2020年の投稿詩 第181作は静岡の芙蓉漢詩会の Y ・ H さんからの作品です。
 今回は新型コロナウイルス感染による自粛の関係で、合評会は手紙のやり取りでのものとなりました。
 各自の作品に感想を送り合い推敲をしたものを、『芙蓉漢詩集 第26集』として詩集としました。

作品番号 2020-181

  新冠病毒(コロナウイルス)        

感染規模疾拡張   感染の規模 拡張疾し

萬全檢疫不能防   万全の検疫 防(ふせ)ぐ能わず

病原正体解明急   病原の正体 解明急ぎ

開發名方衆所望   名方を開発 衆の望む所

          (下平声「七陽」の押韻)

 今や、新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない。
 早く新薬が開発され、一刻も早く終結されることを世界は望んでいる。

「名方」は、新しい治療薬、治療法、予防薬、予防法を指す。




























 2020年の投稿詩 第182作は静岡の芙蓉漢詩会の Y ・ H さんからの作品です。
 今回は新型コロナウイルス感染による自粛の関係で、合評会は手紙のやり取りでのものとなりました。
 各自の作品に感想を送り合い推敲をしたものを、『芙蓉漢詩集 第26集』として詩集としました。

作品番号 2020-182

  節分会        

庚子當吾儺舞姿   庚子 当に吾 儺舞の姿

發聲招福鬼奔馳   招福の声を発せば 鬼奔(に)げ馳す 

周圍眺望孫嬉笑   周囲眺望すれば 孫嬉笑す

無病息災除厄宜   無病息災 厄を除いて宜し

          (上平声「四支」の押韻)

 二月三日は節分です。
 私は、今年年男です。
 恒例の豆まきを家族で楽しみました。




























 2020年の投稿詩 第183作は静岡の芙蓉漢詩会の Y ・ H さんからの作品です。
 今回は新型コロナウイルス感染による自粛の関係で、合評会は手紙のやり取りでのものとなりました。
 各自の作品に感想を送り合い推敲をしたものを、『芙蓉漢詩集 第26集』として詩集としました。

作品番号 2020-183

  初春出遊        

昨雨寒威減   昨雨 寒威減ず

春風暖氣生   春風 暖気生ず

半開梅數點   半ば開く 梅数点

林徑聴新鶯   林径 新鶯を聴く

          (下平声「八庚」の押韻)





























 2020年の投稿詩 第184作は静岡の芙蓉漢詩会の 子方 さんからの作品です。
 今回は新型コロナウイルス感染による自粛の関係で、合評会は手紙のやり取りでのものとなりました。
 各自の作品に感想を送り合い推敲をしたものを、『芙蓉漢詩集 第26集』として詩集としました。

作品番号 2020-184

  除夜鐘        

越年参拜與孫輕   越年 参拝 孫と軽やか

百八鐘聲幽韻錚   百八の鐘声 幽韻の錚(ひび)き

顔照燔薪跌先冷   顔は燔薪に照り 跌先(あしさき)は冷し

西空月仄一詩成   西空 月仄(かたむ)きて一詩成る

          (下平声「八庚」の押韻)

 小二の孫と久しぶり、大晦日に神社とお寺に行った。
 三百人位でかがり火が明々としていた。
 そして、西空上弦の月が傾く。
 詩になる。




























 2020年の投稿詩 第185作は静岡の芙蓉漢詩会の 子方 さんからの作品です。
 今回は新型コロナウイルス感染による自粛の関係で、合評会は手紙のやり取りでのものとなりました。
 各自の作品に感想を送り合い推敲をしたものを、『芙蓉漢詩集 第26集』として詩集としました。

作品番号 2020-185

  山上臨富嶽        

駿灣眼下蜜柑圃   駿湾眼下にす 蜜柑の圃

近見山巒重畳嵎   近く見る山巒 重畳の嵎

富嶽仰望穿碧落   富嶽仰ぎ望めば 碧落穿つ

木花神徳普村徒   木花(このはな)の神徳 村徒に普し

          (上平声「七虞」の押韻)

「木花之開耶姫」: 富士山の神、浅間神社に祀られる

 暮れの数日、友人の蜜柑の収穫を手伝った。
 傾斜した山から駿河湾と富士が見えた。
 鎮守の神様に疾の苦しみないこと祈りました。




























 2020年の投稿詩 第186作は静岡の芙蓉漢詩会の 子方 さんからの作品です。
 今回は新型コロナウイルス感染による自粛の関係で、合評会は手紙のやり取りでのものとなりました。
 各自の作品に感想を送り合い推敲をしたものを、『芙蓉漢詩集 第26集』として詩集としました。

作品番号 2020-186

  白梅華        

花蓮港驛客程遐   花蓮港駅 客程遐(はる)か

人少清晨冷氣加   人少(ま)れな清晨 冷気加はり

崖谷天祥尖塔矗   崖谷 天祥に尖塔矗(そび)ゆ

朝陽映照白梅華   朝陽映照す 白梅の華

          (下平声六麻」の押韻)

 昔日 太魚閣へ案内された。
 正月三日ころ朝の谷閣に白梅の林が印象的だった。




























 2020年の投稿詩 第187作は静岡の芙蓉漢詩会の 子方 さんからの作品です。
 今回は新型コロナウイルス感染による自粛の関係で、合評会は手紙のやり取りでのものとなりました。
 各自の作品に感想を送り合い推敲をしたものを、『芙蓉漢詩集 第26集』として詩集としました。

作品番号 2020-187

  過八十二歳        

新聞細字目繊拘   新聞の細字 目を繊(ほそ)めて拘はる

明日期程忘不須   明日の期程 忘れて須(もち)ひず

免許返還懸案件   免許の返還 懸案の件

餘齢幾歳一農夫   余齢幾歳 一農夫

          (上平声「七虞」の押韻)

 老齢者の車事故の記事を見て、未知の未来の希望と不安を考えた。



























 2020年の投稿詩 第188作は静岡の芙蓉漢詩会の 洋景 さんからの作品です。
 今回は新型コロナウイルス感染による自粛の関係で、合評会は手紙のやり取りでのものとなりました。
 各自の作品に感想を送り合い推敲をしたものを、『芙蓉漢詩集 第26集』として詩集としました。

作品番号 2020-188

  看梅        

晴空春日遠行温   晴空 春日 遠行温か

水戸羅浮偕楽園   水戸の羅浮 偕楽園

素蕋紅英方馥郁   素蕋 紅英 方に馥郁

好文亭裡烈公存   好文亭裡 烈公存す

          (上平声「十三元」の押韻)

「好文亭」: 水戸藩主徳川斉昭公が自から設計したといわれている別墅であるが己一人が楽しむ所でなく民と偕に楽しむ所であると民に広く開放した。
       偕楽園内の施設で四季折々の美しい風景が楽しる。

「烈公」: 徳川斉昭





























 2020年の投稿詩 第189作は静岡の芙蓉漢詩会の 洋景 さんからの作品です。
 今回は新型コロナウイルス感染による自粛の関係で、合評会は手紙のやり取りでのものとなりました。
 各自の作品に感想を送り合い推敲をしたものを、『芙蓉漢詩集 第26集』として詩集としました。

作品番号 2020-189

  送春        

渡水看花復鳥聲   水を渡り 花を看 復た鳥の声

有朋遊樂踏青行   朋有り 遊楽踏青の行

夜來耳入瀟瀟雨   夜来 耳に入る瀟瀟の雨

風趣何如春夢情   風趣 何如ぞ 春夢の情

          (下平声「八庚」の押韻)





























 2020年の投稿詩 第190作は静岡の芙蓉漢詩会の 洋景 さんからの作品です。
 今回は新型コロナウイルス感染による自粛の関係で、合評会は手紙のやり取りでのものとなりました。
 各自の作品に感想を送り合い推敲をしたものを、『芙蓉漢詩集 第26集』として詩集としました。

作品番号 2020-190

  夏之想出        

夏初想起碧空清   夏初想起す碧空清し

板道延延尾瀬行   板道 延延 尾瀬の行

濃紫菖蒲優雅態   濃紫 菖蒲 優雅な態

薄黄芭蕉皓然英   薄黄芭蕉 皓然の英

白雲淡淡沼池泛   白雲淡淡 沼池に泛ぶ

澄水青青原野横   澄水青々 原野に横たう

早歳伴娘愉悦刻   早歳娘を伴い愉悦の刻

不歸往昔未忘情   帰らず往昔 未だ忘れざる情

          (下平声「八庚」の押韻)





























 2020年の投稿詩 第191作は静岡の芙蓉漢詩会に参加した 桐山人 の作品です。
 詩集にも載せていただきました。

作品番号 2020-191

  婺源彩虹橋        

木廊橋上禹王魂   木廊橋上 禹王の魂

治水千年威コ尊   治水 千年 威徳尊し

克碧潭舟筏漾   緑樹 碧潭 舟筏漂ひ

南風淅淅古家村   南風 淅淅たり 古家の村

          (上平声「十三元」の押韻)

 「婺源(ぶげん)」は中国江西省の古村。
 廊橋である「彩虹橋」は南宋の時代(一一三七年)に建てられ、黒い屋根瓦が連なり、周囲の緑の山河とよく調和しています。
 橋の中央の祠には、橋を作った大工、橋の基金を集めた僧侶、そして中央には禹王(伝説上の夏王朝初代皇帝で黄河の治水を果たしたとされる)の三像が並びます。




























 2020年の投稿詩 第192作は静岡の芙蓉漢詩会に参加した 桐山人 の作品です。
 詩集にも載せていただきました。

作品番号 2020-192

  玉藻城        

曉庭秋冷少人行   暁庭 秋冷 人の行くことは少(まれ)に

蔚樹喬松樓櫓甍   蔚樹 喬松 楼櫓の甍

池水蒼淵細漣動   池水の蒼淵 細漣動き

海風過P響潮聲   海風 瀬を過り 潮声を響かす

          (下平声「八庚」の押韻)

 「玉藻城」は香川県高松市の高松城の別名。
 瀬戸内海の海水をお堀に引き込んだ水城です。




























 2020年の投稿詩 第193作は桐山堂刈谷の 老遊 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-193

  春日作        

春光煦煦草庵隣   春光煦煦たり 草庵の隣

櫻樹夭葩隔世塵   桜樹の夭葩 世塵を隔つ

豈料敲門舊知友   豈に料らんや 門を叩くが旧知の友とは

温交談笑雅風春   交を温め 談笑す 雅風の春

          (上平声「十一真」の押韻)

<感想>

 「煦煦」はぬくぬくと温かい様子、春らしい言葉ですね。
 前半の叙景、転句からの人事の構成も整っていて、味わいがあります。

 今年は特にコロナウイルスのせいで人を訪問することも訪れも稀でしたね。
 そうした状況の中、旧友が思いがけず(「豈料」)訪ねてきてくれたからこそ、いつも以上に喜びも深かったわけで、そのあたりもよく表れていると思います。
 最後の「雅風春」も、普段の年に使うとやや手垢がついた感じがしますが、逆に「いつものように」という感じが出て来て、良いと思います。



2020. 6.28                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第194作は桐山堂刈谷の 汀華 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-194

  萬花郊村        

朝雨放晴漉t新   朝雨 晴を放ち 緑葉新なり

登廊左右萬枝巡   登廊の左右 万枝巡る

滿園爛漫香風爽   満園 爛漫 香風爽たり

閃色花王無俗塵   閃色の花王 俗塵無し

          (上平声「十一真」の押韻)

※   <解説>

 長谷寺の牡丹を詩にしました。
「閃色」は「王貌」「金蕊」「國色」「絶色」と迷いました。

<感想>

 まずは題名に「長谷寺」を入れないといけませんね。
 「長谷寺牡丹」でも良いし、課題に対しての作品とするなら「萬花郊村(長谷寺)」とするなど、内容と題名が乖離しないようにすることも必要です。

 長谷寺だということが真っ先に伝われば、「登廊」「滿園」「花王」などの言葉がすっと入ってきますが、どこか分からないと、作者は分かっていて良いのですが、読者は結構苦しみます。

 起句は「放晴」と言う必要は無いと思いますので、四字目の孤平を避ける意味でも「郷村」として、「緑葉」も「緑樹」と広くしてはどうでしょう。
 長谷寺には七千株の牡丹が植わっているそうですので、「萬枝」もそれほど大げさな表現ではないでしょうね。

 転句はここで「爛漫」を使うと、結句まで残していた「花王」が生きてきません。「馥郁」くらいでしょうか。
 ここで牡丹を出すのも流れとしては良く、「花王閃色香風爽 閑寂庭園無俗塵」というのも面白いかなと思います。



2020. 6.28                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第195作は桐山堂刈谷の 靜巒 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-195

  送春        

白雲午下鳥聲頻   白雲 午下 鳥声頻り

飛散櫻花將盡春   飛散する桜花 将に春尽きんとす

六十日不開門戸   六十日 門戸開かず

不知公苑薔薇辰   知らず 公苑 薔薇の辰

          (上平声「十一真」の押韻)

<感想>

 起句は「白雲」「午下」「鳥聲」が繋がらないのが難点ですね。
場面としては「午下」はあまり必要ではないことですので、ここは「雲」を形容するような言葉を入れるのが良いでしょうね。雲がたなびく様子を表す「靉靆」と上四字でまとめるか、「翠樹鳥聲頻」と下五字でまとめるか、でしょう。

 承句は下三字、この語順ですと「将に尽きんとする春」となります。「将」の再読文字で読み順を複雑にするよりも「欲」とした方がすっきりするでしょう。

 転句は「不」の位置が気になりますね。「六十日間」とした方が句切れも自然ですし、平仄も良いです。
 下三字は「鎖門戸」と挟み平とするか、「門不出」でも良いでしょう。

 結句は「不」が重複してはいけません。「時知」と肯定形にしても十分通じます。
 ここは下三平になっていますので、ご検討ください。

 今年の春の状況や外に出られない気持ちも表れていて、良い詩になっていると思います。



2020. 6.28                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第196作は桐山堂刈谷の 松閣 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-196

  田水鏡面風光        

郊村山上白雲横   郊村 山上 白雲横たふ

田水泥沙鏡面平   田水 泥沙 鏡面平らかなり

歩畔風光如影動   歩畔 風光 影動くが如し

地消地産秘長生   地消地産 長生の秘

          (下平声「八庚」の押韻)

<感想>

 この作品は再敲作になります。

 前半は良い描写になり、立体感、遠近感が出ましたね。
 転句はこれだけで見ると良いですが、結句の「地消地産」につながるような、耕作をしているという内容が無いといけません。
例えば、「耕芸五旬農老喜」のような形で農業に向かってきたことを出しておくと、結句への流れが生まれますね。

 結句の「秘」は「秘訣」ということでしょうが、大事なのは「訣」の方で、「秘」では内緒の話になってしまいます。「礎」の方が良いでしょうね。



2020. 6.28                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第197作は桐山堂刈谷の 松閣 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-197

  年年歳歳菫        

滿庭風暖鳥聲頻   滿庭 風暖 鳥聲頻り

梅片徑期花菫新   梅片 期を経て 花菫新たなり

半百星霜看幾度   半百の星霜 幾度と看る

綿綿殖色鬪陽春   綿綿 色を殖やし 陽春を闘はす

          (上平声「十一真」の押韻)

<感想>

 この作品も再敲作です。

 前半は良いですね。

 転句は上四字で「五十年間」となりますが、その間で「幾度」は少ないように思います。
 ここに「殖色」を置いた方が良いでしょうね。「半百星霜時殖色」のような形で。

 結句はその分、現在の素晴らしさを伝えられますね。
 「菫」との関わりは語っていますが、肝心の「菫」の美しさが無いのが寂しいところ、目一杯賞めてあげても良いと思います。



2020. 6.28                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第198作は桐山堂刈谷の 松閣 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-198

  埶種後無雨        

圃園農稼立薫風   圃園 農稼 薫風立つ

野水無音思不通   野水 音無し 思ひ通ぜず

冀雨傾盆天又霽   雨盆に傾かんと冀ふ 天又霽る

埶深重蔽苦心通   深く種を埶(ま)き 蔽ふを重ね 苦心通ず

          (上平声「一東」の押韻)

<感想>

 こちらも再敲作です。

 承句は結局、雨が少なく、私の気持ちが天に通じないということですかね。この下三字は急ぎ過ぎで、結論のようなものです。「通」も重複になってしまいましたので、この下三字は田の様子にした方が良いでしょう。

 転句も結局、雨を期待しても降らないということですが、「傾盆」では水害になりますので、もう少し穏やかな言い方が良く、上四字には気持ちを入れましょう。

 結句は、副詞が下に来ては文法的におかしいわけで、この語順ならば「埶は深く」となります。「深埶」が正しいですが、平仄で入れ替えたのでしょうが、勝手に文法破りしても通じません。
 結論としての「苦心通」は「苦労が通じた」となりますが、全体の流れからはこれで合いますかね。



2020. 6.28                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第199作は桐山堂刈谷の 松閣 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-199

  樂散策        

春風習習碧雲齊   春風 習習 碧雲斉し

鳶續鴉鶯呼友啼   鳶続いて鴉鶯 友を呼びて啼く

一叫一廻情一斷   一叫 一廻 情一断

娯遊歩歩往來迷   娯遊 歩歩として 往来迷ふ

          (上平声「八斉」の押韻)

<感想>

 承句の「續」は平仄合わせでしょうか、もう一種類くらい鳥を入れた方が、句にも勢いが出ます。

 転句は李白の「一叫一廻腸一斷」からの句ですね。「断腸」は成語として通じますが、「断情」はどうでしょう。
 一字替えただけで自分の詩に使っているというのも大きな問題ですが、李白の場合には鳴き声の鋭い「ホトトギス(杜鵑)」だったので「一叫」もすっきり納得できるのですが、「鳶・鴉・鶯」ですとどうでしょう。借りた句の価値を損なうような使い方は非礼に当たります。
 「一囀一廻」くらいにして、下三字は別の言葉にすべきでしょう。

 更に、転句が鳥の声ですと、承句とくっつき過ぎで、起承転結の変化が乏しくなります。
 散策の詩ですので、色々と問題のある鳥の声で考えるよりも、別の表現を考えた方が良いと思います。
例えば、結句から「歩歩娯遊」と転句に入れて、結句に散策の楽しさが感じられるようなものとか、気持ちを入れると良いと思います。



2020. 6.28                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第200作は桐山堂刈谷の 風葉 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-200

  花ク村        

天晴黄鳥喜芳春   天晴 黄鳥 芳春を喜ぶ

湛靜ク邨告F新   湛静 郷邨 緑色新たなり

舊里看山紅爛漫   旧里の山を見れば 紅爛漫

韶光映發愛花人   韶光映発 花を愛する人

          (上平声「十一真」の押韻)

<感想>

 こちらも再敲作になります。

 転句は「旧里の山を看る」と読むには「看舊里山」とならねばなりません。
「看」が邪魔ですから「舊里四山」が良いでしょう。

 結句は「映發」を見つけましたか。上四字だけで見ると良いですが、下三字との関連でやや弱いかな、という感じです。
 「滿目」「滿地」とか、「燦燦」というところでしょうか。


 初案は次の形でした。

   天晴黄鳥碧維新  天晴 黄鳥 碧維新たなり
   湛靜ク邨剩得春  湛静 郷邨 剰(さら)に春を得
   萬朶夭桃芳樹下  万朶 夭桃 芳樹の下
   韶光十里惜花人  韶光十里 花を惜しむ人





2020. 6.28                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第201作は 恕水 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-201

  秋江夜泊遇無常鬼     秋江夜泊して無常の鬼に遇ふ   

水驛船窗篝火多   水驛 船窗 篝火多し

鄰舟盪槳湧金波   鄰舟 盪槳して 金波湧く

寒蟬已似無常鬼   寒蝉 已だ似たり 無常の鬼

白髪紛紛夢裏過   白髪 紛紛 夢の裏に過ぐ

          (下平声「五歌」の押韻)

<解説>

 秋 川べりに停泊して 黄泉からの使者に遭う

 水路の宿駅に停泊した船の窓から、たくさんの篝火が見える。
 隣の舟は、櫓をこぎ、ゆったりと進んでいく。かすかに波立ち、月明かりがきらきらとゆらめく。
 ふと見ると、窓の外にヒグラシが止まっている。鳴かなくなったそのヒグラシは、冥土からの使いのようだ。
 夢のようにあっという間に過ぎた日々。髪はすっかり白くなってしまった。

<感想>

 「無常鬼」は、輪廻を掌握する大鬼で、死にそうな人の魂を取りに来るという存在。

 この鬼に遭遇すると命が危ういそうですが、寒々とした秋夜の船で、ヒグラシの鳴き声を聞いて、そんな心境になったということです。
 確かに、ヒグラシの切切とした鳴き声は時として哀しみを誘いますが、結句への流れでは「老いの嘆き」が来るわけで、「死」まで進める必要があるか、やや大げさな感はありますね。
 逆に、「無常鬼」を生かすならば、結句にもう少し重苦しさ、「病苦」辺りを加える必要があるかと思います。



2020. 7. 1                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第202作は 恕水 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-202

  岳陽樓憶杜甫嘆     岳陽楼にて杜甫の嘆きを憶ふ   

今看洞庭湖水瀏   今看る 洞庭 湖水瀏し

昔聞工部上城樓   昔聞く 工部 城楼に上る

渡江經岳萬行涙   江を渡り 岳を経 万行の涙

花咲蝶飛春事幽   花咲ひ 蝶飛ぶ 春事幽なり

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 岳陽楼で杜甫の嘆きを思う

 洞庭湖のほとり、岳陽楼に登った。杜甫にとってこの地が最晩年の地だったのだなあと、杜甫の苦難の人生に思いを馳せた。
 苦労の多い人生だったに違いないが、杜甫が成都の草堂で過ごした数年は穏やかな日々だったようだ。
 そして今、この岳陽楼に、春の穏やかな時間は流れている。

<感想>

 前半は杜甫の「登岳陽樓」からで、杜甫の詩は五言、恕水さんは七言で一句の情報を多くしたのが効果を出していると思います。
 せっかくですので対句に持って行っても良かったでしょうね。

 杜甫の詩では、「親朋無一字 老病有孤舟」と重い嘆きが描かれていますが、恕水さんは、草堂での穏やかな日々に目を向けている点が独創のところ。
 ただ、「萬行涙」を受けて「花咲蝶飛」の春景色が来ると、どうしても「今春看又過」のイメージで見てしまい、一層の重苦しさに繋がるように感じます。
 眼前の岳陽樓の景色ということでしたら、「花咲蝶飛」は転句に置いてはいかがでしょう。



2020. 7. 1                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第203作は 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-203

  海絹路     海の絹路(海のシルクロード)   

玄奘求真理   玄奘 真理を求め、

西伝諸法空   西のかた諸法の空なるを伝ふ。

延延砂礫路   延延たる砂礫の路、

漸漸仏縁中   漸漸たり仏縁の中。

合掌千年後   合掌 千年後、

禅房五月風   禅房 五月の風。

至誠遙絶海   至誠 遙か絶海、

加護共経東   加護せん 経と共に東するを。

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 シルクロードの終点は奈良の東大寺ではありません。
 海を越えてアメリカ大陸に行くかも知れません。

 私は一応仏教徒のつもりです。インドまでシルクロードを越えて欧米を地球を一周して行くことを何となく思います。
 千年以上前に三蔵法師玄奘が西へ経典を取りに行ったように東へ東へ、それこそ海のシルクロードを越えてアメリカ大陸に伝わる事を夢見てしまうのです。

<感想>

 三蔵法師は西に向かって仏法を求め、その文化伝播の流れは東の日本に伝わりましたが、更に太平洋を渡って、もっと東まで広がっていくという発想は、全地球視野で面白いですね。

 海を越えて仏法を伝えようという意志が強く生まれた時を描いたものと読むと、詩は分かりやすく描かれていると思います。
 解説の方が分かりにくいかな?という感じですね。



2020. 7. 2                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第204作は 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-204

  海絹路 其二        

絹路西遊旅   絹路 西遊の旅、

菩提献一身   菩提 一身を献ぜん。

励禅聊易失   禅に励むも 聊か失し易く、

欲訳故難親   訳さんと欲するも 故さら親しみ難し。

孰処伝経典   孰れの処にか経典を伝えん、

何時展法輪   何れの時にか法輪を展ぜん。

米民求仏寺   米民 仏寺を求め、

合掌問天真   合掌 天真を問わん。

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 海を越えアメリカ大陸にいつしか仏教が布教するのを夢見るのです。
 きっと誰かがやってはいるとは思います。
 西の方ガンダーラから経典を運んできたように、何れは海を越えアメリカにもお寺が出来るように、と想像力をたくましくしています。

<感想>

 主題としては前作と同じ内容かと思いますが、中の二聯が重いので、爽やかな風が吹いたような前作とは違いますね。

 頸聯の「孰処」「何時」の答が尾聯で明かされるわけですが、何故「米民」なのかが分からないですね。
 この辺りは理屈ではなく凌雲さんのお気持ちですので「そうなのか」と理解するしかないのでしょうが、「米」と限定せずに書いておいた方が、詩としての広がりが出るかと思います。



2020. 7. 2                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第205作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-205

  阿瑪比埃圖        

人魚有髮覆身長   人魚 髪有り 身を覆って長く

一嘴三鰭兩眼方   一嘴 三鰭 両眼方(しかく)し

誰道寫圖能避疫   誰か道ふ 図を写せば能く疫を避くと

可憐妖怪滿扶桑   可憐の妖怪 扶桑に満つ

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 日常を取り戻しつつあっても、完全に今までどおりとはいかない「新しい日常」。
諸々の配慮のなかでも、なるべく楽しいことを見つけられるよう心掛けています。

  人魚のすがたで髪長く からだ全体おおうほど
  ひし形の目にクチバシに 三本足はヒレらしい
  誰が言ったか知らないが 絵を描くだけでコロナ除け
  ちょっと可愛いモノノケの 姿がそこにもあっちにも


<感想>

 コロナウイルスも第2波が来たか、という感じで、少しも落ち着きませんね。
 東京で感染が広がれば、それが関東圏、そして他の地域へも、という2ヶ月前の状況がそのまま再現されてしまうのでしょうか。

 観水さんの今回の詩は「アマビエ」で、一躍有名になりました。
 妖怪であることには変わりないのですが、疫病を除いてくれるという有り難さもあって、ある種の「可憐」さ、何となく哀愁を感じさせる姿が良いですね。
 



2020. 7. 3                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第206作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-206

  食堅魚        

聞説松魚出市中   聞説(きくなら)く 松魚 市中に出でて

江都饞客一囊空   江都の饞客 一囊空しと

方看赤玉氷盤上   方に看る 赤玉 氷盤の上

口腹便應生黒   口腹 便ち応に緑風を生ずべし

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

  聞けば昔は初鰹 ひとたび江戸に出回れば
  八百八町の喰いしん坊 たちまち財布はスッカラカン
  いま目の前の皿の上 真っ赤な切り身は宝物
  食べれば青葉をわたる風 口にお腹に巡りだす


<感想>

 「女房を質に入れても初がつお」でしたか、江戸っ子の気概を表す言葉ですが、まあ、現代から見ればとんでもない話です。
 観水さんは「一囊空」と間接的な表現、さすがにその点は抑えてますね。

 結句は「便應」と虚字が続きますね。
 転句にも「方」がありますのでややしつこい、「便生新緑風」のような形でも十分かと思います。



2020. 7. 3                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第207作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-207

  食指動        

朝竝焼鮭夕煮鯖   朝に焼鮭を並べ夕は煮鯖

夫妻鮐背一時寧   夫妻の鮐背 一時寧らか

縵回咀嚼片言話   縵回の咀嚼 片言の話

食指動衰知己齡   食指の動き衰え 己の齢を知る

          (下平声「九青」の押韻)

<解説>

 魚偏の漢字、海に恵まれた我が国と大陸での意味、異なるものも多い。

 例えば「鮎」
 中国語では「鯰(なまず)」を指す。
 食膳に挙する「鮭」は漢和辞典では和習とされるが、中国の辞書「古今漢語詞典2000年版」には
【鮭】A・・・最重要的食用魚類・・・有的生活于淡水、有的生活于海、回遊江河産卵・・・」とある。
 明治初期来日した黄遵憲、「鰹」の字と出会い、「加追沃」と当て字、詩を残している。  文字はいきもの。

<感想>

 観水さんの初がつおの詩に合わせて、常春さんからいただいた魚に関する詩もご紹介しましょう。

 承句の「鮐」は本来は「ふぐ(河豚)」のことですが、「肌にふぐのようなシミがある」ことから「年寄り・老人」という意味にも使われます。
 ここは「老背」でも、平仄は関係ありませんので良いわけですが、魚扁の字を持ってきたのでしょう。

 食欲は健康の要、おいしい魚を食べて、ますます元気になってください。



2020. 7. 3                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第208作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-208

  令和初有感        

四海乗春魔疫蒙   四海 春に乗じて 魔疫が蒙ふ

臥痾二豎望冥濛   痾に臥す 二豎 望み冥濛たり

病躯懊悩坐憂欝   病躯 懊悩 憂欝に坐す

何日回春医薬功   何れの日か 回春 医薬の功

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 令和の初頭から、中国から発した疫病、コロナが今や全世界に蔓延して諸国の民を苦しめている。

<感想>

 承句の「二豎」は『春秋左氏伝』「成公十年」に載る「病膏肓に入る」の話に出てくる二人の子供のことです。

 紀元前七世紀頃のこと、晋の景公が重い病になり、頼まれた秦の桓公は「緩」という名医を派遣しました。
 医者が着く前に、景公の夢に二人の子供の姿で病が現れ、「名医が来るから困る。膏(横隔膜の上の隠れた所)肓(心臓の下の脂肪の中)に隠れよう」と話していました。
 やがて、秦から医者が来て、診察して言うには、「病気の根源が膏肓にあり、これでは手術も薬もできない」と言いました。
 景公は「緩は確かに名医である」と覚悟、納得し、(治療できなかったにもかかわらず)褒美を与えて帰しました。


  晋景公疾病。求醫于秦。秦伯使醫緩爲之。
  未至、公夢、疾爲二竪子曰、「彼良醫也。懼傷我。焉逃之。」
  其一曰、「居肓之上、膏之下、若我何。」
  醫至曰、「疾不可爲也。在肓之上、膏之下、攻之不可。達之不及、藥不至焉。不可爲也。」
  公曰、「良醫也。」厚爲之禮而歸之。


  晋の景公、疾(やまい)病(あつ)し。医を秦に求む。秦伯(秦王の伯)医をして之を為(おさ)めしむ。
  未だ至らざるに、公の夢に、疾は二豎子と為りて曰く、「彼は良医なり。我を傷めんと懼る。焉(いずく)にか之を逃れん」と。
  其の一曰く、「肓の上、膏の下に居らば、我を若何(いかん)せん」と。
  医至りて曰く、「疾は為むべからざるなり。肓の上、膏の下に在りて、之を攻むるは不可なり。之に達せんとするも及ばず、薬至らず。為むべからざるなり」と。
  公曰く、「良医なり」と。厚く之に礼を為して之を帰らしむ。


 長い引用になりましたが、なかなか対抗策も薬も見つからない点では、この比喩も妥当でしょうね。
 ただ、初期の頃のように、自分が気付かないうちに他人にうつしてしまう可能性を常に意識して、自分のため、他の人のためにも行動を考える必要は今後も続くでしょう。

 「春」が重複していますので、結句を直した方が良いでしょうね。



2020. 7. 4                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第209作は 一竿 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-209

  霖雨        

五月落梅霖雨深   五月 落梅 霖雨深し

家家樹底碧苔侵   家家 樹底 碧苔侵す

閑人午下囲棋坐   閑人 午下 棋を囲んで坐す

小院庭中流水音   小院 庭中に流水の音

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

 梅雨の季節、雨が多く外に出られず囲碁を楽しんでいると、庭石から落水の音が聞こえるという設定で詠みました。

<感想>

 解説に書かれたような趣はよく表現されていると思います。

 結句の「音」と名詩で終らせたのも、余韻を残して良いですね。

 若干気になるのは、承句の「家家」、「あの家もこの家も」ということになると、街の中を歩いていることになり、「碧苔侵」も外から他人の庭を覗き込んでいる印象です。
 転句への流れから見ても、ここは室内に居た方が良いでしょうね。
 「穀砌石碧苔侵」「茅居小院碧苔侵」という感じでしょうか。

 結句は室内ということで見れば、庭のことはもう要らないわけで、「獨聴窓前簷滴音」のような配置が、前の句とのバランスで落ち着くように思います。  



2020. 7. 4                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第210作は 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-210

  患五十肩        

旦明疼痛晏眠偸   旦明の疼痛 晏眠を偸(ぬす)む

左腕異常長不収   左腕の異常 長く収まらず

五十肩傷醫伯診   五十 肩傷 医伯の診

鳥声雨滴是含愁   鳥声 雨滴 是 愁を含む

          (下平声「十一尤」の押韻)

「旦明」: 明け方
「晏眠」: 朝寝
<解説>

 一か月程前から肩・腕の痛みに悩まされています。
 スポーツジムを退会して一年、泳ぎを辞めたせいか?

 医師からは「五十肩」の診断。長ければ半年・一年掛かることもと言われウンザリ。
 湿布等で対応中。
 普段は何気なく聞いている鳥の鳴き声や雨音も憂鬱に。

<感想>

 私も十年程前に右の肩を痛め、現役でしたので黒板の前で腕が上がらないのは困りました。
 三年くらい前には左の肩が同じような状態になり、これは慣れもあるでしょうし、もう年齢も六十代になっていましたので、逆に「五十肩だ」と言うと年齢的に得したような気持ちでした。
 そうですね、どちらも一年くらいかかりましたか、痛みはもうありませんが、今でも肩を回すと両方がパキパキと鳴ります。

 起句はまさしく体験した人しか分からないでしょうが、寝返りをしようとつい肩に力を入れると激痛で目覚めますね。
 そうそう、と共感しました。

 結句の表現は分かりますが、やや唐突なので「今は」と限定するような言葉が欲しいところ、また、あまり詩自体は重くしたくないですので「是」を「正」として強調しておくと、逆に軽さが出てまとまると思います。



2020. 7. 4                  by 桐山人