作品番号 2021-301
惜春即事
僧院深閑柳色新 僧院 深閑として 柳色新たなり
池邊櫻樹落花頻 池辺の桜樹 落花頻り
千金一刻無人到 千金の一刻 人の到る無し
日没殘光獨惜春 日没して 残光 独り春を惜しむ
<解説>
四月中旬、知多市の禅寺に家人の月命日参詣に詣った。
コロナ禍のこの頃、参詣の人は無く、日没まで留まり徂く春を惜しんだ。
<感想>
転句の「無人到」はコロナの関係ということですので、そうなると、題名にそれが分かるような言葉が欲しいですね。
「辛丑惜春」「疫禍暮春」などとすると、今年のことと分かりますし、転句もすっきりします。
結句の「獨」は転句の「無人」から行くと当然の言葉、強調と考えればこれでも良いですが、別の言葉を検討しても良いかと思います。
2022. 1. 2 by 桐山人
作品番号 2021-302
初夏竹亭
嫩黒濫晝日徐 嫩緑 風微かにて 昼日徐なり
森閑竹院坐繙書 森閑の竹院 坐して書を繙す
蒼穹翻燕間天地 蒼穹の翻燕 間(のど)かなる天地
初夏正陽心自舒 初夏の正陽は 心自ら舒なり
<解説>
昼日は長くなり、気候涼しく、読書には最適の季である。
<感想>
承句の「森閑」は辞書によっては和語として扱っている語ですが、漢詩では用例が無いからでしょうね。
「幽閑」「C閑」とすれば良いですが、「徐」「間」「舒」と同じような意味の語がありますので、「C涼」のような形が良いでしょうね。
転句は「蒼穹」の空と「天地」の天が勿体ないですね。天と地、その間を燕が繋ぐという形で、下は地だけになるようにすると良いでしょう。
「翩翻飛燕剪天地」「頡頏燕子穿天地」などではどうでしょう。
結句は「初」が韻字ですので「首夏」、あるいは韻字に持って行って「迎夏初」としても良いでしょうね。
2022. 1. 2 by 桐山人
作品番号 2021-303
初夏即事
雨歇桾濫燕翻 雨歇の薫風に 飛燕翻し
柔暉嫩葉拷A繁 柔暉の嫩葉は 緑陰繁し
佳辰供粽和菖浴 佳辰に粽を供し 菖浴に和す
麥氣侵簾滿草軒 麦気 簾を侵して 草軒に満つ
<解説>
昭和初期の頃、田舎での五月の節句を思い出す
<感想>
ちまき、菖蒲湯、懐かしい画面ですね。
全体にまとまっている良い詩だと思いますが、起句の「飛燕翻」は言葉が重複しています。
「燕」を修飾する言葉はいっぱいありますので、「飛」ではない言葉にしましょう。
また、「薫風」と「麥氣」が似ていますので、どちらかにしてはどうでしょう。
例えば起句を「雨歇街衢輕燕翻」としてみると、画面がはっきりすると思いますよ。
結句は「簾」と「草軒」で場所を表す言葉が二つ出ていますが、窓から入って家中に満ちるという丁寧な説明でしょうか。
近くに置けば強調効果になりますので、「麥氣薫風」と並べるのも良いですね。
2022. 1. 2 by 桐山人
作品番号 2021-304
長良川懷古
歸宿覧鵜藍水汀 覧鵜より帰宿す 藍水の汀
深更宴席酒閑醒 深更の宴席 酒閑かに醒む
極充歡樂哀情殖 歓楽を極充すれば 哀情殖(おお)し
阜郭遙望兵夢暝 阜郭 遥望す 兵どもの夢暝す
<解説>
長良川鵜飼いを友人等とかつて鑑賞したことを懐古し記す。
おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな 犬山十八楼 芭蕉
<感想>
転句は内容が深いですね。
芭蕉の句を踏まえてのものでしょうが、それを考えなくても直前の「酒閑醒」が寂しさを引き出していますので、良い句になっていると思います。
結句は、まず「阜郭遙望」ですが、時刻は「深更」ですのであまり遠くまでは見られないですね。
また、「兵どもが夢の跡」を意識させる下三字ですが、転句の「哀情殖」と似通った感情をここでまた出すのは考えもの、せっかく積み上げてきた転句の好句が薄れてしまいます。
結句は、淡淡と叙景に徹すると、全体のバランスが良いと思います。
2022. 1. 2 by 桐山人
作品番号 2021-305
遨菜園
拓穢爲籬對草軒 穢を拓き 籬を為し 草軒に対す
豊穰豆薯僅坪恩 豊穣の豆薯は 僅坪の恩なり
歸農幾許餘閑裕 帰農 幾許ぞ 余閑裕たり
雨讀晴耕老更存 雨読 晴耕 老いて更に存す
<感想>
承句の「坪」は日本語では「土地の広さ」を表しますが、漢語では「平らな土地」ということ、ここでは「僅かばかりの平地」となります。
耕作地ということを出すならば「坪」を「疇」が良いですね。「田」ではちょっとイメージが違うかなと思います。
こちらの詩も主題が重複している印象です。
転句に「餘閑裕」がありますが、結句の「晴耕雨読」がまさにそれを言い換えているわけです。
どちらかにまとめた方が良いので、今回ですと転句の方を直す形でどうでしょうか。
例えば、「帰農幾許春秋裡」のように、心情を出さない形が良いでしょうね。
2022. 1. 2 by 桐山人
作品番号 2021-306
七夕回顧
流火C霄銀漢 流火 清霄 銀漢青し
願絲供膳逆雙星 願絲 供膳 双星を逆(むか)ふ
隔河相對悲哀極 隔河の相対 悲哀の極みなり
傾酒追懷影入櫺 傾酒 追懐す 影櫺(れい)に入る
<解説>
往時母に指示され、妹と七夕飾りを作り庭に設置した。供物は母が用意した。
父親や兄達は農事が多忙で一顧だにしない。
短冊は全て「天の川」であった。
今は幼稚園で同じことを奉仕している。
<感想>
起句の「流火」はサソリ座の主星「アンタレス」、冬の「シリウス」と並んで古代には季節を知る大切な星で、この星が夜に南に見えれば夏、西に見えれば秋を表します。
ここは書き出しに置くことで、場面が自然に夏の星空へと導かれますね。
承句の「願絲」は、この七夕の「乞巧奠(きっこうでん)」はお裁縫が上手に供える糸。
ここまでの前半は子どもの頃の回想、という設定ですかね。
結句の「追懐」がそう思わせているわけですが、前半だけで見れば回想であると示す言葉が無いので、そのまま読めば現在の景だと理解して、転句までは読み進めてしまいます。
「傾酒」まで進んで、突然「追懐」が来るので「何を思いだしているのだろう」と落ち着かなくなりますね。
回顧に持って行くなら前半に何か過去だを表す言葉を入れないといけません。
「願絲」を「姉兄」とすると子どもの頃という雰囲気が出るかと思います。
私の感覚では、転句の「悲哀」が良い表現だから、このまま現在の詩として持って行くのが良いかと思います。
「追懐」を「沈吟」などとしてはどうでしょう。
2022. 1. 2 by 桐山人
作品番号 2021-307
于蘭盆會展墓
西郊十里澹秋光 西郊 十里 秋光澹(あわ)し
拝跪墳前萬感昂 墳前に拝跪す 万感昂ず
負笈幾年人自老 笈を負うて 幾年ぞ 人自ら老ゆ
望雲懷故牽愁長 望雲 懐故 愁を惹きて長し
<解説>
郷を出た時は、戦時中でグラマン機に撃たれて車中泊し、遅れての入学(弘前高)であった。
学成り来名して六十九年、老骨には故山は遥か彼方、ために仮の墓碑銘を作り、供養している。
<感想>
転句の「負笈」は学問のために故郷を離れて遊学することです。
この表現ですと、「学問のために幾年も故郷を離れて年老いてしまった」となり、唐代ならば科挙の試験に年老いるまで合格しないということで解釈できますが、現代の日本ではどうでしょうか。
解説に合わせるならば、ここは「去國幾旬人自老」とするのが良いと思います。
結句は「懷故」は上の「望雲」と重ねて「故郷を思い出す」ということでしょうが、「懷古」の「故」違いと誤解されやすいので、「懷舊」「憶昔」とか、そのままずばり「故里」でも良いと思います。
2022. 1. 2 by 桐山人
作品番号 2021-308
回顧陽關烽火臺舊跡
碩沙萬里路絲綢 碩沙 万里 路絲綢
烽跡空留立故丘 烽跡 空しく留む 故丘に立つ
西出陽關天盡處 西して陽関を出づれば 天尽くる処
抗爭今昔使人愁 今昔より抗争あり 人をして愁へしむ
<解説>
愛知県詩吟同好会有志で1988年(平成10年)7月31日〜8月7日、八日間の「シルクロードの旅」に行った時、敦煌からバスで陽関へ行き、烽火台跡地で合吟をしました。
<感想>
尤韻の「綢」が効果的ですね。
承句は「烽跡」ですと「烽火の跡」となります。「烽臺」「烽火臺」とする必要がありますね。
「遙望烽臺古塞丘」ですかね。
転句は問題無いです。
結句は、「今昔」を先に読まなくても、「抗争 今昔」で通じると思います。
ウィグル自治区は現在でも政情が落ち着かない状態、旅行客の立場からも早く安定してほしいところですね。
2022. 1. 2 by 桐山人
作品番号 2021-309
初夏即事
雨歇桾濫燕翻 雨歇の薫風に 飛燕翻し
柔暉嫩葉拷A繁 柔暉の嫩葉は 緑陰繁し
佳辰供粽和菖浴 佳辰に粽を供し 菖浴に和す
麥氣侵簾滿草軒 麦気 簾を侵して 草軒に満つ
<解説>
昭和初期の頃、田舎での五月の節句を思い出す
<感想>
ちまき、菖蒲湯、懐かしい画面ですね。
全体にまとまっている良い詩だと思いますが、起句の「飛燕翻」は言葉が重複しています。
「燕」を修飾する言葉はいっぱいありますので、「飛」ではない言葉にしましょう。
また、「薫風」と「麥氣」が似ていますので、どちらかにしてはどうでしょう。
例えば起句を「雨歇街衢輕燕翻」としてみると、画面がはっきりすると思いますよ。
結句は「簾」「草軒」と場所を表す言葉が二つ出てますが、窓から入り家中に満ちるという丁寧な説明でしょうか。
近くに置けば強調効果になりますので、「麥氣薫風」と並べるのも良いですね。
2022. 1. 2 by 桐山人
作品番号 2021-310
夏日漫興
爽然C籟入柴門 爽然と清籟 柴門に入り
涼滿林亭壕繁 涼は林亭に満ちて 緑陰繁し
夏到秋邀多感慨 夏到れば秋邀す 感慨多し
人生幾何涙空呑 人生幾何ぞ 涙空しく呑む
<解説>
コロナ禍で晴耕雨読、全く外出していない。ふと感じた事を記した。
<感想>
結句は四字目の平仄が違いますので、「幾何」を「幾許」にしましょうか。
前半は夏の爽やかさが溢れるような言葉で、題名にもよく合っていると思います。
部分的には「柴門」と「林亭」と場所を表す言葉はどちらかで良いでしょうね。
「爽」「C」「涼」も似た感覚で並びますので、「爽」か「C」のどちらかを(或いは両方)を感覚を伴わない言葉にしておくと良いかと思います。
「飄然」「風籟」など。
前半の好景の割に、転句で「夏が来るとすぐに秋を考えてしまう」というのは話が急すぎるような気がしますね。
ご自身の人生を眺めるという結句は良い句ですので、転句の上四字を検討してはどうでしょう。
夏の景色の中で、寂しさやはかなさを感じさせる物があると良いですが、そうでなくても、初夏の興を満喫する様子でも「多感慨」に繋がる要素はあると思います。
2022. 1. 2 by 桐山人
作品番号 2021-311
夏日視槿花記思
克影濃池面煌 緑樹 影濃やかに 池面煌く
蓮峰自若四山蒼 蓮峰 自若にて 四山蒼し
槿花一日親爲盛 槿花 一日なるも 親ら盛を為す
非短在眞心發揚 短に非ず 真に在り 心発揚す
<解説>
大暑に近い午後、近在の墓地公園に憩う。丘上の展望塔(標高略八十米)より御嶽山や南信の山並みが展望できる。
以前は放歌高吟の者もいたが、今は訪れる人も無く、全く閑寂であった。園内に槿花を見つけた。
<感想>
承句の「蓮峰」は固有名詞でしょうか、それとも「連峰」でしょうか。
転句は「一日だけど」と逆接に持って行くためには、「親」を「尚」としておいた方が良いですね。
結句は上四字は必要な情報なのかどうか、槿花はこの詩では主役ではありませんので、ここはもう一度前半の遠景とかに戻した方が落ち着くと思います。
2022. 1. 2 by 桐山人
作品番号 2021-312
知多大野城懷古
拷A閑階暑威輕 緑陰 閑階 暑威軽し
今昔衝天大野城 今昔 天を衝く 大野城
悲喜憶君懷古涙 悲喜 君を憶ふ 懐古の涙
幾多萬感寂無聲 幾多 万感として 寂として声無し
<解説>
大野城は伊勢湾を望む丘にあります。
織田信長の妹である「お市の方」の娘、お江が最初に嫁いで来たお城です。
<感想>
承句は大野城の姿を伝えて良い句なのですが、この詩では「今昔」が邪魔になります。
というのは、「今昔」と言うのは、長い期間、町のあちらこちらから多くの人が城を眺めていた、つまり人々に愛されていたことを象徴した表現、起句はその大野城に登っていった場面、間近で眺めて「今昔」とまで言えるか、疑問です。
起句からの流れで行くなら、「仰看」とするのが良いですね。
なお、起句の「階」は平声ですので、「徑」「棧」などが良いでしょう。
後半はやや感情に流れて、例えば「悲喜」と「幾多萬感」と同じイメージの語とか、「君」は誰のことか、少し整理する必要があります。
「お江」を中心にするならば、戦国の波に翻弄された姿を転句で描いて、読者に主人公を理解してもらい、その後の結句で作者の気持ちを出すのが良いですね。
「悲喜幾多姫(江)女涙 舊懷延竚寂無聲」のような形ですね。
2022. 1. 2 by 桐山人
作品番号 2021-313
未完城
無雲午影訪秋行 雲無く 午影 秋を訪ねて行く
大草登樓落葉聲 大草 登楼 落葉の声
歴史誰知思往事 歴史 誰か知らん 往事を思ふ
淒涼亂世志難成 淒涼 乱世 志成り難し
<解説>
知多市大草城は未完の城です。
<感想>
「未完」ということがこの詩では大事で、それを入れないといけません。
承句は「登楼」と言ってしまうと、お城は完成していたように感じますので、「大草未完遺跡城」。
そうなると、起句は「無雲碧宇晩秋行」でしょうかね。中二字はもう少し良い言葉があるかもしれません。
転句は「未完」の事情を語るなら「往昔如庵繩墨地」とし、結句は「唯殘濠壘」で表して、最後の三字は作者の気持ちが入ると良いでしょう。
景色をもう少し述べるなら、「石壘水濠留往昔」「唯有壘濠堆落葉」として、結句は上四字はこのままで、下三字をもう少し考えていくと良いでしょう。
2022. 1. 2 by 桐山人
作品番号 2021-314
晩春
晩花朝雨薄寒生 晩花 朝雨 薄寒生ず
風送芳塵掃地輕 風送る芳塵 掃地軽し
燕子飛空閑白晝 燕子 飛空 閑白昼
吟愁感事亦詩情 吟愁 事に感ず 亦詩情
<解説>
四月早々に家の近くで燕が飛んでいるのを見かけた。
燕を見ると、詩吟の「事に感ず」を思う。
<感想>
春の終わりになっても、時に「薄ら寒さ」を感じることがありますね。
陸游の詩に「暮春猶薄寒」の句があります。
朝の雨が降っていると、承句の「風が地を掃う」という内容がおかしくなりますし、転句の「白昼」への流れができません。「朝」も「雨」も混乱させる情報ですので、どちらも削った方が良いですね。「晩花一日薄寒生」としてはどうですか。
承句は「掃地」「輕」の主語が「風」なので、読み下しは「風は芳塵を送り 地を掃ひて軽し」が良いです。
転句は「感事」を意識するなら「飛空」を「歸來」とするところ、また、下三字の読み下しは「白昼閑(しず)かなり」ですね。
結句は「吟愁」が利いていて、「感事」が詩の題名と同時に作者の心情も表す形で良い表現になりましたね。
そうなると、「亦」では単調なので、もう少し強くしたいですね。「逐詩情」(詩情を逐(お)ふ)などどうですか。
2022. 1. 2 by 桐山人
作品番号 2021-315
思初夏
麥秋窗外好風徐 麦秋 窓外 好風徐なり
庭院葡萄夏葉初 庭院の葡萄 夏葉の初め
映水郊村微月下 水に映ず 郊村 微月の下
所求夫婦樂幽居 求める所 夫婦 幽居を楽しむ
<解説>
我が家の夏風景です。何度も何度も書き直しました。
<感想>
前半は季節感がよく出ていて、爽やかなイメージが拡がります。
実際はどうなのか分かりませんが、画面的には「葡萄」の葉は遠くから眺めるよりも窓に架かるような感じが良いですので、「窗外」と「庭院」を入れ替えてみてはどうでしょう。
「麥秋庭院好風徐 窗外葡萄夏葉初」
転句は急に散歩に出たのでしょうか、画面が変わりますね。
最後が「幽居」ですので、できれば部屋の中に居た方が落ち着きます。
また、「微月」と急に夕方とか夜になってしまうのも妙です。
ここはご夫婦の「幽居」の楽しみが何か欲しいですね。私が勝手に書いてはいけませんが、例えば「閑坐茅檐長日午」(茅檐に閑坐す 長日の午(ひる)としてご夫婦の姿を出すだけでも、結句への流れが良くなります。
結句は「所求」が下の「樂」と重なりますので、要りませんね。ここは「夫婦」の形容、例えば年齢とかを入れると具体性が増すと思います。
2022. 1. 2 by 桐山人
作品番号 2021-316
初夏感懐
風爽青苔日影徐 風爽やかに 青苔 日影徐やか
小庭幽草外郊居 小庭 幽草 外郊の居
如今白髪無人訪 如今 白髪 人訪ふ無し
正是不生名利虚 正に是れ不生 名利虚し
<解説>
さわやかな初夏を迎えましたが、コロナ禍はいつになったら収まるのか、不透明なこの頃です。
自分は年を重ね、接する朋もなくむなしく過ごしています。
<感想>
素材の組み合わせとしては、「青苔」と「小庭」は逆の方が良いですね。「小庭」のままですと「四字目の孤平」になりますので、「閑庭」としておくと良いでしょう。
承句も同様に「青苔国吹vが合いますね。
転句は「現在は」ということでしょうが、わざわざ「今」と言わなくても「老來」とした方が自然ですね。
結句の「不生」は『仏教辞典』で調べました。「不生不滅」の「不生」のようですが、難しいですね。「欲を去った悟りの境地」というところで、下の「名利虚」に繋がりそうですね。
ただ、そう述べる根拠を探しても、「初夏の庭の景」と「白髪」「無人訪」なので、直接に理由にはならず、「正是」と強く言われてもピンとこないのが実状です。この仏教議論から逃げるなら「終日樂吟(終日 吟を楽しむ)」(この場合には起句の「日」を「陽」にします)とか、「耽溺詩書」など、上四字を検討してください。
2022. 1. 2 by 桐山人
作品番号 2021-317
童子初夏 一
院落鳴蛙叩草盧 院落 鳴く蛙 叩草の盧
連宵聒聒入梅初 連宵 聒聒 入梅の初め
早朝耕作疲労甚 早朝 耕作 疲労甚(はなはだ)し
風爽午眠心自舒 風爽やかに 午眠 心自ら舒(おだやか)なり
<感想>
題名の「童子」は「子供の頃」ということでしょうか、「初夏懷昔」として「昔を思い出しての詩」だと先に示しておくと、詩の展開に助かります。
起句の下三字は「草廬を叩く」と読みますが、これは蛙の鳴き声が粗末な我が家まで鳴き渡ってきたことを表します。
そうなると、「鳴蛙」ではなく「蛙聲」「蛙鳴」としなくてはカエルそのものが家にぶつかってきてしまいますね。
また、「院落」「草廬」と二つ場所を表す言葉があるため、移動したような印象になります。
転句からは表現的には問題ありませんが、前半で蛙を二句にわたって描いていますので、無視はできません。
蛙以外の物も出しておけば良いかもしれませんね。
ここは、「連宵」「早朝」「午眠」と時刻を表す言葉が別々に出てくること、また「早朝から働き疲れ、風爽やかな午後には昼寝して気持ち良い」というのは、初夏の様子で「入梅初」と合わないと思います。
文法や平仄を整ってきた分、内容で勝負ができるわけですので、矛盾が無いようにすることが大切になります。
直す方向としては、後半(畑仕事、昼寝)に合わせるようにして、ぶつかる部分を修正しましょう。
起句は「滿耳蛙聲叩草廬」(満耳の蛙声 草廬を叩き)」として、承句は下三字を「齊齊聒聒故ク閭」とややくどいですが蛙の声を出しておきましょうか。
転句は現在の姿ではないので、「早朝」を「少年」とすると、作者の子供時代だとわかり、全体がまとまるでしょう。
2022. 1. 2 by 桐山人
作品番号 2021-318
童子初夏 二
閑庭月影外郊居 閑庭 月影 外郊の居
炯炯野蛍心自舒 炯炯 野蛍 心自舒(おだやか)
宿昔從兄多教導 宿昔 兄従 教導多し
北窗終日讀殘書 北窓 終日 残書を読む
<感想>
こちらの詩も、前半は夜、後半は「終日」と時間帯にズレがあることと、内容的にも「月影」「野螢」で分断があります。
転句は「話題転換」ではありますが、あくまでも一つの詩の中でのこと、転句で飛んでも最後は戻って来ないといけません。
「転句を隠して読んでも意味が通じる」ことが大切です。
表現では前半は良い景で、うまくまとまっています。
転句は「從兄」は「兄に従ひ」「兄より」というお積もりでしょうが、「いとこ」と考えられてしまいますね。
「阿兄」として誤解を避けるようにしましょう。
結句の「讀殘書」は「残った本を読む」のではなく、「読み残し(読残)た書物」のことですので、ここは「讀詩書」とした方が良いですね。
直すとすると、転句をどうするか、ですね。
昔を思い出す形にするなら、例えば「兄弟少時雙几處」(兄弟少き時 几を双べし処)としておき、結句の方はそれに合わせて「老來孤惜讀殘書」(老い来たりて孤り惜しむ 読残の書)とすると、兄と二人で学んだ日々を思い出し、今はひとり、まだまだ勉強は途中だ」となり、前作とはちょっと別の視点で思い出の詩になりますね。
2022. 1. 2 by 桐山人
作品番号 2021-319
吐蕃旅行
吐蕃信仰佛心強 吐蕃 信仰 仏心強し
五体禱形姿態煌 五体 祷形 姿態煌(かがや)く
天宇列車神地進 天宇の列車 神地に進み
高原沙漠阜陵杭 高原の沙漠 阜陵を杭(わた)る
丘園眺陌師僧麗 丘園より 陌(まち)を眺め 師僧麗し
公道拝宮民衆康 公道より 宮を拝む 民衆康なり
流涙金城姻異族 流涙し 金城 異族へ姻(とつ)ぐ
古書歴史學初唐 古書にて 歴史 初唐を学ぶ
<解説>
「神地」: 拉薩(神の土地)
「阜陵」: 小高いおか
「宮」: ポタラ宮(菩薩の宮)
「金城」: 皇帝の娘(この人は養女)でチベットに嫁いだ
<感想>
直接体験したことをそのまま描くと、これだけすっきりした詩になるというお手本ですね。
首聯から頸聯まで、チベットの景を描いてよく伝わって来ます。
残念なのは尾聯で、この詩で言うべきなのは、「金城公主」が異族に嫁いで涙を流したことではなく、唐とチベットの和解、仏教の浸透、そうした役割を果たしたことでなくてはいけませんね。
涙を流してしまっては、今見ているチベットの景色も否定することになります。
下三字も「初唐」に限定してては、中国とチベットの長い複雑な歴史に目をつぶると宣言するようなものになります。
この聯だけは作り直して、せっかく整った律詩を完成させてください。
2022. 1. 2 by 桐山人
作品番号 2021-320
自適
七六春秋幻世營 七六 春秋 幻世営(いとな)む
両親異色健康生 両親 異色のもと 健康に生(うま)れる
父嚴至極呈家訓 父は厳しく 至極 家訓呈す
母穩無量受愛情 母は穏やか 無量の 愛情を受ける
就職勤勞謀詐感 就職 勤労 謀詐(ぼうさ)感じる
退休學習博文宏 退休 学習 博文を宏(ひろ)くする
悠悠野老愉吟詠 悠悠 野老 吟詠を愉(たのし)む
連日作詩心眼明 連日 詩を作り 心眼を明(あきら)かにす
「謀詐」: はかりごと、いつわり
<感想>
「自適」という題では尾聯の内容だけを取り出した形、前半の回想の部分も含ませたいところです。
第二句の「両親異色」は何のことか分かりませんし、「健康生」は主語が両親なのか私なのか、句からはわかりません。
第三句、第四句とも、この構造では「至極に呈す」「無量に受く」と、中二字は下の動詞を修飾する形であり、「至極の家訓」とか「無量の愛情」とはなりません。
第四句は「受」では「お母様が愛情を受け取った」ことになります。
頸聯は、ここから主語が作者自身になったことを示さないと、「両親」から読者は離れられません。
お父様の就職の話なのかと思いました。
ご自身のことだとして読むと、「謀詐」は犯罪に使われる言葉、表現が不穏当ですね。
どのようなお気持ちを持っておられたのかは詳しくは分かりませんが、自分一人で働く芸術家なら別ですが、他人と共同で働く「就職」でしたら、同僚でおられた方々も「共犯」になります。
「本当の自分を偽っていた」というくらいの意味かもしれませんが、表現を間違えると他人を傷つけることになります。別の言葉を探すべきですね。
この聯は「就職して勤労するも 謀詐を感じ 退休して学習し 博文を宏くす」と読んでおきましょう。
ただ、「博文」はそもそも「ひろい学問」のことですので、それを「宏くす」というのも疑問はあります。
尾聯は良いですね。
2022. 1. 2 by 桐山人
作品番号 2021-321
紙
製紙勤勞活四旬 製紙 勤労 四旬活(くら)す
悲僖記録扮詩人 悲僖を記録し 詩人を扮する
人間進展殲精力 人間 進展 精力を殲(つく)す
偉大発明懐蔡倫 偉大 発明 蔡倫を懐ふ
「蔡倫」… 後漢の宦官。世界で初めて製紙技術を発明
<感想>
起句は製紙の仕事に四十年就いていたということですね。
「紙」については題名に書かれていますので、「專業勤勞成四旬」が分かりやすいでしょうね。
承句はその四十年を経て、自分の人生を詩人のように記録しているという、現在の姿でしょうか。分かりにくいですね。
「悲僖載筆鄙情新」としてはどうでしょうか。「人」の字の重複もこれで解消できますね。
転句は、文化の進展に精力を尽くしたということですかね。
「紙」との関係が弱いので、方向としては「紙の存在が人類の発展に寄与した」として、結句に繋げたいですね。
「人間與紙展文化(人間 紙と与に文化展ぶ)」。
「與」はもう少し違う字が良いかもしれませんが(「以」とか「依」か?)ひとまずのところで。
2022. 1. 2 by 桐山人
作品番号 2021-322
内津峠
北位連山別愛岐 北位に 連山 愛岐を別ける
武尊東伐返京時 武尊(たけるのみこと) 東伐し 京に返る時
副官絶命伝言嘆 副官 絶命 伝言に嘆く
乎内津哉古記遺 乎内津哉(アー現{うつつ}かな) 古記に遺す
<解説>
「愛岐」: 愛知県を岐阜県
「武尊」: やまとたける
「乎内津哉」: (あーうつつかな)
「古記」: 『日本書紀』
<感想>
現代という感じを出すために「愛知」「岐阜」という呼称を使ったのでしょうが、それならば今、目の前の内津峠の景色を描かないといけません。
承句から神話の時代の話になりますので、却って違和感が強く感じます。
地元春日井の歴史に関わることで、それを詩にしようという狙いも良いですね。
武尊の関わり事をまとめた部分は分かりやすく描かれています。
ただ、どうしても説明的になり、解説書を読んでいるような印象なのと、承句以降の三句、全体の七割以上もそのことに費やすのはどうでしょうか。
「乎現哉」と内津峠の由来を語ることが結局詩の主題というのも、やや寂しい。
武尊の心情を思いやるような方向が出てくると詩がすっきりすると思います。
こうした歴史を詩にする「史詩」は昔から作られていますが、事実列挙に終らずに、作者の気持ち、登場人物の気持ちを考える方向は不可欠でしょうね。
承句に内津峠の景色を入れ、後半で武尊の行動と心情が出るようにし、内津峠の名前の由来は注に添えるくらいが良いでしょう。
2022. 1. 2 by 桐山人
作品番号 2021-323
悲話
昔日庄川氾濫時 昔日 庄川 氾濫時
村娘人柱有言隨 村娘 人柱 言有随ふ
如今此地墳塋在 如今 此地 墳塋在り
十五一生哀史馳 十五 一生 哀史に馳せる
<解説>
「馳」:心をよせる
此の地、今は開発され、工場の駐車場になっています。
石碑が存在します。
<感想>
これは愛知県春日井市の「十五の森」の説話ですね。
起句は問題無いですね。
承句の「人柱」は和語ですので、「牲牢娘子」でしょうか。
下三字の「有言隨」は「人身御供を出すようにという言葉があり」、それに「隨った」ということでしょうね。やや分かりにくいかな。
結句は「哀史馳」の「馳」が苦しいです。
「上平声四支」でしたら、韻字に「悲」がありますし、「碑」もありますので、その辺りで考えると良いでしょうね。
「悲」を最後に置けば、作者の心情が余韻として残りますし、「碑」にすれば叙景となり映像として目に残りますね。
2022. 1. 2 by 桐山人
作品番号 2021-324
野間大坊
海風颯颯大坊頭 海風颯颯 大坊の頭
洗首池邊暮景幽 洗首池辺 暮景幽なり
墳上木刀懷往事 墳上の木刀 往事を懐ひ
千年遺恨使人愁 千年の遺恨 人をして愁へしむ
<解説>
愛知県美浜町の野間大坊(大御堂寺)は昔ながらの景観で、平治の乱で敗れ、逃げてきたこの地で死んだ源義朝の無念を今も感じさせる風情のある寺である。
<感想>
起句は「大坊」よりも「古堂」が良いでしょう。
承句は「血の池」よりも事情が分かって、表現としてはこちらが良いです。
転句は「懷往事」はあまり意味が無い言葉で、せっかくの「洗首池邊」がくどくなります。
「無數木刀堆塚土」ですかね。
2022. 1. 2 by 桐山人
作品番号 2021-325
桶狭間古戦場懐古
雨中桶峡動陰謀 雨中の桶峡、陰謀を動かす。
殲滅今公散積憂 今公を殲滅し、積憂を散ず。
爾来凄風増領土 爾来凄風、領土を増やし、
下天布武治諸侯 下天に布武して、諸侯を治む。
<解説>
信長は桶狭間で少数の奇策で今川義元を破った。
以降、天下布武のもと、戦のない社会を目指し勢力を拡大していった。
<感想>
桶狭間の戦いから信長の時代が始まったことを表していますね。
これはこれで、一つの視点ですので良いと思います。
起句は「陰謀」よりも「奇謀」が良いですね。
承句は今川義元を「今公」で通じますかね。「積憂」でもありますし、「今川家」という感じで「今川」とした方が分かりやすいでしょうね。
転句は平仄が合いませんので、「爾來」を「從此」、「凄風」もはっきりと信長とわかるようにしたいので、「信長」「織田」で良いと思います。
2022. 1. 2 by 桐山人
作品番号 2021-326
初夏即事
梅霖閑日坐茅廬 梅霖 閑日 茅廬に坐す
寧靖感情樂讀書 寧靖の感情 書を読む楽しみ
益友手翰無限意 益友の手翰 無限の意
透簾庭戸晩鍾疎 透簾 庭戸 晩鍾疎なり
<解説>
メールが多くなりましたが、たまに友達から届く手紙は嬉しいものです。
<感想>
相手の気持ちが伝わる手紙は嬉しいものですね。
起句は問題無いですね。
承句は「四字目の孤平」ですし、「寧靖」がすでに「安らか、おだやか」という感情を含んだ言葉ですので、「感情」は屋上屋、中二字を修正する形が良いですね。静かな状態を表す「沈沈」など、考えてみてください。
下三字は「書を読む楽しみ」とは読めませんので、「読書を楽しむ」としておきましょう。
転句は「益友」が良いか「舊友」が良いかですね。離れていることを考えると「益(ためになる)」よりも「舊」「故」の方が良いかと思いますが、どうでしょう。
「無限意」は大げさに感じますが、取りあえず「意」は「喜」が良いでしょうね。
結句は「庭」を出すよりも部屋の中に居ることを感じさせる言葉にすると画面が整いますね。
2022. 1. 2 by 桐山人
作品番号 2021-327
登呂遺跡
餘閑訪古曳筇行 余閑 訪古 筇を曳きて行く
田舎田疇往昔情 田舎 田疇 往昔の情
村落名所遊老弱 村落の名所 老弱遊ぶ
日常平穩一詩成 日常 平穏 一詩成る
<解説>
近くの登呂遺跡に行ってきました。
<感想>
登呂遺跡は今どんな風になっているのでしょうかね。
全体に「遺跡」というイメージが弱く、田舎の一風景という感じがしますね。
題名に入っていますが、固有名詞を冒頭に入れておくと、何処に行ったのかが明瞭になります。
「晩春登呂曳筇行」(晩春の登呂 筇を曳きて行く)とすると、次の承句からが「登呂遺跡」の描写だとはっきりわかります。
承句は「田舎」よりも「田圃田疇」、「往古」よりももっと過去を感じさせる言葉が良いですね。
「千古」あるいは「太古」とした方が縄文時代らしいですね。
転句は「所」が仄声です。また、下三字「遊老弱」は「老弱遊」と戻って読むのは無理です。
「遊老は弱し」と読めてしまうからです。
書き出しを「老弱來遊」として、下三字を考えると良いですね。
結句の「日常」は転句を受けて「老弱が遊んでいる穏やかな様子」を指しているのでしょうが、「作者の日常が平穏」と読みそうです。
ここは「日常村落」として、敢えて「平穏」は書かない方が良いですね。
2022. 1. 2 by 桐山人
作品番号 2021-328
駿府春
駿河城跡入C穹 駿河 城跡 青穹に入る
滿目櫻花舞輕風 満目の桜花 軽風に舞ふ
昔日榮光名不朽 昔日の栄光 名は朽ちず
都人心緒瑞雲中 都人の心緒 瑞雲の中
<感想>
駿府城は天守は再建されていないですね。
見上げる楼閣があると「入C穹」も視線の動きが自然なのですが、「城跡」から空へと目を動かすのは苦しいですね。
ここは承句の「輕風」を持ってきて、「駿河城跡渡輕風」としてはどうでしょう。
承句は「二六対」が壊れていますね。こちらを「滿目櫻花舞碧空」とした方が視線の動きが自然ですね。
転句は「昔日栄光」が何を指しているのか、駿府城に「不朽」と言う程の栄光があったとは言えないですね。
また、結句の「都人」も誰のことを言っているのでしょうか。
この転句結句の二句は、作者の意図が伝わってきません。
読者に伝える気持ちで再敲をお願いします。
2022. 1. 2 by 桐山人
作品番号 2021-329
花信
天風穩四隣C 青天 風穏やかに 四隣清し
高木白冠懷古名 高木の白冠 懐古の名
歴史先人誰共語 歴史の先人 誰と共に語らん
新茶贈友遠遊情 新茶を友に贈る 遠遊の情
<解説>
近くの公園にナンジャモンジャの木々がありました。見頃でした。
<感想>
ナンジャモンジャを詩の題名にすることは無理ですね。
ナンジャモンジャ自体も、色々な植物に付けられていることもありますので、中国語で置き換えることはできませんね。
直接名前を言わずに、「白花萬枝」とか「蓋枝銀冠」などでそれとなく伝えることはできるでしょうね。
承句の「懐古名」は何か名前に由来とか故事があるのでしょうか。私は思い浮かびませんので、またお教えください。
注を添えるとよいかもしれませんね。
転句は次に「友」が出てきますので、「誰共語」が邪魔になります。
「先人」がどうしたのか、を述べる形が良いでしょうね。
2022. 1. 2 by 桐山人
作品番号 2021-330
水無月祓
ク村風色碧雲舒 郷村 風色 碧雲舒る
夏越茅輪感有餘 夏越の茅の輪 感余り有り
退散病魔人類願 退散 病魔 人類の願ひ
閑座深念偏晏如 閑座 深念 偏く晏如
<解説>
今年は半田と静岡で茅輪をくぐる事ができました。
左足から輪をまたぐ作法とか、孫と静岡では四社巡りました。
<感想>
六月三十日が一年の半分、そこで惡疫祓いが神社で行われるのが「夏越の祓え」「水無月祓え」ですね。
起句は「風色」では景色がはっきりしないので、「風緩」「風淡」とか、具体的にしましょう。
承句はこの句だけを見ると良いですが、作者の心情を表す言葉が「感有餘」と結句の「偏晏如」と両方出てくるのが気になります。
結句は「晏如」で落ち着いてしまうと転句の「願」が浮いてしまうので結句を直す方向で、転句の「人類」は「萬人願」と挟み平が良いでしょう。
結句は平仄も直します。
神社で祈った感じで「社頭深念湑湑」でどうでしょう。
2022. 1. 2 by 桐山人