2012年の新年漢詩 第31作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-31

  新年偶成        

八十四齢辰歳男   八十四齢 辰歳の男

依然無恙似終南   依然 恙無く 終南に似たり

敖遊自笑天生癖   敖遊 自ら笑ふ 天生の癖

頑守清貧在小菴   頑なに清貧を守りて 小菴に在り

          (下平声「十三覃」の押韻)






謝斧さんから感想をいただきました。

 佳哉
 先生最古参、詩意甚軒昂。
 老尚存気概


2012. 1.26               by 謝斧























 2012年の新年漢詩 第32作は 偸生 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-32

  幽棲即事        

讁處柴荊有小歡   讁處の柴荊 小歓有り

山肴雜雜恣盛盤   山肴は雑々 恣に盤に盛る

牀頭巻帙聊狼藉   牀頭の巻帙 聊か狼藉

耽讀遄遺白日寒   耽讀 しばしわする 白日の寒きを

          (上平声「十四寒」の押韻)



























 2012年の新年漢詩 第33作は 豊邨 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-33

  新年        

去歳尾南風雪舞   去歳 尾南 風雪舞ひ

今春三北氷萼開   今春 三北 氷萼開く

硯田人世何常定   硯田 人世 何ぞ常に定まらん

纔喜香華往復來   纔に喜ぶ 香華の往き復た来たるを

          (上平声「十灰」の押韻)



「尾南」: 尾州の南部
「三北」: 三河の北部


























 2012年の投稿詩 第34作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-34

  不丹國雷龍王五世辱來駕有感  
    不丹(ブータン)国雷竜王五世の来駕を辱(かたじけな)ふして感有り  

相伴王妃上紫宸   王妃を相伴ふて紫宸に上り

歡迎皇室懇交親   歓迎の皇室 懇(ねんごろ)に交親す

彼國龍旗示人格   彼(か)の国の竜旗は人格を示すと

震災慰問表深仁   震災慰問され深仁を表す

          (上平声「十一真」の押韻)





<解説>

 平成壬辰 謹賀新年

 平成二十三年十一月十五日、国賓としてブータン国王・王妃両陛下が来日され、あまねく震災で打ちひしがれる日本国民を大いに励まし勇気づけていただき、被災地をはじめ各都市をご訪問になられて両国の親善を図り、ご帰国になられたのはみなさんご案内の通りです。
 かの国はGNP国民 総生産よりも、GNH国民総幸福を目指しているということで、まさに「幸せの国」で世界に知られています。

 来日直後からマスコミがそのご動静を伝えると、ネットや新聞の読者投稿欄が大反響!両陛下の慈愛に満ちたお言葉や、そのまなざしに日本列島賞賛の嵐につつまれました。
 特に話題となったのが、被災地の小学校を訪ねられて児童に諭された「龍の話」。
 震災以降数多の政治家や有名人が被災地を訪問されたが(それはそれで尊いこと)、月並みに「お気持ちをしっかり持って、頑張ってください。体に気を付けて、ではさようなら」的な慰問が大半であった中で、「龍」になぞらえた今回のお言葉には、被災民ならずとも大いに勇気づけられ感涙の涙にむせんだことでしょう。

 私自身もその一人にほかならず、職場の師走朝礼での2分間スピーチで、このエピソードを引用させていただき、「いよいよ年の瀬となりましたが、課員一同の心の内なる龍を鼓舞躍動させていただいて、つつがなく仕事納めのその日が迎えられるよう、今日一日がんばりましょう」と結ばせていただきました。
 そこで、時あたかも辰年の新年を迎え、私の投稿のトップにこの詩を掲げた次第です。

 年頭に当たり、当ホームページのますますのご隆昌と、鈴木淳次先生はじめ門下各位のご健康とご多幸をお祈りいたします。
 今年もよろしくお願いします。

★関連サイト&ドブログ

「龍のお話」ブータン国王が日本に残した深イイ話・メッセージ - NAVER まとめ
人格という名の竜――ブータン・ワンチュク国王根岸冬生・南の島の幻住庵記

<感想>

 国民の九割が幸せと感じている国、ということで、一躍、時の人となった感があります。国王ご夫妻も新婚旅行を兼ねての日本訪問だったと思いますが、見るからに「幸せ!」という印象で、昨年一年間、災害に苦しんでいた私たちは、ほっと救われるような気持ちになれましたね。

 サラリーマン金太郎さんの詩を拝見し、改めてご夫妻の笑顔を思い出しました。

 起句と承句で主語が変わっていますが、ここはご夫妻の様子で通した方が全体のまとまりが出ると思います。「王妃」「皇室」という対比を生かそうとされたのでしょうが、ニュースを読んでいるようで、説明的な印象がします。
 来日後の国王ご夫妻を丁寧に追っている詩ですので、ご夫妻を画面の中心に据える形で統一する方向でいかが?、とは思いますが、ただ、それほど強い違和感があるわけではありません。

 難しいなぁと思うのは、こうした詩の場合、出来事を並べていくだけでも句が埋まってしまい、作者の感動がどこにあるのかがぼやけてしまうことです。
 「龍」の話が主なのか、「慰問」したことが主なのか、そうしたことを考えると、いっそ前半は、来日から慰問へとすぐに展開しておいて、後半はその慰問の折の出来事(龍の話)へと進む構成が、主題を明確にするかもしれませんね。




2012. 2. 5                 by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第35作は 芳原 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-35

  賦雨暘        

春色平蕪遍   春色 平蕪に遍く

東風漸踏青   東風 漸く青を踏む

雨暘啼鳥賑   雨暘 啼鳥の賑はひ

芳酒不能醒   芳酒 醒むること能はず

          (下平声「九青」の押韻)





<解説>

 果てしない荒野にも春が来た
 温かい風が吹いて芽吹いたばかりの畑をうきうきと歩き回る
 雨がふっても晴れても鳥たちの鳴き声は明るくて賑やかだ
 これじゃ一杯やりたくなっても無理なかろうて



<感想>

 「雨暘」は「雨天と晴天」、題名から予想すれば、内容は雨の時の情景と晴れた時の情景とが描かれるだろうと予想しましたが、外されましたね。
 内容的には、春の訪れを喜ぶ気持ちが主体ですので、題名にも「春」の字が欲しいところです。

 ただ、全体の流れを見ると、転句が何故必要なのか疑問です。
 解説を読むと「鳥たちの鳴き声は明るくて賑やか」と春の趣の一面として出されたことがわかりますが、転句をそのまま読めば、「雨でも晴れでも(つまり、いつでも)鳥がたくさん鳴いている」と言うだけで、お酒を飲む理由にはなりません。
 どうしてもつなげるとなると、「年がら年中。鳥がうるさいから、酒でも飲んで気を紛らすしかない」と解釈せざるを得なくなり、酒飲みが言い訳しているような感じになってしまいます。
 「雨暘」は使いたい言葉かもしれませんが、本筋の鳥の声を生かすならば、ここは「春」が感じられるような言葉、ありきたりかもしれませんが「南枝」くらいの言葉にした方がつながりが良くなります。
 「雨暘」は承句あたりに使えば、それはある程度可能でしょうね。



2012. 2. 5                 by 桐山人



芳原さんからお返事をいただきました。

 ご多忙の中私のためにご指導下さる先生に心から感謝とお礼を申し上げます。
ありがとうございました。

 先にお送り致しました拙作「賦雨暘」を先生のご指導を頂戴して次のように改作致しました。 一歩また先生に近付けたような気がして嬉しくなります。


    春宵駘蕩(推敲作)
  春色平蕪遍   春色 平蕪に遍き
  雨余初踏青   雨余 初めて青を踏む
  一村無一事   一村一事無く
  芳酒不能醒   芳酒醒むること能はず



  遠く広がる平野にも漸く春が来た。
  雨上がりを待ちかねて萌え出たばかりの青草を踏んで歩き回る。
  村には何ひとつ変わった事もない 穏やかな明け暮れだ。
  これじゃ一杯やりたくなっても無理なかろうて。



2012. 2.17        by 芳原


 「雨余」を承句に置いたことで、前半のまとまりが良くなり、転句の視点転換も滑らかになっています。
 このくらいの書き方の方が、結句の軽やかさが生きてきますね。

 ただ、題名は詩の内容と全くそぐわないので、どうして直されたのか。疑問になりました。



2012. 2.19              by 桐山人




















 2012年の投稿詩 第36作も 芳原 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-36

  春日訪梅花        

春風萌野色   春風 野色萌え

紅蕾数枝開   紅蕾 数枝に開く

鶯語花顔路   鶯語 花顔の路

将香万朶梅   将に香らんとす 万朶の梅

          (上平声「十灰」の押韻)





<解説>

 春の風が吹いて野原一面青みを帯びて来た
 梅の蕾が膨らんでもう咲き始める
 鶯が鳴き始め野道のそこここには気の早い花見客が散策している
 見渡す限り花を開かんばかりの梅の木は早々と香りを放っている



<感想>

 こちらの詩は、梅の花で統一されていて分かりやすいですね。
 逆に、やや重複するところも見られますので、部分的な修正をすれば、すっきりした詩になると思います。

 具体的には、承句と結句です。結句の方に香りを持ってきたのは変化があって良いのですが、「数枝」「万朶」では矛盾した表現に感じます。数詞はどちらかで良いでしょう。

 また、承句で梅を出し、結句でまた梅となると、前半と後半が同じような展開になり、詩が切断されているように感じます。前半はぐっと我慢をし、後半で「梅」を示すのが穏当でしょうね。


 また、転句の「花顔」は、「(化粧をして出かけてきた)きれいな女性」=「花見客」ということで、「花」を見に来た「花顔の人」という言葉の面白さを狙ったのか、あるいは、前半と後半を「花」をキーワードとしてつなごうという狙いなのか、効果がよくわかりません。
 「花」の字はこの詩の主眼である「梅」に使うべきで、脇役の見物客に使う必要はなく、「花」の字が主役の存在を弱めているように感じます。

 「笑顔」「酔顔」としておけば、無理がないところだと思います。
 私ならば、花見客も含めて「春になっての人の動き」を承句に持っていき、転句は鶯のことに絞って表現する形にするでしょうね。



2012. 2. 5                 by 桐山人



芳原さんからお返事をいただきました。

ご多忙の中私のためにご指導下さる先生に心から感謝とお礼を申し上げます。
ありがとうございました

 先にお送り致しました拙作「春日訪梅花」は、先生のご指導を頂戴して次のように改作致しました。

    春日訊梅花 
  春風萌野色   春風 野色萌えんとす
  老若訪花回   老若 花を訪ねてめぐる
  鶯語煙霞外   鶯語 煙霞の外
  将香万朶梅   将に香らんとす 万朶の梅

  春の温かい風が吹いて野原一面青みを帯びて来た
  村の年寄りから子供まで嬉しそうに花を探して歩き回る
  鶯の鳴く声が春霞の向こうから聞こえてくる
  見渡す限り花を開かんばかりの梅の木はもう辺り一面に香りを放ち始めた



2012. 2.17            by 芳原



 こちらは、五言絶句らしい詩で、ひとまずは、まとまりのある形になったと思います。
 更に推敲を進める形で言えば、承句の「老若」はここでは散文的で、あまり面白くありません。「老いも若きも」と客観的に描くよりも、「私は」と自分自身の行為とした方が臨場感も増すでしょう。
 同じく承句の「訪花回」も、ここで「花」を出しては、前回と同じで、結句の表現があまくなります。「花」の関係で承句と結句のつながりが強くなりますと、転句の「鶯語」の役割も疑問になります。
 承句を更に練ってみると良いでしょう。

 なお、起句の読み下しは「春風 野色萌え」としておいた方が良いですね。



2012. 2.19            by 桐山人























 2012年の投稿詩 第37作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-37

  寄龍王山霞瀧晃恩寺     龍王山霞ヶ瀧晃恩寺に寄す   

霞瀧山麓百墳泯   霞ヶ瀧 山麓 百墳泯ぶ

苔石無名客恨頻   苔石 無名 客恨頻りなり

往時幾度襲干魃   往時 幾度か 干魃襲ふ

八大龍王護鄙民   八大龍王 鄙民を護る

          (上平声「十一真」の押韻)





<解説>

 寺伝によると、寛政元年(1789)飢饉に見舞われた野芥村民のために雨乞いが行われた。それが晃恩寺の前身である。
 「野芥」なる地名は古く、和名抄に「早良郡能解郷、訓能計。今、田隈村是なり、大字野芥存す」と記されている。

 当地(福岡市早良区大字野芥)には、通称「野芥百穴」と称されている古墳時代の円墳遺跡がある。福岡市埋蔵文化財課の資料には「駄ヶ原古墳群」、「霞ヶ瀧古墳群」及び「油山古墳群」として記録されているが、それらの殆んどが原形を留めていない。壊れた玄室の天井石か、或いは側壁の石組みか、大きな石塊が無造作に散在しているのみである。

「八大龍王」: 「天龍八部衆」の中で、特に八大龍王が雨乞いの神として深く信仰されている。

    跡形も無き百墳よ眠る山

<感想>

 先日の二月四日、私の学校での創作漢詩発表会の後、わざわざ九州からおいでになった兼山さんと、静岡からお越しの常春さんと三人で、名古屋で小宴を開きました。
 常春さんはその日の高速バスで帰られたので早めに出られたのですが、その後は兼山さんと漢詩のことやこれからのサイトのあり方など、色々な話をしました。
 楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうもので、気がついたら夜の九時過ぎ、宴を始めてから四時間ほど、ずっと歓談を続けていたことになります。
 兼山さんも常春さんも私よりも随分人生の先輩になるわけですが、漢詩という点では仲間であり、同志という感じで、年長者への礼も欠いたまま楽しく過ごしました。

 みなさんも、名古屋にお越しの節はご一報ください。時間が取れれば、馳せ参じます。

 さて、兼山さんの今回の詩は、お寺に奉納した漢詩ということですので、そういう点では後半の記述は的を射ていると思います。
 気になるとすれば、承句の「客恨」で、これは作者の感懐を出したのだと思いますが、「客」がまず不要ですし、ここで感懐を出してしまうと、詩がここで完結してしまう感が強くなります。

 前半と後半のつながりが直接的には無いところでもあり、「千歳眠」くらいで、長い時間が過ぎたことを示しておくと、「往事」への流れが出るかと思います。



2012. 2.10                  by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第38作は 洋宏 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-38

  初打     初打ち   

新年祝酒熱情加   新年 祝い酒 熱情加はる

忘我打球陽未斜   我を忘れて打球 陽未だ斜めならず

想到故郷童子頃   思い到る 故郷 童子の頃

熱中遊戯不帰家   熱中 遊戯 家に帰らず

          (下平声「六麻」の押韻)





<解説>

 正月3日 ホームコースの宇治CCの新年杯競技に参加しました。
 新年と言う事でゴルフ場の玄関で枡酒を振舞われます。
 いつもの仲間とゴルフに熱中していると、子供の頃遊びに夢中で「まだ家に帰りたくないな〜」と思ったことを思い出しました。

<感想>

 そうですね、子どもの頃は時間の経つことなど考えもせず、いつまでも遊んでいましたね。
 そのなごりか、私の場合には、お酒を飲むとやはり時間を忘れてしまう癖が残ってしまっていますが・・・

 起句の「熱情」は妙です。ゴルフに来たという場面ですので、グリーンの様子とか、屋外の雰囲気を出すようにした方が良いでしょう。
 今のままですと、承句の「打球」だけがポツンと浮いています。

 また、承句の「忘我」は味の無い言葉で、プレーに夢中になっている様子を表す工夫をして欲しいところです。
 意味合いとしても、結句の「不帰家」を呼び起こしてしまいますので、効果が薄れてしまいます。

 結句はストレートな表現ですが、「熱中遊技」「不帰家」は同じことを言っているわけで、繰り返しの印象が残ります。
 下三字を「不回家」としておいて、上四字を検討してみてはどうでしょうか。



2012. 2.10                  by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第39作は 劉建 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-39

  春節        

雞鳴而起貼宜春,   鶏鳴き 而して起きて 宜春を貼り

爆竹庭前墨色新。   爆竹する庭前 墨色新た

電話漏聞懷往事,   電話の漏聞に 往事を懐ひ

家ク笑則福祥臻。   家郷笑はば 則ち福祥臻(いた)る

          (上平声「十一真」の押韻)





<解説>

 以前、世話になった山東省莱西市の村を想像して作詩を試みました。
 春節に帰れない家族と電話で通じることが多くなった昨今の中国農村の風景です。


「雞鳴而起・庭前爆竹」: 『荊楚歳時記』の正月より。
「漏聞」: ほのかに漏れ聞く事。ここでは、電話から漏れる相手の声を聞くこと。

<感想>

 最近は爆竹も禁止されるようですが、「春節」と聞くだけで、春を迎える喜びが感じられますね。

 北宋の王安石の新年の詩に
    元日
  爆竹声中一歳除   爆竹声中 一歳除(つ)き
  春風送暖入屠蘇   春風 暖を送り 屠蘇に入る
  千門万戸曈曈日   千門万戸 曈曈の日
  総把新桃換旧符   総べて新桃を把りて 旧符に換ふ

 がありますが、元日の爆竹が描かれていますね。

 起句の「宜春」は「宜(よろ)しき春」という意味で、立春にこの文字の紙を門に貼るわけですね。

 承句は、「墨色新」は、その札の「宜春」の字が書かれたばかり、ということでしょうか。その前の「爆竹庭前」とつなげようとすると、意味がはっきりしませんね。「曉色新」ならばわかりやすいのですが。

 後半は現代的な趣も出ていて、良いと思います。




2012. 2.10                  by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第40作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-40

  過備中高松城     備中高松城を過ぐ   

河畔千瓢旗幟翩   河畔に千瓢せんびょう旗幟きし翩し

水攻睥睨築堤連   水攻睥睨へいげいして築堤に連ぬ

本能寺變受飛報   「本能寺の変」飛報を受け

屈服孤城和睦全   孤城を屈服せしめて和睦まった

          (下平声「一先」の押韻)



「備中高松城」: 岡山県岡山市北区高松にある戦国城址。
        毛利方、清水宗治の居城であったが、秀吉の水攻めで開城。

「河畔」: 足守川
「千瓢旗幟」: 秀吉の馬印は御存じ千成瓢箪
「睥睨」: 横目でにらむ




<解説>

 平成23年10月21日、全国歴史研究大会が岡山市全日空ホテルで開催され、翌日の現地研修で初めて高松城を見学しました。

 現在は廃城となり、わずかな土塁と石垣に往時をしのぶしかありませんでしたが、ここが秀吉天下取りのターニングポイントとなった有名な高松城かと思い、戦いの流れをそのまま漢詩にしました。

 余談ですが、見学後、昼食会場の高松稲荷門前の食堂には清水家の末裔・清水男氏(総社市教育委員)を迎えて「高松城水攻め口伝」などについての卓話もありました。

★関連サイト&ドブログ

備中高松城の戦い - Wikipedia

<感想>

 備中高松城攻めは、豊臣秀吉の「太閤記」や織田信長の関連の小説やドラマなどでは大きな出来事ですので、多くの人に知られていることですね。

 水攻めという戦術の厳しさもそうですが、丁度本能寺の変が起きたという中での、時間との勝負、情報を巡っての駆け引き、その後の秀吉の天下取りへの大転換、歴史の面白さを堪能させてくれる戦ですね。

 そうした緊迫感をどう表現するか、がサラリーマン金太郎の工夫されたところでしょう。
 転句は「本能寺変」と固有名詞を入れながら、リズム良くまとめていると思います。
 結句は「屈服」ですと、ややあっさりと結末に到ってしまう感があり、策謀を凝らしたというニュアンスが出た方が面白いかなと思います。例えば、「籌策軍営」などとすると、結末の「和睦全」が戦術の一つだったという感じになるでしょうか。





2012. 2.12                  by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第41作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-41

  赤穂大石神社義士祭拝觀        

竝立靈碑卌七臣   並立す霊碑 四十七臣

賽人稽顙仰忠純   賽人稽顙(けいそう)して 忠純を仰ぐ

世代長稱武門誉   世代長(とこなし)へに称(たと)ふべし 武門の誉(ほまれ)

扮装行列到今新   扮装行列 今に到って新たなり

          (上平声「十一真」の押韻)





<解説>

 第1句の「竝立靈碑卌七臣」は、2002年の討ち入り300年を記念し神門前左右にすべての義士の石像が奉安されたことを指します。


赤穂義士祭(兵庫県赤穂市)の情報 - MAPPLE 観光ガイド

赤穂大石神社

神戸新聞 読者クラブ 義士の忠義をしのぶ 赤穂大石神社 − 社寺巡礼

<感想>

 忠臣蔵シリーズですね。

 大石神社の義士祭は、四十七士のパレードがあって、私も時期が合えば是非一度行きたいと思っています。

 その赤穂大石神社のことから語り始めたわけですが、前半は雰囲気をよく伝えて、まとまっていると思いました。

 義士祭を描写した結句は、「行列」「到今新」という点がピンと来ません。
 「扮装」が新しいということでしょうか。
 それでも、衣装が新しいからどうなのか、つまり、作者の言いたいことがストレートに伝わってこないですね。

 おそらくは、今でも義士の忠心が生き生きと伝えられていること、あるいは、当時の義士たちを目の前で見ているような鮮やかさ、そうした気持ちを「新」で表そうとされたのだと思います。
 「扮装」は邪魔な感じがしますし、「行列」も分かっていることですから、この四字に、祭に参加した方々の気持ちが出ると良いかなと思いました。



2012. 2.14                  by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第42作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-42

  送秋        

返照穿雲入晩秋   返照雲を穿ちて 晩秋に入る

楓林石径足清幽   楓林 石径 清幽に足る

吟杯独愛他郷夢   吟杯独り愛す 他郷の夢

老蛬偏宜動客愁   老蛬偏に宜し 客愁を動かす

          (下平声「十一尤」の押韻)



<感想>

 昨年の晩秋に作られた詩ということですが、昨年度の投稿詩でも「晩秋即事」の詩をいただきましたね。

 今回の詩も基本的なイメージは同じですが、晩秋の情景に対して、寂寥感に包まれるだけでなく、それらを愛おしむというニュアンスも出ていて、作者の心の広がりが感じられますね。

 起句については、上四字の「返照穿雲」はいつの季節でも良い情景で、下三字の「入晩秋」のつながりが感じられず、唐突ですね。
 晩秋であることは、題名や他の句からも分かりますので、「暮角悠」「寒籟収」など、一句の中でのつながりを考えると良いでしょう。

 転句の「他郷夢」と結句の「動客愁」が重なりますので、どちらかを検討してみましょう。




2012. 2.15                  by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第43作は 芳原 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-43

  月下七人閑談        

耿耿澄高荒壁連   耿耿たる澄高 荒壁連なり

孤村秋柝一空天   孤村の秋柝 一空の天

談叢暢敍無時尽   談叢暢敍 尽くる時なし

往古竹林云七賢   往古の竹林 七賢も云くやあらん

          (下平声「一先」の押韻)





<解説>

 青い月の光が冴えわたり 崩れた土塀が連なる家々の周りを映し出す
 夜回りの打つ拍子木の音はひときわ高く澄み切った夜空にこだまする
 北信州の古い温泉宿、一週間の自炊滞在だ
 旧友七人の朝湯と楽しい酒と談笑の小宴 いつまでたっても終わりがない
 遠い昔の晋の国、世塵離れた竹林に集った七人もこうだったのかなあ

<感想>

 この詩は、昨年末に投稿いただいた五言絶句「旧友七人清遊塵外」の詩を七言にしたものですね。

 起句の「耿耿」「澄高」も、どちらも月の光を表したものです。繰り返しの強調を狙ったものともとれますが、形容の言葉だけではなく、どちらかに「月」を表す言葉は欲しいですね。
 また、「崩れた土塀」ということで「荒壁連」とされましたが、「連」まで来ると「古い温泉宿」としても廃村のような印象ですので、「古壁」、結句の「古」を生かすなら「苔壁」くらいが穏当でしょう。

 転句は、せっかく竹林の七賢につなげたいところですので、「談叢」を「清談」としてはいかがでしょう。

 結句は五言の時よりは分かりやすくなりましたね。できれば「竹林」と「七賢」はつなげたいところですが、となると平仄で悩むことになるでしょうね。





2012. 2.15                  by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第44作は 芳原 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-44

  七尾城挽歌(推敲作)        

城頭日落又鐘声   城頭日落ちて又鐘声

幽径猶残覧古情   幽径猶残す 覧古の情

鬼哭啾啾傾斗柄   鬼哭啾啾 斗柄傾ぐ

半輪秋月寂寥更   半輪の秋月 寂寥更なり

          (下平声「八庚」の押韻)





<解説>

 城頭から見る夕日はつるべ落としだ お寺の鐘が下の方から聞こえてくる
 城跡に続くひっそりした小道は遥か昔の栄枯のよすがを今に残している
 一将功成った影に悲運に斃れた無名戦士たちの声なき声が夕闇の向こうに聞こえるようだ
 ふと気がつくと空に懸かる北斗の柄は大きく傾いでいる 何時になったのだろう
 山上には秋の半月だ 古来変わらぬ栄華の儚さと人の営為の空しさがひしひしと伝わってくる



<感想>

 こちらの詩も推敲作ですね。前作は「七尾城挽歌」として、昨暮に掲載しました。

 直されたのは承句と結句ですが、承句は起句からの流れも良くなり、句自体のまとまりもできたと思います。

 結句も落ち着いてきましたが、韻字とした「更」は、「さらに」という意味では仄声です。平声は「かわる、(夜が)ふける」の時ですので、「寂寥」とつなげるには苦しいですね。
 意味合いとしては、「寂寥盈」くらいでしょうか。他の表現を探すなら、「客心驚」「夜寒生」も考えられます。
 私の気持ちとしては、せっかくの「七尾城」に居るわけですので、結句の韻字は冒頭に使った「城」を持ってくるのが良いと思います。





2012. 2.15                  by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第45作も 芳原 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-45

  雁声        

暢月霜凝独坐寒   暢月霜凝りて 独坐寒し

于思静者與誰歓   于思の静者 誰と與にか歓ばん

幽吟索索雁声落   幽吟索索として 雁声落つ

澹影傾杯夜已闌   澹影杯を傾くれば 夜すでに闌なり

          (上平声「十四寒」の押韻)





<解説>

 12月だ 霜柱が立って厳しい寒さだ 心まで寒い
 ひげ面のこの隠居は一体誰と楽しみを分かつと云うのだろう
 静かに詩を口ずさめば満たされぬ心は更に沈むばかり
 雁の声が遠くに消えてゆく
 仄かな灯りに影を揺らして独り酌む酒 夜は深々と更けてゆく


<感想>

 こちらの詩は、随分以前にいただいた詩を推敲されたものですね。
 旧作は「霜月 其二」、2007年の投稿ですので、もう四年も前になりますか。旧作を何度も練り直しておられるのでしょう、漢詩の勉強に熱心に取り組んでいらっしゃることがよく分かりますね。

 私自身もそうですが、毎年毎年、漢詩の勉強を重ねていくと、以前に作った詩を読み返した時に、「そうか、今ならこんな言葉を使うのに」というような、かつての言葉足らずだった自分を思い知らされて、恥ずかしくなることもあります。
 でも、落ち込む必要はないのであり、その分、自分が成長(?)したからだと考えるようにしています。

 旧作は、当時の自分自身の思いを記録した面もあり、直す方が良いのか、新たに作った方が良いのか、人それぞれ、作品それぞれで判断をすれば良いのだと思っています。
 しかし、このサイトの投稿欄で私が「ここはどうか?」というような感想を書くと、たかが桐山人が勝手に言っていることだ、とは言え、気になって直さねばならないと思われる方もいらっしゃるでしょうから、申し訳ないというか、責任を感じています。

 悠々自適な老境を詠った前作に比べると、今回は沈思黙考という形で、結びの「夜已闌」が余韻豊かな形になっていると思います。

 承句の「静者」は「老荘の教えを体得した者」という意味で、杜甫の「送孔巣父謝病帰遊江東兼呈李白」(唐詩選収)の詩にも用いられていますが、ここでは「世と離れて隠棲した人=作者自身」ということですね。
 うーん、使い方としては、これは誉めた形になりますので、自分を表すのはどうでしょうか、「酔老」あたりでも良いように思いますが。



2012. 2.15                  by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第46作は 楽聖 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-46

  述懐        

落落高情億斯年   落落 高情 億斯年(おくきねん)

賀正気魄太平天   賀正 気魄 太平の天

終生状態青雲志   終生 青雲の志の状態

努力春光興沓然   努力は春光 興沓然

          (下平声「一先」の押韻)





<解説>

 去年のことは忘れて賀正に気魄をもって太平の世に。
 一生学問の志を持とう。
 努力は春の光で明るくなる。


<感想>

 新しい気持ちで今年もがんばろう、という詩ですので、新年漢詩に入れた方が良かったかもしれませんね。

 起句の「落落」は「スケールが大きい」ことを表す言葉ですが、「落」の字を見て即座にそう読んでもらえるかは疑問です。他にも同じような言葉はあるのではないか、と思います。
 「億斯年」は「億万斯年」の四字熟語を用いたもので、永遠に長い歳月を言います。人間界を超越したような長さになりますので、起句でどーんと起ち上がる姿が、パワーを感じさせますね。
 ただ、「落落」もそうですが、まず読者を圧倒しよう、という作者の意図が感じられ、やや作為的な印象もあります。

 転句は「状態」がすっきりしませんね。意思の言葉、願望の言葉などにした方が読者にはよく伝わります。

 結句は、「努力」・「春光」・「興沓然」が三題噺のようなもので、それぞれの言葉のつながりが見えませんね。
 楽聖さんが書かれた「努力は春の光で明るくなる」という解説も、「努力が・・明るくなる??」という難解表現で、「努力すれば(未来は)明るくなる」ということでしょうか。
 そう見れば、「努力」することと「興沓然(面白さがどんどん湧いてくる)」は学問で考えれば流れは分かります。まだ、そこに入る「春光」の必要性は釈然としないままですね。

 全体で見ると、前衛音楽を聞いているようで(偏見があったらごめんなさい)、予想外の音の突撃に右往左往、圧倒されている間に曲が終わったという感じですね。



2012. 2.15                  by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第47作は 楽聖 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-47

  晩秋労懐        

逢君飄逸古今憐   君に逢ふ 飄逸 古今憐れむ

秋雨談論在眼前   秋雨談論 眼前に在り

悍婦胸中猶不見   悍婦胸中 猶見ず

自云茶席意徒然   自ら云ふ 茶席 徒然の意

          (下平声「一先」の押韻)




<解説>

 晩秋の疲れたデートのワンシーン。
ドイツ留学から帰国して相変わらず生活を憐れむ。
外は秋雨が降っている。
うるさい女の心の中は何をたくらんでいるかわからない。
自分でもいうのもなんだけど、だいぶこんなことを長くしている意味がありそうだ。

なんだかわからない話がわからないという感じですね。
先日の詩会で、先生から受講生全員がこの詩に爆笑していました。さぁどうでしょうか?




<感想>

 確かに、「話がわからないという感じ」ですね。
 しかし、どの句も上の二字を取り除いて、五言絶句だと思って読むと、結構すっきりと理解できます。
 ということは、作者の描こうとしていることと、詩としての説明の部分が溶け合わないままになっているのではないでしょうか。

 特に、起承結の「逢君」・「秋雨」・「自云」の語は、下五字とのつながりが弱く、そのために句としてのまとまりが無くなっているのでしょう。
 先に転句が出来て、周囲を固めたという感じでしょうか。

 ただ、承句の「秋雨」は効果としては面白いですね。
 言葉のイメージとしては「細く、冷たく、暗い」というところですが、この語をここに置いたことで、二人の「談論」が「秋雨」に重なっていきます。
 「談論」「在眼前」とやや客観的な描写になった時に、この辺りから、きっと、デートをしていても作者の心は別のところに飛んでいったのだろうと思いました。
 「秋雨」を眺めながら、だんだんと自分が遠くに居るような、外から自分を見ているような意識に包まれていったと解すると、起句の「君」から転句の「悍婦」へと表現が移るのも、納得のところです。
 「悍婦」というやや冷たい表現もなるほどという感じですね。

 古いフランス映画みたいな感じが漂うところが狙いでしょうかね。





2012. 2.21                  by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第48作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2012-48

  寒中行        

一窓明月転凄涼   一窓の明月 転た凄涼

向我無声坐法堂   我に向かって声無く 法堂に坐す

夜気沈潜寒徹骨   夜気沈潜 寒骨に徹す

仏陀微笑満庭霜   仏陀の微笑 満庭の霜

          (下平声「七陽」の押韻)





<感想>

 寒中行ということで、全体に冬の夜の寒さ、厳しさを表す言葉で統一され、落ち着いた趣が感じられる詩ですね。

 結句の「仏陀微笑」が、前の転句や後の「満庭霜」からはポカリと浮いていますが、これはお寺での修行が「つらい、厳しい」だけでなく、信仰の喜びというようなものを表しているのでしょう。
 温かみの感じられるポイントですね。
 下の「満庭霜」への落差が大きい面はありますので、ここにも温かみの感じる語を入れるべきかどうかは、難しいところですね。

 承句の「向我」は「対我」とした方が良いですが、そもそも「我」が必要かどうか、「四壁」など、場所を表す言葉にしておくと、感情が入らない叙景の句になります。





2012. 2.26                  by 桐山人






















 2012年の投稿詩 第49作は桐山堂刈谷の M.A さんからの作品です。
 先日の刈谷東高校での発表会の作品集から載せました。

作品番号 2012-49

  新年作        

一輪旭日映清池   一輪の旭日 清池に映じ

樹下輕寒梅發時   樹下 軽寒 梅発く時

椒酒佳肴新歳宴   椒酒 佳肴 新歳の宴

早鶯遷囀萬光夷   早鴬 遷囀し 万光夷かなり

          (上平声「四支」の押韻)


 平成二十三年は、日本各地で大きな災害が多発し、又、政治・経済も深刻な状況です。
 願望として、こんな生活も平和の一つではないかと思います。



























 2012年の投稿詩 第50作も桐山堂刈谷の M.A さんからの作品です。
 先日の刈谷東高校での発表会の作品集から載せました。

作品番号 2012-50

  秋郊散策        

崇朝散策路傍秋   崇朝散策 路傍の秋

殘月鷺汀澄景幽   残月 鷺汀 澄景幽かなり

雀躍群遊黄粒浪   雀躍りて群れ遊ぶ 黄粒の浪

菊花馥郁綻紅榴   菊花 馥郁 紅榴綻ぶ

          (下平声「十一尤」の押韻)


 家の近くの堤防を散歩中、川面を見ればカモなどの水鳥が浮かび、右側の田を見れば雀が群舞しており、これは詩になると早々に家に帰り、創作しました。

























 2012年の投稿詩 第51作は桐山堂刈谷の 真海(T.A) さんからの作品です。
 先日の刈谷東高校での発表会の作品集から載せました。

作品番号 2012-51

  期壬辰新年        

壬辰淑氣満天涯   壬辰の淑気 天涯に満ち

吟友屠蘇交玉卮   吟友 屠蘇の玉卮を交はす

八十餘齢迎旭日   八十余齢 旭日を迎へ

新春志念賦巴詩   新春の志念 巴詩を賦す

          (「上平声四支」の押韻)



 壬辰の念頭にあたり、「今年こそは多作、多読、多推敲で行こう」と決心しました。
 年寄りの冷や水かな?

























 2012年の投稿詩 第52作も桐山堂刈谷の 真海(T.A) さんからの作品です。
 先日の刈谷東高校での発表会の作品集から載せました。

作品番号 2012-52

  憶中秋        

浩氣清清月一鉤   浩気 清清として 月一鉤

蟲吟満地告涼秋   虫吟 地に満ちて 涼秋を告ぐ

梧桐落葉風蕭瑟   梧桐 葉落とし 風蕭瑟たり

追憶菅公久引愁   菅公を追憶して久しく愁ひを引く

          (「下平声十一尤」の押韻)



 中秋の澄み切った空には八日月が昇り、足元の叢では虫たちが秋の到来を告げている。
 桐は葉を落とし、風は音を立てて寂しげに通り過ぎて行く。
 「九月十日」の詩を追憶して菅公を偲んでいる。

 菅公を追憶する様子を表現するのに苦労しました。鈴木先生の指導で、結句の据わりが良くなったと思います。

























 2012年の投稿詩 第53作は桐山堂刈谷の 尤京(N.A) さんからの作品です。
 先日の刈谷東高校での発表会の作品集から載せました。

作品番号 2012-53

  元月        

春陽暖意惠風吹   春陽 暖意 恵風吹き

羣雀傲遊三両枝   群雀 傲遊す 三両の枝

萬事新生心氣勃   万事 新生 心気勃る

屠蘇催筆醉吟詩   屠蘇 筆を催す 酔吟の詩

          (「上平声四支」の押韻)



 新年になり、新たなスタートを切りたいという気持ちを詠みました。
 毎年、新年の詩を作るのですが、今回が一番苦労しました。
 鈴木先生に大変お世話を掛け、何とか作ることができました。


























 2012年の投稿詩 第54作も桐山堂刈谷の 尤京(N.A) さんからの作品です。
 先日の刈谷東高校での発表会の作品集から載せました。

作品番号 2012-54

  朱明        

江畔陰陰半月懸   江畔 陰陰 半月懸かり

小窗繊朶郭公眠   小窓 繊朶 郭公眠る

牙籤再讀燈檠盡   牙籤 再読すれば 灯檠尽く

何處荷風書案前   何処よりの荷風 書案の前

          (「下平声一先」の押韻)



 夏の夜に部屋から月を見ていると、なんとも気持ちが落ち着きました。
 そのまま眠ってしまいそうになり、ウトウトしていると、夜の涼しい風で目が覚めました。

 初めて夜の詩を作ったのですが、なかなか夜に合う詩語が見つからず、大変苦労しました。


























 2012年の投稿詩 第55作は桐山堂刈谷の 静巒(Y.A) さんからの作品です。
 先日の刈谷東高校での発表会の作品集から載せました。

作品番号 2012-55

  元朝        

辰歳元朝伊保陲   辰歳 元朝 伊保の陲

旭暉燦燦照村祠   旭暉 燦燦 村祠を照らす

恵風送暖素心爽   恵風 暖を送り 素心爽たり

天地春回日月披   天地に春は回り 日月披く

          (「上平声四支」の押韻)



 今年も無事にお正月を迎えることができ、神様に感謝する気持ちと、暖かい春の日がゆったりと過ぎていく幸せを詠んでみました。

























 2012年の投稿詩 第56作も桐山堂刈谷の 静巒(Y.A) さんからの作品です。
 先日の刈谷東高校での発表会の作品集から載せました。

作品番号 2012-56

  初秋夕暮        

雨後郊村新草鮮   雨後の郊村 新草鮮たり

稲池風爽舞清漣   稲池 風爽やかにして清漣舞ふ

翅輕双燕高還下   翅の軽き双燕 高く還た下る

四面蒼蒼郷里天   四面 蒼々 郷里の天

          (「下平声一先」の押韻)



 毎年初夏にはやって来る燕。青々とした稲が風になびき、とても気持ちの良い季節です。
 田舎に住んで良かったと思う一瞬です。

























 2012年の投稿詩 第57作は桐山堂刈谷の 風葉(K.E) さんからの作品です。
 先日の刈谷東高校での発表会の作品集から載せました。

作品番号 2012-57

  除夕        

燈燃萬戸二更風   灯燃え 万戸 二更の風

石火光中今歳窮   石火光中 今歳窮まる

窗角月明鐘韻響   窓角 月明らかにして 鐘韻は響く

団欒和氣笑聲充   団欒の和気 笑声充つ

          (「上平声一東」の押韻)



 時間の過ぎる早さ、あっという間の一年、去年の大晦日を思い出しての詩です。
 大震災のあった去年。いつもと変わらぬ新年を迎えることができる幸せを願いました。



























 2012年の投稿詩 第58作も桐山堂刈谷の 風葉(K.E) さんからの作品です。
 先日の刈谷東高校での発表会の作品集から載せました。

作品番号 2012-58

  初夏即事        

紅蕖雨潤一株鮮   紅蕖 雨潤ひ 一株鮮たり

風捲玉簾初夏天   風は玉簾を捲く 初夏の天

雙燕飛棲茅樀上   双燕 飛び棲む 茅樀の上

新雛將待舊巣邉   新雛 将に待つべし 旧巣の辺り

          (「下平声一先」の押韻)



 一株の蓮の花の鮮やかさとかわいい燕の親子の営みを見た様子を詩にしました。



























 2012年の投稿詩 第59作も桐山堂刈谷の 風葉(K.E) さんからの作品です。
 先日の刈谷東高校での発表会の作品集から載せました。

作品番号 2012-59

  秋郊        

西風爽氣白雲秋   西風 爽気 白雲の秋

澹蕩清流一葉舟   澹蕩 清流 一葉の舟

遠望堤邉紅爛漫   遠く望めば 堤の辺り 紅爛漫

雙飛歸鷺影悠悠   双飛の帰鷺 影悠悠

          (「下平声十一尤」の押韻)



 散歩中、川の堤に赤の絨毯を敷き詰めたように彼岸花が咲いていた、その光景を詩にしました。



























 2012年の投稿詩 第60作は桐山堂刈谷の 小園(F.K) さんからの作品です。
 先日の刈谷東高校での発表会の作品集から載せました。

作品番号 2012-60

  初詣        

新春二日雨餘天   新春の二日 雨余の天

家族同行古廟邉   家族同に行く 古廟の辺り

石甃登躋杉大木   石甃を登躋すれば 杉の大木

念望湛静李桃年   念望す 湛静なる李桃の年を

          (「下平声一先」の押韻)



 雨上がりの神社の石畳を登りながら、今年は穏やかな一年であってほしいとの願いを詠みました。