作品番号 2013-271
賀桐山堂來信五十萬人
高懐結社戊寅年 高懐 結社す 戊寅の年
雅客尋來五百千 雅客 尋ね来たる 五百千
電網親交先生徳 電網の親交 先生の徳
滔滔会勢大洋連 滔滔たる会勢 大洋に連なる
<解説>
先生、今晩は。東山です。
先ほど(11月14日午後8時半頃)、サイト閲覧者50万人を突破しました。
おめでとうございます。
先生の長年のご努力に敬意を表します。
今後も、宜しくお願い致します。
投稿詩になるか分かりませんが、お祝いの詩を送ります。
<感想>
サイト閲覧が先日、累計で五十万人に達しました。
東山さんが「五十万人目」のピタリ賞だったのでしょうか。
さっそく記念の詩をくださり、ありがとうございます。
開設以来で十五年、気分屋の私がこんなに一つのことを続けられたとは、我ながら驚きです。
皆さんの支えがあってのこと、本当に感謝の念が尽きません。
パソコンで平仄が簡単に確認できれば楽だな、と思ってデータベースを作り、どうせ作ったんなら「流行の」インターネットに載せれば他の方にも役立つかもしれないという単純な発想で、ついでに実際に作詩をしていらっしゃる方の発表の場になればと「投稿コーナー」を設けたものでしたが、ご指示をいただくことができ、ここまで来たなぁという印象です。
開設当初から、鮟鱇さんや謝斧さんなど先輩諸氏からご教示と励ましをいただき、また、年々新しく仲間に入られる皆さんの詩を拝見して、私自身が本当に勉強をさせてもらえたと思っています。
このホームページを訪問してくださるすべての方が、私には詩友です。こんなに多くの友を得ることができ、幸せな人間だと思います。
これからも、ぶれずにしっかりと(掲載もできるだけ急いで)やっていきますので、よろしくお願いします。
2013.11.20 by 桐山人
作品番号 2013-272
旱魃余談
無辺旱魃不堪聞 無辺の旱魃聞くに堪へず
灼熱炎威心緒紛 灼熱炎威心緒紛たり
時此農人疑雨到 時に此れ農人雨の到るかと疑ふ
風師巻地欲生雲 風師地を巻きて雲を生ぜんと欲す
<感想>
特に解説はありませんでしたが、「不堪聞」ということですので、作者自身が旱魃に遭遇したという話ではないようですね。
昔の出来事か他国のニュースなどで旱魃被害をお聞きになったのか、承句を考えると、現在の感懐として時間軸を今に置いた後者の方が良さそうです。
後半から臨場感のある描写になり、詩全体の構成として、効果が出ていると思います。
結句の「風師」は「風の神」のことですが、「風神」と言うより単に「風」を表すと考えれば良いでしょう。
風が雲を呼び、雲が雨を呼ぶ、という流れで見れば結句は「救いが見えてきた」という明るい結末になりますが、この風が「旋風」となると旱魃に更に被害が加わるということになります。
どちらで解釈するかは読者の判断になるのでしょうが、私は、前半の作者の心の痛みから、転句の「農人」の期待は裏切られるように思いました。
2013.11.20 by 桐山人
作品番号 2013-273
神社廳松山支部豐州視察研修旅行車中即事
窗外春光侵暁リ 窓外春光 暁を侵して晴れ
豐豫海峡碧波横 豊予海峡 碧波横にし
參集祀官皆湛笑 参集の祀官 皆笑みを湛たへ
歓談無盡忘塵情 歓談尽くる無く 塵情を忘る
<感想>
なじみの皆さんとの楽しい旅行の様子がうかがえますね。
ただ、「車中」の詩だと言われても分かりにくく、旅館についてからの詩かとも思えますね。
作者は車の中にいますので、「窓外」と言えば車から見える景色だと分かっていますが、読者には伝わりにくいところがあります。起句を「車窓」で始めるとか、転句の「参集」を「車内」とするとか、「車」の字がどこかに入ると、せっかくの「車中即事」の題が生きてくるでしょうね。
2013.11.23 by 桐山人
作品番号 2013-274
送夏
抱葉残蝉客舎庭 葉を抱く 残蝉 客舎の庭
蓮花水面別流蛍 蓮花は水面にて流蛍と別れる。
打窓陣雨含涼意 窓を打つ 陣雨は涼意を含み、
送夏雷鳴遠処聴 夏を送る 雷鳴 遠処に聴く
<感想>
ニャースさんの落ち着いた心境が表れている詩です。
取り立てて目立つような表現は無いのですが、季節の移ろい、ゆったりとした時間の流れ、それを静かに眺める作者の姿、ニャースさんは上海にいらっしゃるのですが、中国在住の日本人がこうした詩を作っているということこそが、日本と中国の文化の交流の深さや長さを象徴しているように思えますね。
心に残る良い詩だと思います。
2013.11.23 by 桐山人
作品番号 2013-275
南歌子・慶賀桐山堂迎接五十萬雅客
先生張電網, 先生 電網を張り,
詩人揮筆健。 詩人 筆の健なるを揮ふ。
吟鞍來到五十萬, 吟鞍 來るに到る五十萬,
各有春秋、 各(おのおの)に春秋あり、
高唱欲披胆。 高唱して胆を披(ひら)かんとす。
○ ○
塵界多煩累, 塵界に煩累多く,
雅懷頻慨嘆。 雅懷 頻に慨嘆す。
有情何敢顧才短? 情あらば何んぞ敢へて才の短かきを顧みんや?
百姓應該、 百姓 應該(まさに)
裁賦喜交感。 賦を裁し感を交ふるを喜ぶべし。
<解説>
桐山人先生:
桐山堂詩社、アクセス五十万突破、おめでとうございます。
祝賀の一首、詞に詠ませていただきました。ご笑納ください。
なお、「南歌子」の詞譜は次のとおりです。
拙作の表記、前後段第四句、読みやすいよう改行していますが、本来は九字句で改行するものではありません。
南歌子 詞譜・雙調52字,前後段各四句三平韻 石孝友ほか
○▲○△●,○○△●仄。○○○●●○仄,●●○○、○●●○仄。
○●○△▲,●○△●仄。▲○○●●○仄,●●▲○、○●●○仄。
仄:仄声の押韻。○:平声。●:仄声。▲:応仄可平。△:応平可仄。
「、」は、当該九字句を上四下五に読むことを示す。
<感想>
鮟鱇さんからも、アクセス五十万人のお祝いの詞をいただきました。
ホームページ開設以来、ずっとお付き合いくださり、何度も助けられ、励ましていただきました。
ご自身はずっと先を走りながらも、後ろをヨタヨタと走る私を気にかけて下さる先輩として、今後もよろしくお願いします。
2013.11.23 by 桐山人
作品番号 2013-276
孤雁
西風吹荻渚 西風 荻渚に吹く
古沼唳声先 古沼 唳声先んず
悄悄尋群影 悄々たり 群を尋ぬる影
遺書泛濁漣 書を遺れて 濁漣に泛ぶや
<解説>
雁はめったに見ることはありません。
白鳥はどんどん飛来します。白鳥を雁に見立てて作ってみました。
白鳥(スワン)は詩語にないようですね。
<感想>
「白鳥」そのものは詩語にはありませんが、「鵠」の字が「白鳥」を表します。「燕雀安知鴻鵠之志」の「鵠」です。
「黄鵠」が茶色がかった方で、「白鵠」という言葉も杜甫の詩に出てきます。
「白鳥」はさておき、「孤雁」はタイトルだけでもう既に哀調を帯びた趣を出していますが、前半の場面設定が五言ながら更に寂寥感を深めていますね。
承句の「唳声」は鶴や雁などが高く低く鳴く声ですが、「西風」「古沼」と合わさって、悲しげな声が耳に聞こえるようで、よく工夫をされていると思います。転句への流れも滑らかですね。
結句の「遺書」は「雁書」を押さえた言葉ですが、機知を働かせて無理矢理入れたという感も無きにしもあらず。
「孤雁」は友や仲間との別れを暗示し、それを転句の「尋群影」が十分に具体化していますので、そのまま雁の様子で完結しても良いのではないでしょうか。
「悄悄」のような感情を表す言葉は結句に持ってきて、例えば「残暮尋群影」(下三字は「群影を尋ね」と訓じ)のような形でどうでしょう。
2013.11.25 by 桐山人
作品番号 2013-277
脊振山
筑肥境隗絶峰攀 筑肥の境隗 絶峰を攀じ
萬里眺望史寰 万里眺望す 青史の寰
東意盛衰幺帝浦 東 盛衰を意ふ 幺帝の浦
西稱忠列露征灣 西 忠烈を称ふ 露征の湾
南愉欸乃豊穣海 南 欸乃を愉しむ 豊穣の海
北挫暴凌元寇艱 北 暴凌を挫く 元寇の艱
天地悠悠吪不變 天地悠悠として 吪して変わらず
死生千古四時環 死生千古 四時環る
<解説>
自宅の北方に、福岡と佐賀を分ける「脊振山(1054m)」がありますが、そこからの眺望(実際に、壇ノ浦や佐世保が見えるわけではありませんが)について作ってみました。
<感想>
拝見していて、九州は歴史の先鋭な場面にいつも遭遇していたのだなぁと実感しました。
詩の形としては律詩ですが、首聯と尾聯で意がよく表されていて、この四句だけでも絶句として成り立つほど、頷聯と頸聯の四句で挿入された具体例が、より一層スケールの大きな表現を生んでいると思います。
源平の合戦、日露戦争、元寇まではよく分かりましたが、五句目の「南愉欸乃豊穣海」は方角的に有明海でしょうか、「欸乃(あいだい)」は漁師の舟歌やかけ声、「愉」と来ましたので、この句だけは「史寰」からは外れるのですかね。何か歴史事件を私が忘れていたらごめんなさい。
ただ、逆に見ると、六句目も元寇を主眼に置くのではなく情景描写(印象風景)にすれば、頷聯と頸聯での変化が生まれ、詩の構成が変わってきますので、それも面白いかも、と読者としては思います。
2013.11.25 by 桐山人
作品番号 2013-278
神社廳松山支部神職総代懇親会席上(別府市)
薫風遍繞鶴山隈 薫風遍く繞る 鶴山の隈
南海祀官相計來 南海の祀官 相計りて来たる
宣揚神道焦眉急 神道を宣揚するは焦眉の急
共誓提携交酒杯 共に提携を誓って酒杯を交はす
<解説>
「鶴山(かくざん)」: 鶴見岳
転句について、神道は「清明心」を本旨となします。すなわち「清き明かき正しき直き心」や「諂(へつら)い欺く心なく忠(まめ)に赤き誠(正直)」をもって、人として卑怯で恥ずかしい生き方をするなというものです。
2013.11.1の朝刊に、文芸評論家の新保祐司氏の<明治の「すずしい精神」想起せよ>との御文章が目に留まりました。
それによると明治13年の甲州・東山道巡幸に際して、島崎藤村は大作『夜明け前』のなかで、
「従来深い玉廉の内にのみ籠らせられた旧習をも打ち破られ、帝自らかく国々に御幸し給い、簡易軽便を本として万民を撫育せられることは、彼(主人公の青山半蔵、投稿者注記す)にはありがたかった。」また「帝が群臣を従えてこの辺鄙な山里を歴訪せらるるすがすがしい光景は、街道を通して手にとるように伝わってきた」と藤村の著述を紹介し、「すずしい」とは澄んでいて清々しいという意味であり、本来の日本は「すずしい」国でなければならず、そういう国柄を取り戻さねばならないと提起されていました。
昨今も、大手ホテルチェーンはもとより、全国各地で「メニュー偽装」が発覚していますが、「清明心」を忘れた「黒き邪心」に日本人が冒されている証左です。
転句はそのような戦後相次ぐモラルハザードに対して、日本人が古来から大切にしてきた民族性への回帰を述べたものです。
<感想>
こうした詩は記録的な要素が強く、同行の方々の中では通じる話でも、外部の人には理解し難い面もあります。
「神道」はこのままでは明らかに和習ですし、一般の人が読めば突然の言葉にびっくりするでしょう。気持ちをどう伝えるかで表現への工夫が必要になりますね。
例えば、「神」を「直」や「正」に替えるだけでも随分印象が違ってくると思いますので、作者の気持ちとより合致する言葉を探してみてはどうでしょうか。
あるいは、「清心」なども考えられるでしょう。
2013.12.8 by 桐山人
作品番号 2013-279
憶少年・飲 酒
俳人欲賣, 俳人 賣らんと欲し,
詩人不買, 詩人は買はず,
歌人傾醉。 歌人は醉ひへ傾く。
三人愛韵事, 三人 韵事を愛し,
老人吟無罪。 老人 吟ずるに罪なし。
○ ○
笑酒店、飛聲章句美, 酒店に笑ひ、聲を飛ばせば章句美しく,
坐金秋、暮愁成倍。 金秋に坐せば、暮愁 倍と成る。
承歡大家喜, 歡を承(う)けて大家は喜び,
枕肱樗叟睡。 肱を枕に樗叟 睡(ねむ)る。
<解説>
買ふ俳人賣れない詩人歌ふ佳人
この句は、日本の詩歌界は、歌人は短歌、俳人は俳句、詩人は詩に、それぞれ一所懸命でお互いにあまり関心を持っていないナア、と思っているうちに、頭に浮かんだ句です。
これを漢語俳句に、ということで、次の作を詠みました。
七五令・無 題
俳人賣、詩人不買,佳人唱歌待。
○○仄,○○●仄,○○●○仄(中華新韵四開仄声の押韻)
俳人は賣り、
詩人は買はず,
佳人は歌を唱ひて待つ。
これをもとに、短歌を一首、詠みました。
俳人が賣らんとするも醉ひをれば詩人は買はず佳人は歌ふ 画蛇添足
そして、上掲の詞を得た次第です。詞ではありますが、前段の「人」字の多用や滑稽味は、曲を意識して詠んでいます。
「憶少年」の詞譜は次のとおりです。
憶少年 詞譜・雙調47字,前段五句兩仄韻,後段四句三仄韻
○○●●,○○●●,○○○仄。○○●●●,●○○○仄。
●●●、○○○●仄。●○○、●○○仄。○○●○●,●○○●仄。
仄:仄声の押韻。○:平声。●:仄声。
「、」は、当該八字句を上三下五に、七字句を上三下四に読むことを示す。
<感想>
詩歌とひとまとめに言っても、俳句も短歌も詩もあり、幅は広い。それは文化の多様性で、そのこと自体嬉しいことだと思っています。
ただ、鮟鱇さんの仰るように、現状としてはお互いにあまり関心を持っていないということも実感します。
かつては、平安期の貴族階層は詩歌管弦のたしなみが必須の教養であったようですが、やがて訪れた武士社会ではそんなゆとりは無くなったのでしょうか。俳句・短歌・漢詩を軽々と縦断した正岡子規の天才は別としても、そうした伝統は多少なりとも継がれていたのではないかと思うのですが。
それとも、原因はそんなに古くは遡る必要は無く、近代の俳句や短歌の結社の動きが影響しているのでしょうか。
私は国語を教えていた関係で、多少は俳句や短歌にも関心は持っていますが、自分が「作る」となるとハードルの高さを感じてしまいます。これは何なのでしょう。気恥ずかしさでしょうかね。
ある程度年齢も重ねてしまいましたので、何だって良いとは開き直れないところもあり、だからこちらの問題だけかもしれませんが、でもやはり門そのもののガードも堅いような気がついしてしまいます。
鮟鱇さんや英山さんが示してくださる短歌・俳句は、そんな私に勇気を与えてくれるようにいつも感じています。
鮟鱇さんの作詩の経過を読みましたが、俳句だけが「買ふ俳人」となって「買」という行為が成り立っていますが、他は「不買」で来ていますので、ここでは俳人は何を買ったのでしょうか。
2013.12.9 by 桐山人
俳句だけ「買ふ俳人」とした理由は、五七五にするためで、深い意味はありません。
「賣る俳人買へない詩人」というよりは、「買ふ俳人賣れない詩人」という方が、意味がスムーズに伝わると思いました。
俳人が何を買うかでは、季語集や句壇での名声や・・・ そのあたりを思っていただければ幸いです。
2013.12.12 by 鮟鱇
作品番号 2013-280
富士雨雪天飆
玄瀧不二雨涔涔 不二の玄瀧 雨
溪雪溶溶霑翠霖 溪雪溶溶として 翠霖を霑す
雲俄天飆雷韻瞬 雲は俄かに天飆 雷韻瞬く
遺風永世拝嶺岑 遺風 永世 嶺岑を拝す
<解説>
白糸の瀧に、雨が涔涔(しんしん)と降り注ぎ清らかな流れである。
谷の白雪は溶溶と流れ、麓の樹霖を霑おす。
雲は俄(にわ)かに天に飆(つむじ)をなし、瞬く遠雷は心地よく響く。
自然と文化の遺産や風習は永世(とこしえ)に継がれ、遙かに富士を拝す。
<感想>
起句は、読み下しに書かれたように「不二の玄瀧」の順には読めません。
となると、「玄瀧」と「不二」が単に並んでいるだけということになります。
せっかく「玄」つまり「黒々とした暗い」という形容をつけて瀧を描写したのに、「不二」が入ると視点が飛んで、作者は何を見ているのか分からなくなります。
転句は「俄」が平声ですので、平仄が合いません。また、「雲は俄かに天飆」では「雲が天飆になった」ということで分かりにくいですね。
雲と天飆の関係を示して「雲吼天飆」「雲去天飆」とするか、雲はひとまず外して「天飆」を中心にするかですね。
句末の「瞬」は稲妻が光ったことも含ませたいのかと思いますが、「雷韻」では音ですので、「瞬」では妙です。「響」の方が良いでしょう。
結句も「嶺」は仄声で、平仄が合いません。
「嶺」と「岑」はほぼ似た意味ですので、どんな「岑」なのかを説明すると良いでしょう。
2013.12. 9 by 桐山人
起句で漢字の挿入を間違えていました。富士の白糸の瀧を想って糸瀧(弦瀧)の心算でした。
失礼しました。
また、雨にちなんで、雨。雪。雲。雷。&霑。霖。と使ってみたわけですが?
また、転句、結句も平仄の間違いなど初歩的ミスで申し訳ありません。
何度も字句を入れ替えているうちに、平仄を見落としていました。
まだまだ、チェックも甘いようです。反省しております。
以下のように修正しました。
今後ともよろしくお願いします。
富士雨雪天飆
弦瀧不二雨涔涔 弦瀧 不二 雨涔涔
溪雪溶溶霑翠霖 溪雪 溶溶として 翠霖を霑す
雲吼天飆雷韻響 雲は天飆に吼え 雷韻響き
遺風永世拝扇岑 遺風 永世に扇岑を拝す
白糸の瀧に、雨が涔涔(しんしん)と降り注ぎ清らかな流れである。
渓谷の白雪は溶溶として、麓の樹木に翠(みどり)の恵みををもたらす。
雲は天に飆(つむじ)をなし、遠雷の響きも心地よい。
自然と文化の遺風は永世(とこしなえ)に続き、遙かに富士を拝す。
2013.12.10 by 岳泰
作品番号 2013-281
思郷
江寛舟小一帆斜、
客黙長思遙遠家。
夜半風多更雨急、
烏篷声響作沙沙
<感想>
陳興さんからは沢山の作品をいただきました。
少しずつ紹介をしていきましょう。
この詩は故郷を遥かに思うという主題ですが、最初の場面設定で、広々とした江に小さな舟、その舟の帆が傾いた情景が、旅人の不安定な寂寥感をよく表していますね。
転句からは、風も雨も加わって、一層思いを深くしているのもよく分かります。
結句の「烏篷」はとま舟で、黒く塗った覆いだから「烏」、「白篷船」もあるようですが、紹興の名物ですね。
「沙沙」は擬音語で、「カサカサと音を立てる」という意味です。
2013.12.10 by 桐山人
作品番号 2013-282
鎌倉大佛(其一)
鎌倉大佛風霜久、
銅銹斑斑七百年。
我趁天晴独来訪、
沿途処処有藍天。
<感想>
陳興さんは上海にいらっしゃいますが、日本でのお仕事もあり、よくお見えになっているようですね。
今回は鎌倉を遊ばれたようで、その関連の詩をご紹介しましょう。
同字重出は中国の方は問題にしないとのことですので、そのままで。
転句は「我」が必要かどうか、後ろに「独」もありますので、どちらかで十分な気がします。
旅の記録でもありますので、季節を表す言葉などを入れてはどうでしょうか。
結句の「処処」は「行く先々で」というくらいの意味でしょうね。
2013.12.11 by 桐山人
作品番号 2013-283
鎌倉大佛(其二)
坐禅偶有鳥飛来、
頭頂白雲時散開。
雲動疑為念経起、
藍天毎見即開懐。
<感想>
詩の解説として「作于鎌倉大仏傍樹下」と書かれていますので、起句の「坐禅」は大仏の姿、承句の「頭頂」も大仏の頭上と思うとつじつまが合うように思います。
転句の「念経」は読経と同じですが、雲が動くように読経が始まったということでしょうか。比喩だとして、ちょっとわかりにくく感じますね。
2013.12.11 by 桐山人
作品番号 2013-284
鎌倉大佛(其三)
大仏露天微閉目、
古都近海久吹風。
当年源氏鎌倉世、
都在坐禅思諸中。
<感想>
長い時の流れを見続けてきた大仏、という観点で描かれたものですが、確かに大仏の半眼のお顔を拝していると、すべてを包み込んでくれるような気持ちになりますね。
承句の「古都」の語が転句を呼び起こし、全体のまとまりも良い詩になっていると思います。
2013.12.11 by 桐山人
作品番号 2013-285
過鎌倉長谷寺
游人占満登山道、
飛鳥盤旋望海台。
今日天藍雲散尽、
古都山寺紫陽開。
<感想>
こちらは鎌倉の長谷寺を訪れた詩ですね。
全体に流れがスムーズで、そのまま素直に読み通すことができます。
前半のパノラマのような広がり、後半の青青とした空の下、紫陽花の鮮やかさが目に浮かぶようで、色彩豊かな結びも効果的だと思います。
鎌倉長谷寺は2000本の紫陽花が植えられているそうで、よい時期に行かれましたね。
2013.12.11 by 桐山人
作品番号 2013-286
庭前秋色
暁寒侵室破残夢 暁寒 室を侵して 残夢を破る
枕上早思霜雪憂 枕上 早くも思ふ 霜雪の憂
横看窓前楓葉色 横ざまに看る 窓前 楓葉の色
一宵染得数枝秋 一宵 染め得たり 数枝の秋
<感想>
読んだ時に、一瞬お身体の具合が悪くなったのかと心配しました。(その後にいただいた作品でお元気な姿を見、安心しましたが)
というのは、「枕上」とか「横看」という語からです。
通常、「庭前」を眺めるならば起き上がるなり、立ち上がるなり、多少でも庭に近づこうとするのですが、寝たまま眺めているということで、怪我でもされたかと連想したわけです。
そうではないとなると、この「横看」は、単に「横になって」ということではなく、どうも「横着して」というニュアンスなのですね。
孟浩然の「春暁」を彷彿とさせる詩ですね。
2013.12.11 by 桐山人
作品番号 2013-287
秋霖
秋霖悄々染庭柯 秋霖悄々として庭柯に染み
歳月寥々一客過 歳月寥々として一客過ぐ
不識吾来方行末 識らず 吾が来し方行く末
唯聞百舌雨中歌 唯聞く 百舌雨中の歌
<解説>
日本的表現の<来し方行く末>を漢文で<来方行末>とすることが可能かどうかわかりません。適切な語句が浮かばなかったので・・・。
歌はさえずるの意味で使ったのですが通用するかどうか?
<感想>
まず、「々」の踊り字は使わないようにしましょう。
これは、日本語表記に用いる符号であって、文字ではありません。漢字でないものを詩の中に一字として入れてはだめで、面倒でも「悄悄」「寥寥」と書くようにします。書き下し文は日本語ですので、こちらに使う分には問題視されません。
詩題である「秋霖」の寂しさが全体に統一された色調と成っていて、転句はちょっと疑問がありますが、他の句はどれも読んでいて違和感がありません。これは、用語の選択が良かったのだと思います。
平仄も転句以外は規則どおりで、整って来ましたね。
さて、問題は転句で、日本語の「来し方行く末」を「来方行末」で表せるか、とのことですが、これは無理です。「来方」はこちらに来ることで「将来」を示していますから、「行末」も「将来」、つまりどちらも未来を表してしまいます。まだ、意味を考えた「過去未来」の方が分かります。
詩語らしく持って行くならば、陶潜の『帰去来辞』にあった「已往」「来者」をアレンジしても良いでしょう。
もう少しはっきりさせる必要があるのは、「不識」ですね。
過去も未来も無い、時間を越えた心の状態を表しているのかとも思いますが、「だから何?」と突き詰めるとよく分からないのです。
作者の意図としては、直前の「歳月寥寥一客過」から考えても、「来し方行く末をあれこれと考える」のではないでしょうか。
それを「不識」としてしまったので、日本語で言っても「来し方行く末を識らず」ですので、何となくやけっぱちで「過去も未来も知ったことか」という印象にさえなってしまいます。
自分の心を詩も表現するのは難しい作業ですが、雰囲気に流されずに、丁寧に描写した方が伝わるものも大きくなります。
結句の「歌」は問題ありません。
2013.12.16 by 桐山人
指摘していただいた転句ですが、自分でもしっくりしていなかったので以下のようにあらためました。
勉強不足でいつも反省ばかりです。
遺墨室家声響莫 遺墨の室家声響なく
2013.12.25 by 哲山
作品番号 2013-288
浣溪沙・不覺兩朶涙成花
明月C陰落碧紗, 明月 C陰 落つる碧紗のごとく,(注1)
閑讀老樹對昏鴉。 閑に讀めば 老樹 昏鴉と對(つい)となる。
斷腸誰個在天涯。 斷腸 誰れか天涯に在らん。
○ ○
句裏人兒何似我, 句裏の人 何んぞ我に似,
鏡中影子怎如他。 鏡中の影 怎(いかで)か他(かれ)に如(し)くや。(注2)
不覺兩朶涙成花。 不覺にも兩朶の涙 花となる。
<解説>
(読み下し 注)
1. 明月C陰落碧紗: 月の光すなわち清影が、碧紗すなわち青いカーテンに影を落としている、という意味にもとれるが、C陰を清らかな夜の気配と読み、明月と夜の気配が碧紗を落とす、垂らす、という意味にとる。
2. 句裏人兒何似我,鏡中影子怎如他: 句裏人兒は馬致遠の「天淨沙」の作中人物。「鏡中影子」は鏡に映る私。「怎如他」は、反語で、
鏡中の私の(断腸の)思いは、「怎(いかで)か他(かれ)に如(し)くや。いや、如かず(及ばず)」
の意味。
なお、口語的表現「誰個」、「人兒」、「影子」は、誰、人、影のみを読み下した。
<感想>
今回の一地清愁さんの作品は鮟鱇さんが代理で投稿してくださいました。
一地清愁さんの詞を紹介したいことと、典故についても目を見張るものがあってのこととのこと、詳しくその説明も書いていただきました。
鮟鱇さんは解説としてお書きになったですが、感想の箇所に載せさせていただきました。
鮟鱇です。私は一地清愁さんの詞が好きで、学ぶこと、とても多く、その婉約な詞風には、しばしば度肝を抜かれます。
この「浣溪沙」では、詩の中で典故をどう生かすか、という点で驚きました。
みなさんに紹介いたしたく、一地清愁さんの承諾も得て代理投稿させていただきました。
さて、典故をどう扱うか、という点で、清愁さんの作の素晴らしさを理解できるかどうかは、
閑讀老樹對昏鴉。斷腸誰個在天涯。
この二句の典故がわかるかどうか、にかかっています。清愁さんの作は、次の散曲小令を典故としています。
天淨沙 元 馬致遠
枯藤老樹昏鴉,小橋流水人家,古道西風痩馬。夕陽西下,斷腸人在天涯。
枯れた藤 老いたる樹 昏鴉((夕べのカラス),
小さな橋 流れる水 人家,
古き道 西からの風 痩せた馬。
夕陽 西に下(お)ち,
斷腸(悲しいかな)人は天涯にあり。
この作、日本では詞曲は詩に較べ紹介される機会が少ないので、あまり知られていないかもしれません。
しかし、中国ではとても有名で、古典詩に親しむものであれば誰でも知っている、といっても過言ではない作品です。 そこで、清愁さんの作の典故が読者にわからないことはまずないのですが、 清愁さんは、馬致遠の天淨沙から次の言葉を摘んで自作の句に巧妙に組み込み、典故を明示しています。
老樹 昏鴉 斷腸 天涯
典故を示す、ということでは、この四語で十分といえば十分ですが、一遍の詞のなかで典故を用いることを自然なものとしているのが、 「閑讀」ニ字です。
清愁さんの『浣溪沙』の詞中の人物は、読む、という行為によって、馬致遠の『天淨沙』の世界に心をおきます。これにより、清愁さんの『浣溪沙』は、馬致遠の『天淨沙』を包みこむことになり、ふたつの作品が時空を越えて融合します。
この時空の融合があって、後段の頭二句の対仗が、生き生きと読者に伝わり、心を打つものとなります。
句裏人兒何似我,鏡中影子怎如他。
この対仗は、簡単にいえば、小説などを読んでいてその世界に引き込まれ、作中人物に感情移入して我を忘れる、ということを言っているのだ、といえないこともありません。そして、清愁さんの『浣溪沙』一篇は、読書がもたらす深い感動を主題としている、といってもよいのですが、そのためには、馬致遠の『天淨沙』と清愁さんの『浣溪沙』の世界が融合するさまが活写されなければなりません。
「閑讀」ニ字、それがその活写を実現していると思います。
しかし、詩の世界にひきこまれ、作中人物に感情移入して我を忘れる、というだけでは、馬致遠の『天淨沙』は素晴らしい作品だ、といっているようなもので、清愁さんがそれを『浣溪沙』を詠む意味がどれだけあるか、です。
作者として詞中の人物に何を託して詠むか、ということが残されています。
清愁さんが馬致遠の『天淨沙』を典故とすることで、何を詠もうとしているのか。それを窺い知ることができるのが、次の結句です。
不覺兩朶涙成花。
涙が花となる、という表現は、単に讀後の甘美な感傷を表現している、と読めないこともありません。
しかし、馬致遠の『天淨沙』を典故としている背景には、故郷の北京から遠く離れた天涯である東瀛(日本)で暮らす清愁さんの 思いがあるのかもしれない、と私には思えます。北京云々は作品には詠まれていないので、そこまでは言えないとしても、 遠く故郷を離れて天涯に身を置く愁いが、詞中の人物の思いである、ということはいえ、感慨深い、美しい作品になっていると思います。
さらに、読者としての私には、「兩朶」という言葉には同じ樹から延びる二本の枝が暗示されており、 その枝に咲く花のひとつは、馬致遠の『天淨沙』であり、ひとつは清愁さんの『浣溪沙』である、そのようにも思え、感服した次第です。
最後に、浣溪沙の詞譜を紹介しておきます。
浣溪沙 詞譜・雙調42字,前段三句三平韻,後段三句兩平韻
▲●△○▲●平,▲○△●●○平。 △○▲●●○平。
[△●▲○○●●,▲○△●●○平。] ▲○△●●○平。
○:平声。●:仄声。 平:平声の押韻。
△:平声が望ましいが仄声でもよい。▲:仄声が望ましいが平声でもよい。
[ ]:対仗に作る。
2013.12.17 by 鮟鱇
作品番号 2013-289
訪大宰府天満宮
澄旻筑紫詣菅宮 澄旻 筑紫 菅宮に詣づ
緬想京師謫所空 京師を緬想せる謫所空し
堪聴詩編断腸賦 聴くに堪ふ 詩編 断腸の賦
飛梅堂塔一輪風 飛梅の堂塔 一輪の風
<解説>
澄みきった秋空天満宮を訪ねる、想い浮かぶは道真公の罪無き左遷が空しい、聞くに耐えず・・・
道真公と飛んで着た飛梅は今も一輪の風を起してる。
台風27号の予報を気にしながら西九州を旅しました。
其のお蔭か道中晴天に恵まれました。
大宰府天満宮では道真公が何故神に祀られたか?
死後100年間、世相を反映した道真公の祟りが烈しく、一条天皇が太政大臣を与えて、北野天満宮に行幸し道真公の供養をしたとのことです。
<感想>
澄朗さんはお久しぶりです。今年の新年漢詩を1月にいただいた以来、世界漢詩同好會などのご案内を送っていたのですが、何故か澄朗さんのメールアドレスが認識されず、いつも戻ってきていたのです。(実は、今回のメールに返信しても、同様に戻ってきてしまうのですが、妙ですね)
アドレスを替えられたのか、体調を崩されたのかと心配もしていました。
作品はよく練られていて、転句の「断腸賦」も道真公の詩を素直に想起させ、典故らしさを感じさせない表現ですね。
ただ、承句の「緬想」の主語は道真公、起句の「詣菅宮」は作者、転句の「堪聴」も作者ですので、承句と転句を入れ替える形にすると、前半と後半のそれぞれにまとまりが生まれるかと思います。
太宰府天満宮の飛梅の写真も添えていただきましたので、載せておきましょう。
※読み下しは桐山人が施しました。
2013.12.17 by 桐山人
作品番号 2013-290
黄檗山萬福寺
版魚黄檗彩雲中 版魚 黄檗 彩雲の中
布袋普茶心有充 布袋の普茶 心は充に有り
五偈昇平残月影 五偈 昇平 残月の影
伽藍憶昔似故宮 伽藍 昔を憶へば 故宮に似たり
<解説>
1654年中国福建省から渡来した隠元禅師が徳川将軍家綱公の尊崇を得て1661年開創された寺院。黄檗宗では17世紀の明代の法式梵唄継承しているそうです。
<感想>
澄朗さんからもう一首いただきました。
起句の「版魚」は「魚板」のこと、禅寺で時を告げるために叩くとされていますね。
私の記憶では、黄檗山では大きな「魚板」が本堂に通じる回廊に吊してあったので、「彩雲」を背景にして見ることは難しいように思いますので、これは目で見た「魚板」ではなく、叩いた音が空に響いていたということでしょうか。
それとも、季節から考えて「彩雲」は比喩しているのでしょうかね。
「五偈」は「五観の偈」、食事前に唱える偈が聞こえてきたんでしょうね。
結句の「故」は平仄が合っていませんので、ここは修正が必要です。
黄檗山の写真も添えていただきましたので、載せておきましょう。
2013.12.17 by 桐山人
作品番号 2013-291
称野茂 野茂を称ふ
球界雄魁浪速生 球界の雄魁 浪速の生れ
走塁投打正縦横 投打に走塁 正に縦横
報知米国殿堂入 報知 米国 殿堂入り
日本男児當世英 日本男児 當世の英
「浪速」: 大阪。
「正縦横」: 自由自在。
「當世英」: 優れた人。
<解説>
野茂英雄の米国野球殿堂入りが報ぜられる。
野球の本場米国に単身乗り込み日本選手の米国での魁として道を開いた功績大なりと。
<感想>
野茂投手の日米での功績については、衆目一致で認めるところ。
その彼が本場アメリカでの野球殿堂入りの候補にあげられたというニュースはとても嬉しいものでした。
決定はまだ新年になってからのことのようですが、期待して待ちたいですね。
承句の読み下しは「走塁 投打 正に縦横」でしょうね。
2013.12.17 by 桐山人
作品番号 2013-292
紅暾峡谷 紅暾の峡谷
誇示権威城闕屏 権威を誇示す 城闕と屏
駢闐仏像亦街形 駢闐せる仏像か 亦は街形
隆高浸蝕億千歳 隆高浸蝕 憶千歳
万化紅暾祇廟霊 万化紅暾 祇に廟霊
<解説>
アメリカ・ユタ州からアリゾナ州にかけてのグランドサークルを眺めそして歩いた。どこも例えようもないくらい広大な展望で素晴らしかった。
その中でも 朝日を受けて刻々と変わるブライスキャニオンの眺めが印象に残る。
何億年という年月をかけての隆起・浸蝕・変成を重ね、今眼前の峡谷にある奇峰、奇岩、そこに朝日が射す。
権威を誇示する王城か、居並ぶ仏像か、はたまた近代のビル群か、陰影によって変化する姿は まさに神々のなす仕業のようだ。
<感想>
早速インターネットでブライスキャニオンの写真を見てみました。
円形劇場のような国立公園に林立する土柱、そのどれもが浸食によって様々な形になっていて、面白いと言うか、すごい景色ですね。実際にご覧になった茜峰さんの感激が分かる気がしました。
前半の二句を使って示された「城闕」「屏」「仏像」「街形」は、単なる比喩としてではなく、作者が見て感じたことを語ろうとしたのでしょう。朝日に刻々と変化していく推移まで描こうという意図が伝わってきます。
「万化」の前、例えば転句あたりに「城闕群楼仍仏像」などと列挙しがちなところを、丁寧に描かれていると思います。
「街形」はちょっと分かりにくいかな、という気がします。
結句の「廟霊」で「神々のなす仕業」の意味にとれるかは疑問なのと、ここにまた比喩が来るのも気になります。
「万化天工依燿霊」のような(「依」は「暁」でも良いかと悩んでいますが)表現にした方がすっきりするように思います。
2013.12.24 by 桐山人
作品番号 2013-293
秋日即事
蝸舎迎秋易養痾 蝸舎秋を迎へて 痾を養ひ易し
鯉魚風爽陰雲過 鯉魚風爽やかに陰雲過ぐ
路頭釈担呼行貨 路頭担を釈きし行貨を呼び
好買橘包甘味多 好し橘包を買へば甘味多し
<解説>
「路頭釈担」は行貨のことで、「呼行貨」は作者ですが分かりにくいでしょうか。
<感想>
「分かりにくいでしょうか」とのご質問ですが、確かに悩ましいですね。
「路頭釈担」は「道ばたで荷を下ろした」ということで「行貨」(行商)に懸かっていくはずで、丁寧な書き方をすれば「行貨路頭釈担、(我)呼行貨(行貨は路頭に担を釈き、我はその行貨を呼ぶ)」となるか、「(我)呼路頭釈担行貨(我は路頭に担を釈きし行貨を呼ぶ)」となるところでしょう。
原文ですと「我」が無いので、「行貨が行貨を呼ぶ」、あるいは「私が路頭で一休みして行商を呼んだ」という読み取りになる感はあります。
でも、最近は行商もあまり見られなくなった懐かしい風景で、結句の「好」が生活感のある味わいを出していて、最終的には転句の誤解は解消されるように思います。
承句の「鯉魚風」は「秋風」「陰暦九月の風」ですね。
2013.12.24 by 桐山人
作品番号 2013-294
雨中輪行越鍵掛嶺従伯耆入備後
雨中輪行して 鍵掛嶺を越え 伯耆より備後に入る
銀輪三日繞雲丘 銀輪 三日 雲丘を繞れば
至処寒霖涵晩秋 至る処の寒霖 晩秋を涵す
風渡暁林楓葉尽 風は暁林を渡りて 楓葉尽き
霧蔵昏嶺鹿鳴幽 霧は昏嶺を蔵して 鹿鳴幽かなり
消魂切唱亦奇句 消魂 切に唱ふ 「亦奇」の句
凍骨空思偏好婾 凍骨 空しく思ふ 「偏好」の婾
鍵掛疆辺雨移雪 鍵掛疆辺 雨 雪に移り
乱飛雪下入薇州 乱飛の雪下 薇州に入る
<解説>
11月中旬の三日間、自転車にテントを積んで中国地方の脊梁山脈を縫うように走ってきました。
あとの二日はあいにくの雨だったのですが、「雨も亦奇なり」と呪文のように唱えながら走りました。
「亦奇」「偏好」: 蘇軾の詩より 「雨亦奇、晴偏好」
「薇州」: 吉備は黄薇とも書いたようです。
<感想>
禿羊さんからは、最初七言絶句でいただきました。
銀輪三日往雲丘 銀輪 三日 雲丘を往けば晩秋の山の様子をより詳しく描こうという意図で、対句二句を挟んだという形ですが、山中の風景、作者の心の様子も具体的に感じられ、特に頸聯は作者の走っている息づかいが聞こえてくるような印象です。
到処寒霖涵暮秋 到る処の寒霖 暮秋を涵す
鍵掛峰辺雨移雪 鍵掛峰辺 雨 雪に移り
乱飛雪下入薇州 乱飛の雪下 薇州に入る
「婾」の韻の間違い、まことに軽率でした。汗顔の至りです。
考えあぐねて「婾」を使ったのですが、さあ困った。どう対句を作ろうか?
蘇軾の詩には「晴方好」と「晴偏好」の二本があるようです。多分最初に読んだ本のためでしょうか、個人的には「偏」に馴染んでいたのですが、マイナーだったようです。ここは素直に「雨奇」「晴好」を使った方がよかったようです。
ご批判のすべてに対応出来ておりませんが、とりあえずは韻の踏み落としを逃げるため、後半部分を以下のように改めました。
消魂切唱雨奇句
凍鳥空思晴好謳
鍵掛疆辺気厳冷
乱飛雪下入薇州
2014. 1.18 by 禿羊
作品番号 2013-295
終戦回顧
回頭六十有余年 首を回らす 六十有余年
漠聴玉音炎熱天 漠として聴く玉音 炎熱の天
戦後復興誰夢也 戦後の復興 誰が夢みんや
蒼桑一変成熟田 蒼桑一変 成熟の田
<解説>
小学六年焦土と化した我が家で天皇陛下の玉音を聞きました。
正直なところ雑音で何も解りませんでした。
終戦記念日のニュースを見て当時を回想しました。
<感想>
終戦から間もなく七十年になろうとしています。ただでさえラジオの音も聴き取りにくかったようですから、玉音放送も小学生では「漠聴」という感じだったかもしれませんね。
当時のことでよく聞くのは、「玉音放送は何を言っているのかよく分からなかったが、夏の大空の青さだけは覚えている」という話、承句はまさにそんな場面を表していますね。
転句の「夢」は「想」とした方が和習の非難は避けられるでしょう。
結句は「蒼桑の変」をひとひねりしたもの、「蒼桑」の「蒼」は「蒼い海」のことですので、この句の意味は「蒼い海も桑畑も一変して、青青と実った田になった」、うーん、つまりは経済的に豊かになったということでしょうか。
この句は二六対が乱れていますので、再考されると良いでしょう。
「桑田変成海」は劉庭芝の「代悲白頭翁」の一節でしたね。
2013.12.25 by 桐山人
作品番号 2013-296
登竹田城跡
登来濘径立山巓 濘径(ねいけい)を登り来たり 山巓に立つ
石塁空濛霊気纏 石塁 空濛として 霊気纏ふ
往事盛衰今夢幻 往時の盛衰 今や夢幻
廃墟不語寂寥眠 廃墟は語らず 寂寥として眠る
<解説>
待望していた天空の竹田城跡へ登った時の感想を作詩しました。
秋雨に霞む城跡は幻想的な感じを受けました.
<感想>
天空の竹田城は雲海に浮かび上がる姿がよく知られていますが、秋雨に霞む姿も趣があるでしょうね。
承句の「空濛」の薄暗さが雰囲気をよく出していると思います。
転句もすっきりしていますし、結句は「寂寥」がやや言い過ぎかという気もしますが、結びとしては収まりが良いでしょう。
全体によくまとまった詩だと思います。
2013.12.25 by 桐山人
作品番号 2013-297
消防団百二十年・自治体消防六十五周年記念式典
千載功勲雲錦裳 千載の功勲 雲錦の裳
馳来精鋭氣軒昂 馳せ来たる精鋭 気軒昂たり
應傳後世消防志 応に後世に伝ふべし 消防の志
團結更新歓滿堂 団結更に新たにし 歓び堂に満つ
<解説>
去る11月25日、天皇皇后両陛下のご臨席のもと、全国から消防職員、消防団員、消防関係者3万7千人が東京ドームに集いました。
5年に一度の式典で私は4回目の参加です。
長い消防の歴史の中では一瞬かもしれませんが、消防に身を置くことのできた喜びを噛みしめました。
<感想>
五年に一度の式典で4回目の参加ということですから、式典の関係だけでも二十年ということになりますね。
長年のお努め、ご苦労さまでした。
起句の「千載」は喜びの気持ちを表したものでしょうが、ちょっと強調しすぎかもしれませんね。
結句は「団結」が「更新」は妙、団結して何を「更新」するのかが不明、「新」を用いるなら「団結心新」ですが転句に「志」がありますので、「更堅」というところでしょうか。
2013.12.28 by 桐山人
作品番号 2013-298
愛媛縣神社廳松山支部大分縣護國神社正式参拝
颯颯薫風積水前 颯颯薫風 積水の前
栄山新緑養花天 栄山新緑 養花の天
祀官拝跪泰平禱 祀官拝跪して泰平を祷る
莫忘干戈霊廟前 忘る莫かれ 干戈 霊廟の前
「栄山」: 神社鎮座の山を松栄山という
<解説>
起句の緑鮮やかな初夏の姿、「養花天」は春を表す言葉ですので、少しずれがありますね。丁度何かの花が満開だったのでしょうか。
後半からは戦禍の過ちを繰り返さないために、祀官の皆さんが泰平を祈る、という後半の場面は鮮明で、お気持ちがよく伝わってきますが、その導入として「栄山」が承句に入れられているのが効果的でしょう。
2013.12.28 by 桐山人
作品番号 2013-299
別府温泉
蒸気濛濛古渡涯 蒸気濛濛 古渡の涯(みぎわ)
淙淙湧出浴場奢 淙淙湧出 浴場奢(しゃ)なり
泉都別府轟天下 泉都別府は天下に轟(とどろ)き
旅客癒痾埋熱沙 旅客 痾(あ)を癒(いや)さんと熱沙に埋もる
「痾」: 病(やまい)だが、ここでは職場などのストレス程度
「別府海浜砂場」
<感想>
すっきりとした詩で、別府温泉の湯気がこちらまで漂ってくるようですね。
私も数年前に九州に行ったついでに、別府温泉の砂湯に入ってきました。
借りた浴衣で横になり、砂をかけてもらって首だけを出していると、背中の方からだんだんと熱さが伝わってきて、まったく「癒痾」という言葉通り、ぬくぬくとした暖かさ、ちょっと熱すぎるくらいが気持ちよかったですね。
別府から横断して湯布院に抜けて行ったのですが、山中のそこここに見える湯煙は、これまたサラリーマン金太郎さんの仰る「泉都」にふさわしい景色でした。
その時に詩を作り損ねていましたので、今回拝見して、「なるほど、この通りだ」という気持ちで、驚嘆とちょっと悔しさの気分です。
2013.12.28 by 桐山人
作品番号 2013-300
参加全漢連記念行事
江戸漢詩訪旧蹤 江戸 漢詩の旧蹤を訪ぬ
何縁騒客此相従 何の縁ぞ 騒客 此に相従ふ
岳堂朗詠拝聴裡 岳堂の朗詠 拝聴の裡
墨水船中雅趣濃 墨水の船中 雅趣濃かなり
<解説>
全漢連創立記念行事にとして、岳堂先生江戸漢詩の旧跡を訪ねる一日バスツアーに参加して。
第二陣は東京近郊の騒客。
<感想>
三月の折のバスツアーは県外からの参加者を優先ということでしたので、私も加わって来ました。
満開の桜を満喫させていただき、胸の奥の方で多少は、東京近郊の会員の方々には申し訳ないなぁとも思っていました。
ということで、第二陣があったのですね。
起句は語順としては「訪」の字が合わないのですが、句の意味としては分かりますね。
転句は「岳堂」では呼び捨ての形になりますので、名前を入れない形で、「朗詠」を膨らませるような表現が良いでしょうね。
2013.12.28 by 桐山人