2019年の投稿詩 第181作は 緑風 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-181

  惜春        

清溪風暖落花稠   清溪 風暖かく 落花稠し

邊邊紅泛何處流   辺辺 紅泛べて 何処にか流る

静寂停身間冥想   静寂たり 身を停めて 間 冥想

鐘聲隠隠夕陽幽   鐘声 隠隠として 夕陽幽なり

          (下平声「十一尤」の押韻)

<感想>

 全体に春を惜しむ気持が表れていて、特に結句は印象深い句ですね。

 起句で「落花稠」とあり、その花びらが流れて行く様子が承句に描かれていますが、これは承句だけで描いた方が良いですね。
 承句は平仄も合いませんので、「泛水紅英何處流(水に泛かぶ紅英何処にか流る)」とすれば、起句の下三字にもう少し別の情報が入るのではないでしょうか。

 転句の「間」は「しばらく」と読めば平声、「ひそかに」と読めば仄声ですので、ここは「ひそかに」と読んで下三字は挟み平というお積もりでしょうか。
 「ひそか」ではしっくり来ませんので、「暫」と仄声で書いてはどうでしょう。




2019. 8. 7                  by 桐山人



緑風さんから推敲作をいただきました。

    惜春(推敲作)
  清溪風暖落花稠   清蹊 風暖かく 落花 稠し
  泛水紅英何處流   水に泛かぶ紅英 何処かへ流る
  静寂停身暫冥想   静寂たり 身を停めて 暫く 冥想
  鐘聲隠隠夕陽幽   鐘声 隠々 夕陽 幽なり

2019. 8. 9                 by 緑風























 2019年の投稿詩 第182作は 衡石 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-182

  初夏即事        

薫風習習夏初村   薫風 習々 夏初の村

雙燕歸來舊故軒   雙燕 帰り来る 旧故の軒

花落午庭人不到   花落つる 午庭 人到らず

幽栖晏晏滌塵煩   幽栖 晏晏 塵煩を滌ぐ

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 青葉を吹いてくる風がそよそよと吹いている初夏の村、
 つがいの燕が昔からの軒に帰って来ている。
 已に花は落ちている昼時の庭には、誰も人は訪ねて来ず、
 ただ、静かな住まいに穏やかに佇む様子が、世の煩わしさを洗い流している。

<感想>

 お病気で入院なさっていたとご友人の遥峰さんから伺いましたが、ご退院とのこと、安心しました。遥峰さんも寂しかったようですよ。

 詩は初夏の庭の様子を丁寧に描いていらっしゃり、ふむふむ、これは入院中に時間があって構想を練られたのでしょうね。

 結句も問題があるわけでは無いですが、同じような心情を表す言葉が重なっていると感じます。
 つまり、「幽」「晏晏」「滌塵煩」と六文字使っていますが、どれか一つだけでも良く、二つでも使えば十分かと思います。
 もちろん、繰り返しは強調する表現として考えることもできますが、「晏晏」を「伸脚」「倚几」「拈句」など動作を表す言葉でのんびりした生活を描いてはどうでしょう。



2019. 8. 7                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第183作は 俄文人 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-183

  北岳懸空寺        

絶壁登高祓俗塵   絶壁を高く登り 俗塵を祓ひ

敢臨深谷胆虚身   敢へて深谷を臨む 胆虚の身

中天楼閣懸空寺   中天の楼閣 懸空寺

三教同帰鼓勇巡   三教同帰 勇を鼓して巡る

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 建築学の奇跡と呼ばれた懸空寺。
 最高所の三教殿には釈迦、老子、孔子の塑像が一緒に安置されている。三武一宗の廃仏などがあっても現場は純粋だったのでしょう。
 それにしても昆明の龍門や武当山の南岩のように断崖絶壁に建物を築く気力に圧倒されます。

<感想>

 二作目を拝見しました。
 解説に書かれた「三武一宗」は、古代中国の仏教弾圧を表す言葉で、「北魏の太武帝、北周の武帝、唐の武宗、後周の世宗によって断行されたものですね。
 題名の「北岳」は山西省にある「恒山」で、その麓に五世紀頃に建てられたのが「懸空寺」ということです。

 起句の「登高」は「高きに登る」、承句の「臨深谷」は「深谷に臨む」と読まなくてはいけませんね。

 起句は「絶壁を高いところまで登ると 世俗の汚れが払われる」ということで、この「祓」は「掃」が良いですね。

 承句の「胆虚身」は「心が空っぽの身」でしょうか。「俗塵」を祓ったからのことだとすると、素直な心で谷に臨んだことになります。
 話としては分かりますが、心理はよく分からないですね。

 転句は良いですね。

 結句の「鼓勇巡」は使うならば起句の下三字に置いた方が良いですね。
この位置ですと、「三教同帰」に対して「勇気を出して」ということになります。
 逆に、「三教同帰」に対して「祓俗塵」はそれなりに通じるように思います。



2019. 8. 7                  by 桐山人



 俄文人さんはお一人で漢詩を作っていらっしゃるとのことでしたので、八王子にお住まいであり、深渓さんがお力を入れていらっしゃる「調布漢詩を楽しむ会」の七月例会にお誘いをしました。
 快くおいでくださり、例会後の恒例の食事会も2次会のカラオケにもご参加いただきました。
 遅くまで引き留めてご迷惑を掛けたかと反省しています。

 今回の感想は掲載より先に私が調布に持参したもので、早速、再敲作を送って下さいました。

    北岳懸空寺(再敲作)
  絶壁登高祓俗塵   絶壁を高く登り 俗塵を祓ひ
  敢臨深谷胆虚身   敢へて深谷を臨む 胆虚の身
  中天楼閣懸空寺   中天の楼閣 懸空寺
  三教同帰鼓勇巡   三教同帰 勇を鼓して巡る

「胆虚身」は「心が空っぽの身」ではなく「おじけづく身」のつもりでした。
だから最高所の三教殿には勇気を持って登ったと結びました。

ご指摘のように俗界を離れて「三教同帰」している方が、格調が高いと納得しています。

2019. 8. 7             by 俄文人























 2019年の投稿詩 第184作も 俄文人 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-184

  黄龍        

岷山悠久寂   岷山 悠久にして寂なり

泉洌尽妖輝   泉 洌(きよ)く 尽く 妖と輝く

天女孤梳髪   天女 孤 髪を梳き

何枝掛羽衣   何れの枝に 羽衣を掛けん

          (上平声「五微」の押韻)

<解説>

 岷山主峰雪宝頂山腰、標高3600米、五彩池のコバルトブルーやエメラルドグリーンの美しい泉水をじっと見ていると、つい幻想の世界に入ってしまいます。

<感想>

 起句の「寂」はこの後の感情と乖離が大きく、どういう感情が浮かんだのか、悩みますが、これで良いですか。
 褒め称える言葉が来るように思いますが。

 後半が天女の話になりましたが、これは黄龍「五彩池」で天女が沐浴するという伝説からのことですね。
 ただ転句は「孤」は何故ひとりなのか、それを言う必要性があるのか疑問です。
「嘗」と伝説だと示しておくと、結句も「(昔)仙女が羽衣を引っ掛けたのはどの枝かしら」という少しユーモラスな結びになります。  それが良いかどうかは作者の判断になりますが。



2019. 8. 7                  by 桐山人



同じく、推敲作をいただきました。

    黄龍(再敲作)
  岷山悠久寂   岷山 悠久にして寂なり
  泉洌尽妖輝   泉 洌(きよ)く 尽く妖と輝く
  天女孤梳髪   天女 孤 髪を梳き
  何枝掛羽衣   何れの枝に 羽衣を掛けん

 転句の「孤」は「嘗」が良いとのご指摘は「目から鱗」です。
“一字の師”とか“推敲”の故事に少しでも近づけれらるように、直すところは一か所だけというレベルになりたいものです。
私が「孤」としたのは幻想の中の希望というか、邪念でした。

2019. 8. 7             by 俄文人























 2019年の投稿詩 第185作は 恕水 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-185

  五月一日於伊勢神宮慶賀改元        

寒雨内宮佳気帷   寒雨の内宮 佳気の帷

賑如元日傘花嬉   賑ふこと元日の如く 傘の花嬉る

太平皇室令和始   太平の皇室 令和始む

民鞠対神宣幸虧   民鞠し 神に対し 幸虧(こうき)を宣ぶ

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 冷たい雨の降る内宮は、祝賀ムードに包まれている。
 人出の多さと賑わいは、元日のようで、たくさんの傘の花が咲いている。
 平安な世を期待されつつ、新天皇が即位され、令和が始まる。
 人々は礼拝し、「おかげさまで」と神に感謝を述べる。

<感想>

 改元の記念となる詩ですね。

 五月一日が改元の日ですが、ここで「寒雨」となると季節が合いますかね。
 また、書き出しに「寒雨」を置くと、あまり好まないことが起きるような印象になります。
 現実として如水さんが「寒雨だ」と感じたとしても、せっかくの慶賀の詩にそれを書く必要があるかどうか。
 ここは、せっかくの改元の日が雨だった、というくらいの気持だと思いますので、「朝雨」として心情面ではフラットな状態にしておくのが良いでしょう。

 結句の「幸虧」は相手に感謝する表現で、「幸運」と同じですね。ここは伊勢神宮が舞台ですので、「おかげ」の言葉がぴったりですね。


2019. 8. 8                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第186作も 恕水 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-186

  六四大連柳絮     六四 大連の柳絮   

天安有事戒厳鉦   天安 有事 戒厳の鉦

火拡焼原百姓聲   火拡がり 原を焼く 百姓の聲

避難回東花寂寂   難を避け 東に回る 花寂寂

春風柳絮転軽軽   春風 柳絮 転がること軽軽

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 6月4日 大連の柳絮
 天安門では民主化を求めるデモが起き、戒厳令まで出されて事態は緊迫している。
 民主化要求の高まりは、首都の北京のみならず、燎原の火のごとく、勢いを増して地方にも広がっていく。
 私たちがいた瀋陽の状況も険しくなり、多くの留学生たちは日本に一時帰国することにした。
 帰国の途中、大連に立ち寄ったが、そこではデモ行進も見られず、町は落ち着いていた。
 春風に柳絮が舞い転がり、穏やかな時間が流れていた。

 天安門事件のあった1989年6月、留学先の瀋陽から一時帰国のために立ち寄った大連で見た柳絮ののどかな感じが印象的でした。
「寂寂」は、ひっそりとして静かなさま。

<感想>

 天安門事件からもう三十年経ったのですね。
 香港のデモをテレビで観ていますと、蘇ってきます。
 歴史的な事件に如水さんは遭遇したわけですね。

 その不安な情勢の前半と、結句ののどかな風景、そこを転句で巧みに繋いでいると思います。
 若干説明的な印象はありますが、「花寂寂」がよく働いていて、臨場感が出ています。

 承句は「燎原」としたいところですが、「四字目の孤平」を避けたのでしょう。



2019. 8.11                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第187作も 如水 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-187

  寒江釣雪        

寒江碧水一扁舟   寒江 碧水 一扁の舟

旅雁烟波竹樹幽   旅雁 煙波 竹樹幽かなり

玉液無縁垂釣趣   玉液 縁無く 垂釣の趣

松蘿不絡望悠悠   松蘿 絡まず 望むこと悠悠

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 寒々とした緑の川に一艘の舟が浮かんでいる。
 北へ帰る雁が空を行く。川面には靄が垂れ込め、向こう岸の竹林もぼんやりとしか見えない。
 もはやうまい茶やうまい酒とも縁がなく、
 まして男女の契りにも縁はなく、一人遠くを望みながら、釣り糸を垂れるのだ。


 正岡子規の随筆『松蘿玉液』の意味を調べたところからヒントを得て、作ってみました。
 「松蘿玉液」というのは、元は中国の墨の名前らしいです。
 「松蘿」は、松に絡まるつたや、松の枝に生ずるコケ類で、男女の固い契りを表す。
 「玉液」は、茶や酒の美称、道家で不老長生の液体。

<感想>

 『松蘿玉液』は正岡子規の四大随筆の一つですね。
 子規の愛した墨の名前で、中国徽州の古墨とのこと、「古い松に絡むつたから絞り出したような美しい墨」という命名でしょうか。
 

 今回も平仄など丁寧に作っていらっしゃると思います。

 承句の「竹樹」は絵としては問題無いでしょうが、詩としては後半に「松蘿」が出て来ますので、植物を出す必要があるかどうか。

 その「松蘿」にせよ、「玉液」にしろ、「寒江で釣りをしている」人物はそもそも無縁な代物ですので、設定にやや無理があるように感じます。
 後半の主題に適する舞台設定として、「寒江釣雪」という水墨画のスタンダードを置いたのは、ここは「墨」からの連想でしょうが、どうでしょうね。

 気持の入った部分でしょうが、転句で「玉液松蘿」とひとまとめにして、軽く収めておく方が収まりが良いと思います。

 結句は「望悠悠」が結びとしては弱いですね。



2019. 8.11                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第188作は 常春 さんから「令和元年五月十三〜二十日入院時即興詩」と題した連作をいただきました。
 

作品番号 2019-188

  一.入院        

入院即時行動規   入院即時 行動の規あり

委身看護至誠師   身を委ぬ 看護至誠の師に

臥床斷食唯纔水   床に臥し食を断ち唯纔(わず)かの水

點滴無休廿四時   点滴休む無く 廿四時

          (上平声「四支」の押韻)

























 2019年の投稿詩 第189作も 常春 さんからの「令和元年五月十三〜二十日入院時即興詩」連作です。
 

作品番号 2019-189

  二.癌切除用内視鏡 其一        

銜口導筒容挿入   口に銜(ふく)む導筒 挿入に容(やさ)し

細圓管束達瘍巢   細円の管束 瘍巣に達す

繊刀各種適宜換   繊刀各種 適宜に換えて

癌腫微塵消若泡   癌腫微塵 泡の若く消える

          (下平声「三肴」の押韻)

























 2019年の投稿詩 第190作も 常春 さんからの「令和元年五月十三〜二十日入院時即興詩」連作です。
 

作品番号 2019-190

  三.癌切除用内視鏡 其二        

癌腫切除昏睡中   癌腫の切除 昏睡の中

覺醒直識萬端終   覚醒 直ちに識る 万端終るを

亦知胃壁胸窩斂   また知る胃壁胸窩に斂(おさ)まるを

肥厚病巢消遣工   肥厚の病巣 消し遣(はら)うこと工(たくみ)

          (上平声「一東」の押韻)

























 2019年の投稿詩 第191作も 常春 さんからの「令和元年五月十三〜二十日入院時即興詩」連作です。
 

作品番号 2019-191

  四.感謝        

裁刀内科手   刀を裁くは内科の手

預後外科任   後を預かるは外科の任

病院求心力   病院 求心の力あり

醫師相識深   医師 相識ること深し

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

 昨年暮れから、腸の具合が悪かった。一日中便意があり、数回に分けて少量の排便。
 五年前に大腸ガンの切除をしている。またかな?大腸検査をお願いしたところ、「ついでに上も視ましょう」
 そして胃癌が見つかった。

 もう十二分に高齢、ほっておいても良いのだが,医師は積極的である。
 機器をメーカーより借り、内科医が内視鏡で切除、外科病棟に入院し万一の出血に備えるとした。
 内視鏡の径一センチ程度の導管に光ファイバー、給排水(気)管、メスを通す管などが纏められている。
 一メートルほどのワイヤーの先に数ミリのナイフがあり、これを体外から操作する緻密な作業である。
 今回の切除は粘膜層にとどまり、筋肉層には達していなかったと説明を受けた。癌の完全切除である。

 切除直後から何らの痛みも無い。堅く出張っていた胃袋が鳩尾の下に落ち込んでくれた。
 ちょうど一週間の入院であった。
 そしてびっくりした。
 退院翌朝から今日まで便通が快適、大腸の不安も消失した。

<感想>

 桐山堂の長老として私たちの手本と励みになってくださっている常春さんとは、静岡市での漢詩講座で毎月お会いし、講座の後にはお昼ご飯もご一緒しているのですが、お病気でお休みということがあり、心配していました。
 翌月にはお元気なお姿を拝することができ、安心をしました。

 手術の記録とも言える連作ですが、解説の記述は「詩の解説」ではなく「手術の解説」で、しかも細かい観察がなされていて、さすがに理系のご出身だと改めて感じました。
 詩の感想が無くて済みませんが、ともあれ、今まで以上に快活になられた常春さん、それが一番の喜びですね。



2019. 8.15                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第192作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-192

  八月十五日        

七十四年獨断腸   七十四年 獨り腸を断つ

玉音拝聴涙千行   玉音拝聴し 涙千行たり

干戈人没興亡感   干戈 人は没し 興亡の感

物変往時事可忘   物変り 往時の事 忘る可らず

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 吾十五才5カ月で海軍に入隊、練磨練磨精錬に努めるも、空しく敗戦。
 藤枝海軍航空隊で除隊。

<感想>

 終戦の日に深渓さんの詩を拝見することは、戦争体験者である語り部からのメッセージとして受け取らせていただき、それを後代に伝えていく意義があると思います。
 承句は上四字を入れ替えましたが、起句と結句は「四字目の孤平」ですので「獨」を「惟」に、結句は打ち消しの言葉が必要ですので「物変時移不可忘(物変じ時移るも忘るべからず)」、「物変往時常不忘(物変るも往時常に忘れず)」のような形が良いでしょうね。



2019. 8.15                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第193作は 緑風 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-193

  梅雨        

檐滴寂寥山麓家   檐滴 寂寥 山麓の家

暗雲三日静煎茶   暗雲 三日 静かに茶を煎る

濛濛細雨碧溪下   濛濛たる細雨 碧溪に下る

庭宇群芳競麗華   庭宇の群芳 麗華を競ふ

          (下平声「六麻」の押韻)

<感想>

 緑風さんのお住まいの様子が伝わってきますね。

 実景で、長年目にしているものを描かれたのだと思いますが、読者にはやや分かりにくいところがあります。
 それは転句の「碧溪下」、前半が家の中の様子でしたので、転句でこの語を見ると「作者は外出して山に来た」と自然に思います。
 しかし、結句に行くとまた「庭宇」になりますので、「やっぱり家に居るのか」と混乱します。

 恐らく、庭の向こうに「碧溪」が見えるような近くなのでしょうね。しかし、詩としてその情報が必要かどうかは疑問です。
 「碧溪」と言われれば、どうしても奥深い渓流を考えますし、そこに家があるとは考えにくいですからね。
 ここは「窓から見えた景色」にしておくと、他の語は整っていますので、まとまりのある詩になると思います。



2019. 8.17                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第194作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-194

  観高千穂夜神楽     高千穂夜神楽を観る   

晩籟猶寒山峡春   晩籟 猶寒し 山峡の春

森森樹影月光新   森森たる樹影 月光新たなり

庶黎伝継舞雩楽   庶黎 伝へ継ぎたり 舞雩の楽

仮面形容自作神   仮面の形容 自ら神と作る

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 「舞雩」について、この祭は本来、雨乞の祭のようで、神楽とは少し違うかも知れませんが、古代の雰囲気を伝える言葉として使ってみました。

<感想>

 禿羊さんからはお手紙で、「桐山堂の投稿者の顔ぶれも随分様変わりをしましたね」と書かれていました。
 新しい方も増えて嬉しい限りですが、懐かしい皆さんの作品をいただくと、旧友との再会のような嬉しさがあります。
 今回はちょっと順番を替えて、常春さんや深渓さん、緑風さんの作品を紹介させていただきましたが、皆さんお元気で何よりです。

 さて、作品の方ですが、「高千穂」は宮崎県ですね。変わらずに世界や全国を巡っていらっしゃるようで、うーん、20年前と変わらず、活動的なお姿、やはり羨ましい限りです。

 前半で高千穂の山あいの様子を描いて、幽邃な里の趣が十分に伝わってきます。
 すっきりとした言葉を巧みに組み合わせるお力はさすがですね。

 後半で祭の様子になりますが、「庶黎」の「黎」は「衆」に通じ、「多くの民」を表す言葉、これは古からの人々の営みを表していて、数の多さよりも時間の長さを感じさせる言葉になっていますね。
 「雩」(う)は「雨乞いをする」という意味ですので、適切な表現だと思います。



2019. 8.18                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第195作も 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-195

  比婆山陵        

独佇高丘望九垠   独り高丘に佇みて 九垠を望み

薫風坐草仰蒼旻   薫風 草に坐して 蒼旻を仰ぐ

樹林粛粛深霊気   樹林 粛粛として 霊気深し

幽睡乾坤創造神   幽かに睡る 乾坤創造の神

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 『古事記』に伊邪那美命は比婆山に葬られたとあります。幾つかの場所が陵墓と云われていますが、その一つが広島県と島根県の県境にある比婆山(1264m)です。
 ここはヒバゴンが出たことでも有名です。

 陵墓と云われる場所は、伝説に過ぎないと云われればそれまでですが、住民に崇め祀られた場所でパワースポットの雰囲気はありました。

<感想>

 起句の「九垠」(きゅうぎん)は「九垓」と同じで、「天地の果て」の意味です。
 比婆山からの絶景が感じられる表現ですね。

 起句で読者を禿羊ワールドに導ければ、承句の「仰蒼旻」も納得ですし、その後の「深霊氣」や「乾坤創造神」の異世界へも素直に進めますね。

 流れるようなリズムで、まとまった詩ですね。



2019. 8.18                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第196作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-196

  血石蒜(キツネノカミソリ)        

密樹遮風溽暑加   密樹 風を遮って 溽暑加はり

衰翁眩暈倚筇嗟   衰翁 眩暈して 筇に倚りて嗟す

欲尋泉響迷林藪   泉響を尋ねんと欲して 林藪に迷ひ

看得埋渓炎夏花   看得たり 渓を埋む 炎夏の花

          (下平声「六麻」の押韻)

<解説>

 あまり有名ではありませんが真夏の花、キツネノカミソリはネットで調べると中国語で「血石蒜」と云うようです。
 しかし、その写真を見るとヒガンバナの写真でした。
 どちらもヒガンバナ科ですので混同されているのかも知れません。

<感想>

 こちらはストーリーのある構成で、主題の花が最後に登場する場面はワクワクするような高揚感があります。

 欲を言えば、「炎夏花」だけでなく、花の色が描かれると、画面が一気に鮮やかになるように感じます。
「看得」もこの詩では作者の驚きを表して、効果はあるのですが、それでも、禿羊さんの視覚的な感動に期待をしてしまいます。



2019. 8.22                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第197作は 雷鳴 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-197

  寄火災於京都動画製作所        

楼閣突如上黒煙   楼閣 突如 黒煙を上げ

火中才子亦昇天   火中才子も亦昇天す

不堪哀惜語知友   哀惜に堪へず 知友と語れば

追感焼亡動画鮮   焼亡せし動画の鮮やかなるを追感す

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 突然建物から黒煙が上がり、
 火中に才能のある方々もまた天に召されました。
 この辛い哀しさに耐えられず、親しい友達と語りあえば、
 消失したアニメ作品がいかに美しいものであったかが思い出されました。


 7月18日、京都アニメーションのスタジオが放火され、多くの犠牲者が出ました。

 わたしは中学生のとき3年間アニメーション部で、アニメ制作の真似事などをしていて、以来日本のアニメーションの成長・成熟を見守ってきました。
 それだけに、今回の事件はいまだに信じられず、また犠牲になった多くの才能ある方々の無念を思うと、やるせない気持ちになります。

 犠牲者の方々への追悼の気持ちを込めて、作成してみました。

<感想>

 こうした理不尽で、自分勝手な発想による事件を聞く度に、本当に切ない気持ちになります。
 犠牲になられた方々のこれまでの人生を知るにつけ、怒りの涙が抑えられません。
 犯人がこれまでどんな生活を送って、どんな思いを抱いていたのかはわかりませんが、人を殺めるということへのイメージを持つこともできない人格が存在したことに衝撃を受けます。

 雷鳴さんの今回の詩はそうした思いをよく表していますが、転句の「語知友」は作者の感情を甘くするだけで、不必要な言葉ですね。
 次の「追感」も転句の「哀惜」との違いが弱いので、ここの五字を検討されると良いでしょうね。



2019. 8.24                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第198作は 恕水 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-198

  寿為多恥     寿(いのちなが)ければ為(すなは)ち恥多し   

禅坐寺門風雪回   禅坐する寺門に風雪廻る

子規啼血自西来   子規啼血し 西より来たる

寿為多恥幻華下   寿ければ為ち恥多し 幻華の下

消去達磨心已灰   消去する達磨 心は已に灰す

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

 座禅を組む寺の門に雪の混じった風が吹き抜ける。
 ホトトギスが血を吐くような鳴き声で、西の方から飛んでくる(ような気がする)。
 長生きすると恥をかくことも多い。華やかな青春時代はすでに幻となった。
 風雪のため雪だるまもその姿を失ってきた。花も恥も全ては幻。心はすっかり落ち着いている。

<感想>

 幾つか矛盾した部分がありますので、そこを検討してください。

 まず、承句の「子規」ですが、これは一般的には夏鳥で、「風雪回」という厳冬の季節とは合いません。
 訳文を読むと(ような気がする)と括弧書きになっていますが、作者の気持ちとは別に、句として素直に読めば「雪の中からホトトギスの声が聞こえた」となります。
 「自西」も方が句の意味するところが分かりません。

 二つ目は、「命長ければ恥多し」という言葉は過去を追懐しての悲しむ老境を表す言葉、どこで開き直って「心已灰」となるのか、逆に言えば「心已灰」ならばそもそも「多恥」という気持ちにはならないと思うのですが、どうでしょう。

 その辺りに注目して、推敲されると良いでしょう。



2019. 8.24                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第199作は 亥燧 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-199

  尋中国之友人        

牛街神秘漾奇香   牛街 神秘 奇香ただよう

白酒羊鍋更異郷   白酒 羊鍋 更に異郷なり

久闊親朋疑是夢   久闊 親朋 是夢かと疑う

温情盈溢旅人腹   温情 盈溢 旅人の腹

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 昨年中国の友人と再会を約束しましたが、それを北京・牛街地区で実現。
 異国の香りただよう回族の住む町でした。
 餐庁に入ると、この暑さのなか、皆さん羊蠍子の鍋を囲んでいる。
 鍋の温かさと、友人の情にほだされ、お腹いっぱいになりました。

<感想>

 まず、結句が押韻していませんので、ここは直さなくてはいけませんね。

 起句は「神秘」が何を意味するのか、次の句の「異郷」で十分だと思いますので、ここはお会いになった月を「五月」なり「六月」と入れた方が良いですね。

 承句も「更」の表現が適切かどうか、疑問です。「覚」くらいで良いでしょう。

 転句は「親朋」と呼ぶかどうかはお二人のお付き合いによりますが、「旧朋」あたりが適当な言葉ではないでしょうか。

 結句は最初に書いた通り、韻字を決めたところで、上四字も検討することになるでしょうね。



2019. 8.24                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第200作は 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-200

  憂高齢者運転事故        

半生大半樂乗車   半生の大半 乗車を楽しむ

七十超優危慄多   七十 優に超え 危慄多し

四国山中吾住處   四国山中 吾が住処

高齢運転續殘涯   高齢運転 残涯 続く

          (下平声「六麻」の押韻)

「危慄」: 悪いことにならないか恐れてびくびくする
「残涯」: 残りの人生

<感想>

 高齢者の運転は危険だ、という意識を高齢者自身が持つことは大切だと私は思っています。
 ただ、高齢者が運転しているだけであたかも「事故予備軍」のような、もっと酷く言えば「犯罪予備軍」のような見方をするのもどうかと思います。

 車を手放しても生活の質は変わらない、という免許返上した方の声も聞きますが、現実的な生活維持が可能かどうか、それは住んでいる社会環境や家族環境によるところが大きく、わかっているけど車を手放せないという方もいらっしゃるでしょう。
 ただ、私自身もそうですが、車の運転をしているとどうしても感情的になりやすいこと(これは年齢を問いませんね)、道順や方角などがふと分からなくなったり、単純な操作ミスが起きたり、パニックになりやすいということは、年齢とともに増加していることを感じます。
 そのような「老化」をしっかり認識した上でハンドルを握らなくてはいけないと肝に銘じています。

 岳城さんの今回の詩は、高齢者の立場からの思いを述べたものです。

 起句から承句へは逆接でつながりますので、読み下しを「乗車を楽しむも」とした方が良いですね。「乗車」も「騎車」が良いでしょう。

 承句の「超優」は言葉がおかしく、「已超」としておく方が穏当です。

 転句、結句は納得できる内容で、特に結句の「續殘涯」は不安を胸に抱きながらの心境が感じられますね。



2019. 8.24                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第201作は 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-201

  梅天閑詠        

人生七十有餘年   人生 七十有余年

賞罰無縁住草間   賞罰 縁無く 草間に住む

雙燕往來人不到   双燕 往来 人到らず

幽庭滴瀝雨痕斑   幽庭の滴瀝 雨痕斑なり

          (下平声「一先」・上平声「十五刪」の通韻)

「草間」: 田舎
「滴瀝」: しずくが滴るさま

<感想>

 梅雨空の下、色々あったでしょうが概して平穏な人生を歩んで現在に到ったことへの思いと、田舎の静かな生活が素直に描かれていて、共感の湧く展開になっていると思います。
 前半と後半を入れ替える形もあるかと思いますが、結句の「幽庭滴瀝雨痕斑」が、この生活がこれからも続いていくことを感じさせて、余韻を残していますね。



2019. 8.25                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第202作は 陳興 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-202

  梅雨時節讀北宋賀鑄詞        

茶邊重讀慶湖詞,   

梅子黄時皺古池。   

人入雨中成蟻輩,   

花開夢裡轉情癡。   

江南一片芭蕉葉,   

夜半千層錦瑟思。   

漫捲煙雲山色淡,   

月斜天外樹如絲。   

          (上平声「四支」の押韻)

<感想>

 賀鑄(がちゅう)は北宋後期の人、晩年に蘇州に隠居した文人です。
 賀鑄の代表作とされる「青玉案」は、その結びの一句「梅子黄時雨」が素晴らしく、当時「賀梅子」とあだなされたと言われます。
 その詞が次のものです。

   青玉案

  凌波不過��塘路   凌波は過らず ��塘の路

  但目送 芳塵去   但だ目送す 芳塵の去くを

  錦瑟華年誰與度   錦瑟 華年 誰と与にか度らん

  月橋花院       月橋 花院

  瑣窗朱戸       瑣窓 朱戸

  只有春知處      只 春の 処を知る有るのみ

  碧雲冉冉蘅皋暮   碧雲 冉冉たり 蘅皋(こうこう)の暮

  彩筆新題斷腸句   彩筆 新たに題す 断腸の句

  試問�闖D都幾許   試みに問ふ 閑愁都(すべ)て幾許(いくばく)ぞ

  一川烟草       一川の烟草

  滿城風絮       満城の風絮

  梅子黄時雨      梅子 黄ばむ時の雨



 少し注を加えれば、「横塘」は蘇州西南の景勝地、賀鑄の別荘がありました。
 「錦瑟華年」は李商隠の「錦瑟」の詩にある「錦瑟無端五十絃 一絃一柱思華年」からで、若かった日々を追憶する意味を籠めています。
 「瑣窗」はくさり型の模様の入った窓、「冉冉」はゆっくりと移り動く様、「蘅」は香草でカンアオイ、ここは後に「皋」があるので、水辺に生えたカンアオイ。

 特に後闋の「閑愁」を「川一面の靄に包まれた草」「市街いっぱいに飛び交う柳絮」「梅の実が熟する頃の雨」と一気に畳みかけるような表現は素晴らしいですね。

 この詞を読んだ後に陳興さんの詩を拝見すると、景色が二重に重なるようで味わい深いですね。


 頸聯の対が分かりにくいのですが、「芭蕉葉」には何か寓意があるのでしょうか。

2019. 9.25                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第203作は 遥峰 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-203

  海濱夜景        

山圍曲浦海�ク孤   山囲む曲浦 海郷孤なり

漁火憧憧如繋珠   漁火 憧憧 珠を繋ぬるがごとし

萬里去來千古浪   万里 去来す 千古の浪

櫓聲風度白沙晡   櫓声の風度る 白沙の晡(くれ)

          (上平声「七虞」の押韻)



<解説>

 夏の海岸の涼しさを表したかったのですが…。

<感想>

 掲載が遅くなりすみません。

 海辺の涼しさは感じられる詩にはなっていると思います。

 詩題の「夜景」が感じられるのは承句だけで、他の句は昼間か結句で示した「晡」(この字の原義は「午後のおやつを食べる時間」、転じて「夕方」まで広げて使われます)までですね。
 「曲浦」の様子、「浪」が「萬里去來」と感じるためにも、「白沙」が見えるためにも明るさが必要だと思います。これも、いつも見慣れている作者には波の様子も白沙の景色も分かっているからでしょうね。
 とりあえず、題名を「海濱夕景」として何とか妥協点としましょう。

 用語の点では、承句の「憧憧」(しょうしょう)は光がゆらゆら揺れること、下の「如繋珠」の比喩と合うかどうか、やや疑問です。

 また、転句の「千古浪」は、ここで何故「千古」なのか悩ましいですね。



2019. 9.25                  by 桐山人



遥峰さんから推敲作をいただきました。

    海濱夜景(再敲作)
  山圍曲浦海村孤   山囲む曲浦 海村孤なり
  漁火渺茫明滅殊   漁火 渺茫 明滅殊に
  十里去來波映月   十里去来す 波 月に映じ
  櫓聲風度白沙途   櫓声の風度る 白沙の途

(上平声「七虞」の押韻)

「渺茫」: 遠くかすかなさま。
「明滅」: よく見えたり見えなかったりする。


2019. 9.27                  by 遥峰

























 2019年の投稿詩 第204作は 幸青 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-204

  人器一統        

豊州北地識陶人   豊州の北地 陶人を識る

拓地営窯愛海浜   地を拓し 窯を営して 海浜を愛す

器在酒肴招悦喜   器在りて 酒肴は悦喜を招す

匠労和土火中薪   匠の労 土と和す火中の薪

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 同世代の陶芸家の方の作品に触れ、使いやすく品もあり感動しました。
 ご本人にもお会いできて、お人柄にも感銘を受けた気持ちを綴ってみました。
 新たな九州の地で新たな創作に励む同氏への詩です。

<感想>

 豊州はかつての豊前、豊後の呼び名で、福岡東部と大分北部を指しますね。
 陶芸作者のお人柄と作品が調和したというのが題名の趣旨でしょう。

 起句は「識」ですと記録文書みたいで固いですね。「有」が良いですね。

 逆に転句の「在」は「この器があってこそ酒や肴が一層引き立つ」という気持でしょうが、どういう器かを示した方が良く、例えば「佳器」としておくと話に入りやすいでしょう。
 「招」は妙な表現で、「催」でしょうね。

 結句の「匠労」は「労」ではやや軽くて、内容が伝わりにくいでしょう。「魂」などでいかが。



2019. 9.25                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第205作は 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-205

  梅天偶感        

無聊日暮小楼中   無聊の日暮 小楼の中

時節黄梅人影空   時節は黄梅 人影 空し

杜宇悽悽啼不盡   杜宇 悽悽 啼て尽きず

垂天雲幕與心同   天に垂る雲幕 心と同じ

          (上平声「一東」の押韻)

「無聊」: 退屈
「黄梅」: 梅雨
「悽悽」: 悲しいさま

<感想>

 梅雨のしっとりとした、もの悲しいような趣が出ている詩ですね。

 承句の「時節黄梅」は通常「黄梅時節」で、「黄梅の時節」は分かりますが「時節は黄梅」となるとややひっかかります。
 また、「黄梅の時節」としても、下の「人影空」へ流れるには一呼吸必要になりますので、ここで雨の言葉を入れた方が良いと思います。
 「梅雨絲絲」のような形で考えてはどうでしょう。

 結句の下三字「與心同」はやや安易、付け足したような言葉に感じます。すでに作者のことは書き出しに出ていますので、最後は景をまとめる方向が良いでしょう。



2019. 9.25                  by 桐山人



岳城さんから推敲作をいただきました。

    梅天偶感(再敲作)
  無聊日暮小楼中   無聊の日暮 小楼の中
  梅雨絲絲人影空   梅雨 糸糸 人影 空し
  杜宇悽悽啼不盡   杜宇 悽悽 啼て尽きず
  垂天雲幕濕生風   天に垂る雲幕 湿として風を生ず


2019.10. 1          by 岳城























 2019年の投稿詩 第206作は 雷鳴 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-206

  遊於支笏湖        

碧水泠然湖底清   碧水泠然として湖底清く

樹陰枯木没如横   樹陰枯木が没して 横たふが如し

遊魚群集舟不往   遊魚群れ集ひて 舟往かず

我且炎天死骨成   我且に炎天に死骨と成らんとす

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 先日訪れた支笏湖のことを漢詩にしてみました。
 自宅から高速道路で3時間半くらいの道のりです。

 水の透明度は全国1位、2位を争うという通りで、船底に窓がある水中遊覧船に乗ると
湖の底まではっきりと見えました。
 湖底には枯木がまさに「死骨」のように横たわっています。

 船の周囲にはヒメマスなどの魚が人を恐れることなく群がっていて、まるで竜宮にいるような感じでしたが、外は焼けるような炎天で、自分たちが干上がって「死骨」となってしまいそうでした。

  碧色の水はどこまでも澄んで湖底まで清らかで
  湖面に映る樹の陰は枯木が水に没して横たわっているよう
  群れ集う魚たちが戯れて邪魔するので舟は出航せず
  炎天下にわたしは死骨になってしまいそうだ

<感想>

 詩の主題として、湖の美しさを言いたいのか、暑さに苦しんだことを言いたいのか、どちらでしょう。
 作者としては、どちらも実感であり、特に「死骨」の言葉は「オチ」という感じかもしれませんが、せっかく前半で読者も水底へと誘ってくれたのに、これでは「暑い中、大変でしたね。」という感想しか残らず、湖のことは消えてしまいます。
 詩の構成としては、支笏湖の美しさを言うなら、それを最後に持ってくるべきで、暑さについては場面の一つとして、前半で出した方が良いでしょうね。

 部分的なことでは、題名の「於」は要らず、「支笏湖に遊ぶ」で良いですね。

 承句は、直前で「湖底」を見ているのに「樹陰」と場所を表す言葉が来るのは混乱します。
 お書きになった訳文を読むと「影(姿)」ということでしょうが、平仄合わせでしょうか。
 一字のことですが、詩を分かりにくくしていますね。



2019. 9.30                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第207作も 雷鳴 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-207

  寄新島襄海外渡航之碑        

浪洗石碑不瞭銘   浪は石碑を洗ひ 銘は瞭かならずも

流伝名跡似明星   流伝の名跡は 明星の似し

男児渡海蓬桑志   男児海を渡りしは蓬桑の志

創建学官教聖経   学官を創建して 聖経を教ふ

          (下平声「九青」の押韻)

<解説>

  浪は石碑を洗い流し刻まれた銘は明らかではないが
  伝え聞くその立派な業績は明星のごとく輝いている
  蓬桑の志をもってこの男児は単身海を渡り
  同志社大学を創設してキリスト経を教えたのだ

 こちらの詩は、先日訪れた地元函館の「新島襄海外渡航の地碑」にちなんだ漢詩を作りました。
 ちなみに、うちの娘も新島の創設した同志社大学に通っていたのですが、こういう身近な場所に新島の記念碑があったことに、今更ながら驚いています。

 なお、この石碑には、新島が香港に渡ったときに詠んだ以下の漢詩が刻まれているそうですが、近くで見てもうまく判読できません。

  男児決志馳千里
  自嘗苦辛豈思家
  却笑春風吹雨夜
  枕頭尚夢故園花

 また、他に残されている新島の漢詩にも「男児」という言葉が見られ、また彼の決心が「蓬桑志」であったとも記されていますので、それを承句に取り入れてみました。

<感想>

 新島襄の石碑の詩は以下のものですね。

   船中偶成(仮題)
  男児決志馳千里   男児志を決して千里を馳す
  自嘗苦辛豈思家   自ら苦辛を嘗め 豈に家を思はんや
  却笑春風吹雨夜   却つて笑ふ 春風雨を吹くの夜
  枕頭尚夢故園花   枕頭 尚ほ夢む 故園の花

 五年程前に、新島襄の漢詩について講義をしたことがありました。年譜と漢詩を抜粋した資料がありましたので、皆さんにもご紹介しましょう。
 PDFにしましたので 「新島襄資料」 をクリックしてください。

 新島襄の作品については、まとめたものが同志社新島研究会から『新島襄の漢詩』という冊子が昭和54年に出されています。
 注釈も諸資料を閲し充実していて、新島襄の作詩の背景がよく分かる内容でした。

 雷鳴さんの詩では、「碑文が劣化して読めない」という起句をどう解するか、ですね。
 お書きになったように「しかし、新島襄の名前は知れ渡っている」と逆接で持って行くと、要するに「石碑はどうでもよい」という感じで、詩題が崩れてしまいます。
 時の流れを感じさせる、とか、詩の内容の「辛苦」を象徴するとか、そういう方向に持って行った方が敬意が表れると思います。

 転句の「蓬桑志」は「四方に遠遊して名をなす」という言葉で、昔中国で男子出生の時に、桑の弓と蓬の矢で天地四方を射て前途を祝したことが起源とされています。

 平仄の点で、起句と結句が四字目の孤平(「教」は使役形で平声、教えるは仄声です)になっていますので、ここは修正しましょう。



2019. 9.30                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第208作は 如水 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-208

  慈烏反哺        

春宵寂寞玉蟾円   春宵 寂寞として 玉蟾円かなり

隠隠清香古柳辺   隠隠たる清香 古柳の辺

秉燭更深花影動   燭を秉りて 更深 花影動く

慈烏反哺又経年   慈烏反哺し 又年を経

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 春の宵、かすかに柳の匂いが漂ってくる。
 幼い頃、母がご飯を食べさせてくれたことが思い出される。
 月は幼い頃に見たあのまん丸な月だ。
 そして今、今度は老いた母に私がご飯を食べさせる。真夜中に起こされることもある。こんな日々が何年も続く。

<感想>

 題名の「慈烏反哺」は、白居易の 「慈烏夜啼」 でよく知られる言葉ですね。

 私の「名作紹介」のページでの注を引用しますと(孫引きですが)、
「慈烏」はからすの一種で、慈鴉(じあ)とも言う。この鳥は、母が産まれた子を六十日間養育すると、子は生長した後、母烏に六十日間餌を運んで恩返しをすると言い伝えられている。
 「反哺心」は、子が母に口移しに餌を与えて養うことから、孝行の心のこと。

 如水さんの今回の詩は、題名を見てお母さんとの思い出かな、とか、親孝行の話かと思いながら読者は読んでいきます。しかし、転句までは穏やかな春の夜が描かれていて、「あれ、どうしたのかな?」と思ったところで、結句で逆転の形で主題へと進みます。
 漢詩の構成としては、転句あたりで「慈烏」に触れて、結句で現在の作者の状況へ行くのがオーソドックスでしょうが、敢えて、と言うか、粘り強く情景を転句まで引き延ばして、インパクトを強めたのでしょう。

 作者の意図としては分かりますが、効果としてはどうでしょうか。
 おそらく結句で途惑う読者が多いと思います。
 更には、解説にお書きになったような介護の重さという内容まで伝えることは、この一句だけでは苦しいですね。
 私は介護とは逆に、春の宵にお母さまと穏やかな時を過ごしている、親孝行できる喜びの詩かと思いました。
 そういう解釈で良いならば、全体の色彩も整って、これはこれで良い詩だと思います。



2019.10.12                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第209作は 陳興 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-209

  重陽節新旧七律二首 九日尋大閘蟹       

滄海��行到水濱,   滄海 横行して 水浜に到る,

龍宮忘卻作湖民。   竜宮 忘却して 湖民と作る。

蟹鉗能夾時光角,   蟹鉗能く夾む 時光の角,

詩律不馴平白人。   詩律馴れず 平白の人。

一種烹調得真味,   一種 烹調すれば 真味を得,

幾番尋覓撥煙塵。   幾番 尋ね覓めて 煙塵を撥く。

欲酬重九登高去,   酬ひんと欲して 重九 登高して去けば,

山道崎嶇半是榛。   山路 起句として 半ばは是れ榛(やぶ)。

          (上平声「十一真」の押韻)

<感想>

 こちらは昨年送っていただいた作品です。
 季節が合うのを待っていましたが、早い方が良かったかも知れませんね。

 読み下しは、桐山人が付しました。



2019.10.14                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第210作は 陳興 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-210

  九日憶昨日品大閘蟹 并 次前作「九日尋大閘蟹」韻        

寒水成波往水浜,   寒水 波を成し 水浜を往く,

陽澄湖上尽漁民。   陽澄湖上 尽く漁民たり。

秋来此物聞高價,   秋来 此の物高價を聞く,

春去他郷作客人。   春去 他郷 作客人と作る。

忘卻登高重九事,   忘却す 登高重九の事,

関心行旅一城塵。   関心す 行旅一城の塵。

茱萸不復今朝插,   茱萸 復た今朝插さず,

松鼠深山上下榛。   松鼠 深山 上下の榛。

          (上平声「十一真」の押韻)

<感想>

 こちらも昨年送っていただいた作品です。
 ご自身の作に次韻をした作品ですね。

 読み下しは、こちらも桐山人が付しました。



2019.10.14                  by 桐山人