秦嶺の雪 (2004.11.25)


 王維の「左遷至藍関、示姪孫湘」の名句が頭に浮かびます。


  左遷至藍関、示姪孫湘     左遷せられて藍関に至り、姪孫湘に示す   

一封朝奏九重天   一封 朝に奏す 九重天

夕貶潮州路八千   夕に潮州に貶せらる 路八千

欲為聖明除弊事   聖明の為に弊事を除かんと欲す

肯将衰朽惜残年   肯て衰朽を将って残年を惜しまんや

雲横秦嶺家何在   雲は秦嶺に横たはりて 家 何くにか在る

雪擁藍関馬不前   雪は藍関を擁して 馬すすまず

知汝遠来応有意   知る 汝が遠く来たる 応に意有るべし

好収吾骨瘴江辺   好し 吾が骨を収めよ 瘴江のほと

          (下平声「一先」の押韻)

 韓愈が五十二歳の時、仏骨を奉じようとした皇帝に対して「仏骨を論ずる表」を書いて批判したために、左遷させられた折に作った詩です。
 「路八千」は実際には五千六百里と言われていますので、長安から二千数百キロほど南。はるか地の果てへ高齢にもかかわらず飛ばされたわけですが、自己の信念を崩さない強さがありありと感じられる詩ですね。
 この詩では、とりわけ頸聯の対句「雲横秦嶺家何在 雪擁藍関馬不前」が知られ、秦嶺山脈を越えるに当たっての、道の厳しさと作者の心が対応し、感動的な内容になっていますね。

 私が見た時は丁度、雪に覆われた山の様子は寒々として、韓愈の旅立ちの雰囲気が感じられる写真を撮ることができました。