2011年の新年漢詩 第31作は 童心 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-31

  (新年漢詩)新年偶成        

耀耀星辰早暁空   耀々たる星辰 早暁の空

生生初日瑞雲中   生々たる初日 瑞雲の中

霊峰富士荘厳麗   霊峰富士は荘厳にして麗しく

庭内蝋梅馥郁充   庭内の蝋梅は馥郁として充つ

          (上平声「一東」の押韻)

 きらきらと輝く星は暁の空を彩り、
 生き生きとした若き初日は正に雲の中から出ようとしている
 霊峰富士は厳かにして美しく、
 庭の蝋梅は馥郁とした香を漂わせている


 寒い日々が続きますが、その中にも冬の楽しみがあります。
 小生はそれを星空、富士、蝋梅に見つけて、作詩してみました。























 2011年の新年漢詩 第32作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-32

  (新年漢詩)新年 三       

朔風凛冽凍飢加   朔風凛冽 凍飢加はり

路上無家弱者多   路上家無く 弱者多し

標榜仁慈爲n   仁慈を標榜して福祉を為すも

恩波未到只寒波   恩波未だ到らず 只寒波のみ

          (下平声「六麻」「五歌」の通韻)























 2011年の新年漢詩 第33作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-33

  (新年漢詩)        

新年喜色滿皇家   新年の喜色 皇家に満ち

鶴首王孫浴靖嘉   鶴首王孫 靖嘉に浴す

天地平成春景好   天地平成 春景好し

梅櫻桃李發千花   梅桜桃李 千花発く

          (下平声「六麻」の押韻)

























 2011年の新年漢詩 第34作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-34

  (新年漢詩)迎春偶成        

老虎歸山新兎來,   老虎 山に帰りて 新兎来たり,

共迎紅日破雲開。   共に迎へり 紅日の雲を破りて開くを。

東瀛經濟不前處,   東瀛の経済 進まざる処,

但願天公均異財。   但に願ふ 天公の財を均しく分くるを。

          (上平声「十灰」の押韻)























 2011年の新年漢詩 第35作は C溪(韓国) さんからの作品です。
 

作品番号 2011-35

  (新年漢詩)次韻「迎新年」        

日月循環年齒加,   

空懷往事自煎茶.   

窓前梅蘂香微動,   

臘雪添枝不辨花.   

          (下平声「六麻」の押韻)

※世界漢詩同好會の韓国幹事であるC溪さんから、私の年賀状へのお返しの詩で、次韻をいただきました。























 2011年の新年漢詩 第36作は 薫染 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-36

  (新年漢詩)歳朝更想     歳朝におもひをあらたむ   

旁旻炎暑弱青蔬   そらひろがる炎暑 青蔬せいそを弱め

豪雨集河呑住居   豪雨河に集り 住居を呑む

気象異常天教諭   気象異常は 天の教諭なれば

歳朝更想願安徐   歳朝に想ひを更め 安徐なるを願ふ

          (上平声「六魚」の押韻)

「安徐」: 穏やかである

昨年は炎暑と洪水に見舞われましたが、今年は平穏であって欲しいものです。























 2011年の新年漢詩 第37作は刈谷東高校の A.M さん(男性)、漢詩講座での作品です。
 

作品番号 2011-37

  (新年漢詩)迎新年        

瑞氣滿盈江上家   瑞気 満盈 江上の家

東風渡野發黄花   東風 野を渡り 黄花発く

鶯歌睍v老梅樹   鶯歌 睍v 老梅の樹

正旦孤煙閑煮茶   正旦 孤煙 閑かに茶を煮る

          (下平声「六麻」の押韻)























 2011年の新年漢詩 第38作は刈谷東高校の 真海 さん(男性)、漢詩講座での作品です。
 

作品番号 2011-38

  (新年漢詩)迎新年        

迎春倥偬野人家   春を迎へんと倥偬こうそうす 野人の家

萬象清清競麗華   万象清清として 麗華を競ふ

送舊三元汲樽酒   旧を送り 三元 樽酒を汲む

梅君來訪結芳葩   梅君 来訪して 芳葩を結ぶ

          (下平声「六麻」の押韻)























 2011年の新年漢詩 第39作は刈谷東高校の A.N さん(男性)、漢詩講座での作品です。
 

作品番号 2011-39

  (新年漢詩)三元        

東風習習吐春霞   東風 習習 春霞を吐き

村舎簷梅発嫩芽   村舎の簷梅 嫩芽を発く

隣曲鶏声欣旭日   隣曲の鶏声 旭日を欣び

書生磨墨素心加   書生 墨を磨き 素心加ふ

          (下平声「六麻」の押韻)























 2011年の新年漢詩 第40作は刈谷東高校の A.Y さん(女性)、漢詩講座での作品です。
 

作品番号 2011-40

  (新年漢詩)歳旦        

歳旦韶光天一涯   歳旦 韶光 天の一涯

前庭玉雪自開花   前庭の玉雪 自ら花開く

兩三稚子笑聲響   両三の稚子 笑声響き

暖日和風閑煮茶   暖日 和風 閑かに茶を煮る

          (下平声「六麻」の押韻)























 2011年の新年漢詩 第41作は刈谷東高校の I.W さん(女性)、漢詩講座での作品です。
 

作品番号 2011-41

  (新年漢詩)新年        

四海昇平滿樹花   四海 昇平 満樹の花

三朝淑氣吐烟霞   三朝の淑気 烟霞を吐く

梅枝黄鳥鳴聲響   梅枝の黄鳥 鳴声響き

賀客春盤懷故家   賀客 春盤 故家を懐ふ

          (下平声「六麻」の押韻)























 2011年の新年漢詩 第42作は刈谷東高校の E.K さん(女性)、漢詩講座での作品です。
 

作品番号 2011-42

  (新年漢詩)迎新年        

夜鐘古寺歳時新   夜鐘 古寺 歳時新たなり

正旦雲晴已帯春   正旦 雲晴れ 已に春を帯ぶ

賀客笑談茶一椀   賀客 笑談 茶を一椀

慶風復遇古稀人   慶風 復た遇ふ 古稀の人

          (上平声「十一真」の押韻)























 2011年の新年漢詩 第43作は刈谷東高校の S.M さん(女性)、漢詩講座での作品です。
 

作品番号 2011-43

  (新年漢詩)迎春        

瑞氣春風満我家   瑞気 春風 我が家に満ちて

遇梅感悦十分花   遇梅 感悦 十分の花

元朝郷信夫妻楽   元朝がんちょうの郷信 夫妻の楽しみ

故友遙思静喫茶   故友 遥かに思ふて 静かに茶を喫す

          (下平声「六麻」の押韻)























 2011年の新年漢詩 第44作は刈谷東高校の 松閣 さん(男性)、漢詩講座での作品です。
 

作品番号 2011-44

  (新年漢詩)新春        

村舎輕寒野水斜   村舎 軽寒 野水斜め

南枝氷解發黄花   南枝 氷解け 黄花発く

迎春辛卯樂新筆   迎春 辛卯 新筆を楽しむ

淑氣盈庭坐喫茶   淑気 庭に盈ち 坐して茶を喫す

          (下平声「六麻」の押韻)























 2011年の新年漢詩 第45作は刈谷東高校の N.K さん(女性)、漢詩講座での作品です。
 

作品番号 2011-45

  (新年漢詩)迎春 一        

年光梅笑散香嘉   年光 梅笑ひ 散香嘉し

竹外花魁春意和   竹外の花魁 春意和す

百八鐘聲佳氣動   百八の鐘声 佳気動き

三朝曉色入窗紗   三朝 暁色 窓紗に入る

          (下平声「六麻」の押韻)























 2011年の新年漢詩 第46作も刈谷東高校の N.K さんの、漢詩講座での作品です。
 

作品番号 2011-46

  (新年漢詩)迎春 二        

白日梅枝野水斜   白日 梅枝 野水斜め

江村處處散芳葩   江村 処処 芳葩を散ず

流年急景鳴鐘起   流年 急景 鳴鐘起こる

萬戸昇平瑞雪加   万戸昇平 瑞雪加はる

          (下平声「六麻」の押韻)























 2011年の新年漢詩 第47作は刈谷東高校の H.K さん(男性)、漢詩講座での作品です。
 

作品番号 2011-47

  (新年漢詩)新年作        

夜鐘星斗満村家   夜鐘 星斗 村家に満つ

寅暦無殃惜歳華   寅暦 わざわひ無く 歳華を惜しむ

政經擾憂方困惑   政経は擾憂し 方に困惑

今茲静穏冀禎嘉   今茲 静穏 禎嘉を冀ふ

          (下平声「六麻」の押韻)























 2011年の新年漢詩 第48作は刈谷東高校の M.K さん(男性)、漢詩講座での作品です。
 

作品番号 2011-48

  (新年漢詩)迎春        

開暦風和發麗華   開暦 風和み 麗華発く

千秋萬歳祚無涯   千秋 万歳 祚 涯無し

一樽快飲真清福   一樽 快飲 真に清福

四海迎春壽色加   四海 迎春 寿色加ふ

          (下平声「六麻」の押韻)























 2011年の新年漢詩 第49作は刈谷東高校の 老遊 さん(男性)、漢詩講座での作品です。
 

作品番号 2011-49

  (新年漢詩)新年作        

門庭牆竹早梅花   門庭の牆竹 早梅の花

依舊柴扉旭旆家   旧に依る柴扉 旭旆の家

白首雖貧詩骨健   白首貧と雖も 詩骨健かにして

歳朝揮筆寄春華   歳朝 筆を揮って 春華に寄す

          (下平声「六麻」の押韻)






















 2011年の新年漢詩 第50作は刈谷東高校の Y.S さん(男性)、漢詩講座での作品です。
 

作品番号 2011-50

  (新年漢詩)暮年        

玉英連日影斜斜   玉英 連日 影斜々たり

炭火紅輝在我家   炭火 紅輝 我が家に在り

半醉忘時田舎酒   半酔 時を忘るる田舎の酒

思郷閑坐復何嗟   郷を思ひて 閑坐 復た何ぞ嗟かん

          (下平声「六麻」の押韻)






















 2011年の新年漢詩 第51作は刈谷東高校の W.M さん(女性)、漢詩講座での作品です。
 

作品番号 2011-51

  (新年漢詩)歳旦        

元朝開戸雪舗銀   元朝 戸を開くれば 雪 銀を舗す

四面玲瓏気自新   四面 玲瓏 気自ら新たり

掃几清閑磨古墨   几を掃ひて清閑 古墨を磨る

雲箋試筆草堂春   雲箋 試筆 草堂の春

          (上平声「十一真」の押韻)






















 2011年の投稿詩 第52作は 風雷山人 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-52

  二〇一〇年十一月〇四日 於岡山後楽園        

秋天曲水小橋横   秋天 曲水 小橋横たふ

松樹延亭落葉声   松樹 延亭 落葉の声

宿志永忠千里夢   宿志 永忠 千里の夢

先憂後楽憶君情   先憂後楽 君情を憶ふ

          (下平声「八庚」の押韻)

<感想>

 風雷山人さんからの詩は、昨年の十一月に岡山県で開かれた「国民文化祭」の漢詩大会で、サイト懇親会にご参加いただいた時のものです。

 風雷山人さんは千葉からお忙しい中をご夫妻でおいでになり、岡山駅前で私や深渓さんと同じホテルに宿泊だったことから、お二人を遅くまで引っ張り回してしまいました。図々しい私たちの宴に、終始にこやかに優しく加わって下さった奥様の笑顔は心に残っています。

 いただいた詩は、後楽園にお出かけになった感懐をまとめられたのですが、起句がやや気になります。
 「秋天」が下の「曲水小橋横」とのつながりに弱さが感じられます。
 秋晴れの空の下の庭園という、パノラマ的な遠景の効果を狙ったのかもしれませんが、どうでしょうか。
 「小橋」という叙景で終わらずに、秋空への作者の感懐が込められるような「明」「清」などの語に変更すると、バランスが良くなるように思います。

 結句の「先憂後楽」は岡山後楽園の名称の由来にもなった言葉ですが、北宋の范仲淹の『岳陽楼記』からの言葉ですね。
 「君子は民に先立って心配をし、民の後に楽しみをなす」というものですが、その思いを「憶君情」に凝縮して、余韻を残していると思います。

 また、機会を作ってお会いしたいですね。


2011. 2. 9                 by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第53作は 点水 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-53

  人日        

人日天晴放暖光   人日 天晴れて 暖光を放ち

早梅破蕾競新粧   早梅 蕾を破り 新粧を競ふ

東風習習度庭院   東風 習習 庭院を度り

和氣蓬蓬満草堂   和気 蓬蓬 草堂に満つ

七菜佳羹除厄難   七菜の佳羹 厄難を除き

三杯祝酒願平康   三杯の祝酒 平康を願ふ

全家總集團欒楽   全家 総集 団欒楽し

多彩話題歡笑長   多彩な話題 歓笑長し

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 七草粥も忘れられてきましたが、近頃七草も手に入れやすくなりました。
たまたま、一家集合することができ、ひさしぶりに味わい、また、団欒することができました。

 そこで、ちょっと作ってみたものです。

<感想>

 春の七草の名前を言うクイズが一時期に流行りましたが、最近はどうなのでしょうか。
 結構知られるようになってきたのは、点水さんが仰るように、スーパーなどでもセットにして並べられたりするからかもしれませんね。と言いつつ、私も「じゃあ七草を並べてみろ」と命じられても、自信が無いですが。

 七草粥は、お正月に飲んで食べて疲れた胃袋をいたわるためと言われますが、事の由来は、中国南方の風習からだそうです(『唐詩歳時記』新潮選書:渡部英喜)。
 日本ではいつから始まったのか知りませんが、「飲み過ぎ食べ過ぎ対策」だけではなく、春を待ちわびて若菜を摘みに野に出て行きたいという心がまず有ったのだろうと思います。

 唐詩では、人日の詩として隋の薛道衡の「人日思帰」や、盛唐の高適の「人日寄杜二拾遺」がよく出されますが、どちらも新年の割には寂しい心情の詩ですね。でも、「人日」と題された詩で多いのは、宮中やら誰か身分の高い人の家での宴会やら行事に参加してのもので、唐の時代には人日を特別な日としていたようです。楽しくめでたい(人日の)詩が多い中で目立つから、二人の詩がよく引かれるのかもしれません。
 私は晩唐の司空図の「乙丑人日」が暖かみとユーモアがあって好きですね。

 点水さんの今回の詩は、その「人日」の家族そろっての団欒、楽しい雰囲気がよく出ていると思います。

 第四句の「蓬蓬」は「木の枝に葉がいっぱいつく様子」を表しますが、ここでは「和気が盛んに満ちる」ということでしょう。
 この頷聯は、上句と下句で内容的にあまり変化が無く、同じことを二度聞かされているようなもどかしさを感じます。
 「庭院」から「草堂」へと動かし、「春の東風が吹くと、家の中も和やか気が満ちる」として、後半の一家団欒に向けて読者を誘導しようという狙いもあるのでしょうが、微妙なところですね。

 頸聯の「三杯祝酒」は正月の家族の象徴ですが、「祝酒」を「春酒」とすると、「願平康」の意味合いが広がりを持つと思います。


2011. 2.11                 by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第54作は 緑風 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-54

  雪日偶成        

寒雲漠漠雪斜斜   寒雲 漠漠 雪 斜斜

枯木化粧疑是華   枯木化粧 是れ華かと疑ふ 

四匝無声幽寂底   そう 声なく 幽寂の底

微清香有探梅花   微かな清香有り 梅花を探る

          (下平声「六麻」の押韻)

<解説>

 一月中旬、寒波来襲で前夜から豪雪で外出も出来ず、終日家に閉じ籠もり、雪見障子から見た情況です。

<感想>

 緑風さんは岐阜県の北の方にお住まいですから、雪が多いことでしょうね。
 私の学校での漢詩創作発表会、昨年は「雪のため行けません」とご連絡をいただき、隣の県ですが、温暖な愛知県の南に住む私にはびっくりでした。先日の発表会も雪が心配だったのですが、寒気の狭間だったようで無事に二年ぶりの再会ができ、とても嬉しく思いました。

 そんな厳しい雪の光景を思い浮かべて詩を拝見しました。

 起句は「漠漠」「斜斜」の対で雪空の様子が面白く描かれていますね。
 承句の「枯木化粧」はややぎこちなく感じますので、「枯木新粧」、あるいは「化粧」そのものを別の表現にしても良いでしょう。

 結句は「有」の位置、また「微かな清香」という言い方に疑問が残りますが、平仄の関係でしょうか。
「暗香何処探梅花」(微香・清香でも良いでしょうが)というところでしょうか。


2011. 2.12                  by 桐山人



緑風さんからお返事をいただきました。

鈴木先生
この間の漢詩発表会は有難うございました。
久しぶりにお逢いでき懐かしい限りでした。

『雪日偶成』のご指導のもと、別添のように修正しましたのでご連絡申し上げます。
よろしくお願いします。

    雪日偶成(推敲作)
  寒雲漠漠雪斜斜   寒雲 漠獏 雪 斜斜
  枯木新粧疑是華   枯木 新粧 是れ華かと疑ふ
  四匝無声幽寂底   四匝 声なく 幽寂の底
  清香何処探梅花   清香何処にありや 梅花を探る


2011. 2.15                  by 緑風
 落ち着いた詩になったと思います。
 結句の「何処」の読み下しは「何処にありや」は苦しいので、「何れの処ぞ」としておくのが良いでしょう。



2011. 2.15                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第55作は 偸生 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-55

  荷葉杯 (詞 雙調)        

薄暮孤翩胡蝶    薄暮  孤り翩ぶ 胡蝶

黄葉        黄葉

郊里降霜幾     郊里 降霜は幾(ちか)し

野遊終日晩同歸   野遊終日 晩に帰るを同じうせしに

殘夏顧依依     残夏 顧て依々たり

無語夢醒柔惰    語無く 夢醒めて 柔惰たり

孤坐        孤坐

窓外柳絲揺     窓外 柳糸揺る

西風吹宇到中宵   西風 宇(のき)を吹いて 中宵に到る

叢竹曠蕭蕭     叢竹 曠しく蕭々たり

   この里は 継ぎて 霜置く 夏の野に
     わが見し草は 黄葉(もみち)たりけり  
(万葉集 巻十九)

   わが宿の いささむら竹 吹く風の      音のさやけき この夕べかも       (万葉集 巻十九)


<感想>

 この詞は偸生さんからいただいたものですが、相変わらず私は詞に対しての理解が足りません。ぼんやりと全体の印象を感じながら、現代詩のような趣だなぁと思うばかりです。
 そこで、今回は詞に詳しい鮟鱇さんにご無理を言って感想を寄せていただきました。

 丁寧な作り方をされていると思います。

 しかし、荷葉杯の双調は、韋莊の二首のみ、とか。
 そこで、荷葉杯の双調が作られたのは、日本人では初めてではないか、と思ったりします。

 もし荷葉杯の双調は、韋莊の二首のみだとすれば、詞の千年の歴史と日中万里の距離を超えて、韋莊と偸生さんの詩魂が触れ合ったことになります。
 詞作りの楽しみ方には、そういうところにもあると思います。

 七言絶句で作品の完成度ばかりを競うのもよいのですが、自分にだけわかればよい、という境地も詩人としては大切な資質で、それを養うには、詩よりも詞の方がよいと愚考します。

 詞は正直、どう作ってよいかわかりません。だから、完成度について妄想はいだけない。そこで、よいのです。



2011. 2.13                  by 鮟鱇






















 2011年の投稿詩 第56作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-56

  冬至十日        

此日憐君逝若斯   此の日 憐む君が斯くの若く逝くを

茫然懷古少年時   茫然 懷古 少年の時

英才無比雄心在   英才 無二 雄心在り

不待新春何處之   新春を待たず 何處にきしや

          (上平声「四支」の押韻)

【弔句】

    冬至十日待たで何處へ逝き給ふ


<解説>

 昨年末(当時「国民学校」)小学校時代以来の友人が急逝し、三十日の告別式で弔辞の代わりに弔句並びに追悼の詩を吟じました。

<感想>

 小学校以来のご友人ですと、もう暦一回り分ほどもの長きにわたってのお付き合いということですね。しかも、新しい年を迎えることもなく、年末の告別式ということですので、悲しみもひときわだったことと思います。
 兼山さんのお気持ちを推察し、お悔やみ申し上げます。

 弔句に籠められた思いは、詩では結句に表されていますが、「不待新春」を、句では「冬至十日待たで」と具体的な日数を教えることで、友の逝去を悼む悲しみを一層強く伝えていますね。

 起句の「逝」と結句の「之」は訓読みすれば同じですが、「逝」は「亡くなる」という意味を強く出されているので、重複感はなく、逆に喪失感が強調されていると思います。




2011. 2.13                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第57作は埼玉県にお住まいの 佐々木四郎 さん、二十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2011-57

  看月        

降雪沈沈冰映光   降雪 沈沈として 冰光を映す

東天紺紺影漂洋   東天 紺紺として 影洋に漂ふ

音無被刻心之内   音無く刻まる 心の内

欲叫於城満月狂   叫ばんと欲す 城に於いて 満月の狂へるに

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 雪は静かに降り積もり、氷が光を反射している
 東の空は深い紺色で、月の影が海に漂っている
 音もなく心が刻まれるようだ
 満月が狂おしいほどに輝いていて、この城から叫びを挙げてしまいたいほどだ


小説を創作しています。
今書いている作品の中に漢詩を出す必要があり、初めて詠んでみました。
孤高の詩人が城の一室から冬の月と海を見渡している風景です。



<感想>

 まず最初に、初めてお作りになったとのことですが、前半の対句仕立ても工夫されて、よく整えていらっしゃることに感心しました。
 小説の中にお使いになると言うことですので、小道具がきちんとしていないといけませんから、少々細かいところまで見させていただきます。やや厳しい表現になるのは、文学の同士としての言葉だとご理解下さい。

 前半で叙景、後半に心情を述べるという構成は無理がなく、漢詩として素直な展開です。

 その前半は、解説にお書きになったように、「城の一室から冬の月と海を見渡している風景」という前提で考えて行くと、起句の「氷映光」は恐らく城内の様子で近景、承句の「影漂洋」は遠景という対比で描かれているのでしょう。光の重複は遠近法というところで許容範囲かと思います。
 ただ、「紺紺」という言葉は耳慣れないません。また、直接「影」とするよりも「月」を前に出した方が良いでしょう。「洋」は海を表しますが、この一字だけで使うことはあまり無く、意味が取りにくいので、対句にこだわらなければ、「凍天海月影洋洋」という感じにすると良いのではないでしょうか。

 後半の心情を述べたところは、もう少し言葉を練らないといけません。

 転句の「心之内」「之」は不要です。更に言えば、一般には心を言う時に「内」もほとんど意味がありません。というのは、心という言葉自体に既に「胸の内」という場所を表す意味合いがあるわけで、「心中」「心裡」はほぼ強調に近いでしょう。ここは「之内」を削って「心を刻む」で充分です。
 ただし、「刻心」という言葉は「心刻みつけて忘れない」ということで、違う意味になってしまいます。率直に言えば、「心が刻まれるようだ」という比喩は日本語ならば何とか分かりますが、それをそのまま漢字に換えても通じないということです。「心が(切り)刻まれるようだ」という感情を表す漢語に置き換える方法を採らなくてはいけません。「傷心」「痛心」「憂愁」「懊悩」「断腸」など、よく知られた言葉で良いと思います。
 同様のことは、結句の「満月狂」にも言えます。「狂おしいほどに輝く」ことを漢語ではどう言うか、を検討するのが漢詩創作で、それを「満月が狂っている」と書いてしまうのは乱暴です。

 転句の「音無」は語順としては「無音」ですが、起句で「沈沈」ともう言ってますので、わざわざ転句でまた言う必要は無いように思います。
 文法的なことで言えば、転句の「被」や結句の「於」の助字は、漢詩では一般に省略されます。丁寧に書かれたのでしょうが、字数制限のある定型詩ですので、無くても分かる字は省いて、一字でも意味を付加した方が深い表現ができるからです。

 後半二句については、何が詩人の心をこんなに苦しませているのか、という疑問が湧きます。「雪」と「氷」と「月の光」の舞台設定で読者に理解を求めるのはこの詩だけでは苦しいところ、作者の頭の中にはイメージがあるのでしょうが、それを読者に説明しないと、「何か分からないけど、この人は何か悩んでるみたいだ」というレベルの解釈で終わってしまいます。今回の場合は、恐らく、小説の中にそのヒントがあるのでしょうね。
 それはそれで、小道具としては「あり」だと思いますが、小道具だけで終わらせてはせっかくの詩がもったいないと、漢詩側の人間としてはつい思ってしまいます。
 転句は「枯心惆悵○○○」のような形で下三字に詩人の事情を入れる、結句は承句に「月」を持っていく関係上、全体に詩人の心中を語る形に推敲するのが良いでしょう。


2011. 2.14                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第58作は 薫染 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-58

  題八嶽やつがたけ連峰        

雲蒙山腹緑俄消   雲は山腹をおおひて 緑俄かに消え

八嶽連峰霊気漂   八岳連峰 霊気漂ふ

斜径溶岩何阻我   斜径の溶岩 何ぞ我をはば

仙姿友影霧中遥   仙姿の友影 霧中遥かなり

          (下平声「二蕭」の押韻)

<解説>

 大学同窓会で蓼科に一泊しました。
 皆で山を歩いた時の光景です。6月とは言え時に寒さを感じました。

「蒙」: 被う
「霊気」: 神秘で不思議な気配


<感想>

 薫染さんのこの詩は、『芙蓉漢詩集』で最初拝見しました。
 前半の描写に迫力があり、特に承句の「八嶽連峰霊気漂」には、この後何かすごいことが起こりそうな雰囲気があるので、後半に期待を持たせている、と感想を申し上げたため、「どんなことが起きればよいのか」と推敲に薫染さんを悩ませてしまったようです。

 結句の上四字について、色々と考えていただき、最終形が今回お示ししたものですが、すっきりと余韻のある詩になったと思います。


2011. 2.15                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第59作は 薫染 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-59

  伊良湖望景        

仰天湯沐高層上   天を仰ぎて 湯沐とうもくする 高層の上

返景海頭潮気漾   返景の海頭 潮気ただよ

神島荘厳波躍如   神島かみしま 荘厳にして 波躍如

連山遼遠雲流暢   連山 遼遠にして 雲流暢たり

          (去声「二三漾」の押韻)

<解説>

 伊良湖のホテル屋上露天風呂から海を眺めました。神島は三島由紀夫の『潮騒』の舞台です。 鳥羽と伊勢の山々が見えます。

「海頭」: 海のほとり
「躍如」: 勢いよく今にも動き出そうとするさま
「流暢」: すらすらとして滞ることがない

<感想>

 仄韻の詩ですが、そんなに違和感がなく、工夫されていると思います。

 詩中に「伊良湖」を表す言葉がありませんので、題名が作者の視点を提示することになります。
 伊良湖岬は愛知県の南端、そこから、海を隔てた三重県の神島を眺めるということで、しかも屋上の露天風呂から、というわけですから、雄大な景色を一望されたことでしょう。

 承句からの叙景、特に後半はリズム良く遠景を畳みかけるように描いていると思います。
 「神島」も固有名詞ではありますが、対句として「連山」に対すると、一般名詞として、名前の由来でもある「神の治める島」という意味合いが深まります。『潮騒』で三島由紀夫は、この島を神島の別名である「歌島」(かじま)と呼んでいますが、この詩ではまさに「神島」であることで、それが詩の中での生きた言葉になっていると思います。


2011. 2.15                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第60作は 緑風 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-60

  寒夜偶成        

老叟閑居無所営   老叟 閑居し 営む所無し

聊将酒旅楽余生   聊か酒旅を将って 余生を楽しむ

寒宵独酌心情動   寒宵 独酌 心情動かば

幻影徘徊想水明   幻影徘徊 水明を懐かしむ

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 健康に恵まれ、独酌と小旅行を楽しみに暮らしています。
 寒い夜は過去に訪ねた旅路を懐かしく回想しています。

<感想>

 旅に出るにも健康が何よりですね。

 私もなかなか日程が取れず、何とか中国旅行だけは早めに計画を立てて行けるように工面しますが、逆に国内旅行に行くことが少なくなってしまいました。

 酒と旅と来ると山頭火を思いますが、文人の伝統ですね。

 転句の「独酌」は、承句の「酒」と重なりますので、「独坐」の方が良いでしょう。

 結句は過去を思い出してということでしょうが、「幻影徘徊」だけでは分かりにくいですね。転句の「心情」を「旧懐」とするか、結句の「幻影」を「過去に訪れた旅路」を想起させる語に替えると伝わりやすくなるでしょう。


2011. 2.16                  by 桐山人



緑風さんから推敲作をいただきました。

    寒夜偶成
  老叟閑居無所営   老叟 閑居し 営む所無し
  聊将酒旅楽余生   聊か酒旅を将(も)って 余生を楽しむ
  寒宵独坐心情動   寒宵 独坐 心情動かば
  幻像旧遊懐水明   旧遊を幻像し 水明を懐かしむ


健康に恵まれ、独酌と小旅行を楽しみに暮らしています。
寒い夜は過去に訪ねた旅路を懐かしく回想しています。



 推敲作拝見しました。
 結句の「幻像」は「幻」に何か思い入れがあるのでしょうか。「幻像」は言葉としてしっくり来ないように思います。「回首」「回想」など、言葉はまだあると思いますがいかがでしょうか。


2011. 4. 9                by 桐山人


緑風さんからお返事をいただきました。

 ご指導有難うございました。
 「幻像」には特に拘っておりませんが、最初の文字でしたからそのままにしたようです。
説明文にも回想していますとなっておりますから「回想」が最適と思います。
よろしくお願いします。


2011. 4.10                by 緑風