○△●
  忽夐去蕭蕭・・・●●●○○

 平仄の基本である「二四不同」「二六対」「反法・粘法」も考えておられるようですので、違っている所は承句の二字目、ここは平声にしましょう。
 また、転句の四字目の「観」は「寺や見晴らし台」ならば仄声ですが「見る」の意味ですと平声になりますので、この二箇所だけですね。

 起句は、まず「雀が響く」「雀の響き」というのは本来は「雀の鳴き声が響く」ですので、表現が苦しい感じです。
「雀噪響庭樹」とすれば話は落ち着きます。

 承句は語順を換えて「作群同繞松」とするだけで整いますね。

 転句は解説に書かれた通りで、「起き上がるのに慵い」なら分かりますが、「目を覚ますのに慵い」では疑問。
 「欲窺猶懶起」と語を入れ替えるだけでなく、語順を替えるなど、あれこれやってみると良いですよ。

 結句は「忽夐去 蕭蕭」で句のリズムが「三・二」になっています。五言は「二・三」が基本ですので、これも語順を換えて「忽去夐蕭蕭(忽ち去りて 夐か蕭蕭)」の方が分かりやすくなりますね。

 なかなか余裕が取れずに、いただいてから掲載まで随分時間が経ってしまい、申し訳ありませんでした。
 受験生とのこと、暑い夏ですが頑張って乗り切ってください。



2024. 8.12                  by 桐山人
























 2024年の投稿詩 第77作は 道香 さんからの作品です。
 

作品番号 2024-77

  謝礼祝賀之瑠璃集     謝礼す祝賀の瑠璃の集い   

丹波緑走史編城   丹波 緑走る史編の城へ

田植直苗明日萌   田植ゑ 直き苗 明日へ萌す

孫子以心僖永命   孫子 心を以て永命を僖ばん

一筋八十路携生   一筋 八十路 携へ生きん

          (下平声「八庚」の押韻)


<解説>

  ありがとう 瑠璃渓での私たちの長寿の祝い
 車で走る丹波の道は新緑が鮮やかでした。歴史綴る園部城へ向かいました。
 田植えが終わり 真直ぐに並ぶ苗は明日への萌しを示す様でした。
 子、孫、曾孫と心を以て長寿と私の退職を喜んでくれました。
 一筋八十路超え 携えて生きてきて今日は本当にありがとうございました。


<感想>

 お手紙には、今年の五月に、お孫さんやお子さん達が、道香さんご夫婦の慰労もかねて、祝いの集いも開いてくださった時の詩だと書かれていました。
 感謝のお気持ちと喜びが伝わってきますね、おめでとうございます。

 句の展開も自然で、まとまっていますね。
 「園部城」のお城そのものは京都市南丹市にあり、「日本の城郭史で最後の建築物」とのことです。
 部分的に感じた点だけ、せっかくの記念の詩ですのでご参考に。


 起句の「緑走」は「緑が走る」で「一面に緑が走るように広がる」ということでしょうか。「新緑」「遍緑」でも良いかと思います。

 承句は「田植」は和語ですかね、こちらに「緑」を持ってきて、起句の中二字は記録の意味で「初夏」としても良いでしょう。

 転句は「以心」はストレートな表現ですが、「斉心」「誠心」など「心」の内容を少し加えると、感謝の気持ちに繋がって行きますね。

 結句は「八十」までで伝わりますし、「筋」「路」は重なる印象です。
 句の切れ目(リズム)も悪く感じますので、「路」を削るとか、上を「八旬一路」と語順を換えて、下三字を膨らませてはどうでしょうね。




2024. 8.13                  by 桐山人
























 2024年の投稿詩 第78作は 茜峰 さんからの作品です。
 

作品番号 2024-78

  共生被爆牛 其二        

爆後経年関与幽   爆後経年 関与幽(かすか)なり

不迷風政養衰牛   風政に迷はず 衰牛を養ふ

何為飼育私論数   何すれぞ飼育 私論数(かずかず)

玄義死生追究悠   玄義なる死生 追究すること悠なり

          (下平声「十一尤」の押韻)


<解説>

 福島県浪江町に住まわれる畜産農家吉沢正巳(70)は、東北大震災で被爆した牛を今も飼っておられる。
 以前のこの方の行動を映画で知り、心をうたれ2017年に作詩をした。
 今回は其の二である。

 先日NHKのテレビ放映で、吉沢さんが今もその姿勢を貫いておられることを知った。
 世間の関心は薄れ、ほんの僅かな方の支援はあるもののボランティアの方も減ったという。
 金にもならない、なぜこんなことをするのか行きつ戻りつ考えることが多いと言われる。

 たとえ牛であろうと、人間の勝手な論理で、被爆の姿をそのままに見捨ててはならない。
「命とは何ぞや」を命題に最後の一頭まで見届けるつもりでおられる。

<感想>

 前回の作品は、2018年の投稿詩のコーナーに、「共生被爆牛」として載せてあります。
 今回の詩には「百八十頭と一人」の副題が添えられています。

 前作から七年、大震災からは十三年、すでに「記憶」として過去の出来事になりそうな危惧が強い中、信念を貫いておられる方への共感が伝わります。
 私はその番組を見ませんでしたが、吉沢さんを再度取り上げたテレビ局の姿勢を評価したいし、意識を持ち続けている茜峰さんもご立派だと思います。

 少し分かりにくい点がありますので、そこだけ直されると良いと思います。

 起句の「関与」は「(吉沢さんの)活動への支援や協力」ということでしょうか。
 「支援」と直接書いた方が良いと思いますが、「援」の平仄が辞書によって違いますので悩まれたかね。
 「助」ならば仄声ですので、「輔助」「共助」などにすれば心配は無くなるでしょう。

 承句の「風政」は通常、「正しい政治」「徳のある政治」の意味で使います。意図と違うように思いますので、「時政」の方が良いでしょう。

 転句の「私論」は第一作でも使われていましたね。

 内容は異なりますが、この八月は、全国で戦争体験の継承の催しが行われます。
 記憶を風化させない取り組みを見るたびに、活動継続の大変さ、大切さを噛みしめています。



2024. 8.14                  by 桐山人
























 2024年の投稿詩 第79作は 茜峰 さんからの作品です。
 

作品番号 2024-79

  奪自由伊朗覆蓋布     自由を奪ふ伊朗(イラン)の覆蓋布(ヒジャブ)   

被評覆蓋娘亡消   覆蓋を評せられ 娘は亡し消ゆ

抗議義嬢囚獄漂   抗議す義嬢は 囚獄に漂ふ

童子傷懐親故国   童子は 傷懐す 親の故国

貫通婦女自由要   貫通せん 婦女の自由の要(もとめ)を

          (下平声「二蕭」の押韻)


<解説>

 ヒジャブの被り方が悪いと言われた22歳の女性は警察に捕らえられ3日後に死亡した。
 それに抗議した別の女性は 刑務所に収監された。
 母がイラン人(父は日本人)の7歳の少女、タレントの大野リリアナちゃんは母の故国の現状に心をいためている。
 女性が自由を求めて活動する気持ちを貫き通さねばならない。

 大野リリアナちゃんは「ここにあったよ、自由と幸せ」で、自分の考えを表わしている。
 私は2008年にイランを小旅行した。
 たった数日のことだけれどやりきれぬ思いの体験だった。
 21世紀になっても「何故女性だけが・・・」とつくづく思った。

<感想>

 起句は平仄の点で、下三字が全て平字、つまり「下三平」です。
 「娘」を別の字で換えれば良いでしょうが、この詩では「娘」「嬢」「婦」「女」と意味の違いがあまりはっきりしない言葉が沢山出て来ますので、使うべき所を検討する必要があるでしょうね。

 意味的には、二字目の「評」はやや弱いので「尤(とがむ)」の方が意図が明瞭でしょう。

 承句は「漂」では無理矢理韻を合わせたという感じですね。他の韻字を探すなり、韻目を換える方が良いですね。

 起句と承句はひとまずまとめて理解ができますが、転句は唐突ですね。
 「童子」だけでは、作者には既知のことでも、読者には誰のことなのかは伝わりません。
 「童子」が国外に居ることが分からないと「故国」もどこを指すのか、わかりません。
 この結句の内容を本当に書く意味があるか、もし書くならば、起句でまず登場させて、そこからイランの実状へと進む形が良いでしょう。

 結句は「貫通」は、現状では「童子に貫通せよ」と命令しているような形に読んでしまいます。
 自分(作者)の気持ちだとするなら、「願」「祈」などの言葉にすべきでしょうね。



2024. 8.14                  by 桐山人
























 2024年の投稿詩 第80作は 東山 さんからの作品です。
 

作品番号 2024-80

  甲辰歳元日隣家夫人急逝後雨水節看庭上梅花濡雨作        

空庭蕭瑟凄風囘   空庭蕭瑟 凄風回り

素魄凌寒依舊開   素魄寒を凌いで 旧に依りて開く

嘗是夫人所長愛   嘗て是れ夫人の長く愛する所

花堪凍雨宛如哀   花は凍雨に堪えて 宛も哀しむが如し

          (上平声「十灰」の押韻)


<解説>

「所長愛」は、「長所愛」の語順では「長く愛する所」とは読めませんか。

<感想>

 題名が長いですが、「今年の元日にお隣の奥さまが急に亡くなられ、雨水節の二月下旬、庭の梅の花が雨に濡れているのを見ての作」ということですね。
 お隣ということでしたら、いつも顏を見たり話をしたりと親しくなさっておられたのでしょう、無常の人の世で花は「依舊」、昔のまま開いているのが尚更寂しさを深める形で、お気持ちも画面も伝わりやすい詩だと思います。

 起句は「凄」は平声ですので、「下三平」になっています。ここは直した方が良いです。

 その「凄風」もそうですが、「凌寒」「凍雨」などの言葉は、大寒から立春くらいまでの感覚です。
 梅花という点でも「雨水節」と言われると、もう遅いという感じですので、詩の画面からは題名の「雨水節」を削った方が自然です。
 逆に、「雨水の梅花」ということで行くなら、あまり寒さを強調しない方が違和感が消えるでしょう。

 転句の下三字、「長所愛」ではどうか、ということですが、逆に副詞を前に置いた方が自然です。
 陶潜の詩に「常所親」「常所欣」などの表現が出て来ますので、「常所愛」としても問題ないでしょう。





2024. 8.15                  by 桐山人
























 2024年の投稿詩 第81作は 東山 さんからの作品です。
 

作品番号 2024-81

  弔悼能登大地震犠牲者        

家山久闊履春慶   家山の久闊 履春の慶び

一瞬何尤災異殃   一瞬何の尤か 災異の殃ひ

孝子歸寧妻子伴   孝子帰寧するに 妻子を伴ひ

老親盛膳笑顔光   老親盛膳 笑顔光る

悲心切切無辜惨   悲心切々 無辜の惨

永訣哀哀萬喚慷   永訣哀哀 万喚の慷

噫我恨天天黙黙   噫 我天を恨むも 天黙々

難離魂魄啼彷郷   魂魄離れ難く 啼いて郷を彷ふ

          (下平声「七陽」の押韻)


<感想>

 能登大地震に対しての哀悼の詩、こちらもお気持ちがよく表れていると思います。
 最後の八句目が「下三平」なので、ここは直しましょう。

 後半の頸聯や尾聯は被災の方々の心情(あるいは作者の心情)が続き、畳みかけるような効果があり、災害に直面した気持ちが強く出ていると言えます。
 ただ、詩としては、後半四句が全部心情というのはどうか、災害の現状が描かれてない物足りなさはあります。

 全体の構成を考えると、第二句で災害発生を出した後に、頷聯でまた穏やかな正月の様子に戻るのは、時間軸が合わない感じがします。
 首聯を普段の正月の様子、頷聯で災害発生となるのが、オーソドックスな展開でしょうね。
 あるいは、前半四句を穏やかなお正月にして(起承)、頸聯から災害の様子、人々の気持ちを描く(転結)という構成もあるかと思います。

 ただ、そうやってまとまりの出来た詩と、気持ちを前面に出した今回の詩と、どちらが被災の方々に届くかと言うと、難しい所です。



2024. 8.17                  by 桐山人
























 2024年の投稿詩 第82作は 恕水 さんからの作品です。
 

作品番号 2024-82

  蛛収網     蛛 網を収む   

蝉噪雲峰赫日烘   蝉噪 雲峰 赫日烘る

蛛収円網茂林中   蛛円網を収む 茂林の中

樹底横身胡蝶夢   樹底に身を横たふれば 胡蝶の夢

誰能逃避退微躬   誰か能く逃避せん 微躬を退くを

          (上平声「一東」の押韻)


<解説>

  クモが巣を回収する
 セミの鳴き声がかまびすしい。峰のような入道雲がわきおこり、太陽がぎらぎらと照りつける。
 林の中では、クモが自分の作った巣を回収している。
 木の下に身を横たえると、ウトウトしてきて、自分がチョウになったのか、チョウが自分になったのか分からない。
 つまらぬ我が身を引退させることから、誰も逃れることはできない。



<感想>

 「反法・反法・反法」という流れで「粘法」がありませんが、これは「拗体」ということでよく見られる形ですね。

 蜘蛛は大風の前に巣を畳むと言われるそうですが、異常な暑さ、強烈な日射しの下では蜘蛛も苦しいのか、今年は我が家の庭でもあまり蜘蛛も虫も見ません。
 起句を拝見すると、私の感想と一緒かな、と思いますね。

 起句と承句で夏の日の屋外の景、転句に作者が登場し、結句で心情を述べるという展開で、構成としては分かりやすくなっていると思います。

 疑問なのは、どうして夢が「胡蝶」なのか、という点。
 蜘蛛が題名ですので繋がりで関係あるのかなと考えましたが、これだと言う答はわかりませんでした。
 まあ、たまたま胡蝶の夢を見た、という程度で読んでも話は繋がるとは思いますが、前半の景が明瞭なだけに、何か意図を考えたくなります。

 「胡蝶夢」は「物我一体」の境地を表し、広義では「人生のはかなさ」も言います。
 結びの「退微躬」との関わりはそこからでしょうか。
 ただ、句の流れで行くと「胡蝶夢」を見たから「引退」を考えた、となりますので、これはちょっと理解しにくいところ。

 「蜘蛛」「胡蝶夢」「退微躬」の関連に、もう少し言葉が欲しいように思います。
 また、蜘蛛が承句だけの存在だとなると、題名も蜘蛛が大き過ぎて、「夏午看蛛収網」とか「樹陰書懷」など、作者を主体にした方が収まる気がします。



2024. 8.17                  by 桐山人
























 2024年の投稿詩 第83作は 杜正 さんからいただいた作品です。
 

作品番号 2024-83

  消夏雜詩        

破曉追涼出自然   破暁 涼を追って自然に出づ

杯池濁水發紅蓮   杯池の濁水は紅蓮を発す

忽看開士焚香坐   忽ち看る 開士 香を焚いて坐するを

忘夏清風爽氣専   忘夏の清風 爽気 専らなり

          (下平声「一先」の押韻)


<解説>

「破曉」: 明け方
「杯池」: 小さな池
「開士」: 菩薩
「爽氣」: さわやかさ

<感想>

 七月に暑中見舞いのお葉書をいただきました。
 投稿ということではありませんでしたが、涼しげな作品、皆さんにもご紹介したく掲載させていただきました。

 もう立秋になり、遅くなってしまいましたが、季節のご挨拶、ありがとうございました。

 杜正さんから、『奥の細道』の足跡を水墨画と漢詩でたどるyoutube「J-ArtsTV 〜今届けたい想い〜」で公開されたと連絡いただきました。
 拝見しましたが、水墨画と俳句と漢詩が一体になって、独特の趣がありましたよ。


2024. 8.17                  by 桐山人
























 2024年の投稿詩 第84作は東京都にお住まいの 李元徳 さん、二十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2024-84

  晩夏憶亡人        

暑風雲影淡   暑風 雲影淡く

秋色近空遥   秋色 空遙かに近し

友病終難救   友病みて 終に救ふこと難し

孤身向墓招   孤身 墓に向かひて招く

地望蝉殻在   地望めば 蝉殻在り

心悲虚念渺   心悲しく 虚念渺たり

人生如夢短   人生 夢の如く短し

哀情夜未消   哀情 夜未だ消えず

          (下平声「二蕭」の押韻)


<感想>

 漢詩創作の経験は半年くらいとのことですが、律詩を作ろうと思う意欲が素晴らしいですね。

 平仄については、前半は大丈夫ですが、後半は第六句、第七句が勘違いですかね、違ってしまいました。
 絶句でも律詩でも、反法と粘法が交互に来ますので、第六句、第七句はどちらも「平句」(二字目が平字の律句)にする必要があります。
 「二四不同」については、どの句も整っていて、よく調べていらっしゃることが分かります。

 内容としては、亡くなった友人を悼むということで、用語としても「病」「難救」「向墓」「蝉殻」「心悲」「虚念」「夢」「哀情」など、同じトーンの言葉を選んでお使いになっていますが、これも、よく勉強していらっしゃることの表れと、感心します。
 ただ、同じ色を重ねることで深みが出ることもあれば、全体が単調になる危険もあります。
 今回では、後半が同じ心境で変化がやや足りないように感じますので、例えば第七句あたりで秋らしい景で気持ちを寓すのも考えられます。

 用語として、やや無理があるのが、第二句の「近空遥」、これでは「近い空が遥か」となりますので、「近」は要らないでしょう。
 第四句は「孤身」が主語になりますので、「招」は逆でしょうかね。
 第八句は「哀情が未だ消えない」としたいのでしょうが、「夜」が入ったために主語が変わり、「夜が未だ消えない」となっています。「夜」を「猶」など別の言葉にすると良いですね。

 対句については、律詩では必須になりますので、これからの課題として取り組んでいただければ、更に詩作の楽しみが感じられるようになると思います。



2024. 9. 5                  by 桐山人
























 2024年の投稿詩 第85作は 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2024-85

  梁父吟        

隠匿晴耕日   隠匿 晴耕の日、

謳歌梁父吟   謳歌する梁父吟。

至誠然志近   至誠 然して志近く、

魚水漸交深   魚水 漸く交はり深し。

白帝平天下   白帝 天下を平らげんとし、

臥龍展野心   臥龍 野心を展べる。

感君三顧礼   君が三顧の礼に感じては、

尽力誓青襟   尽力 青襟に誓はん。

          (下平声「十二侵」の押韻)


<感想>

 凌雲さんから、『三国志演義』シリーズとして二首、いただきました。
 こちらは、諸葛亮孔明がまだ野に居た頃に、常に吟じていたことで知られる『梁父吟』、この名を聞くだけで三国志の世界にすぐに入って行けますね。

 「魚水交」「白帝」「臥龍」「三顧礼」などと言葉を重ねて、演義前半のクライマックスを、舞台を見ているように楽しめました。

 第七句だけ、「2字目の孤平」ですが、「展」を「舒」などの平字にすれば収まります。
 その場合にも送り仮名は「舒ぶ」と文語の活用にしましょう。




2024. 9.27                  by 桐山人
























 2024年の投稿詩 第86作は 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2024-86

  敗街亭     街亭に敗れる   

文官兵事拙   文官 兵事拙く、

曲学吏新星   曲学なり吏の新星。

涸地難乾水   枯地 乾水に難し、

高囲崩陣形   高囲 陣形を崩す。

曹仁回渭北   曹仁 渭北に回り、

馬謖敗街亭   馬謖 街亭に敗れる。

蜀相従軍律   蜀相 軍律に従ひ、

断頭血涙零   断頭 血涙零る。

          (下平声「九青」の押韻)


<解説>

 もし経験豊富な武将を街亭の守りにはいちしていたらと言う発想で作った詩です。
 『三国志演義』シリーズです。<

 馬謖は敵前逃亡したというサイトもあるぐらいです。
 いくらなんでも処刑されますよね。もしその説がホントならですが。
 丞相もかわいがっていた部下ですから、処刑するにはよほどひどい失敗があったのでしょうけども。
 敵前逃亡説もホントかもしれませんね。
 ちょんぼしただけで首をはねてたら武将がいくらいても足りませんから。

<感想>

 こちらは、『演義』終盤の山場、街亭の戦いの場面ですね。
 歴史のその後を知っている読者としては、頭でっかちの馬謖の所に行って、ゴツンと叩いてやりたくなります。
 最後の「断頭」、そして孔明の「血涙」、一気に読める詩になっています。

 こちらも、「敗れる」は「敗る」で。



2024. 9.27                  by 桐山人
























 2024年の投稿詩 第87作は 陳興 さんからの作品です。
 

作品番号 2024-87

  客居東京聞石川地震并引發海嘯        

新年金澤未成行,   

龍嘯鯨波動地鳴。   

親友關心數相問,   

地圖標出是東京。   

          (下平声「八庚」の押韻)


<感想>

 上海の陳興さんから、今年に入ってからの作品を送っていただきましたので、その中から何首かご紹介しましょう。
 今年の1月2日の日付けですが、東京にいらっしゃっていたようで、能登の地震も強く感じられたようですね。



2024. 9.27                  by 桐山人
























 2024年の投稿詩 第88作は 陳興 さんからの作品です。
 

作品番号 2024-88

  過神田憶舊        

莫道當時尚少年,   

夜來茶水過神田。   

故人歸去再難至,   

二十三年茶水邊。   

          (下平声「一先」の押韻)


<感想>

 こちらの詩も、前作と同じ1月2日の日付けです。
 二十三年前を思い出しての作ですね。



2024. 9.27                  by 桐山人
























 2024年の投稿詩 第89作は 陳興 さんからの作品です。
 

作品番号 2024-89

  金港早櫻        

晴空掃盡舊塵埃,   

游鯉紛紛趁日來。   

橋底淤泥誰管得,   

春天消息早櫻開。   

          (上平声「十灰」の押韻)


<感想>

 題名の「金港」は横浜港、日付けは3月3日の詩です。



2024. 9.26                  by 桐山人
























 2024年の投稿詩 第90作は 陳興 さんからの作品です。
 

作品番号 2024-90

  春夜喜雨        

落雨青山下,   

浮雲大佛邊。   

花期如去歳,   

地鐵過龍淵。   

夜寂聞星海,   

春寒勝雪天。   

梅枝已多重,   

客舍巨濤前。   

          (下平声「一先」の押韻)


<感想>

 杜甫の「春夜喜雨」と同じ題で、詩型も五律の作ですね。
 3月5日の日付けです。

 ※陳興さんから今回いただいた詩を全部見たい方は、「陳興2024」をご覧ください。



2024. 9.27                  by 桐山人