作品番号 2021-331
初夏山村
颯颯薫風花落餘 颯颯たる薫風 花落つる餘(あと)
舊巢歸燕湑湑 旧巣 帰燕 緑湑湑たり
頡頡親鳥蒼天見 頡頡 親鳥 蒼天に見ゆ
雛畳呢喃心自舒 雛畳なり 呢喃 心自ら舒なり
<感想>
最初に気になるのは、「山村」という要素があまり出ていないことで、「初夏散策」という感じです。
「初夏」と「花落」は季節にやや開きがあるので、「落」は「盡」が良いですね。
あるいは、次の「歸燕」と繋げるならば「過草廬(草廬を過る)」とすることもできます。
承句の「湑湑」は「草木が繁る」わけですが、上四字と繋がらないですね。前半は燕を出さないようにした方が効果的かな。
「颯颯薫風入草廬 夏初花盡湑湑」としてはどうでしょうね。
転句の「頡頡」は「頡頏」の間違いですね。「親鳥」の代わりに「歸燕」「飛燕」を入れると句として整った内容になりますね。
あるいは下三字に「舊巢」を持ってきて、「呢喃雛燕舊巢裏」とした方が良いですかね。
結句は「心自舒」が上四字と繋がらず、そもそも、この形ですと「雛が心を舒としている」と考えられて、モヤモヤします。
「飛燕頡頏心自舒」とすると、燕が気持ちよく空を上下している感じになりますかね。
2022. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2021-332
思ク
寂寥虫語薄寒加 寂寥 虫語 薄寒加ふ
遙夜蒼蒼月影斜 遥夜 蒼蒼 月影斜めなり
蕭索數年家路遠 蕭索 数年 家路遠し
自肅歸去只長嗟 自肅 帰去 只だ長嗟
<解説>
コロナ禍のため帰省できない寂しさ、もどかしさを表したかったのですが、詩語が見つからず、苦労しました。
<感想>
承句の「遙夜」は「長い夜」、この一語で詩の趣が出来上がってます。あとは、狙いである「コロナ禍」をどう出すかですね。
転句は、いきなりの「蕭索」で途惑います。家に数年帰ってなく寂しい、ということかと思いますが、結句の「長嗟」もありますので、ここでの感情形容語は控えましょう。
結句にある「自肅」をこちらに持ってきて、中二字は「二年」とすれば、今年の詩として、よく分かる形です。
そうなると、結句は「長嗟」に関わって、故郷の何を思い出すのか、をまとめることになりますね。
「郷愁」「蕭索」「孤燈」など、寂しい気持ちに繋がる言葉を考えて、それを拡げる形が良いでしょう。
2022. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2021-333
拷A讀書
靜坐焚香心自舒 静坐 香を焚いて 心自を舒ぶ
拷A萬巻愛三餘 緑陰 万巻 三余を愛す
殘櫻煙雨隨風散 残桜 煙雨 風に随ひて散ず
淨几繙書意晏如 浄几 書を繙き 意晏如たり
<解説>
このような時間を持ち、読書に書作に取り組みたいの思いで作りました。
<感想>
「三餘」は「冬・雨・夜」ですので、この詩で使うと、初夏の緑陰で「冬の夜」を期待するような話でおかしいですね。
季節を示して「夏時初」とすれば良いですが、「萬巻」との関わりで「獨繙書」をここに持ってきてはどうでしょうね。
あるいは作者の居場所をはっきりさせる形で「愛茅廬」も良いでしょう。
展開としては「焚香」と「拷A」を入れ替えた方がすっきりしますね。
転句は「櫻」を初夏まで引きずるのは無理、別の花にした方が良いですね。
結句は下三字の「意晏如」と起句の「心自舒」が変化に乏しいですね。心情を表すのはどちらかにすべきでしょうね。
2022. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2021-334
敦煌舊跡
榮華莫窟斷碑優 栄華 莫窟 断碑優なり
覇迹龍爭千歳憂 覇迹 竜争 千歳の憂
殘礎傷魂懷古涙 残礎 魂を傷ましむ 懐古の涙
恩讐跡尚愛C幽 恩讐 跡尚 清幽を愛す
<解説>
敦煌の旧跡を思い書きました。長い歴史からひしひしと伝わったのは、今もそんなに変わらないでした。
<感想>
まず題名ですが、敦煌の莫高窟はもう使われなくなって残っているものですので、「遺跡」とした方が良いです。
また、起句の「莫窟」の省略ですが、莫高窟の名前の由来は「沙漠(莫)の高い所にある石窟」あるいは「仏道の修行として最高の(高きは莫き)石窟」かと言われますが、どちらにせよ、省略してはおかしなことになります。
「莫高窟跡」とするか「栄華石窟」でしょう。
承句は仏教遺跡である莫高窟の歴史としてはそぐわないように思いますが、どんな事件がありましたかね。
転句の「傷魂」、「涙」、「恩讐」なども、敦煌のどういう点を指しているのか、別の遺跡ならば分かりますが、敦煌とのつながりがよく分かりませんので、どこに焦点を合わせたのか、再考してみてください。
私の個人的感想を言えば、莫高窟は唐代の人々の仏教をあがめる意識が窺われて、どちらかと言うと、平穏で宗教的な場所というイメージなので、その齟齬が気になります。
2022. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2021-335
首夏雜詩
桾伶@克扶疎 薫風 緑を漾はして 樹扶疎たり
入夏日長心自舒 夏に入って 日長く 心自(おのずか)ら舒ぶ
燕子歸來田舎裏 燕子帰来す 田舎の裏
愛詩耽讀故人書 詩を愛し 耽読す 故人の書
<解説>
夏の初めの様子を書いてみました。一時自分はどうしていたか、ひとこまを切り取ってみました。
<感想>
起句の「扶疎」は「木の枝が広がっている」ことを表しますが、上の「漾香vと似通った画面になります。
この句は「薫風は・・・・」「樹は扶疎」という形で対になっていますので、中二字は風のことを形容した方が句中対で表現が生きて来ます。
「南風紛郁」が良いですかね。「馥郁」と畳韻にすると「扶疎」が物足りなくなりますね。
承句は良いですね。
結句はご自宅の書斎でしょうから、転句の下三字は「茅舎屋」と家に視線を向けておくと流れが良くなります。
結句の「故人書」は「旧友からの手紙」となりますので、「古人」とした方が風雅になりますね。
2022. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2021-336
古跡
颯颯松風古跡丘 颯颯たる松風 古跡の丘
往時榮耀奈難求 往時の栄耀 求め難きを奈んせん
國家統一都如夢 国家統一 都て夢の如し
城址荒蕪坐惹愁 城址 荒蕪して 坐ろに愁ひを惹く
<解説>
栄華を極めた城、国の統一を求めた城主、全て一場の夢で、栄枯盛衰を書きたかった
<感想>
起句は問題無いです。
承句で「往時栄耀」を求め難いとするためには、結句のような現在の姿が先に示されていないといけません。
結句と入れ替えれば話は分かりやすくなります。
転句は「国家統一」を求めた城となると、かなり限定されてしまいます。
夢のようにはかなく過ぎるものとして、栄枯盛衰を感じさせるようなものを出せると良いでしょうね。
2022. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2021-337
晩春大祭
午陰滴滴好風徐 午陰は滴滴とし好風徐やか
椿社參尋談笑餘 椿社を参尋す 談笑余す
境内時光獅子舞 境内 時光獅子舞ふ
管弦山斡意悠如 管弦 山斡(めぐ)る 意悠如
<感想>
椿社は鈴鹿の椿大社ですかね。はっきりと題名に入れておくと詩がすっきりしてきます。
例えば「椿大社春祭」とする形ですね。
起句は良い句です。
承句は「いきなり人の声で」とのことですが、この文面では「作者が談笑」している形になります。はっきりと参拝客だと分かるようにして、「賽客參尋談笑餘」。
転句の「時光」は「時の流れ」ですかね。千年以上続く伝統的な獅子舞のようですので、ここはストレートに「大祭伝來獅子舞」(大祭 伝来の獅子の舞)とすると良いでしょう。
全体に、晩春らしい自然が出てなくて、人事が主になっているのはやや寂しいところです。
結句の下三字は作者の感情は入れずに叙景にして、「湑湑(緑湑湑たり)」とすれば良いと思います。
「湑湑」は木や枝が茂っていることです。
あるいは、句全体を叙景として「晩春山色翠霞舒」なども良いでしょう。
2022. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2021-338
初夏
桾卵菅c拷A初 薫風 草嫩やかに 緑陰の初め
碧落蒼蒼心自舒 碧落 蒼蒼 心自ら舒る
十藥花開村巷茂 十薬花開く 村巷茂る
清和馥郁意安如 清和 馥郁 意安如
<感想>
「十藥花」はドクダミですね。
我が家の庭もあちこちにドクダミがはびこり、白い可憐な花は奇麗ですが、匂いが強く私は困っています。
起句の「嫩」は「わかく」と読むのが良いですね。
承句は「碧落」と色を出して、更に「蒼蒼」と来てはくどいですね。
「蒼蒼」は残したいところですので、「碧樂」を「天色」「天昊」などとしましょう。
この下三字の「心自舒」と結句の「意安如」は似たような表現、内容ですので、どちらかを変えたいですね。
結句の方を残す形で、承句は空の様子などをもう少し続けてはどうでしょうね。
結句は「清和」は「四月一日」のことでもありますが、「初夏のよく晴れた様子」の意味にも使います。ここは後者で良いですが、「馥郁」には繋がらないですね。
「馥郁」を生かすならば「清風馥郁」としましょう。逆に「清和」を生かすなら「清和好日」でしょう。
2022. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2021-339
初夏即事
杜鵑花發碧雲舒 杜鵑 花発いて 碧雲舒なり
樹下萋萋木耳疎 樹下 萋萋 木耳疎なり
C掃奉公心氣爽 清掃奉公 心気爽やか
歸來蕺舍讀詩書 蕺(しゅう)舍に帰り来たりて 詩書を読む
<感想>
起句は「杜鵑花」で「サツキ」ですね。
赤い花が開いて、空に碧雲が緩やかに広がる景から、承句で近くに目を向けていきますね。
ただ、「萋萋」は草が生い茂っていることで、その直後に「木耳疎」となるのはどうでしょう。
韻脚表から探すなら「風意徐」くらいでしょうか。
結句の「蕺」もドクダミ、下三字は「讀詩書」では弱いので「樂詩書」が良いでしょうね。
2022. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2021-340
秋日散策
竹翠柿丹村口秋 竹翠(みど)り 柿丹し 村口の秋
成群啄草月西留 成群 草を啄み 月西に留まる
偶吟娯樂煎茶處 偶吟 娯楽 煎茶の処
橋上奔車魚影悠 橋上 奔車 魚影悠なり
<感想>
起句は良いですね。
承句の「成群」は「群を成す」ですが、この言葉だけで「雀」を表すわけではないので、「草を啄む」も含めて主語が必要です。
ただ、ここは「啄草」という視点と「月西留」の視点は大きく異なっていて、目が辛いですね。
「獨行江畔(独り江畔を行けば)」など、低い視線が良いですね。
転句は、散歩しながら「煎茶」ということで、どういう場面なのでしょうか。
吟を楽しんだということで、強調するならば「朗吟幾曲野翁樂(朗吟 幾曲 野翁の楽しみ)」が穏当ですかね。
結句は、橋の上を作者が歩いているのでしょうが、前句からの流れですと下から橋を見上げるような感じになります。
「奔車」は交通量の多い場所だと示しているのでしょうが、それほど重要な情報ではないですね。
作者が橋の上に居ることが感じられるようにすべきで、そうですね、「風渡畫橋魚影悠(風渡る画橋 魚影悠かなり)」とすると、風を感じていることで作者の立ち位置が暗示できますね。
2022. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2021-341
江村初夏
水頭新麹D風徐 水頭 新緑 好風徐なり
飛燕鷺汀跳小魚 飛燕 鷺汀 小魚跳ぶ
偕樂江濱俄頃寂 偕楽 江浜 俄頃寂なり
惶惶疫病思紛如 惶惶 疫病 思ひ紛るる如し
<感想>
起句は良いですが、承句は「鷺汀跳小魚」は話は通じるのですが、そこに「飛燕」が入ると邪魔ですね。
また、「鷺汀」は良い言葉ですが、「汀」は「水頭」や「江濱」などと同じ言葉が重なります。
ひとまず「鷺立燕飛跳小魚」(鷺立ち 燕飛び 小魚跳ぶ)と並べておきましょう。
転句は「俄頃寂」として、楽しい中でもコロナのことで心が寂しい、という伏線なのでしょうが、まずは楽しんだことをしっかり書いて、その楽しみの中にも「疫病」があって落ち着かないという感じにするのが良いと思いますよ。
「俄頃江濱偕樂盡」と語を入れ替えると、「しばらくの間だが浜辺で楽しみを尽くした」となりますね。
これで、結句への流れも良くなったと思います。
2022. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2021-342
刈谷御嶽神社
樹深苔徑標繩幽 樹深く 苔径 標縄幽なり
急坂遲遲登小丘 急坂 遅遅 小丘に登る
御嶽主~停山頂 御嶽 主神 山頂に停つ
青年躍動喚聲柔 青年 躍動 喚声柔らか
<感想>
これは御嶽神社の祭礼の場面でしょうかね。
結句の生き生きとした描写は良いですね。
奥深い神社の様子もよく出ていますので、題名に祭礼の名前などがありましたら入れると良いですね。
もう一つは、季節を表す物が入っていない点ですね。
起句の「標縄」は和語ですので、ここも含めて承句辺りに季節感を出したいですね。
2022. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2021-343
江村初夏
蘇水油油江畔居 蘇水 油油 江畔の居
輕波汀渚好風徐 軽波 汀渚 好風徐なり
老鶯宛囀新陰下 老鶯 宛囀す 新陰の下
繙譯唐詩樂自如 唐詩を繙訳して 自如を楽しむ
<解説>
「起承」を水の流れと水辺、「転結」を川岸に生える木々の新緑、そこで憩う時間と季節感を表現してみました。
<感想>
起句の「江畔居」で場面設定ですね。結句と照合させたのだと思います。
それは理解できますが、承句の「輕波」は小さな波ですので、それが見えるとなると、この「居」は本当に水際のお宅という理解になります。
「江村」という詩題から見ても、家の中にいる設定よりも出かけた方が良いですので、ここは「江畔閭」(村里)としておくと、次の「輕波汀渚」も足元の景として存在感が出ます。
(今は起句の「水油油」と重なっている感じがします)
転句は良いですので、結句、外に出たとなると「繙譯」は合わなくなりますね。中二字は「吟詩」とすることにして、上二字で「鶯」と繋げるなら「時和(時に和す)」、繋げないなら「弄歩」など検討してはどうでしょうね。
2022. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2021-344
奥町渡船場覽古
蘇川過渡順風祈 蘇川 過渡 順風を祈る
濃尾往來多客衣 濃尾の往来 客衣多し
伊勢~宮遙拜所 伊勢神宮 遥拝所
只今惟有暮鴉飛 只だ今 惟だ暮鴉の飛ぶ有るのみ
<解説>
「奥町渡船場跡」と「若宮神明社(伊勢神宮遥拝所)」は木曽川の河川敷にあります。
その当時の頃と今の寂れた景を表現してみました。
愛知県一宮市奥町(木曽川左岸)から対岸の岐阜県羽島市との間で往来していた渡船場です。
江戸中期より織物業の盛んな両岸を結んだのが始まりとされています。
川幅凡そ六百m、艪と帆で運航されて、昭和二十五年頃まで大変賑わいましたが、昭和二十七年に濃尾大橋が建設されてのち、次第に衰退しました。
商売繁盛、航行安全、治水を、お伊勢さんの方に向かって祈ったものです。
<感想>
起句は「渡津蘇水(としん そすい)」とした方がリズムが良いでしょう。
下三字は、文法的には「祈順風」が本来の形です。しかし、押韻の関係で入れ替えたわけで、こうした処理は許されています。
読み下しも「順風を祈る」として構いません。
前半はかつての情景ということですが、過去だということが分かりにくいですね。
「濃尾」と地名をまた入れるよりも「昔日往來」としておくと良いかと思います。
結句については、李白の詩にも使われた言葉ですが、「暮鴉」だけでなく、「無人」ということを入れたいですね。
2022. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2021-345
岐阜城裏巡漢詩碑
晩秋麗日運碑文 晩秋の麗日 碑文を運る
舊跡招提弔古墳 旧跡 招提 古墳を弔ふ
鎭止亡靈織田塚 亡霊を鎮止す 織田の塚
禪師詩偈氣氤氳 禅師の詩偈 気氤氳(いんうん)たり
<解説>
岐阜市街の御手洗池、護国神社、織田塚、円徳寺の詩碑を巡った時の情景です。
<感想>
「招提」はお坊さんが集まる場所ということでお寺を表す言葉ですね。
「織田塚」は一五三三年に斎藤道三を攻めた織田信秀(信長の父)が道三の奇襲に惨敗し、数多くの死者を出して終わりに逃げ帰った「加納口の戦」、戦死者を農民が土葬した場所が、やがて「織田塚」と呼ばれるようになったそうです。
最後の「氤氳」は「気が立ち籠める」「気がやわらぐ」という意味で、まとめると「気が充ちる」ということでしょうね。
私も毎週岐阜市内をバスで通っていますので、ちょっと途中下車して岐阜の名勝を探索すれば良いのですが、どうも駅と学校を往復しているだけで過ぎてしまってます。
今回の詩はやや総花的なところがありますので、連作のまとめという感じで収めるとよいと思います。
2022. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2021-346
初夏田園
田園麥浪好風徐 田園 麦浪 好風徐かなり白雲飛ぶ
燕子歸來軒我廬 燕子 帰来 我廬の軒
鳥語聒聒飛影爽 鳥語 聒聒 飛影爽やかなり
空房盡日學詩書 空房 尽日 詩書を学ぶ
<解説>
結句のつながりが良いのかどうかわかりません。燕は忙しく動いているが、自分はずっと家に居て、書を書いたり本を読んでいるということが言いたいですが・・・。
<感想>
承句の下三字、このひっくり返しは無理ですね。「軒」にこだわらずに、「巣くふ」と動詞にして「巣我廬」ならば大丈夫です。
転句は「聒聒」ですと仄字ですので、平仄が合いません。また、燕と分かっているのにまた「鳥語」は無駄な情報です。それとも燕以外の鳥が居るのでしょうか。
「飛影朝來喃語頓」とし、燕が忙しく動いていることを示しておくと、結句の自分の姿がはっきりと出てくるように思います。
最後に自分が家に籠もっていることを言いましたが、これが詩の主題だとすると、「田園」という題名と合わない感じです。
あとは、どうして家に籠もっているのか、自肅生活に関わる言葉がどこかに入ると、流れが良くなります。
2022. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2021-347
舊跡
碧空銀海風景幽 碧空 銀海 風景幽なり
潮落長廊訪嚴州 潮落 長廊 厳州を訪ぬ
祝觴琴瑟華表赤 祝觴 琴瑟 華表の赤
錦楓勝賞竝肩游 錦楓 勝賞 肩を竝べ游ぶ
<解説>
厳島神社で結婚式をしていた時のことを詠みました。
<感想>
「結婚式をした」じゃなくて「結婚式をしていた」というのが悩みどころです。一応「した」の方で考えますね。
起句は「風景」とここでまとめてしまうと、後に景色を言えなくなります。目に見えたものを並て「碧空銀海白雲悠」など。
承句ですが、「嚴州」という呼び方はしないですね。厳島神社でしたら「藝州」とすれば平仄も合います。
転句はせっかく結婚式の話になったのに、また「華表赤」と景色に移ってはいけません。「攜手歩(手を携えて歩す)」かな。上は平仄を合わせて入れ替えて「琴瑟祝觴」ですね。
結句は「勝賞」を「華表」として、楓と鳥居で赤揃えの話に持って行くと良いかと思います。
2022. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2021-348
初夏的季節
草花茂盛不安居 草花繁茂にして安居(あんご)せず
小河碧水找小魚 小河碧にして小鮎を探す
長雨陰沈心悶々 長雨陰鬱にして心悶々とする
太陽出現就暢舒 太陽出現すればすなわち暢舒なり
<解説>
草花が生い茂る季節になり、家でじっとする事が出来ず、ピクニックに出かけた。
小川の色は透き通る緑で、小鮎の姿は美しい。
梅雨は長く、心が悶々とする。
しかし少しでも太陽がでれば心は暢舒になる。
<感想>
読み下しは、意訳とは違いますので、原則として本文の漢字は全て使わなくてはいけません。
起句は本文が「茂盛」ですが、読み下しが「繁茂」。承句は「水」がどこかに行ってしまいましたね。「魚」も「鮎」になりました。転句も「陰沈」が「陰鬱」、結句は「就」を「就ち」としなくてはいけません。
あと、表記の問題としては「々」は記号ですので、漢詩本文には使わないのが約束です。
起句は初夏の様子としては良いですが、「安居」の読みは「居」を「こ」とするのは呉音、「あんご」と読むと「夏修行で坐禪をする」ですので、この場合には「あんきょ」でよいと思いますが、どうですか。
承句は平仄が合いませんので、「碧水小河」の順にしないといけません。
ここまでの前半は初夏の季節に誘われて川辺に出かけたというもので、心が弾んだ様子。
転句は変化を求めたのでしょうが、重いですね。
「今は梅雨の季節だ」というくらいにして、気持ちは出さないようにしないと、次の「暢舒」との差が大き過ぎるでしょう。
2022. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2021-349
初夏山寺
楓山門霽景初 青楓 山門 霽景の初め
石階淨蘚歩徐徐 石階 浄蘚 歩徐徐なり
香烟佳氣漂方丈 香烟 佳気 方丈に漂ふ
古佛柳眉常晏如 古仏 柳眉 常に晏如
<解説>
初夏の香嵐渓「香積寺」の景色です。何度お参りをしても、いつも仏様はやさしく迎えてくださいます。
<感想>
起句は「楓」が平声ですので、ここは「葉」で我慢するしかないですね。
承句は「淨蘚」が良いですね。上は「石階」と淡淡と説明するような形で、これもバランス良いと思います。
転句は「香烟」でお線香の香り、「佳氣」で初夏の緑葉の香り、両方を出したところが工夫ですね。
どちらかにして香りをもう少し詳しく述べる形もあり、画面としてはそちらの方が具体性が出るかと思います。
結句は「柳眉」は「柳のような細い眉」ですが、「美人の眉」を表します。「慈顔」の方が良くないですかね。
2022. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2021-350
舊跡
蒼天芳樹白雲流 蒼天 芳樹 白雲流る
叙徑郊衢望七州 叙径の郊衢 七州を望む
決水築城催暗涙 水を決し 築城 暗涙を催す
史編一夢滿高樓 史編 一夢 高楼に満つ
<解説>
郷土の挙母城は、幾度もの洪水で築城かなわず、高台に移転された。
天明五年、本丸には御殿が造られたのみで、天守閣は築かれなかった。
<感想>
起句はスケールの大きな良い句です。
承句の「叙徑」はあまり聞かないのですが「斜」でしょうか。
次の「郊衢」は「街の外の道」ということですが、「望七州」とするためには高い所に登っておきたいところです。
逆に、道が七州に繋がっているということでしたら「通七州」、それなら上も「野徑」が合いますね。
転句は洪水のために築城が出来なかったことを示しますが、事情を知らない人には「決水」「築城」「暗涙」は繋がりません。
「往昔築城」として、「催暗涙」と比喩的に言っても良いですし、具体的に「難治水」としても良いですね。
結句は良いと思います。
2022. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2021-351
讀書
元春楳發映窗明 元春 梅発き 窓に映じ明らか
滿架塵編終日傾 架に満つ塵編 終日傾く
到目口心先達訓 目で到り口心 先達の訓へ
興來咀嚼赴前程 興来る 咀嚼 前程に赴く
<感想>
起句はわざわざ「楳」とする必要はないですね。
転句は「目口心に到り」でないといけません。
結句は、読書の結果、更に深いところに興味が湧くということでしょう。
何となく分かりますが、スッと理解しにくい、つまり詩の結びとしては印象が弱いですね。
「先達訓」の直後に「興」ですと、「訓」が軽くなります。
「咀嚼」は良いですので、上は、回数や頻度を表す言葉で、「何度も咀嚼して」という感じにする方が良いですね。
下三字も「前程」が何を指すのかはっきりしませんね。
「下平声八庚」には「迎」「精」「晶」「晴」などの前向きの明るい言葉がありますので、韻字を換えるつもりで検討してはいかがですか。
2022. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2021-352
宿望
七十三齡説往年 七十三齢 往年を説く
浮沈大夢逐時遷 浮沈す 大夢 時を逐いて遷る
畢生作未耽翰墨 畢生の作未だし 翰墨に耽る
省舊知新勢欲連 旧を省み 新たを知り 勢ひ連ならんと欲す
<感想>
起句の「説」はどういう意図でしょうか。
「年をとった老人が昔のことを吹聴する」というように解釈しますが、それでは本来の狙いとは違うと思います。
過去を回想する、という程度の意味だと思いますので、「説」を「憶」「懷」「想」などにしておくと話が通じると思います。
転句は「畢生の作がまだ仕上がらない」という重い気持ちと「耽」という軽さが不釣り合いですね。
「重翰墨(翰墨を重ね)」「逾翰墨(翰墨を逾よす)」とか、すっきりと「對翰墨」として「耽」の暢気さを避けた方が良いですね。
2022. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2021-353
雨水降雪
欲換春衣聽早鶯 春衣に換へんと欲す 早鶯を聴く
夜來降雪四望C 春と雖も 雪降り 四望清し
逍逍一路埋幽徑 逍逍一路 幽径を埋む
珠樹新芽翠靄英 珠樹 芽新た 翠靄の英
<感想>
起句は、「春着に替えようとしたら鶯(春の鳥)の声がした」ですので、春を迎える自分の気持ちと外の事物(鶯)が丁度ぴったりしたということになります。
転句は「逍逍」は使用例がほとんどありませんので、「逍遙」が良いですね。
この句は「一路」と「径」が重なりますね。雪が積もったことももう出ていますので、下三字の方を書き直した方が良いでしょう。
「絶人語」「絶人影」のように「一路」の説明をする形に持って行ってはどうですか。
2022. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2021-354
春姸逢白靄
寒暖往來迷衣中 寒暖 往来 衣を迷ふ中
早晨歩歩盡晴空 早晨 歩歩 尽く晴空
畔疇一面滿煙靄 畔疇 一面 満煙の靄
漠漠前方望不窮 漠漠 前方 望み窮まらず
<感想>
起句の「衣」は名詞の時には平声、動詞は仄声ですので、ここは逆です。
着る服を迷っている間に、という起句の後に、「早晨から散歩」ではおかしいですね。
「寒暖陰陽來往中」としておくと、話は通じます。
承句の「盡」も「ことごとく」では意味が通じないので「楽」でどうですか。
転句は「煙靄満つ」と読むべきです。
結句の「望不窮」は「どこまでも景色が見えて果てが無い」ということです。
この下三字は承句の下三字と同じ意味になります。また、詩題や転句の「白靄」はどうなったのか、疑問になります。
空に目線を向けるのはやめて設定を考え直した方が良いですね。
2022. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2021-355
雜談裡
同甲遭逢受診翁 同甲 遭逢 受診終る
藥囊病軀話題空 薬囊 病躯 話題空し
數多出費傾天坪 数多の出費 天坪傾く
生活年金笑語中 生活 年金 笑語の中
<感想>
承句の下三字ですが、「話題空」ですと、「話すことがない」「話の中身が無い」ということで、せっかく「同甲」と良い言葉を出したのに、失礼なことになりませんか。
後半は病院での老人談話の内容だと思いますが、それらも「空し」と片付けてしまっては、詩がつまらないものになります。ここは「話題豐」と逆に書くべきですね。
結句の「笑語中」は、良い結びです。
「薬のこと、病気のこと、年金や暮らしのこと」と色々大変な中で、それでも笑って暮らす老人としてのたくましさでしょうね。
そういう点でも、承句は否定的な言葉は止めるべきでしょうね。
2022. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2021-356
菜花
不暖不寒桃李村 暖かからず 寒からず 桃李の村
一望黄色入芳園 一望 黄色 芳園に入る
冬横春縦草根暢 冬は横 春は縦 草根暢ぶ
治葉調茎備夕飧 葉を治め 茎を調へ 夕飧備ふ
<感想>
転句の「縦」は「たて」の意味では平声で、「ほしいまま」が仄声です。
内容的には、まず、「桃李村」が大問題です。
「菜花」の話をしているのに、どうして「桃李」で村を説明するのか、無駄な情報というよりも邪魔な情報を入れてはいけません。
まだ具体的な地名とか、「僻遠村」など地形を言う方が良いですね。
転句は栽培している方のみ知る情報ですので、平仄が合わないのが残念ですね。
結句の上四字は何をしているのか、菜花に対して大げさではないでしょうか。
対語が起句、転句、結句と続いて、これはしつこ過ぎます。
技巧は控え目の方が逆に引き立ちますから、一箇所にするつもりで再考するのが良いでしょう。
2022. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2021-357
奥林匹克
奥林匹克發東京 奥林匹克 東京で発く
千里來臨多語榮 千里の来臨 多語栄ゆ
絆繋五輪英俊祭 絆繋 五輪 英俊の祭り
醉心美伎使人驚 心酔ふ美伎 人をして酔はしむ
<感想>
起句は「オリンピックが東京から出発した」となります。
「東京で開催された」としたいところ、「至」「目」などが考えられますが、64年の東京オリンピックからまた戻ってきたという感じで「復(かえル)」が良いですかね。
承句は選手達のことでしょうが、転句の「英俊」が先に来ないと通じません。
転句を持ってきて、丁度「英」が韻字ですのでこれを生かして、「千里來臨迎俊英」ではどうですか。
転句は「繋絆五輪萬民禱(ばんみんのいのり)」という感じでしょうかね。
結句は「醉心」が「使人驚」を先読みしてしまい、邪魔です。 何に感動したのか、ということをもう少し詳しく、「美伎」に加えるような言葉を探しましょう。
ただ、今回のオリンピックはコロナの中でのもの、そのあたりを少しでも感じさせる表現が入ると、同じ「美伎」でも深みが出るし、「千里來臨」も困難を乗り越えた印象になります。
起句の地名(「東京」)さえ変えれば、いつのどこのオリンピックでも通じてしまう状態は、実際に見た詩から離れてしまいます。
そのあたりを考えて、推敲してみてはどうでしょうか。
2022. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2021-358
訪窮山古跡
窮山曳杖汗珠流 窮山 杖を曳きて 汗珠流る
回眺路程禽語柔 回って眺む 路程 禽語柔らか
陳跡形勝苔蘚濕 陳跡 形勝 苔蘚湿る
歸人懷古暫時留 帰人 懐古 暫時留まる
<感想>
「窮山」はそういう地名がありますか。一般名詞ですと「奥深い山」ということですので、その場合には「訪」は不要です。
起句は良いですね。
承句は山を登ってきて振り返るわけですので、「瞰下」「回瞰」などが良いでしょう。下三字は繋がりませんので、ここは「路程」がどうなのか、を描いてはどうでしょうね。
転句の「陳」は「新陳代謝」に使われる意味で「古」と同じです。
ここで古跡が出てきますが、どういう古跡なのか、「窮山」で場所が特定できれば良いですが、「形勝」でそこが表せるとすっきりすると思います。
結句は「暫時留」ですので、「歸人」では話がおかしくなります。自分のことならば「老翁」、「爽風」「颯風」と主語を替えるのも考えられます。
全体に各句の頭が平字なので、それを直すことも配慮しましたが、他のところで直せば、結句の頭の選択肢が増えると思います。
2022. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2021-359
游舊蹟
已非舊蹟想望浮 已に旧蹟非ず 想望浮かぶ
玉樹蔽蘿虫漸稠 玉樹 蘿に蔽はれ 虫漸く稠(おお)し
石罅苔花驚換暦 石罅の苔花 暦を換はるに驚く
心懷千古此中游 心は千古に懐ひ 此の中に遊ぶ
<感想>
起句は「旧蹟に非ず」と読み、「旧蹟ではない」となります。
そうなると、もう荒れ果てていて遺跡とも呼べないような状態という画面ですね。
詩としての発想は面白いですが、下三字は急ぎ過ぎで、「想望」の内容がこの後に出てこないし、結句の「懷千古」との重なりも気になります。
承句の「玉樹」は旧蹟でもないので「玉」と美称を付けずに「園樹」「老樹」が良いです。
「漸」は時間経過の言葉で、ここではおかしいので、「虫咽」「虫韻」など。
転句の上四字は良い表現ですが、この詩では承句との変化が乏しく、勿体ないですね。
特に、起句で「想望浮」として想像をしているわりに、実景が続いていて、想像した景色が出てこないのは困ります。
位置的には、この転句で昔を思い描くのが良いですね。
そうでないと、結句の「懷千古」が単なる言葉だけになって、実体が浮かばない結びになります。
題名や結びの「游」にしても、何を楽しんでいるのかが伝わってこないと、浮いた言葉に感じます。
推敲の方向としては、起句の下三字に荒廃の様子。
転句は、かつてはどうだったのか、という想像。
結句は、その想像した内容に寄りますが、どんな感情を抱いたのかを書くようにしましょう。
2022. 1. 5 by 桐山人
作品番号 2021-360
偶睡
少時片雨舊茅廬 少時 片雨 旧茅の廬
無客閉閂衣服疎 客無し 閂を閉し 衣被疎なり
沸沸茶湯成偶睡 沸沸 茶湯 偶睡と成す
覺醒手把讀殘書 覚醒 手に把る 読残の書
<解説>
明の高啓の「偶睡」を参考にし、ここ一週間の雨又雨の様子をまとめました。
<感想>
高啓の詩は
偶睡 高啓(明)
竹間門掩似僧居 竹間に門は掩(とざ)して 僧居に似たり
白荳花開片雨餘 白荳の花開く 片雨の余
一榻茶烟成偶睡 一榻の茶烟 偶睡を成し
覺來猶把讀殘書 覚め来たれば猶ほ把る 読残の書
(七言絶句「居」「餘」「書」… 上平声「六魚」の押韻)
お手本の高啓の詩と似通った趣が出せていると思います。
起句の下三字の切れ目は「旧の茅廬」でしょうね。
承句は「閂」を「閉」は気になりますね。「掛閂」とか「閉門」が良いですね。
「客も来ないから普段着のまま、ステテコ一丁」という感じですかね。
転句は核心の「偶睡」が来たところ、「茶烟」が良いですが模倣を避けて「沸沸茶湯」としたのですが、「ちんちんのお湯が沸いている所でうたた寝」はどうでしょう。
「茶」ではなく、「一陣清風」など、高啓の詩には無いものを入れた方が、新しさが出ると思います。
結句は高啓の詩から発展が無く、表現も語句の変換だけの印象。
「目を覚ましたら読みかけの本がどこかに落ちていた」と少し滑稽味などを出してはどうですか。
「覺知何處讀殘書(覚めて知る 何処 読残の書)」ですと、ちょっと風雅さが消えますかね。
2022. 1. 5 by 桐山人