2006年の投稿詩 第106作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-106

  堀之内春景        

白片落梅浮塹壕   白片の落梅 塹壕に浮かび

黄梢新柳乱松濤   黄梢の新柳 松涛に乱る

鳥聲百囀春光溢   鳥聲百囀 春光溢れ

聳立古城天外高   聳え立つ古城 天外に高し

          (下平声「四豪」の押韻)

<解説>

 白梅の花びらが松山城の堀の水面に浮かんでいる。
 堤に眼を転じれば、黄色に芽吹いた新柳が老松を揺らす東風に揺られている。
 堀之内公園は鶯を始めさまざまな野鳥の囀りにぎやかで、まさに陽光溢れる好季節を迎えた。
 勝山には三層の松山城が天高く聳えている。

<感想>

 サラリーマン金太郎さんからは、昨年に「堀之内新居」の詩をいただきましたね。松山城の近くに引っ越しをされたとのことでしたが、春を迎えられ、新たなお気持ちでおられることと思います。

 前半が対句になっていますが、白と黄の対比に風の渡る松の緑も重なり、鮮やかさが引き立ちますね。
 転句からの展開も良く、鳥の鳴き声を聞きながら一面の春を感じ、その時点で視点を広げたことで結句の広角視野へのつながりを滑らかにしていると思います。

 見当違いかもしれませんが、生活の充実が詩に表れているのではないかと推察します。良い詩ですね。

2006. 7.25                  by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第107作は 一人土也 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-107

  扶桑青史        

小国前途可奈何,   小国の前途 奈何すべき、

当年将相欲干戈。   当年の将相 干戈を欲す。

纔存墨子胸中者,   纔かに存す 墨子 胸中の者、

転瞬頽唐踊悪魔。   転瞬 頽唐 悪魔を踊らす。

          (下平声「五歌」の押韻)

<解説>

 一人土也です。
 こんどは日本の近代のあたりを漢詩にしようと思いました。
その途中で中江兆民という人の小国平和主義ともいえるような「富国強兵」に対する思想があったりもしたので墨子という言葉を出したのだけれどあまり適切ではないかな・・・
とも思ってます。

  ちっぽけな国の前途はさてどうすればいいか?
  その昔の大臣はたてとほこを使おうとした。
  わずかに「墨子」のような非戦が胸にあった者もいたが、
  少しの間に崩れ去って悪魔を喜び踊らすこととなってしまった。



<感想>

 「青史」は、かつて青竹を焼いてそこに文字を書いたところから生まれた言葉ですが、歴史書を表します。

 転句の「纔」は、「ようやく、やっと」という意味ですので、ここでは、「かろうじて」というところでしょう。「僅」でも通じるでしょうね。
 結句の「頽唐」「どっと崩れる」ことですので、直前の「転瞬」と呼応しています。

 中学一年生の一人土也さんのお気持ちを、私たち大人がどう受け止めるかが大切だと思います。

2006. 7.25                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第108作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-108

  伊賀老翁        

 翁於前大戦転戦大陸六年、従黒竜江至湖南
    翁、前の大戦に於いて大陸を転戦すること六年、黒竜江より湖南に至る

蓬飛南北幾千里   南北に蓬飛すること 幾千里

蒲弈死生多少年   死生を蒲弈ほえきして 多少の年ぞ

往事不遺誰也識   往事遺さずんば 誰かまた識る

病床執筆思連棉   病床に筆を執れば 思い連棉たり

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 以前、伊賀のおばあさんを詠んだ詩を投稿いたしましたが、今度はおじいさんの詩を投稿いたします。
このご老人も老健施設に入所されていて、車椅子の生活ですが、知能の方はしっかりしておられます。

 仲良くなっていろいろ話を伺っていますが、技術兵として中国大陸を6年転戦したそうです。現在、ご子孫に残そうとその思い出を書き留めているそうです。

<感想>

 禿羊さんの仰る前作は「夕蝉吟」でしたね。とても心温まる詩でした。今回の作は七月上旬にいただきましたが、つい最近、この「おじいさん」が外国へ移られるということで二作目をいただきました。
 合わせて二作をご覧いただくことにしました。

 承句の「蒲弈死生多少年」は、「蒲弈」「ばくち、賭け事」のことですから、「生と死とどちらに転ぶか分からないような生活をどれくらい多くの年月過ごしたことか」というお気持ちでしょう。

2006. 7.25                 by 桐山人



真瑞庵さんから感想をいただきました。
一読して胸が熱くなり、両眼に涙の溢れるのを禁じえませんでした。
作者の人柄の温かさ、人に対する思いの深さを感じ、又、老嫗の老いて尚、凛として人生を送っておられる姿が想像できます。

2006. 7.27                 by 真瑞庵





















 2006年の投稿詩 第109作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-109

  伊賀老翁 其二        

老翁齢九旬   老翁 齢九旬

蹇脚依輪椅   蹇脚 輪椅に依る

年来病膀胱   年来 膀胱を病み

便旋疼又止   便旋 疼みて又止まる

花眼書煩看   花眼 書 看るに煩わしく

半聾語難解   半聾 語 解し難し

如斯精神明   斯くの如きも 精神明らかにして

談話適条理   談話 条理に適ふ

霜鶴在孤松   霜鶴の孤松に在りて

猶如望万里   猶 万里を望むが如し

無端得知遇   端無くも 知遇を得

閑話互欣然   閑話して 互ひに欣然たり

乗暇問病室   暇に乗じては 病室を問ひ

交誼及一年   交誼 一年に及ぶ

一宵爲我吹   一宵 我が為に吹く

口琴支那夜   口琴「支那の夜」

嫋嫋有哀音   嫋嫋として哀音有り

胸裏秋風過   胸裏 秋風過る

他日訪老翁   他日 老翁を訪へば

暗暗有空舎   暗暗として空舎有るのみ

聞説      聞説(きくならく)

一家難成産   一家 産を成し難く

棄郷去他州   郷を棄てて 他州に去りしと

過室毎思彼   室を過れば 毎に彼を思ふ

温顔在瞑眸   温顔 瞑眸に在り

輪椅:車椅子
口琴:ハモニカ

<解説>

 鈴木先生
暑中お見舞い申し上げます。

 先日、投稿しました詩の老人が突然(私にとってはということですが)フィリピンに移住されました。息子さんのお嫁さんの里ということのようです。故郷を離れるのをいやがるとのことで、一時的に遊びに行くといって、連れて行ったということですが、ご老人は察しておられたように思います。
 介護の必要な体で、言葉が通じないところで無事に生活できるかどうかを考えると、暗然たる思いが致します。平穏な余生をお祈りしているのですが。

 詩の方は思いが籠もって少々長くなってしまいました。よろしくお願いします。

<感想>

 ご心配なお気持ちがよく伝わります。
「一期一会」という言葉がありますが、私は若い時はそれほどこの言葉の真実味を理解できませんでした。「理屈では分かるけど、また会おうと思えばいつだって会えるんだし、そんなに大げさに言わなくてもいいのに」とか思ったんでしょうね。でも、少しずつ、「次にいつ会えるか分からない」と感じる機会が多くなりました。
 それは無常観ではなく、年齢が高くなったからという現実からのものです。ここで別れたら、もう二度と会えないかもしれない、という思いが妙にリアルで寂しさはひとしおです。それでも、携帯とかメールのおかげで随分以前とは違うのでしょう。

 近体詩のように、最後まで同じ韻目で通すことを『一韻到底格』と言いますが、この詩は古詩ですので、途中で換韻しています。押韻の関係で見ますと、「韻の変わり目が意味の変わり目」とされるのですが、そういうことでは、ここでは第十五句〜第二十句がひとまとまりになっています。しかし、内容的には、第十九句の「他日」から最後までを一つの段落(解)にすべきでしょうね。

2006. 7.25                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第110作は伊丹市にお住まいの 翠葩 さん、八十代の女性の方からの作品です。
 

作品番号 2006-110

  客中聞鵑     客中 鵑を聞く   

杜鵑裂帛夢醒時   杜鵑裂帛夢醒むるの時

断続催帰天一涯   断続帰るを催す天の一涯

客裡郷愁誰料得   客裡の郷愁誰か料り得んや

故山迢逓更堪思   故山迢逓として更に思ふに堪へたり

          (上平声「四支」の押韻)

<感想>

 初めまして、よろしくお願いします。
 翠葩さんは詩作経験も長い方ですので、定番の詩題に対して、思いをよくこめておられることと感じました。
 結句の「迢逓」は、「はるかに遠く隔たる(続く)」ことですので、旅先から故郷まで空間を越えて郷愁がつながることを表していて、絶望的な気持ちがよく象徴されているでしょう。
 ただ、転句の「誰料得」と結句の「更堪思」はどちらも作者の郷愁の深さを表す形容語ですので、重複感が残ります。結びは、故郷の山々の姿を胸に思い描く形で書かれると、読者への訴えも明瞭になるのではないでしょうか。
 今のままですと、「故郷が懐かしいよ、とても懐かしいよ、こらえられないくらい懐かしいよ」と繰り返しているような印象です。

2006. 7.26                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第111作は 登龍 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-111

  送春有感        

三春九十奈難撐   三春九十 ささへ難きを奈んせん

已識人生逝水聲   已に人生 逝水聲を識る

兀兀哀愁迷處所   兀兀たる哀愁 處所に迷ひ

誰憐短命共傷情   誰か憐れむ 短命 共に情を傷まん

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 大意
起句 九十日の春の美しい景色を支えることが出来ずどうしようもなく
承句 すでに人生も流れ去る水の如くであることを知る
轉句 一心不乱に悲しみ歎き居所に迷い
結句 この短命を誰が憐れむだろうか共に情を傷めるのである



<感想>

 春の終わりの悲しみは、多くの詩人がこれまでも詠んできたものですので、それらをベースにして現代の私たちは詩を作ることができます。そうしたことが詩心の伝統ということでしょう。
 この詩では書き出しの「三春九十」の言葉で、一気に長安にタイムスリップするような趣がありますね。
 承句の「逝水聲」が更に古代を髣髴とさせるわけで、登龍さんのこの時の感慨が今この時だけのものではなく、長い時の流れの中で多くの人が共有してきた感懐だと訴えることになります。
 前半の工夫された名調子に対して、後半がやや甘いのは、「哀愁」「短命」「傷情」と色調の共通する言葉を置いたからでしょうね。

2006. 7.26                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第112作は 童心 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-112

  藤花        

青天朝旭艶花房   青天の朝旭 花房を艶やかにし、

落日残輝新秀芳   落日の残輝 秀芳を新たにす。

煙雨蕭蕭濡麗色   煙雨蕭蕭として 麗色を濡らし、

佳人帯涙如紅粧   佳人涙を帯びて 紅粧するが如し。

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 私の家の近くに藤の花が咲き、朝晩通って楽しんでいます。
今回やや気分を傾注し過ぎたかなと思っています。

<感想>

 朝(起句)から夕(承句)にかけての藤の花の美しさを描き、転句からは雨が降ってもまた美人が涙を流しているような姿だと語る展開は、蘇軾の「飲湖上初晴後雨」を思い出します。
 雨に西施がねぶの花ですね。
 藤の花はとりわけ、棚から垂れ下がった花を下から見上げることが多いもの、私は空の青を背景とした藤の花が好きです。

 結句の「如」は平声としますので、ここは「似紅粧」として下三平を避ける形にした方が良いですね。

2006. 8. 5                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第113作は 登龍 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-113

  初夏即事        

薫風習習轉清妍   薫風習習 轉た清妍に

庭院苔衣翠色鮮   庭院の苔衣 翠色鮮やかなり

水滿秧田農事急   水は秧田に滿ち 農事急にして

歸來舊燕雨餘天   歸來の舊燕 雨餘の天

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 大意
起句 穏やかな初夏の風が吹き益々清く美しくなって、
承句 庭の中は苔の衣替えをして緑色が鮮やかである。
轉句 水は秧田に満ち農事が忙しくなり、
結句 去年の燕が帰って来た雨上がりの空。

<感想>

 前半は描かれた初夏の風景も静的で、ゆっくりと時間が流れている、もっと言えば時間が止まっているかのような気がします。のんびりとした気持ちになりますね。
 転句からは「満」「急」「帰来」「雨餘」など、動的な言葉を多く使い、時計の進み方を一気に速くするようですね。
 言葉のもつイメージを前後半でバランス良く配置していますので、描かれたものは初夏の定番の風物ではあっても、それぞれが生き生きとした趣を出していると思います。
 見たままをそのまま並べたということではなく、作者の工夫や配慮が感じられる詩ですね。

2006. 8. 5                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第114作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-114

  快哉荒川靜香選手冠軍        

待望百年長所期,   待望百年 長きに期するところ,

初瞻奧会日章旗。   初めてる 奧会おうかいの日章旗。

天生仙女滑氷鏡,   天は生ず 仙女の氷の鏡を滑るを,

月入花魂輝雪肌。   月は入る 花魂の雪の肌を輝かすに。

向后彎身倒南北,   向后こうごに身をげて南北をさかしまにし,

無前乘勢領東西。   ぜん無くせいに乗じて東西を領す。

張開大腿盤旋巧,   大腿を張り開いて盤旋ばんせんすること巧みに,

世界中心翻羽衣。   世界の中心に羽衣をひるがえさん。

          (中華新韵「十二齊」の押韻)

<解説>

 [ 語釈]
奧会:オリンピック
花魂:美人の心
向后:うしろに。「向后彎身」が「イナバウアー」のつもりです。
無前:前にたちふさがるものがない。無敵。
盤旋:ぐるぐる回る。


 荒川静香さん、オリンピック金メダル、おめでとうございました。

<感想>

 冬季オリンピックの感想を鮟鱇さんが書いてくださいましたが、何と言ってもあの「イナバウアー」をどう表現するかということですね。中国ではどう言うんでしょうね。
 荒川さんは世界を制し、イナバウアーは老若男女を問わず世を制し、半年を経てみると他の競技の記憶が消えてしまっているのは、まことに申し訳なく、反省しています。
 荒川さんが競技から引退をされ、今後は「アイスショー」で滑りたいと仰ったことを聞き、「アイスショー」がどんなものなのかがようやく分かるようになりました。これも、無知で申し訳なかったことと、またまた反省しています。

2006. 8. 5                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第115作も 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-115

  對酌閻王        

獨生孤死下黄泉,   ひとり生まれひとり死んで黄泉こうせんに下り,

笑対閻王傾盞歡。   笑って対す 閻王えんおうと 盞を傾けるの歓。

他説飲酒原無罪,   かれ 説くに飲酒はもとより罪なきも,

但使妻悲値咎愆。   ただ妻をして悲しましむは咎愆きゅうけんに値すと。

          (中華新韻「八寒」の押韻)

<解説>

 [語釈]
 独生孤死:多くの場合、人は生まれるのも死ぬのもひとりです。
      ここでは、「ふつうに生まれ普通に死ぬこと」くらいの意味に読んでください。

 閻王:閻魔大王。
 他説:他は「彼」。説は「言う」。
 咎愆:過ちを咎める。


 現代韻で書いています。「説」は古典韻では仄声ですが、現代では平声になります。

<感想>

 この詩をお読みになって、胸にズキリと痛みが来たら、それは素直な方、鮟鱇さんの術中に陥りますよ。
 この詩は誰のことを詠もうとしているのか、世間一般の飲んべえ亭主のことか、李白たち飲んだくれ先人たちのことか、作者である鮟鱇さんご自身か、それとも投稿を受けた私のことか、いろいろな解釈は可能でしょうが、ともあれ、きっと鮟鱇さんご自身は、「この詩を閻魔大王の所に持っていけば、自分の飲んだ分くらいの情状酌量があるぞ」と狙っているはずです。日頃の飲酒を反省する人が多いほど効果倍増・・・・とほくそ笑むお顔が目に浮かびます。
 私は反省しないゾー!!
                と、今日の感想だけは妻に見られないようにします・・・

2006. 8. 5                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第116作は 佐竹丹鳳 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-116

  大寒即事        

朝來不聞語聲同   朝来 聞かず 語声の同じきを

佇立欄邊微暖中   欄辺に佇立す 微暖の中

小雀窺人頻振首   小雀 人を窺ひて 頻に首を振る

暫遊為侶若茶翁   暫く遊べ 侶と為らん 茶翁の若く

          (上平声「一東」の押韻)

<感想>

 掲載が遅れて申し訳ありません。

 転句・結句は一茶の「我と来て 遊べや 親のない雀」を受けてのもの、一茶の句では他にも「雀の子 そこのけそこのけ 御馬が通る」がありますね。
 眼前の小さな生き物への視点は温かいものですが、一茶自身は五歳で実母と死別、前出の句は言外に「私も親がいないから仲間だよ」という寂しさがこめられていると言われます。

 子雀は俳句では春の季語ですので、「微暖」の語とのつながりが感じられます。

2006. 8.10                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第117作は 北口鉄枴 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-117

  高楼斟酒        

山圍樓閣向西開   山は樓閣を圍み 西に向って開き

十里郊村望壮哉   十里郊村 望み壮なる哉

芳樹帶霞紅靉靆   芳樹霞帶び 紅靉靆

遠巒被雪白崔嵬   遠巒雪を被り 白崔嵬

社頭啼鳥聽猶近   社頭の啼鳥 聽けば猶近づくがごとし

池底游魚招欲來   池底の游魚 招けば來らんと欲す

呼酒繙書閑傾盞   酒を呼び書を繙き 閑に盞を傾け

胸中自是絶塵埃   胸中自から是れ 塵埃を絶つ

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

 謝斧です。
 北口鉄枴先生を紹介します。

 北口鉄枴先生は私よりも作詩経験が長く三十年以上の大先輩です。今回、嘯嘯会に入会して頂きました。
同じ兵庫県で山陽風雅に投稿されていましたので、以前からお名前は存じていました。岡田嘉先生とは旧知の間です。七律は殆ど瑕疵なく作られます。
 この詩は昭和63年11月に山陽風雅に掲載されたものです。よく覚えています。
 呂山先生の詩に曰く、
吾党詩豪鉄枴君 下帷扇港夙揚勲 市人何意誰何荐 小壮才名最出群存 扇港人問北口鉄枴君之詩力因答

<感想>

 嘯嘯会も力をお持ちの方が沢山お見えになり、ますますの盛会ですね。

 「靉靆」「(雲の)たなびくさま」を、「崔嵬」「山が高低があり険しいさま」を表す言葉です。
 詩題の「高楼」を読まなくても、はるかな視野の広がりを感じさせる前半の描写で、読者は広大な空間を浮遊するような視点を持ち、景観を楽しむことができます。
 後半は近くへと視点が動きますが、前半の描写が生きているため、「塵埃」を絶った「胸中」が更に無限の広がりを持つような印象が出てきますね。
 スケール感の壮大な七律ですね。

2006. 8.10                 by 桐山人



 井古綆さんから、七句目の「呼酒」「傾盞」が重複しているように思うがどうなのか、という質問をいただきました。
 作者ご自身のお気持ちは分かりませんが、ここの重複については、私自身は読んだ時にそれほど気にはなりませんでした。意味合い的には、「酒を飲み、本を読み、また酒を飲み・・・・」という形で、この繰り返しの中で時間が流れていくようなニュアンスがあるからかもしれません。
 また、「絶俗塵」の場として、いかにも書と酒の組み合わせが調子がいいからかもしれません。
 作者の思いは全然別のところかもしれませんが、私はこんなように思いました。

2006.8.11                  by 桐山人





















 2006年の投稿詩 第118作は 藤原益蔵 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-118

  上巳節後吟屐東郊        

日暄風軟喜新晴   日暄かく風軟かき 新晴を喜び

尋訪青郊歩歩軽   青郊を尋訪して  歩歩軽し

是処樹頭棲乳燕   是処の樹頭に 乳燕棲み

誰家庭際隠啼鴬   誰家の庭際ぞ 啼鴬隠る

辛夷破蕾林泉明   辛夷 破蕾して 林泉明るく

楊柳吐芽池畔菁   楊柳 芽を吐き 池畔菁なり

桃李依稀春尚浅   桃李依稀にて 春尚浅けれど

幽香脈脈動吟情   幽香は脈脈として 吟情を動かす

          (下平声「八庚」の押韻)

<感想>

 頸聯で「辛夷」「楊柳」、更に尾聯で「桃李」と樹木が続くわけですが、尾聯の「桃李」「依稀」、つまり「ぼんやりと」とありますから実体は弱いものです。
 次の「幽香」が実体で、しかも「脈脈」ですから「細く長く続いて来る」香りで、この桃李は嗅覚として捉えているもの、もっと言えば「吟情」と存在としては等しいものでしょう。
 そういう観点で眺めると、この尾聯の記述は首聯と通じて、具体的な景物を描いた頷聯・頸聯を両者で挟むような形で、全体として構成を整ようとなさったお気持ちが伝わります。

2006. 8.10                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第119作は 岡田嘉崇 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-119

  元旦賞春        

東風萬里歳華新   東風 萬里 歳華新たに

破蕾枝頭畫景眞   破蕾 枝頭 画景眞なり

郁郁寒梅猶傲雪   郁郁たる 寒梅 猶ほ雪に傲り

垂垂弱柳已涵春   垂垂たり 弱柳 已に春に涵る

芳醪椒酒驚唇妙   芳醪 椒酒 唇を驚かして妙に

巧囀曉鶯呼友頻   巧囀 曉鶯 友を呼ぶこと頻りなり

疎影横斜流水岸   疎影 横斜 流水の岸

今朝早早遇佳人   今朝早早 佳人に遇う

          (上平声「十一真」の押韻)

<感想>

 微かに感じる春の気配、「破蕾」「寒梅」「弱柳」と少しずつ明らかになっていき、五句の「芳醪椒酒驚唇妙」で一気に元旦の景へと入りますね。
 三句は「郁郁」の嗅覚よりも、視覚的な形容語の方が下の「傲雪」への対応が良いと思いますが、どうでしょうか。

 この詩で最も味わい深いのは、最後の「今朝早早遭佳人」ですね。新しい年の始まりとその喜びがこの一句に凝縮されているような気がします。

2006. 8.11                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第120作は 眞香 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-120

  梅雨排悶        

幽庭新樹抱煙深   幽庭の新樹 煙を抱へて深し

霖雨茅齋濕氣侵   霖雨 茅斎 湿気侵す

陰鬱難堪難慰藉   陰鬱 堪え難く 慰藉し難し

奔雷一閃散憂心   奔雷 一閃 憂心を散ず

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

 気持ちが塞ぎ滅入って、憂鬱であれこれと苦作している時に作りました。

 約3年振りです、大変お世話になりました。
長い間失礼いたしました。
 元通り元気になりましたので、漢詩を一生懸命作りたいと思っておりますので、
今後も宜しくお願い申し上げます。

<感想>

 眞香さんはお病気だったのですね。お元気になられたようで、本当に良かったですね。
投稿いただいた皆さんとはメールでのつながりですので、そのメールをいただくなったり、つながらなくなったりすると、お体の具合が悪いのかとつい心配をしています。
 詩を作ることで、お気持ちが晴れるとは必ずしも言い切れませんが、自然を眺め、季節を眺め、時の流れを眺めるきっかけにしていただければ嬉しいと思います。

 転句は、眞香さんのこれまでのお気持ちが表れているのでしょうか、魂の奥の方から聞こえてくる言葉のように感じます。ご苦労なさったのでしょうね。
 変な言い方になりますが、承句転句の画数の多い漢字が並んでいると、そこに書かれたお気持ちも重い感じがしてきますね。その分、結句が見た目、明るく感じます。

 これからも、投稿をお待ちしています。

2006. 8.11                 by 桐山人