作品番号 2005-91
花鳥風月
花朝梅有信 花朝 梅に信有り
鳥語早鶯聲 鳥語 早鶯の声
風雨春猶浅 風雨 春猶浅し
月光無限情 月光 限り無しの情
<解説>
漢詩を初めて間もないですが、花鳥風月という言葉を思い出して作ってみました。
<感想>
これは、「花鳥風月」の言葉を句頭に置いた「折句」の形式ですね。こうした詩では、面白さが先に立ち、作者の気持ちがなかなか出てこない傾向があります。
それは、制約が厳しいことが理由です。押韻や平仄などの近体詩の規則も、言葉選びの点では制約です。でも、使える漢字までも決めるものではありません。押韻ならば同じ韻目の中で、平仄ならば平字か仄字のグループの中で、作者が自分の心情に即して選択の余地がかなり広く残されています。
ところが、こうした折句は、使う文字とその位置が先に決められていますから、選択はできません。決められた文字に対して、作者の方が自分の心情を合わせて行くという、作詩の点では非常に変則的な現象になります。
ですから、こうした折句などの詩を作る時には、制約が普段よりも多いことをまず理解した上で、「敢えて厳しい制約に挑戦するぞ!」という気概が必要になります。
ということで、清山さんの今回の詩を拝見しますと、起句は好句ですね。承句は「語」と「聲」の重複が惜しいところです。転句は、「風雨」と「春猶浅」のつながりが分かりません。結句は問題ないですね。
どの句も、句頭が決められている条件の中で、工夫されていると思います。ただ、それぞれの句を並べて一つの詩と見ると、つじつまを合わせるのが辛くなります。「花朝」と「月光」の時間的な問題、「早鶯」が鳴いている朝なのに「風雨」はいつの事なのか、何よりも、全体として何が言いたいのかがはっきりしません。
難しい詩作に挑戦しているのだ、と考えて、後半を練り上げて行かれたらどうでしょうか。
2005. 8.29 by 桐山人
作品番号 2005-92
去日偶成
六月中旬想世遷 六月中旬 世の遷るを想ふ
時流三載忽醒然 時は流れて 三載 忽ちに醒然とす
無憂嗣者堂堂筆 嗣者に憂ひ無く 堂堂たり 筆
独眺霊峰万感牽 独り霊峰を眺めて 万感を牽く
<解説>
高校の部活動(新聞部)を引退するにあたり、作りました。
三年間の日々を想うと、時の流れの速さに驚かされます。
こちらのサイトは実に勉強になりました。特に韻・平仄を検索できる機能は大変便利でした。
平仄を考えて作ったのはこれが初めてです。
全く知識も経験も無い者ですが、今後上達できたら良いなと思います。
<感想>
「平仄を考えて作ったのは初めて」とのことですが、形式の点では整っている詩ですね。
解説にお書きになったように、部活動を引退する時は寂しいものです。私は運動部(ハンドボール部)を指導していましたが、生徒たちは三年生の五月、インターハイの地区予選が終わる頃になると、本当に様々な思いが胸に浮かぶようです。
自分自身のこれまでの活動のこと、今度の試合のこと、引退した後のこと、それぞれの思いが一つになるのもこの時期です。
試合が始まると、顧問の私も、「いつまでもこのままで、試合を続けさせてやりたい」と心から思います。しかし、どの大会でもそうですが、勝ち続けて勝ち続けて、全国で一位にならない限りは、どんなチームでも必ず負ける時、つまり三年生が引退する時が来るわけです。
負けることを前提にするわけではありませんが、高校での部活動をどういう形で終わる(終わらせる)かは、いつも考えていなくてはいけないのだと思っていました。
凌空さんは、力のある後輩がいるようですが、先輩の力が後継者を育てたのですよ。
転句は「憂ひ無し 嗣者 堂堂の筆」と読んだ方が、力強いでしょうね。結句の「霊峰」は新潟からですと、どこの山のことなのでしょうか。
2005. 9. 3 by 桐山人
作品番号 2005-93
大宰府天満宮
空僵菅公梅忘香 空しく僵(たお)れし菅公 梅 香を忘れ
千年歳月意何長 千年の歳月 意何ぞ長し
讒言失脚悲歎地 讒言失脚 悲歎の地
恩賜御衣催断腸 恩賜の御衣に断腸催す
<解説>
歴史上有名な菅原道真です。下手な解釈はいらないかと思います。
サラリーマン金太郎やっていると、当時を髣髴とさせる陰湿陰険な人間模様が展開されているのを見聞きします。
極力関わらないようにしてますが、そんなときは宮仕えの悲哀を感じます。
そして平素の俗塵を洗い清めるために、私は漢詩をやっています。鈴木先生の漢詩に対する思いなど聞きたいですね。
市町村合併があり昨年度後半からずっと忙しく、今日まで投稿できませんでした。ようやく落ち着いたので今年初投稿してみました。
これからもよろしくお願いします
[語釈]
「恩賜御衣」 | :信任厚かった宇多天皇から拝領の装束 |
<感想>
お体の方はもう良いのですか。
菅原道真公を漢詩で詠う時には、私はそれなりの気合いが必要です。今回の世界漢詩同好會の詩題では、杜甫を主題にしましたので、古の詩聖に向けての詩という点ではやはり気合いも入りますが、少し気持ちは違いますね。道真に対しては、同じ日本人だからでしょうか。何となく、ぎこちなさが残ります。
サラリーマン金太郎さんのこの詩は、のびのびと作られていて、ほっとしますね。結句は道真の詩にややもたれ過ぎかと思いますが、鼻につくほどではありませんね。
起句の「僵」は「下平声七陽」の韻字ですので、二四不同が崩れています。この字を四字目に持ってきた方が、句意も通じやすいでしょう。
「私の漢詩への思い」ということですが、これは難しいですね。何であれ、自己表現や創作が好きなのだと思います。だったら漢詩でなくても良いだろう、と言われると、やはり漢詩でなくては駄目な場合もあるわけで、自分としてはアイテムを増やしているのかな、と思っています。
「私には漢詩しか無い」とは言えないので、熱心な方には叱られるかもしれませんが、その時その時で、漢詩も精一杯愛しているのは間違いないと思います。こんな答で良いでしょうか。
ビールでも飲みながら話をすると、もう少し、気の利いたことも言えるかな?
2005. 9. 3 by 桐山人
作品番号 2005-94
大洲城
漫漫肱川澄K流 漫漫 肱川 澄Kして流れ
清風吹遍白雲秋 清風吹き遍(あまね)し 白雲の秋
復元天守欹山上 復元の天守 山上に欹ち
不断行人刮目周 断へず行人 刮目して周る
<解説>
愛媛県南予にある大洲城には、明治維新以来久しく天守閣がありませんでしたが、市制施行50周年を記念して昨年平成16年10月、その威容を肱川河畔に見せました。市民待望の一大事業で、浄財もあまた集まったと聞いています。昨今木造での再建は珍しく全国から注目を集めました。
私も直接拝見しましたが、とうとうと流れる肱川とマッチしてすばらしく、今後の大洲市の発展の象徴のようでした。
それに引き換え、私の故郷北条市は昨年末をもって、松山市に合併され地図上からその名が永遠に消えてしまいました。なんともさびしいですね。
<感想>
木造の天守閣の再建は、すばらしいですね。市の象徴としての建築に木造再建を選んだという点に、大洲市の皆さんのお気持ちがよく表れていると思います。金太郎さんの詩も、その趣をよく伝えているのではないでしょうか。
何カ所か、気になる点がありますので、修正されると、よい記念の詩になると思います。
起句の「漫漫」は平声になります。川の流れを表す言葉は沢山ありますので、探されるとよいでしょう。
また、転句の「欹」は「斜めに立たせる」意味だったと思いますので、「峙」の方がこの場合にはふさわしいと思います。
結句の「刮目」は、「(目をぬぐって)しっかりと見直す」の意味ですので、「威容」を誇る天守閣にはどうでしょうか。
表記のことでは、「断へず」は「断えず」が正しい表記です。「断」は「たゆ」、ヤ行の活用です。「天守」も和習ですので、もう一工夫、ほしいところでしょうね。
2005. 9. 3 by 桐山人
作品番号 2005-95
古希加一誕日
足疾身過杖国年 足疾の身は過ぐ 杖国の年
生来守拙未乖天 生来拙を守りて 未だ天に
襤褸弊屋誇吾子 襤褸 弊屋 吾が子に誇る
不以邪銭求美田 邪銭を以つて美田を求めず
<解説>
人生の負け惜しみでしょうか
<感想>
「杖国」は、「七十歳」のことですね。「古希」は杜甫の詩から生まれた言葉ですが、これは『礼記』からでしたか。杖をつくような年齢ということでしょうね。
転句の逆説的な表現が生きていて、結句をスムーズに理解させてくれます。結句は、この転句が無いと、「邪銭を以てせず 美田を求む」のように、前半で完結して読んでしまうかもしれませんね。「不」が句全体にかかるように読むために、転句が必要です。
私も、子ども達に、自分の人生を誇りを持って語れるように生きていきたいと思いました。
2005. 9. 7 by 桐山人
作品番号 2005-96
高野山
霊峰馥郁包香煙 霊峰は馥郁と香煙に包まれ
開祖千年泳敬虔 開祖千年 永しへに敬虔
喬樹参差青蘚帯 喬樹 参差 青蘚帯び
賽人絡繹白衣連 賽人
唐伝科学万般粋 唐より科学万般の粋を伝へ
此説真言蜜教全 此に真言蜜教の全てを説く
堂塔伽藍蓋山頂 堂塔伽藍は山頂を蓋ふ
大師洪徳覆蒼天 大師の洪徳 蒼天を覆ふ
<解説>
先年息子に連れられ高野山に参詣しました、開祖千年を経てなお大師の遺徳の広大さに心を動かされて、尾聯に詠じました。
<感想>
前半は、高野山の趣をよく伝えた描写になっていますね。
起句は下三平になっていますので、「包」の字は直さなくてはいけませんね。また、二句目の「千年」も冒韻です。
第六句の「全」は、押韻の関係でしょうが、この位置に置かれるならば、読み方は「此に真言蜜教の全きを説く」とすべきでしょう。
弘法大師について改めて言うことはないのですが、漢詩を勉強していると、大師が日本にもたらしたものは、宗教のみならず文化そのものを伝えてくれたのだと、その大きさを改めて知る思いがします。
2005. 9. 7 by 桐山人
作品番号 2005-97
青霄
唯呼幾思去来風, 唯(ただ)幾思を呼び 去来する風,
自望青霄透近槞。 自(おのずか)ら青霄を望み 近槞を透す。
卒業証書箝紫紙, 卒業証書 紫紙に箝 (はさ)まり,
云平生波苦吟躬。 平生の波を云う 苦吟の躬(み)。
<解説>
いくつもの思いをおこさせて行き来する風,
自然に青空を望み近くの窓を透す。
卒業証書は紫の紙にはさまり,
普通に生きる者の波をいう詩を作る身。
<感想>
一人土也さんが卒業の頃に作られた作品ですね。一つの節目毎に様々な思いが胸をよぎるものですが、わかい一人土也さんは、どんなことを思われたのでしょう。
承句の「槞」は、格子の入った窓ですが、ここでどうして「近くの槞」が出てくるのか、今作者は屋外にいるのでしょうか、室内にいるのでしょうか。そのあたりに不明確にさせる言葉ですね。
結句の「波」もよく分からないのですが、全体を見て、「苦吟躬」が唐突な印象です。特に、転句とのつながりが読めませんので、言葉が並んでいるだけのような感じがしてしまいました。
2005. 9. 7 by 桐山人
作品番号 2005-98
赤壁戦
戦終来赤壁, 戦い終来した赤壁,
呉耳可云功。 呉のみ功を云ふべし。
孫主嵬嵬王, 孫主 嵬嵬とし王たり、
周郎凛凛雄。 周郎 凛凛とし雄たり。
江颸弄人命, 江颸 人命を弄び、
虎戛惶炎艟。 虎戛 炎艟を惶る。
大軍虚塵化, 大軍 虚しく塵と化し、
残高圧魏公。 高圧なる魏公を残ふ。
<解説>
やっと律詩が作れるようになりました(間違いだらけかもしれませんが)。やっぱり律詩の対が難しいのであまり作れそうにありません。
戦いの終わった赤壁では,
呉国だけが功をいうべきだろう。
孫主(孫権)は堂々として君臨し、
周郎(周瑜)はりりしくおおしい。
川の風は人命を弄び、
虎(のような人物)の矛も炎の戦舟を恐れる。
魏の大軍は虚しく塵と化し、
高くそびえて低きを覆う魏公(曹操)を損なう。
残ふは「そこなう」です。
歴史が好きでそこから漢詩に入ったので、律詩第一号は三国志にしました。赤壁の戦いでは呉が気に入っているので呉が主役です。だけど三国志の中で一番気に入っているのは曹操なので、最後に登場させました。
それで前の二連に対して次の一連が唐突になってしまいました。それで前二連は呉国の視点、後ろ二連は魏国の視点ということにしました。
<感想>
第二句の「耳」は、ここでは使いづらいでしょう。「独」で良いでしょう。
頸聯は、「人命」と「炎艟」の対は苦しいですね。下句は平仄も崩れているので、推敲が必要でしょう。
第七句は「塵化」は「化塵」としなくてはいけないので、どう持って行くか。末句の「残」は、主語がはっきりしないのですが、この形で読むならば「大軍が魏公を残なう」ということでしょう。それでいいのか、疑問が残りますね。
三国志は、魅力的な物語で、今でも多くの人の心を惹きつけているし、登場人物も一人一人が歴史の中で生きているところが面白いのですよね。
2005. 9. 7 by 桐山人
作品番号 2005-99
柳枝
郊外江頭嫋嫋垂 郊外ノ江頭、嫋嫋ト垂ル
繁華街角恵風吹 繁華ノ街角、恵風ニ吹カル
幾株楊柳東都在 幾株ノ楊柳 東都ニ在ル
等比相思恨別離 等比ス 相思ノ別離ヲ恨ムト
<解説>
山陽吟社時代の旧作。楽府題で作ったものの一つ。
なんで投稿する気になったかというとIMEパッドに「嬝」という字があったから。(表示されない時のための字解き。女偏に鳥という字のしたの点点の代わりに衣を書いたような字)
太刀掛先生の添削は、【「嫋嬝垂」→「嫋嫋垂」 「コノ二字ハ同一字ナリ カカル書キ方ハ不可」】と朱書。
おまけに昔から書き取りの苦手だった私は、垂れるという字の下の横棒の上にもう一本棒を書いていた。今でも、はねる、突き抜ける、止めるといった書き方や、書き順をいい加減に覚えている横着者です。こういう人間を指導するのだから、先生の大変さも思いやられる。師恩まことに深いというべきでしょう。
「街畔」→「街角」
内容はごく単純で、唐の都でもいいけど、現在の東京でもイメージにあうかと思います。
町外れ(隅田川)の川岸になよなよと垂れ、
繁華街(銀座)の街角、春風にそよぐ。
何本の柳が都(東京)にあるのだろう。
きっと、恋人たちが別れを惜しむ数だけ!
尼崎の鉄道事故で、JR各社が社名の鉄道の文字を「○道」(○=金偏に矢)と書いているのを改めて知りました。金を失うのは縁起が悪いと新日鉄が正式社名を旧字体にしているのと同様の理由だと思われます。
早速、『字源』で検じたら、○は「シ」という音で、意味は矢の先端。それに平字です。鉄とは別の字で、それを通用させようというのは伝統破壊行為ではないかと論難したい。(JRも、はねる・止めるをうろ覚えのわたしに言われたくはないかもしれないけど)
雅筵にふさわしからざる話柄かもしれませんが、(復古や懐旧に淫することはないけど)もっと漢字文化を大事にしてもらいたいなあと思います。企業の縁起かつぎと、一国の書字法とどちらが大事なんだろう。
<感想>
柳が別れの象徴として詠われるのは納得できることです。その柳の一本一本に、別れの思いが籠められているというとらえ方は、視点の広さが面白く感じます。
これを、現代の東京とした時に合うのかどうかは、皆さんの思い出とつながるのかもしれません。私は、やはり古都がいいような気がしますね。もし東京にするのなら、そうですね、島崎藤村が歌ったような頃、大正ロマンの香りがするような頃、それが合うのではないでしょうか。
「鉄」のお話は、確かにその通りですね。戦後の新字体へ変更になった時に起きたのでしょうが、言葉や漢字への日本人のいいかげんさが表れていることですよね。
2005. 9. 7 by 桐山人
作品番号 2005-100
緑陰小集
薫風漾緑訪柴門 薫風緑を漾はし 柴門を訪ふ
相會雅朋情味温 相會す雅朋 情味温かなり
敲句傾杯詩趣興 句を敲き杯を傾け 詩趣の興
老顔矍鑠養吟魂 老顔矍鑠として 吟魂を養ふ
<解説>
初夏の風が緑を漂わす所柴の門を尋ね
互いに会って人情味が暖かである
詩句を考え練り杯を傾け詩作りの酒に興じ
年老いた顔も元気で作詩の魂を養う
<感想>
詩友との楽しい一時が感じられ、緑陰という情景がよくマッチした詩になっていますね。「矍鑠」という言葉に、登龍さんの気概が感じられますね。
詩の構成としては、「雅朋」「詩趣」「吟魂」などの言葉が同じイメージを出していて、重層的と言えば良いのですが、全体として発展性のない印象がします。転句の「詩趣興」が類型的ですし、ここを詩とは別のことを描くようにすると、バランスの整うものになると思います。
2005. 9. 8 by 桐山人
作品番号 2005-101
夏日旅愁
夕陽欲落暮雲低 夕陽落ちんと欲すれば暮雲低く、
已絶人声空夏畦 人声已に絶え 夏の畦 空し。
看取炊煙愁自発 炊煙を 看取すれば 愁ひ自ずから発し、
烏鴉相叫向山棲 烏鴉は相叫びて 山の棲に向かふ。
<解説>
三陸に出張した際の光景を読みました。
食卓を囲む笑い声が、旅先で聞こえると、なんとも旅愁を感じます。
その想いを詩にしました。
<感想>
ニャースさんは、詩に味わいが深まってきているような気がしますね。9月から中国にお仕事で移られたそうですが、このページをご覧になっていらっしゃるのでしょうか。
この詩では、旅愁のイメージを転句の「炊煙」で、家庭の温かさを象徴させているのですが、かつての唐の時代の「砧」と通じますね。
内容的には、余韻も深く、良い詩だと思います。
読み下しでは、承句を「已に人声を絶ち 夏畦を空しくす」とすればどうでしょう。
2005. 9. 9 by 桐山人
作品番号 2005-102
頌腓特烈二世与阿爾卡米勒 フリードリッヒ二世とアル・カーミルを頌えて
吾愛二賢帝 吾は愛す 二賢帝
休争共手攜 争を休めて 共に手攜し
結交閑忿恚 交を結んで 忿恚を閑め
去恨廢征鼙 恨を去って 征鼙を廃す
知足互無冒 足るを知りて 互に冒す無く
覓和同不迷 和を覓めて 同(とも)に迷はず
王齢若長久 王の齢 若し長久なりせば
功業与天齎 功業(いさをし) 天と斉しかりしを
<解説>
世界漢詩同好會での六月の交流詩のテーマが「祈願平和共存」と聞いたとき、真っ先に思い浮かべたのが、このフリードリッヒとアル・カーミルの故事でした。
そこでまずこの詩を書いてみましたが、註の入れられない交流詩ではとても無理と考え、諦めて一般詩に投稿します。世界史的にみれば正史に記載される事も、漢詩の世界では稗史にも入らぬ辟典になってしまいます。本来こうした故事は書くべきでないかもしれませんが。
フリードリッヒ二世の統治したシチリヤ王国は、当時イスラム教徒も多く、キリスト教徒と平和裡に共存していた。詩人であり学者でもあった王自身も、優れたイスラム文化に深い関心を持ち、アラビヤ語にも堪能であって、当時、皇帝の義務に等しかった十字軍には気乗り薄であった。
それ故、ローマ法皇の意向を無視して、アユーブ朝のスルタン、アル・カーミルと交渉。ヤッファ協定を結び、互いに平和を守り、自由に各々の信仰を守るという条件でエルサレム奪還に成功した。その爲、彼は偏狭なローマ法王から破門されてしまうが 彼はそれに屈しなかった。
しかし、勿論、この協定は当時のキリスト教諸国、イスラム教諸国のどちらにとっても不満であった。アル・カーミルとフリードリッヒは深い友情によって結ばれており、両者が健在のうちは、この平和協定は守られていたが、1238年、アル・カーミルが死去すると、忽ちこの条約はイスラム側から破られる。
とはいえ、両者の健在であった10年間は現在においてさえ達成できない平和を、暗黒と云われる中世において達成していたのである。
現在、アメリカとイスラムの双方に最も必要なのはこの二人である。
[語釈]
「腓特烈二世」 | :シチリヤとドイツの王にして神聖ローマ帝国皇帝、フリードリッヒ二世(在位1197〜1250)。 |
「阿爾卡米勒」 | :アユーブ朝第五代スルタン、アル・カーミル(在位1218〜1238)。 |
<感想>
フリードリッヒ二世は現在でもまだ、破門は解かれていないようですが、Y.Tさんの仰るように、今こそ歴史の中で見つめなくてはならない状況だと言えるでしょう。
世界漢詩同好會では、十分な解説を載せられないので済みません。
人間として、個人として、平和を拒んで乱を好む人はいないのでしょうが、立場や利害、信ずるものによっては結果的に乱に向かうことになるのは、人も時代も社会も同じなのでしょう。そうしたしがらみを抜けた視点や行動を持てる人は少ないわけで、だからこそ、私たちは歴史から学ぶことが多いのだと思います。
五言だとやや字数が足りなかったでしょうか。
2005. 9. 9 by 桐山人
作品番号 2005-103
奥多摩湖周遊 一
万面連山染緑幽 万面の連山 緑に染まって幽に
一行深峡涵青流 一行の深峡 青に涵って流る
鶯鳴猶聴已清夏 鶯鳴猶聴くも 已に清夏
霊水霊峰払暑優 霊水霊峰 暑を払って優たり
<解説>
奥多摩湖は萌える緑に囲まれ、深い峡谷は青く澄んで流れ、湖面は深い青色を湛えている。時折鶯の鳴き声が聞こえるが、季節はもう夏、だが、この深山と湖水と谷川は暑さを払い、優しく体を包んでくれる。
<感想>
峡谷の爽やかさが目にも耳にも染み渡ってくるような詩ですね。夏の暑さにうだっていた身には、うらやましいような思いです。
承句の「涵」は平声ですので、このままですと、「下三平」になっています。「浸」や「溶」などで解消はしますが、適語を選ばれると良いでしょう。
最初に書きましたが、転句からは聴覚へと移り、結句で身体の皮膚感覚に迫ってくる展開は工夫されたところでしょう。その点で行けば、結びの「払暑」が、不要な言葉かもしれませんね。
2005. 9. 9 by 桐山人
作品番号 2005-104
奥多摩湖周遊 二
勝景逶移嶺峡環 勝景逶移として 嶺峡環
青融清水翠籠山 青は清水に融け 翠は山に籠もる
老翁有悄矚湖底 老翁の悄として湖底を矚る有り
陽照孤身沈樹間 陽は孤身を照らして 樹間に沈む
<解説>
峡谷を流れる谷川と湖水は青色が融け込んだように、周囲の山々は緑色を塗りこめたように、そんな美しい光景が延々と続く、ふとみると、しょんぼりした老翁が無心に水底を見詰めている様子、きっとダム建設で湖底に沈んだ我が家を思い出しているのかもしれない。そんな風情に見えるが、折からの夕陽がその姿を赤く染めながら樹間に沈んでゆく。
[語釈]
「逶移」 | :いい 長く連なるさま。 |
「悄」 | :しおれる。 |
<感想>
こちらの詩は、主眼が「老翁」に向かっている分だけ、具体的な情景がやや弱くなりますね。
「矚」は「矚目」「矚望」として使われますが、じっと注意して見ることを表します。しょんぼりとして見ているという点から考えると、「看」「望」でも良いように思います。
たまたま通りかかった時に見かけた老人ということでしょうが、結句とつながって、一種不思議な存在感を醸し出していますね。「山の主」のように捉えても面白いでしょうね。
2005. 9. 9 by 桐山人
作品番号 2005-105
端午有作
孕風鯉幟轉清妍 風を孕む鯉幟 轉た清妍
祝福男児初度筵 祝福 男児 初度の筵
茭粽上供思往昔 茭粽 上供して 往昔を思ひ
屈魂欲弔對陣篇 屈魂弔はんと欲して陣篇に對す
<解説>
初夏の風を孕む鯉のぼりはますます清く美しく、
祝福する男児の孫は初めての祝いの宴。
粽を供えて昔の故事を憶い、
屈原を弔う思いで先人の述べた文面に向かう。
<感想>
端午の節句は鯉のぼりが登場すると、和習になります。お孫さんの初めての節句ということで、これはこれで楽しいものとするのですが、最後に屈原を登場させるとなると、バランスが壊れます。
日本の詩と徹するか、唐土の趣を生かすか、両方を狙うのは難しいでしょうね。
結句は二六対が崩れていますが、「陣」の字で良いのでしょうか。
登龍さんは、今回の詩では「茭」の字に苦労されたようですね。JISに登録されていない漢字を表示させたり、メールに書き込んだりするのは大変で、私も同じように苦労しています。
JIS外の漢字をどう表示させるかの方法については、一度、「桐山堂」で特集をしましょうかね。
2005. 9. 9 by 桐山人