2006年の投稿詩 第46作は 蝶依 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-46

  感懷        

一夜長風樹影搖,   

陂メ倚几獨燈挑。   

無君促膝談今古,   

有月酣歌慰寂寥。   

紙上紅箋和涙酒,   

夢中碧水泛雲橈。   

離愁別恨經年久,   

寄託音書望眼遙。   

          (下平声「二蕭」の押韻)

<感想>

 「世界漢詩同好會」でご存じの方も多いでしょう。台湾の蝶依さんからいただいた詩です。読み下し文はついていません(当然ですね)が、「二・二・三」のリズムを取りながら読んでいただくと、意味がつかみやすいのではないでしょうか。

 語句の注だけ、私の方で補っておきましょう。
承句の「閑來」は、「來」は独立した意味を持っていませんから、「閑かに机に向かい」と解釈します。
 頷聯の「促膝」「膝をつき合わせて坐る」ことから、「親しい間柄」を表します。句全体の意味としては、「膝をつき合わせて(詩を)語り合った君は居ない」ということでしょう。「促膝談今古」「君」を後から修飾する形になりますね。

 頸聯の「紅箋」は、「詩や文を書き留める用紙」です。「雲橈」が何のことを言うのか、ちょっと分からないのですが、「はるか遠くのことを思い浮かべる」ということでしょうか。

2006. 4.25                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第47作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-47

  述懐     懐を述ぶ   

結廬深大寺   深大寺に廬を結んで、

歳月五旬餘   歳月 五旬の餘。

老去詩家例   老去 詩家の例、

苦吟情未舒   苦吟 情未だ舒べず。

          (上平声「六魚」の押韻)

<解説>

 郷を出て深大寺に居住して、すでに五十年余り。貧乏生活は詩人の如く、苦吟で未だ心は晴れ晴れとしないでいる。

<感想>

 ゆったりとした時間が流れていくような、そんな趣の詩ですね。余分なものを削り取ろうという深渓さんのお気持ちが、五言絶句の形式を選んだのだと思います。
 ただ。「深大寺」がどのような土地なのか、五言絶句でなければもう少し説明がなされているのでしょうが、それがやや物足りなく思います。
 具体的な風物を描くのは無理だとしても、例えば承句を「人境五旬餘」とすれば、陶淵明を仲間に引き込んでのふくらみを持たせることができるでしょうね。
 また、結句で「情未舒」と言っておいて、題名が「述懐」というのは、やや不自然でしょうね。

2006. 4.25                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第48作は 鯉舟 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-48

  苦寒        

丙戌玄冬寒刺身   丙戌玄冬 寒身を刺す

伝聞豪雪昨今頻   伝へ聞く豪雪 昨今頻りなりと

擁炉終日空斎裡   炉を擁し終日 空斎の裡(うち)

切切待望天地春   切切待ち望む 天地の春

          (上平声「十一真」の押韻)

<感想>

 鯉舟さんの詩を拝見するのは、ほぼ一年ぶりくらいでしょうか。お気持ちがすっきりと出ていて、明朗な詩だと思います。
 鯉舟さんのお住まいは、神奈川でしたか。雪国だけではなく、関東地方でも積雪が多かったようですね。一月に会議で東京に出かけました時には、随分線路に雪が残っていて、ビックリしたことを思い出しました。
 この冬の雪の多さも温暖化の影響だと言われると、私などは「???」でした。暖冬が温暖化の影響というのは分かりやすいのですけどね。
 転句の「擁炉終日空斎裡」のように、一日中こたつに入って部屋に居るしかない日も多かったのですが、だから尚更結句の「切切待望」が実感を伴っていますね。

2006. 4.25                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第49作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-49

  雪日        

雲下天昏雪片舞   雲れ 天昏くして 雪片舞ひ

芦凋柳老鷺吟酸   芦凋み 柳おとろへて 鷺吟かな

翠幹影滲紗廉白   翠幹 影は滲む 紗廉の白きに

紅蕾香沈日暈寒   紅蕾 香は沈む 日暈の寒きに

寂寂房空提炭火   寂寂 房空しくして 炭火を提き

醰醰酒濁副朝餐   醰醰たんたん 酒濁りて 朝餐に副ゆ

春事春風糊一口   春事春風 一口を糊し

閑居閑日作三嘆   閑居閑日 三嘆を作せり

          (上平声「十四寒」の押韻)

<解説>

 雪降りの日のわび住い。閑な一日、朝から酒でも食らって、春の野良仕事を楽しみに無聊を慰めるしかありません

「紗廉」:雪簾

<感想>

 昨冬の寒さの厳しさについて、真瑞庵さんからも詩をいただきました。

 初句「下」は動詞として、「たれ」と、第二句「酸」「悲酸」「辛酸」の用例にあるように、「つらい、悲しい」の意味として、ここでは「かなし」と読んでいます。
 「醰醰」は辞書でも調べにくい言葉でしょうが、「酒の味が良い、うまい酒」のことです。頸聯は、「誰も居ない部屋で火をおこして、朝から酒を飲む」という意味ですが、この「醰醰」が働いて「おいしい酒を朝っぱらから飲むぞ」という明るさが出てきますね。
 結句の「三嘆」は、「何度も嘆く」ということですが、旨酒を飲んでの嘆きですから、まあ、ため息くらいのものでしょうね。

2006. 4.29                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第50作は 点水 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-50

  大雪災害        

今冬寒気不尋常   今冬寒気 尋常ならず

上越山村大雪傷   上越の山村 大雪が傷む

阻碍交通埋屋舎   交通を阻碍 屋舎を埋む

世人都念度春光   世人みな春光度るを念ず

          (下平声「七陽」の押韻)

<感想>

 この詩は、点水さんから1月末に、「雪国の方々、誠に大変かと心配しております。」とのコメントを添えて投稿していただいたものです。
 承句は、形としては倒置法の用法ですが、下三字は「大雪そのものが傷む」と読んで、「???」という感じになります。「大雪」を主語として、句の頭に置くような構成にした方が良いと思います。

 全体の構成としては、承句と転句がひとまとまりになっていますから、句の展開に変化が乏しく感じますね。承句と転句の内容を起句と承句に持ってきて、起句を転句の位置に置く、分かりやすく言えば、
  上越山村大雪傷
  阻碍交通埋屋舎
  今冬寒気不尋常
  世人都念度春光

 のように並べて、あと平仄と押韻を揃えれば、メリハリのある展開になると思います。



2006. 4.29                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第51作は 登龍 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-51

  曉起看雪        

皚皚曉色雪花晨   皚皚たる曉色 雪花の晨

盈尺成堆白似銀   尺に盈ち堆を成し 白 銀に似たり

萬樹凝粧無寸碧   萬樹粧を凝らし寸碧無し

天公妙技畫中春   天公の妙技畫中の春

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 [大意]
   真っ白な雪景色の朝
   一尺に満ちた雪は堆く積もり 白 銀に似ている
   多くの樹木は化粧して少しの青も無く
   天公の妙技は絶妙で絵の中にいるようである


<感想>

 登龍さんのこの詩も、前の点水さんの詩と同じく、転句の働きが弱いように思います。起句から転句まで情景描写をして、結句でそれらを大きくまとめるという構成ですが、「皚皚」「白似銀」「無寸碧」と色彩を表す語が続き、説明に流れるような印象です。
 結句と転句を思い切って入れ替えるような構成にすると、「萬樹」と、承句と視点は同じでも、一度「畫中春」と実景から離れる分だけ、もう一度視点転換が行われることになり、全体が生き生きとしてくるのではないでしょうか。

2006. 4.29                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第52作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-52

  大石内蔵助 南部坂雪之別     大石内蔵助 南部坂雪之別れ   

一年有半舐辛酸   一年有半辛酸を舐め

絶好迎辰奮鐡肝   絶好の辰(あした)を迎へ鐡肝奮ふ

失意婦人陽語述   失意の婦人に陽語述ぶ

千回後悔萬回歎   千回後悔し萬回歎ず

          (上平声「十四寒」の押韻)

<解説>

 平成16年末から一念発起し、忠臣蔵の登場人物や名場面を漢詩でつづる「漢詩版!忠臣蔵」の創作をライフワークとして取り組むこととしましたが、今回は第二段です。
 講談、映画、歌舞伎でも必ずやる「南部坂」の名場面を取り上げます。といってもご存知でない方もおられるでしょうから、文末に概略を記します。

絶好の辰=元禄15(1702)年12月14日吉良邸討ち入り決行日。
     大石が南部坂・三次浅野家を訪ねたこの日は前日の13日である。

失意婦人=浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)の未亡人
     瑤泉院(浅野阿久利)のこと。
     芸州三次浅野家の藩主、浅野因幡守長治の二女。

陽語述ぶ=播州赤穂の元城代家老 大石内蔵助が、仇敵側からの間者(スパイ)お梅が
     腰元として潜伏しているのをいち早く察知して、瑤泉院からの執拗な御下問を
     のらりくらりとはぐらかし、討ち入りの意志は無いこととして狂言したこと。

千回後悔=大石内蔵助自身も、晴れて婦人に明朝の義挙をねんごろに話し、永久の別れを
     したかったに違いない。また何よりも、殿様の位牌に焼香をしたかったであろう。
     (実際には激怒した婦人により拒絶された)

萬回歎ず=こちらの主語は瑤泉院。深夜になって、大石が密かに持参した包みが
    「討ち入りの連判状」であったことを知らされ、知らないこととは言いながら
     はしたなくも、天晴れ忠臣の大石を罵倒したことを、「ゆるしてたもれ」と
     歎き悲しんだ。

(あらすじ解説)
 大石内蔵助にまつわる逸話の中でも特に有名な場面である。
 内蔵助は討ち入りの直前、江戸南部坂(現在の港区)に住む浅野内匠頭の未亡人に会いに行く。明日未明の討ち入り決行を伝え、同士の連判状を渡すとともに内匠頭の霊前にもそのことを報告したいのに、吉良の密偵の影にそれもならず、「ある西国の大名に召抱えられることになった。再びお目にかかることもない。東下りの旅日記を持参した。」と断腸の思いで偽りを伝える大石。怒りに席を立つ未亡人、降りしきる雪の中に今生の思いを背中で伝える大石、夜中に内蔵助からの旅日記を盗もうとする女間者、ほどけた旅日記がそのまま連判状、やがて入る討ち入りの知らせ、大石の別れの意味を悟り短慮を悔いる未亡人。
 これほどの場面設定はないくらいに見事なドラマである。恐らくここを飛ばして忠臣蔵という物語は成り立たないだろうと思えるほどの完成された情景である。


<感想>

 忠臣蔵の中でも感動的な場面で、いかに登場人物の心の中を描くかに重点が置かれるわけですが、「辛酸」「鐡肝」などの言葉で、巧みに表現されていると思います。ただ、これだけドラマチックで複雑な場面を描くには、七言絶句では短いのでしょうね。やや、言葉が不足している気がします。

 転句の「陽語」「陽言」と同じく「偽りの言葉」ということです。
 文の構造から見ますと、それを言ったのは大石内蔵助で、目的語(「〜を」に当たる)と補語(「〜に」「〜より」など)の双方を持つ文です。言葉の並び方としては、「主語+述語+目的語+補語」と並びますので、本来ならば「(大石内蔵助)述陽語失意婦人」となるべきですが、この句では述語の「述」を最後に置いたため、「失意」「婦人」「陽語」の言葉の関係がつかみにくくなってしまいました。
 「婦人」はもとから「失意」していたのか、それとも「陽語」のために「失意」したのか、そもそも「失意の婦人」と読んでもらえるかどうかも不安ですので、この転句は推敲されるのが良いと思います。

 結句の主語の転換も、「千回後悔」するのは内蔵助で、「萬回歎」のは瑤泉院であることがどこから分かるのか、また、「千回」「萬回」の差はどこにあるのか、作者には明解な理由があっても、それを詩を通して伝えない限りは思いこみ、強要になってしまいます。
 そうした点で、最初に言いましたような「言葉不足」の印象が出てくるのだと思います。

2006. 4.29                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第53作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-53

  雪中一夜     雪中の一夜   

独上雪山眠凍林   独り 雪山に上りて 凍林に眠り

闇中唯聴己心音   闇中 唯だ 己が心の音を聴く

百年人事一時逼   百年の人事 一時にせま

窮老無声冒薄衾   窮老 声無く 薄衾を冒(かぶ)る

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

「百年人事」:人の一生(来し方、行く末)、元好問から引用しました。

 冬、一人で山に登り野営しますと、夕飯を食べ終わると辺りはすっかり暗いのですることはなく、七時頃にはもう寝袋にもぐりこみます。朝は五時頃までは起き出しませんので、少なくとも10時間は寝ていることになります。
 歳をとりますとそうは寝られませんので、どうしても輾転反側して考え事をしてしまいます。
 最近は詩想を練るようになり時間を潰せて有難いのですが、やはり来し方行く末のことにも考えが及んでしまいます。

<感想>

 「百年人事」は、元好問の「永寧南原秋望」から引用されたのですが、まだ若い元好問が戦乱を避けての苦しみの中、「一生の様々なできごと」を憂いをこめて眺めた時の言葉です。
 同じ言葉でも、それを若者が使うか、年輩の方が使うかで、意味にも変化があるわけで、そのあたりを考えるのも面白いように思います。

 結句の「無声」は、「呑声」「忘声」なども考えられるのでしょうが、強烈な印象の転句、「百年の人事 一時に逼る」を受けるという点から考えると、「無声」では少し弱いような感じがしますね。
 うーん、それとも、承句の聴覚との対応からでしょうか、この「無声」だけが何となく引っかかるのですが・・・・

 禿羊さんの「雪中」ではありませんが、私もこの前の入院の時には、夜の消灯も早いし、しかも入院当初は絶食でしたので晩ご飯もなく、夜の長いこと。ベッドの上でただ寝ていると、色々なことをやはり考えていました。
 ゆっくり考えられて良かったこともあれば、考えすぎて嫌になってしまうこともありました。禿羊さんの心境が、とてもよく分かります。

2006. 4.29                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第54作は 鯉舟 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-54

  嘆腰痛        

難耐痛疼腰幹馳   耐え難き痛疼 腰幹を馳す

我垂七十卒煩之   我 七十になんなんとしてつひに 之を煩ふ

臥牀轉輾夜眠浅   牀に臥し轉輾として 夜眠浅く

叩枕呻吟暗涙悲   枕を叩き呻吟して 暗涙悲し

草樹向冬花自愀   草樹冬に向ひ 花自づからしほ

人間入老骨将衰   人間老に入り 骨将に衰へんとす

一燈展巻欲忘疾   一燈巻をひらき 疾を忘れんと欲せば

寒月既傾窺薄帷   寒月既に傾きて 薄帷に窺ふ

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 昨年秋腰痛(あのみのもんた氏と同じ腰部脊柱管狭窄症)を患いました。
 手術入院する迄約二ヶ月間激痛に悩まされ、夜も眠れなかった時のことを漢詩にしてみました。あの痛さは経験してみないと分からないと思いますが、絶句では痛さを十分表現できないと考え、律詩にしました。
「薄帷」は部屋の窓のカーテンの積もりです。
 なお現在は痛みは多少残っていますが、次第に快方に向かっておりますので他事ながらご安心ください。

<感想>

 二ヶ月間も激痛に苦しまれたのですか。それは辛かったことと思います。「快方に向かっている」とのこと、ひとまずは良かったですね。しばらくは快復のための期間が続くのでしょうが、一番大事なところですので、焦らず、無理をなさらないようにしてください。

 第二句の「我」については、詩では基本的には一人称の主語は省きます。何も言わなければ、詩に描かれる行為や思いは作者自身のものとして考えるからです。逆に、このように「我」と書かれた場合には、それは意図的なもの、「他の人と違って私は」というくらいの強調表現に近いと思わねばなりません。
 ここでは、言外に「仲間はもっと若い頃に腰を痛めた人が多かった。けれど、私は幸いにもこれまで元気でいたのだが、とうとう七十歳になって・・・・」という意味を含ませているわけです。一文字の意図を考えると、随分内容が深まるという好例ですね。

 頸聯落句(第六句)の「人間」は、出句の「草樹」との対応から見ると、「にんげん」として用いておられるのでしょうね。漢文では、「じんかん」と読んで、「人間世界」「世間」の意味が一般的ですので、この対は苦しいところです。

 結句は、最初いただいた時は、「薄帷を窺ふ」とされていましたが、「薄帷に窺ふ」と訂正されました。これは読み下しの問題ですが、「薄帷に窺ふ」ならば意味は「カーテンの隙間から月が顔を覗かせている」ですし、「薄帷を窺ふ」ならば「カーテンを照らしている」となります。こちらは平仮名一文字ですが、違いが明瞭で、作者の気持ちがよく分かりますね。

2006. 5. 4                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第55作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-55

  龍泉古窯     龍泉の古窯   

早晨寒月凛霜威   早晨の寒月 霜威凛たり

白日車窓人影稀   白日の車窓 人影稀なり

不見龍泉古窯景   見ず龍泉 古窯の景

梅瓶抱掌且忘歸   梅瓶掌に抱き 且く帰を忘る

          (上平声「五微」の押韻)

<解説>

 自作「楠渓古村」(H17-12-27投稿、H18-1-2改稿)の翌日、バスで5時間かけて龍泉まで行きました。
 龍泉は、昭和58年、福岡市博物館で開催された「新安海底引き揚げ文物展」で観た「龍泉窯青磁」の生産地名として、私の脳裏に強い印象を残して居りますが、残念ながら「龍泉古窯跡」を見る事は出来ませんでした。店頭に飾ってあった「梅瓶」を一壺だけ買って帰りました。
 尚、転句下三連の平仄(○●●)は「●○●」としました。 

<感想>

 起句は「早晨」で早朝の景、承句は「白日」ですので昼間、時間的に対にしてあるのですが、だから、さて何が言いたいのかとなると、つながりが分かりません。
 朝バスで出て、昼まで乗っていたということでしょうか。そこまでの意識は無くて、「朝はこうだった、昼はこうだった」と並べているだけかもしれませんが、起句と承句は詩の場面を形作る役割を持っていますから、この二句で何が言いたいのかを考える必要があります。
 また、承句の「車窓人影稀」は、窓の中、つまりバスの中に人が少ないのか、窓から外を見たら人がいないのか、これもはっきりしない表現ですね。

 転句の下三字の平仄は、「挟み平」ですので、問題ありません。

 後半の二句は、「龍泉古窯」を見なかったことと「梅瓶」のつながりが出ていません。「抱掌」「纔有」「尚有」のようにすれば、つながりが生まれます。あるいは、梅瓶の美しさを描くような形でも良いでしょう。
 「古窯景」「古窯地」にしないと、「景」では対象がぼやけています。

2006. 5. 4                 by 桐山人



 兼山さんから推敲作をいただきました。
  龍泉古窯     龍泉の古窯   

早晨發宿凛霜威   早晨に 宿を發す 霜威凛たり

長旅車窓人影稀   長旅の 車窓 人影稀なり

如幻龍泉古窯址   幻の如し 龍泉 古窯の址

梅瓶逸品抱懐歸   梅瓶 逸品 懐に抱いて歸る

<感想>

 前半の流れはスムーズになりましたね。「霜威凛たり」という出だしの緊張感が崩れることなく展開していると思います。
 「龍泉古窯」に行けなかったという残念な気持ちを「如幻」で表したのでしょう。前の「不見」と比較すれば、柔らかい表現になったと思いますが、考えていくとまだまだ良策が出るような気がします。結論を出すことを持ち越して、楽しみを残すということでどうでしょう。

2006. 9.29                by 桐山人























 2006年の投稿詩 第56作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-56

  歳晩迎孫児        

今歳孫帰自美州   今歳 孫は美州より帰る

來邦胸裡伴良儔   來邦の胸裡 良儔に伴ふ

夭髯雖見少年感   夭髯 見ると雖も 少年の感

先問平常萬里悠   先ずは萬里悠の平常を問ふ

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

〇今年も中学生になった孫が単身帰国した。
〇小学時代の友達の家を泊まりあるいた。
〇一年ぶりというのに背丈や若髭もチラホラ。
〇遙かに遠い米國で、普段と変わりないかと先ず問いただした。爺と婆。
〇滞日二週間のうち、三晩だけ我が家に泊まっただけで、大晦日につむじ風のように去った。

<感想>

 深渓さんからは、昨年の同じ頃に、「自米州孫來」の詩をいただきましたね。また、今回の帰国される時の詩もいただきましたので、併せてご覧になると、一層味わいが深まります。
 転句と結句は文の構造が複雑です。特に、「少年感」については、述語がありませんから、どうしても「少年 感ず」と主語述語で読んでしまいます。
 「感」の字は動詞の用法が多いからですが、それを避けようと「感」の字を名詞の言葉に換えて、「少年像」あたりにしてみると、今度は「雖見」の目的語かと思ってしまいます。
 「夭髯尚有少年像」
くらいにすると、どうでしょう。

 結句も、書き下しのように読むことはできません。私ならば、「先に平常を問へば 萬里悠かなり」でしょうか。「問ふも」「問ふに」「問ふ」など、色々考えられます。深渓さんが考えられた読み方でなくても、意味としては通じるでしょうし、送り仮名による変化を考えるのも楽しいのではないかと思います 2006. 5. 5                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第57作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-57

  送成田孫児        

忽然来日去如風   忽然 来日して 風の如くに去る

若竹青青二六童   竹の若く 青青たり 二六の童

惜別成田空港裡   惜別す 成田 空港の裡

轟音瞬刻暮雲中   轟音 瞬刻なり 暮雲の中

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

  「二六」:二x六=十二才のこと。
「 童 」:孫児。
「瞬刻」:一瞬、またたく間。

<感想>

 こちらの詩は、見送りの場面になりますが、承句の「若竹青青」が生きていますね。
 私は最初、「若い竹が青青と」ということかな、と思ったのですが、「竹の若く」で、お孫さんがまっすぐに育っていらっしゃることが出てきますね。

 転句の「空港」は、「誰も居ない港」という感じですから、現代語で「機場」の方が良いですね。

2006. 5. 5                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第58作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-58

  春宵看梅 和北郭先生梅花九首        

貧居何以興情催   貧居何を以ってか 興情催し

縞袂羅浮舊古梅   縞袂 羅浮 舊古梅

開戸幽聞暗香動   戸を開けば 幽に聞く 暗香動くを

挑燈閑看冷葩開   燈を挑げ 閑に看る 冷葩開くを

春宵著雪貞姿美   春宵 雪を著れば 貞姿美しく

寒色耐霜高節哀   寒色 霜に耐えて 高節哀し

放鶴先生舟上客   鶴を放ちし先生 舟上の客

横斜疎影最奇哉   横斜 疎影 最奇なる哉

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

「縞袂」:白衣の美人 「月黒林間逢縞袂」 東坡詩
「幽聞」:幽かに匂う
「放鶴先生」:林逋 居る所梅を植え 舟を湖中に浮べ 客至れば鶴を放つ
「横斜疎影」:林逋の句


<感想>

 以前、謝斧さんからは「倣北郭先生之体」をいただきましたね。
 梅花を読んだ詩は数多くあるのですが、ここに登場する林逋や高啓、蘇東坡、王安石などは名作として愛されていますね。
 それぞれの詩をまとめて、以前、季節の漢詩でご紹介しましたので、リンクだけで再掲はお許しいただきましょう。「梅の名作

2006. 5. 11                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第59作は 一人土也 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-59

  秋思        

鳥語連陰曉,   鳥語 連陰の曉、

詩懐転醒魂。   詩懐 転た魂を醒ます。

乱山全是寂,   乱山 全て是れ寂、

無数葉然翻。   無数の葉然えて翻る。

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 [訳]
 鳥の声が響く曇り続きの朝、
 詩懐にハッと心を覚ました。
 乱れ立つ山は全てさびしく、
 たくさんの葉は紅く染まって翻る。

<感想>

 一人土也さんから、ご自身のホームページを立ち上げたとのご案内をいただきました。
 早速拝見しましたが、中学校の勉強内容の解説を見て、驚いてしまいました。中学生が中学校の学習内容を、できる限り分かりやすくという意図を持って説明をするということは、その内容を理解しているのは勿論ですが、勉強に対する興味や楽しみが無くてはできないことです。
 一人土也さんの漢詩からもそれはうかがえることなのですが、本当に一人土也さんの姿を見ていることは楽しみです。
 リンク先は次の通りですので、皆さんもご訪問になってください。「自森人
 詩の方は、今回の五言絶句では、転句に詩情を一気に集約した趣ですね。その分、前半がやや物足りないかもしれません。

2006. 5.11                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第60作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-60

  題頼無扉騒動     頼無扉(ライブドア)騒動に題す   

現代寵兒崇世人   現代の寵児 世人に崇められ

操金自在未知辛   操金自在未だ辛を知らず

倫常逸脱壯圖潰   倫常逸脱壮図潰(つい)へ

閉塞獄房私嚼脣   閉塞獄房私(ひそ)かに脣を嚼(か)みしや

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 もう現在も進行形でライブドアグループによる証券取引法違反事件は捜査が進展中でありますし、連日報道がなされている時事ネタでありますので、詳述は必要ないでしょう。
 それにしても、彼の人生どこで間違ったのでしょうね。

<感想>

 ライブドアの事件は、個人に対してこの段階で批判すると、その批判が形を変えて自分自身に返ってくるような思いがします。
 「現代寵児」と金太郎さんは書かれましたが、まさにその寵児を生み出した現代や、そこに生きる私たちに、いたたまれない恥ずかしい気持ちを起こします。忘れていたかつての自分の失言を思い出した時のような、自己嫌悪やら自責やらの感情が湧き起こり、どうにも嫌なものです。
 マスコミなどの掌を返したような非難や攻撃は、その後ろめたさを隠そうとしているかのようです。「いやいや、そんな後ろめたさなんて感覚は持っちゃいないよ」と言われるかもしれませんが。

 転句の一字目の「倫」は冒韻ですね。

2006. 5.11                 by 桐山人