作品番号 2014-211
元旦集団走
歳朝楽走曙光催 歳朝 楽しく走る 曙光催す
共汗紅顔気快哉 共に汗 紅顔 気快き哉
終着潤喉涼一碗 終着 喉を潤す 涼一碗
囲炎談笑喜春来 炎を囲み 談笑 春の来るを喜ぶ
<解説>
私達の町内では、元旦に恒例になっております元旦マラソンを実施しております。
<感想>
元旦に走るとはすごいですね。私はきっと酔いが残っていて、ぶっ倒れてしまいます。
起句の「樂走」や「紅顔」などは気にはなりますが、勢いが良いので。承句は「汗額」かと思います。
承句の「涼」は「水」で。
結句の「炎」は「爐」とか「燎」でしょうが、これも勢いがあるので。
2014. 7.28 by 桐山人
作品番号 2014-212
訪病床友
年来多病舊知人 年来 多病 舊知の人
心緒沈淪歎我身 心緒 沈淪 我が身を歎ばず
排悶快方囘起日 悶を排して 快方す 囘起の日
坐看窓外発花晨 坐して看る 窓外 発花の晨
<解説>
病気で入院中の友人を見舞った時の詩です。
<感想>
こちらの詩は、起句は作者の立場で詠まれていますが、承句から友人の気持ちになっているようですね。
承句の読み下しは「なげく」としか読めません。
2014. 7.28 by 桐山人
作品番号 2014-213
新春景
新春迎旭日 新春 旭日を迎ふ
仰見五雲空 仰ぎ見る 五雲の空
瑞氣千門滿 瑞気 千門に満ち
稱杯祝壽同 杯を称(あ)げ 寿を同じく祝ふ
<解説>
日常のあたりまえと思うことは、あたりまえのことではないと。
新春のよろこびは、またしかり。
<感想>
結句の下三字は「寿を祝ふを同にす」と読みましょう。
「新春景」の題ですが、内容は具体的な景物があるわけでないので、「新春」と題した方がよいですね。
2014. 7.28 by 桐山人
作品番号 2014-214
有栖川宮公園看櫻花
陪師櫻徑歩 師に陪(したが)ひ 桜径を歩む
片片落花頻 片片 落花頻りに
禽鳥枝頭語 禽鳥 枝頭に語り
歡然共醉春 歓然として共に春に酔ふ
<解説>
桜は共に歩む人をつなぎとめる。
桜ふぶきの中に美しさを感じることが近ごろ多い。
<感想>
この詩も、前の「新春景」の詩も、どちらも良くまとまっていますが、具体性が無いのが物足りない点。
どこの場所でも通用すると言うことは、個性が見えないということでもあります。
それが狙いと言われればそうなのですが・・・・
2014. 7.28 by 桐山人
作品番号 2014-215
尾瀬ヶ原
雲霧纔晴尾瀬邊 雲霧纔かに晴るる 尾瀬の辺り
芭蕉清素笑流川 芭蕉は清素に流川に咲む
峰巓殘雪映湖沼 峰巓 残雪 湖沼に映じ
風爽濕原遊客連 風爽かな湿原 遊客連なる
<解説>
昔歩いた尾瀬ヶ原を思い出してみました。
<感想>
承句の「笑」は「浅」とした方が良いですね。
色彩感を出すために、転句を「峯巓白雪碧湖沼」でどうでしょうか。。
2014. 7.28 by 桐山人
作品番号 2014-216
新秋即事
天空弦月列星横 天空弦月 列星横たはる
零露無音落一棚 零露音無く 一棚に落つ
切切蟲聲燈影下 切切 虫声 灯影の下
滿腔詩思感秋生 満腔の詩思 秋生を感ず
<解説>
新秋の夜空を見上げた時の感じを詩にしてみました。
<感想>
承句の「零」は「落ちる」なので、下の「落」と重なります。
また、「無音」と良いながら転句で「蟲聲」が来るのは気になるので、「清露団団」でしょうか。
露をどう見立てるかが詩人の観察力、勝負所ですね。
2014. 7.28 by 桐山人
作品番号 2014-217
樂圍碁
趣味有千百 趣味に千百有り
圍碁易亦難 囲碁 易くして亦難し
爭先呻幾度 先を争ひて呻くこと幾度
鬪智計多端 智を闘はせて計ること多端
形勢拄頤案 形勢 頤(あご)を拄(ささ)へて案じ
死生凝眼看 死生 眼を凝らして看る
熱狂無及此 熱狂すること此に及ぶもの無し
閑日橘中歡 閑日 橘中の歓び
<解説>
「橘中歓」: 碁を打つ楽しみ。
昔、巴(は)の人がたちばなの実を割ると、その中で碁をうって楽しんでいる二人の老人(仙人)が居たという故事から(「幽怪録」)。
<感想>
よく工夫された詩で、碁を楽しむ(?)姿がよく出ています。
最後の「閑日」を「終日」とすると「熱狂」が生きるでしょう。
2014. 7.28 by 桐山人
作品番号 2014-218
看菜花
雨晴碧落謐然郷 雨晴れて碧落謐然の郷
田野黄葩歴亂粧 田野黄葩 歴乱として粧ふ
一陣東風香世界 一陣の東風 香世界
恰如絨毯弄春光 恰も絨毯の如し 春光を弄す
<解説>
春、郊外で看た絨毯を敷き詰めたような菜の花の、美しさに感動して作詩しました。
<感想>
色彩があふれている詩で、早春の郊外の景色が目に浮かぶようです。
起句は「碧落」が場所を表すだけなので、「天碧」で。
結句は「恰如」がまわりくどく変更したいですが、難しいですね。
一番は「滿野」が良いのですが、平仄が合いませんので、「眼前」「平原」「菜花」でしょうか。
2014. 7.28 by 桐山人
作品番号 2014-219
春日訪友
紅櫻爛漫井閭明 紅桜爛漫 井閭明らかなり
嫩葉柳枝川岸盈 嫩葉柳枝 川岸に盈つる
訪友笑顔花影畔 友を訪ぬれば 笑顔 花影の畔
晴耕雨讀樂余生 晴耕雨読 余生を楽しまん
<解説>
田舎暮らしを始めた友人を桜の満開時に訪ねたときの詩です。
<感想>
「紅桜」は「春光」の方が落ち着きます。
「井」も「里」の方が分かりやすいでしょう。
承句は「柳葉細垂」とした方が作者の気持ちが入ります。
結句の「楽」は平凡、「好余生」とインパクトを強めてはどうでしょう。
2014. 7.28 by 桐山人
作品番号 2014-220
早春詞
村邑風聲冷 村邑 風声冷やかなり
携筇小徑巡 筇を携へ 小径巡れば
枝頭非嫩 枝頭 嫩緑非ず
原野莫遊人 原野 遊人莫し
黄鳥溪間隱 黄鳥 渓間に隠れ
紅梅竹外新 紅梅 竹外に新たなり
羅衣多少整 羅衣 多少整ひ
不遠待嬉春 遠からず 嬉春を待つ
<解説>
春は暦の上ばかり
早く本格的な春が来てくれることを望み、作りました。
<感想>
頷聯は「枝頭」と「原野」では大きさに違いがありすぎるので、「路邉無嫩葉」くらいにすると良いでしょう。
頸聯は「白梅」なら良いですが、「紅梅」ではまだ早すぎるので「疎梅」でどうでしょう。
2014. 7.28 by 桐山人
作品番号 2014-221
歸心似箭
吏道荒涼萬骨枯, 吏道荒涼として萬骨枯れ,
千鍾美酒洗長途。 千鍾美酒 長途を洗ふ。
歸心似箭光陰盡, 歸心 箭(や)に似て光陰盡きれば,
夢醒黄泉對鏡湖。 夢は黄泉に醒めて鏡湖に對す。
<解説>
「歸心似箭」: 四字成語。故郷へ帰りたい気持ち、箭のごときであること。
「吏道」: 官吏の道。
宮仕への道は荒涼萬骨の枯れて夜半に酒の雨降る
<感想>
先日東京に行きました折に、たまたま新橋の駅で降りる機会がありました。
ビジネスマンと思われる人が溢れて、丁度宝くじの販売最終日だったこともあり、駅前の宝くじ売り場は人山の賑わい。窓口の前に私は圧倒されて、遠巻きに見守るだけでした。
ちまちまと田舎で宝くじを買っていると、つい、自分にも当たるチャンスはあるかもしれないと思うのですが、あれだけの人数の熱気を見ると、日頃感覚的に感じている当選倍率がにわかに現実味を帯びてきて、「確かに、これはめったやたらには当たらないわぃ」と納得した次第です。
この人達が「千鍾美酒」を夜夜楽しみ、やがて「万骨枯」れてこの場所から去っていくのだなぁと、鮟鱇さんのこの詩を思いだした次第です。
「帰心」は故郷を恋しく思うだけではなく、ソウルフードならぬソウルプレイスとして、自らの精神の在り所を求める心なのでしょうね。
2014. 7.30 by 桐山人
作品番号 2014-222
二條城懷古
細雨春寒幕府雲,
大名低首覲將軍。
當年大政奉還地,
梁上浮雕龍虎分。
<感想>
1867年11月10日の大政奉還、二条城で徳川慶喜が群臣に諮問した大きな歴史的事件でしたね。
城としての外観はそれほど目立つものではないですが、近代への転換期の政治舞台として重要な場所として残っています。
起句は陳興さんが訪れたのが春の時期だったこともあるでしょうが、「細雨春寒」という天候が、江戸幕府が政権を返還せざるを得ない状況になっていたという当時の気運を感じさせたということも表しているのでしょうね。
承句の「將」は「軍を率いる」ということでは仄声になりますので、やや苦しいところです。
2014. 8. 4 by 桐山人
作品番号 2014-223
讀芭蕉俳句
蟬嘶絶壁觀岩裂,
蛙入古池聽水聲。
最上川存五月雨,
小蓑山路有猿鳴。
<感想>
陳興さんの日本文化への関心の深さが伝わってきますね。
それぞれの句は、芭蕉の俳句を素材にして詠まれていますが、前半を対句で持ってきたこともあって、句がそれぞれ独立した印象が薄れ、一つの詩として流れていきます。
俳句は皆さんお分かりでしょうが、
<起句> 閑かさや岩にしみいる蝉の声
<承句> 古池や蛙飛び込む水の音
<転句> 五月雨を集めて速し最上川
<結句> 初しぐれ猿も小蓑をほしげ也
ということで、芭蕉が詠んだ場所は異なるけれど、うまく言葉を添えて違和感なくまとめていらっしゃるのは、工夫されたところでしょう。
2014. 8. 4 by 桐山人
作品番号 2014-224
訪以仁王墓霊
干戈無跡宇水濱 干戈跡無し 宇水の濱
覇業雖空属聖人 覇業空しく雖も 聖人に属し
絶代功名尋墓畔 絶代の功名 墓畔に尋ねる
帰夢清幽花一輪 夢を帰りみ 清幽 花一輪
<解説>
平家一族の追悼を命ずる令旨を、諸国の源氏勢力に出したが、此の事が露見、平家の追悼をうけ、
都落ちの途中流れ矢にあたり落命、この地(山城町綺田神の木)に御霊を祀った。
<感想>
以仁王は戦にもならずに破れましたが、彼の発した「以仁王の令旨」は生き続け、その後の平家討伐の旗印となっていきますから、歴史に残した足跡は大きいと言えるでしょう。
ただ、実際に戦って何か成果を出したわけではないので、「絶代功名」は言い過ぎのような気はします。
同じく、承句の「聖人」も、作者がそう呼ぶだけの根拠が感じられません。
あまり大げさに褒めちぎるよりも、令旨が死後も全国を飛び回った事実を書いた方が、逆に読者に訴える力は強くなります。
起句の「宇水」は宇治川のことですが、「水」では平仄が合っていませんので、「宇江」としておきましょう。
2014. 8. 5 by 桐山人
作品番号 2014-225
従三位平重衡卿墓跡
寺畔鐘声暗涙憐 寺畔の鐘声 暗涙憐れむ
南都焼討託吟箋 南都の焼け討ち 吟箋に託す
重衡斬首川塗乱 重衡 斬首 川塗は乱れる
当道聴詞千古傳 当道 聴詞 千古に伝ふ
「川塗乱」: 北の方輔子の心の乱れ
「当道」: 琵琶法師(当道座)
<解説>
人知れず公園の中に佇む重衡の墓。
藤原氏の北家にあたる日野家の菩提寺「法界寺」の小僧に、重衡の北の方輔子は般若寺で晒し者の重衡の遺体を持帰るよう命じ、一つは高野山に、一つはこの地に埋葬す。
<感想>
澄朗さんから前回いただいた「般若寺」にゆかりのある平重衡、南都焼き討ちの舞台となった場所すので、詩心を広げられたのでしょうね。
平重衡は三位中将、文武に秀で、しかも美男子だったと言われる平家の公達、その北の方は「大納言佐」の名で、建礼門院の最期を看取った一人として『平家物語』に書かれています。
重衡が戦に負け、虜囚となっていた鎌倉から焼き討ちの恨みが深い南都に引き渡されることになり、日野を通り過ぎた時に二人は再会をしますが、最後の別れの場面は『平家物語』の中でも名場面の一つですね。
起句の「暗涙」は誰がこっそりと流した涙なのか、また「憐」は誰の感懐なのか、ミステリアスな書き出しは最後まで謎が解けないのが困りました。
承句の「託吟箋」は首を切られる直前に語った後悔の言葉を意味しているのか、「吟」とありますので、和歌があったのでしょうか、不勉強ですみません。
転句の「川塗」は川を渡る舟の道、それが乱れたということで注のような解釈を持ってこられたのかと思いますが、『平家物語』には見られない言葉で、注が無いと意味が通じないと思います。
また、「北の方の心が乱れた」からどうなのか、となると尻切れトンボの感もぬぐえません。
歴史的な事件に対して作者はどう感じているのか、あるいは、主人公である平重衡についてどんな気持ちを持っているのか、ただ墓があるから涙を流した、というのでは詩としては弱く、明確な視点で整理すると良いと思います。
<P.S>
澄朗さん、メールが届かないのですが、アドレスを変更されましたか?
2014. 8. 5 by 桐山人
作品番号 2014-226
W杯
晴雲遥夏迫 晴雲 遥にして夏迫り
風葉戦鳶高 風葉 戦ぎて鳶高し
眼下方千里 眼下 方千里
球宴歓呼号 球宴 歓呼の号
<解説>
W杯という漢語、あるわけはないことを承知で題にしました。
現代生活を詩にすることの難しさというか、俳句ならまだ十分対処できると思うのですが、漢詩となると途方に暮れます。
ここでも発想の転換が必要とは思いますが、何せ力不足です。
<感想>
そうですね、現代のことを詠むのに漢詩は制約が多く、なかなか大変です。
ワールドカップは詩語には勿論ありませんが、中国ではどう表現しているかを調べると、ひとまずは漢字で表現することはできます。題名などでしたら、「世界盃」とすれば良く、更に加えれば「蹴球世界盃」ですね。
起句と承句は、句の構成が実は「晴雲遥 夏迫」「風葉戦 鳶高」となっていて、本来の「二・三」ではなく「三・二」となっています。
こうした構成の句も無いわけではありませんが、読み手はまずは「二・三」で句切り、「晴雲 遥夏迫」「風葉 戦鳶高」と読み、意味がよく分からないなぁという印象を持ちます。
哲山さんは漢詩をもう何首も作っておられますが、読者に伝えるためには、やはり通常の「二・三」の句切れで作詩をしていくようにして、誤解の無いような句作りをお勧めします。
承句の「戦」は「ゆらぎ」と読むのでしょうね。「いくさぎる」という俳語があるのでしょうか。
ここで「鳶」を出しましたので、その視点からが転句。
「千里四方」はかなり広いわけで、イメージとしては、日本全国あちらからもこちらからも、「歓呼」の声が聞こえてくるというのが詩の主題ですね。
結句は「歓呼号」で「下三平」になっていますので、これは禁忌です。
少し大げさに「熱狂号」でどうですか。
それにしても、今回のワールドカップは日本が予選で敗退したからでしょうか、投稿もあまりありませんでしたね。
2014. 8. 6 by 桐山人
作品番号 2014-227
老夫偶成
夢覚烏啼残月蒼 夢覚め烏啼いて残月蒼く
深閑街巷沓音忙 深閑たる街巷 沓音
追時毎日今如意 時を追ふ毎日 今は如意
気味陶然入睡郷 気味陶然 睡郷に入る
<解説>
ふと、通勤時代が頭を過(よ)ぎる。
<感想>
うーん、狙いは分かるのですが、ポイントの所で表現が気になります。
起句は「夢覚」ですから、当然作者は今寝床に居ると思いますので、承句の「沓音」も部屋から聞いたということですね。
「深閑街巷」は、しかし、作者が街に立っているという印象ですので、本来は「窓外」「門外」が良く、そうなると今度は「沓音忙」の外の気配を「深閑」と感じるかどうか、気になってきます。
「清晨窓外」のような形ですと、違和感なく作者と共感ができます。
転句は「追時」は納得できますが、詩語としてはどうでしょう。「農赴時」という言葉があり、「農業はいつも天気や季節を気にする」という意味ですので、農業ではないでしょうが、「赴時」を用いるのも一案です。
「毎日」は、ここでは次の「今」との対応で「昔日」とした方が良いですね。
結句は、のんびりとした心境がうかがえますね。
2014. 8. 6 by 桐山人
作品番号 2014-228
移居洛外
八十因縁及転居 八十の因縁 転居に及び
傾身憊色託庵廬 傾身憊色 庵廬に託す
山中迹鳥聴鐘楽 山中に鳥を迹ね 鐘を聴いては楽しむ
草屋三間不悦餘 草屋三間 悦余さず
<解説>
鈴木先生
長い間ご無沙汰して申し訳ありません。
ようやく日々の暮しにも落ち着きが戻りました。
しかし、一旦擱いた筆を取り上げることは容易ではありませんでした。
若い頃とはこんなところにも違いが出てくるのですね。
今後ともどうぞよろしくご指導賜りますようお願い申し上げます
<感想>
年を取ってからの転居は、生活のスタイルや環境がガラリと変更になるわけで、落ち着くまでの御苦労は十分に想像できます。
もう落ち着かれたようですので、これからは本当に余生を楽しむ、ということですね。
承句の「傾身憊色」(けいしんはいしょく)は、「力を出し切って、ぐったりと疲れた」という意味ですので、転居のこともそうですが、八十年の歳月の疲れも出たのでしょうね。
転句の「迹鳥聴鐘楽」は、この形ですと、「迹」ねて「聴」き「楽」しむとなり、動詞が三つ続きますので読みづらいですね。
下三字を「聴鐘韻」「楽鐘響」などでどうでしょう。
2014. 8. 6 by 桐山人
鈴木先生、いつも懇切なご指導下さってありがとうございます。
日本列島を巻き込んだ台風も遠くへ去って、また暑さと夏の静けさが返ってきました。
先生にご指摘戴いた転句につきまして、「聴鐘楽」を「憩鐘韻(鐘韻に憩ふ)」と改めます。
ご指摘ありがとうございました。
2014. 8.11 by 芳原
作品番号 2014-229
朋来自遠方
並枕聴霖雨 枕を並べて霖雨を聴く
酣觴興自幽 酣觴 興自ずから幽なり
旧交何是楽 旧交 何ぞ是れ楽しき
老大更春秋 老大 春秋更なり
<感想>
題名も勿論ですが、前半の二句で、久しぶりの友との時間がどれだけ楽しいものだったかが伝わってきます。
そういう意味で、転句は「いわずもがな」の句になりますので、何か自然の景物を描いた方が詩としてはまとまりますね。
しかし、「ああ、楽しいなぁ」と思わず口から出た言葉、作者の楽しい心ですので、前半をまとめる形での強調だと考えた方が臨場感があり、心の流れをそのまま詩にした勢いが感じられます。
これもあり、というか、これが良いと私は思います。
2014. 8. 6 by 桐山人
作品番号 2014-230
梅天閑詠
梅天樹影日長陰 梅天 樹影 日に陰を長ず
幽巷晩蛙孤苦吟 幽巷 晩蛙 孤り苦吟
環屋疎籬無客訪 屋を環る疎籬 客の訪ふ無く
濛濛細雨碧苔淋 濛濛 細雨 碧苔淋る
<感想>
起句の「樹影日長陰」が鮮明な印象で、結句の「濛濛細雨」と同じ場面に成り立つのか気になります。
承句は「幽巷」で「晩蛙」が「孤苦吟」している、つまり一匹だけ苦吟しているということでしょうか。
「苦吟」の主語を作者だと見ると、それぞれに関連が無く、作者の思考の流れを理解しようとするとこれも苦しい状況です。
特に「孤」が邪魔で、転句の「無客訪」と重複してきます。
結句は先ほども言いましたが、「濛濛」が重すぎて、こんな雨では誰も訪ねては来ないでしょうし、もう少し雨が少なくても良いと思います。
2014. 8. 7 by 桐山人
作品番号 2014-231
詠錦帯橋
納涼威暑是非山 威暑に納涼 是れ山に非ず
扇手葛衣鵜飼船 扇手 葛衣 鵜飼ひの船
捕獲香魚三百歳 香魚を捕獲して 三百歳
古城白壁聳中天 古城の白壁 中天に聳ゆ
<解説>
春夏秋冬岩国の風物絶佳なり。
毎年六月一日から八月三十一日まで、錦帯橋下の鵜飼は岩国名物として古くから知られ、その起源は三百年前からという。
<感想>
ここ数日の大雨で、四国や中国地方は大変なようで、岩国もテレビニュースで被害が出たと報道されていました。
ご心配なことと思います。
この詩は、景色に広がり感のある詩ですね。
起句はしゃれた表現で、高原に行かなくても避暑はできると大見得を切っている感じが良いですね。
鵜飼いは私の近くの岐阜県の長良川で行われていますが、夏の風物詩としての伝統行事、楽しみにしている人も多いでしょうね。
転句は、分からないことはないですが、誰か三百歳の人が居るのかと思いますので、「伝統漁篝三百歳」などでどうでしょう。
2014. 8. 7 by 桐山人
桐山堂先生
暑中お見舞い申し上げます。
先に詠錦帯橋についてご感想を賜り、有り難く、転句上四字を仰せの如く
「伝統漁篝」に改め、「伝統漁篝三百歳」と推敲させていただきました。
2014. 8. 8 by 深渓
作品番号 2014-232
人生偶感
不聞不見不言仁 見ず聞かず言わず仁とす
何事不関知我身 何事にも我が身に関せず
一日一歓生二笑 一日一歓二笑に生きる
笑顔達観是超人 笑顔で達観ならば是れ超人
<解説>
今に生きるわれわれは日々それなりに精一杯、何気にすることなく、できるだけ笑顔をもって生ききることでしょう、笑顔で達観できれば是達人なり。
<感想>
仰る通りで、笑顔を生きて行くことが何よりも大切なこと、それは現代も過去の時代も未来も同じでしょうね。
未来を生きる子ども達が、心から笑顔で過ごせる世の中でありたいし、しなくてはいけないと私も思っています。
その英山さんの思いが漢詩として伝わるようになっているか、がポイントですね。
通常は「見ざる聞かざる言はざる」ですので、平仄の都合で入れ替えたと思いますが、これを最後に「仁」でまとめるのは強引で、読み手は「見ず聞かず仁を言はず」と訓ずるでしょうね。
この起句と承句は同じ内容ですし、起句は検討した方が良いでしょう。
承句も「何事不関」は語順が逆ですね。
結局この句は、「いろんな事に関わらないようにして、自分の身の程を知る」という意味で、確かに英山さんの仰る「それなりに精一杯」ということにはなりますが、封建制から時代も過ぎた現代で、「三猿の叡智」の必要性は伝わるのか、疑問ですね。
2014. 8. 7 by 桐山人
作品番号 2014-233
新地球声
進技古来無進人 古来技に進あれぞ人に進なし
紛争混乱多貧民 紛争、混乱して貧民多し
今将感性心時代 今将に感性心の時代
世界教師可徹仁 世界の教師は仁に徹すべし
<解説>
社会は進化すれぞ人類に進化、道理なし、せめて「五常」の「仁」の教えを世界に習わしめれば、やがて将来少なくとも平和への展望が開けることでしょう。
<感想>
英山さんの仰る「五常」は「五徳」とも言われますが、「仁義礼智信」の五つの徳目を言います。
起句は「古来」を本来は句の頭に置くべきですが、「技を進めて 古来 人を進むる無し」と訓じることになります。
「進」は「進歩」の意味ですが、「技術」「進歩」という二文字ずつで表すことが漢文の基本です。
人間は進歩していないから(起句)、紛争は絶えず貧民も多い(承句)、現代は心の時代(転句)、仁を柱にすべきだ(結句)という流れですが、「心時代」は省略された日常語で、本来ならば「心を大切にする時代」ということ、「コンビニ」と似たような略語ですので、漢詩では通じません。
「心の時代」として用いている言葉を漢詩でどう表現するか、それが大切な作詩過程で、その努力を省略してはいけません。
仁の考えが大切だというのは、私も納得できます。
問題は、為政者が誰に対して仁を見せるか、ですよね。
2014. 8. 7 by 桐山人
鈴木先生、と書かれていました。
お世話になっております。
今回は、温泉で3首、お送りします。
それぞれ訪れた時期(=作り始めた時期、つまりはお湯につかりながらぼんやり構想していたわけですが――)は異なりますが、ちょうど同時期に程良くまとまったもので、読み比べなどしていただければ幸いです。
作品番号 2014-234
鳴子峽
一風吹破舊時關 一風吹き破る 旧時の関
颯颯白雲紅葉間 颯颯たり 白雲紅葉の間
味盡温泉天地妙 味ひ尽す温泉 天地の妙
塵心不覺到仙寰 塵心 覚えず仙寰に到るを
「旧時関」: 鳴子温泉近くの番所跡、「尿前(しとまえ)の関」。芭蕉一行が足止めを受けたことでも知られる。
<解説>
一陣の風ざわざわと 昔の関所を通り抜け
真っ赤なもみじと真っ白な くもの間を吹きわたる
鳴子のお湯に身をまかせ 天地の妙を味わえば
世の塵まみれの私も 仙人気分にいつの間に
一首目は鳴子温泉。
いちばん最初は「秋風颯颯尿前関/鳴子峡辺紅映山/味尽温泉天地妙/一心容易去塵寰」と作っていたのですが、七年越しで現在のかたちとなりました。
時間の経過とともに、いろいろ詩に盛り込みたい気持ちも整理されてきたように思います。
<感想>
初案は、地名が二つ並ぶことを除けば、スケッチのような素朴さがあり、これはこれで一つの詩かなと思います。
ただ、どちらも転句の「天地妙」を、更に結句で説明している感があり、冗舌な印象が残ります。
温泉に来て「天地妙」を味わい尽くす、これだけでは確かにどんな「妙」だったのかが伝わりませんから、つい心情表現で説明したくなりますが、「到仙寰」にしろ「去塵寰」にしろ、それほど目新しい感覚ではありません。
觀水さんの感じた「天地妙」がこの結句だけのものではなく、もっとスケールの大きな天地自然の織りなす極致を表すのかもしれませんが、この転結の展開では、「俗塵」を洗い流したという点に収斂してしまうのではないでしょうか。
転句は「妙趣温泉塵外境」くらいで後半をまとめ、結句では、どんな点から転句の感懐が生まれたのか、再度叙景に戻るような形が良いのではないでしょうか。
2014. 8.11 by 桐山人
作品番号 2014-235
遊箱根
百二關山少道標 百二関山 道標少(まれ)なり
白雲涌處見賓寮 白雲涌く処 賓寮を見る
温泉仰臥天無限 温泉に仰臥すれば 天無限
蕩子杞憂呑碧霄 蕩子 杞憂す 碧霄に呑まるるかと
「百二」: 地勢が険しく、要害堅固なこと。
<解説>
箱根の山は天下の険 道しるべにも事欠いて
わきたつ煙を目印に 目当ての宿を見つけ出す
お湯にからだを横たえて そらを仰げば果てしなく
取り越し苦労なんだけど あまりの碧さに呑まれそう
二首目、箱根温泉。
こちらは昨冬なので、半年位の推敲期間。
前半の狭隘な山中と、後半の広闊な空とのコントラストが気に入っています。
結句の気は、杞憂の故事とは逆に、空に向って落ちて行くのではないかという、たとえば高いビルを下から見上げた時の気分と似たような感じでしょうか。
<感想>
仰るとおりで、この詩の妙味は「杞憂」を逆手に取った結句の表現にありますね。
谷川俊太郎の言う「空の青さに吸い込まれて」という感覚でしょうか。
通常でしたら、「窃憂」くらいで済ませるところを、「杞憂」と言い切ったのは、「してやったり」の觀水さんのドヤ顔が目に浮かぶようですが、やや理に走った感もぬぐえません。
「呑」を「落」とすれば逆転の感覚は表されると思いますので、「杞憂」とわざわざ言わなくても、という気もします。
ただ、「取り越し苦労」という思いも籠めようとなると、こういう表現になるのでしょうね。
2014. 8.11 by 桐山人
作品番号 2014-236
早春宿伊香保
自古高名石段湯 古より高名なる石段の湯
行人各愛白雲ク 行人各々愛す 白雲郷
東風含雪寒猶苦 東風雪を含んで 寒猶ほ苦(はなは)だしきも
一浴温泉萬事忘 一たび温泉に浴せば万事忘る
「白雲郷」: 俗世間を離れた地。
なお、ここで「白雲」には温泉の湯煙と温泉まんじゅう(伊香保発祥と言われています)をふかす
蒸籠の煙のイメージも重ねています。
<解説>
「石段の湯」で昔から 愛されてきた別天地
俗世はなれて湯煙と 饅頭ふかす湯気のなか
春風なのに雪混じり 寒さまだまだきびしいが
いったんお湯に入ったら 忘れてしまう何もかも
三首目は、伊香保温泉。今年三月、春分の日に出かけました。
たいして山奥ではないのですが、あいにくの雪模様。
その出来事や、あれやこれやを詩に盛り込みたいという気持ちが強かっため、まだうまく煮詰まっていない感じもします。
もっと時間をかけて料理すれば、また違った具合になるかもしれませんが、せっかくなので先の二首と一緒にお送りします。
<感想>
そうですね、拝見した印象では、伊香保温泉の風景がほとんど描かれていないのが気になります。
解説に書かれたような気持ちで「白雲」を読めば、温泉街の景色ということになるでしょうが、「白雲郷」だけでは「昔から旅人は山の上にある温泉を愛してきた」としか読めず、作者の意図までは読み取れませんので、結局、起句と承句で伊香保温泉の解説となるからです。
当日の「東風」が「含雪」というややアンバランスな季節感も、もう少し補足が欲しい気がしますね。
全体として五言絶句を読んでいるような感じで、作者の描いていない部分を読者が埋めながら読み進めて行かねばなりません。
それぞれの句としてはまとまっていると思いますので、律詩に持っていく形で推敲されたらいかがでしょうか。
2014. 8.11 by 桐山人
作品番号 2014-237
自嘲
垂老閑閑辺邑居 垂老 閑閑 辺邑ニ居ス
柴門毎閉自空虚 柴門 毎ニ閉ジ 自ズカラ空虚タリ
暁鐘響下嫌労寤 暁鐘響下 労ヲ嫌ウノ寤
夜燭點前催睡書 夜燭點前 睡ヲ催スノ書
日日健忘能一笑 日日 健忘 能ク一笑
年年痴呆又三唹 年年 痴呆 又 三唹
身依塵外心恬淡 身ハ塵外ニ依ッテ 心恬淡タルモ
徒食残生是檪樗 徒食ノ残生 是 檪樗タリ
<感想>
結句の「檪樗」(れきちょ)は、どちらも役に立たない木ということで、「世の役に立たない」の例えとして使われます。
そこを指しての「自嘲」の題名なのでしょうが、もちろん、それほど強いものではなく、「まあ、こんなものさ」というくらいでしょう。
ただ、直前までの表現は「閑適」の楽しみを満喫している心情を出していますので、どうしても取って付けたような、世間様へのポーズという印象が残ります。
頸聯までも、手慣れた句になっていますが変化が乏しく、冗長な感じがしますので、絶句にまとめた方が軽くなって良いのではないでしょうか。
2014. 8.11 by 桐山人
作品番号 2014-238
兄弟姉妹會
合計年齡四百年 合計 年齢 四百年
同胞五客醉歌筵 同胞 五客 歌筵に酔ふ
寡婦三人誰勿嘆 寡婦 三人 何ぞ嘆ずること勿からん
亡夫相集在中天 亡夫 相集ひて 中天に在り
<解説>
後期高齢者の兄弟姉妹五名全員が参加して、久し振りにと言うよりも、初めての一泊二日の懇親旅行会が実現した。
昨年傘壽を超した私を中心に、姉二人、弟妹各一人、平均年齢八十歳、合計年齢四百歳である。
三姉妹が揃って寡婦であり、この三人の為に、カラオケ大会では「千の風になって」を歌った。
風に乗って飛ぶ事も無し彼岸花 兼山
<感想>
いや、平均年齢はよく見ますが、「合計年齢四百年」はユニークで、年齢を合計するという発想がすごいですね。
兼山さんの着想かもしれませんが、宴会で皆さんが年齢を数えていらっしゃる光景を想像すると、和気藹々、かつ闊達なお姿が目に浮かびます。
こういう頭の柔軟さは若々しさのしるしで、皆さんのますますのご健康をお祈りします。
私は六人兄弟で、連れ合いを亡くした姉が一人いますが、他はみな夫婦ともに健在で、機会があれば集まることもありますので、今度、合計年齢を話題にしてみます。
転句の「誰勿嘆」は反語形ですので、「だれが歎かないだろう、いや、だれもが歎く」となりますので、詩の意図とは違ってきませんか。
「誰」を取れば「嘆く勿かれ」となり、この方が結句へのつながりが納得できますので、「誰」のかわりに「猶」とか接続の言葉を入れるなどが良いと思います。
結句は「相集」がインパクトが弱く「亦集」として「亡夫も亦た」とする形はどうかとも考えましたが、妻のそばに居るというより、亡夫たちも仲良くしているというニュアンスが「相」には出ていて、このままが良いと納得しました。
2014. 8.13 by 桐山人
「兄弟姉妹會」(2014-238)の転句「誰勿嘆」に関して、御指摘戴いた反語形の用法に対する問題は、「尋舊鹿屋航空基地跡」(2012-253)の折にもご指導戴きましたが、又、同じ間違いを犯し、慙愧に堪えません。
下記の如く推敲致しましたが、如何でしょうか。御伺い致します。
【推敲】「兄弟姉妹會」(2014-238) 転句「寡婦三人誰勿嘆」→「寡婦三人何敢嘆」(何ぞ敢へて嘆ぜんや)
反語については、これで良いと思います。
(桐山人)
作品番号 2014-239
贈内還暦 内の還暦に贈る
與汝同行獨醉顛 汝と同行して 独り酔顛
三兒鞠育極寒天 三児を鞠育す 極寒の天
鏡中不覺霜毛混 鏡中覚えず 霜毛の混じるを
一謝婦功還暦年 一(ひとへ)に謝す 婦功 還暦の年
<解説>
愚妻の還暦、また結婚35年目の節目、些かの反省も込めて。
「酔顛」: 酔っ払い
「極寒天」: 寒く慣れない北海道での生活
<感想>
まずは何よりも奥様への感謝の詩というのが素晴らしいですね。
私も先年、同じように結婚三十五年と妻の還暦を迎えましたが、漢詩を贈ることなどしていませんので、東山さんに頭が下がります。と共に、この詩は妻には見られないようにしなくては、と姑息なことも考えていますが。
ということで、引け目のある私が感想を言うのはどうかという気もしますが、まあ、詩は詩として読ませていただきました。
起句の「獨醉顛」は「俺は酔っ払っているばかりで、苦労をさせたなぁ」という気持ちが出ているところですね。
李白の「贈内」を思い出させる形です。
ただ、妻がひたすら苦労している横で夫は飲んだくれている、というのは大時代的な亭主像で、九州男児はひょっとしたらそうなのかもしれませんが、私にはどうも現実感が弱いですね。
常套であるとともに、若干の照れ隠しも含んで、表現が大げさになったのではないでしょうか。
起句と結句だけで見るとあまり違和感はありませんが、承句の「三児」「極寒天」と現実感を出した描写と「獨醉顛」がどうも合いません。
起句と承句でひとまとまり、という原則は変わりませんので、起句も具体的、現実感を出すように「與汝同行卅五年」と(韻字はまた調整するとして)事実を述べておくのが良いように思います。
2014. 8.13 by 桐山人
作品番号 2014-240
移居洛外 其二
洛外東三里 洛外 東に三里
竹林鶯語喧 竹林 鶯語喧し
扶筇蹊蹇蹇 扶筇 蹊蹇蹇たり
陋屋是安存 陋屋 是存するに安んず
「是安存」: 王建の「原上の新居」より「自安存」を借用しました。
<感想>
王建の詩は「原上新居十三首」とされる連作の七首目、五言律詩ですね。
移家近住村 貧苦自安存
細問梨果植 遠求花藥根
倩人開廢井 趁犢入新園
長愛當山立 黄昏不閉門
王建は貧苦で、連作の中でも「終日憂衣食」「啼哭小兒飢」と苦しい生活を語っているのですが、この詩は少し心が落ち着いた様子がうかがわれますね。
芳原さんの今回の五絶、随分悩まれたようですが、穏やかな生活ぶりが感じられ、転居による新鮮な気持ちがこちらにも伝わってきます。
2014. 8.13 by 桐山人