興慶宮 (2004.11.25)

 ツアーでの行動だったため、漢詩関連の遺跡ばかりを見るわけにも行きませんので、何とか空き時間を見つけてはタクシーで出かけたりしました。
 この時は、とにかく「沈香亭」のある興慶宮に行きたかったのですが、日程を見ると難しく、ホテルに頼んで、朝早くにタクシーで「興慶宮」に連れて行ってもらいました。
 ところが、夜も明けていないうちだったので、門が閉ざされていて入ることができません。太極拳をするためでしょう、もう地元の人たちも何人も集まっているのですが、門が開かないことにはどうにもなりませんでした。
 あきらめていたら、タクシーの運転手さんが「青龍寺ならどうだい?」と話しかけてくれました。阿倍仲麻呂の碑が建っている興慶宮と、空海の関係した青龍寺、日本人観光客のお気に入りのコースなのでしょう。それとも、私がよほどしょんぼりしていたのでしょうか?
 「じゃあ行こう」ということにして(実際には、この交渉が成立するまでに相当手間がかかりました。原因は私の中国語が下手なためですが)、青龍寺まで行きました。
 ところが、朝の七時前ですので、やはりお寺の方でも門は開いていません。運転手さんは何度も門をドンドンと叩いてくれました。日本のお寺でそんなことをすれば大変ですから、「もういいから」と言いつつも、心の中で「ひょっとして・・・・」などと期待もしましたが、勿論、神様はそんなに優しくはないですね。門はピタリと閉ざされたままでした。
 その日のツアーの行程もありますから開門まで待つわけにもいかず、運転手さんにお礼を言い、疲れた顔でホテルに戻り、朝御飯を食べました。
 ガイドさんは私が朝早くから動いたのに目的を達成できなかったのを知って、気を遣ってくれました。他のツアーの人たちがシルクのお土産品店に行った時に、私に「今から一時間くらいあれば、仲麻呂の碑を見てこれる。次の博物館に来るのがちょっと遅れても良いから、タクシーで行って来たらどうですか?」と声を掛けてくれました。
 前日の夜、私が「興慶宮は朝早くでも入れるだろうか?」と確認した時に、このガイドさんは「大丈夫、開いてるよ」と答えてくれたので、責任を感じたのかもしれません。
 渡りに舟(ちょっと違うかな)、とすぐに出かけました。


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 「沈香亭」は李白の次の詩で名前を知られていますね。

  清平調詞三        

名花傾国両相歓   

長得君王帯笑看   

解釈春風無限恨   

沈香亭北倚欄干   


 この詩は、玄宗皇帝が楊貴妃の美しさを褒め称えるために、李白を呼び出して作らせたものだと言われています。お呼びが掛かったその時に、李白は居酒屋で酔っぱらっていたそうですが、玄宗皇帝の前に出ると、三首たちどころに書き上げたと言われています。



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 左の写真は沈香亭の前の「竜池」での撮影です。阿倍仲麻呂の記念碑は正面からと左側面からです。